東京地方裁判所 平成14年(行ク)3号 決定 2002年3月01日
別紙一当事者目録記載のとおり
主文
一 相手方が平成一三年一二月二七日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成一三年(行ウ)第二九〇号収容令書発付処分取消請求事件・平成一四年(行ウ)第四号追加的併合事件)の第一審判決の言渡しの日から起算して一〇日後までの間これを停止する。
二 申立人のその余の申立てを却下する。
三 申立費用は、これを四分し、その一を申立人の負担とし、その余を相手方の負担とする。
理由
第一当事者の申立て
一 申立ての趣旨
相手方が平成一三年一二月二七日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成一三年(行ウ)第二九〇号収容令書発付処分取消請求事件・平成一四年(行ウ)第四号追加的併合事件)の判決が確定するまでこれを停止する。
二 相手方の意見
本件申立てを却下する。
第二前提となる事実
本件記録によれば、申立人の国籍、入国状況、申立人に対する退去強制手続の経過については、別紙二記載のとおりの事実が一応認められる(以下における略語は、同別紙記載のものと同様である。)。
第三申立ての理由
本件申立ての理由の要点としては、法務大臣が、申立人は難民であるのに申立人のした難民認定申請を認めず、申立人の法四九条一項の異議の申出に対して、在留特別許可を認めずに同異議の申出に理由はない旨の本件裁決をしたところ、申立人は難民であるのに申立人を難民に該当しないと判断した法務大臣の判断には重大かつ根本的な事実誤認による裁量権の逸脱濫用があり、申立人に対し法四九条一項の異議の申出に理由がないとの裁決を行うことは、申立人を本国に送還することを是認する処分であるというべきであるから、難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)三三条一項、法五三条三項に違反していて(ノン・ルフールマン原則違反)、本件裁決は違法であり、これを前提とする本件処分は違法なものである上、本件裁決及び本件処分に至る手続にも重大な瑕疵があり、また、本件処分についても、送還先をアフガニスタンとする点でノン・ルフールマン原則違反があり、アフガニスタンに対する送還の目処が立たないにもかかわらず無期限長期収容を前提として同処分をした点で違法であり、さらに相手方独自の裁量権についても逸脱濫用があり、違法なものであって、本件処分は取り消されるべきであるから、本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に当たらず、申立人には本件退令の収容部分及び送還部分のいずれについても回復困難な損害を避けるために執行停止を求める緊急の必要性があり、この点について相手方の主張する「通常損害基準論」は極めて不合理で理論的に維持し難く、裁判実務からも放逐されつつあるというものである。
第四当裁判所の判断
一 「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行政事件訴訟法二五条二項)の要件の有無について
(1) 本件退令に基づく収容の執行について
ア 行政事件訴訟法二五条二項の「回復の困難な損害」とは、処分を受けることによって被る損害が、原状回復又は金銭賠償が不能であるとき、若しくは金銭賠償が一応可能であっても、損害の性質・態様にかんがみ、損害がなかった原状を回復させることは社会通念上容易でないと認められる場合をいう。
本件退令に基づく収容により申立人が被る損害は、収容による身柄拘束を受けることであるが、身柄拘束自体が個人の生命を奪うことに次ぐ人権に対する重大な侵害であり、精神的・肉体的に重大な損害をもたらすものであって、その損害を金銭によって償うことは社会通念上容易でないというべきである。元来、我が国の法体系下において、このように人権に重大な制約を及ぼす行為を単なる行政処分によって行うこと自体が異例なのであるから、これに直接携わる行政機関はもとより、その適否を審査する裁判所においても、この処分の取扱いには慎重の上に慎重を期すべきであり、このことは執行停止の要件該当性の判断に当たっても妥当するものというべきである。
なお、相手方は、申立人が収容されている東日本センターの設備、衛生状況及び処遇状況を具体的に指摘し、それらに問題がないことを主張するが、上記の説示は、そのような施設内の状況がどのようなものであっても、その施設から外部に出ることを禁じていること自体を問題としているのであって、相手方が施設内部の状況についていかに意を用いようと結論を左右するものではない。
以上の点からすれば、申立人が収容されていることによって生ずる損害は、後の金銭賠償が不可能なものであるか、金銭賠償が一応可能であっても、社会通念上損害がなかった原状を回復させることが容易でない損害であると認められる。
イ また、後記認定のとおり、申立人は、難民としての保護を受けるべき地位にあると一応認められるから、たとえ我が国に不法に入国したものであったとしても、難民条約三一条二項により、第三国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を与えられるべき地位にあることとなる。ところが、仮に本件退令によって収容がされると、第三国への入国許可を得るための活動が阻害されることが明らかであり、申立人の置かれている不安定な地位に照らすと、このような活動が一日でも阻害されることは申立人に計り知れない精神的苦痛を与えるばかりか、自己の希望する国への入国の機会を失うなどまさに回復し難い損害を受けるおそれがあると認められる。
その上、一件記録によれば、申立人は、平成一三年一〇月三日から同年一一月九日までの三八日間収容された後、当裁判所の執行停止決定に基づき、同年一二月二一日に再び収容されるまでの間、一時的に収容を解かれたところ、同年一一月二一日に、精神科医である桑山紀彦医師による診察を受けており、同医師による「SDS(自己診断式うつスコア)」、「GHQ(総合健康質問用紙)」、「バウム・テスト」、「ロールシャッハテスト」等に基づく診断の結果、「急性ストレス障害」に相当する中程度のATSD(急性心的外傷ストレス障害)に罹っているとされ、同医師の所見では、放置されれば早い段階(約二、三週間)でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていく可能性があり、アフガニスタンへの送還や入国管理局への収容は、現状の症状をさらに悪化させ、著しい心身の健康を阻害する可能性が高く、場合によっては重度の精神障害や、自殺企図などの行動がみられ、生命の危機にさえつながる可能性があるとされていること(《証拠省略》)、申立人が、平成一三年一二月二一日の再収容以降少なくとも六日間は、薬を飲む際の水分以外の食物、飲物を一切摂取できておらず、同月二五日までの五日間で約三・五キログラム体重が減少し、同月二八日に、収容先である東日本センターで面接を行った山村淳平医師の診察によれば、急性心的外傷後ストレス障害、それによるうつ状態、筋緊張性頭痛と診断され、同人が、不眠、食欲不振、頭痛の症状に加え、体重減少、腹部痛、全身の痛み、幻覚症状といったもの等を訴えていたことが一応認められるのであるから、「収容に特段の支障があるとは認められない」との相手方の主張は採用できない。
ウ 相手方は、行政処分又は行政処分の執行自体により発生する損害について、当該行政処分の根拠法が、当該処分の結果として通常発生するものであることを予定しているものである限り、受忍限度内のものとして行政事件訴訟法二五条二項にいう「回復の困難な損害」には当たらず、処分の執行等により維持される行政目的の達成の必要性とこれを執行することによって申立人が被るおそれのある損害とを総合考慮し、前者を一時的に犠牲にしてもなお後者を救済しなければならない程度の損害か否かの観点から検討すべきであるとし、退去強制令書発付処分に基づく収容においては、収容の執行自体により発生する損害が収容に通常伴う程度のものにとどまる場合には、退去強制令書の発付を受けた者を送還するために身柄を確保し、本邦内での活動を制限するという行政目的を達成するためにやむを得ない損害として、行政事件訴訟法二五条二項にいう「回復の困難な損害」に該当しないというべきであると主張する。
しかし、行政事件訴訟法は、処分取消しの訴えが提起されても処分の効力に影響がない(同法二五条一項)との原則を前提としつつも、同原則の徹底により処分の結果として回復の困難な損害を受け、後に本案について勝訴判決を得てもその効力が実効性をもたないことを防ぐために執行停止の制度を設けたのであるから、処分そのものや法が当然予定した損害の発生が予想されるにとどまる場合であっても、そのことにより後の勝訴判決が実効性を持たない可能性がある場合には、執行停止の必要性を肯定すべきである。このような観点からすると、この要件の有無については、処分の性質やその結果である損害の性質、さらには申立人の事情等を考慮して、当該損害が回復困難な損害といえるか否か自体を検討すれば足りるというべきである。行政事件訴訟法の文言も、当該処分の結果として当然発生するものと予定されている損害を排除しているものではないから、このような解釈を妨げるものではない。相手方の主張は、法の規定しない新たな要件を設定しているに等しく、到底採用できない。
また、相手方が、行政目的の達成の必要性をも考慮すべきである旨主張する点については、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行政事件訴訟法二五条二項)との要件を定める文言からして同主張自体理解し難いものであるし、行政事件訴訟法が執行停止について別に「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」との消極的要件を定めていることからしても、法が定める積極要件に法の定めのない限定を加えるものというほかない(この点について相手方の引用する杉本良吉・行政事件訴訟法の解説の記載は、法の定める積極要件と消極要件の双方を勘案して執行停止の許否を定めるべきという趣旨にも解される上、比較衡量の対象が「公共の福祉」とされており、相手方の主張するような「行政目的の達成の必要性」との記載がなく、同じく相手方の引用する「行政事件訴訟法に基づく執行停止をめぐる実務上の諸問題」(司法研究報告書第三四輯第一号)の記載も同様である。また、行政処分を定める行政実体法は、行政目的達成のために行政処分をする権限を行政庁に付与するものであり、その立法に当たっては、当該処分の相手方に通常生ずる損害は当然に想定した上、それでもなお行政目的達成のためには行政処分をすることが必要であるとの考慮がされているのが通常である。したがって、このことを前提として相手方の主張を採用すると、結局、当該処分によって通常生ずる損害は「回復の困難な損害」には該当しないとの考え方に立つこととなるが、このような考え方が採用できないことについては、上記のとおりであるし、相手方の引用する上記司法研究報告書四九頁から五〇頁も指摘しているところである。)。
エ しかして、本件においては、前記のとおり、本件処分によって申立人は、事後的に回復することが困難な損害を受ける蓋然性が高いものといわざるを得ない。仮に、本件において、行政目的の達成の必要性をも考慮すべきである旨の相手方の上記主張を前提とするとしても、現時点において申立人を収容しなければ将来の退去強制の執行などの行政目的に支障が生ずることについて、具体的なおそれの有無を検討することなく、相手方が主張するような抽象的かつ一般的なおそれを指摘するのみで、単なる行政処分で身柄拘束という重大な人権侵害行為を行い、かつ、その執行停止を認めないことには、憲法上の問題も生じかねず、この点について具体的な支障が生ずることの疎明がない本件においては、申立人には事後的に回復することが困難な損害を受ける蓋然性が高いものというほかない。
オ なお、上記のように退去強制令書に基づく収容による身柄拘束自体が行政事件訴訟法二五条二項の「回復の困難な損害」に当たると解することに対しては、個別事情にかかわらず退去強制令書の収容部分については常に同項の要件を充たすことになって同条一項の定める執行不停止の原則に反するのではないかとの疑問が生じないでもない。
しかし、上記解釈は執行不停止を原則としつつも明文上の制度として定められた執行停止の要件の解釈の問題であり、明文上の要件の一部について結果として類型的にこれを充足することがあったとしても何ら法律上の原則を歪めるものでないことはもちろんである上、そもそも、退去強制令書に基づく身柄拘束については、前記のように我が国の法体系下において、刑事手続においてすら身柄拘束のためには令状主義により司法審査を経ることが原則とされていることに照らせば、司法審査を経ずに行政庁が行政処分として身柄拘束をすることが許されていること自体で極めて例外的な制度であるといわざるを得ず、そのような類型の処分については、身柄拘束を伴う処分の執行停止の要件を充たす可能性が結果として類型的に高くなるとしても、何ら不合理なことではない。
また、執行停止の要件としての「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」か否か(行政事件訴訟法二五条二項)の判断については、処分が違法であることの疎明の程度が高いときは申立人が違法に損害を被る可能性が高いから、これにより損害回避の必要すなわち執行停止の必要性も高くなると考えられ、逆に、「本案について理由がないとみえるとき」(同条三項)に当たるとまではいえないまでも、処分が違法であることの疎明が非常に低い程度にとどまる場合には、執行停止が仮の措置であることに照らし、申立人において損害を甘受すべき場合もあり得るというべきである(この点においては、保全処分における被保全権利の疎明の程度と保全の必要性の相関関係に類似するものと考えられる。)。したがって、第一次的には身柄の拘束がそれ自体で「回復の困難な損害」に当たるとしても、本案の勝訴の見込みとの比較の結果、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との要件を充たさないこととなる場合もあり得るのであって(本件の場合は、後記のとおり、申立人が難民である蓋然性が相当程度あり、そのことを前提とすると、これを考慮しないままにされた本件収容は違法といわざるを得ないから、本案の勝訴の見込との比較の結果においても「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との要件を充たすことに変わりはない。)、身柄の拘束を伴う行政処分について常に行政事件訴訟法二五条二項の要件が充たされることにはならないから、収容による身柄拘束自体が「回復の困難な損害」に当たると解することは、何ら執行不停止の原則に抵触するものでもないし、同要件を蔑ろにするものでもない。
(2) 本件退令に基づく送還の執行について
本件において、本件退令に基づき申立人がアフガニスタンに送還された場合には、申立人の意思に反して申立人を送還する点で、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となるほか、申立人と訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができなくなるなど、申立人が本案事件の訴訟を追行することが著しく困難になることは明らかである。また、仮に申立人が本案事件について勝訴判決を得ても、その送還前に置かれていた原状を回復する制度的な保障はないことや、前記のとおり申立人については本案事件において勝訴の見込みが相当程度あると考えられることをも考慮すれば、申立人は、本件退令に基づく送還の執行により回復の困難な損害を被るものと認められ、本件については、こうした損害を避けるため本件退令に基づく送還の執行を停止すべき緊急の必要があるというべきである。
二 「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に該当するかどうかの判断のあり方
相手方は、この「本案について理由がないとみえるとき」とは、双方から提出された疎明方法に照らして、本案に関する申立人の主張が一応理由なしと認められるときという意味であるとしている(なお、相手方は、前掲司法研究報告書の五九頁を参照すべきものとしてしているが、同頁には相手方の主張と同旨の記載はなく、相手方の主張は同文献一一七頁の記載を引用するものと思われる。)。しかし、このような解釈を採ると、ほとんどの事案において、この要件を充たさず執行停止が認められないこととなりかねないのであって、法が、行政事件訴訟法二五条二項本文において、まず処分等によって回復困難な損害を避けるため緊急の必要がある場合には処分等の執行の停止等ができることを定めた上、同項ただし書において、前記要件を定めており、この要件をいわば原則に対する例外と位置づけていることに反するものというほかない。むしろ、この点については、前記文献の五九頁に記載されているように「本案について原告が主張する事情が法律上理由がないとみえ、又は事実上の点について疎明がないとき」と解すれば足りるのであり、後記認定のように本案の慎重な審理を経ずして相手方に裁量権の逸脱濫用がなかったと断ずることが困難な場合には、この要件を充たすものというべきである。
また、相手方は、上記主張をするに当たり、本件申立てについて相手方が「時間的余裕もないまま、限られた資料により疎明しなければならない」ことを、その理由として主張する。しかし、本件処分は、申立人の身柄を拘束し、かつその意に反して国外へ送還するという重大な効果をもたらすものであるし、慎重な判断をしている時間的余裕がなかったことをうかがわせるに足りる事情も見当たらないから、その処分要件はもとより申立人が主張する難民該当性の点についても十分な資料を収集し、少なくとも責任ある行政庁として自己の判断に誤りがないとの確信をもってはじめて処分権限を行使すべき事案であって、そのような検討を経て処分を行っているならば、執行停止の申立てがされた際には、既に収集した一件資料を裁判所に提出するとともに、処分時に行った判断の過程を書面として主張すれば足りるのであるから、相手方の上記主張は不可解といわざるを得ない。
三 本件退令の送還部分について「本案について理由がないとみえるとき」に該当するか否か
(1) 前記二の説示を前提に本件の同要件該当性を検討するに、申立人は、前記第三のとおり、本案事件において、本件処分の取消しを求める理由の一つとして、本件退令において送還先をアフガニスタンとしたことが難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民条約三三条一項、法五三条三項のノン・ルフールマン原則に違反している旨主張して本件処分の取消しを求めている。したがって、申立人が難民であると認められる場合には、本件退令において難民である申立人の送還先を迫害のおそれのあるアフガニスタンとした点でノン・ルフールマン原則違反があることとなり、少なくとも本件処分の送還部分が違法となり得るものであるから、まず、申立人の難民該当性について検討する。
(2) 疎明資料によれば、申立人の出身国であるアフガニスタンの情勢及び申立人につき、次の事実が一応認められる。
ア アフガニスタンにおいては、現在の最大規模の民族であるパシュトゥーン人と、一八〇〇年代まで自国を有していたハザラ人との間で民族的対立があったほか、パシュトゥーン人と他の少数民族との対立、タジク人とハザラ人との対立などの少数民族間の対立や、イスラム教スンニ派とイスラム教シーア派との対立も重なって、根深い対立が続いている。
イ 昭和五四年(一九七九年)一二月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、ソ連の支援下で共産主義のカルマル政権が成立したが、イスラム原理主義を中心とするムジャヒディーン(イスラム聖戦士達)がソ連及びカルマル政権に対する抵抗運動を開始し、以後、内戦状態となった。昭和六一年(一九八六年)五月には、カルマルからナジブラへと政権が引き継がれたが、平成元年(一九八九年)二月にソ連軍が撤退し、平成四年(一九九二年)四月にはナジブラ政権は崩壊して、ムジャヒディーン各派による連立政権が成立し、ムジャヒディーン各派間での主導権争いにより内戦が激化した。
ウ 平成五年(一九九三年)二月には、当時のアフガニスタン政権における大統領であったグルバディン・ラバニとその指示を受けたアーマド・シャー・マスード(以下「マスード将軍」という。)に率いられたタジク人イスラム教スンニ派のグループであるイスラム協会と、アブドゥル・ラスル・サヤフ(以下「サヤフ」という。)の率いるアフガニスタン解放イスラム同盟が、カブール西部を急襲してハザラ人を多数殺害した。
平成七年(一九九五年)三月には、マスード将軍の率いるイスラム協会のグループが、ハザラ人や他党派の居住する区域を占拠し強奪などを行った。
エ 平成八年(一九九六年)九月末、南部より勢力を拡大したイスラム原理主義の新興勢力タリバンが首都カブールを制圧して暫定政権の樹立を宣言し、以後、タリバンに反抗するムジャヒディーン各派のイスラム協会(マスード将軍などスンニ派のタジク人を指導者や有力者としている。)、アフガニスタン・イスラム統一党(ハザラ人に支持されるシーア派のグループ。)、アフガニスタン国民イスラム運動(ウズベク人を主体とする。)及びアフガニスタン解放イスラム同盟(サヤフが率いている。)の四大勢力の統一戦線とタリバンとの内戦が続いた。統一戦線は、タリバンによりカブールを追われた政府であるアフガニスタン・イスラム国(以下「旧政府」という。)を支持しており、旧政府の最高指導者であるグルバディン・ラバニが統一戦線の形式上の指導者とされていた。タリバンは、平成一三年一〇月ころには国土の九割を掌握しており、アフガニスタンを実質的に支配していた。タリバンは、パシュトゥーン人を主体としており、宗教としてはイスラム教スンニ派を信仰する者が多かったことから、人種又は宗教等を理由として、少数民族であるハザラ人、タジク人、ウズベク人などを迫害し、特に、ハザラ人の多くがイスラム教シーア派であることから、ハザラ人に対しては、組織的な殺害を含む迫害を加えていた。
オ しかし、米国におけるいわゆる同時多発テロを契機とした米英軍の空爆と統一戦線による攻撃により、タリバンは、首都カブールから駆逐され、その勢力は崩壊するに至った。
カ その後、アフガニスタン暫定政権が、平成一三年一二月二二日に発足し、我が国は同月二〇日、同月二二日付けで同政権を承認した。同暫定政権は、パシュトゥーン人のハミド・カルザイ元外務次官を首相に相当する議長とし、合計三〇人の閣僚で構成され、うち一一人がパシュトゥーン人、八人がタジク人、五人がハザラ人、三人がウズベク人、その他が三人である。
キ 暫定政権成立後のアフガニスタンについては、パキスタン等の隣国に逃れていた避難民の大量帰国を報じる新聞報道もある一方で、治安の悪化を懸念する報道もされており、さらには、暫定政権の成立に向けた交渉過程で、ラバニ元大統領派のタジク人が政権の要職を占めつつあったことに対して、ウズベク人の指導者であるドスタム将軍やクルド人の指導者であるイスマイル・カーン司令官が暫定行政機構への参加を一時見送ろうとしたことや、暫定行政機構の中心となっているパシュトゥーン人については、以前にあった部族有力者らの腐敗と権力闘争が再燃するおそれがあることなどから、暫定行政機構には全土統一を達成できるだけの軍事力もなく、カリスマもイデオロギーもないとして、タリバンによる政権掌握前の内戦状態に後戻りすることを危惧する報道もされている。
ク 申立人は、四・五歳ころから西カブールのブルソフダというハザラ人居住地域に居住していたが、同地では、一九九二年のナジブラ政権の崩壊直後から、ムジャヒディン各派間の内戦が激しくなり、同年半ばころからは、イスラム協会がサヤフ派と連合し、ハザラ人居住地区に総攻撃を始め、これにイスラム統一党が反撃したころから、大きな戦闘が繰り広げられた。
申立人ら家族は、五ヶ月半ほど自宅の地下室などで暮らしたが、その間、ハザラ人であれば、西カブール地区を出るだけで、逮捕拘留されたり、拷問されたり、厳しく尋問されたりする状態が続いた。また、申立人の父は資産家として有名であったことから、ムジャヒディン各派の兵士から金員や財産の供出を迫られたりした。五ヶ月半の間には大きな戦いが二度あり、二度目の戦闘の際には住宅街にも戦闘が及ぶなど戦闘地域が拡大したことから、申立人ら家族はマジャリシャリフに逃れた。
ケ 一九九六年には、タリバンがカブールを制圧し、マザリシャリフに迫り、そのころ、申立人の父は、イスラム統一党の兵士からの金員の供出の命令を断り一週間拘禁され、金員を払ってようやく釈放されたりしていた。そのため、申立人の父は、申立人に、タリバンのマザリシャリフへの進撃は時間の問題であるため、国外に逃げるよう言った。そこで申立人は、父の友人のつてをたどり、アラブ首長国連邦の会社で働くこととなり、基本的にUAEと日本に三ヶ月ずつ滞在し、中古車部品を調達し販売するという生活をした。
コ 申立人が、アラブ首長国連邦と日本を往復しながら生活している間、家族はタリバンのマジャリシャリフ制圧に伴うハザラ人に対する迫害の激化により、一九九九年から二〇〇〇年ころにカブールへと移動した。
サ 二〇〇一年三月ころに至り、後記(3)のとおり、アフガニスタン人に対する我が国のビザ発給数が減少したことなどから、申立人は勤務していたアラブ首長国連邦の会社から解雇され、同国での在留資格を失ったため、家族の住むカブールに帰らざるを得ないこととなり、二〇〇一年五月ころにパキスタン経由でカブールに帰国した。しかし、そこでも、タリバンによりハザラ人が、ハザラ人であるという理由だけで逮捕され、勾留され、強制労働をさせられ、殺されるのを目撃し、再度アフガニスタンを逃れるしかないと考え、旅券更新のために内務省旅券事務所に行ったところ、当局から住民票が必要であるからカブール市の第六地区の警察署に行くように言われ、内務省旅券事務所から第六地区警察署に宛てたその旨の依頼書様の手紙を渡された。申立人は、警察署に行くことに恐怖を覚えたものの、パスポート更新の際に身柄を拘束されたハザラ人の話を聞いたことがなく、内務省発行の手紙をもっていたことから、翌日、第六地区警察署に向かった。
申立人が、同署に行ったところ、侮辱的な言葉をかけられた上、長時間にわたる暴行を加え、コンテナ内に二〇日間ほど留置された。その後、申立人の父が仲介役のパシュトゥーン人を通じ八〇〇〇米ドルを支払ったため解放されたものである。
シ 申立人は、アフガニスタンにこれ以上とどまれば、必ず殺されると思い、釈放後、家族にさえ会わず、仲介役のパシュトゥーン人に連れられて、ペシャワールへと逃れた。その際、仲介役のパシュトゥーン人が一度パキスタンに戻り、パスポートを取り戻し、申立人の父から六〇〇〇米ドルを預かり申立人に手渡した。申立人は、ペシャワールのホテルに滞在し、日本で難民申請を行おうと考え、中学時代の同窓生にブローカーを紹介してもらい、入国方法についてはブローカーに任せることとし、数週間ペシャワールに滞在した後、韓国を経由して日本に入国した。
ス 申立人は、同年八月一日、東京入管において、法務大臣に対し、難民認定申請をし、同月六日に佐倉市長に対し、外国人登録の新規登録申請をした。
(3) 以上の事実によれば、申立人は、今回の我が国入国時には、その本国であるアフガニスタンにおいて、人種、宗教による迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者であったということができ、難民条約三一条所定の難民に該当していたと認められる。
そうである以上、申立人については、その後の事情の変化により、上記のような恐怖が払拭できたと認められない限りは、我が国において引き続き難民条約上の難民としての保護が与えられるべきであるところ、アフガニスタンにおいては、現在においても、暫定政権を構成する民族及び宗派のグループがタリバン政権時以前から歴史的に対立抗争を繰り返していたことなどから、今後の政権の安定及び治安にはいまだ大きな不安があるというべきであり、特に、ハザラ人については、国内で多数を占めるパシュトゥーン人からもタジク人からも迫害されてきた歴史があり、ハザラ人でありイスラム教シーア派を信仰する申立人は、人種、宗教により迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を払拭できない状態にあると認められる。
相手方は、申立人及び同時に摘発された一一名について、うち七名が千葉県佐倉市内の同一住居にいたところを摘発されたこと、収容後、その一一名の中にアフガニスタン人であると自ら称したパキスタン人がいることや、不法残留のアフガニスタン人で不法入国を偽装するため偽名を使用して難民申請に及んだ者がいることが判明したこと等を考慮して、申立人らの入国は組織的背景を有する不法入国事案であるとし、申立人が法又は難民条約にいうところの難民には当たらず、単なる経済難民又は難民認定制度に乗じて在留資格を得て就労することを目的とするものである旨主張している。
しかしながら、申立人は、アフガニスタン国籍である旨が記載された日本における運転免許証とアラブ首長国における運転免許証を所持しており、取り調べにおいて、入国警備官が、これらの提示を受けた上、なお、アフガニスタン国籍を有する者として手続を進めていること、申立人の取調べに用いられた言語がアフガニスタンに居住するハザラ人が用いるダリ語であり、申立人がアフガニスタン国籍を有するとの事実と矛盾しないこと、これまでの取り調べの結果においても申立人がハザラ人か否かについて疑問が生じた形跡がないこと、本人は難民申請時から現在までアフガニスタン国籍を有するハザラ人であることを一貫して述べていること等からみて、申立人はアフガニスタン国籍を有するハザラ人であると認められる。この点については、東京入管も現在までアフガニスタン国籍を有するものとして取り扱っているところであって、申立人について、国籍を偽って難民を装おうとした事実は認められない。また、申立人が偽名を用いて難民認定申請をした事実を認めるに足りる疎明資料も存しない。そして、国籍を偽った二名のパキスタン人は、それぞれ東京都足立区加平町と東京都東村山市萩山町で摘発されているところ、申立人は、居住地である千葉県佐倉市下志津で摘発されているのであり、疎明資料によっても同一の日に摘発を受けたこと以上の関連性を認めることはできず、他に、国籍・氏名等を偽った者たちと申立人の間に何らかの組織的関係を有することを基礎付けるに足りる疎明資料はない(相手方の提出する疎明資料は、一般的で本件の組織的背景を基礎付けるには至らないものか、申立人ではない国籍又は氏名等を偽った者自身の悪質性を裏付けるものにとどまっている。)。申立人と同時に摘発を受けた者たちの入国の経過は異なっており、そのことを考慮しても、申立人が、組織的背景を有する不法入国を行ったとはいえず、相手方の主張は採用し得ない。
また、申立人は、東京入管の取調べに対し「ブローカー」という第三者の存在を認めており、相手方はこの点も申立人の難民性を否定するものとして指摘するかのようであるが、申立人の供述に現れる「ブローカー」については、その役割が疎明資料からは明らかではなく、難民である申立人が、前述のように旅券の発行に赴いたところ、逮捕され、旅券の発行を受けられなかったため、やむを得ず、第三国への入国をあっせんする第三者を利用し不法入国をしたという可能性は否定し得ない。一般的にいっても、難民は、迫害の現実的な危険を免れるために当該国から出国するのであり、その際に迫害の危険を恐れて旅券が入手できないなどの事情により正規の出国手続を経ることが困難なことは多分にあり得ることであって、それがひいては我が国に適法に上陸することを不可能ならしめることがあり得る。そして、疎明資料によれば、アフガニスタン人が我が国に正規に入国しようとする場合には、在パキスタン日本大使館等最寄りの我が国在外公館において査証の発給を受ける必要があるところ、同大使館におけるアフガニスタン人に対する査証の発給数は、平成一一年には一一一八件、平成一二年には五八四件であったのに対し、平成一三年の一月初めから同年一〇月末までは二四件となっており、これがいかなる原因に基づくものかについては必ずしも明らかでないものの、少なくともこの時期に査証の発給申請がこのように激減したと認めるに足りる資料はなく、単なる偶然の積み重ねの結果ではないことがうかがわれるところ、その結果、アフガニスタン人で我が国において難民申請をしたいと望む者の場合には、不法入国をせざるを得ない実情にあることが推認されるのであり、我が国への入国の手段として組織的背景を有する「ブローカー」を利用して不法入国したとしても、そのことだけで、相手方が想定するような、不法入国をして難民として在留資格を詐取して本邦で就労するとの組織的活動につき申立人自身がその一端を担っていると認めるのは早計であり、申立人が単なる経済難民又は難民認定制度に乗じて在留資格を得て就労することを目的として本邦に入国したものとは認められない。
(4) よって、本件処分が、本件退令において申立人の送還先をアフガニスタンとした点で、難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民条約三三条一項、法五三条三項のノン・ルフールマン原則に違反し取り消されるべきである旨の申立人の主張については、直ちに失当のものであるということができないのはもちろんのこと、申立人の主張するその余の違法事由の当否は別にしても、本件処分の取消しを求める請求が第一審における本案審理を経る余地がないほどに理由がないということはできず、現段階においては、本件申立てが、「本案について理由がないとみえるとき」に該当すると認めることはできない。
四 本件退令の収容部分について「本案について理由がないとみえるとき」に該当するか否か
(1) 申立人が難民に該当し、申立人の送還先をアフガニスタンとした点でノン・ルフールマン原則に違反するとしても、これにより取り消されるべき範囲は、本件退令のうち送還先を指定した部分にとどまり、本件退令の収容部分については別途その適法性を考慮しなければならないとの解釈もあり得ないではない。
そこで、以下において、本件退令の収容部分の適法性について別途検討する。
(2) 難民条約は、三一条二項において、締約国は、同条一項の規定に該当する難民(その生命又は自由が同条約一条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって許可なく当該締約国の領域に入国し又は許可なく当該締約国の領域内にいる者)の移動に対し必要な制限以外の制限を課してはならない旨規定するところ、同項は、難民が正規の手続・方法で入国することが困難である場合が多いことにかんがみ、対象者が不法入国や不法滞在であることを前提としてなお、移動の制限を原則として禁じているのであるから、難民に該当する可能性があるものについて、不法入国や不法滞在に該当すると疑うに足りる相当な理由があることのみをもって、退去強制令書を発付し、収容を行うことは、難民条約三一条二項に違反するといわざるを得ない。そして、難民条約が国内法的効力を有することにかんがみれば、主任審査官は、不法入国者が難民である場合には、不法入国のみを理由にその者の身柄を拘束することは許されないのであり、その者が有罪判決を受けるなど不法入国以外の退去強制事由が生じた場合やその者の身柄が不安定であり移動の制限を行わなければ第三国への出国まで難民としての在留状況の把握が困難になる等移動の制限が必要といえる場合にはじめて退去強制令書の発付が可能となるのであるから、論理的には難民該当性の判断を退去強制令書発付の判断に先行させる必要があるというべきであって、実務的には、主任審査官としては、退去強制令書の発付を行うに際して、法所定の要件に加え、対象者が難民に該当する可能性を検討し、その可能性がある場合においては、同人が難民に該当する蓋然性の程度や同人に対し移動の制限を加えることが難民条約三一条二項に照らし必要なものといえるか否かを検討する必要があると解すべきである。このように移動制限の必要性を難民該当性の蓋然性との比較において検討するとの運用を行う限りにおいては、難民に該当する可能性が否定し得ない限り一切退去強制手続における収容ができないというような硬直的な運用を避けつつ、収容の必要性を具体的に検討した上で退去強制令書の発付とその収容部分の執行をすべきこととなり、まさに難民条約の要請するところに合致する運用が可能となるというべきである。
(3) なお、前記三(2)の事実によれば、申立人はアフガニスタンから直接入国したものではなく、難民条約三一条二項が同条一項に規定する「その生命又は自由が第一条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民」を対象としていることから、申立人がこれに該当するか否かについて検討する。
難民条約三一条二項が同条の適用を受ける難民を脅威にさらされていた領域から直接来た者に限った趣旨は、同条が不法入国や不法滞在といった違法な行為をした者については、その脅威を逃れてから遅滞なく所定の手続をした場合に救済を施し、反面、他国に一時定住した者がむやみに入国し、不法入国や不法滞在による不利益を免れることを防ぐことであるから、形式的に脅威を受ける地域から直接入国することが必ずしも必要というわけではなく、脅威を免れるために領域を逃れる一連の移動をして締約国に入国した場合、仮にその移動の過程の中で第三国を経由して来たとしても、同条にいう直接来た難民であると評価し得ると解すべきである。
これを本件についてみると、申立人は、脅威にさらされていた領域であるアフガニスタンから脅威を逃れるためにパキスタンに出国し、そこに定住することなく、第三国への逃亡のため第三者に依頼をし、前記認定の経路で日本に不法入国したのであって、アフガニスタン出国の当初から日本に到着するまでを一連の移動と評価できるものであって、パキスタン、タイ、韓国は単なる経由地と評価すべきものであるから、これらの国々を経由してきたことによって、直接性が否定されるものではない。
(4) 前記三(3)のとおり、申立人は難民としての保護を受けるべき地位にあると一応認められるところ、本件退令の発付に当たって、その執行が、難民条約三一条二項所定の必要な移動の制限といえるかについて検討する必要があることとなる。そこで、本件における収容の必要性について検討する。
本件において、申立人は、本邦に不法入国してきた独身者であって、本邦に家族等はおらず、本邦入国からの期間もそれほど長いとはいえないものであって、生活の本拠を本邦内に築いたとまではいえないから、この点のみに着目すると、難民認定手続や後に退去強制手続を行うこととなった場合に、確実に出頭が確保できるか否かについて疑問が生じないでもない状態であったということができる。しかし、相手方がこのような事情を考慮して本件処分をしたものであることは何らうかがわれない。
他方、申立人は、長期とはいえないが、本邦在留の最初から、収容令書の執行により収容を受けるまで、肩書地に居住している上、平成一三年八月六日に居住地である佐倉市の市役所において外国人登録の申請を行っている。そして、何よりも、入国してそれほど間を置いていない時期である平成一三年八月一日に法務大臣に対して難民認定の申請を行っており、同年九月一七日には東京入管の出頭要請に応じ、東京入管の大手町庁舎に自ら出頭し、事情聴取に応じている。そして、その後同人の身柄が不安定になったと認めるに足りる事情の変化が生じたとはいえないのであって、申立人につき、本件処分の当時において収容に及ばなければ、出頭の確保や公共の福祉の観点で具体的な困難や不安が生じるとまでは認められない。むしろ、申立人については、申立人代理人のみならず、カトリック浦和教区の司教、同教区のオープンハウス、難民支援協会の理事ほか計五名が身元引受書を提出し、身元引受人及びその構成員らが申立人を支援する旨を述べており、また、東京都江東区のカトリック潮見教会が同教会敷地内の宿泊施設を提供し、住居の移転が必要な場合には、弁護団と事前に協議を行い、弁護団の責任の下に行うとしており、このような場合に、前記三(3)のとおり難民としての保護を受けるべき地位を有すると一応認められる申立人につき、本件退令の発付及びその収容部分の執行という方法を用いてまで移動を制限する必要性があったとは認め難い。
(5) 以上によると、本件における収容は、入国審査官が、本来、検討しなければならない要件についての検討を欠いてされた蓋然性が高い上、これを検討したとしても、本件退令の収容部分については、送還部分とは別の理由で、難民条約三一条二項に反する違法なものとなる可能性が十分存するから、行政事件訴訟法二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」には該当しない。
五 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に該当するかどうかについて
相手方は、退去強制令書の収容部分の執行停止につき、退去強制令書の発付された外国人に対して、収容部分の執行を停止することになれば、適法に入国・在留している外国人ですら、法により在留資格及び在留期間の点で管理を受け、法五四条が定める仮放免についても、保証金の納付等の相当程度の制約が存するのに比し、違法に在留する外国人についてはそのような規制を受けることがなく、全く放任状態のまま司法機関によって公認された形で在留させる結果となるが、このことは、裁判所が強制処分に積極的に干渉して、仮の地位を定める結果を招来し、行政事件訴訟法四四条の趣旨に反し三権分立の建前にも反するばかりか、法の定める外国人管理の基本的支柱たる在留資格制度(法一九条一項)を著しく混乱させるものであるし、仮放免における保証金納付等に対応する措置を採り得ないことから、逃亡防止を担保する一切の手段がないままに逃亡により退去強制令書の執行を不能にする事態が出現することも十分に予想されるところであり、かかる在留形態の存在は、在留資格制度を根幹として在留外国人の処遇を行っている法の規定からは到底容認し得ないもので、出入国管理に関する法体系を著しく乱すこととなるものといわざるを得ず、特に、申立人は、不法入国者であり、在留資格を有していない者であるところ、いったん収容の執行停止によって放免されるや否や、前述のとおり法上、何らの規制を受けずして本邦に在留し得ることとなるのは、何ら在留資格を有しない者に対し実質上在留活動を許容する仮の地位を与えたことと何ら異なるところがなく、あたかも民事訴訟法上の仮処分によって仮の地位を与えたのと同様の結果を招来することとなるのであって、このような事態を生じさせる退去強制令書に基づく収容の執行停止は、行政事件訴訟法自体が、同法二五条において原状回復の実効化について消極的保全措置にとどまっている上、同法四四条においては民事訴訟法上の仮処分を排除していることにかんがみれば、許されない旨主張し、また、送還部分の執行停止については、本案訴訟の係属している期間中、申立人のような法違反者の送還を長期にわたって不可能にすることになり、出入国管理行政を長期間停滞をもたらすことになる旨主張し、このような事態を招く退去強制令書の執行の停止は、本件と同様に在留期間を経過して不法に残留し、退去強制処分に付されるやこれを免れるために訴えを起こすという濫訴を誘発し助長するものであるから、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張する。
しかし、執行停止制度が行政事件訴訟法上の制度である以上、その制度を用いることは、同法が民事訴訟法上の仮処分を排除していることに何ら抵触するものではなく、本件処分の執行停止は、前記一ないし四で説示したとおり、行政事件訴訟法二五条所定の要件の存在を判断した上でされるものである。相手方がそのほかに主張するところは、いずれも退去強制令書の執行停止による一般的な影響をいうものであって具体性がなく、主張自体失当であるし、本件において、本件退令に基づく執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうかがわせる疎明はない。
また、難民条約三一条二項は、不法入国した難民についても、締約国は当該難民に第三国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を与えられることとしているが、我が国においては、このような不法入国した難民が第三国へ出国するまでの間、当該難民に生活上の支援を与える旨の法制度は整備されていないのであるから、当該難民は第三国に出国し得る状況となるまでの間自ら生計を立てるために活動せざるを得ない立場に置かれているのであり、このような観点からすると、申立人が難民としての保護を受けるべき地位にあると一応認められる以上、本件執行停止決定により、在留活動を許容する仮の地位を与えるのと異ならない状態が生ずることもやむを得ないことというべきである。
六 執行停止の期間について
前記二の「本案について理由がないとみえるとき」に該当するかどうかの判断については、本案事件の第一審判決の結論いかんにより影響を受けるものである。そして、本案事件の第一審判決において申立人敗訴の判決が言い渡された場合でも、なお「本案について理由がないとみえるとき」に該当しないとまでいうことは困難であり、この点については、本案事件の第一審判決の帰趨を待って改めて判断すべきものと解される。
しかして、本件退令に基づく執行の停止の期間は、執行停止期間満了時の円滑な事務処理の必要性をも考慮し、本案事件の第一審判決言渡しの日から起算して一〇日限りとするのが相当である。
七 結論
よって、本件申立ては、本案事件の第一審判決の言渡しの日から起算して一〇日後までの間につき本件退令に基づく執行の停止を求める限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六四条本文を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 藤山雅行 裁判官 村田斉志 廣澤諭)
<以下省略>