東京地方裁判所 平成14年(行ウ)225号 判決 2003年6月18日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告が原告に対し、平成14年2月19日付けでした行政文書不開示決定処分を取り消す。
第2事案の概要
本件は、原告が、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という。)に基づいて、原告に関する全ての行政文書の開示を請求したところ、被告が、当該行政文書が存在しているか否かを答えるだけで不開示情報を開示することとなるとして、行政文書の存否を明らかにしないまま開示をしない旨の決定をしたことに対して、その取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実等(なお、証拠により認定した事実については、末尾に括弧書きで証拠を掲示した。)
(1) 原告は、平成14年2月1日、被告に対し、対象となる行政文書を「2000.11.21からこの申請の決定を出る日までの間に東京入管局第二庁舎が収集、管理する私、A(中国、1960.○.○.女)に関する全ての情報」(以下「本件文書」という。)として情報開示請求をした(甲1)。
(2) 被告は、平成14年2月19日、本件文書は情報公開法8条の規定により、開示情報に係る行政文書の存否を答えるだけで、同法5条1号の不開示情報に該当する特定の個人の氏名等の事実の有無に関する情報が開示されるのと同様の結果が生じるとして、行政文書の存否自体を明らかにすることなく、同法9条2項に基づき開示しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。
2 争点
本件の主要な争点は、情報公開請求の対象文書が、個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名等により特定の個人を識別することができるものであっても、それが開示請求者本人の自己情報に関するものである場合には、情報公開法5条1号本文前段所定の不開示情報(以下「個人識別情報」という。)に当たらず、開示請求が認められることになるか否かであり、本件争点に関する当事者の主張は次のとおりである。
(1) 被告の主張
原告が開示を求める本件文書は、特定の個人名を挙げて東京入管第二庁舎の収集・保管する行政文書であるから、個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名等により特定の個人を識別することができるものであるから、不開示情報としての個人識別情報に当たる。
(2) 原告の主張
情報公開法5条1号が個人識別情報を原則不開示とした趣旨は、当該個人のプライバシーの保護にあるから、公開を求める原告本人のプライバシーに属する事項を記載した文書は、同号にいう個人識別情報には該当しない。
(3) 被告の反論
ア 情報公開法は、国民主権の理念にのっとり、行政機関の保有する情報の一層の公開を図ることにより、政府の諸活動の国民に対する説明責務が全うされるようにすること等を目的とし(1条)、何人も、法の定めるところにより、行政文書の開示を請求することができると規定して(3条)、政府の説明責務という観点から、同一の行政情報を広く国民一般に公開することを前提としており、何人に対しても、請求の目的の如何を問わず等しく開示請求を認める制度である。そして、わが国では、プライバシーの概念が法的にも社会通念上も必ずしも確立したものではないことから、個人の権利利益の十分な保護を図るため、特定の個人を識別することができる情報を原則として不開示とする立法政策が採用され、情報公開法5条では、「個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」については、プライバシー侵害の有無を考慮することなく、原則として不開示とすることが定められた。したがって、個人識別情報該当性は、かかる条文の文言及び制度趣旨に従い、当該情報が個人に関する情報であるか否か及び個人識別性があるか否かによってのみ判断されるべきであり、当該情報が開示されることによって何人かのプライバシーが侵害されるか否かを考慮する余地はないものというべきである。そして、当該情報が個人に関する情報であるか否か及び個人識別性があるか否かは、開示請求者が誰であるかによって左右されないから、本人からの開示請求の場合には個人識別情報に該当しないとする原告の主張には理由がない。
仮に、原告の主張が、個人識別情報該当性を争うものではなく、本人からの自己情報の開示請求の場合には不開示情報に該当しないとの例外的開示事由があると解釈すべきであるというものであるとしても、情報公開法5条1号は、そのただし書きにおいて、例外的開示事由を限定列挙しており、その中に本人開示に関する事由は設けられていないのであるから、原告のかかる主張は、法律に規定のない例外的開示事由を創設するに等しいものであって、法解釈の範囲を超えるものといわざるを得ない。
イ また、情報公開法の規定の仕方をみても、同法が開示請求者が誰であるかを問わずに、客観的に不開示事由を定めていることは明らかである。
すなわち、同法5条は、1号本文前段及び2号ロを除き、不開示事由として「公にすることにより」一定の支障が生じるおそれがあることを要件としている。ここにいう「公にする」とは、秘密にせず何人にも知り得る状態に置くことを意味するものと解されるところ、同条は、「当該開示請求者に開示することにより」一定の支障が生じるおそれがあるか否かではなく、「公にすることにより」一定の支障が生じるおそれがあるか否かを判断することを当然に予定していることから、たとえ当該請求者に対して開示した場合に支障が生じなくても、何人も知り得る状態に置いた場合に支障が生じるおそれがある情報は、同法5条の不開示事由に当たるものとしている。
また、同法や同法施行令には開示請求者と開示請求文書との関係や本人確認の方法等、本人開示に関する規定が何ら設けられてはいないのであるから、そもそも本人開示が予定されたものであるとはいえず、特定の個人の情報をその者だけに開示することを予定したものではない。
ウ これらのことは、同法の立法経緯からも明らかである。
すなわち、本人開示は個人の権利利益の保護のための制度であり、その保有機関による収集制限・適正管理等、本人の訂正請求の仕組み等も視野に入れて制度を構築する必要があり、個人情報保護法制の下で自己情報開示の問題として処理するのが本筋であること、わが国で本人開示の希望が特に強い分野は医療情報と教育情報であるところ、これらについては国立・公立・私立を問わず共通してシステムを考えるべきであること、本人に対してでも、いかなる方法で、どこまで情報を開示すべきかについては専門家の間でも意見の一致をみていないこと等の状況に鑑み、情報公開法では個人情報の本人開示を認める制度を盛り込まないとの方針が採られたものである。
エ 以上のとおり、条文の構造及び文言、情報公開法の制度趣旨並びに立法趣旨のいずれの観点からしても、開示の可否は、開示請求者が誰であるかを考慮せず、情報公開法5条1号の不開示事由があるか否かによってのみ判断されるべきものである。
オ なお、いわゆる兵庫県条例最高裁判決(最判平成13年12月18日・民集55巻7号1603頁)(以下「本件最高裁判決」という。)の射程は、兵庫県の情報公開条例が本人からの自己情報の開示請求に関してどのような立法政策を採用したかの判断部分に限られるものであり、情報公開法が採用する立法政策ないしは同法の解釈には影響しないものというべきである。
また、以下の点で、本件は、本件最高裁判決とは事案を異にするものというべきである。すなわち、不開示情報を定める条文の文言自体が、兵庫県条例と情報公開法とでは異なり、同条例では「個人の思想、宗教、健康状態、病歴、住所、家族関係、資格、学歴、職歴、所属団体、所得、資産等に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、特定の個人が識別され得るもののうち、通常他人に知られたくないと認められるもの」と規定しており、かかる不開示事由該当性を判断するに当たって、当該情報を開示することによって当該個人のプライバシーが侵害されるか否かを考慮する余地のある文言となっていたものである。また、当時の兵庫県では個人情報保護条例は全く存在せず、個人情報保護制度と情報公開制度とが別個の法制度として分化していなかったという状態であったところ、国においては、昭和63年に電算機個人情報保護法が制定され、行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報については、一部の不開示情報を除き、本人からの開示請求が認められており、状況を異にしている。さらに、情報公開法制定の際には、一時的に同法を便宜利用して本人による自己情報の開示を認めることができるか否かが検討された上で、これをしないという立法政策が採られたという経緯がある。
(4) 原告の反論
ア たとえ情報公開法5条1号が個人識別情報の原則不開示を認めた制度であるとしても、その実質的な趣旨は当該個人のプライバシーの保護にあるのであるから、本人が開示請求をする場合のようにプライバシーへの配慮が必要ない場合には、個人識別情報にも当たらないものというべく、開示請求を認めるべきである。
また、立法過程で本人開示の可否が議論されたことこそ、情報公開法の下において本人開示請求が認められる余地があることを示すものであり、情報公開制度と個人情報保護制度が互いに相容れない性質のものではなく、相互に補完しあって公の情報の開示を実現するための制度であることからしても、解釈上、本人開示を認めることは可能である。
そして、本人開示が個人の権利利益の保護のための制度であり、個人情報保護法制の下での自己情報の開示の問題として処理するのが本質であると仮定しても、情報公開法が本人開示の制度を明示的に取り入れなかったのは、個人情報保護法の成立を前提としたものであるということができ、同法が未だ成立していない現状においては、情報公開法の解釈として本人開示請求を認めるべきである。
イ なお、本件最高裁判決は、前記兵庫県の条例に関して、「個人情報保護制度が採用されていない状況の下において、情報公開制度に基づいてなされた自己の個人情報の開示請求については、そのような請求を許さない趣旨の規定が置かれている場合等は格別、当該個人の上記権利利益を害さないことが請求自体において明らかなときは、個人に関する情報であることを理由に請求を拒否することはできないと解するのが、条例の合理的な解釈というべきである。」旨判示しているところであるが、この趣旨は本件にも妥当するものというべきである。よって、現在、個人情報保護法が立法されておらず、かつ、情報公開法には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定が存在しない状況の下においては、本人からの自己情報の開示請求を拒否することは許されないものというべきである。
特に、現在では未だ、十分な個人情報保護法制は制定されていないから、かかる立法府の怠慢による不利益を個人に負担させるとすれば、それは甚だ不合理であるものといわざるを得ず、本人情報の開示は憲法13条の幸福追求権の発露として、いわゆるプライバシー権として認められるものであって、情報公開法が憲法21条の国民の知る権利に基づくものであり、両者は互いに補完しあって公の情報の開示を実現するための制度であることに鑑みれば、情報公開法の解釈に当たっても、憲法13条の趣旨に従ってこれをなすべき要請が認められるところである。
第3当裁判所の判断
1 本件争点(情報公開請求の対象文書が、個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名等により特定の個人を識別することができるものであっても、それが開示請求者本人の自己情報に関するものである場合には、情報公開法5条1号所定の不開示情報たる個人識別情報には当たらず、開示請求が認められることになるか否か。)について、被告は、本件では、特定の個人名を挙げた上で東京入管第二庁舎において収集・保管されている行政文書が開示の対象とされており、これは、個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名等により特定の個人を識別することができるものであるから、個人識別情報に当たる旨主張し、原告は、情報公開法5条1号が個人識別情報を原則不開示とした趣旨は当該個人のプライバシーの保護にあるから、公開を求める原告本人のプライバシーに属する事項を記載した文書は同号の個人識別情報には該当しない旨反論するので、以下、検討する。
2 原告は、情報公開制度は憲法21条に基づくものであり、個人情報保護制度は憲法13条の要請する制度であると主張する。
これらの制度は原告の指摘する憲法上の規定の趣旨と合致するものではあるが、その運用に当たっては、あらかじめ、いかなる要件の下に開示を認めるかなどにつき、国民一般の意識や実施機関の執務態勢等を慎重に考慮した上で具体的な定めをする必要があると考えられるから、国や地方公共団体がこれらの制度の必要性を一顧だにせず制度の具体化に向けた検討を全く行っていないといった特段の事情がある場合にどのように考えるかはともかくとして、そのような事情がない場合には、国民は、上記憲法上の規定から直接具体的な請求権を有するものではなく、実定法令の規定の定めるところに従って情報の開示を求め得るにすぎないと解するのが相当である。
3 このような観点から、情報公開法の規定をみると、同法5条は、不開示事由として「個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名…等により特定の個人を識別することができるもの」(1号本文前段)と定めているところ、その規定ぶりが同号本文後段の「特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの」とは異なっていることに鑑みると、同号本文前段は、プライバシーの保護が必要であるか否かを問わず、およそ特定の個人を識別することができる情報を原則として不開示情報とすることにより、個人に関する情報一般を広く保護する趣旨の規定であると考えられる。このような規定の趣旨からすると、本人が自己情報の開示を請求する場合のように、当該個人情報保護への配慮を特段要しないときには、これを開示することに支障がないのではないかとの疑問が生じないでもない。原告の主張もこのような疑問に端を発するものと考えられる。
しかし、情報公開法1条は、「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにする」ことを目的と定め、同法3条は、「何人も、この法律の定めるところにより、…行政文書の開示を請求することができる」旨規定し、同法5条は、「行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に…不開示情報…が記載されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない」旨規定している。これらの規定からすると、同法は、個人の自己情報の開示及び訂正を求める権利を保護するものではなく、政府の説明責務という観点から、国民の理解と批判の下に公正かつ民主的な行政を推進すべく、行政情報を広く国民一般に公開することを前提とした規定であり、開示請求者や開示請求目的の如何を問わず、不開示事由に該当しない限り行政文書の開示を認める構造となっていることが明らかであるものといえる。このことは、同法や同法施行令に、本人からの自己情報の開示請求を念頭に置いて本人確認の有無や自己情報該当性を審査する規定が全く置かれていないことや、情報公開法案の国会審議においても、自己情報の本人開示の問題は個人情報保護制度の中で解決されるべき問題であり、本人確認手続や開示範囲等、情報公開法の枠組みを超えた検討が不可欠であること等から、情報公開制度には盛り込まないこととされたことを前提として議論がなされている経緯があること(乙5、6)からしても、明らかであるものといえる。このような立法の趣旨からすると、本人が自己情報の開示を請求した場合においても、全く無関係の第三者が同一の情報について開示請求をした場合と同様に取り扱わざるを得ず、それが個人識別情報である以上、不開示とされることもやむを得ないこととなる。
この点について、原告は、本件最高裁判決の趣旨に照らせば、個人情報保護法が立法されておらず、かつ、情報公開法には自己の個人情報の開示を請求することを許さない趣旨の規定は存在しない状況の下においては、本人からの自己請求を拒否することは許されないものというべきである旨主張するが、本件最高裁判決は、当該事案において問題となった兵庫県の公文書の公開等に関する条例につき、その制定の際にいかなる立法政策が採られたかが明らかでないことを前提として、上記のような判示をしたものであって、個人情報保護制度とは別個のものであることを明確に意識して立法された個人情報保護法の解釈に当たっては、先例としての価値がないものといわざるを得ず、原告の主張は失当である。また、現在個人情報保護法は立法されていないものの、既に国会において審議がされ、制定に向けた努力がされている以上、前記のような特段の事情が認められないのであるから、憲法の規定から直接自己情報の開示請求権を認め得る状態でもないといわざるを得ない。
4 そして、本件において原告が開示を求める本件文書は、被告が東京入管第二庁舎において特定期間に収集・保管する原告に関する全ての情報であるから、その性質上、個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名等により特定の個人を識別することができるものに当たる。よって、自己情報の開示であるか否かを問わず、本件文書は情報公開法5条1号本文前段の不開示情報に当たり、開示は許されないものというべきである。
また、東京入管第二庁舎において執り行われている事務が、外国人の強制退去に関する事務並びに難民の認定をしない処分及び難民の認定の取消しについての異議の申出に関する事務等であることは当事者間に争いがないところ、本件文書の存否を明確にすれば、特定の個人について強制退去に関する事務並びに難民の認定をしない処分及び難民の認定の取消しについての異議の申出に関する事務等に関連する文書が存在し、それが東京入管第二庁舎において収集・保管されている事実が明らかとなり、ひいては、個人に関する情報であって、特定の個人を識別することができるものを開示することと同様の結果が生じることになることは明らかであるから、情報公開法8条所定の存否応答拒否事由があるものと認められる。
5 そうすると、情報公開法8条、5条1号本文前段、9条2項に基づき本件文書を不開示とした本件処分は、その余の点について判断するまでもなく適法というべきである。
第4結論
よって、原告の本訴請求には理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤山雅行 裁判官 鶴岡稔彦 裁判官 菊池章)