東京地方裁判所 平成13年(刑わ)233号 判決 2002年9月06日
aに対する受託収賄被告事件について,当裁判所は,検察官中井國緒,同竹中理比古,同小出幹出席の上審理し,次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役1年10月に処する。
未決勾留日数中80日をその刑に算入する。
被告人から金3166万8711円を追徴する。
理由
(犯罪事実)
被告人は,平成7年7月23日から平成13年1月29日まで参議院議員を務めていたものであり,
第1平成7年8月4日から平成10年8月6日まで参議院労働委員会(平成10年1月12日以降の名称は労働・社会政策委員会)の委員として,職業能力開発に関する事項等についての議案,請願等の審査及び国政に関する調査を行うため会議に付された議題につき質疑し,意見を陳述し,表決に加わるなどの職務を行っていたものであるが,平成7年11月上旬ころ,東京都墨田区所在の財団法人A(以下「A」という。)理事長室において,外国人研修生の受入れ事業を実施している財団法人B(以下「B」という。)理事長であったbから,同月7日に開かれる同委員会において,被告人が委員として政府に対し労働問題に関する調査案件について質疑するに当たり,労働省の担当者に対し,外国人研修生が技術,技能又は知識を修得するため本邦で働くことを認める外国人技能実習制度に係る国内滞在期間を現行の2年から3年に延長することを求める旨の質問をして欲しいとの請託を受け,また,平成8月3月下旬ころ,上記理事長室において,bから,同年4月9日に開かれる同委員会において,被告人が委員として前同様の案件について質疑するに当たり,労働省の担当者に対し,前同様の質問をして欲しいとの請託を受け,その報酬として供与されるものであることを知りながら,同年10月2日,同区所在のB理事長室において,bから現金2000万円の交付を受けて収受し,もって,自己の職務に関し,請託を受けて賄賂を収受した。
第2平成10年7月31日から平成11年10月4日まで労働政務次官として,労働大臣の命を受け,労働省の所掌する労働者の職業に必要な能力の開発及び向上に関すること等の政策及び企画に参画し,その所掌事務を処理するなどの職務を担当していたものであるが,平成10年8月3日ころから平成11年3月2日ころまでの間,数回にわたり,上記A理事長室等において,いわゆる職人を育成するための大学の設置を目指して準備を進めていた財団法人D(以下,「D」という。)会長理事であったbから,上記大学の設置等に必要な資金を確保するため国の補助金を増額すべく大蔵省に予算要求するなどして欲しいとの請託を受け,その報酬として供与されるものであることを知りながら,同月下旬ころ,b及びE政治連盟(以下「E」という。)事務総長として同人の意を受けて被告人との折衝に当たっていたcらとの間で,被告人が雇用する秘書の給与を,bが代表理事としてその業務全般を統括していたG協同組合(以下「G」という。)から支給させることを合意した上,単一の犯意をもって,別紙一覧表記載のとおり,同年4月23日から平成12年9月25日までの間,前後21回にわたり,bらの指示を受けたG職員をして,千葉県所在の株式会社H銀行I支店に開設されたd名義の普通預金口座ほか1口座に合計1166万8711円を振込送金させて収受し,もって,自己の職務に関し,請託を受けて賄賂を収受した。
(事実認定の補足説明)
弁護人は,判示各事実について,いずれも被告人がbから請託を受けた事実はなく,被告人には単純収賄罪が成立するに止まるなどと主張し,被告人もこれに沿う供述をするので,以下,当裁判所が判示のとおり被告人に各受託収賄罪の成立を認めた理由について,補足して説明する。
Ⅰ 判示第1の事実について
第1判示第1の事実に関する基本的事実関係
関係各証拠によって認められる判示第1の事実に関する基本的事実関係は,概略以下のとおりである。
1 被告人とbとの関係について
被告人は,昭和41年3月に大学を卒業した後,東京都内に本部を置く宗教団体の政治連盟本部職員として勤務し,昭和55年7月施行の参議院議員通常選挙(以下「参議院選挙」という。)にe(以下「e議員」ともいう。)が同宗教団体の支援を受けて全国区から立候補した際,同政治連盟本部の選挙対策事務局長を務め,同議員の当選後はその公設秘書等を務めた後,平成7年7月23日施行の参議院選挙にL党推薦で比例代表区から立候補し当選した。
他方,bは,中小企業経営者の災害補償事業等を行うA(平成6年の名称変更以前は「A’」。以下,名称変更の前後を問わず「A」という。)の理事長として,中小企業の発展に意を注いでいたが,昭和60年代に入り中小企業において人手不足が深刻化し,中小企業の経営者の間で外国人労働者の雇用を望む声が高まったことから,この問題を政治的に解決しようと図り,国会議員との懇談会等を開催するとともに,A会員の任意団体であったMを母体とし,中小企業の社会的,経済的発展向上を図るため必要な政治活動を行うことを目的とする政治団体としてEを結成し,平成2年9月に政治資金規制法上の届出を行った。
ところで,被告人は,e議員の秘書を務めていた平成2年10月ないし11月ころ,Aからe議員への支援を得たいと考え,紹介を受けてA理事長のbを訪問し,Eの結成大会にe議員とともに出席するなどしてbとの親交を深めた結果,Aは組織をあげてe議員を支援するようになった。また,平成3年ころには,e議員をはじめとするL党の衆参両議員らが集まって,Eの活動を国政面から支援するN議連を結成し,e議員は当初幹事長に,後には会長に就任した。そして,平成7年7月に被告人が参議院選挙に立候補した折りには,Aが被告人を全面的に支援したことから,bらAの関係者は,被告人をAが国会に送り出した議員であるとの認識を抱き,他方,被告人も,同選挙当選後は,N議連の事務局次長に就任し,Aの会合等に参加するなどしていた。
2 外国人技能実習制度の創設について
アジア各地に進出した我が国の企業を中心に,現地で働く外国人を我が国に呼び寄せて工場等で研修させ,技術,技能等を修得させたいとの産業界における要請の高まりを受けて平成元年12月出入国管理及び難民認定法の改正によって外国人研修制度が整備され,平成2年6月1日から施行された結果,外国人が我が国において研修資格で技術,技能を修得するための活動をすることが認められ,平成3年9月には財団法人Oが外国人研修生の支援事業を開始した。これを受けて,bは,中小企業向けの外国人研修生の受入れ機関として同年12月にBを設立し,一括して外国人研修生を受け入れた上,会員である各企業に派遣するという事業を開始した。
しかし,中小企業経営者の間では,労働力として外国人の雇用が求められていたのに,この外国人研修制度は必ずしもその要請に応えていなかったことから,bは,同制度の規制緩和を目指し,EやN議連を通じて陳情等を重ねた結果,平成4年12月には外国人研修生の受入れ要件が緩和され,平成5年4月の法務省告示「技能実習制度に係る出入国管理上の取扱いに関する指針」によって,一定期間の研修後,外国人研修生が経営者と雇用関係を結んだ上で実習し,技術,技能を修得することができるという外国人技能実習制度(以下「技能実習制度」ともいう。)が創設されるに至った。
3 外国人技能実習制度の期間延長問題について
ところが,この技能実習制度では,外国人研修生の国内滞在期間が研修期間と技能実習期間を合わせて2年以内と定められていたため,Bを介して外国人研修生を受け入れている企業からは,研修生が一人前になったころ帰国してしまうことへの不満の声が上がっていた。そこで,bは,滞在期間を3年に延長すればより受入れ企業のニーズに沿い,Bの事業も拡大できると考え,外国人研修生の滞在期間延長の早期実現を目指すことにした(以下,これを「期間延長問題」ともいう。)。
そして,bは,平成6年の秋ころから,Bの専務理事であるf(以下「f理事」という。)に指示して,技能実習制度を所管している労働省職業能力開発局海外協力課外国人研修推進室(以下「外研室」という。)に技能実習制度の期間延長を求める陳情をさせるなどしたが,外研室では,平成5年4月に始まった新制度による研修及び実習が完了していない段階でその期間延長を検討するのは時期早尚であるとして,bらの陳情は門前払いの状態であった。
しかし,bは,平成7年2月ころにはf理事に指示して,Bの会員企業に対するアンケート調査を実施させ,その後も外国人研修生からの聞き取り調査をさせてそれらの結果を取りまとめて各種資料を作成させるなどし,引き続き外研室や外国人研修生の滞在期間を所管する法務省入国管理局(以下「入管局」という。)に期間延長の陳情をしたり,e議員に,労働省への働き掛けや,参議院中小企業特別委員会で期間延長問題を取り上げるよう依頼するなどした結果,外研室は,同年4月ころから期間延長問題について検討を始め,同年9月には,技能実習制度の滞在期間を3年に延長し平成8年4月から実施する方向で,入管局との協議を開始した。ところが,法務省内では,同省が予定している技能実習制度に関する実態調査の結果を見ないでその期間延長の可否を決定することはできないとの意見が強く,外研室との打ち合わせにおいても,期間延長に慎重な態度をとっていた。
そのような状況にあった平成7年11月7日,被告人は,参議院労働委員会(以下「労働委員会」という。)において技能実習制度に関する質問を行った。
そして,外研室は,同月9日に入管局と協議した際,労働委員会において被告人から期間延長問題について質問があったことを指摘して早急な検討を求めるとともに,同月21日には,労働省職業能力開発局長(以下「能開局長」という。)や審議官が法務省と交渉し,更にはe議員の力を借りて法務省との折衝を進める方針を固め,同議員に法務省への働きかけを依頼するなどした。しかし,法務省内では依然として結論が出ず,同省は,外国人研修生の滞在期間を延長するにしても,研修期間と技能実習期間の比率,対象職種,受入れ機関ごとの人数制限,平成8年度予算との整合性,その施行時期等といった問題があって,なお検討が必要であるとの姿勢を堅持していたため,平成8年3月1日には,同年4月からの期間延長の実施は不可能なことが確実となった。
このような状況が続く中,被告人は,同年4月9日に開かれた労働委員会において再度技能実習制度について質問をし,その後被告人の事務所からf理事宛てに,この労働委員会における被告人の発言部分に関する会議録をファックスで送信した。
他方,外研室は,翌10日,入管局の問い合わせに対し,前日の労働委員会における被告人の技能実習制度に関する質疑に係る想定問答をファックスで送信し,その滞在期間の延長についての検討を急ぐよう促すとともに,同年5月13日ころには,能開局長が入管局長と会談し,同年秋には滞在期間を延長する方向で検討するとの一応の合意が成立した。しかし,外研室及び入管局において,この滞在期間の延長を実施するに際しての問題点を具体的に検討していく中で同年秋の実施は困難な情勢となり,同年9月20日ころの協議では,平成9年1月1日を目途として期間延長を実施する方向で詰めの作業を行うことが確認された。ところが,平成8年11月には入管局から外研室に,実施時期は,上記実態調査を見た上で平成9年4月1日としたい旨の連絡が入り,外研室もこれを了解した上,その後の対象職種や期間延長の要件等について詰めの作業を経て,同月24日付けで上記法務省告示「技能実習制度に係る出入国管理上の取扱いに関する指針」が改正され,同日から外国人研修生の滞在期間が一定の条件の下で最長2年から3年に延長されることになった。
第2各請託の有無
1 検察官及び弁護人の主張の要約
検察官は,判示のとおり,bが,平成7年11月上旬ころと平成8年3月下旬ころ,被告人に対し,それぞれ期間延長問題について労働委員会において質問して欲しいとの要請をし,被告人がこれを了承した(以下,合わせて「判示第1の請託」という。)旨主張するのに対し,弁護人は,被告人がbからそのような内容の要請を受けて了承したことはない旨,被告人が労働委員会で技能実習制度について質問したのは自らの意思に基づいて同制度の活用状況を聞き,経済界全体が望んでいた期間延長の要請等について問い質したにすぎない旨主張するので,以下検討する。
2 判示第1の請託に関するbの供述内容
bは,捜査段階及び公判廷において,平成7年11月上旬ころと平成8年3月下旬ころ,被告人に判示第1の請託をした旨一貫して述べている(以下「b供述」という。)。すなわち,平成7年夏ころから,労働省は,期間延長問題に前向きの姿勢を示すようになったが,法務省が難色を示し進展しなかった。ところが,同年11月の労働委員会において,労働委員であった被告人に質問の機会が与えられる情勢になったことから,この機会に被告人にお願いして同委員会において,労働省に対し,技能実習制度の滞在期間を2年から3年に延長するよう検討してもらいたい旨の質問をしてもらい労働省から法務省への働きかけを強めてもらおうと考えた。そのため,私は,同月初めころ,A理事長室で,被告人に「aさん,今度の労働委員会で,労働省に,研修と実習の期間を2年から3年に延長するようにという質問をして下さい。」などとお願いし,被告人も,私の頼みを引き受けてくれた。そして,被告人は,平成7年11月7日の労働委員会において,滞在期間を2年から3年にできないかなどと質問してくれたが,その後も法務省の動きに目立った進展はなかった。そうしたところ,平成8年4月の労働委員会において,被告人が再び質問をする機会を与えられる情勢になったので,私は,被告人にお願いをして,労働委員会での質問によって,技能実習制度の滞在期間を2年から3年に延長するよう労働省に再度働きかけてもらうことにした。それによって,前回同様労働省から法務省に強く働きかけてもらう目論見であった。そのため,私は,同年3月下旬ころ,A理事長室で,被告人に,「期間延長の問題がなかなか進展しません。今度の労働委員会でも,技能実習の期間を3年にするように是非質問してください。」などとお願いし,被告人も引き受けてくれた。そして,被告人は,同年4月9日の労働委員会において,技能実習期間の延長について強く働きかける質問をしてくれた。
被告人には,かねがね期間延長の問題について,質問するような機会があったら是非お願いしたいと申し上げていたが,いずれの請託の時も,Eの事務総長をやっているcから,近々労働委員会が開催されるらしいということを7日か10日くらい前に聞き,そのころ被告人がA理事長室に来たので,念押しの意味で,期間延長の問題を質問事項に入れてくれるようお願いした。cは,被告人が質問する予定のある労働委員会について連絡してくるので,同委員会が開催されるということは,すなわち被告人が質問するということだった。しかし,それが正式な決定だったか否かは分からない。被告人も,私がかねがね期間延長の問題を話していたので,労働委員会での質問事項に入れておくという気持ちだったと思う。私は,国会議員が国会で質問するに当たって,どのようなことをするのかよく分からないが,事務方の態勢がスムーズに行くようにとの配慮から,打ち合わせや労働省への根回しなどをしておけばいいのではないかと思って,労働省に詳しいcとf理事に対応を任せていた。
3 b供述に関係するA等の関係者の供述について
(1) 労働委員会での質問当時の期間延長問題をめぐる情勢との関係等
平成7年11月当時の期間延長問題をめぐる情勢を見ると,既に述べたように,bは,平成6年秋ころから陳情等の活動を開始し,平成7年9月ころには労働省では平成8年4月から期間延長を実施する方向で意見統一を行ったものの,法務省内には消極の意見が強く,外研室との打合せにおいても慎重な態度を取っていた情勢にあった。また,平成8年3月当時も,法務省内では期間延長問題についての結論が出ておらず種々の問題点を検討している段階であって,労働省が予定していた同年4月の実施が不可能な情勢にあった。
ところで,bから指示を受けて期間延長問題に関する事務を担当していたBのf理事は,検察官に対し,「平成7年10月下旬か11月上旬ころ,bに,法務省が期間延長問題について積極的に動かないことを報告したところ,同人から『そうか。法務省はなかなか動かないな。ちょっとe先生にお願いして,法務省の幹部に言ってもらおうか。』との話が出たので,その趣旨を記載した書面を作成し,bかcに託してe議員に渡した。」旨,また,「平成8年2月下旬から3月上旬ころ,bに,法務省が期間延長に消極的か,あるいは認めるにしても対象職種を限定しようとしている旨の報告をしたとき,同人から『e先生から法務省には言ってもらっているのに,法務省は本当に動きが遅いな。e先生も気にしておられるので,ちょっとe先生の所へ行って今の状況を報告してくれないか。』と言われ,参議院議員会館のe議員の事務所に行って説明をした。」旨供述しているところ,この供述内容は,当時f理事がbの指示を受けて作成し,関係各部署に提出したアンケート結果や各種資料の記載内容などの客観的証拠に合致しているだけでなく,当時の期間延長問題をめぐる上記情勢にも沿うものであって,その信用性は高いと言うことができる。また,f理事は,検察官に対し,「平成7年4月10日に開催されたBの支局長会議の席で,bが『e先生の力で参議院に中小企業対策特別委員会が設置された。この委員会で,e先生か,あるいは次の参院選で立候補するaさんが当選すれば,aさんに頼んで,技能実習制度の期間延長を議題として出してもらい,政治の力で行政を動かし,期間延長を早期実現させたい。』との発言をしていた。」旨供述しているところ,当時bは,同年7月施行の参議院選挙に立候補する予定の被告人をAあげて支援することにしていたことに照らすと,bが同会議でこのような発言をしたことは十分に考えられるところであって,その信用性も肯認できる。
以上によれば,平成7年11月及び平成8年3月当時,bは,期間延長問題に関する法務省の対応に大きな不満を抱いており,その実現のためには,e議員のみならず,Aが国会に送り出したと考えていた被告人に対しても,その政治力を使って行政側への働きかけをしてもらうことを期待していた状況にあったことは十分に推測し得るところである。
(2) cの供述によるb供述の裏付け
(ア) ところで,b供述は,被告人が労働委員会において質問をする情勢にあったことをcから聞いたことから,被告人に判示第1の請託を行ったと述べるものであるところ,cは,この点に関し,捜査段階において,概ね以下のとおり供述している。すなわち,被告人が労働委員会で質問を行ったのは平成7年11月7日で,その質問時間を割り当てられる見込みだと分かったのは,その10日ほど前の同年10月下旬だったと記憶している。私は,そのことを被告人から聞きbに知らせたところ,同人は「では,aさんに頼んで,労働委員会で技能実習制度の期間延長のことを発言してもらうことにする。細かいことはaさんと相談してくれ。」と言い,その後間もなく被告人に依頼したようである。また,被告人が2回目に労働委員会で質問を行った日は平成8年4月9日だったが,やはりその10日ほど前の平成8年3月下旬に,被告人から,次の労働委員会で質問時間を割り当てられるかもしれないと聞き,bに伝えたところ,同人は「それなら,またaさんに頼んで,早く外国人技能実習制度の期間を延長してもらうことにする。」と言い,そのころ被告人に直接頼んだようだった。その後同年4月初旬に被告人から「技能実習制度の期間延長について,行政側の進展状況の度合いによって質問の仕方もかわるので,現時点でどの程度まで進んでいるのか知りたい。」と言われ,bに尋ねたところ,「技能実習制度の期間延長のことはBのfに労働省への陳情を任せてあるので,細かいことはfに聞いてくれ。」と言われ,同人に電話をかけて「a先生が労働委員会で質問を行うことになり,技能実習制度の期間延長のことを質問してくれることになった。a先生が行政側の進捗状況を知りたいと言っているので,一緒に説明に行ってくれないか。b理事長の了解も得ている。」と頼み,同月8日ころ,一緒に参議院議員会館に行って被告人に「労働省は,期間延長を決めて積極的に動いてくれています。法務省も,期間延長はだめだとまでは言わないのですが,なかなか動いてくれず,期間延長の実施は全く目途がたっていません。」と説明した。
(イ) cの上記供述内容は,当時同人が,bの指示の下で,E事務総長として被告人をはじめとするAに関係する議員とbとのパイプ役を務めていたこと,また,bやcらが,被告人はAが国会に送り出した議員で,国会においてAのために活動してくれることを期待していたことなどの状況に符合する自然なものである上,平成8年4月8日ころにf理事と一緒に被告人の下を訪ね,期間延長問題に関する行政側の対応について説明したことも,f理事の検察官に対する次の供述によって裏付けられている。すなわち,f理事は,同月初旬ころcから電話があり,「今度,a先生が労働委員会で技能実習制度の期間延長のことを取り上げて質問してくれることになった。それでa先生が行政側の進捗状況を聞きたいと言うので,一緒にa先生のところへ行って説明してくれないか。b理事長も承知していることだから。」と言われ,同月8日の朝一番に参議院議員会館の被告人の事務所に行き,cも同席した上で法務省の対応状況を説明し,「受入れ企業も技能実習生も,強く期間延長を要望しているので,私どもとしてはできるだけ早くに期間延長を実施していただきたい。」と言うと,被告人は「そうか。わかった。明日質問してやるよ。」と言っていた旨供述している。
その上,cには,殊更被告人に不利な虚偽の供述をするような事情は窺われないばかりか,後述するように,cは,金銭授受の経緯については公判廷において捜査段階での供述を被告人に有利な方向に変遷させているのに,被告人から労働委員会における質問予定を聞いてbに伝えた時期等については公判廷においても概ね一貫した供述を維持していることに照らすと,cの上記供述の信用性は高いと認められる。
なお,この点に関連して,cは,公判廷において,上記検察官調書での供述は,個別具体的な記憶に基づいたものではなく,あくまでも今までそうだったので,平成7年11月7日及び平成8年4月9日に被告人が労働委員会で質問した時もそうだったのだろうということで供述した旨述べているが,cの上記供述は,同人が,E事務総長として,質問予定を被告人から聞きbに報告したという,いわば本来の職務に関するものである上,通常と異なる処理をしたというのであれば記憶に残っているはずであることからすれば,上記質問の時もcは,通常どおりに被告人から質問予定を聞きbに伝えたと推察することができる。したがって,cの公判廷での供述が,検察官調書中の上記供述の信用性を減殺するということはできない。
4 b供述に関係する被告人側の状況について
(1) 平成7年11月7日開催の労働委員会での質問について
平成7年11月7日の参議院労働委員会会議録によれば,被告人は,同日開催の労働委員会において,雇用推進対策,改正中小企業労働力確保法,就職浪人等の雇用問題,熟練技能者支援制度,中高年齢者の雇用問題について質問した後,最後の質問として技能実習制度について,「既にスタートをして2年,3年ぐらいになりましょうか,今その実習制度がどのようにどれくらいの規模で実施されているのか,現状。さらにまた,この問題は今研修生の皆さんが日本に滞在できるのは2年間という制約がありまして,さらに3年までしてほしいという,こういった要望も多々あるわけでございますけれども,いずれにいたしましても外国人技能実習制度の活用状況,これは能開局になるんでしょうか,ちょっと明らかにしていただきたいと思います。」と質問し,能開局長が,政府委員として技能実習制度について説明し,着実に利用がのびてきていること,重要な制度であると考えていることを述べた上で,「今後もこれらの制度の利用状況,活用状況等十分把握しながら,先ほど御指摘のあったような要望についても私ども承っておりますので,いろいろこれから制度の活用のために種々検討を加えながら,効果的に活用してまいりたいというふうに思っております。」旨の答弁をしたことが明らかである。
ところで,被告人の上記質問は,外国人研修生の滞在期間を3年に延長することを単刀直入に求める内容とはなっていないものの,外国人研修生の間で期間延長を求める要望があることを殊更付け加えていることや,この質問に対する能開局長の答弁に照らすと,この質問の趣旨は,滞在期間を延長した上で更なる活用を目指すべきではないかと要請していると理解することができる上,被告人が予め質問の骨子をE宛てにファックスで送信していたことをも併せ考えると,この質問は期間延長問題についてのbの要望に沿ったものと言うことができる。実際にも,被告人から質問を受けた労働省の担当者らは,国会議員が労働委員会などの公式の場で発言をした場合には重い意味があると受け止め,被告人の質問の趣旨は,既に滞在期間について検討を始めている労働省に対するのみならず,法務省に対しても早急な検討を促す意味だと理解し,翌9日には外研室が入管局に対し,被告人から労働委員会で質問があったことなどを指摘して早急な検討を求め,入管局においても,これをそのまま放置することはできず早急に対応する必要があるとして期間延長問題について検討を開始したことが認められる。
(2) 平成8年4月9日開催の労働委員会での質問について
平成8年4月9日の参議院労働委員会会議録によれば,被告人は,同日開催の労働委員会において再び質問に立ち,労働大臣に対して,雇用対策,職人大学構想,時短問題について質問した後,最後の質問として技能実習制度について,「これも既に実施されてちょうど丸3年でございますが,この実施状況と,さらに,今海外から技能,技術を学びに来ている若い青年たち,2年間の日本滞在が許されて学習をし勉強して,そして帰るのでございますけれども,実際受け入れている企業あるいは団体等から,本当に技能をきっちりと身につけて帰っていただくのには,もう1年間の滞在を許可してほしいということも非常に強い要望として出てきていると承知いたしております。これに対する労働省としての取り組みについて,また見通しについてお答えをいただきます。」と質問し,これを受けて能開局長が,技能実習制度の趣旨,利用状況について説明した後,「この制度につきましては,先生御指摘のように,私どもOを通じましてヒアリングを行った際,あるいは経済団体等から,この2年という上限の期間をもう少し延ばして着実な技術,技能を身につけていただいてそれぞれの母国へ戻って活躍していただく,そういったことができないかという要望を承っております。また,送り出した国の政府からもそういった方々の活躍のためにもう少し延ばして着実な技術,技能の習得を図ってもらえないかというお話も伺っております。私ども,そういった点を踏まえまして,また種々の観点からそういった問題について検討を進めてきております。現在各省とも協議中でございますが,これを急ぎまして,できるだけ早い段階で結論を出してまいりたいというふうに思っているところでございます。」と答弁したことが認められる。
被告人の上記質問は,期間延長問題について,技能実習生を受け入れている企業等から滞在期間を3年に延長してほしいという非常に強い要望があることを理由に,その実現を積極的に求める内容となっているだけでなく,能開局長から,できるだけ早い段階で結論を出したいとの答弁を引き出しており,正にbの要望をそのまま反映した内容となっている。しかも,被告人は,この質問に関する労働委員会会議録を入手するや,被告人の発言部分をf理事宛てにファックスで送信していたことが認められる。
5 b供述の信用性について
以上のとおり,平成7年11月上旬ころ及び平成8年3月下旬ころ被告人に労働委員会において技能実習制度の滞在期間の延長を求める質問をして欲しいと依頼した旨述べる上記b供述の内容は,その当時の期間延長問題をめぐる労働省及び法務省の対応等の客観的な情勢に符合するだけでなく,その基本的な部分はBのf理事の供述やE事務総長のcの供述によって具体的に裏付けられている上,その後被告人が労働委員会において実際に行った質問の内容,その後の外研室の動きなど,当時作成された資料等の客観的証拠によって認めることができる状況にも合致するものである。その上,bは,被告人が参議院選挙に当選した当時から,被告人はAが支援して国会に送り出した議員であるとの意識を強く抱いていたことに加え,当公判廷に証人として出頭した時も,被告人にはこれまでAの発展のために多々尽力してもらったとの感謝の気持ちを抱いている旨述べていたことからすれば,bが殊更虚偽の供述をしてまで被告人を重い罪に陥れるような行動に出るとは考え難い。さらに,bは,判示第1の事実については,贈賄者として起訴されておらず,同人が自己の刑事責任を軽減するために被告人に不利な供述をするという動機は存在しないだけでなく,判示第1の請託の事実を認める供述をすること自体bにとって同人の社会的評価を低下させることになると考えられるのに,捜査段階からほぼ一貫してこれを認めてきたことをも併せ考えると,bの供述態度は真摯であり,その供述内容は十分に信用できると認めることができる。
6 弁護人の主張に対する判断
以上に対し,弁護人は種々理由をあげてb供述の信用性を争っているので,以下,主要な点について検討する。
(1) 弁護人は,平成7年11月7日に被告人が労働委員会で質問した内容は期間延長を求めるものではなく,これはbから請託がなかったことを示す証左であると主張する。
しかし,被告人の質問内容は,まず,技能実習制度の活用状況についての質問であることを明らかにした上で「さらにまた,この問題には今研修生の皆さんが日本に滞在できるのは2年間という制約がありまして,さらに3年までしてほしいという,こういった要望も多々あるわけでございますけれども,いずれにいたしましても外国人技能実習制度の活用状況,これは能開局になるんでしょうか,ちょっと明らかにしていただきたいと思います。」と述べて,滞在期間を延長してほしいという要望があることを前提として活用状況を尋ねているのであるから,被告人の質問内容には,既に述べたように,滞在期間を延長した上で更なる活用を目指すべきではないかとの趣旨を含むものと理解されるのであり,そうだからこそ,能開局長は「今後もこれらの制度の利用状況,活用状況等十分把握しながら,先ほど御指摘のあったような要望についても私ども承っておりますので,いろいろこれから制度の活用のために種々検討を加えながら,効果的に活用してまいりたいというふうに思っております。」と答弁したと理解するのが自然である。
他方,被告人は,公判廷において,この質問の中で技能実習制度を取り上げたのは,e議員の秘書時代に同制度に関わっていたからであり,滞在期間を「3年までしてほしい」という要望があると言ったのは,枕詞として誰でも知っていることを付け加えただけであると説明するが,なぜそのような言葉をわざわざ質問の中に織り込まなければならなかったのか理解に苦しむところであって合理的な説明とは言い難い。このことは,かえって,当時そういった言葉を織り込まなければならない事情が存在したことを窺わせるものであって,被告人の供述は信用し難く,弁護人の主張も採用できない。
(2) 弁護人は,bは,捜査段階において,平成8年3月15日に参議院議員会館の被告人の事務所を訪ねた際,同月15日開催の参議院中小企業対策特別委員会において期間延長問題について質問してくれるよう依頼したと供述するが,その時間帯に被告人が不在であったことは被告人のダイアリーからも明らかであって,bの上記供述は客観的事実に反するだけでなく,このことは,同人が検察官に迎合してあたかも請託があったかのごとく供述していたことを物語るもので,同人の捜査段階及び公判廷での供述は自己に有利な判決を求めるために検察官に迎合してなされたものであると主張する。
しかし,bは,公判廷において,この時参議院議員会館を訪ねたのはe議員に会うためで被告人がいたかどうかは記憶になく,この時かどうか分からないがそのころ被告人に期間延長問題についての質問を依頼したことは間違いない旨述べている上,bの捜査段階での供述は,被告人を訪問して質問依頼をした事実ははっきり記憶しているが,その時期が明確でないので,ダイアリーの記載からすれば平成8年3月15日ではなかったかと思うという趣旨であると理解できるから,bの供述が客観的事実に反していると言うこともできない。また,bは,自らは贈賄罪に問われていない判示第1の事実についてのみ請託の事実を認めているのではなく,同人が起訴された判示第2の事実についても被告人への請託の事実を認める供述をしていることからすれば,bが検察官に迎合して,虚偽の供述をしているとは言えない。その上,公判廷でのbの供述態度を見ると,同人は非常に饒舌で,しばしば質問の趣旨を逸脱して答える傾向があることからすれば,同人がその供述の一部についてだけ虚偽を混入させるような恣意的な供述をしたり,また,質問者の意図を酌み取ってそれに迎合して供述をしたりしているとは到底考えられないところであって,弁護人の主張は採用できない。
(3) 弁護人は,b供述が,請託の時期について,平成7年11月上旬ころ及び平成8年3月下旬ころと述べるだけで,具体的な裏付けを示していない上,被告人に請託した時の状況も抽象的な内容に止まっていて,信用できない旨主張するが,bは既に80歳を超える高齢である上,同人が本件に関して供述を求められたのは判示第1の請託があった時から既に5年前後も経過してからであったことに加え,bの公判廷での供述によれば,被告人は当時何度もbを訪ねて来ていたし,同人は常々被告人に機会があれば期間延長問題について労働委員会等で質問してくれるよう頼んでいたというのであるから,bが被告人に判示第1の請託をした時の状況の詳細について記憶を保持していなかったとしてもやむを得ないところであって,それが不自然であるとは言えない。また,bは,当時被告人が約束なしにbを訪ねて来ることもあったし,また,突然の予定変更等はダイアリーに記載していないとも述べていることからすると,判示第1の請託の時期を示すダイアリー等が提出されていないことをもって,b供述の信用性が減殺されると言うこともできない。
(4) 弁護人は,L党においては理事懇談会で委員会の開催が決定されなければ委員会での質問者が決められないことを前提とした上で,平成7年11月7日の労働委員会の開催は,同月1日午後4時30分から開催された理事懇談会において決定されたから,被告人がA理事長室でbと面談することが可能であったその日の正午の時点において,被告人が同委員会で質問することを予定してbが判示請託をすることはあり得なかった旨,同様に,平成8年4月9日の同委員会開催は,同月4日及び8日の理事懇談会において決定されているから,被告人がA理事長室においてbと面談することが可能であった同年3月29日の時点において,同人から被告人に対して前同様の請託をすることはあり得なかった旨主張してb供述の信用性を争い,被告人も公判廷においてこれに沿う供述をしている。
しかし,bは,cから,労働委員会が開催されること及び被告人が質問することを聞いたと供述し,また,cは,公判廷において,「委員会開催の10日程前に概ねの日時と被告人が質問するであろうといった予定を聞いた後,改めて委員会開催と質問者が確定した後にその事実を聞いた。」旨供述していることからすると,bの言う「質問することを聞いた」という状況は,弁護人が主張するような確定的な理事懇談会での開催決定やその後の質問者の決定を指す意味とは解されない。その上,平成7年11月1日開催の労働委員会理事懇談会の会議録を見ると,「一般質疑を行いたい旨の申し出がよせられている」とか,「次の定例日である7日(火)は,現在のところ大臣を確保できる見通しである」とか,「総質疑時間は6時間を基本としてはどうかと内々に伺っている」との発言が見られるほか,質疑時間の調整の際には各党や会派から「質疑時間は60分でよい」とか「90分行いたい」などと意見が述べられていて,開催日の正式決定前にも各党や会派においてある程度事前の打ち合わせ等が行われていた状況が窺われることからすれば,理事懇談会開催前に,労働委員会の開催日が予定され,各党内では質問予定者への打診や質疑に要する時間の確認をするなどの根回しが行われていたと考えられる。被告人も,この点について,検察官に対し,「労働委員会をいつ開催するのかについては,まず,委員長と与野党の各筆頭理事が集まって内々に話し合って決めていました。事実上は,この時に開催日が決まるのです。その後,理事懇談会や理事会が開催されますが,これは,実際上は内々に決まった委員会開催日の確認でした。」と供述しているところ,その内容は,cが,上記供述において,予定の情報と確定の情報の2段階で知らされたと述べることに合致する。なお,被告人は,公判廷において,「検察官調書中の上記記載は一般論として話しただけで,検事に労働委員会も一般だからいいじゃないかと言われてそうかなと納得し署名指印した。」旨供述するが,被告人は,基本的に労働委員会に所属していた議員である上,本件は正に同委員会において被告人が判示請託を受けて質問をしたのではないかが問われているのであるから,被告人が一般論として同委員会と異なる慣行を述べたというのは甚だ不自然であるばかりか,そのような必要性も見出し難いこと,また,上記検察官調書の該当部分は「労働委員会をいつ開催するのかについては」との書き出しで始まっており同委員会での慣行を述べたと理解するのが自然であることに照らすと,被告人の公判廷での上記供述は信用できない。また,これらの事情からすれば,弁護人の主張も採用できない。
(5) 弁護人は,平成7年11月当時は,宗教法人法改正問題が論議されており,国会運営が正常化されていなかったから,理事懇談会による労働委員会開催日の正式決定前に質問者が内定したことはなかった旨,平成8年4月当時も,いわゆる住専国会と呼ばれた与野党の対決が極めて先鋭化し各種委員会の開催が危ぶまれていた時期にあったから,理事懇談会前に質問者が内定することはあり得なかった旨主張し,被告人も,公判廷において,これに沿って,平成7年11月7日開催の労働委員会についても,平成8年4月9日開催の同委員会についても,その開催日が事前に分かったことも予め質問者として打診を受けたことも一切なかった旨供述する。
しかし,関係各証拠によれば,平成7年11月7日の労働委員会開催を決定した同月1日の理事懇談会においては,既に述べたような発言等があったこと,平成7年10月と11月における労働委員会の開催日を見ると,10月5日,同月19日,同月20日,11月7日と開催されていて,11月7日は比較的順調な開催と考えられること,また,平成8年4月9日の同委員会開催を決定した同月4日の理事懇談会での審議状況を見ると,「去る3月14日に与党より委員会開催要求書が提出された」旨の説明があった後,与党議員から,その提出理由として,「与党としては現下の厳しい雇用情勢に鑑み,参議院規則第38条第2項に基づく開会要求を行った。この状況はさらに厳しくなっており,法案が付託されなくても雇用問題に関し,労働省が施行している法律の効果について労働省側から説明を聴取し,質疑があれば行うべき」旨の発言がなされ,また,野党委員からも「衆議院の予算委員会が正常化していない時に委員会をなし崩し的に開会することについては反対していたが,正常化した以上,委員会を開催すべきである」旨の発言もあったこと,同年4月は,文教委員会を除く12委員会が全て労働委員会と同じ4月9日に開催されている上,既に逓信委員会は同月2日に,厚生委員会は同月4日にそれぞれ開催されていたことが認められる。これらの事情に照らすと,平成7年11月7日及び平成8年4月9日開催の各労働委員会について,理事懇談会の開催前に全く開催の見通しが立たない状況にあったとか,質問予定者の打診すらできない状況にあったとは考え難く,この点についての被告人の上記供述をそのまま信用することはできず,弁護人の主張は採用しない。
7 まとめ
以上検討したとおり,その信用性を肯認することができるb供述をはじめ,cやf理事らの各供述等関係各証拠を総合すると,被告人は,平成7年11月上旬ころ,bから,労働委員会において技能実習制度の滞在期間を2年から3年に延長することを求める質問をして欲しいとの要請を受けてこれを了承し,同月7日開催の同委員会において請託の趣旨に沿った質問を行った事実,及び,平成8年3月下旬ころにも,bから,労働委員会において同様の質問をして欲しいとの要請を受けてこれを了承し,同年4月9日開催の同委員会において請託の趣旨に沿った質問を行った事実を優に認めることができ,これに反する被告人の供述は信用し難く,弁護人の主張は採用できない。
第32000万円収受の経緯及びその趣旨
1 弁護人の主張と争点
関係各証拠によれば,被告人が,平成8年10月2日に判示B理事長室でbから2000万円の交付を受けたことは明らかであり,被告人もこの事実は認めている。しかし,その収受の経緯及びその趣旨に関して,弁護人は,被告人が自らbに2000万円を要求したことはなく,また,被告人が2000万を収受した趣旨は,第一次的には被告人が衆議院議員総選挙(以下「衆議院選挙」という。)に立候補したL党候補者の陣中見舞いに行く際の資金であり,その他にも被告人がAや中小企業のために様々な活動をしてきたことに対する謝礼の趣旨も含まれていたもので,被告人が労働委員会で期間延長問題について質問をしたことに対する謝礼の趣旨はあくまでもその一部にすぎなかった旨主張するので,以下,検討する。
2 被告人が2000万円を収受した経緯について
bが被告人に2000万円を交付するに至った経緯については,b,c及び被告人がそれぞれ供述しているところ,その内容には相違が認められるので,各人の供述内容について見た後,その信用性について判断する。
(1) bの供述
bは,検察官に対し,概ね次のとおり供述している。すなわち,平成8年9月下旬ころ,f理事から,技能実習制度の滞在期間を2年から3年に延長することについて法務省がほぼ了解し,労働省では平成9年1月から実施する方針だとの報告を受けた。その数日後に被告人がA理事長室を訪ねてきたので,「いろいろ力になってもらってありがとうございました。aさんのお陰で技能実習の期間も3年になる目途が立ちました。今後ともよろしくお願いします。」などと礼を言うと,被告人も,期間延長の見通しが立ったとの話をした後,「近々総選挙があり,参議院議員の私どもも何かと大変です。理事長,大変申し訳ありませんが,ご支援をお願いしたいのですが。」などと言ってきた。私は,この「ご支援」とはつまり金のことであり,総選挙のために特に金が必要とは思われなかったので,要するに,期間延長の見通しが立ったことでもあり,国会で質問するなどしたお礼をして欲しいという意味であることはすぐに分かった。他方,私としても,期間延長の見通しが立ったことで被告人に感謝しており,いずれはお礼を差し上げようと思っていたので,被告人に「分かりました。いくらぐらい必要ですか。」と尋ねたところ,被告人は,「2000万円ほどお願いしたいのですが。」と言って金額を指定してきた。私としては,それまでの被告人の働きや,今後もAやBなどに力添えをしてもらうことを考えれば妥当な金額だろうと思い,その場で,「分かりました。用意しておきます。」と言って了承した。
そして,bは,公判廷においても,上記供述は間違いない旨述べているだけでなく,cから,被告人もe議員も陣中見舞いが大変だとの話を聞き,そのような時にお手伝いをするのは,今までの恩返しと感謝の気持ちからやぶさかでなかった。何か頼んでお金を持っていくのは嫌いだったが,被告人から率直に頼まれたので,これはお手伝いしなければと思って引き受けた旨供述している。
(2) cの供述
(ア) cの捜査段階における供述
次に,cは,検察官に対して,以下のとおり供述している。すなわち,衆議院が解散された平成8年9月27日の前後ころ,被告人から,「衆議院選挙になると色々大変です。」という話を聞いた。私は,長年秘書をしていた経験から,被告人は初当選した際,多くの衆議院議員から陣中見舞いという形で資金援助を得たので,今度の総選挙では,その恩返しとして,各候補者に資金援助をする必要があり,そのための資金が不足しているという意味だとすぐに分かった。私は,被告人とは同じ秘書仲間として懇意にしていたし,被告人は国会の委員会において,技能実習制度の滞在期間を2年から3年に延長すべきだとの観点から質問もしてくれたので,そうした被告人の活動に報いるためにも,Aから被告人に資金を出してあげないといけないと思った。そこで「選挙になったらaさんも色々と物入りで大変でしょう。私から理事長に話してみましょうか。理事長も国会質問の件でaさんに感謝していましたから,おそらく相談にのってくれますよ。」と言ったところ,被告人も「宜しくお願いします。」と言っていた。そこで,bに「選挙になると,a議員は色々な議員に陣中見舞いを配らなければならないようで,そのための資金が大変なようです。こちらで出してあげたらどうでしょうか。」と話したところ,bも「aさんには技能実習制度の期間の件で質問もしてもらって,ようやく2年から3年に期間が延長される目途も立ったし,この際,お礼しないといけないな。」と言ったので,bが私の申し出を了承してくれたと理解した。その後,私なりに被告人に差し上げる金額を考えてみたが,被告人はまだ1年生議員だし,今度の選挙は被告人の選挙ではないので,普通なら500万かせいぜい1000万円程度だなと思ったが,bも言ったとおり,被告人はこちらの依頼どおり,国会で質問してくれてbも被告人に感謝しているようだったので,bの言動から受けた感触では2000万円程度なら承知するのではないかと思い,被告人に電話で連絡をして,「b理事長は,aさんのおかげで技能実習制度の期間延長の目途がたったと喜んでいましたよ。例の話は2000万円くらいなら大丈夫な感じですよ。」と言ってあげると,被告人は「ありがとうございます。」と言っていた。その後,被告人がbに会って直接2000万円の話をしたと思う。
(イ) cの公判廷における供述
しかし,cは,公判廷においては,被告人と総選挙の話をした時,口に出さなくてもお金が大変だと言うことが分かったので,その後bに「被告人に2000万円くらいお渡ししたらどうですか。」と進言した旨,このことを被告人に話したことはないと思うが,bの了解を得た段階で被告人に報告してあげたかもしれない旨,bが国会質問の件で被告人に感謝していたなどということを被告人にわざわざ言わなかったと思うが,心の中ではそう思っていたので,検察官調書に署名してしまったのかもしれない旨,bと話した時の発言内容については記憶がないが,検察官から,bはそう言っていると言われたので,それならいいかと思って署名した旨それぞれ供述している。
(3) 被告人の供述
そして,被告人は,検察官に対して,「平成8年9月27日に衆議院が解散されたころ,cが『衆議院選挙となるといろいろ大変でしょう。b理事長に聞いてみましょうか。』などと,bに,立候補者に陣中見舞いとして差し上げる資金を出してもらえるかどうか聞いてみようという意味のことを言ってくれたので『お願いできれば。』と言ったように記憶している。私がcに,パーティーなどできないので衆議院が解散になったらいろいろと大変ですなどと言ったことがあったからかもしれない。衆議院が解散された日,私は主な支援団体を回って挨拶をしたが,その中にはAのbも入っていたと思う。このとき,bに『L党をよろしくお願いします。』などと言ったと思うが,具体的にどのようなことを話したかについては思い出せない。」旨供述していたところ,公判廷においては,「cさんが,そんなにたくさんあちこち回るんであれば,陣中見舞いも大変ですね,その分をbさんにお願いしてみましょうと言ってくれて,bさんからお金を受け取る運びになった。労働委員会で質問したことの見返りという類の話は一切なかった。金額の話も一切出ていない。その後10月2日になるまで連絡はなく,その日の午前中にcから電話があって,この前お話しした件で何かbさんが考えてくれるらしいというような意味の連絡を受けた。その日の午後5時をまわったころ,Bの理事長室でbに会い,2000万円を受け取った。bは指を2本立てて『これ,政治活動に使ってください。』ということで渡してくれた。自分が,そんなにいいんですかと申し上げると,まあいいじゃないですか,選挙も近いことですし使ってください,と言ってくれた。特にそれ以上の話はなかった。」旨述べている。
(4) b,c及び被告人の上記各供述の信用性
そこで検討するに,bは,捜査段階から公判廷を通じてほぼ一貫した供述をしており,何かを頼んでお金を持っていくのは嫌いだったが,被告人本人から率直に頼まれたので,これはお手伝いしなければと思って引き受けたなどと自己の心理状況と合わせて具体的な供述をしていると言うことができる。
これに対し,cの公判廷での供述は,捜査段階での供述から変遷が大きい上,その理由を合理的に説明できていない。しかも,その多くは,捜査段階での供述と異なる内容を述べつつも,積極的にその内容を覆すまでには至っておらず,明確な記憶はないと述べたり,あるいは被告人に有利な方向に後退させる一方で,捜査段階で任意に供述したことは一貫して認めており,極めて不徹底な状況にある。このようなcの公判廷での供述態度は,同人自ら述べるように,被告人とは代議士の秘書同士として長年の付き合いがあり,特に,平成2,3年ころe議員の秘書をしていた被告人がbのもとを訪れるようになってからは,E事務総長として被告人との親交が深まり,その後被告人が参議院選挙に当選した後はAが送り出した議員であるとの強い意識を有していたこと,また,cの長男が平成12年1月から被告人の公設第二秘書を務めていたことなど,それまでのcと被告人との関係から見て,被告人の面前では被告人に不利益な供述ができないという心情に基づくものと推測できる。
次に,被告人の供述内容を見ると,平成8年10月2日にbから2000万円を受け取った経緯について,公判廷では,上述のとおり,当日午前中にcから電話があったのでbを訪問した旨供述しているが,捜査段階では,被告人の行動予定を付けていたダイアリーを確認した上で,当日の行動について述べているものの,cから電話があったとの話はしておらず,重要な事項について供述が変遷していること,また,公判廷での供述内容は,cがbに頼んでみましょうかと言ってくれたというのに,その結果を聞くこともなかったとか,この件についてbと直接話をしたこともなかったのに突然連絡を受けて2000万円を交付されたとか,その際も極めて多額の金銭を受け取っているのに「こんなにいいんですか」という程度の会話しかなかったというのは不自然で納得し難い。さらに,被告人が,2000万円という金額について,bが被告人のことを我々が出した議員だと言ってくれていたし,被告人自身も中小企業やAのために尽力していたからそれに対する感謝と期待という意味じゃないかと思ったなどというのも,その金額の多さに照らして不自然,不合理と言わざるを得ない。
以上によれば,2000万円収受の経緯についてのbの上記供述及びcの捜査段階における供述は十分信用できる反面,これに反するc及び被告人の公判廷における供述は信用できない。
ところで,bは,公判廷において,cからの進言については記憶がない旨供述しているが,他方では,被告人の陣中見舞いが大変だということはcから聞いていたと述べていること,また,cは,検察官に対し,「bがこの際,お礼をしないといけないな,と言ったので,私はbが私の申し出を了承してくれたものと理解した。」と述べるに止まっていて,cの面前でbが2000万円の交付を決定してcに伝えたとまでは述べていないことからすれば,同人がbに対し検察官に述べたような話をしたことがあったものの,bは,それを具体的な資金提供の打診とは考えておらず,その後に被告人から言われた言葉の印象が強かったことから,cからの進言については記憶がない旨述べるに至ったと考えられるのであって,この点がbの供述及びcの検察官に対する供述の信用性を減殺すると言うことはできない。
(5) まとめ
以上によれば,被告人がbから2000万円を収受するに至った経緯は,被告人がcに選挙が大変ですとの話をしたところ,同人がbに資金援助を頼んでみる旨を申し出て被告人もその依頼をし,その後cがbに話をした時に,2000万円くらいなら出してくれそうであるとの感触を得たことから,その内容を被告人に伝え,その上で,被告人は,bと会って,期間延長問題の目途がたったことについてのお礼を言われたときに自ら2000万円の資金援助を依頼したと認めるのが合理的である。
3 bが被告人に2000万円を交付した趣旨
(1) 2000万円を被告人に交付した趣旨に関するb及びcの供述内容
次に,bは,2000万円を被告人に交付した趣旨について,検察官に対し,「a先生に差し上げた現金2000万円は,私がa先生にお願いして参議院の労働委員会で,外国人の研修と技能実習の期間が2年から3年に延長されるように労働省側に質問してもらったこと,その結果,期間延長の見通しが立ったことから,そのお礼の意味で差し上げた現金である。」旨述べる一方で,公判廷において,被告人には「日頃,本当に積極的に中小企業のためにがんばってくれたと,その感謝の気持ちです。」などとも述べている。また,cも,検察官に対し「a議員は,外国人の技能実習制度の実施に関連して,b理事長からの依頼どおり,国会の委員会において,実習期間を2年から3年に延長すべきだという観点から質問もしてくれましたので,そうしたa議員の活動に報いるために,Aからa議員に資金を出してあげないといけないと思いました。」などと供述するとともに,公判廷では,被告人はAが出した議員ですから,陣中見舞いの資金が大変なときにはこれを出さなければならないと考えた旨供述している。
(2) 2000万円の交付を受けた趣旨についての被告人の供述
これに対し,被告人は,bから受け取った2000万円は,衆議院選挙の陣中見舞いに行く際の資金であると思った旨,また,日ごろから中小企業やAのために活動してきたことへの感謝や期待の趣旨も含まれており,労働委員会で質問したことに対する謝礼の意味があったとしても,それはごく一部に過ぎなかった旨供述している。
(3) 当裁判所の判断
確かに,2000万円が被告人に交付された時期が衆議院の解散直後であり,被告人が衆議院選挙に立候補予定のL党候補者への陣中見舞い等選挙応援のために相応の資金を必要とし,bらがそのような事情をも考慮していたことも否定できない。しかし,cは,bが被告人に2000万円を交付した同じ時期に,参議院議員であるe議員に5000万円を,選挙を控えた衆議院議員については,1人に1000万円を,二,三人に500万円を,数人に200万円を配った旨供述している上,bからこれらの資金繰りを指示されたAの経理担当のg常務理事(以下「g理事」という。)は,検察官に対し,「平成8年9月30日にbから被告人に渡す2000万円をAの資金から準備するよう指示を受け,翌10月1日ころ被告人に渡す2000万円を含めて1億円をAの資金から準備するように指示された。」旨供述しており,この経緯からすればbが被告人に交付した2000万円には他の議員に配った金とは異なった意味合いがあったと理解できる上,その金額も,選挙を控えた衆議院議員に配った金額を遙かに超えていることからして,選挙応援の資金としての趣旨はそれほど大きくなかったと言うことができる。
また,被告人とAとが相当親密な関係にあったことは明らかであり,Aの会合等への出席など被告人の日ごろの活動に対してbらが感謝の念を抱くことは自然であって,bが被告人に交付した2000万円に,そのような被告人の日ごろの活動に対する謝礼の趣旨が含まれていたことも否定できない。しかし,被告人が参議院議員になってからそれほど期間が経過していない時期に,しかも,格別の事情もないのに2000万円という金額を交付していることからして,日ごろの被告人の活動に対する謝礼としての意味が大きかったとは理解できない。
これに対し,bが被告人に交付した金額が2000万円と極めて多額であることに加え,労働省及び法務省の各担当者の供述をはじめとする関係各証拠によれば,被告人が平成8年4月9日に労働委員会において質問をした翌日に,外研室は,入管局に対し,技能実習制度に関する被告人の質疑に係る想定問答をファックスで送信し,期間延長問題についての検討を急ぐように促すなどした結果,同年9月20日ころの協議において,平成9年1月1日を目途として滞在期間の延長を実施する方向で詰めの作業をする合意をしたこと,そして,その内容は,外研室長がその日に同室を訪れたf理事に伝え,同人がbにその旨を報告していることからすれば,bが被告人に2000万円を交付することを決定しg理事に資金を用意するように指示した同月30日当時,既にbは期間延長問題の実現に目途がついたと考えていたと認められる。そうすると,bが被告人に交付した2000万円の主たる趣旨は,平成7年11月7日と平成8年4月9日の労働委員会において被告人がbの請託に応じて期間延長問題について質問してくれたことに対する謝礼であったと理解するのが自然である。
以上のとおり,bが被告人に交付した2000万円の趣旨の中には,被告人が衆議院選挙の立候補予定者に陣中見舞いとして渡す資金の意味合いや,被告人の日ごろの活動に対する謝礼の趣旨が含まれていたとはいえ,その主たる趣旨は,被告人がbの請託どおりに労働委員会において質問してくれたことに対する謝礼であり,被告人もそうした趣旨であることを十分に認識した上でこれを収受したと認めることができる。
第4結論
以上のとおり,関係各証拠によれば,被告人が判示第1の受託収賄の犯行に及んだ事実を優に認めることができ,弁護人の主張は採用しない。
Ⅱ 判示第2の事実について
第1判示第2の事実に関する基本的事実関係
関係各証拠によって認められる判示第2の事実に関する基本的事実関係は,概略以下のとおりである。
1 職人大学構想と財団法人Dの設立等について
bは,平成6年ころ,会社社長をしていたhらが土木,建築の現場で働く技能者,職人のための大学(以下「職人大学」ともいう。)を設立し,知識や技能を修得させ,その地位向上を目指す,いわゆる職人大学構想を持って活動していることを知り,中小企業における後継者不足の解消のためにもこの職人大学構想が有益であると考え,Bの会員の多くが関わる製造業の技能者を取り込んだ形で上記hらの活動を支援することにした。そして,bは,平成7年4月以降,hらとともに大学設立に向けて大学設置の母体となる財団法人の設立準備作業等を進め,労働省とも折衝を開始した。しかし,当時の労働省は,財団法人設立と大学設立とを切り離し,同省の所管事項である職人の育成や地位向上などを目的とする財団の設立には協力するが,大学の設立自体は文部省の所管事項であるとして消極的な姿勢であった。
そこで,bはe議員に働きかけ,平成8年1月25日,同議員が参議院本会議での代表質問において職人大学の設立問題を取り上げたところ,当時の内閣総理大臣が勉強課題として前向きに取り組む旨の答弁をしたこともあって,労働省も,職人大学設置を検討する必要性を認めるに至った。そして,同年3月7日には,bを会長理事とし,職人大学の設置を目的とするDの設立を許可したほか,同年10月には労働省職業能力開発局内に職人大学設立検討プロジェクトチームを設置して検討を加え,平成9年1月の中間取りまとめでは,当面,労働省としては大学設置への協力という立場で関与していくことが適当との方針を打ち出した。また,その間の平成8年6月,bの働きかけでe議員が中心となり,L党の議員による職人大学構想に基づくS議員連盟(以下「S議連」という。)が結成され,その会長であるe議員,世話人である被告人をはじめとするS議連のメンバーと当時の能開局長及びbらD側のメンバーによって,職人大学構想の契機となったドイツのマイスター制度の視察が実施されたほか,職人大学設立はL党の公約に掲げられるに至った。
そして,平成9年2月27日,S議連会長であるe議員が,関係省庁の担当者を集めて大学設置を検討する会議を開き,労働省に対して,同年4月までに大学設置の構想案を取りまとめ,文部省との折衝に入るように指示したことを受け,労働省は,同年3月,プロジェクトチームによる最終取りまとめを行い,職人大学の設置,運営に関して公的資金の投入を決定し,予算確保のためには,大学設立準備財団の認可を受けて平成10年度の予算要求に盛り込むことが必要であるとの方針を打ち出した。
2 職人大学設置の基本計画と平成10年7月までの同計画の推移について
労働省では,大学設置経費を総額150億円と算出し,国及び地方自治体の各補助金と経済団体等を窓口とする民間からの寄附金でそれぞれ50億円を負担し,国の補助金を支出するに当たっては,国,地方自治体及び民間が各支出項目ごとにそれぞれ3分の1ずつの同率で支出する定率補助方式とし,建設予定地は地方自治体から無償で提供を受け,大学開学までに要する運営費の総額25億円は全額民間の寄附金でまかない,平成10年度から12年度までの3か年で大学の施設や機械設備を整備して平成13年4月に開学するという基本計画(以下「大学設置基本計画」という。)を立てた。その上で,平成10年度予算において調査費や設計費,施設の一部建設費等で15億円弱が必要であるとしてその3分の1相当額について概算要求を行い,約4億7500万円の補助金が認められた。
平成9年10月ころ,埼玉県行田市が建設予定地として内定し,埼玉県側から,地方自治体の負担割合は土地代30億円を含む50億円との条件が提示されたが,Dが規模縮小に強く反対したため,上記基本計画の総額を土地代を含めた180億円とし,国,地方自治体及び民間の負担をそれぞれ60億円ずつに増額し,地方自治体の負担分には支出項目としての土地代を含むと変更された。そのため,各支出項目を同率とすることができなくなり,全体として3分の1の負担となるよう調整が図られた。
そして,平成10年2月には職人大学の建設地を行田市とする旨の正式発表が行われ,これを受けて埼玉県と行田市が補助金支出を決定し,地方自治体の負担分については目途がたった。しかし,民間負担分については,Dが中心となって寄附金募集の依頼を始めたものの,経済団体等が難色を示し,募金目標額をいくらにするかという調整すらつかない状態が続いており,労働省としても,審議官らが中心となって,Dと共に業界団体等に募金を要請したり,通産省や建設省に頼んで所管の業界団体に寄附への協力を要請してもらうなどしていたが,依然として厳しい状況が続いていた。
同年6月30日に能開局長に就任したi(以下「i局長」という。)が,同年7月中旬bに挨拶するためA理事長室を訪れたところ,同人は,今の経済情勢では民間から60億円もの寄附金を集めるのは無理であり,せいぜい10億円くらいしか集まらないだろうから,不足分の50億円は労働省で予算措置をし国で負担してもらいたい旨要請した。そのころから,bやDのj専務理事(以下「j理事」という。)は,労働省を訪れては,民間からの寄附金集めで足りない分は労働省が予算措置をして国で負担して欲しい旨の要請をしていたが,労働省としては,平成11年度予算の概算要求で増額するつもりはなく難しい旨の返事をしていた。
3 被告人の労働政務次官就任とその後の推移
被告人は平成10年7月31日労働政務次官に就任し,同年8月3日にはbが被告人にお祝いの挨拶をするため労働政務次官室を訪れた。また,同月6日には被告人に対して労働省のk官房長(以下「k官房長」という。),i局長,l審議官(以下「l審議官」という。)らが大学設置基本計画の進捗状況や寄附金集めの状況等ついて説明を行った。
翌8月7日,被告人,e議員,b,k官房長,i局長,l審議官らがDの事務所の入っているビル1階にある和食レストラン「C」で会食をし,職人大学の設立に関して意見交換を行った。
また,同月10日には,e議員がS議連会長の立場で招集した会議が開催され,被告人,b,j理事らのほか,文部省,通産省,建設省の官房長らと労働省の関係者が出席し,e議員から各省の官房長に対し,大学設置基本計画に関する要望事項が伝えられ,労働省に対しては,平成11年度の予算要求を行うことや,民間からの寄附金集めに努力することなどが指示された。労働省は,同月末に同計画に基づく平成11年度の予算要求において大学設置費用等として約23億円を要求した。
他方,財団法人X(以下「X」という。)の設立許可を受けるためには,大学建設費用とは別に大学運営経費として予定していた25億円を確保する必要があったことから,その寄附予約書を取り付けるために,同年10月8日,被告人,k官房長,l審議官がA理事長室にbを訪ね,寄附予約書の提出を要請した。
ところで,当初同年12月を予定していたXの設立許可申請を行うためには寄附金額を特定する必要があったものの,寄附金集めは依然として難航しており,また,上述したとおり大学設置基本計画では,定率補助方式をとっていたため,国の補助金は実際に収納された民間の寄附金と同額までしか支出できなかったことから,民間からの寄附金が計画どおり集まらないときは国の補助金も支出できなくなってしまい,平成11年度の補助金の予算執行に支障をきたすとともに,大学設置基本計画そのものが頓挫してしまうおそれがあった。しかし,同計画は,L党の公約として掲げられ,S議連に所属する有力なL党議員が職人大学設立のために動いている状況にあった上,労働省としても,国の施策として推進し,既に予算を獲得していたことから,同計画を頓挫させてしまうことはできないとの認識を有していた。そこで,労働省は,平成10年10月に入ってから,平成13年4月に予定どおり職人大学を開学するための方策を検討し,最終的には民間からの寄附金の集まり具合とは無関係に国が60億円の補助金を先行支出し,埼玉県からの補助金30億円との合計90億円で大学設立にこぎつけるという案が浮上し,大蔵省にその旨説明するとともに,Xの設立許可の可否について文部省と折衝した。その結果,同省は大学建設費用が100億円ならば許可する方向であるとの感触を得たことから,労働省としては,当初は国と地方自治体の補助金のほか,民間からの寄附金10億円を加えた100億円規模で開学するという計画に変更することとした(以下「大学設置改定案」という。)。しかし,この改定案においてもなお,民間において,開学後の平成13年度から15年度までの間に50億円を負担することが予定されており,合計60億円を民間で負担するという基本計画に変更はなかった。これを踏まえて,労働省は,平成10年12月1日,大蔵省に対して平成11年度予算として総額約19億円の要求書を改めて提出したが,寄附金集めの目途がたたなかったことから着工が翌年度にずれ込んだ工事等もあって,結局,大蔵省からは,翌年度に残額を認めるとの内諾の下で約12億3000万円が認められたに止まった。これによって,国が大学設置改定案に基づいて支出する補助金は,定率補助方式から,民間の寄附金の額とは無関係に支出する定額補助方式に変更されることが確定したが,国が負担すべき総額60億円自体に変更はなかった。
国の予算が確保されたことを受けて,Dは,平成11年1月にXの設立許可申請をし,同年2月17日文部大臣から設立許可を受け,翌3月には9億5000万円について税制上の優遇措置の対象となる指定寄附金の通知を受けたが,大学設置の本申請前,すなわち,平成13年4月開学を目標とする職人大学の場合は平成11年9月30日までにそれを収納しなければならないこととされていた。
ところが,このような状況のもとにおいてもなお,民間の寄附金が集まらなかったことから,bは,不足分を国が負担すべきであると繰り返し主張し,自らも幾度となく労働省の関係者に補助金増額を要請していた。他方,同年3月ころになると,職人大学総長候補のm(以下「m総長候補」という。)と学長候補のn(以下「n学長候補」という。)も,大学設置改定案でとりあえず大学を開学するというのでは設備も十分に整わないなどの理由からその構想に不満を述べ,同月末ころには,m総長候補が労働省に赴いて国で予算措置を取るよう強く求めてきた。
4 平成12年度予算要求における補助金増額と開学に至るまでの経緯
労働省は,平成12年度予算の概算要求の作成作業が始まった平成11年6月の時点では,補助金増額は難しいと考え,労働省として取りうる方策を検討した際にも,民間,国,地方自治体で設立する大学である旨対外的に公約した内容を見直さない限り,民間からの寄附金の不足を理由に国が肩代わりする予算措置を取ることは不可能であるとの考えから,補助金増額以外の方法による予算措置を検討していた。そのような状況の中で同月28日に開催された大学設立に関する懇談会において,m総長候補が予算縮小に強い不満を表明し,bも補助金増額を要求した。また,同年7月に入ると,労働省職業能力開発局技能振興課課長がn学長候補と何度か接触してその意向を確認した上,D側とも連絡をとりつつ,どの程度の施設や設備を追加できるか,また,労働省としてどの様な予算措置を取ることができるのかについて再び検討を始めたものの,補助金増額以外の方法で予算措置を取ることは手続や運用の面で問題があり,また,効果の面でも多くを期待できず,m総長候補やbが納得するような設備の追加は難しいとの結論に達した。また,その時点における寄附金の募集状況は,寄附予約書上は3億1008万円であったが,実際に集まった寄附金は4027万円余りにすぎず,指定寄附金の収納期限までに集まる可能性のある寄附金は二,三億円にすぎないことがほぼ確実になっており,大学設置改定案で予定されていた開学後の寄附金集めの見通しも非常に厳しい状況にあった。そこで,労働省は,60億円を越える予算要求を検討することにし,環境対策費として5億円の補助金増額を決定し,同年8月末に大蔵省に提出した概算要求書において,当初予定されていた60億円からそれまでに執行した金額を控除した45億円強に5億円を上乗せして約50億円を要求した。
しかし,bは5億円の増額では納得せず,更に50億円もの増額を関係者に要請していたが,労働省としては静観していた。ところが,同年11月20日に行われたS議連の朝食会においてL党有力議員から補助金増額を強く求められ,同議員が退席した後,被告人,e議員,bらが労働省側と交渉した結果,労働省としても予算措置を取ることにした。そして,大蔵省にも,上記L党有力議員から連絡が入ったことから,同省から労働省に対して,とりあえず予算要求をするようにとの話があり,労働省としては20億5000万円の補助金を追加で予算要求し,その旨をe議員と被告人に報告した。
以上のような経過で,最終的には,同年12月25日,職人大学関連予算として当初予定していた約45億8000万円に約5億円を,さらに約20億5000万円を加えた全額が大蔵省によって承認され,3年間で総額約85億円の補助金を支出した職人大学(名称は「ものつくり大学」)が平成13年4月に開校した。
第2各請託の有無
1 検察官及び弁護人の主張の要約
検察官は,後述するbの供述に沿って,①平成10年8月3日の労働政務次官室での会談,②同月7日の「C」での会談,③同年10月8日のA理事長室での会談,④同年12月24日のA理事長室での会談,⑤平成11年1月5日のA理事長室での会談,⑥同月25日のFでの会談,⑦同月27日のA理事長室での会談,⑧同年3月2日のA理事長室での会談を挙げ,いずれもbがこれらの会談において被告人に対し,職人大学の設置等に必要な資金を確保するため国の補助金を増額すべく大蔵省に予算要求するなどの措置を取って欲しいと要請し,被告人がこれを了承したと主張する。これに対し,弁護人は,②平成10年8月7日の「C」での会談及び③同年10月8日のA理事長室での会談を除いては,検察官主張のいずれの会談においても,被告人はbから補助金増額に関する要請を受けたことはなく,また,上記②及び③の会談の際bは補助金を増額して欲しいとの願望を示していたものの,被告人がそれを了承したことはない旨主張する。そこで,検察官が主張する個々の会談における請託の有無等について順次検討する。
2 平成10年8月3日の労働政務次官室での会談(① 検察官及び弁護人の主張の要約の項での番号に対応。以下同じ。)
(1) 既に述べたように,被告人は平成10年7月31日に労働政務次官に就任したが,その当時の大学設置基本計画の進捗状況は,経済情勢の影響等から,民間から募集する予定の60億円の寄附金を集めることが極めて困難な状況にあった。そして,bは,同年8月3日労働政務次官室に被告人を訪問した時の状況等について次のとおり供述している。すなわち,当時は不況で寄附金が集まらず,大誤算だったが,民間の寄附金が集まってから大学の設置を考えるというのでは,公表された平成13年4月開校に間に合わなくなってしまうことから,j理事に指示して国の補助金を増額する内容の方針案をまとめさせようとしていたところ,平成10年7月末に被告人が労働政務次官に就任し,非常にタイミングが良いと本当にうれしく思い,自分は何と運がいいのだろうと思った。これから被告人が,労働省内部において政務次官という立場から,補助金についても部下にあたる労働省の職員を指示,指導してくれるものと思った。そして,被告人が政務次官に就任して間もない同年8月3日,労働政務次官室に被告人を訪ねて就任のお祝いを述べ,「ご承知のとおり,国際技能工芸大学は,民間の寄附金が集まらず,資金的に大変厳しい状況にあります。是非,先生のお力で,労働省をひっぱり,国の補助金をできる限り確保していただけるよう,よろしくお願いします。」と言って,職人大学設立に係る国の補助金の増額に尽力して欲しいと依頼した。被告人はそれに対し,「ありがとうございます。理事長のご支援のおかげで,私もここまでやって参りました。良い大学ができるように,私にできる限りのことはさせていただくつもりです。」と言い,職人大学設立のための補助金増額にできる限りのことをすると言ってくれた。
(2) この点に関してj理事は,検察官に対し,「bと自分が2人でi局長らを訪問したその日の夜に,被告人が労働政務次官に就任する旨聞いたように思う。bは,平成10年7月30日から8月3日ころにかけて,何度となく私に『労働省の事務方は,従来の枠組みにとらわれていて,腰が重い。ちょうど良いところでa先生が政務次官になってくれた。これからは,労働省の事務方に大学設立に本腰をいれてもらうために,a先生に政務次官として力になってもらおう。』『さっそくa先生に予算の増額をお願いしようと思う。』などと言っていた。ダイアリーによれば,8月3日正午にbが労働省の被告人を訪問する日程が入っており,その日に,被告人の政務次官就任の挨拶に行ったのだと思う。bは,挨拶をしてきた後,『今日は挨拶だけで,ゆっくりと話ができなかった。日を改めてa先生が時間をかけて話を聞いてくれることになったので,急いで資料を作成して届けてくれ。』と言って私に指示してきたので,建設費の3分の2を国が負担すること等を記載した資料を作って,bに届けた。」と供述している。
(3) ところで,j理事は,労働省を退職した後供述時までD専務理事という立場にあった者であるが,被告人との折衝は主にcが担当していたため被告人と直接に接する機会は極めて少なかったこと,また,j理事は,判示第2の事実について参考人として事情聴取を受け任意に供述していたもので,bが被告人に請託した事実があったと供述することによって利益を受けることは一切なかっただけでなく,検察官に迎合する必要も全く認められないことからすれば,j理事が,自己の利益を図り,あるいは被告人を罪に陥れるため,殊更に虚偽の供述をする可能性は乏しいと言える。その上,j理事の供述内容は,極めて具体的かつ詳細であるだけでなく,同人の作成した資料,労働省から送られてきた資料,あるいはbのダイアリーなど多くの客観的証拠によって裏付けられている上,労働省の関係者の供述に基づいて認定した第1の基本的事実関係における当時の状況にも合致していることからして,その供述の信用性は極めて高いと考えられる。そして,j理事の上記供述によれば,bは,被告人の労働政務次官就任を知ったとき,これを喜び,職人大学設置のための予算の増額について被告人に力になってもらおうと述べていただけでなく,被告人の労働政務次官就任のお祝いに挨拶に赴いた際,ゆっくり話ができず,今度時間をかけて話を聞いてもらうことになった旨話していたというのであるから,その供述内容は,平成10年8月3日に被告人を労働政務次官室に訪問した際に職人大学に関する補助金の増額を要請し了承してもらった旨述べるbの上記供述を裏付けていると言うことができる。
また,この点に関しては,i局長も,検察官に対し,「a政務次官が就任して間もないころ,何かの用事で政務次官室に事務説明に行った時に,a政務次官から,『民間の寄附集めは難しいようですね。b理事長は民間からの寄附が集まらない分は国が全額負担してほしいと私たちにも言ってきている。労働省としても,どういう方法がとれるか検討してみてください。』という意味のことを言われた。」旨供述していて,その内容も被告人が労働政務次官就任当時bから補助金増額の請託を受け,その趣旨に沿った言動に出ていたことを示すもので,bの上記供述を一定程度裏付けていると言える。
このように,bの上記供述は,Dのj理事やi局長の供述によって一定程度裏付けられていること,また,平成10年7月から8月当時職人大学設立のための民間の寄附金がなかなか集まらず極めて厳しい状況にあったこと,それでもb自身は平成13年4月には予定どおり職人大学の開学にこぎつけたいとの強い意欲を持っていたこと等,当時の客観的な情勢に即したものである上,公判廷での弁護人からの厳しい反対尋問にも動揺していないこと,さらに,判示第1の事実に関連して既に述べたようにbの供述は一般的には信用性が高いと評価できることをも併せ考えると,その信用性は極めて高いと言える。
(4) これに対し,弁護人は,bが被告人を労働政務次官室に訪問した時は請託を行うだけの時間的余裕が存在しなかった旨主張し,被告人は,公判廷において,「一,二分,立ち話で,おめでとう,ありがとうございます,という程度でそれ以上特に交わした会話はなく,bはそそくさと大臣室に入って行った。」旨供述する。しかし,bは,このときの状況について,上記のとおり,「今日は挨拶だけで,ゆっくりと話ができなかった。」としつつも,「ほかの来客が多いですから,長居しておられませんので,せいぜい五,六分か七,八分じゃないでしょうか。」「おめでとうございますと。労働省の政務次官だということは,正直言って,私どもとしては願ったりかなったりということで,そういう意味で,心からお祝い申し上げた。もちろん,期間延長問題から大学問題,労働省で補助金増額してもらいたいということを言った。それだけのことだから,難しいことではない。」とも述べおり,その内容はj理事の上記供述から推測される状況にも符合していることに加え,このときの会談がいくら短時間であったにしても,bが供述する程度の時間的な余裕すらなかったというのはいかにも不自然であって,被告人の上記供述は信用し難いと言うほかなく,弁護人の主張は採用できない。
(5) 以上によれば,bは,平成10年8月3日労働政務次官室に被告人を訪ねた際,被告人に対して,職人大学設立のための補助金増額に尽力してほしい旨要請し,被告人もできる限りの努力をする旨述べてこれを了承した事実を認めることができる。
3 平成10年8月7日の「C」での会談(②)
(1) bは,平成10年8月7日にDの事務所が入っていたビルの1階にある和風レストラン「C」において,被告人,e議員,k官房長,i局長,l審議官らと会食した時の状況について,検察官に対し,次のとおり供述している。すなわち,この会食の席で民間からの寄附金の集まり状況を説明し,その不足分は,労働省予算の補助金でまかなって欲しいとお願いしたところ,i局長らは,「これまで,民間,地方公共団体,国が3分の1ずつという前提で大蔵省とも折衝してきました。つまり,民間の寄附金が10億円なら,国の補助金も10億円ということです。その原則を崩して,民間が足りないから,その分国が出すというのは難しいですね。」などと言ったので,私は,「そんなことじゃあ話になりません。その3分の1ずつという原則は,絶対に崩していただかないと困ります。」と言って強く要請し,e議員や被告人にも,その場で口添えをお願いしたところ,e議員は,i局長らに,「何とかならないのか。」と言ってくれ,被告人も「何とか良い知恵を絞ってください。」というような意味のことを言ってくれた。結局最後は,k官房長が,「まずは寄附金集めを努力し,その上で足りない部分を国の予算でまかなうことも考えていくことにしましょう。」などと言って,その場の話し合いは終わった。
(2) この点に関し,この会食に同席したj理事は,検察官に対し,「『C』の席で,bは,『民間からの寄附金は10億円程度しか集まらないようであり,埼玉県もがんばってくれているが,これ以上は期待できない。しかし,大学をやめるわけにはいかない。国で予算措置してほしい。規模縮小は禍根を残すことになる。従来,国は60億という計画だったが,建設費について3分の2の120億と準備経費10億程度出して立派な大学を立ち上げて欲しい。70億の増額をお願いしたい。』などと言い,その場にいたe議員と被告人にも,『e先生,a先生も力添えをお願いします。』などとお願いしていた。これに対し,確かi局長が,『従来の枠組みは崩せません。』などと言って,予算の増額措置は困難である旨説明したが,bは,『だめだ,だめだと言っていないで,従来の枠組みを崩して予算措置をする方法を考えて欲しい。』などと繰り返し言い,両者の議論は平行線のままだった。そこで,e議員や被告人も労働省側に,『何とかならないのか。』などと言ったので,確かk官房長が,『それじゃあ,寄附金集めをできるだけやって,それでも寄附が集まらなければ,そのときは予算の増額も含めて改めて検討しましょう。』と言った。」旨供述し,個々の発言の文言は異なるものの,「C」での会食の会話の流れとその趣旨については,bの上記供述に完全に沿う内容となっていて,これを裏付けている。
なお,この会食に出席したi局長は,検察官に対して,b及びj理事の上記各供述をほぼ裏付ける供述をしているものの,k官房長及びl審議官は,検察官に対し,e議員と被告人が労働省側に対して「何とかならないのか。」などと発言したことについては述べていない。その上,l審議官は公判廷においてこの会食の時のやり取りはj理事が作成したメモに基づいて記憶を喚起し供述した旨述べていることからすれば,同メモにはその旨の記載がなかったと推認される。しかし,j理事は,Dの担当者として,労働省側の意向を記録しておくことに主眼を置いてメモを作成していたと考えられる上,k官房長やl審議官も,e議員と被告人の上記発言がなかったとまでは供述していない。また,この時の会談では,bの主張と労働省側の主張が対立し,最後にk官房長の上記発言でその場が収まった状況にあったことからすれば,e議員や被告人の発言は,直ちに労働省側にその意見の変更を求めたものではなかった上,あくまでもbの発言に口添えしたものであったことからすれば,それがk官房長やl審議官の記憶に残らなかったとしても不自然,不合理とは言えないから,k官房長及びl審議官の検察官調書中にe議員と被告人の発言に関する記載がなかったからといって,そのことが,j理事やbの上記各供述の信用性を減殺すると言うことはできない。
以上のとおり,「C」での会食の際に,労働省側に対し職人大学設立のために補助金の増額を要請し,被告人にも口添えを頼んで請託をした旨供述するbの上記供述は,高い信用性を認めることができるj理事の供述だけでなく,この会食に参加したk官房長,i局長及びl審議官の各供述によっても裏付けられており,十分信用することができると言える。
(3) その上,i局長は,検察官に対して,「職人大学設立事業について被告人と話をする機会がよくあり,この8月7日にb会長から国の補助金増額の要請が出た当日かあるいは後日に,a政務次官から,『まずは寄附集めをして,その上でどうしても寄附が集まらない場合には労働省としてはどんな予算措置ができるか検討しておいてください。』という意味のことを言われたと記憶している。」旨述べている。そして,このような被告人の言動は,被告人が「C」において補助金の増額を求めていたbの要請を了承し,その意向に沿って行動していたことを十分に窺わせるものと言える。
(4) この点,弁護人は,労働政務次官になってわずか1週間が経過しただけの被告人がbの要請を直ちに請け負うことなど考えられない旨主張し,被告人も,公判廷において,政務次官になって1週間目なので補助金増額など言える立場にもなかったし,労働省の役人に対して,いい知恵はないかねと言ったかもしれないが,それは民間の寄附金を上積みするためのいい知恵ということで,補助金増額のことではない旨供述する。しかし,被告人は,労働政務次官就任以前からS議連の世話人として職人大学設置の問題に関わってきていて,それまでの事情は十分理解していたと考えられる上,i局長は,「C」での会食の後,被告人から労働省においてもどんな方法がとり得るかよく考えて欲しいとの指示を受けた旨供述しているのであって,被告人が述べるほど,労働省幹部に遠慮していたとは認められない。また,「C」における会食に参加した関係者は,いずれもbが当初から補助金の増額を要請してきたと供述しているのであって,そのような話題の下で,被告人が,bが要請してもいない寄附金を上積みする知恵がないかと述べたとするのは,いかにも不自然であると言わざるを得ない。したがって,被告人の上記供述は信用できず,弁護人の主張も採用できない。
(5) 以上によれば,平成10年8月7日の「C」における会食の席上,古関は被告人に対し,補助金の支出方法としてのいわゆる定率補助方式を変更して補助金を増額することを要請し,これを受けて被告人も,労働省側に何とか良い知恵を絞ってくださいとの発言をして,bの要請を了承したと認めることができる。
4 平成10年10月8日のA理事長室での会談(③)
(1) 次に,bは,平成10年10月8日に被告人,k官房長及びl審議官が,A理事長室に,Xの大学運営経費の寄附予約書の取付けのために訪ねて来た時の状況について,検察官に対し,次のとおり供述している。すなわち,当時,民間の寄附金が集まらないため,同年秋ころには行う予定だったXの設立申請が遅れており,このままでは平成13年4月開校が危ないことから,財源の確保は急務であり,そのためには,民間の寄附金の額と同率の補助金のみを支出するという労働省の方針そのものを変えさせた上,労働省から大蔵省に対して,少なくとも60億円は,民間の寄附金の額にかかわらず先行して支出することを認めさせる必要があった。そこで,平成10年10月8日,被告人,k官房長,l審議官がA理事長室を訪問して,被告人から「労働省としても国の補助金を増額すべく知恵を絞っておりますが,今日は,Aからの寄附金の確認に参りました。」と言われたときに,「それは了解しています。しかし,それは運営費ですから,そのように運営できるために,国の補助金の方をはっきりさせて欲しいのです。建設費への民間の寄附金額にかかわらず,まず60億円は確実に支出し,さらに,補助金を増額してもらいたい。」旨言って,60億円の先行支出と更なる増額を依頼した。すると,被告人は,「もちろん,民間の寄附金が不足しているから大学ができないということにならないように,必要な予算措置を講じたいと思っています。なかなか難しい問題ですが,これからも労働省でも方策を練り,何としても13年4月の開校を実現できるようにしたいと思います。」と言ってくれた。
続けて,k官房長らに「官房長も大変だと思いますが,何とかがんばってください。」と言って指示していた。すると,k官房長かl審議官が「これまでの民間の寄附金額と同率というのではなく,寄附金の額にかかわりなく60億円を支出するというやり方で予算要求するつもりです。」と言ってくれた。
(2) この点に関して,この会談に同席したj理事は,検察官に対し,次のとおり供述している。すなわち,平成10年10月6日に労働省からD宛てに大学運営費25億円についての寄附予約書が必要であるとのファックスが届いたので,翌7日にbを訪ねて打合せをした。同人は,「25億円については考えてみるが,大学の建設費については国が予算措置で手当てしてくれないといけない。a先生が来たときには,その点ははっきりお願いする。」と述べていた。そして,翌8日に,被告人,k官房長及びl審議官がA本部に来て自分とbが対応し,「寄附の確認に来た。」と述べた被告人に対し,bは,「寄附の点については考えてみるが,立派な大学ができるのでなければ,運営費を出す意味がない。大学の建設費については,3分の1の割合方式にこだわらず,まず60億円を確実に予算として確保し,それに加えて,建設費についてはもっと予算を増額するよう努力して欲しい。民間からの寄附で足りない分は,国のほうで必要な予算措置をするように,a先生の方でもがんばって欲しい。」旨述べた。これに対して被告人は,「今はまず,Xの申請をして,立ち上げていくことが重要であり,民間の寄附が集まらないという理由で,Xの申請ができないということにならないように,必要な予算を確保できるように事務方にも工夫してもらいます。民間資金が不足する分については,今後,労働省のほうで知恵を出して,間違いなく平成13年4月には開校できるようにしてもらいます。」などと言い,k官房長に,「その点はきちんとやるように。」などと言っていた。これに対してk官房長は,「今,労働省でもその点を検討している。」と言い,k官房長かl審議官が,「さしあたり,従来の3分の1の割合に基づき,民間の寄附金の金額に応じて予算要求するのではなく,まず,必要な施設を国が建てるため,金額を定めた定額方式で大蔵省に予算請求しようと思っている。」などと応えていた。
このようにbの上記供述は,高い信用性が認められるj理事の供述によって,より具体的かつ詳細に裏付けられている上,この日の会談に立ち会ったk官房長及びl審議官の検察官に対する供述によっても裏付けられおり,十分信用することができる。
(3) さらに,k官房長は,検察官に対して,「A理事長室からの帰りの車中において,被告人から『予定どおり開学できるように色々と知恵を出して努力してみてください。』と言われた。」旨述べており,また,i局長も,検察官に対し,「このころ被告人は私の顔を見ると『難しいかもしれないが,このままだと予定どおり大学を開学することは難しいので,国の予算の関係でもいろいろと知恵を出して検討して欲しい。』と言っていた。」旨述べており,被告人のこれらの言動は,bの上記請託の趣旨に沿ったものと理解することができる。
(4) 弁護人は,l審議官の検察官調書中には,この会談の際に被告人が補助金増額の要請を受けたとする記載はなく,そのことは被告人がbから請託を受けていないことを示している旨主張するが,l審議官は,検察官に対し,「bが民間からの寄附金の不足分は大学の補助金を増額するなどして国が負担するように要請してきたのに対し,被告人は,『大学を予定通り立ち上げるために,労働省の事務方としても色々と検討しています。』と言い,これを受けてk官房長か私が『従来の3分の1の割合で国が負担する方法ではなく,必要な施設の建設費は国が先行して全額負担する定額方式にする方向で大蔵省と交渉したいと考えています。』という発言をした。」旨供述しているのであって,その供述内容は,bから被告人に対して正に要請が行われたことを示していると理解でき,弁護人の主張は採用できない。
また,被告人は,公判廷において,平成10年10月8日の訪問に際しては,k官房長とl審議官に「今日は寄附予約書をいただくことが目的です。それだけですよ。」と話していたから補助金増額についての話をするはずはない旨,国が支出するのは60億円と決まっていて,それ以上は出せないと思っていた旨,いわゆる補助金の支出が定率補助方式で民間の寄附金に応じた金額を国が出すということは聞いたことがない旨述べるが,bをはじめ,この日A理事長室に在室していた関係者らは,その場で被告人が「必要な予算を確保できるように事務方にも工夫してもらう。労働省のほうで知恵を出してもらう。」旨の発言をしたと述べ,また,k官房長かl審議官が,補助金の支出方法を定率補助方式から定額補助方式に変更する旨述べたと供述している。しかも,上述したとおり,大学設置基本計画での補助金の支出方法がいわゆる定率補助方式でなされると決まっていたことは明らかであり,それは関係者の共通の認識であったと言えるから,補助金増額の話が出なかったとか,定率補助方式という補助金の支出方法を知らなかったと述べる被告人の上記供述は到底信用できないと言うほかない。
(5) 以上のとおり,平成10年10月8日に被告人が,k官房長及びl審議官とともにA理事長室を訪れ,大学運営経費25億円の寄附の確認を求めた際,bは,60億円の先行支出と更なる増額を要請し,被告人も,寄附金不足を理由に職人大学が開学できないということがないよう予算措置を講じたいと思っており,労働省でも方策を検討して平成13年4月の開学を実現できるようにしたい旨述べてbの上記要請を了承した事実を認めることができる。
5 平成10年12月初旬から平成11年3月ころまでの会談(④ないし⑧)
(1) その後の状況について,bは,検察官に対して,次のとおり供述している。すなわち,平成10年12月2日,被告人がA理事長室に来て,60億円の先行支出を行うということで大蔵省の内諾が得られたが,平成11年度予算については,工事の着工の遅れから当初予定の23億円を減額して12億円の予算要求をすると教えてくれた。私としては,とりあえず60億円だけは確保できたとわかり,お礼を言ったが,国の補助金が60億円どまりだと予定どおりの大学設立は難しいことから,さらに「民間からの寄附金が50億円不足しているので,少なくとも30億円やそこらの補助金増額が必要である。」旨更なる補助金の増額を依頼した。被告人は,「ようやく60億円を大蔵に承諾させたばかりですよ。そう簡単にはいかないのですよ。」などと言っていたが,「あとは国の補助金に頼るしかありませんから,何とぞお願いします。」と重ねて依頼したところ,被告人は「できる限りの努力はいたします。」と言ってくれた。同月24日,被告人がA理事長室に来て,大蔵省の内示が出て平成11年度予算の約12億円が要求どおり認められたこと,それは平成12年度までに60億円を先行支出することを前提としたものであることを教えてくれた。しかし,それ以上の補助金が必要だったので,「12年度予算で,もっと補助金を増額できませんかね。」と言ったところ,被告人は「それは厳しいかもしれませんよ。」などと言っていたが,「何とかお願いします。」と言って頼んだ(④)。
翌25日には,S議連の朝食会が開催され,e議員や被告人,i局長らのほか,私とj理事,cが出席した。この席でも,私は補助金の増額を要請する発言をしたところ,やっと60億円の先行支出を認めさせたばかりで,更に増額は無理ではないかという意見も出たように思うが,結局,Xを立ち上げることが先決で,それから国としてできることを考えるということになり,被告人やi局長らも,今後補助金の更なる増額について具体的に検討すると言ってくれた。
年が明けて,平成11年1月5日のAの仕事始めの初出式と懇親会との間に,被告人が新年の挨拶に来てくれたので,理事長室で会って挨拶をし,被告人に,ここまでこられたのも被告人のおかげである旨お礼を言うとともに,「今年こそ,大学にとっては正念場です。国の更なる補助が是非とも必要ですので,何とぞよろしくお願いします。」と補助金増額に対する被告人の尽力を依頼したところ,被告人は「できる限りのことはします。」と言ってくれた(⑤)。
また,同月25日,Xの設立許可申請をするため文部省に行ったが,その内容は,当初の計画から規模を縮小し,開学後に民間の寄附を50億円集めることになっていた。しかし,それも不可能でやはり国の補助金を増額してもらうしかなかった。折しもこの日,被告人がFで政治資金パーティーを開いており,EのcやMの職員を手伝いに行かせたり,Mの会員をパーティーに参加させていた。私はそのパーティーに来賓として出席し,立食パーティーの合間に,私から「今日,ようやくXの申請を行いました。これも先生のおかげです。来月には許可が下りるでしょうから,補助金の増額をよろしくお願いします。」と言ってお願いしたところ,被告人は「努力はいたします。」と言ってくれた(⑥)。
同月27日,上記パーティーの挨拶に来た被告人とA理事長室で会い,お礼を述べる被告人に対し,ご祝儀も含めたパーティー券代を渡した。そして,「ようやくXの許可申請もできて,来月には許可が出るでしょう。そうなれば,あとは資金の問題だけです。民間の寄附が思いのほか少なかったのは,私も見込み違いでしたが,この景気ではやむを得ないと思うのです。ですから,もう国に頼るほかありません。」と言って,補助金の増額を被告人にお願いしたところ,被告人は「なかなか簡単ではありませんが,何より予定どおりに大学を設立することが大切ですから,できる限りのことはします。」と言ってくれた(⑦)。
その後,同年2月17日にXの設立許可がおり,開学前の工事について一応の目途が立ったが,X設立に際して提出した約10億円の寄附予約書は,AがDや大学の運営費に充てようと思っていた助成金の一部を寄附予約として差し入れたにすぎず,また,開学後に予定していた民間からの寄附金が集まらないことは火を見るより明らかで,何としても国の補助金を増額してもらわなければならなかった。そこで,同年3月2日にA理事長室を訪れた被告人に,「ようやく大学設立Xの許可も下りました。しかし,第1期分の民間寄附もなかなか集まらない状況です。第1期分の10億円の寄附さえこの状態ですから,その上,第2期工事の資金50億円を民間からの寄附というのは無理です。何度も申し上げますが,国の補助金以外に資金手当は無理ですので,何とか補助金の増額をお願いします。」と依頼した。これに対し,被告人は「一挙に何十億円も増額するのは難しいですね。しかし,良い大学を作るのが大切ですから,精一杯の努力はいたします。」と言ってくれた(⑧)。
(2) そして,この間の経緯について,j理事は,検察官に対し,次のように供述している。すなわち,平成10年11月中旬ころ,労働省からこれ以上の増額は無理であるとの連絡を受け,これをbに報告したところ,bは,「建設費について,労働省の事務方が動けないのなら,今後は,a先生にお願いするのはもちろんのこと,e先生を始め,議連の先生方にフルに力をだしてもらい政治圧力を強める。」などと言っていた。また,このころ,「開学後に民間から寄附金が集まる見込みは全くない。開学時になるべく立派な施設をもって開学しないと,学生も集まらない。Xを立ち上げるにあたって100億円規模で申請するのはやむを得ないとしても,2期工事分の校舎建設費の20ないし30億については,平成11年の概算要求で予算措置をつけてもらえるよう,a先生に要請しよう。そのための資料を作成してくれ。」などと指示された。そこで,資料を作成してbに見せたところ,私が被告人にこの要請文を渡してお願いするよう指示されたので,面会申込書控にあるとおり,同月19日に参議院議員会館の被告人の事務所を訪ね,「b会長も先日お願いされましたが,国の方で,必要な追加措置をしてもらえることが何らかの形ではっきりしないと,設立発起人が組織できず,寄附予約書もお願いしにくいので何とかお願いします。」などと言ってお願いした。被告人は,「平成11年度予算について局長や課長が定額方式にするのに苦労してくれているので,それに加えて更に予算を増額するのはなかなか難しいと思うけど,事務方にももう一度よく相談してみよう。」などと言ってくれたと記憶している。このときのメモが議員会館の被告人の部屋から押収され,労働省からも発見されたというが,私が労働省の方に渡した記憶はないので,被告人が渡してくれたのではないかと思う。同月下旬ころには,経済団体側から,各団体に割り当てる方式で寄附金を集めることには協力できない旨の連絡があった。同年12月下旬ころには,平成11年度予算について大蔵省の内示が行われ,60億円という定額補助方式による支出で平成11年度分として12億円余りの予算が認められた。政府予算案が固まった後の同月25日の午前8時からJでS議連の朝食会が行われ,e議員,被告人,i局長,b,c,私らが出席した。その席で,bは,「平成11年の予算は決定したが,平成12年概算要求の段階で何とか予算を増額できませんか。」などと相変わらず要請していたが,その場では,まずXを立ち上げることが先決で,それから国としてできることを考えようという意見に落ち着いた。もっとも,bがなかなか納得しないので,e議員が官房長を集めれば何か知恵がでるのではないかということを言い,被告人ら労働省側も,平成12年度の概算要求について検討を始める平成11年の夏ころから,どのような手だてが可能か検討してみるなどと言っていた。平成11年度予算の政府案が成立し,60億の支出が確実となったので,平成11年1月にXの設立許可申請を行い,同財団発起人会が開催された。しかし,当時の状況としては,集まった寄附金は5億円にも満たないという有様であったため,bは大変な危機意識をもっており,被告人に会うたびに国の補助金増額措置を要請していたようで,私にも,「a先生に予算の増額を引き続きお願いしているところだ。」と何度となく言っており,議事録にあるとおり,A幹部合同会議の席においても,「当初,大学設置費用を国,地方自治体,経済界の3者で3分の1ずつ負担する予定だったが,この不況の影響で経済界の支出がかなり厳しい状況になっている。国の予算を増額してもらうよう働き掛けている。」などと発言していた。結局,設立許可申請にあたって集められた現実の寄附予約金は2億2176万円にすぎず,寄附金が募集しやすくなるのではないかと期待していた指定寄附金の告示を受けた後も一向に集まる気配がなく,平成11年9月下旬に予定されていた文部省に対する大学設立許可の本申請の時までに,実際に寄附予約があった約2億円に上乗せしてさらに寄附を集めることはおよそ不可能であることがはっきりしてきた。そのため,平成11年3月に入っても,bは被告人に会うたびに国の補助金増額をしきりに要請していたようで,私にも,「a先生に何としても平成12年度予算で国の予算増額措置をとるようにお願いしている。」などとしきりに言っていた。
以上のj理事の供述は,保存されていた客観的な資料の作成経緯やその内容等を踏まえた具体的かつ詳細な内容のものであって,これによれば,平成10年10月以降,大学設置改定案では開学後に民間から50億円の寄附を集めることが予定されていたものの,開学前に必要な民間からの寄附金10億円を確保する見通しすら立たず,大学の施設を十分に整備できるのかさえはっきりしないという状況にあって,職人大学の設立に非常に強い意欲を持っていたbが,それまでにないほどの危機意識を持ち,国の補助金増額に向けて様々な機会を捉えて各方面への働きかけを続けていた様子を窺うことができるだけでなく,労働政務次官である被告人に対しても,その政治的な立場や力を頼って更なる補助金の増額を実現しようとしていた状況を十分窺わせるものであって,平成10年12月初旬から平成11年3月ころにかけて,折に触れて被告人に補助金の増額を強く要請していた旨述べるbの上記供述を裏付けている。
(3) これに対して,弁護人は,平成10年12月24日から平成11年3月2日までの間に,検察官が主張するような機会に5回にわたって,被告人がbから補助金増額の要請を受けたことも,被告人がこれを了承したこともない旨主張し,被告人も当公判廷においてこれに沿う供述をしているので,以下,順次検討する。
まず,被告人は,平成10年12月24日ころにbをA理事長室を訪問しているとすれば年末の挨拶に行ったに過ぎない旨供述し,弁護人は,平成11年度の政府予算案が決定された直後に平成12年度予算における補助金の増額を問題とすることなど通常あり得ないと主張する。しかし,上記のとおり,bは,平成11年度予算を計上した根拠となった大学設置改定案そのものにも不満を抱いていて,同月25日開催のS議連幹部の朝食会の席上においても,補助金の増額を要請する発言をしていたことは,この朝食会に出席した者の供述によっても明らかであって,このことからすれば,その前日である同月24日にbが,労働政務次官であった被告人に平成12年度予算における補助金の増額を要請したことは十分に考えられるところであって,弁護人の主張には賛同できない(④)。
また,被告人は,平成11年1月5日にAの初出式に出席したかどうかに関して,翌日海外に出発する予定だったので明確な記憶がないが,少なくとも理事長室を訪ねたことはない旨,また,補助金は60億円まで支出されるのが当たり前だと思っていたし,先行支出という言葉は捜査段階で初めて聞いたから,bが「60億円の先行支出ありがとうございます。」などと言うはずはない旨供述するが,bの予定を記載したダイアリーには同日の午後零時から午後零時30分までの間被告人がbを訪問したことを示す記載があること,また,上述したとおり,補助金の支出方法については,平成10年10月8日のA理事長室での会談の際に,k官房長かl審議官が,被告人の面前で定率補助方式から定額補助方式に変更することをbに説明したこと,さらに,j理事の供述等によってもbは60億円が先行支出されることになったことを知って感謝していたことが認められるのであって,被告人の上記供述は信用し難い(⑤)。
次に,平成11年1月25日のFでの記念パーティーの時のことについて,被告人は,このときは立錐の余地もないほど混乱していて,たくさんの来賓の方に個別に挨拶ができないまま終わってしまったので,bとだけ話をすることはとてもできなかった旨供述しているが,このパーティーの時の様子を撮影した写真の中には,控え室らしき場所で被告人とbがテーブルに着席している状況が撮影されたものも混じっており,被告人の上記供述は明らかに客観的状況に反していて,信用できない(⑥)。
また,同月27日のA理事長室での会談について,被告人は,当時bの関心は中小企業総連合の問題に移っていて,職人大学設立の問題は既に軌道に乗っていたと考えていたから,補助金の増額などを要請することはなかった旨供述するが,bが補助金増額を要請する発言をした平成10年12月25日のS議連幹部の朝食会の時から平成11年1月27日の時点まで,何ら見るべき進展がなかったことからすれば,bが職人大学設立の問題は既に軌道に乗っていると思っていたとは到底考えられないし,上述したとおり,bが当時強い危機意識を持っていたことからして,同人がこの時期に補助金の増額を被告人に要請したとしても不自然とは言えない。また,弁護人は,被告人が「なかなか簡単ではありませんが,なにより予定どおりに大学を設立することが大切ですからできる限りのことはします。」と答えたのは,決して補助金増額について努力をすることを了承したものではなく,あくまでも大学を開校することについて努力する旨答えたに過ぎない旨主張するが,bは一貫して大学開校には60億円の先行支出のほかにも補助金の増額が必要であると主張していた上,当時は民間からの寄附金の不足に対してどう対処するかが課題となっており,その方法として補助金の増額が問題とされていた状況にあったことからすれば,被告人の上記発言は,補助金の増額をも含め,できる限りのことをする旨の回答と考えられるのであって,弁護人の主張は採用できない(⑦)。
さらに,同年3月2日のA理事長室での会談について,被告人は,この日は,bが度々要請していた中小企業総連合結成の話は不可能であることを説明しに行ったもので,その席では険悪なムードが漂っていたから,bから補助金増額の話が出る雰囲気ではなかった旨供述するが,被告人のこの供述を裏付ける証拠はない上,仮に被告人の述べる話題が出たとしても,職人大学設立の問題は同年9月末までの指定寄附金の収納の問題に加え更に第2期工事の財源を確保しなければならないなど差し迫った状況にあったことからすれば,この機会に補助金の増額を要請したとするbの上記供述の信用性を覆すほどの事情とは認められない(⑧)。
以上のとおり,④平成10年12月24日,⑤平成11年1月5日,⑥同月25日,⑦同月27日及び⑧同年3月2日の5回の会談に関して被告人が述べる内容は,いずれも信用することができず,これを前提とした弁護人の主張も採用できない。
(4) ところで,弁護人は,被告人は,60億円を先行支出することが決まってからは,bから補助金の増額要求を受けても,「それは厳しいかもしれませんよ。」と回答するなどして同人の願望を聞き流していたに過ぎない旨主張している。しかし,j理事は,検察官に対し,「既に60億円の先行支出が労働省内部で内定したころの平成10年11月19日,第2期工事分の費用50億円について,少なくとも20億から30億円については国からの公的資金で手当てしてもらいたいとの趣旨で作成した書面を被告人に手渡し,補助金増額を依頼したところ,被告人は,『平成11年度予算について局長や課長が定額方式にするのに苦労してくれているので,それに加えて更に予算を増額するのはなかなか難しいと思うけど,事務方にももう一度よく相談してみよう。』と言ってくれた。」旨供述している上,このときj理事が被告人に手渡した文書が労働省から押収されていること,また,i局長も,検察官に対し,「12月25日のJでの会合の後,被告人から,『朝食会でも話が出たように,労働省や通産省などが知恵を出して大学のために予算を付ける方法について事務方でよく検討してほしい。』旨の話があった。」旨供述していることからすれば,被告人は,bから補助金を増額して欲しいとの要請を受けた後,労働省の担当者らに対してその趣旨を伝え,検討を指示するなどの働きかけを行っていた事実を認めることができる。したがって,60億円の先行支出が認められた時期には更に補助金を増額することが難しい状況にあったからといって,被告人が単にbの要請を聞き流していたとは言えず,弁護人の主張は採用できない。
6 以上のとおり,関係各証拠によれば,bは,①平成10年8月3日の労働政務次官室での会談,②同月7日の「C」での会談,③同年10月8日のA理事長室での会談,④同年12月24日のA理事長室での会談,⑤平成11年1月5日のA理事長室での会談,⑥同月25日のFでの会談,⑦同月27日のA理事長室での会談,⑧同年3月2日のA理事長室での会談の際,いずれも被告人に対し,職人大学の設置等に必要な資金を確保するため国の補助金を増額すべく大蔵省に予算要求するなどして欲しい旨の要請をし,被告人もこれを了承した事実を認めることができる。
第3Gによる秘書給与負担の趣旨
関係各証拠によれば,判示第2のとおり,被告人が労働政務次官として職人大学の設立のための補助金増額のために尽力したことに対する謝礼として,被告人とbらの合意に基づき,Gが,平成11年4月23日から平成12年9月25日までの間,21回にわたり,被告人の秘書であったd及びoの給与合計1166万8711円を負担したことは明らかであるところ,弁護人も,その賄賂性及び被告人の認識については争わない趣旨と解されるものの,d及びoの秘書給与の負担は,被告人が労働政務次官に就任する以前から行われていたpの秘書給与の負担を継続したものであるから,職人大学の補助金支出に対する謝礼としての賄賂性は極めて希薄であった旨主張するので,この点につき,検討する。
1 dに対する秘書給与負担の経緯等
Gがdの秘書給与を負担するに至った経緯について,bは,検察官に対して,概ね次のとおり供述している。すなわち,cから,被告人が労働省OBを秘書として雇うこと,被告人がその秘書給与をA側で出してもらえないかと言っていることを聞き,被告人にはお世話になっているし,特に大学の補助金のことで苦労をかけているので,払ってあげたほうがいいと進言された。言われるまでもなく,被告人に世話になっていることはよく分かっており,お礼として払うこともやぶさかでなかったし,これからも被告人が労働省の職員に補助金の増額を要請し,実現してくれるだろうとの考えもあったので,出すことにした。平成11年3月29日,被告人がAを訪ねてきて,礼を言ってきたので,「いやいや,先生には,大学のことでは大変ご苦労をおかけして申し訳ないと思っているのです。このくらいのことはさせていただいて当然です。」など述べ,続けて「大学はこれからが正念場です。良い大学にするためには,補助金の増額が必要ですから,これからもご苦労をおかけしますが,よろしくお願いします。」と述べたところ,被告人は「それは十分承知しております。ただ,大蔵に60億円の先行支出を認めさせるだけでも苦労しましたので,更に増額となると大変です。」などと言ったので,「やはり,先生のお力で発破をかけていただき,良い方策を考えて,何とか補助金を増額してください。」と繰り返し依頼すると,被告人は「もちろん,寄附金の集まり具合は厳しいでしょう。大学のためですから,私もできる限りの力を尽くすつもりで,事務方にも指示しております。」との返事をした。
そして,被告人とbの仲立ちをしたcは,検察官に対し,「平成11年3月中旬ころ,a先生から,『労働省OBを雇うことになった。労働行政のことを知る必要があるし,将来的にも労働関係を中心にやっていくには,労働省出身者に近くにいて欲しいと思って労働省から紹介してもらった。ついてはその給与をAで持っていただけないかと思っているのですが,cさんからb理事長に頼んでいただけませんか。』などと言ってきた。私は,労働省OBであればa先生の右腕になってa先生の活躍の場も広がると思い,また,当時,b理事長はa先生に対して職人大学設立のための国の補助金を増やして欲しいとお願いしていたし,a先生も何とか大学が設立できるように労働省の幹部に働きかけをして骨を折ってくれていたことはよく分かっていたので,そのような尽力に報いるためには秘書給与くらいはb理事長側が負担してもよいのではないかと思った。a先生から年収900万円くらい,次の選挙が終わるまで,という話を聞き,bにその旨伝えておくと答えた。その後まもなく,b理事長に,その旨進言したところ,bは,『そうか,労働省のOBを秘書にすることになったか,それはいいな。a先生には大学のことでずいぶんお世話になっているからなあ。秘書の給与くらい払ってもいいな。』と言ったので,それをa先生に伝えた。a先生が平成11年3月29日にbにお礼を言った際,bは『先生には大学の補助金のことで本当にお世話になっているので,これくらいのことはさせていただきます。予定どおり大学が設立できるよう,よろしくお願いします。』と言っていた。」旨述べてbの上記供述を裏付けている。また,被告人自身も,検察官に対して,「平成10年11月ころ,秘書のpが年内に退職する予定だったし,立候補を予定していた平成13年施行の参議院議員選挙の準備もあって,新たに私設秘書を雇おうと考え,労働省幹部にOBの紹介を依頼した。すると,平成11年2月ころ,dを推薦してきて年収900万円ぐらい出して欲しいと言われた。それで,雇用期間を平成13年7月の参議院選挙までということで了承した。しかし,この年収は,私設秘書の給料としては高額であり,参議院選挙までには総額2000万円ほどになってしまい,議員秘書から参議院議員になって1期目の私にとって,dの給料は経済的に大きな負担だったので,Aのb理事長にお願いして,A側で支払ってもらおうと思い,平成11年3月ころ,cに連絡した。当時,b理事長は,私が,国際技能工芸大学の予算措置に関して国から60億円の先行支出を認めたことに対する感謝の気持ちや,補助金の増額を期待する気持ちを持っており,そのような気持ちから私の希望を承諾してくれるものと思っていた。」旨供述しており,これらの供述によれば,bが,被告人の雇うdの給与をA側で負担するに至った理由は,被告人が,労働政務次官として,職人大学の設立資金である国の補助金を60億円の定額補助方式に変更することに尽力してくれたことへの謝礼,更には今後とも国の補助金の増額に努力してもらいたいとする趣旨であったことは明らかである。
2 弁護人の主張について
これに対し,弁護人は,cが,公判廷において,dの秘書給与を負担することをbに進言したことについて,「やっぱり,良い秘書を雇ってもらいたいという気持ち,pさんからの引き続きという気持ちがありました。当然,引き続きということで,私どもから早く探してくださいと,選挙も近いしということを申しておりました。」などと供述していることを受けて,dの秘書給与を負担してもらったのは,pの時からの継続であったと主張する。しかし,被告人がpを私設秘書として雇った経緯等を見ると,平成10年2月ころ,cが,被告人から勤務先を辞めて被告人の秘書になってもいいと言っている人間がいるという話を聞いてbに進言した結果,Gがpの秘書給与を負担することになったものの,pの採用期間は同年秋か暮れころに実施される政策秘書の試験に合格するまでとし,給与額は第一秘書程度の月額40万円程度で総額としても400万円程度であったことが認められるのであって,これをdの場合と比べてみると,pは政策秘書として雇用することが予定されていた28歳くらいの者であり選挙対策に向く人ではなかったのに対し,dは平成13年7月の参議院選挙に向けて活躍することが期待されていた労働省OBであったこと,その雇用期間も,pは平成10年2月ころから同年秋か暮れころまでの1年に満たない期間であったのに対し,dは平成11年4月から平成13年7月の参議院選挙までという長期であったこと,さらに,給与額も,pが月額40万円程度で,その雇用期間からすれば総額でも400万円程度の負担が予定されていたのに対し,dは年額900万円程度で,総額も2000万円程度が予定されていたもので,両者の違いは顕著である。そして,bが,このように長期にわたる高額の負担となるdの秘書給与負担を承諾したのは,平成11年3月当時,bが職人大学の設立に向けた補助金支出に関して被告人に感謝し,更なる尽力を期待していたからであって,それまでpの秘書給与を負担していたことの単なる継続に過ぎないとは言えず,弁護人の主張は採用できない。
3 oに対する秘書給与負担の経緯等
関係各証拠によれば,dは,平成11年11月上旬ころ,家庭の事情等で被告人の秘書を辞めることになったため,被告人は,再度労働省幹部にOBの紹介を依頼し,当時労働省職員であったoを紹介されて雇用することを決めるとともに,その秘書給与は引き続きGに負担してもらおうと考え,平成12年1月ころ,A理事長室において,bに対し,dの後任として平成13年7月の参議院選挙までの秘書給与の負担を頼み,bも従来の約束の履行としてこれを承諾した。この経緯からすると,oの秘書給与の負担は,平成11年3月中旬ころdについて決定した秘書給与の負担の一部と評価できる。
第4結論
以上のとおり,関係各証拠によれば,被告人が判示第2の受託収賄の犯行に及んだ事実を優に認めることができ,弁護人の主張は採用しない。
(量刑の理由)
1 本件は,各犯行当時参議院議員であった被告人が,労働委員会の委員を務めていた際に,外国人技能実習生の受入れ事業を行う財団法人の理事長であるbから,労働委員会において,労働省の担当者に対し,技能実習制度に係る国内滞在期間を現行の2年から3年に延長するように求める質問をして欲しい旨の請託を受け,その報酬として供与されるものであることを知りながら現金2000万円の賄賂の供与を受け(判示第1),さらに,労働政務次官を務めていた際に,職人大学の設置準備を進めていた財団法人の会長理事であったbらから,職人大学設置に関する国の補助金を増額すべく大蔵省に予算要求するなどして欲しい旨の請託を受け,その報酬として供与されるものであることを知りながら,平成11年4月から平成12年9月までの間秘書給与の肩代わりをさせて合計1166万円余りの賄賂の供与を受けた(判示第2)という事案である。
2 被告人は,国民全体の奉仕者である公務員,とりわけ国権の最高機関であり,かつ,国の唯一の立法機関である国会の構成員として高度の倫理性,廉潔性を求められている国会議員でありながら本件各犯行に及んでいるのであって,本件は,いずれも国民に対する背信性の極めて高い行為である。ことに,判示第1の事案において,被告人は,参議院議員としての職務の中核をなす所属委員会での質問に関して請託を受け,その報酬として多額の現金を受け取ったものであって,国会議員の職務の威信を著しく傷つけたことはもちろん,委員会における質問が行政に大きな影響を与えることからすれば,被告人の行為は各行政機関における職務を含めた国政全般に対する国民の不信感を醸成させたと評価できる。また,判示第2の事案において,被告人は,労働政務次官として労働大臣を政治的に補佐し,労働行政全般にわたり極めて広範な職務権限を有するだけでなく,労働行政に携わる各職員らに対する強い影響力をもって労働行政全般を公正かつ廉直に推進させるという重大な職責を担っていたにもかかわらず,その職務に関して請託を受け,その報酬として多額の利益を得たものであって,このような被告人の行為は労働政務次官の職務に対する国民の不信を招いただけでなく,労働行政ひいては国政全般に対する国民の信頼を裏切ったと言える。
3 そして,判示第1の事案における賄賂を収受した経緯は,既に認定したとおりであって,贈賄者側関係者から現金提供の提案があったとはいえ,被告人は安易にその機会に乗じて自ら贈賄者本人に資金提供を依頼したものであり,また,判示第2の事案においては,被告人自ら秘書給与負担を贈賄側に依頼している。しかも,被告人が本件において収受した金額は合計で3166万円余りと多額であるばかりか,それらの金銭は中小企業の発展を目指す公益法人ないしその関連団体から支出されたものであって,公益目的に使われるはずの金銭がこのような形で使われたことへの関係者の失望は大きい。さらに,判示第1の事案は,外国人技能実習制度という諸外国に対する国際援助事業に関する受託収賄事件であり,また,判示第2の事案は,職人大学の設立という世間の注目を集めた国家事業に絡んだ受託収賄事件であって,本件が社会に与えた衝撃や影響は極めて大きいと言わざるを得ない。
4 以上のとおり,被告人は,国会議員として求められている高度の倫理性,廉潔性に対して思いを致さず極めて安易に本件各犯行に及んでいるだけでなく,判示第1の事案にとどまらずさらに判示第2の事案にも及んでおり,被告人の規範意識の鈍磨は著しく,自己の職責に対する自覚の欠如も甚だしいと言わざるを得ない。また,被告人は収賄の事実そのものは認めているものの,請託の事実を争い,さらに,請託に係る謝礼の趣旨は希薄だったなどと不自然な弁解をするなどしていて,十分な反省の態度は見受けられず,この点からも厳しい非難を免れない。
以上の諸事情を考慮すると,被告人の刑事責任は重いと言うほかない。
5 他方,被告人が受けた請託の内容を見ると,それらは被告人が各請託を受ける以前から政治や行政において懸案事項となっていたもので,直接的には贈賄者等の私利私欲を満たす性質のものではなく,いわば被告人にとっても目標としていた政治活動の一環をなす性質のものであったとも評価し得ること,被告人は,これまで国会議員の秘書としてあるいは参議院議員として国政のために尽力してきたこと,また,本件逮捕後は参議院議員を辞職した上謹慎の生活を送っているだけでなく,今後は政治の世界には戻らず育英事業等のボランティア活動に従事して社会に貢献したいと述べていることなど,被告人のために酌むべき事情も認められる。
6 しかし,これら被告人に有利な諸事情を十分考慮に入れても,上記のとおり,本件が国民の政治及び行政全般に対する信頼を著しく傷つけただけでなく,判示第1の受託収賄に引き続き判示第2の受託収賄をも敢行した被告人の責任の重さに鑑みると,被告人に対して懲役刑の執行を猶予するのは相当でないと判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 懲役3年,金3166万8711円の追徴)
(裁判長裁判官 川口宰護 裁判官 福士利博 裁判官 黒澤幸恵)