東京地方裁判所 平成13年(ワ)15838号 判決 2002年12月20日
原告
甲野太郎
訴訟代理人弁護士
吉峯啓晴
同
松本美代子
同
中里妃沙子
同
室伏美佳
同
高橋拓也
被告
乙野次郎
訴訟代理人弁護士
三宅雄一郎
同
高木権之助
主文
1 被告は、原告に対し、三〇一万三三九三円及びこれに対する平成一二年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、三六四五万六〇一〇円及びこれに対する平成一二年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 基本的事実
(1) 原告は、東京都江東区大島<番地略>所在の公団住宅(以下「本件公団住宅」という。)の二二六号室(以下「原告宅」という。)に居住する者であり、被告は、平成一二年当時、家族とともに同公団住宅の三二六号室(以下「被告宅」という。)に居住していた者である。原告宅の間取りは、別紙図面記載のとおりであり、被告宅の間取りも同様である。(争いがない)
(2) 原告は、別紙著書著作等一覧表記載の著書著作等を有する写真家である。原告は、写真撮影のために世界各地を旅行しており、上記著書著作等の多くは、原告が旅行先で撮影した写真や原告の旅行での体験をもとに作成されている。また、原告は、原告宅において、自分が撮影した写真のフィルムを賃貸する「甲野太郎フォトライブラリー」(以下「本件ライブラリー」という。)を開設している。(甲1、14ないし17、原告)
(3) 被告は、平成一二年一〇月二一日、被告宅の水洗トイレ内の排水管(以下「本件排水管」という。)を詰まらせて水を溢れさせ、さらにその水を被告宅の真下に位置する原告宅に浸水させた(以下「第一事故」という。)。さらに、被告は、同月三〇日、第一事故と全く同様の原因により、原告宅に浸水させた(以下「本件事故」という。)。(争いがない)
(4) 原告は、原告宅の六畳間(別紙図面記載1の部屋、以下「本件居室」という。)の押入れに、それまで撮影した写真のフィルム数万点を保管していた。(甲30、原告)
(5) 本件事故発生後、原告宅において、本件居室の天井のビニール張り替えと吹き付け、ダイニングルーム(別紙図面記載2、以下「本件ダイニング」という。)の天井のビニールの張り替え、廊下の塗り壁の張り替え、ふすま全部(二三枚)の張り替え、畳一二枚の取り替え、本件居室内の押入れ(以下「本件押入れ」という。)の二か所のベニヤ板の張り替え、廊下の天井の吹き付けなどの内装工事が施工された。(争いがない)
2 争点
(1) 原告の主張
ア 本件事故についての被告の責任
本件排水管は、本件公団住宅と一体をなすものとして土地の工作物に該当するところ、本件排水管が詰まって水が溢れたことは前記のとおりであるから、本件排水管の保存に瑕疵があったというべきである。被告は、本件排水管の占有者であるから、民法七一七条一項に基づき本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務を負う。
被告は、被告宅に居住する者として、本件排水管を詰まらせ水を溢れさせないように注意する義務があったにもかかわらず、これを怠り、本件事故を発生させたから、民法七〇九条に基づき本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務を負う。
イ 本件事故による損害
本件事故により、被告宅の水洗トイレの汚水が原告宅に溢れ、原告宅にあったカメラ、フィルム等が水に浸かったり、高湿度状態にさらされるなどしたほか、日用品、家族の遺品等が汚損により廃棄処分を余儀なくされ、以下のとおりの損害(合計三六四五万六〇一〇円)が発生した。
① 本件事故によりフィルムが使用不能となったり寿命が短縮されるなどしたことによる損害九二二万円
② 本件事故により水につかったカメラの修理代、汚損により廃棄処分した動産(日用品、家族の遺品等)の損害五八万七二一六円
③ 本件事故後外泊生活を余儀なくされた際の出費九万四八八二円
④ 本件事故後フィルム保管の必要上、室内湿度を下げるためにエアコン稼働させた際の電気代七七七七円
⑤ 本件事故により使用不能となったり寿命が短縮されたフィルムの賃貸料の逸失利益二〇二四万六一三五円(賃貸料を年間三一一万四七九〇円とし、本件事故により平均残存耐用年数の一三年が半減したとして、六年半分の逸失利益)
⑥ 本件事故により家族の遺品が失われたり、大切にしていた芸術作品であるフィルムが痛んだことによる精神的損害に対する慰謝料三〇〇万円
⑦ 弁護士費用三三〇万円
(2) 被告の主張
ア 本件事故についての被告の責任
被告に不法行為責任があることは争う。
イ 本件事故による損害
本件事故により原告に生じた損害は、本件事故により水につかったカメラの修理代、汚損により廃棄処分した日用品、家族の遺品等の損害四五万五六一六円(原告主張の②の損害を基本とし、動産の一部につき減価償却したもの)、エアコン電気代(原告主張の④の損害)、汚損したフィルム五点の慰謝料五〇万円(一点につき一〇万円)の合計九六万三三九三円に止まる。
第3 争点に対する判断
1 証拠(甲1、2、3の1・2、4ないし7、9ないし28、30ないし32、35、乙1、2、4、5、証人神田眞、原告、被告)及び弁論の全趣旨によれば、本件の経緯について、以下のとおり認められる。
(1) 原告は、中学生のころにキリスト教徒となり、以後、現在までキリスト教を信仰している。原告には、妻との間に三人の子があったが、長女は、昭和四三年に、妻は平成七年に死亡しており、残りの二人の子は独立しているため、現在一人暮らしである。
原告は、古くからカメラが趣味であり、高校時代には写真部に所属するほどであった。原告は、高校卒業後、一四年間クリーニング店で働いた後、その退職金を元手にカメラ店を経営するようになったが、そのころから、いつかは聖書の舞台を撮影してみたいと夢見るようになった。
原告は、昭和五四年ころ、カメラ店を経営を止めて上京し、ワカメのセールスマンになったが、聖書の舞台を撮影したいという夢を捨てることができず、ワカメ店を退職したのをきっかけに、妻子を残して、単身、アマチュアカメラマンとして、イスラエルに赴き、一年間滞在して、イスラエル国内を撮影して回った。
原告は、帰国後、出版社にカメラマンとして入社し、以後、プロのカメラマンとして働くようになった。原告は、その後しばらくして、出版社を退社し、自宅で本件ライブラリーを開設して自分がそれまでに撮影してきたフィルムを出版社等に賃貸して賃料収入を得ながら、フリーカメラマンとして世界中を撮影旅行するようになった。原告は、旅行先で撮影した写真や旅行での体験をもとした写真集を発行したり、他者の作品に写真を提供したりしており、現在では、キリスト教関係やクラシック音楽関係の写真家として、一定の評価を得るに至っている。
原告は、平成一一年ころから、本件公団住宅の二階に所在する原告宅に、単身で居住するようになったが、同じ公団住宅の原告宅の真上に位置するのが被告宅であった。なお、本件公団住宅は、建築後二〇年以上が経過している。
原告は、本件押入れにそれまで撮影した数万点に及ぶフィルムや撮影機材を保管していたほか、本件押入れの真上の天袋にも撮影機材や写真額縁などを保管していた。そのため、原告は、本件居室の湿度管理に留意しており、本件室内の二か所(本件押入れの内部と外部)に湿度計を設置し、エアコン及び除湿器を稼働させて、室内の湿度を夏は六〇パーセント以下、冬は五〇パーセント以下に保つようにしていた。
(2) 平成一二年一〇月二一日午前一〇時ころ、原告宅の廊下と本件押入れの天井から水が漏れ始めたので、在宅していた原告は、真上に位置する被告宅からの水漏れであると判断し、急いで被告宅に赴き、水漏れがあることを伝えた(これが第一事故である。)。その結果、漏水は、一時間程度で収まり、原告宅にあった動産類に対する直接の被害はなかったものの、本件居室内の湿度は七〇ないし八〇パーセント程度となり、フィルムの保管には不適切な状態となった(適切な状態は湿度六〇パーセント未満である。)。そのため、原告は、第一事故発生後、本件居室内のエアコン及び除湿器を二四時間フル稼働させたところ、五日後位にようやく湿度五〇パーセント程度となった。
第一事故の原因は、本件公団住宅は建築後二〇年以上経過しているため、本件排水管は老朽化し、物が詰まりやすくなっていたところに、第一事故発生の前に、被告の長女(当時一八歳)がトイレを使用して水を流した際、通常なら一定水量で停止するはずの貯水槽への水道水の流入が止まらなくなり、そのために貯水槽から便糟への流入、便糟から本件排水管への流入も長時間継続し、その間に、便糟から流れ込んだ物が本件排水管に詰まって水が逆流し、便糟から汚水が溢れだしたことによるものであった。なお、被告宅では、第一事故以前にも、貯水槽への水道水の流入が止まらなくなったことが何度かあった。
被告は、第一事故発生後、長女を始めとする家族に、トイレを使用した際には、貯水槽への水道水の流入が停止することを確認してからトイレを出るようにとの指示をした。
(3) 被告の長女は、平成一二年一〇月三〇日午後四時三〇分ころ、被告宅の水洗トイレを使用して、トイレから出た。ところが、貯水槽からの水道水の流入は停止せず、そのため、水道水は、貯水槽から便糟へ、便糟から本件排水管へと流れ続け、そのうち、本件排水管に物が詰まって逆流し始め、便糟から汚水があふれ出すに至った。その後も、汚水は、便糟から溢れ続けており、長女が同日午後五時三〇分ころ、これに気付いて水道の元栓を締めるまで、汚水は溢れ続けて、階下の原告宅に漏れていき、これにより本件事故が発生した。
当時被告宅には、被告も妻も不在であったが、被告の妻は、長男から連絡を受けて、同日午後六時ころまでには、被告宅に戻った。被告の妻は、直ちに原告宅に赴き、原告に漏水の事実を知らせようとしたが不在であったため、原告宛に漏水事故を発生させたことを知らせるとともに謝罪する内容のメモ(甲2)を作成し、これを原告宅の玄関に貼りつけておいた。
(4) 原告は、平成一二年一〇月三〇日午後一一時ころ帰宅し、前記被告の妻が貼りつけていったメモを見て、再び漏水事故が発生したことを知った。
原告が原告宅の室内に入ると、部屋中を汚水が流れている状況であり、本件居室の湿度は九五パーセント程度となっていた。原告は、直ちに被告夫婦に連絡し、被告夫婦の協力を得て、本件事故後の処理に取りかかった。
本件居室と本件ダイニングは、いずれも天井がビニール張りであったが、汚水が天井とビニールとの間に溜まって、ビニールが垂れ下がっており、本件居室では、居室中央に設置されていた照明器具の付根部分のビニールが破れて、そこから汚水が流れ出ている状態であったため、原告と被告が協力して流れ出る汚水をバケツで受け止め、これを洗面所に持って行って排水するという処理をした。本件ダイニングのビニールは破れてはいなかったが、汚水が溜まっていたことから、本件居室の処理が一段落した後に、ビニールに穴を開けて、そこから流れ出る汚水をバケツで受け、前同様にこれを洗面所に持って行って排水するという処理をした。原告宅の中で、最も被害の大きかったのは、トイレ近くに位置していた本件押入れであり、比較的被害の少なかった原告が寝室に使用して和室(別紙図面記載3の部屋、以下「本件和室」という。)も、ベッドの上に敷いた布団の上に水たまりが出来ているような状態であり、全部の処理が終了したのは翌日である一〇月三一日の午前四時ころであった。
(5) 本件事故により、原告宅の室内の相当部分が汚水に浸かったことから、三つの部屋全ての天井の張り替え、襖全部の張り替え、押入二か所(本件押入れを含む)と天袋のベニヤ板全部の張り替え、本件居室及び本件和室の畳全部の入れ替え、壁の一部の取り替えなどの工事がなされたが(もっとも、本件居室については、原告の希望により、畳の入れ替えに替えてフローリング工事が行われた。)、被告は、これらの工事費用を負担した(なお、畳の入れ替えとフローリング工事の差額は原告が負担した。)。
原告は、本件事故発生からこれらの工事が終了するまでの一〇数日間、ビジネスホテル及びウィークリーマンションでの生活を余儀なくされたが、これらの宿泊費については、ほとんど被告が負担した。
原告は、上記期間中、仕事場でもあった原告宅を使用することができず、それまで原告宅で行っていた取引先との打ち合わせも原告自らが取引先に出向いて打ち合わせをすることを余儀なくされ、交通費を支出することとなったり、それまではもっぱら自炊していたのが、外泊により外食を余儀なくされるなどしたため、余計な出費が嵩んだ。
本件事故により、汚水に浸かった衣類や日用品の多くが使用不能となったうえに、上記のとおり外泊を余儀なくされたため、臨時に日用品等を購入することを余儀なくされた。
原告は、本件事故発生後、フィルム保管に適するように本件居室の湿度を低下させるために、エアコンと除湿器を二四時間フル稼働させ、そのために通常であれば必要のない電気料を支出した。
(6) 本件事故により本件押入れに保管してあったフィルムの一部が水に浸かったほか、室内全体の湿度が極めて高くなったために、アルバムに収納され、直接水をかぶらなかったフィルムも、相当数が高湿度にさらされ、フィルムの耐用年数が短縮された(もっとも、どのフィルムの耐用年数がどれだけ短縮されたかを個々具体的に認めるに足りる証拠はない。)。
本件事故により、原告が原告宅に保管していた亡妻の遺骨箱の外袋が汚損したほか、亡妻及び亡長女の遺品も汚水に浸かったため、原告は、これらの遺品を廃棄処分することを余儀なくされた。
2 被告の責任について判断する。
前記1で認定したところに弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、集合住宅に居住する者として、階下の部屋の居住者に水漏れによる被害を生じさせないために、自室内で水漏れを発生させないようにする注意義務があったところ、本件事故発生の直前ころまでには、被告宅のトイレを使用した際に水道水の貯水槽への流入が止まらなくなるといった事態がしばしば発生しており、本件事故の八日ほど前には、便槽に流入し続けた水道水が逆流して原告宅への漏水事故(第一事故)が発生していたにもかかわらず、以後も、トイレや本件排水管の修繕を行うことなく放置し、かつ、同居の家族に、トイレ使用後の貯水槽への水道水流入の停止の確認を励行させることがないままに日常生活を継続した過失によって、本件事故を発生させたものであると認められるから、被告は、本件事故について不法行為責任を負い、原告に対し、本件事故により生じた損害を賠償すべき義務があるというべきである。
なお、本件公団住宅が建築後二〇年以上経過していることに照らせば、本件排水管は相当程度老朽化していたものと推認されるから、本件排水管が詰まって水が逆流したことについては、本件排水管の老朽化がその一因となっている可能性は否定できないが、仮にそうであるとしても、被告宅のトイレの貯水槽から便槽、便槽から本件排水管への水道水の継続的な流入という事態がなければ、本件事故は発生しなかったものと推認されるから、被告は不法行為責任を免れないというべきである。
3 本件事故により原告に生じた損害について
(1) 前記1で認定したところに証拠(甲3の1、2、9、原告)を総合すれば、原告は、本件事故によって、水に浸かったカメラを修理したり、日用品を廃棄処分せざるを得なくなるなどして、少なくとも四五万五六一六円の損害を被ったものと認められる(これについては、被告も損害として認めている。)。
(2) 前記1で認定したところに証拠(甲30、原告)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、本件事故により、突如として一〇数日にわたって外泊を余儀なくされ、これにより、本件事故がなければ支出することのなかった交通費、食費、臨時の日用品購入費の支出が必要となり、その結果、合計九万四八八二円を支出したことが認められるから、このうち約五割に当たる五万円について、本件事故と相当因果関係ある損害と認める。
(3) 前記1で認定したところに証拠(甲4、原告)を総合すれば、原告は、本件事故発生後、本件居室の湿度を低下させるためにエアコンと除湿器をフル稼働することを余儀なくされ、これにより、平成一二年一〇月二五日から同年一一月二七日までの間の電気代として七七七七円を支出したことが認められるので、これについても本件事故と相当因果関係ある損害と認める(これについては、被告も損害として認めている。)。
(4) 原告は、本件事故により原告の所有するフィルムの耐用年数が短縮され、これにより九〇〇万円の損害を被ったと主張するが、原告の所有するフィルムに原告の主張するような九〇〇万円の客観的価値があることを認めるに足りる証拠はない(のみならず、原告は、原告所有のフィルムを個々に特定して、どれにどれだけの経済価値があるかについて、何ら具体的な主張立証をしていない。)。また、前記1で認定したところに証拠(甲30、乙1、2)を総合すれば、少なくとも五枚のフィルムは水に浸かり、使用不能となっていることが認められるものの、これらのフィルムの経済的価値を具体的に認めるに足りる証拠はない。なお、原告は、撮影に要した経費を根拠にして、フィルムの経済的価値を主張するようであるが、高価な費用をかけて撮影したからといって、そのフィルムに経済的価値が発生するわけではないから、その基本的な損害の立論に問題がある。
原告は、原告の経営する本件ライブラリーは本件フィルムを賃貸して賃料収入を上げていたところ、本件フィルムの耐用年数が短縮されたことによって将来得べかりし賃料収入を失ったとして、その損害の賠償を求めている。しかしながら、原告の主張は、本件ライブラリーの利益の面だけを取り出して損害が発生するとするものであるところ、そもそも本件ライブラリーのフィルム賃貸事業が採算性のあるものでなければ、フィルムの耐用年数の短縮によって原告に経済的損害があるということはできないと解される。原告は、本件ライブラリーの事業採算性につき何ら具体的に主張立証しないから、フィルムの耐用年数の短縮により原告に経済的損害が発生しているか否か不明というほかない。また、前記のとおり原告の所有するフィルムの経済的価値が不明であることに照らせば、原告の主張する逸失利益は、フィルム自体の固有の価値を超えるものである可能性があり、そうすると、このような損害は、特別損害というべきところ、本件事故によって原告にそのような特別損害が発生することについて、被告に予見可能性があったことを認めるに足りる証拠はないから、原告は、被告に対して、この損害賠償を求めることはできない。
(5) 原告の所有するフィルムの耐用年数が短縮されたことによって、原告にどれだけの経済的損害が発生しているのか不明であり、また、現に水に浸かって使用不能となったフィルムの経済的価値も不明であることは前記(4)で検討したとおりである。
しかしながら、前記1で認定のとおり、本件事故により原告の所有するフィルムの相当数につき耐用年数が短縮されていること、原告は、プロのカメラマンとして生計を立てているものであるから、原告所有のフィルムは、ひとつひとつが芸術家としての原告の作品そのものであるといえるところ、芸術家の作品に対する愛着は、それ自体人格権の一部として、法的に保護されるべきものであると解される。
原告は、本件事故により、その所有するフィルムの多くがトイレから逆流してきた汚水に浸かったり、高度の湿気にさらされたりしたことによって、その人格権を侵害され、少なからぬ精神的損害を被ったものと推認されるから、被告は、この精神的損害を賠償すべきである。
(6) 前記1で認定したところによれば、原告は、本件事故により、亡妻の遺骨箱の外袋が汚損されたほか、亡妻及び亡長女の遺品が汚損され、遺品の廃棄処分を余儀なくされたことが認められるから、これにより、人格権を侵害され、精神的損害を被ったものと認められる。
(7) 以上(5)及び(6)で検討したところに、原告の所有するフィルムの多くは、原告が世界中を旅行し、費用と労力を掛けて撮影してきたものであること(甲5、30、原告)、これらのフィルムは、キリスト教を信仰している原告の信仰心とも深く関わっているものであること(甲30、原告)などを含めた本件の一切の事情を総合考慮すれば、本件事故により原告が被った精神的損害は、二〇〇万円を下らないものと推認される。
4 以上によれば、本件事故によって原告が被った損害の合計二五一万三三九三円であるところ、原告が本件訴訟を遂行するために弁護士を依頼していることは当裁判所に顕著であるから、本件の一切の事情を考慮し、本件事故と相当因果関係ある弁護士費用として、五〇万円を相当と認める。
5 よって、原告の本訴請求は、被告に対し、三〇一万三三九三円及びこれに対する不法行為の後である平成一二年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官・大久保正道)
別紙
図面<省略>
著書・著作等一覧表<省略>