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東京地方裁判所 平成14年(刑わ)1534号 判決 2003年4月18日

主文

被告人は無罪。

理由

1  本件公訴事実

被告人は,弁論分離前の相被告人Aと共謀の上,平成14年4月20日午前3時11分ころ,東京都新宿区ab丁目c番d号Bビルディング前路上において,仮睡中のCから金品を窃取する目的で,Aにおいて上記Cが着用していたズボンの右後ろポケット内に右手指を差し入れたが,警察官に発見逮捕されたため,その目的を遂げなかったものである。

2  本件公訴事実記載の日時場所において,Aが窃盗の実行行為に及んだこと(以下,上記Bビルディング前路上を「犯行現場」という。),被告人は,Aが実行行為に及んだ当日の午前零時過ぎころからAと一緒にいたものであり,Aが窃盗の実行行為に及んだときに,その付近にいたこと(ただし,どの程度距離が離れた所にいたかは争点の一つである。),以上の事実は関係証拠により明らかであり,被告人もこれを認めているが,被告人は,Aと窃盗の共謀をしたことはなく,見張りを頼まれたことも,見張りをしたこともないと供述し,弁護人も,被告人には窃盗の見張りを行う故意はなく,実際にも見張り行為を行っていないのであるから,被告人は無罪であると主張している。

3  以下の事実に関しては,被告人,A,警察官D及び同Eの各供述その他関係証拠の間に矛盾がなく,間違いないところとして認めることができる。

(1)  Aは,本件犯行前にも,本件犯行と同様のすり行為をしたことがあったが,被告人と一緒にすり行為に及んだことはなかった。

(2)  Aは,平成14年4月20日午前零時ころ,F駅構内の東口改札付近で,酔っぱらって寝込んでいる男を見つけ,その男の所持していた財布の中の金を盗もうとした。

Aは,被告人に声をかけて,その盗みの手伝いをさせようとした。

Aは,被告人にJRの150円の切符を渡し,被告人は,駅員にこの切符を現金150円に換えてもらい,これをAに渡したことがあった。

Aは,寝込んでいた男の財布が鎖で衣服につながれていたため,財布をその男の服の下に隠して,被告人の所に行って,財布の中から金を取ってくるようにと言ったことがあった。

結局,Aは,そこでは,その寝込んでいた男から金を盗むことはできなかった。

(3)  以下の発言がどの時点でされたものであるかについては供述が一致していないが,Aが,被告人に対し,Aの供述では,「おれのしてる仕事知ってるか」,被告人の供述では,「おれのことを知ってるか」などと尋ねたことがあった。

(4)  Aと被告人は,その後,一緒にF駅周辺を徘徊した。

(5)  Aと被告人は,午前2時20分ころ,新宿区ef丁目g番h号G銀行前の路上で,すり犯等の警戒に当たっていたD及びEら5名の警察官に目撃された。Dらは,Aらの動きを不審とみて,以後2名を尾行した。

(6)  Aは,同銀行の24時間営業のキャッシュサービスコーナーから出てきた男の人の後を追い,F東口から西口に抜ける地下道に入っていった。被告人もAの後を歩いていった。

Aは,結局その男の人から物を取るには至らなかった。

(7)  Aと被告人は,その後,午前2時50分ころ,新宿区ij丁目k番l号Hビル1階の「I」という店に入り,カレーライスを食べ,Aがその代金を支払った。

(8)  Aと被告人は,同店を出た後,犯行現場に到着するまでの間に,K通り沿いのJビル1階コンビニエンスストアLに立ち寄り,少なくともAは同店に入り,買い物をした。

(9)  Aは,犯行現場において,M銀行前路上で酔って寝込んでいた被害者に目をつけ,金品を窃取することを決意した。

Aは,被告人に対し,Aの供述によれば,「やばかったら咳払いせえ」と,被告人の供述によれば,「だれか変な人が来たら,ここにいて咳払いをしてくれ。」と言った。

その後,Aは,被害者のズボンの右後ろポケット内に右手指を差し入れたところを,警察官に逮捕された。逮捕の時刻は午前3時11分ころである。

4  まず,Aと被告人の供述の重要な相違点を対比し,各供述の信用性を検討する。

(1)  従前の被告人との関係

ア  Aの供述

平成13年12月ころから,二,三回,歌舞伎町で被告人と会ったことがある。会った時には話をして,飯をおごってやった。後々被告人に自分がやっている露天商の手伝いをしてもらおうかと思ったこともある。お金をやったこともある。

イ  被告人の公判供述

AにはF東口周辺で何回か顔を合わせたことがあるが,話をしたのは,東口への行き方を聞かれたことがあるだけで,それ以外にはなく,食事をおごってもらったり,小遣い銭をもらったりといったことは一切ない。

ウ  信用性の検討

Aは,前記のとおり供述するが,弁護人からの,どこで何を食べさせたのかという質問に対しては,言う必要がないと答え,幾らぐらいお金をあげたのかという質問に対しては,そんなの想像に任せるなどと答え,会った時にどんな話をしたのかという質問に対しては,世間話ぐらいだなどと答え,何ら具体的な供述をしていない。

また,Aは,被告人に対し,「おれのしてる仕事知ってるか」と聞いたというのであるが,それまでにも二,三回会って,食事をおごってやった間柄であったというのであれば,そのような聞き方をするというのも不自然であり,その供述の信用性には疑問がある。

(2)  JRの150円の切符の件

ア  Aの供述

渋谷で露天商をやっている者に会うつもりで,150円の切符を買った。

切符を買うときに,横で男が寝ているのを見て,金を盗もうと思った。すりをしていると,もう電車がなくなるので,切符がもったいないと思った。自分が150円くらいの切符を換えに行くのは格好悪かったから,被告人に換金を頼んだ。その後,もう一度150円の切符を買ったことはないと思う。買った切符を男のそばで落として,様子を見たといったことはない。

イ  被告人の公判供述

午前零時過ぎころ,地上からF駅東口の地下の改札口に至る階段の降り口の辺りで,Aから,声を掛けられた。Aは,150円の切符を見せて,それを駅員に持っていけば150円に換えてくれる,その150円はあげるといった話をしてきた。Aからその切符を受け取って,駅員のところに持っていくと,150円に交換してくれた。150円くらいもらって,せこい人間だと思われるのもいやなので,Aのところに行って,150円をAに渡した。Aは,「鎖を切ったことあるか」などと言って,自分を券売機の方に連れて行った。券売機のそばに若い男が酔っぱらって寝ていた。鎖がその男のジーパンの辺りから出ているのを見て,Aが言った鎖とはこのことだなと思った。Aは,また150円の切符を買って,それを若い男の近くにわざと落として,1回通り過ぎた後,戻ってきて,それを拾うふりをして男の様子を見ているようだった。

ウ  信用性の検討

Aは,渋谷で露天商をしている者に会うつもりで切符を買ったと供述するが,誰に会うつもりだったのかといったことは供述しておらず,具体性が欠けている。また,Aは,すりをしていると,最終電車がなくなるなどとも供述するが,N線のFからO方面への最終電車はF駅を午前1時ころに発車するのであり(公知の事実),それまでにはまだ間があること,男が寝込んでいたという場所は駅構内であり,駅員等から起こされたりすることなく,最終電車が出るころまでその場所に男がそのままの状態でいるということは考えにくく,犯行に及ぶとすれば,当然それよりも前に犯行に及ぶことになるのであるから,Aの前記供述は不自然である。

Aが,買った切符を落としたふりをして,寝込んでいた男の様子を探るために,買うなり,拾うなりして手にあった切符を被告人に換金させたと見る方が自然である。

(3)  F駅で寝込んでいた男の財布から金を取ろうとした件について

ア  Aの供述

被告人に盗みの手伝いをしてもらおうかと思って,被告人に対し,「おれのしてる仕事知ってるか」と聞いたところ,被告人は,「まあ,うすうす知ってます」と答えた。自分は,「あそこに寝てるやつがおるから,するから,ちょっと手伝えや」と言ったところ,被告人は,「分かりました」と答えた。分け前についての話もし,被告人に対し,「取った3割をやる」と言った。被告人に「おれが先行って来るから見とけ」と言って,寝込んでいる男に近づいて,財布を抜き取ろうとしたが,その男の財布が鎖でつながれていて,抜けなかったので,背広の下に一旦隠して,被告人の所に戻り,被告人に対して,「抜いてこい」と言った。被告人は,「分かった」と言って,その男に近づき,財布に触っていたが,結局盗むことができずに戻ってきた。

なお,Aは,検察官からの質問に対し,被告人に「見張りをしてくれ」という話もして,被告人は,「分かりました」と答えたと供述したが,弁護人の質問に対しては,「手伝えと言うたら,もうそれ(見張り)しかないじゃないですか」などと答えており,「見張り」という言葉を使ったわけではないという趣旨のことを述べている。

イ  被告人の公判供述

Aは,切符を拾うふりをして寝ていた男の様子を見ているようだったが,しばらくしてから被告人のところに来て,「若い男の財布についている鎖が切れないので,財布をポケットから抜いてシャツの下に隠したから,財布の中から金を取ってきてくれ。半分あげるから。」などと言ってきた。しかし,「僕はそんなことやったこともないし,いやだから,だめですよ。」などと言って断った。

ウ  信用性の検討

(ア) Aが,寝込んでいた男の財布が鎖で衣服につながれていたため,財布をその男の服の下に隠して,一旦被告人の所に行き,財布の中から金を取ってくるようにと言ったことについては,両者の供述は一致しており,Aは,財布の中から金を抜き取るという捕まる可能性も高い危険な役目を被告人にやらせようとしたとみることができる。Aは,被告人がこれに応じて,男に近づき,財布に触っていたというのであるが,被告人には窃盗の前科前歴はなく,それまでにこのような行為をしたことがあったとも窺えないのであり,Aが供述するように,被告人が簡単にこのような行為を引き受けて実行しようとしたとみることには疑問が大きい。

(イ) Aは,寝込んでいた男の財布から金を盗む話をした際に,被告人に対し,分け前として「取った3割をやる」という話をしたと供述するが,この点に関して,被告人は,Aから,財布の中から金を取ってきてくれと言われたときに,「半分あげるから」などと言われたと供述している。実際に財布から金を抜き取るという行為に対する分け前としては,それが捕まる可能性も高い危険な役目であることからすれば,「半分」という被告人の供述の方がより真実らしく思われる。また,見張り行為に対する報酬としては,Aの言う3割というのがもっともらしく思われるが,この点に関して,Aは,捜査段階においては,平成14年5月2日付け検察官調書(弁3)において,盗みが成功したときのPの取り分についての検察官からの質問に対し,そのような話はしていなかったが,内心では被告人に3割くらいの分け前をやるつもりでいたと供述していたのであり,この供述と明らかに矛盾していることから,Aの公判供述は信用し難い。

(4)  Aと被告人が一緒にF駅周辺を徘徊するようになった状況

ア  Aの供述

F駅で寝込んでいた男から財布を盗むことができなかった後,Aと被告人が一緒にF駅周辺を徘徊するようになった際に,Aが被告人にどのような話をしたかについて,Aは公判廷では特に供述していない。

イ  被告人の公判供述

F駅で寝込んでいた男から財布を取ろうとした件の後しばらくしてから,Aがまたやってきて,「おれのことを知ってるか」と尋ねてきた。返事に困って,「何となく」と答えたと思う。盗みをするといった話は一切なかった。Aが「これから何か用事があるの」,「どこでいつも寝てるの」などと尋ねてきたので,「特別な所は別にありませんよ,そのときによって違いますよ。」などと言ったら,「いい所があるから教えてあげるよ。朝7時まで寝てられる。」,「付き合わないか」などと言ってきた。自分としては,付き合うということについては,ご飯を食べるか,お茶を飲みに行くぐらいの意味で受け取った。もともとの自分の予定としては,F駅構内にいられるのが午前1時ころまでなので,それまではそこにいて,F駅が閉まってからは近くのコンビニで本を読んで時間をつぶし,午前4時10分ころになったらF駅がまた開くので,戻ってこようと思っていた。どうせコンビニで時間をつぶすんだから,今日は付き合って時間をつぶしてみようかと思って,誘いに乗った。

ウ  信用性の検討

その前後の経過からみると,F駅で寝込んでいた男から財布を盗むことができなかった後,Aと被告人が一緒にF駅周辺を徘徊するようになった際,Aが何かしら被告人に言葉を掛けたものと推認される。そして,Aが被告人に対し,「おれのこと知ってるか」などと言ったことはあったが,盗みをやっていることを知っているのかとは言わなかったことについては,被告人とAの供述は一致しており,被告人の当時の生活状況からすれば,Aの誘いに対し,F駅が開くまでの時間をつぶすためにAに付き合うことにしたとの被告人の供述が特に不自然であるとはいえず,Aが被告人にIでカレーライスをおごったりしていることなどの点からみても,被告人の前記供述を虚偽とみることはできない。

(5)  被害者を発見し,まずどちらが他方に声を掛けたかについて

ア  Aの供述

被告人が先に被害者を見つけて,「おるぞ」とか言って,教えてくれた。

被告人から言われて,その男の寝ている所に見に行った。

イ  被告人の公判供述

Aが自分の前方を歩いていて,犯行現場に差し掛かった。Aはその場所で立ち止まったが,自分はその場を通り過ぎた。自分は,そのまま前に進んでいき,Q通り沿いの歩道まで行って,そこで立ち止まっていたときに,Aから「おい」と声を掛けられたので,Aの方に行った。

ウ  信用性の検討

(ア) この点に関し,警察官D及びEは,次のとおり供述している。

① Dの供述

Aが前を歩いていた被告人に対して,「おい」と声を掛けて呼び止めた。被告人は,Aの方に戻った。

② Eの供述

被告人がAのやや前方を歩いていた。被告人は,被害者の横を通り過ぎた。Aは,二,三歩前を歩いていた被告人に,「おい」と声を掛けた。被告人は,Aから声を掛けられて,立ち止まり,Aの方を振り返って,Aに近づいた。

(イ) 被告人の供述と警察官2名の供述は,Aが声を掛けた際の被告人の位置等については合致していないが,Aが前方にいた被告人に「おい」と声を掛けたという点においては一致しており,これに反するAの供述は虚偽であるとみるほかない。

(6)  以上のとおり,Aの供述には明らかに虚偽であると認められる部分もあり,その信用性にはそれぞれ疑問がある。

そして,Aは,前記のとおり,被告人に対し,何かあったら咳払いをするようになどと言ったものであり,Aの供述によれば,それは被告人に対して自分が被害者から盗みをするに際しての見張りを頼む趣旨であったと認められるのであって,他方,その後の事態の推移からすれば,被告人が見張りとして役に立たなかったことも明らかであり,Aも,被告人が役に立たず,被告人のために捕まったようなものだと供述しているのである。

したがって,Aがこのことで被告人に腹を立て,被告人に不利な虚偽の供述をする動機も十分に認められるのであって,これらのことからすれば,Aの供述については,その信用性を慎重に吟味する必要があり,基本的には他にこれを裏付けるような証拠がない限り,採用し難いというべきである。

Aは,被告人に対し,「やばかったら,咳払いせえ」と言ったところ,被告人が「はい分かりました」と言ったと供述しており,もしこのような事実が認定できるのであれば,その時点で共謀が成立したものとして,その後被告人が実際には見張り行為をしていなかったとしても,共同正犯が成立するとみる余地が生じるが,Aの上記供述を直ちに採用することはできず,この時点で共謀が成立したかどうかは,その後被告人が実際に見張り行為を行ったかどうかなどの状況を総合して判断するほかない。

5  犯行現場に至るまでの状況について

(1)  DやEがG銀行前でAと被告人を発見した際の被告人の挙動等について,D及びEの供述と被告人の供述には食い違いがある。

D及びEは,Aと被告人が,銀行に背を向けて,歩道の方を向いたり,銀行の中を振り返るようにして見たりしながら,2人で横並びに立って,次々と主に酒に酔った通行人を目で後追いしていたと供述する。

これに対し,被告人は,G銀行前付近で建築会社で一緒に働いていた山口という人と会ったので,いろいろと話をしていた,しばらく話し込んでからAを捜すと,Aは銀行のキャッシュサービスコーナーをのぞいていた,またしばらく山口と話をしていたところ,既に車道の反対側(F駅のロータリー側)に渡っていたAから,「おーい,こっちへ来いよ」と呼ばれたと供述する。

Aは,F界隈を歩いているときに,被告人が友達と会って話をしていたことがあり,その時に,被告人が遅いので,自分が「お前何しおる,早う来いよ」と言ったら,被告人が走ってきたと供述しており,これがこのG銀行前のことであるのかははっきりしないが,一応被告人の供述するようなことはあったものと認められる。それ以外には,この点について,どちらの供述を信用すべきかについての判断材料は乏しい。

(2)  Iを出てから犯行現場に至るまでの状況についても,被告人の供述とE及びDの供述には大きな食い違いがある。

ア  被告人の公判供述

AからIでカレーライスをおごってもらった際,「寝る所を教えてあげるよ。」と言われ,店を出た後,そこに連れて行かれた。その場所は,Iを出て,K通りを右折してR駅方面に少し行ったところにあるビルで,エレベーターで3階まで上がると,エレベーター前にフロアがあって,Sの現金支払機コーナーがあるところだった。フロアに段ボールを敷いて寝ている人が1人いた。その人は,朝の7時になると警備員に起こされてどかされると話していた。

その後,そのビルを出て,K通りを反対方向に歩いていった。AがLに立ち寄ってたばこを買って,すぐに出てきた。自分は店の外にいた。それから交差点を渡って犯行現場の方に歩いていった。

イ  Eの供述

Aと被告人がIに入った時刻は,午前2時50分ころであり,これについてはT巡査がその時刻をメモしていた。Iを出たのは午前3時ころである。

Aと被告人が,Iを出てから,Sの自動契約機があるビルに立ち寄ったことはない。

Aと被告人は,K通りを左折した後,コンビニエンスストアに立ち寄った。Aが先に入り,続いて被告人もほぼ一緒に入った。同店内では,両名が並んで店内を歩いていた。Aが陳列棚辺りで商品を手に取っていた。Aがレジで何か品物を出していたが,何を購入したのかは確認できなかった。その後,両名は,同店を出て,犯行現場に差し掛かった。

Aと被告人が店内にいた時間について,Eは,第9回公判での検察官の質問に対しては,「5分いたかいないかの時間であった」と供述し,第10回公判での裁判官の質問に対しては,「5分も中にはいなかったと思います。時間的には,二,三分という・・・確かな確認では,時間的なあれはありませんが,それぐらいの時間ではなかったかと思います。」と供述している。

ウ  信用性の検討

(ア) 被告人がIを出てから犯行現場に至るまでの間にどのような行動を取ったか,Sの自動契約機があるビルに立ち寄ったか,コンビニにAだけでなく被告人も入ったのかといったことは,犯行現場での被告人の行動につき共同正犯が成立するかという本件の最大の争点に直接関連するものではないが,それらの点について,被告人とEの供述が完全に食い違っており,どちらかが虚偽の供述をしているものと考えられる。そして,その点に関する供述の信用性如何は,犯行現場での行動についての被告人,E及びDの供述の信用性の判断にも影響するところが大きいと考えられる。

(イ) まず,被告人の供述について検討する。

被告人は,第8回公判において,地図を示され,Aから連れて行かれたという場所の位置を記入したところ,関係証拠(弁2)により,被告人が地図を見て記入した位置の近くのUビル3階に消費者金融業者Sの自動契約機のコーナーがあることが認められる。

被告人の平成14年5月6日付けの検察官調書(乙17)には,「カレー屋を出た後,私とAはK通りのSの近くにある広場に行き,LでAがたばこを買ってから,今回捕まった旧M銀行の方に歩いて行きました。」と記載されている。

「K通りのSの近くにある広場」では何のことか全く分からないが,「K通りのS」とは,前記Sの自動契約機のあるビルを指すものとみられるところ,その近くに一般的に「広場」と言えるものがあるとは現場付近の状況からみて思えないから,エレベーター前のホールの意味で被告人が供述した「広場」という言葉が録取されたものと思われ,被告人は,捜査段階から公判廷における供述と同様の供述をしていたものとみることができる。

そして,もし,この供述が虚偽であるとすると,被告人は,Aについて行ったことについて,「寝る所を教えてやる」などと言われたからであると弁解するために,何かの機会にK通り沿いのSの自動契約機のあるビルに行ったことがあったことから,そこに連れていってもらったことにし,取調べの時点では,Iを出てからは警察官から尾行されていたことを認識していながら,警察官から尾行される前の時点でAからその場所に連れて行かれたとは供述せずに,あえて警察官から尾行されていた状況でAに連れて行かれたと供述し,警察官から否定されることが分かっているのに,公判において,厚かましくも,警察官に聞いてもらえば分かるなどと供述したということになるが,一般に警察官の話が信用されやすいことからすれば,被告人がそのような方策を採ったとみるには,他に確たる証拠が存在することが必要と思われる。

また,コンビニの件についても,Aがたばこを買っただけで,自分は店内には入らなかったという被告人の供述が嘘であるとすると,なぜその点についてもそのような嘘をつく必要があったのかを説明することは難しい。

(ウ) Eは,消費者金融業者の自動契約機があるようなところには,当然防犯カメラが設置されていて,ホームレスが寝ていた場合には当然排除に来ると思われるから,ホームレスがそこで寝るといったことはあり得ないと供述するが,深夜にもエレベーターで3階のその場所に行けるような状況がある以上,ビルの管理者等の関係者から事情を聴取することもなく,ホームレスがそこで朝まで寝ることはあり得ない,もしホームレスが寝ていたとすれば,ビルの管理者から直ちに排除されるはずだなどと言うことができるのかは非常に疑問である。

Eは,コンビニの件について,Aがレジで何か品物を出していたが,何を購入したのかは分からない旨供述するが,Aが同店を出た後,同店で買った商品を入れたビニール袋を手に持っていたことはない旨供述しており,Aが買った物が服のポケットに入るようなものであったことは明らかであり,たばこを買ったとする被告人の供述と符合する。また,コンビニにおいては,たばこは,客が手に取ることができるような場所には置いていないのであって,客が店員にたばこの銘柄を告げて,店員がそのたばこを取り出すようになっているのである。したがって,仮にAがコンビニでたばこだけを買ったのだとすれば,Aがレジで何か品物を出したというEの供述は虚偽であるということになる。そして,この点に関しては,Aが逮捕時に何を所持していたかということが明らかになれば,Aがコンビニで何を買ったかはある程度明らかになるはずであるが,その点に関する証拠は提出されていない。

Eは,Aと被告人がIに入った時刻と出た時刻については,T巡査がメモしていたとして,その時刻を午前2時50分ころ,午前3時ころとそれぞれ供述し,それについては特に疑問はないが,コンビニに入った時刻と出た時刻については,メモがされていたかどうかは定かではないと供述し,Iでは置き引き等を警戒する必要があったので尾行していた警察官も店内に入ったが,コンビニでは,店内を外からのぞける状況であったし,万引きを警戒する必要性までは感じなかったので,誰も店内には入らなかったと供述するが,この店のK通りに面している間口はそれほど広くなく(実況見分調書(甲15)添付の地図,弁2の写真),店内での挙動を店外から確実に把握することは難しいと思われるから,Aと被告人が店内に何分かいたのであれば,尾行していた警察官の誰かが店内で挙動を確認しようとするものではないかとの疑問があり,Eの前記供述は多少腑に落ちないものがある。

検察官は,Eにおいて,「被告人らがビルに立ち寄らなかったこと」や「被告人がコンビニに入店したこと」について,ことさらに虚偽の供述をしなければならない理由は微塵もない旨主張する。しかしながら,被告人がSの自動契約機があるビルに立ち寄ったことについては,被告人がAと行動を共にしていた理由と関連することから,本件犯罪事実の認定に関して意味のあるものと考えて,これを否定することとし,被告人がそこに立ち寄っていないことにした場合は,コンビニで多少の時間をつぶしたことにしないと,Iを出てから犯行現場に着くのが早すぎることになるので,そのような供述をしたという説明が可能である。Eは,第9回公判での検察官からの「当時の被告人らの歩みの速度で,コンビニに寄らずに現場に行けば,どのぐらいの時間で到着できるというふうに考えられますか。」との質問に対し,「5分くらいで行く距離ではないかと思います。」と供述し,「つまり,Iを出てから犯行現場まで10分程度という時間,コンビニにいたのが5分ぐらい,ほか移動時間が5分ぐらいということで説明ができるということでよろしいんですね。」との質問に対して「はい。」と供述しているのであり,コンビニにいた時間についてはその後「二,三分」といった供述もしているが,いずれにしても,Sの自動契約機が入っているビルに立ち寄らなかったとする以上は,コンビニで多少の時間を費やしたことにしないと,犯行の3分くらい前にBビルディング前に差し掛かったということとの関係で時間的に説明がつきにくいことになるのであり,Sの自動契約機があるビルに立ち寄ったか否かについて虚偽の供述をするのであれば,コンビニでの被告人の挙動についても虚偽の供述をせざるを得ないという関係がある。

(エ) 以上のように検討してくると,被告人の供述が明らかに不自然,不合理な虚偽のものであって,Eの供述が信用できるとはいい難い。

6  犯行現場での状況について

(1)  問題の所在

本件では,被告人が,被告人らを尾行し,V沿いの歩道のK通り方向にいたDらに気づかず,Bビルディングの角付近にいたEらにも気づかず,結果的に見張りとして役に立たなかったことは証拠上明らかであるが,その点について,被告人としては見張りをする意思を有して見張り行為をしていたつもりであったが,結果的にその役目を果たすことができなかったのか,そもそも被告人に見張り行為をする意思がなかったために,見張り行為をしていなかったのかが最大の問題となる。

そして,この点を判断するためには,被告人及び関係者の供述に基づいて,被告人の具体的な行動を検討する必要がある。

(2)  被告人及び関係者の供述

ア  Aの供述

犯行現場では,被告人が先に被害者を見つけて,自分にそのことを教えてきた。被害者が寝ている所に行き,被害者の様子を見て,すりをすることを決め,被告人に,「おれがやるからちゃんと見とけよ」と言うと,被告人は「分かりました」と答えた。さらに,「やばかったら,咳払いせえ」と言うと,被告人は「はい分かりました」と答えた。被害者の方に向かっていくときに,背中の方にいる被告人を振り返って見たが,被告人はきょろきょろと首を左右に動かしていた。

そうして,本件犯行に及んだところ,警察官に逮捕された。

イ  Dの供述(第4回公判)

(ア) Dは,次のような供述をしている。

被告人がAの二,三歩前を歩いて犯行現場に来た。その時刻は,逮捕の3分か4分くらい前だった。Aが被害者を見て,前を歩いていた被告人に対して,「おい」と割と大きい声で声を掛けて呼び止めた。そのとき,私は,5メートルか7メートルくらい後ろにいた。被告人は,振り返り,一,二歩歩いてAの方に戻った。Aが,戻ってきた被告人に対し,被害者の方を指さして何事か話した。その後,被告人は,その場所から離れて,Q通りの方向に若干歩き,その場で立ち止まった。被告人は,Aから5メートルも離れていない場所にいた。被告人は,被害者の方に背を向けるような形でQ通りの方を向いて立っていた。Q通りを通行人が歩いていくと通行人の姿を目で追うような動きをしていた。Aは,被害者を見ていた位置から二,三歩後ろに下がって,被害者の様子を見て,犯行の機会を窺っているように見えた。時折顔を上げて周囲を見渡すような動きもしていた。

私は,通行人を装い,被告人らの後ろを歩いていて,最初に被告人らが被害者を見つけた時には被告人らの後ろを歩いていたが,その後,被告人らが被害者らを見ている時にその横を通り過ぎ,そして,また,ゆっくりと歩きながら左回りにぐるっと回り込むようにして引き返し,被告人らの行動をずっと見ていた。その後,Aの動きを主に見ていたところ,Aが実行に着手したのを現認した。

(イ) Dは,自己の行動について,「被告人らが被害者らを見ている時にその横を通り過ぎ,そして,また,ゆっくりと歩きながら左回りに大きく回り込んで引き返し,被告人らの行動をずっと見ていた。」という趣旨の供述をした。「左回りに大きく回り込んで,引き返した」という点について,どこを通ったということか確認しておくべきであったが,Eは,第10回公判において,この点について,DらがQ通りの手前で左方の車道側に曲がったのは確認したが,車道を通ったのか,一旦車道を横断して,反対側の歩道まで行き,そこで歩道を被害者のいる方向に引き返し,また車道を横断して戻ってきたのかは確認していないと供述する。この点について考えると,車道を歩くといった普通は取らないような行動を取ると,目に付きやすいし,Aや被告人のすぐ前を通ることにもなるので,そのような行動を取ることは考えにくく,Dが供述した「左回りに大きく回り込んで引き返した」とは,一旦車道を横断して,反対側の歩道まで行き,歩道を被害者らのいる方向に引き返したという趣旨であるように思われる。

Dは,Aが実行に着手した時の被告人とAの距離関係について,検察官からの主尋問に対しては,5メートルも離れていない割と近い位置にいたと最初証言したが,その後,弁護人からの反対尋問に対しては,「二,三メートルぐらいだと思うが,歩きながら見ていたので,正確には言えない。」,「斜め左前の位置に立って,背を向けるような形でQ通りの方を見ているというのだけは分かったが,歩きながら見ているので具体的な距離関係までは分からない。」と証言した。

ウ  Eの供述(第4回,第9回,第10回公判)

(ア) 犯行現場に差し掛かった時には,被告人がAのやや前方一,二メートルくらいの所を歩いていた。自分は,被告人らの左斜め横(車道側)の約5メートルくらい後方を追尾していた。被告人は,被害者の横を通り過ぎた。Aは,被害者のそばに来て立ち止まり,瞬時に,二,三歩前を歩いていた被告人に対して,「おい」と声を掛けた。被告人は,Aから声を掛けられて,立ち止まり,Aの方を振り返って,Aに近づいた。私は,被告人がAに近づいてくるところを,その横を通り過ぎて,Q通りの方まで行って,Bビルディングの角を右に曲がり,ビルの角から被告人らの行動を注視することにした。T巡査とW巡査も同様の行動をとった。ビルの陰から被告人らの行動を観察すると,被告人とAは,被害者が寝込んでいる前の地下道入口のすぐ脇付近に横並びに並んで立ち,被害者の方を見ながら話をしていた。その後,被告人は,Q通り方向に5メートル以内くらいの距離を移動し,また,Aの方に戻ってややAを通り越してから,Aに近づくという動きをした。そして,Aは被害者の方に近づき,被告人はそのそばのQ通り寄りの所に立った。被告人は,Aと1メートル以内の距離の所にいて,その歩道をまっすぐに進んだところのQ通りを正面とするとそこから左に45度くらいの角度(右肩がQ通りに面するような形)となる姿勢でその方向を見ていた。被告人が前を向いているときは,自分からは被告人の右の側面が見えていた。Dの「スリだ」という大きな声で被告人の逮捕に向かった。

被告人は,一旦Q通り方向に移動し,逮捕しようとしたときには,「おれは関係ない」と言っていた。

犯行現場に差し掛かってから逮捕までの時間は,二,三分程度である。

(イ) Eは,第4回公判では,Aが実行に着手した時のEと被告人との距離について,「5ないし6メートルくらい」と供述し,第9回,第10回公判では,「7メートルくらい」と供述した。また,被告人とAの距離については,第4回公判では,「1ないし2メートル以内」と供述したが,第9回,第10回公判では,「1メートル以内」と供述した。

エ  被告人の公判供述

Bビルディング前に差し掛かったとき,Aの方が前を歩き,自分は2メートルくらい後ろを歩いていた。Aがちょっと左に寄って,右側の銀行の方を見て,立ち止まった。そこに酔っぱらって寝ている人がいた。自分は,そのまま通り過ぎてQ通り沿いの歩道まで出て(第7回公判で実況見分調書(甲15)の別紙現場見取図2の写しに被告人が×1と記載した地点),そこで立ち止まって,漠然と車の通りを見たり,Q通りの右手の先のビルにある時計や温度計を見ていたところ,はっきりと記憶はないが,Aから,「おーい」と呼ばれるかして,Aの方に行き,地下道に降りていく階段の付近(同図の写しに被告人が×2と記入した地点)でAから話をされた。Aは,「誰か変な人が来たら,ここにいて咳払いしてくれ」と言った。自分は何も答えなかった。Aはすぐにそこを離れた。自分は,その場は歩道が全部見渡せる位置だったことから,そこにいてはいけないんだという思いがして,Q通りの方に少し歩いて立ち止まり,街路灯のある方を見ていた。その位置は,同図の写しに被告人が×3と記載した地点辺りで,地下鉄の壁の切れ目の近くだったと思う。なぜ,そこで立ち止まったのかは自分でも分からない。そこは,歩道の建物側ではなく,車道側である。そこで少しの間目をつぶっていたところ,Q通りの方から刑事の靴音と掛け声が聞こえ,逮捕された。

オ  実況見分調書(甲15)における説明

事件発生から4日後の平成14年4月24日に,D,Eら逮捕者5名と被害者等を立会人として実況見分が行われ,これに基づき実況見分調書(甲15)が作成されている。

この実況見分調書には,「被疑者が被害者を狙った状況」について,Dは,本件犯行場所を指示し,「被疑者甲(A)は,被害者を注視した後に乙(被告人)を呼び止めた」と,Eは,「被疑者甲(A)は被害者を指さし乙(被告人)に何事か話しかけていた」とそれぞれ説明したので,その状況を再現し,写真撮影したとあり,写真10ないし13参照とされている。

写真10には,「被疑者が被害者の脇に移動した状況を再現し,北東方から撮影したもの」との説明があり,DとX巡査が写っている。Eの供述からすると,Dのすぐ前を歩いていたはずのEが被告人らとDとの間に写っていなければならないはずであるが,ここにはEは写っていない。写真11には,「被疑者甲(A)が被害者を注視する状況を再現し,北東方から撮影したもの」との説明があり,写真12には,「被疑者甲(A)が乙(被告人)を呼び止めた状況を再現し,北東方から撮影したもの」との説明があって,DとXが写っており,この写真ではDとXは既に被告人らの横を通り過ぎているが,これらの写真にもEは写っていない。Eは,この点を第10回公判で指摘されると,Dは距離的には自分らのすぐ後ろにいたので,実際には,自分もこの写真に写るような場所を歩いていたと思うと供述している。

写真13には,「被疑者甲(A)が被害者を指さし乙(被告人)に話しかけている状況を再現し,南西方から撮影したもの」との説明があり,この写真では,Aと被告人は,地下道出入口の脇辺りに立っており,Aが被告人を呼び止めたとされる位置から若干移動している。

犯行の状況については,Dが,「被疑者甲(A)は乙(被告人)が見張りを行なっているとき,中腰になり,当たり行為をした後,右手指を被害者のズボン右尻ポケット内に差し入れた」と指示説明したとあり,その状況を撮影した写真が添付されている。Aが右手指を被害者のズボン右尻ポケット内に差し入れた時のAと被告人との距離は66センチメートルとされている(別紙見取図3)。

(3)  被告人の捜査段階での供述

本件で証拠として提出された被告人の警察官調書は,本件犯行当日である平成14年4月20日付けの調書(乙15)と同月26日付けの調書(乙16)の2通だけであり,その後も被告人に対する警察官による取調べはされたが,警察官の立場からみて意味のある供述がされなかったために,調書が作成されなかったものとみられる。

証拠として提出された被告人の検察官調書は,同年5月6日に検察官がY警察署に出向いて被告人を取り調べて作成された供述調書が3通(乙17ないし19),同月10日に東京地方検察庁で検察官が被告人を取り調べて作成された供述調書が2通(乙20,21)である。

同月6日の検察官による取調べについて,被告人は,午前中から取調べがあり,昼食を食べ,また取調べがあり,午後3時に10分くらい休憩し,また取調べがあり,夕食の後にも取調べがあり,午後7時ころに取調べが終わったと思うと供述しており(第8回公判),被告人から自白が得られないという状況において,長時間にわたって検察官による取調べがされたものとみられ,公判廷で被告人が比較的饒舌に供述していることからみると,被告人もかなりの供述をしたものと推認されるが,作成された調書はそれぞれ短いものであり,犯行現場での状況の記述もごく短く,前記のとおり,「K通りのSの近くにある広場」といった不正確な録取もみられるのであって,被告人の供述の趣旨が被告人に有利な部分を含めてほぼ漏れなく録取されているとみることはできず,被告人が捜査段階で供述していないことを公判に至ってにわかに供述し始めたとみることはできない。

(4)  各供述の信用性の検討

ア  Eは,犯行現場に差し掛かった際には,被告人がAよりも前を歩いていたと供述する。

しかし,Aは,足が悪く,通常の歩行よりもやや遅い感じで歩いていたというのであり,カレーライスをおごるなどしているAの方が立場的に被告人よりも上であることからすれば,Aに合わせて被告人がその後ろを歩いていたという方が自然に思われる。実況見分調書(甲15)を見ても,F東口から西口に至る地下通路の場面でもAが被告人の前を歩いており,犯行現場に至る直前の「被疑者が,VをQ通り方向に移動する状況を再現し,北北東方から撮影したもの」とされる写真9でも,Aの方が被告人よりも前を歩いているのであって,その後,犯行現場に差し掛かるまでのわずかの間に被告人がAよりも前に出たというのもやや不自然であるように思われる。

イ  Aが被告人を呼んだ際の状況について検討する。

Eの供述からすると,Aは,被害者のそばに来るや,瞬時に,二,三歩前を歩いていた被告人に対して,5メートルくらい後ろを追尾していたE,更にその後ろを追尾していたDらにもはっきりと聞こえるような声で「おい」と声を掛けたことになる。

しかしながら,被害者はうつ伏せになっていたとはいえ,Aとしては,その段階ではまだどのような様子で寝込んでいるかも確認していないわけであり,また,被告人が二,三歩前にいるのであれば,それほど大きな声を出す必要もなく,あまり大きな声を出せば,被害者が気づく可能性もあるというのに,被告人に対してEやDらにも聞こえるような声で呼びかけたというのはやや不自然であるように思われる。

Aは,被告人が先に被害者を見つけて,自分にそのことを教えてきたなどという虚偽の供述をしているのであるが,その後の行動については,盗みができるか,できないか分からないから,被害者が寝ている所へ見に行った,被害者の顔を見れば,酔っぱらって「ぐでん」となっている顔か,酔っぱらわないで普通に寝ている顔かはだいたい分かり,被害者の顔を見た感じで,これはいけると思ったと供述しており,被害者が酔っぱらっている顔を見て,盗みができると判断したとの点は,自然で合理的であり,Aが,全く被害者の顔つきも観察しないうちに,前記のような行動を取ったとはやや考えにくいものがある。

検察官は,被告人の供述を前提とすると,「Aは,人通りや車両の通行があるQ通り間近に背を向けて立つ被告人が気づくほどの大声を出さざるを得ず,まさにスリ行為をしようとして仮睡者の側に立つAが,仮睡者が起きる可能性がある程の大声で見張り役の被告人を呼ぶこと自体極めて不自然である」(追加論告要旨7頁)旨主張するが,この時点では,Aは被害者の顔つきなどを観察して,完全に酔っぱらって寝込んでいることが分かっていたのであるから,被告人の供述を前提とすると,実況見分調書記載の距離関係からみて,被告人はAから十数メートルくらい離れたところにいることになるが,そのような位置にいた被告人に聞こえるような声を出したからといって,特に不自然とはいえないと思われる。

また,被告人が先に被害者を見つけて,そのことを教えてきたとするAの供述は明らかに虚偽であると認められるが,Aがこのような嘘をついた理由について考えると,EやDが供述するような状況が真実であれば,Aとしてもそれほどこの点について嘘をつく必要もないように思えるところ,被告人の供述するような状況であったために,そのままこれを述べれば,被告人に有利となることから,このような嘘をついたとも考えられるところである。

ウ  Aが被告人を呼び止めた状況についての実況見分調書(甲15)の記載とD及びEの供述を比較すると,Aが被告人を呼び止めた状況を再現したとされる写真12では,DとXは既に被告人らの横を通り過ぎており,Eは2人の前のこの写真に写るような場所を歩いていたというのであるが,そうだとすると,被告人がAに近づいてくるところをその横を通り過ぎたとするEの公判での供述と合致していないことになる。

エ  被告人は,Aは被害者のそばで立ち止まったが,自分は,そのまま通り過ぎてQ通り沿いの歩道まで出て,そこで立ち止まって,漠然と車の通りを見たり,Q通りの右手の先のビルにある時計や温度計を見ていたと供述するところ,被告人が見たとするビルの時計は,Q通り沿いの歩道の辺りまで出てこないと見ることはできないことが認められるから(弁1),被告人の供述に符合するものである。無論,被告人がこの時計があることをもともと知っており,自己の虚偽の供述を裏付けるものとしてこのような供述をしたという可能性も考えられるが,被告人がそのような高度の策を弄したと疑うべきかは,他の点と総合して慎重に判断しなければならない。

オ  被告人のこの供述に関し,検察官は,「Eは,被告人らの横を通り過ぎQ通りまで出て,他2名の警察官と共に右折した後,ビル陰から被告人らの動静を監視したというのであって,仮に,Eらが,被告人の供述どおり,Q通りまで出た被告人を追尾した後,車道付近に立ち止まった被告人の動静監視を続けたとすれば,Eらが被告人の動静を監視したとする場所は,佇立する被告人との間に遮るものが一切ない位置となり,監視場所として極めて不適当な位置となる。」と主張するが(追加論告要旨6頁),これは,右折した後にビル陰(実況見分調書現場見取図3記載の位置)から被告人らの動静を監視したというEの供述が真実であることを前提とする立論であって,それが真実であるかどうかを判断する上では意味を持たない。それが真実であって,被告人がQ通り沿いの歩道にいたときには,その場所ではなく,別の場所で監視していたということを否定するだけの証拠があるかどうかが問題なのである。

カ  Eは,被告人らの横を通り過ぎ,Bビルディングの角を右に曲がり,同ビルの角から被告人らの行動を注視すると,被告人とAは,被害者が寝込んでいる前の地下道入口のすぐ脇付近に横並びに並んで立ち,被害者の方を見ながら話をしていたと供述する。

被告人は,Aから,「誰か変な人が来たら,ここにいて咳払いをしてくれ」と言われたのは,地下道入口付近である旨供述しており,被告人が公判廷で現場見取図2に記入した×2の位置とEが供述する位置とでは若干の違いはあるが,大筋としては,Aが被告人に地下道入口付近で話をしたという点では一致しており,この場面をEが目撃したものと認められる。

ところで,Eは,Eらの後ろを歩いていたDらは左方に曲がったのは分かったが,その後どこを回り込んだのかは見ていない,回り込んだ後に現場前の歩道を被告人らの方に向かって歩いてくるのは確認したと供述している。しかし,Eが同ビルの角から地下道入口付近にいた被告人とAを目撃したとすれば,時間的にはそのすぐ後のころにDらはその反対側を通って左回りに大きく回り込むことになるわけであり,少なくとも視界に入っているはずではないかという疑問がある。

また,Dは,ゆっくり歩きながら大きく回って引き返すような行動をとった旨供述しているのであるが,Eが同ビルの角を右に曲がり,同ビルの角から被告人らの行動を見た時点で,被告人とAが地下道入口のすぐ脇付近で話をしていたという状況であるとすると,事態は既に相当緊迫しているように思える。Aも,その場では,「やばかったら,咳払いせえ」という話以外の話をしたとは供述しておらず,それほど長い時間2人がその場にいたわけではないから,DがAと被告人の後方に回り込むためにはかなり急ぐ必要があるようにも思える。

E及びDの供述には,以上のような釈然としない部分がある。

被告人の供述を前提にすれば,被告人がQ通り沿いの歩道で立ち止まっていたときに,尾行してきた警察官5名は左右に別れ,Eらは右手から被告人を監視し,DらはAの後方に回り込んだということになろうが,そのような可能性も否定できないように思われる。

キ  被告人がAから見張りを頼む趣旨の言葉を言われた際やその後の被告人の心理についての被告人の供述に関しては,非常に重要であるとはいえ,わずかの時間のことであり,言葉での説明が難しい部分があると思われることから,まずは実際に被告人が取った行動を認定することによって,これを推し量るのが適当である。

ク  Aから上記の言葉を言われた後,被告人が移動し,Aが実行に着手した際に被告人が立っていた位置については,被告人の供述とEやDの供述は食い違っているが,被告人が顔を向けていた方向については,被告人は「街路灯のある方向」と供述し,EやDも前記のとおり供述しており,これについてはほぼ一致しているのであって,被告人は,Q通りを通行する者が見え,Eの供述によれば,Q通り方向から現場前の歩道を通行してくる者も見えるような姿勢で立っていたことになるが,K通り方向から現場前の歩道を通行してくる者については見ていないことになる。

Eは,第9回公判で,検察官から,「Q通りの反対側の方向,こちらの方向に関しては,見張り行為はなかったんでしょうか。」「F方向と逆の方向,これはどのように被告人らは警戒していたとお考えですか。」との質問に対し,「被告人がQ通り方向の警戒を担当し,Aがその側近の見張り及び着手行為を担当し,本件に至っていると思われます。」と答えている。しかしながら,Aは被告人に対して見張りを頼んだつもりで実行行為に及んだのであって,実行行為に及んだAが側近の見張りなどできるはずはなく,実際に注意を払っていたともみえないのであって,この供述は不合理というほかない。

本件で,見張りをするのであれば,少なくとも,犯行現場前のV沿いの歩道の両側(Q通り方向とK通り方向)が見渡せる場所に立つことが必要であり,Q通りを通行する人を見ていてもほとんど意味がないと思われるのであって,被告人が見張り行為をしようとしたのであれば,K通り方向から現場前の歩道を通行してくる者について全く注意を払わなかったというのは不合理であって,このことは被告人に見張り行為をしようとする意思がなかったことを強く推認させるものである。

なお,検察官は,被告人がAから,「だれか変な人が来たら,ここにいて咳払いをしてくれ」と言われたとする位置について,「この場所は,Aが被告人に見張りを要請した位置であることを考えれば,被告人が弁解するように全方向からあからさまに見られるおそれのある位置では不適当であり,地下鉄擁壁を背にした位置というE証言位置が,犯行現場付近では最も適した位置であると考えられる。

また,被告人の供述のように,Aが「ここにいて咳払いしてくれ」と言ったとするならば,Aが被告人に見張り位置として指定した場所となるが,Aが実際に被害者に近づき,実行行為を行った場所から考えると,見張り位置として不適切である。見張りを立てた仮睡者狙いのスリ行為経験のあるAが,被告人の弁解するような不適切な位置を見張り場所とするはずがない。」旨主張する(追加論告要旨8頁)。しかしながら,犯行現場前のV沿いの歩道の両側(Q通り方向とK通り方向)が見渡せる場所に立つことが見張りとして最も有効であり,実際に被告人がAから話をされたと供述する場所に立って左右を見渡していれば,右方にいたDらや左方にいたEらに気づくことができたと思われるのであって,被告人が供述する位置が見張り場所として適当であることは明らかである。

ケ  Aが実行に着手した際の被告人とAの距離については,A,D,Eの供述はかなりばらばらであり,Dが当初供述した「5メートルも離れていない」距離というのであれば,被告人の公判供述ともそれほど違わないようであるが(被害者から街路灯までが約12.3メートルであり,被告人が供述する位置はその真ん中辺りである。),3名ともそれぞれ再度その点を尋ねられると,その前の供述よりも距離が短くなってきている。

しかし,Dは,Aを逮捕したのであり,Eが供述するように,その1メートル以内のところに被告人が佇立していたのだとすると,「5メートルも離れていない割と近い位置」,「二,三メートルぐらいだと思うが,歩きながら見ていたので,正確には言えない。」といった供述をしたことは,不可解な感が否めない。

Eと被告人との距離についても,Eは,第4回公判では,Aが実行に着手した時のEと被告人との距離について,「5ないし6メートルくらい」と供述し,この距離だと被告人の供述ともほぼ符合するようであるが,第9回,第10回公判では,「7メートルくらい」と供述を変えている。

コ  検察官は,「被告人が最終的に特定した「地下鉄擁壁のQ通り寄りの切れ目辺り」という位置は,E証人ら3名の警察官が被告人らの動静を監視したという位置からすれば,何ら遮蔽物のない近距離ということになる。仮に同位置に被告人が佇立したとするなら,被告人の動静監視をしていたE証人等が監視位置を移動せざるを得ない状態であったことになろう。この点,E証人が「当然被告人から私たちは現認されるので,移動する必要がある。」と証言するが,合理的な証言である。」旨主張する(追加論告要旨9頁)。しかしながら,これも,被告人が佇立していた位置からして,自分の監視位置を移動する必要がなかったので,移動しなかったという趣旨のE供述が真実であることを前提とする立論であり,それが真実であるかどうかを判断する上では意味を持たない。

また,検察官は,「被告人から見張りの同意を得たとするAは,被告人と会話を交わした直後,被害者のもとに赴いて実際に犯行に及んでいるのであり,見張り役の被告人が,仮に被告人が弁解する位置まで離れて行ったのであれば,これを黙って見逃すとは考え難い。」(追加論告要旨9頁)と主張する。しかしながら,どの位置に立つことが見張りのために適当かといえば,Aのそばに立つことが特に適当とはいえないのであって,被告人が立っていたと供述する位置が不適当ということはなく,その位置で犯行現場前の歩道の方を向いて左右に注意を向けていれば十分に見張りができるのであるから,被告人がAから離れたというだけでAがそれを見逃すはずはないといった検察官の主張は理由がない。

サ  被告人らが犯行現場に差し掛かってから逮捕までの時間について,Dは,「三,四分」と供述しており,Eは,第9回公判において,「二,三分」と供述している。これが2分程度であれば,被告人の供述するような行動があったとするにはやや短いことになろうが,4分程度であれば,被告人の供述するような行動があったとしても不合理ではないと思われる。

(5)  総括

以上を総合すると,Aが被害者に近づき,実行行為に及んだ際の被告人の姿勢(体の向き)等の事実は,被告人に見張りをする意思がなかったことを強く推認させるものである。その他の多くの点を検討してみても,被告人の供述について,不自然,不合理であるとして虚偽と断定できる部分は見当たらず,逆に,E及びDの供述に疑問とすべき部分がかなりあり,これを採用することはできない。したがって,被告人の具体的な行動から被告人が見張り行為をしていたと認めることはできない。

7  結論

以上によれば,Aと被告人との間に共謀が成立し,被告人が共謀に基づいて,見張り行為をしたと認めることはできず,結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(求刑 懲役1年6月)

(裁判官 峯俊之)

<以下省略>

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