東京地方裁判所 平成14年(行ク)159号 決定 2002年11月06日
申立人 X(仮名)
相手方 東京入国管理局主任審査官
代理人 小沢正明 本田利美 西川義昭 末木孝幸 ほか13名
主文
本件申立てを却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理由
第1本件申立ての趣旨及び理由
本件申立ては、東京入国管理局長が平成14年6月12日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく申立人の異議申出が理由がない旨の裁決及び相手方が申立人に対して同月13日付けでした退去強制令書の発付処分の各取消しを求める訴えを本案として、上記退去強制令書に基づく収容部分及び送還部分の執行について、本案事件の判決確定までの停止を求めるものである。
本件申立ての趣旨及び理由の詳細は、別紙1(<略>)、別紙2(<略>)記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は、別紙3(<略>)及び別紙4(<略>)記載のとおりである。
(以下、申立人の異議申出が理由がない旨の上記裁決を「本件裁決」、上記退去強制令書を「本件令書」という。)
第2当裁判所の判断
1 行政事件訴訟法25条3項は、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」とともに、「本案について理由がないとみえるとき」を執行停止の消極的要件として規定しているところ、これは、申立人の法的利益の救済と行政目的ないし公共の利益の保持との均衡を図る趣旨に出たものと解すべきであるから、「本案について理由がないとみえるとき」とは、「勝訴の見込みがないとき」や「敗訴の見込みがあるとき」を意味するものではなく、執行停止の申立てについての審理において疎明されたところからすると、本案についての申立人の主張が理由がないと認められるときをいうものと解すべきである。
2 そこで、本件において疎明されたところから、本案についての申立人の主張が理由がないと認められるか否かをまず検討する。
(1)ア 我が国においては、外国人に対し、入国する自由又は在留の権利(ないしは引き続き在留することを要求し得る権利)を保障する憲法上又は法令上の規定は存在せず、また、国際慣習法上も、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、当該国家が決定することができるものとされている。
法務大臣及び出入国管理及び難民認定法69条の2、同法施行規則61条の2の規定に基づきその権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下、両者を併せて「法務大臣等」という。)は、同法49条1項に基づく異議の申出について裁決をするに当たって、容疑者に退去強制事由が認められ、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該容疑者が「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる旨定められているところ(出入国管理及び難民認定法50条)、法務大臣等は、在留特別許可を付与するか否かを決するに当たっては、当該外国人の個人的な事情のみならず、国内事情、国際情勢、外交政策等の諸般の事情を総合考慮の上、その広範な裁量により、在留特別許可を与えるか否かを決することができるものである。
したがって、裁判所は、法務大臣等が在留特別許可を与えなかったことの適否を審理、判断するに当たっては、在留特別許可を与えないとの判断が法務大臣等の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重大な事実に誤認があるかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により前記判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、法務大臣等が在留特別許可を与えなかったことが、その裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるとすることができるものと解するのが相当である。
イ そして、出入国管理及び難民認定法は、法務大臣等が在留特別許可を与えるか否かの判断に関して、特定の事項を取り上げて判断の際に必ず考慮しなければならない事項として定めるなどの規定は置いておらず、また、同法、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(以下「出入国管理特例法」という。)、中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(平成6年法律第30号)及びそれらの関係規定を検討しても、上記の判断において、同法2条所定の中国残留邦人等(以下「中国残留邦人」という。)と一定の身分関係(婚姻関係、親子関係等)のある者について、一律に、そうでない者と区別して特別の取扱いをすべき法的地位が付与されているものとは解されない。
そうすると、本邦に帰国し居住している中国残留邦人との間に一定の身分関係を有することは、在留特別許可を与えるか否かについての判断に際し、事情の一つとして斟酌すべき事柄であるということはできるものの、上記の判断に当たり、中国残留邦人の家族に対しても出入国管理特例法を適用あるいは準用ずべきであるとの申立人の主張は採用できない。
(2) そこで、以上を前提として、在留特別許可を与えないとの本件裁決について、その判断の基礎とされた重大な事実に誤認があるかどうか、又はその判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて検討する。
アa <証拠略>によれば、別紙3(<略>)第3記載の各事実が一応認められる。
そして、<証拠略>によれば、上記で認められる申立人に対する刑事事件(以下「別件刑事事件」という。)において、東京地方裁判所は、申立人が、<1>Aらと共謀のうえ、営利の目的で、平成10年4月25日午前1時ころ、福井県小浜市岡津43番地岡津漁港桟橋において、自称中華人民共和国の国籍を有する外国人で集団密航者である自称B、自称C、自称D、自称E、自称F(以下、上記5名を「Bら5名」という。)ら約40名を自己の支配下に置いて本邦に上陸させた韓国船乗組みのGらから、上記約40名全員を同所に待機させた普通貨物自動車に乗車させて引渡しを受け、もって、集団密航者を本邦に上陸させた者からその外国人の全部を収受し、<2>Aらと共謀のうえ、営利の目的で、そのころ、同所から上記普通貨物自動車を発進させ、上記約40名全員を、北陸自動車道、名神高速道路、東名高速道路等を経由して、同日午前8時ころ、東京都北区東十条一丁目10番4号所在のシルクスクリーン印刷有限会社上原幸英社ビル前まで運搬して輸送し、<3>氏名不詳らと共謀の上、営利の目的で、同日午前8時ころ、上記約40名全員を同ビル内に搬入し、うちBら5名ら12名については同年5月2日午前零時50分ころまでの間、上記12名を除く者については同年4月29日ころにかけて順次同ビルから搬出するまでの間、それぞれ同ビル内に匿って蔵匿するとともに、<4>氏名不詳者らと共謀の上、Bら5名については、同月25日午前8時ころから、同ビル内の居室に収容した上、同ビル出入口に施錠をし、居室の腰高窓のクレセント錠を施錠した上に針金を巻き付けて開錠不能にするなどし、さらに、見張役をつけて監視し、同月28日ころからは手錠をかけるなどして居室内に閉じ込め、自称Eについては同年5月1日午後9時ころまでの間、同人を除く4名については同月2日午前零時50分ころまでの間、それぞれ同ビル内から脱出することを不能ならしめ、もって不法に監禁し、その際、上記監禁状態から脱出を図り、同ビル3階の窓ガラスを割ってベランダから飛び降りた自称Bに対し、全治まで約2か月間を要する左橈骨遠位端骨折等の傷害を、同ビル3階の窓ガラスからベランダに出ようとして落下した自称Cに対し、全治まで約8週間を要する胸椎圧迫骨折等の傷害を、同ビル内階段を駆け降りた自称Dに対し、全治まで約2か月間を要する左前脛骨筋断裂の傷害をそれぞれ負わせたものと認定したことが認められる。
なお、<証拠略>によれば、申立人は、別件刑事事件の控訴趣意書において、上記事実関係のうち、少なくとも、申立人が集団密航者の収受・輸送・蔵匿の犯行集団の者から依頼を受けて、密入国者蔵匿の用に供する家屋の賃借名義人となり、その報酬として10万円を受領し、さらに、密入国者数名を普通乗用自動車に乗せて輸送したこと、密入国者のうち数名が手錠をかけられ長時間佇立させられていたのを申立人自身目撃していたことについては争っていなかったことが一応認められる。
b 他方、<証拠略>によれば、申立人は、昭和63年9月11日に平成元年法律第79号による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下「旧出入国管理法」という。)4条1項16号、旧出入国管理法施行規則2条3号所定の在留資格をもって本邦に上陸してから本件裁決までの約14年近くの間、本邦に滞在し、生活を営んできたものであって、平成10年3月20日付けで永住許可を受けていたこと、申立人の母のHは中国残留邦人であり、昭和55年に本邦に帰国して以来現在まで本邦に居住しており、申立人の妻及び子らも、昭和63年に原告とともに本邦に上陸して以来現在まで、永住者等の在留資格をもって、本邦に滞在していること、申立人は現在の年齢が51歳で通風を患っていること、申立人の妻(中国国籍)は椎間板ヘルニア、重度神経痛、歩行障害の疾患を有していることが一応認められる。
イ そこで、以上の事実に基づいて検討するに、申立人が別件刑事事件において行ったとされる、営利の目的で、集団密航者を収受、輸送、蔵匿する行為は、出入国管理及び難民認定法74条の4第2項に該当する犯罪であり、組織的な集団密航を助長して我が国の出入国管理行政のびん乱を招き、殊に、集団密航事件が多発し、集団密航者による犯罪の頻発が社会問題となっている現在の我が国の社会においては、看過し難い、極めて重大な犯罪であるというべきである。
そして、別件刑事事件は、国際的な密入国仲介組織である蛇頭によって行われ、しかも、密入国者の一部に対する監禁及び監禁致傷をも伴うなど、極めて悪質な集団密入国事件であるところ、申立人は、報酬目的で密航者の蔵匿に適当な建物を借り受けるなど、別件刑事事件に積極的に関与していたことが一応認められる。
このような事実関係によれば、申立人は、著しく遵法精神を欠き、素行不良であって、その在留状況は極めて不良であるといわざるを得ない。
そうすると、申立人が永らく生活の本拠とした本邦における生活が絶たれ、本邦に居住する同人の家族らと本邦において交流できなくなるなど、退去強制を受けた場合において申立人が受けるであろう不利益、申立人が日本国籍を有する中国残留邦人の子であること、申立人の来日経緯、年齢及び健康状態等を十分斟酌したとしても、出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出について裁決をするについての法務大臣等の裁量権が前記のとおり広範なものであることからすれば、申立人の異議の申出を理由がないとした東京入国管理局長の判断は、社会通念上、著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえないものであり、上記判断が、本件裁決に当たり、法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものということはできない。
ウa これに対し、申立人は、現在の国籍法施行後に生まれた子供は、父母どちらか一方でも日本国籍であれば日本国籍を取得でき、同法付則5条1項により、昭和40年1月1日以降に生まれた者で、その出生のときに母が日本国民であったものは、一定の場合には、法務大臣に届け出ることによって日本の国籍を取得することができるとされているところ、申立人については、母が日本国籍を有する日本人であるにもかかわらず、法的に日本国籍を取得できないということは、法の下の平等(憲法14条)に反しており、申立人に対して在留特別許可を与えることなく本件裁決を行ったことは、違憲な運用であり違法であると主張する。
しかし、いかなる者に日本国籍を与えるかは、立法政策の問題であって、申立人が述べる上記のような事情は、在留特別許可を与えるか否かの判断において考慮されるべき事情の一つとはいい得るものの、日本人の母親から出生した外国籍の者に対して在留特別許可を与えないことが、直ちに違憲な運用であると解することはできず、申立人の上記主張は採用できない。
b また、申立人は、本邦には申立人の生活の基盤がある一方、中国には、申立人の親族はおらず、生活の基盤が全くない上、本邦入国に際して中国での戸口簿も抹消されているから、申立人が中国で定住生活することは極めて困難である上、申立人を中国に送還すれば、本邦で生活している申立人の妻及び母の生活も困窮することになるから、本件裁決は人道上の配慮を欠き違法である旨主張する。
しかし、<証拠略>によれば、申立人は、中国で出生してから37歳で本邦に入国するまで中国で生活し、その間、農業や運送会社共同経営などの仕事をして、自らと妻及び3人の子の生計を立てていたこと、申立人の子らは、いずれも成人、婚姻して本邦においてそれぞれの家庭生活を営んでおり、申立人の妻は、永住者の在留資格で本邦において次男家族と同居生活を送っていること、申立人の母は、年金を得て一人暮らしの生活をしており、申立人の兄弟らも本邦においてそれぞれの収入を得て生活していることが一応認められる。
そうすると、申立人が中国に送還されたとしても、申立人の中国での生活が人道上無視し得ないほどに困難になるものとは認めることができず、また、申立人の家族らの本邦での生活が困窮することになると認めることもできないというべきである。
なお、<証拠略>によれば、中国においては、法令上、中国を出国して定住する中国人は、戸籍(戸口)を抹消しなければならないが、国外に定住する中国人で、帰国又は定住を希望する者は、所定の手続を行うことにより中国に入国することができ、入国後、定住又は就労するには、常駐戸口登録を行わなければならないことが定められていることが一応認められ、これらに照らせば、一般に、他の国に定住したことにより戸口を抹消された中国人も、所定の手続を行って、中国に再入国し、あらためて戸口登録をすることができるものと解されるから、仮に中国において申立人の戸口簿が抹消されているとしても、そのことが、申立人が中国に再入国し、居住することの妨げになるものとは解されない。
c さらに、申立人は、中国政府は、退去強制された中国残留邦人の子孫に対して渡航証明書及び旅券を発行することを拒否し、送還も受け入れない姿勢を示していることから、申立人を中国に送還することは不可能であり、申立人に在留特別許可を与えずに本件裁決及び本件令書発付処分を行ったことは違法であると主張する。
しかし、出入国管理及び難民認定法52条5項は、退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能なときまで入国者収容所その他の場所に収容することを認めるとともに、同条6項は、退去強制を受ける者を送還することができないことが明らかになったときは、必要と認める条件を附して、その者を放免することができると定めていることからすれば、同法は、送還不能の場合であっても、退去強制令書を発付することを予定しているものと解され、仮に、国籍国に対する送還が不可能であったとしても、そのことから直ちに、在留特別許可を与えなかったことが、裁量権の逸脱・濫用となるものではないというべきであるから、申立人の上記主張は採用できない。
d 申立人は、本件裁決は、申立人の家族結合権を侵害し、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)17条に反するから違法であるとも主張する。
しかし、前記のとおり、外国人を自国内に受け入れるか否か、また受け入れる場合にいかなる条件を付すかは、国際慣習法上、当該国家が自由にこれを決することができるのが原則であるところ、B規約においても、この原則を排斥する旨の規定が存しないことからすれば、この国際慣習法上の原則を前提とし、これを基本的に変更するものと解することはできない(なお、外国人に対して法律に基づく退去強制手続をとることを容認しているB規約13条1の規定は、同条約が上記の国際慣習法上の原則をその前提としていることを示すものと解される。)から、本件裁決が、B規約17条に違反することにより、違法であるということはできない。
(3) 以上のとおり、本件において疎明されたところからすると、本件裁決は違法と認めることはできず、本件裁決を前提として行われた本件令書の発付処分も違法であるとは認められない。
したがって、本件申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるというべきである。
第3結論
よって、本件申立ては、その余の点を検討するまでもなく、理由がないから、全部却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 市村陽典 森英明 馬渡香津子)
別紙
相手方指定代理人一覧
(相手方指定代理人)
小沢正明
本田利美
西川義昭
末木孝幸