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東京地方裁判所 平成13年(ワ)20604号 判決 2003年1月31日

原告

訴訟代理人弁護士

関根栄郷

三宅裕

吉木徹

被告

株式会社トクホン

代表者代表取締役

B

訴訟代理人弁護士

加藤長昭

主文

一  原告の訴えのうち、判決確定日の翌日以降の賃金の支払を求める部分を却下する。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

1  原告が、被告との間に労働契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、一一二七万三七二一円及びこれに対する平成一三年一〇月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、平成一三年一〇月から毎月二五日限り、三八万〇〇七〇円を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員であった原告が、被告がした懲戒解雇は無効であるとして、(1)労働契約上の地位の確認、(2)解雇の翌日である平成一一年一二月一日から同月二〇日までの賃金として二五万三三八〇円、翌二一日から平成一三年九月二〇日までの賃金として七九八万一四七〇円、平成一二年六月、一二月及び平成一三年六月に支給される賞与として一〇一万二九五七円ずつ(合計三〇三万八八七一円)の各支払、(3)平成一三年九月二一日以降の賃金として毎月三八万〇〇七〇円の支払、(4)(2)の合計に対する支払期日後である平成一三年一〇月五日から支払済みまで商事法定利率による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  争いがない事実等(証拠によって認定した事実は、括弧内に証拠番号を示す)

(1)  当事者

被告は、医薬品、医薬部外品の製造販売並びに輸出入等を業とする株式会社である。

原告は、平成九年四月一日、被告と労働契約を締結し、営業部に配属され、後記(2)のとおり懲戒解雇された当時は、営業部部長(営業企画管理)の職にあった。原告は、被告から、平成一〇年一〇月一日付けで営業部部長(企画推進担当)を命じられたが、取締役会の反対によって、同日に遡って営業部次長とする旨平成一一年一月二八日ころ命じられ、同年六月一日付けで営業部部長(営業企画管理)を命じられた(書証略、弁論の全趣旨)。原告は、前記当時ころ被告代表者であったN(以下「N」という)の長男である。

(2)  原告に対する懲戒解雇

被告は、原告を平成一一年一一月三〇日付けで懲戒解雇(以下「本件解雇」という)した。被告は、平成一二年一月一三日、原告に対し、解雇予告手当として四九万〇二〇〇円を支払った(弁論の全趣旨)。

(3)  就業規則の懲戒の定め(書証略)

被告の就業規則は、「次の各号の一つに該当しその事由について行政官庁の認定を受けたときは、予告をされず即時解雇し退職金手当金を支給しない。但し、その事由について行政官庁の認定を受けないときは、三〇日前に予告し又は平均賃金三〇日分を支払って即時解雇する。(1)社員が懲戒のため即時解雇に処せられたとき…」(三〇条)、「懲戒の種類及び程度は次の通りとする。…(6)懲戒解雇:労働基準監督署長の認定を受けたとき、即時解雇する」(六四条)、「社員が次の各号の一つに該当する場合は、審議の上その情状に応じ、前条に定める懲戒処分を行う。…(7)正当な理由なく上長の指示命令又は責任者の通達指示に従わなかったとき。…(24)その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があったとき」(六五条)と定めている。

(4)  賃金

被告において、賃金は毎月二〇日締め二五日払とされ(書証略)、原告は、被告との雇用契約上、源泉徴収後の月額賃金として三八万〇〇七〇円の支払を受ける権利があった。

被告の賞与規程は「会社は毎年六月(第一期)と一二月(第二期)に会社の業績を考慮した上、社員の過去六ヵ月間の勤務成績に応じて賞与を支給する」と定めている(書証略)。原告の平成一一年の賞与の一回分の金額は一〇一万二九五七円であった。

(5)  原告と被告代表者との親族関係、株主構成等

被告は、Aが始めた事業をその息子のM(以下「M」という)が法人化し設立した株式会社であり、Mが社長を退いてからは、その長男のNが代表取締役社長として経営の最高責任者を務めていた。Nは、平成一一年一一月二九日開催の取締役会で、後記(6)に記載した本件支出の問題により被告の代表取締役を解任され、被告の経営から退いている。

その後は、Mの次男で、専務代表取締役としてNの下で副社長を務めていたB(以下「B」という)が代表取締役社長として被告を経営し、現在に至っている。

Aの娘婿のT(以下「T」という)は、被告設立時から専務、副社長となりMを補佐していた。その娘K(以下「K」という)と結婚しTの養子となったS(以下「S」という)は、Tの死後、平成元年に被告の取締役に、平成一〇年一一月に代表取締役にそれぞれ就任し、現在に至っている。Kは被告の監査役を務めている。Sは宝石の輸入販売を営む会社を経営しており、被告に常勤していない。

被告の株式の二三・一一パーセントはNが、二三・一パーセントはS、K及びその子らが、一三・二九パーセントはBが、三・七二パーセントはMの三男で被告取締役のZがそれぞれ保有している。

(書証略)

(6)  被告は、平成一一年五月一七日及び同年六月二一日の二回にわたり、株式会社ファンタジアコーポレーション(以下「ファンタジア」という)から「OTC広告宣伝市場調査費として合計六六一万五〇〇〇円 内訳は市場調査費ならびに関連費用として六三〇万円、消費税三一万五〇〇〇円」との請求を受け、前記各日ころこれらを支払った(以下「本件支出」という)。

(7)  被告は、原告及びNに対し、本件支出について被告の業務に資するところのない支出をさせたとして、Nに対しては商法二六六条に基づき、原告に対しては民法七〇九条に基づき、それぞれ損害賠償を請求する訴訟を当裁判所に提起し、当裁判所は平成一四年一二月一八日、前記請求を一部認容する判決を言い渡した(書証略。以下「別件訴訟」という)。原告及びNは、この判決を不服として控訴し、東京高等裁判所に継続中である(顕著な事実)。

2  争点

(1)  本件解雇の有効性-懲戒事由があるか。懲戒権の濫用か。

(2)  賞与請求権の権利性

3  争点に関する当事者の主張の要旨

(1)  争点(1)本件解雇の有効性

(被告の主張)

原告は、以下のアないしカの行為をした。アないしカの各行為は就業規則六五条二四号に該当し、オは同条七号に該当する。原告の各行為は、各項摘示のとおり被告に多大な損害を与えた。特に、オの行為については違法性が強く、損害も多額であり、解雇が相当である。

ア 営業実績管理システムの発注先の選択ミス

原告は、平成一〇年六月、被告が営業実績管理システムを発注する際、処理能力のない業者を被告に選定、発注させた。

すなわち、原告は、業界団体が運営するJD-NETから販売データを受信して被告の営業部員各自の営業成績を管理評価するコンピューターシステムをつくることを主張し、システム作成の発注先として、原告の知人が代表者を務める株式会社エムコンサルティング(以下「エム社」)を被告に選定、発注させ、被告はエム社に請負代金として二六二五万円を支払った。しかし、エム社は同システムを納入期限までに完成させることができず、被告は別の会社に同システムを一五〇〇万円で発注することを余儀なくされた。

イ 主力商品の製造中止の通告

原告は、平成一〇年六月、その権限がないのに、被告の主力商品である「トクホンエース」及び「トクホンエースH」(以下、それぞれ「エース」、「エースH」という)について、その後継商品の出荷時期が定まっていない段階で、製造中止を市場に通告した。

このため、後継商品発売まで約一〇か月の空白が生じ、被告は約八〇〇〇万円の売上を逸した。

ウ 過大生産の指示

原告は、平成一一年三月、工場担当者らが反対したにもかかわらず、規允をして、被告の製品である「トクホンエースAX」及び「トクホンエースAX-H」(以下、それぞれ「AX」、「AX-H」という)について三〇万個の過大な生産指示をさせた。

この結果、生産から三年を経た平成一四年四月現在でも、それぞれ三万個の在庫が残ることになった。

エ パッケージデザインのやり直し

原告は、平成一一年三月、所管していたE常務取締役(以下「E取締役」という)がほとんど完成させていた「AX」及び「AX-H」のパッケージデザインに関し、自らの所管ではないにもかかわらず、やり直し発注をすることを主張し、被告をして、自分の縁故のある株式会社博報堂(以下「博報堂」という)に対しその発注をさせた。

ところが、博報堂の作成した「AX-H」のパッケージの薄いピンク色があせてしまったため、被告は、五一万七〇〇〇円の材料費を要した従来のパッケージを廃棄するとともに、褪色を防止したパッケージを印刷し直して一二万六〇〇〇個の商品を詰め替える必要が生じた。

オ 本件支出

原告は、Nと共謀の上、平成一一年六月七日及び八月五日、「OTC広告宣伝市場調査費」ではないのに、その名目で、かつ、一〇〇万円以上の支出には取締役会の承認が必要なのに承認を得ないで、被告に本件支出をさせた。

後日、判明したところによれば、ファンタジアはいわゆるペーパーカンパニーであり、本件支出の成果品として提出された調査報告書は、別の調査専門会社が配布している資料を引き写したものであった。

原告は、本件支出は原告がD(以下「D」という)及びI(以下「I」という)を採用した際の、H(以下「H」という)に対するヘッドハンティング料であった旨主張するが、それは原告が平成一二年一〇月中旬ころに取引先に配布した文書で突然いい出した弁解であること、Dらの経歴等に照らし金額が多額にすぎること、契約書もないこと、本件支出に係る金額の計算根拠についてした原告の説明が関係証拠と合致しないことから信用できない。

また、原告は、Bも本件支出がヘッドハンティング料であることを知っていた旨主張するが、原告が別件訴訟で提出した証拠(書証略)によれば、HはBに対し、「ファンタジアとの契約を海外導入を含めた形にした」「ファンタジアはこの方面で実績がある」等と説明しており、Bがヘッドハンティング料と了解していたとはいえない内容である。

仮に、本件支出がヘッドハンティング料であったとしても、Dらの入社はNの社内における権力維持を目的として企てられたのであって、このような目的で被告の資金を使用することは許されないし、まして、あらかじめ取締役会で許された広告費の予算から流用することは違法である。また、原告の説明が正しいとするならば、ヘッドハンティング料のみならず、実質給与を含むということであり、会社経理上違法であることはいうをまたない。

カ 他社と類似商標のパッケージ作成

原告は、平成一一年一一月、十分な調査を怠り、トクホンクリアのパッケージにつき、武田薬品株式会社(以下「武田薬品」という)の商標と類似したデザインを作らせた。このデザインは、原告が博報堂に発注したものであり、武田薬品から抗議を受けて、パッケージ材料の在庫分一一三万二一五四円相当を廃棄することになった。

(原告の主張)

被告の主張する解雇の理由は、その事実がないか、その事実を理由に解雇とすることは不相当なものであるから、本件解雇は解雇権を濫用したものであり、無効である。

ア 営業実績管理システムの発注先の選択ミスについて

原告が、平成一〇年六月、被告が営業実績管理システムをエム社に発注させたこと、エム社の代表者が原告の知人であることは認める。

しかし、営業実績管理システムの発注は、議論の上満場一致で取締役会で決定したことである。エム社代表者は、アンダーセンに九年勤務していた実績を持っており処理能力がないことはないし、システムも納品直前で微調整の段階であった。

イ 主力商品の製造中止の通告について

被告は、平成一〇年六月、被告の主力商品である「エース」、「エースH」について、製造中止を市場に通告したが、これは被告代表者の承認によって行われたものである。

また、製造中止の原因は、後継商品ができることを見越して「エース」等の従来品の製造機械を廃棄するよう一部の取締役が指示し、かつ、Bが外注に反対したためであって、何ら原告の責任ではない。

ウ 過大生産の指示について

被告において、平成一一年三月、被告の製品である「AX」及び「AX-H」について三〇万個の生産が決定されたことは認めるが、これは、工場側と営業部門の従業員がそれぞれ参加した会議によって決められたもので、工場側が反対したことはない。会議では、原告を始めとする営業部門が、提案した生産数量の説明をしたが、一切反論はなかった。

エ パッケージデザインのやり直し

パッケージデザインの職務分掌は明確ではなく、原告の所管事項でないとはいえない。やり直しは、N、Bも了解していたし、優良な大手広告代理店である博報堂を選択したことに間違いはない。

オ 本件支出について

(ア) 一〇〇万円以上の支出について取締役会の承認を得ることが必要なのは取締役であり、原告にはその義務はない。本件支出は、被告の代表者で社長であったNが指示して行ったものであり、原告がした行為ではないから、従業員である原告の懲戒事由にはなり得ない。仮に懲戒事由となるとしても、被告代表者の指示に基づく以上、解雇とするまでのことではない。さらに、取締役会の承認を要することについて明文の定めはなく、実務上承認不要とされていた支出もあったから、このような手続違反で解雇にすることは相当ではない。

(イ) 本件支出が「OTC広告宣伝市場調査費」ではないことは認める。本件支出は、被告がD及びIを採用した際の、Hに対するヘッドハンティング料であった。このことは、HのN宛てファックス文書(書証略)にも示されている。本件支出を「OTC広告宣伝市場調査費」として会計処理をしたのは、人材を有料で獲得するということに反対する役員がいることが予想されたからである。

(ウ) D及びIの採用は、Nの権力を維持するための人事ではない。被告には、経理、財務部門及び研究、開発部門の人材が不足していたことは事実であるし、Bは平成一一年三月一〇日両名を面接しており、取締役会でもこの人事について随時報告され、承認されている(書証略)。

(エ) 被告は、本件支出にかかる金員が実際には何に使われたのかについて十分な調査を行わずに、本件解雇を行い、かつ、Nを解任した。このことは、原告を被告から放逐できればその理由はどうでもいいとの被告の姿勢を現しており、本件解雇が十分な検討をされないままされたことを示している。

(オ) 被告の現代表者であるBは、本件支出がヘッドハンティング料であることを了解しており、被告は、名目と異なる本件支出を承認していたといえる。すなわち、平成一一年四月三日付けのHのB宛てファックス文書(書証略)には、本件支出と同額の支出について、「Bは支払名目はコンサルティング料でよいといった」旨記載されているが、当時、海外市場に関するコンサルティングは何ら行われていなかったので、コンサルティング料が「名目」に過ぎないことを知っていたものと認められる。Bは、本件支出について、「原告の昇進問題の相談料と考えていた」とか、「広告関連費と考えていた」とか供述するが、BとNとの間で締結された原告の昇進についての協議書(書証略)の内容から、これらが本件支出と対価関係にないことは明らかである。Bは、「コンサルティング契約により本件支出と同額の支出を被告が行うことは認識していた」旨供述しているから、本件支出がヘッドハンティング料であることを認識していたといえる。

カ 他社と類似商標のパッケージ作成について

武田薬品から抗議を受けたといっても、直ちに廃棄すべきものではないし、原告のみの責任で起こったことではない。

本件解雇後に判明した事情であり、懲戒処分である本件解雇の理由とはなり得ない。

(2)  賞与請求権の権利性

(原告の主張)

原告には賞与として平成一二年夏季、冬季、平成一三年夏季にそれぞれ一〇一万二九五七円の支払を受ける権利がある。

(被告の主張)

賞与の支給率は、毎期、業績を勘案し、労働組合との協議で決定し、これを非組合員にも適用している。したがって、賞与の額はあらかじめ想定できない。

第三当裁判所の判断

1  判決確定後の賃金支払請求について

原告は、被告に対し、被告との労働契約に基づく賃金の支払を求めているところ(第一の3)、仮に原告が勝訴したとした場合、その判決の確定後もなお賃金の支払がされない特段の事情はうかがえないから、同賃金請求のうち、本判決確定後に履行期が到来する賃金の支払を請求する部分は、あらかじめ請求する必要があるとはいえず(民事訴訟法一三五条)、訴えの利益を欠くものとして却下すべきである。

2  争点(1)(本件解雇の有効性-懲戒事由があるか。懲戒権の濫用か)について

(1)  営業実績管理システムの発注先の選択ミスについて

証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成一〇年一月ころ、業界団体が運営するメーカーと卸業者との情報交換システム(JD-NET)から販売データを受信して被告の営業部員各自の営業成績を管理評価するコンピューターシステムをつくることを主張し、同月三〇日の役員会でこの提案が承認されたこと、被告がシステム作成の発注先として、原告の紹介により、原告の知人が代表者を務めるエム社を選び、被告はエム社に請負代金として二六二五万円を支払ったこと、エム社は、同システムを納入期限までに完成させることができず、完成させる見込みもなかったことから、被告は別の会社に同システムを有料で発注したことが認められる(前記各証拠中、この認定に反する証拠は採用しない)。

しかし、原告が、被告がエム社に前記システムを発注する際、エム社に同システムを完成させる能力がないことを知っていたと認めるに足りる証拠はなく、原告が、故意に、被告をして処理能力のない者に発注させたとはいえない。また、原告の紹介を受けたとはいえ、エム社に発注することについては、被告代表者が契約書を作成し承認しているのであるから(書証略)、前記システムの発注先にエム社を選択したことが原告のみの落ち度であるとはいいがたい上、被告は、原告が、いつ、いかなる調査をすれば、エム社に前記システムの処理能力がないことが知り得たというのか、原告の過失の内容について具体的な主張をせず、その的確な立証もしないから、原告に被告の発注先の選択について過失があったことも認めるに足りないというべきである。

(2)  主力商品の製造中止の通告について

証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成一〇年六月、被告の主力商品である「エース」、「エースH」について、その後継商品の出荷時期が定まっていない段階で、製造中止を市場に通告する案内状を被告名で作成し、取引先へ発送したこと、被告が後継商品を発売するまで約一〇か月の空白が生じたことが認められる。

しかし、証拠(略)によれば、Bがこの案内状を発送することを承認していたことが認められるから(Bの供述に反する(人証略)の証言は採用できない)、原告が権限なく発売中止を通告したとはいえないというべきである。

(3)  過大生産の指示について

証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成一一年三月、被告の当時の新製品である「AX」、「AX-H」の生産量について年間三〇万個の生産が妥当であるとの意見を示したこと、被告は、この意見に従って年間三〇万個の生産を行ったが、被告にかなりの数量の余剰在庫が生じたことを認めることができる。

他方、前掲各証拠によれば、生産量を年間三〇万個とする原告の意見は、被告生産工場側の者も出席した会議においては格別の反対もなく承認されたことが認められるから、原告がNに過大な生産の指示をさせたということはできない。また、過大な生産を決定したことが原告一人の責任によるものであるということもできないというべきである。

(4)  パッケージデザインのやり直しについて

証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成一一年三月、E取締役が中心となってほとんど完成させていた「AX」及び「AX-H」のパッケージデザインに関し、やり直し発注をすることを主張し、被告をして博報堂へ発注させたこと、博報堂の作成した「AX-H」のパッケージの薄いピンク色があせてしまったため、被告は、材料費を要した従来のパッケージを廃棄するとともに、褪色防止を施したパッケージを印刷し直して十数万個の商品を詰め替える必要が生じたことが認められる。

しかし、従来のパッケージを担当していたE取締役は博報堂への発注に反対の意思を明確に表明していなかったこと、Nが博報堂への発注を承認していたこと((証拠略)及び弁論の全趣旨によって認める)に照らせば、E取締役以外の者にパッケージデザインに関与する権限がなかったとは認めるに足りない。したがって、原告が博報堂への発注に関し、権限外の行為をしたということはできない。

(5)  本件支出について

ア 前記第二の1の争いのない事実及び証拠(略)によれば、本件支出は、「OTC広告宣伝市場調査費」の名目で支出されたが、その対価としてファンタジアから被告に対し提出されたOTC(大衆市販薬)の宣伝及び市場に関する報告書(書証略)は、他の調査専門会社が作成配布している資料をそのまま引き写した内容のものであり、本件支出の対価として製作されたものではなく、本件支出が名目と一致した費用であることを仮装するためファンタジアから提出されたものであったこと、原告は、Nと相談の上、本件支出が名目と合致せず、前記報告書が仮装であることを知りつつ、本件支出を被告にさせたことが認められる。したがって、原告は、平成一一年六月七日及び八月五日「OTC広告宣伝市場調査費」ではないことを知りつつ、その名目で被告に本件支出をさせたことは、これを認めることができる。

また、被告においては、一〇〇万円以上の支出については、原則として取締役会の承認を得ることとされていたが(当事者間に争いがない)、広告関連費としてNが承認した支出については、一〇〇万円以上の支出であっても取締役会の承認は不要とされることがあったこと(Bによって認める)、このことを原告が知っていたこと(証拠略)、原告は、本件支出が名目と合致しない支出であることを知っていたにもかかわらず、平成一一年一一月二九日の取締役会において、本件支出についてSが問い質したのに対し、「名目どおり支出されたものであり、前記報告書も実質を備えている」旨答えたこと(証拠略)が認められるところ、これらの各事実及び証拠(略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、Nと相談の上、本件支出においてSを構成員とする取締役会の承認を不要とするため、本件支出の名目を広告関連費である「OTC広告宣伝市場調査費」としたことが認められる。

そして、「被告は、ファンタジアに対し、国内並びに海外新規業務に必要な被告社内組織体制確立の助言業務、海外導入可能製品の探索並びにその評価等を委託する。ファンタジアは、被告に対し、業務の実施状況を二か月ごとに報告する。被告は、ファンタジアに対し、委託料として一二六〇万円(消費税込み一三二三万円)を、四月二五日まで、六月二五日まで、八月二五日までの三回に分け各四二〇万円(消費税込み四四一万円)ずつ支払う」旨の平成一一年四月一日付けの契約書の文案(書証略。以下「コンサルティング契約文案」という)が作成されたり、「D及びIに関する人材派遣手数料として四四一万円、不足賃金補てんとして五〇〇万円とをそれぞれ支払うよう手配してほしい」旨記載されたHからN宛ての同年五月一三日付けファックス文書(書証略)が作成されたことはあるが、コンサルティング契約文案は調印されず、本件支出についてHやファンタジアとの間で作成された契約書が存在しないこと(B、弁論の全趣旨)が認められるところ、本件支出のような多額の支出について、その支出の必要性について客観的に明らかにできる契約書等の文書が存在しないのに、その名目を偽り、被告において必要とされていた取締役会の承認を得ずに行わせることは、「正当な理由なく上長の指示命令又は責任者の通達指示に従わなかったとき」、「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があったとき」(六五条七号、二四号)に当たるということができる。

イ 原告は、一〇〇万円以上の支出について取締役会の承認を得ることが必要なのは取締役であり、原告にはその義務はなく、本件支出は、被告の代表者で社長であったNが指示して行ったものであり、原告がした行為ではないから、従業員である原告の懲戒事由にはなり得ないと主張する。

しかし、原告は、一〇〇万円以上の支出について原則として取締役会の承認が必要なことを知っていたこと(ア)、営業部門の責任者としての原告の地位(第二の1(1))を考慮すれば、被告における前記手続を遵守することは、取締役のみならず幹部職員であった原告の義務であるということができるし、本件支出は、被告の代表者で社長であったNが指示して行ったものであるが、原告は、ファンタジアに対する支出(ただし、本件支出そのものかといえるかは不明である)について、前記取締役会の承認を不要とするため、被告と取引があった広告代理店を名目的に介在させようと交渉していたこと(書証略)、Nの手続違背について知りつつ、本件支出が問題となった平成一一年一一月二九日の取締役会において、「名目どおり支出されたものであり、ファンタジアから提出された報告書も実質を備えている」旨答えたこと(ア)に照らせば、原告は、本件支出の手続違背を知りつつ、支出名目の仮装に積極的に関与していたことが認められるから、本件支出の手続違背について、原告が責任を負うべき問題ではないとすることはできない。

ウ 原告は、本件支出は、D及びIのヘッドハンティング料及び不足賃金補てんとしてファンタジアを介してHに支出されたものであるから、被告の業務に資する支出であり、問題となり得るのは手続違背にすぎないと主張する。そして、原告は、これを裏付ける文書として、HのN宛ての「人材派遣手数料として四四一万円、不足賃金補てんとして五〇〇万円請求するから支払われるよう手配してほしい」旨のファックス文書(書証略)を別件訴訟において提出し、「本件支出の金額の計算根拠は、ヘッドハンティング料として年収一四〇〇万円の三割の四二〇万円ずつ、賃金不足分が一四〇〇万円と一一五〇万円の差額である二五〇万円ずつである。ファンタジアとのコンサルティング契約文案は本件支出に対応する契約書として作成される予定であった」等と供述する(証拠略)。

しかし、<1>本件支出について、Hやファンタジアとの間で作成された契約書は一切存在しないこと(ア)、<2>コンサルティング契約文案にはヘッドハンティング料との記載はなく(書証略)、後記<4>のとおり、(書証略)のファックス文書の内容が同文案に係る契約の説明であるとすることには矛盾があること、<3>コンサルティング契約文案は調印されなかったこと、<4>HのN宛てファックス文書(書証略)が作成された時点(平成一一年四月三日ころ)では、D及びIの賃金不足分として計算されている前提の金額(両名が同意した実質年収額)が決定していなかったことが同文書自体から窺えるのに、その時点で既にコンサルティング契約文案が作成されており、「両名の賃金不足分から本件支出額が計算され、本件支出に対応する契約書としてコンサルティング契約文案を作成することになった」旨の原告本人の説明は不合理であること、<5>原告は、平成一一年一一月二九日の取締役会において本件支出が問題となったにもかかわらず、当日から平成一二年一〇月中旬まで、本件支出がヘッドハンティング料であった旨の説明をせず(ア)、被告から理由の説明なく本件解雇をされた等と主張していたのに(書証略)、同時期ころ被告の取引先に配布した文書で初めてヘッドハンティング料である旨説明し始めたこと(書証略、6の(1)(2)、弁論の全趣旨)、<6>本件支出の後である平成一一年九月二〇日ファンタジアが被告に対し四四一万円をさらに請求し、本件支出が問題となった平成一一年一一月ころ、これを撤回したが(書証略)、この請求はコンサルティング契約文案の金額と合致しないばかりか、この支出の内容や撤回の理由についての原告本人の供述が「検討中の別のヘッドハンティング料であった」等というもので明確とはいえないこと(証拠略)を総合すると、本件支出がヘッドハンティング料及び不足賃金の補てんであったと認めることはできない。原告の主張は採用できない。

前記<1>ないし<5>の事実関係の下では、本件支出がどのような目的で、どのような費用として支出されたものであるかは、不明といわざるを得ない。

エ(ア) 原告は、Bは、本件支出がヘッドハンティング料等であることを知っていた旨主張するので、この点について検討する。

(イ) 証拠(略)によれば、平成一一年四月中旬、D及びIの入社にS及びBが同意したこと、その後である同月下旬ころ、N及びBは、Hを立会人として、原告を遅くとも二〇〇九年六月に被告社長に就任させてその経営権を承継させるため、被告の取締役人事に関して確認する内容の「協議書」を作成し(以下「本件協議書」という)、本件協議書には、Bは、D及びIを被告の取締役とすることに同意し、その実現のため努力することとされていたこと、Bは、同月上旬ころコンサルティング契約文案の契約をファンタジアと被告との間で締結することに同意していたことが認められる。

そして、これらの各事実と前記第二の1(5)で認定した被告の株主構成や親族関係を合わせ考えると、本件協議書は、Nの経営権を維持し、原告を近い将来被告の代表取締役社長とするため、Bをして、N及び原告と対立しないことを約束させるため作成されたものであると認められる。

(ウ) しかし、本件協議書は、SがD及びIの入社に同意した後作成されたものであるから((イ))、本件協議書の存在をもって、Bが、Nの経営権維持のため、Sと対立してもD及びIの入社を推進しようとしていたとまでは認められない。また、(書証略)によれば、HがBに対し、コンサルティング契約文案について、「海外導入を含めた形にした」「ファンタジアはこの方面で実績がある」旨説明していたことが認められるところ、Bが、D及びIのヘッドハンティング料や不足賃金補てんとして本件支出を行い、本件支出に対応する名目的な契約としてコンサルティング契約文案を作成することに同意していたとするなら、このような説明がHからBにされる必要はない。したがって、(書証略)のこのような記載に照らし、「コンサルティング契約文案に係る契約は、Nが原告を被告において昇進させることを相談したり、海外市場の情報を得ることを目的としている等と聞いて同意したが、ヘッドハンティング料及び不足賃金の補てんであることはまったく聞いていなかった」旨のBの供述は、これを否定することはできず、Bが、「本件支出はヘッドハンティング料及び不足賃金の補てんのための支出であって、その名目としてコンサルティング契約文案に係る契約を締結する」と了解していたとは、認めることはできないというべきである。これに反する内容の原告本人の供述は、(書証略)の前記記載と対比して、採用できない。

オ 仮に、原告の主張のように、ヘッドハンティング料及び不足賃金の補てんであったとしても、賃金を第三者を介して支払うことは労働基準法二四条に違反する上、広告関連費以外の一〇〇万円以上の支出に取締役会の承認を必要とする被告において、取締役会の承認を得ず人件費を広告関連費から流用することは、前記被告組織上の定めに違反する行為であり、許されないというべきである。

したがって、本件支出がヘッドハンティング料及び不足賃金の補てんであったとしても、原告が、本件支出を被告にさせた行為が懲戒事由に当たるとの前記アの結論を左右しない。

(6)  他社と類似商標のパッケージ作成について

使用者が労働者に対して行う懲戒は、労働者の企業秩序違反行為を理由として、一種の秩序罰を科するものであるから、具体的な懲戒の適否は、その理由とされた非違行為との関係において判断されるべきであり、懲戒当時に使用者が認識していなかった非違行為は、特段の事情のない限り、当該懲戒の理由とされたものではないことが明らかであるから、懲戒の有効性を根拠付けることはできない。

証拠(略)によれば、平成一二年一一月一六日、原告が博報堂に発注して作成させたトクホンクリアのパッケージにつき、武田薬品が、自社の商標と類似したデザインを作らせたとして被告に抗議をしたこと、被告の関係者は、この時点で初めて、トクホンクリアのパッケージが武田薬品の商標と類似しているという問題があることを知ったことが認められる。

したがって、被告が主張する類似商標の問題は、本件解雇の当時使用者が認識していなかった行為であって、懲戒の理由とされたものではないことは明らかであるから、本件解雇の有効性を根拠付けることはできないというべきである。被告の主張は採用できない。

(7)  懲戒権の濫用の有無について

前記(5)のとおり、原告が、被告に本件支出をさせたことは、「正当な理由なく上長の指示命令又は責任者の通達指示に従わなかったとき」、「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があったとき」(六五条七号、二四号)に当たるということができる。

そして、原告のような幹部職員の地位にあり、かつ、被告の経営責任者の息子である者が、当該経営責任者と通謀の上、本件支出のような多額の支出について、契約書が存在しないのに、支出の名目を偽り、被告において必要とされていた取締役会の承認も得ずに行わせることは、被告の業務にとって著しく支障を生じさせるものであるということができる。そして、原告が故意にこの行為を行ったばかりか、本件支出が問題となった被告の取締役会において父親以外の被告代表者及び取締役に対し虚偽の説明をしていることに照らしても、前記原告の行為は、父親以外の被告代表者及び取締役を欺くため確信犯的に行われたものと評価できるのであって、企業秩序維持の観点から看過することはできず、被告としては原告に対する信頼関係を維持することは困難であって、原告を解雇するよりほかはないというべきである。したがって、本件解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当として是認できるから、懲戒権の濫用とはいえず、有効である。

また、仮に、本件支出がヘッドハンティング料及び不足賃金補てんとして支出されたとしても、これを裏付ける契約書がないため、D及びIが被告に数か月勤務したのみで退職したにもかかわらず、被告はファンタジアに対し両名に対する不足賃金補てんとして支出された金員の返還を求めることもできないことにより(原告本人によって認める)、実質的な損害を被っているといえるから、この手続違背を軽くみることはできないというべきである。そして、このことと、本件支出がヘッドハンティング料である等との原告の弁解が、本件支出から二年以上、本件支出が問題となって説明を求められた取締役会から一年半以上経過して初めてなされ、被告がそれまでその真実性を検討することすらできなかったことを併せ考えると、本件解雇について、被告が懲戒権を濫用したものとは、到底いえないというべきである。

3  以上から、その余の点について判断するまでもなく、本件訴えのうち、判決確定日の翌日以降の賃金の支払を求める部分は不適法であるからこれを却下し、その余の原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤由紀子)

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