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東京地方裁判所 平成14年(合わ)411号 判決 2003年1月16日

主文

被告人を懲役15年に処する。

未決勾留日数中90日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯等)

1  被告人の身上・経歴

被告人は,昭和43年6月13日,東京都において出生したが,両親が離婚するなどしたため,小学2年生のとき,実弟とともに養護施設に預けられ,その施設から小中学校に通学した。被告人は,昭和59年3月中学卒業後,東京都内の寿司店に見習いに入ったが,仕事が性に合わず,1か月で辞めると,再婚した実母の紹介により,叔父が経営する有限会社で水道配管工として勤務し始めた。被告人は,7,8年ほどその会社で働いた後,何度か職場を変えながら稼働したが,その間も,給料を支給されると,無断で何日も休んだ後,職場に復帰するということを繰り返していた。

ところで,平成13年5月のいわゆるゴールデンウィークが明けたころ,当時再び勤務していた前記叔父の会社を辞め,同僚から借りた12,3万円を手にして,神奈川県川崎市に行き,昼間はパチスロをして,夜は漫画喫茶等に泊まるという自堕落な生活を3か月ほど送っていた。被告人は,同年8月半ば,所持金を使い果たし,実母宅に帰る電車賃すらなくなってしまったため,川崎市内の路上にエンジンのかかったまま停車していた自動車を盗んで,東京都内の実母宅まで戻り,家人の不在中,実母のクレジットカードを持ち出して,10万円ほど引き出した。被告人は,再び川崎市に戻り,その現金を元手に数日パチスロをした後,義父の許しを得て,実母宅に戻った。義父らの手前,被告人は,職業安定所の紹介により東京都内の会社で水道配管工として雇用してもらったが,同年9月上旬には,無断でその会社も辞め,所持金22,3万円を持って新宿でパチスロに興じる生活を再び始めた。しかし,所持金をほぼ使い果たしたため,同月17日,新宿区内の店で食料品を万引きしたが,従業員に発見されて警察に引き渡された。被告人が万引きの際,果物ナイフを携帯していたため,翌日罰金10万円に処せられ,釈放された。被告人は,その後,実母宅に戻り,別の会社で水道配管工として働いたが,前記の自動車盗で逮捕され,同年12月28日B簡易裁判所で,懲役1年,執行猶予3年間に処せられた。

なお,被告人は,平成6年に婚姻して,2人の娘をもうけたものの,平成12年には協議離婚し,娘は妻が引き取った。

2  犯行に至る経緯

(1)  被告人は,前記執行猶予の判決を受けた後,実母宅に戻り,平成14年1月下旬ころから,東京都内の会社で再び水道配管工として働き始めたが,そこも2か月程度で辞めてしまった。しかし,実母や義父の強い勧めもあって,同年5月半ばころから,以前にも働いたことのある母親の実弟の経営する会社で,水道配管工として再び稼働し始めた。義父らから,「ここを最後に頑張れ。今度,また,いなくなったら家には入れない。浮浪者にでもなれ。」などと叱咤され,被告人なりに懸命に働いてきたが,同年6月29日早朝,目覚めると,張り詰めていた気持ちがプツンと切れ,前日支給されたばかりの給料約24万円等を持ち,実母宅を飛び出してしまった。性懲りもなく,元来の遊び癖を出した被告人は,その足でA駅に向かい,所持金をパチスロやパチンコ(以下「パチスロ等」という。)で倍増しようと勇んで,A駅周辺のパチンコ店に赴き,朝10時の開店から午後11時の閉店まで,ほぼ1日中パチスロ等をし続けた。しかし,被告人のもくろみは外れ,結局,1日で10万円をすってしまう羽目になった。その後も,被告人は,A駅北口周辺を根城として,開店時間からパチスロ等をし,夜中は漫画喫茶で過ごすという生活を続けたが,1日1万円くらいのペースで所持金を費消していった。

(2)  同年7月10日前後ころになると,被告人の所持金は,5万円くらいを残すのみになっていた。家には入れないと義父から厳しく言い渡されていた被告人は,義父らに頭を下げて実母宅に戻り難くなり,食料品を万引きして出費を減らし,1日でも長く,今の生活を維持していこうと考えた。しかし,万引きを働いたとしても,もし捕まれば,執行猶予中の身ゆえに刑務所行きを余儀なくされることから,被告人は,店員等に発見されたら,その店員等を脅し,あるいは場合によっては刺してけがをさせても逃げるしかないと考え,A駅周辺のスーパーマーケットでペティナイフを万引きし,ウエストポーチに忍ばせて携帯することとした。

このように,食料品を万引きすることを決めた被告人は,それ以降,午前5時か5時半ころ漫画喫茶を出て,A駅で160円の切符を購入して,東京駅とC駅等を往復する電車内で睡眠を取ることを覚え,日中は,冷房の利いた電車内で過ごし,午後2,3時ころ,A駅に戻り,パチンコをし,パチンコ代にも事欠くようになって以降は,パチンコ店で涼を取ったりしていた。そして,夕方になると,ペティナイフを万引きしたスーパーマーケットで,おにぎりや飲み物を盗み,再びパチンコ店で涼むなどした後,漫画喫茶で夜を明かし,朝になったら電車に乗って寝るという生活を繰り返していた。

ところで,被告人は,そうした生活を始めて2,3日たった後,東京駅近くで偶然目を覚ました折,東京駅で降車して,駅構内を散策したところ,コンビニエンスストア「D店」(以下「本件コンビニ」という。)を見付けて,パン2個を万引きした。客も多いことなどから,万引きがしやすい店と判断した被告人は,その後も,東京駅で目が覚めていた際に,本件コンビニでパンやおにぎり等の万引きを合計で5回程度繰り返したが,一度も発覚しなかった。

(3)  本件犯行当日である同月21日には,被告人の所持金はついに二千数百円となった。被告人は,この日午前1時すぎころから,A駅周辺の漫画喫茶で涼んだ後,料金を支払わずに出ると,同日午前5時35分ころA駅から電車に乗り込んで睡眠を取ろうとしたが寝付けず,同日午前6時45分ころ,東京駅で降車した。被告人は,こんな早朝で客が少なく万引きできるかと不安を感じたが,とりあえず,本件コンビニに赴くこととした。

3  被害者の身上・経歴

一方,本件コンビニの総括店長であったEは,昭和44年1月5日,警察官であった父親と専業主婦の母親の間に,長男として,東京都で出生した。Eは,高校を卒業後,F大学法学部に入学した。大学進学後は,司法試験を志して受験勉強をする傍ら,株式会社Gが経営するコンビニエンスストアでアルバイトとして稼働し,卒業後もそのまま同社で働きながら,勉強を続けた。Eは,H店の副店長などを経た後,平成12年7月,本件コンビニの総括店長に就任し,万引き犯を見付けては警察に引き渡すなどしていた。なお,Eは,平成7年ころから,H店でアルバイトをしていた女性と交際を始め,平成13年春ころからは,その女性と生活を共にしていた。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成14年7月21日午前6時50分ころ,東京都千代田区所在の東京駅構内の株式会社G「D店」内において,同店総括店長E(当時33歳)管理に係るパン2個等4点(販売価格合計550円)を窃取して同店から外に出たところ,これを発見して追尾してきたEに取り押さえられたことから,同日午前6時51分ころ,東京駅構内I口付近通路上において,逮捕を免れるため,Eに対し,殺意をもって,所携のペティナイフで腹部を1回突き刺し,よって同日午後0時32分ころ,東京都中央区所在のJ病院において,Eを腹部刺創に基づく右総腸骨動脈損傷による出血性ショックにより死亡させて殺害したが,同月23日警視庁B警察署に出頭し,同署警察官に自首したものである。

(殺意の有無等)

第1弁護人の主張

弁護人は,被告人と被害者は全く面識のない単なる万引き犯と店長という関係にすぎず,被告人には殺害の動機がない上,被告人は,無意識的・対抗的にペティナイフを突き出したのであって,人体の枢要部を狙ったものではなく,創傷の程度も,向かってくる被害者の力が加わって,予想以上のものとなった可能性も否定できないことから,被告人は殺意を有していなかった旨主張し,被告人も,興奮しており自分自身でもなぜペティナイフを出して刺したのか分からないなどと供述するので,当裁判所が殺意を認定した理由につき,以下説明しておくこととする。

第2前提事実

殺意の有無等を決する前提として,犯行前後の状況,被害者の創傷の部位及び程度,被害者着用のベルトの損傷状況,本件凶器の性状等について,仔細に事実認定をすると,次のとおりである。

1  犯行前後の状況

司法警察員作成の実況見分調書,被告人の検察官に対する供述調書2通及び司法警察員に対する供述調書等の関係各証拠によると,犯行前後の状況は以下のとおりである。

(1) 被告人は,平成14年7月21日午前6時50分ころ,本件コンビニ店内において,パン2個,おにぎり1個,コーヒー牛乳1個(販売価格合計550円)を万引きした。それに気付いた同店店長のEは,被告人を追い掛け,同店出口から中央通路を数メートル進んだところで,被告人に対し「この野郎。ちょっと待て。」と怒号し,被告人の左後ろ襟首付近の髪の毛をつかんだ。さらに,「お前,金持ってるか。」と詰問された被告人が反抗的な態度で「持ってるよ。」と答えると,Eは,「お前,金払ってないんだから,事務所までちょっと来い。」と告げて,被告人の髪の毛をつかんだまま,被告人を前の方に押すように歩き出した。

(2) 被告人は,執行猶予中の身であったことから,このままでは間違いなく刑務所に入れられてしまう,刑務所には絶対行きたくない,なんとかして逃げなければと思い,歩きながら何度か体を左右に揺すってみたが,Eの手は離れなかった。被告人が,ぐずぐずしていると事務所に着いてしまう,このまま事務所に連れて行かれたら逃げられない,その前になんとかしなくてはと焦り始めていたところ,Eは,I口付近通路上において,事務所の方へ通路を曲がろうとしたが,搬入用の荷物が置かれていたため,一瞬立ち止まった。そこで,被告人は,この機会しかないと決意し,左腕を振り上げ,左後方から被告人の髪の毛をつかんでいたEの右手を振り払う一方,右手でウエストポーチに入っていたペティナイフの柄の部分を握りしめた。

(3) Eは,右手を振り払われたためか,1歩くらい後ずさりした後,ひるむことなく,被告人の方に1歩ほど前進し,再び被告人の髪の毛をつかむように手を伸ばしてきた。被告人は,今度捕まえられたら逃げられない,刺すしかないと決意し,同日午前6時51分ころ,ウエストポーチの中に携帯していたペティナイフを右手で取り出して腰付近で構えて,Eと正対するように体を反転させて,右足を1歩前に踏み出し,まっすぐにペティナイフを突き出して,Eの腹部中央付近を1回突き刺した。被告人がEを刺す直前の両者の腹部の間隔は,2,30センチメートルであった。

これらの認定事実に対し,被告人は,前述のように,当公判廷においては,犯行状況については余りよく覚えていないと供述するものの,個々の質問に対しては,概ね上記の状況に沿った内容を答え,捜査段階の供述調書においても同様の犯行状況を供述している。なお,弁護人は,これらの被告人の供述調書のうち,とりわけ司法警察員に対する供述調書につき,順手に持ったペティナイフを突き刺したとの供述が,ベルトのパンチ穴をつなぐように横向きに貫通した損傷痕と符合しない点を指摘して,信用性がないと主張するが,その供述調書によると,順手にペティナイフを持っていたとの記載があるものの,ペティナイフの刃の向きまでは記載されていないのであって,その指摘は当たらない。

2  創傷の部位及び程度

K大学医学部法医学教室助教授L作成の鑑定書,司法警察員作成の捜査報告書等の関係各証拠によると,創傷の長さは,へそ中央から右方1.5センチメートルを右創端とし,へそ中央から左方に1.3センチメートルを左創端とする全長約2.8センチメートルである。その創傷は,右総腸骨動脈を損傷し,第4,5腰椎椎間部に至って止まり,創洞の深さは,腹壁に直角で約7.7センチメートルである。

3  被害者着用のベルトの損傷状況

押収してあるベルト1本,司法警察員作成の実況見分調書等の関係各証拠によると,被害者が着用していた革製ベルトには,先からバックル方向に約17センチメートルの部分に,2個のパンチ穴をまたぐように長さ約2センチメートル,下方にふくらんだU字型をした損傷痕があり,厚さ約4.15ミリメートルを貫通している。

4  凶器の性状等

押収してあるペティナイフ1本,同ナイフ様のもの1本,司法警察員ほか1名作成の捜査報告書2通及び被告人の検察官に対する供述調書等の関係各証拠によると,被告人が被害者を刺した際に使用したペティナイフと同種同型のペティナイフは,全長約23.08センチメートル,刃体の長さ約13.08センチメートル,刃体の幅最大約2.77センチメートル,刃体の厚み最大約0.15センチメートルの鋭利なものである。

ところで,被告人は,万引きして入手した際と刃先をハンドタオルで巻いた際の少なくとも2度ペティナイフを現に手にしている上,その性状について,柄の部分が黒色で,刃の先が尖っていて,刃の長さは,10センチメートルくらいか,それよりも,もう少し長いもので,果物ナイフと思っていた旨供述していることからすると,本件犯行時にはその性状を十分に認識していた。

第3判断

1  以上の認定事実によると,執行猶予中の身であった被告人は,万引きが発覚して刑務所行きになることを極度に恐れ,被告人の髪をつかんでいた被害者の手を一旦振り払ったにもかかわらず,なおも被害者が被告人を捕まえようとしたことから,逃げ切るためにはもはや被害者をペティナイフで刺すほかないと決意するに至り,被害者の腹部のへそ付近という身体の枢要部に向けて,刃体の長さ約13センチメートルの鋭利なペティナイフをその性状を十分に認識しながら,足を1歩踏み出して正面からまっすぐに突き出し,厚さ約4.15ミリメートルの革製のベルトを貫通して,右総腸骨動脈を突き抜け,腰椎椎間部で止まるまで深さ約7.7センチメートルの創傷を負わせたのであるから,被告人は,一旦手を振り払われた被害者がさらに被告人を捕まえようとして向かってきた際に,被害者に対する確定的殺意を抱いたというべきである。また,被告人も,捜査段階において,確定的殺意を有していた旨自認していたのであって,その供述調書は,犯行直後の状況につき,「私は,逃げるのに必死でしたが,逃げながらも,店長の腹を刺したのに何故倒れもせずに追いかけてこれるんだと怖くなって,このような恐怖心と捕まりたくない一心で必死になって逃げました。」などと被告人の率直な心情が吐露されており,信用できる。

2  これに対し,弁護人は,まず,被告人には殺害の動機がなかったと論難するが,刑務所行きを極度に恐れていた被告人が,一旦手を振り払ってもなお被告人を捕まえようとする被害者から逃げ切るには,もはやペティナイフで刺すしかないと決意したという動機は,被害者殺害に至るものとして十分に理解できるものである。また,弁護人は,創傷の部位及び程度について,被告人は,極度の興奮から無意識の状態で対抗的にペティナイフを突き出したのであるから,その部位を狙ったものではなく,その程度も,一種の格闘状態であって,被告人の力だけではなく,向かってくる被害者の力も加わり,予想以上のものとなった可能性も否定できないから,本件においては,創傷の部位及び程度から,殺意を推認することはできない旨主張する。しかしながら,被告人は,被害者と正対した上,さほど身長差のない被害者に向かって,右足を1歩前に踏み出し,腰付近で構えたペティナイフをまっすぐに突き出したのであるから,被害者の腹部付近を狙って突き刺したというべきである。また,被告人は,被害者が,被告人を捕まえようとして,1歩ほど近寄ってきたことを認識しながら,右足を1歩踏み出してペティナイフを突き刺しているのであるから,結局,創傷の深さは,もっぱら被告人の力により生じたものというほかない。よって,これらの点が被告人に殺意を認める妨げとなるものではない。その他弁護人の主張する諸点を考慮しても,前記の結論は変わらない。

(量刑の理由)

1  本件は,被告人が,東京駅構内のコンビニエンスストアで,パン2個等4点を窃取して店外に出たところ,これを発見して追尾してきた同店総括店長に取り押さえられたことから,逮捕を免れるため,殺意をもってその店長を所携のペティナイフで突き刺して死亡させたという事後強盗による強盗殺人の事案である。

2  まず,被告人は,勤めていた給排水設備工事等を請け負う会社から支給されたばかりの給料約24万円を持って,パチスロ等に興じる自堕落な生活をする中,勝負に負けて所持金が残り少なくなり,食事代を節約するべく,食料品を万引きしたものであって,酌量すべき余地はない。また,被告人は,被害店舗の総括店長に万引きを発見されて,同店の事務所へ連れて行かれそうになるや,このままでは,執行猶予中の身であるため,刑務所行きを余儀なくされると考え,逮捕を免れるため,その店長の殺害に及んだものであって,自己の身の安全・自由のためには,他人の尊い人命を一顧だにしない自己保身の極みというべきである。

次に,犯行態様についてみても,被告人は,万引きが発覚した際には,店員等を脅したり,傷害を負わせるなどしても逃走しようと企図し,ペティナイフをウエストポーチに忍ばせて万引き行為に及んだ上,本件の被害者である総括店長に,実際に捕捉されて事務所に連れて行かれそうになるや,そのペティナイフを取り出し,被害者の腹部の中央付近を正面から力一杯一突きし,被害者着用の革製ベルトを突き抜け,右総腸骨動脈を損傷して第4,5腰椎の間で止まる深さ7センチメートル余りにも及ぶ創傷を負わせ,内臓の一部が飛び出すほどの致命傷を与えたもので誠に無惨である。被告人は,犯行後,中央線に乗って逃走を図り,根城にしていたA駅周辺でペティナイフや犯行当時着用していた衣服等を処分して,証拠隠滅行為を行ったのであって,犯行後の事情もよくない。

そして,何にもまして,被告人は,万引きを発見して,被告人を追尾してきた被害者の尊い命を奪ったのであって,その結果は重大である。当時33歳の被害者は,働きながら司法試験を目指し,最近では通信制の大学講座で経営学を学ぶなど,独立心と向上心を持った前途有望な青年であって,その人生を被告人の身勝手な犯行により突如奪われたのである。また,被害者は,持ち前の正義感と総括店長という職責から,万引き行為を見過ごすことができず,被告人を追尾し,さらに,凶行に遭遇して致命傷を負いながら,気丈にも100メートル余り被告人を追い掛けたもので,見て見ない振りをする,他人事には関わらないようにするという現在の悪しき風潮にもかかわらず,誠に勇敢な行為に及んだにもかかわらず,かえって,理不尽にも命を奪われたのであり,その憤りと無念さに思いを致すと,語るべき言葉もない。

両親や交際相手ら遺族の被った衝撃は甚大であり,被害感情には極めて厳しいものがある。すなわち,父親は,意見陳述において,「被告人には,一罰一戒を以って百の戒めとなる厳しい,厳しい償いの極刑をお願いしたい。」「Eの命をかけた行為が無駄にならないことを念願して,被告には自分自身の命を以って罪を償ってもらいたい。」旨峻烈な処罰感情を吐露している。母親も,捜査官に対する供述調書において,「犯人からの言葉の償いは必要ありません。犯人は死刑にして欲しいと思います。私たちは,Eを失った悲しみにこれから,死ぬまで耐えていかなければなりません。私たちが,この悔しい気持ちをはらすことができないうちに,Eを殺した犯人が社会に戻ってくるようなことはとても耐えられません。」と供述している。

また,本件は,被告人が,1日100万人以上もの乗降客が出入りする東京駅という公共の場所において,強盗殺人という凶行に及んだ上,一時ペティナイフを手にしたまま逃走を図り,一方,被害者が,被害金額550円の万引き犯を追い掛け,駅構内で重傷を負ったまま倒れたというものであり,公衆の面前で敢行された犯罪という面を有するのみならず,そのニュースが広く報道され,東京駅構内で商品を販売する人々だけでなく,一般人に対しても,不安と衝撃を与えたのであって,本件犯行の社会的影響は甚大である。

さらに,被告人は,以前から幾度となく,仕事を投げ出しては,パチスロ等の遊興にふけるという生活を繰り返し,その間に,本件と同様,ナイフを所持して万引き行為を行ったこともあり,本件直前にも,義父から最後のチャンスと言われた職場を放り出して,パチスロ等の遊興や万引き行為に明け暮れたのであって,本件犯行は,このような生活の延長線上の事件といっても過言ではない。加えて,被告人は,平成13年12月28日,窃盗罪により懲役1年,執行猶予3年間の判決を受け,1年も経過しないうちに本件を敢行しており,規範意識の鈍磨が著しい。

3  以上の諸事情に鑑みると,被告人の刑事責任は重大であるが,被告人は,本件犯行後の平成14年7月23日,警察官に自首しているので,自首減軽をするか否かを検討することとする。自首減軽をするか否かは,裁判所の自由裁量に属し,罪質,自首の態様その他諸般の情状を勘案して,その要否及び程度を決すべきところ,既述した被告人にとって不利に斟酌すべき事情のほか,有利に斟酌すべき事情も考慮に入れるべきであるから,ここでは,その点を中心に考えてみる。

(1)  まず,被告人は,万引きに際し,ペティナイフを携行していたが,これは,あくまで,万引きが発覚した場合,店員等を脅し,あるいは場合によっては,刺して傷害を負わせてでも逃走することを容認していたにすぎず,殺害することまで認識・認容していたわけではない。その意味で,本件は,被害者を殺害して財物を強取しようと企て,それを実行したという典型的な強盗殺人の事案は無論のこと,窃盗を敢行後,逮捕されそうになった場合には,逮捕者を殺害することを事前に意図していた,いわば計画的な事後強盗殺人の事案とは異なり,突発的,偶発的なものというべきである。

また,被告人が窃取した被害品は,販売価格にして合計550円という少額のパン2個等4点であり,被告人は,逃走の過程でこれらを現場に遺留せざるを得なかったことは,客観的事実であり,この点も,強盗殺人の財産犯的側面からみると,斟酌せざるを得ない。

(2)  次に,被告人が現場に遺留した眼鏡に基づく捜査の進捗状況等によれば,被告人が自首をしなくとも,早晩,捜査官側は,被告人を犯人と特定し得たことは確かであり,関係各証拠によると,被告人は,義弟らの説得を受けるとともに,自己の容貌がマスコミ報道されたことなどから逃げ切れないと考え,自首に及んだこともまた事実である。しかしながら,事件発生から3日目という早期の段階で,自首したことによって,容疑者の確保という最も重要な手続が省かれた上,犯行状況,犯行に至る経緯等に関する詳細かつ具体的な被告人の供述に基づき裏付け捜査等が大幅に進捗したこと,すなわち,被告人の自首が捜査に貢献したこともまた否定し難い。また,義弟らの説得により,あるいは逃げ切れないとの考えから,自首したとしても,最終的に決断をしたのは,あくまで被告人自身であり,自供状況等に照らすと,自首につき悔悟の念がなかったとは断じ得ない。

(3)  さらに,被告人は,捜査段階において,自首当初から一貫して,殺意を含め,詳細に事実関係を認めた上,被害者や遺族に対して,本当に申し訳ない旨謝罪の念を供述している。確かに,公判段階においては,殺意自体を否定しているものの,事実経過については,これを認め,被告人なりの表現で謝罪の気持ちを表明している。実母も,遺族には受領を拒否されたが,謝罪の手紙をしたためた上,証人として出廷し,改めて謝罪の意思と被告人の更生への協力を証言している。

4  以上縷々述べてきた被告人にとって有利不利な諸事情に鑑みると,本件については,強盗殺人罪の法定刑中,無期懲役刑を選択するが,自首減軽をした上,被告人を懲役15年に処するのが相当と判断した次第である。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑無期懲役)

(裁判長裁判官 山崎学 裁判官 吉川奈奈 裁判官 後藤有己)

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