大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成13年(ワ)3351号 判決 2004年7月29日

原告

同訴訟代理人弁護士

宮川泰彦

鳥海準

小木和男

被告

株式会社日本メール・オーダー

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

荒木孝壬

福屋登

太田輝義

主文

1  被告は,原告に対し,146万2194円及びこれに対する平成13年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,これを5分し,その4を原告の,その余を被告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,753万9250円及びこれに対する平成13年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告の従業員であった原告が,概ね次のとおり主張して,被告に対し,安全配慮義務違反による債務不履行(民法415条)に基づき,損害賠償を求めた事案である。すなわち,原告は,かつて被告の業務に起因して頸肩腕症候群を発症し,長期間休職した後,復職した。ところが,被告は,復職した原告を,長時間電話で応対しながら筆記をする等頸肩腕に過重な負担となるベリファイ業務と呼ばれる貸付確認業務(以下「ベリファイ業務」という。)に従事させたため,原告は,頸肩腕症候群を再発した。これは,被告が,原告を頸肩腕に過重な負担となる業務に従事させるべきではなかったのに,ベリファイ業務に従事させ,また,仮に原告をベリファイ業務に従事させるとしても,頸肩腕に変調がないかどうか等に十分配慮すべき注意義務があるにもかかわらず,これを怠ったためである。したがって,被告には安全配慮義務違反があり,原告が被った損害を賠償する責任がある,というものである(民法所定の年5分の割合による遅延損害金の起算日は訴状送達の日の翌日である平成13年3月23日)。

1  基礎的事実(括弧内に証拠等を記載した以外の事実は,当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

被告は,消費者金融業,レコード及び録音済テープ並びにこれらに関連する製品の委託製造,販売及び輸出入業務等を目的とする資本金3億円の株式会社である(弁論の全趣旨)。

原告(昭和○年○月○日生)は,昭和37年11月1日,被告の前身であるコンサートホールソサェテイ(ベンチュレックスNV支社,以下,被告の前身も含めて単に「被告」という。)に就職し,その後約13年の休職期間を経て昭和62年1月5日被告に復職し,平成13年3月31日に定年退職した(<証拠・人証省略>)。

(2)  原告の入社から休職までの経緯等

ア 原告は,被告に就職し,クラシックレコードの通信販売の事務員として稼働した後,顧客管理(ポスト)係主任を経て,昭和47年6月,管理課タイプ係筆耕校正の担当に配転された。

イ 原告は,管理課タイプ係筆耕校正の担当となった約1年9か月後である昭和49年3月13日,a病院のB医師により,頸肩腕障害を発症しており,1か月の休業加療を要する旨診断されたため(<証拠省略>),同月19日から欠勤し,被告に対し,同月25日,頸肩腕障害を理由に同月19日から同年4月18日まで欠勤する旨の欠勤許可願を提出し(<証拠省略>),さらに同月18日,頸肩腕障害を理由に同月19日から同年5月20日まで休職する旨の休職願を提出した(<証拠省略>)。被告は,これを受けて,同年4月19日,原告に対し休職を命じた。

(3)  原告の復職と復職後の業務

ア 原告は,前記(2)イの休職を開始してから約13年後である昭和62年1月5日,被告に復職し,第1事業部通信販売サービス係に配属された(<証拠省略>,原告本人)。

イ 原告は,平成3年4月1日,第2事業部キャッシング貸付部門ベリファイ係に異動したが,その約1年7か月後である平成4年11月18日,b病院のC医師により,頸肩腕症候群を再発している旨診断された(<証拠省略>)。

ウ 原告は,平成4年12月1日,第2事業部督促係に異動し,平成5年6月28日,同係からベリファイ係に,平成8年2月13日,同係から商品管理部第2課に,平成12年6月21日,同課から再びベリファイ係に異動した。

(4)  労働者災害補償保険法に基づく給付金請求等

ア 原告は,前記(2)イの休職を開始した後である昭和49年8月24日,品川労働基準監督署長により,業務により頸肩腕障害を発症したと認定され,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき療養補償給付の支給決定を受けた(<証拠省略>)。原告は,その後昭和58年春ころまでその支給を受けていたが,そのころ症状固定を理由に支給がされなくなったため,同年6月21日,品川労働基準監督署長に対し,再度,療養補償給付を請求した。しかし,同署長は,同年7月9日,原告が請求の理由としている疾病は同年3月31日既に症状が固定し,治癒したと認められるとして,不支給の決定をした(<証拠省略>)。

そこで,原告は,労働保険審査会に対し,再審査請求を行ったが,同審査会は,昭和63年12月5日,同請求を棄却した。

イ 原告は,平成5年6月25日,品川労働基準監督署長に対し,労災保険法に基づき障害補償給付を請求した。同署長は,同年7月19日,同法42条の規定による消滅時効が昭和63年3月31日に完成しているとして不支給の決定をしたが(<証拠省略>),平成9年2月5日,原告に対し,労働者保護の観点から不支給決定を取り消す旨通知した(<証拠省略>)。そして,原告は,品川労働基準監督署の指示に基づき,東京労災病院で診察を受けた後,同署長により,労働者災害補償保険法施行規則別表第一障害等級表(以下「後遺障害等級」という。)12級12号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当する旨の認定を受け,同年12月17日,障害補償一時金92万8000円,障害特別支給金20万円,障害特別一時金15万7092円の支給決定を受けた(<証拠省略>)。

2  争点及び当事者の主張

(1)  争点(1)(頸肩腕症候群の再発の有無等)について

(原告の主張)

以下のとおり,原告がかつて発症した頸肩腕症侯群は治癒していたが,原告が被告に復職後,ベリファイ業務に従事したことにより,原告は頸肩腕症候群を再発した。

ア 原告は,昭和47年6月に管理課タイプ係筆耕校正の担当に配転され,毎日数百枚に及ぶIBMカードと呼ばれる厚手のカードに,7,8枚の複写をする程度の筆圧(約500g)をもって書込みを行う業務に従事していた。原告は,この業務により,腕,肩,背中等に徐々に痛みを感じるようになり,昭和49年3月13日,頸肩腕症候群を発症している旨診断され,その後,前記1(4)アのとおり労災認定を受けた。したがって,原告がかつて発症した頸肩腕症候群は,被告の業務に起因していた。

原告は,その後休職したが,昭和62年1月5日,第1事業部通信販売サービス係に復職した。原告は,復職した後の昭和63年6月27日に行われた社内定期健康診断で,頸肩腕症候群について症状の変化がないことを申告しており,そのころまでには頸肩腕症候群は治癒していた。

イ ところが,被告は,平成3年4月,原告をベリファイ係に異動させた。ベリファイ業務は,貸付希望者(新規及び貸増希望者)からの事前の貸付申込書に基づいて,電話連絡を取り,数十項目にわたる貸付申込書の記載事項を電話によって確認し,申込確認書に書き込んでいくものである。原告が,ベリファイ業務に従事した当時,被告は,全体で1日に1800万円(月額3億から4億円)程度の貸付目標を設定していた。1件の貸出額は15万円から16万円程度であるため,貸付目標を達成するには,全員で1日に110件から120件程度,1人で1日に12,13件程度の顧客獲得が必要である。電話連絡のとれた申込者のうち,確認の結果,貸付けが可能な者は3分の1程度にすぎないので,1日に12,13件程度の顧客獲得を達成するには35件から49件程度の確認を行わなければならない。しかしながら,貸付申込書を事前に送付してきた貸付希望者に簡単に電話連絡をとることができるとは限らず,連絡をとることができるのは約3分の1程度である。このため,電話をかけるだけで100件程度になり,貸付確認には,顧客1人について最低でも5分から10分程度の時間を要するので,担当者は,業務時間中の大半,電話をかけながら鉛筆を走らせる作業に追われていた。

そして,被告は,職長(D,E,F)の机を,背面から担当者を監視することができる位置に配置し,職長は,随時,担当者の席の後ろを回って電話の処理状況を監視していた上,ベリファイ業務の担当人数よりも多い電話機が設置され,職長自身はベリファイ業務を行うことなく,職長が取り次いだ電話は保留にし通話が終わった担当者に直ちに回すシステムとなっていたため,原告を含む担当者は休む暇がなかった。

さらに,被告は,事前に毎週2日の残業スケジュールを一覧表によって組み,残業することが通常業務であるかのように予定を立てていた。

また,原告は,支払を遅延した顧客に対し督促のために電話をかける業務や,電話による顧客からの苦情への対応も担当させられていた。

ウ 前記イのとおり,ベリファイ業務は過重な業務であり,原告は,ベリファイ係に異動した後,次第に右手が痛み出し,上腕を浮かせる仕事がとてもつらくなったため,右手をかばったり,左肩とあごで電話のハンドセットを支えながら業務を行った。そのため,左肩の痛みや左上腕の痛みも増加した。また,夜眠れないことが多くなり,鍼治療の回数も増加した。平成3年8月ころから,さらに左腕が強く痛み,平成4年7月ころからは鉛筆を持つと右手親指の付け根が痛む症状が続いた。このような経過を経て,原告は,平成4年11月18日,C医師により,頸肩腕症候群が再発している旨診断された。原告が過去に発症した頸肩腕症候群は,昭和63年6月ころ治癒していたから,原告は,復職後ベリファイ業務に従事したことにより,頸肩腕症候群を再発したものである。

また,原告は,平成4年12月1日から督促係に異動したが,平成5年6月28日には再度ベリファイ係に戻されたため,症状は増悪した。

(被告の主張)

ア 原告がかつて発症したとする頸肩腕症候群について,労災認定がされたことは認めるが,これが被告の業務に起因することは争う。原告が,被告に対して,肩こり,背中の痛みを訴えたのは,原告が管理課タイプ係筆耕校正の担当に異動する前の昭和44年秋ころである。

イ 原告が,被告に復職した後,頸肩腕症候群を再発したことは否認する。

原告が平成3年4月1日から平成8年2月12日までの間に従事していたベリファイ業務は,以下のとおり,その質量ともに,頸肩腕症候群を発症する程度ではなかった。

(ア) まず,被告が採用していた申込用紙の記載事項は多数に及んでいたが,他の同種業者の採用していたものと比較して,格別の差異はない。ベリファイ係の担当者が記載するのは,配偶者の氏名,その勤務先,同居の家族,両親又は兄弟姉妹中1名の住所・氏名・続柄・電話番号,住まいの状況,保険の種類,当社ローンの用途,他社ローンの借入先及び記載もれのみであり,申込者に疑問点があれば,それを申込者に質して消費者ローン調査票に記載するという極めて単純なものである。したがって,申込書に格別不備がなければ1件当たりの通話時間は2分から5分で充分であり,確認作業に5分から10分を要することはない。また,平成7年6月,ローン申込用紙の体裁を変え,担当者が記載する事項は,親族名(続柄,電話番号,住所),資金の使途,干支,その他申込者が本来記載すべきであるのに記載していない部分に限るよう簡素化した。さらに,確認作業を行うためのローン申込用紙を,予め割り振りして担当者の前面の棚に置き,担当者は,ここから適宜抜き出して,ローン申込者に対し,記載事項を確認する作業を行い,1日1人平均20ないし25件程度を処理するのであって,業務拡張のために行う宣伝時に申込みが殺到しても,1日1人平均30件程度を処理するにすぎない。原告が,これを上回る70件ないし90件の電話応対をしていたとしても,この中には,申込者が不在又は仕事中のため電話に出ることができない場合も含まれているので,これら全件について手書きの作業を行うことはない。その上,督促,苦情の電話は,本来,ベリファイ業務外のもので,これらの業務の担当者が対応している。例外的にベリファイ係が当初対応していても,困れば直ちに管理職のE,Fに代わることになっており,原告が長時間にわたりこれらの業務に当たることはない。

(イ) また,被告は,電話交換業務に従事する者にも頸肩腕症候群の発症例が見られるようになったことから,頸肩腕症候群の発症を防止するため次のような対策を採用していた。まず,平成3年3月20日ころまでに,電話機のハンドセットを持たずに電話をかけることができるようにするため,ベリファイ業務に従事する従業員8名にハンズフリーヘッドフォンタイプの器具を使用させることにした。次に,ベリファイ業務の各担当者が座ったままの姿勢で,目の前のローン確認用紙を一方の手で出し入れすることができ,他方の手でローン申込用紙に所定の確認事項を格別の負担を感じることなく記入することができるようにするため,片側4名ずつが机を前に向かい合い,その中央に予め割り振りされたローン確認用紙を置く棚を設置した。さらに,ベリファイ業務の担当者には,就業規則で定めた休憩時間の外,午前10時30分から10分間及び午後3時から15分間の休憩時間を設けた。その上,原告や他の従業員が頸肩腕症候群を発症していることを推認させる所作が現れれば,直ちに気付く位置に,管理職のD,E,Fを配置した。

(ウ) 確かに,被告は,月毎に残業予定を立て,原告ら従業員各自の日程に合わせた残業方法を用いていたが,これは専ら残業希望者の都合を考慮するためであり,残業を増やし,又は強制するためのものではない。従業員は,残業予定日に残業をしないことも自由であり,原告も予定した残業をしなかったことが再三あった。しかも,原告が残業をしたのは,ベリファイ係に配転後の4年10か月(58か月)中27か月であり,その総時間178.5時間(1か月平均3.08時間)は,他の女子従業員に比べて多くはない。原告は,平成5年12月1日以降は平成6年7月に30分間の残業をしたのみである。

ウ また,以下のような事情からすれば,原告がかつて発症した頸肩腕症候群は昭和58年3月31日に治癒していたし,仮に,その当時,治癒ではなく症状が固定していたにすぎないとしても,それ以後症状固定時の症状が持続しているのである。すなわち,原告の本件請求は,症状固定時のまま持続している症状に基づく請求であるというべきである。

(ア) 原告がB医師の診断書に基づき品川労働基準監督署長に対し申立てをし,支給を受けていた療養補償給付は,昭和58年3月31日症状が固定し,治癒したことを理由に不支給となった。原告は,同年6月21日同署長に対し,改めて療養補償給付の請求をしたことがあるが,平成4年11月18日に頸肩腕症候群が再発したと診断されたことを理由に,療養補償給付を請求したことはない。

一方で,原告は,昭和49年3月に発症した頸肩腕症候群は症状が固定したとして,平成5年6月25日,同署長に対し,障害補償給付の請求をしているが,頸肩腕症候群が再発していたのであれば,このような障害補償給付の請求はしなかったはずである。

(イ) 原告が,頸肩腕症候群を再発している旨診断された平成4年11月18日から被告を退職した平成13年3月31日までの間,頸肩腕症候群による痛み,しびれによる勤務不能を理由として取得した休暇回数は,平成7年度2回及び平成12年度6回のみであり,平成5年度,平成6年度,平成8年度,平成9年度,平成10年度及び平成11年度は1回もない。

(ウ) 被告は,毎年,社内定期健康診断を行っているが,原告が頸肩腕症候群を再発していることがうかがわれる兆候はなかったし,原告自身,この社内定期健康診断で,医師に対し,頸肩腕症候群による病状を一切相談していない。

(エ) 原告が,頸肩腕症候群を再発していると診断された後通院を始めてから平成9年2月14日ころまで約2週間おきに受けていた治療方法は,機械器具による運動療法,体操指導等で,通常,症状固定後に,身体機能回復のために行われるものであって,頸肩腕症候群の再発に対して行われる治療方法ではない。

(2)  争点(2)(安全配慮義務違反の有無)について

(原告の主張)

原告が,復職後,頸肩腕症候群を再発し,さらにその症状を悪化させたことについては,以下のとおり被告に安全配慮義務違反がある。

ア 原告をベリファイ業務に従事させたこと

原告は,前記(1)(原告の主張)のとおり,かつて被告の業務に起因して頸肩腕症候群を発症し,長期間休職していた。原告は,昭和62年1月5日,第1事業部通信販売サービス係に復職し,昭和63年6月27日に行われた社内定期健康診断で,頸肩腕症候群について症状の変化がないことを申告し,そのころまでに頸肩腕症候群は治癒していた。しかし,この治癒の時点においても慢性症状は残存していたので,原告は,特につらいときは鍼治療を継続しており,このことを被告は熟知していた。また,そもそも,原告は,頸肩腕症候群を発症して長期間休職していたのであるから,被告は,原告を頸肩腕に過重の負担となるベリファイ業務に従事させるべきではなかった。しかも,被告は,原告を,平成3年4月にベリファイ係に異動させたが,その後も,原告が従前担当していた顧客管理や入金処理の業務は存在し,被告は,新たに人員を配置したのであるから,原告を他の係に異動させ,担当業務を変更する必要性はなかった。

以上のように,被告は,原告をベリファイ係に異動させるべきではなかったのに異動させ,その結果,原告は,頸肩腕症候群を再発したのであるから,原告をベリファイ係に異動させたこと自体が,安全配慮義務に違反するというべきである。

イ ベリファイ業務に係る労働環境に配慮しなかったこと

原告は,過去に頸肩腕症候群を発症していたのであるから,仮に,被告が原告をベリファイ係に異動させるとしても,原告の頸肩腕に変調がないかどうかに十分注意すべきであったし,また,労働時間,休憩時間や,その他ベリファイ業務における負荷を取り除くための設備を整える等労働環境に配慮すべきであったにもかかわらず,これを怠った。

その結果,原告は,頸肩腕症候群を再発したのであるから,被告には安全配慮義務違反がある。

ウ 原告が頸肩腕症候群を再発した後,一度は督促係に異動させながら,再度ベリファイ係に異動させたこと等

原告が頸肩腕症候群を再発した後の平成4年12月1日,被告は,原告を督促係に異動させた。督促係での業務内容は,ベリファイ係と比較すると頸肩腕への負荷が少ないが,そもそも原告は頸肩腕症候群を再発していたのであるから,より負荷の少ない部門へ異動させるべきであった。しかも,被告は,再発した頸肩腕症候群が治癒し,又は症状が落ち着いた状態になっていないにもかかわらず,平成5年6月28日,原告を再びベリファイ係に異動させ,原告は,平成8年2月13日までベリファイ業務に従事した。この間,原告及び原告が所属する労働組合(以下「訴外組合」という。)は,再三,被告に対して,原告の健康管理に配慮した諸措置を採るように春闘その他の場面において要求したが,被告は誠意のある対応をしなかった。

その結果,原告が再発していた頸肩腕症候群の症状がさらに増悪したのであるから,被告には安全配慮義務違反がある。

(被告の主張)

昭和49年ころ,原告他4名の従業員が,頸肩腕症候群を発症したとして,相次いで,品川労働基準監督署長に対し療養補償給付の請求をした。このため,被告は同署により職場環境について調査を受けたが,後日,同署長から格別改善を命ぜられることはなかった。それにもかかわらず,被告は,前記(1)(被告の主張)のとおり,ベリファイ係については他の職場よりも休憩時間を多く設けたり,電話機のハンドセットを持たずに電話をかけることができるようにするため,ハンズフリーヘッドフォンタイプの器具を採用する等の配慮をした。この結果,被告は,その後ベリファイ業務に従事した原告以外の従業員から,頸肩腕症候群を発症した,又は頸肩腕症候群が再発したという申出を受けたことはない。

したがって,被告に安全配慮義務違反はない。

(3)  争点(3)(過失相殺)について

(被告の主張)

仮に,原告が頸肩腕症候群を再発したとしても,再発したことについては原告にも過失がある。すなわち,原告は,被告に対し,頸肩腕症候群が再発する徴候があることを申し出たことはなかったし,被告が毎年実施している社内定期健康診断において体調の不調を訴えることもなかった。その上,原告は,頸肩腕症候群が再発した旨のC医師の診断書を被告に提出しなかった。

したがって,原告が主張する頸肩腕症候群の再発又は症状の悪化には,原告自身にも責められる点があるので,公平の見地から損害額の算定に当たって過失相殺として斟酌されるべきであり,過失相殺すべき割合は9割を下らない。

(原告の主張)

被告は,昭和61年春,当時休職中であった原告他4名について,体調が不十分であり,精神状態も不安定である旨の申告を受けていたし,原告が職場復帰した後,当時の部長は原告の体調を気遣っていたのであるから,職場復帰の時点において,体調に関して原告に告知不足はなく,この点をもって過失相殺すべきでない。

また,原告がベリファイ係への異動を拒絶しなかったのは,休職して職場復帰するまでに約13年の歳月を要したことから,不毛な紛争を避けるためであり,このことをもって,過失相殺すべきでない。

(4)  争点(4)(消滅時効)について

(被告の主張)

前記(1)(被告の主張)のとおり,原告が主張する症状は,先に発症した頸肩腕症候群による症状であって,一度治癒した頸肩腕症候群が再発したものではない。そして,先に発症した頸肩腕症候群は,昭和58年3月31日に症状が固定したのであるから,10年が経過した平成5年4月1日をもって消滅時効が完成している。被告は,消滅時効を援用する。

(原告の主張)

前記(1)(原告の主張)のとおり,原告がかつて発症した頸肩腕症候群は治癒しており,復職後,ベリファイ業務に従事したことにより,再発したものであるから,被告の主張は失当である。

(5)  争点(5)(原告の損害額)について

(原告の主張)

被告の安全配慮義務違反により,原告は,次のとおり,合計753万9250円の損害を被った。

ア 治療費 1万8410円

平成4年11月18日から平成9年3月5日までの間,原告は,b病院に治療のため89日通院した。この間の治療費として,合計1万8410円を要した。

イ 通院交通費 5万0840円

原告は,平成4年11月18日から平成9年3月5日までの間,89日,自宅からb病院に通院した。

自宅最寄りの桜新町駅から渋谷駅までの交通費は,平成4年11月から平成7年8月31日の間(実通院日数64日)は片道130円,同年9月1日から平成9年3月5日までの間(実通院日数25日)は片道150円であった。また,渋谷駅から新橋駅までの交通費は片道190円であったが,品川駅から新橋駅まで通勤定期を利用することができたことから,負担額は片道150円であった。

したがって,通院交通費として,次の合計5万0840円を要した。

130円×2(往復)×64日=1万6640円

150円×2(往復)×25日=7500円

150円×2(往復)×89日=2万6700円

ウ 後遺障害逸失利益 307万0000円

原告が,平成4年11月18日に再発していると診断された頸肩腕症候群は,平成9年3月24日に症状が固定し,原告には後遺障害等級12級の後遺障害が残った。後遺障害等級12級の労働能力喪失率は14%であるから,原告の基礎収入を264万7541円として,症状固定時の56歳から67歳までの11年間につき,後遺障害逸失利益を算定すると,307万円になる。

なお,原告は,症状固定時から平成13年3月に60歳で被告を定年退職するまでの4年間,勤務を続け,給与の支給を受けたが,このことは,逸失利益を算定するに当たって考慮すべきではない。

エ 通院慰謝料 150万0000円

通院期間は4年4か月であるが,1年間の通院回数が多くないことから,東京労災病院での受診を含めた実通院日数90日の3.5倍にあたる315日を基礎として,通院慰謝料は150万円が相当である。

オ 後遺障害慰謝料 290万0000円

原告には,後遺障害等級12級の後遺障害が残ったことから,後遺障害慰謝料は290万円が相当である。

なお,仮に,原告が定年までの4年間につき給与の支給を受けたことから,前記ウの後遺障害逸失利益が否定されるとしても,労働能力の喪失自体があることは明らかであるから,慰謝料の算定に当たって考慮すべきである。

カ 損害の填補について

労災保険法に基づく給付金128万5092円は,昭和49年3月13日に発症していると診断され,昭和58年3月31日に治癒した頸肩腕症候群に対して支給されたものである。本件で,原告は,平成4年11月18日に再発している旨診断された頸肩腕症候群について,安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めているのであるから,この給付金は損害の填補に当たらない。

(被告の主張)

ア 原告が主張する損害額は争う。

イ 損害の填補

原告は,労災保険法に基づく給付金128万5092円の支給を受けている。原告が本件において主張している症状は,昭和49年3月13日に発症している旨診断された頸肩腕症候群によるものであるから,仮に,被告に何らかの安全配慮義務違反が認められるとしても,原告が支給を受けた前記給付金は,損害の填補として,原告の損害額から控除すべきである。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

前記第2の1の事実(基礎的事実),証拠(<証拠・人証省略>)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。

(1)  頸肩腕症候群の発症,それに伴う休職,復職までの経過等

ア 原告は,出産休暇後の昭和47年6月,管理課タイプ係筆耕校正担当に配転された。その当時の業務内容は,毎日約200枚に及ぶIBMカードと呼ばれる厚手のカードに,顧客の住所,氏名,会員番号等を相当の筆圧をもって書き込むというものであった。原告は,同業務に従事するようになった後,右腕,肩,頸等に凝り・痛みや,右指先に力が入らず,しびれる等の症状が生じるようになり,昭和49年3月13日,a病院のB医師によって,頸肩腕障害を発症しており,1か月の休業加療を要する旨診断された。このため,原告は,同月19日から欠勤し,同月25日,被告に対し,頸肩腕障害を理由に同月19日から同年4月18日まで欠勤する旨の欠勤許可願を提出し,さらに,同日,被告に対し,頸肩腕障害を理由に,引き続き同月19日から同年5月20日まで休職する旨の休職願を提出した。このため,被告は,同年4月19日,原告に対して休職を命じた。

イ 原告は,昭和49年7月10日,a病院のB医師の診察を受け,経過良好,同月21日から職場復帰可能,当初1か月間は半日勤務をして,過重にならないように配慮を要する旨診断された(<証拠省略>)。

この診断結果を受けて,原告は,同月19日,被告に対し,同月22日から,午前9時から12時までの3時間勤務を2週間程度した後,身体の状態により勤務時間を延長していきたい,仕事内容は休職前と同じで,1時間勤務毎に15分間の休憩をしたい旨の同月18日付復職願を提出した(<証拠省略>)。

この原告の申出に対して,被告は,被告が指定する産業医であるc総合病院での診察の結果に基づいて復職の可否を決定したいので,同病院で診察を受けるよう指示した(<証拠省略>)。しかし,原告は,現在通院しているa病院と相談したところ,同病院の診断書に不都合な点はないと回答したため(<証拠省略>),被告は,再度,c総合病院で診察を受けるよう指示した(<証拠省略>)。

ウ 原告は,前記アの休職の開始後である昭和49年8月24日,品川労働基準監督署長により,業務により頸肩腕症候群を発症したと認定され,療養補償給付の支給決定を受けた(前記第2の1(4)ア)。

なお,昭和47年12月から昭和50年7月までの間に,原告のほか,通販事務,タイプ,筆耕校正等に従事する被告の従業員4名(G,H,I,J)も,頸肩腕症候群等について労災認定を受けている(<証拠省略>)。

エ 原告は,昭和52年5月20日,被告が指定する産業医であるc総合病院のD医師の診察を受け,病名は頸肩腕障害,向後約3か月間の半日勤務が可能,その間,経過治療観察を要する旨診断された(<証拠省略>)。また,原告は,同年6月2日,a病院のK医師の診断を受け,病名は頸肩腕障害,症状軽快につき同月9日より3か月間午前中の半日リハビリテーション勤務が必要である旨診断された(<証拠省略>)。そして,原告は,同月14日,これら2通の診断書を添付して,被告に対し,3か月の間半日勤務をする旨の復職願を提出した(<証拠省略>)。

しかし,被告は,原告に対し,復職を許可しなかった。

オ 昭和61年7月,原告が所属する訴外組合は,被告に対し,原告の休職を解くことを申し入れた。

その後,訴外組合と被告との間で,同年10月27日付け協定書が取り交わされたところ,その協定事項の中には,休職中の原告を含む4名は直ちに職場復帰し,平常勤務することが含まれていた(<証拠省略>)。

カ 被告は,昭和62年1月5日,原告の休職を解き,原告は,第1事業部通信販売サービス係に配属され,リハビリテーション勤務(半日勤務等)を経ることなく通常の勤務を開始した。

当時,原告は,まだ,凝り等を感じており,完全に直っているか多少不安に思い,あるいは,筆耕のような複写作業や,同様に肩や指のみを使い,反復する作業を長期間繰り返すのは無理だとも思ったが,訴外組合から症状を確認された際,痛みはあるが仕事は大丈夫と答えた。訴外組合は,原告は通常の勤務であれば大丈夫であろうと考え,被告に対し,原告を頸肩腕に負担の少ない業務に従事させること等の特段の申入れはしなかった(<人証省略>)。

原告は,復職した昭和62年1月5日当時,頸肩腕症候群の症状は安定していたため,通院治療は行っていなかった(原告本人)。

(2)  復職後の原告の業務内容及び症状等

ア 復職した原告が従事した第1事業部通信販売サービス係の業務内容は,通信販売を行っている商品の申込み事務と入金処理であり,上肢を固定して作業をしたり,同じ腕や手を反復して使う作業もほとんどなかった。原告は,筋肉の付け根が痛むとき等にたまに鍼治療を受けることがあったものの,症状は安定し,体調も良くなっていた(<証拠・人証省略>)。

そして,原告は,復職して約5か月後の昭和63年6月に実施された社内定期健康診断においては,担当医師に対し,身体の調子は良好であり,頸肩腕症候群は治癒している旨述べた(原告本人)。

なお,平成元年から平成10年までの間,被告が毎年実施している社内定期健康診断において,原告が,担当医師に対し,肩や腕の痛みを訴えたことの記録はない(<証拠省略>,弁論の全趣旨)。

イ 被告は,原告が復職して4年が経過した平成3年1月11日,ローン事業拡大のため,原告をベリファイ係の補助としてその業務に就かせ,同年4月1日,正式にベリファイ係に異動させた。原告をベリファイ係に異動させた後,被告は,社員を1名新たに雇用するとともに,派遣社員1名の派遣を受ける契約を締結して,従前,原告が従事していた業務に従事させた。

原告は,ベリファイ係に異動を命じられた当時,頸肩腕症候群が再発するのではないかと不安になったが,それを被告に申し出なかった(原告本人,<人証省略>)。

ウ 原告は,ベリファイ係に異動した後,頭部の付け根,首,肩,腕に痛みと凝りを感じるようになった。このため,仕事中に,固まった部分や凝った部分をプラスチックハンマーで叩いたり,右手にしびれや痛みを感じるようになった後は,サポーターをはめ,さらに,エアコンの風が身体に直接当たると痛みが増すことから,夏季も長袖服を着用した。

原告は,平成4年8月ころからは,右頸部,頭部の付け根に凝りと痛み,右肩に固まりと凝り,右手指にしびれを感じるようになった。特に,ボールペンによる筆記時やホッチキスの使用時に,親指の付け根から肩の筋に痛みが走った。また,家事においても,包丁やフライパンを持つのがつらく,洗濯物をよく落とす等のことがあった。朝,起床時,両手はしびれ,次第に,土曜日及び日曜日に休息してもしびれは残ったままで回復しなくなった。

また,原告は,d針灸院に,平成3年8月29日から5回,同年9月11日から5回,通院した(<証拠省略>)。

エ 原告は,平成4年11月18日,しびれが治らないため,b病院で受診し,C医師に対し,項背部,両腕の凝り,だるさ,右手首伸側の痛み,脱力等を訴えた。C医師は,原告の主訴内容,約7年前に頸肩腕症候群により通院加療を受けたことがあること,平成3年4月に現在の職場に異動し,その後,平成4年8月ころから症状が悪化し,最近では症状が非常に強くなってきているという経過,さらに,診察の結果,項背部,頸部から両上肢の筋硬・圧痛が著明であり,右(手関節部)外側茎状突起部に圧痛があること,握力計測の結果,右握力14kg,左握力19kgと低下していること,エキスパンダー検査が右腕の痛みのため実施できなかったこと,頸椎運動制限は認められず,頭部圧迫試験は陰性であり,頸椎椎間板症が否定されたこと等を総合して,頸肩腕症候群の再発であり,当面2か月間は軽減業務,通院加療を要する旨診断した(<証拠省略>)。原告は,C医師から,休職して治療することを勧められたが,収入が減ることによる経済的な問題,再度休職することによる不利益を心配して,休職しなかった。

原告は,その後もb病院に通院し,機械器具による運動療法,体操指導による運動療法,ホットパック,パラフィン浴,マイクロ波の照射,徒手筋力テスト,療養指導を受けた。

オ 原告は,b病院のC医師により前記エのとおり診断を受けたが,被告に対し,診断書を添えて,頸肩腕症候群が再発したことを申し出なかった。

しかし,平成4年11月,訴外組合は,年末一時金闘争に際し,被告に対し,第2事業部のベリファイ担当者に実施されている月6回の残業スケジュールを止めることを要求するとともに,原告が頸肩腕症候群を再発したことを告げた(<証拠・人証省略>)。

カ 原告は,平成4年12月1日,督促係に異動したが,平成5年6月21日,督促係から再びベリファイ係への異動を告げられ,同月28日,同係へ異動した(<証拠省略>)。

キ 原告は,再びベリファイ係に異動する前に,平成5年2月ころからベリファイ係の補助としてベリファイ業務に従事していたところ,体調を崩し,眠れない日が続くようになったため,就寝前に睡眠薬を飲むようになった。そして,正式にベリファイ係に異動した同年6月28日ころには,右上腕部,左肩,首,背中等の痛みがひどくなり始めた。b病院においてリュウマチ検査をしたが問題はなく,C医師は,頸肩腕症候群によるしびれと診断した(<証拠省略>)。

ク 平成5年春の春闘において,訴外組合は,原告が一昨年より頸肩腕症候群を再発している,原告の頸肩腕障害は,就労中に再発したものであり,健康回復のために企業として責任を取ること,第2事業部(ローン係)の新規貸付け担当の部署では,電話の応対のほか筆耕作業があって,電話交換手よりも苛酷な業務であり,とりあえず,電話交換手並みの休息時間を導入すること等を申し入れたが,被告は,ベリファイ業務は苛酷なものとは考えていない等と回答した。

ケ 原告は,平成8年2月13日,ベリファイ係から商品管理部第2課に異動し,平成12年6月21日,同課からベリファイ係に異動した。

原告は,商品管理部第2課からベリファイ係に異動する際,約半年後には定年退職となることもあって,異動を拒否しなかった(<証拠・人証省略>)。

コ 原告は,前記第2の1(4)アのとおり,労災保険法に基づく療養補償給付の支給がうち切られたため,同イのとおり,品川労働基準監督署長に対し,障害補償給付の請求をし,平成9年3月24日,品川労働基準監督署の指示に基づき,東京労災病院で受診し,頸肩腕症候群と診断された(<証拠省略>)。そして,同署長は,この診断結果も考慮に入れて,昭和49年3月13日発症した頸肩腕症候群に関する原告の後遺障害等級を12級12号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当すると認定し,障害補償一時金92万8000円,障害特別支給金20万円,障害特別一時金15万7092円を支給した(<証拠省略>)。

サ 原告は,平成13年3月31日,被告を定年退職した(<証拠省略>)。

原告が復職後平成13年1月までの間に取得した休暇は,復職した昭和62年が忌引2日を含む12.5日,昭和63年が11.5日,平成元年が忌引9.0日を含む35.0日,平成2年が15.0日,平成3年が22.5日,平成4年が24.5日,平成5年が28.0日,平成6年が23.0日,平成7年が24.0日,平成8年が19.5日,平成9年が23.5日,平成10年が24.0日,平成11年が忌引5.0日を含む29.5日,平成12年が23.0日,平成13年が2.0日であった(<証拠省略>)。このうち,上腕,手指の痛み,しびれによる通院等を理由とする休暇は平成7年が2日,平成12年が6日の合計8日であり,しびれによる通院等以外の休暇取得の主な理由は,私用・家事都合,通院等(病名なし),組合活動であった(<証拠省略>)。

(3)  原告が復職後従事したベリファイ業務の内容等

ア ベリファイ業務の内容

被告第2事業部は,<1>企画宣伝,<2>ベリファイ業務,<3>審査,<4>顧客管理(督促業務),<5>事務(貸付,入金,自動引落としに関する事務的業務の全て)の5部門に分かれ,ベリファイ業務はその1部門で,ダイレクト・メール宣伝による顧客申込書受付,申込書を送付してきた顧客への電話による聞き取り・確認作業を主な業務としている(<証拠省略>)。

ベリファイ業務の具体的作業内容は,貸付申込書を送付してきた貸付申込者に電話をかけ,申込内容を確認し,その記載漏れ事項を聞き取って貸付申込書に記載するとともに,配偶者名,その勤務先,同居の家族,両親又は兄弟姉妹中1名の住所・氏名・続柄・電話番号,住まいの状況,保険の種類,貸付けがされた場合の用途,すでに利用している他社ローン名を聞き取り,所定用紙に記入し,さらに,貸付申込者に疑問があれば,疑問点を質した上,消費者ローン調査票に記載するというものであり,この作業を,電話機のハンドセットを左手に,筆記具を右手に持って行うというものであった。なお,原告は,前記(2)イのとおり,復職後,平成3年1月11日に補助として初めてベリファイ業務に従事し,同年4月1日にベリファイ係に異動したところ,後記ウのとおり,被告は,同年3月ころ,ハンドセットを持たずに会話をすることができるハンズフリーヘッドフォンタイプの器具を採用した。しかし,頻繁に取り外さないと耳が痛くなるような状態であったため,必ずしもハンドセットから開(ママ)放されたわけではなかった(<証拠・人証省略>,弁論の全趣旨)。

作業量としては,午前9時の業務開始から午後5時15分まで,休憩時間を除き,ほぼ常時電話をかけ,またはかかってくる電話の応対をし,担当者1人当たり1日平均60件ないし70件を処理し,1日あたり2000万円程度の貸付けが目標であった。ベリファイ担当者8名は,各自通話が終われば,すぐにかかってくる電話をとり続けているので,部屋内は話し声が常にしている状態であり,自己の通話が聞き取りにくいこともあった。昼食休憩のときには,被告が購入したマッサージ器のほか,各自が持ち寄ったマッサージ器や按摩機で凝りをほぐしたりして,午後の業務に備えるのが日課であった(<証拠・人証省略>)。

イ 残業

被告は,月毎に,業務・残業スケジュール表を作成し,ベリファイ係内で,あらかじめ各従業員に残業日の割当てをしていた(<証拠・人証省略>)。

もっとも,各従業員が割り当てられた残業を必ず行うというわけではなく,原告が復職した後,初めてベリファイ業務に従事した平成3年から平成12年までの残業時間は,平成3年が40.0時間(月平均約3.3時間,多い月で11.0時間),平成4年が98.0時間(月平均約8.2時間,多い月で14.0時間),平成5年が54.5時間(月平均4.5時間,多い月で10.0時間),平成6年が0.5時間(7月のみ0.5時間),平成7年ないし平成10年が各0.0時間であった(<証拠省略>)。

ウ 被告が採った対応策

被告は,平成3年3月ころ,ベリファイ係の担当者の腕や手にかかる負担を軽減するため,ハンドセットを持たずに会話をすることができる,ハンズフリーヘッドフォンタイプの器具を採用した(<証拠省略>,弁論の全趣旨)。

また,被告は,平成4年3月,ベリファイ係とコンピュータ室のキーパンチャーについて,就業規則上設けていた昼休み45分の休憩時間及び既に一般化していた午後3時から15分の休憩時間のほか,午前10時30分から10分間,別に休憩時間を設けた。もっとも,ベリファイ係では,この午前の休憩は,部長の裁量によりとることができないこともあった(<証拠・人証省略>)。

(4)  原告の症状等と治療経過等

ア 原告が,復職後,ベリファイ係に異動した平成3年4月1日より後の原告の症状は,前記(2)ウのとおりであり,平成4年11月18日,b病院のC医師により,頸肩腕症候群が再発している旨診断を受けた当時の症状,診断内容及びその後の治療内容等は,前記(2)エのとおりであるが,原告がその後,b病院で訴えた主な症状は,腕の痛みがとれてきている(平成4年12月5日),右肩から腕にかけてかったるい(同月12日),左右腕のしびれ,項,背部の痛みあり(平成5年3月3日),不眠(同年7月29日),左肩先に痛み(同年8月7日),手のしびれ有り,右腕のしびれ増加,不眠(同月26日),右腕から肩にかけて痛みが増加(同年11月11日。カルテの同日の欄には,仕事忙しい,1日中電話受けとの記載もある。),右肩,右手にしびれと痛み,右肘,右手首に痛み(同年12月6日),右肩,両項部,右腕に痛み(平成6年1月12日),右肩の痛み,のぼせがあり(同年2月7日),右項部から肩の凝りと痛み,右上肢がだるい(同年3月24日),右上半身に痛み,しびれあり(同年6月11日),両上肢から第4及び第5指にしびれあり(同年10月6日),両手しびれあり(同年12月9日),犬を抱いてから頸肩腕症がひどくなった(平成7年3月9日),左腕に痛みあり(平成8年7月15日)等というものであった(<証拠省略>)。

イ 原告は,平成9年3月24日,品川労働基準監督署の指示により,東京労災病院でL医師の診察を受けた。原告は,項,肩部痛,両上腕及び背部に凝り,両手指にしびれをそれぞれ感じる旨訴えた。L医師は,原告の主訴内容の他,検査所見を考慮した上で,頸肩腕症候群であると診断した(<証拠省略>)。

原告は,前記診断の当時,右頸部及び右頭部の付け根に凝りと痛みがあり,腕を浮かせて行う作業は重みとだるさで苦痛を感じる,右肩に固まりが残っており,痛みが肩の筋肉を通じて上腕,右指先に続いている,握力が戻らず,タオルやぞうきん等を固く絞ることができない,朝起きると必ずしびれがあり,よく物を落とす,右手指のしびれがひどく,ボールペンで文字を書くだけでしびれが生じ,長時間,書き続ける場合にはマッサージが必要であるし,ズボンの裾上げ等細かい針仕事は,休みをとりながらする等の状態であった(<証拠省略>)。

2  争点(1)(頸肩腕症候群の再発の有無等)について

(1)  頸肩腕症候群について

職業に起因する頸肩腕症候群は,頸肩腕障害ともいわれ,上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的又は器質的障害である。初期段階では,頸・上肢の痛み,凝り,だるさ,手指の痛み,冷え,ふるえ,動きにくさ等の自覚症状を訴え,自覚症状が進んだ段階で,障害部の筋肉の硬結,圧痛があり,さらに,筋肉の発赤,腫脹,熱感等炎症症状が現れ,疼痛が増強し,また,例えば,頭から下肢までの同側半身,または右上肢と左躯幹に知覚異常が認められたり,末梢循環障害を伴い,冷感,しびれ感が発現する等他覚所見がみられるようになる(<証拠省略>)。

頸肩腕症候群は,症状が軽快又は治癒しても,悪化又は再発しやすいことが特徴の1つである(<証拠省略>)。

(2)  原告の頸肩腕症候群の再発の有無について

ア まず,原告が昭和49年3月13日に発症している旨診断された頸肩腕症候群についてみると,原告がその症状により休職した後,同年7月18日,被告に提出した復職願に添付された診断書には,職場復帰後,当初1か月は半日勤務が必要と記載されており(前記1(1)イ),また,昭和52年6月14日,被告に提出した復職願に添付された診断書2通にも,職場復帰後,3か月の半日勤務が必要と記載されていた(前記1(1)エ)のに対し,昭和62年1月5日に復職する際には,このような半日勤務を経ることなく,通常勤務をする前提であったこと(前記1(1)オ),原告が復職した昭和62年1月5日当時,頸肩腕症候群の症状は安定していたため,通院治療は行っておらず(前記1(1)カ),また,復職した原告が従事した第1事業部通信販売サービス係の業務内容は,通信販売を行っている商品の申込み事務と入金処理であり,上肢を固定して作業をしたり,同じ腕や手を反復して使う作業もほとんどなかったため,原告の体調も良くなり,原告は,復職して約5か月後の昭和63年6月に実施された社内定期健康診断においては,担当医師に対し,身体の調子は良好であり,頸肩腕症候群は治癒している旨述べていること(前記1(2)ア),復職後,ベリファイ係に異動するまでの間に,頸肩腕症候群の症状により,業務に支障があったことは窺われないこと等の事情を総合すると,先に発症した頸肩腕症候群は,原告が復職する相当前にその症状は既に固定し,その後も休職が続き,復職後も右上肢等を酷使することがなかったことから,さらに症状が改善し,遅くとも昭和63年6月の定期健康診断の際には,それ以前に後遺障害として神経症状が残存していたとしても,それも既に消失していたもの(仮にわずかに症状が残存していたとしても,既存の障害として評価すべきではない状態に至っていたもの)と認めるのが相当である。

イ ところが,原告は,復職してから4年以上が経過した平成3年4月1日にベリファイ係に異動した後,頭部の付け根,首,肩,腕に痛みと凝りを感じるようになり,ベリファイ係に異動して1年以上経過した平成4年8月ころには,右頸部,頭部の付け根に凝りと痛み,右肩に固まりと凝り,右手指にしびれを感じるようになり,ボールペンやホッチキスの使用時に親指の付け根から肩の筋に痛みが走り,包丁やフライパンを持つのがつらく,洗濯物をよく落とす等のことがあり,週末に休息することで回復していたしびれが,次第に回復しなくなっていた(前記1(2)ウ)。C医師により頸肩腕症候群が再発している旨診断された平成4年11月18日当時も,主に,項背部,両腕の凝り,だるさ,右手首伸側の痛みや脱力感を訴えていた(前記1(2)エ)。原告がベリファイ係に異動した後に生じたこれらの症状は,頸肩腕症候群の症状に合致することが認められる(<証拠省略>)。そして,原告は過去に頸肩腕症候群を発症したことがあるところ,頸肩腕症候群は,治癒又は症状固定しても再発しやすい傷病である(前記(1))。

ウ また,平成3年4月1日以降,原告が従事したベリファイ業務は,電話の応対をしながら,筆記するという作業を,就業時間中,ほぼ常時行うもので,右手ないし右上肢に相当の負担になると評価すべきものであるところ(前記1(3)ア),原告はこのようなベリファイ業務に,平成3年4月1日以降平成4年12月1日に督促係に異動するまでの間,1年8か月(補助としてベリファイ業務に従事するようになった平成3年1月11日からは約1年10か月)にわたり従事していた(前記1(2)ウないしカ)。

エ さらに,原告は,前記アのように,復職後ベリファイ係に異動するまでの間は体調も良くなり,頸肩腕症候群の症状は消失していたが,ベリファイ係に異動した後の平成3年8月ころから継続して鍼灸院へ通うようになり,また,平成4年11月18日以降,原告は,b病院で,機械器具による運動療法,体操指導による運動療法,ホットパック,パラフィン浴,マイクロ波の照射,療養指導等を受けるようになった(前記1(2)エ)。

オ b病院において,主に頸肩腕障害の臨床に携わっているC医師は,概ね次のような理由により,原告が頸肩腕症候群を再発した旨診断している(<証拠省略>)。すなわち,一般に疾患の診断は,自訴,症状経過についての問診,身体診察,諸検査の結果を総合して行うが,原告の場合には,<1>経過からみて,前回の症状経過とはかなりの期間で隔たっているところ,前回の頸肩腕症候群の症状が改善して職場復帰した後は,数年間通常就労していたこと,<2>今回は,平成3年4月に職場が変更した後の平成4年8月ころから症状がだんだん悪化してきており,業務負担と症状の関連があると考えられたことから,前回の頸肩腕症候群とは容易に区別できると考えられる,というものである。

また,C医師は,前回の頸肩腕症候群が再発の素因として残っているかについては,頸肩腕症候群の特徴の1つとして,再発のしやすさ,症状悪化のしやすさ,治りづらさがあり,前回の頸肩腕症候群の影響を全く否定することはできないが,原告の場合は,職場復帰後の6年以上もの期間は,通常に就労できたから,頸肩腕症候群の原因としては,今回症状出現前の業務負担に求めることがより自然と考えられるとしている。

カ 前記オのとおり,C医師は,原告の臨床所見や症状の変化等に基づき,原告は被告の業務により頸肩腕症候群を再発したものと診断しているところ,前記アないしエのような事情を総合すると,その診断は合理的かつ自然であり,被告からこれを覆すに足りる医学的反証は提出されていない。以上によれば,原告が先に発症した頸肩腕症候群は,原告が復職する相当前にその症状が固定し,その後さらに症状が軽快して,遅くとも昭和63年6月には,それ以前に後遺障害として神経症状が残存していたとしても,それも消失していたが,平成3年4月1日以降,ベリファイ業務に従事したことにより,遅くとも平成4年11月18日までに治療が必要な状態に再度至ったものであり,頸肩腕症候群が再発したものと認めるのが相当である。

キ 被告は,原告が頸肩腕症候群を発症したことを否認し,原告が従事していたベリファイ業務は,質量ともに,頸肩腕症候群を発症する程度ではないと主張する。しかし,前記のとおり,頸肩腕症候群は再発しやすい傷病であるところ,前記認定のベリファイ業務の内容や,原告の症状等に照らせば,治癒していたとはいえ頸肩腕症候群の発症歴を有する原告にとって,その業務は右手ないし右上肢等を酷使し,過重な負担となるものであったと評価すべきであるから,その主張は採用できない。なお,被告は,ハンズフリーヘッドフォンタイプの器具の採用を指摘するが,原告の症状は主に右肩,右腕等に生じており,主に継続反復する筆記作業によるものと考えられるから,同器具が採用されたことが,直ちに前記認定を左右するものではない(もっとも,ハンズフリーヘッドフォンタイプの器具は,頻繁に取り外さないと耳が痛くなるような状態であったため,必ずしもハンドセットから開(ママ)放されたわけではなかったことは,前記1(3)アのとおりである。)。また,被告は,原告の残業時間が少ない旨を指摘し,確かに,前記1(3)イのとおり,全体として原告の残業時間が多いとはいえないが,そのことが直ちに前記認定の所定内労働時間中の業務内容を否定するものではない(かえって,原告が頸肩腕症候群を再発したと診断された平成4年についてみれば,1月が14.0時間,2月及び3月が各10.5時間,9月及び11月が各11.0時間と,他の年と比較すると残業時間が多いことが認められる(<証拠省略>)。)。

また,被告は,原告は,社内定期健康診断において担当医師に対し,肩や腕の痛み等頸肩腕症候群による症状があることを訴えたことはないこと(前記1(2)ア)を指摘する。しかしながら,原告は,前記のようにb病院に通院し治療を受けていたのであるから,一般的な検診を行い,頸肩腕症候群に係る診察等が直ちに受けられるわけではない社内定期健康診断において,頸肩腕症候群の症状を訴えなかったことのみをもって,原告が頸肩腕症候群を再発したことを否定することはできない。

さらに,被告は,原告は,品川労働基準監督署長により,先に発症した頸肩腕症候群に関する療養補償給付がうち切られた際,その頸肩腕症候群が症状固定したとして,平成5年6月25日に,障害補償給付の請求をしているが,頸肩腕症候群が再発していたのであれば,このような障害補償給付の請求はしなかったはずであると主張する。しかしながら,原告は,昭和58年春ころまで支給を受けていた療養補償給付が症状固定を理由にうち切られたため,先に発症した頸肩腕症候群の分の障害補償給付を求めたのであって,そのことが,前記認定の妨げになるものと解することはできない。

ク 他に前記の認定判断を左右するに足りる証拠はない。

(3)  再発した頸肩腕症候群の症状固定時期について

原告は,平成4年11月18日に頸肩腕症候群が再発している旨診断された後,同年12月1日に督促係に異動し,平成5年6月28日,再びベリファイ係に異動したこと,2度目のベリファイ係での勤務は,平成8年2月13日に商品管理部第2課へ異動するまで続いたこと,その後,平成9年3月24日,東京労災病院で診察を受けたが,このときまでにベリファイ業務を担当しなくなってから約1年1か月が経過していたこと,再発したと診断された後,東京労災病院で診察を受けるまでの間に,医療記録上確認できる原告の主訴は平成8年7月15日が最後であること,東京労災病院での診察までの間はb病院に概ね月に1日ないしは2日通院し,治療を受けていたこと,東京労災病院での原告の主訴の内容は,b病院での主訴とほとんど変化がないこと等を総合すると,東京労災病院で診察を受けた平成9年3月24日ころ(これは,原告が主張する症状固定時期でもある。),再発した頸肩腕症候群は症状が固定したものと認定するのが相当である。

3  争点(2)(安全配慮義務違反の有無)及び争点(3)(過失相殺)について

(1)  前記1及び2で認定したとおり,原告は,過去に被告の業務に起因して頸肩腕症候群を発症し,長期間休職していたこと(前記1(1)イないしカ),頸肩腕症候群は,症状が軽快又は治癒しても,悪化又は再発しやすい傷病であること(前記2(1)),ベリファイ業務は,電話応対しながら,筆記するという作業を就業時間中ほぼ常時行うものであり,少なくとも頸肩腕症候群の発症歴を有する原告にとっては,右手ないし右上肢等を酷使し,過重な負担になると評価すべきものであることからすれば(前記1(3)ア,前記2(2)キ),被告は,復職した原告を,そのようなベリファイ業務に従事させるべきではなかったし,また,仮にベリファイ業務に従事させるとしても,事前に原告から症状等について事情を聴取し,または,医師の診断を受けさせる等慎重に対応すべきであったし,さらに,ベリファイ業務に従事させた後も,原告の頸肩腕に変調がないか等に十分に配慮し,変調があった場合には,直ちに頸肩腕に負担の少ない業務に配転する等の措置を講ずべき注意義務があったというべきである。

しかるに,被告は,原告を,平成3年1月11日,ベリファイ係の補助としてその業務に就かせ,同年4月1日,正式にベリファイ係に異動させたが,ベリファイ業務に従事させるに当たり,当時の原告の症状について,原告から事情聴取することも含めて何ら調査を実施しておらず,また,ベリファイ係に異動させた後,平成4年12月1日までの1年8か月(補助としてベリファイ業務に従事するようになった平成3年1月11日からは約1年10か月)にわたりベリファイ業務に従事させた上,残業の割当てもしている(特に,原告が頸肩腕症候群を再発したと診断された平成4年は,1月が14.0時間,2月及び3月が各10.5時間,9月及び11月が各11.0時間と,他の年と比較すると残業時間が多い(前記2(2)キ)。)。また,被告は,原告をベリファイ係に異動させた後も,原告から変調がないか等について事情聴取をしたことも認められないばかりか,原告は,ベリファイ係に異動した後,頭部の付け根,首,肩,腕に痛みと凝りを感じるようになっため,仕事中に,固まった部分や凝った部分をプラスチックハンマーで叩いたり,サポーターをはめ,エアコンの風を避けるため夏季も長袖服を着用していたが(前記1(2)ウ),被告の管理職であったD,E及びFは,原告に変調があれば気付くような位置関係に席が配置されていたから(原告本人),前記のような原告の変調に気付いてしかるべきであるのに,これに気付かず,何らの対応策も講じなかった。

さらに,平成4年11月,訴外組合は,年末一時金闘争に際し,被告に対し,原告が頸肩腕症候群を再発したことを告げたところ(前記1(2)オ),被告は,その理由はともかく,同年12月1日に原告を督促係に一度異動させたが,平成5年2月ころから再び補助として原告をベリファイ業務に従事させ,同年6月21日,正式に督促係から再びベリファイ係に異動させた(前記1(2)カ・キ)。そして,平成5年の春闘においても,訴外組合は,原告が一昨年より頸肩腕症候群を再発している等と告げたが,被告は,ベリファイ業務は苛酷なものとは考えていない等と回答した(前記1(2)ク)。以上の事実によれば,被告は,平成5年2月以降に原告をベリファイ業務に従事させた際にも,原告から事情聴取することも含めて何ら調査を実施しておらず,また,異動させた後もそのような調査をしていないことが認められる。

そうすると,被告には,復職した原告を,ベリファイ業務に従事させるべきではなかったのに従事させ,また,ベリファイ業務に従事させる前に原告から症状等について事情を聴取する等せず,しかも,ベリファイ業務に従事させた後も,原告の頸肩腕に変調がないか等に十分配慮しなかった点において,安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。

被告は,<1>就業規則に定められた休憩時間の他にも休憩時間を設けたり,<2>ハンズフリーヘッドフォンタイプの器具を採用したりしている事実(前記1(3)ウ)を指摘し,安全配慮義務違反を否認する。しかしながら,これらの措置はベリファイ業務担当者全員に対するものであって,過去に頸肩腕症候群の発症歴のある原告について個別に配慮したものではないから,これらの措置をもって被告が安全配慮義務を尽くしたものとはいえない。また,<2>については,前記2(2)キのとおり,原告の症状は主に右肩,右腕等に生じており,主に継続反復する筆記作業によるものと考えられるから,この点においても,前記器具が採用されたことによって安全配慮義務違反が否定されるものではない。

(2)  ところで,原告は,昭和62年1月5日に復職した当時,筆耕のような複写作業や,同様に,肩や指のみを使い,反復する作業を長期間繰り返すのは無理だと思っていたが,訴外組合から症状を確認された際,痛みはあるが仕事は大丈夫と答え,訴外組合も,被告に対し,原告を頸肩腕に負担の少ない業務に従事させる等の特段の申入れはしなかった(前記1(1)カ)。また,原告は,ベリファイ係への異動を命じられた際,頸肩腕症候群が再発するのではないかと不安になったが,それを被告に申し出なかったし(前記1(2)イ),ベリファイ係に異動した後,頭部の付け根,首,肩,腕に痛みと凝り,次第に,しびれや痛みを感じるようになったが,このような症状が出ていることを直接は被告に告げたことはなく,また,社内定期健康診断においても医師に相談していない(前記1(2)ア・オ)。

そして,原告が頸肩腕症候群を再発したと診断される前,自覚症状が出始めたころに,原告が,被告に申告し,仮に被告が原告をベリファイ係から他の係へ異動する等していれば,後の原告の症状の程度までには至らなかった可能性が高いところ,頸肩腕症候群の場合,初期症状は自覚症状であって(<証拠省略>),第三者が把握することは困難であることからすると,このような申告をしなかった原告にも過失があったといわざるを得ない。

しかしながら,他方で,被告も,原告が頸肩腕症候群により長期間休職していたことは十分認識していたこと,原告は,先に被告の業務に起因して頸肩腕症候群を発症し,休職したが,被告の指示する産業医により,リハビリテーション勤務(半日勤務)が可能である旨診断を受けた後も,復職が認められず,結局復職できたのが約13年後であったことからすれば(前記1(1)アないしカ),原告が再度の休職等を避けようとした心情も理解できること,被告は,訴外組合により原告の頸肩腕症候群の再発を告げられた後も,結局,原告に対し調査をして適切な措置を講ずる等の対応を全くとっていないこと(証人Mは,原告が頸肩腕症候群を再発した旨の話は聞いたが,ただ聞き置いた旨の証言もしている。)等を考慮すると,原告の損害につき減額すべき過失相殺の割合は,4割と認めるのが相当である。

4  争点(4)(消滅時効)について

被告は,原告が本件請求の基礎とする症状は,先に発症した頸肩腕症候群による症状であって,頸肩腕症候群が再発したものではない,先に発症した頸肩腕症候群は,昭和58年3月31日に症状が固定したのであるから,その頸肩腕症候群に基づく原告の損害賠償請求権は,同日から10年が経過した平成5年4月1日をもって消滅時効が完成している旨主張する。

しかしながら,前記2(2)で認定したとおり,昭和49年3月13日に発症している旨診断された頸肩腕症候群は治癒したところ,原告が本件請求の基礎とする症状は,その後被告の業務に起因して再発した頸肩腕症候群に基づくものであるから,被告の主張はその前提において採用できない。

5  争点(5)(原告の損害額)について

(1)  治療費 1万6150円

原告は,頸肩腕症候群が再発していると診断された平成4年11月18日以降,b病院に通院し,治療を受け,症状固定日である平成9年3月24日の直前の通院日である同月5日までの治療費として合計1万6150円を支払ったところ(<証拠省略>),この治療費は,被告の安全配慮義務違反と相当因果関係がある損害と認められる。

(2)  通院交通費 5万0840円

原告は,平成4年11月18日から平成9年3月5日までの間,自宅からb病院まで合計89日,公共交通機関を利用して通院したところ,その通院交通費として,次の合計5万0840円は,被告の安全配慮義務違反と相当因果関係がある損害と認められる。

ア 平成4年11月18日から平成7年8月31日まで

片道280円(<証拠省略>,弁論の全趣旨)×2回×64日=3万5840円

イ 平成7年9月1日から平成9年3月5日まで

片道300円(<証拠省略>,弁論の全趣旨)×2回×25日=1万5000円

(3)  後遺障害逸失利益 0円

ア 後遺障害等級について

(ア) 原告は,平成4年11月18日に頸肩腕症候群を再発している旨診断された当時,項背部,両腕の凝り,だるさ,右手首伸側の痛み,脱力等の自覚症状のほか,項背部,頸部から両上肢の筋硬・圧痛が著明であり,右(手関節部)外側茎状突起部にも圧痛があり,握力の低下が認められたところ(前記1(2)エ),症状固定日である平成9年3月24日当時も,項,肩部痛,両上肢及び背部に凝り,両手指にしびれあり,腕を浮かせて行う作業は重みとだるさで苦痛を感じる,右肩に固まりが残っており,痛みが肩の筋肉を通じて上腕,右指先に続いている等の症状があり(前記1(4)イ),その症状は,現在も,残存していることが認められる(原告本人,弁論の全趣旨)。このような原告の症状に照らせば,原告には,頸肩腕症候群による後遺障害が残存しており,その後遺障害等級は14級9号(局部に神経症状を残すもの)に該当するものと認めるのが相当である。

(イ) なお,前記1(2)コのとおり,品川労働基準監督署長は,原告の症状について,平成9年3月24日の診断結果も考慮して,後遺障害等級12級12号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当する旨の認定をしている。しかしながら,これは,昭和49年3月13日に発症していると診断され,昭和49年8月24日に業務上の疾病であると認定され,その後昭和58年春まで療養補償給付がなされていた,かつての頸肩腕症候群に係る障害補償給付について,一度は消滅時効により棄却したものの,労働者保護の観点からこれを取り消した上,後遺障害の認定をして支給決定をしたものであり,発症した後,症状が固定し,その症状が平成9年3月当時も後遺障害として残存していたことを前提としていることがうかがわれるから,これをもって,前記2(2)のとおり,一度は症状が消失し,その後再発した頸肩腕症候群の後遺障害等級を正しく評価したものということはできない。

そして,原告は,過去に頸肩腕症候群を発症した際,最初の復職願を被告に提出した昭和49年7月18日までで既に4か月近く既に(ママ)休職していたのに対し(前記1(1)イ),本件においては,頸肩腕症候群が再発したことを理由に休職したことはないし,休職を申し出たこともないこと,原告が頸肩腕症候群を再発していると診断された平成4年以降,退職前年の平成12年までの休暇取得日数は概ね年25日前後であるが,上腕,手指の痛み,しびれによる通院等を理由とした休暇取得日数は平成7年に2日,平成12年に6日の合計8日であったこと(前記1(2)サ),頸肩腕症候群を再発したと診断されてから平成9年3月24日に症状が固定するまで約4年4か月が経過しているところ,この間の通院は概ね月に1日ないし2日程度であり,実通院日数も89日にとどまること,再発後退職するまでの間,頸肩腕症候群の症状のために作業効率が落ちて業務に支障が生じ,それを理由に給与が減額された事実はないこと(平成11年及び平成12年にやや減収となっているのは,後記ウのとおり,定年前に減額するという給与規則に基づいている。)等を考慮すると,原告の後遺障害等級は12級12号までには至らないというべきである。

イ 後遺障害逸失利益について

原告の後遺障害等級が14級9号(局部に神経症状を残すもの)に該当することは前記アのとおりである。

しかしながら,原告の年収(給与収入)は,頸肩腕症候群を再発している旨診断された平成4年分が264万7541円,症状固定時である平成9年分が280万7100円であり,その後,平成10年分が286万0600円,平成11年分が264万円,平成12年分が241万0700円であったこと,平成11年及び平成12年分がやや減収となっているのは,社内の給与規則(定年前の減額)によるものであり,原告の症状のために業務に支障が生じたこと等によって,給与を減額されたものではないことが認められる(<証拠省略>,弁論の全趣旨)。また,原告は,被告を定年退職した当時,同居の家族はなかったから(弁論の全趣旨),定年後の家事労働を評価することはできず,また,定年退職後,再就職をした蓋然性も認められない。

そうすると,原告に後遺障害による逸失利益を損害として認めることはできない。なお,原告が,労働能力低下による収入の減少を回復すべく特別の努力をした等,減収がないにもかかわらず後遺障害逸失利益を認めるべきであると評価すべきまでの事情があるとはいえないが,原告が症状に悩まされながらも就労していたことは後遺障害慰謝料の算定に当たって考慮することとする。

(4)  通院慰謝料 97万0000円

原告の症状のほか,原告は,平成4年11月18日から平成9年3月5日までの約4年4か月の間,b病院に89日(実通院日数)通院したこと(月1日ないし2日の通院であったこと)等を総合すると,通院慰謝料は97万円を認めるのが相当である。

(5)  後遺障害慰謝料 140万0000円

前記(3)の原告の後遺障害の内容・程度に加え,前記(3)イのとおり,原告に後遺障害逸失利益を認めることはできないが,原告は症状に悩まされながらも就労していたこと等を考慮すると,後遺障害慰謝料は140万円を認めるのが相当である。

(6)  過失相殺

前記(1)ないし(5)の合計は243万6990円であるところ,前記3(2)のとおり,これから原告の過失割合4割を減額すると,146万2194円となる。

(7)  損害の填補

被告は,原告が労災保険法に基づき支給を受けた合計128万5092円が損害の填補に当たると主張する。

そこで検討するに,前記128万5092円の内訳は,障害補償一時金92万8000円,障害特別支給金20万円,障害特別一時金15万7092円であるところ(<証拠省略>),まず,障害特別支給金20万円及び障害特別一時金15万7092円は,労働福祉事業の一環として,福祉の増進を図るために給付されるものであるから,損害の填補の性質を有するということはできない。

次に,障害補償一時金が対象とする損害は,財産的損害のうち消極損害と同性質のものであるが,原告に後遺障害逸失利益が認められないことは前記(3)イのとおりであり,他に認定した消極損害はないから,結局,原告が支給を受けた障害補償一時金が,本件における原告の損害の填補に当たるということはできない。

よって,被告の前記主張は採用することができない。

6  結論

以上の次第で,原告の被告に対する本件請求は,146万2194円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年3月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないから棄却することとする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本利幸 裁判官 瀬戸啓子 裁判官 蛭川明彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例