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東京地方裁判所 平成13年(合わ)337号 判決 2001年11月19日

主文

被告人を懲役4年6月に処する。

未決勾留日数中70日をその刑に算入する。

押収してある柳刃包丁1丁(平成13年押第1576号の1)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,昭和35年11月,A(旧姓B。以下,「A」という。)と婚姻し,そば店を営みながら生活し,2人の娘をもうけ,婚姻による2人の娘の独立後は本件犯行当時まで住居地においてAと二人で暮らしていた。被告人とAは,仲の良い円満な夫婦であった。

Aは,平成5年2月,胃にガンが見つかり,同年3月,胃の3分の2を摘出する手術を受け,退院後は,通院の上,抗ガン剤による治療を受けながら,自宅で療養し,被告人は家事の分担をするなどAを気遣いながら生活をしていた。

ところが,平成12年2月中旬,Aの左乳房にガンが見つかったため,Aは再度入院することになった。被告人は,これにショックを受けたものの,何とか治癒してほしいと願い,Aの看病にあたるため,経営していたそば店を同年2月末日をもって閉店し,毎日のように病院に通い,Aに付き添って献身的に看病を続けた。Aは,同年3月,左乳腺部の摘出手術を受け,同年4月の退院後は,被告人とともに二女夫婦が当時居住していた宇都宮の家で生活し,穏やかな日々を過ごした。被告人は,快復への希望を抱いたが,その一方で,ガンが再発するのではないかとの不安を拭い去ることができずにいた。

ところで,同年8月に二女の夫の転勤に伴い,二女夫婦が横浜市の社宅に転居し,いずれ社宅から退去する必要があったこともあって,同年9月ころ,Aと二女との間で,二世帯住宅を建築し,二女夫婦と同居する話が持ちあがった。被告人もこれに異論はなく,条件に合う家を探したがみつからず,結局,平成13年2月ころには,Aの希望により,被告人宅を取り壊した上,同所に二世帯住宅を建築することになり,Aは,この二世帯住宅に入居できる日を心待ちにしていた。しかし,このころになると,安定していたAの病状が悪化し始め,左手首から左肩にかけて腫脹がみられるようになり,Aは,強い痛みを訴えるようになった。被告人は,料理や洗濯などの家事全部を引き受けてAの世話をするとともに,この腫脹部分にガンが再発して増大しているかもしれないとの不安を強め,医師にその原因を確認したりしたものの,明確な回答を得ることはできず,Aは助からないのではないかとの思いが頭をよぎるようになった。

Aの病状は,同年5月中旬以降,さらに悪化し,始終痛みを訴え,床に伏せりがちになっていった。被告人は,Aの快復を願い,平成12年9月から始めた近くのビルにおける深夜警備の仕事をしながら,その看病を続け,他方で,平成13年5月下旬ころから,建替えに要する数か月の期間居住するための借家を探していたが,被告人の考える条件に見合う物件は見つからなかった。同年6月になると,Aは咳き込んだり,息苦しそうな呼吸を始め,左肩や左腕の痛みを益々強く訴えるようになった。前記二世帯住宅の建築工事については同年6月14日契約締結に至ったものの,転居先はなお決まっておらず,被告人は,転居しなければ建築工事に入ることができないとして,建築業者から催促を受け,早く建築工事に入りたいAからも業者から提示されたアパートでよい旨言われたため,業者斡旋のアパートに転居することとした。しかし,被告人は,下見の際から日当たりもよくないし裏方に墓地があるなどのアパートの状況に不吉なものを感じており,引っ越しの準備に入ると,転居してしまえば急激にAの病状が悪化して入院を余儀なくされ,新居に入ることもできずに死んでいくのではないかとの思いが強くなり,一人悩むようになった。

そして,Aは,同年6月25日から27日まで,入院の上,新たに強力な抗ガン剤の投与を受けたが,退院後は,今までよりも強い痛みを訴えるようになった。被告人は,引っ越しの準備を進めざるを得ない状況の中で,Aの病状がさらに悪化したのをみて,Aの今後の病状に対する不安を一層募らせるようになった。

同年6月29日午後10時ころ,被告人とAは,自宅2階の部屋で床についた。被告人は,目をつぶったAの顔がやつれ,眉間にしわが寄っているのを認め,引っ越せば,Aがさらに弱って入院し,体中に管を付けられて,痛い,新しい家に行きたいと言いながら死んでいくのかなどと思い,Aに対し,Aの病気や将来に対する不安を漏らしたが,Aが馬鹿なことを言わないでなどと答えたため,それ以上話すのを止めた。ほどなく,Aと被告人は眠りに落ちた。 被告人は,同年6月30日午前4時ころ,ふと目を覚まし,Aを見た。すると,普段苦痛に耐えるような顔をしているAが気持ち良さそうな顔をして寝ており,被告人は,そのようなAを見ているうち,気持ちよさそうにしているうちにあの世に逝かせてやった方が,これ以上苦しむこともなく,幸せなのではないかなどという思いに駆られ,とっさにAを殺害することを決意し,階下調理場から柳刃包丁等を持ち出した。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成13年6月30日午前4時10分ころ,東京都中央区ab丁目c番d号被告人方において,就寝中の妻A(当時64歳)に対し,その前胸部を所携の柳刃包丁(刃体の長さ約21.1センチメートル,平成13年押第1576号の1)で数回突き刺し,よって,同日午前4時20分ころ,同所において,同女を上大静脈及び肺刺創による失血及び呼吸不全により死亡させて殺害したものである。

(量刑の理由)

1  本件は,前記犯行に至る経緯記載のとおり,妻である被害者が闘病に苦しむ姿に心を痛めていた被告人が,就寝中の被害者の安らかな顔を見ているうち,このままあの世に逝った方が幸せなのではないかなどと考え,被害者を殺害したという事案である。

2  被告人は,全く無防備な状態にある就寝中の被害者に対して,刃体の長さ約21.1センチメートルの鋭利な柳刃包丁で,身体の枢要部である前胸部を突き刺し,目を覚ました被害者から抵抗されたにもかかわらず,さらに,数回前胸部を突き刺し殺害している。本件犯行の結果は重大であるし,被告人の加えた攻撃は複数回に及び,被害者が絶命するまでに味わった,精神的,肉体的苦痛も相当なものであったことが認められることも併せ考慮すると,犯行態様もよくないといわざるを得ない。

そして,本件犯行当時,被害者の乳ガンは末期状態にあったとはいえ,被害者がすぐに死に至るという状態にはなく,医師からそうした説明を受けたわけでもなかったのであって,被告人が将来を完全に絶望せざるを得ないほどに追い詰められた状態にあったとはいい難いところである。また,被害者は,末期ガンの痛みに苦しみながらも,なお快復への希望を捨てず,二世帯住宅を建築し,二女夫婦や孫と生活していくことを心待ちにするなど前向きに生きていたものであって,本件は,被害者の心情や希望に反し,被告人自身の独自の思いや価値観に基づいて行われた短絡的犯行であるといわざるを得ない。

また,信頼していた被告人から,前記のような方法で一命を絶たれた被害者の驚愕や恐怖の気持ちは察するに余りあるし,父親である被告人から母親である被害者を奪われた娘2人も相当な衝撃を受けている。

以上によれば,被告人の刑事責任は,重大である。

3  他方,被告人は,前記犯行に至る経緯のとおり,被害者の数度に及ぶ入院中はもとより,その退院後も,被害者に対し,愛情をもって接し,献身的に介護を続けてきたもので,二世帯住宅の話が持ち上がってからは,新居への入居を心待ちにしていた被害者のために,少しでも快適な転居先を探そうと腐心していたことが認められるし,また,鑑定書によると,客観的には,被害者の予後は,薬剤の効果などによって異なるものの,主に肺の状態からみて,一般的には数か月以内と考えられるとされていて,被告人の抱いた被害者の病状への危惧感と符合するところもあり,そうした中で被害者の病状が悪化し,特に,新たな抗ガン剤に切り替えた後,激しい痛みを訴え,痛み止めの薬を服用しても効かないような状態となったため,被告人なりに被害者を慮り,発作的に被害者を殺害するに至った本件の経緯や過程をみるとき,長年連れ添った最愛の妻を柳刃包丁で一思いに殺害しようとした被告人の心情について,同情すべき面が存することは否めない。さらに,被告人は,犯行後自ら110番通報して,臨場した警察官に自首し,その後も一貫して事実関係を認め,公判廷においても被害者に対して申し訳ないと思っていると述べるなど,真摯な反省の態度を示しているし,被告人に前科前歴はなく,これまでまじめに社会生活を送ってきたこと,2人の娘も,父親のつらかった気持ちは分かってあげたいし,何よりたった1人の大事な父親であることには変わりはない,何年も社会に戻れないような重い罰を受けるのでは,必死になって母親を気遣ううち,追い詰められてしまった父親があまりにかわいそうであるなどと述べて,被告人が重い罰を受けることを望んでいないことなど被告人にとって酌むべき事情も認められる。

4  そこで,以上の諸事情を総合考慮すると,前記のような本件犯行の結果,態様等に照らすと,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ず,相応長期の懲役刑は免れないというべきであるが,刑の量定に当たっては,先にみた被告人にとって酌むべき事情も十分考慮した上,被告人に対しては主文の刑に処するのが相当であると判断した。

(求刑 懲役6年,柳刃包丁1本の没収)

(裁判長裁判官 安井久治 裁判官 宮武芳 裁判官 鎌倉正和)

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