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東京地方裁判所 平成13年(ワ)13581号 判決 2006年5月25日

甲事件原告

X1

他143名

原告ら訴訟代理人弁護士

李宇海

殷勇基

鶴見俊男

古川美

原告ら甲事件訴訟復代理人,乙事件・丙事件訴訟代理人弁護士

大口昭彦

甲事件・乙事件被告

同代表者法務大臣

甲事件・丙事件被告

日本郵政公社

同代表者総裁

被告ら指定代理人

長好行

他3名

被告国指定代理人

飯島賢二

他3名

被告日本郵政公社指定代理人

風間久典

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  甲事件

(1)  被告国は,宗教法人靖国神社に対し,被告国が同法人に対してした別紙当事者目録2の1記載の甲事件原告らの親族にかかる戦没者通知を撤回せよ。

(2)  被告国は,別紙当事者目録2の2記載の甲事件原告らに対し,同目録記載上対応する犠牲者の遺骨を返還せよ。

(3)  被告国は,別紙当事者目録2の3記載の甲事件原告らに対し,その被相続人の生死の別,死亡の場合はその年月日,場所,原因,態様を具体的に明らかにせよ。

(4)  被告国は,別紙請求目録記載の甲事件原告らに対し,同目録記載の金員及びこれらに対する昭和20年8月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  被告日本郵政公社は,別紙当事者目録2の14記載の甲事件原告らに対し,同目録請求額欄記載の金員及びこれらに対する昭和20年8月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(6)  被告国は,甲事件原告らに対し,別紙謝罪文目録1記載の謝罪文を交付するとともに,同文を,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞,及び,大韓民国において発行されているハンギョレ新聞,東亜日報,中央日報,朝鮮日報に,各縦20センチメートル×横10センチメートル以上の大きさをもって掲載せよ。

2  乙事件

(1)  被告国は,宗教法人靖国神社に対し,被告国が同法人に対してした別紙当事者目録2の1記載の乙事件原告らの親族にかかる戦没者通知を撤回せよ。

(2)  被告国は,別紙当事者目録2の2記載の乙事件原告らに対し,同目録記載上対応する犠牲者の遺骨を返還せよ。

(3)  被告国は,別紙当事者目録2の3記載の乙事件原告らに対し,その被相続人の生死の別,死亡の場合はその年月日,場所,原因,態様を具体的に明らかにせよ。

(4)  被告国は,別紙請求目録記載の乙事件原告らに対し,同目録記載の金員及びこれらに対する昭和20年8月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(5)  被告国は,乙事件原告らに対し,別紙謝罪文目録2記載の謝罪文を交付するとともに,同文を,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞,及び,大韓民国において発行されているハンギョレ新聞,東亜日報,中央日報,朝鮮日報に,各縦20センチメートル×横10センチメートル以上の大きさをもって掲載せよ。

3  丙事件

(1)  被告日本郵政公社は,別紙当事者目録2の14記載の丙事件原告らに対し,同目録請求額欄記載の金員及びこれらに対する昭和24年10月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  被告日本郵政公社は,丙事件原告らに対し,別紙謝罪文目録3記載の謝罪文を交付するとともに,同文を,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞,及び,大韓民国において発行されているハンギョレ新聞,東亜日報,中央日報,朝鮮日報に,各縦20センチメートル×横10センチメートル以上の大きさをもって掲載せよ。

第2  事案の概要

本件は,大韓民国(韓国)国籍を有する原告らが,被告国に対し,

①  被告国が宗教法人靖国神社(以下「靖国神社」という。)に対し第2次世界大戦(以下「大戦」という。)に動員され死亡した原告らの被相続人を戦没者として通知したことは原告らの民族的人格権等を侵害し,名誉を毀損するとして,民族的人格権等に基づいて又は名誉毀損における原状回復として,その撤回と,国家賠償法に基づく損害賠償を,

②  雇用ないし雇用類似の契約等又は人格権,物権的請求権等に基づいて,原告らの被相続人の死亡状況の説明及び遺骨の返還と,死亡状況の説明及び遺骨返還がされていないことにより精神的損害を受けたとして上記義務の不履行に基づく損害賠償を,

③  無効な法令によって原告ら又はその被相続人が徴兵・徴用され,戦地配備,戦闘行為,労働を強制されたことにより精神的損害を受けたとして不法行為に基づく損害賠償を,

④  原告ら又はその被相続人が大戦で死傷し,あるいは,戦後BC級戦犯として処罰されたことにより精神的損害を受けたとして,安全配慮義務違反又は不法行為に基づく損害賠償を,

⑤  雇用ないし雇用類似の契約等に基づき,徴兵・徴用中の給与等の未払金の支払と,これが支払われないことによる債務不履行に基づく損害賠償を,

⑥  原告ら又はその被相続人がシベリアに抑留されたことにより精神的損害を受けたとして,安全配慮義務違反又は不法行為に基づく損害賠償と,国際慣習法等に基づき抑留中の未払賃金の支払を,

⑦  ①ないし⑥の行為による人格権侵害,名誉毀損について,人格権に基づき又は名誉毀損の原状回復として,謝罪文交付及び広告を,

それぞれ請求し,また,被告日本郵政公社(以下「被告公社」という。)に対し,

⑧  原告ら又はその被相続人が預託した軍事郵便貯金の返還に係る義務の不履行に基づく損害賠償を,

⑨  ⑧の行為による人格権侵害,名誉毀損について,人格権に基づき又は名誉毀損の原状回復として,謝罪文交付及び広告を,

それぞれ請求した事案である。

1  前提事実(争いがない事実及び証拠により容易に認定できる事実)

(1) 原告らは,いずれも韓国国籍を有するものである。

原告らは,昭和13年から昭和20年にかけて,大日本帝国統治下の法令(兵役法,陸軍特別志願兵令,朝鮮総督府陸軍兵志願者訓練所官制,海軍特別志願兵令,朝鮮総督府海軍志願者訓練所官制,国民徴用令等。以下,単に「法令」という時には,原告ら又はその親族らに対する徴兵や徴用の根拠となったこれらの法令のいずれかを指す。)により,軍人として徴兵又は軍属(陸海軍文官及び同待遇者,宣誓して陸海軍勤務に服する者の総称)として徴用された本人又はその親族らであり,大韓民国太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会,大韓民国太平洋戦争被害者補償推進協議会又は大韓民国韓国シベリア朔風会のいずれかに属している。(甲1ないし252,256ないし261,669ないし691,693ないし709,711ないし832)

(2) 被告国は,大日本帝国を承継したものである(以下,問題となる行為の時期を問わず「被告国」という。)。

被告公社は,平成15年4月1日施行された日本郵政公社法に基づき,被告国が従前行っていた業務等を承継した公社である。

2  原告らの主張

(1) 靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求

ア 別紙当事者目録2の1の括弧内記載の者はその対応する原告ら(本項目((1))中に限り,「原告ら」という。)の親族であり,大戦の戦没者であるところ,靖国神社において英霊として合祀されている。

イ 旧厚生省は,大戦後も,戦前の例に従い,靖国神社における合祀対象となる軍人や軍属の戦没者について,戦没者名簿を作成し,昭和52年ころまで,毎年,これを靖国神社に通知していた(本判決中において「戦没者通知」とは,この通知を指す。)。靖国神社は,戦前における陸海軍大臣からの上奏許可に変わるものとして,旧厚生省からの通知に従い,毎年,戦没者名簿に記載された戦没者を合祀してきた。すなわち,被告国は,戦没者通知によって,靖国神社と一体となって合祀を行っている。

靖国神社は,戦前の国家神道の中心的神社であって,その基本的なあり方は現在も変化していない。原告らは,韓民族であり,神道を信仰していない。また,靖国神社は,天皇のために死亡した者を祭神として祀っているが,そこには,①朝鮮国(大韓帝国)に対する侵略,②36年間の植民地支配,③アジア諸国への侵略戦争の各首謀者及び積極参加者も含まれている。原告らにとって,その親族が靖国神社に祀られることは,被害民族が,侵略戦争の首謀者等とともに,侵略した民族固有の宗教によって,侵略した国家の主権者及び元首(大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)1条,4条)もしくは象徴(日本国憲法(以下「憲法」という。)1条)に忠誠を尽くした者として祀られていることにほかならない。

上記事実は,憲法20条3項が定める政教分離の原則や憲法前文が定める平和主義,国際協調主義にも反するものであり,靖国神社に対する戦没者通知は,憲法13条,19条,20条1項及び2項により保障される民族的人格権(人格権の被害民族としての側面),宗教的人格権(静謐な宗教的環境の下で信仰生活をおくるべき利益),思想良心の自由を故意に侵害し,また,原告ら及びその親族らのプライバシーを違法に侵害するものである。

ウ また,昭和52年,靖国神社が台湾出身者に合祀通知書の配布を依頼したことを契機として,韓国国内でも朝鮮出身の約2万200人もの元軍人や元軍属が靖国神社に合祀されていることが周知の事実となり,昭和53年ころから合祀拒否の動きが起こるようになった。その過程で,原告らは,「天皇に忠誠を尽くした戦死者」の親族として,不特定多数人に認識されるに至り,その韓国国内における社会的評価は低下し,名誉が毀損された。

エ 以上の被告国の違法行為の結果,原告らは,民族的人格権,宗教的人格権を侵害され,また,名誉を毀損されているのだから,民族的人格権,宗教的人格権に基づき,また,名誉毀損に対する原状回復措置として,合祀絶止(具体的には,戦没者通知の撤回)請求が認められるべきである。

また,原告らは,民族的人格権,宗教的人格権,思想良心の自由,プライバシーが侵害されたことにより,また,名誉を毀損されたことにより,精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,1人につき100万円が相当である。

オ よって,原告らは,被告国に対し,民族的人格権,宗教的人格権に基づき,また,名誉毀損における原状回復(民法723条)として,戦没者通知の撤回と,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償として各100万円の支払を請求する。

(2) 遺骨返還請求及び死亡状況説明請求

ア 別紙当事者目録2の2,3の括弧内記載の者は,昭和13年から昭和20年にかけて,被告国の軍人や軍属となり,被告国の指揮命令下において稼働中死亡したものであり,その対応する原告ら(本項目((2))中に限り,「原告ら」という。)は,これらの者の相続人である。

イ 上記目録の括弧内記載の者ら(原告らの被相続人ら)は,被告国の軍人や軍属となったことにより,被告国との間で雇用ないし雇用類似の契約が成立した。被告国は,このような関係に立った上記被相続人らを管理して国家意思の実現を図り,国家活動の範囲の拡大を図ったのだから,その生命が失われた場合には,前記契約又は公法上の関係に伴う付随的義務として,その遺骨を収集し,遺族に返還するとともに,その死亡状況につき,遺族である原告らに通知,説明すべき義務を負っている。

ウ また,戦没者の遺族である原告らは,戦争の責任者である被告国に対して,人格権,条理及び慣習法に基づいて,戦没者の遺骨の返還や死亡状況の説明を求めることができ,また,物権的請求権に基づいて,遺骨の返還の請求をすることができる。

エ 被告国は,遺骨の返還や死亡状況の説明を行わないため,原告らは精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,1人につき100万円が相当である。

オ よって,原告らは,被告国に対し,雇用ないし雇用類似の契約又は公法関係に付随する義務,あるいは,人格権,条理,慣習法又は物権的請求権に基づき,遺骨を返還及び死亡状況を説明するよう請求し,また,上記付随義務の不履行に基づく損害賠償として各100万円の支払を請求する。

(3) 徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働の強制に対する損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の4,5記載の原告らは,昭和13年から20年にかけ,法令に基づき,被告国に徴兵・徴用された本人又はその相続人である。

別紙当事者目録2の6記載の原告ら又はその被相続人らは,法令に基づき,軍人として戦地配備させられ,同目録2の7記載の原告ら又はその被相続人らは,法令に基づき,戦闘行為に従事させられ,同目録2の8記載の原告ら又はその被相続人らは,法令に基づき,軍属として労働に従事させられた。

イ 被告国は,法令に基づき,別紙当事者目録2の4ないし8記載の原告ら又はその被相続人らを徴兵・徴用し,また,戦地配備,戦闘行為従事,労働従事させた。その根拠法令は,いずれも大日本帝国が明治43年8月22日に大韓帝国との間で締結した韓国併合に関する条約を前提として定めたものであるが,同条約は,①条約についての皇帝の詔勅への皇帝の御名御璽が欠如していること,②その前提となる第2次日韓協約及び第3次日韓協約自体が強迫又は代表権の欠如等により無効であることなどにより無効である。したがって,上記根拠法令は成立の根拠を欠くから,原告ら又はその被相続人らに対する徴兵・徴用やその後強制された戦地配備,戦闘行為,労働はいずれも違法である。

ウ 被告国が正当な根拠に基づかずに別紙当事者目録2の4ないし8記載の原告らやその被相続人らを徴兵・徴用し,また,戦地配備,戦闘行為従事,労働従事させ,もって侵略戦争に加担させたことは,民法上の不法行為を構成するところ,原告ら又はその被相続人らは,被告国の行為によって精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,1人について,徴兵・徴用につきそれぞれ200万円が,戦地配備,戦闘行為従事,労働従事につきそれぞれ100万円が相当である。

別紙当事者目録2の4ないし8記載の原告らのうち,原告番号の後に括弧の記載がある原告らは,括弧内の者を相続した。

エ よって,別紙当事者目録2の4ないし8記載の原告らは,被告国に対し,不法行為に基づく損害賠償として,別紙当事者目録2の4記載の原告らにつき各200万円の,同目録2の5記載の原告らにつき各200万円の,同目録2の6記載の原告らにつき各100万円の,同目録2の7記載の原告らにつき各100万円の,同目録2の8記載の原告らにつき各100万円の支払をそれぞれ請求する。

(4) 死亡,傷害に対する損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の9,10記載の原告らは,被告国により,徴兵・徴用された結果,戦闘行為等により死亡した者の相続人(同目録2の9)あるいは負傷した本人又はその相続人(同目録2の10)である。

イ 被告国は,(3)イのとおり,無効な法令に基づき,前記原告ら又はその被相続人らを徴兵・徴用し,その結果,同人らを死亡又は負傷させた。

ウ また,被告国と前記原告ら又はその被相続人らとの間には,(2)イのとおり,雇用ないし雇用類似の契約が成立したから,被告国は,同契約又は公法上の関係に伴う付随的義務として,前記原告ら又はその被相続人らの身体や生命に危険が生じないように配慮すべき安全配慮義務(①明らかに無謀な作戦による損害を防止すべき義務(原告番号甲―3,13,14,17,34,43,100,105,107,108,112,116,118,125,141,149,165,168,172,173,178,181,186,187,193,196,197,198,206,207,208,211,214,217,218,225,226,227,231,233,234,235,236,242,246,248,250,252),②隊内暴力の防止義務(同甲―1,4,13,62,71,155,210,230),③疾病の予防及び治療義務(同甲―6,37,45,92,99,115,144,159,162,166,176,177,181,185,209,227,245),④事故防止義務(同甲―36,64,78,116))を負っていた。また,被告国は,浮島丸の乗船者との関係では,旅客運送契約類似の法律関係に基づき,これを釜山港まで安全に運送するか,これが不可能な場合には,最寄りの港又は出発港に運送,還送すべき義務を負っていた(同甲―213)。

ところが,被告国は,上記の義務を怠ったため,別紙当事者目録2の9記載の被相続人らは死亡し,同10記載の原告ら又はその被相続人らは負傷した。

被告国の前記不作為は,故意,過失によるものであるから,安全配慮義務違反の債務不履行責任とともに,民法上の不法行為責任も生じさせる。

なお,被告らは,安全配慮義務の特定が不十分であるとするが,「天皇の赤子」として戦地に送った軍人や軍属を無事に帰すのは国家の当然の責務であるから,現に無事に帰すことができなかった以上,むしろ被告国は,安全配慮義務違反がなかったことを主張立証すべきである。仮に,原告らに主張立証責任があるとしても,当時の事柄を知った生存者が少ない上,軍事事項という性質上,原告らに知らされた事項も少ないという事案の性質からすれば,安全配慮義務の特定は一応の具体化をもって足りるというべきである。

エ 前記原告ら又はその被相続人らは,死亡又は負傷したことにより,精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,死亡につき1000万円,傷害につき100万円が相当である。

別紙当事者目録2の10記載の原告らのうち,括弧内に氏名の記載がある原告らは,括弧内の者を相続した。

オ よって,別紙当事者目録2の9,10記載の原告らは,被告国に対し,安全配慮義務違反又は不法行為に基づく損害賠償として,前記目録2の9記載の原告らにつき各1000万円の,同目録2の10記載の原告らにつき各100万円の支払をそれぞれ請求する。

(5) 未払金支払請求及び未払金に係る損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の11記載の原告ら又はその被相続人らは,被告国に徴兵・徴用され,被告国との間で,雇用ないし雇用類似の契約が成立した。

イ 被告国は,前記契約関係及び明治32年6月6日勅令第222号陸軍給与令等に基づき,前記原告ら又はその被相続人らに給与及び弔慰金を支払う義務があるのに,その一部又は全部を支払っておらず,少なくとも,別紙当事者目録2の11の供託金額欄記載の額が未払となっている。被告国には,少なくとも,供託金相当額を支払う義務がある。

また,前記原告ら又はその被相続人らは,被告国が上記義務を履行しないため,精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,1人について100万円が相当である。

別紙当事者目録2の11記載の原告らのうち,被相続人欄に氏名の記載がある原告らは,当該被相続人を相続した。

ウ よって,前記原告らは,被告国に対し,前記供託金相当額の支払及び債務不履行に基づく損害賠償として,別紙当事者目録2の11請求額欄記載の金員の支払を請求する。

(6) BC級戦犯に係る損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の12記載の原告ら又はその被相続人らは,被告国により徴兵・徴用され,被告国の指揮命令下において軍人や軍属として稼働した結果,その稼働中の行為につき連合国軍軍事法廷による戦犯裁判を受け,B級又はC級戦犯として処罰された。

イ 被告国と前記原告ら及びその被相続人らとの間には,(2)イのとおり,雇用ないし雇用類似の契約が成立していたから,被告国には,その契約又は公法上の関係に伴う付随的義務として,前記原告ら及びその被相続人らに対し,国際法を遵守し,捕虜に対し暴行を加えることを禁止するよう周知徹底し,後日,捕虜に対して行った行為により戦犯とされる等の不利益を受けることがないよう配慮すべき義務があったのにこれを怠った。そのため,前記原告ら及びその被相続人らは戦犯として処罰された。

上記被告国の不作為は,故意又は過失によるものであり,安全配慮義務違反の債務不履行責任と同時に不法行為責任を生じさせる。

ウ 前記原告ら又はその被相続人らが,戦犯として有罪とされ,服役したことにより,精神的苦痛を受けた。その精神的損害を慰謝するには,少なくとも1人につき100万円が必要である。

別紙当事者目録2の12記載の原告らのうち,括弧内に氏名の記載がある原告らは,括弧内の者を相続した。

エ よって,前記原告らは,被告国に対し,安全配慮義務違反又は不法行為に基づく損害賠償として,各100万円の支払を請求する。

(7) シベリア抑留期間中の未払賃金請求及びシベリア抑留に係る損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の13記載の原告ら又はその被相続人らは,(3)イのとおり,無効な法令に基づき徴兵・徴用され,被告国の指揮命令下において,軍人や軍属として稼働した結果,大戦後,旧ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)によってシベリアの収容所に捕虜として抑留され,劣悪な環境の下で強制労働に従事させられた。

イ 被告国と前記原告ら又はその被相続人らとの間には,(2)イのとおり,雇用ないし雇用類似の契約が成立していたから,被告国には,その契約又は公法上の関係に伴う付随的義務として,前記原告ら及びその被相続人らが捕虜として抑留されることがないように配慮すべき義務があったのに,これを怠ったため,前記原告ら又はその被相続人らは捕虜として抑留された。

上記被告国の行為は,故意,過失によるものであるから,被告国は,安全配慮義務違反の債務不履行責任とともに,不法行為責任を負う。

ウ 前記原告ら又はその被相続人らは,捕虜としてシベリアに抑留されたことにより,精神的苦痛を受けた。その損害の慰謝料は,1人につき100万円が相当である。

エ 別紙当事者目録13記載の原告ら又はその被相続人らのうち原告番号の後の括弧内に月数及び金額の記載がある者は,その記載の期間シベリアに抑留され,強制労働に従事させられたが,その間,旧ソ連は,労働に対する対価を支払わなかった。その間の賃金相当額は,同目録括弧内記載の金額のとおりであるが,その賃金は,捕虜の所属国である被告国が,自国民捕虜補償の原則に基づき,捕虜として抑留された者に支払うというのが遅くとも大戦終了時までに成立した国際慣習法である。また,被告国及び旧ソ連が加入した捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第3条約)(以下「1949年条約」という。)66条によれば,「捕虜が属する国は,捕虜たる身分が終了した時に抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高を当該捕虜に対して決済する責任を負う。」とされており,同規定は,原告らにも遡及的に適用される。

オ 別紙当事者目録2の13記載の原告らのうち,括弧内に氏名の記載がある原告は,括弧内の者を相続した。

カ よって,前記原告らは,被告国に対し,安全配慮義務違反又は不法行為に基づく損害賠償として各100万円の支払を請求するとともに,別紙当事者目録2の13記載の原告らのうち原告番号の後の括弧内に月数及び金額の記載がある原告らは,国際慣習法又は1949年条約に基づき,同目録の括弧内記載の未払賃金の支払を請求する。

(8) 軍事郵便貯金に係る損害賠償請求

ア 別紙当事者目録2の14記載の原告ら又はその被相続人らは,昭和13年から20年にかけ,軍事郵便貯金規則(逓信省令第7号)に基づき軍事郵便貯金をし,被告国と前記の者らとの間には,軍事郵便貯金に係る預託契約が成立した。その預託金額は必ずしも明らかではないが,少なくとも,別紙当事者目録2の14の貯金金額欄の額が預託されている。

イ 被告国は,昭和20年9月22日付連合国最高司令官覚書に基づく勅令第578号,大蔵省令88号によりその払戻しを全面的に停止した後,軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年5月15日法律108号)により払戻しの制限を撤廃した。

ウ 被告国は,前記預託契約に付随する契約上の義務として,預託者に対し,前記払戻しの制限撤廃の事実を通知する義務を負っていたにもかかわらず,故意,過失によりこれを怠り,前記の者らから払戻しの機会を奪い,預託金相当額の損害を与えるとともに,精神的苦痛を与えた。その精神的苦痛による損害を慰藉するには,1人につき100万円が相当である。

別紙当事者目録2の14記載の原告らのうち,被相続人欄に記載がある原告らは,当該被相続人を相続した。

エ 被告公社は,平成14年4月1日施行された日本郵政公社法に基づき,上記原告らの各請求に係る債務を被告国から承継した。

オ よって,前記原告らは,被告公社に対し,債務不履行に基づく損害賠償として,別紙当事者目録2の14請求額欄記載の金員の支払を請求する。

(9) 謝罪文の交付及び謝罪広告請求

ア 被告らは,韓国人の軍人・軍属の諸処遇問題について,酷薄かつ非人道的な態度に終始し,大日本帝国が行った戦争政策及びこれによる被害に対する補償措置を講じることを懈怠しているため,原告らの人格権及び社会的評価が侵害されている。

このことからすれば,被告らが単に金銭的賠償をするだけで問題が解決することはありえず,被告らが,原告らが帝国主義の戦争政策による被害者であることを率直に認め,犠牲者に謝罪してはじめて,原告らに対する人格権侵害が止み,その社会的評価が回復するものである。

イ よって,甲事件原告らは,被告国に対し,別紙謝罪文目録1記載の,乙事件原告らは,被告国に対し,別紙謝罪文目録2記載の,丙事件原告らは,被告公社に対し,別紙謝罪文目録3記載の謝罪文の交付及び各新聞紙への謝罪文の広告を求める。

(10) 被告らの主張に対する反論

ア 国家無答責の原則について

(ア) 被告国は,原告らの主張のうち,国家賠償法施行前の国の行為について民法上の不法行為責任を請求する部分につき,国家無答責の原則を主張し,民法上の不法行為責任が生じないと主張する。

しかし,国家無答責の原則は,国家活動による損害一般についての原則ではなく,権力的な活動による損害について,判例上認められた法理にすぎず,実体法上の法理ではない。

そして,国家賠償法附則6項にいう「従前の例」とは,新しい法律施行以前の法令を指すのであり,従前の裁判例を指すものではない。裁判所は,過去の裁判例に拘束されるものではなく,現代社会に適合した最新の解釈をすべきであるところ,現代において,国家の行為に不法行為責任を認めないという立場が不当であり,憲法秩序に反するものであることに照らせば,現代の裁判所が国家賠償法附則6項の「従前の例」を国家無答責の法理を指すと解釈することは,憲法17条の趣旨に反し許されない。

(イ) また,公権力の行使に関して国家無答責の原則の適用を肯定し得るとしても,その適用のためには,①加害行為が実質的に強制力ないし公権力の行使といえること,②適法に行使すれば,適法な公権力の行使と評価されるような権限が法令上与えられていること,③加害行為が国の統治権ないし主権に服するものに対する行為であることの3つの要件が必要と解されるが,被告国はこれらの要件を主張立証しない(なお,韓国併合に関する条約が無効である以上,原告ら又はその被相続人らは,いずれも本件当時被告国の統治権ないし主権に服していないから,国家無答責の法理を適用する前提を欠くことは明らかである。)。

(ウ) よって,被告国の国家無答責の原則についての主張は失当である。

イ 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定等について

(ア) 被告国は,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「日韓請求権協定」という。)2条1及び3並びに財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第2条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和40年12月17日法律第144号,同月18日施行。以下「措置法」という。)1項により,原告の請求に応じる法的義務を負わない旨主張する。

(イ) しかし,日韓請求権協定は,日本政府が「財産,権利及び利益」及び「請求権」に係る資料の存在につき詐術,欺罔行為を弄して,又は経済的援助に名を借りた圧力を用いて締約されたものであり,条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という。)48条(錯誤),49条(詐欺),52条(武力による威嚇又は武力の行使により締結された条約の無効)により無効である。仮に,日韓請求権協定が一般的には有効であるとしても,被告国が請求権に係る資料の存在を意図的に秘匿した上,協定を締約したことに照らせば,少なくとも請求権に係る確実な資料を有している原告らとの関係では,同協定は条理上無効である。

このように,日韓請求権協定が無効である以上,日韓請求権協定を受けて制定された措置法は,当然に無効である。

(ウ) また,措置法は,韓国国民が受けた損害に係る請求権を一方的に消滅させるものであり,大日本帝国の朝鮮人民に対する植民地支配,アジア諸国に対する侵略戦争を反省し,国際協調主義,平和主義を定めた憲法の趣旨に反するばかりか,憲法13条,19条により保障された原告らの人格権及び財産権を侵害する違憲な法律であるから無効である。

仮に,措置法を合憲とする余地があるとすれば,同法を,一方の締約国によって採られる「措置」に関する国際法上の外交保護権を相互に放棄したにすぎない日韓請求権協定を受けて,措置法も同様の趣旨を定めたものと限定的に解釈するほかない。

(エ) よって,原告らの請求権は日韓請求権協定や措置法により,請求できないものとなっていない。

3  被告らの主張

(1) 原告らの請求は,(2)ないし(9)のとおり,いずれも法的根拠を欠くものであるし,何らかの法的根拠を有するものであるとしても,(10)のとおり,日韓請求権協定及び措置法によりいずれも請求の根拠を失っている。

(2) 靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求について

ア 原告らが被侵害利益であると主張する民族的人格権は,具体的な権利内容,根拠規定,主体,法的効果の一義性を欠いており,国家賠償法上の被侵害利益となり得ない。

原告らは,合祀によりその社会的評価が低下したとするが,合祀は被告国が決定したものではないし,原告らの主張によっても,韓国国内において原告らの親族が靖国神社に合祀されていることが知れ渡った契機は,靖国神社がした合祀通知書の配布依頼にあったというのであるから,仮に,原告らの社会的評価が韓国国内で低下したとしても,被告国の責任によるものではない。また,原告らの親族が靖国神社に合祀されることにより,原告らの品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について客観的な社会的評価が低下することもない。

イ なお,旧厚生省(引揚援護局)が行った事務は,靖国神社から戦没者の氏名等の照会を受けて戦没者に関する情報を回答していたものであり,一般的に行われていた調査,回答事務にすぎないから,これが憲法20条3項の政教分離の原則や憲法前文が定める平和主義に抵触することはない。

ウ 以上によれば,原告らが民族的人格権を侵害されたとか,被告国の行為によって原告らの社会的評価が低下したということはできない。

(3) 遺骨返還請求及び死亡状況説明請求について

ア 原告らが遺骨返還及び死亡状況説明権の根拠とする雇用ないし雇用類似の契約上の責任,人格権,条理,慣習法及び物権的請求権は,いずれもこれらの請求権を発生させるものではない。

イ なお,被告国は,原告の請求に係る遺骨を占有していないし,原告番号甲―102,113,122,129,133,138,150,159,164,195,203,204,216,222,224の原告に対しては,既に,訴訟外の照会に対して,厚生労働省が把握している資料に基づき死亡状況が回答されているから,原告らの請求は理由がない。

(4) 徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働に対する損害賠償請求について

ア 原告らが主張する被告国の行為は,いずれも国家賠償法施行前の我が国の権力的作用に基づく行為であるところ,同法施行前においては,国家の権力的作用に基づく行為については,民法の不法行為法の適用は排除され,国の賠償責任は否定されていた(国家無答責の法理)。そして,その後,憲法17条に基づき制定された国家賠償法附則6項は,「この法律の施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定め,同法施行前の行為について,国家無答責の法理を適用すること(民法の適用を排除すること)を明らかにしているから,原告らの請求は理由がない。

なお,原告らは,国家無答責の原則の適用の要件として独自に3要件を掲げるが,そのような要件が必要とされる根拠はない。

イ 仮に,被告国に不法行為に基づく損害賠償責任が生じるとしても,民法724条後段の除斥期間は既に経過している。

(5) 死亡,傷害に対する損害賠償請求について

ア 原告らの請求のうち不法行為を原因とする請求は,国家無答責の法理により理由がない。

イ 原告らは,安全配慮義務違反も主張するが,戦時において,国と公法上の特別権力関係下にあった軍人,国民徴用令に基づく軍属(戦争という緊急事態においてされる一方的処分である。),陸,海軍刑法の適用,宣誓義務,海軍軍属宣誓規則等の適用を受けていた雇用契約に基づく軍属(その本質は軍人に近い。)との間で,原告らが主張するような安全配慮義務を観念する余地はないし,終戦後,浮島丸に乗船して帰国の途に就いていた者についても,当該運送行為は軍令に基づく公法上の行為であって,私法上の旅客運送契約類似の義務を観念する余地はない。

仮に,被告国に安全配慮義務を観念する余地があるとしても,原告らは,概括的,抽象的に安全配慮義務をいうのみであって,発生した結果との関係から,義務者が当該結果を予見できたか,またどのような措置を講じれば当該結果を回避し得たか,そして,義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし,義務者に結果発生防止措置を義務づけるのが相当か等について具体的な事実は何ら主張されていない。

(6) 未払金に係る損害賠償請求等について

原告らは,給与又は弔慰金の支払請求の根拠として,被告国と原告ら又はその被相続人らとの間に雇用ないし雇用類似の契約が成立したと主張するが,一方的な処分としてされた徴兵・徴用関係から原告らが主張するような契約関係が発生することはありえないし,仮に,原告らが主張するような契約関係を観念し得たとしても,契約上の義務の履行遅滞によって精神的損害による慰謝料の支払義務が発生することはない。

(7) BC級戦犯,シベリア抑留に係る損害賠償請求等について

ア 原告らは,「戦犯として処罰されないように配慮する義務」や,「敗戦後捕虜として抑留されることのないよう配慮する義務」があると主張するが,戦争遂行中に,敗戦を想定した上,戦勝国による戦後処理の帰趨を予測することや,被告国が降伏した当時の状況からして,捕虜として抑留される危険を回避することはおよそ不可能であるから,いずれも,安全配慮義務たりえないものである。

イ 原告らは,1949年条約66条又は国際慣習法に基づき,抑留期間中の未払賃金を請求するが,被告国が前記条約を国会において承認し,公布したのは昭和28年10月21日であり,それ以前に捕虜としての身分を終了した者の法律関係について同条約を遡及して適用することはできないから,遅くとも昭和20年8月から50か月以内に捕虜としての身分を終了した原告ら又はその被相続人らに対し,前記条約を適用する余地はない。また,原告らが主張するような国際慣習法が終戦当時に,①国家実行の反復,継続による一般慣行の存在,②国家が特定の行為を国際法上義務的なものとして要求されていると認識して行うという法的確信をもって成立していたともいえない。

(8) 軍事郵便貯金に係る損害賠償請求等について

原告らは,被告国が,軍事郵便貯金等特別処理法の施行に伴い,原告らに払戻し制限が撤廃されたことを通知する義務を負っていたと主張するが,法令は公布により周知されるものであり,その適用を受ける者に個別に通知をする義務はない。

(9) 謝罪文の交付及び広告に係る請求について

原告らは,①被告国が原告ら又はその被相続人らを徴兵・徴用したことや,②原告らの被相続人らを,その意思に反して靖国神社に合祀したことが,原告らの民族的人格権を侵害しており,名誉を毀損する行為であるとして,民法723条等を根拠として,原状回復請求権としての謝罪文の交付及び広告の掲載請求を主張するが,(2)ア及び(4)アのとおり,国家賠償法施行前の国家の権力的行為に民法は適用されないし,民族的人格権は法律上保護される権利ではない。

(10) 日韓請求権協定及び措置法について

ア 以上のとおり,原告らの主張はいずれも失当である。仮に,原告らの主張が何らかの請求権を構成するとしても,被告国は,日韓請求権協定2条1及び3並びに措置法1項により,その請求に応じる法的義務を負わない。

イ すなわち,日韓請求権協定2条1は,「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定し,同条3は,「一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,いかなる主張もすることができないものとする。」と規定している。

同規定を受け,被告国は,日韓請求権協定2条2で処理の対象外とされた在日韓国人の財産等及び終戦後の「通常の接触の過程」において取得された財産等以外の「財産,権利及び利益」(法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利)について,措置法を制定し,韓国国民の日本国に対する「財産,権利及び利益」を消滅させた。そして,上記「財産,権利及び利益」以外のあらゆる請求権は,日韓請求権協定2条3により,一律に「いかなる主張もすることができないものとする。」とした上,同条1において,「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」ことが確認されている。

ウ 原告らの請求は,いずれも日韓請求権協定の署名の時点より以前に生じた事由に基づくものである。そして,原告らの請求はいずれも理由がないものであることは既に述べたとおりであるが,仮に,その中に,法律上の根拠に基づき財産的価値が認められる実体的権利であったものが含まれているとしても(そのことが明確であったのは未払賃金請求のみと解される。),その請求権は措置法1項の「財産,権利及び利益」に該当するものとして消滅している。そして,それ以外の「請求権」については,日韓請求権協定によって,いかなる主張もできなくなっているのであるから,いずれにしても,被告らは原告らの請求に応じる義務を負わない。

エ 原告らは,日韓請求権協定及び措置法の無効を主張するが,その根拠とする条約法条約は,日韓請求権協定の締結後に我が国に効力が発生した条約であり遡及効を有していないし,日本国との平和条約が定めた二国間交渉による特別取極という解決方法に当たる措置法は憲法秩序の枠外にあるというほかないから,措置法に違憲のおそれはなく,合憲限定解釈をする余地もない。

また,原告らは,日韓請求権協定は,原告らに対する関係では条理上無効であるとか,日韓請求権協定や措置法は実体的権利を消滅させるものではないなどとも主張するが,日韓請求権協定の成立過程を無視した独自の見解を述べるにすぎず,失当である。

オ したがって,いずれにしても,原告らの請求に理由はない。

第3  当裁判所の判断

1  日韓請求権協定及び措置法について

まず,原告らが主張する権利等があったとしても,日韓請求権協定及び措置法により,消滅したのではないかという点を検討する。

(1)  証拠(乙11)及び弁論の全趣旨によれば,日韓請求権協定の締結及び措置法の制定等に関して,次の事実が認められる(協定,法令の内容等は,公知の事実である。)。

ア 日本国と連合国との間で,戦争状態の結果存在していた問題を解決するため,昭和26年9月8日,日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。同条約2条において,日本国は,朝鮮の独立を承認して,朝鮮に対するすべての権利,権限及び請求権を放棄し,同4条において,この地域に関し,日本国及びその国民に対する同地域の施策を行っている当局及び住民の請求権の処理等は,日本国と同当局との間の特別取極の主題とするものとされた。

イ 同特別取極の主題となるものを含めて解決するため,韓国と日本国との間で,昭和27年2月15日以降,会談がもたれたが,その当初から,韓国からは,「韓国の対日請求要綱」が提出され,その処理を巡り,日韓政府間で激しい交渉が行われた。同要綱は,「5 韓国法人または韓国自然人の,日本国または日本国民に対する日本国債,公債,日本銀行券,被徴用韓国人の未収金,補償金及びその他の請求権の返済請求 (1)日本の有価証券 (2)日本系通貨 (3)被徴用韓国人の未収金 (4)戦争による被徴用者の被害に対する補償 (5)韓国人の日本政府に対して請求しうる恩給その他 (6)韓国人の日本人又は日本法人に対する請求権 6 韓国人(自然人・法人)の日本政府または日本人に対する個別的権利行使に関する項目 7 前記諸財産または請求権から発生する諸果実の返済請求」など,8項にわたり戦後補償を求めるものであった。

ウ その後,長期間,7次にわたり交渉が継続された結果,請求権問題のために,日韓両国間の友好関係の確立をいつまでも遅らせることは,大局的見地からいって適当でないなどの判断の下,日本国が韓国に対して,3億ドルの無償供与及び2億ドルの長期低利の貸付けを行うことと,韓国の対日請求要綱を初めとする請求権問題を最終的に解決することが合意され,昭和40年6月22日,日韓請求権協定が署名され,締結されるに至った。

同協定は,日本国及び韓国の国民の財産,権利及び利益並びに請求権について,次のとおり,定めた。

「 2条

1  両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が,1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2  この条の規定は,次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)  一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産,権利及び利益

(b)  一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であって1945年8月15日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいったもの

3  2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,いかなる主張もすることができないものとする。」

エ 日韓請求権協定の条項の解釈に関しては,韓国と日本国との間の合意により,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定についての合意された議事録」(昭和40年12月18日号外外務省告示第256号)が作成された。同議事録には,次の合意事項がある。

「2 協定第2条に関し,

(a)  「財産,権利及び利益」とは,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。

(d)  「通常の接触」には,第2次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方の国から引き揚げたもの(支店閉鎖を行なった法人を含む。)の引揚げの時までの間の他方の国の国民との取引等,終戦後に生じた特殊な状態の下における接触を含まないことが了解された。

(e)  同条3により執られる措置は,同条1にいう両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題の解決のために執られるべきそれぞれの国の国内措置をいうことに意見の一致をみた。

(g)  同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には,日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており,したがって,同対日請求要綱に関しては,いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。」

オ 上記のとおり,日韓請求権協定において,韓国及びその国民の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に日本国の管轄の下にあるものに対する日本国が執る「措置」については「いかなる主張もすることができない。」とされたことを受け,日本国は,措置法(昭和40年法律第144号)を制定した。その内容は,次のとおりである。

「1 次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であって,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「協定」という。)第2条3の財産,権利及び利益に該当するものは,次項の規定の適用があるものを除き,昭和40年6月22日において消滅したものとする。(以下略)

一 日本国又はその国民に対する債権

二 担保権であって,日本国又はその国民の有する物(証券に化体される権利を含む。次項において同じ。)又は債権を目的とするもの

2  日本国又はその国民が昭和40年6月22日において保管する大韓民国又はその国民の物であって,協定第2条3の財産,権利及び利益に該当するものは,同日においてその保管者に帰属したものとする。(以下略)」

(2) 日韓請求権協定及び措置法の締結,制定の経緯及びその内容は,上記のとおりであり,これによれば,日韓請求権協定及び措置法によって,①日韓請求権協定の締結の日である昭和40年6月22日に存在していた韓国の国民の財産,権利及び利益であって同日に日本国の管轄の下にあるもののうち,日本国又はその国民に対する債権は,同日において,消滅し,②同様の韓国の国民の財産,権利及び利益であって,日本国又はその国民が昭和40年6月22日に保管する韓国の国民の物は,同日において,保管者である日本国又はその国民に帰属することとなった。ただし,昭和20年8月15日以後における通常の接触の過程において取得された財産,権利及び利益等については消滅等はしないとされた。また,日韓請求権協定によれば,韓国の国民の日本国に対する請求権であって,昭和40年6月22日以前に生じた事由に基づくものに関しては,いかなる主張もすることができないことになった。

(3)  これに対し,原告らは,日韓請求権協定及び措置法には効力がない,あるいは限定的に解釈すべきであるなどと主張するので,以下,これらの点につき検討する。

ア 原告らは,日韓請求権協定は日本国が韓国に対して詐術,欺罔行為を弄して,又は経済的援助に名を借りた圧力を用いて締約させたものであるから,条約法条約48条(錯誤による条約の同意の無効),49条(詐欺による条約の同意の無効),52条(武力による威嚇又は武力の行使により締結された条約の無効)により無効であり,同協定を前提とする措置法も無効である旨主張する。

しかし,条約法条約4条によれば,同条約の他の条約に対する不遡及が定められているところ,日本国において条約法条約の効力が発生したのは昭和56年8月1日であって(公知の事実),日韓請求権協定が効力を生じた後であることは明らかであるから,同条約を根拠に日韓請求権協定や措置法が無効であるということはできない。原告らの主張は採用できない。

イ 原告らは,日韓請求権協定は被告国が請求権に係る資料の存在を意図的に秘匿し締約したものであることに照らせば,少なくとも請求権に係る確実な資料を有している原告らとの関係では,同協定は条理上無効であるとも主張する。

原告らがいかなる条理を主張するのか,その主張上は明らかではないが,この点を措くとしても,原告らがその主張の前提とする,被告国が請求権の存在に係る資料の存在をことさらに秘匿して韓国政府に日韓請求権協定を締結させたとの事実を認めるに足りる証拠はないから,いずれにしても,原告らの主張は採用できない。

ウ 原告らは,日韓請求権協定は外交保護権の範囲や対象を定めたに過ぎないから,措置法によっても,韓国の国民の実体的権利が消滅するものではないと主張する。

しかし,前記の日韓請求権協定の制定経緯及びその内容,措置法制定の経緯及び措置法の文言に照らせば,措置法1項が,韓国国民の日本国やその国民に対する法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的請求権を消滅させることを目的としていることは明らかであるから,これを外交保護権の範囲や対象を定めたにすぎないものであると解釈する余地はない。この点に関する原告らの主張は採用できない。

エ 原告らは,措置法は,韓国国民が受けた損害に係る請求権を一方的に消滅させるものであり,国際協調主義,平和主義を定めた憲法の趣旨や,憲法上保障された原告らの人格権及び財産権を侵害する違憲で無効な法律であると主張する。

しかし,措置法が,日本国が敗戦後いまだ連合軍総司令部の完全な支配下にあり,主権の回復がその成立にかかっていたという特殊異例な状態において成立した日本国に対する平和条約において二国間の特別取極の課題とされた請求権の処理等の一環として制定された法律であること(公知の事実)に照らせば,措置法は,敗戦に伴う国家間の財産処理を巡る事項に関するものとして,憲法の各条項の想定する範囲外のものといわざるを得ない。したがって,措置法が憲法に反して無効であるとか,合憲限定解釈をする必要があるとかいうこともできない。これに反する右崎正博の意見書(甲293)は採用できない。

オ 以上のとおり,日韓請求権協定や措置法が無効である,あるいは限定的に解釈すべきであるとの原告らの主張は採用することができない。措置法は,昭和40年6月22日に存在した韓国国民の「財産,権利及び利益」について,日本国又はその国民に対する債権に係る実体的請求権を消滅させ,日本国又はその国民が保管する物に係る実体的権利を保管者に帰属させるものであると認められる。

(4) そこで,原告らが本件訴訟で主張している各権利が,日韓請求権協定及び措置法により消滅し,あるいは保管者に帰属したかどうか等について,検討する。

ア  上記のとおり,日韓請求権協定にいう「請求権」や,措置法にいう「財産,権利及び利益」に該当するかどうかは,それが日韓請求権協定署名の日である昭和40年6月22日以前に生じた事由に基づくものか否かによって区別され,また,日韓請求権協定2条2の除外事由に該当するか否かによって区別されることになる。

イ  原告らの主張する権利のうち,遺骨返還請求及び死亡状況説明請求,徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働に対する損害賠償請求,死亡,傷害に対する損害賠償請求,未払金支払請求及び未払金に係る損害賠償請求,軍事郵便貯金に係る損害賠償請求,BC級戦犯に係る損害賠償請求並びにシベリア抑留期間中の未払賃金請求及びシベリア抑留に係る損害賠償請求は,いずれも昭和40年6月22日以前に生じた事由に基づくものであることがその主張上明らかである。

前記のとおり,措置法により消滅すると定められた「財産,権利及び利益」とは,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうとされ,「財産,権利及び利益」や「請求権」には,対日請求要綱に掲げられた各種の請求権等がすべて含まれることが確認されていることに照らせば,上記の遺骨返還請求及び死亡状況説明請求,徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働に対する損害賠償請求,死亡,傷害に対する損害賠償請求,未払金支払請求及び未払金に係る損害賠償請求,軍事郵便貯金に係る損害賠償請求,BC級戦犯に係る損害賠償請求並びにシベリア抑留期間中の未払賃金請求及びシベリア抑留に係る損害賠償請求の中に,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められる実体的請求権(措置法1項の「財産,権利及び利益」)が含まれているとしても,当該請求権は,措置法1項により消滅しているというほかない(ただし,遺骨の所有権については,後記のとおり,措置法1項ではなく,同法2項が適用されるべきであるから,同法1項によっては消滅しない。)。

また,上記各請求のうちに,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められる実体的請求権以外の請求権があったとすれば,このような請求権は日韓請求権協定2条3にいう「請求権」に当たるというべきであるが,そもそも,そのような請求権は,その性質上,裁判上の請求ができるものでないことは明らかである。

結局,これらの請求は,それが,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められる実体的請求権か否かを判断するまでもなく,いずれも理由がないものというほかない。

ウ  原告らの主張によれば,原告らが返還を請求している遺骨は,昭和40年6月22日,死亡した者の家督相続人又は祭祀承継者である韓国の国民が,実体的権利として,所有していたことになる。遺骨の所有権が,日韓請求権協定及び措置法が定める「権利」に該当するとすれば,措置法2項により,日本国又はその国民が保管をしていた場合には,その保管者に帰属し,これに伴い,死亡した者の家督相続人又は祭祀承継者は所有権を喪失することになる。

ところが,原告らが返還を請求する遺骨については,昭和40年6月22日にこれを日本国又はその国民が保管をしていたことを認めるに足りる証拠はない。したがって,原告らが遺骨の所有権を有していたとしても,日韓請求権協定及び措置法により所有権を喪失するとは認められない。

エ  原告らの請求のうち,靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求については,その事由が発生した時点,すなわち,戦没者である原告らの親族について被告国が靖国神社に対して戦没者通知をしたとする時期は,原告の主張上明らかではない。ただ,原告らは,戦没者通知は少なくとも昭和52年ころまで行われていたと主張していることに照らせば,原告らの親族についての戦没者通知の一部が,昭和40年6月22日以降に行われていた可能性を完全に否定することはできない。

また,被告国による戦没者通知は,昭和20年8月15日以降に行われたことは明らかであるから,仮に原告らが靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求をする権利を有するとすれば,この権利は同日以降に取得されたことになる。そして,この権利は被告国が靖国神社に対して戦没者の通知をしたことによって生じうるものであって,日韓請求権協定が対象とする権利である「引揚げの時までの間」の「終戦後に生じた特殊な状態の下」において生じうる権利とはいえないから,日韓請求権協定2条2(b)に規定された除外事由である「通常の接触の過程において取得され」た「財産,権利及び利益」に該当する余地があるというべきである。

したがって,いずれにしても,原告らの主張する靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求については,このような権利が仮にあるとしても,日韓請求権協定及び措置法によって消滅したと判断することはできない。

(5) 以上によれば,原告らの請求のうち,遺骨返還請求(所有権に基づくものを除く。)及び死亡状況説明請求,徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働に対する損害賠償請求,死亡,傷害に対する損害賠償請求,未払金支払請求及び未払金に係る損害賠償請求,軍事郵便貯金に係る損害賠償請求,BC級戦犯に係る損害賠償請求並びにシベリア抑留期間中の未払賃金請求及びシベリア抑留に係る損害賠償請求は,その余の点を判断するまでもなく,いずれも理由がない。

2  所有権(物権的請求権)に基づく遺骨返還請求について

仮に原告らが返還を求めている遺骨の所有者であった場合,前記のとおり,その所有権は,日韓請求権協定及び措置法によっても喪失しない。

しかし,所有権(物権的請求権)に基づく遺骨返還請求は,その請求の相手方が当該遺骨を占有していることが要件であるところ,前記のとおり,被告国は原告らが返還を求めている遺骨の保管,占有をしているとは認められない(むしろ,証拠(甲91,96等)によれば,原告らが返還を請求している遺骨の中には,遺族に返還されているものが含まれていることが認められる。)から,原告らが被告国に対して,遺骨の返還を求めることはできないといわざるを得ない。

よって,原告らの所有権(物権的請求権)に基づく遺骨の返還請求は,その余の点を判断するまでもなく,理由がない。

3  靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求について

(1)  原告らは,戦没者通知をすることにより,被告国は,靖国神社と一体となって,別紙当事者目録2の1の括弧内記載の者を合祀しているのであって,これは,憲法が定める平和主義や政教分離の原則等に反し,原告らの民族的人格権,宗教的人格権,思想良心の自由,プライバシーを侵害し,名誉を毀損するものであると主張し,国家賠償法上の損害賠償請求をするとともに,名誉毀損の回復措置又は民族的人格権,宗教的人格権に基づき戦没者通知の撤回を求めている。

しかし,原告らが撤回を求めている戦没者通知は,被告国が靖国神社に対して戦没者の氏名等を回答したという事実行為であって,これによって何らかの法的効果が生じるものではない。原告らが求めている「戦没者通知の撤回」は,何を意味するのかが必ずしも明らかではなく,仮に,戦没者通知を撤回する旨の表明をすることを求めるというのであれば,そのような表明をするよう命じることができるかどうかは,疑問である。

また,原告らが被侵害利益とする民族的人格権,宗教的人格権は,「原告らの人格価値のうち被害民族としての側面」あるいは「静謐な宗教的環境の下で信仰生活をおくるべき利益(の人格的側面)」であるというものの,その概念自体,抽象的かつ不明確であるし,その権利主体,権利の内容,法的効果のいずれの面においても,一義的に明確な権利といえるものではないから,これに法的権利性を認めることができるかどうかも疑問である。

(2)  原告らが主張する戦没者通知は,証拠(甲265ないし267)及び弁論の全趣旨によれば,靖国神社からの照会を受けて,旧厚生省引揚援護局(後の援護局)又はその委任を受けた都道府県が所定の調査をしてその結果をまとめ,回答したものであったと認められる。確かに,昭和31年に旧厚生省引揚援護局長名で各都道府県宛てに発出された文書には「靖国神社合祀事務に対する協力について」という標題が付けられ,「好意的な配慮をもって靖国神社の合祀事務の推進に協力する」などの記載があったり,旧厚生省が合祀が行われたことの通知に協力しようとしたなどの事実があり,被告国が靖国神社に対して協力的であった時期があった事実が認められ(甲265),また,戦没者通知の撤回を求めている原告らの親族の大部分は,このような時期(昭和34年ころ)に旧厚生省の回答によって靖国神社に合祀されたと認められる(甲613,614)けれども,被告国が行った戦没者通知は一般的な行政の調査,回答事務の範囲内の行為というべきであり,戦没者合祀の実施は,靖国神社がその判断,決定によって行っていたと認められる。

そうすると,被告国が,戦没者通知をすることによって,靖国神社と一体となって,戦没者を靖国神社に合祀したものとはいえず,また,戦没者通知自体は,戦没者の氏名等を回答したものであって,原告らに対し,強制や具体的な不利益の付与をするものとは解されないから,原告らの主張は,(1)で述べた問題を措くとしても,その前提を欠き,被告国(旧厚生省)が行った戦没者通知は,原告らの民族的人格権,宗教的人格権あるいは思想良心の自由を侵害するものとは認められない。また,戦没者通知によって回答した内容は,戦没者の氏名等であって,これがただちに戦没者の親族である原告らのプライバシーを侵害するともいえない。

(3)  原告らは,その親族が靖国神社に合祀されていることが韓国国内で知れ渡ったことにより原告らの社会的評価が低下したとも主張するが,靖国神社への合祀の事実が知れ渡った契機は,原告らの主張によっても靖国神社の行為によるというのであるから,原告らの主張はその前提を欠く。そして,前記のとおり,被告国が靖国神社と一体となって戦没者を合祀したとはいえないから,仮に原告らの親族について戦没者通知がされていたとしても,その戦没者通知によって原告らの社会的評価が低下し名誉が毀損されたとはいえない。

(4)  以上によれば,靖国合祀に係る損害賠償請求及び戦没者通知撤回請求は,いずれも理由がない。

4  謝罪文の交付及び広告の請求について

(1)  原告らは,被告らに対し,靖国神社に対して戦没者通知を行い靖国神社と一体となって合祀をしたこと,遺骨返還及び死亡状況説明を行っていないこと,徴兵・徴用及び戦地配備,戦闘行為,労働に就かせたこと,大戦で死傷させたこと,BC級戦犯として処罰されたこと,シベリァ抑留されたこと,徴兵・徴用・シベリア抑留中の賃金を支払わないこと,軍事郵便貯金の返還をしないことにより,人格権を侵害されたとして人格権に基づき,あるいは,上記各行為により名誉を毀損されたとして不法行為に基づき,金銭賠償のほか,謝罪文の交付及び広告を請求するようである。

しかし,既にみたように,名誉毀損による不法行為は認められないから,名誉毀損による不法行為を理由とする謝罪文の交付及び広告が認められる余地はない。また,人格権の侵害を理由とする損害賠償請求あるいは人格権等に基づく戦没者通知の撤回請求,死亡状況説明請求も認められないから,人格権に基づく謝罪文の交付及び広告の請求も,同様の理由により,認めることはできない。

(2)  原告らは,謝罪文及び広告の請求の根拠として,大戦の終戦後,現在に至るまでの被告らの不誠実な対応も,その理由として挙げている。その主張は,要するに,被告国が,韓国国籍を有する旧軍人や旧軍属に対し,大日本帝国下の戦争政策及びこれによる被害に対する補償措置を講じること等を懈怠しているため,原告らの人格権が侵害され,社会的評価が低下しているというもののようである。

しかし,既にみたように,原告らの請求は,いずれも法律上の根拠に基づくものでないか,法律上の根拠に基づいているとしても,措置法により消滅したものであって,いずれにしても被告らがその請求に応じる義務を負わないものである。そうすると,被告らが原告らの主張するような補償の措置等を講じていなかったとしても,そのことが違法といえるものではないし,そのことによって,原告らの人格権が侵害され,社会的評価が低下しているということができるものではない。

(3)  よって,この点に関する原告らの請求も理由がない。

第4  結論

以上によれば,原告らの請求はいずれも理由がないから,いずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・中西茂,裁判官・本多幸嗣裁判官・森冨義明は,転補により署名押印することができない。裁判長裁判官・中西茂)

別紙

当事者目録<省略>

謝罪文目録<省略>

請求目録<省略>

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