東京地方裁判所 平成13年(ワ)9713号 判決 2003年4月22日
原告
X
被告
高砂自動車株式会社
代表者代表取締役
B
訴訟代理人弁護士
山岡義明
同
山岡通浩
被告補助参加人
Z
訴訟代理人弁護士
光岡幸生
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用及び参加費用は、いずれも原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 被告は、原告に対し、六〇八二万四八八〇円及び平成一五年四月から原告の症状が固定するまで毎月三〇万三七五〇円を支払え。
2 原告の被告に対する平成一二年六月から平成一三年九月までの福利厚生費等九八万〇六二七円の求償債務が存在しないことを確認する。
第二事案の概要
本件は、被告の従業員(タクシー乗務員)である原告が、被告に対し、以下の<1>ないし<7>の金員の支払及び平成一二年六月から平成一三年九月までの福利厚生費等九八万〇六二七円の求償債務が存在しないことの確認を求めた事案である。
<1> 原告が平成一〇年七月に業務上の傷害(交通事故による頚椎捻挫及びその後遺症)を受けたことにより乗務不能であった同年八月から同年一一月までの休業補償費二五万円
<2> 原告が前記傷害により再び乗務不能になった平成一二年六月から症状固定までの休業補償費及び治療費等(交通費を含む)として月ごと三〇万三七五〇円
<3> 被告が被告補助参加人から休業補償費及び治療費等を請求しなかったことについての慰謝料三〇〇万円
<4> 原告の休業補償費及び治療費の請求を無視して労災請求をせずその負担をしなかったことについての慰謝料三二〇〇万円
<5> 被告がした原告に対する平成一一年一二月二二日付け懲戒処分が無効であることによる差額給与一二万三六九〇円及び慰謝料五〇〇万円
<6> 被告がした原告に対する平成一二年一月二七日付け懲戒処分が無効であることによる差額給与一二万三六九〇円及び慰謝料五〇〇万円
<7> 被告が元労務部長であった従業員の解雇をめぐる訴訟(以下「別件解雇訴訟」という)で原告の名誉を毀損する内容を記載した準備書面を提出して原告に精神的苦痛を与えたことについての慰謝料五〇〇万円
2 争いのない事実
(1) 被告補助参加人は、平成一〇年七月二三日午後九時四五分ころ、千葉県浦安市弁天町四丁目一三番地付近にて、自らが運転する普通乗用自動車を原告が被告のタクシー乗務員として運転する普通乗用自動車の後部に追突させ(以下「本件事故」という)、双方の車両に相当の損傷を与えた。
この後、原告は、少なくとも同月三〇日から同年一一月一五日までは乗務しなかった。
(2) 被告は、原告について、平成一一年一二月二二日付けで七日間の出勤停止を命じ、その期間の賃金及び賞与を支給しない旨の懲戒処分(以下「平成一一年処分」という)をした。これにより、原告は、三出番分の乗務機会を失った。
また、被告は、原告について、平成一二年一月二七日付けで一週間の出勤停止を命じ、その期間の賃金及び賞与を支給しない旨の懲戒処分(以下「平成一二年処分」という)をした。これにより、原告は、三出番分の乗務機会を失った。
(3) 被告は、平成一二年四月二八日に元労務部長であった従業員を解雇した。この元労務部長であった従業員は、被告を相手取って、解雇の効力を争う別件解雇訴訟を提起した。
この訴訟において、被告は、原告が申し立てた仮処分事件の記録を書証として提出した。
(4) 被告は、原告に対し、平成一三年九月分の給与明細書の「合計」欄に「-九八万〇六二七円」と記載し、平成一二年六月から平成一三年九月までの原告の健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料、住民税、生命保険料及び勤労者退職金共済機構への掛金の総合計九八万〇六二七円を被告が立替払いした(この立替金債務を「本件債務」という)として、その額を求償した。
3 原告の主張(請求の原因)
(1) 本件事故に関する請求
ア 原告は、本件事故により頚椎捻挫及びその後遺症を罹患し、平成一〇年八月から同年一一月まで乗務できなかった。
したがって、原告は、被告に対し、四か月分の休業補償費(一か月の平均賃金が二五万円である)のうち二五万円の支払を求める。
イ 原告は、同年一二月にはいったん復帰したが、平成一二年六月から再び乗務不能になり、通院加療を余儀なくされている。平成一二年六月から症状固定までの休業補償費及び治療費等(交通費を含む)は、本件事故による傷害と因果関係があるから、被告が負担すべきものである。
そして、休業補償費及び治療費等(交通費を含む)は、月平均三〇万三七五〇円である(休業補償費は平均賃金二五万円の六割であり、治療費等は実績による)。
したがって、原告は、被告に対し、平成一二年六月から症状固定までの休業補償費及び治療費等(交通費を含む)として、毎月三〇万三七五〇円の支払を求める。
ウ 被告は、原告が要求したにもかかわらず、加害者である被告補助参加人に対し休業補償費及び治療費等を請求しなかった。その一方、被告は、原告に秘して、加害者の車両が加入する保険会社の言いなりになり、車両損害修理費用だけを受領した。このような行為は、業務上横領であって、原告に対する不法行為である。
したがって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく慰謝料として三〇〇万円の支払を求める。
エ 被告は、労働者災害補償保険法七五条、七六条に定めるところに従い、本件事故から二年間のうちに所轄の労働基準監督署である品川労働基準監督署へ労災給付請求をする義務があった。
しかし、被告は、原告から、原告が通院していた病院へのカルテ等の閲覧、病状の確認等の『承諾書』を取ったのに、労災給付請求を品川労働基準監督署へ請求する労災請求用紙に会社印鑑と代表者印鑑の捺印を拒否して、労災給付請求をせず(また、原告の主治医へ、保険会社の専門家が直接に病院長と面会して必要なカルテやXPの写真を見ながら医師の所見を専門の立場から聞きただす事もしなかった)、本来会社が負担すべき休業補償費及び治療費等の負担を不当に免れた。
したがって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく慰謝料として三二〇〇万円の支払を求める。
(2) 平成一一年処分及び平成一二年処分に関する請求
ア 平成一一年一〇月初旬ころ、被告から他社へ大量のタクシー・クーポン券が流出した(以下「クーポン券流出事件」という)。これは、被告の第二代表と思われる職制から被告の元職制だった他社の職制へ故意に流出されたものであったため、被告はなかなか被害届を出さなかった。
被告は、原告の旅行会の仲間が職制の金銭貸借問題を進言した事を契機に、原告がクーポン券流出事件を知っているものと過剰反応し、この事件を隠蔽しようとして、原告が職制の金銭問題を捏造して会社内に吹聴したとの理由で、三出番の乗務を停止したのが平成一一年処分である。
したがって、平成一一年処分は被告の不当な意図に基づくもので無効であり、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、本来支払われるべきによる差額給与(三出番分)相当損害金一二万三六九〇円及び慰謝料五〇〇万円の支払を求める。
イ 原告は、平成一二年一月二六日の何の落ち度もなかった乗務態様について、乗客から東京タクシー近代化センター(以下「近代化センター」という)への苦情通報されたが、五日後に取り下げられ、「最初から案件無し」の取扱いになった。
しかし、被告は苦情通報があった翌日の同月二七日の朝に会社点呼場の掲示板に原告を懲戒処分した旨の掲示をして、平成一二年処分をした。しかも、この掲示は三週間も掲示され、あたかも原告が特定の職制を誹謗し、業務を放棄したから即刻処分にした旨の虚偽の説明をしていた。
したがって、平成一二年処分は処分理由のないもので無効であり、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、本来支払われるべき差額給与(三出番分)相当損害金一二万三六九〇円及び慰謝料五〇〇万円の支払を求める。
(3) 別件解雇訴訟での対応に関する請求
被告は、別件解雇訴訟において、原告の名誉を毀損する内容を記載した準備書面を提出して原告に精神的苦痛を与えた。
したがって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として慰謝料五〇〇万円の支払を求める。
(4) 本件債務の不存在確認請求
平成一二年六月から乗務不能になっているのは、休業補償費及び治療費等を速やかに負担しない被告の責任であり、本件債務を被告が負担するのは当然である。
また、本件債務に対応する求償金債権と原告の前記(1)ないし(3)で求めた被告に対する請求権とを対等額で相殺する。
したがって、被告の原告に対する本件債務は存在しない。
3 被告の主張(請求の原因に対する認否等)
(1) 本件事故に関する請求について
ア 原告の主張(1)アのうち、原告の平成一〇年八月から同年一一月までの四か月分の休業補償費二五万円の支払を求める請求は争う。
イ 原告の主張(1)イのうち、原告が平成一二年六月一四日から再び乗務していないこと、被告が休業補償費及び治療費等(交通費を含む)を支払っていないことは認め、その余は争う。
ウ 原告の主張(1)ウは、否認又は争う。
エ 原告の主張(1)エのうち、被告が労災請求用紙に会社印鑑と代表者印鑑の捺印を拒否したこと、原告の主治医に面会して事情を聞いていないことは認め、その余は否認又は争う。
オ 原告の体調不良と本件事故との間には因果関係がない。
また、本件事故によって原告が蒙った損害については、被告補助参加人が全てその責任を負担すべきであるところ、原告の提起した被告補助参加人に対する損害賠償請求訴訟(当庁平成一三年(ワ)第一〇四五七号事件。以下「別件損害賠償訴訟」という)の判決が確定し、被告補助参加人が原告に一定の金員を支払うことで、原告と被告補助参加人との間の法律関係は確定している。そうすると、被告が原告に代位して被告補助参加人に対し民法四二二条の類推適用によって取得する損害賠償請求権が存在しないから、かような結果を生ぜしめた原告に対して、被告に休業補償及び療養補償の責任を認めることは公平の観点から許されないというべきである。
(2) 平成一一年処分及び平成一二年処分に関する請求について
ア 原告の主張(2)アのうち、平成一一年処分の存在は認め、その余は否認ないし争う。
原告には、「従業員としてふさわしくない行為のあったとき」(就業規則六六条三号)、「会社の経営に関し、故意に真相をゆがめ、又は事実をねつ造して宣伝、流布又は通報するなど会社の信用又は名誉を傷つけたとき」(同規則七三条一一号)との懲戒事由に該当する事由があり、就業規則六七条三号、六八条四号に基づき平成一一年処分をしたのであって、同処分は正当な理由に基づくもので、何ら違法ではない。
イ 原告の主張(2)イのうち、乗客から近代化センターへの苦情通報されたこと、その苦情が五日後に取り下げられこと、平成一二年処分が存在すること、「懲戒処分」の掲示をしたことについては認め、その余は否認ないし争う。
原告には、「従業員としてふさわしくない行為のあったとき」(就業規則六六条三号)との懲戒事由に該当する事由があり、就業規則六七条三号、六八条四号に基づき平成一二年処分をしたのであって、同処分は正当な理由に基づくもので、何ら違法ではない。なお、乗客が近代化センターへの苦情を取り下げたのは、被告の営業次長が後日乗客のもとに詫びに行ったからであって、このことは平成一二年処分の有効性に影響しない。
(3) 別件解雇訴訟での対応に関する請求について
原告の主張(3)は争う。
(4) 本件債務の不存在確認請求について
原告の主張(4)は争う。
本件債務は、別紙のとおり、平成一二年六月から平成一三年九月までの原告の健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料、住民税、生命保険料及び勤労者退職金共済機構への掛金の総合計であり、当然原告が負担すべきものである。
したがって、本件債務が存在しないことの確認を求める原告の請求には理由がない。
4 被告補助参加人の主張
原告の主張(1)は争う。
本件事故と原告の体調不良及び休業との間の因果関係を争う。
第三当裁判所の判断
1 原告の本件事故に関する請求について
(1) 争いのない事実(前記第二の1)、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 本件事故前の状況
(ア) 原告(昭和○年○月○日生まれの男性である)は、昭和六〇年三月に高砂自動車株式会社に入社し、タクシー運転手をしており、平成九年当時の月額賃金は、平均して二五万円以上であった。
(イ) 原告は、本件事故前から、肥満体で高血圧と糖尿病のため、榊原記念クリニックに通院していたが、耳鳴りを訴え、平成三年三月、同クリニックから紹介された医療法人社団榊原厚生会喜多村脳神経クリニック(以下「喜多村クリニック」という)を受診していた。
原告は、喜多村クリニックでのCT検査で脳内に異常は認められず、神経学的にも左聴力の低下以外の異常は確認されていなかった。平成七年四月には自律神経失調症の治療が開始され、投薬により状態は安定し、二、三か月に一回、薬を処方されていた。
イ 本件事故から平成一〇年一二月までの状況
(ア) 原告は、平成一〇年七月二三日、本件事故に遭遇したが、原告の運転していた自動車に同乗していた乗客に傷害はなく、原告も当日は痛みを感じなかったため、物損事故として扱われた。
被告は、同年九月末ころ、被告補助参加人が加入していた保険会社から保険金八七万二八五〇円(物損相当)の支払を受けた。
(イ) 原告は、同年七月二五日、血圧が下がり、めまいがしたので、同年八月六日付け書面(書証略)で、被告に対し、体調の異変を通知した。この書面には、原告に既往症があることや以前に数回交通事故に遭ったことがあることも記載されていた。
原告は、同年七月二六日及び同月二八日には乗務をしたが、同月三〇日から同年一一月一五日まで休業し、同月一六日に乗務を再開した(同年七月二八日に乗務しなかったという原告本人の供述は、(書証略)に照らし、採用できない)。
(ウ) 原告は、同年八月一〇日、喜多村クリニックを受診し、頚椎レントゲン検査及び頭部CT検査を受けたが、特段の異常は見られず、持病の耳鳴りの薬(カラン、コンスタン)と精神安定剤(デパス)を処方された。原告は、その後、同年九月九日、同月一四日、同年一〇月七日にも同クリニックを受診した。
喜多村クリニックの受診に関する費用のうち、平成一〇年八月一〇日から同年一〇月七日までの治療費は合計六九四〇円(薬代を除く)であり、また、平成一〇年一〇月七日及び同年一二月九日付け診断書の作成費用は合計八四〇〇円であった。
(エ) 原告は、同年九月九日、喜多村クリニックのK医師が外傷性頸部症候群についての専門医ではなかったことから、同医師の勧めで専門医である医療法人社団愛静会池田整形外科クリニック(以下「池田クリニック」という)を受診したところ、肩に軽度の圧痛があり、第三、四頸椎間狭小、変形、第五頸椎骨棘形成がみられたため、頚椎捻挫と診断され、頸部に軽めの理学療法(マイクロ、干渉波)を受けた。原告は、同月一四日及び同年一二月二日、同月九日、同月二一日にも同クリニックを受診したが、理学療法は受けていない。
池田クリニックの受診に関する費用のうち、平成一〇年九月九日及び同月一四日の治療費は少なくとも合計四六〇円であり、また交通費は合計六四〇円であった。
(オ) 原告は、同年一二月二日、喜多村クリニックを受診し、同月九日、診断書を得て、警察には本件事故を人身事故扱いにしてもらった。
しかし、保険会社は原告の体調不良と本件事故との間の因果関係を認めず、原告に治療費、休業損害などを支払わなかった。
ウ 平成一一年以降の状況
(ア) 原告は、平成一〇年一一月一六日に乗務を再開して平成一二年五月三日まで乗務したが、同月四日以降は、同年六月五日及び同月一二日に乗務したほか、現在に至るまで休業している(平成一二年六月五日及び同年一二日に乗務しなかったという原告本人の供述は、(書証略)に照らし、採用できない)。
(イ) 原告は、労災給付申請を被告に求め、労災給付申請のための用紙に被告の印鑑と被告代表者の印鑑を捺印をするよう懇請したが、被告はこれを拒否した。
そこで、原告は自ら、平成一二年七月、品川労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づく休業補償給付を請求したが、同年八月二三日、同署長より、「療養のため労働することができなかったものとは認められない」として不支給決定を受けた(書証略)。
(ウ) 原告は、平成一三年二月二日、レストランから出たところで胸が苦しくなり、友人に救急車を呼んでもらい、同月七日まで、一過性心房細動及び急性心膜炎のため、財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院に入院した。
(エ) 原告は、被告補助参加人に対し、本件事故が被告補助参加人の過失によるものであるとして、民法七〇九条に基づく損害賠償の支払を求める訴えを当庁に提起した(別件損害賠償訴訟)。
裁判所は、平成一四年九月三〇日、同事件について、本件事故と原告の一定の損害の間に相当因果関係があることを認めた上、本件事故が被告補助参加人の過失によるものであるとして、被告補助参加人に対し、原告の請求のうち、損害賠償一二二万八九三九円(治療費等一万六四四〇円、平成一〇年七月二六日から二か月間は一〇〇%、その後同年一一月一五日までの五一日間は五〇%就労できなかったとして算定された休業損害七一万二四九九円、傷害慰謝料五〇万円)及びこれに対する本件事故の日である平成一〇年七月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余を棄却する旨の判決をした。
この判決は、原告も被告補助参加人も控訴期間内に控訴をしなかったため確定した。そして、被告補助参加人は、原告に対し、同判決が支払を命じた金額を支払った。
エ 診断書等の記載
(ア) 喜多村クリニックの診断書
喜多村クリニックのK医師作成の平成一〇年八月一〇日付け診断書(書証略)には、原告の病状について、「病名:頭頚部外傷・外傷性頚部症候群、CT-Scan、頸部X-Pにて事故による異常は認められなかった。全治約三週間の見込みである」旨記載されている。
同医師作成の同年一〇月七日付け診断書(書証略)には、原告の同年八月一〇日の病状について、「病名:<1>変形性頚椎症、<2>外傷性頚部症候群、頚椎捻挫、追突事故後めまい出現したため来院、検査にて<1>が認められ、上記症状はここからくる<2>の状態と考えられた」旨記載されている。
同医師作成の同年一二月二日付け診断書(書証略)には、原告の病状について、「病名:変形性頚椎症・自律神経失調症、追突事故で受傷後いわゆる外傷性頚部症候群の症状が強く出ており現在に至っている」旨記載されている。
(イ) 池田クリニックのカルテ及び診断書
池田クリニックの初診時である平成一〇年九月九日の原告のカルテには、「レントゲン頸椎六方向問題なし、骨傷なし」、「(事故から)約一・五ヶ月経過事故との関連詳細不明、念のため一ヶ月通院経過観察とす」る旨記載されている。
同クリニックのI医師作成の平成一〇年九月一四日付けの診断書(書証略)には、原告の病状について、「レントゲン上明らかな骨傷なく、受傷後一か月半経過しているが、念のため約一か月通院加療とし経過観察予定とする」旨記載されている。
(ウ) あさの整形外科の診断書
原告が平成一二年三月以降受診したあさの整形外科のU医師作成の同年五月一一日付け診断書(書証略)には、原告の病状について、「病名:外傷性頭頚部症候群後遺症、起床時血圧低下、めまい等症状が発生することがある」旨記載されている。
(2) 以上の認定事実を踏まえて判断する。
ア 休業補償費及び治療費等の請求について
(ア) 原告は、本件事故前から高血圧、糖尿病等の持病があったが、本件事故時はタクシーに乗務していたのであり、本件事故により外傷性頚部症候群、頚椎捻挫の傷害を受けたものと認めるのが相当である。
この点、被告及び被告補助参加人は、原告が自ら既往症や以前に数回交通事故に遭ったことがあることを認めていたこと、前記医師の診断書等からすると本件事故と原告の体調不良との関係が必ずしも明確ではないことを指摘して、因果関係の存在を争うが、原告の平成一〇年七月末以降の体調不良の原因として、本件事故以外に確たる原因を認めることができないし、喜多村クリニックへの通院が持病の治療も兼ねていたこと及び専門医である池田クリニックでの診断で「レントゲン上明らかな骨傷なし」とされていても、同時に同クリニックでも原告の肩に軽度の圧痛を認め、「受傷後一か月半経過しているが、念のため約一か月通院加療とし経過観察予定とする」とされていることからして、因果関係の存在を否定するのは相当とはいえない。
(イ) もっとも、頚椎捻挫の治療期間は通常三、四か月とされているところ(弁論の全趣旨により認める)、原告の前記通院状況、勤務復帰状況、通院先からの診断書等の記載を考慮すれば、原告の頸椎捻挫は軽微なものであって、原告が復職する平成一〇年一一月一五日までの治療及び休業を本件事故と相当因果関係があるものと認めるのが相当である(これに反する原告の主張は、後遺症の性質、病状等についての立証もなく、採用できない)。
被告が使用者として負担すべきこの期間(平成一〇年七月三〇日から同年一一月一五日までの約三か月半)の休業補償費は、原告の平均給与額(月額の平均は二五万円である)の六割を超えないから、合計五二万五〇〇〇円(=二五万円×三・五×〇・六)であると認めるのが相当である。
また、被告が使用者として負担すべき前記期間の治療費等は、喜多村クリニックの受診に関する費用のうち平成一〇年八月一〇日から同年一〇月七日までの治療費六九四〇円(薬代を除く)及び平成一〇年一〇月七日及び同年一二月九日付け診断書の作成費用合計八四〇〇円、池田クリニックの受診に関する費用のうち、平成一〇年九月九日及び同月一四日の治療費合計四六〇円および交通費合計六四〇円であり、合計一万六四四〇円であると認めるのが相当である(榊原クリニックでの治療費は持病の治療に要したものであり、喜多村クリニックでの薬代については、処方された薬が持病に対するものであるから、いずれも本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない)。
(ウ) ところで、被告による休業補償は、被告が本件事故によって被った休業損害をてん補するものであり、本件事故の加害者である被告補助参加人が前記補償額を上回る休業損害賠償金七一万二四九九円を支払っている以上、被告に補償請求をすることはできないとするのが相当である。
また、治療費等の損害賠償も、すでに本件事故の加害者である被告補助参加人が同額の賠償金を支払っている以上、被告に賠償請求をすることはできないとするのが相当である。
イ 慰謝料請求について
(ア) 原告は、被告が加害者である被告補助参加人に対し休業補償費及び治療費等を請求しない一方、原告に秘して、加害者の車両が加入する保険会社の言いなりになり、車両損害修理費用だけを受領したことを、業務上横領であって、原告に対する不法行為であると主張する。
しかしながら、被告においても、保険会社に対人事故の場合の支払を求めるだけの資料がなかったのであり、そうである以上、被告補助参加人個人に対して休業補償費及び治療費等の支払を求めることをしなかったことが、原告の納得を得られないものであったとしても、そうであるからといって「業務上横領」であるとか、原告に対する不法行為であるとはいえない。
したがって、原告の前記主張は採用できない。
(イ) 被告は、労災保険法に基づいて、本件事故から二年間のうちに所轄の労働基準監督署である品川労働基準監督署へ労災給付請求をする義務があったのに、労災給付を請求しなかったのは、原告に対する不法行為であると主張する。
たしかに、使用者は、労働者が業務上の事故に遭遇したときは、速やかに労災保険法に基づく労災給付の申請手続を検討すべきであり、この点で被告の本件での対応を適切であると断言することには躊躇を覚える。
しかしながら、本件事故から二年間は、被告においても、保険会社に対人事故の場合の支払を求めるだけの資料がなかった(原告が自ら既往症や以前に数回交通事故に遭ったことがあることを認めていたこと、前記医師の診断書等からすると本件事故と原告の体調不良との関係が必ずしも明確ではなかったこと、原告は約三か月半で勤務に復帰したこと)こと等からすると、被告の前記対応が原告に対する不法行為であるとまではいえない。
したがって、原告の前記主張は採用できない。
ウ まとめ
以上のとおり、原告の被告に対する本件事故に関する休業補償費及び治療費等請求、慰謝料請求は、いずれについても理由がない。
2 原告の平成一一年処分及び平成一二年処分に関する請求について
(1) 証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 被告の就業規則
被告の就業規則には、以下のような定めがある。(書証略)
「六六条 従業員が下記の各号の一に該当するときは懲戒する。
<1> この規則又はこの規則に基づいて作られた規定に違反したとき
<2> 職務上の義務を怠り又は職務を放棄したとき
<3> 従業員としてふさわしくない行為のあったとき
(中略)
六七条 懲戒は下記のとおりとする。
<1> 懲戒解雇
<2> 格下げ
<3> 出勤停止
<4> 業務停止
(中略)
六八条 懲戒は下記によって行い、その一又は二以上を併科し原則として公示する。
(中略)
<3> 業務停止は一定期間業務を停止し、再教育を行い或いは指示した他の業務に従事させる
<4> 出勤停止は七日以内出勤を停止し、且つその間の賃金を支給しない。但し、出勤停止の期間については情状の程度等により制限を定める
(中略)
七一条 従業員が下記の各号の一に該当するときは、譴責、減給、業務停止、もしくは出勤停止処分を行う。
(中略)
<3> 勤務怠慢の行為のあったとき
(中略)
<10> 乗務員服務規則に違反する行為のあったとき、又は道交法の違反のあったとき
<11> その他前各号に準ずる違反行為があったとき
(中略)
七三条 従業員が次の各号の一に該当するときは、懲戒解雇処分を行う。
(中略)
<11> 会社の経営に関し、故意に真相をゆがめ、又は事実をねつ造して宣伝、流布又は通報するなど会社の信用又は名誉を傷つけたとき」
イ 平成一一年処分の経緯
(ア) 被告において、平成一一年一〇月初旬ころ、クーポン券流出事件が発覚した。この事件は目黒警察署の捜査対象となり、原告も取調べを受けた。
(イ) 原告は、被告代表者に宛てた同年一一月一七日付け文書に「(会社事務所内の現金が紛失するのは)他所者を安易に職制として入社させた」ためであると記載し(書証略)、被告代表者から現場を任されているO専務、M総務部長(以下「M部長」という)らを批判した。
(ウ) また、原告は、被告のタクシー乗務員であるNに対し、被告の配車担当のS営業課長(以下「S課長」という)について、「S課長は五ないし六名の乗務員から金を借りている。組合はこれをネタに配車を有利にさせている」などと言い、同課長が特定の乗務員に対し配車を有利にする不正を行っているかのごとく申し向けた。
これを聞きつけたM部長が原告に「S課長が五ないし六名の乗務員から金を借りているというのであれば、S課長がいつどこで誰からいくら金を借りたのか明らかにしてほしい。明らかにしなければ、事実無根のデマを流したとして就業規則に基づき処分する」と問い質したが、原告はこれを明らかにしなかった。
(エ) 被告は、前記(イ)及び(ウ)の事実が就業規則六六条三号、七三条一一号に該当することを理由として、被告に対し、就業規則六七条三号、六八条四号に基づき、平成一一年処分をし、同処分通知書を会社点呼場の掲示板に掲示した。
原告は、処分発令当時は、特に異議を述べなかった。
ウ 平成一二年処分の経緯
(ア) 原告は、平成一二年一月二六日午前三時ころ、東京都新宿区歌舞伎町において、酒に酔った女性客一名を乗車させたが、同人が「西武新宿線駅前を通って、方南通りに行って下さい」と述べたのに対し、それ以上の具体的な行き先の確認をしないまま、運転していたタクシーを発進させた。
その結果、原告は、途中で同女性客から迂回運送であることを指摘されるとともに、降車の際に料金額について言い争いになった。そこで、原告は、所持していたカメラ(フィルムは入っていなかった)を用いて、同人の了解を得ずに、同人の容姿を撮影するように、レンズを同人に向けてシャッターボタンを押した(フラッシュも点燈させた)。
(イ) 原告の前記(ア)の対応に不満をもった同女性客は、同日、近代化センターに苦情を届け出た。同日、このことを被告が原告に問い質すと、原告は事実を認め、反省する態度を示した業務報告書を提出した(書証略)。
被告は、前記(ア)の原告の対応が就業規則六六条三号に該当すると判断するとともに、その結果を重く見て、原告に対し、同月二七日、近代化センターの処分に先行して、就業規則六七条三号、六八条四号に基づき平成一二年処分をし、同処分通知書を会社点呼場の掲示板に掲示した。
原告は、同処分処分後に始末書(書証略)を提出して「寛大な処置をして呉れました事にO専務に心から感謝申し上げます」と述べ、自らの非を認めるとともに、懲戒処分の内容についても納得していた。
(ウ) 後日、被告のE営業次長(当時)が当該女性客のもとに詫びに行った(原告は同行を拒んだ)結果、当該女性客は被告を宥恕し、同年二月上旬までに苦情届出を取り下げた。そのため、被告は、近代化センターからの処分を免れた。これを聞いた原告は、被告に対し、平成一二年処分を撤回するよう抗議するようになった。
さらに、同年三月三日に会社事務所の組合掲示板に、「組合員の間では、S課長の怖い噂も耳にします。高砂自動車では、数年前約六〇〇万円~七〇〇万円の金券がなくなったこともS課長と内部の人のことと聞きました」などと記載された「高砂自動車組合員一同」との名義の「告」と題する文書(書証略)が掲示されると、「仲間の言動が真実だと証明された。よって、原告と仲間にした懲戒処分は間違いであったのだから、掲示板に謝罪文を貼り事実を明らかにし、三出番分の給料を支払え」として、被告に対し、平成一一年処分についても撤回するよう抗議するようになった。
(2) 以上の認定事実及び争いのない事実を踏まえて判断する。
ア 平成一一年処分について
(ア) 原告の前記(1)イ(イ)の行為は、確たる根拠はなく、O専務、M部長らを批判し、被告の人事及び管理に介入するものであり、就業規則六六条三号、七三条一一号に該当する。
また、原告の前記(1)イ(ウ)の行為は、配車という重要な事務((人証略)の証言により認める)についての疑念を乗務員の間に生じさせるものであり、就業規則六六条三号、七三条一一号に該当する。
そして、金銭処理に関する人事、管理態様や配車という被告の乗務員の賃金に影響する事務について、確たる根拠のない噂が社内に流れることは乗務員と使用者である被告との信頼関係を損なうもので、業務の円滑な遂行の妨げになるものであるから、これを防止すべく、七日間の出勤停止を命じ、その期間の賃金を不払としても(これは就業規則六七条三号、六八条四号の定める懲戒処分の範囲内である)、社会的相当性を欠く不合理なものであるとはいえない。
(イ) 原告は、平成一一年処分について、原告がクーポン券流出事件を知っているものと被告が過剰反応し、この事件を隠蔽しようとする不当な意図に基づくものであって無効であると主張するが、被告のそのような意図を認めるに足りる証拠はなく(クーポン券流出事件と平成一一年処分が時期的に接近しているからというだけでは足りない)、採用できない。
なお、「高砂自動車組合員一同」との名義の「告」と題する文書の作成者が「高砂自動車組合員一同」であるとしても、その記載が平成一一年処分の効力を左右するものではない。
(ウ) してみると、平成一一年処分は、被告の就業規則に従ってされたものであり、社会的相当を欠くような事情を認めることもできないから、懲戒権の濫用であるとはいえない。
イ 平成一二年処分について
(ア) 原告の前記(1)ウ(ア)の行為は、乗客の同意なく同人の容姿を撮影しようとするものであり、フィルムが入っていなかったにせよ、レンズを向けてシャッターボタンを押した(フラッシュも点けた)行為は、乗客を威迫するに十分であり、就業規則六六条三号に該当する。
そして、料金額のトラブルに際して乗客の容姿を同人の同意なく撮影しようとすることは、本来、料金を払って乗ってもらうべく丁重な扱いをすべき乗客に対してとるべき態度とは到底いえないといわざるを得ず、タクシー業についての信用を損なわしめるものであって、タクシーの乗客の態度が千差万別であり、自己防衛の必要があることを考慮しても、なおこれを正当化することはできないから、これを今後させないようにするために反省を促すべく、一週間の出勤停止を命じ、その期間の賃金を不払としても(これは就業規則六七条三号、六八条四号の定める懲戒処分の範囲内である)、社会的相当性を欠く不合理なものであるとはいえない。
(イ) 原告は、平成一二年処分について、乗客が五日後に苦情を取り下げたので、「最初から案件無し」の取扱いであり、処分には理由がなく無効である主張する。
しかし、苦情が取り下げられたのは、被告のE営業次長が乗客のもとに詫びに行ったからであるし、苦情が取り下げられようとも、原告が乗客に無断でカメラを用いて乗客の容姿を撮影したと思わせて料金トラブルを押さえ込もうとした事実があったことには変わりがなく、苦情取下げによって原告がした行為の存在及び違法性が失われるわけではないから、被告が平成一二年処分を撤回しなければならないともいえない。
したがって、原告の前記主張は採用できない。
(ウ) してみると、平成一二年処分は、被告の就業規則に従ってされたものであり、社会的相当を欠くよう事情を認めることもできないから、懲戒権の濫用であるとはいえない。
ウ まとめ
以上のとおり、被告が原告にした平成一一年処分及び平成一二年処分とも懲戒権の濫用であるとはいえず、これを不法行為として損害賠償を求める原告の請求には理由がない。
3 原告の別件解雇訴訟での対応に関する請求について
被告が別件解雇訴訟において提出した準備書面に原告の名誉を毀損する内容が記載されていることを認めるに足りる証拠はない((書証略)においても、原告の社会的評価を下げると認めるに足りる記載はない)。
したがって、原告の被告に対する別件解雇訴訟での対応に関する慰謝料請求には理由がない。
4 原告の本件債務の不存在確認請求について
証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、本件債務は、別紙のとおり、本来的には原告が負担すべき平成一二年六月から平成一三年九月までの原告の健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料、住民税、生命保険料及び勤労者退職金共済機構への掛金の総合計を被告が立替払いしたことによる求償債務であることであることが認められる。
原告は、本件債務が平成一二年六月から乗務不能になっているのは被告の責任であり、本件債務を被告が負担するのは当然であると主張するが、乗務不能になっている原因が被告にあるとはいえないから、採用できない。
また、原告が、本件債務に対応する求償金債権と原告の被告に対する損害賠償等請求権とを対等額で相殺するとの主張は、前記1ないし3のとおり、原告の被告に対する損害賠償等請求権が存在することを認めるに足りる証拠がないから、相殺適状にあるとはいえず、採用できない。
したがって、被告の原告に対する本件債務は存在しないとはいえない。
5 結語
以上の次第であり、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木拓児)
<別紙略>