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東京地方裁判所 平成13年(ワ)17222号 判決 2002年11月05日

原告

甲野太郎

同訴訟代理人弁護士

坂本文正

橘田洋一

被告

株式会社東芝

同代表者代表取締役

乙山一郎

同訴訟代理人弁護士

渡邉修

吉澤貞男

山西克彦

冨田武夫

伊藤昌毅

峰隆之

富岡武彦

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,1007万円及びこれに対する平成13年6月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告を退職した原告が被告に対し,退職手当金規程に基づく退職金の残金の支払を求めた事件である。

1  前提事実(証拠を掲げないものは,争いがない。)

(1)  被告は,情報通信システム,重電機,家庭電器などの製造販売を目的とする株式会社である。

(2)  原告は,昭和47年4月1日,被告に入社した。

(3)  原告は,平成11年4月16日,財団法人家電製品協会に出向し,環境部次長の職にあったが,平成13年4月3日の出勤途上,突然出奔し,同年5月1日,長野県松本市内で家族によって発見され,自宅に連れ戻された。原告は,同月11日,被告に対し,退職届を提出し,同日をもって被告を退職した(勤続期間29年2か月(29.17年),退職時54歳)。

(4)  被告の退職手当金規程には,次の定めがある(<証拠略>)。

(基本額の算出)

2条の2 基本額は,基本額ポイントを用いて算出し,基本額ポイントは勤続ポイントと成果ポイントの合計により算出する。

1号 勤続ポイント

勤続ポイントは,毎年4月1日現在の勤続期間及び年齢に基づき,別表〔1〕により付与する。

2号 成果ポイント

成果ポイントは,毎年4月1日現在の資格及び当該年度の昇給考課に基づき,別表〔2〕により付与する。

(会社都合,死亡,定年等の場合の基本額)

3条 勤続満1年以上の社員を次の各号の一に該当する事由により解用(ママ)したときは,基本額ポイントに別表〔3〕のポイント単価を乗じて算出した額を支給する。

1号 やむを得ない業務上の都合によるとき

2号 精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱,傷病等のため業務に耐えられないと認めたとき

3号 精神若しくは身体の故障又は虚弱,傷病等のため業務に耐えず退職を願い出てその事由ありと認めたとき

4号 傷病による休職期間が満了したとき

(5,6号省略)

(自己都合の場合の基本額)

4条 勤続満2年以上の社員をその願出により解用(ママ)したときは,前条により算出した額に,別表〔4〕の率を乗じた額を支給する。

(特別退職手当金<1>)

9条 3条に該当する者に対しては,次の基準により算定した額を特別退職手当金<1>として3条の基本額に加算する。

年金ポイント×100×別表〔6〕支給率+別表〔7〕定額分

(特別退職手当金<2>)

9条の2 3条に該当する者であって勤続満10年以上の者に対しては,別表〔8〕に定める額を,特別退職手当金<2>として3条の基本額に加算する。

(退職手当金の減額及び不支給)

16条

1項 社員の責めに帰すべき事由に基づいて解用(ママ)したときの退職手当金の額は,4条の基本額の50%とする。ただし,懲戒解雇に処したとき又は懲戒解雇に準じる事由により退職したときは退職手当金は支給しない。

2項 前項但書にかかわらず,勤続満10年以上の者に限り,情状によって4条の基本額の50%を限度として退職手当金を支給することがある。

(退職手当金の支払期日)

19条 退職手当金は,解用(ママ)の事務手続を完了した日から原則として2週間以内に支払う。

(5)  被告の就業規則には,次の定めがある(<証拠略>)。

(解雇)

26条 次の各号の一に該当するときは,解雇する。

1号 精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱傷病等のため業務に耐えられないと認められたとき。

2号 仕事の能力若しくは勤務成績が著しく劣り,又は職務に怠慢なとき。

3号 会社業務の運営を妨げ又は著しく協力しないとき。

4号 18条1号(業務外の傷病),2号(所定の手続を経た1か月以上の事故欠勤),6号(刑事訴追による1か月以上の身柄拘束)により休職を命じられた者の休職期間が満了したとき。

5号 職制の改廃,経営の簡素化,事業の縮小その他会社業務の都合により剰員を生じたとき。

6号 懲戒解雇に該当する行為があったとき。

7号 その他会社業務の都合上,やむを得ない事由があるとき。

(懲戒解雇又は出勤停止)

103条 次の各号の一に該当するときは,懲戒解雇に処する。ただし,情状により出勤停止にとどめることがある。

1号 正当な理由なく,若しくは虚偽の理由により,又は届出を怠って,欠勤が30日間を通じ14労働日以上に及んだとき。

(6)  仮に原告に退職手当金規程3条を適用した場合,原告の退職金は次のとおりとなる。

ア 基本額

原告の勤続ポイントは,別表[1]但書を適用すると年間6となり,これに勤続期間29.17(年)を乗じると,175.02ポイントとなる。

原告の成果ポイントは,別表[2]の資格A3/B1,昇給考課E2により年間54となり,これに勤続期間29.17(年)を乗じると,1575.18ポイントとなる。

したがって,原告の基本額ポイントは1750.2ポイントとなる。

これに別表[3]のポイント単価5000円を乗じると,基本額は875万1000円となる。

イ 特別退職手当金<1>

原告は,退職時,「参事」の資格であったから,別表[7]の定額分は237万円である。

ウ 特別退職手当金<2>

原告の勤続年数は29.17年であるから,これに対応する別表[8]の支給額は267万6000円である。

エ 原告の退職金額

ア~ウを合計すると,1379万7000円となる。そのうち372万7000円が支払済みであるから,残金は1007万円となる。

2  争点

(1)  退職手当金規程3条2号または3号の適用の可否

(原告の主張)

ア 原告は,被告に入社して以降,長年にわたり専ら営業畑の業務に携わってきたが,特定家庭用機器再商品化法(いわゆる家電リサイクル法)の施行に向けて,平成11年4月16日,家電製品協会に出向し,家電業界側から同法の施行に向けた業務(主に,指定法人関連の業務と経済産業省からの委託事業立上げの業務)をすることとなった。ところが,このような業務は,原告にとって不慣れな分野であったうえ,前例もなかったので,原告は,いわば手探りの状態で戸惑いつつ激務を強いられ,さらに官庁や同業他社・関連業界などとの煩雑な渉外業務が加わるなどしたため,業務に行き詰まり,平成12年末ころから心身に著しい変調を来すようになった。

原告は,平成13年4月1日からの家電リサイクル法の施行に備えて無理を重ねていたが,ついに積み重なった精神的負荷に耐えきれず,同月3日の出勤途上,突然出奔した。原告は,その後,主にカードローンにより出金し当座の資金を手当てしながら各地を転々とさまよったが,同年5月1日,家族に発見された。

原告は,同月9日,東京女子医大を受診したところ,担当医師は,うつ病であり1か月ほどの入院を要する,会社とのやり取り等を自己判断してはならない,診断書については,対外的に穏便に済ます配慮から診断書には自律神経失調症と記載した,5月末までは会社を休む必要があると説明した。

したがって,原告は,当時,精神の故障により業務に耐えられない状態にあったから,退職手当金規程3条2号または3号に該当する。

イ 被告は,原告の心身の故障について自ら調査せず,平成13年5月11日,今後のことについて連絡すると指示しながら連絡せず,原告に弁明の機会を与えなかったから,被告には,業務に耐えられない心身の故障の事由があるか否かを判断する資格はない。したがって,被告がその事由ありと認めなかったことは,退職手当金規程3条3号の適用を拒む根拠とはならない。

(被告の主張)

ア 退職手当金規程3条3号は,被告が普通解雇事由のある社員を解雇した場合,後日被告と社員との間で解雇に関する紛争が発生するおそれがあるので,このような紛争を防ぎ,社員に円満退職してもらうことを目的とした規定である。したがって,この条項は,被告が自己都合退職の場合よりも高額の退職金を支給する合理性があると判断した場合に限り適用される。

原告の長期無断欠勤は,就業規則103条1号の懲戒解雇事由に当たり,原告は懲戒解雇に処されるべきであったが,被告は,原告の文書による反省陳謝の意思表明その他諸般の事情を勘案し,依願退職扱いとした。本件は,普通解雇事由の有無が問題となる事案ではないから,原告に退職手当金規程3条3号を適用する余地はない。

イ 退職手当金規程3条3号は,従業員が精神若しくは身体の故障又は虚弱,傷病を理由として退職を願い出た場合に必ず適用されるわけではなく,社員が業務に耐えられないことを被告が認めてはじめて適用される。

原告は,被告を退職した当時,「うつ病」の診断書を提出しておらず,被告は,原告がうつ病であると認識していなかった。原告が当時提出した診断書には,「自律神経失調症のため,平成12年4月1日から2か月の休養が必要である。」と記載されていたから,被告は,休養期間が経過すれば業務復帰が可能であると判断した。被告は,「精神若しくは身体の故障又は虚弱,傷病のため業務に耐えず」「その事由ありと認め」ていないから,退職手当金規程3条3号は適用されない。なお,被告が自律神経失調症の社員を就業規則26条1号に基づき解雇した例はない。

ウ 被告は,うつ病の社員は社員としての地位を有したまま投薬,通院によって治療させ,場合によっては休職の上,治療に専念させることはあるが,うつ病の発症を理由に解雇した例はない。仮に原告が退職願を提出した当時うつ病であったとしても,原告には普通解雇事由はないから,退職手当金規程3条3号は適用されない。

エ 退職手当金規程3条2号は,普通解雇の場合の規定であるから,退職願を提出して合意退職した原告には適用されない。

(2)  退職手当金規程16条の適用の可否

(被告の主張)

原告は,平成13年4月3日の出勤途中,家電製品協会に対し出社が遅れると連絡したのを最後に失踪し,以後音信不通となった。原告は,妻に対し,同月22日消印の書簡により,松本市内にいると連絡したが,詳細な居所については連絡しなかった。被告は,同年5月1日,原告の妻から,松本市内で原告を発見したとの連絡を受けた。原告は,同月11日,妻と同道し職場に顔を出し,詫び状と退職願を提出するまで19労働日にわたり無断欠勤を続けた。原告の行為は,就業規則103条1号の懲戒解雇事由に該当する。

また,出奔当時,原告は出向元である被告において,ライフエレクトロニクス・マーケティング統括部に所属し,業務担当参事の役職者であり,なおかつ,経営職掌の地位にあり,企業秩序の維持・確保を図るべき立場にあったにもかかわらず,家電製品協会の担当業務及び関連業務の運営並びに生産活動の維持に著しい支障を生じさせたばかりではなく,同協会の被告に対する信用をも失墜させた。原告の長期無断欠勤は,生産秩序・職場秩序を著しく乱し,ひいては企業秩序を著しく乱すものであるから,懲戒解雇に準じるものである。

原告の退職金は,本来ならば退職手当金規程16条1項ただし書により不支給とすべきところ,被告は,原告の文書による反省陳謝の意思表明があったことその他諸般の事情を勘案し,依願退職扱いとし,同条2項により自己都合退職手当金基本額の半額を支給した。

(原告の主張)

原告は,当時,長期休業が必要であり,勤務可能な状態にはなかった。原告の落ち度は,単に欠勤を連絡しなかったことにすぎない。

第3争点に対する判断

1  退職手当金規程3条2号または3号の適用の可否(争点(1))について

(1)  事実関係

証拠(後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 出奔から発見までの経緯

原告は,被告に入社した後,一貫して問屋への家電製品の販売を中心とする営業業務に従事していたが,平成11年4月16日,家電製品協会に出向し,環境部に配属され,同部の次長の職にあった。当時,特定家庭用機器再商品化法(いわゆる家電リサイクル法)が平成13年4月1日に施行される予定であったので,家電製品協会は同法に基づく業務の実施を準備していた。具体的には,<1>経済産業省からの委託事業,<2>指定法人の設立(指定法人の機構立案,特定製造業者への説明,契約,再商品化などの実施委託に関する契約,指定法人経理処理などの構想立案,情報処理構築),<3>家電リサイクル券センター支援,<4>その他家電リサイクル法関連事項,流通EDI委員会関連事項,環境部関連事項などの業務があり,原告はこれらすべてに従事していた。

家電リサイクル法関連の業務は,同種の先例がないことや,その遂行に当たり関係官庁,同業他社,関連業界などとの煩雑な調整が必要であることなどから,長年従事してきた営業の業務とは性質が異なるものであった。原告は,慣れない業務に戸惑いを覚えたうえ,直属の上司である専務理事との折り合いが悪かったため,次第にストレスがたまり,仕事に苦痛を感じるようになった。原告は,出向先の職場に親しい相談者がいなかったこともあり,孤立感を深めるようになった。

このような中で,家電リサイクル法の施行を目前に控えた平成12年末から平成13年初めにかけて,業務が多忙となったので,原告は,慢性的に寝不足になるなど心身に変調を来すとともに,精神的に不安定な状態になった。

平成13年4月1日,家電リサイクル法が施行されたが,重要な業務の1つである経済産業省からの委託業務の遂行が遅滞し,解決の見通しがたたなかった。原告は,従前から蓄積した精神的負担に耐えきれなくなり,現実逃避したいとの一心から,同月3日の出勤途上,突然出奔した。

原告は,家族や職場への連絡を絶ったまま各地を転々とした後,同月24日,妻に対し,長野県松本市内にいると手紙で連絡したが,具体的な居場所は伝えなかった。原告が出奔中に使用していたキヤッシュカードの使用記録から居場所が判明したため,原告は,同年5月1日,家族に発見され,自宅に連れ戻された。

(<証拠・人証略>)

イ 通院

原告は,平成13年5月9日,東京女子医科大学病院を受診した。原告は,担当医師に対し,出社途中に出社拒否の気持ちになり,会社に行かず,約1か月間,各地をさまよったなどと述べた。原告には,希死念慮,抑うつ気分,悲観的,自責的,意欲低下,興味・関心の喪失,遁走的な逃げ出し,体重減少の症状が見られた。担当医師は,原告を約1か月の入院を要するうつ病と診断したが,「うつ病」という病名が社会的偏見を招くおそれがあることなど諸般の事情を考慮して,同年4月1日から2か月の休養を要する自律神経失調症と記載した診断書を発行した。担当医師は入院を勧めたが,原告はこれを拒み,通院を強く希望した。

原告は,その後,同年8月ころまで,10日に1回程度,東京女子医大病院に通院し,投薬治療などを受けた。その結果,原告は,焦燥感が徐々になくなるなど,症状が改善したので,自らの意思で通院をやめ,自宅で療養することとした。

(<証拠・人証略>)

ウ 退職手続

原告は,平成13年5月11日,被告に出社した。原告は,O本部長に対し,自信喪失,自己の能力に限界を感じたことが出奔の原因であると説明するとともに,経過報告書,退職願,診断書(「自律神経失調症」の診断名のあるもの)を提出した(<証拠略>)。

(2)  退職手当金規程3条2号または3号の適用の可否

ア 退職手当金規程3条の趣旨

退職手当金規程3条は,<1>やむを得ない業務上の都合,<2>精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱傷病等のために業務に耐えられないこと,<3>傷病による休職期間が満了したことを適用の要件としており,同条の適用を受ける者が特別退職手当金<1>,<2>の支給対象となり,自己都合退職の場合や,勤務成績不良や非違行為を理由とする解雇の場合よりも高額の退職金が支払われる。また,これらの事由は,就業規則26条1号,4号,7号の普通解雇事由としても規定されている。そうすると,退職手当金規程3条は,身体の故障や傷病による労務提供の不能や労働能力の喪失,社員に帰責性のない被告の業務上の都合を理由に社員を解雇した場合,被告と社員との間で解雇の効力に関する紛争が発生するおそれがあるところ,通常の場合よりも高額の退職金を支払うことにより,このような紛争の発生を防ぎ,社員との間で円満に雇用関係を終了させることを目的とするものと解される。したがって,精神若しくは身体の故障,虚弱,傷病等が「業務に耐えられない」というためには,これら傷病等の内容,程度に照らし,当初の業務に復帰することが困難であることが高度の蓋然性をもって予測できることが必要と解される。

イ 退職手当金規程3条3号の適用の可否

(ア) 前記(1)の認定事実によれば,原告は,被告を退職した当時,うつ病にかかっていたが,この傷病は,約1か月の入院を要する程度のものであり,回復に長期間を要することが見込まれるものとはいえなかった。実際にも,原告は,平成13年5月から同年8月ころまで,定期的に病院に通院し,投薬治療などを受け,その結果,焦燥感が徐々になくなるなど症状が改善し,原告はその後の通院を必要としなくなった。

原告のうつ病の原因は,当時担当していた仕事の内容や上司との間の人間関係からくるストレスにあると考えられるが,原告が家電製品協会に出向する以前は特に支障なく勤務していたことからすると,このようなストレスは,配置転換など原告の職場環境を変えることにより解消することが可能といえないではない。また,被告は,従前から,社員がうつ病にかかった場合,社員としての地位を維持したまま投薬,通院によって治療させたり,場合によっては休職を命じて治療に専念させたりしており,うつ病を発症したことを理由に直ちに「業務に耐えられない」と判断して社員を解雇した例はなかったから(<証拠・人証略>),仮に被告が原告のうつ病の存在を知ったならば,まず職場復帰のための措置を講じたと考えられる。

したがって,原告が被告を退職した当時,原告の精神の故障(うつ病)は,一時的なものであって,その内容,程度に照らして当初の業務に復帰することが困難であることが高度の蓋然性をもって予測できるものとは認められないから,「業務に耐えられない」ものであったということはできない。

(イ) 退職手当金規程3条3号は,被告が社員に当該事由があると認めたことも要件としており,被告が通常の自己都合退職などの場合よりも高額の退職金を支給することに合理性があると判断した場合に限り同号が適用される。その判断は,被告の裁量の範囲に属すると解されるが,恣意的な判断が許されるべきではないから,信義に反する特段の事情がある場合は,被告はその適用を拒むことはできないと解される。

原告は,被告を退職した当時,「自律神経失調症」の診断書を提出していたが,「うつ病」の診断書を提出しておらず,経過報告書や原告の言動からも,原告がうつ病にかかっていたことを強くうかがわせるものはなかったから(<証拠・人証略>),被告がうつ病の存在を知らなかったからといって,被告に落ち度があるとはいえない。原告は,被告は原告の心身の状況を調査して把握すべきであったと主張するが,傷病の有無や程度は原告の重要なプライバシーに関する事項であるから,原告が自ら申告しないのにあえて傷病の有無を調査する義務があるとはいえない。それに加え,原告のうつ病の症状は一時的なものであり,治療により改善を図ることが可能であったこと,被告にはうつ病の発症を理由に社員を解雇した例はなかったことからすると,被告が本件において退職手当金規程3条3号の適用を拒むことが信義に反するとまでは認められない。

(ウ) 結論

以上によれば,本件において,退職手当金規程3条3号を適用することはできない。

ウ 退職手当金規程3条2号の適用の可否

原告は,退職手当金規程3条2号の適用を主張するが,同号は,その文言からすると,被告が社員を普通解雇する場合の規定と解される。原告は,被告に退職願を提出して合意退職したのであるから,本件に同号を適用することはできない。

エ 退職金額

以上に基づき原告の退職金を計算すると,原告は,退職願を提出して被告を退職したから,退職手当金規程4条が適用される。原告の基本額ポイントは1750.2,ポイント単価は5000,別表[4]の乗率は0.775であるから,原告の退職金は678万2025円と算定される。

(計算式)1750.2×5,000×0.775=6,782,025

2  退職手当金規程16条の適用の可否(争点(2))について

(1)  事実関係

証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

原告は,出奔当時,出向元である被告において,本社ライフエレクトロニクス・マーケティング統括部に所属し,業務担当参事の役職を有し,経営職掌の地位にあった。被告は,職務に応じて社員を経営職掌,事務技術職掌,技能職掌,特別職掌に分けており,経営職掌は,理事,首席技監,上席参事,参事,副参事の資格を要する職掌である。被告において,参事は,支店長,部長とほぼ同格であった。

家電製品協会は,平成13年4月,組織変更を実施した。これに伴い,環境部は,部長1名,次長2名の3名体制となった。原告は同部次長として,環境部家電リサイクル委員会・幹事会の事務局業務,経済産業省産業構造審議会関連業務などを担当することが予定されていた。

ところが,原告が同月3日に突然出奔したため,各種会議(同月4日開催の環境総合委員会,同月19日開催の流通EDI委員会,同月24日開催の流通関連委員会)の事務局業務など,原告の担当業務が停滞した。また,原告は,同月以降,経済産業省からの委託業務について同省への報告を予定していたが,原告が出奔したため,家電製品協会の職員4,5名が急きょ対処した。このように,原告の出奔により家電製品協会の業務に著しい支障が生じた。そのため,家電製品協会は,同月17日,被告に対し,原告の後任者の出向を要請し,被告は,同年5月1日付けで他の社員を原告の後任者として家電製品協会に出向させた。原告の後任者が着任するまでの間,家電製品協会の職員が分担して原告の担当業務を処理せざるを得なくなった。

(2)  退職手当金規程16条の適用の可否

ア 前記の認定事実によれば,原告は,何ら届出をすることなく突然職場を放棄し,14労働日以上にわたり無断欠勤をしたから,原告には就業規則103条1号の懲戒解雇事由がある。出奔の前日までの勤務状況や後日の治療経過などからすると,原告のうつ病は,欠勤の届出を不可能にするほどの状態にあったとは認められない。そうすると,原告の退職は,社員の責めに帰すべき事由によるものと解される(退職手当金規程16条1項本文)。そして,退職手当金規程16条1項但書及び同条2項は,社員に懲戒解雇事由がある場合,原則として退職金を支給しないが,勤続満10年以上の者について情状により4条の基本額(自己都合退職金)の50パーセントの限度で退職金を支給することがあると規定する。

イ ところで,退職金は,功労報償の性質を有することは否定できないから,退職手当金規程において,懲戒解雇事由がある場合に退職金の一部又は全部を支給しない旨を定めることは許されると解すべきであるが,退職金が一般に賃金の後払いの性質を有することからすると,退職金を支給しない,又は減額することが許されるのは,従業員にその功労を抹消又は減殺するほどの信義に反する行為があった場合に限られると解される。

ウ 原告は,被告の管理職として,企業秩序の維持・確保を図るべき立場にあり,出向先である家電製品協会において,環境部次長として重要な職責を担っていたにもかかわらず,家電リサイクル法の施行直後という重要な時期に,重要な業務を中途にしたまま突然職場を放棄し,約1か月の長期間にわたり無断欠勤を続けた。原告の地位や業務内容からすると,原告の業務は他の一般職員が容易に代替しうるものではなく,原告の無断欠勤により各種事務局業務が停滞し,家電製品協会の業務に著しい支障が生じた。また,原告の行為は,出向元である被告の家電製品協会に対する信用を失墜させるものといわざるを得ない。原告の出奔の原因は,業務の性質や職場の人間関係からくるストレスにあると考えられるから,原告のみを責めることはできないが,原告は,業務の遂行が困難であれば,代替要員の補充や配置転換を申し出るなど,業務に及ぼす影響を最小限度にとどめる方法をとるべきであった。何らの配慮をすることなく無断で突然職場を放棄するのは,重要な職責を担う管理職として無責任といわざるを得ない。

したがって,原告の行為は,その功労を減殺するに足りる信義に反する行為といわざるを得ず,原告に支給すべき退職金は,退職手当金規程4条の基本額の50パーセントを上回らないものと認めるのが相当である。

エ 退職手当金規程4条の基本額は678万2025円であるから,原告に支払うべき退職金は,その50パーセントに相当する339万1012円である。

(計算式)6,782,025×0.5=3,391,012

被告は原告に対し退職金372万7000円を支払ったから,原告の退職金は支払済みである。

3  結論

以上によれば,原告の請求は,理由がないから棄却し,主文のとおり判決する。

(裁判官 龍見昇)

別表〔1〕勤続ポイント(年間)

<省略>

別表〔2〕成果ポイント(年間)

<省略>

別表〔3〕ポイント単価

<省略>

別表〔4〕自己都合退職の場合の乗率

<省略>

別表〔5〕定年加給金支給額

<省略>

別表〔6〕特別退職手当金<1>支給率

<省略>

別表〔7〕特別退職手当金<1>定額分

<省略>

別表〔8〕特別退職手当金<2>支給額

<省略>

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