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東京地方裁判所 平成14年(ワ)2297号 判決 2004年1月30日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は,原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,金5000万円及びこれに対する平成3年8月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,平成3年8月27日,被告が開設するAセンター(以下「被告病院」という。)において,食道癌の治療のために右開胸・開腹,胸部食道全摘,胸骨後胃管再建手術(以下「本件手術」という。)を受けた原告が,被告に対し,被告病院の医師らにおける,食道癌ではなかった,あるいは内視鏡による手術を行うべきであったにもかかわらず本件手術を行った,本件手術の際に第5肋骨及び第6肋骨を切離するべきであったにもかかわらず部分切除した,食道癌であること及び肋骨を部分切除することなどについて説明をしなかったという過失により,原告の右胸から背中にわたり痛みが残ったとして,被告に対し,債務不履行に基づき損害賠償を請求している事案である。

1  争いのない事実等

(1)  被告は,被告病院を開設しており,B医師及びC医師は,被告病院において,主として原告の診療及び手術に当たった者である(争いのない事実)。

(2)  原告は,昭和2年1月8日生まれの男性で,Dは,原告の妻である(争いのない事実)。

(3)  原告は,平成3年5月1日に受けた人間ドックにおいて,慢性胃炎,胃潰瘍の疑いがあると診断され,同年7月3日,被告病院の消化器科を受診し,同月11日,被告病院において,十二指腸ファイバースコープによる検査を受診し,同年8月2日,被告病院の消化器科に入院し,被告との間に,食道の異常の治療等を行う旨の診療契約を締結した(争いのない事実,甲A2,乙A1,原告本人)。

(4)  Bら被告病院医師ら(以下「Bら」という。)は,原告について食道癌であるという確定診断を行ったが,原告に対しては食道癌という診断名を告げずに本件手術を実施することとし,同年8月27日,原告に対し,被告病院において,本件手術を施行した。本件手術の術式は,右側の肋間を開胸し,胸部食道と転移の可能性のあるリンパ節を切除し,開腹して胃袋を細長くし,食道の代わりとするとともに,腹部のリンパ節も切除し,頚部を切開し,再建された胃管を頚部まで引き出し,胃管と頚部の食道を縫ってつなぐものである(争いのない事実,甲A2,乙A1,証人B)

(5)  Bらは,本件手術の際,原告の肋間を開胸するに当たって,原告の第5肋骨及び第6肋骨をそれぞれ1.5センチメートルほど部分切除した(争いのない事実,乙A1,4(枝番含む,以下同じ。),証人B)。

2  争点

(1)  原告に対する本件手術の必要性の有無

(2)  2本の肋骨の部分切除の必要性の有無

(3)  説明義務違反の有無

(4)  因果関係(判断の必要がなかった争点)

(5)  損害額(判断の必要がなかった争点)

3  争点についての主張

争点に関する当事者の主張は,別紙争点整理表記載のとおりである。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(原告に対する本件手術の必要性の有無)について

(1)  原告は,まず,Bらが本件手術当時において,原告が食道癌であるという医学的根拠は乏しかったにもかかわらず,本件手術を施行したと主張するので,原告が本件手術当時食道癌であったか否かについて検討する。

ア 前記第2,1(3)(4)の事実及び証拠によれば,以下の事実が認められる。

(ア) 原告は,平成3年5月1日に受けた人間ドックにおいて慢性胃炎,胃潰瘍の疑いがあると診断され,胃カメラによる再検査を勧められ,同年5月18日の再検査の結果,食道下部に擦り傷があることを指摘され,同年7月3日,被告病院を受診した(第2,1(3)の事実,乙A1,甲A2,原告本人)。

(イ) 原告は,同月11日,被告病院において,内視鏡検査及び内視鏡的生検(内視鏡を用いて直視下に組織を採取し,プレパラートを作成した上で顕微鏡において観察し,病理学的な診断を行うもの)(以下,これらを総称して「第1回生検」という。)を受けた。第1回生検の結果,原告には,中部から下部の食道にびらん及び発赤の散在が認められ,採取された組織から癌細胞が発見されたとされ,組織診断として,基定膜を破っていない食道の粘膜内偏平上皮癌と診断された(乙A1,8(枝番含む,以下同じ。),10)。

(ウ) 原告は,同年8月2日,被告病院の消化器科に入院し,同月6日,上部消化管造影検査を受けたところ,中部食道に小バリウム斑の疑いが認められたが不明瞭で再現性に欠けるものであった。原告は,同月9日,手術目的で外科に転科し,同月14日,再度上部消化管造影検査を受けたところ,食道と胃の接合部より2センチメートルから7センチメートルの胸部下部食道に粘膜の不正像が認められた(乙A1,9(枝番含む,以下同じ。),10,証人B)。

(エ) 原告は,同月20日,第2回目の内視鏡検査及び内視鏡的生検を受けた(以下,これらを総称して「第2回生検」という。)。第2回生検において,原告に線状潰瘍,境界不明瞭なびらんが発見され,その部分はルゴール液によって染色されなかったが,採取された組織からは癌細胞が発見されず,組織診断として,バレット食道及び扁平上皮の再生上皮の疑いと診断された(乙A1,9,10,証人B)。

(オ) 被告病院外科においては,原告の症例に関してカンファレンスを行い,原告に対し本件手術を施行することにコンセンサスを得た上で,同月27日,原告に対し,食道癌の診断で,Bの執刀によって本件手術を実施し,食道と腹部のリンパ節を切除した。本件手術後,原告からの切除標本について,組織学的検査(以下「術後組織検査」という。)が行われ,その結果,バレット食道,点状出血を伴う陥凹が発見されたが,切除された食道から癌組織が発見されなかった(第2,1(4),乙A1,10,証人B)。

イ(ア) 証拠(乙A1,5(枝番含む,以下同じ。),6,7,10,証人B)及び弁論の全趣旨によれば,第1回生検の結果,原告から採取された組織から癌細胞が発見されたことは真実であり,本件手術当時,原告は食道の扁平上皮癌であり,被告病院が食道癌と診断したことは,医学的根拠に基づいた合理的なものであったと認められる。

(イ) 前記ア(エ)(オ)認定のとおり,第2回生検においては,組織を採取した部位からは癌細胞が発見されず,本件手術後の切除標本の術後組織検査においても,癌細胞は発見されなかったことが認められる。

しかし,証拠(乙A1,8,9,10,証人B)によれば,第2回生検において組織を採取した部位は,病変の広がりを診断するために,第1回生検とは異なる位置の組織を採取したこと,術後組織検査は,切除標本の一部を5ミリメートル間隔で切りだし,その割面からさらに3ないし5マイクロメーターの薄い切片を作った上でその断面を検査することによって行われるものであり,切除標本のすべてを検査したものではないことが認められ,これらの事実によれば,第1回生検において癌細胞が発見されたことと,第2回生検及び術後組織検査において癌細胞が発見されなかったことは矛盾するものではないから,第2回生検及び術後組織検査において癌細胞が発見されなかったことをもって,第1回生検の結果が誤りであったということはできず,他にこれを覆す証拠もない。

ウ 以上によれば,被告病院が,原告に対し,食道癌と診断したことが誤りであったということはできず,これを前提とする原告の主張は理由がない。

(2)  次に,原告は,仮に食道癌であったとしても,本件の場合は内視鏡による粘膜切除術によるべき症例であったのだから,本件手術を行ったことに過失があったと主張する。

ア そこで検討するに,証拠によれば,以下のとおり,内視鏡による粘膜切除術に関する文献上の知見等が存在することが認められる。

(ア) 食道粘膜癌の治療における内視鏡的粘膜切除術とは,内視鏡を食道内に挿入し,鉗子孔から病巣にヨード液を散布して染色を行って病巣の位置と大きさを確認し,病巣を中心に粘膜を盛り上げるように粘膜下層に生理食塩水を注入して粘膜と粘膜筋板を粘膜下層から剥離し,病巣辺縁に把持鉗子をかけて病巣全体を把握して持ち上げ,高周波スネアを閉じて食道粘膜を締めつけ,高周波電流を用いて切除するという術式であり,隆起性の病変に施行されるポリペクトミーとは区別される(甲B1,4,5,乙B8,10,証人B)。

(イ) 内視鏡的粘膜切除術は,癌の深達度が粘膜固有層中層くらいまでにとどまり,リンパ節転移及び脈管侵襲が認められず,病巣の範囲が長径2センチメートルくらいまでであり,全周性でなく,病巣数が3,4個までの症例において適応となる(甲B1,2,3,4,5,乙B11,12,13)。

(ウ) 上記(イ)のとおり,内視鏡的粘膜切除術を施行するためには,術前に食道癌の深達度を正確に診断することが必要になるが,癌の深達度を正確に診断するに当たっては,通常内視鏡以外に20MHzのミニチュアプローブによる超音波内視鏡を施行することに加えて,CT画像上において,リンパ節転移のないことを確認する必要がある(甲B4,乙B13)。

(エ) 平成2年に,食道における内視鏡的粘膜切除術が初めて臨床例に施行された報告例が発表された(甲B4,5,乙B8)が,甲B4においては,8例の報告があるのみであり,食道表在癌に対するストリップバイオプシー(粘膜切除術)の報告はいまだ少なく,数施設で行われているにすぎないこと,この治療方針が成立するためには正確な術前深達度診断ができなければならないことが指摘されており,また,甲B5においては,5例の報告があるにすぎない。

食道における内視鏡的切除法について,ポリペクトミーの報告はあるものの,いまだ確立された方法はないこと,表在癌に対する内視鏡的切除等の診断,治療を目的とした食道のストリップバイオプシーの手技の確立が望まれていること,十分な効果判定は今後の問題であり,現在のところ,重篤な合併症を有する者や手術拒否例等何らかの理由で手術が困難な症例を対象としていることを指摘している平成4年の文献が存在し(甲B1,乙B11),また,平成2年ころには,内視鏡的粘膜切除術はその安全性について危惧されており,内視鏡的に早期食道癌が治療できるようになったのは,ごく最近のことであること,その背景には,適応症例の判別の眼が肥やされたこと,安全性へ向けての手技の改良がされてきたことを指摘する平成9年の文献が存在する(甲B3)。

(オ) 上記(イ)(ウ)のとおり,内視鏡的粘膜切除術を施行するためには,術前に食道癌の深達度を正確に診断することが必要になるが,平成3年当時のCTの精度はそれほど感度が良かったものではなく,CTの精度が上がったのは,スパイラルCT等が登場した平成8年ころからであり,また,本件手術当時,超音波内視鏡による診断法も標準的なものではなく,被告病院には超音波内視鏡は備え付けられていなかった(乙A10,B13,証人B)。

(カ) 一方,食道切除術は,今までは食道癌に対する最小の侵襲の手術として,外科医の第一選択として施行されていたとの平成9年の文献が存在する(甲B3)。

イ(ア)a 前記1(1)ア(イ)(エ)の事実及び証拠(乙A1,10,証人B)によれば,原告に対する第1回生検及び第2回生検の結果,原告の癌はいまだ食道の基底膜を破っていない粘膜内偏平上皮癌であり,大きいものではなく,広範囲にも及んでいないものと診断されたこと,平成3年8月9日及び同月20日,リンパ節転移の可能性について診断するために,CT検査を行ったところ,肝内やリンパ節に転移を疑う所見は認められず,胸腔内にも狭窄,拡張等の所見はなかったことが認められる。

b 一方,上記ア(ウ)(オ)の各事実及び証拠(乙A1,8,9,10,B12,証人B)によれば,癌の深達度を判断するに当たっては超音波内視鏡を施行することが必要であるところ,原告の癌の深達度の判断は超音波内視鏡によるものではなく,通常内視鏡の所見による判断でありその正確性は必ずしも十分であるとはいえないこと,原告の食道の病変部分には線状潰瘍,境界不明瞭なびらん,発赤がみられ,癌や潰瘍等の異常な上皮がある場合にはルゴール液によって染色されないところ,食道の病変部分はルゴール液によって染色されなかったこと,Bらは原告の食道の粘膜が引きつれていたことなどから癌が粘膜下層にまで及んでいる可能性も予想したこと,また,本件手術当時のCTはそれほど感度が良くなく,CT検査によってリンパ節転移がなかったとしても,これが全く否定されるものではなく,上記のとおり癌が粘膜下層まで及んでいる場合にはリンパ節転移の可能性もあったことが認められる。

c 上記aの事実及び前記ア(イ)に認定した内視鏡的粘膜切除術の適応を考えると,原告の癌は,内視鏡的粘膜切除術の適応があったといえなくもないが,上記bの事実によれば,原告の癌が内視鏡的粘膜切除術の適応に該当すると断定することにはいささかの躊躇を覚えるといわざるを得ず,Bらが原告の癌について,粘膜下層にまで及んでいる可能性も予想し,また,リンパ節転移の可能性も否定しなかったことは相当であったと認められる。

(イ) さらに,前記ア(エ)によれば,内視鏡的粘膜切除術は,本件手術が行われた平成3年当時において,これを行っている医療機関が存在したことが認められるが,それは試験的な試みとしての報告例と位置付けられるものにすぎず,複数の文献が,本件手術当時において内視鏡的粘膜切除術の安全性及び有効性が確立していなかったことを示しているのであるから,本件手術当時,食道癌に対する手術方法として内視鏡的粘膜切除術の安全性及び有効性が医療水準として確立していたものと認めることはできない。

そして,前記ア(カ)によれば,本件手術当時,食道切除術が,食道癌に対する最小の侵襲の手術として,外科医の第一選択として施行されていたことが認められる。

(ウ) これらによれば,Bらが原告に対し内視鏡的粘膜切除術を施行せず,本件手術を行ったことをもって,過失があるとすることはできない。

(3)  以上によれば,被告病院が,原告に対し,食道癌との診断の下に,本件手術を行ったことに過失があったということはできず,この点に関する原告の主張は理由がない。

2  争点(2)(2本の肋骨の部分切除の必要性の有無)について

(1)  証拠(乙A1,4,10,証人B)によれば,原告に対する本件手術の術式及び2本の肋骨を部分切除した経過について,Bらは,本件手術を施行するに際し,開胸の方式として肋間開胸式を選択し,原告の第5肋骨と第6肋骨の間から開胸を行うこととし,原告の右側胸部の皮膚及び筋肉層を切開して,第5肋骨及び第6肋骨を露出させ,その間の肋間筋を切離し,胸膜を切開した後,第5肋骨と第6肋骨との間に開胸器を装着したこと,開胸器のハンドルを回して徐々に開胸器を広げていくと,ボキボキという音がして抵抗がかかったので,肋骨骨折を防ぐために,骨膜を開き第5肋骨のうち約5ミリの幅を肋骨剪刀で切り取り,第5肋骨の一部を切除したこと,さらに,開胸器を広げたところ,十分な術野が得られないうちに再びボキボキという音がしたので,第6肋骨を同じ部位で部分切除したこと,Bらは,部分切除した肋骨断端の突起によって神経,血管,周辺組織が損傷することを予防するため,肋骨断端の突起をリュールでとり,さらにやすりをかけて断端部分を円滑にしたことが認められる。

(2)  証人Bは,肋骨の部分切除の必要性について,開胸器を使用して無理に術野を広げて肋骨骨折を起こした場合には,自然に切離ないし切除した部分と比べて,不自然な形で折れて術後の痛みも激しいので,肋骨骨折を防ぎ十分な術野を確保するために肋骨の切離又は切除を行うこと,切離にとどめる場合には,肋骨断端の突起によって神経,血管,周辺組織が損傷したり,周りの組織が修復する際骨の切断面の間に組織が挟み込まれて虚血や壊死を起こしたり,血管が挟み込まれた場合には出血を起こす危険性があるので,肋骨の切断面を処置できるように肋骨をある程度の幅をもって切除し,リュールとやすりを使って断端をスムーズにして,神経,動脈,静脈,筋肉を損傷しないようにすると証言している。

(3)  開胸を行う際の術式,肋骨切除等については,以下のとおりの文献上の知見が存在する。

ア 開胸を行う際の術式について,以下のとおり分類した昭和49年の文献が存在する(乙B5)。

(ア) 肋間開胸法

最も簡単な方法であり,肋間を切開して胸腔に達するものである。これは,術後胸壁の変形を残すことがないので,幼小児の手術に際してしばしば用いられる。しかし,成人では,一般に本法では手術野が狭いので,手術操作が十分に行われにくい。

(イ) 肋間切開肋骨切断法

肋間切開に肋骨の切断を行い,視野を広くする方法である。多くは肋骨切断だけでは術後切断端の摩擦が起こるので,これを避けるために,肋骨の一部分を切除する方法が行われている。

(ウ) 肋間切開肋軟骨切断法

肋間切開と同時に,その上下の胸骨に近い肋軟骨を切離して手術野を拡大する方法である。

(エ) 肋骨切除開胸法

肋骨を切除すれば,十分な手術野を得ることができる。この場合,肋骨の後面の骨膜を剥離して,骨膜下に肋骨切除を行えば,肋間動脈を損傷することもなく骨膜が残存するので,後に骨が新生する。次いで骨膜床と胸膜を切開して開胸する。

(オ) 肋骨切除肋骨切断法

肋骨切除に加えて,さらにその上又は下の肋骨切断を追加すれば,一層手術野を広くすることができる。

(カ) 肋骨切断排除肋骨床開胸法

肋骨を切除することなく,肋骨の1箇所を切断する術式である。切断部は,通常,横突起より約1センチメートル離れたところで行われる。切断後はその肋骨を一側に排除し,骨膜床と胸膜を切開して開胸する。

イ 肋間開胸及び肋骨床開胸のいずれの場合でも,年長者では肋骨を切断若しくは切除して術野の拡大を図ること,高齢者の肺癌手術の場合には広範な胸腔内操作を必要とするから上下2本の肋骨の切断が必要となる場合があることを指摘する昭和55年の文献が存在する(乙B2)。

ウ 肋骨開胸と肋骨床開胸のどちらを用いるかは術者の好みによること,開胸の手技について,広い視野を得るため開胸肋間の上又は下の肋骨の脊柱側を1センチメートルほど切離する場合もあるとの平成3年の文献が存在する(乙B4)。

エ 後側方開胸術について,必要に応じ十分な視野を得るために下位,上位の肋骨を胸椎横突起の近くで肋骨剪刀を用いて切離するとの昭和58年の文献が存在する(乙B6)。

オ 肋骨床開胸には,肋骨を切除する場合と,肋骨の切離のみにとどめる場合とがあるが,食道癌は一般に高齢者に多く,このため肋骨切離による開胸が多く用いられており,右開胸による食道切除術に際しては,開胸した下部の肋骨(第5肋骨又は第6肋骨)を,できるだけ後方部で,骨剪刀で切離するとの昭和63年における文献が存在する(乙B3)。

(4)ア  前記(3)アないしオに指摘した文献において,切離,切除及び切断の用語について必ずしも一致した定義の下使用されているとはいえないが,前記(3)アないしオによれば,開胸の手法として肋骨を部分切除する術式は,本件手術当時において,開胸の際の肋骨骨折を防ぎ,術野を広くして手術の操作を容易にするための標準的な術式として確立されていたと認められし,肋骨の切離について,高齢者に肋骨切離による開胸が多く用いられていることを指摘する文献もあれば,肋骨切離だけでは術後切断端の摩擦が起こるので,これを避けるために,肋骨の一部分を切除する方法が行われていると指摘する文献もあり,どちらも採用されていた術式であると認められる。また,肋骨の2本の切除についても,これを指摘する文献があるので,許容されたものであると認められる。

以上によれば,前記(2)に記載した肋骨の部分切除の必要性について述べる証人Bの証言は,上記の文献によって十分裏付けられ,信用できるというべきである。

イ  そうすると,Bらが,前記(2)に記載した考えに基づき,前記(1)に認定したとおり,本件手術の開胸の際に,ボキボキという音がしたことから肋骨骨折を防ぎ術野を確保するために,2本の肋骨を部分切除したことは合理的な措置であったと評価することができ,その他肋骨切除をすべきでないとする事情も認められないから,Bらが肋骨切除を行ったことをもって過失があるということはできない。

(5)  よって,この点に関する原告の主張も理由がない。

3  争点(3)(説明義務違反の有無)について

(1)  原告は,Bらが,本件手術を施行するに際し,原告に対し,食道癌であるとの診断名を明らかにせず,内視鏡的粘膜切除術という選択があることも説明せず,開胸による手術の場合に肋骨切離と肋骨切除の方法があること,それぞれについてのメリットとデメリット,肋骨切除による痛み等の後遺症を説明していないなどとして,Bらには,説明義務に違反した過失があると主張する。

(2)  原告,D及びBは,Bらの原告及びDに対する説明内容について,それぞれ以下のとおり陳述ないし供述(証言)している。

ア 原告本人は,Bらから食道潰瘍であるとの説明を受けただけで,食道癌であることの説明は受けておらず,また,本件手術の内容については,どの部分を切り取るのか,肋骨を切除するのか,どのような痛みが生じるのかについても説明を受けず,さらに,術後の痛みについても説明を受けておらず,4週間たてば元どおり働けるようになるから心配することないという説明だけを受けて本件手術することに同意したこと,手術承諾書の署名押印はDがしたもので,同人から手術承諾書の提出について話があったかどうかは記憶がないことを陳述(甲A2)ないし供述している。

イ また,Dは,平成3年8月5日,Cから,原告が食道癌であり手術を行うこと,転移があるかどうかを調べていることを伝えられたが,本件手術の具体的な内容や原告の癌が比較的早期に分かった癌であるなどの説明を受けておらず,その後,長男と共に,病室と廊下を隔てた部屋でBから説明を受けたが,早期であれば予後は非常に良いがそうでない場合は重大な結果になること,開けてみなければ分からないこと,術後食道の縫合部分が切れることがあり,食物が気管に入って大事になることがあるから気を付けるようにとの説明を受けたが,Bからもそれ以外の具体的な手術の内容等については一切説明を受けていないこと,手術承諾書については,Bから手術しかないと言われていたことから,原告に相談することなく,自分が署名して提出したものであり,C及びBに対し,原告には食道癌であることを告げないでほしいとの希望を伝えたと陳述(甲A3)ないし証言している。

ウ 一方,Bは,原告及びDに対する本件手術についての説明に関し,以下のとおり陳述(乙A10)ないし証言している。

(ア) Bは,E医師の同席の下,原告に対しては,原告が食道癌であることは伝えずに,原告の病名は食道潰瘍であること,手術が必要な理由としては食道潰瘍を放置しておくと悪性化し,ものが食べられなくなってしまう可能性があること,手術の内容としては胸,腹部,頚部を切り,食道を摘出し,その後胃管を再建して胃管と食道とを縫ってつなぐものであること,麻酔としては全身麻酔と硬膜外麻酔を併用することを説明したこと,合併症としては食道と胃をつないだところがきちんとつながらずに縫合不全を起こす可能性があること,嚥下がうまくいかずに食べ物が食道から気管に入ってしまい,誤嚥性肺炎が生じてしまう可能性があること,その他感染,小胃症状,手術痕の創痛が生じ得ることなどについて説明した。また,術後の経過については,1週間くらいは集中治療室で管理し,その後1箇月半から2箇月入院治療を行い,1,2箇月の自宅療養を経て社会復帰できることを説明したのであり,1箇月で仕事に復帰できると説明したことはない。

Bが,原告に食道癌であることを説明しなかったのは,Cから原告に対し癌であることを告知しないように引き継ぎを受け,Dからも同様の趣旨を依頼されたためであった。

(イ) Bは,Dに対しては,一般的な手術の方式及び合併症については,原告の同席の下で同じ説明を行い,食道癌に関する説明は別に時間を設けて行った。

Bは,Dに対し,癌に関する原告の状態については,第1回生検において食道癌の組織診断が確定診断として出たこと,癌の進展度は粘膜にとどまる早期のものである可能性が高いが,食道のバリウム検査の結果引きつれ等があるのでリンパ節転移がある可能性も否定できないこと,予後については癌が粘膜上皮にとどまっていて,リンパ節転移がない場合には本件手術で根治する可能性があるが,粘膜下層まで広がっている,あるいはリンパ節転移がある場合には再発する率が高く,その場合には放射線治療,抗癌剤による治療等を行うことなどを説明した。

(ウ) Bらは,原告及びDのいずれに対しても,第2回生検において癌細胞が発見されなかったこと,肋骨を部分切除すること,本件手術後何年間も痛みが持続することは説明していないが,内視鏡的粘膜切除術について説明している可能性がある。

(エ) Bらは,平成3年8月26日,原告から手術承諾書の提出を受けた。

(3)  そこで,まず,Bらは,原告及びDに対し,どのような説明を行ったかを検討する。

ア(ア) 証拠(乙A1)によれば,診療記録中には,被告病院消化器内科のCが,原告に対して,平成3年8月2日に,病名については進行している食道潰瘍であること,早めに処置をした方がよいこと,その前にいろんな検査を進めていくことを説明し,Dに対して,同月5日に,比較的早期に分かった食道癌であること,現在根治的手術のために転移の検索,呼吸機能等の検査をしていること,転移がなければ予後は良いことを説明した旨の記載が認められるが,その他に,本件手術の内容及び合併症について説明した旨の記載はない。

(イ) 証拠(乙A1,証人D)によれば,原告から被告病院に対し,同月26日付けで,手術,麻酔を受けるに当たり,その内容等についてBらより説明を受け了解したので,その実施を承諾する旨の原告及びDの署名押印がある承諾書が提出されており,原告の署名押印はDが原告に代わって行ったことが認められる。

なお,前記(2)アイのとおり,Dは,手術承諾書について,原告に相談することなく自分が勝手に署名して提出したと証言するところ,原告本人は,手術承諾書の署名押印はDがしたものであるが,同人から手術承諾書の提出について話があったかどうかは記憶がないと曖昧な供述をしており,Dが原告に無断で本件手術のような重大な手術を受ける承諾書を提出するとは考えられず,Dは,原告の承諾の上,原告の署名押印を代わって行い提出したものと認められる。

イ(ア) ところで,前記(2)イによれば,Dは,Bから早期であれば予後は非常に良いがそうでない場合は重大な結果になること,術後食道の縫合部分が切れることがあり,食物が気管に入って大事になることがあるから気を付けるようにとの説明を受けたことを自認しており,これによれば,Bは,Dに対し,原告が食道癌であり開腹手術を行うこと,早期の癌の場合とそうでない場合の予後の状況,さらには,食道と胃の縫合不全や嚥下障害の合併症について説明をしたものと認めることができ,前記(2)ウ(ア)(イ)に記載した,Bが原告ないしDに対して,合併症としては食道と胃をつないだところがきちんとつながらずに縫合不全を起こす可能性があること,嚥下がうまくいかずに食べ物が食道から気管に入ってしまい,誤嚥性肺炎が生じてしまう可能性があること,予後については癌が粘膜上皮にとどまっていて,リンパ節転移がない場合には本件手術で根治する可能性があるが,粘膜下層まで広がっている,あるいはリンパ節転移がある場合には再発する率が高く,その場合には放射線治療,抗癌剤による治療等を行うことなどを説明したとの証言部分は,Dの証言と矛盾せず信用できると認められる。

(イ) そして,Bが早期の癌の場合とそうでない場合の予後の状況,さらには,食道と胃の縫合不全や嚥下障害の合併症について説明を行うためには,原告の癌の状況や本件手術が胸,腹部,頚部を切り,食道を摘出し,その後胃管を再建して胃管と食道とを縫ってつなぐものであるという内容をその前提として当然説明する必要があると考えられるし,縫合不全や嚥下障害の合併症の説明をしているならば,その他感染,小胃症状,手術痕の創痛等の合併症をも説明していることが推認される。

(ウ) また,1(1)ア(ア)の事実及び証拠(甲A2,証人D,原告本人)によれば,原告は,本件手術前10年間にわたりかかさず年1回人間ドックを受け,本件手術後においても人間ドックを受けていること,本件手術前の人間ドックにおいて精密検査を受けるように指摘されて被告病院を受診して検査を受けたことが認められ,原告及びDは,自らの病変に対して強い関心を持っていたことが認められるし,前記(2)イによれば,Dは,Bから原告が癌であることの説明を受ける際,長男を同席させていることが認められるのであり,このような原告及びDが,被告病院に入院した平成3年8月2日から本件手術が施行された同月27日までのおよそ25日間余りにわたって,本件手術の具体的内容や原告の癌の程度について何ら説明を受けないまま,本件手術を受けることを承諾したとは考え難い。

さらに,第2,1(4)のとおり,本件手術は重大な病変に対する侵襲の大きな手術であり,このような本件手術を施行するBらが,早期の癌の場合とそうでない場合の予後の状況と食道と胃の縫合不全や嚥下障害の合併症についてのみ説明し,本件手術の具体的内容や原告の癌の程度について,全く説明しなかったとはおよそ考えられない。

ウ 以上の検討によれば,Bらから本件手術の具体的内容,原告の癌の程度,縫合不全や嚥下障害以外の合併症について何ら説明を受けていないとする原告本人及びDの前記供述ないし証言及び陳述は,採用することができず,これに対し,Bの前記(2)ウ(ア)(イ)の証言ないし陳述は信用することができ,Bらは,原告及びDに対し,本件手術について,前記(2)ウ(ア)(イ)のとおり説明していたと認められる。

エ 次に,前記(2)ウ(ウ)によれば,Bは,原告及びDのいずれに対しても,第2回生検において癌細胞が発見されなかったこと,肋骨を部分切除すること,本件手術後何年間も痛みが持続することを説明していないことは自認しているが,内視鏡的粘膜切除術については説明している可能性があると証言する。

しかしながら,証拠(証人B)によれば,被告病院において,本件手術までに内視鏡的粘膜切除術を行った例はなく,初めて内視鏡的粘膜切除術を行ったのは平成5年ころであること,Bは,本件手術当時,内視鏡的粘膜切除術は食道癌に対する手技として確立していないと認識していたことが認められるのであり,かかる事実によれば,Bが,原告ないしDに対し,内視鏡的粘膜切除術について説明していたとは到底考えられず,Bの前記証言部分は採用できず,Bは,原告及びDに対し,内視鏡的粘膜切除術については説明していないと認められる。

(4)  そこで,前記(3)に認定したBらの説明内容に基づき,Bらの説明が,説明義務違反に当たるかについて判断する。

ア(ア) まず,原告は,Bらが,原告に対し,食道癌であると診断したこと及び第2回生検の結果癌組織が発見されなかったことを説明しなかったのは違法であると主張するところ,Bらが,Dに対し,原告が食道癌であることを告げたにとどまり,原告に対しては癌の告知をしなかったこと,原告及びDに対し,第2回生検の結果癌組織が発見されなかったことを説明しなかったことは,前記(3)に判示したとおりである。

(イ) 証拠(甲A3,乙A1,10,証人D,同B)によれば,Dは,Cから原告が食道癌であることを告げられ,原告には癌の告知をしないように依頼したこと,Bから原告の癌について説明を受けたとき,原告に癌であることを言わないでほしいと依頼したこと,Dは,被告病院整形外科において足の骨の癌の宣告を受け,非常に不安な思いを抱いた経験を有していたため,原告に手術をしないうちから余計な不安は持たせたくないという考えからBらに上記のような依頼をしたこと,Bらは,Dの意向により原告に対し癌の告知をしないで,食道潰瘍であると説明するにとどめたことが認められる。

(ウ) 上記のとおり,配偶者等の家族から患者本人に癌の告知をしないでほしいと依頼された場合に,医師として,あくまで患者本人の意思を尊重し,あるいは患者本人がその後の人生の在り方について正しい決定をできるように,真実の病名を告げるべきかは議論の分かれるところであり,慎重に検討すべき問題であると考えられるが,少なくとも,平成3年当時,原告の妻であるDから上記のとおり依頼されたBにおいて,原告からあらかじめ家族の反対があっても原告自身に対し癌の告知を行うように告げられていたという特別の事情も認められない本件において,Dの依頼に従って,同人に対して原告が食道癌であると告げたにとどまり,原告に対して癌の告知をしなかったことをもって,説明義務違反があるとすることはできない。

(エ) また,前記1に判示したとおり,第2回生検は食道癌の確定診断のために行ったものではなく,病変の広がりを判断するために行ったものであり,上記結果によっても原告が食道癌であるとの診断や本件手術が必要であることが否定されるものではないから,Bらが,原告及びDに対し,第2回生検の結果を伝えなかったこと及び原告らに対し,さらに検査を重ねて食道癌かどうかを確認した上で治療方法を決定するかを説明し,その機会を与えなかったことについて説明義務違反があるとすることはできない。

イ 次に,原告は,Bらが内視鏡的粘膜切除術という選択肢があったことを説明しなかったのは説明義務違反に当たると主張する。

前記1(2)に判示したとおり,本件手術当時,内視鏡的粘膜切除術が食道癌に対する手術方法として,その安全性及び有効性が医療水準として確立していたものと認めることはできず,原告本人がBらに対して内視鏡的粘膜切除術について強く希望しその説明を求めたというような特段の事情も認められない本件において,Bらが内視鏡的粘膜切除術という術式について説明しなかったことについて説明義務違反があるとすることはできない。

ウ さらに,原告は,肋骨切除によって本件手術部位に強い痛みが継続して生じているところ,Bらが開胸による手術の場合に,肋骨切離と切除という方法があること,それぞれについてのメリットとリスク,肋骨切除による痛み等の後遺症について説明しなかったことは説明義務違反に当たると主張する。

(ア) 前記2(2)(3)(4)に判示したとおり,肋骨切離と肋骨切除という術式は,開胸手術の際に術野を広くして手術を容易にし,かつ,肋骨骨折を防ぐための開胸手術における手技であり,どちらも採用されていた術式であること,高齢者に多い食道癌の場合,肋骨切離による開胸が多く行われていることを指摘する文献が存在するが,切除ではなく切離を行うべき合理的理由については記載されておらず,一方,肋骨断端の摩擦を防止するために肋骨の切離ではなく,肋骨の一部分を切除する方法が行われていると指摘する文献もあり,肋骨切離を行った場合には,肋骨断端の突起によって神経,血管,周辺組織が損傷したり,肋骨の切断面の間に組織が挟み込まれて虚血や壊死を起こす危険性があるので,肋骨切除を行う旨の証人Bの証言は十分信用に値することが認められる。

以上によれば,少なくとも肋骨切離と肋骨切除は,開胸手術の手法の一つにすぎず,開胸の手法のうちどの手法を選択して実施するかは医師の裁量に任されているというべきであり,これを説明して患者の同意を得ることが必要であると認めることはできない。

(イ) 証拠(甲A1ないし3,乙A3,証人D,原告本人)によれば,原告は,現在右胸から背中にかけて鉄の棒を差し込まれたような圧迫感のある激痛があることを訴えていること,被告病院麻酔科医師Fは,原告の胸痛について食道手術後後遺症という診断書を作成していることが認められ,原告は,上記の激痛が本件手術直後から現在まで続いていると供述している。

一方,証拠(乙A1)によれば,原告は,本件手術後平成3年9月3日まで集中治療室において疼痛対策の治療が行われていたものの,集中治療室退室時の申送りには創痛がとりきれず,問題点として創痛と記載されているが,その後,カルテにおいて,同月6日に疼痛ほとんどないとの記載がされてから同年12月8日に退院するまでの間疼痛に関する記載はなく,看護記録には,同年9月には右胸の傷口が痛くてたまらない,右側胸部痛増強,ひきつれ感あり,右側胸痛強いときにペンタジン7.5mg筋注してくださいなどの記載が多数みられるが,それ以降同年12月8日に至るまでは,同年10月8日に右側胸部の創の周囲にギブスを入れられているような違和感,同月31日に引っ張られるような右側胸部痛,同年11月2日右胸から背部にかけての創のひきつれが気になるとの記載がある程度で,その他に右側胸部痛に関する記載はないし,本件手術後から原告の退院に至るまで診療記録には原告が供述する右胸から背中にかけて鉄の棒を差し込まれたような圧迫感のある激痛があった旨の記載はないことが認められる。

そして,証人Bは,肋骨切除によって肋間神経を傷つけた場合,本件手術による傷の痛みがある程度良くなってきた時点で肋間神経の痛みが前面に出てくること,看護記録の上記記載は,本件手術による創傷が治っていく過程における瘢痕収縮の痛みを意味する記載であって,原告が入院中に鉄の棒を差し込まれたような圧迫感のある激痛を訴えていたことはなかったこと,肋間神経と肋骨の間には肋間静脈と肋間動脈が走行しており肋骨と肋間神経との間には隔たりがあり,肋骨を切る場合は骨膜を切開して骨だけを切るから,肋骨切除の際に,骨膜を通してさらに大きく動静脈や神経を切ったりするようなことはなく,肋間神経を傷つけた場合には動静脈をも傷付けるところ,本件手術において動静脈から出血したことはないから,肋間神経を傷つけたこともないことを証言している。

加えて,証拠(乙A3)によれば,Fは,平成9年3月31日,被告病院外科の紹介に対し,原告の現在の痛みの部位は開胸部の肋骨の肋間神経の部位で,本件手術が関係あるのかもしれないが,よく分からない旨の記載をしており,また,原告の症状について相談を受けた被告病院呼吸器科医師は,開胸創で長期間痛みを訴える人は今までいなかった旨を回答していることが認められる。

以上によれば,上記のとおり,右胸から背中にかけて鉄の棒を差し込まれたような圧迫感のある激痛があるとの原告の訴えがあり,Fは,原告の胸痛について食道手術後後遺症という診断書を作成している事実があるが,一方,被告病院の診療記録によれば,原告は,本件手術後から引き続いて上記のような激痛を訴えていたとは認められず,肋骨切除と原告の現在の激痛との因果関係がないとするBの上記証言を否定できる証拠もなく,Fを含め被告病院においては,原告の胸部の痛みの原因についてはよく分からないとしている記載もあることなどからすると,現在の原告の本件手術部位における強い痛みが本件手術における肋骨切除によるものであるとはいまだ認めることはできないし,少なくとも,Bらにおいて,本件手術における肋骨切除の結果,原告の本件手術部位における強い痛みが現在も続くことを予見することはできなかったといわなければならないし,本件全証拠によるも,開胸手術における肋骨切除によってそのような痛みが継続するという文献上の根拠も見当たらない。

そうすると,Bらに,本件手術において肋骨切除を行う際,原告に対し,現在も続くような強い痛みが継続することを説明する義務があったということはできず,血管又は瘢痕組織の損傷による開胸創の痛みが生じ得ることを説明すれば,開胸に伴う合併症の説明としては十分であったといわなければならない。

エ 以上の検討によると,原告がBらの説明義務違反と指摘する点はいずれも認められず,前記(3)に認定した,Bらの原告に対する説明内容が不十分であり説明義務違反に当たるとすることはできず,原告の主張は理由がない。

4  よって,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田順司 裁判官 浅井憲 裁判官 筈井卓矢)

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