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東京地方裁判所 平成15年(ヨ)147号 決定 2003年1月27日

債権者 X ほか6名(仮名)

債務者 国

代理人 畠山稔 杉浦徳宏 宮本典幸 新谷貴昭 松島晋 ほか2名

主文

本件申立てをいずれも却下する。

申立費用は債権者らの負担とする。

理由

1  申立て

債務者は、別紙物件目録<略>記載の建物を取り壊してはならない。

2  事案の概要及び争点

本件は、債務者である国がその普通財産である別紙物件目録<略>記載の建物(以下「本件建物」という。)の取壊しを予定していることについて、本件建物の近隣住民である債権者らが、本件建物の由緒来歴、歴史的文化的価値、国民から寄せられている親しみと愛着の情などに照らすと、その取壊しは国民全体の利益に対する違法行為であり、債権者らにはこれを差し止める権利があると主張して、債務者に対し、仮処分手続をもって、本件建物の取壊しの禁止(差止め)を求めた事案である。

当事者らの主張は、債権者らの建物取毀禁止仮処分命令申立書及び第1準備書面並びに債務者の答弁書及び上申書に記載されたとおりであるから、これらの記載を引用する。

本件においては、まず、仮処分をもって保全すべき債権者らの権利があるかどうかが争点となっている。

3  争点に対する判断

仮処分命令の申立てにおいて、他人の行為の違法を主張し、その差止めを求める者は、まずもって、その差止めにより保全すべき自己の権利を疎明しなければならない。

そのような権利として、債権者らは、「環境権および歴史的伝統文化を守る権利」ないし「池田山の文化的歴史的環境を享受し、その破壊に対して防御する権利」を主張する。すなわち、債権者らは、本件建物の所在する池田山(東京都品川区東五反田五丁目)の住民であって、「五丁目の環境と文化を守る会」を結成しており、本件建物の近隣に住む者として、本件建物の歴史的意義や近隣の街並みの美しさを誇りに思い、本件建物は当然に保存されるものと信じてきたのであるから、自分たちのまわりの環境を守るため、広い意味の環境権の一つとして、前記の権利を有しているというのである。

しかしながら、以上の主張から、債権者らに対し、本件建物の所有者がこれを取り壊すのを差し止めることができるような法律上の権利を認めることはできない。

そして、債権者らの前記以外の主張も、債権者ら自身の民事法上の権利に関係するものではなく、結局のところ、債権者らのすべての主張を総合しても、保全命令により保全すべき権利の主張や疎明がされているとはいえない。

そうすると、本件申立てに理由のないことは、この段階で明らかである。

4  したがって、本件については、前記3で判断した争点を除くそのほかの点に立ち入って判断することなく、債権者らの申立てをいずれも却下することとし、申立費用の負担について民事保全法7条、民事訴訟法61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 金子直史)

当事者目録<略>

物件目録<略>

建物取毀禁止仮処分命令申立書(抄)

申立ての理由

第一被保全権利

1 <略>

2 <略>

3 本件建物は、昭和初期のチューダー朝風の屋根を持つ和洋折衷住宅であり皇后陛下の御生家であり、昭和55年日本建築学会が我が国に現存する幕末から昭和前期までの建物の全国調査の結果、「特に重要なもの、あるいは注目すべきものと考えられる作品」に該当するものとした建物である(『日本近代建築総覧 各地に遺る明治大正昭和の建物』)。本件建物の所在地は、旧池田藩邸跡で池田山と呼ばれ、現在品川区東五反田五丁目になっている。

4 同書には、本件建物のほか、東五反田五丁目所在の他の9戸の建物も「特に重要なもの、あるいは注目すべきものと考えられる作品」に該当するものとされており、本件建物は、それらの建物群とともに、池田山の街並みに独特の風格を与えてきたうえ、皇后陛下の御実家として国民は親しみと愛着の情を持って保存を願い、現在まで6万人の保存要望署名が集められ、毎日200名ほどの名残を惜しむ見学者が絶えない。

5 皇后陛下は、歴史上(古代を除く)初めての民間出身の皇后として国民の敬愛を集め、とりわけ当時の皇太子殿下との御成婚に際しては国を挙げての熱狂的な歓迎のうちに、本件建物をお出ましになられたのである。債権者らは、この歴史的事件に立会い、本件建物に近隣に住む者として誇りに思っていたのである。このような歴史的建造物は世界的に見ても当然保存されるものとして信じて疑わなかったのである。

6 そのうえ、上述のとおり、本件建物自体が極めて価値のあるものであり、債権者らは、その所在地の街並みの美しさを誇りに思ってきたのである。不動産バブルのころ、我が国の街並みが無数の地上げにあい、虫食い状態になったり、異質の建物が建てられ、町の景観を非常に損なっていることは周知の事実である。もし、本件建物が取り壊されるようなことがあれば、これは世界的な嘲笑のまとになるであろう。

7 文化財の保護について

1) 本件建物は、上述のとおり、歴史的文化的に価値の高い文化財であり、「明治期に確立した和洋館並列型住宅形式が大正・昭和期に至り変容していく様子を示す具体例ともいえ」、「戦前・戦後のわが国の都市における中小規模独立住宅の生活の変遷の具体的に知りえる貴重な住宅の遺構といえ」(<証拠略>)るものである。

2) 前記の『日本近代建築総覧』は、歴史的に重要な建物を網羅的に調査した結果、「このリストの作成に関与した研究者たちが共通して認めた現象は、これに続く大正・昭和戦前の建築に対する明治建築以上の破壊のすさまじさであった。」そこで、調査の結果、リストに挙げられたものは、「明治・大正・昭和戦前を通しての、日本近代建築の歴史の証人、文化活動の遺産のすべてを網羅した台帳がつくられたのである。」「とくに重要なもの、あるいは注目すべきものと考えられる作品には、備考欄に○印を付した。これを拠点として地方の建築ならびに都市の文化遺産の見直しが広く行われるようになることを切に期待するものである。」(<証拠略>)そして、本件建物は、その○印がつけられている。本件建物は、本来登録有形文化財として保護されるべきものである。

3) 文化財保護法は、第1条において、「この法律は、文化財を保護し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」と定め、その目的達成のため、第3条において、「政府及び地方公共団体は、文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行われるように、周到の注意をもってこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない。」と規定し、さらに、4条2項では、「文化財の所有者その他関係者は、文化財が貴重な国民的財産であることを自覚し、これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならない。」とも規定している。これは民間の所有者であってもそのような義務が課せられているのである。

4) ところが、驚くべきことに、いまや政府自身が、一般の不良債権処理に比すべき行為を行い、この文化財を率先して破壊しようとしているのであり、今回の取り壊しは貴重な文化財を破壊することに該当し、違法である。

8 したがって、今回の本件建物の取り壊しは、国民全体の利益に対する違法行為であるが、とりわけ、債権者らは東五反田五丁目の住民であり、この池田山の文化的歴史的環境を享受し、その破壊に対して防御する権利がある。

第2保全の必要性

1 債権者らは、本件建物の保存を訴えて運動してきたが、財務省は本件建物が無価値であるから、取り壊して更地にして本件建物の底地を売却するとして手続を進め、平成15年1月15日、住民との話合も拒否して取り壊し作業に入ろうとしたが、住民らが反対したため作業は中止したが、翌16日は、住民の反対を押し切って作業を進めている。

2 財務省の処理は、国民、とりわけ債権者ら近隣住民の意向をまったく無視しているばかりか、話合さえも拒否しているもので、穏当な話合を行えば、国の財政にも負担させずに、貴重な文化財を保護する道も開ける可能性があるのに、それさえも拒否している。

3 もし、債権者らは本件建物が取り壊されてしまえば、この街並みの美しさを回復することは不可能となるので、本申立に及ぶ。

第3その他の事情

1 本件建物の底地は、品川区に売却の予定であり、品川区は更地で買い受ける場合は、公園にするときいている。しかし、品川区は更地なら購入し、本件建物は不要であると主張したものでもなく、財務省が更地にすると決定したからやむを得ず、更地を購入することにしたもので、本件建物が存在していても購入予定には変わりないともきいている。

2 場合によっては、国民の基金などを集めて本件建物を保存する道も開ける可能性がある。

3 住民との話合を拒否して本件建物の取り壊しを強行する意味はない。

参考決定<1>(東京高裁 平成15年(ラ)第265号 平成15年2月25日決定)

主文

1 本件抗告をいずれも棄却する。

2 抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

1 本件抗告の趣旨は、「(1)原決定を取り消す。(2)相手方は、原決定別紙物件目録<略>記載の建物を、本日より1年間取り壊してはならない。」との裁判を求めるというものであり、その理由は、別紙「抗告状」<略>記載のとおりである。

2 本件は、相手方である国が、物納によりその普通財産となった原決定別紙物件目録<略>記載の建物(以下「本件建物」という。)及びその敷地(以下「本件土地」という。)につき、本件土地を更地として売却するため、本件建物の取壊しを予定していることについて、本件建物の近隣住民である抗告人らが、本件建物の由緒来歴、歴史的文化的価値、国民から寄せられている親しみと愛着の情などに照らすと、その取壊しは許されるべきものではなく、抗告人らにはこれを差し止める権利があると主張して、相手方に対し、仮処分手続をもって、本件建物の取壊しの禁止(差止め)を求めた事案である(以下、抗告人らの仮処分命令申立てを「本件仮処分命令申立て」という。)。

原決定は、被保全権利の疎明がないとして、本件仮処分命令申立てを却下した。

抗告人らは、これを不服として、本件抗告を申し立てた。

3 当裁判所も、抗告人らが本件仮処分命令申立てにおいて被保全権利として主張するものは、本件建物の所有者による本件建物の取壊しを差し止めることができるような法律上の権利であるとは認められず、したがって、本件仮処分命令申立ては、被保全権利の疎明がなく、理由がないものと判断する。その理由は、原決定2頁12行目から13行目の「民事法上の権利に関係するもの」を「法律上の権利利益にかかわるもの」に改めるほか、原決定の「理由」の3記載のとおりであるから、これを引用する。

4 よって、本件仮処分命令申立てをいずれも却下した原決定は相当であり、本件抗告はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 横山匡輝 山崎まさよ 萩本修)

参考決定<2>(東京高裁 平成15年(ラ許)第76号 平成15年3月25日決定)

当裁判所平成15年(ラ)第265号建物取毀禁止仮処分命令申立却下決定に対する抗告事件について、当裁判所が平成15年2月25日にした決定に対し、申立人らから抗告許可の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

1 抗告をいずれも許可しない。

2 申立費用は申立人らの負担とする。

理由

本件抗告許可の申立ての理由には、同決定について、民事訴訟法337条2項所定の事項を含むものとは認められない。

(裁判官 横山匡輝 山崎まさよ 萩本修)

参考決定<3>(最高裁一小 平成15年(ク)第393号 平成15年5月8日決定)

東京高等裁判所平成15年(ラ)第265号建物取毀禁止仮処分命令申立て却下決定に対する抗告について、同裁判所が平成15年2月25日にした決定に対し、抗告人らから特別抗告があった。よって、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

民事事件について特別抗告をすることが許されるのは民訴法336条1項所定の場合に限られるところ、本件抗告理由は、違憲をいうが、その実質は原決定の単なる法令違反を主張するものであって、同項に規定する事由に該当しない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判官 横尾和子 深澤武久 甲斐中辰夫 泉徳治 島田仁郎)

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