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東京地方裁判所 平成14年(刑わ)85号 判決 2002年8月05日

主文

被告人を懲役5年に処する。

未決勾留日数中90日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,大学卒業後,数社の会社に勤めるなどした後,Aらとともに,平成12年10月13日,渋谷区a地区の活性化を図ることなどを目的として,株式会社甲(以下「甲」という。)を設立し,その取締役として経理等を担当するようになった。しかしながら,Aは,次第に芸能人が行うイベントの企画制作に力を注ぐようになり,当初の起業目的であったa地区の活性化事業を行わなくなっていった。被告人は,甲の仕事に専念するため,それまでの仕事をやめたという思い入れもあったことなどから,そのような態度をとるAに対して不満を抱くようになっていった。そうしたところ,平成13年9月中旬ころ,Aが,被告人が行っていた甲の経理処理に不審感を抱いたことをきっかけとして,Aと被告人との間の経営方針の違い等から,同月26日,被告人は,甲の取締役を退任することになった。その後,同年10月8日,Aは,被告人に支払われた月給が多すぎる,支出分が多すぎるなどと,これまでの経理内容について被告人を追及した。被告人は,甲の業務内容を一方的に変更された挙げ句,不正経理の疑いをかけられ,さらには,その責任をとるよう迫られていると感じたことから,Aに対し,強い憎悪を感じるようになった。そして,何とかしてAに復讐をし,できることならAの持っている全ての資料,顧客,信用を奪ってやりたいと思うようになった。被告人は,甲のキャッシュカードを盗み出し,会社の預金を引き出そうと考え,同年10月11日から12日にかけて,後記第1及び第2記載の窃盗の犯行に及んだ。同時に,時限式発火装置を用いて甲の事務所に放火しようと考え,その準備を進めた。

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1平成13年10月11日午後10時ころ,東京都渋谷区ab丁目c番d号乙5階株式会社甲事務所内において,A管理に係る同社代表取締役A名義のキャッシュカード1枚を窃取し,

第2平成13年10月12日午前1時8分ころから同日午前1時12分ころまでの間,東京都新宿区ef目g番h号株式会社丙銀行新宿支店において,前後8回にわたり,情を知らないBをして,判示第1記載の窃取に係るキャッシュカードを用いて現金自動預払機から同支店長C管理に係る現金各50万円を引き出させて,現金合計400万円を窃取し,

第3Dほか4名が現に住居に使用し,かつ,現に多数人が現在する前記場所所在の乙(鉄筋コンクリート造陸屋根6階建共同住宅)に放火しようと企て,平成13年10月13日午前0時ころから,乙5階の株式会社甲事務所(床面積34.97平方メートル)内において,パーソナルコンピューターの時限式プログラムソフトに入力していた時刻が到来すればパーソナルコンピューターの端子間を流れる電流の方向が変化する作用を利用し,入力した時刻が到来すると,端子に接続された継電器により,継電器及び別の電源に接続されたニクロム線に通電させて発熱させ,ニクロム線に巻き付けたティッシュペーパーを発火させる機能を有する時限式発火装置を設置し,同日午前1時30分ころ,時限式発火プログラムを起動させ,同日午前11時10分ころ,時限式発火装置を作動させて,あらかじめ上記ニクロム線に巻き付けたティッシュペーパーを発火させ,順次紙類,机,壁面等に燃え移らせて放火し,よって,前記事務所を全焼させ(焼損面積約35平方メートル),もって,現に人が住居に使用し,かつ,多数人が現在する建造物を焼損し

たものである。

(事実認定の補足説明)

第1弁護人の主張

弁護人は,第1に,窃盗の事実(判示第2)について,Bは情を知っていたのであるから,単なる道具ではなく,共犯者である,第2に,現住建造物等放火の事実(判示第3)について,実行行為の着手時期及び発火時期は,公訴事実記載の時間より遅い時刻である旨主張し,被告人も,これらに沿う供述をしているので,以下検討する。

第2共同正犯者の存否

まず,窃盗罪における共同正犯者の存否について検討する。被告人は,捜査段階において,被告人が,Bに対し,横領類似の行為を行い,200万くらいの裏金を作るので,キャッシュカードで現金を引き出す人を紹介してくれないかと依頼したところ,Bは,これを引き受け,その方法について,「一般的に落ちていたカードを拾ったり,盗んだカードで現金を引き出すことと変わらないように見える方法でやる。」と説明したので,被告人は,それでは,暗証番号を一度間違った方が自然であると告げて,誤った暗証番号も教えた,引き出した400万円のうち,200万円を被告人が受け取り,残りはBが約束どおり受け取ったなどと供述している。この被告人の供述に信用性が認められれば,Bが被告人の共犯者であることの1つの証左になり得るが,Bは,被告人の供述を真っ向から否定している。すなわち,Bは,その供述調書において,Bは,被告人から,キャッシュカードを使って,現金を下ろしてくるよう依頼されたが,引き下ろす理由は告げられなかった,被告人は,暗証番号を一度誤った上,10万円単位の金を残して,残りを全部下ろしてくれと説明した,奇異に感じたBは,暗証番号を間違えることだけは拒否した,引き出した400万円を渡すと,被告人が紙袋1杯分の現金を受け取れと言ってきたが,再三再四断ったところ,被告人は,30万円くらいをBに押し付けて帰ってしまった,Bは,その現金を生活費や病院の治療代に費消したと説明している。

ところで,被告人の供述によると,いわゆるホステスとして,客であった被告人と知り合い,その後も同様の関係を続けてきたBが,200万円もの大金を取得したことになるが,これは余りにも不自然である。これに対し,Bの供述は,誤った暗証番号を入力することを拒否したこと,大金を渡されそうになり,これを断ったが約30万円を押し付けられたこと,この金を自己の生活費等に使ったことなど流れとして自然であり,自己に不利益なことまで言及したもので信用性が高いというべきであり,これに反する被告人の供述は信用できない。また,被告人の供述以外には,本件全証拠を子細に検討しても,Bと被告人との間に窃盗の共謀が成立したと認めるに足りる証拠はない。

そうすると,Bは,キャッシュカードが窃盗に係るものであることを了知しないまま,現金を下ろしたというべきであって,既に認定したとおり,被告人が情を知らないBを窃盗の道具として利用したものと認められる。

第3着手及び発火の各時期

1  まず,発火時期について考えてみると,発生時刻推定捜査報告書によると,捜査官は,本件火災の音や煙の発見状況,消防隊員の炎の目撃状況,書類等の燻焼状況等に鑑み,出火時刻から消防隊員が現場に突入した平成13年10月13日(以下,本項における時刻は,同日のものを指称する。)午前11時31分まで約20分間経過していると判断し,出火時刻を午前11時10分ころと推定しているのであって,これに特段不自然なところがない。一方,発火時刻は,午前11時15分ころであるという被告人の供述は,自認するとおり単なる推測にすぎず,採用の限りでない。

2  次に,実行の着手時期について述べる。被告人は,当公判廷において,午前1時30分ころ時限式発火プログラムを起動し,その後午前8時30分から11時ころまでの間に,ウィンドウズを再起動したと供述していたが,そのような履歴がないとの鑑定結果がでるや,ウィンドウズを再起動したというのは記憶違いであって,時限式発火プログラムを一旦停止して再起動したものであるなどと述べ,その供述の重要な部分で変遷し,信用性に乏しいというべきである。また,仮に,被告人の供述を前提として,午前8時30分から11時ころまでの間に時限式発火プログラムを一旦停止して,再度起動させたとしても,これにより,発火が生じなかったり,発火時刻が大幅にずれたという証拠はなく,むしろ,午前1時30分ころに,起動させたプログラムの結果として,本件発火があったことは明らかであって,実行の着手時期は午前1時30分ころと認定することができるというべきである。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,元の勤務先事務所からキャッシュカードを盗み出し(判示第1),それを利用して現金自動預払機から現金を引き出した(判示第2)上,前記事務所の入居するビルに放火した(判示第3)という窃盗,現住建造物放火の事案である。

まず,現住建造物放火の犯行についてみる。被告人は,かつての共同経営者に恨みを抱き,その財産を奪うなどして復讐しようと考え,放火に及んだのであり,人格未成熟な思考に基づく犯行動機に酌むべき事情はない。被告人は,自己の有する専門的知識を用いて,事前に時限式発火装置を考案した上,ニクロム線にティッシュペーパーを巻き付けて周囲に燃え移りやすいように工夫するなどして,計画的な犯行に及んでいる。放火の態様も,一般世帯と会社事務所等が入居する6階建ての雑居ビルの1室に,時限式発火装置を設置しているのであり,本件当時,ビル内部に約34名がいたことからすると,多くの損害をもたらす危険性があったばかりか,近接するビル及びその居住者等にも多大な被害をもたらしかねない極めて危険なものである。その結果,勤務先事務所は全焼し,移転を余儀なくされたほか,ビルの所有者に約880万円,勤務先事務所に約180万円等といった多大な財産的損害が生じている。

次に,窃盗の犯行についてみる。被告人は,前記同様,共同経営者に対する私怨から,本件窃盗の各犯行に及んだというのであって,動機に酌むべき事情はない。被告人は,事務所からキャッシュカードを盗み出した上,犯行の発覚を防ぐために,事情を知らない知人の女性に依頼して,真夜中に預金を下ろさせているのであり,悪質な犯行態様である。窃盗の被害金額は,合計で400万円と高額である。以上の諸点に照らすと,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

そうすると,窃盗及び放火被害を受けた会社に対し,父親が561万円を支払い,示談が成立していること,保険会社に対し約743万円の求償債務の支払い義務があることを認め,既にそのうち約473万円を支払っていること,父親が指導監督する旨誓約していること,本件各犯行を大筋において認め,反省の情を示していること,前科前歴がないことなど被告人に有利に斟酌すべき事情を十分に考慮しても,主文掲記の刑はやむを得ないと考えた次第である。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑懲役7年)

(裁判長裁判官 山崎学 裁判官 吉川奈奈 裁判官 満田寛子)

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