東京地方裁判所 平成13年(ワ)24529号 判決 2003年5月27日
原告
X
被告
Y
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、四九九万七四六四円及びこれに対する本件事故日である平成九年一〇月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、信号機による交通整理の行われている十字路交差点(以下「本件交差点」という。)を自転車で進行していた原告が、交差道路から進行してきた被告運転の普通乗用自動車と本件交差点内で衝突し、負傷した事案において、民法七〇九条、自賠法三条に基づき、被告に損害賠償を請求した事案である。本件の主要な争点は、過失相殺、特に本件事故発生時における本件交差点の信号機の表示、及び原告の症状固定時期(原告の治療の必要性・相当性)である。
一 当事者間に争いのない事実及び証拠により明らかな事実
1 本件事故の発生
(一) 日時 平成九年一〇月六日午後一時二〇分ころ
(二) 場所 東京都足立区綾瀬六丁目三二番先路上
(三) 被告車両 被告が運転する普通乗用自動車
(四) 態様 原告が本件交差点を自転車に乗って進行中、交差道路から走行してきた被告車両と衝突した(ただし、衝突の部位、態様については争いがある。)。
2 原告の受傷の内容
原告は、本件事故により、「腰臀部打撲、左肩・右膝擦過傷」(乙六、下井病院)、「頸部・腰部挫傷、左肩挫傷」(乙七、山下整形外科)の傷害を負った。
3 原告の治療の経過
(一) 原告は、平成九年一〇月六日から同月二〇日まで下井病院で入院治療を受けた(入院一五日)。
(二) 原告は、平成九年一〇月二二日から平成一二年八月一六日まで山下整形外科で通院治療を受けた(乙七、通院実日数四八五日。ただし、治療の必要性・相当性については争いがある。)。
4 被告は、原告に対し、被告の付保する任意保険会社を通じて治療費六三万四一〇〇円を支払っている。
二 本件の争点
1 過失相殺
(一) 被告の主張
本件は、被告が本件交差点に青信号で進入したところ、交差道路から原告の運転する自転車が赤信号を無視して本件交差点に進入してきたため、被告車両と原告の自転車とが出合い頭に衝突した事案である。原告本人の供述ないし指示説明は、客観的状況とも矛盾し、曖昧であって、信用性に乏しい。原告の自転車が信号柱の脇を通過して本件交差点に入る時には、原告の対面信号は既に赤色を表示していたことが明らかである。したがって、原告には赤信号無視の過失があるから、双方の基本過失割合は、原告八割:被告二割となる。
そこで、修正要素について検討するに、被告には、脇見運転等の著しい前方不注視、酒気帯び運転、著しいハンドル・ブレーキ操作の不適切、速度違反はいずれも存在せず、不利に修正されるべき要素はない(なお、本件事故当時六〇歳の原告については、六五歳以上に適用さるべき老人修正は適用されない。)。むしろ、自転車も車両(軽車両)であるから(道路交通法二条一項一一号)、車道を走行する場合、中央線より左側を走行しなければならないのに(同法一七条四項)、原告は、右側車線(路側帯)を逆走して本件交差点に進入したものであり、キープレフトの原則に違反している。このため、被告は原告の発見が遅れたことが明らかである。したがって、この原告の違反は、著しい過失として、原告に一割不利に斟酌されるべきである。
以上を総合すると、原告の過失割合は、結局九割を下らないことになる。仮にこの修正要素を不問にしたとしても原告の過失は八割を下らないから、本件では少なくとも八割の過失相殺がされるべきである。
(二) 原告の認否及び反論
本件事故は、被告が主張する態様とは異なり、原告が青信号に従って本件交差点を渡ろうとしたところ、突然、被告車両が現れ、原告の自転車に衝突したものである。事故態様も、出合い頭の事故ではなく、原告の自転車の後部部分に被告車両の右側バンパー部分が衝突したと考える方が自然であり、かつ、合理的である。現に、被告の主張するような原告の自転車の買い物かごの曲損は存しないし(甲七の二)、被告車両のバンパーの擦過痕は、左右両側に存在したのである。また、被告が主張するように被告車両の左側バンパー部分に原告の自転車が衝突したとすれば、原告の自転車の速度、被告車両の速度(時速五~一〇km)からして、原告は衝突場所付近で転倒するはずであり、原告が被告車両を飛び越えて転倒する(甲七の四)ということはあり得ない。
2 症状固定時期
(一) 原告の主張
原告の症状固定時期は、山下整形外科・A医師の診断どおり、平成一二年八月一六日と考えるべきである(乙七)。
被告からの照会に対する平成一〇年三月一〇日付けの山下整形外科の回答(乙三の一ないし三)、原告前代理人からの照会に対する同年七月一四日付けの山下整形外科の回答(甲五)、東京地検交通部からの照会に対する平成一一年五月二八日付けの山下整形外科の回答によれば、原告は、疼痛等の神経症状を少しでも軽くするために治療を継続していたのであって、平成一一年五月二八日以前に症状固定したということはあり得ない。
そして、原告の治療の中心は、理学療法(消炎鎮痛処理、低周波及び腰マッサージ)であり、その治療頻度及び主治医の診察回数を見ると、通院日数が一か月二〇日以上を超える平成一〇年一〇月までの通院日数と主治医の診察回数は、被告が症状固定したと主張する平成一〇年一月末までと同年二月以降とがほぼ同数であり、変化はない。また、通院日数は、平成一〇年一一月から平成一一年一〇月までは一か月一五日前後であり、平成一一年一一月以降は一か月七~八日前後になったのであって、このような通院日数からすれば、症状固定時期は、早くとも平成一一年一一月以降であり、A医師の診断どおり、これを平成一二年八月一六日と考えることにも何ら不自然な点はない。
(二) 被告の認否及び反論
ア 自賠責保険の準拠する労災保険において、症状固定とは、傷病に対して行われる医学上一般に承認された治療方法をもってしても、その効果が期待し得ない状態であって、かつ、残存する症状が、自然的経過によって到達すると認められる最終の状態に達したときをいう(厚生労働省労働基準局監修「労災補償障害認定必携」参照)。そして、労災における症状固定とは、必ずしも元の健康状態に回復した場合だけを意味するものではなく、「その効果が期待し得なくなったとき」には、その傷病による症状が安定し、投薬、理学療法等の治療により一時的な症状の回復が見られるにすぎない場合も含まれている。
イ 診療録によると、原告が健康保険への移行を受け入れた平成一〇年二月以降については、症状は腰痛、肩痛が主訴であること、症状が増悪・軽快を繰り返していること、薬物の投与方法の変更、回数から症状は決して重いものではないと窺われるのに、診療録の記載内容からは改善傾向が認められないこと、が認められる。
ウ 平成一〇年二月以降の原告の通院日数は、一か月平均一九~二三回である。これに対し、主治医の診察回数は、一か月平均一~二回の頻度であり、極めて少ない。これからすると、通院加療のほとんどは、主治医の診察を受けることなくリハビリ室に直行し、リハビリを受けてそのまま帰宅するというパターンで経過し、一か月に一~二回の頻度で医師に自覚症状を伝えるという状況の診察であったことが推認される。そうすると、平成一〇年二月以降、原告の治療は、症状が軽度であるにもかかわらず、漫然と通院していたのが実態であったといえる。
エ 治療内容を見ても、平成一〇年二月以降は、肩関節腔内注射、トリガーポイント注射、神経ブロック療法、ノイコリン注射などの注射の頻度は、それ以前に比して低下している。
オ 以上の事実によれば、原告の症状固定時期は、平成一〇年一月末日と解するのが相当である。仮に、この主張が認められないとしても、原告については、腰部の症状、左肩の症状のいずれについても、遅くとも平成一一年二月二〇日に症状固定したと考えられるし、歩行障害についても、遅くとも下井病院を退院した後には、通常歩行に復していたものであるから、原告は、平成一一年二月二〇日には症状固定していたと解するのが相当である(乙一二の一、B医師の意見書参照)。
3 心因性減額
(一) 被告の主張
原告の症状は、打撲が主体であり、外傷としてはせいぜい六か月程度で治癒するというのが一般的であるのに、実に三年もの間治療を続けており治療が遷延化している。原告の受傷は比較的軽微なものであること、原告については他覚的所見はほとんどなく、治療内容も平成一〇年一月以降ほぼ不変であること、そして、原告は、本人尋問において、医師の所見を特段の理由もなく、「絶対でたらめ」、「でたらめ」と述べ、平成一一年五月の警察での実況見分においても、明らかに賠償問題に固執した発言をしている(甲七の七)。以上のとおりであるから、原告の治療の遷延化には、原告のこのような特殊な心因的要因が関与しているものと考えられる。したがって、公平の観点からかかる心因的要因を考慮し、全損害の二割について心因性減額をすることを主張する。
(二) 原告の認否及び反論
被告の心因性減額の主張は、争う。
4 原告の損害
(一) 原告らの主張
ア 治療費 六〇万六八〇三円
原告は、平成九年一〇月六日から症状固定となる平成一二年八月一六日まで治療を受けたが、平成九年一〇月六日から平成一〇年六月三〇日までの治療費六三万四一〇〇円は支払われたので、治療費の残額六〇万六八〇三円を請求する。
イ 入院諸雑費 一万六五〇〇円
ウ 診断書代 五二五〇円
エ タクシー代 三四二〇円
オ 休業損害 二五二万八四九一円
原告は、夫Cが経営する食肉小売業の事業専従者として、一年間で一五四万円の給与を得ていた。原告は、平成一一年三月までは、左肩から背中にかけて腰まで非常に痛く、重い物が持てないだけでなく、立っていることすら苦痛であり、立ったままの作業が続く食肉小売業の店員の仕事がほとんどできなかった。よって、平成九年一一月から平成一一年三月までの一七か月間の休業損害は、二一八万一六六六円となる。さらに、平成一一年四月から平成一二年八月までの通院日数は合計一五六日であり、一か月の営業日を二五日として計算すると一日の給与は五一三三円となるので、この間の休業損害は八〇万〇七四八円となる。
以上の二一八万一六六六円と八〇万〇七四八円の合計金額は二九八万二四一四円となるが、本訴においては、休業損害として内金二五二万八四九一円を請求する。
カ 傷害慰謝料 一四六万七〇〇〇円
原告は、平成九年一〇月六日から平成一二年八月一六日まで入院一五日、通院実日数四八五日に及ぶ治療を受けたものであるところ、これに加えて、<1>被告は、本件事故当時、原告が救急車を呼んでほしいと何回も頼んだにもかかわらず、特別な理由もなくその手配が遅れただけでなく、警察に対する通報も遅れたこと(したがって、警察の取調べも遅れ、下井病院への入院も遅れた。)、<2>原告が下井病院を退院する際、被告は、次の入院できる病院を紹介すると話しながら、その紹介をせず、原告の期待を裏切ったこと、<3>原告は、山下整形外科で入院を勧められたが、被告の誠意のない対応などで入院を躊躇せざるを得ず、そのため通院治療ということになったが、その結果、入院治療に比べて、治療、治癒が遅れたこと等、被告の原告に対する対応に不誠実な点があったことを考慮すれば、原告に対する慰謝料は一四六万七〇〇〇円を下回ることはない。
キ 弁護士費用 三七万〇〇〇〇円
アからカまでの合計金額は四六二万七四六四円となるので、弁護士費用としては、その約八%の三七万円が妥当である。
(二) 被告らの認否及び反論
ア 被告の付保する任意保険会社が原告主張の治療費を支払っていることは認める。治療費の残額は不知。
なお、既払額も損害額として積算し、その後、過失相殺の上で、既払額を控除すべきである。
イ 入院諸雑費は認める。
ウ 診断書代は不知。
エ タクシー代は不知。
オ 休業損害については、基礎収入は認めるが、休業期間は争う。
カ 原告の慰謝料増額事由の主張は、争う。被告が救護に若干手間取ったことがあったとしても、救護措置に特段の問題はなかったものといえ、これを慰謝料の増額事由とするのは適当ではない。
キ 弁護士費用は、額を争う。
第三当裁判所の判断
一 過失相殺(争点1)について
1 甲七の一ないし七、乙一、五及び弁論の全趣旨によれば、本件事故現場の状況等として、以下の事実を認めることができる。
(一) 本件交差点は、環七通り方面から綾瀬駅方面に至る道路(以下「南北道路」という。)と水元方面から綾瀬川方面に至る道路(以下「東西道路」という。)とが交差する変形十字路交差点である。南北道路、東西道路ともに、標識等による最高速度の規制はない。
(二) 本件事故当時、原告は、自転車を運転し、東西道路の北側路側帯上を東方から本件交差点に向けて進行していた。また、被告は、被告車両を運転し、南北道路を北方から本件交差点に向けて進行していた。
(三) 南北道路には、中央部分に幅員二・七mの暗渠が設けられ、駐輪場として使用されていた。南北道路は、片側一車線であり、その幅員は各三・六mであった。南北道路は、歩車道の区別がなかった。
(四) 東西道路は、片側一車線であり、その幅員は各二・四mであった。車線の両側には、幅員約一・五mの路側帯が設けられていた。
(五) 本件交差点においては、車両用信号機による交通整理が行われていた。南北道路の信号サイクルは、赤色が六七秒、青色が二〇秒、黄色が三秒であった。また、東西道路の信号サイクルは、青色が六〇秒、黄色が三秒、赤色が二七秒であった。そして、全赤二秒の後、南北道路の信号機が青色を表示している二〇秒間は、東西道路の信号機は赤色を表示していた。
(六) 本件交差点においては、交差道路の見通しが悪く、特に、本件交差点の北東角には二階建ての建物が敷地一杯に建てられていて、原告の自転車が進行した東西道路から、被告車両の進行していた交差道路である南北道路の見通しは極めて悪かった。
(七) 本件交差点の北西の角(綾瀬六丁目△△番)には、被告の自宅がある。また、本件交差点の北東の角の敷地の北に隣接した所(本件交差点から八mくらい離れた所)に、被告の実家がある。
(八) なお、南北道路、東西道路及び本件交差点付近は、本件事故後に改修が加えられ、現在の状況は、本件事故当時と大きく異なっている。
2 ところで、本件においては、東西道路から本件交差点に進入した原告も、南北道路から本件交差点に進入した被告も、いずれも交差点進入時における自己の対面信号が青色を表示していたと主張し、各本人尋問においても、そのように供述している。しかし、これが両立しない関係にあることからすれば(前記1(五)参照)、いずれかの供述が事実に反することになる。
(一) まず、被告は、本人尋問において、次のように供述している。本件事故直後に実施された実況見分における指示説明(甲七の四。その現場見取図の原図が乙一の現場見取図である。)及び陳述書(乙四)における陳述内容も、ほぼこれと同旨である。
すなわち、被告は、本件事故当日は、仕事で集金をしており、いったん本件交差点の北東にある実家の前に被告車両を止めて、集金袋を母親に渡した後、被告車両を発進させ、南北道路を南方へと進み、本件交差点に向かった。本件交差点の信号が赤色を表示していたので、停止線の前で停止し、対面信号が青色表示に変わってから被告車両を発進させ、時速五~一〇kmの速度で本件交差点に進入したら、衝突音がして、被告車両の左側前部に原告の自転車が衝突した。被告は、急ブレーキを掛け、衝突地点から〇・七mくらい進行した地点で停止した。一方、原告の自転車は、ふらふらと左から右の方へ出てきて、衝突地点から二・七mほど南西寄りの地点で転倒した。
(二) これに対し、原告は、本人尋問において、次のように供述している(以下、地点の特定には、平成一一年五月四日の実況見分において作成された現場見取図(甲七の六)を使用する。)。
すなわち、原告は、自転車に乗って、東西道路の北側路側帯を東方から本件交差点に向かって進行していた。本件交差点の手前のア点で対面信号の表示を確認したら、青色を表示していた。さらに、原告は、本件交差点の北東角のイ点において、再度青色信号の表示を確認するとともに、左右の安全を確認した上、本件交差点を渡ろうとした。すると、中央の駐輪場に原告の自転車の前輪が入った辺りで、原告の自転車の後部に被告車両の前部右側が衝突した。
3 被告の供述と原告の供述を対比すると、被告の供述がほぼ一貫しているのに対し、原告の供述は、以下のとおり、変遷が多く曖昧で、客観的な証拠とも整合しない。
(一) まず、対面信号の表示を確認した地点について、前記のとおり、本人尋問においては、ア点で確認した後、イ点でもう一度確認したと述べるが、甲八の陳述書には、イ点で確認した事実については触れられていない。また、甲七の七の実況見分実施状況報告書によれば、原告は、平成一一年五月四日の実況見分においても、当初は、最後に信号を見た地点はア点であると説明しながら、後には、イ点でも信号を確認したと最初と違った指示説明をしたことが認められ、実況見分を実施した警察官が、同報告書の末尾に「立会人は、実況見分中も加害者に誠意がない、保険会社も治療費を支払ってくれない、相手が弁護士をたてたので私も弁護士を頼んで裁判で争っている等と、実況見分に関係の無いことをくどくどと申し立て、特定地点も度々変わる等指示説明に一貫性が認められなかった。」と付記していることが認められる。
(二) 衝突の部位についても、原告は自転車の前かごには曲損は全くないと供述しているが、本件事故直後に実施された実況見分について作成された実況見分調書(甲七の四)には、原告の自転車につき「前カゴ曲損」との記載があることが認められ、原告の供述は信用し難い(これに対し、甲七の二の写真撮影報告書によれば、原告の自転車の前かごに曲損は認められないが、これは本件事故から約一年半を経過した平成一一年五月四日に撮影されたものであるから、直ちに、本件事故により曲損が生じなかったことの根拠とすることはできない。なお、甲七の二と甲七の三とは、一枚目が入れ替わっている。)。他方、被告車両の衝突箇所については、甲七の四の実況見分調書には「左前部バンパー擦過」と記載されているが、右前部にも損傷があることは被告の自認するところであって、いずれが本件事故によるものかを客観的に判断することはできないが、後記の点も総合すると、被告の供述の方が信用性があると考えられる。
(三) 信号機の表示の点は別にして、原告がイ点において左右の安全確認をしたか否かについても、原告は、イ点で右方向を確認したが被告車両の姿はなかったと供述している。しかし、原告が自転車で三~四mを進行する間に、右側交差道路から突然車両が現れるというようなことはあり得ないことであり、当時、被告車両が本件交差点の数m北方を本件交差点に向かって進行していたことは、動かし難い事実である。したがって、原告がイ点で右側の安全を確認したとの供述は信用することができず、このことは、ひいては、原告の供述全体の信用性に疑問を抱かせるものである。
(四) さらに、原告は、本人尋問において、D医師が診断書(乙八の一)に「原告が、軽快し退院した」旨記載したことに対して、「絶対でたらめです。」、「嘘をあえて書いたと思います。」と述べ、また、山下整形外科のA医師が診療録(乙七)に「肩凝り、左肩凝り」と記載したことに対しても、「これは、でたらめ」と述べている。しかし、十分な根拠もなしに、医師の診断書や診療録における記載を虚偽と断ずること自体、原告が容易に事実に反する供述をする傾向があることを窺わせる。
4 以上の点を総合すると、本件事故発生時における信号機の表示は、被告が供述するように、被告の対面信号機の表示が青色で、原告の対面信号機の表示は赤色であったものと認めるのが相当であり、これと異なる原告の供述は採用し得ない。原告は、対面信号機の表示が赤色を示しているのに、これを看過して(あるいは、無視して)、本件交差点に進入したことになる。しかも、原告は、信号機の表示を看過していたとしても、本件交差点手前で、右側を一瞥してその安全を確認してさえいれば容易に被告車両との衝突を回避することができたのに、何ら右側の安全確認をすることなく本件交差点に進入したものであるから、その過失は著しく大きい。
その他、本件証拠に現れた事情を総合すると、本件における過失割合は、原告八五:被告一五と認めるのが相当である。
二 症状固定時期(争点2)について
1 甲五、乙六、七、一二の一・二及び弁論の全趣旨によれば、原告の治療経過について、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、平成九年一〇月六日、本件事故後に下井病院に搬送され、検査を受けた。左肩に疼痛があったが関節可動域は正常であり、左臀部に圧痛があり、右膝下部に擦過傷があった。レントゲン撮影の結果は、正常であった。原告は、いったん同病院から退出したが、腰痛が激しくなったとして入院を希望し、安静目的で独歩入院した。下井病院における診断名は、「腰臀部打撲、左肩・右膝擦過傷」であった。同月一四日、温熱・マッサージなどの理学療法が開始され、同月二〇日に軽快退院した。
(二) 原告は、平成九年一〇月二二日に山下整形外科に転医した。山下整形外科における診断名は、「頸部・腰部挫傷、左肩挫傷」であった。山下整形外科初診時の主訴は、「左肩から背中への疼痛」と「背部痛」であった。その後、腰痛と左肩の凝り、左頸部痛が主体となり、同月二三日からリハビリテーションが開始され、以後、超短波・マッサージが平成一二年八月一六日まで実施された。
(三) これらの疼痛に対する治療により、腰痛の改善は平成一一年二月二六日になって顕著となり(なお、乙一二の一のB医師の意見書に「平成一一年二月二〇日」とあるのは、「平成一一年二月二六日」の誤読と認められる。以下、同じ。)、以後、診療録に腰痛に関する記載は現れず、同年五月二七日に至って「腰痛→」との記載がされている。
(四) また、左肩の疼痛は、平成一〇年一二月二二日の診療時に、左肩に疼痛が残存するとして、デカドロン注射が実施され、同様に、平成一一年二月二六日にも、左肩の疼痛が強いとしてデカドロン注射が行われている。しかし、次に診察が行われた同年五月二七日の診療録には「左背部の疼痛」と記載されているが、デカドロン注射は行われていない。
(五) 歩行障害に関しては、下井病院にも「独歩入院」したものであり、車椅子や松葉杖を使用したこともないことからすれば、その症状の程度は比較的軽いものである。山下整形外科の診療録上も、特に歩行障害に関して記載がないことからすれば、歩行障害に関しては、受傷後一年くらいの間に治癒に至ったものである。
2 ところで、乙七によれば、原告は、山下整形外科に、平成九年一一月から平成一〇年一〇月までは、大体、一か月二〇日以上通院し、主治医の診察も一か月平均二、三回に及んでいたこと、しかし、平成一〇年一一月からは通院日数が一か月十数日に減り、さらに、平成一一年一一月からは通院日数が一か月数日となり、主治医の診察が行われたのは、平成一一年が四回、平成一二年が三回にすぎないことが認められる(以上の治療経過につき、原告の第一準備書面添付の表を参照)。
このことに、前記の認定事実を併せ考えると、原告については、平成一一年以降においても、回数は順次減少していったものの、左背部痛や左下肢痛を訴えて頻繁に通院し、理学療法(超短波・マッサージ)を受けることにより、痛みがある程度軽減していたものである。しかし、これらの治療は痛みに対する対症的効果はあったものの、原告の症状自体に大きな変化はなく、もはや有意な治療効果は認められない状態となっていたと考えられるのであり、B医師の意見書(乙一二の一)の述べるとおり、原告の症状である腰痛、左肩の疼痛及び歩行障害に関しては、平成一一年二月二六日をもって症状固定ないし治癒に至ったものと認めるのが相当である(もっとも、原告にそれ以降も痛みが残存することは事実であり、これは後遺障害として慰謝料において考慮するのが相当である。)。
三 心因性減額(争点3)について
前記のとおり、原告は、本件事故により、入院一五日、通院一六か月(平成九年一〇月二二日から症状固定時である平成一一年二月二六日まで)を要する傷害を負ったものである。ところで、乙一二の一には、擦過傷程度であれば一~三か月程度で治癒し、打撲ならば六か月程度で外傷治癒するものであり、歩行困難は、その原因・程度にもよるが、時間的経過により改善していくとの記述がある。しかし、これは、あくまで一般論として述べられたものと理解すべきであり、原告のような高齢者の場合には、加齢性の変性が寄与することにより治療が長期化する例が少なくないし、そうでなくとも、交通事故の被害者の場合には、一般に、加害者の対応や任意保険会社の支払への不満を持っていることが多く(現に、本件においても、事故から約九か月後には治療関係費の支払が打ち切られている。)、これが心因的な要因となって治療が遷延する例も珍しくない。しかし、後者のような場合でも、それが通常想定される交通事故の被害者としての心理的な反応を著しく逸脱し、治療が長期化したことにより生じた治療費を加害者に負担させることが公平の理念に反するような場合は別として、損害額の算定に当たって民法七二二条二項により被害者の心因的要因を斟酌するのは相当ではない。
本件においては、症状固定時までの原告の治療期間等を考慮した場合、心因的要因をもって原告の損害額を減額すべきではない。
四 原告の損害(争点4)について
本件については、過失相殺が問題となるので、既払金を含めた全損害を算出し、過失相殺の後に既払金を差し引く。
1 治療費 九三万四〇五〇円
前記のとおり、原告は平成一一年二月二六日をもって症状固定ないし治癒に至ったものであるから、本件事故当日の平成九年一〇月六日から同日までの治療費が、本件事故と相当因果関係を有する損害となる。
平成一〇年六月三〇日までの治療費が六三万四一〇〇円であることは、当事者間に争いがなく、甲一〇七ないし二四九によれば、同年七月一日から平成一一年二月二六日までの治療費の額は二九万九九五〇円であると認められるから、その合計額は九三万四〇五〇円となる。
2 入院諸雑費 一万六五〇〇円
当事者間に争いがない(なお、甲五一四のテレビ貸出料は、入院諸雑費に含まれ、これと別途に請求し得るものではない。)。
3 診断書代 二万一〇〇〇円
甲五一〇ないし五一二によれば、原告は、診断書代(文書代)として、二万一〇〇〇円を支払ったことが認められる。
4 タクシー代 三五〇〇円
甲五一五ないし五一七によれば、原告は、タクシー代として、平成九年一二月一二日に八二〇円を、平成一〇年二月三日に一三〇〇円及び一三八〇円の合計三五〇〇円を支出していることが認められる。これらは、症状固定以前におけるタクシーの使用料金であり、本件事故と相当因果関係があるものと推認される。
5 休業損害 一〇七万三七三五円
原告が、夫Cが経営する食肉小売業の事業専従者として、一年間で一五四万円の給与を得ていたことは、当事者間に争いがない。一日当たりの収入は、四二一九円となる(円未満切り捨て。以下、同じ。)。
ところで、前記のとおり、原告の主たる症状である腰痛、左肩の疼痛及び歩行障害は、平成一一年二月二六日に症状固定したものであるところ、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告の仕事は、立ったままの作業が続く食肉小売業の店員の仕事であり、その就労制限の程度は、(a)下井病院に入院していた一五日間については一〇〇%であり、(b)山下整形外科に通院していた期間については、頻繁に通院していた平成一〇年一〇月ころまでは、当初は一〇〇%~五〇%程度、後においても五〇%~三〇%程度であったと見られるが、(c)平成一〇年一一月以降は、次第に症状が軽快し、症状固定時にはほぼ就労制限は存しなくなっていたものと認められる。そこで、原告については、平成九年一〇月六日から平成一一年二月二六日までの五〇九日間について、平均して五〇%の労働能力の制限があったものとして、休業損害を算定するのが相当である。
したがって、原告の休業損害は、次のとおり一〇七万三七三五円となる。
4219円×0.5×509日間=107万3735円
6 慰謝料 一七〇万〇〇〇〇円
前記のとおり、原告は、本件事故により、入院一五日、通院一六か月を要する傷害を負ったものである。そして、原告は、平成一一年二月二六日に症状固定となったが、歩行障害については、症状固定時までにほぼ治癒していたものの、左肩の症状と腰痛については、平成一二年八月一六日まで痛みへの対症療法として理学療法(超短波・マッサージ)が続けられていたものである。したがって、原告については、症状固定時において、自賠法施行令二条別表(平成一三年政令第四一九号による改正以前のもの)の後遺障害別等級表の定める後遺障害には該当しないが、後遺障害として局部の神経症状が残っていたものと判断するのが相当である。
加えて、被告は、本件事故後、原告が要請したにもかかわらず、救急車の出動を要請することなく、警察への連絡も、特に理由がないのに本件事故後三〇分以上経ってから行っていること等の事情も併せ考慮すると、原告に対する慰謝料としては一七〇万円と認めるのが相当である。
7 小計(1ないし6の合計額) 三七四万八七八五円
8 過失相殺後の残額 五六万二三一七円
前記の過失割合に従い、7の原告の損害額から八五%を減額すると、残額は五六万二三一七円となる。
9 損害の填補 六三万四一〇〇円
原告に対しては、既に被告の付保している任意保険会社から治療費として六三万四一〇〇円が支払われていることは、当事者間に争いがなく、乙二、一五及び弁論の全趣旨によれば、これは平成九年一〇月六日から平成一〇年六月三〇日までの治療関係費として支払われたものであることが認められる。しかし、任意保険による給付は、特段の事情がない限り、交通事故から生じた損害賠償請求権全体を対象として填補が行われるものであり、結果的に治療費として過払いであった場合には、他の費目の損害の弁済に充当されると解するのが相当である。したがって、8の原告の損害は既に全額が填補されていることになる。
第四結論
以上によれば、原告の本訴請求はすべて理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 河邉義典)