東京地方裁判所 平成14年(行ウ)262号 判決 2004年1月30日
原告
X
被告
立川税務署長
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告が原告に対して平成12年3月14日付けでした原告の平成8年分の所得税の更正処分のうち、課税総所得金額1463万2363円、納付すべき税額145万8500円を超える部分を取り消す。
二 被告が原告に対して平成12年3月14日付けでした原告の平成9年分の所得税の更正処分(ただし、平成12年8月9日付け異議決定により一部取り消された後のもの)のうち、課税総所得金額851万1075円、納付すべき税額736万5800円を超える部分を取り消す。
三 被告が原告に対して平成12年3月14日付けでした原告の平成10年分の所得税の更正処分(ただし、平成12年8月9日付け異議決定により一部取り消された後のもの)のうち、課税総所得金額541万9085円、納付すべき税額2031万5600円を超える部分を取り消す。
四 被告が原告に対して平成14年9月30日付けでした原告の平成11年分の所得税の更正処分のうち、課税総所得金額3792万0843円、納付すべき税額949万9000円を超える部分を取り消す。
第二事案の概要
一 事案の骨子
本件は、原告が、被告がした原告の平成8年分から平成11年分までの所得税の各更正は、所得区分の判断を誤った違法なものである旨主張して、各更正のうち、原告が従前勤務していた日本法人マイクロソフト株式会社の親会社アメリカ合衆国法人であるマイクロソフトコーポレーションから付与されたストック・オプションを行使したことにより取得した利益(権利行使時における株式の価格と払い込んだ権利行使価格との差額。以下「権利行使益」という。)が一時所得に該当するとして計算した課税総所得金額及び納付すべき税額を超える部分の取消しを求める事案である。被告は、権利行使益が主位的には給与所得に、予備的には雑所得に該当する旨主張しているのに対し、原告は、権利行使益は一時所得に該当する旨主張している。
二 法令の定め等
1 所得税法における所得区分及び所得税額の計算について
所得税法21条1項1号は、居住者に課される所得税額の計算について、「その所得を利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得又は雑所得に区分し、これらの所得ごとに所得の金額を計算する。」と規定している。
給与所得及び雑所得については、それぞれ同法28条及び同法35条の規定により計算した所得金額が所得税の課税標準とされる総所得金額に算入される(同法22条1項、2項1号)のに対して、一時所得については、同法34条の規定により計算した所得金額の2分の1に相当する金額が総所得金額に算入される(同法22条1項、2項2号)という大きな違いがある。
2 給与所得について
所得税法28条1項は、「給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下この条において「給与等」という。)に係る所得をいう。」と規定している。これ以外に、給与所得の意義を定める法令の規定は存在しない。
3 一時所得について
所得税法34条1項は、「一時所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないものをいう。」と規定している。
4 雑所得について
所得税法35条1項は、「雑所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得をいう。」と規定している。
三 前提となる事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠により容易に認定することができる事実である。
1 当事者等
原告は、平成3年6月1日、日本の法人であるマイクロソフト株式会社(以下「日本マイクロソフト」という。)に入社し、平成11年5月1日ころ、日本マイクロソフトの組織変更等により設立されたアメリカ合衆国の法人であるマイクロソフト・アジア・リミテッドに移籍し、同年8月17日まで同社に勤務していた者である。
日本マイクロソフトは、アメリカ合衆国の法人であるマイクロソフトコーポレーション(以下「米国マイクロソフト」という。)のいわゆる子会社であり、米国マイクロソフトが日本マイクロソフトの株式の100パーセントを保有している。原告が米国マイクロソフトに勤務したことはない。また、マイクロソフト・アジア・リミテッドも、米国マイクロソフトの子会社である。
2 米国マイクロソフトによるストック・オプションの付与
(一) 米国マイクロソフトは、米国マイクロソフトの役員及び使用人(以下「従業員等」という。)並びに米国マイクロソフトの子会社の従業員等を対象者としてストック・オプションを付与する制度を有している。その概要は、以下のとおりである。
(1) 本ストック・オプションプランの目的は、従業員等の経済的利益と株式を長期に保有することによる価値を結びつけることにより、実質的に責任ある職に最もふさわしい人材を誘引しかつ維持すること、当該人材に対して、付加的なインセンティブを提供すること及び会社の事業の成功を促進することである(マイクロソフト・コーポレーション1991年ストック・オプションプラン1条。以下、このストック・オプションプランを「本件プラン」という。)。なお、インセンティブとは、励みや動機となるもの、報奨金等を意味する。
(2) ストック・オプションは、米国マイクロソフトの取締役会ないしは取締役会が本件プランを管理するものとして任命した委員会が、その裁量によって、米国マイクロソフト又はその子会社の従業員等に対して、当該ストック・オプションの行使条件、株式数等を定めた上で付与することを決定する(本件プラン4条(b))。
(3) ストック・オプションは、米国マイクロソフト又はその子会社が雇用する従業員等に対してのみ付与される(本件プラン5条(a))。
(4) 本件プランに基づいて付与されるストック・オプションは、その付与の時に取締役会が決定し、本件プランの条件の下で許容される時期及び条件により行使することができる(本件プラン9条(a))。
(5) ストック・オプションの被付与者は、その従業員等としての継続的な地位が終了した場合には、当該終了の日において行使可能なストック・オプションに限り、これを行使することができる。ただし、当該行使は、当該終了の日から3か月以内にされなければならず、同期間内に行使されない場合には、当該ストック・オプションは失効する(本件プラン9条(b))。
(6) ストック・オプションを保有していた者が死亡した場合において、その者の遺言、遺贈又は相続によって当該ストック・オプションを行使する権利を取得した者は、前記死亡の日から6か月以内に当該ストック・オプションを行使することができる(本件プラン9条(d))。
(7) ストック・オプションは、遺言による場合あるいは相続又は遺産分配に関する法令による場合を除き、譲渡、担保権設定その他いかなる方法による処分もすることはできず、ストック・オプションの被付与者が生存中は、当該被付与者のみが行使することができる(本件プラン10条)。
(二) 原告は、平成7年7月31日、米国マイクロソフトから、本件プランに基づいてストック・オプションを付与された(以下、この付与されたストック・オプションを「本件ストック・オプション」といい、原告と米国マイクロソフトとの間の本件ストック・オプションに係る付与契約を「本件付与契約」という。)。本件ストック・オプションは、米国マイクロソフトの普通株式1200株を、1株当たり90.50ドルで購入することができるというものである。また、本件ストック・オプションについては、本件付与契約が対象とする株式の8分の1について、平成8年7月31日に行使が可能となり、その後、6か月ごとに対象株式の8分の1ずつについて行使可能となること、また、その付与日から7年で失効することなどが、本件付与契約において定められている。
3 本件ストック・オプションの権利行使と課税処分の経緯等
(一)(1) 原告は、平成8年、平成9年及び平成10年の各年中に本件ストック・オプションをそれぞれ行使し、平成8年中に2565万7822円、平成9年中に4081万6488円、平成10年中に1億0615万7795円の権利行使益を得た。
(2) 原告は、平成8年中の本件ストック・オプションの権利行使益が一時所得に該当するとして、平成9年3月17日、別紙1(課税処分等の経緯(平成8年分))の「確定申告」欄記載のとおり、平成8年分の所得税の確定申告をした。原告は、同年7月8日、同確定申告における損益通算に誤りがあることが分かったことから、別紙1の「修正申告」欄記載のとおり、修正申告をした。
(3) 原告は、平成9年中に本件ストック・オプションを行使して取得した米国マイクロソフトの株式を権利行使の時点における時価と同額にて譲渡したことから、これによる利益(権利行使益と同額である。)について、株式等に係る譲渡所得に該当するとして、平成10年3月11日、別紙2(課税処分等の経緯(平成9年分))の「確定申告」欄記載のとおり、平成9年分の所得税の確定申告をした。
(4) 原告は、平成10年中に本件ストック・オプションを行使して取得した米国マイクロソフトの株式を権利行使の時点における時価と同額にて譲渡したことから、これによる利益(権利行使益と同額である。)について、株式等に係る譲渡所得に該当するとして、平成11年3月15日、別紙3(課税処分等の経緯(平成10年分))の「確定申告」欄記載のとおり、平成10年分の所得税の確定申告をした。
(5) これに対し、被告は、本件ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は給与所得に該当するとして、平成12年3月14日付けで、平成8年分、平成9年分及び平成10年分の各所得税について、別紙1ないし3の各「更正処分」欄記載のとおりの各更正処分を行った。
(6) 原告は、平成12年5月15日、被告が原告の平成8年分ないし平成10年分の所得税について行った前記各更正処分を不服として異議申立てをした。これに対し、被告は、同年8月9日付けで、平成8年分の所得税の更正処分に係る異議申立てについては棄却する旨の、平成9年分及び平成10年分の所得税の各更正処分に係る異議申立てについては、別紙2及び3の各「異議決定」欄記載のとおり、一部取り消す旨の決定をした。
原告は、上記決定を不服として、国税不服審判所長に対し、同年9月8日、審査請求をした。国税不服審判所長は、平成14年3月13日、同請求を棄却する旨の裁決をした。
(7) 原告は、平成14年6月10日、上記平成12年3月14日付けの各更正処分の取消しを求める訴えを提起した(当庁平成14年(行ウ)第262号所得税更正処分取消請求事件)。
(二)(1) 原告は、平成11年中に本件ストック・オプションを行使して、5589万4352円の権利行使益を得た。同権利行使益のうち3445万4042円については、原告が日本マイクロソフトに勤務していた当時である平成11年3月16日に本件ストック・オプションを行使したことにより取得したものであるが、残りの2144万0310円については、原告が日本マイクロソフト及びマイクロソフト・アジア・リミテッドを退職した後である同年11月3日に本件ストック・オプションを行使したことにより取得したものである。
(2) 原告は、平成11年中の本件ストック・オプションの権利行使益が一時所得に該当するとして、平成12年3月15日、別紙4(課税処分等の経緯(平成11年分))の「確定申告」欄記載のとおり、平成11年分の所得税の確定申告をした(以下、原告が平成8年ないし平成11年中に本件ストック・オプションを行使したことによる権利行使益を合わせて「本件各権利行使益」という。)。
(3) これに対し、被告は、本件ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は給与所得に該当するとして、平成14年9月30日付けで、平成11年分の所得税について、別紙4の「更正処分」欄記載のとおりの更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分を行った(以下、被告が原告の平成8年分ないし平成11年分の所得税について行った各更正処分を合わせて「本件各更正処分」という。)。
(4) 原告は、これに対し、平成14年5月15日、異議申立てをした。被告は、平成15年2月25日付けで同申立てを棄却する旨の決定をした。
原告は、上記決定を不服として、国税不服審判所長に対し、同年3月20日、審査請求をした。国税不服審判所長は、同年10月9日、同請求を棄却する旨の裁決をした。
(5) 原告は、平成15年10月7日、前記平成14年9月30日付け更正処分の取消しを求める訴えを提起した(当庁平成15年(行ウ)第564号所得税更正処分取消請求事件)。
四 被告が主張する原告の所得税額
被告が本訴において主張する原告の納付すべき税額の算出過程、算出根拠等は以下のとおりである。原告は、このうち、本件各権利行使益が給与所得に該当することを前提とする部分について争うものであり、その余の算出根拠となる数額、計算関係については争っていない。
1 平成8年分について
(一) 総所得金額 2057万8552円
次の(1)及び(2)の各金額の合計額である。
(1) 給与所得の金額 3263万2989円
次のアないしウの金額の合計額から所得税法28条3項に規定する給与所得控除額を同条2項に基づいて控除した金額である。
ア 日本マイクロソフトからの給与収入金額
1045万9167円
イ 本件ストック・オプションの権利行使に係る米国マイクロソフトからの給与収入金額 2565万7822円
ウ 文化庁からの給与収入金額 2万3000円
(2) 分離短期譲渡所得の金額 ▲1205万4437円
(▲は、赤字の金額を表す。以下同じ。)
(二) 所得控除の額の合計額 201万9927円
(三) 課税総所得金額 1855万8000円
前記(一)の総所得金額から上記(二)の所得控除の額を控除した金額(ただし、国税通則法118条1項の規定により1000円未満の端数を切り捨てた後のもの。以下同じ。)である。
(四) 納付すべき税額 355万1200円
次の(1)の金額から(2)及び(3)の金額を差し引いた金額(ただし、国税通則法119条1項の規定により100円未満の端数を切り捨てた後のもの。以下同じ。)である。
(1) 課税総所得金額に対する税額 439万3200円
上記(三)の課税総所得金額1855万8000円に所得税法89条1項の税率を適用して算出した金額である。
(2) 特別減税額 5万円
平成8年分所得税の特別減税のための臨時措置法4条の規定に基づいて計算した金額である。
(3) 源泉徴収税額 79万1920円
2 平成9年分について
(一) 総所得金額 4728万6738円
次の(1)及び(2)の金額の合計額から所得税法28条3項に規定する給与所得控除額を同条2項に基づいて控除した金額である。
(1) 日本マイクロソフトからの給与収入金額
1074万8500円
(2) 本件ストック・オプションの権利行使に係る米国マイクロソフトからの給与収入金額 4081万6488円
(二) 所得控除の額の合計額 209万5515円
(三) 課税総所得金額 4519万1000円
上記(一)の総所得金額から上記(二)の所得控除の額を控除した金額である。
(四) 納付すべき税額 1568万8500円
次の(1)の金額から(2)の金額を差し引いた金額である。
(1) 課税総所得金額に対する税額 1656万5500円
上記(三)の課税総所得金額4519万1000円に所得税法89条1項の税率を乗じて算出した金額である。
(2) 源泉徴収税額 87万7000円
3 平成10年分について
(一) 総所得金額 1億0626万8991円
次の(1)及び(2)の各金額の合計額である。
(1) 給与所得の金額 1億0959万0216円
次のア及びイの合計額から所得税法28条3項に規定する給与所得控除額を同条2項に基づいて控除した金額である。
ア 日本マイクロソフトからの給与収入金額
1098万9801円
イ ストック・オプションの権利行使に係る米国マイクロソフトからの給与収入金額 1億0615万7795円
(2) 不動産所得の金額 ▲1205万4437円
(二) 所得控除の額の合計額 210万3417円
(三) 課税総所得金額 1億0416万5000円
前記(一)の総所得金額から上記(二)の所得控除の額を控除した後の金額である。
(四) 納付すべき税額 4513万1300円
次の(1)の金額から(2)及び(3)の金額を差し引いた金額である。
(1) 課税総所得金額に対する税額 4605万2500円
上記(三)の課税総所得金額1億0416万5000円に所得税法89条1項の税率を乗じて算出した金額である。
(2) 特別減税額 7万6000円
平成10年分所得税の特別減税のための臨時措置法4条の規定に基づいて計算した金額である。
(3) 源泉徴収税額 84万5200円
4 平成11年分について
(一) 総所得金額 6331万0187円
次の(1)及び(2)の各金額の合計額である。
(1) 不動産所得の金額 72万5660円
(2) 給与所得の金額 6258万4527円
次のアないしウの金額の合計額から所得税法28条3項に規定する給与所得控除額を同条2項に基づいて控除した金額である。
ア マイクロソフト・アジア・リミテッドからの給与収入金額694万2619円
イ Y株式会社からの給与収入金額
483万0953円
ウ 本件ストック・オプションの権利行使に係る米国マイクロソフトからの給与収入金額 5589万4352円
(二) 所得控除の額の合計額 228万5572円
(三) 課税総所得金額 6102万4000円
上記(一)の総所得金額から上記(二)の所得控除の額を控除した金額である。
(四) 納付すべき税額 1889万2900円
次の(1)の金額から(2)及び(3)の金額を差し引いた金額である。
(1) 課税総所得金額に対する税額 2008万8880円
上記(三)の課税総所得金額6102万4000円に所得税法89条1項の税率(経済社会の変化等に対応して早急に講ずべき所得税及び法人税の負担軽減措置に関する法律(平成11年法律第8号。以下「負担軽減措置法」という。)4条の特例を適用したもの)を乗じて算出した金額である。
(2) 定率減税額 25万円
負担軽減措置法6条2項かっこ書に規定されている金額である。
(3) 源泉徴収税額 94万5942円
五 争点及び争点に関する当事者の主張の要旨
本件の争点は、①本件ストック・オプションを行使したことによる本件各権利行使益が、給与所得、一時所得又は雑所得のいずれに該当するか、及び②本件各更正処分が、信義則又は租税法律主義に違反する違法な処分であるか、の2点である。
1 争点①(本件各権利行使益の所得分類)について
〔被告の主張〕
(一) 主位的主張(給与所得)
本件ストック・オプションを行使したことによる本件各権利行使益は、以下のとおり、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価であって、給与所得に該当する。そうすると、原告の平成8年分から平成11年分までの所得税の総所得金額及び納付すべき税額は、前記四のとおりとなり、別紙1ないし4記載の本件各更正処分の総所得金額及び納付すべき税額よりも少額ないし同額であるから、本件各更正処分は、適法である。
(1) 給与所得の意義
給与所得とは、一般に、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価をいうものと解すべきである。そして、給与所得の本質が、非独立的労働又は従属的労働の対価という点にあることなどからすると、この場合の対価は、役務提供の原因となる雇用契約等における反対給付に限定されるものではなく、従業員等の地位に基づいて給付される限り、労務の対価としての性質を有し、給与所得に該当するというべきである(最高裁判所昭和56年4月24日第二小法廷判決・民集35巻3号672頁(以下「昭和56年最高裁判決」という。)、最高裁判所昭和37年8月10日第二小法廷判決・民集16巻8号1749頁(以下「昭和37年最高裁判決」という。)参照)。
(2) ストック・オプション制度について
ア ストック・オプション制度は、会社が自社又は子会社の従業員等に対し、自社又は子会社における勤務等を条件として、自社株式を一定の期間内にあらかじめ定められた権利行使価格で購入することができる権利を付与する契約を基礎としている制度である。同制度は、いわゆる長期インセンティブ報酬制度の一種であって、会社の成長・発展及び利益の維持と有能な従業員等を確保して勤務を継続させることを目的としており、従業員等にストック・オプションを付与することにより、従業員等の精勤意欲の向上が期待され、会社も優秀な人材を誘引、確保するとともに会社の業績を向上させることを期待することができると考えられている(以下、ストック・オプションを付与した会社を「付与会社」、ストック・オプションの付与を受けた従業員等を「被付与者」ということがある。)。
イ このような長期インセンティブ報酬の目的を達成するために、ストック・オプション制度は、被付与者の勤務会社における勤務と不可分に結びつけられた仕組みを持っている。
すなわち、ストック・オプションを付与する対象が従業員等のみとされ、ストック・オプションを行使する条件として、一定期間の勤務、権利行使期間、権利行使価格等が定められ、また、ストック・オプションの譲渡が禁止され、退職等により雇用契約等が消滅した場合等には、ストック・オプションが消滅したり、行使期間が制限されるなどとされているのである。
(3) 会社が自社の従業員等に対して自社の株式のストック・オプションを付与する場合(以下、このような形式のストック・オプションを「自社株方式ストック・オプション」という。)について
本件は、親会社が子会社の従業員等に対して親会社の株式のストック・オプションを付与する場合(以下、このような形式のストック・オプションを「親会社株方式ストック・オプション」という。)であるところ、論点の把握を容易にするため、まず、自社株方式ストック・オプションについて論ずる。
ア 自社株方式ストック・オプションの付与契約は、雇用契約等に従属する従たる契約(予約)とでもいうべきものであって、権利行使益を精勤に対する報酬として従業員等に取得させることを目的として締結される売買(株式譲渡)の一方の予約又はこれに類似する契約であり、従業員等の地位にある被付与者のみが予約完結権を行使するものとして譲渡が禁止され、かつ、会社における一定期間の勤務等の停止条件が付されたものということができる。
したがって、自社株方式ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は、従業員等の地位に基づいて付与されたものであって、当該会社において勤務していたからこそストック・オプションを付与され、かつ、現実に勤務を継続したからこそ権利行使益を取得することができたのであるから、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価としての性質を有し、給与所得に該当することは明らかである。
イ 自社株方式ストック・オプションを行使したことによる権利行使益に対する課税関係については、平成10年の税制改正において、租税特別措置法29条の2が改正され、一定の要件を満たすストック・オプション(以下「税制適格オプション」という。)については、その権利行使価格が1000万円を超えない限度において権利行使時には課税しないこととし(同法29条の2第1項)、これにより取得した当該株式を譲渡した時点において譲渡所得として課税されることとされた(同第5項)。
そして、同規定が、同法第2章「所得税法の特例」中の第3節「給与所得及び退職所得」の中に置かれていることなどに照らすと、同法は、少なくとも自社株方式ストック・オプションを行使したことによる権利行使益については、これが給与所得であることを前提とした上で、税制適格オプションについてのみ、課税の繰延べを認める趣旨で上記特例を設けているものであることは明らかである。
また、所得税法施行令84条は、同条1号ないし3号所定の商法上のストック・オプションの収入金額(所得税法36条2項)については、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益とする旨規定して、権利行使益に課税する旨明示しており、同条について、所得税基本通達23~35共-6は、ストック・オプションを与えられた従業員等がこれを行使した場合に権利行使益を給与所得とする旨定めている。
このような租税特別措置法29条の2及び所得税法施行令84条の趣旨に照らすと、商法上のストック・オプションでなくとも、これと同様の性質を有するストック・オプションについては、租税特別措置法29条の2のような特例規定の適用がない場合には、原則どおり、所得税法36条の解釈として、その権利行使時にその権利行使益に対して給与所得として課税されると解するのが相当である。
ウ ストック・オプションによる権利行使益の発生の有無及びその多寡が、株価の変動や従業員等による行使時期の判断といった要素に左右される面があることは否定することができない。
しかしながら、所得税法は、所得の性質や発生の態様の違いなどによる質的担税力に着目して所得を分類しており、ストック・オプションによる権利行使益の有無及びその多寡は、量的担税力には影響するとしても、このような質的担税力とは無関係である。
また、ストック・オプション制度は、株価が変動するからこそインセンティブ報酬として成立するのであるし、また、いつの時点でストック・オプションを行使するかの判断が従業員等にゆだねられていることによって、従業員等は勤務を続けながら株価の変動状況等をみて、株価上昇のために一層の精勤を行うことを動機付けられるのである。
したがって、従業員等が享受する権利行使益の有無及びその多寡が、株価の変動や行使時期の判断によって左右されるとしても、このような事情は、ストック・オプション制度自体に内在するものということができるのであるから、ストック・オプションが給与所得に該当するという結論に何ら影響を及ぼすものではない。
(4) 親会社株方式ストック・オプションについて
ア 自社株方式ストック・オプションについて、前記(3)において論じたことは、親会社株方式ストック・オプションについても同様に妥当する。
すなわち、親会社は、子会社の株式を保有しているため、従業員等の精勤により当該子会社の業績が向上すればより多くの配当を受けられるばかりではなく、業績の向上により子会社の株式の時価が上昇すれば、親会社の実質的な資産が増加し、親会社の株式の時価も上昇するという関係にあることに着目して、子会社の従業員等の精勤に対する報酬として権利行使益を取得させることを目的に、親会社株方式ストック・オプションを子会社の従業員等に付与していると解されるのであり、このことは何ら不自然・不合理ではない。
また、商法上のストック・オプション以外のストック・オプションについて、その権利行使益が給与所得に該当することは前記(3)イのとおりであるところ、商法上のストック・オプションについては、平成13年11月の改正によりストック・オプションの付与対象者の制限が廃止されたことに伴い、直接・間接にその株式の50パーセントを超える株式を保有する子会社の従業員等に対する親会社株方式ストック・オプションも、租税特別措置法29条の2の対象となっている。
イ 親会社株方式ストック・オプションは、自社株方式ストック・オプションの場合と異なり、雇用契約等の当事者とこれを前提とするストック・オプション付与契約の当事者とが一致していない。
しかしながら、「使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価」であれば、指揮命令に服すべき使用者以外の者から給付されるものであっても、給与所得に該当するというべきである。そして、前記アにおいてみたような、親会社株方式ストック・オプションにおけるストック・オプション付与契約の趣旨、目的からすると、子会社の従業員等が取得する権利行使益が、使用者である子会社の指揮命令に服しての労務の提供に起因して親会社から得られるものであることは明らかであり、給与所得に該当する。
そもそも所得税法28条1項は、給与所得を雇用契約等の当事者である使用者からの給付に限定すると規定しておらず、使用者以外の者からの給付を給与所得から排斥していない。また、昭和37年最高裁判決及び昭和56年最高裁判決には、「使用者から受ける給付」であることを給与所得の要件としているようにもみえる判示部分があるが、いずれの判決の事案も、本件のように雇用契約等の当事者と給与支給者が一致しない例外的な場合を前提とした判断ではなく、雇用契約等の当事者以外の第三者からの給付を給与所得から一切排除する趣旨のものとは解されない。
また、親会社株方式ストック・オプションの場合は、一般的に、子会社が付与対象者を付与会社たる親会社に推薦し、グループ全体の利益向上や親会社の株価向上に最も効率的になるように被付与者を選択するものであり、同時に、グループ内の各会社の利益を財務諸表に正確に表示すべく、ストック・オプションを付与した親会社は、その権利行使に係る出捐を被付与者の勤務する会社から回収して負担させているのであって、本件においても、米国マイクロソフトが供与した本件各権利行使益の一部を日本マイクロソフトが実質的に負担している可能性も否定することができない。
(5) 本件ストック・オプションについて
原告の勤務する日本マイクロソフトは、米国マイクロソフトの子会社であり、米国マイクロソフトがその株式の100パーセントを所有しているところ、その株式の保有関係からみても前記(4)アにおいてみたとおり、子会社の従業員である原告の勤労の成果によって、日本マイクロソフトだけではなく、親会社である米国マイクロソフトも利益を得るという関係にある。そして、本件プランは、マイクロソフトグループにおいて、実質的に責任ある職に最もふさわしい人材を誘引し、かつ、維持することや、当該人材に付加的なインセンティブを提供し、会社の事業の成功を促進させることを目的としており、その目的達成のために、前記(2)イにおいてみたような条件が設定され、勤務会社における勤務と不可分に結びつけられているのであって、原告が日本マイクロソフトに勤務し、同社に対する役務を提供することを基礎として、米国マイクロソフトが当該役務提供の対価として、権利行使益を与えることをその趣旨・目的とするものであると解される。
そして、原告は、米国マイクロソフトの子会社である日本マイクロソフトに勤務しており、マイクロソフトグループの従業員等であったために、本件ストック・オプションを付与され、その後も日本マイクロソフトでの勤務を続けたからこそ本件ストック・オプションを行使することができ、その結果、本件各権利行使益を得たのである。
したがって、本件ストック・オプションによる本件各権利行使益が「使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価」に当たり、給与所得に該当することは明らかである。
(6) 課税の対象及び課税の時期について
ア ストック・オプションの場合、その付与と権利行使との間には時間的な間隔が存在し、ストック・オプションに係る所得の発生をどの時点でとらえるかが問題となる。
ストック・オプションに係る課税の対象となるのは、権利行使益そのものであり、その課税の時期は、本件ストック・オプションの権利行使時である。すなわち、ストック・オプションの法的性質は、雇用契約等を不可欠の前提とした、株式の売買の一方の予約における予約完結権であるところ、ストック・オプションを付与された者が得る経済的利得は、正にこの予約完結権を行使して初めて株式譲渡の効力が生じて株式引渡請求権を取得したことにより発生・実現する権利行使益にほかならず、これが課税の対象となる「所得」を構成するのである。また、所得税法36条はいわゆる権利確定主義を採用したものと解されるところ、権利確定主義とは、現実の収入がなくとも「収入すべき権利の確定した金額」があればこれに課税するというものであって、外部の世界との間で取引が行われ、その対価を収受すべき権利が確定した時点をもって所得の実現の時期と見る考え方である。そうすると、ストック・オプションによって得られる経済的利得は、ストック・オプションの行使によって発生、実現するとともに、その享受する経済的利益の金額が確定するのであるから、その権利の行使時が、課税の時期になるというべきである。
イ これに対し、ストック・オプションそのものは、課税の対象とはならず、ストック・オプションの付与時ないし権利行使可能時においては、課税関係は生じないと解すべきである。すなわち、ストック・オプションは、予約完結権であり、一種の形成権であるところ、その権利行使によって株式引渡請求権を取得することがあり得るとしても、形成権であるストック・オプション自体は、所得税法36条1項にいう収入すべき権利には該当しない。また、ストック・オプションの権利行使が可能になった時点においても、その時点において権利行使をしなければ、外部の世界との間の取引は全く行われないのであるから、その時点における株式の時価と権利行使価格の差額相当の経済的利得は、未だ実現していないといわざるを得ない。
このような理解は、企業会計において、ストック・オプションの付与時に対価が発生しないストック・オプションについては、その付与時ないし権利行使可能時において会計処理が行われず、権利行使時のみに会計処理が行われていること(平成14年3月29日付け「新株予約権及び新株予約権付社債の会計処理に関する実務上の取扱い」)からも裏付けられる。
(7) 経済協力開発機構(OECD)租税委員会の第一作業部会における検討内容
経済協力開発機構(OECD)租税委員会の第一作業部会は、OECDモデル租税条約に基づく関連条項の適用について検討し、適宜、可能な解釈と解決策を提示しているところ、「従業員ストック・オプション制度から生じるクロスボーダーの所得税問題」と題する討議資料を公表している。この討議資料は、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益を給与所得とする解釈を採用している。この解釈は、あくまで条約適用上の問題に関するもので、国内法による給与所得としての課税を権利行使時に義務付けるものではないものの、国際的に見て、ストック・オプションについてのあるべき解釈の方針を示すものということができる。
(二) 予備的主張(雑所得)
(1) 被告は、前記(一)のとおり、本件各権利行使益は給与所得に該当すると主張するものであるが、仮にそうでないとしても、本件各権利行使益は、「利子所得」、「配当所得」、「不動産所得」、「事業所得」、「退職所得」、「山林所得」、及び「譲渡所得」のいずれにも該当しないことが明らかであり、かつ、次項に述べるとおり、「一時所得」にも該当しないので、所得税法35条1項により、雑所得に当たることとなる。
この場合には、前記四において給与所得に該当するとした本件各権利行使益の金額である平成8年分の2565万7822円、平成9年分の4081万6488円、平成10年分の1億0615万7795円及び平成11年分の5589万4352円が、それぞれ各年分の雑所得の金額となる。したがって、各年分の総所得金額及び納付すべき税額は、本件各更正処分の納付すべき税額を上回るから、本件各更正処分は適法ということになる。
(2) 本件各権利行使益が一時所得に該当しないことについて
ア 原告は、本件各権利行使益は、その発生の有無及び多寡が株価の変動、行使時期の判断により決定されるから、一時的、偶発的なものであるとして、本件各権利行使益は一時所得に該当する旨主張する。
しかしながら、権利行使益の取得自体は、行使時期の判断がゆだねられている従業員等による選択の結果であって、従業員等は、確実に意図した利益を得ることができる状況の下で権利行使しているのであるから、権利行使益を偶然に取得したものということはできない。
また、所得は何らかの経済取引から生じるものであるから、その発生過程の中に偶発的な要素や当該所得を得た者の判断が含まれることは少なくないが、これらは所得の有無や多寡を決定する要素の一つにすぎず、当該要素が含まれることをもって一律に所得区分を判断することはできない。
イ 一時所得は、一時的・恩恵的・偶発的な所得であって担税力が低いとされていることから、所得税法34条の規定により計算した所得金額の2分の1の金額が総所得金額に算入されて、課税がされているものである。また、役務提供の対価たる所得については、たとえ一時的なものであっても、偶発的に生じたものではなく、類型的に2分の1の課税を認めるほど担税力が低いものではないことから、一時所得から除外されている。
本件ストック・オプションの権利行使益は、納税者が労務を提供したことに由来する所得であって、一時的・偶発的・恩恵的なものではないから、一時所得と同一に取り扱い、2分の1課税の対象とすることは、所得税法の趣旨に反する。
ウ 一時所得に該当するためには、「利子所得…(中略)…譲渡所得以外の所得」であって、「労務その他の役務…(中略)…の対価としての性質を有しないもの」でなければならない(所得税法34条1項)。
仮に、給与所得該当性の判断において労務の対価性が認められないとしても、直ちに一時所得の消極的要件としての対価性がないことになるわけではない。雑所得該当性の判断の観点から、「労務その他の役務…(中略)…の対価」の有無を積極的に判断しなければならない。そして、雑所得か否かの所得区分の基準となる「対価性」は、双務契約における一方の履行に対する他方の給付という意味での「対価」としての性質にとどまらず、「労務その他の役務」が契約上の義務として行われた場合だけでなく、当該労務その他の役務を提供したことを評価し、これに対して金銭その他の経済的利益が給付された場合をも含むというべきである。
本件ストック・オプションによる権利行使益が、子会社の従業員等としての地位及びその勤務に密接に関係する所得であって、一時所得の消極的要件である「労務その他の役務…(中略)…の対価としての性質」を有するものに当たることは明らかであるから、これが一時所得に該当するという余地はないというべきである。
エ 一時所得は「資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」(所得税法34条1項)であるところ、仮に、原告が、ストック・オプションという資産を取得したものとして、ストック・オプションの付与時に課税し得ると考えるのが正しいとすると、本件各権利行使益は当該資産である本件ストック・オプションを行使した結果取得するものであり、資産の対価としての性質を有することとなり、この点からしても、本件各権利行使益は、一時所得に該当しないというべきである。
〔原告の主張〕
(一)(1) 所得税法28条1項は、給与所得を「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(…(中略)…)に係る所得」と定義しているところ、ここにいう給与所得とは、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいうとされ、このような給与所得に当たるかどうかを判断するに当たっては、給与支給者との関係において何らかの空間的、時間的な拘束を受け、継続的ないし断続的に労務又は役務の提供があり、その対価として支給されるものであるかどうかが重要な要素になる(昭和56年最高裁判決)。
しかしながら、以下の(2)ないし(5)に見るとおり、原告と本件ストック・オプションの付与者である米国マイクロソフトとの間には、何ら雇用関係ないし指揮命令関係は存在しないし、また、原告が米国マイクロソフトから何らかの空間的、時間的な拘束を受け、米国マイクロソフトに対して継続的ないし断続的に労務又は役務の提供をするという関係にもない。したがって、本件各権利行使益と原告の労務との間に対価性はない。
(2) 原告は、米国マイクロソフトとの間で雇用契約を締結したことは一度もない。原告が米国マイクロソフトの指揮命令のもと職務を遂行したことはない。原告の日本マイクロソフトに対する勤務は、業務の内容からしても、米国マイクロソフトに対する勤務と同視することはできない。
(3) 米国マイクロソフトが原告に対して付与した本件各権利行使益について、原告の日本マイクロソフトにおける勤務に対して日本マイクロソフトが支払うべき報酬の一部を、米国マイクロソフトが実質的に支払ったものと評価することができる事実は存在しない。
(4) 本件ストック・オプションは、原告が日本マイクロソフトにおいて勤務を開始した時点では付与されておらず、雇用の際の条件として提示されていたものでもない。原告は、その後、平成7年になって、米国マイクロソフトから一方的に本件ストック・オプションを付与された。
(5) 労務の対価性という観点からすると、給与所得は、労務の提供先である使用者から支給される給付であることを当然の前提としているものと解され、昭和56年最高裁判決も同様の立場である。しかしながら、原告の労務の提供先である日本マイクロソフトは、本件各権利行使益について何らの出捐行為をしておらず、これを給付した者ということはできないから、本件各権利行使益が給与所得に該当しないことは明らかである。
(二)(1) 本件ストック・オプションによる権利行使益の発生の有無及びその多寡は、偶発的な要素に左右されるものであり、権利行使をする原告の投資的判断により決定されるものであるから、以下の(2)ないし(5)に見るとおり、本件ストック・オプションの権利行使益と原告の日本マイクロソフトにおける労務との間に対価性はない。
(2) 原告が日本マイクロソフトに提供した労務と米国マイクロソフトの業績との間には連動性があるわけではなく、その関係は著しく間接的かつ希薄化されたものである。また、米国マイクロソフトの株価は、米国マイクロソフトの業績のみならず、アメリカ合衆国ないし世界の経済状況その他複雑な要素から形成されるものであり、本件各権利行使益の発生の有無及びその多寡は、このような米国マイクロソフトの株価の変動により大きく左右されるものであって、偶発的な利得というべきである。したがって、本件各権利行使益と原告の日本マイクロソフトにおける労務との間には、対価性はない。
(3) ストック・オプションを行使するか否か及びその行使時期は、ストック・オプションを付与された者自らの投資的判断にゆだねられている。したがって、同一会社において同一時期にストック・オプションを付与された者の間でも、権利行使の時期が異なることによって、その権利行使益も異なることとなる。このように従業員の労務の内容とは何ら相関性のない権利行使の時期の判断の相違によって権利行使益の額が異なることからしても、ストック・オプションの権利行使益と従業員等の労務との間に対価性がないことは明らかである。また、ストック・オプションを行使することができる従業員が勤務を継続していても、株価が下落していれば、当該従業員は権利行使益を確保することができないのであって、このことからも、勤務とストック・オプションの権利行使益との間に対価性がないことは明らかである。
(4) 被告は、本件ストック・オプションが、米国マイクロソフトの子会社である日本マイクロソフトの従業員等に対して付与されていることに着目し、本件ストック・オプションの付与による「質の高い子会社従業員の雇用」→「子会社の業績向上」→「親会社の利益」→「親会社の高い株価」という極端に単純化された観念論を展開して、子会社である日本マイクロソフトに対する労務の提供と親会社である米国マイクロソフトからのストック・オプションの権利行使益の対価性を正当付けようとしている。
しかしながら、ストック・オプションを付与された従業員等の個々の労務がどのように子会社の業績と関連するのか不明であるし、従業員等の子会社における個々の労務の提供が親会社の業績と直ちに直結するものでもない。前記のとおり、親会社の株価は、多様な諸要因によって決せられるものであって、ストック・オプションを付与された個々の従業員の子会社に対する労務の提供と親会社の株価との間に濃密な関係を認めることはできない。
被告は、ストック・オプションの権利行使益と従業員の子会社に対する労務の提供の対価性を結びつけようとして、ストック・オプションの付与と親会社の利益の向上との関係を、観念論的に過大視しているものであり、不当な解釈というべきである。
(5) 被告は、本件ストック・オプションが、付与会社の子会社の従業員に対して付与されること、子会社を退職すると権利が消滅すること等を理由として、原告の子会社に対する労務の提供と親会社からの権利行使益との関連性、対価性を主張する。
しかしながら、これらの事情は、ストック・オプションが、これを付与することによって、子会社に勤続するインセンティブを与え、もって優秀な人材を確保する趣旨で付与されたものであることを説明するものにすぎず、これを超えて、これらの事情を殊更に労務の提供と権利行使益との対価性に結びつけるのは、牽強付会な主張といわざるを得ない。
(三)(1) 本件各権利行使益は、以下の(2)ないし(4)に見るとおり、一時所得に該当するので、雑所得には当たらない。
(2) 所得税法34条1項は、一時所得について、利子・配当・不動産・事業・給与・退職・山林・譲渡所得以外の所得のうち、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」と規定しており、一時所得の特色は、一時的・偶発的利得であることとされている。
本件各権利行使益が、給与所得に該当せず、また、所得税法34条1項が他に列挙する利子所得等の所得にも該当しないこと、そして、本件各権利行使益が、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の所得であり、かつ、労務その他の役務の対価としての性質を有しないものであることは、前記(一)及び(二)に論じたところから明らかである。したがって、本件各権利行使益は、同項の定める一時所得の定義と合致する。
(3) また、本件各権利行使益は、前記(二)に述べたとおり、偶発的な要素に左右されるものであって原告の労務との間に対価性はない。したがって、本件各権利行使益は、実質的にみても、一時的・偶発的な利得であることが明らかであるから、一時所得に当たるというべきである。
(4) 所得税法35条1項は、「雑所得とは、…(中略)…一時所得のいずれにも該当しない所得をいう。」と定めているところ、本件各権利行使益が一時所得に該当することは前記(2)及び(3)のとおりであるから、本件各権利行使益が雑所得に該当しないことは明らかである。
2 争点②(信義則・租税法律主義違反)について
〔原告の主張〕
(一)(1) 課税庁は、長年にわたり、ストック・オプションの権利行使益は一時所得として課税すべきものであるとの見解を表明してこれに沿った指導を行ってきた。例えば、平成6年に財団法人大蔵財務協会から発行された国税局職員の著作にかかる「回答事例による所得税質疑応答集」(東京国税局課税第一部長矢野和之監修、同局所得税課長浪川武編)は、ストック・オプションの権利行使益が一時所得として課税される旨解説している。
原告は、このような公式見解を信頼し、また、原告が本件各権利行使益に係る所得税の確定申告をする際に、被告が平成8年度分については一時所得、平成9年度分については譲渡所得に当たるとの指導を行ったために、これに従って所得税の各申告を行ったものである。
(2) ところが、課税庁は、特段の法改正を行うこともなしに、平成10年度分から、ストック・オプションの権利行使益に関する課税の方針を大きく変更し、給与所得としての課税を行うこととした。被告は、将来の申告のみならず、過去の所得税の申告に対しても、前記の方針変更に基づく更正処分を行うこととし、原告は、平成12年になって、平成8年分の所得税にまで遡った本件各更正処分を受けた。
(3) 課税庁の公式見解及び被告の指導を信頼して、本件各権利行使益が一時所得に当たるものとして申告を行った原告には、何ら責めに帰すべき事由はない。それにもかかわらず、原告は、上記の方針変更によって、納税額の増額という経済的不利益を受けた。したがって、本件各更正処分は、信義則に反し、違法であるから、取り消されるべきである。
(二) 前記のとおり、本件各更正処分は、課税庁が権利行使益は一時所得に当たるとの従来の方針を変更したものであること、直接の雇用関係にない親会社から受ける権利行使益を給与所得と解することは、昭和56年最高裁判決からは導き出せない独自の見解であることからすれば、ストック・オプションに係る権利行使益が給与所得に該当するという被告の見解に法的効果が認められるためには、新たな立法を要するというべきである。したがって、本件各更正処分は、租税法律主義に反し、違法であるから、取り消されるべきである。
〔被告の主張〕
(一)(1) 租税法の分野においては、租税法律主義の下に公平な課税を実現しなければならないから、信義則の法理の適用に際しては、少なくとも、①税務官庁が納税者に対し、信頼の対象となる公的見解を表示したこと、②納税者がその表示を信頼し、その信頼に基づいて行動したこと、③後に上記表示に反する課税処分が行われたこと、④そのために納税者が経済的不利益を受けたこと、⑤納税者が税務官庁の上記表示を信頼し、その信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないことを不可欠のものとして検討した上で、租税法規の適用における納税者間の平等、公平という要請を犠牲にしてもなお当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情を備えているか否かにつき検討する必要がある。
そして、上記②の事由については、納税者が単なる誤った申告を行ったことはこれに当たらず、信頼に基づいて申告以外の何らかの行動をしたことが必要であるというべきである。上記④の事由についても、単に当該課税処分によって税額が増加したことでは足りず、申告以外の何らかの具体的な行動をとったことにより具体的に経済的不利益を受けたことが必要であるというべきである。
(2) しかしながら、原告は、本件各権利行使益に係る所得を申告するに際して、課税庁の従来の取扱い等に従って本件ストック・オプションの権利行使益を一時所得等として申告したというにとどまるのであるから、前記②及び④の事由が存しないことは明らかである。
したがって、本件各更正処分に係る課税を免れしめて原告の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情を備えていると認めることは到底できないから、原告の前記主張に理由がないことは明らかである。
(二) 租税法律主義とは、「租税の賦課・徴収は必ず法律に基づいて行わなければならない」とする原則であるから、ある課税処分が租税法律主義に違反する違法な処分であるというためには、当該処分が法律の根拠もなく行われたものであるか、あるいは、法律の定めるところによらずに行われたものであることを要するというべきである。
しかしながら、本件各更正処分は、前記のとおり、いずれも所得税法等の規定に従って行われたものであることが明らかである。この点に関する原告の主張は、結局、給与所得について規定した所得税法28条1項の解釈、適用を争うものであって、租税法律主義に反するか否かの問題とは次元が異なるものであり、失当である。
第三当裁判所の判断
一 争点①(本件各権利行使益の所得分類)について
1 本件においては、本件各権利行使益が、給与所得、一時所得又は雑所得のいずれに該当するかが問題となっているところ、所得税法34条1項は、一時所得について、「利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないものをいう。」と規定し、また、同法35条1項は、雑所得について、「利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得をいう。」と規定しているので、一時所得又は雑所得に該当するというためには、給与所得に該当しないことを要することとなる。
したがって、本件各権利行使益の所得分類を判断するに当たっては、まず、本件各権利行使益が給与所得に該当するか否かが検討されるべきである。
2(一) そこで検討するに、所得税法28条1項は、給与所得について「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下この条において「給与等」という。)に係る所得をいう。」と規定しており、これが給与所得の定義である。そして、「俸給」、「給料」、「賃金」、「賞与」といった言葉の通常の意味、同項が「これらの性質を有する給与」を付け加えており、支給の際の名称にこだわって所得分類をしているわけではないこと、さらに、他の所得分類との相違点等を勘案すると、基本的な考え方としては、昭和56年最高裁判決の判示するとおり、給与所得とは、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいい、給与所得に該当するか否かを検討するに当たっては、給与支給者との関係において何らかの空間的、時間的な拘束を受け、継続的ないし断続的に労務又は役務の提供があり、その対価として支給されるものであるかどうかが重視されなければならないものと解される。
(二) 本件各権利行使益が給与所得に該当するか否かについても、上記観点からこれを検討すべきであるところ、前記前提となる事実を総合すると、米国マイクロソフトのストック・オプションは、米国マイクロソフト及びその子会社の責任ある職の従業員等を選定して、その職に最もふさわしい人材を誘引して、その就労を維持させるとともに、職務への精励に報い、一層の職務精励への動機付けを与え、米国マイクロソフト及びその子会社からなるいわゆるマイクロソフトグループの業績を向上させるために、米国マイクロソフト及びその子会社の役員及び従業員に対してのみ付与されるものであり、これを付与された従業員等は、本件プランの条件に従ってのみ権利行使をして、株式の市場価格と所定の権利行使価格との差額の利益を取得することができ、従業員等としての地位を失った場合には、当該地位の終了の日において行使可能であったストック・オプションに限り、これを3か月以内に行使することができるというものであると認めることができる。
そうすると、本件ストック・オプションは、日本マイクロソフトの従業員等として優れた労務を提供しているからこそ、その地位、とりわけ重要な地位に基づき、報奨を与えて、一層の職務への精励と勤務の継続を求めるために付与されたものということができる。
したがって、本件ストック・オプションの付与は、後述するようにそれ自体を所得と見ることは困難であるものの、我が国の雇用関係上支給されることの多い「賞与」の性質を有するものであり、ただ、通常の現金や債権等の交付とは異なり、その行使によって実際に利益を取得することができるか否か、また、その利益の多寡が、当該従業員等の職務への精励と勤務の継続によって影響を受け得るように特別に工夫された、労務の対価の給付の新たな一方式であると考えるのが自然である。そうだとすれば、本件ストック・オプションの行使によって発生した本件各権利行使益も、同じ性質のものと考えるのが最も自然ということができよう。
また、給与所得の他の所得分類との相違という観点から考えてみても、本件ストック・オプションの権利行使益は、自己の計算と危険において独立して営まれる事業から生ずるものではないので、事業所得と見る余地がないのはもちろん、従業員等としての地位から離れてたまたま付与されたものから生じたものではなく、上記のように労務の対価として付与された本件ストック・オプションから生じたものであることからすると、これを「営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」という一時所得に該当すると見ることも、容易ではないというべきである。
しかしながら、本件各権利行使益については、ストック・オプションそれ自体でも、また、勤務している会社から直接受け取ったものでもなく、日本マイクロソフトの従業員であった原告が、日本マイクロソフトの親会社である米国マイクロソフトから本件ストック・オプションを付与され、これを行使したことにより、権利行使時における米国マイクロソフト株式の市場価格と払い込んだ権利行使価格との差額に当たる経済的利益を取得したものであるという特殊性があり、前述した給与所得についての基本的な考え方に一見そぐわない面もある。
したがって、本件各権利行使益が給与所得に該当すると断定するためには、上記で論じたところに加え、さらに、①ストック・オプションによる権利行使益が発生するか否か、また、権利行使益が発生するとして、どのような金額になるのかが、使用者の決定ないし判断ではなく、株式相場の動向やいつの時点においてストック・オプションを行使するのかについての従業員等の判断によって定まるのではないかということが問題となるところ、それでも権利行使益は使用者から受ける給付といえるのか、また、これによる労務の対価性への影響についてどのように考えるのか(以下、これらの問題点を「本件問題点①」という。)、及び②本件各権利行使益は、原告との間の雇用契約の当事者である日本マイクロソフトからではなく、米国マイクロソフトから付与されたものではないかということが問題となるところ、この使用者と直接給付した者とのかい離、ないしはこれによる労務の対価性への影響についてどのように考えるのか(以下、これらの問題点を「本件問題点②」という。)、という二組の問題点に注目しながら、前述した給与所得と解するための基本的な考え方に照らして、更に吟味する必要がある。
なお、上記二組の問題点は、二つの観点を示しているものに近く、検討自体は内容的に関連する部分があるが、本件各権利行使益が給与所得に該当するか否かを判断するに当たっては、便宜上、まず、本件問題点①の観点から検討し、次いで本件問題点②の観点に立って検討を加えることとする。
3 本件問題点①について
(一) ストック・オプション制度とは、典型的には、株式会社が自社又は子会社の従業員等に対し、自社又は子会社における勤務等を条件として、自社株式を一定の期間内にあらかじめ定められた権利行使価格で購入することができる権利(売買予約の予約完結権に当たる。)を付与するものである。したがって、ストック・オプションを付与されただけでは、権利行使益が生ずるのか否か、あるいは生ずるとしてもその金額が幾らとなるかは、全く確定しておらず、ストック・オプションを行使することによって権利行使益を発生させるためには、当該権利行使の時点における株式の市場価格が、ストック・オプション付与契約において定められた権利行使価格を上回ることを要し、ストック・オプションの行使時点における株式の市場価格と権利行使価格との差額がその権利行使益の額となるのである。
そして、株式の市場価格は、当該会社の業績、一般的な経済状況、株式市場の状況その他様々な要因によって定まるものであることは公知の事実であるから、株価の変動の形成要因を一義的に認定することは困難であるということができる。
また、ストック・オプションを付与された従業員等は、ストック・オプションの行使を義務付けられているわけではなく、一定の条件の下で、自由にストック・オプションを行使する時期を選択することができ、あるいは行使しないままとすることもできるのであり、このことは本件ストック・オプションにおいても同様である。
このように、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の発生の有無及びその多寡については、株価の変動及び従業員等による権利行使の時期についての判断により左右されることが明らかであり、このようなストック・オプションの特殊な性質は、自社株方式ストック・オプションの場合でも、親会社株方式ストック・オプションの場合でも、いずれにおいても同様であるということができる。
(二) 問題点①ⅰ(付与会社から受ける給付か)について
(1) 以上のようなストック・オプションの特殊性に照らすと、そもそもストック・オプションを行使したことによる権利行使益については、付与会社から受ける給付といえるのかという点がまず問題となり得る(これを「問題点①ⅰ」という。)。すなわち、権利行使益は従業員等がストック・オプションを行使することによって初めて発生するものであること、権利行使益の具体的な額は、従業員等がその判断によりストック・オプションを行使した時点における株価に応じて定まること、その株価は、多様な要因によって定まるものであり、付与会社が決定することができるものではないことからすると、現実に権利行使益が発生するか、また、価額が幾らであるかは、付与会社が決定したものではないとする考え方もあり得るであろう。そうすると、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益については、従業員等が付与会社から受ける給付ではないという見解も、生じ得るところと考えられる。
(2) しかしながら、付与会社は、従業員等がストック・オプションを行使した場合には、自社株式をあらかじめ定められた権利行使価格で当該従業員等に対して引き渡す義務を負うのであり、その結果として、当該従業員等は、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益を取得することとなるのである。
また、これを別な観点から見ると、従業員等がストック・オプションを行使したことにより権利行使益を取得した場合には、付与会社にとって、本来自ら保持し、処分することができたはずの当該権利行使益に相当する株式の含み益を従業員等に対して移転させていることを意味するのである。そして、従業員等が行使したストック・オプションは、従業員等と付与会社との間において締結されたストック・オプション付与契約に基づいて付与会社から従業員等に対して与えられたものにほかならないところ、付与会社は、従業員等がストック・オプションを行使することによって、上記のとおり、従業員等に対して権利行使益に相当する株式の含み益を移転させることになる場合があることを、ストック・オプション付与契約の当然の内容として了解していたということができる。そして、ストック・オプション付与契約によって、その権利行使の条件、期間、権利行使価格等も具体的に定められていたのである。従業員等がストック・オプションを行使して、現実に権利行使益を取得するということは、このように既にストック・オプション付与契約の内容として定められていたことが現実化したにすぎないということができる。
また、ストック・オプション制度では、当該株式の市場価格が権利行使価格より下回ったときは、単に権利行使をしなければよいし、現に、だれも権利行使をしないであろうから、一般の株式投資のように、投資者の判断次第で、損失が生ずるということはなく、常に経済的利益が生ずるか、又は経済的利益が生じないこととなるかのいずれかにすぎないのである。
(3) このように見てくると、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の発生の有無及びその多寡が、株価の変動や従業員等による権利行使の時期についての判断に左右されることはそのとおりであるとしても、現実に従業員等が権利行使益を取得した場合には、当該権利行使益は、付与会社が、その定めた一定の条件の下に、当該権利行使益に相当する株式の含み益を従業員等に移転させることを予定していたところ、その予定が現実化したものであり、このような含み益の移転によって付与したものであるというべきである。
(4) 以上によれば、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は、従業員等が付与会社から受ける給付であるというべきであり、本件各権利行使益についていえば、米国マイクロソフト、ないしは、後述するように、米国マイクロソフトを親会社とする、日本マイクロソフトを含むマイクロソフトグループ(以下、これらを合わせて「米国マイクロソフト等」ということがある。)から受ける給付ということができる。
(三) 問題点①ⅱ(権利行使益の不確定性と労務の対価性)について
(1) 前記(二)のとおり、本件各権利行使益は米国マイクロソフト等から原告が受け取った給付ということができるから、本件問題点①における残された問題は、ストック・オプションによる権利行使益の発生及びその多寡が株価の変動及び従業員等による権利行使の時期についての判断に左右されるものであることを考慮に入れた上で、なお本件各権利行使益が、たまたま生じたものなどではなく、「使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価」として受け取ったものであるということができるのかという点になる(これを「問題点①ⅱ」という。)。
(2) そこで検討するに、本件各権利行使益は、本件ストック・オプションを行使したことにより原告が取得したものであるところ、本件ストック・オプションは、原告と米国マイクロソフトとの間の本件付与契約に基づいて、米国マイクロソフト等から原告に対して付与されたものである。そして、本件ストック・オプションの内容、行使方法等は、すべて本件付与契約において定められていることからすると、本件ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は、直接的には、本件付与契約に基づいて発生したものであるということができる。
そうだとすれば、米国マイクロソフトから原告に対して付与された本件各権利行使益が、「使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価」に該当するか否かを判断するに当たっては、本件付与契約の趣旨、目的、内容等を検討することが極めて重要であるというべきである。
(3)ア そこで、本件付与契約の趣旨、目的、内容等を見るに、ストック・オプション制度とは、会社が自社又は子会社の従業員等に対し、自社又は子会社における勤務等を条件として、自社株式を一定の期間内にあらかじめ定められた権利行使価格で購入することができる権利を付与する制度であるところ、乙第1号証、第2号証の1、第3、第5及び第25号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、一般的に、ストック・オプションを従業員等に対して付与するのは、要職に就いている従業員等の貢献に報い、当該従業員等の一層の職務への精励と就労の継続の確保を期待するからであり、このようなストック・オプション制度の趣旨は、自社株方式ストック・オプションと親会社株方式ストック・オプションとにおいて特に異なるものではないことが認められる。
本件ストック・オプションについてみても、乙第12号証によれば、本件プランは、自社株方式ストック・オプションと親会社株方式ストック・オプションとを区別することなく、その目的を「従業員等の経済的利益と株式を長期に保有することによる価値を結びつけることにより、実質的に責任ある職に最もふさわしい人材を誘引しかつ維持すること、当該人材に対して、付加的なインセンティブを提供すること及び会社の事業の成功を促進すること」であると規定しており、ストック・オプションを従業員に対して付与する趣旨が、一般的なストック・オプションと変わるものではないことは、明らかである。
また、一般に、ストック・オプション制度においては、ストック・オプションの付与の対象者が従業員等に限定されており、ストック・オプションは、従業員等の地位があるからこそ付与されるものであること、ストック・オプションをだれに付与するのかの選定は、会社にとっての当該従業員等の就労の確保と精勤の必要性の重要度により左右されるものであること、ストック・オプションを行使する条件として、一定期間の勤務が必要であること、また、ストック・オプションの譲渡が禁止され、退職等により雇用契約が消滅した場合等には、ストック・オプションが消滅したり、その行使期間が制限されることがその内容として定められていることが多いところ、本件付与契約も同様であることは、既に判示したところから明らかである。
イ このような本件付与契約ひいてはストック・オプション制度一般の趣旨、目的、内容等に照らして、以下、従業員等がストック・オプションを行使したことによる権利行使益の性質について検討することとする。
(ア) ストック・オプション制度は、従業員等が、株価が権利行使価格を上回っている状況において、ストック・オプションを行使することにより、権利行使益を取得することができるということをその内容としている。そして、前記のとおり、ストック・オプションを従業員等に対して付与するのは、要職にある従業員等に報いることにより、一層職務に精励し、就労を継続するであろうことを期待するからであるところ、ストック・オプションがいわゆるインセンティブ報酬の一種であるとされるゆえんは、従業員等が勤務会社において就労を継続することがストック・オプションの権利行使の条件になるとともに、一層の職務への精励が、勤務会社の業績の向上につながり、ひいては親会社である付与会社の株価の上昇に貢献し、その株価の上昇がストック・オプションを行使することによる権利行使益の額の増加につながり得るからこそ、当該従業員等も、職務に励むことを動機付けられるという関係にあるからである。
もっとも、株式の市場価格は、当該会社の業績のみならず、一般的な経済状況、株式相場の動向その他多様な要因によって定まるものであることからすると、従業員等の勤務会社における精勤の継続が、実際に付与会社の株価の上昇にどの程度貢献するのかという点は、検証不可能な問題である。また、大規模な会社の場合、ストック・オプションの付与を受けた一人一人の従業員等の貢献は微々たるものではないかという問題もある。
しかしながら、株価の変動が多種多様な形成要因によって定まるものであるとしても、当該会社の業績が、当該会社の株価を形成する重大な要素の一つであることは明らかである。そして、会社の業績というものは、従業員等が当該会社に提供する労務が集合した成果として存在しているということができることにかんがみれば、従業員等の勤務会社における精勤の継続が、付与会社の株価の上昇に貢献し得るという関係にあることもまた明らかというべきである。
さらに、より重要なことは、ストック・オプション制度を採用した会社が、どのような意図の下で、この制度を構築したのかということである。このような観点から見ると、ストック・オプション制度は、被付与者全員をまとめて見るならば、被付与者たちが職務に精励し続けることが、付与会社の利益になり、かつ、付与会社の株価の上昇にもつながるので、一層の精勤の動機付けになるという考え方に立って、制度が作られていることは明らかというべきである。個々の権利行使益について、従業員等の精勤が株価の上昇をどの程度実現させたものであるかは、ストック・オプション制度の趣旨、内容ひいては当該ストック・オプション付与契約の趣旨、内容を認定する上で重要ではなく、ストック・オプション制度において、従業員等の勤務会社における精勤の継続が、付与会社の株価の上昇に貢献し得るという関係にあることに着目して当該ストック・オプション付与契約が締結されたものであることを何ら左右するものではないというべきである。
そうすると、このように、ストック・オプション制度は、要職にある従業員等の勤務会社における職務への精励の継続が、勤務会社の業績の向上、ひいては付与会社の株価の上昇に貢献し得ることをその本質的要素ないし前提として、構築されているものということができる。
以上によれば、付与会社が従業員等に対してストック・オプションを付与するのは、要職にある従業員等に報い、一層の精勤の継続を期待するからであるところ、このようにストック・オプションを付与することによって、当該従業員等の一層の職務への精励の継続を期待することができるのは、単に何らかの経済的利益となり得るものを付与したからというだけではなく、ストック・オプションを付与された従業員等にとって、勤務会社で職務に精励することが、勤務会社の業績の向上と付与会社の株価の上昇に貢献し得、結局、権利行使益の発生及び増額につながると考えられるからにほかならない。そうすると、ストック・オプションによる権利行使益は、従業員等の勤務会社における精勤に報い、その継続を確保するためのものであるから、勤務会社におけるストック・オプションの付与前あるいは付与時における、労務の提供のみならず、付与から権利行使までの間の労務の提供とも密接な関係があることは明らかというべきである。
(イ) さらに、別な観点から見ても、前記のとおり、ストック・オプション制度においては、一般的に、ストック・オプションの付与対象者が自社又は子会社の従業員等に限定されているほか、ストック・オプションを行使する前提条件として、一定期間の勤務が要求され、また、ストック・オプションの権利行使期間、権利行使価格等が定められている上、ストック・オプションの譲渡が禁止され、退職等により雇用契約等が消滅した場合等には、ストック・オプションが消滅したり、その行使期間が制限されるものとされているところ、これらは、いずれもストック・オプションを行使する前提として勤務会社に対して労務を提供することを要求するものである。すなわち、ストック・オプションを行使して権利行使益を取得するためには、まず、勤務会社に対して労務を提供しなければならないということが、ストック・オプション制度の本質的要素なのである。
また、付与会社は、従業員等がストック・オプションを行使した場合には、権利行使益に相当する株式の含み益を当該従業員等に移転させることとなるところ、株式会社が何らの見返りもなく経済的負担を負うとは考え難いのであるから、付与会社が従業員等に権利行使益を取得させるのは、当該従業員等の勤務会社におけるストック・オプション付与前あるいは付与時の労務の提供及び付与後の精勤の継続に付与会社が着目しているからにほかならないというべきである。
(ウ) 以上によれば、このような権利行使益と従業員等の労務の提供との関係に着目するならば、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は、勤務会社における職務への精励とその継続に対して付与されるものであると認めるのが相当である。
(エ) なお、ストック・オプションを行使することによる権利行使益が従業員等の勤務会社における職務への精励とその継続に対して付与されるものであることは、自社株方式ストック・オプションと親会社株方式ストック・オプションとで、基本的に異なるところはないものというべきである。すなわち、後に4(四)(4)において、述べるとおり、原告が日本マイクロソフトに提供する精勤が、結局、米国マイクロソフトが保有する資産の価値の向上ひいては米国マイクロソフトの株価の上昇に貢献し得る関係にあるという考え方に立脚して、本件プランが作られているのである。
また、より事案に即して検討を進めてみても、乙第14、第39及び第41号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、米国マイクロソフトが日本マイクロソフトの従業員等に対してストック・オプションを付与するか否かを決定する際には、まず、日本マイクロソフトが面接などを含む人事考課を行った上で、米国マイクロソフトに対して推薦を行い、これを受けて米国マイクロソフトにおいて決定すること、上記推薦の際には、当該従業員等の過去における実績、将来に及ぶマイクロソフトグループへの長期的貢献及び当該従業員等が当該グループを退職した場合における潜在的な影響といった要因を考慮して行われることがそれぞれ認められる。これらの事実にかんがみると、米国マイクロソフトは、日本マイクロソフトの従業員等の日本マイクロソフトにおける具体的な勤務内容等に着目し、相当程度に分析評価して、ストック・オプションを付与した後における精勤、米国マイクロソフト等への貢献等の可能性を考慮した上でストック・オプションを付与しているものと推認することができる。このことからしても、原告の日本マイクロソフトにおける職務への精励とその継続に対して、本件ストック・オプション及びその権利行使益が付与されているということができる。
(4) 以上のとおり、ストック・オプション制度及び本件付与契約の趣旨、目的、内容等に照らして考えると、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益は、従業員等の勤務会社における職務への精励とその継続に対して付与されるものということができ、本件についていえば、本件各権利行使益は、原告の日本マイクロソフトにおける職務への精励とその継続に対して付与されたものであると認めることができる。
したがって、本件各権利行使益は、使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価ということができる。
(四) 原告の主張について
(1) 原告は、本件各権利行使益の発生及びその多寡については、株価の変動及び原告による権利行使の時期についての判断に左右されるものであって、労務の提供によるものではないから、原告が日本マイクロソフトに提供した労務と本件各権利行使益との間に対価性はない旨主張する。
(2) そこで検討するに、前記のとおり、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の発生の有無及びその多寡が、株価の変動及び従業員等による権利行使時期に関する判断に左右されることは、原告主張のとおりである。そして、会社の株価は、会社の業績、一般的な経済状況、株式相場の動向その他多様な要因から形成されるものであるから、従業員等が現実に権利行使益を取得した場合において、従業員等が勤務会社において職務への精励を継続したことと当該権利行使時点における株価との間に数量的な関連性を認めることは、実際上はほとんど不可能であるといわざるを得ない。
したがって、従業員等がストック・オプションを行使することにより取得した権利行使益については、当該従業員等が勤務会社に対して提供した労務の内容に応じてその多寡が定まるという相関関係は希薄であるというべきである。
(3) しかしながら、以下のとおり、労務の内容とこれに対して支給される経済的利益の多寡との関係についてみてみた場合、確かに、両者の間に何らかの相関関係があること、例えば、10の労務(便宜上、その労務の量を観念的に数値で表現することとする。)を提供した者と20の労務を提供した者とがいる場合において、前者に対して10万円の経済的利益が付与されるならば、後者に対して2倍の20万円、あるいは、少なくとも10万円を超える経済的利益が付与されることが、一般的な感覚として望ましいということはいえるであろうが、現に発生した所得が給与所得に該当するか否かという問題を検討する場合に、給与所得に該当するための要件として、提供された労務とこれに対して支給される経済的利益との間に相関関係があることが要求されるべきであるとする合理的根拠は見いだすことができず、そのような立場は、採用することができないというべきである。
我が国における現状を見ても、給与所得に該当することに問題のないことが多いであろう使用者から交付される給料、賞与等であっても、その経済的利益の多寡が、現実に提供した労務の質及び量と関係の薄い要素によって決定される場合があることは明らかである。会社の業績が極めて好調な場合には、昨年に20の労務について50万円の賞与を支給したところ、本年はその者が15の労務しか提供していないのに、100万円の賞与を支給するということもあり得よう。逆に、会社の業績が悪化したり、あるいは、経済的状況の見通しが悪い場合などには、昨年に20の労務を提供した者が、本年は30の労務を提供しているにもかかわらず、給料や賞与の額を下げられるという事態も考えられるであろう。また、そもそも賞与の支給額であっても、会社の業績に対する貢献度に応じて個々人ごとにその多寡を決定しているというような会社ばかりとは限らないことは、公知の事実である。さらに、労務に対して支給される給料の額が、年功序列、費用補償、福利厚生等、必ずしも当該労務の量とは関係しない要素に基づいて決定される場合も少なくないことも公知の事実である。
(4) また、権利行使益は、発生しないこともあり得るわけであるが、給与所得に該当するか否かという問題は、現実に一定額の収入が発生した場合において、当該収入が、給与所得に当たるか否かという問題であるから、当該収入が雇用契約に基づいて提供された労務に対して支払われたことが認められるにもかかわらず、当該収入が発生しない場合もあることや、当該収入の多寡が当該労務の内容と関係のない要素によっても左右されることを理由として、当該収入の給与所得該当性を否定することには妥当性がないというべきである。仮に、給与所得に該当するための要件として、労務の量と支給される経済的利益の額との間の相関関係が必要であるとするならば、給与所得に該当するか否かを判断するためには、支給された経済的利益の算出根拠と労務の内容との関係が常に吟味されるべきということとなるが、このような吟味方法は、前記のとおりの給与等の支給実態からみても、不自然かつ不合理であるというべきである。
(5) このようにみてくると、給与所得該当性を判断する上で、提供された労務と支給された経済的利益との間に何らかの相関関係があるか否かという観点は、あくまで当該経済的利益が当該労務の対価か否かを判断する上で考慮要素の一つになり得るにすぎないというべきである。ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の多寡と当該従業員等が勤務会社に提供した労務の質及び量との関係が希薄であることは、当該権利行使益が当該労務に対する対価であることを否定するものではないというべきであり、他の面から「労務の対価」であることを認定することができるのであれば、上記関係を吟味する必要はないというべきである。
(6) なお、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の多寡が、株価の変動及び権利行使時期についての判断に左右されることからすると、さほど勤務会社の業績に貢献していなかったにもかかわらず、景気の状況その他の要因から株価が高騰している時点でストック・オプションを行使することによって莫大な利益を得る者がいたり、他方において、会社の業績に対して極めて大きな貢献をしたにもかかわらず、不況その他の理由から株価は全く上昇せず、権利行使益を取得することができなかった者もあり得るということができる。このような事例を想定するならば、権利行使益と現実に提供した労務との間の関係は余りにも希薄ではないかと論難することもできよう。
しかしながら、既に説示したとおり、ストック・オプション制度は、従業員等の勤務会社における職務への精励とその継続が、勤務会社の業績の向上ひいては付与会社の株価の上昇に貢献し得ることをその本質的要素としており、ストック・オプションを行使することによって生ずる権利行使益は、付与会社が当該従業員等の勤務会社における精勤等が付与会社の業績の向上、ひいては株価の上昇に貢献し得ることに着目した上で、当該精勤等に対して付与されるものである。そうすると、このようなものであると考えられているストック・オプションが付与されている以上、結果的に、権利行使益が生じなかったり、あるいは権利行使益の額が予想以上に増加したとしても、権利行使益が、勤務会社における職務への精励とその継続に対して付与されたものであることを否定する要素とはなり得ないというべきである。
(7) さらに、昨今の株価の変動の激しさに照らすと、本件権利行使益の取得については、むしろ当該従業員等の株価の変動に対する投資的な判断によるところが大きいのではないか、また、このことが権利行使益の給与所得該当性の判断に影響するのではないかということも一応問題となり得る。
しかしながら、そもそもストック・オプション制度においては、当該株式の価格が権利行使価格より下回ったときは、単に権利行使をしなければよいし、現に、だれも権利行使をしないであろうから、一般の株式投資のように、投資者の判断次第で、損失が生ずるということはないのである。しかも、権利行使益については、当該従業員等があらかじめ投資しておくことは不要であり、常に、経済的利益を得るか、又は経済的利益を得ることができなかったかのどちらかにすぎないのであって、従業員等が自己の計算においてリスクを負担した上で投資したことにより後に取得するものではないのである。そうすると、ストック・オプションの権利行使時期の判断には、従業員等による投資的判断としての側面もあるということはできるとしても、株式投資などのいわゆる投資行為とは全く異質のものであることは明らかというべきである。
また、確かにストック・オプションの権利行使の時期についての判断は、従業員等に任されているという面があることは否定できないものの、従業員等によるストック・オプションの行使については、あくまで、従業員等と付与会社との間で締結されたストック・オプション付与契約の内容に従って行われるべきものであって、従業員等の権利行使時期についての判断に一定の自由があるのも、このようなストック・オプション付与契約の内容として定められているものにすぎない。そして、ストック・オプション制度が、インセンティブ報酬制度の一つであることにかんがみれば、ストック・オプション付与契約は、契約という形態はとってはいるものの、ストック・オプションの付与対象者、ストック・オプションの数量、権利行使可能時期等は付与会社が一方的に定めていること、従業員等は付与会社の定めた契約内容を承諾しているものにすぎないことは容易に推認することができる。そうだとすると、従業員等の権利行使の時期についての判断に一定の自由があるということは、あくまで付与会社から従業員等に対して、ストック・オプション付与契約を通じて、いわば許容されたものにすぎず、従業員等は、このように付与会社が定めたストック・オプション付与契約の内容、すなわち、権利行使可能期間、権利行使可能株式の数量等を遵守した上で、その枠の中において権利行使ができるにすぎないというべきである。
また、ストック・オプション制度においては、ストック・オプションを行使するためには、必ず一定期間の勤務が条件となっており、権利行使益が、権利行使時までに勤務会社に対して提供された精勤等に着目して、これに対し付与されるものと評価し得ることは、前記のとおりである。
以上の検討によれば、権利行使益の発生の有無及び多寡が従業員等の投資的な判断によるところが一定程度あるとしても、このことはいわゆる株式投資とは全く異質のものであって、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益が給与所得に該当することを否定する事情には当たらないというべきである。
(8) なお、ストック・オプションの付与から従業員等によるストック・オプションの行使に至るまでの一連の流れについて見た場合、従業員等が会社から受け取ったのは、ストック・オプションそれ自体であって、これが所得であり、権利行使益は、既に受領したストック・オプションを、従業員等の側において運用して得たものにすぎないのではないかという見方も、所得税の課税という観点を離れて考えれば、あり得ないわけではない。
しかしながら、何らかの経済的利得が所得税法28条1項にいう給与所得に当たるというためには、前提として当該経済的利得が所得税法にいう「所得」すなわち担税力を増加させる経済的利得に該当することが必要である。ところが、前記前提となる事実のとおり、ストック・オプション制度におけるストック・オプションそれ自体には、譲渡禁止特約がついているので、その交換価値は存在しない。したがって、ストック・オプションに基づいて従業員等が現実的収入を得るためには、ストック・オプションを行使する方法しかあり得ないのであるが、一般に、ストック・オプションの場合、権利行使価格は、通常はストック・オプション付与時の株式価格と同一か、それ以上であって、これを付与された時点において権利行使をしても、経済的利益は生じない仕組みとなっており、かつ、一定の時期に一定の条件でなければこれを行使することができないこととされている。そして、そのような条件等に従って従業員等が権利行使をしたことにより取得した権利行使益は、付与を受けた時点におけるストック・オプションそれ自体の価値とは全く異質のものであることは明らかである。
そうだとすると、このようなストック・オプションそれ自体が、担税力を増加させる経済的利得たる「所得」に該当するとは、到底解し難いというべきである。
なお、ストック・オプションに譲渡禁止特約等の条件が付いていることを前提条件とした上で、ストック・オプションそれ自体の理論的な価格を算出することは、一定の仮定の下では不可能ではないものと思われる。しかしながら、ストック・オプションそれ自体の理論的価値を算出することができるということと、ストック・オプションそれ自体が担税力ある経済的利得に該当するということとは全く別次元の問題というべきである。
さらにいえば、前記のとおり、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益とストック・オプションそれ自体の価値は別個のものであることにかんがみれば、そもそも、ストック・オプションとその権利行使益とは、ストック・オプションそれ自体が所得税法28条1項にいう給与所得に該当するとすれば、権利行使益は給与所得に該当しないことになるという論理的な関係にはないというべきである。したがって、仮にストック・オプションそれ自体が給与所得に該当するとしても、そのことのみによって、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益の給与所得該当性を否定することはできず、二つの該当性の問題は、理論的には無関係なものであるということができる。
また、以上によれば、権利行使益は、ストック・オプションの付与時に発生していた内部的利益の実現であるとみることはできないし、ストック・オプション付与契約に基づいて発生するものであるから、権利行使時における会社と従業員等との間の株式の売買契約によって発生した利益であると評価することも相当ではないというべきである。
(9) 以上によれば、本件各権利行使益の発生及びその多寡が株価の変動及び原告による権利行使の時期についての判断に左右されるものであるということは、前記のとおり、原告が日本マイクロソフトに提供した労務の対価として本件各権利行使益を受け取ったという結論を左右するものではないというべきである。したがって、原告の前記(1)の主張は、採用することができない。
4 本件問題点②について
(一) 前記のとおり、給与所得とは、基本的には、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいうものと解されるところ、この点について、被告は、本件各権利行使益は、原告が日本マイクロソフトの指揮命令に服して労務を提供したことに対する対価として、米国マイクロソフトから付与された給付である旨主張する。
これに対し、原告は、本件問題点②について、給与所得は、労務の提供先である使用者(以下、この意味における使用者を「指揮命令者」という。)と当該経済的利益を支給する者(以下「支給者」という。)とが一致していることを当然の前提としているのであり、原告は日本マイクロソフトに雇用されていた者であって、原告と米国マイクロソフトとの間には何らの雇用関係も指揮命令関係もないのであるから、本件ストック・オプションを付与した支給者である米国マイクロソフトを原告の指揮命令者とみることはできず、指揮命令者である日本マイクロソフトを支給者とみることもできないので、本件各権利行使益は給与所得に該当しない旨主張する。
(二) そこで検討するに、原告が日本マイクロソフトに勤務していた者であることは前記前提となる事実のとおりであって、原告が日本マイクロソフトの指揮命令に服して日本マイクロソフトに対して労務を提供していたことは、弁論の全趣旨上容易に認めることができる。
そして、前記前提となる事実によれば、本件各権利行使益は、本件ストック・オプションを行使したことにより生じたものであって、本件ストック・オプションは原告と米国マイクロソフトとの間において締結された本件付与契約に基づいて原告に与えられたものであるから、本件付与契約に着目して考えるならば、本件各権利行使益を付与した者は、日本マイクロソフトではなく、米国マイクロソフトであると解することができる。
そうすると、本件問題点②は、さらに、給与所得該当性を判断する上で、一般に、指揮命令者と支給者とが相違することそれ自体から直ちに給与所得該当性を否定することができるのか(これを「問題点②ⅰ」という。)、また、一般論はさておくとして、本件事案において、原告との間の雇用契約の当事者である日本マイクロソフトからではなく、米国マイクロソフトから本件各権利行使益を受け取っているとしても、労務の提供との対価性を肯定することができるのか(これを「問題点②ⅱ」という。)という二つの問題に帰着するということができる。
(三) 問題点②ⅰ(指揮命令者と支給者とのかい離)について
(1) まず、給与所得に該当するか否かを判断するに当たり、一般的に、指揮命令者と支給者が相違することから直ちに給与所得該当性が否定されることとなるのか、すなわち、指揮命令者と支給者が一致することが給与所得であるための絶対の前提条件であるのかという観点からこれを検討することとする。
(2) まず、法律の規定を見てみるに、所得税法28条1項は、「給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与…(中略)…に係る所得をいう。」と定めるのみであって、同規定の文言上、給与所得該当性の前提条件として、指揮命令者と支給者とが一致することが要求されているものと解することはできない。その他、給与所得について、指揮命令者と支給者が一致することを前提条件として定めているものと解される規定は見当たらない。
(3) また、所得税法は、所得を利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得又は雑所得に区分しているところ(同法21条1項1号)、同法が上記のとおり所得を区分しているのは、各種所得をその源泉ないし性質に応じて分類し、その金額の計算において、それぞれの担税力の相違を加味しようという考慮に基づくものと解することができる。従業員等が「雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価」として経済的利益を受け取っている場合には、当該経済的利益を直接付与した者が指揮命令者であるのか又はそれ以外の者であるのかという点のみによって、担税力やその所得の性質に相違が生じるものとも解されないことからすると、当該経済的利益を付与した者がだれであるのかによって、給与所得に分類されたり、それ以外の所得に分類されたりし、その結果、税額の計算方法が大きく異なることとなることに妥当性があるものとは、到底解することができない。
したがって、実質的に考えてみても、指揮命令者と支給者との一致を給与所得該当性判断の一般的な基準とする合理的理由はないものといわざるを得ない。
(4) もっとも、従業員等が雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して労務を提供した場合において、従業員等に対して指揮命令を行っておらず、当該労務の提供を受けていない第三者が当該労務に対する対価として経済的利益を付与することは、通常は考え難いということはできる。
しかしながら、雇用ないし労働の仕組みや経済的取引の仕組みは、極めて多様であって、かつ、時代とともに変化していくものである。例えば、A社が雇用する従業員Bに対する報酬の支払のためA社の取引先Cに対する債権を譲渡し、これをBが取り立てて自己のものとするという仕組みを採れば、Bの取得した金員の支給者は外形上は指揮命令をしているA社ではなく、その取引先であるCということになる。Cが、A社と何らかの取引関係等にあるため、A社とCの事情により、Bに対する報酬の支給を肩代わりする場合も同じである。また、そのような極端な場合ではなくとも、100パーセントの株式を有する親会社が子会社と企業グループを形成して営業しているような場合には、法人格としては複数の法人があり、法人格否認の法理が適用されず、各別の雇用契約が成立しているときにも、親会社が子会社の従業員の福利厚生についても面倒をみたり、何らかの給付をすることも、その当否は別として考え得るところであろう。さらに、派遣労働の場合を想定すれば、実際に労務の提供を受け、現実に指揮監督をしている者は支給者である派遣元会社ではなく、勤務している派遣先会社であるという見方もあり得るであろう。
要するに、指揮命令者と支給者とが一致しないことは、通常は、給与所得該当性を否定させる方向の事情となるであろうが、それのみで結論が決まるわけではなく、あくまで、所得分類が問題となっている所得が労務の対価として給与所得に当たるか否かを判断する上で検討されるべき事情の一つにすぎないというべきである。
(5) このように見てくると、外形上、指揮命令者以外の者が付与した経済的利益であっても、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として受け取ったものであると認めることができる場合であれば、指揮命令者と支給者とが一致しないことのみを理由として直ちに当該経済的利益の給与所得該当性を否定する合理的な根拠はないものと考えることができる。したがって、指揮命令者と支給者とが外形上相違する場合にも、その給与所得該当性を直ちに否定すべきではなく、そのような事情を踏まえた上で、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価に該当するのか否かを検討して、その給与所得該当性を判断すべきときもあるというべきである。
(6) 昭和56年最高裁判決について
ア ところで、原告は、昭和56年最高裁判決が、「給与所得とは、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として使用者から受ける給付をいう。なお、給与所得については、とりわけ、給与支給者との関係において何らかの空間的、時間的な拘束を受け、継続的ないし断続的に労務又は役務の提供があり、その対価として支給されるものであるかどうかが重視されなければならない。」(下線は、便宜上付加したものである。)と判示していることから、給与所得については、指揮命令者と支給者とが一致していることを当然の前提とするのが判例である旨主張するので、以下、この点について検討することとする。
イ 確かに、昭和56年最高裁判決の前記判示部分のうち、下線を付した二つの「使用者」及び「給与支給者」という文言は、文脈上は、同一の者を指すと読むのが自然であるから、上記判示部分の文言のすべてが不可欠の意義を有するとすれば、同判決は、給与所得と解するためには、指揮命令者が当該給付を与えることを前提条件としていることを判示していると読むのが自然な解釈である。
ウ しかしながら、昭和56年最高裁判決は、弁護士の顧問料収入が事業所得又は給与所得のいずれに該当するのかが争点となった事案について判断したものであり、同事案においては、指揮命令者と経済的利益の支給者とが一致することは当然の前提事実となっており、給与所得該当性の判断において、指揮命令者と支給者とが相違するか否か、またその意義については何ら争点となっていない。
そうだとすると、昭和56年最高裁判決は、指揮命令者と経済的利益の支給者とが一致する事実関係を前提として、事業所得又は給与所得の分類について判断したものであるというべきであるから、前記判示部分のうちの、「使用者の指揮命令に服して」にいう「使用者」が、後の部分の「使用者」あるいは「給与支給者」と常に一致しなければならず、昭和56年最高裁判決が、指揮命令者と支給者とが一致することが一般に給与所得該当性の前提条件であるということまでをも判示したものであると解するのは、相当でないというべきである。
このことは、昭和56年最高裁判決が、前記判示部分の直前において、「およそ業務の遂行ないし労務の提供から生ずる所得が所得税法上の事業所得(同法27条1項、同法施行令63条12号)と給与所得(同法28条1項)のいずれに該当するかを判断するにあたつては、…(中略)…当該業務ないし労務及び所得の態様等を考察しなければならない。したがつて、弁護士の顧問料についても、…(中略)…その顧問業務の具体的態様に応じて、その法的性格を判断しなければならないが、その場合、判断の一応の基準として、両者を次のように区別するのが相当である。」と判示していることからも裏付けられるものということができる(下線は便宜付したものである。)。
エ さらにいえば、もし、昭和56年最高裁判決中の前記判示部分における前段の末尾部分の「使用者」及び後段の「給与支給者」という文言にも、特別の意義があり、これらはその文脈上前段の最初に出てくる「使用者」と同一の者を指すと解すべきであるという立場に立ったとしても、その場合には、前示のとおり、昭和56年最高裁判決は、給付や支給者の意義ないしは使用者と支給者の一致、不一致等について判断した判例ではないのであるから、前段末尾部分の「使用者から受ける」及び後段の「給与支給者」という文言については、実態に即した柔軟な解釈をすることも許されるというべきである。
すなわち、ストック・オプション制度を採用する場合、子会社の株式の100パーセントを親会社が保有しているとき、子会社が自社株式を従業員等に付与することは、子会社の所有者たる株主が親会社のみであるという状況を崩すことを意味するということができる。そうすると、そのような子会社において、インセンティブ報酬制度の一種たるストック・オプション制度を採用する場合には、自社株方式ストック・オプションではなく親会社株方式ストック・オプションを採用するのが通常であるということができる。そして、本件ストック・オプションのように親会社である米国マイクロソフトが子会社である日本マイクロソフトの株式の100パーセントを保有しているという状況における親会社株方式ストック・オプションの権利行使益については、これを形式的に見るならば、指揮命令者は子会社であって、支給者は親会社であり、両者が相違していることになるものの、米国マイクロソフトは子会社である日本マイクロソフトのいわば所有者なのであるから、給与所得該当性の判断をするために指揮命令関係や対価関係を検討する局面においては、両者を一つのグループとみて、実質的には、米国マイクロソフトが支配し、日本マイクロソフトを含む上記グループをもって、前記判示部分の前段末尾部分の「使用者」及び後段の「給与支給者」と解することも許されるはずである。
また、本件ストック・オプションについて具体的に見ても、乙第13、第14、第39及び第41号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、日本マイクロソフトは、従業員等の採用条件として、米国マイクロソフトから付与されるストック・オプションを盛り込んでいること、米国マイクロソフトが日本マイクロソフトの従業員等に対するストック・オプションの付与を決定するに当たっては、日本マイクロソフトが、面接などを含む人事考課を行った上で、米国マイクロソフトに対して推薦が行われ、これを検討した上で、米国マイクロソフトにおいてストック・オプションの付与が決定されることが認められる。また、前記前提となる事実によると、本件プランにおいては、ストック・オプションは米国マイクロソフトと子会社の従業員等に付与されるものであって、米国マイクロソフトの従業員等と子会社の従業員等とは、その付与対象者となり得るか否かという点やストック・オプションの権利行使の条件等において、格別区別されていないことが認められる。このような事実からすると、日本マイクロソフトは、ストック・オプションの付与対象者の決定に積極的かつ主体的に関与しており、かつ、米国マイクロソフトは、ストック・オプションの付与については、当該従業員等が自社の直接雇用する者か、それとも子会社の雇用する者かにこだわってはいないということができる。このように個別的に検討してみても、やはり、本件各権利行使益は、所得税の課税という観点から見れば、実質的には、日本マイクロソフトを含む米国マイクロソフトによって統轄される企業グループから付与されたものであるということができるというべきである。
このようにみてくると、仮に、昭和56年最高裁判決の前記判示部分中の前段末尾部分の「使用者」及び後段の「給与支給者」という文言に着目して検討してみても、本件は、実質的には、昭和56年最高裁判決の判示と矛盾しない事案であるということができる。
オ したがって、本件のように、指揮命令者と支給者とが外形上相違する場合において、昭和56年最高裁判決が、そのことのみを理由として、直ちにストック・オプションの権利行使益の給与所得該当性を否定するものであると解することは妥当ではないというべきである。
(7) 以上の検討によると、給与所得に該当するか否かを判断するに当たり、指揮命令者と支給者とが相違することから、直ちに労務との対価性ないし給与所得該当性を否定することはできないというべきである。
(四) 問題点②ⅱ(指揮命令者・支給者のかい離と本件事案における労務の対価性)について
(1) 次に、本件事案に即して、本件各権利行使益が、原告との間の雇用契約の当事者である日本マイクロソフトからではなく、米国マイクロソフトから付与されているとみることができることをどのように考えるのかについて検討すると、以下のとおり、米国マイクロソフトが日本マイクロソフトの株式の100パーセントを保有していることにかんがみれば、米国マイクロソフトが日本マイクロソフトの従業員等に対して労務の対価としてストック・オプションを付与し、その権利行使益を与えることは、何ら不自然、不合理ではないというべきである。
(2) 一般に、ストック・オプション制度において、会社が従業員等に対してストック・オプションを付与するのは、従業員等の勤務会社における職務への精励とその継続を期待するからであること、また、本件付与契約の趣旨、目的も同様であることについては、既に判示したとおりである。
(3) そして、ストック・オプション制度の趣旨が、被付与者の職務への精励とその継続を期待することにあることについては前記のとおりであるところ、自社株方式ストック・オプションについて見れば、付与会社が自社の従業員等に対してストック・オプションを付与するのは、これにより期待される被付与者の精勤等が付与会社の利益となるからにほかならない。更にいうならば、後述するとおり、被付与者の精勤等が付与会社の株価上昇につながり得ることに着目しているからこそ、ストック・オプションを付与することにより、被付与者の精勤等を期待することができるという関係にあるということができる。
(4) これに対して、本件のような親会社株方式ストック・オプションの場合には、親会社と子会社とは別個の法人格であることから、子会社における従業員等の職務への精励とその継続が、親会社の利益となるのかが問題となるということができる。
しかしながら、親会社が子会社の株式を保有している場合には、親会社にとってみれば、子会社の株式ひいては会社そのものが親会社の資産の一部を形成していることを意味するのであり、このことは、本件のように親会社である米国マイクロソフトが子会社である日本マイクロソフトの株式の100パーセントを保有している場合にはなおさらということができる。
そうだとすれば、子会社である日本マイクロソフトの従業員等である被付与者の精勤等により子会社の業績が向上することは、ひいては親会社である米国マイクロソフトの保有資産の価値の上昇を意味し、結局、親会社の業績の向上、株価の上昇等、親会社の利益につながり得ることが明らかであるというべきである。
(5) このように見てくると、従業員等の子会社における職務への精励とその継続は親会社の利益につながり得るという関係にあるのであるから、親会社である米国マイクロソフトにおいて、子会社である日本マイクロソフトの従業員である原告に対して、その労務の対価としてストック・オプションを付与してその権利行使益を与えることは、不自然、不合理であるとはいえないというべきである。
そして、前記のとおり、従業員等の子会社における精勤等は親会社の利益につながり得るという関係にあり、これを期待して、親会社株方式ストック・オプションが付与されているのである。
以上によれば、本件ストック・オプションは、原告が子会社である日本マイクロソフトに勤務していたからこそ付与されたものというべきであり、子会社ではなく、親会社が経済的利益を給付したものではあるものの、それでもなお原告が日本マイクロソフトに提供した労務の対価として本件ストック・オプションによる権利行使益を受けたと解することができるというべきである。そうすると、本件事案に即して考えても、指揮命令者たる子会社と支給者である親会社との法人格が異なることを理由に、本件ストック・オプションによる権利行使益の給与所得該当性を否定することは相当ではないというべきである。
5 ところで、本件各権利行使益のうち、原告が日本マイクロソフト及びマイクロソフト・アジア・リミテッドを退職した後である平成11年11月3日に本件ストック・オプションを行使したことにより取得した権利行使益2144万0310円(以下「本件退職後行使分利益」という。)については、その権利行使の時点においては、原告と米国マイクロソフトの子会社である日本マイクロソフトないしマイクロソフト・アジア・リミテッドとの間には雇用関係が存在していなかったということができる。また、上記退職後においては、米国マイクロソフトの子会社である日本マイクロソフト及びマイクロソフト・アジア・リミテッドに対する原告の労務の提供というものを観念することができないことは明らかであり、そうだとすると、前記退職後における米国マイクロソフトの株価の上昇部分については、原告が米国マイクロソフトの子会社に提供した労務に関連するものとしてこれを評価することはできないという見解もあり得ないわけではないであろう。そうだとすると、本件退職後行使分利益については、労務の対価としての給与所得に当たるとはいえないのではないかということが一応問題となる。
しかしながら、本件付与契約においては、米国マイクロソフトないしその子会社を退職した場合、直ちにストック・オプションが失効するのではなく、退職時に権利行使が可能であった分については、退職後一定の期間に限ってストック・オプションを行使することができるとされていることからすると、米国マイクロソフトは、退職時にストック・オプションを行使することができた場合には、退職後に受ける権利行使益を、従業員等が退職時までに提供した精勤等に対する対価として付与する趣旨であると解することができる。また、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益が給与所得に該当するのは、権利行使益を付与したと認められるからであって、付与会社の株価の上昇と従業員等の労務との間に具体的な因果関係を認め得るからではない。
このように見てくると、本件退職後行使分利益についても、原告が、雇用契約及び本件付与契約に基づき、米国マイクロソフトの子会社である日本マイクロソフト及びマイクロソフト・アジア・リミテッドに対して退職時までの間に提供した労務の対価として受けた利益であるということができる。
したがって、本件退職後行使分利益についても、労務の対価性は失われていないというべきである。
6 以上によれば、本件各権利行使益は、原告が日本マイクロソフトに対して提供した労務に対する対価として、米国マイクロソフトないしマイクロソフトグループから付与されたものであって、雇用契約又はこれに類する原因に基づき使用者の指揮命令に服して提供した労務の対価として受けた給付に該当するというべきである。したがって、本件各権利行使益は、所得税法28条1項所定の給与所得に該当する。
二 争点②(信義則・租税法律主義違反)について
1 原告は、被告は、長年にわたり、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益については一時所得として課税すべきであるとの見解を表明し、これに沿った指導を行ってきたにもかかわらず、平成10年度から突然上記方針を変更して更正処分を行ったものであるところ、このような方針の変更及びこれに伴う本件各更正処分は、信義則に反し違法である旨主張する。
そこで検討するに、確かに、甲第1号証及び弁論の全趣旨によると、従来の課税実務においては、ストック・オプションを行使したことによる権利行使益については、一時所得として課税する例が多かったにもかかわらず、平成10年ころからは、税制適格オプション以外のストック・オプションを行使したことによる権利行使益について、給与所得として課税するとの方針の下、課税庁における取扱いが統一されたことを認めることができる。そして、原告は、少なくとも、平成8年分及び平成9年分の所得税の確定申告については、このような方針確立前の過去の取扱いを知らされていた上、これに従う形で本件各権利行使益を一時所得ないし譲渡所得として確定申告をしたことが窺われないではない。
そうだとすれば、少なくとも平成8年分及び平成9年分の所得税の申告については、原告は、よもや本件各権利行使益が給与所得に当たるとして後に更正処分がされるとは考えていなかったはずであるから、平成12年に至ってされた更正処分に大きな不満と憤りを感じるであろうことは、十分理解し得るところである。
しかしながら、前記一において検討したとおり、本件各権利行使益は給与所得に該当するというべきであるところ、租税法が租税法律主義の一側面としてのいわゆる合法性の原則に支配されるべきであり、租税法規は納税者に平等、公平に適用されなければならないことにかんがみると、本件各更正処分が信義則に反するとして、これらを取り消すためには、このような合法性の原則、ないし平等、公平な租税法規適用の要請を犠牲にしてもなお原告の信頼利益等を保護すべきであるというような特段の事情が必要であるというべきである。
これを本件についてみると、原告については、所得税におけるストック・オプションについての過去の取扱いを知らされたがゆえに、本件付与契約を締結したり、本件ストック・オプションを行使するなどの行動に出て所得を得たというような、信頼に基づいて行動したがゆえに本件の事態に至ったという特別な事情が存在することは窺われず、本件各権利行使益を一時所得ないし譲渡所得として所得税の申告をしたというのみである。そして、原告は、本件各更正処分を受けることによって、納税額の増額という経済的不利益を受ける旨主張するが、本件各権利行使益は給与所得に該当するのであって、上記納税額の増額は本来あってしかるべき額に戻るだけであるから、これを著しい経済的不利益と評価することは相当ではない。
他方、原告の信頼の保護を優先して、本件各権利行使益を一時所得と取り扱う場合には、法に従う場合に徴収されるべき多額の所得税を徴収しないこととなる上、平成10年以降に正当な取扱いへの統一がされた後にストック・オプションの権利行使益を給与所得として申告し、あるいは納税した者との間に、法の適用につき著しい不平等が生ずることとなり、かえって正義に反する事態になるといわざるを得ない。
そうすると、本件については、前記の合法性の原則、ないし平等、公平な租税法規適用の要請を犠牲にしてもなお原告の信頼利益を保護すべき特段の事情は存しないというべきである。よって、原告の前記主張は採用することができない。
2 また、原告は、本件各更正処分は、課税庁が従来の方針を変更し、最高裁判所判例に沿わない独自の見解の下に行われたものであるから、租税法律主義に反する旨主張する。
そこで検討するに、弁論の全趣旨によれば、ストック・オプションについては、比較的最近に誕生した制度であって、本件における所得税の申告当時には、その所得税法上の取扱いにつき、ストック・オプションという名称を挙げて明記する租税法規は乏しかったこと、前記のとおり、平成10年ころにストック・オプションの権利行使益についての所得税の課税につき取扱いが統一されるまで、これを一時所得と取り扱った例が多数存在したこと、ストック・オプションの権利行使益が所得税法上の所得分類のいずれに該当するかは、見解の分かれるところであり、容易な判断ではないことが認められる。これらに照らすと、ストック・オプションの権利行使益に対する課税については、あらかじめ租税法規上の明文をもって、その取扱いを明確化し、納税者にこれを予見することができるようにしておくことが望ましかったというべきである。したがって、このような法令上の手当が十分でなく、通達さえ発せられていない平成8年分及び平成9年分の所得税の確定申告当時を考えると、本件で原告が行ったような申告がされることもやむを得ないところであり、原告を責めることができないという意味では、原告の前記主張も首肯し得るところである。
しかし、そうであるとしても、本件各権利行使益が、所得税法28条1項にいう給与所得に該当することについては前記一においてみたとおりであるから、本件各権利行使益が給与所得に該当するとして行われた本件各更正処分は、所得税法28条1項等の租税法規の規定に基づいてされたものということができる。申告当時の納税者の予見可能性が十分確保されていなかったという問題は、税務行政上の不当として残るとしても、この問題と本件各更正処分の適否とは別問題であり、租税法律主義に反する旨の上記主張に理由がないことは明らかといわざるを得ない。
三 以上のとおり、本件各権利行使益は、所得税法28条1項所定の給与所得に該当するというべきである。そして、前記前提となる事実に甲第3及び第4号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、被告は、本件各権利行使益が給与所得に該当することを前提として税額を計算した上で本件各更正処分を行ったものであること、上記計算の基となった各算出根拠、計算過程等については、被告の主張のとおりであって、被告の平成8年分の課税総所得金額及び納付すべき税額は、更正処分における金額及び税額よりも多額であり、平成9年分から平成11年分までの各課税所得金額及び各納付すべき税額は、更正処分におけるこれらの金額及び税額と一致することが認められる。
したがって、本件各更正処分は適法である。
第四結論
以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 菅野博之 裁判官 内野俊夫 裁判官 村田一広)
別紙は省略