東京地方裁判所 平成13年(ワ)1589号 判決 2002年12月27日
原告
伊藤良隆
他三十名
原告ら訴訟代理人弁護士
西川紀男
同
佐々木清得
被告
株式会社高速
代表者代表取締役
赫規矩夫
訴訟代理人弁護士
勅使河原安夫
同
服部耕三
同
高橋誠也
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、別紙給料等一覧表(以下「給料一覧表」という)の「社員名」欄記載の各原告に対し、給料一覧表「三月分給与」欄記載の各金員及びこれに対する平成一三年三月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の完全子会社に対し営業を譲渡する営業譲渡契約を締結した譲渡会社の従業員であった原告らが、被告に対し、(1)雇用契約の予約の債務不履行に基づく損害賠償、又は、(2)被告が、譲受会社(子会社)の株主総会で、正当な理由がないのに営業譲渡を否決したために損害を被ったとして、信義則上の義務の債務不履行に基づく損害賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実等(証拠によって認定した事実は、括弧内に証拠番号等を付した)
(1) 当事者
株式会社岡野(以下「岡野」という)は、燐寸、割箸、荒物雑貨等の製造販売を主たる業務とする株式会社であり、株式会社モンテローザ(以下「モンテローザ」という)等を取引先とし、大手コンビニエンスストアに卸す割箸等を取扱う割箸業界における老舗的存在であった。
原告らは、岡野に雇用された従業員であった。
被告は、食品向け軽包装資材の専門商社で、東北地方と首都圏を中心に活動している株式会社であった。株式会社トーエイ(以下「トーエイ」という)は被告の一〇〇パーセント子会社であったが、平成一一年一〇月八日被告に吸収合併された(吸収合併につき書証略)。
(2) 本件営業譲渡の合意(本件契約)
岡野とトーエイは、平成一一年二月二六日、譲渡日である平成一一年四月一日(一条)に岡野の資産の一部及び営業権をトーエイが譲り受け(以下「本件営業譲渡」という)、譲渡日までに株主総会決議でその承認を求め、両社の株主総会の承認及び法令の定める関係官庁の承認により譲渡の効力を生じるとの合意をし、その旨の営業譲渡契約書を作成した(以下「本件契約」という。本件契約の内容について書証略)。
本件契約においては、岡野の負債は譲渡の対象とせず、岡野の責任で弁済することとされており、トーエイが「岡野が営業譲渡以前に本営業により負担した債務については、トーエイはその責任を負わない」旨の登記を行うことに岡野が同意していた。
本件契約において、トーエイは、譲受する営業に従事している岡野の従業員を、本人の意思に反しない限り、譲渡日において引き継ぐものとし、従業員に対するその他の取扱いについては、別途、協議の上決定するものとされ、岡野は、譲渡日の前日までに同日までの給与、退職金を支払い、当該雇用契約を円満に終了させることとなっていた。
(3) トーエイの株主総会での否決
被告は、トーエイの株主総会において、平成一一年三月一七日、本件営業譲渡を否決した。
(4) 岡野の破産宣告
岡野は、平成一一年四月一日、二回目の手形不渡りをし、東京地方裁判所に自己破産を申請し、同月二七日破産宣告を受け、原告らと岡野との雇用契約は終了した(書証略)。
2 争点
(1) 雇用契約の予約の債務不履行
ア 平成一一年二月二七日、被告の従業員楢山健郎と佐々木康は、原告らに対し、被告が、原告らを岡野と原告ら間の雇用契約の条件と同じ条件で平成一一年四月一日から雇用する旨の予約をしたか。
イ 被告は、アに先だって、楢山健郎と佐々木康に対し、原告らと雇用の予約をする権限を授与したか。
ウ 平成一一年二月二七日当時、原告らが岡野から雇用契約に基づき支給を受けていた賃金は、給料一覧表のとおりであったか。
(2) 株主総会決議をすべき信義則上の義務の債務不履行
ア 被告は、原告らに対し、正当な理由がない限り、トーエイの株主総会において、本件営業譲渡の可決をすべき信義則上の義務があったか。
イ 被告には、トーエイの株主総会で本件営業譲渡の否決をする正当な理由があったか。
ウ 債務不履行と因果関係がある損害
3 争点(2)についての当事者の主張の要旨
(1) 被告は、原告らに対し、正当な理由がない限り、トーエイの株主総会において、本件営業譲渡の可決をすべき信義則上の義務があったか。
(原告ら)
以下の各事実の下では、被告は、原告らに対し、正当な理由がない限り、トーエイの株主総会において、本件営業譲渡の可決をすべき信義則上の義務があった。すなわち、株主が営業譲渡について株主総会で自由に判断できるのは、株主が営業譲渡の第三者であるからだが、本件契約締結に至るまで、トーエイの親会社である被告は以下のアないしカの各行為をしており、実質的に営業譲渡の当事者といえるからである。前記1(2)のとおり、原告らは、本件営業譲渡に伴って、トーエイに雇用される予定であったから、被告は、原告らに対し、前記義務を負うというべきである。
ア 被告は、平成一〇年一二月八日付けで、株式会社富士銀行(以下「富士銀行」という)企業開発部(以下「開発部」という)又は富士銀行上野支店から書証略のとおり、岡野の営業内容について説明を受けた。
イ 被告は、平成一一年一月後半から二月末にかけて、岡野の全帳簿、在庫、その他の資料を検討し調査した。
ウ 被告は、岡野又は原告らに対し、開発部を通じ、又は、直接、書面による回答を求め(書証略)、岡野は、書面、電話又は口頭でそれぞれ回答し(書証略)、帳簿・関係書類その他の資料を一〇本の磁気テープに収録して交付した。
エ 被告は、岡野の本社及び佐倉工場を来訪して調査し、平成一一年二月末まで岡野の業務内容全部を把握していた。
オ 被告の担当者は、岡野の代表者の案内で、平成一一年三月五日、岡野の取引先であるモンテローザを訪問し今後の取引に支障がないよう話し合いをした。
カ 被告の担当者は、平成一一年三月八日から同月一一日まで、大連工場に案内され調査を行った。
(被告)
株式会社における営業譲渡については、譲渡会社、譲受会社ともに株主総会の決議が必要とされている(商法二四五条)。営業譲渡は譲受会社にとっても重大な影響があることから、株主総会での判断は、株主にフリーハンドとして与えられており、本件契約書にもその旨記載されている。したがって、株主総会での判断が信義則上の義務に違反したというためには、相手方に対する損害発生の可能性を意図、認容した害意が必要と解される。しかし、被告は、本件営業譲渡に向けて誠実に努力してきたのであって、何ら害意はなく、信義則上の義務の違反はしていない。
ア 原告ら主張のアないしウの各事実は争わない。同エのうち、本社、佐倉工場の調査は認め、その余は否認する。
イ 同オのうち、被告の副社長和才烝也(以下「和才」という)、同取締役吉峯昭建(以下「吉峯」という)が、岡野正彦(以下「岡野社長」という)とモンテローザを訪問したことは認め、その余は否認する。
ウ 同カのうち、和才及び吉峯が、平成一一年三月八日から同月一一日まで、岡野の大連工場に案内され、調査を行ったことは認める。
(2) 被告には、トーエイの株主総会で本件営業譲渡の否決をする正当な理由があったか。
(被告)
被告が本件営業譲渡を否決したのは、以下の理由による。
ア 岡野の元営業担当者大西洋三(以下「大西」という)が、岡野の売上げの四〇パーセントを占めるモンテローザに移籍し、モンテローザが競合見積もりによる二社購入を決定し、モンテローザの岡野の担当者となった大西が、平成一一年三月一五日、岡野の納入価格を厳しく指定した取引条件を提示する文書(書証略)を示してきたことで、同年四月一日以降の営業収益が予測より著しく減少する見通しとなった。
イ 岡野は、富士銀行の支援を受けていたところ、被告は、当初、同行から、三月末の仕入商品の決済がされる六月までは手形割引等で岡野に資金援助を行い、その後、岡野の清算を図るという予定と聞いていた。ところが、被告は、平成一一年三月五日ころ、富士銀行は同年三月中の岡野の援助に応じないこととしたとの意向を聞いたので、同月末までの期日において岡野が振出手形を決済できないおそれが発生した。仮に、岡野が四月に破産宣告を受ければ、岡野の債務を引き継がない本件営業譲渡に対し、否認権行使がなされるおそれがあり、トーエイが正常な営業活動ができなくなることが危惧された。
(原告ら)
被告の本件営業譲渡の否決の理由は、以下に述べるとおり、まったく事実無根であり、理由にならないものである。
ア 被告主張のアの事実中、モンテローザに岡野の元営業担当者大西が移籍したことは認めるが、モンテローザが二社購買を決定したり、厳しい納入価格を指定したことはない。書証略の文書は、大西が岡野に在籍していたときに作成したもので、納入価格の指定とは何ら関連がない。大西が移籍したことで、より円滑な取引が期待できることはあっても、今後の取引には支障はなかった。
イ 被告主張のイの事実中、富士銀行が平成一一年三月末までの仕入商品決済の六月まで手形割引等で岡野に資金援助を行う予定であったことは認める。富士銀行は、岡野には、その後、自己破産申請を行うよう勧めており、岡野としてもその予定であった。しかし、富士銀行が平成一一年三月五日、岡野の三月中の支援打ち切りを決めたことは否認する。本件営業譲渡を強く推進してきた富士銀行が、その成就直前にこれを妨げるようなことを決めるはずがないし、三月一〇日、三月一一日、三月一五日までは富士銀行上野支店で手形割引が行われ、岡野の支払手形の決済はなされていることがこれを裏付ける。富士銀行上野支店が手形割引に応じなくなったのは、本件営業譲渡が否決されたからである。
(3) 債務不履行と因果関係がある損害
(原告ら)
本件契約締結に向けての徹底した被告担当者らの調査により、「岡野あやうし」の噂が流れ、信用不安が生じた。富士銀行上野支店が、平成一一年三月末の決済に必要な手形割引に応じなくなったのは、本件営業譲渡が否決されたからである。この倒産により、原告らは職を失い、給与一覧表記載の「三月分給与」の賃金相当額の損害を被った。
(被告)
岡野が倒産したのは、約五十億円もの過大な債務を負担し、四月以降、主要取引銀行であった富士銀行から援助を得られなかったことによる。
第三当裁判所の判断
1 争点(1)(雇用契約の予約の債務不履行)について
本件全証拠によっても、平成一一年二月二七日、被告の従業員楢山健郎と佐々木康が、原告らとの間で、被告が、原告らを同年四月一日から雇用する旨の予約をしたと認めるに足りる的確な証拠はない。
書証略ないし書証略の記載及び原告福原一男本人の供述中には、楢山健郎が、同年二月二七日、被告の指示により休日出勤した原告らに対し、「全員を雇用する」旨発言したとあるが、これを否定する証拠(略)と対比して採用できない。また、証拠略によれば、平成一一年一月から本件契約が締結された同年二月二六日に至るまで、営業譲渡が発効したとき原告らを雇用するのは被告ではなくトーエイとされているから、仮に、楢山が前記発言をしたとすれば、トーエイが、本件契約にしたがって原告らを雇用するとの趣旨であると理解するのが相当であり、この発言が、本件契約によるトーエイの原告らの雇用とは別に、被告が原告らを将来雇用する旨約束したものであるとは認めることはできないというべきである。
また、第二の1(2)のとおり、前記本件契約及び証拠(略)によれば、原告ら岡野の従業員は、岡野から退職金を受領するとされ、岡野をいったん退職した後にトーエイに雇用される予定であったもので、原告らと岡野との雇用契約の使用者たる地位をトーエイが譲り受けることとはされていなかったものと認められる。そうすると、トーエイが原告らが希望する限り全員を雇用するとしても、賃金等の労働条件が岡野との雇用契約と同一であることが当然予定されていたとはいえない。また、本件契約によれば、従業員に対するその他の取扱いについては、別途、協議の上決定するとされており、原告らとトーエイとの雇用契約における賃金その他の労働条件は具体的に定まっていなかったものと認められる。したがって、雇用契約の予約が成立したとは認めるに足りないというべきである。
したがって、その余の点について検討するまでもなく、原告らのこの点についての請求は理由がない。
2 争点(2)(株主総会決議をすべき信義則上の義務の債務不履行)について
(1) 本件営業譲渡が発効した場合、被告は、原告らを雇用する直接の当事者ではなく、被告の完全子会社であるトーエイが原告らを雇用すべき地位にあったことは、前記1で判示したとおりである。しかし、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、トーエイの代表者であった吉峯は被告の取締役であり、吉峯ら被告の役員、幹部職員が、トーエイと岡野との本件契約締結に至るまで、直接又は本件営業譲渡の仲介を行った富士銀行調査部を介し、岡野に対する質問を行い、岡野の営業の内容、財政状況、得意先の情報、得意先との取引状況、得意先との取引の今後の見通し、販売品の生産、仕入れの状況、従業員の構成、年齢、賃金、販売データの管理方法、株主の構成、本件営業譲渡後の岡野の経営状況等、本件営業譲渡にまつわる情報について調査を行い、トーエイの利益を代弁して交渉していたことが認められる。かかる事実関係の下では、被告は、原告らとの関係ではトーエイと同視すべきであり、原被告間において、原告らがトーエイに雇用されるのが確実であると相互に信頼すべき段階に至ったときは、被告は、原告らに対し、正当な理由なく、雇用契約締結を拒否できない信義則上の義務があるというべきである。
そこで、平成一一年三月一七日の時点における当事者間の交渉状況を検討するに、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、本件契約においては、営業譲渡に伴い、譲受する営業に従事している岡野の従業員を本人の意思に反しない限りトーエイが雇用する旨合意されているが、譲渡の日は同年四月一日とされ、その日までに両社の株主総会の承認及び法令の定める関係官庁の承認を得ることになっており、この承認があるまでは、未だ発効には至っていなかったこと、かつ、譲渡される資産の範囲についてはほぼ決定していたが、同年三月一七日時点において、棚卸資産の監査も実施されておらず、最終的な譲渡価格についてはトーエイと岡野の間で合意されていなかったことが認められる。また、前記1のとおり、原告ら岡野の従業員は、岡野をいったん退職し、トーエイに雇用される予定であったもので、労働条件が岡野との雇用契約と当然に同一であることを予定していたとはいえないところ、本件契約においては、従業員に対するその他の取扱いは別途協議の上決定するものとされ、原告らとトーエイとの労働条件について定まっていなかったものと認められる。
そうすると、本件では、平成一一年三月一七日の時点において、当事者間において、原告らがトーエイに雇用されるのが確実であると相互に信頼すべき段階に至っていたとはいえないというべきであり、被告が、原告らに対し、正当な理由なく、雇用契約締結を拒否できない信義則上の義務を負担していたということはできない。したがって、被告が株主総会で本件営業譲渡を否決したことは、前記義務に違反する行為であるとはいえないというべきである。
(2) また、仮に、被告が前記義務を負担していたとしても、証拠(略)によれば、岡野が破産宣告を受け、原告らと岡野との雇用関係が終了したのは、岡野が、主取引銀行であった富士銀行上野支店による手形割引を受けられず、平成一一年三月末日以降の決済のための資金繰りに失敗したことによるものであるところ、岡野が当時、同行に対し約二五億円の負債を負っていたほか、年間売上げを大きく超える五〇億円以上の負債を抱えていたこと(証拠略)からすれば、同行が岡野の支援を行わなかった理由が、本件営業譲渡の否決によるものか、その他の事由によるものかは、不明というほかはなく、被告の債務不履行と原告ら主張の損害との間には因果関係があるとは認めるに足りないというべきである。
また、前記1のとおり、原告ら岡野の従業員は、本件営業譲渡に伴いトーエイに雇用される予定であったものの、賃金等の労働条件は具体的に定まっていなかったのであるから、この点からも、被告の債務不履行と原告ら主張の損害との間に因果関係があるとは認めるに足りないというべきである。
(3) 以上から、原告らのこの点についての請求は、その余について判断するまでもなく、理由がない。
3 以上から、原告らの請求は、いずれも理由がない。よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 伊藤由紀子)
給料等一覧表(略)