東京地方裁判所 平成14年(ワ)2003号 判決 2002年11月15日
原告
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
蜂屋信雄
被告
小田急電鉄株式会社
同代表者代表取締役
乙山一郎
同訴訟代理人弁護士
外井浩志
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,920万8451円及びこれに対する平成12年12月6日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,原告が,痴漢行為を理由とする懲戒解雇により退職金を一切支給しないのは不当である旨主張して,被告に対し退職金及び退職日の翌日である平成12年12月6日から商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
1 前提となる事実(証拠等によって認定した事実は文末に当該証拠等を掲記した。)
(1) 当事者
ア 被告は,鉄道事業等を主たる業務とする株式会社である。(争いのない事実)
イ 原告は,昭和55年4月1日(入社)から平成12年12月5日(退社)までの間,被告の従業員であった。(争いのない事実)
原告は,入社以来,前半の約9年間は「駅業務」で代々木上原駅や新宿駅でホームや改札業務等に従事し,後半の約11年間は「案内所」勤務で,ロマンスカーの予約受付や国内旅行業務の仕事に従事した。(<証拠略>)
原告は,被告において,退社までの間,普段はまじめに勤務していた。(<証拠略>)
(2) 懲戒解雇
ア 原告は,平成12年5月1日午後2時ころ,京王井の頭線の「渋谷駅」と「神泉駅」との間で,その電車に同乗していた女子大生に対してスカートの上からお尻を撫でるという痴漢行為を行い,目黒警察署に逮捕され,逮捕勾留後,同月12日,東京都迷惑条例違反で略式起訴され,20万円の罰金刑が言い渡され,同日,罰金を納めて釈放された。(争いのない事実,<証拠略>)
イ 被告が原告の釈放後に同人を事情聴取したところ,原告は,上記の痴漢行為を認める(ママ)ほか,平成9年12月,JR高崎線の電車内で痴漢行為を行い,逮捕起訴されて5万円の罰金刑に処せられたことも自供した。(争いのない事実,<証拠略>)
ウ 被告は,賞罰委員会を開催したうえで,平成12年6月14日,「鉄道業に携わる者が破廉恥行為を再犯し,悪質な行為に及んだことは,日夜増収努力を続けている他の係員に対する背信行為であり,懲戒解雇に処すべきところではあるが,普段の真面目な仕事ぶり,事件の重大性に深く反省していること,本件行為事実が外部に発覚することがなかったこと等を考慮し」,原告を昇給停止及び降職に止めることとした。(争いのない事実,<証拠略>)
原告は小田急案内所案内主任(2級)であったが,小田急案内所勤務となった。(<証拠略>)
エ 原告は,平成12年6月15日,「今後,万が一にもこのような不祥事を発生させ,会社,職場に迷惑をお掛けすることがあった場合,いかなる処分にも従いますので,何卒ご寛大なご処分をお願い申し上げます。」との記載のある始末書(<証拠略>)に署名押印し,被告に差し入れた。(<証拠略>)
オ 原告は,平成12年11月21日午前7時50分ころ,JR高崎線の「大宮駅」と「さいたま新都心駅」間で,その電車に同乗していた女子高校生に対してスカートに手を差し入れお尻を触るという痴漢行為を行い,大宮警察署に逮捕され,逮捕勾留の後,埼玉県迷惑条例違反で起訴された(以下「本件行為」という。)。(<証拠略>)
カ 被告の懲戒規定である鉄道係員懲戒規定の10条には懲戒処分を行うにあたっては本人に弁明の機会を与えるべき旨を規定されているところ,原告は,大宮警察署に勾留中の平成12年11月24日,同月27日,同月28日,いずれも被告従業員らの面会を受け,痴漢行為を認めるとともに,同月28日には,被告側が用意してきた「わたしはこのたび,平成12年11月21日(火),7時50分頃,JR高崎線大宮~さいたま新都市(ママ)駅間において痴漢行為を行い,大宮警察署に逮捕されました。この件についての行為事実を全面的に認めるとともに,会社のいかなる処分に対しても一切の弁明をいたしません。ここに自認書を提出し,しかるべくご処分をお待ちいたします。」との記載のある「自認書」と題する書面(<証拠略>)に対し,自ら署名指印し,被告に交付した。(<証拠略>)
キ 前項の面会の際,原告は,平成3年ころの痴漢行為についても自供し被告の知るところとなった。(<証拠略>,弁論の全趣旨)
ク 原告は,同年12月1日,埼玉県迷惑条例違反で正式起訴された。(<証拠略>)
ケ 小田急労働組合は,次のとおりの内容の「従業員の痴漢行為事件に対する組合見解」を出した。(<証拠略>)
議案の内容につきましては,組合の把握しております内容と相異ございませんので,特に質問はありません。議案につきましては,事件の内容等から判断しまして,この内容で了承させていただきます。
なお,組合といたしましては,本件に対し思うところを一言申し上げます。今回の事件につきましては,以前にも同様の犯罪を起こし鉄道業に携わる者として本来こうした犯罪に対し,否定をする立場にある者が起こしたことからも懲戒解雇処分を受けてもやむを得ない状況の中で,本人の勤務態度等を勘案し再出発を願ってチャンスを頂いた「昇級停止および降職の処分」でありました。こうした中,謹慎中であるにもかかわらず,再び同様の事件を起こしたことは社会的にも許されないことであります。これは同僚の組合員・会社を裏切る行為であり極めて残念であり遺憾に思います。組合員が起こした犯罪として組合といたしましてもお詫び申し上げます。今後,このような事件を2度と発生させないためにも会社と協力し合いモラルの向上に努めてまいりたいと存じます。会社におかれましても,職場秩序の一層の構築にご努力をお願いし,本事件に関する組合見解とさせていただきます。
コ 被告は,労働組合の代表も委員となっている賞罰委員会の討議を経て,同月5日,原告が平成12年11月21日に痴漢行為を行い,逮捕勾留後,埼玉県迷惑条例違反で起訴されたことをもって,鉄道係員懲戒規程7条5号に該当するとして,原告を懲戒解雇した(以下「本件懲戒解雇」という。)。(<証拠略>)
鉄道係員懲戒規程7条5号は「業務の内外を問わず,犯罪行為を行ったとき。」,降職,昇級停止又は懲戒解雇(但し情状により出勤停止)に処すると定めている。(<証拠略>)
なお,鉄道係員懲戒規程は以下のとおりの規定を置いている。(<証拠略>)
鉄道係員が,本規程6条(けん責,減給,出勤停止に付すべき事項)または7条(降職,昇級停止,懲戒解雇に付すべき事項)の各号の1に該当すると認められるときは,所属課長は,その旨を人事課長に通報する。(8条)
前条により通報を受けた場合,人事課長は,その事実を調査し,懲戒する必要があるときは,ただちに調書を作成し,社長に報告しなければならない。(9条)
前条の事実調査において,当該係員は,弁明を行うことができる。(10条)
サ 被告は,前記のとおり,原告を懲戒解雇したが,本人,家族の当面の生活設計を考慮し,解雇予告の除外認定手続をせず,原告に対し,解雇予告手当金44万1300円及び平成12年度の冬季一時金45万5873円を支払った。(争いのない事実,<証拠略>)
シ 本件行為に関し被告の企業名が報道された事実はない。(弁論の全趣旨)
ス 被告を含め,電鉄会社は痴漢撲滅運動に力をいれている。(<証拠略>)
(3) 退職金支給規則等
ア 被告には退職金支給規則(以下「退職金支給規則」という。)があり,退職金支給規則に基づき算出した原告の退職金の額は以下のとおりである。(争いのない事実)
勤続年数 20年9月
支給率 37.96
退職金算定基礎額 24万2583円
計算式 24万2583円×37.96=920万8451円(円未満切り上げ)
退職金支給額 920万8451円
イ 被告会社では退職金は退職日に支給される慣行となっており,原告の退職金の支給日は平成12年12月5日である。(争いのない事実)
ウ 退職金支給規則4条には「懲戒解雇により退職するもの,または在職中懲戒解雇に該当する行為があって,処分決定以前に退職するものには,原則として,退職金は支給しない。」と規定している。(<証拠略>)
2 争点
(1) 本件懲戒解雇の有効性
ア 本件懲戒解雇手続の瑕疵
【原告の主張】
原告は「自認書」と題する書面に署名しているが,原告と被告会社の従業員との面会は警察の係官が立ち会い,ガラス越しに10分程度話したにとどまり,前記書面は被告が用意したもので,内容を検討するゆとりも与えられずに,すぐに署名を求められているのであるから,原告はその自由意思に基づいて署名したとは到底いえない。本件では,留置場での限られた面会以外に弁明の機会はなく,原告には弁明の機会が実質的に与えられたとはいえないから,懲戒解雇手続には瑕疵があり,本件懲戒解雇は無効である。
原告は,被告から住宅購入資金の貸付を受けており,退職の際には一括返済しなければならないが,返済できない場合に備えて保険がかけられていた。原告は,現在,三井住友海上火災保険株式会社から,1186万1388円の請求を受けており,原告は家を失うことになりかねないが,賞罰委員会のメンバーは,保険会社から請求されることはないと誤解していたようであり,この点,懲戒解雇手続には瑕疵がある。
【被告の主張】
原告は,逮捕勾留時に被告の人事課担当者と面接したとき,懲戒解雇されるにつき,全く抵抗するなどの行為はなく,むしろ申し訳ないという態度であり,懲戒解雇になることについても当然であるという態度であった。被告が用意してきた「自認書」を被告の人事課担当者が読み上げ,今回の行為について事実確認を書面で用意してきたので,了承してもらえるのであれば署名指印して欲しいと説明したところ,原告は躊躇なく,書面を確認の上,署名指印した。
賞罰委員会は,原告が被告より融資を受けて返済中であることは事情として知っていた。原告が保険会社の債務につき返済ができるか否かは,賞罰委員会は関知していないし,関知するところでもない。保険会社が,保険金を支払うことによって代位取得した当該貸付金債権につき,これを行使するか否かは,被告やその賞罰委員会において判断できることではない。なお,保険会社は,分割払の希望にはできる限り応じるつもりとしているところ,仮に,原告が被告に在籍していたとしても,原告は分割で被告に返済しているはずであり,債務を返済するのは元々の前提であったはずである。
イ 本件懲戒解雇の相当性
【原告の主張】
本件行為は痴漢という重大な犯罪行為ではあるが,業務に関連しない私生活上の行為であり,本件行為に関連して被告の社名が報道されたわけでもなく,被告の社会的信用が傷ついた事実はない。被告が原告に対し,レポートや日記の提出,飲酒禁止等を命じ,原告の私生活に過度の干渉をしたことも事件の一因であることからすれば,本件懲戒解雇は,事案の程度からして均衡を失し,重すぎるものであって無効である。
【被告の主張】
本件行為は私生活上の行為ではあるが,痴漢という重大な犯罪行為であり,しかも原告は本件行為以前に少なくとも3回は同種の痴漢行為を行って罰金刑に処せられており,さらに賞罰委員会を経て昇給停止及び降職という懲戒処分を受けた約半年後に本件行為は行われていること,鉄道事業者に勤務する監督職である者が同業他社の電車内で痴漢行為を行うというあるまじき行為であること,被告は,解雇予告手当44万1300円及び冬季一時金45万5873円を支払っていることなどからすれば,本件懲戒解雇は相当である。
(2) 退職金不支給の有効性
【原告の主張】
懲戒解雇に伴い退職金を不支給とするには,長年の功労を消し去るほどの不信行為がなくてはならないところ,本件行為は私生活上の行為であり,被告の業務と関連性もなく,被告の社会的信用等を毀損した事実もなく,一方,原告は,刑事責任や退職による社会的制裁を既に受けており,また,原告は,被告に20年あまり真面目に勤務してきたことからすれば,長年の功労を消し去るほどの不信行為があったとはいえないので,本件退職金不支給は無効である。
【被告の主張】
被告では,退職金支給規則4条により,懲戒解雇者に対する退職金は「原則として支給しない」と定められており,本件行為は例外的に退職金を支払うようなものではないことは明らかである。
また,本件行為は以下の事情からすれば,長年の功労を消し去るほどの不信行為があったといえるので,本件における退職金の不支給は有効である。
<1> 本件行為は,痴漢という重大な犯罪行為である。
<2> 原告は,本件行為と同種の痴漢行為を行って,罰金20万円という東京都迷惑条例の当時の罰金刑上限の刑に処せられた。
<3> 原告は,前回の痴漢行為により,本来であれば懲戒解雇されるべきところ,昇給停止及び降職という懲戒処分を受けるにとどまったが,本件行為は,わずか約半年後に行われた。
<4> 被告は鉄道事業を主たる業務とする株式会社であり,近年痴漢行為の撲滅運動を積極的に行っているところ,原告は,もともと痴漢行為を防止すべき電鉄会社の従業員であり,しかも管理職である。
<5> 原告の所属していた労働組合も,懲戒解雇という被告の処分案を了承している。
<6> 被告は,解雇予告手当44万1300円及び冬季一時金45万5873円を支払っている。
第3争点に対する判断
1 本件懲戒解雇手続の瑕疵について
被告の鉄道係員懲戒規程は,人事課長が,鉄道係員に同規程6条又は7条の事由に該当する事実につき調査をするにあたり,当該係員は弁明を行うことができるとしているのであるから,同規程10条の趣旨は,人事課長が,懲戒事由を調査の上,調書を作成して社長に報告するにあたり,当該係員に懲戒事由につき弁明の機会を付与したものと解するのが相当である。なお,被告の懲戒手続につき,鉄道係員懲戒規程10条のほかに,当該係員に弁明の機会を付与する旨の規定は存しない。
そこで,本件において,同規程10条の定める弁明の機会が付与されているかについてみるに,被告は,原告が平成12年11月21日に痴漢行為を行い,逮捕勾留後,埼玉県迷惑条例違反で起訴されたことをもって,同規程7条5号(業務の内外を問わず,犯罪行為を行ったとき。)に該当するものとして,原告を懲戒解雇している事実が認められるところ,本件においては,前記のとおり,<1>原告は,大宮警察署に勾留中の平成12年11月24日,同月27日,同月28日,いずれも被告従業員らの面会を受け,その際,痴漢行為を認めていること,更に,<2>同月28日には,被告側が用意してきた「わたしはこのたび,平成12年11月21日(火),7時50分頃,JR高崎線大宮~さいたま新都市(ママ)駅間において痴漢行為を行い,大宮警察署に逮捕されました。この件についての行為事実を全面的に認めるとともに,会社のいかなる処分に対しても一切の弁明をいたしません。ここに自認書を提出し,しかるべくご処分をお待ちいたします。」との記載のある「自認書」と題する書面(<証拠略>)に自署の上指印し,被告に交付していることがそれぞれ認められるのであって,これらの事実に照らせば,原告には,同規程10条に定められた懲戒事由に対する弁明の機会を十分に与えられたと認められるのであって,懲戒手続に瑕疵があるとは認められない。
この点に関し,原告は,「自認書」の内容を検討するゆとりも与えられずに,すぐに署名を求められているのであるから,原告はその自由意思に基づいて署名したとは到底いえないと主張するが,前記のとおり,原告は,数回にわたって,被告従業員らの面会を受け,その際,痴漢行為を認めているのであるから,「自認書」の作成経過如何にかかわらず,弁明の機会は十分付与されているといえるから,原告の主張は採用できない。
また,原告は,本件では,留置場での限られた面会以外に弁明の機会はなく,原告には弁明の機会が実質的に与えられたとはいえないから,懲戒解雇手続には瑕疵がある旨主張するが,留置場での限られた面会であっても,原告は痴漢行為を認めていたのであるから,弁明の機会としては十分であり,原告の主張は採用できない。
さらに,原告は,賞罰委員会のメンバーは,原告が保険会社から請求されることはないと誤解していたようであり,この点,懲戒解雇手続には瑕疵がある旨主張するが,仮に,原告主張のとおり,賞罰委員会のメンバーが誤解していたし(ママ)ても,被告の懲戒規定をみても,そのことによって,本件懲戒手続に瑕疵が生じる趣旨の規定はなく,原告の主張は採用できない。
2 本件懲戒解雇の相当性について
営利を目的とする会社がその名誉,信用その他相当の社会的評価を維持することは,会社の存立ないし事業の運営にとって不可欠であるから,会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような従業員の行為については,それが職務遂行と直接関係のない私生活上で行われたものであつ(ママ)ても,これに対して会社の規制を及ぼしうることは当然認められなければならない。被告の鉄道係員懲戒規程7条5号も,このような趣旨において,犯罪行為という社会一般から不名誉な行為として非難される従業員の行為によって,会社の名誉,信用その他の社会的評価の低下毀損につながるおそれがあると客観的に認められる場合には,制裁として,当該従業員を会社から排除しうることを定めたものと解される。ところで,従業員の犯罪行為によって会社の名誉,信用その他の社会的評価の低下毀損につながるおそれがあると客観的に認められる場合とは,必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生を必要とするものではなく,当該犯罪行為の性質,情状のほか,会社の事業の種類・態様・規模・経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に判断して,当該犯罪行為のために会社の社会的評価に及ぼされる悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合であれば足りるものと解される。
そこで,本件行為についてみると,原告のなした行為は,平成12年11月21日にJR高崎線の電車に同乗していた女子高校生に対し,スカートに手を差し入れお尻を触るという痴漢行為であって,極めて破廉恥な犯情悪質な事案というべきところ,その後,原告は,逮捕勾留の後,埼玉県迷惑条例違反で正式に起訴されているばかりか,原告は痴漢行為により,平成3年ころと平成12年5月(本件行為のわずか約半年前である。)の2回にわたって逮捕された経歴を有し,しかも,後者については,罰金20万円に処せられたほか,被告において,「鉄道業に携わる者が破廉恥行為を再犯し,悪質な行為に及んだことは,日夜増収努力を続けている他の係員に対する背信行為であり,懲戒解雇に処すべきところではあるが,普段の真面目な仕事ぶり,事件の重大性に深く反省していること,本件行為事実が外部に発覚することがなかったこと等を考慮し」,(ママ)原告を昇給停止及び降職に止める旨の措置がとられていたこと,労働組合も,事件の内容等に照らし,懲戒解雇をやむを得ないとしていること,被告は鉄道事業等を主たる業務とする株式会社であるところ,被告を含め,電鉄会社は痴漢撲滅運動に力をいれており,原告は,本来,鉄道業に携わる者としてこうした犯罪から乗客を守るべき立場にあることなどに照らすと,被告の規模,原告の地位のほか,本件行為に関し被告の企業名が報道された事実が存しないこと等を斟酌しても,本件行為については,これによって被告の名誉,信用その他の社会的評価の低下毀損につながるおそれがあると客観的に認められるといわざるを得ず,また,これらの事実に照らした場合,懲戒として懲戒解雇を課したことも,懲戒権者に認められる裁量権の範囲を超えるものとは認められないものというべきである。
この点に関し,原告は,本件行為は痴漢という重大な犯罪行為ではあるが,業務に関連しない私生活上の行為であり,本件行為に関連して被告の社名が報道されたわけでもなく,被告の社会的信用が傷ついた事実はなく,被告が原告に対し,レポートや日記の提出,飲酒禁止等を命じ,原告の私生活に過度の干渉をしたことも事件の一因であることからすれば,本件懲戒解雇は,事案の程度からして均衡を失し,重すぎるものであって無効であると主張する。しかしながら,前示のとおり,被告が,懲戒として,原告に懲戒解雇を課したことは,懲戒権者に認められる裁量権の範囲を超えるものとは認められないから,原告の主張は採用できない。
3 退職金不支給の有効性について
前示のとおり,本件懲戒解雇は有効であると認められるところ,被告の退職金支給規則4条には「懲戒解雇により退職するもの,または在職中懲戒解雇に該当する行為があって,処分決定以前に退職するものには,原則として,退職金は支給しない。」と規定していることから,退職金不支給の有効性が問題となる。
ところで,被告の退職金支給規則(<証拠略>)によれば,被告における退職金は算定基礎賃金(退職金算定基礎額)に勤続年数別の支給率を乗じるものであって,賃金の後払的性格をも有していると認められるから,その退職金の性格にかんがみれば,退職金不支給規定を有効に適用できるのは,従業員のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合に限られると解すべきである。
そこで,本件において,従業員のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為があったか否かにつき判断するに,前示のとおりの,本件行為の態様,原告の同種事件における刑事処分歴や懲戒処分歴,被告の経営方針等に照らすと,本件行為は,原告のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為というほかないから,被告の退職金不支給の措置は有効であるといわざるを得ない。
この点に関し,原告は,本件行為は私生活上の行為であり,被告の業務と関連性もなく,被告の社会的信用等を毀損した事実もなく,一方,原告は,刑事責任や退職による社会的制裁を既に受けており,また,原告は,被告に20年あまり真面目に勤務してきたことからすれば,長年の功労を消し去るほどの不信行為があったとはいえない旨主張している。
しかしながら,本件行為は,私生活上の行為ではあっても,常習性すら窺われる極めて破廉恥な犯情悪質な痴漢行為であり,また,痴漢行為自体は被告が撲滅運動に取り組んでおり,その業務に関連性がないとはいえないのであって,前示のとおり,本件行為は被告の名誉,信用その他の社会的評価の低下毀損につながるおそれがある行為といわざるを得ないから,原告が被告において,退社までの間,20年間にわたって普段はまじめに勤務しており,原告が退職によって社会的制裁を受けている事実を斟酌しても,本件行為は,原告のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為といわざるを得ず,原告の主張は採用できない。
4 以上のとおりであるから,原告の請求には理由がない。
(裁判官 三浦隆志)