東京地方裁判所 平成14年(ワ)746号 判決 2003年4月22日
原告
X
被告
Y1
ほか一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
一 被告Y1は、原告に対し、金三六七七万五五〇〇円及びこれに対する平成五年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告日新火災海上保険株式会社(以下「被告日新火災」という。)は、原告に対し、同人の被告Y1に対する本判決が確定したときは、金三六七七万五五〇〇円及びこれに対する平成五年七月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、交通事故で傷害を負った原告が、被告Y1に対し、民法七〇九条、自賠法三条に基づき、本件事故により、後遺障害を負い損害を被ったと主張して損害金の支払を、被告日新火災に対し自動車総合保険契約に基づき同額の保険金の支払を、それぞれ請求した事案であるが、本件における中心的争点は、(一)本件事故の態様、(二)原告の後遺障害の内容、(三)原告の損害額、(四)本件事故における原告の過失割合、(五)本訴提起以前に原告と被告Y1との間で成立した示談契約の効力、(六)原告の損害賠償請求権は時効で消滅しているか否かにある。
一 争いのない事実及び証拠上明らかな事実
1 本件事故の発生
(一) 日時 平成五年七月四日午前五時〇八分ころ
(二) 場所 千葉県八街市八街ろ一八三番地一八先路上
(三) 加害車両 被告Y1運転の普通乗用自動車
(四) 被害者 原動機付自転車を運転していた原告
(五) 態様 衝突事故
2 責任原因
(一) 被告Y1は、加害車両の運転者として、民法七〇九条に基づき、また自己のため運行の用に供していたのであるから、自賠法三条に基づき、損害を賠償する責任がある。
(二) 被告日新火災は、加害車両について自動車総合保険契約(PAP)を締結している保険者であり、被告Y1に対する本判決が確定したときは、損害を支払う責任がある。
3 原告の負傷と入院
原告は、本件事故により左大腿動脈損傷、左前腕骨骨折、頭蓋骨骨折及び脳挫傷の傷害を受け、次のとおり入通院を余儀なくされた。
(一) 成田赤十字病院(乙六)
(二) 千葉県救急医療センター(乙六)
(三) 総合病院国保成東病院(以下「成東病院」という。甲二、乙五)
<1> 平成五年七月一七日から同年一二月三日まで入院(一四〇日間)
<2> 平成五年一二月四日から平成六年一月二六日まで通院(実通院九日間)
(四) 東京慈恵会医科大学附属柏病院(甲三)
4 原告の後遺障害
原告は、本件事故により、左大腿部を二分の一以上切断したほか、左手関節機能障害の後遺障害が残り、自動車損害賠償法施行令二条後遺障害別等級表(以下「後遺障害等級」という。)三級に相当する後遺障害を負った(甲四)。
5 損害の填補
自賠責保険は、平成六年三月二四日ころ、本件事故に基づく後遺障害による損害金として二二一九万円を原告名義の口座あてに送金した。
二 原告の主張(原告の請求原因)
1 本件事故の態様
本件は、被告Y1運転の加害車両が原告運転の原動機付自転車(以下「原告車両」という。)に追突した事故である。
2 原告の損害額
(一) 逸失利益 四〇四六万五五〇〇円
原告は、本件事故当時、新聞販売店に勤務し、三〇〇万円の年収を得ていたが、本件事故により、後遺障害等級三級に相当する後遺障害を負ったことから、労働能力をすべて喪失した。原告は、本件事故に遭わなければ、症状固定時(平成一一年五月二五日)の四四歳から六七歳まで二三年間就労し、その間上記年収を得ることができたから、ライプニッツ係数により中間利息を控除すると、原告の逸失利益は、四〇四六万五五〇〇円となる。
300万0000円×13.4885=4046万5500円
(二) 慰謝料 一八五〇万〇〇〇〇円
原告は、本件事故により、上記後遺障害を負ったものであり、精神的苦痛を受けたことは明らかである。上記精神的苦痛に対する慰謝料としては一八五〇万円が相当である。
(三) 損害合計 五八九六万五五〇〇円
(四) 損害の填補
原告は、平成六年三月二四日ころ、自賠責保険から後遺障害に基づく損害金として二二一九万円の支払を受けた。
(五) 損害残額 三六七七万五五〇〇円
6 よって、原告は、被告Y1に対し、本件事故による後遺障害に基づく損害賠償金の残金三六七七万五五〇〇円及びこれに対する本件事故発生の日である平成五年七月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告日新火災に対し、原告の被告Y1に対する本判決が確定したときを条件に、保険金三六七七万五五〇〇円及びこれに対する本件事故発生の日である平成五年七月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 被告らの主張
1 請求原因1は否認する。本件は、原告が駐車中の車両の後部右端に衝突し、路上に転倒したところ、折から後方から進行してきた加害車両が原告を轢過したという事故である。駐車車両に衝突して転倒した原告には重大な過失がある。
2 同2(原告の損害額)について
(一) 逸失利益は、否認する。
(二) 慰謝料は、否認する。
四 被告らの抗弁
1 過失相殺
本件事故は、原告が駐車車両と衝突し、転倒したところに、後方から進行してきた加害車両が原告を轢いたものである。原告は、実況見分の際、警察官に対し、駐車車両と衝突した旨説明していること、駐車車両の右後輪泥よけ部分には擦過が残り、他方、原告車両の前部にも損傷があることからすると、原告車両が駐車車両と衝突した客観的な裏付けがあるというべきである。駐車車両に衝突し転倒した原告にも、本件事故の発生につき重大な過失がある。
2 示談契約の成立
被告Y1は、平成五年一二月一七日、被告日新火災の担当者Aを代理人として、原告との間において、本件事故の損害賠償として歯科治療費、休業補償、慰謝料、入院雑費及び将来の義足その他一切を含み既払金のほか二九〇万円を支払う、治療費については、平成六年三月末日までに成東病院あてに支払う、後遺障害については、原告が被告Y1の付保する自賠責保険会社の三井海上火災保険会社(現・三井住友海上火災保険会社、以下「三井海上」という。)に対し被害者請求を行い、その受領額をもって了解することを内容とする示談契約を締結した。Aは、上記示談契約の締結に際し、被告Y1の署名押印した示談書を持参した上、原告の関係者であるB夫婦の立会いのもと、原告に対し示談書の内容を説明し確認を得ているのであり、原告は上記説明を受けて示談書に署名押印している。そして、三井海上は、上記示談契約に基づき、平成六年三月二四日、原告の後遺障害が併合三級に相当するとして自賠責保険金二二一九万円を原告名義の預金口座に振り込んでいる。したがって、本件は、示談契約により解決済みである。
3 消滅時効
(一) 本件事故により、原告に何らかの損害賠償請求権が存在するとしても、原告は、平成六年三月ころには後遺障害の内容や損害状態について認識していたのであり、上記日時から三年が経過している。
民法七二四条前段の時効期間は、症状固定により進行すると解されるところ、原告が本件事故により被った傷害は、左大腿動脈損傷、左前腕骨骨折、頭蓋骨骨折及び脳挫傷であり、上記傷害は左大腿部を二分の一以上切断などの後遺障害を残し、成東病院において平成六年一月二六日に症状固定と診断されている。このような一下肢切断の受傷内容からすると、原告においては、少なくとも後遺障害等級四級になること、場合によっては、それ以上の等級になることを予測できるものである。そして、被害者は、受傷により残存した後遺障害が後遺障害等級の何級に該当するのか明らかでなくとも、その後遺障害の内容や損害状態について認識できれば、同条にいう損害を知った場合に当たるものと解されるから、本件のように、一下肢切断の受傷内容からすると、原告は、その後遺障害の内容や損害状態を認識でき、損害を知ったものといえる。
また、自賠責保険会社の三井海上は、原告からの後遺障害診断書に基づく自賠責保険金の支払請求を受けて、同後遺障害が併合三級に相当するものと認定し、平成六年三月二四日、自賠責保険金を原告名義の預金口座に振り込んでいる。したがって、原告の損害賠償請求権は、平成六年三月ころから進行するものというべきである。
仮に、原告が、平成六年三月ころにおいては、いまだ後遺障害の内容や損害状態について認識していなかったとしても、原告は、被告日新火災に対し、平成九年一月ころ保険金の支払先の教示を依頼し、また、同年五月ころには自賠責保険の支払につき照会を求め、被告日新火災から自賠責保険金の支払通知書の写しの交付を受けている。したがって、原告は、遅くとも平成九年五月の時点では、後遺障害等級の認定を含めて本件事故による損害の発生を知っていたものといえる。
したがって、原告は、自賠責保険金の支払を受けた平成六年三月ころ、あるいは遅くとも平成九年五月ころには、本件事故により後遺障害が残存し、上記後遺障害が後遺障害等級併合三級に相当するものとして、損害を知っていたものである。
(二) 被告らは、原告に対し、平成一四年二月二六日の本件口頭弁論期日において、時効を援用するとの意思表示をした。
(三) よって、平成六年三月ころ、あるいは平成九年五月ころから三年の経過をもって原告の被告Y1に対する後遺障害に基づく損害賠償請求権は、時効により消滅した。
五 抗弁に対する原告の答弁
1 過失相殺及び示談契約の成立について
いずれも争う。
2 消滅時効について
(一) 時効の起算点は、被害者が後遺障害の発生とそれによる損害の発生を知ったときであるが、後遺障害による損害額は、後遺障害等級により労働能力喪失率や慰謝料の額が異なるから、その損害額を認識する際には自動車保険料率算定会(現・損害保険料率算出機構、以下「自算会」という。)による後遺障害等級の認定が重要である。原告が本件事故による後遺障害の発生を知ったのは、平成一一年五月二五日付けの自賠責保険会社からの後遺障害等級の認定通知を受けたときであり、また、原告が、医師から後遺障害につき具体的に説明を受けたのは、同年六月一五日の東京慈恵会医科大学附属柏病院において説明を受けたときである。したがって、原告が後遺障害の発生を知ったのは、平成一一年五月ないし六月ころであり、上記時点をもって消滅時効の起算点とするべきである。
(二) 仮に、左大腿切断、左手関節機能障害に基づく損害賠償請求権が消滅時効にかかっているとしても、左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害については、平成一一年六月一五日に医師から後遺障害の固定の説明を受けたものであるから、新たに発生した後遺障害である。
(三) 本訴は、平成一四年一月一七日に提起されているから、時効は完成していない。
六 原告の再抗弁
1 過失相殺
原告は、駐車車両に接触していない。原告は駐車車両を避けようと右にハンドルを切ったところ、後方から進行してきた加害車両が原告車両に追突し、原告を礫過したものである。仮に、原告に過失があるとしても、一割を上回るものではない。
2 示談契約の錯誤による無効
(一) 本件示談契約は、当時、原告と同じ新聞販売店に勤務していた同僚のBが、独断で被告日新火災の担当者Aと協議して成立させたものである。原告は示談書に署名押印しているが、示談内容については認識していない。Bは、本件示談契約に伴って原告名義の預金口座に振り込まれた二六三四万円(後遺障害分の二二一九万円と傷害の賠償分の四一五万円の合計)を、その後に勝手に引き出した上、所在不明となっている。
(二) 原告の後遺障害は、後遺障害等級三級に該当するものであるところ、原告は、本件示談当時、自己に残存する後遺障害が後遺障害等級三級に該当することを認識していなかった。確かに、示談書には、「後遺障害による損害は、乙が付保する自賠責保険に被害者請求し、受領額をもって了解する」旨の条項があるが、原告は、上記条項にある被害者請求がどのような制度かについては全く理解していなかったし、また、受領額がいくらとなるのかも知らなかった。そして、原告は、被告日新火災の担当者から、被害者請求、等級及び金額などについて説明を受けたことはない。
(三) 原告の平成五年一二月当時の傷病名は、左大腿切断、左前腕骨折、頭蓋骨骨折及び脳挫傷であり、同傷病については、本件示談契約において評価されている。しかし、本件においては、原告には、その後に左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害が発生しているから、上記後遺障害は、本件示談契約の基礎事実とはなっていないというべきである。
七 再抗弁(示談契約の錯誤による無効の抗弁)に対する被告らの反論
1 本件示談契約は、被告日新火災の担当者が、原告に対し、被害者請求、等級及び金額などについて説明をした上で、B夫婦の立会いのもと、原告本人の意思を確認して成立したものである。そして、原告は示談書に署名押印している。
2 本件示談は、後遺障害等級三級に該当することを前提とするものではない。仮に、原告には本件示談契約の当時、後遺障害等級三級に該当するという認識がなかったとしても、本件示談契約が無効となるわけではない。本件示談契約は、後遺障害については、原告が自賠責保険の三井海上に対し被害者請求を行い、その受領額をもって了解することを内容とするものであるが、後遺障害の有無及び程度が明らかでない段階で、被害者の後遺症の有無、内容及び程度などについて、自賠責保険の認定に委ねることは、将来における法律関係の明確性や法的安定を確保する観点から合理的かつ有益であり、特段支障はないというべきである。まして、本件における原告の後遺障害は一下肢切断であり、後遺障害等級四級以上になることはほぼ確実に予測できるものであるから、その法的効力に何ら問題はない。そして、本件においては、事故態様からしても、過失相殺により相応額につき減額される事情があるのであるから、本件示談額のように自賠責保険の範囲内で解決するという内容は特段不合理なものではない。
3 原告の左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害は、右前頭、側頭葉の損傷に基づく脳挫傷に由来するものと考えられる。すなわち、原告は、平成五年一二月ころ、脳挫傷の診断を受けているから、上記後遺障害の原因も平成五年一二月の時点で存在していたものというべきである。そして、原告は、平成六年一月二六日、成東病院の耳鼻咽喉科において左顔面神経麻痺との後遺障害の診断を受けており、自賠責保険において、後遺障害等級一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残す)に該当する旨の認定を受けている。これは、脳挫傷に由来する左半身の神経症状が後遺障害として認定されていることを示すにほかならない。
4 よって、本件においては、原告の主張する左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害は、他の後遺障害と同じく平成五年一二月四日の時点において存在していたものであり、本件示談契約が成立した当時にも予想されており、上記後遺障害等級の認定において考慮されているというべきである。
第三証拠関係
本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりである。
第四当裁判所の判断
一 消滅時効の成否について
請求原因の判断に先立ち、被告らの抗弁(消滅時効)について判断する。
1 原告の受傷
当事者間に争いのない事実と証拠(甲二、四、乙五、六)によれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。
(一) 原告は、本件事故により左大腿動脈損傷、左前腕骨骨折、頭蓋骨骨折及び脳挫傷の傷害を負ったことから、成田赤十字病院に搬送されたが、左大腿動脈閉塞症に罹患したため千葉県救急医療センターに転医し、同病院において左大腿切除術、左前腕整復固定術を受け、また、脳挫傷につき保存的治療を受けた。
(二) 原告は、その後、平成五年七月一七日に成東病院に転医し、同年一二月三日までの一四〇日間入院し、その間に左前腕の再固定術を受けたほか、リハビリテーションなどの治療を受け、そして、同病院を退院した後も、同月四日から平成六年一月二六日までの間(実通院九日間)、通院して治療を受けた。
(三) 成東病院の整形外科のC医師は、平成六年一月二六日作成の傷害保険後遺障害診断書(以下「後遺障害診断書」という。)において、「症状固定日は平成六年一月二六日、傷病名は左大腿動脈損傷、左前腕骨骨折、頭蓋骨骨折、脳挫傷」との所見を示すほか、精神・神経の障害、他覚症状および検査結果欄においては、「左大腿切断、左手関節内骨折あり…ROM制限残存す」、障害内容の増悪・緩解の見通し欄では、「不変の見込み」との所見を示している(甲二)。また、同病院の耳鼻咽喉科のD医師も、平成六年一月二六日作成の後遺障害診断書において、「症状固定日は平成六年一月二六日、傷病名は左顔面神経麻痺」、後遺障害の内容は「左顔面神経完全麻痺」との所見を示している(乙五)。
(四) 原告の後遺障害は、平成一一年五月二五日付けで、自算会から、後遺障害等級四級相当、同一二級六号、同一二級一二号、これを併合して同三級と認定された(甲四)。
2 症状固定の時期
以上の認定事実をもとに、原告の本件事故による後遺障害の症状固定の時期を検討する。
(一) 原告が本件事故により被った傷害は、左大腿動脈損傷、左前腕骨骨折、頭蓋骨骨折及び脳挫傷であるところ、千葉県救急医療センターにおいて左大腿切除術、左前腕整復固定術を受けており、また、成東病院のC医師は、後遺障害診断書において、原告には左大腿切断などの障害が残存し、症状の固定時期は平成六年一月二六日である旨の所見を示していることからすると、原告の後遺障害は、平成六年一月二六日ころには症状が固定したものと認めることができる。
(二) もっとも、原告は、本件では、左大腿切断、左手関節機能障害の後遺障害のほかに、新たに左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺という別個の後遺障害が発生しているのであり、上記左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺について、症状が固定したことを医師から説明を受けたのは平成一一年六月一五日ころであるから、上記日時を起算点とするべきである旨主張し、これにそう証拠として、東京慈恵会医科大学附属柏病院のE医師作成の診断書(甲三)及び後遺障害認定通知書(甲四)を提出する。
(三) そこで、本件事故と左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害との因果関係を検討するに、証拠(甲二、三、乙五、六)によれば、本件受傷後に意識障害が生じていること(甲三、乙六)、MRI検査によっても右前頭、側頭葉に脳挫傷が生じていることが確認されていること、また、成東病院の整形外科のC医師は、受傷直後から傷病名の一つとして脳挫傷を認めていること(甲二)、さらに、同病院の耳鼻咽喉科のD医師も、後遺障害診断書において、原告には左顔面神経完全麻痺の後遺障害が残存するものと診断し、その症状固定日は平成六年一月二六日である旨の所見を示していること(乙五)などの事実が認められる。
(四) ところで、医学的には、体や手足を動かすための脳から筋肉への刺激は、脊髄を通じて筋肉へ伝えられるが(下行性伝導路)、伝導路の多くは脊髄内または延髄の錐体交叉で情報が反対側へ伝えられるのであり、体の左側の感覚は右半球の脳で処理されるものと一般的に理解されているところ、上記認定事実によれば、本件においては、原告には、右前頭、側頭葉に脳挫傷が生じていること、また、左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の神経症状が生じていることが認められるから、この症状の関連は、下行性伝導路において情報が反対側に伝達されるという上記医学的見解の説明と合致するものである。したがって、左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害は、受傷時の右前頭、側頭葉の脳挫傷に起因するものと判断でき、平成六年一月二六日ころの時点において、すでに存在していたものというべきである。
(五) 以上によれば、左顔面神経麻痺、左聴力低下及び左不全麻痺の後遺障害は、受傷時の脳挫傷に起因するものと判断でき、上記左顔面神経麻痺などの後遺障害は、C医師及びD医師の症状固定の診断時における「左大腿切断、左手関節機能障害」及び「左顔面神経完全麻痺」の後遺障害の評価の中に含まれているものと認められる。
よって、原告の主張は認め難い。
3 損害を知った時期
(一) 消滅時効は、損害を知ったときから進行するところ、後遺障害による損害の発生を知ったときとは、後遺障害が同等級の何級に該当するのか明らかでなくとも、症状が固定し、被害者の後遺障害の内容や損害状態について認識できれば、同条にいう損害を知った場合に当たるものと解される。そこで、本件において、原告が、何時、損害を知ったのかが問題となるので検討するに、当事者間に争いのない事実及び証拠(甲二、五、六、八、九、乙三ないし八)によれば、次の事実を認めることができる。
<1> 原告は、平成五年一二月一七日、原告の関係者であるB夫婦の立会いのもと、被告Y1の代理人である被告日新火災の担当者Aとの間で本件事故に関する損害賠償請求について示談交渉を行い、被告Y1は、原告に対し本件交通事故の損害賠償として歯科治療費、休業補償、慰謝料、入院雑費及び将来の義足その他一切を含み既払金のほか二九〇万円を支払うこと、平成六年三月末までの治療費は成東病院あてに支払うこと、後遺障害による損害は、原告が被告Y1の付保する自賠責保険会社の三井海上に対し被害者請求を行い、その受領額をもって了解することを内容とする示談契約を締結した(甲六、九、乙三、六)。示談書(乙三)の当事者甲(被害者側)欄の住所と氏名部分は原告の自署によるものであり、また、その押印欄には原告本人の印鑑登録証明書(乙四)と同一の印影が押捺されている。
<2> 原告は、平成六年一月二六日、通院治療を受けていた成東病院の整形外科のC医師及び同病院の耳鼻咽喉科のD医師の各診断を受け、平成六年一月二六日に後遺障害が症状固定した旨の後遺障害診断書を取得した(甲二、乙五)。
<3> そして、原告は、自算会の千葉調査事務所から、平成六年二月二五日、後遺障害の認定等級を調査するために、レントゲン写真(左手、左足)、CT写真(頭)及び原告の顔写真二枚を資料として提出するよう依頼を受けたことから(乙七)、その求めに応じ、そのころ上記資料を上記調査事務所に対して提出した(乙八)。
<4> 原告は、その上で、平成六年三月二四日付けで被害者請求を行い(甲五・四頁の回答書)、上記請求を受けて、自賠責保険会社の三井海上は、同日、原告の後遺障害が併合三級に相当するものと判断して、自賠責保険金二二一九万円を原告の指定する預金口座に振り込んだ(乙三、争いのない事実)。
<5> しかし、Bは、所持していた原告名義の預金通帳及び届出印を使用して、上記金額を原告の預金口座から勝手に引き出して領得したことから、原告は、被告日新火災に対し、平成九年一月ころ、Bにより保険金が詐取されたことを確認するためにその支払先の教示を依頼し、また、同年五月ころにも自賠責保険の支払について照会を行った。そこで、被告日新火災は、同月二七日に、自賠責保険会社の三井海上から自賠責保険金支払済一件書類を借り出し、そのころ、原告に対し自賠責保険金の支払通知書の写しを交付した(乙六、九)。
上記認定事実によれば、原告は、遅くとも平成六年二月二五日ころには、本件事故により後遺障害を被ったことを知っていたものと認められる。
(二) もっとも、原告は、平成六年一月二六日付けの後遺障害診断書が作成されていることは知らず、平成一一年五月二五日付けの後遺障害認定の通知を受けて初めて後遺障害の発生を知った旨主張する。しかし、平成六年一月二六日ころにおいて、原告においては、左大腿切断、左手関節機能障害及び左顔面神経完全麻痺の後遺障害が残存しているのであり、左大腿切断による後遺障害は、自賠責保険の実務においては、後遺障害等級四級五号の「一下肢をひざ関節以上で失ったもの」に該当するから、原告の後遺障害が少なくとも後遺障害等級四級以上の等級に当たることは、ほぼ確実に予測できるものといえる。また、原告は、成東病院に通院した上、平成六年一月二六日に症状が固定した旨の後遺障害診断書を取得するとともに、平成六年二月二五日には自算会の千葉調査事務所から、「後遺障害のご請求に係わる関係資料ご提出のお願い」と題する書面(乙七)を受け取り、同連絡を受けて、レントゲン写真、CT写真及び原告本人の写真など後遺障害の請求に係わる資料(以下「関係資料」という。)を用意して上記調査事務所に対し提出している。かかるところ、上記書面は、「現在、認定等級を調査中ですが、すでに貴殿が保険会社に提出された書類の他に…資料が是非必要であります。」との連絡事項が記されているのであるから、その文言に照らせば、関係資料が後遺障害の等級認定を調査するために必要な書類であることは、原告においても十分理解しうる内容といえる。そうすると、後遺障害の等級認定手続が原告の全く関与しない状態で行われたことはあり得ないというべきである。そして、このような原告による後遺障害診断書の取得及び関係資料の提出行為は、原告が自賠責保険会社の三井海上に対し、被害者請求を行い、その受領額をもって了解することを内容とする本件示談契約の内容にそうものである。
(三) 以上によれば、原告は、後遺障害等級の認定手続の意義を理解した上で自賠責保険の被害者請求を行っているものと認められ、遅くとも、平成六年二月二五日ころには、後遺障害の内容や損害状態について認識し得たものと認めることができる。したがって、原告の主張は認め難い。
二 まとめ
以上によれば、原告は、自算会の千葉調査事務所から関係資料の提出を求められた平成六年二月二五日ころには、本件交通事故による損害(及び加害者)を知っていたものであり、それから三年を経過した平成九年二月末日ころの経過をもって原告の被告らに対する損害賠償請求権は、時効により消滅したものと認められる。
したがって、被告らの抗弁(消滅時効)は理由がある。
第五結論
以上の次第で、原告の損害賠償請求権は消滅時効が成立しているから、その余の点を判断するまでもなく理由がない。
よって、原告の請求はいずれもこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 片岡武)