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東京地方裁判所 平成13年(ワ)3737号 判決 2002年3月05日

原告

野島和男

(他五名)

同六名訴訟代理人弁護士

志村新

君和田伸仁

被告

破産者株式会社菱宣破産管財人 大森浩一

主文

1  原告らが破産者株式会社菱宣に対し、東京地方裁判所平成一三年(フ)第二九八五号破産申立事件について、それぞれ別紙請求債権目録の「退職金」及び「損害金」欄記載の各破産債権を有することを確定する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

主文と同旨

第二事案の概要

本件は、破産会社から解雇された原告らが、破産手続において退職金を破産債権として届け出たのに対し、破産管財人が異議を述べたので、原告らが破産債権の確定を求めた事案である。

1  前提となる事実(証拠を掲げないものは、当事者間に争いがない)

(1)  破産会社

破産者株式会社菱宣(以下「破産会社」という)は、広告代理店業その他を業とする会社であり、平成一三年四月一三日、東京地方裁判所平成一三年(フ)第二九八五号破産申立事件において破産宣告を受け、被告が破産管財人に選任された。

(2)  原告ら

原告らは、それぞれ以下の年月日に破産会社に入社し、いずれも平成一二年五月二六日、破産会社から同日限りで解雇された(証拠略)。

氏名

入社日

勤続年数

ア 原告野島和男

昭和四〇年四月六日

三五年

イ 原告多田武彦

昭和四五年三月二日

三〇年

ウ 原告堀越八郎

昭和四六年六月二四日

二八年

エ 原告鈴木義信

昭和四七年二月二日

二八年

オ 原告服部正彦

昭和四七年四月一九日

二八年

カ 原告小山直嗣

昭和五一年三月二二日

二四年

(3)  退職年金規定

破産会社の就業規則としての性質を有する退職年金規定(以下「本件退職年金規定」という)には、従業員が退職した際に支給される退職金について、次の定めがある(書証略)。

(給付の種類)

六条 この制度による給付は、次のとおりとする。

1号 退職年金

2号 退職一時金

(給付時期)

七条

2項 一時金は、二七条に定める書類を会社が受理した日の属する月の翌月末日までに支給する。

(受給資格)

一八条 加入者が次に掲げるところに該当したときは、その者に退職一時金を支給する。

2号 勤続三年以上で定年に達する前に生存退職したとき

(給付額)

一九条 退職一時金額は、次のとおりとする。

2号 前条2号に該当したとき

別表3(別紙のとおり)に定める額

(届出)

二七条 この制度により給付を受ける者は、次の各号に掲げる書類を提出しなければならない。

1号 住所・氏名及び印鑑についての届

2~5号 (省略)

(制度の改廃)

二九条

1項 この制度は、社会保障制度の状況・経済情勢等の変動に応じてその一部または全部を改訂または廃止することができる。

2項 この制度が廃止された場合、退職年金契約に基づく積立金は、制度廃止日に加入者が退職したものとしたときの勤続年数に比例して、各加入者に配分する。ただし、年金受給権者に対する給付に必要な積立金は、これを配分することなく、当該年金受給権者に継続して年金の支給を行う。

(4)  退職金の額

本件退職年金規定を適用すると、各原告に支払われるべき退職一時金額は次のとおりとなり、既払額を控除した残額は、次のとおり算定される。

氏名

勤続年数

退職一時金額

既払額

残額

ア 原告野島和男

三五

一〇、〇五七、〇〇〇

三、六三七、一三八

六、四一九、八六二

イ 原告多田武彦

三〇

七、二五八、〇〇〇

三、一二九、八三一

四、一二八、一六九

ウ 原告堀越八郎

二八

六、二六〇、〇〇〇

三、〇〇〇、八五四

三、二五九、一四六

エ 原告鈴木義信

二八

六、二六〇、〇〇〇

二、九三二、〇六七

三、三二七、九三三

オ 原告服部正彦

二八

六、二六〇、〇〇〇

二、九一四、八七〇

三、三四五、一三〇

カ 原告小山直嗣

二四

四、四五〇、〇〇〇

二、五一〇、七四三

一、九三九、二五七

(5)  退職金の支払期

原告らは、いずれも、平成一二年七月三一日までに、破産会社に対し、本件退職年金規定二七条所定の書類を提出した(証拠略)。したがって、退職一時金の支払期は、遅くとも同年八月三一日に到来した。

(6)  債権の届出

原告らは、破産会社の破産手続において、それぞれ別紙請求債権目録記載の「退職金」および「損害金」(「退職金」に対する支払期の翌日である平成一二年九月一日から破産宣告日の前日である平成一三年四月一二日まで、商事法定利率年六パーセントの割合で計算した金額)の各破産債権を届け出たのに対し、被告は、平成一三年七月六日の債権調査期日において、その全額につき異議を述べた。

2  争点

本件退職年金規定の廃止の可否

(被告の主張)

(1) 破産会社の退職年金制度は、法人税法上の適格要件を備えた「適格退職年金契約」に基づくものであり、昭和四三年五月に発足した。本件退職年金規定に基づき支給される退職一時金の支給原資は、明治生命保険相互会社との間で締結した企業年金保険契約(以下「本件企業年金保険契約」という)に基づき支払われる保険金であり、破産会社は、明治生命に保険料を毎月支払うことにより、従業員の退職時に特段の資金手当なしに明治生命を通じて退職一時金を支給することができた。

(2) 本件退職年金規定に基づく退職一時金の支給は、本件企業年金保険契約の存続を前提とするものであり、このことは、従業員らに周知されていた。しかし、破産会社が平成一二年五月二六日に営業停止を理由に全従業員を解雇したことにより、明治生命は、所定の解約規定に基づき本件企業年金保険契約を解約した。そのため、破産会社は、本件企業年金保険契約に基づく通常の保険金の支払を受けることが不可能となり、結局、従業員に対する退職一時金の支給は、保険料積立金の解約払戻金の範囲に留まることとなった。

(3) このような事態は、本件退職年金規定二九条の「社会保障制度の状況・経済情勢の変動」に当たるから、原告らの退職金債権は、その発生の根拠を失った。

(原告らの主張)

(1) 就業規則と一体をなす本件退職年金規定は、所定の事由が発生した場合、従業員に所定の退職一時金を支給することを定めている。退職金請求権は、原告らの破産会社に対する労働契約上の権利であるから、これを破産会社の都合により一方的に奪うことは、契約法理の大原則に照らして許されない。

(2) 退職金は、労働者にとって最も重要な権利の一つであるから、本件退職年金規定を原告らの同意なしに廃止あるいは不利益に変更してこのような原告らの労働契約上の権利を一方的に奪うことは許されないし、本件退職年金規定を廃止して原告らの退職金請求権を失わせるべき合理的根拠はない。

(3) 「社会保障制度の状況」、「経済情勢等の変動」は、いずれも社会情勢の変動に属する事情であって、破産会社の経営状態に関する事情は含まれないから、被告主張の事由は、本件退職年金規定二九条1項の廃止事由に当たらない。

(4) 破産会社は、原告らが退職するまで、本件退職年金規定を廃止する手続をしていないし、従業員に対する周知措置もとっていない。

第三争点に対する判断

1  事実関係

証拠(後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1)  破産会社は、昭和四三年五月一日、退職年金制度を導入し、この制度を運営するために、明治生命との間で本件企業年金保険契約を締結した。

本件企業年金保険契約は、破産会社が明治生命に保険料を払い込み、明治生命がこれを管理・運用し、被保険者(従業員)が退職した際に、被保険者に対し、本件退職年金規定に定められた額の退職年金または退職一時金を支給するものであり、破産会社が明治生命に所定の保険料を払い込むことにより、従業員が退職した際に、他に特段の資金手当をすることなく、退職年金及び退職一時金を支給することを可能とするものである。明治生命は、各時点における破産会社の所属従業員の人数、年齢構成、月例給与額などの状況を前提に、そのときどきに変動する保険料率に応じて、退職年金及び退職一時金の支給水準とこれに対応する保険料を算定・提示し、破産会社と合意したうえで、定期的に契約内容の改訂を行ってきた。最後の改訂は、平成四年に行われた(証拠略)。

(2)  本件企業年金契約には、被保険者数が一五名未満となり、かつ受給権取得前の被保険者数が一〇名を下回り、次の契約応答日までにこれを充足できないと明治生命が認めたとき、または発生順支払による払済年金変更後二年を経過したときは、明治生命はこの契約を解約することができるとの規定がある(書証略)。

(3)  破産会社は、平成九年から経営が悪化し、平成一二年五月二六日、営業を停止してすべての従業員を同日限りで解雇し、同年六月五日、手形の不渡りを出し、事実上倒産した。そのため、明治生命は、解約条項に基づき、本件企業年金保険契約を解約した。破産会社は、明治生命から積立金の払戻しを受け、これを各従業員に配分した(証拠略)。

(4)  破産会社は、本件退職年金規定を廃止するための従業員からの意見聴取、労働基準監督署への届出など、所定の手続をしておらず、事前または事後に従業員に対し本件退職年金規定の廃止について周知する措置をとったこともなかった(人証略)。

2  本件退職年金規定二九条の適用の可否

前記の認定事実によれば、破産会社は、退職年金制度を運営するために、明治生命との間で企業年金保険契約を締結しており、これにより、破産会社は、他に特段の資金手当をすることなく、従業員に退職を支給することが可能となっていた。本件退職年金規定二九条は、本件退職年金制度を維持、存続することができる制度的基盤がなくなった場合に、その制度の一部または全部を改訂または廃止することを予定しているものと解される。そうすると、制度の改廃事由である「経済情勢等の変動」とは、このような制度の維持、存続を不可能とする外部的要因を意味するものと解され、破産会社の経営悪化のような個別的事情が「経済情勢等の変動」に当たると解することはできない。

3  本件退職年金規定の廃止の可否

本件退職年金規定は、破産会社の就業規則としての性質を有する。仮に、破産会社の経営悪化が本件退職年金規定二九条の「経済情勢等の変動」の廃止事由に当たるとしても、退職金は、従業員にとって重要な権利であるから、これに関して実質的な不利益を及ぼす就業規則の変更については、そのような不利益を従業員に法的に受忍させることができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものでなければならない(最高裁判所第一小法廷平成一二年九月七日判決・民集五四巻七号二〇七五頁参照)。

破産会社の従業員である原告らは、本件退職年金規定の廃止により著しい不利益を被るのに対し、破産会社は、従業員に対し不利益を緩和するための措置を一切講じておらず、本件退職年金規定を廃止するための従業員に対する説明や従業員からの意見聴取も行っていない。破産会社は、平成一二年五月二六日に営業を廃止し、全従業員を解雇しており、今後経営を維持・存続することを全く予定していなかったから、もはや人件費を抑制するための方策をとる必要はなく、本件退職年金規定を廃止すべき高度の経営上の必要性があったとはいえない。

そうすると、本件退職年金規定の廃止は、高度の必要性に基づいた合理的な内容のものとはいえないから、その他の点について判断するまでもなく、原告らにその効力を及ぼすことができないというべきである。

4  結論

以上によれば、原告らの請求は、いずれも理由があるから認容し、主文のとおり判決する。

(裁判官 龍見昇)

請求債権目録

<省略>

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