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東京地方裁判所 平成12年(行ウ)228号 判決 2002年8月21日

原告

乗川正夫

訴訟代理人弁護士

古川景一

被告

立川労働基準監督署長志柿久美子

指定代理人

茂木善樹

諏訪正敏

檜浦真貴子

向井昇

米塚佑子

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し平成八年二月二九日付けでした労働者災害補償保険法による療養給付及び休業給付を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、勤務先から帰宅途中に土手道から転落して負傷したのは通勤災害であると主張して、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)の療養給付及び休業給付の支給を請求したところ、被告が平成八年二月二九日付けで通勤災害であるとは認められないとして不支給とする旨の決定(以下「本件処分」という)をしたため、その取消しを求めた行政事件訴訟である。

1  関係法令の定め

労災保険法(本件処分当時のもの)は、労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡(以下「通勤災害」という)に関する保険給付として、療養給付、休業給付等を行うとしているが(同法七条一項二号、一二条の八、一三条、一四条)、そこにいう通勤とは、「労働者が、就業に関し、住居と就業の場所との間を、合理的な経路及び方法により往復すること」(業務の性質を有するもの除く)とし(同法七条二項)、「労働者が往復の経路を逸脱し、又は往復を中断した場合においては、当該逸脱又は中断の間及びその後の往復は、通勤としない。ただし、当該逸脱又は中断が日常生活上必要な行為であって労働省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は、当該逸脱又は中断の間を除き、この限りでない」としている(同法七条三項)。

2  争点の前提となる事実(証拠によって認定した事実は各項の末尾に証拠を摘示した)

(1)  原告の住居及び就業の場所

原告の住居は肩書住所地にあり、原告は妻及び長女陽子(後記(3)アの本件災害当時高校生)と同居していた。原告の就業の場所は東京都小平市(以下略)所在のエムシー・エレクトロニクス株式会社(以下「勤務先会社」という)であった。原告は、勤務先会社のラムコ事業部において、半導体製造装置の組立配線等の作業に従事していた。

(2)  原告の通勤経路、通勤方法

原告は、就業に関し、住居と勤務先会社との間を、住居から西武鉄道国分寺線国分寺駅までは同線恋ケ窪駅、国分寺駅間の土手道を自転車で(所要時間約一〇分)、国分寺駅から西武鉄道多摩湖線一ツ橋学園駅までは電車で(同約五分)、同駅から勤務先会社までは再び自転車で(同約三〇分)、往復していた。

(書証略、一部争いがない)

(3)  本件災害等

ア 原告は、平成四年一二月七日、残業後午後八時三五分に勤務先会社を退社し、通勤用の自転車を押しながら、同僚の片平勝治(以下「片平」という)とともに、一ツ橋学園駅へ向かった。原告は、その際、勤務先会社付近にある酒屋の自動販売機でアルコール飲料(このアルコール飲料が五〇〇ミリリットル入り缶ビール一本であるかワンカップ入りの清酒一本であるかは争いがある)を購入し、それを飲みながら自転車を押して行った。そして、一ツ橋学園駅近くの青空駐輪場に自転車を置き、同駅から西武鉄道多摩湖線の電車に乗車して国分寺駅に至り、午後九時ころ同駅で片平と別れた。

原告は、国分寺駅改札口を出た後、近くの駐輪場で別の自転車に乗り、自宅に向けて、国分寺駅、恋ケ窪駅間の土手道を走行中(この走行時間帯は争いがある)、自転車とともに土手下に転落し、外傷性の脳(軸索)損傷の傷害(以下「本件災害」という)を負って意識を失い、土手下の線路際の側溝(以下「本件災害現場」という)に仰向けに倒れた。

なお、原告の転落場所付近の状況は、線路敷の北側が土手(上り斜面)となり、この土手上は近傍住民が通路として利用する踏み分け道となっている。

(書証略。一部争いがない)

イ 翌朝である同月八日午前七時五七分ころ、原告は、本件災害現場に倒れているところを鉄道職員に発見され、同日午前八時五分ころ、駆け付けた鉄道職員二名(矢部勝助役、板橋秋也副主任)により救出された。当時雨が強く降っており、原告はずぶ濡れの状態であったが、着衣に損傷等はなく、顔面、頭部等に顕著な外傷は認められなかった。また、原告のものと思われる折り畳み傘が開いた状態で本件災害現場である前記側溝そばに落ちていた。

同日午前八時一八分ころ、通報を受けた救急隊三名が国分寺駅ホームに到着し同所にいた原告に対し、気道確保、酸素吸入及び保温処理といった救急措置を実施した。この際、原告に外傷は認められなかった。

同日午前八時四八分ころ、原告は公立昭和病院へ搬送され、CT施行後、集中治療室に入室となった。病院搬送時の原告の体温は三二・九度であった。

矢部勝助役作成に係る「旅客死傷事故報告書」(書証略)には、本件災害の「原因」として、「酔って自転車ごと土手から転落したもの」と記載され、公立昭和病院の入院診療概要録には、福島憲治医師により、救命センター到着時、「アルコール臭(+)」と記載され、本件災害当日の看護記録にも、沖田看護婦により、「アルコール臭(+)」と記載されている。

公立昭和病院の内潟雅信医師は、立川労働基準監督署からの照会に対し、平成七年六月一六日付けで、「発症時のアルコール臭というのは、発見した駅員が気がついたという情報(恐らく救急隊員から)と、病院到着時診療にあたった医師、看護婦により確認(カルテ記載あり)されているが、アルコールに関する検査は実施していない」と述べている。

(書証略。一部争いがない)

(4)  本件災害後の治療、診断等の状況

ア 公立昭和病院における入院治療等

原告は、平成四年一二月八日から平成五年八月二六日までの間、公立昭和病院に入院し、同病院で治療を受けた。同病院においては、「ウェルニッケ脳症疑い」等と診断された。

公立昭和病院医師が作成した原告についての平成五年八月一七日付けのカルテ(書証略)には、「本日、朝から意味のある発語が多い。会話が通じる部分あり。写真をみせてくれたり、娘を紹介してくれたりetc 娘さんが転落したと思われる線路の写真をみせた時に、娘『お父さん、ここでどうしたの?』 pt『おっこった、よっぱらって』 娘『おっこちたの?』 pt『よっぱらって、おっこちた』と」との記載がある。

(書証略、一部争いがない)

イ 国立精神神経センター武蔵病院における入院治療等

原告は、平成五年八月二六日から平成六年二月二二日までの間、国立精神神経センター武蔵病院に入院し、同病院で治療を受けた。同病院においては、「中枢神経障害」と診断された。

(争いがない)

ウ 東京厚生年金病院における入院治療等

原告は、平成六年二月二二日から同年九月一三日までの間、東京厚生年金病院に入院し、同病院で治療を受けた。

(争いがない)

エ 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院における入院治療等

原告は、平成六年九月一三日以降、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に入院し、同病院で治療を受けた。同病院においては、「脳挫傷、びまん性軸索損傷」と診断された。また、同病院では、原告には両側高度難聴があるとされている。

同病院からの照会に対し、公立昭和病院内潟医師は、原告発見時の状況として「発見した駅員によればアルコール臭あり」と回答している。

(書証略、一部争いがない)

(5)  本件処分等

原告は、本件災害に関し、被告に対し、平成六年二月一八日付けで休業給付の、同年三月三一日付けで療養給付の、各支給請求をしたが、被告は、平成八年二月二九日付けで、これらの請求について、本件災害は通勤経路を中断した後に生じた負傷であって通勤災害とは認められないことを理由に、不支給決定(本件処分)をした。

原告はこれを不服として、同年五月九日、東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、平成九年九月三〇日付けで同審査請求を棄却した。

原告はこれを不服として、同年一一月二一日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成一二年六月七日付けで同請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書は同月二〇日原告代理人に送達された。

(争いがない)

3  争点

本件において、原告の通勤経路、通勤方法が労災保険法七条二項の要件を充たすことは争いがない。本件の争点は、原告が、国分寺駅から自宅への帰宅途中に往復を中断したか否か、すなわち、同法七条三項本文に該当し、通勤としないとされるか否かである。

4  争点に関する当事者の主張(骨子)

(1)  被告

次のアないしウの事情に照らせば、原告は、国分寺駅からの帰宅途中で、少なくとも一時間以上にわたり、同駅付近で飲酒するなどの行為に及び、その後酩酊状態で自転車を運転していたときに本件災害を引き起こしたもので、本件災害は、通勤経路を中断した後に生じた負傷であって、通勤災害には当たらない。

ア 前記2(4)アのカルテの記載のとおり、原告は、平成五年八月一七日、長女陽子に対し、本件災害について、飲酒行為に及び酩酊していたために転落したことを認めている。その一方で、原告は、風雨の影響による転落を推認させる説明は一切していない。

原告は、平成五年七月上旬以降は意味のある発語が認められるようになり、同年八月一七日の陽子との会話のやりとりは自然であること、同日前後のカルテの記載をみても、原告が難聴で耳が聞こえなかったとの記載は認められないことからすれば、同日の原告が難聴で耳が聞こえなかったとはいえない。

イ 原告は、本件災害現場で発見された際アルコール臭を発しており、また、公立昭和病院に搬送された際にもアルコール臭を発していた。

原告は、一ツ橋学園駅に至る前に五〇〇ミリリットルの缶ビールを一本飲んでいるが、その程度の飲酒のみで、それから約一二時間後にもなおアルコール臭を発するものとは考えられないから、原告は、帰宅途中で相当量の飲酒行為に及んだというべきである。

ウ 本件災害現場付近に折り畳み傘が開いた状態で落ちていたことからすれば、原告が側溝に転落した時点では傘を使用する程度の降雨があったと考えられるが、本件災害当日(平成四年一二月七日)東京都府中市において降雨が認められるのは午後一〇時以降であって、これは原告が国分寺駅に降り立った同日午後九時から約一時間以上経過した後に当たり、この間前記のとおり原告は通勤を中断して飲酒していたものである。

(2)  原告

次のアないしウのとおり、原告が国分寺駅からの帰宅途中で飲酒した事実はなく、原告は自転車で帰宅中折からの降雨のため土手道から転落したもので、原告が通勤経路を中断した事実はないから、本件災害は通勤災害に当たる。

ア 平成五年八月一七日の原告の発言((1)ア)について

原告は当時高度難聴であり、会話をすることは客観的に不可能であって、長女との会話自体があり得ない。公立昭和病院は、原告が高度難聴であることに気付かず、会話を創作して看護記録に記載したのである。

イ アルコール臭((1)イ)について

原告を救出した矢部助役、板橋副主任とも原告のアルコール臭を否定している。矢部助役作成に係る「旅客死傷事故報告書」の「原因」欄は、救急隊員の話から推定して記載されたものにすぎないが、救急隊員の出動記録をみても、アルコール臭に関する記載はない。したがって、原告が本件災害現場で発見された当時、アルコール臭を発していた事実はない。公立昭和病院の内潟医師の意見は、まず駅員、駅員から救急隊員、救急隊員から救急医療従事者、救急医療従事者から内潟という、四段階の伝聞過程を経た伝聞事実にすぎず、これによって「駅員がアルコール臭を確認した」ことを推認することはできない。

また、駅員や救急隊員が本件災害現場で原告のアルコール臭を確認していないのに、それよりさらに時間が経過した公立昭和病院搬送時において原告にアルコール臭を感じたこと自体不自然であり、「アルコール臭(+)」の記載は、原告が誤って転落したのではないかとの推測情報が救急隊員から福島医師に伝聞として伝わったため記載されたもの、事実ではない。したがって、公立昭和病院搬送時に原告がアルコール臭を発していた事実もない。

ウ 平成四年一二月七日夜の気象状況((1)ウ)について

東京都府中地域においては、本件災害当日(平成四年一二月七日)の午後九時から午後一〇時までの時間帯にも、一時間当たり積算降雨量一mm未満の降雨が断続的に続いていた。東京都府中市において降雨が認められるのは同日午後一〇時以降であるとする被告の主張は誤りである。

第三当裁判所の判断

1  原告が本件災害当日(平成四年一二月七日)午後九時ころ国分寺駅で片平と別れた後、翌八日午前七時五七分ころ本件災害現場で倒れていたのを発見されるまでの間の原告の行動を具体的に認めるに足りる証拠はないが、被告は、<1>平成五年八月一七日の原告と長女陽子との会話、<2>原告発見時及び公立昭和病院搬送時の原告のアルコール臭、<3>本件災害当時傘を使用する程度の降雨があったと考えられるが、本件災害当日の降雨は午後一〇時以降であること、以上の点から、原告は、当日午後九時ころから一時間以上飲酒し、通勤経路を中断したと推認できる旨主張するので、以下、そのように推認できるか否かについて検討する。

(1)  平成五年八月一七日の原告と長女陽子との会話について

(書証略)によれば、公立昭和病院医師作成の平成五年八月一七日の原告のカルテ(書証略)の記載は、和田千鶴医師が記載したもので、同医師は、原告の娘(書証略及び弁論の全趣旨によれば陽子であると認められる)が原告に転落したときの線路の写真を見せながら、同時に原告に話しかけていたときの状況をありのままに記載したことが認められる。このカルテ記載の陽子の質問状況、写真を見ながらの原告の発語状況からすれば、原告と陽子との間に会話が成立していたか否かはともかくとして、原告は、自己の転落状況について自発的に「酔っぱらって落ちた」としていると認めることができる。

原告は、当時原告は難聴であり、陽子と原告が会話をした事実はなく、看護記録記載の会話は公立昭和病院の創作である旨主張するが、書証略(看護記録)によれば、原告は、同月一三日から看護婦からの呼びかけに応答したり、同月一五日には看護婦が「テレビみる」とベッドを下げると「up、up」と言い、上げていいところで「stop ok」と話すなど、看護婦との間で一定の意思疎通が図れていたことが認められるし、本件災害現場の写真を見ながらの原告の発語に不自然な点はなく、公立昭和病院が看護記録に事実と異なる記載をする根拠もないから、前記のとおり認定することができる。これに反し、陽子は、(書証略)において、原告とそのような会話をしたことはないとするが、前記(書証略)に照らし、採用できない。

(2)  原告発見時及び公立昭和病院搬送時の原告のアルコール臭について

ア 原告発見時の原告のアルコール臭について

(書証略)によれば、東京労働者災害補償保険審査官の質問に対し、原告を救出した矢部助役、板橋副主任とも、「アルコールの臭いに『気づかなかった』あるいは『分からない』」と答えていること、同審査官の質問に対し、板橋副主任は、「『死傷事故報告書』の『原因』欄の記載は、救急隊の話を聞いたことによる記載である」と答えているが、一方原告の救急出動に当たった国分寺消防署の署長は、立川労働基準監督署長からの「その他参考事項(アルコール臭の有無等)」等の照会に対し、「その他参考事項なし」と回答していることが認められ、これらの事実からすれば、矢部助役作成に係る「死傷事故報告書」の「原因」欄に「酔って自転車ごと土手から転落したもの」との記載があるからといって、原告を発見ないし救出した鉄道職員が原告のアルコール臭を確認したとはいえない。

イ 公立昭和病院搬送時の原告のアルコール臭について

沖田とし子看護婦が本件災害翌日の看護記録に記載した「アルコール臭(+)」の記載は、医師が確認したことを記載したものであるし(書証略によって認める)、内潟雅信医師の意見書(書証略)の「発症時のアルコール臭というのは、発見した駅員が気がついたという情報(恐らく救急隊員から)と、病院到着時診療にあたった医師、看護婦により確認(カルテ記載あり)」とある部分中、前者は裏付けがないし、後者については前記のとおり沖田看護婦が確認したわけではないから、結局、公立昭和病院搬送時の原告のアルコール臭の有無については、救命センター到着時に原告を診察した福島医師が入院診療概要録に記載した「アルコール臭(+)」の記載の信憑性により判断されるべきこととなる。

この点に関し、福島医師は、東京労働局労災補償課員からの聴取に対し、「救命センターに到着時に気管内挿管のため原告の鼻にチューブを入れる際顔を近づけたところ、アルコール臭(いわゆる酒を飲んだ人の吐く息の臭い)を確認したと思う」と回答し、原告代理人からの質問に対し、「自己の感じた臭いがアルコールを飲酒した後に呼出される臭いと似ていたので自分自身の判断で『アルコール臭(+)』と記載したと記憶している」旨回答している(書証略)。この福島医師の回答からすれば、原告には、救命センター到着時、アルコール臭があったと認めることができる。当時原告に対してはアルコールに関する検査が実施されていないが、そうであるからといってこの認定を左右するに足りない。また、(書証略)によれば、原告を発見した駅職員は、土砂降り状態の中、全身水に浸かりずぶ濡れの原告を側溝から出すのがやっとであったことが認められるから、駅職員が原告のアルコール臭を確認できず、その後に福島医師が原告のアルコール臭を感じたからといって、そのことが不自然とはいえない。

(3)  本件災害当日の降雨状況について

証拠(書証略、弁論の全趣旨)によれば、本件災害当日、東京管区気象台(千代田区大手町一丁目所在)の地上観測では、午後九時では雨ともやがあり、一時間降水量は一・〇mmであり、午後九時五分で雨ともやが続き、視程が二kmに低下し、午後一〇時には一時間降水量が四・五mmに増え、午後一〇時二五分には雨がやんだが、もやと視界不良(視程二km)が続き、午後一〇時四〇分にはこれに加え、しゅう雨性降雨があり、午後一一時には一時間降水量が〇・五mmであったこと、他方、府中地域気象観測所(府中市幸町三丁目所在。本件災害現場と直線距離で約一・五kmの位置にある)の観測では、午後九時、一〇時には毎時降水量は観測されず、午後一一時に一mm、午後一二時に一mmであったことが認められる。このことと、気象庁は、原告代理人からの求めに応じ、JR中央線国分寺駅周辺(府中地域気象観測所の北約二kmの地点)における本件災害当日の午後九時から午後九時三〇分までの降水現象について、「降水現象がなかったと断定することはできず、降水現象があった可能性、しゅう雨(短時間の降水現象)であった可能性を相当程度認めることができる。しゅう雨の瞬間強度に関して、一時間当たり四mm以上三二mm未満の中程度のものであった可能性も否定できないとはいえない」と鑑定していること(書証略によって認める)を併せ考えると、本件災害当日、本件災害現場付近において午後九時台も降雨があった可能性があり、被告主張のように、本件災害現場付近における降雨の時期が午後一〇時以降であると認定することはできない。

(4)  以上(1)ないし(3)で検討したところによれば、被告主張事実のうち、<1>平成五年八月一七日の段階において、原告が本件災害の原因は「酔っぱらって落ちた」ものであることを認めていたこと、<2>公立昭和病院搬送時に原告にアルコール臭があったことを認めることができる。

そして、原告が本件災害当日午後八時三五分ころ勤務先会社を退社して一ツ橋学園駅に向かう途中で飲んだアルコール飲料が五〇〇ミリリットル入り缶ビール一本であれワンカップ入りの清酒一本であれ、(書証略)によれば、その体内アルコールは体重五〇キログラムの成人で長くとも五ないし六時間で分解することが認められるから、平成四年五月当時原告の体重は六七キログラムであったこと(書証略によって認める)からしても、原告が本件災害当日に飲んだアルコール飲料がこれのみであるとすれば、原告の体内アルコールはその後原告が公立昭和病院に搬送された翌八日午前八時四八分ころまでの約一二時間分解されずにいたとは解し難い。したがって、公立昭和病院搬送時に原告のアルコール臭が認められたことは、原告が本件災害当日午後九時ころ国分寺駅で片平と別れて後本件災害に遭遇するまでの間、一定時間、一定量のアルコール飲料を飲酒したと推認することができるものである。

以上の平成五年八月一七日当時の原告の発言、公立昭和病院搬送時に認められた原告のアルコール臭からすれば、原告は、本件災害当日、国分寺駅から帰宅途中一定時間飲酒し、その後帰宅しようとして本件災害に遭遇したものと推認するのが相当である。

原告は、国分寺駅で片平と別れて家に直行したと供述する(書証略、原告本人)が、前記認定の(1)、(2)イの事実に照らし、採用できない(原告本人の供述は、勤務先会社を退社後一ツ橋学園駅に向かう途中で飲酒したことはないとするなど、証拠によって優に認定することができる事実と符号しない部分があること、会社から帰宅する途中で外食や飲酒をしたことはないとしながら、他方で外食の事実は認めるなど供述に一貫性があるとはいえないことなどからして、にわかに採用できない)。

2  以上によれば、原告は、通勤の経路上において通勤とは関係のない飲酒行為を行ったもので、これにより往復を中断し、その後に本件災害に遭ったものというべきところ、その中断について労災保険法七条三項ただし書の該当事由があることを認めるに足りる証拠はないから、同条三項本文により同条一項二号の「通勤」とされないものというほかなく、本件災害は通勤による負傷とはいえない。したがって、本件災害が通勤災害とはいえないとした本件処分は適法である。

よって、原告の請求は理由がないからいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 伊藤由紀子 裁判官 鈴木拓児)

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