東京地方裁判所 平成13年(行ウ)271号 判決 2002年11月15日
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 請求
被告が,原告に対する差押処分に基づいて行った別紙生命保険契約目録記載の生命保険契約解約処分を取り消す。
2 被告の本案前の答弁
主文同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,被告に対し,生命保険契約解約返戻金等の差押処分に基づいて被告が行った生命保険契約解約行為が違法な行政処分であると主張して,その取消しを求めた事案である。
1 前提となる事実(以下の事実は,いずれも当事者間に争いがない。)
(1) 原告は,平成2年6月1日,明治生命保険相互会社(以下「本件保険会社」という。)との間で,別紙生命保険契約目録記載の生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(2) 被告は,平成5年10月15日,原告に対する租税債権を徴収するため,本件保険契約に基づく保険金1億円の支払請求権(なお,保険事故の発生しないうちに解約されたときは,解約返戻金全額の支払請求権。以下,これらの請求権を併せて「本件債権」という。)を差し押さえた(以下「本件差押処分」という。)。
(3) 被告は,本件保険会社に対し,本件差押処分について,債権差押通知書を送付し,同通知書は平成5年10月21日に送達された。
(4) 被告は,平成12年3月17日,本件保険会社に対し,国税徴収法67条1項に基づき,本件差押処分に係る本件保険契約の解約(以下「本件解約」という。)を行った。
(5) 被告は,平成12年3月29日,本件保険会社から,本件差押処分に係る解約返戻金24万5988円の支払を受け,同日付けで,原告に対し,配当計算書謄本を送付した。
(6) 原告は,平成12年9月26日,本件解約について,国税不服審判所長に対し,審査請求をしたが,同所長は,平成13年9月7日,同審査請求が不適法であるとの理由で,同審査請求を却下する旨の裁決をした。
2 当事者双方の主張
(原告の主張)
(1) 本件解約が行政処分であること
租税滞納処分は,租税債権者自身が,全く裁判所の関与なくして租税債務の履行の強制手続として行う行政処分であり,財産の差押えに始まり,換価(取立てと換価)を経て配当に終わる一連の手続・処分であるから,その一連の手続の中で行われる取立権限の行使も行政処分に当たるというべきである。
すなわち,私人であれば,差押えの段階で裁判所の関与・審査を経た後に,取立権能を取得するものであり,執行裁判所が,民事執行法第153条によって,取立できる債権の種類,範囲を変更することができるが,国の場合には,このような裁判所の関与は予定されておらず,国は,滞納者の有する債権について,自らの行う差押えによって取立権能を取得する。
このように,差押が行われた後の取立段階に至っても,国の滞納処分としての差押えは,私人の差押えとは異なり,裁判所の関与を排除したまま行われる権力作用そのものである。
以上によれば,国が本件差押処分を解除することなく,本件保険契約を解約し解約返戻金を受領して取り立てたことは,国税徴収法に基づく公権力の行使そのものというべきであり,行政事件訴訟法の取消訴訟の対象となる行政処分に該当するというべきである。
(2) 本件解約が違法であること
ア 本件解約に至る経緯
本件保険契約は,被保険者を原告の代表取締役であったAとするものであるが,同人は平成5年10月3日に失踪し,現在まで行方不明となっている。
そして,原告の現代表取締役であるBは,平成5年10月上旬ころ,大森税務署の担当官や取引債権者らにAの失綜の事情を説明し,原告が本件保険契約の契約料を納付し続けて,Aの失綜宣告による死亡が確定した場合には,その保険金の支払を受け,それによって,被告及び取引債権者に返済すると約したところ,全関係者は,これを了解し,被告も,原告に対し,差押処分を停止することを約し,約7年間にわたって差押処分を執行しなかった。
そこで,原告は,現実に,約7年間にわたって,毎月の保険料の支払を欠かさず行ってきた。
ところが,被告は,Aの失踪からあと半年で7年間が経過しようとしていた平成12年3月27日,前提となる事実記載のとおり,本件保険契約を解約して解約返戻金24万5988円を受け入れた。
イ 本件解約の違法性
a そもそも,本件差押調書謄本別紙目録によれば,被告が差し押さえたのは保険金の支払請求権と「保険事故の発生しないうちに解約された時は,解約返戻金全額の支払請求権」とされているのであるから,「被告が自ら解約した時」は予定されていない。
そうすると,被告において,解約返戻金を発生させるために本件保険契約を解約することは許されず,本件解約は重大かつ明白な瑕疵があり違法というべきである。
b 仮に,被告において本件保険契約を解約できるとしても,それは「保険事故の発生しないうち」に限られるというべきである。
ところが,本件では,被保険者であるAが遺書を残して失踪した後,既に6年5か月が経過していたのであるから,保険事故が実質的に発生している場合に当たり,少なくとも,保険事故が発生する蓋然性が極めて高い場合である。
そうすると,本件解約は,上記の「保険事故の発生しないうち」との要件を欠くものであり,重大かつ明白な瑕疵があり違法である。
c さらに,本件では,前記のとおり,Aの失踪から6年数ヶ月が経過し,失綜宣告申立の準備をし始め,保険金請求が現実に可能になりつつある状況下において,被告は,原告に対する事前の連絡も承認もないまま,単に二十数万円程度の解約返戻金を得るために本件解約を行い,原告の6年数ヶ月にわたる毎月の努力と1億円取得の確実な期待権を一瞬のうちに無にし,原告債権者らが完済を受ける期待も根底から覆したものである。
このような経緯に照らせば,本件においては,被告において本件保険契約を解約をすべきでない特段の事情があったというべきであるから,これらの事情に何らの配慮をすることなく行った本件解約は,権利の濫用というべきであって,明白かつ重大な瑕疵があり違法である。
ウ 以上のとおり,被告が原告に対する本件差押処分に基づき,本件保険契約を解約し,解約返戻金24万5988円を受け入れた処分は違法であるから,取り消されるべきである。
(被告の本案前の主張)
(1) 本件解約が行政処分に該当しないことについて
ア 行政事件訴訟法3条2項は,処分取消しの訴えとは,行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為の取消しを求める訴訟をいう旨規定し,処分取消しの訴えの対象を限定している。
そして,「行政庁の処分」とは,公権力の主体たる国又は公共団体が法令の規定に基づき行う行為のうち,その行為によって直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいい,また,「その他公権力の行使に当たる行為」とは,行政庁の一方的意思決定に基づき,特定の行政目的のために国民の身体,財産等に実力を加えて行政上必要な状態を実現させようとする権力行為をいい,「行政庁の処分」と同様に法令上の根拠を要するものであり,即時強制や行政代執行がこれに該当するものと解されている。
他方,行政庁の行為であっても,公権力の主体としての地位に基づく行為とはいえないもの,すなわち,国又は公共団体が私人と同様の立場で行う行為は,私法法規の適用を受ける私法上の行為であって,公権力の行使とはいえないから,「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」には該当しない。
イ ところで,租税債権にはいわゆる自力執行権が認められており,租税債務者が任意に履行しない場合,国は自らの手で租税債権の強制的実現を図ることができる。そして,国が租税債権の自力執行権を行使し,その強制的実現を図るための手続が滞納処分であり,その第一段階をなすのが,納税者の財産の差押え(国税徴収法47条)である。そうすると,納税者の財産の差押えそのものが,国の公権力の主体としての地位に基づく行為であることは否定し得ず,このことは債権の差押え(同法62条)についても変わるものではない。
しかしながら,自力執行権は租税債権の効力として認められているものであるから,滞納者以外の第三債務者に及ぶものでないことは当然であり,国といえども被差押債権の取立て(国税徴収法67条)を行うに当たっては滞納処分の方法によることはできず,滞納者に代位して,私債権者の立場においてその弁済を求めることができるにすぎず,国の取立権の行使は,私債権の行使と変わるものではないというべきである。すなわち,国が有する租税債権の自力執行力は,債務名義なくして租税債権の強制的実現を図ることができることを意味するが,これによって納税者の債権を差し押さえた場合,被差押債権には自力執行権はないから,これを強制的に実現するには債務名義の取得が必要である。
ウ そこで,本件解約の行政処分性の有無を検討するに,国が本件債権を差し押さえたことは公権力の主体として租税債権の自力執行権を行使したものといい得るとしても,本件解約は,国が国税徴収法67条による債権の取立ての手段として本件保険契約上の約款に基づく保険契約者としての権利を代位行使したものにほかならないから,公権力の主体としての行為ということはできず,単なる私法上の行為と同様のものと評価すべきである。
また,本件解約は,被告が国税徴収法67条の規定により本件保険契約に係る本件債権の取立権を取得したことから,その取立権取得の効果として,原告の有する解約権を,本件保険契約に係る約款に従って行使したものにすぎないことからすれば,原告の権利義務ないし法律上の地位に直接具体的に法律上の影響を及ぼすものでもない。
エ 以上によれば,本件解約は,「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」には該当せず,処分取消の訴えの対象となり得ないものであるから,原告の本件訴えは不適法というべきである。
なお,原告が本件解約を無効と考える場合には,保険事故の発生後,第三債務者である本件保険会社に対して本件保険契約に基づく保険金の支払を請求すればよいのであって,本件解約権の行使は行政処分ではないから,公定力は存在せず,原告が本件保険会社に対して本件解約の無効を主張するために当たっては,私法上の法律行為の無効原因を主張すれば足りるものである。
(2) 本件訴えが審査請求前置を欠いていること
国税通則法115条1項本文は,国税に関する法律に基づく処分で不服申立てができるものについては,異議決定及び審査請求についての裁決を経た後でなければ訴えを提起することができない旨規定しており,審査請求前置主義を採用している。
そして,審査請求前置主義が採用されている場合,訴え提起前に経由すべき審査請求は適法なものでなければならず,不適法な審査請求について却下裁決がされた場合には,その裁決が違法でない限り,審査請求前置の要件を遵守したということはできないのであって,このような訴えは不適法な訴えとして却下されるべきである。
本件では,本件裁決は,本件審査請求が不適法であるとしてこれを却下しており,本件裁決が違法でないことは明らかであるから,本件訴えは審査請求前置の要件を遵守しているということができず,不適法というべきである。
3 争点
以上によれば,本件の本案前の争点は,次のとおりである。
(1) 本件解約は,抗告訴訟の対象となる「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当するか否か。 (争点1)
(2) 本件訴えは,審査請求前置の要件を満たすものとして適法であるか否か。 (争点2)
第3当裁判所の判断
1 争点1について
国の徴収職員は,租税を徴収するため,滞納者の有する債権を自ら差し押さえることができ(国税徴収法47条,62条),さらに,差し押さえた債権の取立てをすることができるとされているが(同法67条),取立てを行う場合において,国は,差押債権の第三債務者に対し,滞納処分の方法でその取立てを行うことはできず,滞納者に代わって,私債権者の立場においてその弁済を求めることができるにとどまると解される。
そして,国税徴収法47条,62条に基づいて生命保険契約の解約返戻金請求権を差し押えた国が当該生命保険契約を解約する行為は,解約返戻金請求権を同法67条に基づいて取り立てるために,滞納者が当該生命保険契約の約款に基づく権利として有する解約権を,滞納者に代わって,保険会社に対して行使する行為にすぎない。
そうであるとすれば,本件解約行為は,被告の優越的な地位に基づく公権力の行使として行われたものと解することはできない。
これに対し,原告は,民事執行法に基づく債権差押命令の場合には,差押命令後の段階においても,執行裁判所が同法153条に基づいて差押財産の範囲を変更することができるのに対し,国税徴収法に基づく債権差押えの場合には全く裁判所の関与が予定されておらず,国税徴収法に基づいて差し押えた国の法的地位は,差押処分後も,民事執行法に基づいて差押命令を得た私人と異なっているから,差押処分後に保険契約を解約して解約返戻金を受領して取り立てる行為も,国税徴収法に基づく公権力の行使であると主張する。
しかし,国税徴収法に基づく差押えは,公権力の行使として行われる行政処分であるから,同法に基づいて差押処分を行った国の地位と,民事執行法に基づいて差押命令を得たにすぎない私人の地位が,差押処分後においても異なっていることは当然であり,そのことから直ちに取立行為自体が公権力の行使として行われるものと解することはできず,原告の上記主張は採用できない。
以上によれば,本件解約は,行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」には当たらないというほかない。
ちなみに,本件解約が,上記のとおり,行政処分には当たらない以上,原告が,第三債務者である本件保険会社に対し,本件解約が権利の濫用に当たり無効であるとの主張を行うについては,本件解約行為に行政処分としての公定力は生じていないから,その排除を求める必要はない。
2 結論
よって,本件訴えは,その余の争点について判断するまでもなく,不適法であるから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 森英明 裁判官 馬渡香津子)