東京地方裁判所 平成14年(ワ)26741号 判決 2005年1月12日
原告
X
被告
Y1
ほか一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して二〇三九万一六〇五円及び内金一八四九万一六〇五円に対しては平成一一年一二月七日から支払済みまで、内金一九〇万円に対しては判決確定日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告(昭和○年○月○日生。事故当時五四歳。)が車両(以下「原告車両」という。)を運転して片側二車線道路の左側車線(以下「左側車線」という。)を走行中、片側二車線道路の右側車線(以下「右側車線」という。)前方を走行する車両(以下「被告車両」という。)を運転していた被告Y1が急ブレーキをかけたため、被告車両が横滑りをし、左側車線に進入してきたので、原告はハンドルを左に切って避けようとしたが間に合わず、被告車両と原告車両が衝突し、原告車両が破損するともに原告自身が受傷したとして、原告が被告Y1に対しては民法七〇九条に基づき、被告Y1の使用者であり、被告車両の保有者である被告有限会社柿沼土木(以下「被告会社」という。)に対しては民法七一五条及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、損害賠償を求めているものである。
本件の主な争点は、事故態様と責任原因、症状固定日を含む治療期間の相当性、休業損害及び逸失利益を算定するにあたっての基礎収入等である。
一 前提となる事実(以下、証拠により認定した事実は括弧内に証拠を掲記する。)
(1) 事故の発生
次のとおり、交通事故が発生した(甲一。以下「本件事故」という。)。
日時 平成一一年一二月七日午前五時五分ころ
場所 東京都江東区<以下省略>(以下「本件事故現場」という。)
原告車両 自家用普通乗用自動車(<番号省略>)
被告車両 自家用普通貨物自動車(<番号省略>)
事故態様 後記のとおり争いがある。
(2) 事故後の原告の通院状況
原告は、本件事故後、救急車で慶応義塾大学病院に搬送され、頸椎捻挫と診断された(乙三)。そして、原告は、本件事故の当日である平成一一年一二月七日以降、同病院に通院加療し、平成一四年一二月一九日、症状が固定したと診断された(甲一一)。
(3) 平成一五年一一月一七日、原告の後遺障害は、自動車損害賠償補償法施行令二条別表後遺障害別等級表の一四級一〇号に該当するとの認定がなされた(甲二二)。
二 争点と当事者の主張
(1) 争点(1)(事故態様及び責任原因)
(原告の主張)
ア 本件事故当時、原告は、原告車両を運転して片側二車線となっている国道三五七号線の右側車線を浦安方面から御台場方面にむけて時速約七〇kmで走行していたところ、前方約二〇〇m先に被告Y1が運転する被告車両を発見した。原告は、左側車線を走行する車両がなかったことから、右側車線から左側車線に車線変更した上、速度を上げて被告車両を追い越そうとしたところ、突然、被告Y1が急ブレーキをかけたため、積み荷がなかった被告車両はその後部が振れ、かつ、付近が約二%の左傾斜になっていたことも相まって横滑りを起こし、その左側後部が左側車線内にはみ出し、左側車線の一部を塞いだ状態となった。原告は、衝突を避けるためハンドルを左に切ったが間に合わず、原告車両の右側前部と被告車両の左側後部が衝突した。
被告Y1は、本件事故当時、被告車両の前方を走行する車両(以下「前方車両」という。)に加速しては急接近を繰り返す煽り運転をしていたが、前方の車両が反応しなかったため、急接近をしすぎた。このため、被告Y1は、前方車両への追突を避けようとして左側車線へ車線変更しようとしたが、後方から原告車両が走行してきていたため車線変更することができなかった。そこで、被告Y1は、被告車両を停止させるため、フットブレーキとハンドブレーキを併用して急ブレーキをかけたものである。被告らは、前方車両が、信号表示が赤色に変わったことから急ブレーキをかけたので、この前方車両に衝突するのを避けるため被告Y1も急ブレーキをかけた、すなわち、やむを得ず急ブレーキをかけたと主張するが、そうであれば、前方車両のタイヤ痕も本件現場付近に印象されているはずであるにもかかわらず、そのようなタイヤ痕はない。したがって、本件で、被告Y1が急ブレーキをかけた原因は、前方車両に対して煽り運転をし、前方車両に接近しすぎたことにあるのは明らかである。
イ 被告Y1は、被告車両を運転中、左側車線後方に原告車両が走行しているのを確認していたのであるから、急ブレーキをかければ車が方向性を損ねること、現場付近の路面の状況、被告車両は空車であったことからスリップして左側車線内へ進入し、後方を走行している原告車両の進路を妨げ、事故が発生する危険を認識しえたにもかかわらず急ブレーキをかけ、安全運転をすべき義務を怠り、本件事故が発生したのであるから、被告Y1は、民法七〇九条に基づき、原告に発生した損害について賠償すべき責任を負う。
ウ 被告会社は、被告Y1の使用者であることから民法七一五条に基づき原告に発生した損害を、また、被告車両の保有者であることから自賠法三条に基づき原告に発生した損害のうち人的損害について賠償すべき責任を負う。
(被告らの主張)
ア 本件事故当時、被告Y1は、右側車線をポンピングブレーキをかけて減速しながら走行していたところ、前方車両が前方の信号表示が赤色に変わった際、無理な急ブレーキをかけた。このため、被告Y1は、前方車両への追突を避けるため同様に急ブレーキをかけて急減速した。このとき、被告車両の後方を走行していた原告車両が、被告車両との車間距離が短く、また、速度超過、前方不注視により発見が遅れたことにより、衝突を避けるため急ブレーキをかけ、さらにハンドルを左に切ったにもかかわらず間に合わず、被告車両に追突したのである。
イ 被告Y1は、急ブレーキをかけた前方車両への追突を避けるためにやむなく急ブレーキをかけたのであり、これは「危険を防止するためにやむを得ない場合」(道路交通法二四条)の急ブレーキで当たる。また、急ブレーキをかけたことにより、被告車両は前方車両に追突しなかったのであるから、走行速度及び車間距離保持義務(同法二六条)も遵守していたことは明らかである。
したがって、被告Y1には、急ブレーキをかけたこと、急ブレーキをかけることになった原因いずれについても注意義務違反はなく、よって、被告Y1は無過失であり、民法七〇九条の責任はない。
仮に、被告Y1に過失があったとしても、本件事故の発生においては追突した原告車両の過失割合が九〇%以上である。
ウ 被告車両の運転者である被告Y1が無過失である以上、被告会社もまた、民法七一五条に基づく責任はない。
また、自賠法三条但書に当たり、免責される。
(2) 争点(2)(原告に生じた損害)
(原告の主張)
ア 本件事故により、原告には、次のとおりの損害が生じた。
(ア) 人的損害
<1> 治療関係費 二九万〇八二〇円
治療費として一七万二五一〇円、通院交通費として一一万七二六〇円、文書料として一〇五〇円の合計二九万〇八二九円を要した。
<2> 休業損害 一二二一万一〇〇〇円
原告は、本件事故当時、日中文化学院理事長、日中友好<友の会>副会長及び株式会社百人の会代表取締役として就労し、日中文化学院理事長としては月額二〇万円、日中友好<友の会>副会長としては月額二〇万円、株式会社百人の会代表取締役としては月額九万円の収入を得ていた。しかしながら、本件事故後、就労能力が低下し、給料の減額がなされた結果、平成一四年六月三〇日までに、日中文化学院理事長として四九〇万五〇〇〇円、日中友好<友の会>副会長として五二一万八〇〇〇円、株式会社百人の会代表取締役として二〇八万八〇〇〇円の得られるはずであった収入を得ることができなかった。
したがって、これらの合計一二二一万一〇〇〇円が本件事故による休業損害となる。
<3> 逸失利益 五九八万〇三二〇円
原告は、本件事故前の三年間にあたる平成九年度から平成一一年度において、各年度に一四四〇万円の収入があった。
また、原告は、後遺障害等級一四級一〇号に当たると認定されているところ、平成一六年二月一三日現在においても、後頸部痛、頸椎可動域制限が残存しており、この障害は将来に消失する可能性はないから、逸失利益の算出にあたっては、後遺障害による労働能力喪失期間を就労可能年数の一一年、労働能力喪失率を五%とするのが妥当である。
したがって、原告の後遺障害による逸失利益は、次の計算式から五九八万〇三二〇円となる。
(計算式)
1440万円×5%×8.306(11年ライプニッツ係数)≒598万0320円
ところで、被告らは原告の本件事故前の収入につき争っているところ、仮に、原告が無職であったとしても、原告は慶応義塾大学大学院法学修士課程を卒業していることが認められること、症状固定時に原告は五八歳であったことから、平成一四年賃金センサスによっても、年収は九一三万三五〇〇円が見込まれる。
よって、次の計算式から、後遺障害による逸失利益は少なくとも三七九万三一四二円である。
(計算式)
913万3500円×5%×8.306≒379万3142円
<4> 傷害慰謝料 九〇万円
原告は、本件事故後、現在まで通院加療をしていることから、傷害慰謝料として九〇万円が相当である。
<5> 後遺障害による慰謝料 三二万円
原告に残った後遺障害は一四級一〇号に当たるので、後遺障害による慰謝料としては三二万円が相当である。
(イ) 物的損害 七三万九四六五円
本件事故当時、原告車両の時価は七〇万円であった。そのほか、原告は、本件事故により原告車両が破損したため廃車にしたところ、その手続費用として一万〇三八〇円を要し、また、レッカー代として二万九〇八五円を要した。
したがって、物的損害として七三万九四六五円の損害が発生している。
(ウ) まとめ
以上のとおり、原告は、本件事故により、人的損害及び物的損害を被りその損害額は合計二〇四四万一六〇五円であるところ、原告は、自賠責保険から治療費等として一二〇万円、後遺障害について七五万円の合計一九五万円を受領しているので、これを控除した残額一八四九万一六〇五円が損害残額である。
ところで、被告らは責任を否定し話し合いに応じないため、原告はやむなく弁護士を依頼したものであり、弁護士費用として前記損害残額の約一〇%にあたる一九〇万円が相当である。
よって、原告は、被告らに対し、二〇三九万一六〇五円及び内金一八四九万一六〇五円に対しては本件事故日である平成一一年一二月七日から支払済みまで、内金一九〇万円については判決確定日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告らは、症状固定日が平成一二年四月一二日であると主張する。しかしながら、頸椎捻挫の場合、事故により補償されるものと仕事を休むことにより失うものとを比較すると、毎日通院したり、医師の指示通りに通院することが困難な場合もあり、通院していない又は医師の指示通りに通院していないことを理由に治癒していたという主張は失当である。原告は、平成一四年一二月一九日の時点においても頸部痛が持続しており、牽引治療でも解消しないことから、医師がこれ以上の症状の改善は見込めないとの判断に至り、症状固定と判断したものである。
なお、左変形性膝関節症は、本件事故により再発し、悪化したため治療を受けるようになったものであって、本件事故に起因する治療であることは明らかである。
ウ 被告らは、原告には加齢による退行変性があり、これらが受傷及び後遺障害の発生・増悪に影響を与えていることが明らかであると主張して、二〇%程度の素因減額を主張する。しかしながら、本件において、原告に加齢による退行変性が存在したという診断はない。また、仮に加齢による退行変性があるとしても、健常者も大なり小なり持ち合わせており、多くは症状が出ないか、日常生活に影響していないのであるから、加齢による退行変性があっても頸椎の疼痛につながるとはいえない。
被告らは、第五/六頸椎椎間狭小を問題としているが、これは本件事故を原因として発現したものであり、事故前から病状といえる状態で存在していた既往症ではない。通常であれば発現しなかったのに、本件事故により発現したものである以上、これが疼痛の原因の一つであったとしても、被告らの責任を軽減する理由とはならない。
(被告らの主張)
ア 原告が主張する損害についての被告らの主張は、次のとおりである。
(ア) 人的損害
<1> 治療費関係
原告は、本件事故後、平成一二年三月三〇日に二週間分の薬剤処方を受け、次回受診予定日となっていた同年四月一三日に受診していない。その後、同年六月二二日には本件事故とは因果関係のない左変形性膝関節症に対する保険診療が開始されている。このことからすると、症状固定日は、平成一二年三月三〇日から二週間後の同年四月一二日とすべきである。
したがって、本件事故と相当因果関係がある治療期間は同年四月一二日までであり、治療費、交通費とも同年四月一二日以降のものは因果関係を争う。
文書料については不知。
<2> 休業損害
本件事故当時、原告は三箇所から月額合計四九万円の収入があったとの主張、休業の必要性及び休業期間の相当性についていずれも否認ないし争う。
原告が提出する源泉徴収簿と給与支払報告書は金額が一致していないし、原告は自ら代表者を務めている三箇所の決算書類を提出しないので、そもそも基礎収入自体の立証ができているとはいえない。また、休業損害は実損害であるから、本件のように、原告が容易に立証できるはずの収入を立証しない以上、平均賃金センサスを用いて休業損害を算出すべきでない。仮に原告に収入があったとしても、本件事故と相当因果関係がある治療期間は平成一二年四月一二日までであること、この間の通院頻度が一か月ないし二か月に一回程度であることからすると、そもそも休業を要する状態であったとはいえないから、休業損害を認めるとしても、実通院日に限定されるべきである。
<3> 逸失利益
逸失利益についての原告の主張は否認ないし争う。
原告が主張する基礎収入が立証できているとはいえないし、賃金センサスによる認定もなされるべきではないことは休業損害と同じである。
原告の傷病は頸椎捻挫にすぎず、他覚所見は一切認められず、通院頻度も一ないし二か月に一回程度であること、神経症状は早期に緩解するとみるべきであるから、労働能力喪失期間は三年、長くとも五年である。
<4> 傷害慰謝料について
金額の相当性について争う。
本件事故と相当因果関係がある治療期間は平成一二年四月一二日までの四か月であること、原告の傷病は典型的なむち打ちであり、その程度も軽度であるから、慰謝料は限定されるべきである。
<5> 後遺障害慰謝料について
金額の相当性を争う。
(イ) 物的損害
不知。
(ウ) てん補
原告は、自賠責保険から傷害分として一二〇万円、後遺障害分として七五万円を受け取っており、これは損害のてん補に当たる。
(エ) 弁護士費用について
必要性と金額の相当性について争う。
イ 原告には、本件事故とは関係のない第五頸椎高位における脊柱管の狭窄、第五/六頸椎椎間狭小化などの加齢による退行変性があり、これらが受傷及び後遺障害の発生・増悪に影響を与えていることが明らかである。この退行変性は同年代の健常男性と比較するとその程度は著しい。
したがって、原告に生じた損害額を算定するにあたっては、二〇%程度の素因減額がなされるべきである。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(事故態様及び責任原因)
(1) 前記前提となる事実、証拠(甲一、二の一ないし三、四、一七、乙八の一・二)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
ア 本件事故現場付近の状況
本件事故現場は、国道三五七号線の浦安方面から御台場方面に向かう西行車線(以下「本件道路」という。)、荒川河口橋の御台場側である。本件道路は片側二車線であり、右側車線と左側車線の間には白実線標示により車線を区分する車線境界線があり、道路の左右端には白線の外側線がある。外側線と車線境界線の間の幅は右側車線三・五m、左側車線三・七mであった。本件道路は、本件現場付近において御台場方面に向かって下り勾配となっており、本件事故現場の先には、信号機による交通整理が行われている交差点がある。道路面は、アスファルト舖装されており、平坦で、乾燥していた。本件事故当時、右側車線、左側車線とも時速六〇kmに速度制限されていた(甲二の一ないし三、乙八の一・二)。
イ 本件事故後の本件事故現場の痕跡等
本件事故後、本件事故現場付近の痕跡等は、別紙一のとおりであった。まず、右側車線内には、ダブルタイヤにより印象されたタイヤ痕がある。このダブルタイヤによる右側車線内のタイヤ痕はほぼ直線で一七・九m印象された後、やや屈曲して左側車線に向かって二・三m印象されている。ダブルタイヤ痕の右側と左側の間は約〇・二m幅である。一方、左側車線内には、右側車線内のダブルタイヤ痕の起点よりやや浦安方面寄りの位置を起点として左側タイヤによるタイヤ痕が二三m、左側タイヤ痕の始まりから六・八m御台場方面寄りの位置から右側タイヤによるタイヤ痕が一五・八m印象されている。左側車線内の左側タイヤによるタイヤ痕の起点は車線境界線から一・一mの位置にあり、また、右側タイヤによるタイヤ痕の起点は車線境界線から〇・五mの位置にあって、車線境界線から道路左端に向かって斜めに印象されている。
右側車線内のタイヤ痕は被告車両、左側車線内のタイヤ痕は原告車両によるものである。
ウ 車両の損壊状況等
(ア) 原告車両は、自家用普通乗用自動車であり、全長五・二八m、全幅一・八三m、全高一・四九mであった。本件事故により、前バンパー右角部、ヘッドライト周辺部及び前ウィンドガラスの右下角部が破損し、右前フェンダー側面のタイヤまわりより前部分、ボンネット及びフェンダーの右前部周辺が変形した(甲四、一七の添付の資料一ないし五)。
(イ) 被告車両は、自家用普通貨物自動車であり、全長五・八一m、全幅二・二m、全高二・七m、後部はダブルタイヤであった。本件事故により、テールライト取付部が曲がり、テールライトレンズが割れ、リヤフェンダーが脱落した(甲一七、甲一七の添付の資料六及び七)。
(2) 前記(1)で認定した事実、被告Y1本人の尋問の結果及び弁論の全趣旨からすると、本件事故の事故態様は次のとおりと認められる。
すなわち、被告Y1は、本件事故当時、被告車両を運転して右側車線を時速六〇kmないし七〇kmで走行していた。被告車両が別紙二<1>地点(以下、別紙二の地点を示すときは、別紙二の表記を省略する。)付近を走行しているとき、前方車両が甲地点付近を走行していた。そのころ、被告Y1は、本件事故現場付近が下り勾配になっており、速度が出てきたことと、先の交差点の信号機が青色表示から黄色表示にかわるのを見たことから、交差点で停止するためブレーキを軽くかけることを繰り返して、徐々に減速を始めた。その後、被告車両が<2>地点に差し掛かったとき、前方の信号機の表示が黄色から赤色に変わったことから、前方車両が急ブレーキをかけた。このため、被告Y1は前方車両に追突するのを避けるため急ブレーキをかけたところ、被告車両は後部タイヤがロックし、路面をこすってタイヤ痕を印象しながら滑走をはじめた。被告車両が約一七・九m滑走したところで、被告車両の後方を走行していた原告車両の前部右角が被告車両の後部左角に衝突し、衝突後、被告車両はさらに約二・三m滑走した<4>地点で停止した。原告車両は、被告車両に衝突した後、そのまま本件道路左端に向かってタイヤ痕を印象しながら滑走し、道路左側法面に衝突して停止した。
(3) 以上の認定に反する原告の主張は、以下の点から採用することができない。
ア 原告車両が走行していた車線について
(ア) まず、原告は、被告Y1が前方車両に対して加速して急接近した後、ブレーキをかけて一旦離れ、また、加速して急接近するといういわゆる煽り運転をしていたところ、前方車両が反応しなかったため接近しすぎたことから、被告Y1は追突を避けるため急ブレーキをかけた、本件道路は左に二%傾斜していたこともあり、被告車両は横滑りを起こし、左側車線内にその後部が突然はみ出し、被告車両を追い越すため左側車線を加速しながら後方から走行してきた原告は被告車両への衝突を避けるためハンドルを左に切ったものの避けることができず、原告車両は被告車両に衝突したと主張し、原告本人尋問においても同趣旨の供述をする。仮に、被告車両の後部が左側車線にはみ出したのであれば、被告車両のタイヤ痕は右側車線内にのみ印象されている(甲二の一ないし三)のであるから、タイヤ痕が途切れたあとに被告車両は左側車線にはみ出したこととなり、平成一一年一二月一〇日に実施された実況見分においても、原告は被告車両のタイヤ痕が切れた地点よりもさらに御台場方面寄りの地点において、被告車両は左側車線に進入し、原告車両が衝突した旨指示説明している(甲二の二)。
ところで、被告車両は、急ブレーキをかけた後タイヤ痕を印象しながら約二〇・二m滑走している(甲二の一)が、この間に、被告車両は徐々に減速していく。一方、本件事故当時、原告は被告車両が急ブレーキをかけたこと自体気付かなかった(原告本人)、被告車両が左側車線にはみ出してきたときにはじめて危険を感じ、急ブレーキをかけた(原告本人)というのであるから、被告Y1が急ブレーキをかけた後被告車両がタイヤ痕を印象しながら減速をしはじめた際には、原告は未だ急ブレーキをかけていないこととなる。本件事故当時、原告車両は左側車線の後方約一〇mを時速六〇kmで走行していた(原告本人)というのであるから、仮にそうであれば、被告車両が減速をし始めたと同時に、原告車両の速度が被告車両の速度を超えることとなり、原告車両が左側車線を走行している限り、原告車両は被告車両に追突することなく、被告車両を追い抜いてしまうはずであるにもかかわらず、原告車両は被告車両に追突している。
また、平成一一年一二月一〇日に実施された実況見分において、原告は、原告車両が被告車両に衝突したときの原告車両の位置について指示説明している(甲二の二)ところ、これによると原告車両左側タイヤについてはタイヤ痕がすでに印象されているのであるから、原告車両は制動中に被告車両と衝突したこととなる。乗用車の場合、急ブレーキにより前輪がロックされる(甲一七)ことから、当該タイヤ痕は前輪のものといえ、仮に後輪によるタイヤ痕であったとしても、急ブレーキをかけてから制動が開始し、タイヤ痕の印象がはじまるまで空走距離がある(乙一、弁論の全趣旨)ことからすると、原告は、その指示説明する衝突地点よりもさらに浦安方面に寄った地点で急ブレーキをかけたこととなる。本件事故当時、原告は時速約六〇kmで走行していた(原告本人)というのであるから、ブレーキをかけてからの空走距離は一二・五mとされている(乙一)ことからすると、原告が急ブレーキをかけたのは、左側車線内に印象された原告車両のタイヤ痕の起点よりさらに一二・五m程度浦安方面に寄った地点ということとなる。ところで、左側車線内に印象されている原告車両のタイヤ痕の起点は、左側タイヤによるものが車線境界線から一・一m、右側タイヤによるものが車線境界線から〇・五mの位置にある。原告は、被告車両が左側車線にはみ出すのを発見して急ブレーキをかけるとともにハンドルを左に切った(原告本人)こと、原告の主張からすると、制動中に被告車両と衝突したことになるから、衝突時における原告車両の角度はすなわち被告車両との衝突を避けるために原告がハンドルを切った角度に相応すると考えられること、原告車両は車幅一・八三mであること(甲四、一七)からすると、原告車両は、被告車両が左側車線にはみ出すのを発見し、急ブレーキをかけるとともにハンドルを切ったのち、被告車両と衝突するまでの間、右側車線内に進入するような事情はないにもかかわらず、左側タイヤ痕の印象が始まった際には右側タイヤは右側車線内にあったと考えられることとなり、原告車両が車線境界線間近とはいえ左側車線内を走行していたことを前提にすると、原告車両のタイヤ痕の起点は合理的でないこととなる。ところで、原告は、車線境界線間近を走行していたことについて、従前左ハンドルの車両を運転していた際、車両右側の接触事故を警戒するあまり、運転席側の左車線に沿って運転する習慣がつき、右ハンドルの車両を運転する際にも右車線に沿って運転するようになった旨説明する(甲三四)。確かに、右ハンドルの車両か、左ハンドルの車両かにより、若干車線内の走行位置が中央よりもやや右あるいは左に寄ることがあることは否定できないとしても、車線境界線間近を走行するというのは、右あるいは左に寄るという程度を越えており、しかも、本件事故当時、右側車線を被告車両が現に走行していることからすると、より積極的理由があるのが通常であるところ、そのような事情を認めるに足りる証拠はない。
以上のとおりであるから、原告車両が左側車線を走行中、右側車線の前方を走行中の被告車両の後部が左側車線内にはみ出してきた、このとき原告ははじめて危険を感じ、急ブレーキをかけたとの供述は、本件事故現場付近の痕跡と合致しないのであり、採用することができない。
(イ) 次に、原告車両と被告車両との衝突地点は左側車線内であるとする、平成一五年四月四日付A作成の鑑定書(甲一七)があるところ、同鑑定書には、おおむね次のような記載がある。
すなわち、一般的に衝突の外力により車両の進行方向が変化してタイヤ痕が屈曲する場合は、衝突地点を起点として鋭角的に変化する、本件の場合、被告車両のタイヤ痕の終点近くの曲がりは、直線から連続して弧を描いており、外力により急激に変化したものとはいえないものであり、スリップあるいはハンドル操作によるものである可能性が高い、衝突によりタイヤ痕が屈曲したとすると、屈曲の開始付近が衝突地点となるはずであるが、原告車両のタイヤ痕を右側車線方向へ延長した延長線と被告車両タイヤ痕の直線部分との交差点と屈曲点が一致しない、一方、被告車両タイヤ痕と原告車両タイヤ痕の延長線の交差部分で衝突したとすると被告車両タイヤ痕に乱れが発生する可能性が高いが、図上では記載がない、原告車両の破損状況、とくにタイヤ側面に擦過痕があること及び原告車両タイヤ痕は左側が右側に比して約七m長いことから、衝突時、原告車両の右前部は、被告車両後輪に乗り上げ、浮き上がっており、一方、被告車両の後輪は回転していたことから、衝突時には、被告車両によるタイヤ痕及び原告車両右前輪によるタイヤ痕はいずれも印象されない、したがって、衝突地点は、被告車両のタイヤ痕が途切れた後で、かつ、原告車両の右側前輪によるタイヤ痕が印象されていない地点となる、このため、衝突地点は左側車線内である。
しかしながら、まず、被告車両のタイヤ痕の終点近くの曲がりが直線から連続して弧を描いていることから、外力により急激に変化したものとはいえないとするが、そもそも被告車両のタイヤ痕終点近くの曲がりを屈曲というのか連続して弧を描いているというのかは、表現の違いともいえる。また、加わった外力の程度によって、車両の進行方向がどの程度変化し、その結果、印象されるタイヤ痕もどの程度変化するかは異なると考えられるところ、そもそも本件事故の態様は、先行する被告車両に後方から原告車両が追突したというものであり、どの程度の外力が加わるのかは、追突車と被追突車の速度差、双方の車両の重量差、追突した場所及びそのときの角度によって変わることが考えられる。そうすると、本件事故が急激に被告車両の進行方向を変える程度の外力であったのか明らかとはいえないのであるから、被告車両のタイヤ痕の終点近くの曲がりが直線から連続して弧を描いているとしても、直ちに、屈曲地点が衝突地点ではないこととはならない。また、原告車両のタイヤ痕を延長した延長線と被告車両のタイヤ痕の交差部分で衝突したとすることは、被告車両のタイヤ痕に乱れがないので不自然である旨指摘するが、原告車両に被告車両が衝突する直前、原告は衝突を避けるためハンドルを左に切っている(原告本人)こと、衝突により被告車両のみならず、原告車両もその進行方向に影響がなかったとはいえないと考えられろことから、そもそも原告車両のタイヤ痕を延長した延長線が衝突までの原告車両の走行経路と合致するとはかぎらない。そうすると、原告車両のタイヤ痕の延長線と被告車両のタイヤ痕の交差部分をもって衝突地点と仮定すること自体合理的でないし、被告タイヤ痕の終点近くの曲がり部分に被告車両があるとき、原告車両のタイヤ痕延長線と被告車両タイヤ痕の交差部分に原告車両はあるから両車両は接触しないというのも合理的でない。さらに、タイヤ側面に擦過痕があるのか、本件証拠上明確ではないが、仮に擦過痕があったとしても、これが本件事故によるものと認めるに足りる証拠はない。したがって、タイヤ側面に擦過痕があることを根拠として、原告車両の前部右側タイヤが回転している被告車両の左側タイヤに乗り上げてしまったためとは言い難いのであるから、衝突時に被告車両の後部タイヤが回転していたことを前提とすることもできない。
よって、前記鑑定書が衝突地点を左側車線内とする根拠には疑問点があり、採用することはできない。
イ 被告Y1が急ブレーキをかけた理由について
本件において、被告Y1が急ブレーキをかけたことについては争いがなく、急ブレーキをかけるに至った原因について、原告は、被告Y1が前方車両に対し煽り運転をし、接近しすぎたからであると主張し、本件事故現場の手前の上り勾配部分を走行中から、被告車両は何度もブレーキをかけていた旨供述する(甲二の四、原告本人)が、原告の供述を除き、被告Y1が煽り運転をしていたことを認めるに足りる証拠はない。原告は、上り勾配部分を走行中から被告車両が何度もブレーキをかけるのが煩わしく、また、危険を感じたことから、右側車線から左側車線に車線変更したと供述しているところ、そもそも本件事故当時、原告車両が右側車線を走行しており、左側車線を走行していたものではないことは前記(2)で認定したとおりである。したがって、原告が車線変更をした動機・理由として供述する、被告車両が上り勾配部分を走行中から何度もブレーキをかけていたという原告の供述自体を採用することができない。
また、原告は、被告車両の前方車両が信号表示が赤色に変わったことから急ブレーキをかけたのであれば、本件事故現場付近にそのタイヤ痕が印象されているはずであるところ、該当するタイヤ痕がないのであるから、前方車両が急ブレーキをかけた事実はない旨主張する。しかしながら、急ブレーキをかけたとしてもかならずタイヤ痕が印象されるとは限らないことからすると、本件事故現場付近に前方車両のものと思われるタイヤ痕がないことをもって被告Y1の供述の信用性を否定することはできない。
そして、前方車両が急ブレーキをかけたというほか、被告Y1が急ブレーキをかける理由はない。
(4) 本件事故の態様は、前記認定した(2)のとおりであるところ、本件事故現場付近は下り勾配であること、被告車両は積み荷がなかったものの重量が三八七〇kgであること、このため、制動距離が普通乗用自動車と比較すると長くなりがちであること、本件道路の下り勾配部分の先には信号機により交通整理が行われている交差点があり、信号表示が赤色になれば停止しなければならないこと等から被告Y1が下り勾配部分に入ってから数回に分けてブレーキをかけて、速度の調整をし、前方車両との車間距離保持に努めていたといえる。そうすると、前方車両が交差点の手前で突然急ブレーキをかけた本件において、前方車両に追突するのを避けるため、被告Y1が急ブレーキをかけたことはやむを得なかったというのが相当である。
一方、被告車両の後方を走行していた原告は、本件事故現場付近が下り勾配であること、このため、適宜ブレーキをかけるなどして速度調整することが必要であること、現に被告車両が何度もブレーキをかけていること自体は認識していたこと、原告車両と被告車両の全高差から、後方から走行する原告車両から被告車両の前の道路状況を確認しながら走行することが困難であることからすると、平地で、普通乗用自動車の後方を走行する場合に比較して、より慎重に速度調整を行い、車間距離を十分に保持して走行すべきであったということができる。
以上のような点からすると、本件事故について、被告車両の運転者である被告Y1には、注意義務違反を認めることはできないといわざるをえない。
そして、被告会社についても民法七一五条及び自賠法三条の責任をいずれも認めることはできない。
二 したがって、本件事故について被告Y1に注意義務違反を認めることができない以上、その余の点について検討するまでもなく原告の請求は理由がないこととなり、よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 瀬戸啓子)
別紙1 現場見取図
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別紙2 現場見取図
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