東京地方裁判所 平成14年(ワ)15811号 判決 2003年9月09日
平成一四年事件原告(平成一五年事件被告)
ボーセイキャプティブ株式会社
代表者代表取締役
A
訴訟代理人弁護士
服部正敬
同
服部訓子
同
森貴子
平成一四年事件被告(平成一五年事件原告)
Y
訴訟代理人弁護士
江上千惠子
主文
一 平成一四年事件原告(平成一五年事件被告)は、平成一四年事件被告(平成一五年事件原告)に対し、一七五万八五〇〇円及びこれに対する平成一五年八月二二日から支払済みまで年一四・六パーセントの割合による金員を支払え。
二 平成一四年事件原告(平成一五年事件被告)の請求を棄却する。
三 平成一四年事件被告(平成一五年事件原告)のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを三分し、その二を平成一四年事件原告(平成一五年事件被告)の負担とし、その余を平成一四年事件被告(平成一五年事件原告)の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
1 平成一四年事件
被告は、原告に対し、三二七万二二七七円及びこれに対する平成一四年七月一三日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
2 平成一五年事件
(1) 主文1と同旨
(2) 被告は、原告に対し、二七二万三五〇〇円並びにこのうち二五〇万円に対する平成一四年六月二八日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員及び二二万三五〇〇円に対する平成一五年八月二二日から支払済みまで年六パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
平成一四年事件は、同事件原告(平成一五年事件被告・以下、「原告」という)が、平成一四年事件被告(平成一五年事件原告・以下、「被告」という)に対し、被告の占有している企業年金保険の解約返戻金が原告に帰属することを理由に、不当利得返還請求又は不法行為に基づく損害賠償請求として、上記解約返戻金相当額及びこれに対する上記解約返戻金の返還猶予期限の翌日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
平成一五年事件は、被告が、原告に対し、平成一四年六月二八日付け懲戒解雇が無効であることを理由に、<1>定年退職日である平成一五年八月二一日までの未払賃金及びこれに対する同日の翌日から支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律所定の年一四・六パーセントの割合による遅延損害金、<2>退職金不足分及びこれに対する上記定年退職日の翌日から支払済みまで商法所定の年六パーセントの割合による遅延損害金、<3>不法行為に基づく損害賠償及びこれに対する不法行為時である上記懲戒解雇日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の各支払を求めた事案である。
一 前提事実(当事者間に争いがないか、末尾掲記の各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者
原告は、工業用特殊ナットの製造、販売及び輸出入等を業とする株式会社であり、被告(昭和○年○月○日生)は、原告の元従業員である。
(2) 原告と被告との間の雇用契約
ア 被告は、昭和五八年九月、東洋ファスナー株式会社に入社し、経理・総務事務に従事していたが、平成元年に同社の業務をボーセイインターナショナル株式会社が引き継ぎ、その後、原告がボーセイインターナショナル株式会社の業務を引き継いだことに伴い、順次、ボーセイインターナショナル株式会社及び原告へ移籍し、前記業務に継続して従事していた。
イ 被告の給与は、平成一四年六月二八日当時、月額二二万七七五〇円(基本給八万六二〇〇円、職能手当一一万五五五〇円、勤続手当一万六〇〇〇円、皆勤手当一万円)であった(書証略)。
(3) 原告の就業規則及び企業年金保険
ア 原告の就業規則には、以下のような定めがある(書証略)。
「第一〇条(服務上守るべき事項)
従業員は特に次の各号を守らなければならない。
(中略)
二 勤務中は職制に定められた上司の指示に従い業務に精勤しなければならない。
(中略)
五 会社の信用あるいは業務を利用し、自己の利益を図ってはならない。
(中略)
第四四条(定年)
従業員は満六〇歳に達した日をもって定年とする。
(中略)
第四八条(退職金)
従業員が退職したとき、又は解雇されたときの退職金は別に定める規定により支給する。
(中略)
第五三条(懲戒解雇事由)
従業員が次の各号のいずれかに当たる場合は懲戒解雇する。
一 この規則一〇条の服務上守るべき事項に違反し著しく社内秩序を乱したとき、又は会社に迷惑を及ぼしたとき。
(中略)
七 刑法違反に該当する行為のあったとき」
イ 原告は、就業規則四八条に従い、退職金規定を定めているが、その内容は次のとおりである(書証略)。
「第二条(適用範囲)
この規定は、会社の全ての従業員に適用する。
(中略)
第三条(支給額その一)
退職金の額は次の算式により算出される金額とする。
解職時基本給月額×勤続期間別乗率
(基本給月額とは、給与規定による基本給月額をいう)
第四条(支給額その二)
従業員が次の事由により解職(役員就任を含む)されたときは別表一(略)に定めた退職金勤務期間別支給乗率に一〇〇/六〇を剰じた額を退職金として支給する。
一 会社の都合
二 業務上負傷または疾病により死亡し、もしくは業務に耐えられず解職されたとき
三 本人が死亡したとき
(中略)
第六条(勤続期間)
一 勤続期間の算出は採用の月から起算し、解職の月までとして一五日に満たない端数は切り捨てとする」
ウ 原告は、退職年金規程を定めて、従業員の退職年金制度を設けているが、その内容は次のとおりである(書証略)。
「第二条(適用範囲)
本規程の適用を受ける者は、会社に雇用される従業員とする。
(中略)
第三条(加入資格)
前条に該当する者は、全て本制度に加入する資格を取得する。
(中略)
第七条(年金の一時払い)
一 年金の受給資格者または保証期間中の受給者が、次の各号の一に該当する事由により年金の一時払いの請求をし、会社がこれを認めたときは、将来の年金の支給に代えて一時払いの取扱いをする。
ただし、請求の時期はアおよびイに該当する場合以外は、年金開始期日までに限るものとする。
ア 災害
イ 重疾病、後遺症を伴う重度の心身障害(生計を一にする親族の重疾病、後遺症を伴う重度の心身障害または死亡を含む)
ウ 住宅の取得
エ 生計を一にする親族(配偶者を除く)の結婚または進学
オ 債務の弁済
カ その他前各号に準ずる事実
(中略)
四 年金の支給に代えて支払う一時金の額は、年金月額に残存保証期間に応じ別表二(略)の率を乗じた額とする。
(中略)
第八条(支給の停止)
会社に著しい損害を及ぼし、就業規則の規定に基づいて懲戒解雇された者には、年金または一時金を支給しない。
(中略)
第一二条(退職年金の支給条件)
加入者が次に該当したとき、退職年金を支給する。
勤続一五年以上で定年に達し退職したとき
(中略)
第一四条(退職年金の支給期間)
退職年金の支給期間は一〇年間とし、年金開始後一〇年間の保証期間を付する。
(中略)
第一七条(制度の運営方法)
会社は本制度の健全なる運営を計るため、加入者を被保険者として第一生命保険相互会社と新企業年金保険契約を締結し、年金基金の管理運用及び年金給付の事務はこれを第一生命保険相互会社に行わせる。
第一八条(保険料の負担)
前条の新企業年金保険契約に基づく保険料は、全額会社が負担する。
第一九条(規程の改廃)
一 本制度は社会経済の情勢に応じ改正または廃止できるものとする。
二 本制度が廃止されたときは、年金基金を新企業年金保険契約に基づく各加入者の責任準備金に比例して、各加入者に配分する。ただし、すでに年金の支給を開始した加入者に対応する基金は、これを配分することなく当該加入者に継続して年金を支給する」
エ 原告は、平成六年九月一日、第一生命保険相互会社(以下、「第一生命」という)との間で、企業年金保険契約の変更協定(以下、「本件企業年金保険契約」という)を締結した(証拠略)。
(4) 本件企業年金保険契約の解約
ア 原告は、平成一四年五月三一日ころ、本件企業年金保険契約を解約した(証拠略)。
これを受けて、第一生命は、同年六月一八日、被告の預金口座に解約返戻金三二七万二二七七円(以下、「本件解約返戻金」という)を入金した(書証略)。
イ 原告は、遅くとも平成一四年六月二一日までに、被告に対し、第一生命から受領した本件解約返戻金を原告の預金口座に入金するよう指示した(書証略)。
しかし、被告は、これに従わず、同月二八日、原告に対し、内容証明郵便にて本件解約返戻金の返還を拒否する旨回答した(書証略)。
ウ 原告は、被告に対し、本件解約返戻金を原告に引渡さないことが業務上横領罪を構成し就業規則五三条一号(一〇条二号、五号違反)及び五三条七号の懲戒解雇事由に該当するとして、平成一四年六月二八日付けで被告を懲戒解雇する旨の意思表示(以下、「本件懲戒解雇」という)をした。
エ その後、原告は、被告に対し、平成一四年七月一二日までに本件解約返戻金を原告に返還するよう求めた(書証略)。
(5) 被告は、平成一五年八月二一日に満六〇歳に達した。
2 争点
(1) 被告の本件解約返戻金取得による不当利得または不法行為の成否
(2) 本件懲戒解雇の有効性
(3) 被告の原告に対する退職金不足分請求権の存否
(4) 本件懲戒解雇を不法行為とする損害賠償請求権の存否
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(被告の本件解約返戻金取得による不当利得または不法行為の成否)について
(原告の主張)
退職年金は、会社と従業員との契約に基づく給付であるから、本件で原告と被告との間の契約内容を定めるものは、就業規則及び退職年金規程であって、本件企業年金保険契約ではないし、また、適格年金制度自体が会社と従業員との間における解約返戻金の帰属や権利関係について直接に影響を及ぼすものでもない。
そして、原告の退職年金規程は、退職金の支払時期を退職時、一時払いの場合または退職年金制度廃止の場合と定めているところ、被告については、平成一四年六月一八日当時、上記のいずれの給付条件も満たしておらず、また、原告と被告の間の雇用契約の終了事由は定年退職ではなく本件懲戒解雇であり、これは退職金の不支給事由にあたるから、現在においても、原告が被告に対して退職金を支払う義務はなく、被告が本件解約返戻金を取得すべき法律上の原因はない。
したがって、被告による本件解約返戻金の取得は不当利得(被告は悪意の受益者)または不法行為にあたる。
(被告の主張)
本件解約返戻金は、退職金そのものではなく、被告が原告と第一生命との間の本件企業年金保険契約(被告を受益者とする第三者のための契約)に基づき適法に取得した金員である。
また、被告の本件解約返戻金取得の適法性については適格退職年金制度の制度趣旨からも説明することができる。すなわち、本件企業年金は社外積立ての退職手当制度であり、積み立てた掛金または保険料を損金または必要経費として扱うことができるという税制上の優遇措置を受ける適格退職年金制度が適用されるところ、この制度においては、積立金は受益者である従業員に帰属するという原則があり、企業倒産等によって制度が廃止された場合には、積立金は事業主に返還されずに、退職した従業員に分配されることとされている。そして、契約解除の場合の解約返戻金も、適格退職年金制度が企業に退職金制度を確立することを目的として設けられたものであることから考えて、退職金制度廃止の場合の積立金と同様に、受益者である従業員に帰属すると考えるべきである。
したがって、本件解約返戻金は、従業員である被告に帰属すべきものであるから、これを被告が取得することは法律上の原因に基づくものであり、不当利得にも不法行為にもあたらない。
(2) 争点(2)(本件懲戒解雇の有効性)について
(原告の主張)
ア 服務規程違反
被告は、上司である工場長から本件解約返戻金を原告に返還するよう指示された際、これが原告に帰属することを認識していたにもかかわらず、同指示に従わないばかりか、他の従業員らに対しても同指示に従わないよう働き掛けたものであって、このような被告の行為は、就業規則一〇条二号、五号違反にあたり、かつ、これによって著しく社内秩序を乱し、原告に迷惑を及ぼしたことから、就業規則五三条一号所定の懲戒解雇事由に該当する。
イ 横領行為
上記アのとおり、被告は、本件解約返戻金が原告に帰属することを認識しながら、その占有を継続したものであって、これは横領行為と評価すべきであるから、就業規則五三条七号所定の懲戒解雇事由に該当する。
(被告の主張)
被告は、自己に帰属すべき本件解約返戻金を受領しただけであり、横領の意思も事実もないから、本件懲戒解雇は明らかに合理的理由を欠き無効である。
よって、被告は、原告に対し、別紙賃金目録記載のとおり、本件懲戒解雇時から定年退職時までの未払賃金合計一七五万八五〇〇円の支払を求める。
(3) 争点(3)(被告の原告に対する退職金不足分請求権の存否)について
(被告の主張)
被告が定年退職時に受給することができる退職金は、退職年金規程七条四項、一四条によれば、五三五万二七七七円であり、本件解約返戻金三二七万二二七七円及び中小企業退職金共済制度による積立金一八五万七〇〇〇円(合計五一二万九二七七円)をこれに充当したとしても二二万三五〇〇円不足する。
よって、被告は、原告に対し、退職金の不足額として二二万三五〇〇円の支払を求める。
(原告の主張)
本件懲戒解雇は退職金の不支給事由にあたるから、原告が被告に対して退職金を支払う義務はない。
仮に本件懲戒解雇が無効であるとしても、平成一五年八月二一日の定年退職時に被告が受領できる退職金は、退職金規定四条(定年退職についても同条を適用するのが原告の慣例となっている)によれば、四八二万一八八五円であるから、被告の主張するような不足額は生じない。
(4) 争点(4)(本件懲戒解雇を不法行為とする損害賠償請求権の存否)について
(被告の主張)
ア 被告は、懲戒解雇事由に該当する事実が全くないにもかかわらず、原告から本件懲戒解雇を告知され、これによって、あたかも被告が犯罪者であるかのような内容証明郵便を原告代理人から送付されるなど深く名誉を傷付けられただけでなく、生活の不安に晒され、更には原告の提起した平成一四年事件への対応や、平成一五年事件を提起して自己の権利を実現せざるを得ないことにより大きな精神的負担を負うこととなったものであり、その精神的苦痛は、少なくとも二〇〇万円に相当する。
イ 被告は、平成一四年事件及び平成一五年事件の弁護士費用として五〇万円の支払を被告代理人に対して約した。
ウ よって、被告は、原告に対し、不法行為(本件懲戒解雇)に基づく損害賠償として、上記ア、イの合計二五〇万円の支払を求める。
(原告の主張)
争う。
第三当裁判所の判断
1 争点(1)(被告の本件解約返戻金取得による不当利得または不法行為の成否)について
本件企業年金保険契約は、その契約上、解約時の返戻金は、解約後に引き続き勤務する場合であっても、被保険者である従業員が受け取るものとされており(証拠略)、本件解約返戻金もこの約定に基づいて第一生命から被告に支払われたものであるから、被告がこれを取得することについては法律上の原因があるというべきである。
これに対し、原告は、原告と被告との間の雇用契約上の退職年金支給事由が発生していない、あるいはその不支給事由が発生したことを理由に、被告が本件解約返戻金を取得する法律上の原因はない旨主張するが、本件解約返戻金の法的性質は、あくまで本件企業年金保険契約の解約に基づく返戻金であって、退職年金そのものではなく、このことは同契約が退職年金の支払を実現する目的で締結されたとしても変わるものではないから、原告の上記主張は失当である。
したがって、被告が本件解約返戻金を取得したことは不当利得にも不法行為にも該当しない。
2 争点(2)(本件懲戒解雇の有効性)について上記1のとおり、被告は、平成一四年六月一八日時点で本件解約返戻金を適法に取得したものであるから、これを原告に返還しなかったことを理由とする本件懲戒解雇は権利の濫用というほかなく、無効である(なお、被告が他の従業員らに対して本件解約返戻金を返還するようにとの上司の指示に従わないよう働き掛けたことについては、そもそもこれを認めるに足りる証拠がない)。
したがって、原告は、被告に対し、本件懲戒解雇日から定年退職日までの未払賃金として別紙(略)記載のとおり一七五万八五〇〇円及びこれに対する定年退職日の翌日である平成一五年八月二二日から支払済みまで賃金の確保等に関する法律六条、同法施行令一条に基づく年一四・六パーセントの割合による遅延損害金の支払義務がある。
3 争点(3)(被告の原告に対する退職金不足分請求権の存否)について
被告は、原告から支払を受けるべき退職金が退職年金規程七条四項、一四条により五三五万二七七七円であることを前提に、同金額と本件解約返戻金及び中小企業退職金共済制度による積立金の合計額五一二万九二七七円との差額の支払を原告に求めているが、将来の退職年金の支給に代えて退職金(一時金)の支給を請求するには、同規程七条一項所定の各要件(<1>年金の受給資格者または受給者が同項アないしカ号の一に該当する事由により年金の一時払いの請求をすること、<2>会社がこれを認めること)を満たしていることが必要であるところ、本件の場合はこれらの要件が満たされていることを認めるに足りる証拠がないから、被告が原告に対し退職金(一時金)の支払を請求することはできない。
なお、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、定年退職によって被告が受領すべき退職金は、原告の慣例により退職金規定四条が適用される結果、四八二万一八八五円(八六、二〇〇×三三・五六三×一〇〇/六〇=四、八二一、八八四・三)であると認められるが、この場合には不足額が生じないから、いずれにせよ被告の主張は採用することができない。
4 争点(4)(本件懲戒解雇を不法行為とする損害賠償請求権の存否)について
本件懲戒解雇は、「本件解約返戻金は原告に帰属しており、被告がこれを取得する理由はない」との解釈に基づいて行われたものであるところ、本件解約返戻金が誰に帰属するかについては法律的な判断を要する事項であるから、法律の専門家ではない原告が就業規則や退職年金規程を理由に、本件解約返戻金の帰属について上記のような解釈をしたとしても、そのことのみを捉えて、本件懲戒解雇が無効であることにつき原告に故意または過失があったと推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、本件懲戒解雇は不法行為には該当しない。
5 以上のとおり、原告の請求は理由がないから棄却することとし、被告の請求は主文第一項記載の限度で理由があるから認容することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 木野綾子)
(別表、別紙略)