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東京地方裁判所 平成12年(行ウ)291号 判決 2002年3月15日

原告

A野太郎

訴訟代理人弁護士

猪木俊宏

野宮拓

被告

代表者法務大臣

森山眞弓

指定代理人

新谷貴昭

他3名

主文

被告は、原告に対し、六四四九万七六〇七円及びこれに対する平成一二年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、六四四九万七六〇七円及びこれに対する平成一二年九月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、B山松夫に係る滞納国税の徴収のために、「A田法律事務所弁護士A野太郎B山松夫預り金口」名義の銀行預金(普通預金)について、差押え、取立て等の滞納処分がされたところ、上記弁護士である原告が、当該預金は原告に帰属するものであると主張して、被告(国)に対し、不当利得返還請求として、上記差押え時における同預金の残高相当額である六四四九万七六〇七円及びこれに対する上記取立ての日の翌日である平成一二年九月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による利息の支払を求めている事案である。

一  前提となる事実

以下、末尾に証拠を掲記した事実は当該証拠により認定した事実であり、証拠の掲記のない事実は当事者間に争いがない事実である。

(1)  原告は、第二東京弁護士会所属の弁護士であり、平成一一年二月二七日ころ、所属する法律事務所の弁護士二名とともに、B山松夫(以下「滞納者」という。)から、同人の詐欺被告事件(以下「本件刑事被告事件」という。)の弁護を受任した。

(2)  原告は、平成一一年四月五日、株式会社さくら銀行(現在の株式会社三井住友銀行。以下「さくら銀行」という。)霞が関支店に自らの出捐に係る一〇〇円を預け入れ、「A田法律事務所弁護士A野太郎B山松夫預り金口」名義の普通預金口座(口座番号《省略》。以下「本件預金口座」といい、この普通預金を「本件預金」という。)を開設した。

(3)  本件預金口座には、平成一一年四月二二日から同年五月二五日までに、株式会社C川及び株式会社E田から、合計七七〇〇万円が振り込まれた。

(4)  本件預金口座の平成一二年二月二一日現在の残高は、六四四九万七〇四一円であった。

(5)  被告は、平成一二年二月二九日現在、滞納者に対し、既に納期限を経過した申告所得税の本税、重加算税及び延滞税の合計一億八四四七万八七二七円の租税債権(以下「本件租税債権」という。)を有していた。

なお、当初、所轄庁は東村山税務署長であったが、同年二月二五日、国税通則法四三条三項に基づく徴収の引継ぎにより東京国税局長が所轄庁となっていた。

(6)  東京国税局徴収職員は、平成一二年二月二九日、本件租税債権を徴収するため、本件預金口座の残高の払戻請求権及び差押通知書送達日までの確定利息の払戻請求権(以下、これらの払戻請求権を併せて「本件預金債権」という。)を、国税徴収法六二条の規定に基づいて差し押さえ、同日、同差押通知書を第三債務者であるさくら銀行に送達した。

なお、本件預金口座については、同日までに、上記(4)の残高に利息五六六円が発生しており、上記残高と利息を合計すると六四四九万七六〇七円であった。

(7)  東京国税局長は、平成一二年九月一三日、本件預金債権を第三債務者から取り立て(以下、(6)に記載の差押えと本項記載の取立てとを併せて「本件滞納処分」という。)、全額を本件租税債権の本税に充当した。

二  当事者の主張

(原告の主張)

(1) 本件預金が原告に帰属すること

ア 預金者の認定に関する最高裁判例の射程距離

a 預金者の認定について、最高裁判所は、「無記名定期預金契約において、当該預金の出捐者が、他の者に金銭を交付し無記名定期預金をすることを依頼し、この者が預入行為をした場合、預入行為者が右金銭を横領し自己の預金とする意思で無記名定期預金をしたなどの特段の事情の認められない限り、出捐者をもって無記名定期預金の預金者と解すべきである」とし、さらに、「この理は、記名式定期預金についても異なるものではないから、預入行為者が出捐者から交付を受けた金銭を横領し自己の預金とする意図で記名式定期預金をしたなどの特段の事情の認められない限り、出捐者をもって記名式定期預金の預金者と解するのが相当である」と判示しており、出捐者を預金者とするいわゆる客観説を採用している。

このように、上記の判例は、出捐者が自己の預金とする意思で他人に対し金員を交付して当該金員を預金することを依頼した場合についての判断を示したものである。

b そこで、本件が上記客観説の適用場面であるか否かを検討するに、本件預金口座は、前記のとおり、平成一一年二月下旬ころ、原告が滞納者から、同人に係る本件刑事被告事件の弁護を受任したので、滞納者から受領する着手金等を管理するために開設された口座である。

そして、原告が滞納者から受任した事務は、本件刑事被告事件の弁護活動のみであって、その一環として被害者に対する示談交渉を行うことは含まれていたものの、滞納者から受領した七七〇〇万円を銀行に預金することは委任事務の直接の目的となっておらず、当該預金の出捐者が他の者に金銭を交付し預金をすることを依頼した場合には当たらない。

滞納者が、本件預金口座に七七〇〇万円を振込送金した趣旨は、本件刑事被告事件の弁護報酬の一部及び委任事務処理費用の各支払債務の履行であり、後者については、原告に委任事務処理に必要な範囲で自由に処分することを許諾しているのであるから、滞納者に「自己の預金とする意思」が存在していなかったことは明らかである。

c 仮に預り金口座の預金者の認定について客観説によった場合、預金口座内の預金について複数の出捐者が認められるときには、個々の出捐者ごとに払戻請求権が帰属すると解することとなるが、一つの預金について権利の分属を許す結果となることは、妥当ではない。

d したがって、本件については、前記最高裁判決の射程外にあり、預金の帰属は通常の契約理論によって決せられるべきである。

イ 一般の契約理論に従えば、さくら銀行との間で、本件預金口座開設に係る消費寄託契約(以下「本件消費寄託契約」という。)を締結したのは原告であるから、本件預金債権の債権者は原告である。

a 本件預金口座は、原告の名前である「A野」と刻印されている印鑑を用いて、原告が一〇〇円を預け入れることによって開設したものであって、本件預金口座の開設手続を行ったのは原告自身である。

b 原告は、「A田法律事務所弁護士A野太郎B山松夫預り金口」名義で本件消費寄託契約を締結しているが、上記名義が本件消費寄託契約に係る債権者として原告を指すことは明らかである。

すなわち、「預り金口」は、弁護士が依頼者から事件を受任する際の着手金等を保管しておくために開設するものであり、預り金口座の預金払戻請求権はあくまでも弁護士に帰属するものであって、依頼者に帰属するものではない。また、「預り金口」との表示は、自己の他の財産に混入しないよう事実上区別・特定するための機能を有するだけであって、預金払戻請求権が依頼者に属することを表すものではない。このように、本件預金の名義は、単なる原告名義である場合と変わるところはない。

c 滞納者と原告との間の法律関係は委任又は準委任であり、委任契約においては、受任者は、委任事務処理費用を要する場合は、委任者に対してその前払を請求することができる(民法六四九条)とされているが、本件においても、原告は、滞納者に対し、上記委任事務の報酬及び委任事務処理費用の前払を請求し、滞納者はこれに応じて、債務の履行として七七〇〇万円を支払ったものである。

この前払費用の金額は概算によるほかなく、委任契約終了時に残余があれば、委任者は、受任者に対し、残額について返還請求権を有するとされているのであって、滞納者は、委任契約終了時において、原告に対して委任事務処理費用の残額について返還請求権を有するにすぎない。

d 実際、通常の銀行実務の取扱いからすれば、滞納者が、さくら銀行に対し、本件預金債権に基づく払戻しを請求しても同行がこれに応じることはない。

ウ 仮に、本件預金の帰属について客観説が妥当するとしても、本件預金の出捐者は滞納者ではなく原告であるから、本件預金は原告に帰属する。

a 本件預金口座に振り込まれた七七〇〇万円には弁護士費用が含まれているところ、滞納者は、原告に対し、刑事弁護報酬の一部としての着手金支払債務を負っていたのであり、上記七七〇〇万円を振り込むことによって上記債務を消滅させたのであるから、当該弁護士費用相当額分については原告が出捐していることになる。

この場合においても、弁護士費用相当額分について滞納者が出捐したとする解釈は、銀行振込による債権債務関係の決済機能を否定することになり、著しく不合理な結果となる。

b 前記七七〇〇万円のうちの弁護士報酬以外の委任事務処理費用についても、滞納者は、原告に対し、この費用の支払によって、民法六四九条に基づく債務を消滅させているのであるから、当該委任事務処理費用相当額分についても原告が出捐しているといえる。

エ また、仮に、本件預金の帰属について客観説が妥当し、本件預金の全額は原告に帰属しないとしても、一定額部分は原告に帰属する。

a 原告は、平成一一年二月下旬ころ、本件刑事被告事件の弁護を受任した直後に、滞納者との間で、原告ほか二名の弁護士の第一審の弁護報酬について、基本的に各弁護士の実働時間にそれぞれの時間当たりの単価を乗じた金額を報酬とするタイムチャージ制を内容とする合意をしたが、その際、原告の過去の経験から、報酬が多額に上ると考え、着手金による報酬を併用するものとして、あらかじめ二〇〇〇万円の着手金を納めることを滞納者に要求し、滞納者はこれに同意した。

このタイムチャージ制と着手金の併用による場合、着手金相当額は最終的に報酬を算出する際に各弁護士の実働時間に時間当たり単価を乗じた金額の総額から差し引かれ、その差額が着手金に追加して支払われることになるが、着手金の額は確定的なものであって、万が一タイムチャージにより算出した金額が二〇〇〇万円を下回る場合であっても、原告はその差額分を返還する義務を負わないものであった。

上記のとおり原告が着手金二〇〇〇万円を受領することとした趣旨は、多額に上ることが予想される弁護報酬をあらかじめ確保することであり、原告は、着手金が本件預金口座に振り込まれた時点で原告に帰属するという認識であった。また、滞納者の意思としても、原告に着手金として二〇〇〇万円の予納を求められ、これに応じて原告が管理支配する本件預金口座に上記着手金をその他の諸経費とともに振り込んだのであるから、本件預金口座に振り込まれた時点で着手金は原告に帰属するという認識であったものである。

このように、原告及び滞納者のいずれも、上記着手金は、滞納者が本件預金口座に七七〇〇万円を振り込んだ時点で原告に帰属するという認識であったのであるから、上記着手金は上記時点で原告に帰属する。

なお、原告は、着手金二〇〇〇万円が本件預金口座に振り込まれた後も、直ちにこれを払い戻すことなく、本件預金口座内に据え置いたままにしていたが、これは滞納者から自己の刑事裁判の関係でそのままにしてほしいと頼まれたからであり、法律上滞納者の同意なく着手金の払戻しができなかったわけではないし、滞納者が着手金を払い戻さないでほしいと原告に要請したのは、滞納者が前記七七〇〇万円を振り込んでからしばらくしてのことであるところ、この時点では既に上記着手金は原告に帰属していたことになるから、着手金を払い戻さなかった事実は、着手金の帰属の認定には影響を及ぼさない。

また、原告は、上記着手金を平成一一年度の稼得所得として原告の所属する事務所で精算していないが、これは、前記のとおり、滞納者の要請との関係で事実上着手金二〇〇〇万円を事務所口座に入金しないことから、事務手続上の矛盾が生ずることを憂慮し、現実に事務所口座に着手金を入金した時点で所得計上しても大きな問題はないと考えたためにこのような経理処理をしたものであって、この経理処理の問題は、法的に着手金が原告に帰属する時点の問題とは別である。

b 本件預金債権の差押えがされた平成一二年二月二九日の時点においては、本件預金のうち四三九六万九九〇九円は原告に帰属するものであった。

すなわち、本件刑事被告事件は、平成一二年二月七日に第一審の判決が言い渡され、これにより第一審の弁護活動の報酬及び立替経費の合計が消費税込みで三八七一万九九〇九円と確定した。さらに、原告は、同日、本件刑事被告事件の控訴審の弁護活動を受任し、その着手金を五〇〇万円とすること、及びその支払については本件預金から充当することを滞納者との間で合意した。

控訴審の着手金の充当合意がされている以上、第一審の報酬及び諸経費のうち先に受領した着手金を超える金額分についても本件預金から充当する旨の合意があったことは合理的に推認することができ、本件預金債権の差押えがされた前記時点では、上記第一審の弁護活動の報酬及び立替費用並びに控訴審の弁護活動の着手金の合計である四三九六万九九〇九円は原告に帰属するものであった。

オ 被告は、本件も客観説の射程内であることを前提に、客観説によれば本件預金は滞納者に帰属する旨主張する。

a 被告は、本件預金口座に振り込まれた七七〇〇万円の内訳が保釈金及び弁償基金等であることから、滞納者は本件預金を自己に帰属する意思を有していた旨主張する。

しかし、滞納者は、委任事務処理費用及び弁護士報酬の一部として上記金員を原告に交付したのであり、原告は、本件預金を委任の目的の範囲内で自由に処分することができ、本件預金を管理する権限のみならず処分する権限をも有しているのであるから、滞納者が本件預金を自己に帰属させる意思であったと評価することはできない。

b また、被告は、原告が、滞納者の使者又は代理人として本件預金を開設したと主張する。

しかし、原告の委任事務の目的は本件刑事被告事件において弁護を行うことにあり、滞納者からの預り金を銀行口座に預金することではないから、原告の本件預金手続に関する滞納者の代理人又は使者とみることはできない。

カ 本件預金が滞納者に帰属すると解した場合の不合理性・不都合性

a 預り金口座は一般に弁護士会会規によりその開設が義務付けられている。それにもかかわらず、預り金口座の預金払戻請求権が依頼者に帰属するのであれば、委任事務処理費用の前払を受けても、依頼者の債権者から預り金口座の預金払戻請求権が差し押さえられる危険性があり、結局弁護士が委任事務処理費用を確保することができないことになってしまう。

b 弁護士は、通常、弁護士業務に用いるための預り金口座は一つだけ開設し、当該口座に複数の依頼者からの預り金を保管している。

そうすると、預り金口座の預金払戻請求権が出捐者に帰属すると解した場合、各依頼者が出捐した預り金の金額ごとに各依頼者の銀行に対する預金払戻請求権が帰属することになり、権利が分属し、極めて複雑な法律関係となり、実務的に混乱を招く結果となる。

c 本件預金が原告に帰属すると解しても、滞納者は、委任契約終了時において、原告に対し、民法六四六条に基づき前払費用の残額返還請求権を有するのであるから、滞納処分として、これを差し押さえ、取り立てることは可能である。

(2) 原告の損失及び被告の利得

原告は、本件預金債権の差押えにより、平成一二年二月二九日以降、本件預金口座に預けられている六四四九万七六〇七円の払戻を受けることができなくなり、事実上損失を受け、同年九月一三日の第三債務者からの取立てにより、上記損失は確定的なものとなった。

他方、被告は、法律上の原因なしに、原告の上記損失において、上記金額の利得を得た。

(3) 悪意

東京国税局長は、本件滞納処分の当時、本件預金が原告に帰属することを知っていた。

ア 本件預金口座の名義は「A田法律事務所弁護士A野太郎B山松夫預り金口」であり、弁護士が依頼者からの着手金等を保管していることは一見して明らかである。そうすると、東京国税局長は、本件預金が原告に帰属することを当然知っていたものというべきである。

イ 東京国税局長は、本件預金債権を差し押さえる前に、関係法令に基づいて、本件預金の帰属について調査をしており、本件預金は原告が滞納者から支払われた着手金等から構成されていることを知っていたはずである。

(被告の主張)

(1) 本件預金が滞納者に帰属すること

ア 預金の預入行為者と出捐者が異なる場合の預金帰属者の認定に関し、判例は、自らの出捐により、自己の預金とする意思で、自ら又は使者・代理人を通じて預金契約をした者を預金者であるとするいわゆる客観説を採用している。

そして、以下に述べるとおり、本件では、①滞納者が出捐していること、②滞納者が自己の預金とする意思を有すること、③原告が滞納者の使者又は代理人として開設したものであることから、本件預金債権は滞納者に帰属するものである。

イ 本件預金の出捐者

本件預金は、平成一一年四月五日に一〇〇円の預け入れにより新規開設され、本件滞納処分がなされるまでに、預金利息を含め合計七七三六万二七〇六円が振り込まれているが、そのうち七七〇〇万円は、滞納者が代表取締役を務める株式会社E田及び株式会社C川を経由して滞納者から振り込まれている。したがって、本件預金の出捐者は滞納者である。

原告が本件預金の開設に当たって支出した一〇〇円は、原告が滞納者から預かった金銭を保管するための費用にすぎないから、いずれ滞納者に対して費用償還請求をなし得ることになるが(民法六五〇条一項)、原告が一〇〇円を支出したことをもって本件預金が原告の出捐に係るものとは認められず、本件預金の帰属を滞納者と解する妨げとならない。

ウ 滞納者が自己の預金とする意思を有すること

a 出捐者である滞納者は、本件預金口座への入金は、滞納者の保釈金、弁護士費用及び詐欺事件の被害者への弁償基金である旨供述しているところである。本件預金中、保釈金の趣旨で入金されたものがあることは、平成一一年一一月二六日、本件預金から保釈金名目で一〇〇〇万〇八四〇円が出金されていることからも明らかである。

このうち、滞納者の保釈金及び詐欺事件の被害者に対する弁償基金の趣旨による入金が、これを原告に帰属させる趣旨で入金されることがないことは明らかである。

また、弁護士費用の趣旨による入金も、滞納者の保釈金及び被害者への弁償基金と区別されず、これらと渾然一体のものとして入金されていること、本件刑事被告事件の第一審終了後、原告が滞納者に対して第一審の報酬の支払請求をしていること(後記bⅱ)、及び上記金員が平成一一年の確定申告書に報酬として計上されていないこと(後記bⅳ)に照らせば、この弁護士費用の趣旨による入金についても、滞納者においてこれを直ちに原告に帰属させるとの意思であったと認めることはできない。

さらに、預金が原告に帰属するのであれば、その管理運用については原告が自由に決定すればよい一方、滞納者はその管理運用について何ら口を挟む余地はないはずであるところ、本件預金については、振り込んだ金員の使用方法について滞納者が指示をしており、滞納者は自らの金銭である状態を継続させることを前提とした指示を行っていた。

したがって、滞納者は、詐欺事件の滞納者の保釈金、弁護士費用及び被害者への弁償基金等の趣旨で、本件預金口座に入金したものであり、本件預金を原告に帰属させるとの意思を有していたものではなく、あくまでも原告を代理人として本件預金の管理を委託したものであって、本件預金を自己に帰属させる意思を有していたものと認められる。

b 原告も、以下のとおり、本件預金が滞納者に帰属すると認識していたものである。

ⅰ 原告自身、滞納者の指示に従った預金の運用をしており、滞納者のため以外の使用が禁止されているものと認識し、自分が自由に処分できるお金だとは思っていない。

また、弁護士に帰属するのであれば、帳簿等によって区別することも可能であり、顧客ごとに口座を設ける必要まではない。顧客別に金銭を管理する必要性を感じていたこと自体、預金の中身はあくまでも顧客の金員であって、自己に帰属するものではないとの認識を意味するものである。

さらに、原告自身に帰属する預金であれば、経費等は自分自身の金員として当然本件預金から引き出してよいはずであるが、引き出した事実はない。

ⅱ 原告は、滞納者に対して、平成一二年三月一〇日付けの内容証明郵便で、同年二月七日の時点で確定したとする第一審の報酬額等合計三八七一万九九〇九円の支払を請求し、併せて同書面において、控訴事件に係る着手金及び経費・成功報酬預かり分等として三〇二五万円の支払請求をしている。

しかし、仮に、本件預金のうち第一審の着手金二〇〇〇万円が当初から原告に帰属し、かつ、平成一二年二月七日の時点で第一審の弁護報酬及び立替金等三八七一万九九〇九円並びに控訴審の着手金相当額五〇〇万円が原告に確定的に帰属したのであれば、原告から滞納者に対しては、本件預金のうち上記各金額が充当された旨通知すれば足り、あえて上記のような内容証明郵便によって滞納者に対して支払請求をする必要はない。そうすると、上記の支払請求の事実も、本件預金が原告でなく、滞納者に帰属することを推認させるものというべきである。

ⅲ 原告は、滞納者の刑事事件における有利な情状とするために、本件預金の金員を弁償資金に充てることを検討していたようである。しかしながら、刑事被告人に帰属しない金員が刑事事件の情状証拠とならないことは当然である。このことからも、原告が、本件預金は滞納者に帰属すると認識していたことが明らかである。

また、本件預金には、本件刑事被告事件における共犯者の代理人からも、被害者に対する被害弁償金の一部負担として振り込まれている。しかしながら、刑事事件第一審においては、上記共犯者は、原告に対して刑事弁護を依頼していないから、原告自身に帰属する預金口座に上記共犯者から金員が振り込まれる理由はない。弁償基金の支払をなすべきは刑事被告人両名であり、その資金として振り込まれた金銭もまた両名のために使用されるべきであって、原告が自由に管理処分し得るものではないことは明らかである。

ⅳ 本件預金が原告に帰属するものとすれば、少なくとも原告が「着手金」であるとする二〇〇〇万円については、原告はその年において「収入すべき金額」(所得税法三六条一項)が権利確定したものとして所得税の申告をしなければならないところ、原告は所得申告していないのであり、このことは、原告自身、本件預金が滞納者に帰属するものであり、自己の受け取るべき弁護報酬はまだ「収入すべき金額」として権利が確定していないと認識していたことを示すものである。

エ 原告が、滞納者の使者又は代理人として本件預金を開設したこと

本件預金口座の名義は、「A田法律事務所弁護士A野太郎B山松夫預り金口」とされ、滞納者からの「預り金」であることが明示されていることからも、原告が滞納者からの「詐欺被告事件について弁護をしてもらいたいという依頼」に基づき、滞納者の使者又は代理人として預金を開設したことは明らかである。

オa なお、滞納者が原告に刑事事件の弁護を依頼するに当たっては、具体的に預金の開設行為自体を依頼する必要はなく、本件でも、預金の開設に関する個別の依頼があったか否かは、預金の帰属を検討するに当たっては無関係である。

なぜなら、刑事弁護を依頼する場合、情状面を有利にすることが当然にその内容に含まれているから、被害弁償をすることも依頼内容の一部であって、被害弁償をするための具体的な手続、弁償資金の保管方法などは、専門家である弁護士が最も有効かつ簡便な方法を選択すればよく、個別に依頼を受ける必要はないからである。

b また、預金通帳及び印鑑を原告が保管所持していることを理由に、本件預金が原告に帰属するものということはできない。

すなわち、預金出捐者が判明しない場合において、預入金融機関が預金帰属者を判断するに当たっては、日常の取引において預金証書及び届出印章の所持者が預金帰属者の判断材料となること、仮に預金帰属者が預金証書及び届出印章の所持者と異なっていても、預入金融機関がこの所持者に預金を支払ったことについて免責される場合もあること(民法四七八条)から、預金証書及び届出印章の所持者が誰であるかが重要となる。

しかし、本件は預金出捐者と預入金融機関の争いではなく、預入行為者と預金出捐者の差押債権者との争いであるから、預入金融機関の支払先ないし免責を検討する余地はなく、預金通帳等を出捐者が所持していないことが、出捐の有無、自己の預金とする意思、預入行為者が使者又は代理人として預金契約をしたことという他の事実の認定に当たっての一つの間接事実とはなり得たとしても、預金通帳等の所持が預金帰属者を認定するための独立した要件であると解するのは相当でない。

本件においては、預金通帳及び印鑑を原告が所持しているのは、代理人又は弁護人として本件預金を管理する必要性からこれを保管しているにすぎず、原告に本件預金を帰属させる趣旨に基づくものと認めることはできない。

c 原告は、預り金口座の預金払戻請求権が弁護士ではなく出捐者に帰属すると解すると、当該口座に複数の依頼者からの預り金が保管されている場合、各依頼者が出捐した預り金の金額ごとに各依頼者の銀行に対する預金払戻請求権が帰属することになり、権利が分裂し、妥当でない旨の主張をする。

しかし、被告は、権利の帰属に関する判例の基準に照らして、本件預金が滞納者に帰属すると主張するにすぎず、弁護士が複数の依頼者からの預り金を保管するために開設している口座の預金のすべてが依頼者に帰属すると主張しているわけではないから、原告の前記主張は理由がない。

(2) 仮に本件預金が原告に帰属するとしても、原告の不当利得返還請求が認められないこと

ア 本件預金口座に振り込まれた七七〇〇万円は、原告が「委任事務ヲ処理スルニ当リテ受取リタル金銭」に当たるものと認められるから、原告はこれを滞納者に返還する義務を負う(民法六四六条一項)。

このことは、本件預金の帰属いかんによって影響を受けるものではないから、仮に本件預金が原告に帰属するとしても、原告は本件預金から当該金銭の払戻しを受けた上、これを滞納者に返還しなければならない。

しかるに、被告が滞納者に対する滞納処分によって本件預金を差し押さえ、これを取り立てた結果、原告は滞納者に対する上記金銭の返還義務を免れたのであるから、原告と被告との間に不当利得返還請求権の問題は発生しない。

イ 本件刑事被告事件の弁護報酬の算定方法としては、タイムチャージ制が採用されている。そうすると、報酬請求権は時間の経過によって発生していくが、弁済期について具体的な定めがされていないことからすれば、弁済期はあくまで請求を行った時期と解すべきである。

原告が着手金であると主張している二〇〇〇万円も、将来発生する報酬が二〇〇〇万円を超えることを前提として、その報酬を確保するため一時的に預かった金員にすぎず、弁護活動をしてもしなくても弁護士に確定的に帰属させるという着手金とは性質を異にする。

このように、上記報酬請求権には弁済期の定めがないと考えた場合、原告の滞納者に対する報酬請求は滞納処分に基づく差押えに後れているから、報酬部分の金銭は滞納処分に基づく差押えの時点では原告に弁済期が到来しておらず、まして帰属することもなかったことになる。

そして、弁済期が到来することによって当然に報酬債権の金額が原告に帰属するものではなく、原告に支払請求権が発生するにとどまる。そうすると、本件滞納処分後も、原告は滞納者に対して各支払請求権を有するのであるから、原告には損害は発生していない。

ウ 滞納者と刑事弁護に関する委任契約を締結したのは、原告を含め三人の弁護士である。

したがって、発生する報酬全額が確定的に原告に帰属するものでもない。報酬の内訳は明らかでないが、人数比に従って、三分の一ずつに分けられると考えた場合、報酬金額の三分の二は他の弁護士に帰属するはずの金員であって、原告に損害が生じるものではない。

エ また、原告の属する弁護士事務所はパートナーシップ制をとっており、個々の事件は事務所単位で受任するのであって、個々の弁護士が依頼者と合意した報酬額の全額が確定的に当該弁護士に帰属するものではなく、内部的な手続が必要である。

しかし、本件報酬に関して原告の属する弁護士事務所内部で協議に付された場合に、原告自身が確定的にいかなる金額を受け取ることができたはずであるか、すなわち、原告に生じるべき損害額についての立証は十分なされていない。

三  争点

以上によれば、本件の争点は以下のとおりである。

(1)  本件預金は、原告に帰属するか、滞納者に帰属するか。(争点一)

(2)  本件預金が原告に帰属するとして、原告は、被告に対し、不当利得の返還を請求することができるか否か。できるとして、どの範囲で返還を求めることができるか。(争点二)

第三当裁判所の判断

一  争点一について

(1)  前記「前提となる事実」に《証拠省略》によって認められる事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを覆すに足る証拠は存在しない。

ア 原告の所属する第二東京弁護士会では、「業務上の預り金の取扱いに関する会規」が定められており、この中には以下の各規定が存在する。

第二条(預り金口座開設義務)

1 会員は、受任事件につき依頼者から又は依頼者のために預かった金銭(以下「預り金」という。)を自己の金銭と区別し得るよう預り金であることを明確にする方法で記帳若しくは記録して保管しなければならない。

2 会員は、預り金について、これを預け入れる銀行、郵便局その他の金融機関の預り金口座に遅滞なく入金して保管しなければならない。但し、預り金について、その趣旨に従い直ちに支出又は返還する必要がある場合並びに一事件又は一依頼者につき預り金の合計額が金五〇万円未満のときは、この限りでない。

第五条(精算)

会員は、受任事件が終了した場合その他預り金を預かる必要がなくなった場合、受託の趣旨に従い、遅滞なく依頼者又は依頼者の指示する者に対し、右預り金を支払い、又は精算しなければならない。

イ 原告は、平成一一年二月下旬ころ、滞納者から、本件刑事被告事件の弁護を依頼され、同年三月七日ころ、原告の所属する法律事務所の他の弁護士二人とともに、上記弁護を受任した。

滞納者は仙台で勾留されており、上記弁護については、原告及び原告の所属する法律事務所の弁護士二人のほかに、仙台の弁護士もこれを受任した。

ウ 原告は、滞納者に対し、原告及び原告の所属する法律事務所の二人の弁護士の弁護報酬について、原則的には、各弁護士の実働時間にそれぞれの一時間当たりの労働報酬単価を乗じた額により算出するタイムチャージ制によるが、事件の内容等に照らし、タイムチャージにより算出される各弁護士の報酬の合計が二〇〇〇万円を下ることはないと予測されるので、最初に着手金として二〇〇〇万円を支払ってもらい、上記のタイムチャージ制によって報酬を算出した段階で二〇〇〇万円を超える部分はそのときに支払ってもらうことを説明し、滞納者もこれに同意して、その旨の報酬に関する合意が成立した。

また、滞納者は、原告に対し、本件刑事被告事件で詐欺の被害者とされている者らから弁償を求められた場合にはこれに応じて弁償をするよう依頼した。そこで、原告は、当初は、多くの被害者への弁償が予想されたことから、滞納者に対し、準備できる金員をあらかじめ支払うように求めたところ、滞納者は、六〇〇〇万円程度の金員を準備できる旨述べた。

エ 原告は、平成一一年四月五日、滞納者からの着手金及び弁償資金の振込を受け、これを管理するための口座として、本件預金口座を開設した。

口座開設に当たっては、原告自身が手続を行い、自己の金員の中から一〇〇円を預け入れ、届出印章には原告の姓である「A野」の印を用い、同印章及び通帳は原告が所持し、管理していた。

オ 本件預金口座には、平成一一年四月二二日、株式会社C川から五〇〇万円が振り込まれ、同年五月二五日には、同社から四回に分けて合計六三〇〇万円が、株式会社E田から九〇〇万円がそれぞれ振り込まれ、振り込まれた金額の合計は七七〇〇万円に達した。

これらの金員は、滞納者が代表取締役を務める株式会社C川及び株式会社E田を通じて、滞納者が振り込んだものであった。

カ 滞納者は、その後、原告に対し、本件刑事被告事件における有利な情状とするために、本件預金口座の残高を少しでも多くしておきたいので、着手金二〇〇〇万円を本件預金口座から引き出さないよう求めたことから、原告は、依頼者である滞納者との信頼関係を損なわないために、この求めに応じることとし、着手金二〇〇〇万円を本件預金口座から引き出さなかった。

キ そして、原告は、本件刑事被告事件において、本件預金口座に振り込まれた資金を使って、詐欺の被害者とされている者らとの間に順次弁償及び示談を行った。

なお、弁償金等の支払に当たっては、原告は、起訴状に被害額として記載されていた額又は被害者が被害額として主張する額を支払ったが、多くの場合、個別の支払を行う前に、滞納者から具体的な指示を受けたり、当該支払について承諾を得たことはなく、支払後に、滞納者に対し、その旨の報告をしていた。

ク 原告は、本件刑事被告事件における原告の共犯者の弁護人を務める弁護士から、上記共犯者としても、被害者に対する弁償を分担していることを示すために、原告が被害者に対して支払った弁償金を一部分担したい旨の申出を受けたため、この申出を承諾し、原告が被害者に支払った弁償金の額を上記弁護士に伝えて、同弁護士から、本件預金口座に、平成一一年八月四日に三〇万六四二〇円を、平成一二年一月二〇日に三万四七二〇円の送金を受けた。

ケ また、平成一一年一一月二六日、本件預金口座から、滞納者の保釈金一〇〇〇万円及び保釈手続にかかる費用の合計一〇〇〇万〇八四〇円が振替によって支払われた。

コ 本件刑事被告事件については、平成一二年二月七日、滞納者を有罪(実刑)とする第一審判決がされた。

滞納者は、その後間もなく、原告に対し、控訴審の弁護を依頼し、これを受任した原告と滞納者との間で、その報酬についても話合いがもたれ、その結果、控訴審の弁護活動の着手金を五〇〇万円とすること、これは本件預金口座に振り込まれている金員をもって充てることが合意された。

サ 本件預金債権に対する差押えがされた後である平成一二年三月一〇日、原告は、滞納者に対し、同年二月七日の時点で第一審の報酬額は確定していたが、これを正式に請求する、報酬と経費は下記のとおりであるので速やかに支払うように、との手紙を送った。

弁護士報酬 三四七八万七〇〇〇円

立替経費 二〇八万九一〇四円

消費税 一八四万三八〇五円

合計 三八七一万九九〇九円

ただし、上記弁護士報酬及び立替経費については、上記手紙による確定額の通知前に、原告と滞納者との間で、本件預金口座に振り込まれている金員をもってこれに充てることが合意されていた。

また、上記手紙には、控訴審の弁護に係る報酬については、タイムチャージ制でなく、着手金と成功報酬の形にし、着手金を五〇〇万円とするが、経費と成功報酬を事前に確保しておく必要があるので、これを仮に二五〇〇万円と見積もり、同額を預かることとするので、以下の金額を速やかに支払うように、とも記載されていた。

着手金 五〇〇万〇〇〇〇円

同消費税 二五万〇〇〇〇円

経費・成功報酬預り金 二五〇〇万〇〇〇〇円

合計 三〇二五万〇〇〇〇円

(2)ア  以上によれば、本件については、次の各事情をそれぞれ認めることができる。

a 原告は、第二東京弁護士会の「業務上の預り金の取扱いに関する会規」に従って、本件刑事被告事件についての預り金等を他と区別して保管管理する目的で本件預金口座を開設し、原告自身の名前に滞納者からの預り金口であることを付記した口座名義にした。

b 本件刑事事件の報酬については、その一部として、着手金二〇〇〇万円が原告に前払される旨の合意が、原告と滞納者との間で成立していた。

c また、原告が、滞納者に対し、本件刑事被告事件の弁護活動の一環として必要となる被害者への弁償の資金を事前に支払うよう求めたところ、滞納者は六〇〇〇万円程度の資金なら用意できると答えてこれに同意したことによって、滞納者は、委任の事務処理費用の前払として原告に対して上記支払をする義務を負うこととなった(民法六四九条)。

d 滞納者による、本件預金口座への七七〇〇万円の振込は、原告との間で支払の合意が成立した上記の着手金二〇〇〇万円の支払義務及び委任事務遂行のための事務処理費用の前払義務の履行として行われたものである。

そうであるとすると、上記事務処理費用については、委任者である滞納者は、委任が終了した時点で残余が生じた場合に初めて受任者である原告に対し返還を請求することができるというべきものである。

e 本件預金口座の通帳及び印章は、原告が所持し、同口座開設後被害者への弁償のために行う本件預金口座からの出金や振替送金、共犯者の弁護人からの分担金の入金の指示などについても、原告の判断に基づいて行われた。

イ そうすると、本件預金口座に預け入れられた金員の大半に当たる七七〇〇万円は、滞納者から振り込まれたものであるが、滞納者は、これらの金員を、本件刑事被告事件の報酬の一部である着手金及び同事件に係る被害者への弁償等の委任事務処理費用の支払の趣旨で送金したものであり、また、この委任事務処理費用は、多数の被害者への弁償や示談に資金が必要なことから交付されたものであるから、その趣旨に沿って、受任者である原告自身の判断で、使用処分されることを前提としていたものであって、滞納者としては、送金に係る金員によって自己の預金を開設してもらう趣旨で送金したものでないことは明らかである。

そして、このような着手金と委任に係る事務処理費用とが一緒に入金された本件預金口座は、前記のとおり、本件刑事被告事件の預り金等を他と区別して保管管理する目的で、原告自身が手続して開設したものであり、その後の同口座における多数回にわたる出金も、原告が自らの判断で行い、通帳及び印章の管理も、一貫して、原告において行っていたものである。

したがって、これらの各事情に照らせば、本件預金は、原告に帰属するものと認めるのが相当である。

このことは、本件預金の中に、本件刑事被告事件の委任事務処理のために滞納者が送金した費用が多額に含まれており、同費用が、委任の趣旨の範囲内で使用され、また、委任事務が終了して残余が生じた場合にはこの残余は滞納者に返還される性格のものであったことによっても、左右されるものではない。

ウ なお、前記認定のとおり、滞納者が、原告に対し、本件預金口座の残高を少しでも多く残しておくために、同口座から着手金として振り込まれた二〇〇〇万円を引き出さないよう求め、原告がこれに応じて上記金員を本件預金口座に入れたままにしていたことが認められる。

しかし、上記金員は、着手金の支払を履行する趣旨で振込送金されたものであることについては、滞納者及び原告のいずれの認識にも齟齬はなく、着手金の趣旨からして、これに相当する預金債権については、振込送金された時点以降の管理処分権限は原告が有していることは明らかである。そして、この点について、原告は、その本人尋問において、滞納者の希望に沿わないことによって、信頼関係が崩れることを懸念したために、取りあえず、滞納者の希望を容れたにすぎないと説明しており、これを覆すに足る証拠はない。

そうであるとすれば、原告が、着手金を本件預金口座から引き出さなかったからといって、それが、滞納者から本件預金口座に送金を受けた金員の管理処分権を原告が有していなかったことの証左であるとは解されない。

(3)アa これに対し、被告は、被害者に対する弁償の資金及び保釈金の趣旨での本件預金口座への送金は、原告に当該預金を帰属させる意思での送金とはいえない旨主張する。

しかし、他人から管理処分をゆだねられた金員を、その保管のために、自己名義で金融機関等の普通預金に預け入れた場合、原則として、当該預金は預入者である受任者の預金と考えるのが相当であり、滞納者が、送金した金員が委任の趣旨に従って自己の利益に用いられると認識していることと、それが送金先の口座において、受任者が預け入れた預金として取り扱われることとは両立し得ないものではないから、被告の上記主張は理由がない。

b また、被告は、預金が原告に帰属するのであれば、その管理運用は原告が自由に決定することができ、滞納者はその決定に全く関与することができないはずであるところ、本件預金については、滞納者が本件預金の使用方法について指示をしているから、本件預金が原告に帰属するとは解されない旨の主張をする。

しかし、委任者が受任者に対して、その委任事務の処理について指示することは当然のことであり、本件において、滞納者が、本件預金のうち委任事務処理費用に相当する預金の使用方法について、原告に指示をしたからといって、本件預金が原告に帰属すると解することを妨げるものとは解されないから、被告の前記主張も採用できない。

イa 被告は、原告が、本件刑事被告事件の第一審終了後、滞納者に対し、第一審の報酬等や控訴審の着手金及び経費・成功報酬の預かり分の支払請求をしているところ、第一審の着手金が当初から原告に帰属し、第一審の終了時点で第一審の弁護報酬及び立替経費並びに控訴審の着手金が原告に帰属したのであれば、原告から滞納者に本件預金から上記各金額が充当されたことを通知すればよく、支払請求をする必要はないから、本件預金は原告には帰属していなかった旨の主張をする。

しかし、前記(1)コ及びサのとおり、上記支払請求がされる前に、原告と滞納者間において、本件刑事被告事件の第一審の弁護報酬及び立替経費は本件預金から充てることが既に合意されていたことが認められる上、《証拠省略》によれば、上記支払請求の趣旨は、計算が終了して確定した弁護報酬等の額を通知するところにあると認められることに照らせば、原告が滞納者に対し上記支払請求を行ったことが、本件預金が原告に帰属することと矛盾するとまではいえない。

b また、被告は、本件預金が原告に帰属するのであれば、着手金として振り込まれた金員については、原告はこれを受領した年において所得として申告すべきところ、この申告をしていないから、原告は、本件預金は自分ではなく滞納者に帰属すると認識していたものであると主張する。

しかし、《証拠省略》によれば、原告の所属する法律事務所はパートナーシップ制をとっており、依頼者から受領した報酬は、いったん同事務所に入った後で分配されるものであったこと、及び原告は、滞納者の要求に応じて前記着手金を本件預金口座から引き出さないこととしたのに伴い、滞納者から送金を受けた平成一一年には、原告の所属する法律事務所に上記着手金が移し替えられないことから、この年の所得としては申告しない処理をしたことがそれぞれ認められるところであり、これらの事実をかんがみれば、原告が着手金を受領した年の所得として申告しなかったことが、原告が本件預金は自分でなく滞納者に帰属すると認識していたことによるものであるとはいえない。

ウ その他、被告が主張する事情は、いずれも、本件預金は原告に帰属することと相容れないものとは認められないし、また、本件預金が滞納者に帰属すると解すべき根拠となるものとも認め難い。

(4)  以上によれば、本件預金は原告に帰属するというべきである。

二  争点二について

(1)ア  前記一のとおり、本件預金は原告に帰属するものであるから、これを滞納者に帰属するものと誤ってされた本件滞納処分は、無効であるというべきである。

イ しかし、《証拠省略》によれば、原告は、本件預金債権に対する差押えがされた後、第三債務者であるさくら銀行を被告として、本件預金の払戻しを請求する民事訴訟を東京地方裁判所に対して提起したが、同裁判所は、平成一二年七月二〇日、本件滞納処分が無効であるか否かはその処分の効力を争う行政訴訟手続において判断されるべきであって、上記民事訴訟では預金の帰属を判断することができないとの理由で、原告の上記請求を棄却し、この判決が確定したこと、これを受けて、さくら銀行は、同年九月一三日、国に対し、本件預金債権額に相当する六四四九万七六〇七円を支払ったこと、そこで、原告は、同年一一月七日、本件訴訟を提起したことがそれぞれ認められる。

ウ 以上の経緯に照らせば、原告は、もはや、本件預金債権が存在すると主張してさくら銀行に対して預金の払戻しを求める余地を失い、本件預金債権額についての損失を被り、他方、被告は、原告の損失によって、法律上の原因なくして利得を受けたものというべきである。

(2)ア  これに対し、被告は、本件預金口座に振り込まれた金員は委任事務を処理するに当たって原告が受け取った金銭であるから、民法六四六条一項により、原告には滞納者に対する上記金員の返還義務があったところ、本件滞納処分の結果、原告は上記返還義務を免れたのであるから、原告は損失を受けていないと主張する。

しかし、預金者の帰属の認定を誤って本件預金債権に対して本件滞納処分がされたからといって、原告が委任契約に基づいて滞納者に対して負担している委任事務処理費用の返還義務を当然に免れるという関係に立つものではないから、被告の前記主張は採用することができない。

イ また、被告は、原告と滞納者との報酬に関する合意においては、弁済期について具体的な定めがされなかったから、請求があって初めて弁済期が到来するものであるところ、原告の滞納者に対する報酬の請求は本件預金債権の差押えに後れているから、差押えの時点では弁済期は到来しておらず、本件預金のうち報酬部分の金額については原告に帰属していなかったものであり、本件滞納処分後も、原告は滞納者に対して報酬の支払請求権を有していたのであるから、原告には損失が生じていない旨主張する。

しかし、本件において原告が主張する損失は、本件預金の弁済を受けられなくなったために発生するものであるところ、前記認定のとおり、本件預金はその成立のときからすべて原告に帰属するものと認められるのであるから、原告に損失が生じたことは明らかというべきであって、被告の上記主張は、採用することができない。

ウ さらに、被告は、本件刑事被告事件の弁護について滞納者と委任契約を締結したのは、原告のみではなく、発生する報酬全額が確定的に原告に帰属するものではないから、報酬金額のうち滞納者と委任契約を締結した他の弁護士に帰属するはずの金員については原告に損失が生じたとはいえない旨主張し、また、原告の所属する弁護士事務所はパートナーシップ制をとっており、弁護士が依頼者と合意した報酬の全額が確定的に当該弁護士に帰属するものではなく、弁護士事務所における内部的な手続が必要であるところ、本件では原告が確定的に受け取ることができたはずである金額について立証されていないから、本件滞納処分による原告の損失が立証されていないとも主張する。

しかしながら、滞納者に対する本件租税債権に基づいて、原告に帰属する本件預金について、本件滞納処分がされた以上、本件預金の払戻しによって受ける金員をその後誰が受領することになるのか、原告が最終的にこの金員を受領することになるのか否かにかかわらず、原告には差し押さえられた預金債権の額の損失が生じているというべきであるから、被告の前記各主張はいずれも採用することができない。

(3)  以上によれば、被告は、本件滞納処分により、法律上の原因なくして、原告の損失において、本件預金債権相当額の利得を得ているから、原告は、被告に対し、本件預金債権の取立金相当の不当利得金六四四九万七六〇七円の不当利得返還請求権を有するというべきである。

(4)  ところで、原告は、本件滞納処分の当時、東京国税局長は、本件預金が原告に帰属することを知っていたと主張するが、本件において、これを認めるに足る証拠は存在しない。

したがって、本件預金債権に対する取立ての時点から支払済みまでの利息の請求については理由がない。

しかし、本件において、前記不当利得金に対する本件預金債権の取立ての日の翌日から支払済みまで年五分の利息の支払を求める請求の趣旨には、被告が善意であると判断される場合には、遅延損害金として、上記不当利得金に対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の支払を求める趣旨も含まれていると解されるところ、この遅延損害金の請求については理由があるということができる。

第四結論

したがって、原告の請求は、被告に対し、六四四九万七六〇七円及びこれに対する本件の訴状送達の日の翌日である平成一二年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六四条ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 森英明 水野正則)

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