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東京地方裁判所 平成15年(ヨ)21068号 決定 2003年6月23日

主文

1  本件申立てをいずれも却下する。

2  申立費用は債権者の負担とする。

理由の要旨

第1申立て

1 債権者が,債務者に対し,労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2 債務者は,債権者に対し,平成15年3月20日から本案判決確定に至るまで,毎月25日限り金106万6606円,毎年7月及び12月の各末日限り,金305万7965円を仮に支払え。

第2事案の概要

1 本件は,債権者がその勤務する債務者の前代表者及びその関係者の名誉を毀損し,債務者の体面を汚したとしてなされた懲戒解雇の効力が争われた事案である。

(1) 争いのない事実

ア 当事者等

(ア) 債務者は,日刊新聞の発行等の業務を行う株式会社である。

(イ) 債権者は,昭和50年4月1日,債務者に入社し,以降,東京編集局証券部,同局経済部において,記者又は編集委員として勤務してきた者であり,その間,社長賞を2回,編集局長賞を5回受賞し,平成10年3月1日から千葉支局長,平成13年3月1日から編集局ベンチャー市場部長を歴任してきた。

(ウ) P1(以下「P1」という)は,平成15年3月20日当時,債務者の代表取締役であった。

(エ) 株式会社ティー・シー・ワークス(以下「TCW」という)は,債務者の100%出資の子会社である。

(オ) なお,債務者は,その株主を債務者の事業に関係ある者に限っており,債務者の定款上,債務者を退職した者は,その有する債務者株式を遅滞なく譲渡しなければならないと定められている。

イ 債権者は,債務者に対し,平成15年1月25日,同年3月28日に開催が予定されている債務者の第131定時株主総会において,P1を債務者の取締役から解任する旨の議案を目的事項とすること並びに同議案及びその提案理由の全文を同総会の招集通知に記載することを請求した。

ウ 債務者は,債権者に対し,同年3月20日付け解雇通知書をもって,債権者が,P1及び関係者の名誉を毀損するとともにプライバシーを侵害し,債務者の体面を汚したとして,就業規則70条4号により,懲戒解雇する旨通知した(以下「本件懲戒解雇」という)。

エ 債務者の就業規則70条4号では,従業員が「法規にふれ,会社の体面を汚したとき」には,当該従業員を解雇処分にする旨定められている。

2 争点

(1) 懲戒解雇事由の存否

【債務者の主張】

ア 名誉毀損の成否について

(ア) a 債権者は,債務者に対し,平成15年1月25日付で,債務者の第131回定時株主総会において,P1の解任を求める議案提案書を提出したが,その際,同月25日から27日にかけて,別紙1「送付先一覧表」記載のとおり,「株主提案権の行使に関する件」と題する書面(甲6,以下「本件書面1」という)及び「社員株主(OBを含む)の皆様へ」と題する書面(甲7,以下「本件書面2」という)の各文書を郵便又は電子メールで社内の多数の人間に対して送付した。

b 債権者は,これらの書面に,①P1とK・M女が,愛人関係にあった,②P1は,K・M女の子であるK・T子とも愛人関係となり,K・T子に子を産ませた,③K・M女は,これを悲観して自殺した,④K氏がK・T子の子U君を認知した,⑤U君は,実際にはK氏の子ではなく,P1の子であるなどの事実(以下「本件事実」という)を摘示して,P1,K・M女,K・T子,K氏及びU君(以下「P1外4名」という)の名誉を毀損した。具体的には,別紙2「摘示事実一覧表」の(あ) 欄記載の事実が摘示されており,これらの摘示事実は,その表現全体の趣旨からすれば,噂があることの指摘にとどまらず,本件事実が真実であることを示しており,P1外4名の社会的評価を害するものである。

c また,債権者は,平成15年1月25日ころ,「前略。突然ですが,お便りを差し上げます。」で始まる書簡(甲8の1,以下「本件書面3の1」という)及び「P1氏の愛人疑惑について」と題する書面(参考資料1ないし3が添付されたもの)(甲8の2,以下「本件書面3の2」という)を少なくとも6名の株主等に送付した。この中には別紙2「摘示事実一覧表」の(い)欄記載の事実が摘示され,本件事実が真実であることを示しているが,本件書面3の1及び2(以下,両者を併せて単に「本件書面3」という)は伝播可能性のある文書であり,これら事実の摘示により,P1外4名の名誉が毀損された。

(イ) この点,債権者は,本件事実は,既に別の報道機関により報道された事柄であり,債務者関係者において周知の情報であると主張するが,本件事実は,既に報道されているもの以上に具体的で,新たな事実を含む内容であり,周知の事実ではない。

(ウ) なお,本件書面1ないし3では,P1以外の人物についてイニシャルで表記されているが,人物の特定が可能な情報も記載されており,人物の特定に欠けるところはない。

イ 摘示された事実の公共性の欠如及び虚偽性について

(ア) 公共性の欠如

債務者の代表者であるP1について,公人としての要素があるとしても,同人の私生活における全ての行状に事実の公共性が認められるものでなく,P1に男女関係,親子関係について噂があるという事実は,新聞社の社長としての資質とは無関係のことであり,公共性はない。また,P1以外の関係者の男女関係,親子関係は,全く公共性がない。

(イ) 虚偽性

本件事実は,いずれも真実でない。また,債権者の調査内容は,P1のクラブ「K」への来店状況の取材並びにK氏及び料亭経営者といった極めて少数の関係者への取材のみであり,相当の資料・根拠に基づくものではない。

ウ 「会社の体面を汚したとき」について

(ア) 記者は,真実かつ適正な言論の提供を職とするものであり,その言論活動について,高い職業倫理が求められている。それにもかかわらず,債務者の記者である債権者が,男女関係というP1外4名のプライバシーの中でも公共性がないか,極めて乏しい事柄について,粗雑な取材のみに基づき,虚偽の事実を摘示することは,職務外の行為とはいえ,債務者としては大問題であり,債務者の体面は著しく汚された。

(イ) また,本件事実の摘示により,債務者の代表取締役が不適切な女性関係を有していると誤信されたことによっても,債務者の体面は著しく汚された。

(ウ) なお,債権者が書面を送付した相手は,債権者と特に親しい者に限定されておらず,社会一般の一部を構成しており,また,債権者は,本件書面1を株主全員に送付することを求めており,社内的行為を予定していたものではない。

【債権者の主張】

就業規則70条4号は,①従業員が法規に触れる行為を行ったこと,②当該行為によって,③会社の体面を汚したことを要件としているが,同号が処分の内容として解雇処分のみを掲げ,他と比較して著しく重い規定となっているから,同号の各要件の解釈は厳格になされなければならない。

ア 名誉毀損の成否について

(ア) 本件書面1ないし3は,別の報道機関で既に報道された内容について,自ら調査を行ったこと並びにその調査方法及び調査結果を記載し,調査の結果,疑惑は真実であるか否か不明であったが,結論として,「こうした疑惑を持たれること自体が」,「クオリティーペーパーを標榜する当社の取締役として全く失格である」と主張したものにすぎず,本件事実の摘示などされていない。

(イ) また,本件書面1ないし3では,P1以外の人物は特定されていない。

(ウ) なお,本件書面3は,①債権者の親しい先輩諸氏に対し,社員による社内改革を図るべく株主提案権を行使することにつき理解を求める文書であり,②送付を受けた6名の株主は,秘密保持がその職業倫理となっている新聞人で,③送付後直ちに回収され,不特定多数人に伝播されていないことなどに鑑みれば,公然性を有しない。

イ 事実の公共性,目的公益性及び事実の真実性について

(ア) a P1は,我が国を代表する新聞社の1つである債務者の代表取締役社長として,社会的に多大な影響力を有する人物であるから,その私生活上の行状であっても,公共性を持つものである。

b 債権者は,TCWの不正経理,隠し子等好ましくない風評が流布されているP1が債務者取締役の座に留まることが,債務者の信用を傷つけことを専ら憂える気持ちから,自らその真偽を調査して,その方法と結果を記述したもので,その目的は専ら公益を図ることにある。

(イ) 債権者は,半年間以上にわたり,独自の取材・調査を行い,その結果を本件書面1ないし3に記したものであるから,その内容が真実である場合はもとより,仮に真実でなかったとしても,真実であると信じるに足る相当の理由がある。

ウ 「会社の体面を汚したとき」について

(ア) 会社の体面とは,会社に対する社会一般の客観的評価のことであるから,会社内部における行為は,就業規則70条4号には該当しない。債権者の行為は,社内的な改革を図るべく,株主や取締役に対して文書を送付したにすぎず,単なる社内問題である。

(イ) 仮に,債権者の行為がP1の名誉を毀損するものとしても,P1個人に対する名誉毀損行為は,「会社の体面を汚」すものではない。

(ウ) 債務者は,①債権者のような社員がいることは会社の体面を汚し,②債務者の代表取締役社長が不適切な女性関係を有していると誤信されたことにより会社の体面を汚されたと主張するが,一社員の存在ないしその社内的行動が会社の体面を汚すということ自体意味不明であり,誤信の主体及び誤信と体面との関係も不明であって,主張自体失当である。

(2) 本件懲戒解雇の相当性

【債権者の主張】

ア 本件懲戒解雇の恣意性について

債務者は,社員株主が債権者の提案に多数賛同することを恐れ,巨額の賠償を求める株主代表訴訟が提起されることが確実な状況を打破すべく,債権者を刑事告発し,強いて懲戒解雇したもので,本件懲戒解雇は,合理性を欠き,社会通念上相当とは認められない。

イ 他の事案との対比について

(ア) 債務者は,平成5年9月25日付け朝刊及び全日版社会面において,「清水建設 大型受注相次ぎ失敗 88年 水戸芸術館も 窮状打破へ贈賄?」との見出し記事により,茨城県知事選挙の立候補者が市長時代に清水建設との間で不正常な関係があるかのような記事を当該選挙前に掲載した。これに対し,前記候補者から債務者を相手方として,名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟が提起され,債務者は,最高裁判所まで争ったが敗訴した(以下「別件名誉毀損事件」という)。

(イ) 別件名誉毀損事件は,広く一般読者向けの記事により他人の名誉を毀損し,判決により名誉毀損が認定されたものであるにもかかわらず,債務者内部で記者,編集者その他関係者に対する懲戒処分が行われた形跡はない。

【債務者の主張】

ア 本件懲戒解雇の恣意性について

債務者は,債権者の株主提案について,本件事実が記載された提案理由2を削除したが,その余のTCWの不正経理に係る経営責任を問うP1の解任請求については,第131回定時株主総会でこれを議案として取り上げ,十分な審議を行い,投票まで実施しており,債権者の株主提案の決議に不当な影響を及ぼそうとして,本件懲戒解雇を行ったのではない。

イ 他の事案との対比について

債権者による名誉毀損行為と別件名誉毀損事件とは,事案の性質や表現に係る違法性の程度等に差があり,別件名誉毀損事件について懲戒処分がなされていないからといって,本件懲戒解雇を不当ということはできない。

(3) 本件懲戒解雇に至る手続(以下「本件懲戒手続」という)の適法性

【債務者の主張】

ア 債務者は,P1から,本件書面1のうち本件事実が記載された提案理由2について,名誉毀損と考える旨の指摘を受け,代表取締役の名誉に関する事柄で会社の信用毀損にも直結する重大問題であると認識した。そして,債務者では,平成15年2月から3月にかけて,別紙3「時系列表」記載のとおり,包括的に調査を実施し,債権者からも事情を聴取したところ,本件事実が虚偽である可能性が極めて高く,債権者の行為は,就業規則70条4号に該当するおそれが高いとの結論に至った。そこで,債務者は,債権者から弁明を聴取し,慎重に検討したが,債権者が債務者の代表者であるP1外4名の名誉を毀損したことは明白で,報道に従事する者として到底許される行為でないと判断せざるを得ず,最終的に債権者を懲戒解雇した。

イ 債権者の行為が懲戒事由に該当するか否かの調査及び債権者を懲戒するか否かの判断は,債務者が独自にその責任において行うべきものであり,捜査機関の捜査や判決の確定を待つべき理由はない。

【債権者の主張】

ア 本件懲戒手続は,初めに結論ありきの実に杜撰かつ形骸化したものであった。すなわち,債権者は,債務者に対し,弁明の前提として,6点の質問を行い,口頭での質問も行ったが,債務者はこれに一切回答しなかった。また,債権者が債務者に対し,懲戒の対象となる行為及び適用される就業規則を具体的に明らかにすることを求め,改めて弁明の機会を設けることを要請したところ,債務者は,本件懲戒解雇の前日,ようやく本件書面1の提案理由2の主要部分が事実無根であること並びにこれを本社役員5名及び社員株主57名に送付した行為が,名誉毀損,プライバシー侵害の可能性が高く,就業規則70条4号,71条1号,5号に該当するものとして懲戒処分を検討していると回答した。そして,解雇通知書には,懲戒の対象となる事実が曖昧にしか記載されておらず,解雇日の調査最終報告書では,本件書面3を役員,幹部社員数人宅に送付したことが,新たな懲戒事由として掲げられていた。したがって,債権者は,本件懲戒解雇に至るまでの間,懲戒の対象事実及び根拠規定を正確に把握し,防御を尽くすことができず,弁明の機会は与えられなかった。

イ 債権者の行為が法規に触れるか否かは,客観的な基準に基づいて決せられなければならず,名誉毀損であれば,確定裁判を待って判断すべきである。

(4) 保全の必要性の存否及び程度

【債権者の主張】

ア 賃金仮払いの必要性

債権者は,給与生活者であって,債務者からの賃金のみで生計を維持している。

債権者の年収は,額面で約1800万円(賞与含む)であり,月平均150万円となるところ,月平均の支出は140万円であり,債務者からの給与が失われれば,生活が破綻するのは必至である。また,前記収支からすれば,債権者にある程度貯蓄があるとしても数百万円程度にすぎない。

イ 地位保全の必要性

(ア) 債権者は,債務者監査役に対し,平成15年3月17日付内容証明郵便により,債務者取締役がTCWの監督を懈怠したため債務者に与えた損害等の賠償を求めるよう請求し,債務者監査役がこれを実行しない場合は,責任のある債務者取締役に対して,株主代表訴訟を提起すべく準備中である。

(イ) ところで,債務者は,その定款で,従業員が解雇されたときは遅滞なくその所有する株式を譲渡しなければならないと定めており,債権者の解雇は,債務者取締役の責任追及を行おうとしている株主の求心力を失わせ,後日,本案で解雇無効の判決がされたとしても,債権者が社員株主を地位を回復できる見込みは殆どないことから,株主代表訴訟の提起を封じることを意味するものである。

【債務者の主張】

ア 賃金仮払いの必要性

債権者は,直近の10年間で,1514万円ないし1909万円の年収を得ており,扶養家族が妻1名との家族構成からみても,相応の貯蓄があると考えられる。

債権者の提出資料によれば600万円余りの預金があり,本案訴訟期間中,債権者夫婦の生活を維持することは十分に可能である,

イ 地位保全の必要性

株主代表訴訟における株主たる地位の存否又は不存在は,当該訴訟において確定されるべき問題である。

ウ 本件は,刑事手続にも関連し,関係者も多数に及ぶため,書面審理を中心とする仮処分手続でなく,本案において判断されるべき事案である。

第3争点に対する判断

1 争点(1)について

債務者の就業規則70条4号は,「法規にふれ,会社の体面を汚したとき」には,当該従業員を解雇処分とすると定め,従業員の会社の信用保持という規律の違反に対する制裁を定めていると解されるが,処分の内容として,解雇処分のみを掲げていることからすると,同号が適用されるには,行為の違法性及びその結果として客観的に生じるおそれがある会社の信用に対する毀損の程度が,当該社員を社内から排斥しなければならない程度のものに達していることが必要であると解される(なお,信用の毀損については,それが現実に具体化することを要さず,そのおそれが客観的に認められれば足りると解するのが相当である。最高裁判所昭和49年2月28日判決民集28巻1号66項,同昭和49年3月15日判決民集28巻2号265項参照)。そして,その判断に当たっては,当該行為の性質,情状のほか,会社の事業の種類・態様・規模,会社の経済界に占める地位,経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に考慮するのが相当である。

そこで,これらの点を踏まえて,債権者の行為が就業規則70条4号に該当するか否かを検討する。

(1) 行為の違法性について

ア 名誉毀損行為(公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した行為)の存否について

(ア) a 疎明資料(甲6,7,8の1,2,同13)及び審尋の全趣旨によれば,債権者は,債務者に対し,平成15年1月25日付で,債務者の第131回定時株主総会において,P1の解任を求める議案提案書を提出するとともに,同月25日から27日にかけて,別紙1「送付先一覧表」記載の送付先に対し,本件書面1及び2の各文書を社内メールで送付したこと,債権者は,同月25日ころ,本件書面3を少なくとも6名の株主等に送付したことが一応認められる。

また,疎明資料(甲6,7,8の2)によれば,本件書面1及び2には,別紙2「摘示事実一覧表」(あ)欄記載の記述が,本件書面3の2には,同表(い)欄記載の記述がされていることが一応認められる。

b これらの記述は,その表現全体の趣旨からすれば,それを読んだ者に対し,①P1とK・M女が,愛人関係にあった,②P1は,K・M女の子であるK・T子とも愛人関係となり,K・T子に子を産ませた,③K・M女は,これを悲観して自殺した,④K氏がK・T子の子U君を認知した,⑤U君は,実際にはK氏の子ではなく,P1の子であるといった本件事実が存在するとの印象を与えるもので,これによって,P1外4名の社会的評価の低下が招来される内容といわざるを得ない。

そして,債権者は,本件書面1及び2を57名という多数の者に配布した。また,本件書面3の2については,債権者が現に配布したのが6名とはいえ,疎明資料(甲8の2)によれば,本件書面3は,被送付者6名に対して,債権者の株主提案への賛同を求めるために送付されたものであり,被送付者に対して他言は禁じられていないことが一応認められる。したがって,債権者は,本件書面3の2に記載された内容が6名から他に伝播することを期待しており,客観的にみても伝播可能性があったというべきである。

c 以上によれば,債権者は,本件書面1ないし3により,公然と本件事実を摘示し,P1外4名の名誉を毀損したものである。

なお,疎明資料(甲7,8の2)によれば,本件書面2には,K・M女及びK・T子は,港区<以下略>のビルの地下にある会員制クラブ「K」を経営していること,同クラブは1988年12月に開かれ,経営主体が株式会社Kであり,その代表取締役がK・T子であること,K・M女はβの芸者であり,1996年3月に株式会社Kの取締役を辞任し,1997年12月24日,60歳で目黒にて死亡した人物であること,K氏は,K・T子の子U君を認知している人物で,中堅建設会社Nの社員であることが記載され,また,本件書面3の2には,K氏の実名(氏),クラブ「K」の実名及び所在地,K・M女の住所及び実名(名),K・T子の実名(名)が記載されていることが一応認められ,名誉毀損の対象者は特定されているというべきである。

(イ) これに対し,債権者は,本件書面1ないし3は,既に報道された内容であり,調査した結果,疑惑が真実か否かは不明であったが,疑惑を持たれること自体が問題であると主張したものにすぎないと主張する。

a しかし,本件書面1ないし3が送付された平成15年1月当時,本件事実と同一の事実が既に報道されていたことを疎明するに足りる資料はなく,そもそも摘示された事実が公知の事実であっても名誉毀損は成立する。

b また,疎明資料(甲6,8の2)によれば,本件書面1には,「真相のいかんに関わらず,こうした疑惑を持たれること自体が」,本件書面3の2には,「同氏には愛人がいるとの疑惑が指摘されており,こうした疑惑を持たれること自体が」との記述がみられるが,風聞,噂の形で摘示された場合であっても,風聞,噂の内容とされた事実について名誉毀損が成立する上,そもそも,本件書面1には,「上記記事の裏付けは一応とれた。」との記載,本件書面2には,「愛人疑惑についても,否定する材料は一切なく,事実である可能性が極めて高い」と記載,本件書面3の2には,「U君は,P1氏の隠し子であるある可能性が濃厚なのである」との記載があることが一応認められるのであり,本件書面1ないし3の記載は,疑惑を持たれることが問題であるとの主張を記載したに留まらず,本件事実を摘示したものというべきである。

c したがって,債権者の前記主張は,いずれも理由がない。

イ 事実の公共性及び目的の公益性について

(ア) 事実の公益性

債務者が我が国を代表する新聞社の1つであることは公知の事実であり,P1は,債務者の代表取締役社長として,社会的に多大な影響力を有する人物であるから,その私生活上の行状であっても公共性を持ち,本件事実は,その資質に関わるP1の私生活上の行状及びそれに密接不可分の事実であるから,公共性を有するというべきである。

(イ) 目的の公益性

疎明資料(甲6,7,8の1,2,13)によれば,債権者は,TCWの不正経理に係る経営責任や隠し子といった好ましくない風評が流布されているP1が債務者取締役の座にあることが,債務者の信用を傷つけると考え,本件事実を摘示したもので,その目的は公益を図ることにあることも一応認められる。

ウ 事実の真実性(虚偽性)について

(ア) 本件事実の虚偽性

疎明資料(乙10ないし12)及び審尋の全趣旨によれば,K・M女の死因は,直接には肝不全であり,その原因は肝硬変及び肝癌であること,DNA鑑定の結果によれば,P1とU君の間に親子関係はなく,むしろ,K氏とU君が親子関係にある確率が99.9993%であるとされたことが一応認められる。

したがって,本件事実のうち,②P1は,K・M女の子であるK・T子とも愛人関係となり,K・T子に子を産ませた,③K・M女は,これを悲観して自殺した,⑤ U君は,実際にはK氏の子ではなく,P1の子であるといった事実は存在せず,本件事実の主要な部分は虚偽であることとなる。

(イ) 真実と誤信したことの相当性

債権者は,債権者は,半年間以上にわたり,独自の取材・調査を行ったもので,本件事実が真実であると信じるに足る相当の理由があると主張する。

しかしながら,疎明資料(甲8の2,同13)によれば,債権者は,①平成14年9月1日から同年12月7日までの期間において,P1がクラブ「K」に通った頻度,②K氏の経歴等の調査及びK氏との面談,③αの料亭経営者からの事情聴取,④K・M女及びK・T子の経歴及び資産状況を調査したことが一応認められるが,これらの調査によって,債権者が本件事実を真実であると信じたとしても,その誤信が相当であったということはできない。

a すなわち,前記①については,疎明資料(甲8の2,同13)及び審尋の全趣旨によれば,P1が,前記期間中,連日のように午後9時ないし10時ころにクラブ「K」を訪れていることが一応認められ,これを問題視した本件書面3の2における債権者の指摘(「日本経済がかつてない苦境にあり,日本経済新聞社の読者である多くのサラリーマンが苦しみもだえている最中に,このような行動を続ける,品位のかけらもない人物」)は,公正な評論であるといえるとしても,当該事実から本件事実を推認することができないのは明らかである。

b また,疎明資料(甲8の2,同13,乙8,12)及び審尋の全趣旨によれば,債権者は,平成14年11月ころ,K氏と面談したが,その際,同氏から,K・T女及びU君のことは,プライバシーに関わるのでノーコメントであると言われたこと,P1の社長在任が長くなると,色々,膿がたまって来ると言われたこと,本件事実を取り上げることを控えるよう求められたことはないことが一応認められる。

しかし,疎明資料(甲8の2,同13,乙8)によれば,債権者は,知人の紹介を得て,K氏と初めて面会したこと,その時間は15分程度であったこと,K氏は,債権者に対し,P1とは面識がなく,K・M女は肝臓が悪くて死亡したと思っていたと発言していること,債権者は,K氏に対し,本件事実に関することのほか,TCWについて,東京地方検察庁特別捜査部の調査が進められている旨説明していること,債権者は,K氏に対し,U君を認知した具体的理由ついて,何ら質問しなかったことが一応認められ,さらに,U君がK氏の子であるのは前記のとおりである。

以上からすると,債権者とK氏の面会におけるK氏の発言は,U君との関係という同氏のプライバシーに関する部分について,債権者から詮索されることを忌避したものにすぎず,P1がU君の父親であることを黙認したものでなく,P1の社長在任期間に関する発言も,TCWの件を念頭に置いたものにすぎないと解され,債権者が,K氏との面会の結果から,U君がP1の子であると信じるのが相当であるとする根拠はないといわざるを得ない。しかも,債権者は,K氏とは何ら信頼関係がないのであるから,K氏の発言の真意を十分に確認すべきであり,また,K・M女が肝臓を害して死亡したとの情報を得,その真偽を確認すべきであったにもかかわらず,それらを怠ったもので,事実確認として不十分であることは明らかである。

c さらに,前記③及び④についても,疎明資料(甲8の2,同13)によれば,K・M女及びK・T子がある程度の資産を形成していることが窺われ,また,債権者は,クラブ「K」周辺の料亭経営者から,K・M女が「当時,首つり自殺をしたとの噂がαの花柳界などに流れた」との情報を得たことが一応認められるが,これらをもって,本件事実が真実であると考えることができないことも明らかである。

d そして,前記①ないし④の調査内容を総合したとしても,その客観性は乏しく,到底,本件事実を真実であると考えることはできないというべきである。

(ウ) よって,本件事実は虚偽であり,債権者が本件事実を真実であると誤信したとしても,そのことについての相当性は認められない。

エ ところで,債務者が,我が国を代表する新聞社の1つであることは公知の事実であり,審尋の全趣旨によれば,その中でもとりわけクオリティペーパーを標榜していると一応認められる。そして,疎明資料(甲9)によれば,債務者の就業規則38条では,「報道に関係する従業員は,報道の真実,公正,気品などを維持,高揚するために次の各号を守らなければならない。」と定め,1号で「報道は真実に従い,筆者個人の意見を加えてはならない。」と定められていると一応認められる。そうだとすると,就業規則38条は,職務上の規律を定めたものとはいえ,前記のような債務者の社会的地位からすれば,債務者の従業員が,公然と虚偽の事実を摘示し,他人の名誉を毀損することは,職務の内外を問わず,厳に慎まれるべき行為と解される。

そして,前記ア及びウで検討したところによれば,債権者は,公然と虚偽である本件事実を摘示し,P1外4名の名誉を毀損した(以下「本件名誉毀損行為」という)ものであるが,本件事実の内容は,P1がおよそ倫理観・道徳観の欠如した人物であるとの印象を与えるもので,名誉毀損の程度において著しく,また,関係者4名の名誉も毀損するものである上,調査したいう内容は,極めて安易で,本件事実を真実と誤信したとしても,軽率の謗りを免れないとうべきであり,本件名誉毀損行為は,その違法性を軽視することはできず,債務者として看過することができない行為といわざるを得ない。

(2) 「会社の体面を汚したとき」について

ア 前記のとおり,我が国を代表する新聞社の1つであり,その中でもとりわけクオリティペーパーを標榜する債務者の立場からすれば,従業員の違法行為によって,債務者の報道が正確であるとの社会的評価が害されることは,債務者にとって極めて重大な結果である。

前記争いのない事実によれば,債権者は,債務者の記者として要職を歴任してきた者であり,そのような者が,本件名誉毀損行為を行えば,債務者の報道の正確性に対する評価が大きく毀損されるおそれが客観的に生じることは明らかである。

イ また,債務者自体の体面と債務者代表者個人の体面とは別個のものであるが,債権者が摘示した本件事実は,当時債務者の代表者であったP1の不適切な男女関係に関するもので,P1の名誉を毀損する内容であり,このような債務者代表者の私生活上の行状の摘示により,その品格が低劣であるとの印象を抱いた者は,そのような者が代表者を務めている債務者自体の品格をも疑うこととなるのが通常である。したがって,本件名誉毀損行為自体は,直接,債務者の社会的評価を低下させるおそれがあると客観的に認められる行為でもあり,その程度についても,前記の債務者の立場からすれば,重大なものとなるおそれが客観的に存在するものである。

ウ この点,債権者は,債権者の行為は社内行為であり,会社に対する社会一般の客観的評価が毀損されることはあり得ないとするが,会社に対する評価の毀損については,その抽象的危険があれば足りるというべきであるから,債権者が本件書面1ないし3を送付した相手方が債務者の社員であるとしても,就業規則70条4号該当性が否定されるものではない(なお,最高裁判所昭和58年9月8日判決参照)。

(3) 以上検討したところによれば,本件においては,その違法性を軽視することができず,債務者として看過することができない本件名誉毀損行為により,我が国を代表する新聞社の1つで,その中でもとりわけクオリティペーパーを標榜する債務者の報道の正確性に対する信用及び債務者の社会的評価一般が大きく毀損されるおそれが客観的に生じており,債権者は,就業規則70条4号に該当する行為を行ったといわざるを得ない。

なお,前記(2)ア及びイで述べた内容は,それぞれ私生活上の非行及び誠実義務違反に分類されるものであり,前記イの類型については,就業規則70条2号(「会社の不利になる行為をしたとき」)の該当性も問題となるが,いずれも会社の信用保持に係る規律違反を含んでおり,就業規則70条4号該当性が否定されるものではないと解される。

2 争点(2)(本件懲戒解雇の相当性)

(1) 債権者は,本件懲戒解雇は,株主社員が債権者の提案に多数賛同することを恐れ,巨額の賠償を求める株主代表訴訟が提起されることが確実な状況を打破すべく,債権者を刑事告発し,強いてなされたものであると主張するが,これを疎明するに足りる資料はない。

(2) また,別件名誉毀損事件に関し,債務者の従業員が懲戒処分を受けていないことは,当事者間に争いがないが,本件名誉毀損行為は,債務者の報道の正確性に対する信用のみならず,債務者の社会的評価一般を大きく毀損するおそれを客観的に生じさせたものであり,別件名誉毀損事件と同列に考えることはできない。したがって,別件名誉毀損事件について処分がなされていないからといって,本件懲戒解雇が,平等取扱いを欠き不相当となるものではない。

(3) なお,前記1(1)イ(イ)のとおり,債権者が本件事実を摘示したのは,公益を図る目的であったと一応認められるものの,それによって虚偽の事実を摘示することが許されるものでなく,また,TCWの不正経理に関する疑惑の指摘が正当なものであるとしても,それに加えて,客観性を欠く本件事実まで摘示する必要性は認め難く,本件懲戒解雇が相当性を欠くとまでいうことはできない。

3 争点(3)(本件懲戒手続の適法性)

(1) 疎明資料(甲10,13,乙2,4ないし9)によれば,以下の事実が一応認められる。

ア 債務者は,別紙3「時系列表」記載のとおり,本件名誉毀損行為について,調査を行い,その結果,債権者の行為が,就業規則70条4号に該当する可能性が高いと判断した。

イ そして,債務者は,平成15年3月6日付け書面に「就業規則違反に関する弁明について」と題する書面に「あなたが平成15年1月下旬に,本社役員および社員に郵送又は編集局メールで配信した文書は,記述内容に本社代表取締役社長・※P1および外部関係者の名誉を毀損する疑いが極めて強い部分があります。本社としては,あなたの行為が就業規第70条に触れる可能性が高いと判断,調査結果をもとに懲戒処分の適否を検討します。ついてはあなたに弁明の機会を改めて設けますので,下記の日時においで下さい。(後略)」と記載し,これを原告に手交した。

ウ これに対し,債権者は,債務者に対し,同月13日,6点について質問し,これらに対する回答を要求したが,その6点の内容は,いずれも債権者の行為の存否に関するものではなく,債務者の他者への対応や債権者を懲戒解雇とした場合の債権者の株主総会出席の可否に関する内容であった。

エ 債務者は,債権者に対し,同日,書面で,債権者の6項目の質問に回答する必要はない旨通知するとともに,債権者の株主総会への出席は保証されているとした上,弁明のための来社を促した。

オ 債権者は,同月18日,債務者の本社に出社し,弁明を行った。その際,債権者は,同日付け書面に,その時点での弁明とともに「懲戒処分の適否を検討する以上,『どの部分がどういう理由で名誉毀損になるか』『就業規則70条のどの項目に該当するのか』などを具体的に対象者に説明するのが会社側の責務のはすです。

また,処分決定までの手順なども示す必要があります。そうした説明を文書にて示した上,再度,弁明の機会を設定するよう要請します。」と記載して債務者に提出した。

カ 債務者は,債権者に対し,同月19日,弁明の機会は既に十分に与えたとした上,債権者が,債務者に対し,同年1月25日,本件書面1を送付し,同日から同月27日にかけて,債務者の役員及び部長ら計57名に対し,本件書面1及び2を送付したことが,名誉毀損,プライバシー侵害に当たる可能性が高く,就業規則70条4号,71条1号,同5号に該当するとして,懲戒処分を検討しているなどとする書面を手交した。

キ 債務者は,社内での調査の最終報告として,債権者は,本件書面1ないし3を債務者の役員及び部長らに送付したが,その内容のうちP1のプライバシーに関する記述が事実無根であり,関係者の名誉毀損及びプライバシー侵害に当たるという確証を得ており,債権者の行為は,就業規則70条4号か,同71条1号に該当するとの報告を受けた。

ク 債務者は,債権者に対し,同月20日,解雇通知書を手交した。同通知書には,理由として,「貴殿は平成15年1月下旬に,P1代表取締役社長のプライバシーに関して事実無根のことを記述した文書を社内約60人に対して送った。この行為はP1社長および関係者の名誉を毀損し,プライバシー侵害に当たるものであり,言論報道機関である会社の体面を汚した。これは(中略)就業規則70条4号に該当するため。」と記載されていた。

(2) 以上によれば,債務者は,債権者に対し,同年3月6日,本件懲戒解雇について,処分の対象となる事実の要旨,適用される就業規則の条文を示しているが,これによって債権者の防御権行使は十分に可能というべきであり,債権者には弁明の機会が保障され,本件懲戒手続は適正になされたというべきである。なお,前記認定によれば,本件書面3の送付は,同月19日に債務者から債権者に手交された書面に懲戒対象事由として記載されていないが,本件書面3の送付は,本件書面1及び2の送付行為と密接に関連した同種の行為であるから,具体的摘示がないとしても,本件懲戒手続が適正を欠き,本件懲戒解雇が無効となるものではないと解するのが相当である。

よって,本件懲戒手続において,弁明の機会が与えられなかったとの債権者の主張は採用できず,他に本件懲戒手続が適正になされたとの認定を左右するに足りる疎明資料はない。

4 以上によれば,本件懲戒解雇を無効ということはできず,本件申立ては,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。

(裁判官 增永謙一郎)

<編注:『※』部分は原文のとおり。>

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