東京地方裁判所 平成12年(行ウ)35号 判決 2001年6月13日
《目次》
第一 請求
第二 事案の概要
一 前提事実(争いがない事実)
二 本法及び本件処分の合憲性に関する争点
1 本法の立法目的
2 平等原則違反
3 信教の自由に対する侵害
4 プライバシーの権利の侵害及び住居の平穏に対する侵害
5 適正手続違反
6 令状主義違反
7 一事不再理及び二重の危険の禁止違反
三 本件処分の適法性に関する争点
1 法五条一項にいう「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」の該当性
2 法五条一項各号の合憲限定解釈
3 法五条一項一号(「当該無差別大量殺人行為の首謀者が当該団体の活動に影響力を有していること」)該当性
4 法五条一項二号(「当該無差別大量殺人行為に関与した者の全部又は一部が当該団体の役職員又は構成員であること」)該当性
5 法五条一項三号(「当該無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の役員(団体の意思決定に関与し得る者であって、当該団体の事務に従事する者をいう。)であった者の全部又は一部が当該団体の役員であること」)該当性
6 法五条一項四号(「当該団体が殺人を明示的又は暗示的に勧める綱領を保持していること」)該当性
7 法五条一項五号(「前各号に掲げるもののほか、当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があること」)該当性
8 法五条一項にいう「活動状況を継続して明らかにする必要」の有無
第三 当裁判所の認定した事実
一 オウム真理教の沿革
二 オウム真理教の教義等
1 オウム真理教の教義
2 Xの地位及び信者との関係
3 タントラ・ヴァジラヤーナに関する説法
4 五仏の法則に関する説法
三 オウム真理教の政治的活動
1 シャンバラ化計画
2 衆議院議員総選挙への立候補
四 予言に基づく活動と武装化など
五 オウム真理教の組織の運営、統治機構の構想
1 省庁制の導入
2 憲法草案
六 Xの逮捕とその後のオウム真理教の活動
七 宗教団体・アレフの結成
八 本法の制定経緯
九 オウム真理教における住民運動等への対応と教団改革の実行
1 住民運動等への対応
2 この間におけるオウム真理教関係者の言動等
3 謝罪と被害弁償
第四 憲法違反の主張に対する判断
一 本法に基づく観察処分による規制の内容
二 信教の自由、プライバシー及び住居の平穏の侵害について
三 その余の憲法違反の主張について
1 平等原則違反について
2 適正手続違反について
3 令状主義違反について
4 一事不再理及び二重の危険の禁止違反について
第五 本件処分の適法性に関する判断
一 法五条一項にいう「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」の該当性について
二 法五条一項各号の各要件該当性及び同項にいう「活動状況を継続して明らかにする必要」について
第六 結論
原告
宗教団体・アレフ
右代表者代表役員
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
前田裕司
同
渡邉良平
同
古本晴英
同
清井礼司
同
込山和人
同
後藤貞人
同
下村忠利
同
田鎖麻衣子
同
内藤隆
同
中道武見
同
堀和幸
同
芳永克彦
同
吉田健
被告
公安審査委員会
右代表者委員長
藤田耕三
右指定代理人
浜秀樹
外六名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告が、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律五条一項に基づき平成一二年一月二八日付けでした別紙記載の処分を取り消す。
第二 事案の概要
本件は、原告が、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(以下「法」又は「本法」という。)及び被告がした別紙記載の処分(以下「本件処分」という。)は違憲であり、また、右処分は右法律で定められた観察処分に必要な要件を欠く違法なものであると主張して、右処分の取消しを求めている事案である。
一 前提事実(争いがない事実)
1 公安調査庁長官は、被告に対し、平成一一年一二月二七日、「X'ことXを教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」(以下「被請求団体」という。)に対し、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律五条一項に規定する公安調査庁長官の観察に付する処分を請求した(乙一)。
2 被告は、平成一二年一月二八日、別紙記載のとおり、被請求団体を公安調査庁長官の観察に付する処分及び法五条三項六号に基づく事項に関する決定(本件処分)をし、同年二月一日、これを官報に公示した。
3 本件処分当時、「宗教団体オウム真理教」との名称の団体が存在していたところ、原告は、宗教団体オウム真理教の組織を改変し、新たに綱領及び規約を作成して、平成一二年二月四日に発足した団体である。
二 本法及び本件処分の合憲性に関する争点
原告は、本法及び本件処分が違憲であると主張し、その理由として、①平等原則違反、②信教の自由に対する侵害、③プライバシー侵害及び住居の平穏に対する侵害、④適正手続違反、⑤令状主義違反、⑥二重の危険の禁止違反の各点を主張するところ、本法の立法目的及び右の各点に関する当事者の主張は、以下のとおりである。
1 本法の立法目的
(被告の主張)
(一) 我が国においては、平成六年六月及び平成七年三月に、毒性物質であるサリンを使用した、いわゆる松本サリン事件及びいわゆる地下鉄サリン事件(以下「地下鉄サリン事件等」という。)が相次いで発生し、不特定多数の者の生命・身体に対し極めて甚大な被害をもたらした。
最近の国際情勢をみても、ともに平成一〇年八月七日にケニアのナイロビやタンザニアのダルエスサラームで発生した事件に代表されるように、公共の場所で爆弾を爆発させるなどして多くの一般市民を犠牲にする無差別大量殺人行為による事件が多発している状況にある。
(二) このような無差別大量殺人行為は、①不特定かつ多数人の生命・身体に対し取り返しのつかない極めて甚大な被害をもたらすものであり、平穏な市民生活にとって重大な脅威となる上、②犯行場所・対象者・殺害方法は多種多様であって、これを団体が行う場合には、秘密裏に計画、準備されて実行に移されるため犯行の事前把握が極めて困難であることなどから、犯行の実現可能性が高く、③無差別大量殺人行為が団体が持つ一定の目的達成のために行われる場合には反復して行われる可能性も高いという特性を有する。
(三) 右のような無差別大量殺人行為の特性を踏まえて考察するときは、過去にその役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している場合であって、当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときは、一定限度でその活動状況を継続的に明らかにするための措置を講ずることが社会的に必要である。また、当該団体の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の増大を防止する必要が認められる場合や、一定の条件の下で当該団体の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の程度を把握することが困難であると認められる場合には、一時的に当該団体の活動の一部を停止させる措置を講ずることができるようにする必要がある。しかも、これらの措置は、迅速に実施され、かつ、その効果も実効的なものでなければならない。
本法は、このような考えに基づき、過去に無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持していると認められる場合に、当該団体に対し、迅速かつ適切な措置を講じ、もって公共の安全の確保に寄与するために制定されたものである。すなわち、本法は、過去に団体の活動として無差別大量殺人行為を実行し、かつ、現在もなおその属性として危険な要素を保持している団体については、国民の生命・身体の安全はもとより、国民生活の平穏をも含む公共の安全の確保の見地から、破壊活動防止法の規定する「継続又は反復して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由」の要件を満たさない場合であっても、これとは全く異なる「現在の危険な要素」という概念を基礎として、無差別大量殺人行為の再発を防止するための迅速・適切な規制措置を行い得るように導入された法制度である。
右の本法制定の趣旨から明らかなとおり、本法は、団体の活動として役職員又は構成員が、例えばサリンを使用するなどして、無差別大量殺人行為を行った団体につき、その活動状況を明らかにし又は当該行為の再発を防止するために必要な規制措置を定め、もって国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保に寄与することを目的とするものである(法一条)。
(原告の主張)
(一) 本法は、衆議院の審議の過程で法一条の目的に関する条文が「国民生活の平穏を含む公共の安全の確保」という文言に修正されたことにみられるように、地域住民の不安感が高まったため、これを解消することを目的として立法されたと説明されている。
しかし、主観的な不安感は正当な規制目的となり得ない。仮に、住民の不安感が正当な目的として肯定されても、それを解消するための規制の手段に行き過ぎはないかとの観点から見れば、この法律によって課せられる処分の内容は余りにも重大であり、明らかに行き過ぎといえる。
しかも、語られている不安の実態はかなり一面的といわざるを得ない。むしろ、現場の状況を直視するならば、住民の側の行き過ぎ、住民の圧倒的優位性が目につく。マスコミが住民側に偏った報道しかせず、不安感を増幅させているという側面もある。このようにみてくると、本法律の立法の理由として述べられている住民の不安感とは、漠然とした不安感、実体を伴ったものでない不安感である。以上のような事実を踏まえるならば、本法律は、そもそも立法の必要性を欠いた人権制約立法といわざるを得ない。
(二) 原告の前身である宗教団体オウム真理教については、先に被告が破壊活動防止法七条の解散指定処分の請求について棄却決定(以下「解散指定処分棄却決定」という。)をしているのであるから、そのときと比べて危険性が飛躍的に高まったことが新たな法の必要性として不可欠であるというべきである。しかしながら、現時点における無差別大量殺人の危険性については、解散指定処分棄却決定のときから増大していないことを、法務大臣や公安調査庁自身も法案審議の際の国会答弁で認めるところである。この点においても、本法は、立法の必要性を欠く憲法違反の人権制約立法である。
2 平等原則違反
(原告の主張)
(一) 本法は、その法案審議の過程から明らかなとおり、宗教団体オウム真理教という宗教団体を唯一の適用対象とした措置法(処分的法律)である。
(二) こうした明白に平等原則に違反する法律が許容されるとすれば、それは「緊急避難の法理」以外には考えられない。すなわち、過去に「例えばサリンを使用する」無差別大量殺人行為を行った団体が「現在も危険な要素を保持している」ことを理由に、「国民の生活の平穏を含む公共の安全」を確保するために、本来的には違法の評価を受けざるを得ない基本的人権の制約も、より大きな法益の擁護のために許容されるという考え方である。
したがって、本法の適法性を担保するのは、①サリンを使用するなど防御不能の方法による無差別大量殺人行為を犯す現実的危険性の存在と②本法の適用の結果、侵害される基本的人権よりも保全される公共の安全に包摂される保護法益の方が優越するだけの価値を有していることの二要件が満たされることが必要というべきである。
(三) しかしながら、平成九年一月三一日、被告は、破壊活動防止法に基づく解散指定処分の請求に対し、右請求後決定に至るまでの間の状況の大きな変化(原告幹部の逮捕、宗教法人としての解散命令の確定、旧宗教法人オウム真理教に対する破産宣告など)によって、原告が「将来さらに暴力主義的破壊活動を行う危険性は遠のいた」として、解散指定処分の請求を棄却しているのであるから、その後の事情変更が何ら認められない原告につき、当然ながら重大な危険行為を犯す現実的危険性の存在は認められないといわなければならない。
次に、法益の優越性の要件が充足されているか否かが問題となる。法一条によれば、観察処分の目的は、「国民の生活の平穏」を含む「公共の安全の確保」にあるとされており、法案審議の過程から明らかなとおり、本法の立法の動機は、オウム真理教の関連施設周辺の住民が抱いている漠然とした不安感や理由のない恐怖感を解消することである。しかしながら、比較衡量される反対法益が基本的人権の中でも最も重要な価値を有する精神的自由権であることからすると、「国民の生活の平穏」という法益で、緊急避難を基礎付ける法益の優越性を認めることはできない。この点、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)一八条は、一項において思想、良心及び宗教の自由を保障し、三項において、「宗教又は信念を表明する自由については、法律に定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる」と規定し、制限する場合は、公共の安全等の目的を実現するための制約、制限措置が必要最小限度のものであること(比例原則)等を要件としている。これを本法にあてはめてみれば、制約目的が実際には「国民の生活の平穏」という、B規約が厳格に定めている例外事由以外のものである点でB規約一八条三項に違反している。
(被告の主張)
(一) 本法は、その適用対象を「オウム真理教という宗教団体」ないし「X'ことXを教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」のみに限定したものではなく、法五条一項の要件を満たす無差別大量殺人行為を行った団体について等しく適用されるから、本法が一般的・抽象的性格を有することは明らかである。
また、立法の経過や法案審議の経過などを見ても、地下鉄サリン事件等が本法制定の背景的事実の一つになったことは明らかであるが、このことが本法が一般的・抽象的性格を有することを否定することとはならない。今後これらの事件と同様の無差別大量殺人行為が発生すれば、それを惹起した団体が本法の適用対象として考慮されるべきことは明らかである。
このように、本法がオウム真理教という宗教団体を唯一の適用対象とするものであるとの原告の主張は、立法の契機をそのまま法の解釈にもちこもうとするものにすぎず、失当である。
(二) 本法は、地下鉄サリン事件等の発生や国際社会においても無差別大量殺人事件が多発していること等を踏まえ、さらには、このような無差別大量殺人行為の持つ特性に着目すると、過去にその役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している場合であって、当該団体が無差別大量殺人行為を行う危険性を有するか否かを明らかにするため、その活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときは、一定限度でその活動状況を継続的に明らかにするための措置を講ずることが社会的に必要であるという判断から、かかる事態に迅速かつ適切な措置を講じ、公共の安全の確保に寄与するために制定されたもので、その規定する措置は公共の福祉の観点から、国民の基本的人権に対する必要かつ合理的な制約にとどまる。
本法は、右のような立法経緯、立法趣旨に基づいて制定されたものであり、原告の主張するような緊急避難の法理(その法理の内容、根拠、要件、効果いずれも明らかではない。)にその合憲性の根拠を求めているとするのは、原告の独自の見解にすぎない。観察処分は、右のとおり、当該団体が危険性を有するか否かを明らかにするために行うものであるから、処分の要件として現実的危険性を要するものではない。
3 信教の自由に対する侵害
(原告の主張)
本法は、精神的自由権の制約に関する違憲審査基準に照らして判断するならば、目的審査及び手段審査の双方の基準において、信教の自由の制約を正当化することができないので、憲法二〇条及びB規約に違反するものである。
(一) 厳格な違憲審査基準の必要性
一般に、信教の自由の内容として、①内心における信仰の自由、②宗教的行為の自由、③宗教上の結社の自由があるとされ、①は内心の自由の絶対的保障に属するのに対し、②及び③は、それぞれに外部的行為を伴うものであるから、広義の「表現の自由」の一形態として国家権力による規制の対象となり得る。しかし、外部的行為は内心の自由と密接不可分の関係にあるから、当該規制が国家の介入を許さない内心の信仰の自由をも侵害する危険性が常に存在する。したがって、ある規制法規が基本的人権たる信教の自由を侵害しないか否かの判断に当たっては、単なる立法目的との関連性の有無を判断するにとどまらず、当該規制の方法が比例原則に従い必要最小限度の範囲内にとどまっているかを慎重に吟味する必要がある。これが、精神的自由権を制約する法規につき、厳格な違憲審査基準を適用する理由である。
(二) 目的審査の基準
本法が合憲とされるためには、その規制が、B規約一八条三項が限定列挙しているように、①他人の生命・健康への侵害の防止、②他人の人間としての尊厳を傷つける行為等の防止、③他人の人権と衝突する場合の相互調整という目的の範囲内であることが必要である。
ところで、法一条によれば、観察処分の目的は、「国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保」にあるとされているから、この目的によって規制を正当化するためには、観察処分がなされなければ、他人の生命・健康への侵害及び他人の人間としての尊厳を傷つける行為等が原告によって行われ、他人の人権を侵害する結果を招来することが事実として検証されていなければならない。規制法規の合憲性を導くためには、制限の対象となっている行為と害悪発生との間の関連性が抽象的に想定されればよいというのではなく、関連性の程度について危険の「明白性」と「現在性」とが具体的裏付けをもって示されることが必要なのである。いわゆる「明白かつ現在の危険」の基準を充足することである。
ところが、本法の審議においては、観察処分によってどのような具体的な効果がもたらされ、どのようにして「国民の生活の平穏を含む公共の安全」が確保されるのかについては全く検証されていない。したがって、目的審査の基準の適用において、既に、本法は信教の自由を制約するに必要な「明白かつ現在の危険」の基準を充足していないことが明らかであるから、憲法二〇条に違反する違憲の法律といわざるを得ない。
(三) 手段審査の基準
制限の程度及び手段の違憲性審査の基準は、比例原則に従った「必要最小限度の基準」である。人権の制限が必要最小限度にとどめられるべきことは、基本的人権保障の当然の帰結であるが、信教の自由は最も重要な精神的自由の一つであり、絶対的保障を受ける内心の自由の中核に位置するものであるから、特に厳格な適用が要請される。
観察処分の結果、立入検査が実施されれば、原告に所属する個々の信者が国家機関の監視下に置かれることになり、従前と同様の宗教的環境の下での信仰生活を送ることができなくなるのは明白である。したがって、ここでも、いかなる手段を用いることによって制限を最小化できるか、また同じ目的を達成するのに他にどのような代替手段があるのか(より制限的でない代替手段、less restrictive alternativeの原則)の検証がされなければならなかったのに、法案審議の過程において、このような点が検討された形跡はない。
本法は、過去に無差別大量殺人行為があったことを理由に原告に属する構成員全員を観察処分の対象とするものであるから、過去の事件と何らの関わりを持たない信者をも規制する結果となる。これまでに確定した複数の刑事事件の判決において、過去の無差別大量殺人行為に旧宗教法人オウム真理教の一部の幹部が関与していた事実が明らかになったとはいえ、未だ組織体としての犯罪行為であったのか否かは審理の途上にあるから、事件と直接の関わりのない一般信者をして組織体の犯罪について連座責任を負わせるのは明らかに行き過ぎである。このように本法は、事件と直接の関わりのない一般信者に着目すれば自ずから明らかなように「必要最小限度の基準」を超えて過度の制限を信教の自由に加えるものであるから、手段審査の基準の適用においても、憲法二〇条に違反する違憲の法律というほかはない。
(四) B規約違反
B規約二〇条二項(差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する)、二七条(種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない)は、宗教的少数者の権利を尊重することを締約国に求め、宗教的少数者の権利侵害に対し、国家が宗教集団に向けられる暴力行為又は迫害行為に対する保護措置を講ずることを要請している。
しかし、本法は、右翼や暴力団による原告に対する暴力行為や地方自治体が原告所属の信者の住民登録を拒否するといった明白な人権侵害行為に対しては何ら是正措置を講じていないばかりか、かえって、国家自らが宗教的少数者の権利を「国民の生活の平穏」といった極めて抽象的な法益保護を理由として抑圧しているのである。
B規約一八条二項は「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない」と規定する。同条項に関する一般的意見によれば、この「強制」には信者に自己の宗教又は信念を撤回すること又は改宗することを強要する暴力の行使又は刑事罰の使用若しくはそれによる脅迫が含まれる(一般的意見二二の五)。
本法は、観察処分によって、個々の信者に対し、事実上、宗教団体オウム真理教の信仰にとどまることを断念させ、改宗することを強要する効果をもたらすものであるから、B規約一八条二項にも違反する。
(被告の主張)
(一) 憲法二〇条が保障する信教の自由は、その内心にとどまる限り、絶対的な保障を受けるものの、単に内心にとどまらず外部的行為として現れる宗教的行為や宗教的結社の場合には、外部的行為に及ぶ他の精神的自由権の保障の場合と同様、絶対無制限のものではなく、公共の福祉の観点から必要かつ合理的な制約を受けるのは当然であるところ、憲法二〇条一項に関する憲法適合性の判断基準としては、①当該法的規制によって達成しようとする目的の必要性・合理性と当該法的規制によって宗教上の行為に生ずる支障の程度との比較衡量、②より制限的でない他の選び得る手段の有無(LRAの原則)、③規制手段の適正の確保、の三点が考えられる。
なお、B規約一八条二項の内容は憲法二〇条一項の保障する内容と同一であるから、B規約違反の主張に対しては、特に触れない。
(二) このような観点から、法の規定する観察処分についてみれば、以下のとおりである。
(1) まず、本法の目的は、無差別大量殺人行為の特性に照らした場合、公共の安全の確保のために、かつて団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している場合であって、当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときに、その活動状況を明らかにすることにより国民生活の平穏を含む公共の安全の確保を図ろうとするものである。本法は、どのような団体であれ、無差別大量殺人行為を行った団体を適用対象とするものであって、宗教団体に対する規制を目的としたり、当該団体の精神的・宗教的側面に容かいする意図で立法されたものではなく、その目的は合理的であり、無差別大量殺人行為の特性にかんがみれば、かかる立法を行う必要性、公共性は極めて高い。
(2) さらに、本法による規制措置の内容をみると、法の定める観察処分の内容は、当該団体に一定の作為義務(報告義務)ないし不作為義務(立入検査の受忍義務)を課すにとどまり、当該団体の活動を直接制限するものではない。
原告は、観察処分が、個々の信者に対し、事実上、信仰にとどまることを断念させ、改宗することを強要する効果をもたらすとして、B規約一八条二項にも違反する旨主張する。確かに、宗教団体が、それに属する信者個人の信教の自由の侵害を問題とする場合には、その両者の関係から、信者の信教の自由の侵害は、とりも直さず宗教団体の信教の自由の問題と観念し得るから、宗教団体には、信者の信教の自由の侵害を違憲性の理由として主張する適格があると解する余地もないではない。
しかし、観察処分は、観察処分の対象団体の構成員に対し、構成員が宗教上の行為を行うことを禁止したり、制限したりする法的効果を伴っておらず、何ら改宗を強要する効果を有しないから、原告の主張はその前提を誤っており、失当である。
(3) 本法の解釈適用に当たって、公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきこと(法二条、三条)はいうまでもないことであるが、観察処分は、当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときに、当該団体に一定の作為義務(報告義務)ないし不作為義務(立入検査の受忍義務)を課すにすぎず、当該団体の活動を直接制限するものではないことからすれば、観察処分は、過去に無差別大量殺人行為を行い、現在もその属性として無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している団体に対し、当該団体の活動状況を継続して明らかにするために必要でやむを得ない最小限度の法的措置である。
したがって、本法による規制は、その目的の必要性及び合理性と当該団体に生ずる支障の程度を比較衡量しても、やむを得ないものと評価できるし、他により制限的でない選び得る手段もないといわざるを得ない。
(4) 本法に基づいて観察処分を行うに当たっては、準司法的機関である公安審査委員会の慎重な審理手続が法定されており、規制手続の適正も確保されている。
(三) また、原告は、内心の信仰の自由に対する侵害の危険性を挙げて、「明白かつ現在の危険」の基準によって合憲性を判定すべきことを主張する。しかしながら、「明白かつ現在の危険」により法の合憲性の判断基準とすべきであると主張することは、原告らの主張する「現実的危険性の要件」を求めることと相等しい。そして、観察処分は、過去に無差別大量殺人行為を行い、現在もその属性として無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している団体に対し、無差別大量殺人行為の現実的危険性を有するか否かを明らかにするために、一定の期間当該団体の活動状況を明らかにする処分であるから、その合憲性の判定に、「明白かつ現在の危険」を要求することは背理である。
4 プライバシーの権利の侵害及び住居の平穏に対する侵害
(原告の主張)
(一) 我が国の憲法において、名誉・プライバシーは人格権の内容をなすものとして憲法上保護されるべき人権として承認されており、憲法一三条がその根拠規定とされている。また、B規約は一七条一項も、「何人も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。」と規定している。プライバシーは、内心の自由の絶対的保障とは異なり、他の人権との相互調整を理由に制約を受けることがあり得るが、多元主義、寛容、開かれた精神を本質的要素とする民主的な社会の実現に合致しない場合には、恣意的な干渉制限は正当化されないから、プライバシーの制約には、常に合理的な理由が必要とされる。
(二) 本法は、無差別大量殺人行為を防止し、国民生活の平穏を含む公共の安全の確保を目的とし、その規制措置として観察処分を設け、観察処分がなされれば、対象団体は、構成員全員の住所氏名の報告を義務付けられる。しかるに、右目的達成のために、対象団体構成員全員の氏名の開示を強制することに合理性があるとも、また、必要性があるとも考えられない。右報告義務を課することは、まさに、団体及び構成員個人に対する違法なプライバシー侵害というべきである。
(三) プライバシーや住居の平穏は容易に国家権力による恣意的な干渉を招きやすいので、個人のプライバシーの干渉を正当化する法律及び規則は、干渉が許される条件を正確に細部にわたって明記しておかなければならない。また、この事前の抑制方法と並んで、「干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利」、すなわち、事後的にプライバシー侵害に対する救済制度が設けられるべきである。
しかし、本法及びその下位法規は、観察処分に基づく立入検査において、検査を実施する公安調査官が信者のプライバシーを侵害しないようにどのような行動を採るべきかの行為規範を示しておらず、すべて現場における担当官の裁量的判断にゆだねている。これでは、信者が、これまで築き上げてきた宗教環境の下で、他者からの干渉を受けることなく、自らの信仰活動に専念できるという宗教行為の自由は、一方的な公安調査官の立入検査によって侵害されることになる。しかも、観察処分の実際上の効果は、国家機関による一方的な立入検査を繰り返すことであるから、立入検査によって、信者をして信仰生活を継続することの断念、ひいては改宗を強要することにつながるのである。したがって、本法は、法律に基づくとはいえ、目的及び手段の非限定性に照らして、恣意的な干渉に該当するといわなければならない。
また、立入検査を受ける施設には、在家信者のみならず、出家信者もおり、宗教上の儀式を行う施設や修行のための道場を居住の場としている者も存在するので、プライバシーのみならず、個人の住居の平穏が恣意的な立入検査によって脅かされる結果となる。
加えて、立入検査の結果、信者のプライバシーが侵害され、住居の平穏が侵害され、通信の秘密が侵害されたとしても、本法自体には、その侵害に対し効果的な救済を求め得る規定が整備されていないが、これは致命的な欠陥というべきである。
(四) プライバシーや住居の不可侵は、団体それ自体の権利として保障されるべきである。そして、役職員の住所氏名のみならず構成員全員の住所氏名の報告、団体の所有・管理するあるいは使用に供されているあらゆる資産の報告、貸付金や借入金、預貯金、会議の内容の報告などが、団体それ自体のプライバシーの侵害であり、また、公安調査庁職員などの団体施設への立入りが、団体としての平穏に施設を利用する権利を侵害するというべきである。
仮に、プライバシーや住居の平穏を団体の権利として観念することができないとの立場をとったとしても、事実として、団体構成員のこれらの権利への侵害がそれ自体の存亡に影響を及ぼす関係にある以上、構成員個人に権利に対する侵害があった場合に、これを理由にして団体が取消訴訟を提起する法律上の利益は存するというべきである。
(被告の主張)
(一) 原告が主張するプライバシー及び住居の平穏の侵害のうち、信者個人のプライバシーの侵害や住居の平穏の侵害を原告が憲法違反として主張することは許されない。
宗教団体には、それに信者の信教の自由の侵害を違憲性の理由として主張する適格があると解する余地もあるのに対し、構成員個人のプライバシーや住居の平穏は、これらを仮に憲法上の権利とみるとしても、その侵害が原告自体の利益を侵害する関係にあるとはいえない。そうすると、本件は構成員の信教の自由の侵害を憲法違反として主張することができる場合と異なり、原告は、構成員のプライバシーや住居の平穏について、その侵害があるとして憲法違反の主張をする適格を有しないと解される。
以上は、我が国の司法権が原則として主観訴訟を対象とすることから当然に導かれるものであり、また、取消訴訟について、自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消しを求めることを制限する行政事件訴訟法一〇条一項が端的にこれを明らかにしている。
(二) プライバシー、住居の平穏といっても、制限が許されない権利ではなく、制限の必要性の程度と制限される基本的人権の内容、これに加えられる具体的制限とを較量した結果、当該制限が必要かつ合理的なものである場合には、その制限も許されるものである。
本法に定める立入検査は、団体の活動状況を明らかにするために特に必要があると認められるときに限り、団体が所有し、若しくは管理する土地又は建物に立ち入り、検査をすることを認めるものであるから、直ちに個人のプライバシー又は住居の平穏を侵害するものではないし、また、仮に原告の施設に居住する出家信者らが多少なりともこれによる影響を受けることがあったとしても、同人らは、原告が過去に団体の活動として無差別大量殺人行為を行い、かつ、現在もなお危険な要素を保持し、社会的に非難を受けるべき危険な団体であることを承知しつつ、その活動に積極的に参加・従事するものであるから、立入検査の必要性及び公益性にかんがみれば、この程度の不利益は甘受すべきものというべきである。
原告は、立入検査について担当官の裁量的判断に委ねられていると主張するが、本法及び施行規則により、公安調査官の立入検査は厳しく規制されており、原告の主張は失当である。
したがって、本法によるプライバシー、住居の平穏に対する制限は、必要かつ合理的な範囲内にとどまるものであり、憲法一三条及びB規約一七条一項に違反するものではない。
5 適正手続違反
(原告の主張)
(一) 憲法三一条は、個人の基本的人権が国家権力によって制約される場合に手続が適正に行われるべきことを要請しており、行政手続についても、不利益処分により実質的権利侵害を伴う場合には、刑事手続同様の手続的保障が必要とされることに変わりはない。
そうすると、行政処分による不利益処分についても、法律上、告知・聴聞の機会を与えるなど適正な事前手続を置くことが原則であり、極めて特殊例外的な場合に限ってのみ事前手続を欠くことも容認され得る。本法の観察処分においては、例外的な特別の事情は存在しないのであるから、憲法上の基本的人権を制限する観察処分を下すか否かの行政手続につき、刑事手続同様の事前の告知・聴聞の機会の保障が必要とされることに疑いはない。
(二) しかるところ、本法は、その審査に際して、①証拠調べ手続、証人による心証形成を全く予定していない点、②被請求団体は、公安調査庁の職員に対し質問をすることができるだけで、質問の結果明らかになる具体的な事実評価の違いなどについて、さらに処分請求者との間で議論を深め、証拠価値ないし信用性を吟味するという手続が全く予定されておらず、事実認定手続の基本である対審的事実審査が認められていない点、③処分請求の公示のあった日から三〇日以内に決定するよう要求しており、慎重な審査を最初から放棄している点からすれば、憲法三一条、「公正な裁判を受ける権利」を保障するB規約一四条に違反するというべきである。
(三) 以上のとおりで、本法は、告知・聴聞の事前手続の適正を欠いており、憲法三一条及びB規約一四条一項に違反するから、違憲の法律である。
(被告の主張)
(一) 行政手続に憲法三一条による適正手続の保障が及ぶと解すべき場合があるとしても、原告が主張するような証人による心証形成、対審的事実審査などが必然的に要請されるわけではない。一般に、行政手続は刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない。
(二) 本件による規制措置は、無差別大量殺人行為の特性にかんがみ、過去にその役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している場合であって、当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときは、一定限度でその活動状況を継続的に明らかにするための措置を講ずることが社会的に必要であるとの要請に基づくものであり、規制措置の内容も当該団体に一定の作為義務(報告義務)ないし不作為義務(立入検査の受忍義務)を課すにとどまるものであり、団体及びその構成員の行為を規制するものではない。
また、本法は、処分の審査及び決定に当たって対象団体の権利を手続的に保障するための十分な措置を講じている。そして、本法は、観察処分の請求に当たり公安調査庁長官から提出された証拠書類等を対象団体に開示することまでは予定していないが、被告においては、原告に十分な防御の機会を与えるため、裁量により、公安調査庁長官提出に係る処分請求書、証拠書類等目録及び証明すべき事実との関係を明らかにした書面、証拠を開示するとともに、写しを交付した。
以上のような立法の目的、規制措置の内容、一連の法の規定、手続に、被告の裁量による証拠開示をも加味して考えると、本件観察処分を決定するに先立って行われた意見聴取手続が行政処分として手続の適正を欠くものであったとは到底認められず、憲法三一条の法意に反するとはいえない。
そして、B規約一四条一項の趣旨も憲法三一条の趣旨と異なるところはないから、原告の主張が失当であることは明らかである。
6 令状主義違反
(原告の主張)
(一) 憲法三五条一項は、捜索及び押収についての令状主義を定め、同条二項は令状の発付機関を司法官憲(裁判官)に限定している。これは、戦前の警察による恣意的な捜索・押収が広範な人権侵害を引き起こしたことの深刻な反省から、厳格な司法審査を経由することによって、同じ過ちを繰り返すことのないように制度的保障として令状主義を採用したものである。
(二) ところが、本法によれば、被請求団体が観察処分を受ければ、公安調査庁長官は、公安調査官に「必要な調査」をさせることができ(法七条一項)、「特に必要があると認められるとき」には、公安調査官をして、被処分団体の「土地又は建物に立ち入らせ、設備、帳簿書類その他必要な物件を検査させることができる」(同条二項)とされており、この場合の判断は公安調査庁長官の判断だけでなし得ることになっている。
法案の審議過程の議論をみれば、公安調査官の質問に対する被処分団体の非協力は「立入検査が拒まれ、妨げられ、若しくは忌避された場合」に該当するとして、同法八条の再発防止処分を基礎付ける新たな理由とされ、また刑事罰の対象ともされるのであるから、検査に伴う質問に対する関係者の回答や帳簿書類その他必要な物件の任意提出は任意処分であると説明されても、実質的には令状によらない強制処分に他ならないのである。
したがって、本法七条二項の立入検査及びそれに付随する任意処分に名を借りた質問、閲覧・謄写、領置等は、いずれも令状主義を潜脱するものといわざるを得ない。
(三) 以上のとおりで、本法七条二項は、観察処分後の立入検査につき、裁判官による司法審査を経ず、また、準司法機関の役割を担っている被告の許可をも必要としない点で、明らかに令状主義に違反をしており、憲法三五条に違反する。
(被告の主張)
法七条の立入検査は、①刑事上の処罰を目的とする手続ではなく、刑事事件の資料収集に直接結びつく作用を一般的に有するものではないこと(法七条四項、一四条七項)、②立入検査の拒否、妨害等には刑罰が科されるが、その強制の態様・程度は間接的なものにとどまり、直接的・物理的強制にわたるものではないこと、③観察処分に付された団体の活動を明らかにするという必要性、公益性は極めて大きく、立入検査はこの目的を実現する上で必要不可欠であること、④一般的に、行政処分の一環として行政庁により行われる立入検査には、当該行政庁以外の機関による審査、承認などの手続を設けることは求められておらず、他の機関をどの程度関与させるかは、基本的に立法政策に属する事項であること、⑤法七条二項に規定する立入検査は、観察処分を受けた団体に対して行われるものであるが(法五条一項)、被告が当該団体を観察処分に付する決定を行うに当たっては、公安調査庁長官が警察庁長官の意見を聴取するなどした上で被告に対してその処分を請求し(法一二、一三、一五条)、これを受けて、準司法機関である被告が公開による意見聴取を実施するなど(法一六ないし二一条)の極めて慎重な手続が踏まれること、⑥法一四条二項に規定する立入検査は、右⑤で述べた手続が前提となっている上(法一四条一項)、右立入検査を行うに当たっては、警察庁長官の事前の承認が必要であり(法一四条二項)、さらに、警察庁長官は右承認に際しては事前に公安調査庁長官と協議しなければならないこと(法一四条三項)などに照らせば、立入検査があらかじめ裁判官の発する令状によることを要件とせず、また、個別の立入検査について被告による個別の審査にかからしめないとしても、憲法三五条の法意に反するものではないというべきである。
7 一事不再理及び二重の危険の禁止違反
(原告の主張)
(一) 憲法三九条は、二重の危険禁止と一事不再理の法理を規定している。B規約一四条七項も、「何人も、それぞれの国の法律及び刑事手続に従って既に確定的に有罪又は無罪の判決を受けた行為について再び裁判され又は処罰されることはない」と定めて、一事不再理を認めている。
(二) ところで、前述のとおり、本法に基づく観察処分が認められるためには、観察処分に付する要件として、被請求団体に「無差別大量殺人行為」を犯す現実的危険性の存在することが必要である。
しかし、原告は、平成七年一二月、公安調査庁長官から、破壊活動防止法に基づく解散指定処分の請求を受け、被告において、「継続又は反復して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれ」があるか否かの審査を受けており、そのおそれのないことが被告の平成九年一月三一日付け棄却決定によって認定されているのである。
本法四条が定義するように、「無差別大量殺人行為」とは、「破壊活動防止法四条第一項第二号へに掲げる暴力主義的破壊活動であって、不特定かつ多数の者を殺害し、又はその実行に着手してこれを遂げないもの(この法律の実行の日から起算して一〇年以前にその行為が終わったものを除く)をいう」のであるから、本法の「無差別大量殺人行為」と破壊活動防止法の「暴力主義的破壊活動」とは同じ内容のものであり、原告に着目して考察すれば、同じ過去の行為に基づく現在の危険性が問われていることになる。
そして、右解散指定処分棄却決定の時点から原告自体に変化がなく、現実的危険性が認められないのであるから、上記棄却決定後に新たな立法をして、実質的に同じ行為を根拠にして、再度、現実的危険性の有無を判断するというのは、立法事実がないばかりか、明らかに一事不再理の原則に違反する。また、実質的に、一度、現実的危険性を否定されたにもかかわらず、改めて、同じ危険性の存否を審査することは、原告に対し、二度目の応訴を余儀なくさせるものであるから、二重の危険禁止の法理にも違反する。
(三) 以上のとおりで、本法に基づく観察処分の請求は、被告が下した破壊活動防止法に基づく解散指定処分棄却決定にもかかわらず、再度、同じ行為の現実的危険性を問題にする点で一事不再理及び二重の危険禁止の各法理に違反するので、憲法三九条及びB規約一四条七項に違反する。
(被告の主張)
憲法三九条の規定する一事不再理及び二重の危険禁止の各法理は、刑事手続における適正手続の保障の一つとして、ひとたびされた確定判決が本人の不利益に変更されて、国民が法的不安定の下に置かれることを防ぐ趣旨である。
しかるに、法が規定する観察処分は、刑罰ではなく行政処分であるから、右一事不再理効ないし二重の危険禁止の各法理が直ちに適用されるものではない。そして、そもそも、法による観察処分は、無差別大量殺人行為に対する行政上の制裁を科するものでもなく、もっぱら、その活動状況を明らかにすることを目的とするものであって、その要件も、過去の事実のみをとらえるのではなく、現在、すなわち、法を適用する時点において、当該団体が団体の属性として危険な要素を保持していることを示す法五条一項各号に該当し、その活動状況を継続して明らかにする必要があると認める場合とされており、破壊活動防止法に基づく解散指定処分とは、趣旨・目的・要件・効果を異にし、また、本件処分は、平成九年一月三一日付けで被告がした解散指定処分棄却決定を何ら変更するものでもない。およそ一事不再理又は二重の危険禁止の法理に触れるものでないことが明らかである。
三 本件性分の適法性に関する争点
本件処分の適法性に関する争点は、①被請求団体が、法五条一項に定める要件である「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」に該当するか否か、②法五条一項各号に定める要件について合憲限定解釈をすべきか否か、③被請求団体が、法五条一項各号に定める要件に該当するか否か、④被請求団体について、法五条一項にいう「その活動状況を継続して明らかにする必要」があるか否かであり、これらの点に関する当事者の主張は以下のとおりである。
1 法五条一項にいう「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」の該当性
(被告の主張)
(一) 被請求団体は、平成元年ころ、Xが独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制を我が国に樹立するという政治上の主義を有するに至り、平成二年ころには、かかる国家体制を樹立するためには、武力によって我が国の現行国家体制を破壊する必要があり、また、被請求団体に反対する者は殺害するほかはないとして、積極的に武装化を推進するなどしていた。そして、被請求団体は、かかる政治上の主義を推進する目的で、団体の活動として平成六年六月から平成七年三月にかけて松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の両事件を敢行した。被請求団体においては、その政治上の主義はその教義の枢要な一部を構成するものとして内包されているものである。被請求団体が政治上の主義を有するに至った経緯は、以下のとおりである。
(1) 被請求団体は、Xの説く教義を広め、これを実現することを目的とし、昭和六三年ころから、全国各地に拠点施設を次々と開設し、「日本シャンバラ化計画」と称してその教義に沿った理想郷の建設を目指し、布施集めや勢力拡大を図っていた。その後、間もなく、Xは、政治と宗教とは切り離せず、「日本シャンバラ化計画」を推進して衆生の救済を行うには、現実的な政治力を獲得する必要があると強調するようになり、被請求団体は、その教義の実践として衆生の救済を行うことを目的とし、その教義に沿った理想郷の建設を目指す中で、平成元年ころ、最終的にはXを独裁者とする祭政一致の専制国家体制を樹立するという政治上の主義を有するに至った。
(2) 被請求団体にあっては、この政治上の主義を推進するため、Xを含む構成員合計二五名が平成二年二月施行の衆議院議員総選挙に立候補したが、全員が大差で落選した。これと相前後して、全国各地で被請求団体の進出に対する反対運動が活発化し被請求団体に対する社会的非難が強まっていった。被請求団体は、かかる動きは被請求団体を弾圧し壊滅しようとするものであるととらえて社会に対する反発を強め、これと対決する姿勢を示すようになり、平成二年ころには、もはや現行民主主義制度内において政治的支配力を強めることによって「日本シャンバラ化計画」を実現することは不可能であると認識し、Xを独裁者とする祭政一致の専制国家体制を樹立するためには、武力によって我が国の現行国家体制を破壊する必要があり、また、被請求団体の活動に反対する勢力は真理の実践を妨げる悪行を積むものであるから、これを殺害するほかはないと考えるに至った。
(3) Xは、平成四年ころ以降、被請求団体の構成員らに対し、被請求団体が反対勢力から毒ガス攻撃を受けているなどと主張しつつ、防衛のために反対勢力と戦うことが重要であると繰り返し説き、武装化の正当性と必要性を重ねて強調するようになった。
(4) さらに、Xは、松本サリン事件の直前には、被請求団体の内部組織を、それまでの部班制から、我が国の行政組織を模した「省庁制」に改め、正大師、正悟師等の位階の高い信徒をこれら省庁の大臣や次官に任命した。また、絶対的主権者を「神聖法皇」であるXとし、Xを独裁者とする祭政一致の国家の統治機構等の構想を示した「太陽静寂国基本律第一次草案」等を起案させるなどした。
(二) 被請求団体は、以下のとおり、依然として、前述のとおりの危険な教義及び政治上の主義を維持していると認められる。
(1) 被請求団体は、平成七年一一月ころから同八年一月ころまでの間、Xの説法集等を取りまとめた「尊師ファイナルスピーチ」と題する書籍全四巻を出版、頒布し、その学習をしょうようし、また、同九年四月以降、構成員にその熟読を義務付けている。
この「尊師ファイナルスピーチ」中には「時がない場合、それをセレクトし、必要のない魂を抜いてしまうこともやむなしと考える智慧あるもの、あるいは徳のある魂があったとしてもそれはおかしくはない。」(平成五年四月一八日杉並道場での説法)、「まさに今ヴァジラヤーナの時代である。すべての魂を悪趣から解放せよ。そのためにはポワしかない。」(歌詞集(サマナ用))などと、殺人を正当化するXの説法内容が盛り込まれている。
また、右「尊師ファイナルスピーチ」には、前述のタントラ・ヴァジラヤーナに係る「教学システム教本ヴァジラヤーナコース(全三六一ページ)」に収録してあるXの説法全五六話のうち殺人を正当化する「ポワ」等に言及している合計四話について、「金剛乗の誤解されやすい部分については削除してある」として掲載していないものの、反面で、「この本はあくまでも法則を遺すことを目的とした縮刷保存版であり、普段の教学には以前の出版物を活用するのが望ましい」として、削除前の説法を活用するよう指示している。
(2) 被請求団体は、平成一一年六月に国会議員等を対象に配布した小冊子「オウム真理教の現状と教団を取り巻く諸問題」の中で、タントラ・ヴァジラヤーナは危険な教義ではないと主張し、「現存する信者は、いわゆる事件の前も後も、そして現在に至るまで、一貫して解脱と悟りを得るために、オウム真理教の教義と修行体系を実践している。」と述べ、また、インターネット上に開設したホームページでも、被請求団体自身がその教義に変更はない旨を認めている。
(3) 被請求団体は、平成九年七月から同一一年八月までの間、機関誌「覚醒の時」及び同「救済の道」(サマナ用)を発行して構成員らに配布している。これらには、①「超越神力を備え、数多くの弟子を巧みに成就へと導くことのできる偉大なグル」などとXの超人性、偉大性を賞賛し、②「君たちは、一人一人が自分の心に、今日これから偉大なるシャンバラの救世主になるんだと。……そう誓って欲しい。」などと「日本シャンバラ化計画」に言及し、③ハルマゲドンの到来を喧伝し(同)、さらに被請求団体構成員らによる一連の事件に係る逮捕、起訴を不当弾圧であるとしつつこれを真理の実践であるとして正当化する記事を掲載している。
(4) 被請求団体は、Xの著書である「生死を超える」、「イニシエーション」及び「マハーヤーナ・スートラ」の三つの出版物を「三大教典」として構成員らに熟読させているところ、「生死を超える」では、Xがタントラ・ヴァジラヤーナの修行が解脱に至る最速の道である旨説くとともに、甲野がその第三章「覚醒から解脱へ」で、「尊師の教えは正しいんだと実感し、それと同時に尊師に対する帰依の気持ちが強くわき上がりました。」などと述べて、Xを賞賛しているほか、その他の出版物にも同旨の記載がある。
(5) 平成九年九月から平成一一年一一月までの間、被請求団体の構成員及び元構成員合計四名は、公安調査官に対し、「教団はタントラ・ヴァジラヤーナを封印していると言っているが嘘である。」、「地下鉄サリン事件を始めとする一連の事件は結果的にみて大変すばらしい行為であった。タントラ・ヴァジラヤーナは究極的には衆生救済のための方法論であり、最終的にはこの方法が一番効果的だ。」、「最終解脱者とは気の遠くなるような修行を実践し、成就した者を指し、ポアした魂が高い世界に転生した事実は最終解脱者にしか分からないし、ポアすべきかどうかも同様であり、この考え方は現在も変わらない。」、「教団はタントラ・ヴァジラヤーナを封印したと言っているが、いったん心の中に植え付けられた観念がなくなることはないし、再びXが指示すればいつでも実行するだろう。心の中にタントラ・ヴァジラヤーナがある限り、教団の危険性がゼロになることはあり得ない。」等と供述している。右の事実は、被請求団体が依然として危険な教義を維持していることを裏付けている。
(三) 原告は、オウム真理教は政治目的をもって松本サリン事件や地下鉄サリン事件を引き起こしたものではないとか、日本シャンバラ化計画は純粋に宗教的な理念に基づくものであり政治的理念に基づくものではないなどと主張するが、右(一)に述べたXを含む構成員二五名による平成二年二月施行の衆議院議員総選挙への立候補等被請求団体が政治上の主義を有するに至った経緯に照らせば、右主張が失当であることは明らかである。
(原告の主張)
(一) X又は原告が被告主張のような政治目的を持った事実はなく、地下鉄サリン事件等もかかる政治目的なるものとは無縁の事件である。右各事件について出された判決は、何れも政治目的などを認定していない。右各事件を含め一連のオウム関連刑事裁判で幾つかの判決が出たが、右各事件がXを独裁者とする祭政一致の専制国家体制を樹立するとの政治目的からなされたなどと認定した判決は皆無である。
なお、法は、実行行為の直接の目的が政治上の目的であることを要求しているのであって、実行行為の目的を辿って行けば間接的に政治上の目的に辿り着くと解釈出来る程度では同条に該当しない。そうでないと、およそ何らかの政治上の目的を有する団体の違法行為は、それが直接は政治目的と無関係のものであっても全て政治上の目的に出たものと認定されて本法の規制対象となり、本法の適用範囲は際限なく拡張してしまうからである。
(二) 被告は、教団機関誌の中に「日本シャンバラ化計画」という言葉が出てくることをもって、政治目的が存在することの根拠としている。しかし、日本シャンバラ化計画は、瞑想に適した修行施設を全国につくろうという純粋に宗教的な理念に基づくものであり、政治的理念に基づくものではない。また、被告は、政治上の主義が教義の重要な一部をなしており、教義に内包されていると主張しているが、このような主張は信者の認識と大きく異なる。信者は教義をいくら学習しても、被告がいう政治目的、すなわちXを独裁的主権者とする祭政一致の専制国家体制を日本に樹立するという政治目的を抱くことはなかったし、今後もあり得ない。教義と政治目的を結びつけて考えるのは、公安調査庁や被告の勝手な解釈であり、当の信者にはそのような認識は全くない。そもそも信者は自己の悩みや苦しみを解決するために宗教を求めるのであり、政治目的を実現するために教団に入会していない。
(三) 法五条一項の要件となっている無差別大量殺人行為に及ぶ危険性が認められるためには、処分決定時において、当該団体が政治上の主義を有することが必要である。
しかるに、本件処分によると、原告の政治目的とは、Xを独裁者とする祭政一致の専制国家体制樹立であるとされるが、独裁者となるべき当のXは、現在、東京拘置所に勾留され事実上社会復帰できる見込みの乏しい一刑事被告人に過ぎない。このような人物を独裁者とする政治目的が、現在の原告に存在するなどということはまずあり得ない。また、本件処分は、事件当時の政治目的の存在を肯定しているが、その根拠となった諸事実は、現在は既に存在しない。上九一色村の施設は一掃され、武装化は完全に解体された。省庁制も廃止されている。現在では、事件当時とは異なり、政治目的認定の重大な根拠が消滅している。さらに、本件処分が処分決定時の政治目的を認定する根拠として掲げているものは、インターネットのホームページや出版書籍でXの教義の一部を維持していることなど、専ら思想信条に関する主観的事柄にとどまる。そして、本件処分が、原告が現在においても政治上の主義を維持していると認定する根拠として列挙する事実は、何れも原告が一定の宗教上の教義を有することを示すにとどまり、原告が祭政一致の専制国家体制樹立という政治目的を有することを示すものではない。結局、本件処分は、原告が現在も政治目的を有しているとする根拠を何ら明示していない。
(四) 政治上の主義を目的とする「団体」を組織したと言えるためには、各構成員が当該目的を自覚的に認識し、相互にこれに承諾を与えるという事実がなければならないというべきである。しかるところ、オウム真理教は、宗教を目的とする団体であって、政治目的を有するものではなく、Xを独裁者とする祭政一致の専制国家体制を樹立するという政治上の主義を各構成員が自覚的に認識し、相互にこれに承諾を与えていたという事実はない。
地下鉄サリン事件等の一連の事件に関して、ほとんどの構成員にはその認識がなく、事件に関する事実については、オウム真理教内部においても秘密にされていたものであるところ、仮に被告が主張するような政治目的を有する団体があったとすれば、それは、当時の宗教法人オウム真理教とは別の団体、すなわち、松本・地下鉄サリン事件等に関係した者のみに限られた結社と解すべきである。そして、事件関与者はすべて逮捕勾留されており、現在は結社としての実態さえないのであり、右結社は既に消滅している。
以上からすれば、松本・地下鉄サリン事件当時の宗教法人オウム真理教が「無差別大量殺人行為を行った団体」に該当しないことは明らかである。
2 法五条一項各号の合憲限定解釈
(原告の主張)
(一) 観察処分により規制される団体の行為は広範かつ重大であり、個々の構成員にも、氏名・住所の報告、立入検査の許容等、相当な程度の人権制約が課される。
このような観察処分を行う目的について、法一条は、「国民の生活の平穏」を含む「公共の安全の確保」にあるとする。ここから、最低限、この処分が課されるのは、国民の生活の平穏が害されるなど、公共の安全が確保出来ない事態が生じている場合でなければならないといえる。
また、立法過程において、臼井日出男法務大臣は、観察処分が原告に適用されるものであることを前提に、「当面の緊急の措置として、無差別大量殺人行為の結果の重大性、事前防止の困難性及び反復性というその特性にかんがみ、過去に無差別大量殺人行為を行い、かつ現在も危険な要素を保持している団体に対し(観察処分を行う)」(第一四六回国会参議院法務委員会会議録第六号、一八頁)、「現在も依然として危険な要素を保持しつつ活動しておりますオウム真理教の現状にかんがみまして、当面の緊急の措置として(観察処分を行う)」(同第八号、六頁)と観察処分は現在の危険性の存在が前提要件として必要であることを繰り返し述べている。
さらに、法八条は、観察処分よりもさらに人権制約の強い再発防止処分を行う要件として、観察処分の要件でもある法五条一項各号の要件のいずれかに該当することを前提にした上、法八条一項八号において、「前各号に掲げるもののほか、当該団体の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の増大を防止する必要があるとき」と規定し、また、同条一項本文後段において、「同条第一項又は第四項の処分を受けている団体について、同条第二項若しくは第三項の規定による報告がされず、若しくは虚偽の報告がされた場合、又前条第二項の規定による立入検査が拒まれ、妨げられ、若しくは忌避された場合であって、当該団体の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の程度を把握することが困難であると認められるとき」と規定している。前者は「危険性の増大を防止」と規定し、「危険性の発生を防止」とはしていない。後者は「危険性の程度を把握することが困難」と規定し、「危険性を把握することが困難」とはしていない。ここから、前提要件としての法五条一項各号該当事実には、団体の「危険性」が存在することが当然の前提として想定されていることがわかる。
以上のような法の立法目的、立法提案者の意思、そして規定自体の趣旨、文言から考えると、観察処分の要件には、「危険性」が存在することが要求されていると解さざるを得ない。したがって、第五条一項各号の解釈、適用をする際には、「被請求団体に危険性がある場合」という限定をして解釈、適用しなければならない。
(二) 危険の意義
ここでいう危険の意義については、本法の目的を規定した法一条が「無差別大量殺人行為を行った団体につき、その活動状況を明らかにし」と規定し、また、法五条が、「過去に無差別大量殺人行為を行った団体」、法八条一項本文後段及び同項八号が、それぞれ明確に「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」と規定していることから、「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」を意味している。さらに、法四条の定義規定からすると、単に、複数人による殺人若しくはその未遂行為に及ぶ危険性では足らず、「政治目的」を持った複数人による殺人等に及ぶ危険性が要求されていることになる。そして、観察処分は、広範かつ相当な程度の人権制約となる処分であるから、法益の均衡を保つため、その危険性については、単なる抽象的な危険では足らず、具体的現実的な危険がなければならないと解すべきである。
これに対し、被告は、本件処分は、法五条一項各号に掲げる事実のいずれかに形式的に該当する場合には、直ちに観察処分の要件を充たし、これに加えて無差別大量殺人行為に及ぶ具体的現実的危険を要するものではないとしている。これによると、例えば、現在の役員の中に事件当時の役員が一人だけ含まれており、その役員が事件に全く関与しなかったという場合であっても、形式的に法五条一項三号に該当してしまうことになる。かかる場合に、これだけで現在の団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があるとすることは明らかに常識に反する。このような場合までも本法の規制対象になるとすれば、過度に広範な規制となり、本法は正に憲法違反となってしまう。
したがって、本法の合憲性を肯定するためには、法五条一項各号につき、各列挙事由の他に、現在の無差別大量殺人行為に及ぶ具体的現実的危険性が要件となっていると解されなければならないのである。
したがって、これらの要件の存否を検討せずに、形式的に法五条一項各号の要件に該当するだけで本件処分を行うことができるとする被告の解釈は誤りである。
(被告の主張)
(一) 法五条一項は、役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、「次の各号に掲げる事項のいずれかに該当し、その活動状況を継続して明らかにする必要があると認められる場合」に観察処分に付することができる旨規定し、法五条一項一号ないし四号は、団体が無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持していると認められる典型例を挙げた条項で、同項五号は、このほか当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があるときに観察処分に付し得ることを規定した条項である。
すなわち、観察処分は、前項の無差別大量殺人行為の特性にかんがみ、その再発を防止し、もって公共の安全を確保するため、過去に無差別大量殺人行為を行い、現在もその属性として無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している団体に対し、無差別大量殺人行為の危険性を有するか否かを明らかにするために、一定の期間当該団体の活動状況を明らかにするための処分である。当該団体について、危険な要素の量的質的増大を防止する必要があると認められる場合、及び危険な要素の程度を把握することが困難な場合には、無差別大量殺人行為の再発を防止するため本法の定める再発防止処分がされることになる。
以上のとおり、観察処分は、その処分の性質からして、処分の要件として現実的危険性そのものを要求することはあり得ない。
(二) 本法は、無差別大量殺人行為の特性にかんがみ、過去において無差別大量殺人行為を行った団体に限って、破壊活動防止法にいう将来暴力主義的破壊行為を行う「明らかなおそれ」という将来の蓋然性とは異なる観点から規制を行おうとするものである。そして、本法の定める観察処分は、無差別大量殺人行為を団体の活動として行い、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している団体に対し、当該団体の活動状況を明らかにし、その危険な要素の程度いかんを把握することを目的とする処分である。法五条一項一号ないし四号は、いずれも当該団体が右の様な無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持している場合の典型的な場合を抽出し、その五号は、一号ないし四号と同種あるいは類似のものを意味するものである。
右のような解釈は、オウム真理教に対する解散指定処分棄却決定が、「本団体が、教義の危険な部分を破棄、払拭したとは認め難く、現時点でも開祖Xへの帰依を中心として、本団体の存続を目指して組織の維持に腐心していることが認められ、本団体の危険性が消失したということは到底できない」、「破壊活動防止法に基づく団体規制処分の手続が進行しているという外部的障害がなくなれば、本団体が将来暴力主義的破壊活動に及ぶ可能性が全くないということはできない。」などとしながらも、破壊活動防止法七条の厳格な要件に該当するとは認められないと判断したため、破壊活動防止法では現実に対処することが困難な団体につき、公共の安全の確保の見地から、実効ある措置を迅速な手続によって行うことを可能とするために本法が立法されたとの経緯に照らしても、首肯し得るところである。
(三) 合憲限定解釈とは、一般に、ある法令における行為の制限ないし禁止の規定が、法文上は広範にすぎ、字義どおりに解釈すれば違憲になるかもしれないが、他のより制限的な解釈をとれば合憲となる場合に、法令の効力を救済する解釈である。しかるところ、法五条一項一号ないし四号の規定は文言上極めて明確であり、過度に広範であることは全くなく、また、同項五号の規定も前述のとおり漠然としたものといえず、法の趣旨目的も明確であるから、これを制限的に限定解釈する必要も余地もないというべきである。法五条一項各号は、それぞれそれ自体として完結した明確な規定であり、その内容を違憲のものと合憲のものとに分けることは困難な上、右各規定に更に「無差別大量殺人行為に及ぶ具体的危険があること」との要件を加えることは、本来規定が持っている意味に全く新たな限定を加えるものであるから、そのような解釈は、合憲限定解釈の予定する範囲を大幅に超えるものである。したがって、この点から見ても、原告の主張するような合憲限定解釈はおよそ採り得ないことが明らかである。
3 法五条一項一号(「当該無差別大量殺人行為の首謀者が当該団体の活動に影響力を有していること」)該当性
(被告の主張)
(一) 本号にいう「首謀者」とは、無差別大量殺人行為そのものの計画、遂行について、組織集団での最高の主導的役割を担う者を意味するものと解される。
しかるところ、オウム真理教の教義においては、Xに対する絶対的帰依が要求され、Xが終始被請求団体を統轄し主導してきた。Xは、松本サリン事件においては、サリンを散布して裁判官や付近住民など不特定かつ多数の者を殺害することを決定した上、乙川ほか被請求団体の構成員らに対しその実行及び役割分担等を指示し、また、地下鉄サリン事件においては、乙川の提案を受けて、サリンを地下鉄電車内で散布して不特定かつ多数の乗客らを殺害することを決定し、乙川に対し犯行計画の総指揮を指示するとともに実行役などの人選を行う一方、被請求団体役員の丙山一郎にサリンの生成を指示し、乙川に指揮された実行役の被請求団体構成員らは、Xの指示によるものであると認識しつつ、サリンを散布したものである。
したがって、Xが松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の「首謀者」であることは明らかである。
(二) 本号にいう「影響力を有している」とは、特定の者の言動が、団体の活動の方向性を左右する力、あるいは内容に変化を生じさせる力を有していることをいうものと解され、団体の構成員をして無差別大量殺人行為に対する規範的障害を乗り超えて実行させ得る影響力に限定する趣旨ではない。
しかるところ、被請求団体における教義とXの立場、Xの公判をめぐる同人の影響力を示す事象、Xの終末予言をめぐる同人の影響力を示す事象にかんがみれば、Xは、被請求団体の活動に「影響力を有している」ものと認められる。
すなわち、被請求団体の目的とするオウム真理教の教義は、Xの説く教えを根本とし、教祖であるXに対し絶対的な帰依を求めており、その教義に従う者により構成される被請求団体にあっては、絶対者であるXの存在はその存立の基盤となるものと認められる。そして、被請求団体が、Xの指示があれば殺人も正当化されるとする危険な教義を含め、その教義を現在も維持していると認められ、X自身がこの教義を捨てたことをうかがわせる事情もない。そればかりか、Xが、公判廷での言動等を通じ、被請求団体の構成員らに対し、その教義及びこれに内包される政治上の主義の実践として、再びサリン事件に類するような凶悪重大事件を敢行するよう指示を発する可能性や、あるいは構成員らにおいてXの言動からその旨の指示が発せられたものと受け取れるような事態が起こる可能性は否定し得ず、その場合には、それが実行に移される危険性は高いというべきである。
また、被請求団体は、修行体系の新システムを導入した平成九年四月以降、全国規模の「集中セミナー」や説法会等において、役員である甲野代行、丁野二郎、戊川三郎らが参加者に対し、「オウム真理教の根本にはグルが存在し、唯一の真理はグルであるXに絶対的に従うことである」などと説いていた。
他方、Xは、昭和六三年一月以降、ハルマゲドン(世界の死命を制する大決戦の意)の表現を用いて終末予言を繰り返し行い、その到来日を平成一一年九月二日、三日であるとして戦争や天変地異による大災禍が起こる旨予告していたところ、被請求団体においては、予言日を控えた同一一年八月、全国の支部・道場等に対し、天変地異に備えて避難するよう周知し、構成員の一部には、避難場所を確保し、あるいは他に転居するなどの行動が認められたのである。
(原告の主張)
(一) 影響力の意義について
本号にいう「影響力」については、単に特定の人物の何らかの影響力の存否という形式的な要件を問題としているのであれば、その判断はあまりに不明確で、かつ無限定な規定という他ない。前記の合憲限定解釈の趣旨を勘案すれば、ここで規定されている影響力とは、「無差別大量殺人に及ぶ危険性を推測させる影響力」と解するほかない。
(二) Xの現在の立場
本件処分時、Xは、原告及びその構成員にとって、その教えの「開祖」という立場にあった。Xは、原告の教祖でもなければ、代表者、構成員でさえない。開祖とは、特定の教え、教義の基を説いたものを意味しており、特定の団体の活動、運営を統率する者という意味は全くない。原告の構成員は、危険であると誤解を受けて破棄した部分を除いて、Xが説き、解釈した教義に従って信仰生活を送っている。しかし、それは、X自身に従って生活しているのではなく、Xが解釈した仏典の教義に従って生活しているのである。そして、ここで「従う」というのも、純粋に宗教的な意味におけるそれである。原告の構成員が、宗教上の意味以外にXに帰依する関係は、本件処分時には既にあり得なかった。このような宗教上の影響を、無差別大量殺人に及ぶ危険性に結びつけることについては、何の根拠もない。
また、現時点で、X自身の具体的な指示に従って構成員が活動を行うことはあり得ない。Xは、現在、外部との接触を一切絶っており、何らの具体的影響を与え得る立場にない。
以上のとおり、原告若しくはその構成員がXから影響を受けているとしても、それは純粋に宗教の教義上すなわち内心の問題であり、国家権力に介入を受けるべき事柄ではない。したがって、原告の活動に対し、Xが、無差別大量殺人に及ぶ危険性を推測させる影響力を有していることはなく、原告は、本号の要件に該当しない。
4 法五条一項二号(「当該無差別大量殺人行為に関与した者の全部又は一部が当該団体の役職員又は構成員であること」)該当性
(被告の主張)
本号にいう「役職員又は構成員であること」とは、当該無差別大量殺人行為に関与した者が、当該団体の役職員又は構成員であれば足りる趣旨である。無差別大量殺人行為を再度実行する権限ないし影響力を有する地位にあることを要するものではない。
しかるところ、被請求団体にあっては、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の両事件に首謀者として関与したXが、現在も実質的に被請求団体の代表者である役員であり、かつ、構成員である。代表者とは、対内的には団体を統轄し、対外的には団体を代表する権限を有する者をいうが、被請求団体における代表者は一貫してXである。したがって、被請求団体は法五条一項二号に掲げる事由に該当する。
また、地下鉄サリン事件において、被請求団体構成員としてサリン散布の実行役を務めた北山四郎は、平成八年一二月五日、殺人等事件により、東京地方裁判所に起訴され、平成一一年九月三〇日、同裁判所において、死刑判決を受けたが、同人が被請求団体から脱会しているとは認められない。したがって、この点からも被請求団体の法五条一項二号の該当性が認められる。
(原告の主張)
(一) X及び北山四郎が、サリン事件に関与したという事実について、原告としては、事実を確定できる立場にない。北山四郎については、一審判決が出ているものの、未だ刑が確定したわけではない。Xに至っては、一審判決も出ておらず、自身の関与についても明言していない。したがって、刑事被告人に対しては、無罪推定の原則が働くのであるから、現段階において、両人がサリン事件に関与したことについて、それを明確に認めることはできない。
(二) Xが構成員でないこと
被告は、Xが今でも原告の構成員であると認定しているが、誤りである。Xは、破壊活動防止法の解散指定処分請求第四回弁明期日において、「団体の代表及び教祖としての立場を退こうと思う」と発言している。これを受けて、原告は、代表を空位にしたまま、甲野花子が宗教法人の代表役員代務者に就任以来の代表代行を務め、教祖も変更して、Xを開祖と位置付けたのである。開祖は宗教上の観念にすぎず、原告の構成員とは言えないものである。実態としても、何ら原告の活動に携わってもいない。
さらに、原告は、本件処分時までに、宗教団体・アレフと名称を変え、甲野花子を代表とする新しい団体として組織改革がなされ、規約及び綱領を定めている。これによると、原告の構成員としての地位がある者は、入会手続を済ませた者である。
原告が、Xを構成員であると承認した事実はなく、Xは、原告の入会手続も行っていない。したがって、Xは、原告の構成員ではない。
(三) 北山四郎が構成員でないこと
本件処分は、北山四郎も本団体の構成員であると位置付けている。しかし、北山四郎は、長期間の身体拘束をされ、今後も同様の状況が続くことが予想されているため、実質的に本団体の構成員の役割を果しておらず、また、原告の入会手続を経ていない。したがって、北山四郎も原告の構成員ではない。以上より、原告は本号の要件に該当しない。
5 法五条一項三号(「当該無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の役員(団体の意思決定に関与し得る者であって、当該団体の事務に従事する者をいう。)であった者の全部又は一部が当該団体の役員であること」)該当性
(被告の主張)
本号にいう「役員であること」とは、無差別大量殺人行為が行われた団体の役員であった者が、当該団体の役員であれば足りるとの趣旨である。「無差別大量殺人行為が行われたときに当該団体の役員であった者」は当該団体の意思決定に関与し得る立場にあり、かつ、当該団体が無差別大量殺人行為を行うことを防止することが可能な立場にあったにもかかわらず、それをしなかった以上、当該無差別大量殺人行為の結果発生に寄与した者であるということができ、このような者の全部又は一部がいまだに役員である場合には、当該団体はその属性として危険な要素を保持していると認められることから、観察処分の要件として規定されたものである。したがって、無差別大量殺人行為を再度実行するような権限ないし影響力を有している地位に限られるものではない。また、その者が、現在無差別大量殺人行為についてどのように考えているかについては、このような事柄は三号の要件とはなっておらず、また、既に述べた本法五条の趣旨からしても考慮する必要はない。
しかるところ、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件が行われた時に被請求団体の代表者である役員であったXが、現在も実質的に被請求団体の代表者である役員であることは、これまでに指摘した事実から明らかであり、本号に掲げる事由に該当する。
また、戊川三郎及び東野五郎は、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件が行われた時に、それぞれ請求団体の「文部省大臣」及び「車両省大臣」として役員であり、かつ、前記「長老部」を構成する役員であった。被請求団体は平成一二年一月六日、「戊川及び東野の両名が長老部を辞任し、平成一一年一二月二六日付けでそれが受理されている」と発表したが、右両者はその後も、組織運営に係る協議に参加しており、被請求団体の役員と認められる。
(原告の主張)
(一) 役員の意義について
本号は、「役員」について、「団体の意思決定に関与し得るものであって、当該団体の事務に従事するもの」と規定しているところ、その文言から、役員であるためには、団体の意思決定に関与し得ることと、団体の事務に従事することの二つの要件を満たさなければならない。
(二) 松本・地下鉄サリン事件当時の役員
右事件当時の団体の意思決定は、Xがすべて行っていた。当時の「大臣」と呼ばれる者は、Xの意思に従い、その事務に従事していたにすぎない。少なくとも、本号該当性で問題となる東野五郎と戊川三郎は、当時の原告の意思決定に関わってはおらず、役員とはいえない。単に形式的に、大臣であったことをもって、役員とするのは誤りである。
(三) 現在の役員
被告は、本件処分時、原告の意思決定機関は長老部であり、東野五郎及び戊川三郎がその構成員であることを認定している。しかし、両人は、既に昨年、長老部からは退いており、また、組織改革の中で、事件処分時には、長老部自体が存在しなくなっている。
原告は、本件処分時には、甲野花子が任意団体の発起人として賛同者を集めている状態であり、平成一二年二月四日に設立総会を開いて、正式に新たな任意団体として発足した。その役員は、甲野花子の外、戊川三郎、戊川大郎、南田七郎及び西山八郎である。
被告は、Xまでもが現在の団体の役員であると判断しているが、荒唐無稽な暴論としかいいようがない。Xは、現時点で団体のいかなる事務も、いかなる意思決定も行っておらず、また、行えるような状態でないことは明らかである。Xは原告にとって、現在は「開祖」たる地位にすぎず、役員ではあり得ない。したがって、原告は、本号要件にも該当しない。
6 法五条一項四号(「当該団体が殺人を明示的又は暗示的に勧める綱領を保持していること」)該当性
(被告の主張)
被請求団体は、教祖であるXに絶対的に帰依するとともに、Xの説法によって、タントラ・ヴァジラヤーナを実践すれば必ず最終解脱できるとし、かつ、目的のためには手段を選ばず、Xの指示があれば殺人を行うことも正当化されているという危険な教義を維持している。
かかる危険な教義が、被請求団体における「綱領」と認められるか否かはともかく、これが「殺人を暗示的に勧める」内容のものであることは明らかであり、被請求団体の危険性を端的に示すものと評価することができる。
(原告の主張)
(一) 原告は、一九九五年(平成七年)に、意思決定機関を「責任役員会」に改めた際、「教団運営要綱」を作成した。この文書は、原告の組織及びその機能、運営方針、活動の規範が要約されており、まさに「綱領」に該当するものであるところ、右文書においては、重大な法令違反は、代表役員若しくは代表役員の委任を受けた者から、下向の命令を受けることのあることが明記されている。これは、法令に反する違法な行為を禁じているものであって、原告は、明示的に殺人行為を禁じている綱領を持っていたといえる。さらに、現在の原告は、より明確に違法行為を禁じる綱領及び規約を有している。本件処分時には、代表就任予定者の甲野花子の提案として存在していたものが、平成一二年二月四日の設立総会において承認され、正式に綱領及び規約として成立したのである。
以上から、殺人を明示的又は暗示的に勧める綱領を有している事実はなく、原告は本号要件に該当しない。
(二) 被告が危険であると指摘する教義は、原告が信仰している膨大な量の大乗、小乗などの教えのうち、ほんの一部にすぎない。そして、秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)は、信者にも理解が困難であるほど、宗教的に高度なものであり、この教義を学んだものが直ちに殺人を実行するほど単純なものではない。本件決定においては、タントラ・ヴァジラヤーナの中の五仏の法則中に殺人をも肯定する危険な部分があるとの指摘がされているが、五仏の法則は、天界の法則であって人間界の法則ではないので、人間が実践などできない。このことは、Xの説法でも伝えられており、転生後に天界に行ったときのための知識として説かれたものと考えられ、しかも、これについての説法は実質的には一回にすぎない。
また、この教えは、密教系の他の仏教教団においても、広く尊重されているものであり、原告独自のものではない。Xのこれに関する説法についても、もともと古くから存在した秘密金剛乗について、これを解釈したものにすぎない。さらに、教義自体は危険なものでないが、これが事件の源になったなどと誤解を受けたため、早くから原告はこの教えを破棄し、これについての経典等を廃棄している。本件処分の意見聴取手続期日を挟んで行われていた組織改革においては、この旨を明確にするため、教義解釈のための経典の編成作業が進んでいる。
以上からすれば、原告は、無差別大量殺人行為に及ぶような危険な教義を有しているものではなく、被告の主張は誤りである。
7 法五条一項五号(「前各号に掲げるもののほか、当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があること」)該当性
(被告の主張)
本号は、一号から四号までの例示的規定と同種、あるいは類似の危険な要素を保持する団体についても観察処分に付することを明らかにしたものである。ここで「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」とは、過去に無差別大量殺人行為を行った団体について、当該団体が将来、無差別大量殺人行為を行う蓋然性の程度である「おそれ」を問題とするものではなく、無差別大量殺人行為という観点から見た場合に、当該団体が、過去の無差別大量殺人行為の実行当時の団体の属性をも考慮しつつ、現時点において、その属性として無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持しているかどうかを問題とするものである。したがって、本号の要件として、再び無差別大量殺人行為を行うための準備行為をしていると疑うに足りる事情や、Xの指示があれば直ちに無差別大量殺人行為の準備行為に着手するおそれの存在を必要とするものではない。
しかるところ、被請求団体については、①松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の首謀者であるXが被請求団体の活動に決定的ともいえる影響力を有していること、②危険な教義を有していること、③近時、その構成員らが松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の両事件は宗教上の救済であるとして構成員にその正当性を説いていること、④前述の「政治上の主義」を推進するための武装化の過程でいわゆる「サリン量産プラント建設事件」や「武器等製造法違反事件」を敢行して服役した構成員を含め、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件が行われた時に構成員であった者を現在も多数構成員として擁していること、⑤出家信徒に係る位階制度や集団居住形態など従前と同質の組織構造を継続して有していることなどが認められる。これらの諸事実は、いずれも無差別大量殺人行為に関する危険な要素であり、被請求団体の本号該当性が認められる。
(原告の主張)
被告が主張する、無差別大量殺人に及ぶ危険性があると認められるに足りる事実のうち、①②については既に反論したとおりである。
被告は、原告が、サリン事件が宗教上の救済であるとして構成員にその正当性を説いていることを挙げている。しかし、かかる事実は存在しない。むしろ、原告は、サリン事件に対する謝罪と補償を実行に移している。サリン事件を正当化するのであれば、このような態度に出ることはあり得ず、被告の判断が誤りであることは明らかである。
また、被告が挙げる、サリン事件当時の構成員が現在も原告の構成員であるとの点は、何らの犯罪行為に関与していない者が当時から現在に至るまで構成員であっても無差別大量殺人行為に結びつくものは何もないし、無差別大量殺人行為に関連しかねないサリン製造等の犯罪に関与して有罪判決を受けた後に原告に復帰した者は六名にすぎず、それらの者も過去の事件関与を深く反省し二度と同様の事件に関与しない旨を書面で誓約したのであるから、無差別大量殺人に及ぶ危険性を推測することはできないし、位階階級や集団生活は、何ら特異な事実ではなく、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性を推測させるものではない。
結局、被告が認定するどの事実からも、原告の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性を認めることはできない。
8 法五条一項にいう「活動状況を継続して明らかにする必要」の有無
(被告の主張)
被請求団体については、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素が認められるのはもとより、以下のとおり、その活動状況を把握することが極めて困難な実情にあり、これに起因して、全国各地で被請求団体と地域住民とのトラブルが多発しているものと認められ、その活動状況を継続して明らかにする必要性がある。
(一) 被請求団体の閉鎖性
被請求団体は、平成九年一月三一日に破壊活動防止法に基づく解散指定処分棄却決定がされた後、全国各地の拠点施設において活動を展開しているが、施設の周囲を外部から遮へいし、構成員を親族と接触させないなど、一般社会と融和しない独自の閉鎖社会を構築している上、拠点施設の確保に当たり他人名義を用いるなど、その活動実態を隠ぺいしており、組織体質は極めて閉鎖的である。また、原告は、本件処分後も、その施設周辺地域の連絡協議会等に施設公開を約束しながら、これを一方的にほごにしたり、一部分の公開にとどめるなど、その閉鎖性に変わりはない。
(二) 被請求団体の欺まん性
被請求団体については、①東京地方裁判所に係属した申立人を東京都知事及び東京地方検察庁検察官検事正とするオウム真理教に対する宗教法人解散命令申立事件(平成七年(チ)第四号、第五号)において、実際には上九施設内においてサリンを製造していたにもかかわらず「第七サティアン内の化学プラントは農薬生成プラントとして建設されたものである」などと虚偽の主張をしていること、②地下鉄サリン事件は国家権力にかかわる者のデッチ上げであるとの見解を発表したほか、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件など一連の刑事事件が、その判決等により、Xを首謀者とし、同人の説く危険な教義に基づいて、被請求団体の構成員らにより組織的に敢行されたものであることが明らかとなった後も、一貫して反省、謝罪はもとよりこれを認めてこなかったこと、③平成一一年九月二九日の「オウム真理教休眠宣言」において支部活動、セミナーの禁止等を発表した後も、これらの活動を密かに行っていること、④株式会社神聖真理発展社(後に、株式会社アレフと商号変更)を設立して在家信徒を構成員としたり、本件処分直後に宗教団体・アレフを設立するなどして法による規制を逃れるための手段を繰り返していることなど、被請求団体が欺まん的な組織体質を有することを顕著に示す事実が認められた。
(原告の主張)
(一) 原告には、次に述べるように、無差別大量殺人行為を行う危険性は全く無く、その活動を明らかにする必要性はない。
(1) 地下鉄サリン事件等の原因は、内的要因として、Xが予言によって宗教的指導者として絶対化・神格化されており、事件に関与した信者との間に宗教的帰依を超えた絶対的帰依を要求し得る特別の人的関係を作り上げていたこと、タントラ・ヴァジラヤーナの教義が事件関与者のバックボーンとなった可能性があること、外的要因として、Xが教団運営の重要事項を決定し得る立場にあり、教団の経済を自由にできたこと、及び教団内に、その構成員ですら何を行っていたのかわからない部署が存在するなどの閉鎖性のあったことが考えられる。
しかし、原告は、Xを経典の解釈者としてのみ位置付け、崇拝の対象から排除し、「予言された救世主」や「最終的解脱者」とは認めておらず、Xは、もはや信者を直接指導する立場にはなく、教団運営にも関与できなくなっているから、原告の構成員との間で新たな人間関係を構築することは不可能である。また、原告は、タントラ・バァジラヤーナの危険とされる教えを放棄し、原告には現在何をしているかわからない部署はない。このように、原告は地下鉄サリン事件のような事件の原因となり得る要素を排除しており、もはや事件に結びつく危険性はない。
このことは、破壊活動防止法の解散指定処分棄却決定以後も、継続して原告の調査をしてきた公安調査庁、法務省が現に認めているところである。すなわち、本法の制定過程の国会審議で、臼井日出男法務大臣は、現時点においては、原告に「危険な要素」が存在すると度々述べつつ、危険性そのものの存在に言及することはなく、木藤繁夫公安調査庁長官も、原告に現在も無差別大量殺人に及ぶ危険性があるかとの質問に対して、「危険の要素」が存在すると答えるにとどまり、現時点においては、無差別大量殺人に直接結びつくような危険性は見出し得ない旨明言している。
(2) 膨大な数の捜索押収
原告関連施設等に対しては、一九九七年(平成九年)の解散指定処分棄却決定後、本件処分時までに、およそ三〇〇件の捜索、押収がなされている。これらの捜索、押収にもかかわらず、無差別大量殺人に及ぶ具体的危険性を推測させる物が発見されたとの事実は存在しない。このような徹底した捜索、押収によって、原告を監視、観察した結果が、国会での危険性を見出し得ない旨の法務大臣、公安調査庁長官の答弁である。この事実を取り上げただけでも、原告に無差別大量殺人に及ぶ危険性がないことは明らかである。また、これらの捜索、押収が何らかの犯罪の立件を目的としたものではなく、原告を観察、監視するだけのものであったことは、捜査の結果、立件に至った数が極端に少ないことからも明らかである。
(3) サリン事件に対する謝罪、反省及び補償
原告は、現在に至っては、正式に、Xを含めたかつての構成員の一部がいわゆる松本サリン事件、地下鉄サリン事件に関与していたことを認め、被害者らに対して謝罪を行っている。
このような事実の認識、それに対する謝罪の気持ちは、被害者らに対する補償という形で具体的行動に現われている。現在の原告の構成員が有している財産から、一連の事件の被害者らに対して補償を行うことは、法的にはその根拠に疑問がなくはないが、これを争うことなく原告は補償に踏み切ったのである。具体的には、昨年一二月中に、宗教法人オウム真理教の破産管財人に対して、四九七万円の債権譲渡を行ったのを皮切りに、本年一月一七日には同管財人に対して、およそ一億五〇〇〇万円に及ぶ不動産の譲渡を行う合意が成立している。さらに、本件処分後の二月に入っても、被害者補償のために、二五〇〇万円を振り込み、今後も毎月一定の金額を補償に充てるために拠出することを表明している。
このような事実は、原告が今後無差別大量殺人に及ぶ危険性がないということを基礎付けるものといえる。
(4) 復帰信者の現在の活動
原告が、公式にこのような謝罪、補償を行う方向性を固め、それを実行に移すことを始めた以上、原告構成員が、これに留まりながらこれと異なる方向の動きに出ることは考え難い。事件に関わりのないものを含めた信者の誰もが、再び刑事事件、とりわけサリン事件等の重大事件を犯す事のないように固く決意している。これらの者の現在の心境、決意をなんら検討することなく、形式的に、これらの者が所属しているだけでその団体を危険であると、それも無差別大量殺人に及ぶ危険があると決めつけることは、一度処罰を受けたものは危険人物であるとレッテルを貼ることを意味しており、不当な発想であるばかりか、何の根拠もないものといえる。
(5) 地域住民との対話の努力
被告は、全国に散らばる施設の多くで、原告が地域住民との衝突を起こしていることを指摘し、このことをもって、あたかも原告が危険な団体であるかの如き判断をしている。あるいは、このような衝突を一方的に原告の責任で引き起こしているのであれば、無差別大量殺人との関連はひとまず置いても、一定の非難を受けることに理由がある場合があろう。しかし、住民にとっては、信者らが未だ信仰を続けているというその一事をもって排斥の対象となっているだけであり、何らかの犯罪の危険性など、具体的合理的な根拠をもって、原告を非難しているわけではないのである。これらの非難の原因は、地域住民の不安感に加え、扇情的なマスコミ報道によるところが大きく、本件処分後は、処分そのもの及び立入検査の結果発表に虚偽若しくは恣意的に不穏当な内容が含まれていることも地域住民の不安感を募らせている。
原告の実態が不明であることが不安を募らせているという批判も、現時点ではもはやあてはまらない。膨大な数の捜索、押収によって、施設内の現状は既に公安当局に対してガラス張りになっていることもその理由であるが、これに加え、原告が、一貫して、住民への理解と対話を求め、施設内の検査の申し出をするなどの努力を続けてきているからである。このような努力によって、住民との衝突を解決してきた施設も、僅かであるが存在する。これに対して、多くの地域では、何が何であろうと排除、排斥することしか念頭になく、住民は、対話も検査も拒絶するという強硬な態度に出ている。したがって、地域住民との紛争が生じているからといって、原告を非難することはできない。地域住民との対話を持ち、住民の誤解を解こうと努力している原告が、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性を有することなどあり得ないことである。
(6) さまざまな請願努力
原告は、施設の存する地域住民の誤解を解くため、直接、様々な努力を続けてきた。しかし、原告構成員も一市民であり、本来、地域住民と同様のサービスを受け得る立場にあるにもかかわらず、市町村長までもが、一方的に地域住民側に立ち、場合によって先頭になって対決姿勢をとったため、第三者として両者を仲介する者がいなくなってしまった。かかる事態を改善するため、また、いかなる犯罪行為に対する危険性もないことを明らかにするため、原告は、国家機関等に対しても、再三申入れをし、適切な行政指導を求めてきた。しかし、これに応えて明確な解決策を提示したものは全くいなかった。このような行動をとっていた原告に、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性などないことは明らかである。
(二) 閉鎖性、欺瞞性等について
被告は、原告がその施設の周囲を外部から遮へいしていると主張するが、その主張に係る栃木県大田原市の施設においては、警備の必要上、またプライバシー保護のためにやむなく壁を設置したものにすぎない。それ以外の教団施設については特に閉鎖的といえるものは存在しない。施設確保に当たって神事の名義を用いたのは、原告に法人格がなかったことによるものであり、活動状況を隠ぺいする意図はない。かえって、原告は、地域住民から施設公開の申し出があった場合には、それに応じて公開するように努めてきた。さらに、地域問題緊急対策室を設置し、各地において地域との融和を求める活動を行っている。
原告が活動を活発化させている事実はない。新たな施設に信者が移るのは、住民運動等により、別の施設を追い出されて移らざるを得なかったというのが実態である。一般社会と融和しない閉鎖社会を構築しているという被告の判断も正しくない。また、原告は、親族からの連絡窓口を設置し、親族から信者への連絡を仲介している。「原告は親族と接触させない」などという事実は存在しない。
原告が、宗教法人解散命令申立事件の際に、第七サティアン化学プラントは農薬生成プラントであると主張したのは、当時の教団は教団関係者の一部がサリンを生成していたことを知る由もなかったことから、担当者がそのような主張をせざるを得なかったからである。現在は、虚偽であったことを社会に対して謝罪するとともに、被害者等への謝罪と補償を行っていることは前述のとおりである。また、原告が、松本・地下鉄サリン事件を認めず、反省も謝罪も示さなかったということ、この対応が被害者及び国民に、不安感や不信感を抱かせる結果を招くことになったことは事実であるが、これについては、残された信者が事件に関与しておらず事件の実態を把握していなかったことに加え、一部の関与者について確定判決が出されていたものの、事件の全容が必ずしも明らかではなかったこと、さらに首謀者とされるXの公判廷における供述が皆無であったことなどが要因となっていたものである。さらに、教団が一九九九年(平成一一年)九月の休眠宣言移行後も支部活動を行っていたと指摘されていることについては、一部で食品等の販売をしていた事実はあるものの、対外的な布教活動は行っていたことはなく、その間、教団では過去を見つめ直し、真剣に今後のあり方について検討していたものである。
右のとおり、原告が閉鎖的・欺瞞的であるという主張は失当であるが、それだけではなく、原告の活動は現に明らかにされ、把握されているのである。すなわち、全国の警察は、原告に対して、微罪を口実として、膨大な数の違法な捜索、押収を行っている。また、捜索差押以外にも、警察や公安調査庁は内偵活動を行っており、既に原告は、公安当局にとってガラス張りの状態であり、これにより何の危険も存在しないことが明らかになっている。活動状況を継続して明らかにしなければならないような事実がないことは、警察や公安調査庁は既に十分に把握しているのである。さらに、原告は、地域住民との対話等を通じて、原告自ら活動状況を明らかにしている。したがって、活動状況を継続して明らかにする必要は全く無く、被告の判断は誤りである。
第三 当裁判所の認定した事実
証拠(甲七、一一五、一二九ないし一四三、乙七、一〇、三八、八〇、九三、一四六、一四八、一五九の55ないし61、一六〇ないし一七三、一八七、証人戊川三郎及び同西山八郎の各証言並びに原告代表者尋問の結果のほか、文中掲記のもの)に当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
一 オウム真理教の沿革
1 Xは、昭和五九年二月ころ、東京都渋谷区内において、「オウム神仙の会」の名称で活動を開始し、昭和六一年七月ころには、最終解脱を果たしたとして、「X'大師」、「X'尊師」と名乗るようになった。そして、昭和六二年七月ころ、団体の名称を「オウム真理教」と変更し、自らを、教祖でありかつ崇拝の対象であると位置付けた。
2 Xは、オウム真理教に関する著書や月刊の機関誌を発行するなどして信者数を増加させ、昭和六一年七月ころの信者数は三五名であったのが、昭和六二年七月ころには約一三〇〇名となり、昭和六三年ころには約三〇〇〇名となっていた。
オウム真理教は、六二年二月ころには大阪市内に大阪支部を、昭和六三年八月には静岡県富士宮市に富士山総本部道場を開設し、平成元年七月ころには山梨県西八代郡上九一色村に土地を購入して教団施設の建設を開始し、さらに東京都港区内に東京総本部等を開設する等して、平成六年六月ころまでには、国内に合計二四か所の支部・道場等を設けた。オウム真理教の教義に従う者の中には、一般社会との関係を絶って活動する「出家信者(サマナ)」とその他の「在家信徒」との区別が存したところ、右当時、オウム真理教の信者数は、出家信者が約一一〇〇名、在家信者が約一万一〇〇〇名となっていた。
3 オウム真理教は、平成元年八月二五日、東京都知事から宗教法人に基づく規則の認証を受け、同年八月二九日、宗教法人「オウム真理教」の設立登記をした(乙一二)。右設立登記に際しては、代表役員にXが、責任役員にA、B、C、D、E、F、G、Hの合計八名がそれぞれ就任した(乙二四)。
地下鉄サリン事件の発生後、東京地検検事正及び東京都知事は、平成七年六月三〇日、宗教法人オウム真理教について、東京地方裁判所に対して解散命令を請求したところ、同裁判所は、同年一〇月三〇日、上九一色村の教団施設内において、Xの指示あるいは少なくともその承認の下に、教団の組織的行為として、サリン生成プラントを建設し稼働させ殺人予備行為を行ったと認定し、そのことが宗教法人法八一条一項一号及び二号前段に定める解散命令事由に該当するとして、右請求を認めてオウム真理教を解散する旨の決定をし(乙一一)、右決定は同年一二月一九日に確定した。さらに、その清算手続中の平成八年三月二八日、宗教法人オウム真理教に対して破産宣告がされた(乙一七五)。
4 オウム真理教は、宗教法人の解散命令が確定した後もその活動を継続し、平成八年四月時点で、全国一七か所に支部・道場を保有するほか、出家信徒の居住施設や関連会社を有していたが、宗教法人オウム真理教に対する破産宣告に伴い、同年夏から、主要施設を段階的に破産管財人に引き渡し、山梨県の施設に居住していた出家信者も、平成八年一〇月三一日までに退去した。
オウム真理教は、平成一一年一二月の時点では、三四施設を保有するほか、大都市圏を中心に六〇か所以上のマンション、アパート等に出家信徒を単独又は集団で居住させていた。本件処分の請求当時の信者数は、出家信者が約五六〇名、在家信者が約五八〇名であった。
二 オウム真理教の教義等(甲二)
1 オウム真理教の教義
宗教法人オウム真理教は、その法人としての目的を、「主神をシヴァ神として崇拝し、創始者X(別名=X')はじめ真にシヴァ神の意志を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目標を達成するために必要な業務を行う。」としていた(乙一二)。Xは、小乗仏教(ヒナヤーナ)、大乗仏教(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗仏教(タントラ・ヴァジラヤーナ)、古代ヨーガ、原始仏教を基礎として、オウム真理教の教義を構成したが、その内容は、いずれもこれらの仏教等に含まれている既存のもので、オウム真理教独自のものではない。Xは、この教義に基づく経典の解釈を説法会において信者に説き、説法を集めた教本を編纂するとともに、書籍や機関誌を出版した。
2 Xの地位及び信者との関係
信者がオウム真理教に入会する動機は、Xの出版した書籍や機関誌で説かれている仏教やヨーガの教義や修行法に惹かれ、Xを優れた経典の解釈者と感じた場合が多く、入信後、在家の信者は説法会、セミナーへの参加及び宗教的儀式である「イニシエーション」を通じてXと接していた。
Xは教団内部において自らを「尊師」又は「グル」と尊称させていた。グルという用語は、広義においては、経典の解釈者との意味や(甲野、三回弁論三二四項)、宗教上の精神的・霊的指導者の意味でも用いられるが(乙一八)、オウム真理教においては、仏教でいう三宝のひとつである如来あるいは真理勝者(甲野、二回弁論九八項、三回弁論四七項)の意味に用いられ、帰依の対象とされた。この意味では、本来、Xは、多くの真理勝者のうちの一人として、他の真理勝者らとともに帰依の対象とされるべきものであるが、Xは、平成二年三月二一日の富士山総本部における説法において、グルには、ヒナヤーナのグル、マハーヤーナのグル及びタントラ・ヴァジラヤーナのグルの三種類がおり、タントラ・ヴァジラヤーナのグルは、弟子の煩悩を完全に見抜き、その煩悩を揺さぶりつつ、それを弟子に気付かせ、その煩悩を完全につぶさせる瞑想、あるいは生活の仕方を強いるもので、グルと弟子の一対一又はグル対弟子全員の真剣勝負を行うものであり、これをこなせるかどうかが、グルの弟子に対する愛であり、あるいは弟子のグルに対する帰依ということになるが、グルが弟子から憎まれることもあり、この三番目のグルが一番たいへんなものであると述べるとともに、オウム真理教は、ヒナヤーナ及びマハーヤーナを通過してタントラ・ヴァジラヤーナの世界に入ろうとしていると述べていた(甲一二)。そして、Xは、遅くとも地下鉄サリン事件等が起きるころまでには、教団内部において、事実上、唯一絶対の帰依の対象であると理解されるようになり、Xは、信仰上の指導のみならず、教団運営の全般を自己の意思に基づいて専行していた。
また、オウム真理教では、グルであるXを絶えず観想し、グルからのエネルギーを受けることによって自己の悪行や煩悩を浄化して、グルと合一して解説に至る旨の教えに基づき、「グルヨーガ」と呼ばれるものが行われていた。さらに、ヴァジラヤーナの教義が説かれるようになってからは、「マハームドラーの修行」が説かれた。この点について、Xは、ヨーガの基本的修行体系にラジャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガ及びマハー・ムドラーあるいはジュニアーナ・ヨーガがあり、それぞれヒナヤーナ、マハーヤーナ及びタントラ・ヴァジラヤーナに通じるもので、マハームドラーは、例えば、煩悩についてまだ生じていないことを課題として思索し続けることにより、経験していないのに心の働きにおいて経験したかのような形になることを目指すもので、グルが弟子の最も引っ掛っている部分に課題を絞り、その課題を瞑想修行の中心においてそれを乗り越えさせることにより、修行ステージを飛躍的に進歩させるものであると説明していた(甲一二)。他方、弟子の側では、この修行は、解脱、悟りに至るためには煩悩を滅尽するしかなく、その煩悩の滅尽のために、グルが弟子の一人一人の煩悩の特質を見抜き、各人に特別な課題を与えることによって弟子の煩悩を軽減して、そのときに弟子がグルへの強い帰依、絶対的な帰依によってグルの課題をこなせば、その煩悩が昇華され、あるいは滅尽されて、速やかに解脱へと導かれるというものであるとの理解も行われていた(乙一八三、五頁以降)。
Xは、信者に与える宗教的位階を設け、宗教法人「オウム真理教」規則においては「この法人の教義を信奉するもので、信徒を正しく指導することができると代表役員が認めたもの」に対して「大師」の称号を与えることとしていたが(一六条)、平成二年六月以降、クンダリニー・ヨーガの成就者に「師」、マハームドラーの成就者に「正悟師」、大乗のヨーガの成就者に「正大師」の称号をそれぞれ与えられるようになった。
3 タントラ・ヴァジラヤーナに関する説法
タントラ・ヴァジラヤーナとは、密教に属するものであり、密教とは、仏教の教説のうち、最高深遠でその境地に達した者以外はうかがい知ることのできないものとされる。Xがしたタントラ・ヴァジラヤーナに関する説法の中には、以下のものがある(甲二三、乙一〇)。
① 「ここにヴァジラヤーナの優位性があるんだよ。(中略)優位とは何かというと、短い期間で同じ結果が得られると。(中略)帰依の土台からいったならば、大乗とタントラを比較するとだよ、それは雲泥の差がなければならない。タントラは、ヴァジラヤーナは、完璧な帰依が必要であると。ねえ、大乗は、一応、尊敬、グルを尊敬すればそれでよろしいと。この二つには、大きな違いがある。」(昭和六三年八月五日、富士山総本部での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」一四頁)
② 「金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶立的な立場に置いて、そのグルに帰依をすると。そして、自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまり、グルのクローン化をすると。」(昭和六三年一〇月二日、富士山総本部での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」二二頁)
③ 「仏教では三乗の教えが説かれている。その三乗の教えとは、小乗、大乗、そして秒密金剛乗の三つである。このうちの小乗とは、自己の解脱を第一とする教えであり、大乗とは自己の解脱だけでなく、衆生の救済を主眼とした教えである。秘密金剛乗とは、大乗の修行の最終地点に至るためには、普通だったなら何千年もの長い間生まれ変わっては修行する必要があるところを、一生で終わらせてしまうという、スピーディーではあるが、ややもすると危険でもあるという教えである。」(平成二年三月八日、オウム出版発行「原始仏教典講義一」一〇頁)
④ 「タントラ・ヴァジラヤーナのみが、真理への到達を可能にするといわれる。(中略)その生き方は、『狂気の悟り』ともいわれるように、通常の観念を超えている。(中略)ヴァジラヤーナ・サッチャ『金剛の乗り物の真理』は、この腐敗した現代で解放され、真の幸福を得るための唯一の道なのである。」(平成六年八月二五日、オウム出版発行「ヴァジラヤーナ・サッチャ」創刊号二〜三頁)
⑤ 「グルのためだったら死ねる、グルのためだったら殺しだってやるよと、こういうタイプの人は、クンダリニー・ヨーガに向いてるということになる。グルがやれといったことをすべてやれる状態、例えばそれは殺しを含めてだ、これも功徳に変わるんだよ。例えばグルがそれを殺せという時は、例えば相手はもう、死ぬ時期にきている。そして、弟子に殺させることによって、その相手をポアさせるというね、一番いい時期に殺せるわけだね。」(昭和六二年一月四日、丹沢集中セミナーでの説法、未公刊)(乙一三)
⑥ 「ここに、このままいくと地獄に落ちる人がいたと。そしてそのカルマを見極めた者が、そこで少し痛めつけてあげて、そしてポワされることによって人間界へ生まれ変わるとしようと。その人は、それを知って痛めつけ、そしてポワさせたと。つまり殺したわけだな。人間界へ生まれ変わったと。これは善業だと思うか、悪業だと思うか。ところがね、観念的な、法無我の理論を知らない者は、それをそれとして見つめることができないんだね。観念的な善にとらわれてしまう。そうすると、そこで心は止まってしまうんだ。」「じゃあ、わかったと。(中略)今日から、例えば人を痛めつけてやろうと。このように考える人は、どうだ。―――無智だ。そのとおりだ。では、どのような状態になったら、この実践を行ってもいいと思うか。―――ありのままに見つめる力がついたときということになるね。それからもう一つの条件がある。それは何だ。心が自己の利益、煩悩から離れたときということができる。」(平成元年四月二八日、富士山総本部での説法。「教学システム数本ヴァジラヤーナコース」第六話、五〇頁)(甲二三)
⑦ 「生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで例えば、生命を断たせた方がいいんだと考え、ポワさせたと。この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですかと、それとも高い世界に生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますかと。ということになるわけだよね。でもだよ、客観的に見るならば、これは殺生です。客親というのは人間的な客観的な見方をするならば。しかし、ヴァジラヤーナの考えが背景にあるならば、これは立派なポワです。そして、智慧ある人は―――ここで大切なのは智慧なんだよ。智慧というのは―――わたし先程何て言った?―――神通力と言ったよね。智慧ある人がこの現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます。OKかな、これは。」(平成元年九月二四日、世田谷道場での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」第十話、八三・八四頁)(甲二三)
⑧ 「今、アメリカのバックについている大いなる智慧を有する者たち、ロシアのバックについている大いなる智慧を有する者たち、中国のバックについている大いなる智慧を有する者たちが何を考えているか。それら、彼らは一つ、つまりこの人類を、より神々の方向へ近づけようとしているのである。ということは、本来、ここに集っている君たちは、救済され得なければならない魂ということになる。では、その彼らとわたしたちとの違いとは何であろうかと。それは四無量心という、四つの偉大な心の覚醒というものを有するか有しないかということがポイントになる。つまりわたしたちは、すべての魂を、できたら引き上げたいと、すべての魂を救済したいと考える。どうだ。(一同、「はい!」)しかし、時がない場合、それをセレクトし、必要のない魂を殺してしまうこともやむなしと考える智慧ある者、あるいは徳のある魂があったとしてもそれはおかしくはない。どうだ?(一同「はい」)そして最終的には、この二つは大きなぶつかり合いになるのである。もうすでに、その選定は始められている。例えば、カンボジアがそうであるようにね。」(平成五年四月一八日、杉並道場での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」第三九話、二六一頁)(甲二三)
4 五仏の法則に関する説法
五仏の法則は、一般の密教経典にも現れるもので、密教すなわちタントラ・ヴァジラヤーナの教えの一部をなすものであり、第二天界の財物に関するラトナサンバヴァの法則、第三天界の生命の生死に関するアクショーブヤの法則、第四天界の出家や家庭に関するアミターバの法則、第五天界の神通や成就に関するアモーガシッディの法則及び第六天界の供養に関するヴァイローチャナの法則からなり、いずれも天界又は神々の法則であって人間界の法則ではない。
Xは、タントラ・ヴァジラヤーナに関する説法の中で、五仏の法則のうち、「悪業を積んでいる魂は早く命を絶つべきである」とする「アクショーブヤの法則」や「真理の実践を行う者にとっては結果が第一であり、結果のためには手段を選ばない」とする「アモーガシッディの法則」などについて説いた(乙一〇、三二)。
三 オウム真理教の政治的活動
1 シャンバラ化計画
Xは、昭和六三年ころから、「日本シャンバラ化計画」と称して、教義に沿った理想郷の建設を目指し、宣伝活動や布施集めに取り組んだ。
オウム真理教は、この計画について、同年夏ごろ発行したパンフレット「限りなく透明な世界へのいざない」(甲六、乙一〇九)の中で、シャンバラ国はシヴァ神が統治する王国であり、「X'尊師も実はここから救済者としての使命を帯びて人間界に降誕してこられました。」、「この計画は、日本全体にオウムの聖なる空間を広げ、多くの聖なる人々をはぐくむことによって、日本を世界救済の拠点にしようという比類なき遠大なものです。」、「真理に基づいた社会を建設し、より多くの魂が真理の生活をし」、「私達のグルであられる尊師とシヴァ神の大いなる意思を実践していきましょう。」などと主張した。
その後間もなく、Xは、以下のような説法を通じて、「日本シャンバラ化計画」を推進して衆生の救済を行うには、現実的な政治力を獲得する必要があるとの考えを強調するようになった(乙一〇)。
① 「このけがれきった世の中に対して、二つのアプローチが考えられるだろうと。一つは、今回私が取ろうとしているソフトな手段であると。これは、例えば今の国会に一議席、十議席、百議席、ね、そして、まあ、最終的には絶対的な多数を取って、ね、その、政治を本当に徳の政治に変えてしまうということが一つと。もう一つは、そうではなくて、武力的に武装して、今の日本をひっくり返し、そして真理でないものをつぶしてね、救済するという方法が一つと。そして、わたしはね、今の段階では、その前者を考えている。ここで君たちは、疑問が生じるかもしれない。今の段階で前者の方を考えているということは、後者の方を考える場合もあるのかと。それは、条件によって違ってくるだろうと。」(平成元年八月一日、富士山総本部での説法。未公刊)(乙一三)
② 「わたしが政治に立とうとしたのも、宗教だけでは済度するスピードが遅いと。だから政治的な力を使って、何とか早くシャンバラ化計画を進めたいと。」(平成元年九月一二日、富士山総本部での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」七一頁)(乙一〇)
③ 「この日本を、そして世界を、生きてる限りシャンバラ化しようじゃないかと。」「シャンバラ化というのは本当の意味での福祉の充実した世界と、そうじゃないかな。(中略)で、もしだよ、その社会をつくろうとしたならば、今の、(中略)餓鬼のカルマを持った政治家たちにとって、わたしたちが今からなしていこうと思っていることが受け入れられるだろうかと。(中略)高い世界へ生まれ変わるためには、もちろん瞑想修行が必要です。功徳を積むことが必要です。しかし、外側を固めるためには、例えば経済が必要なんだと、政治が必要なんだと、これがわたしの考え方です。」(平成元年九月二四日、世田谷道場での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」第十話、八五・八六頁)(甲二三)
④ 「純粋な宗教活動のみでは、様々な社会問題は解決されないということ。それゆえ、根本的に政治と宗教は切り離せない。(中略)徳によって政を行い、地上に真理を広める転輪聖王としての役割を果たしていきたい。」(平成元年一二月二五日、オウム出版発行「マハーヤーナ」No二七、一四七頁)
2 衆議院議員総選挙への立候補
Xは、平成元年八月ごろ、「真理党」なる政治団体を結成し、X自身を始めとするオウム真理教の構成員合計二五名が、平成二年二月一八日施行の衆議院議員総選挙において立候補したが(乙一五九の5、6)、いずれの候補者も落選した。Xは、この選挙結果について、次のように述べた。
① 「今回の衆議院議員選挙は、私のマハーヤーナにおけるテストケースであった。その結果、今の世の中、マハーヤーナでは救済できないことが分かったので、これからはヴァジラヤーナでいく。」「これは宇宙の法則であり、本来なら神々がすることだが、神々がやると残すべき人を残すことができないので、我々でやる」(平成二年四月一〇日ころの言動)(乙二八、Vの公判廷での供述)
② 「人間の魂がもっともっとけがれ、そして第四期、破壊の直前になると、タントラヤーナの修行においても救済できない、そういう魂の世界が人間界に形成されます。ここで登場してくるのが、ヴァジラヤーナつまりフォース、力を使って、武力を使っての破壊です。」(平成二年三月二四日、富士山総本部での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」一一七頁)(乙一〇)
四 予言に基づく活動と武装化など(甲一一六、乙一八二、一八三)
1 オウム真理教の信者には、聖書などの予言を研究している者がいたところ、Xは、その予言研究に基づいて、昭和六二年八月に発行した著者「イニシエーション」で予言を提示したのをはじめとし、その後、説法の中で予言を本格的に取り上げるようになった。
そして、その後出版された「滅亡の日」「滅亡から虚空へ」と題する書籍においては、予言された赦世主とはXに他ならないこと、予言された救済の団体とはオウム真理教であることが聖書という既存の経典で客観的に証明されたとし、「ハルマゲドン」の大破局についての具体的な描写、タントラ・ヴァジラヤーナによる救済が説かれるに至った。さらに、平成元年二月ころから、ノストラダムスの予言研究が行われた結果、Xは、説法等において「彗星が来て日本が危ない」「原爆が東京方面に落とされる」などと近未来の出来事に関する具体的な予言を行うようになり、また、教団内外の動きが予言に基づいて説明され、教団は予言に従って動くようになった。
Xは、平成五年ころには、信徒に対し、一九九七年(平成九年)には「ハルマゲドン」(世界最終戦争)が勃発して人類の大半が死亡するとの予言を行って危機を煽り、平成六年二月ころからは、オウム真理教は真理を実践する唯一の集団であるがゆえに反対勢力から毒ガス攻撃を受けているなどと説きつつ、防衛のために対策をとることが重要である旨の説法をするようになったところ、Xがした説法の中には、以下のようなものがある。
① 「オウム真理教は、やはり、最終的には軍事力を有することになるんだろう。」「オウム教団は、つまり、単なる宗教団体ではなく、世界統治の機構に変化する時期が来ると予言されている。」(平成五年一月三一日。上九施設第五サティアンでの説法。)(乙一三)
② 「ノストラダムスがキリストをわたしとして予言している以上、わたしが世の中の中心に引っぱり出され、そして、そうだね。まあ間もなくして、主役を演じなければならない時代がくることは間違いないだろう。」(平年五月三月二一日、杉並道場での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」一九八頁)(乙一〇)
③ 「私の弟子たちは、そして信徒は立ち上がる必要がある。」(平成六年三月一一日、仙台支部での説法。「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」二九九頁)(乙一〇)
このような説法に対して、信者の中には、「予言というのは計画であって、予言やハルマゲドンは自分たちで起こさなければならない」と考えた少数の者や、「ハルマゲドンに対する正当防衛として、教団の武装化が行われる」と考えた者もいた一方、「予言やハルマゲドンは起こすものではなく、自然に起きるものであって、そのために山間部への避難や食料備蓄等の準備をしなければならない」と考える者もいた(甲一一六)。
2 新しいイニシエーションの導入
Xは、「ハルマゲドン」が迫っていることから、これに備えて救済計画を実現しないと救済が間に合わなくなると説き、その実現には、救済へのもっとも早道となるタントラ・ヴァジラヤーナの方法をとるべきであると説いていた。そして、Xは、ハルマゲドンの開始までの間に、信者を、より早い出家とヴァジラヤーナの実践へと導く目的をもって、平成六年五月ころから、「戦いか破滅か」と題するビデオを見せたり、あるいは①ヴァジラヤーナの実践、②グルに対する帰依、③観念を越えた激しい救済、④救済者としての自覚等をテーマとした「決意」を唱えさせた上で、LSDや麻酔薬を使用した神秘体験を行わせるようになったところ、信者に対しては、その神秘体験や死の恐怖などによって、Xに対する帰依を強めるという効果をもたらした。
3 教団の武装
他方、オウム真理教は、Xの指揮のもと、生物兵器の開発、サリンの生成、自動小銃の製造、軍事訓練などを行うようになった(乙一〇)。
① 生物兵器の開発
オウム真理教は、平成四年夏ころ、有毒の炭疽菌を入手してその培養を開始し、噴霧装置を製作した上、平成五年六月から七月にかけて二回にわたり、新東京総本部周辺に居住する反対住民を殺害する意図をもって、炭疽菌を散布したが、噴霧の際に菌が死滅するなどしたことから、殺害の目的を遂げず、異臭騒ぎを起こすにとどまった(いわゆる「亀戸異臭事件」)。
② サリンの製造等
Xは、平成五年三月ごろ、毒ガスの大量生成に関する研究・開発を行うよう指示し、信徒のうち、専門的な知識を有し、後に第二厚生省大臣となったIが、これを担当し、生成する毒ガスとして「サリン」を選定した。サリンは、自然界には存在しない有機リン化合物で、吸入若しくは皮着からの浸透などで容易に人体に吸収され、ごく少量の吸収で、縮瞳、呼吸作用衰退などの中毒症状を急速に呈し、自覚症状が現れたときには生命危機の可能性が高い。その致死量は、呼吸吸引の場合、体重一キログラム当たり0.01ミリグラムである。
Iは、同年八月ごろ、山梨県上九一色村の教団施設内の建物においてサリン生成実験を開始し、同年一一月ころサリン約二〇グラムの生成に成功し、その後、Jらの協力を得ながらサリンの生成を繰り返し、同年一二月ごろに約三キログラム、平成六年二月中旬には約三〇キログラムのサリンを生成した。そして、X及び後に科学技術省大臣となった乙川太郎らは、サリンを日産二トン、合計七〇トン生産することを計画し、同年一二月ごろまでに同施設内に第七サティアンと称する建物を建築し、その内部にこれを設置した。
オウム真理教は、平成五年一一月から同年一二月にかけて、二度にわたりサリンの効果を試すとともに、オウム真理教が敵視していた宗教団体幹部を殺害する目的で、東京都八王子市内においてサリンを散布したが、いずれも殺害の目的を遂げなかった。さらに、平成六年五月ごろ、静岡県富士宮市内の富士川河川敷でサリン噴霧実験を行ったほか、サリンを大量散布するための準備として、平成五年九月ごろ、信徒を米国に派員してヘリコプターの操縦免許を取得させた上、同六年六月に旧ソ連製ヘリコプター一機を購入し、同年九月下旬ごろ、これを静岡県富士宮市内の団体施設に搬入した。
③ 自動小銃の製造
Xは、ロシア製自動小銃「AK―74」を模倣した自動小銃及びその銃弾を製造することを計画し、平成五年二月、その研究のため、信徒をロシアに赴かせ、自動小銃部品の一部を持ち帰らせるなどした。その後、自動小銃郎品製造工場を建設し、平成六年一一月末ころには自動小銃の銃身の加工に成功し、平成七年一月には小銃一丁を完成させたが、警察による強制捜査を警戒して、製造を一時中止した。
④ 武装グループの組織とロシアへの軍事訓練ツアー(乙三〇)
Xは、平成六年三月中旬ころ、後に自治省際臣となるGらに対し、テロ行為のための武装グループを組織する考えを示した。Gは、そのリーダーに名乗り出て、自衛隊出身信徒ら約一五名を集め、「キャンプ組」と称して訓練に入った。また、Xは、同年四月ごろ、「来るべき戦いに備えた軍事訓練」と称して、「キャンプ組」の一部にKらを加えた信徒約二〇名を約三日間ロシアに派遣して、モスクワ近くの軍事系施設において実弾射撃練習などを行わせた。
五 オウム真理教の組織の運営、統治機構の構想
1 省庁制の導入
宗教法人オウム真理教の運営については、当初、責任役員会が開催されることもあったが、次第に形骸化し、Xが一人で教団の運営の意思決定をするようになった。
そして、Xは、松本サリン事件の実行直前である平成六年六月ごろ、本団体の内部組織の呼称を、それまでの総務部、法務部、経理部などから、国家組織を模して法皇内庁、法皇官房、法務省、大蔵省などと改め、前記のように、Lを第二厚生省大臣に、乙川太郎を科学技術省大臣に、自治省大臣にGを就任させたほか、省庁の大臣や次官には、正大師・正悟師など位階の高い信者を就任させ(乙九〇)、いわゆる「省庁制度」を発足させた。この制度については、「教団の指揮系統・上下関係が明確になった。当時、教団内では、ハルマゲドンが起こるなどと言われていたから、省庁制はハルマゲドン後の国家を視野に入れた練習である」旨理解する信者もいたが(乙二七)、Xが教団の運営及び意思決定を専行することに変わりはなかった。なお、省庁制の導入に際して、前記の宗教的位階がさらに細分化された。
省庁制の導入に当たり、戊川六郎は文部省大臣に、甲野は同省次官に任命された。文部省は、仏教経典の翻訳、教学の推進、子供の面倒などの役割が与えられていた(甲一〇七、原告代表者甲野、証人戊川)。
2 憲法草案
Xは、このころ、弁護士で究聖法院及び法務省大臣に就任したLらに対して、X'が支配する国家の憲法となるべき基本律の起案を命じ、Lらは、この指示を受け、X'を主権者とする国家の憲法に当たる「太陽寂静国基本律第一次草案」、刑法に当たる「太陽寂静国刑律草案」などを起案した。右に関する「真理の御国の統治について」と題する文書には、「真理の御国の初代主権者が、X'尊師であることは本案にとって自明である」、「法皇は、真理国の内治権と外交権(軍事権を含む)を独占し、国内の統治及び諸外国にたいする宣戦や講和、諸条約の締結等をおこなう」、その作成に当たっての留意点として、「日本国に属していた人々を円滑に新しい統治体制に組み込むこと」、「彼らに日本国と真理の御国の原理的差異を効果的に認識させること」などの記載があった(乙三一)。
六 Xの逮捕とその後のオウム真理教の活動(原告代表者)
1 一連の事件の発生
平成六年六月二七日、長野県松本市内において、サリンを充填した噴霧車を用いてサリンが散布され、七名が殺害されるとともに、一四四名がサリン中毒症の傷害を負うという事件が発生した。また、平成七年三月二〇日、東京都内を走行中の五本の地下鉄電車内において、サリンが散布され、一二名が殺害されるとともに、多数の者がサリン中毒症の傷害を負うという事件が発生した。右のほか、平成六年五月から平成七年五月にかけて、複数回にわたり、いわゆるT弁護士殺人未遂事件やU事件など、サリン、VXガス等の化学薬品を使用した一連の殺人事件及び殺人未遂事件が発生した。
これらの事件については、現在もいくつかの刑事事件が係属中であるが、それらがXの関与の下に教団の構成員らによって実行されたことについては、原告もこれを積極的には争っていない。
Xは、平成七年五月一六日、地下鉄サリン事件に係る殺人等を被疑事実として逮捕された。
2 オウム真理教は、Xの逮捕後、「教団運営要綱」(乙一五九の1)を作成し、教団運営における最高意思決定機関を「責任役員会」とすること、及び科学部門を廃止することなどを表明したほか、誤解を受けやすい教義として、タントラ・ヴァジラヤーナ、ハルマゲドン及びイニシエーションの教義を挙げ、後記3のとおり、これらについて公式解釈を明らかにした。また、正大師の地位にあったDは、「オウム真理教緊急対策本部長」として、平成七年一〇月七日に逮捕されるまで、教団の運営を主導した。そして、宗教法人オウム真理教は、同年一一月八日、同年六月二一日付けで甲野花子ほか一名が「代表役員代務者」に就任した旨の登記を了した(乙一二)。
その後、Xは、平成八年五月二八日、破壊活動防止に基づく第四回弁明期日において、「団体の代表及び教祖としての立場を退く」と述べた(乙一九)。これを受けて、甲野花子は、同年六月二一日の第五回弁明期日において、Xを「開祖」、当時三歳と二歳の幼児であったXの長男M及び次男Nを「教祖」とする旨述べ、また、「意思決定機関として長老部を設ける」旨表明した(乙二〇、一五九の3、4)。
右「長老部」を構成したのは、O(Xの三女)、甲野花子(正悟師)、東野五郎(同)、丁野二郎(同)、戊川三郎(同)、戊川六郎(同)及びP(同)の六名であった(乙二六)。
逮捕後起訴されたXと教団との意思疎通については、当初、刑事事件の私選弁護人の接見を通じて行われており、破壊活動防止法の弁明手続の代理人もXと接見することがあったが、刑事弁護人の交代に伴い、Xが接見を拒否するようになったことから困難となった(乙一五九の14、15)。長老部は、Xの刑事事件の公判期日における公判廷での傍聴を継続してXの言動等に注視しつつ、組織の運営方針を決定し、インターネットの電子メールやホームページ、説法会、機関誌等により、これを構成員に指示、伝達することとなった。
他方、オウム真理教は、宗教法人の解散命令がされたことに伴い、平成八年三月ころまでの間、在家信者を「株式会社神聖真理発展社」(平成八年一一月二七日の商号変更後は「株式会社アレフ」)の社員及びヨーガ会員として登録することにより、信仰活動の継続を図ることとし(乙一七六)、教団自体は法人格のない団体として、従前の宗教法人とほぼ同一性を保ちながら存続した。
3 教義の解釈等(乙三二)
オウム真理教は、前記2記載の「教団運営要綱」における「重要運営方針」の中で、「誤解を受けやすい教義の公式解釈」として、「タントラ・ヴァジラヤーナを含め、他のいかなる教えも決して日本の刑法に反する行為を正当化するものではない」、「ハルマゲドンに対する正しい対応は、仏典に記載されているとおり、安全な場所への避難、生活必需品の確保等である」と表明するとともに、出家信者が出家信者としてふさわしくない重大な行為(重大な法令違反を含む。)を犯した場合、当該出家信者に対して下向命令(事実上の除名処分)を下す旨規定した(乙一五九の1)。
また、オウム真理教は、平成七年七月二九日付けの教団内通達において、「ヴァジラヤーナコース教学システム教本」及びこれを収録したテープの使用を禁止し、これを回収することとした。そして、「誤解を生じやすい教義、用語の公式解釈」と題する書面を信者に配布した(乙三五、一五九の2)。
さらに、オウム真理教は、平成七年一一月ころから平成八年一月ころにかけて、「尊師ファイナルスピーチ」と題する書籍を発行して信者に頒布した。右書籍は、従来の書籍、教学システム等に公表されたXの説法及びXに関係する記事をまとめたものであり、その注釈には、「この本は、あくまでも法則を遺すことを目的とした縮刷保存版ですので、普段の教学においては以前の出版物を活用するのが望ましいと思われます。」「金剛乗の誤解されやすい部分については、前後を削除してあります。」との記載があった。なお、右書籍には、従前の「教学システム教本ヴァジラヤーナコース」に収録されているXの説法五六話のうち五二話が収録されていた(前記二3⑦の説法は収録、⑧の説法は非収録。乙四〇、四三)。
また、Xは、破壊活動防止法に基づく第三回弁明期日(平成八年五月一五日)において、「タントラ・ヴァジラヤーナに係る書籍は封印し、これを使用禁止に付した」旨表明し、続いて、同第六回弁明期日(同年六月二八日)では、甲野花子が「教団として誤解を避けるために、既に教学システム教本ヴァジラヤーナコースの廃棄を決定している」旨表明した(乙三三、三四)。
4 教団とXとの関係
オウム真理教は、解散指定処分棄却決定後、平成九年七月から、「覚醒の時」「救済の道」と題する機関誌を概ね月一回発行して信徒に頒布し、これらに、カリスマ性を強調する印象を与えるX本の写真を掲載したほか、Xが行った説法を主要記事として掲載していた(乙四四の1ないし3、四五ないし六八)。これらの機関誌には、①「偉大なるグル」と題し、Xを「偉大なる完全なる絶対なるグル、真理の御魂、最聖X'尊師」と尊称した上、「尊師は常に弟子の状態をすべて把握されており、物理的な距離は関係ありません」などと記載した記事(「覚醍の時」平成一一年七月号及び八月号。乙四七、六五)。②「君たちは、一人一人が自分の心に、今日これから偉大なるシャンバラの救世主になるんだと。偉大なる魂になるんだと。そして、すべての魂を済度するぞ!すべての魂を必ず苦しみから解放するぞ!そのためには、日々、寸暇を惜しんで自分の修行を行ない、そしてそれと同時にすべての魂を救済する道筋を歩くんだと。そう誓ってほしい。」というXの説法(「救済の道」平成一一年五月号。乙六七)、③「尊師の予言によると、最終戦争をはじめとする世界的な規模の災禍が起こるまで、残された時間はわずかです。」「一九九九年ももうすぐ半ばです。まさに予言の年。今後どのような事態が世界に、そして日本に起こるかわかりません。」との記事(「覚醍の時」平成一〇年九月号、平成一一年五月号。乙四六、五九)などが掲載されていた。
また、オウム真理教は、Xの著書である「生死を越える」、「イニシエーション」、「マハーヤーナ・スートラ」などの読了を奨励し(乙六九ないし七二)、平成一一年七月ころにおいても、オウム真理教の多数の施設において、Xの写真が掲げられていた(乙二三)。
さらに、Dは、平成八年三月一五日の公判期日において、予言に関連して、以下のとおり意見陳述した。「私達は偉大な予言に基づいて生きています。それは全ての魂が幸福になり、精神的霊的に崇高な世界です。この世界の為に、X'尊師はあらゆる意味で重要な導き手になると私は考えています。オウム真理教の真理と真実も、一連の事件を含めて、その時真に明らかになるでしょう。予言とは神の言葉ですから、今まで全て現象化していることを信者の中で知恵あるものは理解していると思います。(中略)いにしえの聖者の例からしても、神の大いなる祝福を受ける為には、全ての魂への真の愛と、人間のありきたりの知性を越えた帰依と、現世の苦しみに耐える勇気が必要です。そのために私は努力し続けたいと思います。最後に、予言では、新しい時代の近づいている時、聖なる者が更に聖を行い、邪なるものがさらに邪を行うままにせよと言われています。」(乙一二四)
5 オウム真理教の信者については、地下鉄サリン事件以後、平成一一年一一月末までの間に合計四三〇人が逮捕・送検され、本件処分当時、約三七〇人が釈放ないし服役を終えていたところ、そのうちの約一〇〇名程度は引き続きオウム真理教の信者であった。そして、右の者のうち、有罪判決が確定した者は約三七名であり、そのうち六名は自動小銃密造や、サリン製造施設建設など、無差別大量殺人行為に関連する罪により有罪とされた者であり、この中には、正悟師(悟師)の位階を有する者も含まれていた(甲一四六、乙一〇三、乙一八〇の5)。
七 宗教団体・アレフの結成(甲一、原告代表者)
1 オウム真理教は、宗教法人解散命令や破防法に基づく手続及び一連の刑事事件の進行にもかかわらず、教団が地下鉄サリン事件等に関与したことを認めず、事件についての謝罪等を行わなかった。
2 Xは、平成一一年九月二二日、Qらの地下鉄サリン等被告事件の公判廷において、これまでの供述を覆し、オウム真理教の構成員が地下鉄サリン事件に関与したことを認める証言を行った。
これを機に、オウム真理教は、同年九月二九日に「オウム真理教休眠宣言」(甲五七)を発表し、対外的宗教活動を全面休止して、サリン事件への認識を含めた今後の教団の運営方針の見直しに取り組む旨を発表した。
その後、オウム真理教は、右見直しの結果として、同年一二月一日に、「教団正式見解」を発表した(乙一五九の18、19)。その内容は、「いわゆるオウム事件に関して、当時の教団関係者の一部が事件に関与していたことは否定できないと判断するに至った」「被害に遭われた方々をはじめ、ご家族の方々に対して、心からお詫び申し上げたい」「被害に遭われた方々等へできる限り補償をしていきたい」「オウム新法といわれる法律が成立しようとしていることは大変遺憾なことである」という趣旨のものであった。
また、オウム真理教の広報部は、長老部の構成員であった戊川三郎及び東野五郎が長老部を辞任し、平成一一年一二月二六日付けで辞任が受理されたことを明らかにした。もっとも、同年一二月二九日、Dが広島刑務所を出所したところ、戊川三郎はこれを同所内で出迎え、横浜支部まで帯同する活動をしており、東野五郎は、平成一二年一月五日及び一一日に信者に対して教団の今後の運営方針などについて説明を行っていた(甲一〇七、乙一七四)。
3 オウム真理教は、平成一二年一月一八日に、「事件に関する総合的見解及び抜本的教団改革の概要」を発表した(甲四、乙一五九の74、一七六)。その内容は、まず、Dによる事件に関する総合的見解表明の部分がおかれていたところ、①一連の事件については複数の幹部を中心とする一部の構成員が関与したことを認める、②当時の教団代表であったXについても、事件に関与したのではないかと思われるとの認識で一致した、というものであった。次に、甲野花子による抜本的教団改革の概要が示されているところ、その内容は以下のとおりであった。
① 名称・代表者を変更し、一部教義の破棄を再徹底すること
教団名をオウム真理教から、宗教団体・アレフとし、教団改革後はXを代表者とはせず、代表代行であった甲野がその任に就く予定であること。
新団体では教祖を置かず、X'開祖の位置付けは、あくまでも観想の対象・霊的存在であって、信者に指示する存在とはしないこと。新団体の根本的崇拝対象は、シヴァ大神と諸仏と定めること。グルとは経典の解釈者を表し、唯一絶対的な存在とは定義しないこと。
新団体の経典教材については、X'前代表の作った旧団体のインドヨーガ、原始仏教、大乗仏教の教えに限定した経典を作成し、基本経典とすること。刑事事件との関係を指摘されている危険とされる教義を破棄し、その実践を否定し、全信者に周知徹底させること。
② 違法行為の厳禁
入会を希望する者には誓約書の提出を義務づけ、誓約書では、新団体の構成員はあらゆる法令を遵守し、無差別大量殺人はもちろん、人を殺傷する行為は絶対に行ってはならないことを明確にし、たとえXの指示があったとしても、これに従うことを一切禁止すること。
③ 長老部の廃止
長老部を廃止し、各部署のリーダー数十名の集まりによって認められた十名ほどの執行部を設けること。
4 原告は、平成一二年二月四日、会員総会において綱領と規約を制定して採択するとともに、役員を選出し、宗教団体・アレフとして正式に発足した。発足当時の会員総数は四七〇名であった(甲五四ないし五六)。その後の加入者を含めると、独自行動をしているいくつかの小グループに属する者を除き、従前の法人格のないオウム真理教に属していたものの大半は原告に加入した。
原告に加入した者はすべて前記の誓約書を提出しており、その内容の誓約をしているが、原告の内部において、一連の地下鉄サリン事件等がどのようにして実行に至ったか、その再発を防止するためには、たとえXの指示があってもこれに従ってはならないなどについて、個々の信者ごとに具体的な指導や方針が周知徹底されることはなかった。また、信者の多くも、グルと弟子とは一対一の関係にあり、Xの指示により一連の事件に関与した者は、そうすることについて煩悩等の理由があったことから関与に至ったのであり、Xからそのような指示を受けていない以上、そのことについてどのように解釈すべきかわからないという態度をとっており、自らがXからそのような指示を受けた場合にどのようにすべきかという点について問題意識を持ったり、他の信者と話し合うということもなかった(原告代表者)。そして、原告の幹部らにおいても、今後Xが再び事件を起こすような指示をした場合に、信者の中に影響を受ける者が出ることは否定できず、それをどのようにコントロールするかが教団の課題であると考えている(証人戊川)。
八 本法の制定経緯
1 地下鉄サリン事件等の発生を受けて、第一三二回国会においては、「サリン等による人身被害の防止に関する法律」(平成七年四月二一日法律第七八号)が成立し、これにより、サリン等強い毒性を有する物質の製造、所持等を禁止するとともに、これを発散させる行為についての罰則及びその発散による被害が発生した場合の措置等が定められた。
また、国会においては、オウム真理教に関する質問が相次ぎ、このような事件の再発防止のため、おとり捜査、通信傍受、刑事免責など新しい捜査手法の導入の検討、組織犯罪に対する新規立法の必要性、破壊活動防止法の適用についての議論がなされた。これに対し、政府は、組織的な不正違法行為の処罰については現行法制によって対応することにさしたる支障はない旨答弁し(平成七年六月七日の参議院法務委員会における前田法務大臣の答弁)、また、当面は現行法を最大限に活用して取り組むこと、団体を対象とした法律は破壊活動防止法しかないという現状であるとの考え方を示した(同年一〇月一一日の衆議院予算委員会における村山総理大臣の答弁)。
2 平成八年一月、破壊活動防止法に基づく弁明手続が開始され、公安調査庁長官は、被告に対し、平成八年七月一一日、破壊活動防止法七条に基づくオウム真理教解散指定処分を請求したが、被告は、平成九年一月三一日、これを棄却した。
もっとも、右棄却決定においては、「本団体による過去一連の凶悪重大事犯にかんがみ、警察は、今後とも、本団体構成員による犯罪の予防に留意し、犯罪が発生した場合の捜査に努めるものと思われる。一方、公安調査庁も、本団体を調査対象団体に指定しており、本団体の危険性が消失しているとはいえない以上、今後とも、本団体が将来暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがないか否か調査を継続するものと思われる。当委員会としては、警察及び公安調査庁が、その職責上、今後とも、法令に則り、本団体の動向把握や所要の捜査、調査活動を継続するものと認識している。」との判断も併せ示された。
3 政府は、国会において、被告が右のような判断を述べたことからすれば、当局としては、そうした視点で団体に対して監視の目を緩めないという方針をとることを明らかにし(平成九年二月三日の衆議院予算委員会における橋本総理大臣の答弁)、また、破壊活動防止法が現在の社会の情勢の変化に照らして適正なものであるかどうかは大きな問題であり、今回の解散指定処分請求の手続及びその過程で発生した諸問題等を審査した上で適切に対応していく旨答弁した(同年二月一四日の衆議院予算委員会における松浦法務大臣の答弁)。
4 解散指定処分棄却決定後、オウム真理教は、信徒数及び施設数を増加させた。平成八年一一月当時における出家信者、在家信者の数は、それぞれ五〇〇名程度であったのが、平成一一年七月当時、在家信者が約一〇〇〇名程度となり(乙二五、二六)、教団関連施設は、解散指定処分棄却決定時に一三か所であったのが、平成一一年一二月一五日時点では三四か所に増加した。
また、サリンの製造に関わったことを理由とする殺人予備、殺人幇助等の罪に問われたオウム真理教の構成員に対する有罪判決は、平成八年ころから複数なされており、平成一〇年五月二六日には、地下鉄サリン事件の実行犯の一人に対する有罪判決の言渡しがなされ確定するに至っていたが、オウム真理教は、その構成員が地下鉄サリン事件等に関与したことについて謝罪や反省をすることなく、平成一一年六月に発行した「オウム真理教の現状と教団を取り巻く諸問題」と題する冊子(乙三八)においても、重大犯罪の有罪判決が次第に確定していき、残りの被告についてもほぼ有罪間違いなしというのが世論の大勢ではあるが、「X'尊師は無罪を主張しているし」「事実関係の確定がままならず」「事件について反省謝罪をする段階に至っていない」という姿勢を堅持することを明らかにしていた。
他方、平成一一年ころから、オウム真理教と、その施設周辺の住民及びその所在する自治体との間で紛争が頻発するようになり、長野県北御牧村、山梨県高根町、茨城県三和町、同県旭村、埼玉県都幾川村、滋賀県甲西町、埼玉県吹上町などにおいては、住民が監視小屋を設置したり、反対集会を開いたり、信者の子供の小学校登校の阻止行動をしたり、自治体が信者の住民票移転につき受理しない態度を示すなどの事件が生じた。
こうした事態を踏まえ、国会においても、オウム真理教の活動の実態に対する質問や再度破壊活動防止法に基づく解散指定請求を求めることなどについての質問がなされるようになったところ、政府は、法律の改正を念頭に置いて、所要の検討を事務当局に命じたことを明らかにした(平成一一年二月一七日の衆議院予算委員会における中村法務大臣の答弁、同年三月二三日の参議院法務委員会における陣内法務大臣の答弁)。
5 本法に係る法律案は、平成一一年一一月五日、衆議院本会議において、趣旨説明が行われた。法務大臣や政府委員が本法制定に当たって国会で行った本法判定の必要性等に関する説明は、次のとおりである。すなわち、教団がいまだに危険な要素を有したまま各地で施設の獲得を試みていることが、地域住民の不安を招いており、こうした住民の不安を払拭するために、教団の規制が必要であり(乙一五九の56、三頁)、そこでいう危険な要素の内容とは、第一に、教義の一部であるタントラ・ヴァジラヤーナは、その中核に、悪行を行う者について、それ以上の悪行を積ませないために早く命を絶つことも許されるとの危険な教えが含まれており、このような危険な教義を堅持していること、第二に、Xが教団において絶対的な存在であり続けていること、第三に、教団が地下鉄サリン事件を行ったことは明らかであるにもかかわらず、反省も謝罪もしないこと、第四に、教団が構成員を増加させ拠点を拡大するなど教団としての力量を増加させつつあることが挙げられていた(乙一五九の56、二頁。同59、一八頁、三〇頁。)。また、教団が平成一一年九月末に休眠宣言をした点については、一部の支部においては依然として信徒指導や集会を組織的に開催しており、破防法に基づく解散請求時にもいったん活動を自粛し請求棄却決定後に再び活動を活発化させたことにかんがみると、単なる規則逃れのための策動ではないかと指摘し(乙一五九の59、九頁)、タントラ・ヴァジラヤーナを一時封印したとの点についても、現実にはその内容を含んだ書籍を指導に用いているとし、現在もこれが教義の中心部分にあると指摘した。
その後、法務委員会における質疑及び参考人からの意見聴取を経て、一部修正がなされた。右修正は、①一条の目的に「例えばサリンを使用するなどして」及び「国民の生活の平隠を含む」との文言を追加したこと、②四条一項括弧書を追加したこと、②観察処分及び再発防止処分を受けた団体は、被告の職権による取消しを促すことができる旨の条文を追加したこと、④五年ごとに法律の施行状況について検討を加え、廃止を含めて見直しを行うこと等をその内容とするものであった。
なお、委員会における質疑において、現行法を適切に適用することによって一連の事件の発生を防止し得なかったのかという点が問題とされ、法務大臣がS弁護士一家殺害事件について捜査機関の調査が十分でなかったと答弁したが(乙一五九の56、一六頁、同59、一一頁)、それ以上に、捜査の手続や捜査機関の組織について具体的な改善策が検討されることはなかった。
本法に係る法律案は、同年月日、参議院で可決され、本法は同年一二月七日に公布され、同年一二月二七日に施行された。
九 オウム真理教における住民運動等への対応と教団改革の実行(甲一)
1 住民運動等への対応(甲三、二八、証人西山)
(一) オウム真理教は、平成一〇年以降、各地において、信者の居住を妨げるような住民による運動や地方自治体による住民票の不受理などの事態が発生するようになってきたことから、「地域問題緊急対策室」を設置し(乙一五九の31)、①地域社会に対して対話等を通じて必要な情報提供を行うこと、②信者に対しては必要な指導を行うこと、③国等に対して問題解決の協力を要請するなどの活動を行うこととした。そして、①に関しては、山梨県高根町、栃木県大田原市、東京都足立区、群馬県藤岡市などにおいて、それぞれ、地方自治体との話合いによる解決、住民登録の受理、施設内部公開、住民との通常の交流などを実現した。また、③に関しては、首相及び関係大臣に対し住民との間の調整等を求める申入書の提出、「オウム真理教対策関係市町村連絡会」に対する「申入書」の提出(乙一五九の33)、関係自治体への「謝罪ならびに謝罪申入書」の提出(甲一六九)などを行った。
もっとも、住民基本台帳法に基づく実態調査を拒否する事例や、施設の一部しか公開しない事例も存在した(乙一九〇)。
(二) なお、オウム真理教に対しては、警察により、捜索・差押が多数回に行われているところ、平成八年六月から平成一二年五月までの問において、その件数は合計約四〇〇件に及んでいた(甲三、甲四八)。
2 この間におけるオウム真理教関係者の言動等
(一) Xは、平成一一年九月二二日、東京地方裁判所におけるQほか一名に係る殺人等被告事件の公判期日に証人として出廷した際、人定質問の中でその職業について「オウム真理教の代表かつ教祖X'です。」と述べた(乙二一)。
(二) 正悟師である丁野二郎は、平成一〇年一〇月ころ、平成一一年に奈良県で大地震が発生し、九州や沖縄が沈没するとの告知を行い、さらに、平成一一年八月五日、支部長会議において、同年九月二日及び三日に西日本の地域で天変地異が起こる可能性が高いことから安全な場所に避難するように指示したことから、信者の中には、避難場所としてキャンプ場施設等の借上げをしたり、転居する者が現れた(乙一二一、一二六、一三二、一三三)。そして、平成一〇年一二月から平成一一年七月にかけて、茨城県、長野県、岐阜県などに所在するオウム真理教の施設において、米などの食料が大量に備蓄されていることが現認された(乙一三四、一七八)。
なお、被告は、平成九年四月以降も教団幹部らがXへの絶対的帰依や一連のサリン事件を含む殺人行為の肯定等を内容とする説法をしていると主張し、それらの一覧表として乙第一二六号証を提出するなどしているが、被告提出の証拠はいずれも伝聞に基づくものであって直接説法を聞いたものの氏名すら明らかになっていないことや説法全体の趣旨を明らかにしたものでないことに照らすと、これらによって説法の内容を認定することはできない。
3 謝罪と被害弁償
(一) オウム真理教は、平成一一年一二月一日の「教団正式見解」において、被害者への謝罪と補償の意向を明らかにした後、同年一二月二六日には、松本サリン事件被害者であるW宅を甲野原告代表が訪問し、教団代表としてお詫びの言葉を直接伝えた。また、原告は、平成一二年三月以降、サリン事体の被害者・遺族に対して、お詫びの手紙を送付するとともに、信者からもお詫びの手紙を送った(甲五八ないし九六、乙一五九の20)。
(二) オウム真理教は、平成一一年一二月二一日、長野県木曽福島町の信者名義の元旅館を同町に売却した代金四九七万円を、オウム真理教破産管財人に譲渡した(乙一五九の21)。さらに、平成一二年一月二九日、「新補償計画」として、原告が少なくとも月一〇〇〇万円、年間一億二〇〇〇万円を破産管財人等に支払うことを発表し、同年二月一日には、破産管財人が運営する「サリン事件等共助基金」に二五〇〇万円を振り込み、その後、後記(三)の破産管財人との賠償に関する合意が成立するまで、合計四三六〇万円を提供した。また、その後、長野県川上村や同県南相木村、埼玉県都幾川村、同県吹上町、栃木県大田原市などの教団関連施設及びそれに関する売却代金等総額約一億円以上を破産管財人に譲渡した(甲九七から一〇四)。
(三) 原告は、破産管財人との間で、平成一二年七月六日には、破産者オウム真理教の破産債権についての残債務全額約四〇億円を原告が引き受ける旨の契約をした。この契約により、原告は五年以内に九億六〇〇〇万円を破産管財人に支払い、その残りについては、「サリン事件等共助基金」に対して、経済情勢や支払能力に応じて支払っていくこととなった(甲五)。
第四 憲法違反の主張に対する判断
一 本法に基づく観察処分による規制の内容
1 観察処分を受けた団体には、当該処分が効力を生じた日から三〇日以内に、当該処分が効力を生じた日における①当該団体の役職員の氏名、住所及び役職名並びに構成員の氏名及び住所、②当該団体の活動の用に供されている土地並びに建物の所在、地積及び用途、③当該団体の資産及び負債等を報告する義務が生じ、また、当該処分が効力を失うまでの期間において、三か月ごとに、前記①ないし③の事項に加えて、④当該団体の活動に関する事項として、活動に関する意思決定の内容等を報告する義務が生じる(法五条二項、三項、施行規則六条)。
2 公安調査庁長官は、観察処分を受けている団体の活動を明らかにするため、公安調査官に必要な調査をさせることができ、当該団体の活動を明らかにするために特に必要があると認めるときは、公安調査官に、当該団体が所有し又は管理する土地又は建物に立ち入らせ、設備、帳簿書類その他必要な物件を検査させることができる(法七条一項、二項、二九条)。公安調査庁長官は、公安調査官に立入検査をさせようとするときは、あらかじめ、立入先及び予定日を被告に通報し、立入検査をしたときは、速やかに、被告に対し、当該立入検査の結果を通報する(施行規則二条一項、三号)。他方、立入り又は検査を拒むなどした者に対しては刑事制裁が科される(法三九条)。
3 公安調査庁長官は、都道府県又は市町村の長から請求があったときは、親察処分に基づく調査の結果(個人の秘密又は公共の安全を害するおそれがあると認める事項を除く。)を提供することができる(法三二条)。
4 法五条二項又は三項の報告義務を怠り又は虚偽の報告がされた場合、法七条二項の立入検査が拒まれ、妨げられ、又は忌避された場合で、当該団体の無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の程度を把握することが困難であると認められたときは、被告は、法八条に定める再発防止処分を行うことができる。右再発防止処分の内容としては、土地又は建物を新たに取得又は借り受けることの禁止、当該団体が所有し、又は管理する特定の土地又は建物の全部又は一部の使用の禁止、無差別大量殺人行為の関与者等が当該団体の活動に参加することの禁止、当該団体への加入等の禁止、金品その他の財産上の利益の贈与を受けることの禁止等が含まれる(八条一項、二項)。
二 信教の自由、プライバシー及び住居の平穏の侵害について
1 憲法二〇条一項前段は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と定め、同条二項は、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」と定めているところ、右条項の定める信教の自由には、個人の内心における信仰の自由及び宗教的行為の自由が含まれると解される。また、憲法二〇条一項後段が、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定め、憲法二一条一項が、集会、結社の自由を保障していることからすれば、信教の自由には、個人が宗教的行事を行うために集会し、宗教的目的のために団体を結成する自由、すなわち宗教的結社の自由が含まれると解される。そして、このことは、単に各個人に宗教的結社を設立する自由を保障するにとどまらず、その結果成立した宗教団体も、当該自由を憲法上享受できる主体として認められることを含むものと解すべきである。
2 憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めているところ、右条項は、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。
他方、憲法二〇条の信教の自由は、何人も、特定の宗教の信仰を有しているかどうかについて沈黙する自由も含むと解され、また、憲法三五条の規定する住居に侵入を受けることのない権利には、宗教的活動に供している住居ないし場所において平穏な宗教的行為を行うことにつき公権力から立入検査等の手段で妨害されない自由も含まれると解されるところ、これらの、いわば個人の私生活の自由の宗教的な側面については、これをプライバシーの権利と称するかどうかは別としても、右の各条項によっても保障されていることは明らかといわなければならない。
3 宗教団体は、前記1のとおり、宗教的結社の自由を享受し得るのであるから、これが侵害された場合には、自己固有の権利が侵害されたものとして憲法違反の主張をし得ることは当然である。さらに、宗教的結社においては、一般に、信者と団体が宗教を通じて密に結びつき、信者の宗教活動が団体活動として行われるものであることにかんがみると、宗教団体は、その構成員の私生活の自由の宗教的側面に公権力が干渉する場合や、宗教団体に対する規制を通じてその構成員の信教の自由が侵害された場合には、当該規制の違憲性を主張する適格を有すると解するのが相当である。
4 ところで、信教の自由は、個人の私生活の自由の宗教的な側面も含めて、それが純粋に内心の領域に属する限りにおいて、制約を許されないものであるが、憲法一二条が自由及び権利の濫用を禁止し、また、同一三条が自由については公共の福祉に反しない限りにおいて最大の尊重を必要とすると定めていることに照らせば、宗教団体又はその構成員が、外部的な行為を行い、それが他人の権利又は自由を侵害し、公共の利益を害する場合においては、当該宗教団体又はその構成員に対する規制が、信教の自由に対する内在的制約として許される場合があると考えられる。
もっとも、右の制限も、その目的及び規制手段については様々な態様のものが想定し得るものであるところ、当該制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、その制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。そして、仮に、当該規制の手段が、当該団体及び当該団体に属する信者の宗教上の行為を法的に直接制約する効果を伴わないものであったとしても、信教の自由に事実上の支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性にかんがみ、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。
5 観察処分による規制の内容は前記一のとおりであり、これに基づく報告義務の履行や立入検査それ自体によっては、当該団体の信者は、宗教上の行為を行い、又は宗教上の団体の運営を行うことが直接に妨げられるわけではなく、当該団体や当該団体に属する信者の宗教上の活動自体を直接的に禁止したり制限したりする法的効果を伴うものではない。
しかしながら、宗教団体が観察処分を受ければ、当該宗教団体は、その構成員を特定するに足りる情報を公安調査庁に対して報告する義務を負うことになるのであるから、右報告を強制されることにより、当該構成員の宗教的行為の自由の一内容である消極的信仰告白の自由、すなわち自己の信仰を外部的に明らかにしない自由が害されることが明らかである。また、観察処分を受けた宗教団体は、その組織、資産状況及び財政状態、意思決定内容のすべてを報告しこれを公安調査庁に対して報告する義務を負うのであるから、右報告を強制されることにより、宗教的結社の自由の一内容である、当該結社の自律的な活動に関わる情報を開示しない自由が侵害されることも明らかである。また、観察処分を受けたこと自体、また、当該団体による報告及び公安調査庁による調査の結果が地方自治体に提供され、国民に対して当該宗教団体及びその構成員の活動内容の重要な部分が開示されることを通じて、当該団体及び当該団体に属する信者の行う宗教上の活動において事実上の支障を生ずることがあり得ると考えられ、このことは、信教の自由の事実上の障害となると解される。
6 そこで、右のような観察処分が、信教の自由及び国民の私生活の自由の内在的制約として許容されるか否かについて検討する。
本法一条は、本法の目的について、団体の活動としてその役職員又は構成員が、例えばサリンを使用するなどして、無差別大量殺人行為を行った団体につき、その活動状況を明らかにし又は当該行為の再発を防止するために必要な規制措置を定め、もって国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保に寄与することを定めていることからすると、本法五条一項に基づく観察処分により保護される利益は、不特定多数人の生命・身体に対して極めて大きな被害をもたらし、平穏な国民生活にとって重大な脅威となる無差別大量殺人行為の対象とされないという、我が国の国民全体の生命・集体の安全及び生活の平穏にあるということができ、このような生命・身体の安全等の確保は、単に各個人の法益にとどまらず、公共の安全という社会的見地からも強く要請されるものであることは明らかである。
そして、無差別大量殺人行為は、それが実行された場合には重大な結果をもたらし、社会全体に著しい悪影響を及ぼすものであるが、その準備は、秘密裡に行われ、しかも迅速に実行に移されることもあるから、準備行為が開始された段階でこれを発見し対策を講じなければ、犯行を確実に防止することは困難である。また、無差別大量殺人行為は、それが一定の目的を達成する手段として行われた場合には、反復して行われ得るという可能性も大きい。したがって、かつて無差別大量殺人行為を行った団体が、当該行為後も従前の組織を実質的に維持しつつ引き続き活動を継続している場合において、再び同様の行為の準備を開始するおそれがあるときは、前記の法益を保護する必要から、これを準備行為の段階で発見するために、当該団体の活動状況を明らかにするという処分の目的自体については、合理性があるというべきである。
しかしながら、かつて無差別大量殺人行為を行った団体及びその構成員といえども、そのような行為に再び及ぶおそれがない限り、通常の宗教団体又は一般市民として信教の自由等を保障されるべきであるから、その信教の自由等の制限が許されるためには、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するという一般的、抽象的な危険があるというだけでは足りず、その具体的な危険があることが必要であり、かつ、その場合においても、観察処分による制限の程度は、右の危険の発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。
そして、右制限を正当化するに足りる具体的な危険が存在するか否かについては、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始する恐れが常に存在すると通常人をして思料せしめるに足りる状態が存在するか否かについて、当該団体の組織、構成員、綱領、教義、活動状況などの具体的な事情を基礎として客観的に判断すべきものと解される。したがって、かつて無差別大量殺人行為を行った団体に対して観察処分を行う場合には、その要件として、右の意味における危険性を備えていることを要すると解すべきであり、そうでない限り、観察処分を行うことが右の危険の発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまっているものとはいえないと解される。
7 これに対して、被告は、観察処分は、無差別大量殺人行為の危険性を有するか否かを明らかにするために、一定の期間当該団体の活動状況を明らかにし、その危険な要素の程度いかんを把握することを目的とする処分であって、その処分の性質からして、処分の要件として現実的危険性そのものを要求することはあり得ないと主張する。また、被告は、オウム真理教に対する解散指定処分請求において破壊活動防止法七条の要件に該当するとは認められないと判断されたことを受けて本法が制定されたという経緯からすれば、本法は、破壊活動防止法にいう将来暴力主義的破壊活動を行う「明らかなおそれ」という将来の蓋然性とは異なる観点から規制を行おうとするものであると主張し、本法五条一項一号から三号までの要件は、単に文言に形式的に該当すれば足り、各号に規定されている者が無差別大量殺人行為を再度実行するような権限ないし影響力を有していることが必要でなく、同項五号の要件についても、一号から四号までの例示的規定と同種又は類似の危険な要素を有すれば足り、Xの指示があれば直ちに無差別大量殺人行為の準備行為に着手するおそれの存在を要するものではないと主張している。
確かに、前記認定の立法経緯からすると、本法が破壊活動防止とは異なった観点からの規制を目指したものであると認められるし、前記の検討からすると、本法による規制を正当化するのに、直ちに無差別大量殺人行為が実行されること自体についての具体的危険までは必要でないと考えられる。
しかしながら、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するとの点についての具体的危険すら存在しない場合には、観察処分を行うことは憲法に違反する行為といわざるを得ないのであるから、被告の右主張のうち、本法五条一項一号から三号まで及び同項五号の解釈を前提とすると、これらの要件のみを前提として観察処分を行うことは憲法に反するものであり、右各号の規定も憲法に反するものというほかなくなるのである。そして、法五条一項五号は、観察処分の要件の一つとして、「当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があること」を掲げており、右条文は、当該団体が無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があることを観察処分の要件としているものというほかないのであり、その趣旨は、少なくとも当該団体に再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するとの点についての具体的危険を要するものと解すべきであるし、同号がその前の一号から四号を受けた規定であることからすると、右各号についても同様の具体的危険性を要求する趣旨の規定と解するのが相当である。
したがって、右各号に関する被告の主張は、本法の解釈を誤ったものというべきであるし、本件処分もまた、同様の解釈を前提としている点において、誤った判断をしているものというほかない。
そして、被告は、この点について、当裁判所から別異な解釈を主張する意思の有無についての釈明を受けたにもかかわらず、これに応じなかったのであるから、広義における当事者主義の観点及び被告が本法に精通しているべき行政庁であることに照らすと、右各号該当性に関する限り、具体的事実関係を検討するまでもなく被告の主張を排斥することも考えられないでもないが、この点は法解釈上の問題であって弁論主義の妥当するものではなく、しかも、原告が積極的に自己に危険性のないことを主張立証していることにかんがみ、以下においては、まず、本法五条一項について当裁判所が正しいと考える解釈を示し、次に、後記第五において、この解釈を前提として本件処分時において原告が同項各号のいずれかに該当する団体であったか否かについて判断することとする。
8 そこで、右の観点から法五条一項を検討するに、同項は、無差別大量殺人行為を行った団体に対して観察処分を行うことができる要件について、①当該無差別大量殺人行為の首謀者が当該団体の活動に影響力を有していること(一号)、②当該無差別大量殺人行為に関与したものの全部又は一部が当該団体の役職員又は構成員であること(二号)、③当該無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の役員(団体の意思決定に関与し得る者であって、当該団体の事務に従事する者をいう。)であった者の全部又は一部が当該団体の役員であること(三号)、④当該団体が殺人を明示的又は暗示的に勧める綱領を保持していること(四号)、⑤前号各号に掲げるもののほか、当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があることのいずれかに該当し、その活動の状況を継続して明らかにする必要があると認められる場合と規定している。
しかるところ、右6の観点からすれば、法五条一項一号ないし四号が定める要件は、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するおそれが常に存在すると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあることを基礎付ける事実を定めているものとして解釈されなければならない。
このことを前提とすると、一号にいう首謀者の「影響力」についてみれば、無差別大量殺人行為の首謀者が、純粋な宗教上の活動における影響力を有しているという事実だけでは、当該団体が無差別大量殺人行為を再び行い不特定多数人の生命・身体に脅威を及ぼすおそれがあると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあることを基礎づけるに足りる事実とは言えないことは明らかであるから、右「影響力」とは、将来、首謀者が再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力を有していることと解すべきである。
また、二号にいう無差別大量殺人行為に関与したものの全部又は一部が当該団体の「役職員又は構成員であること」についてみれば、それらの者の無差別大量殺人行為への関与の程度も様々であり、単にそれらの者が当該団体において何らかの「役職員又は構成員」としての地位を有しているだけでは、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為に着手するおそれが常に存在すると通常人をして思科せしめるに足りる状態にあることを基礎付ける事実とは言えないことは明らかであるから、右「役職員又は構成員」とは、Xの指示又は影響力により、又はそれとは無関係に、無差別大量殺人行為の準備行為に着手し得る権限ないし影響力を伴った地位を有することと解すべきである。
さらに、三号にいう無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の「役員であった者」の全部又は一部が当該団体の「役員であること」についてみれば、地下鉄サリン事件等当時においてサリン事件の実行行為とは直接の関係を有しなかった役員の存在も想定し得るのであるから、単にそれらの者が当該団体において「役員」としての地位を有しているだけでは、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為に着手するおそれが常に存在すると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあることを基礎付ける事実とは言えないことは明らかである。したがって、それらの者が、再びXの指示により、又はその指示とは無関係に無差別大量殺人の準備行為に着手し得る権限ないし影響力を伴った地位を有することが必要であると解すべきである。
9 なお、原告は、信教の自由を侵害する規制の可否を検討するに当たっては、より制限的でない代替手段の有無を検証すべきであるのに、国会における本法の審議過程においては、この点が検討された形跡がないと主張する。
確かに、前記認定のとおり、国会審議においても、本法以外の現行法によって無差別大量殺人行為を未然に防止し得なかったという点は指摘されていたにもかかわらず、具体的な検討がされた形跡はなく、立法時における検討が不十分であったというほかない。しかも、この指摘に対して、法務大臣がS弁護士一家殺人事件については捜査機関の調査に不十分な点があったことを認めており、このことからすると、捜査機関が十分な調査を行っていれば、同事件が早期に解決され、その後の一連のサリン事件等を未然に防止し得た可能性もないではなく、この点のみをみると、現行法を適切に運用することによって無差別大量殺人行為を未然に防止することも可能であるといえないでもない。
しかし、これは現行法が全く誤りなく理想的に運用されて初めて可能となることであり、法を実際に運用するのが人間である限り、このような運用を常に期待することは不可能であって、このことは現にサリン事件等を防止し得なかったことによって明らかというほかない。すなわち、本法以外の現行法によっては、無差別大量殺人行為を未然に防止することには、万全を期し難いのであり、その結果の重大さにかんがみると、さらに一歩踏み込んだ規制が必要であったということができる。そして、本法に基づく観察処分は、前記のとおり、当該団体の構成員の消極的信仰告白の自由及び団体自体の自律的な活動に関わる情報を開示しない自由を侵害するものではあるが、当該団体やその構成員の宗教上の活動を直接的に禁止したり制限するものではないのであり、いわば憲法が保障する自由権の中核を侵すものではない点において、制限の程度の低い規制といえるし、これより更に制限の程度が低く、しかも無差別大量殺人行為の防止に資する規制方法については、原告も具体的には主張していないし、にわかに想定し難いというほかないから、結局、本法に基づく観察処分については、他により制限的でない代替手段は見出し難く、この点についての立法時の検討に不十分な点があったとしても、そのことが観察処分の憲法適合性を左右するものではない。
また、原告は、プライバシーの干渉をもたらす法令には、干渉が許される条件を正確に細部にわたって明記しておかなければならず、また、事後的にプライバシー侵害に対する救済制度が設けられるべきである旨主張する。
そこで検討するに、法七条二項は、公安調査官が行う立入検査について「団体の活動状況を明らかにするために特に必要があると認められるとき」とのみ規定しており、個々具体的な立入検査の許否について右以上に詳細な要件を定めることなく、公安調査庁長官の裁量にゆだねている。しかしながら、無差別大量殺人行為の組織性・密行性という性質からすれば、被告によるある程度包括的な授権のもとに、一定期間、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性の有無を調査することが公益上必要であるとの考え方には合理性があると解されるところ、①このような授権を行う性質を有する観察処分を行う被告は、独立性の高い準司法機関であること、すなわち、被告は、行政機関の一つではあるが、法務省の外局として設置され、委員長及び委員六名をもって組織され、委員長及び委員は人格が高潔であって団体の規制に関し公正な判断をすることができかつ法律又は社会に関する学識経験を有するもののうちから両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命し、独立して職権を行うこととされていること(公安審査委員会設置法一条、三条、四条、五条)、②観察処分の決定をするに当たっては、後記三2(二)及び(三)のとおり、意見聴取手続を経るなど被請求団体に対して一定の手続保障が与えられていること、③公安調査庁は、観察処分の請求をするとき又はその後において、当該処分に係る団体が所有し又は管理すると認める土地又は建物について、これを特定するに足りる事項を記載した書面を被告に提出しなければならないとされており(法一三条)、その結果、被告においては、観察処分を決定するに当たり、公安調査庁が立入検査をしようとする土地又は建物について把握できていること、④観察処分の期間は、三年を超えない期間においてのみ有効とされること(法五条一項)などを考慮すれば、法七条二項が直ちにプライバシーの干渉を正当化するに必要な事前手続及び事後の救済手続を欠くとまではいえないと解すべきである。
10 以上によると、本法に基づく観察処分は、五条一項一号から三号まで及び五号を前記6のとおりに解釈して運用する限りにおいては、原告及びその構成員との関係で、信教の自由、プライバシー及び住居の平穏に関する憲法上の保障に反するものではなく、これらに関する憲法の規定と趣旨を同じくするB規約の規定に反するものでもない。
三 その余の憲法違反の主張について
原告は、そのほか、本法に基づく観察処分は、平等原則、適正手続、令状主義並びに一事不再理及び二重の危険の禁止に違反する点で憲法及びB規約に違反すると主張するが、次に説示するとおり、これらの主張はいずれも採用できない。
1 平等原則違反について
(一) 憲法一四条一項は、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」と定めているところ、右にいう信条には、宗教的信仰を含むと解される。
(二) ところで、本法による観察処分は、法四条に定める無差別大量殺人行為を行った団体で法五条一項の要件を満たすものである限り、当該団体が宗教団体であるかどうかを問わず適用されるものであり、また、当該団体が宗教団体であったとしても、特定の宗教的信仰を有する者又は宗教団体に限定することなく、中立的に等しく適用されるものであることは明らかである。さらに、特定の宗教団体に対して観察処分が課されたとしても、原告と、非宗教団体又は他の特定の宗教団体との間で、異なる負担が課されるものではない。
このような本法の内容に照らせば、本法は、一般的・抽象的法規範としての性格を有していることが明らかであって、宗教法人オウム真理教の構成員が地下鉄サリン事件等を実行したことが本法の立法の背景事情の一つであり、また、立法的において本法の現実的な適用対象として想定された団体が宗教団体オウム真理教であったからといって、直ちに、本法が、宗教団体オウム真理教を唯一の適用対象とする措置法(処分的法律)であるということはできない。
よって、本法が憲法一四条の保障する平等原則に違反するという原告の主張は、その前提において採用できないから、原告の主張する緊急避難の法理の当否について判断するまでもなく、原告の右の点の主張は理由がない。
2 適正手続違反について
(一) 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会をどの程度与えるかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ず刑事手続と同様な手続を経ることを必要とするものではないと解するのが相当である。
(二) ところで、被告が本法に基づいてする観察処分については、行政手続法三章の規定の適用及び行政不服審査法による不服申立てが排除されている(法三三条、三四条)が、観察処分に先立って、意見聴取手続を行うべきことが定められている。すなわち、①被告は、公安調査庁長官から観察処分の請求があったときは、原則として、公開による意見聴取を行うこと(法一六条)、②右意見聴取に当たっては、被告は、当該団体に対し、期日の七日前までに、請求に係る処分の内容及び根拠となる法令の条項、請求の原因となる事実等を通知し、官報に公示すること(法一七条一項、二項)、③期日の冒頭において、公安調査庁の職員が、その期日に出頭した者に対し、請求に係る処分の内容及び根拠となる法令の条項、請求の原因となる事実を説明すること(法一九条二項)、④当該団体の役職員、構成員及び代理人は、五人以内に限り、意見聴取の日に出頭して、当該処分を行うことについて意見を述べ、証拠書類等を提出し、被告が指名する被告の委員長又は委員の許可を得て公安調査庁の職員に対して質問を発することができ、また、意見聴取の期日への出頭に代えて、被告に対し、意見聴取の期日までに、陳述書及び証拠書類等を提出することができること(法二〇条一項ないし三項)、⑤被告は、一七条二項で定める公示の日から三〇日以内に処分の請求に係る事件について決定をするように努めなければならないこと(法二二条二項)が定められている。
(三) また、証拠(乙二、三の1ないし3、四の1ないし3、五、六)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、本件処分に当たって、平成一二年一月五日、意見聴取の通知を官報に公示したこと、その後、被請求団体の代理人から、公安調査庁長官から提出された処分請求書及び証拠書類等の謄写あるいは複写物の交付を求める申入れを受けたので、処分請求書及びこれに添付された証拠書類等をすべて同代理人に対し開示したこと、被告は、同月二〇日午前一〇時から午後五時ころまで、被告の委員長及び委員全員、公安調査庁職員及び甲野、被請求団体の代理人四名の出席の下、意見聴取期日を開催したこと、右期日においては、被請求団体側出頭者による質問及び意見の陳述が行われ、同月二四日、右意見聴取手続が終結したこと、同月二八日、被告は本件処分をしたことが認められる。
(四) 以上に基づいて検討するに、本法五条一項に基づく観察処分により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり、当該団体に一定の作為義務(報告義務)ないし不作為義務(立入検査の受忍義務)を課すものであり、反面、右処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等についてみると、無差別大量殺人行為が、不特定かつ多数人の生命身体に極めて甚大な被害をもたらすものであって平穏な市民生活にとって重大な脅威となる上、事前防止が困難で反復性が強いという特性を有することにかんがみ、公共の安全の確保が極めて強く要請されるものであることなどを総合較量すれば、本法に定める意見聴取手続は、憲法三一条の法意に反するものとまでいうことはできないと解すべきである。
(五) これに対して、原告は、本法において、①証拠調べ手続、証人による心証形成を全く予定されていない点、②被請求団体は、公安調査庁の職員に対し質問をすることができるだけで、質問の結果明らかになる具体的な事実評価の違いなどについて、さらに処分請求者との間で議論を深め、証拠価値ないし信用性を吟味するという手続が全く予定されておらず、事実認定手続の基本である対審的事実審査が認められていない点、③処分請求の公示のあった日から三〇日以内に決定するよう要求されており、慎重な審査を最初から放棄している点をもって憲法三一条違反を主張する。
しかしながら、憲法三一条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とはその性質において差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に与える事前の手続保障の程度は、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであることは前記(一)のとおりである。
しかるところ、観察処分に当たっては、その決定に先立って、意見聴取手続を行うべきことが定められており、その内容は前記(二)のとおりであるところ、これらの手続は、原告が指摘する諸点において、破壊活動防止法の解散指定処分の請求における審査手続よりも簡易なものではある(同法二二条二項、一四条参照)が、破壊活動防止法における解散指定処分と本法における観察処分とを比較すれば、解散指定処分が団体としての活動を禁止する効果を有する(同法八条)のに対して、観察処分は報告義務及び立入検査受忍義務を課されるにとどまるものであることにかんがみれば、本法が破壊活動防止法に定める手続保障と同程度のものを規定していないからといって、憲法三一条の法意に反するとまではいえないと解すべきである。
よって、本法が憲法三一条に違反するとの原告の主張は採用できない。また、B規約一四条一項の趣旨も憲法三一条の趣旨と異なるところはないと解されるから、右条項に違反するという原告の主張も採用できない。
3 令状主義違反について
(一) 憲法三五条の規定は、本来、主として刑事手続における強制につき、それが司法権による事前の抑制の下に置かれるべきことを保障した趣旨のものであるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における強制の一種である立入りにすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、当該立入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるかどうか、また、強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。
(二) これを本件についてみると、本法七条二項は、公安調査庁長官は、法五条一項の処分を受けている団体の活動状況を明らかにするために特に必要があると認められるときは、公安調査官に処分を受けている団体が所有し又は管理する土地又は建物に立ち入らせ、設備、帳簿書類その他必要な物件を検査させることができる旨を規定しているが、その際に裁判定の令状を要求していない。
しかしながら、右立入検査の権限は犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならないと規定され(法七条四項)、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものではないこと、強制の程度、態様自体は、直接的物理的なものではなく、立入りの拒否等について罰則を科すにとどまり(法三九条)、間接的心理的に立入りの受忍を強制しようとするものにすぎないこと、個々的な立入検査の前提となる観察処分については、前記のとおり、公安調査庁長官がその請求を行うに当たり警察庁長官の意見を聴取し準司法機関である被告が公開による意見聴取手続を実施することとされ、立入検査先の土地建物の範囲について被告が把握できる制度となっていることからすれば、観察処分に基づく立入検査に裁判官の令状発付を要件とせず、個別の機会における立入検査について被告による審査にかからしめているとしても、本法七条二項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえない。
4 一事不再理及び二重の危険の禁止違反について
憲法三九条は、何人も、すでに無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われず、また、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない旨規定し、一事不再理ないし二重の危険の禁止を定めている。
ところで、オウム真理教は、平成七年一二月、公安調査庁長官から、破壊活動防止法に基づく解散指定処分の請求を受けたが、被告において、「継続又は反復して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれ」があるか否かの審査を受けた結果、そのおそれのないことが被告の棄却決定によって認定されていることは、前記のとおりである。
しかしながら、憲法三九条の規定する一事不再理及び二重の危険の禁止の法理は、刑事手続における適正手続の保障の一つとして、ひとたびされた確定判決が不利益に変更されて、国民が法的不安定の下に置かれることを防ぐ趣旨であると解される。しかるに、法が規定する観察処分は、刑罰ではなく行政処分であるから、右一事不再理効ないし二重の危険禁止の各法理が直ちに適用されるものではないというべきである。
よって、本法について、憲法三九条を根拠に違憲の主張を行うことは、その前提において失当であるというべきである。
第五 本件処分の適法性に関する判断
一 法五条一項にいう「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」の該当性について
1 法五条一項にいう「無差別大量殺人行為」とは、破壊活動防止法四条一項二号へ「に掲げる暴力主義的破壊活動であって、不特定かつ多数の者を殺害し、又はその実行に着手してこれを遂げないもの(この法律の施行の日から起算して十年以前にその行為が終わったものを除く。)をいう」のであり(法四条一項)、破壊活動防止法四条一項二号へは、政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって、刑法一九九条に規定する行為をすることを「暴力主義的破壊活動」と定義している。
また、法五条一項にいう「団体」とは、特定の共同目的を達成するための多数人の継続的結合体又はその連合体をいい、ある団体の支部、分会、その他下部組織も、この要件に該当する場合には、本法による規制を行うことができるものとされている(法四条二項)。
2 前記第三で認定したところによれば、宗教法人オウム真理教は、その法人としての目的からも明らかなように、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目的とした宗教団体であり、信者に対して宗教上の救済をもたらすことを第一義的な目標としていたものであったが、「日本シャンバラ計画」を推進して「真理の実現」をし、救済を行うには「政治を本当に徳の政治」に変えることが必要であるという方針をXが打ち出したことに伴い、純粋な宗教活動に加えて、世俗的な政治活動をも団体の活動として取り込むこととなり、実際にもX及び多数の構成員が衆議院議員選挙に立候補するに至ったものであること、さらに、右選挙における失敗の後、Xは、「武力による破壊」で救済を行うとの方針をとるようになったこと、他方、Xは、予言研究を通じて、迫り来る「ハルマゲドン」に備えて救済計画を実現しないと救済が間に合わなくなると説くようになり、救済の実現には、救済へのもっとも早道となるタントラ・ヴァジラヤーナの方法をとるべきであると述べ、オウム真理教は「単なる宗教団体ではなく、世界統治の機構に変化する時期が来ると予言されている」とまで述べるに至ったこと、そして、生物兵器の開発、サリンの生成、自動小銃の製造、軍事訓練などを行ったほか、統治機構の整備や基本法令の整備に着手していたことが認められるところ、このような状況の下で松本サリン事件及び地下鉄サリン事件が宗教法人オウム真理教の構成員により実行されたものであることからすれば、地下鉄サリン事件は、政治上の主義若しくは施策を推進する目的をもってされたものと解するほかない。
これに対して、原告は、オウム真理教が政治目的を持った事実はなく、地下鉄サリン事件等も政治目的とは無縁であり、各事件について出された判決はいずれも政治目的を認定していないと主張する。
しかしながら、刑事判決においては、刑事実体法に規定された構成要件該当性の有無を中心に認定判断がされるのであって、講学上の目的犯のような特殊な犯罪が問題となっている場合を除き、犯罪の目的のすべてが認定判断されるとは限らないのであるから、刑事判決に認定がないことのみをもって政治目的の存在を否定することはできない。その上、Xが、教団を指導するに当たって、宗教上の救済を装いつつ、それを世俗的な面でも実現すべく、予言を付加するなどして次第に変容させ、ついにオウム真理教を「世界統治の機構」たる団体であるとするに至ったものであることは前記認定のとおりであって、通常人からみるとそれ自体いささか荒唐無稽であり、常軌を逸していると考えられないでもないが、宗教法人オウム真理教の組織運営は前記認定のとおりXが専行していたのであるから、Xが前記のような発言をして法人の活動を指導していた以上、法人の活動において宗教と政治とが渾然一体となっていたものというほかなく、法人として、政治上の主義若しくは施策を推進する目的を有していたというべきであって、原告の右主張は採用できない。
したがって、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件は、「破壊活動防止法四条第一項第二号に掲げる暴力主義的破壊活動であって、不特定かつ多数の者を殺害し、又はその実行に着手してこれを遂げないもの」に該当するというべきである。
3 また、右両事件は、Xの説く宗教と政治とが渾然一体とした指導に従い、Xに対する絶対的帰依を要求する当時のオウム真理教にあって、その資金と施設を利用して製造したサリンを利用し、その構成員により実行されたものであるから、宗教法人オウム真理教の「団体の活動として」行われたことは明らかである。
これに対して、原告は、オウム真理教の大部分の信者は、政治上の主義を自覚的に認識していたことはなく、地下鉄サリン事件等の一連の事件についても知らされていなかったものであるから、右一連の事件は宗教法人オウム真理教の活動として行われたものではなく、仮に、それが何らかの団体の活動であるとするならば、その団体とは一連の事件に関与した者らのみによって構成される結社であって、オウム真理教とは別の団体であると主張する。
しかしながら、前記第三で認定したとおり、オウム真理教の信者は、「グル」であるXに対する強い帰依を求められ、Xにおいては、教団の組織運営を専行しつつ、薬物を使用した修行を行うなどして自らの説く教義のもとに信者を統合しようとするとともに、位階制及び省庁制を通じて出家信者を組織し教団内の事務につき一定の役割を担わせていたものであるところ、このような教義を背景とした団体の組織性に照らせば、オウム真理教の教義に基づく活動の一部について自覚的な認識のない信者が多かったとしても、そのことのみをもって、「団体」としての統合性がないとまではいえず、また、当該活動が「団体の活動として」行われたものではないとはいえない。よって、原告の右主張は採用できない。
4 ところで、前記第三で認定したところによれば、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件を実行した宗教法人オウム真理教については解散命令が確定し、また、Xはオウム真理教の代表者たる地位や教祖たる地位から退き、危険とされる教義の一部を「封印」する旨表明したことが認められるものの、本件処分当時に存在していた任意団体たるオウム真理教は、①その教義は依然として宗教法人オウム真理教においてXが説いた説法をもとにして構成されていること、②Xを引き続き観想の対象とし、修行においてはXに対する強い帰依が求められ、位階制度や修行方法に特段の変化がないこと、③教団の運営は引き続き宗教法人オウム真理教において正悟師の位階を有していた幹部信者により行われていたこと、④D及び甲野は、本件決定がされる直前の平成一二年一月一八日に「事件に関する総合的見解及び抜本的教団改革の概要」を発表したとはいえ、その時点においては、いわば改革の端緒の段階にあったに過ぎず、他方において、Xは、平成一一年九月二二日のQらに係る殺人等被告事件の公判期日において「職業はオウム真理教の代表かつ教祖」である旨述べたこと(乙二一)からすれば、団体としての実質において宗教法人オウム真理教と同一性を有していたというべきである。
したがって、本件処分当時に存在していた任意団体たるオウム真理教は、「団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」に該当するというべきである。
二 法五条一項各号の各要件該当性及び同項にいう「活動状況を継続して明らかにする必要」について
1 まず、法五条一項二号及び三号該当性を検討するに、被告は、二号該当性の点について、サリン事件に関与したX及び北山四郎が依然として前者は代表者及び構成員として後者は構成員として教団にとどまっていると主張し、三号該当性について、事件当時に文部省大臣であった戊川三郎と車両省大臣であった東野五郎がいずれも教団の長老部を構成する役員であると主張している。
しかしながら、Xは、少なくとも形式上は教団の代表者とされていないことが明らかである。このように形式的には代表者でない者も、実質的にみて代表者と評価し得る場合もあるが、そのためには単に団体の運営に影響力を有しているだけでは足りず、実際にその影響力を行使して実質的に団体の運営を行っていることが必要であるというべきである。このような観点から考えると、Xは、後記のとおり今なお教団に対してかなりの影響力を有しているが、前記設定のとおり、その私選弁護人が解任されてからは教団と連絡が取れない状況にあり、それ以降かなりの期間にわたって、教団はXの意向に基づかないで運営されているのであるから、現に影響力を行使し実質的に教団の運営を行っているとはいえない。したがって、Xは、後記のように教団に対して影響力は有しているが、その代表者であるとは認め難い。また、被告は、Xが処分時にも教団の構成員であったと主張し、この主張がXが代表者であることを前提しない主張を包含するものか否かは明らかではないが、刑事被告人として身柄を拘束され、教団と長期間連絡が取れない状況にあること、前記認定のように、教団がXを教祖ではなく開祖と位置付けるに至ったことに加え、教団がXを構成員として取り扱っている具体的な事実も見当たらないことからすると、Xが現在も教団の構成員であるとは認め難い。北山四郎については、証人戊川三郎の証言及び原告代表者尋問の結果によると、サリン事件に関与したことにより身柄を拘束された後、特に教団から脱会するとの明確な意思表示はしていないものの、教団とは一切連絡をとっておらず、教団側も同人を構成員とは考えていないのであり、しかも、教団としてはサリン事件に関与して有罪となった者は当然には教団への復帰を認めず事件について反省しているか否かを確認して復帰させるか否かを決めることとしていることが認められるから、同人は本件処分時において教団の構成員であったとは認められない。
また、戊川三郎及び東野五郎が事件当時に教団の大臣の地位にあったことは前記認定のとおりであるが、それは少なくとも宗教法人法に定める役員ではないのであるから、実質的に教団の意思決定に関与し得る地位にあったと認められて初めて本法にいう役員に該当するというべきところ、教団の組織運営は前記のとおりXが専行していたのであるから、大臣らは教団の意思決定に関与し得る地位にあったとは認め難く、右両名が本法にいう役員に当たるとも認め難い。
そうすると、法五条一項二号及び三号につき、前記第四、二6のように限定的な解釈をとるまでもなく、教団が、本件処分当時、右各号に該当したものとは認め難い。
2 次に、法五条一項一号、四号及び五号該当性について検討するに、法五条一項各号については、前記第四、二6ないし8のとおり、観察処分の要件として、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するおそれが常に存在すると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあることを基礎付ける事実の存在を要することを定めているものと解すべきである。
3 右の解釈を前提として検討するに、原告は、オウム真理教が無差別大量殺人行為を引き起こした要因として、①Xの宗教的指導者としての立場、②Xを神格化した予言の影響力、③Xに対する絶対的帰依を作り上げた人的関係、④タントラ・ヴァジラヤーナの教義を挙げているところ、この主張については、地下鉄サリン事件の実行犯であるRが、「Xは、Xのことを真理勝者であると信じている忠実な弟子の数が多数となり、多額の金が集まり、毒ガス等の武器製造に成功して具体的な力を蓄えるにつれて、ハルマゲドンの勃発を思わせるような状況を演出して、真理勝者としての虚像を維持しようと考えたものと思います。」と供述していること(乙一八二)ともある程度符合し、事件の分析として一定の合理性を有すると解される。
そして、原告は、右各要因に関して、原告である宗教団体・アレフの組織改革等を見ると、①については、Xを経典の解釈者としてのみ位置付け、崇拝の対象から排除しており、Xは信者を直接指導する立場にはなく、教団の運営に関与することができなくなっていること、②については、宗教団体・アレフにおいては、予言を教義からはずしており、Xを予言された救世主と認めていないこと、③については、もはやXと信者が人的関係を構築することは不可能であること、④については、タントラ・ヴァジラヤーナの危険とされる教えは破棄しているとし、もはや原告には無差別大量殺人行為に結びつく危険性はないと主張する。
確かに、教団の教義が原告主張のように改められたことは、前記認定のとおりであり、このことが表向きだけのことで実質的には従来どおりの教義が行われていると認めるに足りる証拠はないから、教団に法五条一項四号該当性があるというのには疑問がある。
しかしながら、原告が①ないし③で指摘するXの影響力は、その引き起こした事件が常軌を逸するほどに重大なものであり、しかもその準備には多大の資金及び労力等かなりの組織力と時間を要するにもかかわらず、これを秘密裡に行い得たことに照らすと、非常に重くかつ深いものがあると考えられるのであり、これが右のようないわば上からの改革によって一朝一夕のうちに消滅ないし著しく減衰するものとは到底考えられない。このことは、前記第三の六及び九2で認定したとおり、オウム真理教が、既に教団が殺人予備行為を行ったとする宗教法人解散命令が確定し、破防法に基づく手続において事件への教団の関与が認定された上、Xをはじめとして多くの教団構成員がサリン事件によって逮捕され起訴されていたにもかかわらず、平成一一年九月二九日に休眠宣言を行うまで、サリン事件については事実関係の確定がなされず事件について反省謝罪する段階に至っていないとする一方、Xの説法を教義としてそれを修得することを修行の重要な部分とし、Xを観想の対象として強い帰依を求め、Xの予言ないし終末思想を信奉して、Xを救世主と観念するとともに、その予言どおりハルマゲドンは確実に近づいているとし、教義についても、タントラ・ヴァジラヤーナに関する説法を含む「尊師ファイナルスピーチ」が必ずしも完全ではなく以前の出版物を活用することが望ましい旨の指摘をしていたことなど、教団が公式にXの影響を脱することを表明するに至るまでに長い期間を要したことにも端的に現れているところである。このようなXの影響力にかんがみると、教団の構成員が原告が指摘するXの影響力から真に離脱するには、綱領や規約を定めたり、各構成員から一片の誓約書を徴するだけでは到底足りないのであって、教団幹部が、構成員の末端に至るまで長い時間をかけてサリン事件の原因等について説明し、かつ二度とこのような事件を起こしてはならないことを十分に説得し、構成員がこれを心底から納得したことを個別に確かめる必要があるというべきである。それにもかかわらず、前記第三、七3及び4で認定したとおり、本件処分に至るまでに教団において右のような濃密な努力がされたことはなく、原告の幹部は現時点においてもXが再び事件を起こすように指示した場合には信者の中に影響を受けるものが出ることは否定できないと述べているのである。このことは、教団の幹部らが推進しようとしている教団改革が、その最も重要な部分において末端の信者まで十分に浸透しておらず、そのために必要不可欠な方策も採られていないことを示すものである。このような教団運営の実態にかんがみれば、平成一一年一二月一日に「教団正式見解」を発表し、サリン事件等の謝罪と被害弁償について具体的な行動を起こしたという事実があったとしても、オウム真理教が、従前とは異なり、Xの影響力から自立して教団運営を行えるものとなったとにわかに断じることはいかにも困難であったというほかない。かえって、Xは、平成一一年九月二二日の段階においても、自らをオウム真理教の代表かつ教祖であると位置づけていたのであって、仮に、Xが教団運営に関わろうとする姿勢を見せた場合、それまでの教団運営の実態からすれば、オウム真理教の信者が再びXを予言者と崇めてその影響力の下に行動するのであろうことは想像に難くないというべきであり、さらに、かつて正大師の地位にあり、宗教団体・アレフにおいても引き続き教団運営に関わっていると認められるDが「人間のありきたりの知性を越えた帰依」を唱えていたことからすれば、本件処分時の段階においても、Xの意向次第では、例えば、被害弁償等に使用するとしている金員を再び武装化に振り向け、無差別大量殺人行為の準備行為に着手する可能性があると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあったというべきである。
以上によれば、被請求団体は、法五条一項一号の「当該無差別大量殺人行為の首謀者が当該団体の活動に影響力を有していること」に該当するというべきであるし、教団の実態自体は、同項五号の「当該団体に無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実があること」に該当するというべきである。
4 また、前記で認定したところによれば、オウム真理教は、各地で発生している住民運動等に対処し、住民と融和するため、近時、積極的な姿勢をとってきたことは認められるものの、右に説示した教団運営の実態を外部から見た場合には、本件処分当時、未だ地域住民がたやすく受け入れる状態とはなっておらず、その原因の一端は、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件などの一連の刑事判決が、その判決等により、当該事件は、Xを首謀者とし、Xが説く危険な教義に基づいてオウム真理教の信者が組織的に敢行したことを明らかにしていたにもかかわらず、これを認めず、反省謝罪もしないという態度を有していたことにあるといわざるを得ないところ、このような一般社会と融和しない独自の価値観を従前から維持して、かつ、前記3記載のような危険性を有すると認められる被請求団体については、将来に向かって、その活動状況を継続して明らかにする必要があると解することが相当であり、右の必要性は、過去に行われた捜索差押え等の成果によって代替できないことは明らかというべきである。
6 したがって、前記のとおり、被告の判断のうち、法五条一項二号及び三号該当性の点には誤りがあり、同項四号該当性の点にも疑問があるが、同項一号及び五号該当性の判断については、その結論において正当である。
第六 結論
一 以上によると、被告による本法の解釈には誤りがある上、本件処分の処分要件該当性の判断にも一部誤りがあると考えられるが、本法を正しく解釈した上で処分要件の有無を検討すると、処分要件を基礎付けるに足りる事実が認められるので、本件処分は結論において適法というべきである。
二 なお、付言するに、当裁判所は、被告が平成九年にした破壊活動防止法に基づく解散指定請求棄却決定における「今後ある程度近接した時期に、継続又は反覆して暴力主義的破壊活動に及ぶ明らかなおそれがあると認めるに足りるだけの十分な理由があると認めることはできない」旨の判断を踏まえつつも、被請求団体は、本件処分当時において、再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するおそれが常に存在すると通常人をして思料せしめるに足りる状態にあるという意味において危険性を有すると認め、本件処分を適法と判断するものである。
このことは、もとより、原告が現行法令の許容する範囲において宗教活動を行うことを妨げるものではないし、観察処分の対象となっていることが、そのような妨害行為を正当化する理由として援用されることを許すものでもない。また、この判断は、あくまで本件処分時の状況において本件処分が正当であったというにとどまるものであって、その後の状況の変化の有無は判断の前提となっていないのである。そして、原告が本件処分前に教団改革の緒に就いたことは、前記のとおりであるし、Xが信者らの身辺を去ってから既に久しく、その影響力も法五条一項一号にいう面においては日々に疎くなっている可能性もないではないと思われる。しかも、被告が本件処分の前提とした判断には少なからざる誤りがあったと考えられるのである。したがって、本件処分を更に継続すべきか否かを検討するに当たっては、これらのすべての事情を十分に考慮することが切に望まれるところである。
三 以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・藤山雅行、裁判官・谷口豊 裁判官・加藤聡は、差し支えのため署名押印できない。裁判長裁判官・藤山雅行)
別紙処分の表示<省略>