東京地方裁判所 平成14年(特わ)2474号 判決 2003年9月24日
主文
被告人を懲役1年2月に処する。
未決勾留日数中180日をその刑に算入する。
この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
理由
【罪となるべき事実】
被告人は、パキスタン・イスラム共和国の国籍を有する外国人であるところ、平成2年(1990年)5月26日、同国政府発行の旅券を所持し、千葉県成田市所在の新東京国際空港に上陸して本邦に入った者であるが、在留期間は平成8年(1996年)8月7日までであり、同日付けでその在留期間の更新を申請したのに対し、平成11年(1999年)5月31日法務大臣がこれを許可しない旨決定し、同年6月3日その旨の通知を被告人に発送したにもかかわらず、同日ころ以降も本邦から出国せず、平成14年(2002年)5月7日まで東京都内等に居住し、もって、在留期間を経過して不法に本邦に残留したものである。
【証拠の標目】省略
【争点及び判断】
第1 争点
1 前掲関係各証拠によれば、被告人の最終在留期限は平成8年(1996年)8月7日までであったため、被告人は、同日、在留資格を日本人配偶者として、在留期間更新許可の申請(以下、この申請を「本件更新申請」といい、その申請書を「本件更新申請書」という。)を行ったが、法務大臣が平成11年(1999年)5月31日付けで在留期間更新不許可の決定(以下「本件不許可決定」という。)をしたため、東京入国管理局は、同年6月3日、その内容を記載した同年5月31日付け通知書(以下「本件不許可通知書」という。)を本件更新申請書記載の「日本における居住地」宛てに発送したが、本件不許可通知書は「あて所に尋ねあたらない」との理由により返送され、以降、本件不許可決定が被告人に到達したことはなかったことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
2 以上の事実経過に基づき、弁護人は、以下の4点を挙げ、出入国管理及び難民認定法70条1項5号所定の罪(以下「不法残留罪」という。)の成立を争い、被告人は無罪である旨主張している。すなわち、第1に、本件更新申請に対しては、不許可決定ではなく、却って許可の決定がなされていた、第2に、仮に、不許可の決定がなされていたとしても、本件不許可通知書が被告人に到達していない以上、その効力は生じていない、第3に、仮に、本件不許可決定の効力が生じていたとしても、被告人には、実質的違法性がない、第4に、被告人は、本件不許可決定の存在を了知していないのであるから、不法残留罪の故意を有していないか、少なくとも錯誤により故意が阻却されるというのである。その他、弁護人は、被告人の自白調書につき、違法収集証拠あるいは任意性を欠いたものとして、証拠能力を否定し、さらにその信用性を争っているので、以上の諸点について、当裁判所の判断を示すこととする。
第2 本件不許可決定を巡る経緯
前掲関係各証拠により、本件不許可決定を巡る経緯、すなわち、被告人が、平成2年(1990年)に本邦に入国後、本件不許可決定を経て、不法残留罪で現行逮捕されるまでの経緯を認定すると、下記のとおりである。
1 被告人に関する在留期限の推移
(1) 被告人は、平成2年(1990年)5月26日、パキスタン・イスラム共和国から、短期在留資格により在留期限を同年8月24日までとして本邦へ入国したが、後述のように、日本人と婚姻して在留資格を日本人配偶者に変更したため、在留期限は平成3年(1991年)2月7日まで延長された。
(2) その後、被告人は在留期間更新許可申請を行い、平成3年(1991年)2月7日、同年11月15日及び平成4年(1992年)2月7日には、それぞれ在留資格期間を6か月として、同年12月18日には在留資格期間を1年として、それぞれ許可の証印をパスポート上に受けた。さらに、被告人は、平成5年(1993年)8月6日に在留期間更新許可申請を行い、同年10月15日、在留資格期間3年とする許可の証印を受けたため、パスポート上の最終在留期限は平成8年(1996年)8月7日となった。
(3) 以上5回の更新許可申請に対応する証印のうち、平成3年(1991年)11月15日、平成4年(1992年)12月18日、平成5年(1993年)10月15日の3回のそれは、従前の在留期限経過後に受けたものであった。
2 被告人の居住状況
(1) 被告人は、本邦に入国後、平成2年(1990年)6月10日、東京都杉並区<以下省略>aマンション1-1号室(以下「aマンション」という。)で日本人女性A(以下「A」という。)と同棲を始め、同年7月30日、Aと婚姻したため、同年8月14日、aマンションを居住地として外国人登録を行った。ところが、夫婦仲が悪くなり、Aは、平成6年(1994年)秋以降、aマンションを出て、所在不明となった。
(2) 被告人は、Aの帰りを待ちながら、同年10月ころまでaマンションに居住していたが、平成8年(1996年)6月ころ、東京都港区<以下省略>bマンション103号室(以下「bマンション」という。)に転居した。この際、被告人は、外国人登録の居住地を変更しなかった。
3 本件更新申請
(1) 被告人は、平成8年(1996年)8月7日、本件更新申請書の「日本における居住地」欄にaマンションの住所を、「在日家族」欄に妻としてA、妻との同居事実有りと、「在日身元保証人又は連絡先」欄に「Y」などと記載して、東京入国管理局で本件更新申請を行った。被告人は、東京入国管理局からの連絡用のはがきの住所地として、aマンションを記載して提出するとともに、現住所地はbマンションであることも告げ、bマンションの住所を記載したはがきも東京入国管理局に提出した。東京入国管理局は、同日、被告人のパスポートに在留期間更新許可申請中であることを示す印を押捺し、被告人を帰宅させた。
(2) 本件更新申請は、身元保証人が配偶者と異なっていたため、慎重審査案件となり、被告人からの事情聴取が必要となった。日本人配偶者資格による在留期間更新の許可不許可の決定は、婚姻の継続性、信憑性、夫婦が同居しているか否か、相互扶助協力しているか否かなどが基準とされており、それらの観点から本件更新申請が審査されることとなった。
4 本件更新申請後のやり取り
(1) 東京入国管理局は、平成8年(1996年)8月30日、被告人に対し、Aと共に出頭するよう要請した同月29日付け出頭通知書をaマンション宛てに郵送したが、同通知書は転居先不明により返送されてきた。
(2) 次いで、東京入国管理局は、同年9月上旬、被告人に対し、同様の同月4日付け出頭通知書をbマンション宛てに郵送したが、被告人は、出頭日当日姿を見せなかった。しかし、被告人は、出頭日である同月18日、東京入国管理局に電話をかけ、健康状態が優れないことなどを理由に出頭できないこと、現在の居住地はbマンションであり、aマンションには住んでいないこと、Aが所在不明であることなどを告げた。東京入国管理局係員は、出頭しなかった理由、Aの状況を書面にしたため送付することと、次回出頭通知が届いたら必ず出頭することを指示した。
(3) また、東京入国管理局は、平成9年(1997年)1月8日と同年2月4日に、同様の出頭通知書をaマンション宛てに送付したが、いずれも転居先不明で返送されてきた。
(4) 東京入国管理局は、同年4月に出頭通知書をbマンションに送付した。これを受けて、被告人は、同月25日東京入国管理局に電話をかけ、東京入国管理局永住・難民審査部門B係員(以下「B係員」という。)に対し、出頭通知書を受け取ったが出頭できない、妻は現在も所在不明である、離婚については妻と話し合いをしなければ分からない、妻を探す努力をすること、妻が見つからない場合には相談にのって欲しい旨などを告げた。B係員は、事情は了解したが、Aが見つからない場合は更新許可は難しい旨を告げた。その後、被告人から東京入国管理局への連絡は一切ない。
(5) 平成9年(1997年)ころ、東京入国管理局がAの実兄に電話連絡をしたところ、Aの所在は現在のところ掴めないが、所在確認の努力はしている旨の回答を得た。
(6) 東京入国管理局は、平成11年(1999年)5月20日、同月19日付け通知書をaマンション宛て簡易書留で送付し、同年6月3日に出頭するよう被告人に要請したが、通知書は宛先不明で返送されてきた。なお、この通知書には、従前の出頭通知書とは異なり、御夫婦で出頭願いたいとの文言はなく、「理由なく来庁されないときは不利益な処分となることがありますので、注意願います。」との注意書が付記されていた。
5 本件不許可決定
(1) 法務大臣は、平成11年(1999年)5月31日、「在留資格の変更を適当と認めるに足りる相当の理由があるとは認められない。」旨を理由として、本件不許可決定をし、東京入国管理局は、同年6月3日、同年5月31日付け本件不許可通知書をaマンションへ簡易書留で郵送したが、宛先不明で返送されてきた。不許可の理由は、申請人である被告人からの事情聴取が行えなかったこと、配偶者が行方不明であったことの2点であったが、東京入国管理局は、後述のとおり、Aから被告人に対し離婚訴訟が提起されていることは把握していなかった。
(2) 東京入国管理局は、本件不許可決定を受けて同年7月15日、被告人について不法残留(在留期限1996年8月7日)により立件(退去強制事件の端緒とすること)し、平成11年(1999年)7月21日、所在不明により中止処分(退去強制事件を中止すること)とした。
6 その後の被告人の動静等
(1) 被告人は、平成12年(2000年)6月末ころ、bマンションを退去し、千葉県柏市<以下省略>c荘202号室(以下「c荘」という。)に転居した。さらに、被告人は、平成13年12月29日ころ、東京都港区<以下省略>dハウス303号室(以下「dハウス」という。)へ入居した。被告人は、c荘、dハウスへの各転居の際、いずれも外国人登録の居住地を変更していない。
(2) 一方、Aは、平成11年(1999年)4月ころ、東京地方裁判所に対し、被告人との離婚を求める裁判を提起した。当時、Aは、被告人の所在を把握することはできなかったため、被告人に対しては公示送達により裁判手続が進行し、同年5月26日離婚を容認する判決が出され、同判決は同年6月10日確定したため、同日付けで離婚の届出がなされた。
7 被告人の現行犯逮捕
被告人は、平成14年(2002年)5月8日、不法在留罪で現行犯逮捕され、本件公訴提起されるに至った。
第3 本件不許可決定の存否
1 弁護人は、本件更新申請書(弁11)中の官用欄に、次のような記載があることから、本件更新申請に対しては、不許可決定ではなく、許可決定がなされた疑いがあるとして、本件不許可決定の存在自体を争っている。弁護人指摘の諸点は、<1>「不許可の場合」欄に不自然な修正液による改変がなされている、<2>「資格・期間コード」欄の「T61」の記載は、被告人に対し、日本人配偶者として1年間の在留資格を与えた証左である、<3>甲11号証に添付された本件更新申請書は、弁11号証の本件更新申請書に様々な改ざんを加えたものであるなどである。
2 そこで検討するに、なるほど、「不許可の場合」欄に修正液による改変がなされていること、「資格・期間コード」欄の「T61」の記載が、日本人配偶者としての1年間の在留資格を意味すること、甲11号証に添付された本件更新申請書と弁11号証のそれとは、相違があることは、弁護人指摘のとおりである。しかしながら、東京入国管理局E入国審査官(以下「E審査官」という。)は、当公判廷において、官用欄の記載は、内部文書であり、修正液による訂正もあり得るし、許可申請書の写しを外部に提出する場合には、不必要な箇所は削除しているので、甲11号証の本件更新申請書と弁11号証のそれとは異なっている旨説明しており、その説明をあながち不自然、不合理として切り捨てることはできない。また、問題の「T61」との記載は、本件更新申請の担当者が、一旦は日本人配偶者として1年の在留期間を認めることを考えたものと推測されるとのE審査官の証言も、あからさまで却って信用性が肯定できるものである。
翻って、本件更新申請書には、最終的には不許可の処分を表す記載をしている上に、「出頭通知を発出してもその通知が戻され、被告人に事情聴取が行えなかったから、日本人の配偶者との在留資格に該当する立証不十分」ゆえに本件不許可決定を行ったと明言する第3回公判調書中のE審査官の供述があり、この供述は、法務大臣の職印のある本件不許可通知書(甲46)により完全に裏付けられていることからすると、前記弁護人の指摘をもって、本件不許可処分の存在を揺るがすことはできないというべきである。
3 なお、弁護人は、本件不許可通知書における不許可の理由が、「在留資格の変更を適当と認めるに足りる相当の理由があるとは認められません。」となっていることを捉えて、在留期間更新申請(出入国管理及び難民認定法21条)に対し、在留資格の変更(同法20条)の理由がないとしたもので、理由齟齬の無効な通知であり、したがって本件不許可決定も無効である旨主張する。
なるほど、弁護人指摘のとおりであり、東京入国管理局の事務処理の杜撰さが如実に表れているが、本件不許可通知書は、単に不許可の決定を申請人に対し、通知する文書にすぎず、決定書自体ではない。このことは、申請許可の場合であっても、許可の決定書を作成するわけではなく、申請書の官用欄に許可の趣旨を明らかにし、申請者の出頭を求め、パスポートに許可の証印を受けるという取扱いになっていることからも明らかである。また、そもそも、本件不許可通知書中に、申請の日付と申請番号を付記した上、「在留期間更新許可申請について不許可にした」旨の文言がある以上、この通知書が被告人の本件更新申請に係るものであるというべきでる。
第4 不法残留罪の成否
1 在留期間経過と不法残留罪の成否
一般に、在留期間満了前に在留期間更新許可申請をしたが、更新申請不許可の決定が在留期間満了後になされた場合には、不許可決定が被告人に対し通知され、これが被告人に到達した以降の在留が不法残留になるとされている(最高裁昭和45年10月2日第2小法廷決定刑集24巻11号1457頁)。これに対し、本件のように、不許可決定が被告人に通知されたが、何らかの理由によって被告人に到達しなかった場合には、その理由について勘案した結果、被告人側に責めるべき事情が存すると評価できるときには、通常その通知が到達すべき時点をもって、不許可処分の効力が生じるとともに、不法残留罪の実質的違法性を具備するものと解すべきである。
2 本件不許可決定の効力
そこで、本件不許可決定が被告人に到達しなかった理由について、第2「本件不許可決定を巡る経緯」において認定した事実に基づき、慎重に評価することとする。
(1) 被告人は、本件更新申請書において、当時居住していなかったaマンションを居住地として申請したばかりか、Aの所在不明の状態が、少なくとも1年以上継続していたにもかかわらず、同女との同居事実がある旨虚偽記載をしている。そもそも、本件更新申請に際し、被告人は、外国人登録上の居住地をbマンションに変更した上で、申請すべきであったし、その後も、外国人登録上の居住地を変更した上で、東京入国管理局に対しても、居住地を変更したことを正式に告知すべきであった。
(2) さらに被告人は、平成9年(1997年)4月に東京入国管理局のB係員に対し、最後の連絡を取った際、そのB係員からAが発見できない場合には、本件更新申請が不許可になる趣旨を告げられていたにもかかわらず、その後、2年余りの間、Aの所在を探している状況を報告したり、本件更新申請の許否を問い合わせすることなどはむろんのこと、東京入国管理局との接触を一切断っている。
(3) もっとも、被告人は、本件更新申請時に、bマンションの住所をはがきに記載して東京入国管理局へ提出するとともに、東京入国管理局がbマンションに2度にわたって出頭通知を郵送した際には、東京入国管理局に対し、電話連絡をしていることは事実である。しかしながら、もし、被告人が正当なる更新許可決定を受けたいのであれば、既述したように、居住地の変更を届け出るとともに、東京入国管理局へ出頭すべきであった。被告人は、妻と一緒に出頭するようにとの記載があったため、1人では出頭できなかった旨供述しているが、Aの所在が不明である以上、被告人1人で出頭する以外に途はないのであり、それは容易であった。
(4) 一方、東京入国管理局は、従前の経緯からして、被告人は、aマンションではなく、bマンションに居住していたことを了知していたのであるから、本件不許可通知書をbマンションに郵送すれば、その通知が被告人に到達したというべきは否定し難い事実である。その意味では、東京入国管理局の対応は、手続的に不適切であり、非難を免れない。しかしながら、不許可通知は法務大臣作成名義の公式文書であり、その通知は外国人登録上の居住地に送付するのが正規の手続であることもE審査官の供述のとおりであり、東京入国管理局が本件不許可通知書をaマンションに送付したことをもって、違法あるいは少なくとも誤った手続とまで断じることはできない。
以上を総合すると、本件不許可通知書が被告人に到達しなかったことについて、その責任の一端は東京入国管理局側にもあるとしても、その大半は被告人側の事情によると評価できるというべきである。
3 結論
そうすると、本件不許可決定の効力は、本件不許可通知書が、通常であれば被告人に到達したと考えられる平成11年(1999年)6月3日ころに、その効力が生じ、以降、被告人の在留は不法残留罪として実質的違法性を具備したというべきである。
第5 不法残留罪の故意の存否
1 本件不許可決定の効力が生じているとしても、次の問題は、被告人において、不法残留罪の故意を有していたか否かである。ところで、本件事案の如く、最終の在留期限が経過した後、残留期間更新不許可決定がなされ、しかも、更新申請者に対し、不許可通知が到達していない場合において、申請者に不法残留罪の故意を肯認するには、申請者が、単に、「在留期間を経過して本法に残留する」という事実を認識認容するだけでは足らず、自己に対する更新不許可決定が出された事実を認識認容する必要があるというべきである。被告人が、パスポート上の最終在留期限である平成8年(1996年)8月7日を経過して本法に残留している事実を認識認容していたことは自身が認めるところであるから、本件の問題は、本件不許可決定が出された事実を被告人において、認識認容していたか否かである。
2 そこで考えてみるに、第1に、そもそも被告人は、本件更新申請書において、配偶者であったAが所在不明であり、被告人とaマンションにおいて同居をしていないにもかかわらず、同居している旨虚偽記載を行っているが、この事実は、少なくとも、被告人において、日本人配偶者として、更新申請が容認されないことを危惧していた証左である。第2に、被告人が東京入国管理局と最後に連絡を取った平成9年(1997年)4月、被告人は、係員から本件更新申請を許可するのは難しい旨告知された以降、被告人は許可を得るべく東京入国管理局側に対し積極的な働き掛けを何ら行っていない。この点、被告人は、公判段階において、平成12年(2000年)7月、東京入国管理局に対し、c荘への転居の事実を電話連絡した旨供述しているが、東京入国管理局では被告人から電話連絡があった場合、通話後直ちに係員が電話記録書を作成するのが通常であるのに、そのような内容の電話記録書は残っていないし、被告人自身、捜査段階では、平成9年4月以降は東京入国管理局へ連絡をしていない旨自認しており、電話連絡した旨の前記供述は信用できない。第3に、被告人は、平成8年(1996年)8月7日に3年間の在留期間更新を申請していたのであるから、平成11年(1999年)8月7日までに、さらに在留期間更新を申請する必要があったはずであるが、そのような申請は一切行っていない。第4に、被告人は過去3度にわたって在留期間満了後に更新許可を受けているが、その場合も在留期間満了から最長で約4か月程度しか経過しておらず、本件のように約2年11か月も経過したことはなかった。
以上の諸事実を総合すれば、本件不許可決定が出された事実につき、被告人において、確定的に認識認容していたとまではいえないとしても、少なくとも未必的に認識認容していたと推認できるというべきである。
3 これに対し、被告人は、自分が逮捕された際パスポートを携帯していたのは、自分に不法残留罪の認識がなかったからだとも供述している。確かに被告人はパスポートを携帯し、警察官にその提出を求められた際も素直にそれに応じているが、被告人はパスポートを警察官へ提示する際、顕著に指を震わせていたのであるから、被告人が動揺しており平静ではなかったと考えられ、職務質問の時点で被告人がパスポートを携帯していたことだけでは、故意の存在を疑わせるものではないし、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
第6 逮捕勾留手続の違法性の有無
1 弁護人の論拠
弁護人は、被告人に対する逮捕勾留手続が違法である論拠として、<1>現行犯人逮捕の際に、被告人が不法残留の事実を自ら認めた事実はなく、不法残留の現行犯逮捕の理由がない、<2>職務質問の際、令状なしで強制的に所持品検査をされた、<3>同じく職務質問の際、被告人は強制的にパトカーに乗車させられた、<4>被告人は現行犯逮捕後、警視庁麻布警察署において、通訳人なく翌朝まで取調べを受けている、<5>被告人は、勾留質問時まで弁護人選任権の告知を受けていない、<6>被告人の取調べに当たった警察官でさえ、不法残留罪の成立につき疑義を抱いていたことなどを挙げるので、本件逮捕勾留手続の違法性の有無につき検討することとする。
2 逮捕勾留に至る経緯
前掲関係各証拠、とりわけ、第2回公判調書中の証人Cの供述部分によると、被告人が職務質問をされた後、現行犯逮捕を経て、勾留されるに至るまでの経緯として、以下の事実が認められる。
(1) 平成14年(2002年)5月8日午前1時15分ころ、警視庁麻布警察署地域課に所属するC巡査(以下「C巡査」という。)は、同僚の警察官3名とともにパトカーにて警ら中、東京都港区<以下省略>TG麻布ビル付近歩道上を後に被告人と判明した男(以下「被告人」という。)が歩いているのを発見した。被告人は、大きなバッグやリックサック等荷物を沢山抱えていた。
(2) C巡査らは、被告人が夜中の時間帯に侵入盗が多い地域で大きな荷物を持っていたことなどから、不審を感じ、職務質問をするべく被告人に近づいた。被告人に職務質問をしようと考え、パトカーから降車して他の警察官1名とともに被告人へ近づいたところ、被告人は、5メートル程度離れたところでC巡査と目を合わせ、体を翻して反対方向へ歩いていこうとした。
(3) ますます不審を感じたC巡査らは、被告人に追いつき「こんばんは、どちらまでお帰りですか。」と声をかけた。被告人は立ち止まって「今から家に帰ります。」と答えた。この後、他の警察官2名も加わり、被告人にパスポートか外国人登録証を見せて欲しいと言うと、被告人は素直にこれに応じてパスポート2冊を提示した。この際、被告人の指先が1、2cm程度の幅でぶるぶると震えていたので、C巡査は「あやしいところがある。」と思い、他の警察官も同様の注意を述べていた。
(4) C巡査は、被告人のパスポートを確認しつつ、いつ、どのような資格で日本へ来たのか等を尋ね、被告人は「奨学金制度で勉強するために入国した。前は日本人の奥さんがいたが今は別れている。」などと答えた。さらに、被告人のパスポートには在留期限が「96年8月」というスタンプがあったため、その後の在留資格についてはどうなっているかを被告人に尋ねたところ、被告人は「申請はしている。」と答えた。そこでC巡査は、申請をしているとしても許可自体をもらっていないとオーバーステイになると説明した。これに対し、被告人は、「申請はしている。」との答えを繰り返して、ジェスチャーを交えながら、難しい日本語は分からない旨を述べた。C巡査が「延長許可をもらっていないんだよね、それはオーバーステイというんだよ。」との説明をすると、被告人は「はい。」と頷いていた。この際、被告人自らが「自分はオーバーステイです。」との供述はしていない。
(5) C巡査が、被告人に告げて所持品検査を行ったところ、着替えなどの日用品、食べ物、偽造テレホンカード10枚程度を所持していた。
(6) C巡査らは、同日午前1時45分ころ、オーバーステイの事実確認のため、被告人の承諾を得て、被告人をパトカー後部座席に乗車させて麻布警察署へ任意同行した。その後同日午前2時ころ麻布警察署に到着し、被告人への対応を同署外事係のD巡査部長へ引き継いだ。
(7) 外事係の確認により被告人の在留期間延長申請に対する許可が出されていないことが判明したため、C巡査は、同日午前2時15分ころ、被告人に対し「許可をもらっていないので、日本にいることができないから、オーバーステイになる。日本にいるのは駄目なんだ。」などと身振り手振りで説明し、自分の体の正面に両手首を近づけながら挙げる動作をして逮捕することを説明して、被告人を不法残留で現行犯逮捕した。この際も、被告人は「申請はしている。」旨の供述をしていた。
(8) 以上の被告人とのやり取りは、すべて日本語で行われている。被告人は、被疑事実の点以外は、意味を理解していた様子であった。
3 以上の事実は、C巡査の第2回公判における供述に基づくものであるから、その供述の信用性を検討すると、C巡査は、パトカーで警ら中に被告人を認めた経緯、その後の職務質問の状況、被告人を任意同行した状況について、時系列に沿って明確に供述している。その内容も、被告人の指がぶるぶると震えていた状況、不法残留であることを説明しようとするとジェスチャーなどで日本語が分からない態度をとる状況など具体的かつ自然である。したがって、C巡査の供述の信用性はあるとというべきであって、これに反する被告人の供述は、曖昧で矛盾に満ちたもので信用できない。
4 前記認定事実からすれば、C巡査が被告人を現行犯逮捕した際における不法残留罪の嫌疑は、それが捜査段階であることに照らすと十分であって、問題はないというべきである。次に、被告人が令状を受けずに所持品検査をされたとの点は、C巡査は、職務質問に伴って、被告人に告げて所持していたバックの中身を確認しており、これについて被告人が何らかの異議を述べた様子は証拠上認められず、本件の所持品検査は承諾の下に行われている。また、被告人は通訳人なしで長時間の取調べを受けたとの点であるが、被告人は、第2回公判において裁判官から、弁護人の証人に対する質問を通訳人を介さず理解できたかとの問いに対し、「大体理解できました。」と答えていることなどからすれば、被告人は、一般日常会話程度の日本語は聞き取り、理解することができるものといえる。C巡査も、被告人とのやり取りの中で、被告人が簡単な日本語は理解できると判断し、身振りを交えながら被疑事実と逮捕する旨を被告人に伝えている。さらに、通訳人の手配をして現行犯逮捕から約7時間後には、通訳人を介して弁解録取の手続を行っている。以上のことからすれば、通訳人をつけずに被告人を現行犯逮捕し、当初は通訳人なしで取調べを行ったことは、違法とはいえない。最後に、被告人は勾留質問に至るまで弁護人選任権を告知されていないとの指摘であるが、逮捕当日の午前9時15分ころ作成された弁解録取書(乙4)によれば、被告人が弁護人選任権を英語の通訳人を介して告げられ、それに対し「友人と相談してから決めます。」と答えており、逮捕当日に弁護人選任権の告知はなされていたと認められ、弁護人の指摘は当たらない。このように、被告人の逮捕勾留手続は適法であり、弁護人の主張は理由がない。
第7 結論
以上縷々検討してきたように、弁護人及び被告人の無罪主張はいずれも理由がなく、被告人には、判示のとおりの不法残留罪を問うことができるというべきである。なお、弁護人は、自白調書の任意性・信用性を争うが、その主張の基になった被告人の供述は、変遷しており信用性がないが、当裁判所は、被告人の自白調書を除いても、十分前記の認定をすることができると判断した次第である。
【法令の適用】
被告人の判示所為は出入国管理及び難民認定法70条1項5号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役1年2月に処し、刑法21条を適用して未決勾留日数中180日をその刑に算入し、情状により同法25条1項を適用してこの裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
よって、主文のとおり判決する。
(私選弁護人齋藤正和(主任)・蛭田俊章・山田正記 求刑懲役1年6月)