大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成13年(合わ)283号 判決 2001年10月29日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

この裁判が確定した日から四年間その刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成一三年五月三〇日午前一一時前後ころ、東京都世田谷区経堂《番地省略》小田急経堂ビル内オダキューOX店二階衣料品売場において、同店店長B管理にかかる手袋三袋(販売価格合計四五〇〇円)を窃取し、

第二  同日午前一一時二五分ころ、同店一階食料品売場において、同店店長B管理にかかる飴一袋ほか二〇点(販売価格合計六三二六円)を窃取し、

第三  同日午前一一時三〇分ころ、同店南側出入口付近の東京都世田谷区経堂《番地省略》小田急経堂ビル内ジョイフル連絡通路上において、被告人の第二の犯行を発見したオダキューOX店警備員C子(当時六九歳)に対し、その左前腕部に噛みつく暴行を加え、よって、同女に全治約八週間を要する左前腕部人咬傷の傷害を負わせた

ものである。

(証拠の標目)《省略》

(事実認定の補足説明)

一  検察官は、被告人は、判示第一及び第二の窃盗の犯行後、逮捕を免れるために、C子の左前腕部に噛みつくという暴行を加えたもので、その暴行の程度は、C子の反抗を抑圧するに足りるものといえるから、被告人は強盗致傷罪(事後強盗)の罪責を負うと主張するので、以下検討する。

二  特に争いのない事実及び容易に認定することができる事実

まず、関係各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(1)  被告人は、平成一三年五月三〇日午前一〇時三〇分ころ、東京都世田谷区経堂《番地省略》小田急経堂ビル内オダキューOX店を訪れ、同店二階の衣料品売場で手袋を手にとり、近くに階段があって付近に客も店員もいなかったことから、二階での代金の支払いをしないまま階段を降りて、同手袋を所携の手提げバッグの中に入れた(判示第一の犯行)。

(2)  被告人は、そのまま店を出ようと思ったが、同店一階食料品売場で行われていたマグロの解体を見たくなってこれを見物し、その後同店で食料品も購入していくことにし、同店備え付けの買物かご(買物カート)に食料品を入れていったが、その途中、生活費を節約するため、これらも万引きしようと考え、さらに数点の食料品を買物かごに入れた後、代金を支払わないままレジの脇を通り抜け、買物かごの中の食料品を所携の手提げバッグの中に移し、同店出入口方向に向かった(判示第二の犯行)。

(3)  私服で同店一階売り場の巡回警備に当たっていた同店警備員C子は、被告人が食料品を買物かごに入れる様子等を見て不審を抱き、被告人の行動に注意していたところ、被告人の判示第二の犯行を現認したので、同店出入口方向に向かう被告人に近づき、判示第三記載の場所に至り、被告人に対し、警備員である旨を告げ、事務所へ来るよう話した。被告人は、いったんは、C子に促されるまま歩き出したものの、それほど進まないうちに食料品等を入れた前記手提げバッグを床に置いた後、体を捻ってその場から逃げ出そうとした。

(4)  C子は、被告人を捕えるため、被告人の後に続き、左腕で被告人の腕をつかみ、右腕で被告人が両肩に肩ひもを通して背負っていたリュックサックの肩ひもをつかんだ。そのため、被告人は、体を捻ったり、自分の手を引くなどしてC子の手を振り払おうとしたが、C子の手は離れず、そうしているうちに、C子の左腕がちょうど被告人の面前に来たため、その前腕部に噛みついた。

(5)  C子が周囲を見ると、売り場の方向に青果担当の男性がいるのが目に入ったので、C子は、「青果の方、青果の方、早く来て下さい。助けて下さい。」「青果さん、青果さん、捕まえてー。」などと声をあげ、応援を求めた。

(6)  C子の声に気付いた青果担当の男性二人は、被告人とC子のいる場所に駆けつけ、C子とともに被告人を逮捕したが、その際、C子はまだ被告人のリュックサックの肩ひもをつかんだままであった。一方、被告人は、前記男性二人が駆けつけたころ、C子の左腕から口を離した。そして、C子は、前記男性二人とともに同店二階にある事務所まで被告人を連れていった。

(7)  C子は、その後医師の診察を受け、全治八週間を要する左前腕部人咬傷と診断され、医師のC子に対する話によれば、凹んだ部分を治すためには皮膚の移植をする必要があるとのことであった。

(8)  C子が声をあげた判示第三の犯行現場は、前記の青果担当の男性二人がいた場所から約一〇メートルの距離にあり、その周辺には、店員がいるコーヒー店や洋菓子店がある。また、判示第三の犯行現場付近には、柱が二本あるのみで、遮るものはなく、被告人がC子ともみ合う状況は周囲から十分に見通せる状態であった。

(9)  C子は、身長約一五五センチメートルの六九歳の女性であるが、これまでに約三〇年間警備員として働き、本件の三か月ほど前ころからオダキューOX店に警備員として派遣されるようになり、一か月に五日間程度主に売り場の警備に当たっていた。C子は、以前にも警備中に万引き犯人から暴行を加えられたことがあったが、噛まれたのは初めてであった。他方、被告人は、身長一五七センチメートル、体重四三キログラムの三九歳の女性である。

三  以上認定した各事実を前提に、被告人の刑事責任について検討するに、確かに、①C子の傷害の程度、②被告人が、青果担当の男性二人が駆けつけるまで、C子の左腕を噛み続けていたもので、被告人自身何十秒かだったと思う旨供述しており、その暴行は瞬間的なものではなく、ある程度の時間継続していたと認められることからすれば、被告人の暴行は相当強度なものであったと推認されるし、これに、③C子が一人では対応することができずに青果担当の男性二人に応援を求めていること、④被告人及びC子の年齢なども併せ考慮すると、検察官の主張するように、被告人の暴行は、C子の反抗を抑圧する程度に至っていると評価する余地がないわけではない。

しかしながら、次の諸事情を考えると、被告人の暴行は、いまだC子の反抗を抑圧するに至っていたとは認め難いと考えられる。すなわち、

(1)  まず、C子は青果担当の男性二人に応援を求めているものの、その際のC子の発言は、自らの救助を求めるものというよりは、青果担当の男性の手を借りて被告人を捕まえようとする趣旨のものと解されるし、また、上記男性二人が駆けつけた時点においても、C子は、いまだ被告人のリュックサックの肩ひもから手を離さず、被告人を捕まえようとしていたのであり、さらに、その後も、上記男性二人に被告人への対応を任せてしまうのではなく、C子自らが、上記男性二人とともに、二階事務所まで、被告人を連れて行っていることなどを考えると、C子は、被告人の暴行を受けても、主観的に被告人を捕えることをあきらめておらず、捕まえる意思を強く持ち続けていたものと推認されるし、客観的にも被告人を離しておらずなお被告人を確保していたと認めることができる。

(2)  次に、前記認定の犯行現場と売り場との位置関係、犯行現場付近の状況、C子の声に気付いた前記男性二人が直ちに犯行現場に駆けつけていること、犯行時刻は平日の昼間であり、買物客などの人通りも多かったものと推認されることからすると、店員や買物客がC子と被告人とのもみ合いに気付く可能性は十分にあり、そうした店員や買物客がC子の応援に入ることも考えられる状況にあったといえるし、C子自身、その警備員としての経験からすれば、当然、こうした事情を十分認識していたものと推認される。

(3)  さらに、C子は、万引き犯人から噛まれたのは本件が初めてであるとはいえ、警備中に何度も万引き犯人から暴行を受けた経験があった旨供述していることに照らせば、被告人から抵抗を受け何らかの暴行を加えられる可能性があるかもしれないことは予想できたはずであるし、C子が、被告人の行動をある程度の時間注視した上、被告人に声をかけたという経緯を考えれば、C子にはそれなりの心の準備があったこともうかがわれる。

(4)  そして、被告人の暴行は、相当強度であったことが推認されるとはいえ、凶器を用いたものではない。また、C子が六九歳であるのに対し、被告人が三九歳とかなりの年齢差はあるものの、C子が約三〇年の経験を有する経験豊富なベテラン警備員であるのに対し、被告人はC子の身長とほぼ同程度でやせており、C子に体格的・体力的に勝っているものとはいえないこと、実際にも被告人はC子に腕やリュックサックの肩ひもをつかまれ、それを振りほどこうとして抵抗してもC子の手は離れなかったことなどを考えると、被告人とC子の年齢から一般的に推測されるほど、被告人とC子との間に力の差はなかったものと考えられる。

四  以上の検討によれば、被告人のC子に対する噛みつくという暴行は、それ自体強度なもので、傷害の結果も重いものではあるが、上記三の(1)ないし(4)の諸事情からすると、客観的にも主観的にもC子の反抗を抑圧するに足りる程度に至っていたものとは認め難く、被告人を、強盗致傷罪(事後強盗)に問うことはできないというべきである。

検察官の主張は採用することができない。

五  なお、判示第二の窃取行為は、判示第一の窃取行為とは別の新たな犯意に基づき、大型店舗のフロアーの異なるレジもそれぞれ設けられた別の売場で遂行されたものと認められるなどの前記二の(1)(2)認定の事情からすると、判示第一及び第二の各窃取行為は、それぞれ別個の窃盗罪を構成し、併合罪の関係にあるものと解される。

(法令の適用)

罰条

判示第一及び第二の各所為 いずれも刑法二三五条

判示第三の所為 刑法二〇四条

刑種の選択

判示第三の罪 所定刑中懲役刑を選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重)

刑の執行猶予 刑法二五条一項

(量刑の理由)

本件は、被告人が、スーパーにおいて手袋を万引きし(判示第一の事実)、さらに同店において食料品を万引きしたところ(判示第二の事実)、同店の警備員に第二の犯行を現認されて声をかけられ、逃走を図ったものの、警備員に腕等をつかまれるなどして捕まりそうになったことから、その左前腕部に噛みつく暴行を加え、警備員に傷害を負わせた(判示第三の事実)という事案である。

被告人は、判示第一及び第二の犯行を連続して行い、その被害額は、合計約一万円と、この種事犯にしては決して少ない額ではなく、また、判示第三の犯行においては、六九歳の被害者の左前腕部を強く噛み続け、全治約八週間を要する傷害を負わせたのであって、その暴行の態様は危険で悪質なものであるし、生じた結果には重いものがある。犯行に至る経緯や動機についてみても、被告人は、生活費を節約したいがため、判示第一及び第二の犯行に及び、さらに、判示第二の犯行を現認され、捕まりそうになると、その場から逃走するため、判示第三の犯行に及んだというものであって、その動機は、自己中心的かつ短絡的である。こうした事情からすると、被告人の刑事責任は、重いというべきである。

しかしながら、被告人が捜査段階から一貫して事実関係を認め、公判廷においても被害者への謝罪の気持ちを述べるなど、反省の態度を示していること、被告人が判示第三の被害者に対して、謝罪の手紙を送ったり、三五〇万円を支払うなどして示談を成立させ、現在では同被害者も被告人を宥恕していること、判示第一及び第二の窃盗の被害品についても、犯行後スーパーに還付され、さらに被告人が被害品の販売価格相当額を同店に支払って、示談を成立させていること、本件各犯行は、必ずしも計画的なものとはいえず、特に判示第三の犯行は、万引きが発覚して気が動転する中で引き起こされた事情が窺えること、被告人がこれまで通常の社会生活を送り、前科前歴もないこと、情状証人として出廷した被告人の夫が、今後は被告人と同居の上、被告人を監督していくことを誓約していることなど被告人のために酌むべき事情が認められるので、被告人に対しては主文の刑に処した上、その刑の執行を猶予して社会内で更生する機会を与えるのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役五年)

(裁判長裁判官 安井久治 裁判官 宮武芳 鎌倉正和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例