東京地方裁判所 平成15年(ワ)11935号 判決 2005年7月19日
原告
住友スリーエム株式会社
代表者代表取締役
一栁肇
訴訟代理人弁護士
中本光紀
被告
昭和電工株式会社
代表者代表取締役
大橋光夫
訴訟代理人弁護士
北原弘也
被告補助参加人
デュポンダウエラストマージャパン株式会社
代表者代表取締役
植村順一郎
被告及び補助参加人訴訟代理人弁護士
田中徹
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、一億円及びこれに対する平成一五年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、接着剤の原液を海外から輸入し、これを使用してスプレー接着剤を製造・販売したところ、接着剤の原液に被告が化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(以下「化審法」という。)に違反して製造・販売した合成ゴムが使用されていたことから、接着剤の原液及びこれを基に製造されたスプレー接着剤に化審法の規制する化学物質が含まれることとなったため、経済産業省による行政指導を受け、製品の出荷停止及び回収等を余儀なくされたとして、被告に対して、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
一 前提となる事実
次の各事実は、争いがないか、後掲各証拠により認めることができる。
(1) 原告によるスプレー接着剤の製造・販売
ア 原告は、工業用製品及び化学製品等の製造並びに販売を業とする株式会社である。
イ 原告は、平成五年一〇月から、主に自動車修理、内装材、看板・ディスプレー等の接着・取付けを用途とするスプレー接着剤「強力一番8888」、「スプレーのり333」及びOEM供給による「スプレーのりA5」(以下において、これらのスプレー接着剤を「本件接着剤」という。)を製造・販売してきた。
ウ 原告は、平成七年一〇月以降、本件接着剤の原液(以下「本件原液」という。)をカナダ法人である3M Canada Com-pany(以下「3Mカナダ」という。)から輸入し、国内において、噴射剤(ジメチルエーテル)を加えてエアゾール缶に充填する形で本件接着剤を製造している。
エ 3Mカナダは、本件原液を製造する際に、商品名「ネオプレンFB」(以下「NFB」という。)と称するポリクロロプレンゴムを使用しており、本件原液中のNFBの含有率は二・四二パーセントである。
(2) 被告及び補助参加人によるNFBの輸入、製造及び販売
ア 被告は、各種化学製品の製造及び販売等を業とする株式会社である。
イ 被告及びE.I. du Pont de Nemoures and Company(以下「米国デュポン社」という。)は、昭和三五年一二月、出資比率を一対一として後に被告に吸収合併されることとなる昭和ネオプレン株式会社(以下「昭和ネオプレン」という。)を設立した。昭和ネオプレンは、設立以後、クロロプレンゴムの製造及び国内製造をしていないグレードのクロロプレンゴムの輸入並びにそれらの販売を行っていた。
ウ 昭和ネオプレンは、昭和五〇年ころから、イギリス法人であるデュポンダウエラストマー社(米国デュポン社の関連会社。以下「英国デュポン社」という。)から、NFBを輸入し、国内への販売を開始した。NFBには、硫黄とクロロプレンゴムを均質に混合するための溶剤として、置換塩素数が三個以上のポリ塩化ナフタレン(以下「PCN」という。)が用いられており、含有率は約三・二パーセントないし約四パーセントであった。
エ 昭和六一年、昭和ネオプレンは、その商号を昭和電工デュポン株式会社(以下「昭和電工デュポン」という。)に変更した。
オ 米国デュポン社は、平成五年六月二二日、日本において、一〇〇%子会社であるデュポン株式会社を設立し、自己が有する昭和電工デュポンの株式を全てデュポン株式会社に移転した。
カ 米国デュポン社とThe Dow Com-panyとの間で、平成九年、Du Pont Dow Elastomers L.L.C.(以下「DDELLC」という。)が組織され、米国デュポン社のアメリカにおけるポリクロロプレンゴム事業は、DDELLCに出資された。そして、デュポン株式会社は、同社が有していた昭和電工デュポンの株式(発行済株式総数の五〇%)を全てDDELLCに譲渡した。
キ DDELLC、被告及びデュポン株式会社は、平成九年一一月一七日、日本におけるクロロプレンゴムの製造と販売の分離をすることを目的とする契約を締結し、DDELLCが六九・九%、被告が三〇・一%を出資して補助参加人であるディーディーイージャパン株式会社(以下「ディーディーイージャパン」という。)を設立し、ディーディーイージャパンがクロロプレンゴムの販売を行い、昭和電工デュポンはクロロプレンゴムの製造のみを行い、製造した製品は全てディーディーイージャパンに売ることとした。これに伴い、NFBの輸入・販売はディーディーイージャパンが引き継ぐこととなったが、NFBの販売先は国内に限られた。
ク 昭和電工デュポンは、平成一〇年、その商号を昭和ディー・ディー・イー製造株式会社(以下「昭和ディー・ディー・イー製造」という。)に変更した。
ケ 英国デュポン社が、平成一〇年六月、北アイルランドに有するメイダウン工場でのNFBの製造を中止することに伴い、昭和ディー・ディー・イー製造は、同年、DDELLCとの間で、技術ライセンス契約を締結し、PCNを輸入し、これを使用してNFBの製造を開始した。すなわち、昭和ディー・ディー・イー製造は、平成一〇年から平成一二年にかけて英国からPCN一八トンを輸入し、これを使用して平成一一年から平成一三年にかけてNFB約二五九トンを製造し、全量をディーディーイージャパンに販売し、同社が、二九トン(約一〇パーセント)を国内で販売し、二〇七トン(約八〇パーセント)を米国、カナダ、EU、アジアへ輸出した。米国及びカナダに輸出されたNFBは、DDELLC及びデュポン・カナダがこれを販売しており、その取引先の一つに3Mカナダがあった。
コ DDELLCは、平成一四年一一月、自己が有する昭和ディー・ディー・イー製造の株式を全て被告に譲渡し、他方で、被告は、自己が有するディーディーイージャパンの株式を全てDDELLCに譲渡した結果、被告は昭和ディー・ディー・イー製造の、DDELLCはディーディーイージャパンの完全親会社となった。なお、この際、昭和ディー・ディー・イー製造は、その商号を昭和電工エラストマー株式会社(以下「昭和電工エラストマー」という。)に変更した。
サ 被告は、平成一六年一月、昭和電工エラストマーを吸収合併した。
シ ディーディーイージャパンは、平成一五年二月一日、その商号をデュポンダウエラストマージャパン株式会社に変更した。
(3) 化審法によるポリ塩化ナフタレンの規制
ア 化審法は、昭和四八年九月一八日、難分離性の性状を有し、かつ人の健康を損なうおそれがある化学物質による環境の汚染を防止するため、新規の化学物質の製造又は輸入に際し、事前にその化学物質が難分離性等の性状を有するかどうか審査する制度を設けるとともに、その有する性状等に応じ、化学物質の製造、輸入、使用等について必要な規制を行うことを目的として制定され(同法第一条)、昭和四九年四月一六日から施行された。化審法は、難分離であり蓄積性を有し、かつ長期毒性を有する化学物質を政令で第一種特定化学物質に指定することとし(同法第二条第二項)、指定された第一種特定化学物質については、製造、輸入につき、経済産業大臣(以下「経産大臣」という。)の許可を要することとし(同法第六条第一項、第一一条第一項)、使用については、政令で指定する用途についてのみその使用を定め、その用途について使用する業者には届出をさせ、一定の技術基準を遵守させる(同法第一四条、第一五条第一項)ことにより、問題となる化学物質が環境に放出されないようクローズドシステムをとっている。そして、化審法は、これらの規制の違反に対しては、懲役刑を含む罰則を定めている。
イ PCNは、昭和五四年八月一四日、改正化審法施行令により、第一種特定化学物質に指定された。なお、PCNに対して、製造、輸入及び使用を規制をする国は、日本以外にはない。
(4) 経済産業省による行政指導
ア 昭和ディー・ディー・イー製造は、平成一四年一月九日、経済産業省に対し、無許可でPCNを輸入し、NFBを製造していたことを報告した。これを受けて、同省化学物質管理課は、同月一〇日から一五日にかけて、昭和ディー・ディー・イー製造及びディーディーイージャパンから事情を聴取した上で、同月一六日、上記二社に対し、健康被害や環境汚染の発生の防止の観点から、NFBの製造及び販売の中止、PCN及びNFBの在庫の適正な管理、NFBを使用した者に対するPCN含有の周知並びにNFBの回収を含めた適切な措置の実施を求めた。
イ また、経済産業省化学物質管理課は、NFBの国内流通状況を調査したところ、三〇社がNFBを使用していたこと、一二社がNFBを他の原材料と混合して製造したゴムコンパウンドを使用していたことが確認されたため、平成一四年二月一九日、上記四二社(原告を含む。)に対し、NFBは第一種特定化学物質であるPCNを含有しており、NFB及び上記ゴムコンパウンドの使用はPCNの使用となることから、第一種特定化学物質の使用制限に違反するとして、NFB及びゴムコンパウンドを使用し、製造した製品及びゴムコンパウンドの販売を中止するとともに、在庫の適正な管理をすること、販売先に対し、製品又はゴムコンパウンドにPCNが含有されていることを周知すること、販売先において未使用の製品及びゴムコンパウンドの回収などの措置を講ずることなどを要請した。
ウ 経済産業省化学物質管理課は、平成一四年二月二五日、原告に対し、本件接着剤の販売中止、本件原液及び本件接着剤の在庫の適正な管理、販売先に対する本件接着剤がPCNを含有する事実の周知及び本件接着剤の回収等の措置の実施を求めた。
エ 原告は、上記の要請を受けて、本件接着剤の回収等の措置を講じた。
二 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 争点一
被告の不法行為(その一)の成否
(原告の主張)
ア 昭和ディー・ディー・イー製造は、平成一〇年以降、化審法に違反して、PCNを無許可で輸入し、これを使用してNFBの製造を開始し、平成一一年七月以降これを販売した(違法行為一)。
イ ところで、原告が、本件行政指導により回収を余儀なくされた本件接着剤は、平成一三年一〇月ころまでに3Mカナダから輸入された本件原液から製造されたものである。そして、3Mカナダが本件原液を製造する際に使用したNFBは、3MカナダがE.I. du Pont Canada Company(米国デュポン社の関連会社。以下「デュポン・カナダ」という。)経由でDDELLCから購入したものであるところ、3Mカナダが平成一三年に購入したNFBの製造地は日本とされており、日本における唯一のNFB製造者は昭和ディー・ディー・イー製造であったことから、本件原液に含まれていたNFBは全て昭和ディー・ディー・イー製造が製造したものである。
そうすると、昭和ディー・ディー・イー製造が上記の通り化審法に違反してNFBを製造・販売しなければ、原告は本件行政指導を受けることがなかったのであるから、昭和ディー・ディー・イー製造による前記違法行為と原告が被った損害との間には条件関係がある。
ウ さらに、昭和ディー・ディー・イー製造が製造・販売したNFBが、海外に輸出され、再び国内に環流することや、これに対して本件行政指導がなされることは、予期できない異常かつ偶然の事情とはいえないから、因果関係は中断されないし、予見可能である以上、相当因果関係もある。
なお、被告は、本件行政指導は予見可能性がなかったと言うが、化審法の運用に関する行政庁の通知によれば、化審法第一三条第一項にいう製品とは、固有の使用形状を有するもの、または混合物のうち混合することのみによって商品となるものであって、原則として当該商品が最終用途に供されるようなもののうち、混合することにより元の化学物質の効用を著しく向上させ、または新たな効用を生じさせて商品となった混合物をいうものとされているところ、本件原液はドラム缶で輸入され、これに噴射剤(ジメチルエーテル)を加えてエアゾール缶に充填されて、本件接着剤となるものであるから、最終用途に供されるものではなく、同条項にいう製品ではない。したがって、本件原液をPCNを含有する化学物質であることを前提に行われた本件行政指導は、予見し得ないものではない。
(被告及び補助参加人の主張)
ア 本件原液の材料として用いられたNFBは、その全量が昭和ディー・ディー・イー製造の製造にかかる物ではない。すなわち、英国デュポンは平成一〇年に北アイルランドのメイダウン工場閉鎖後も大量のNFBの在庫があり、当該在庫がなくなるまで世界各国でNFBの販売を継続していた。平成一三年中にDDELLCがデュポン・カナダを経由して3Mカナダに販売したNFBは、約二・五トンであるが、そのうち約一・九トンが昭和ディー・ディー・イー製造の製造にかかるものであるが、約〇・六トンは英国デュポン社の在庫として残っていた物である。
イ 本件行政指導は、原告が、PCNを含有するNFBを用いて製造された本件原液を化審法の許可を受けずに輸入し、同法の使用の制限に違反してこれを使用して本件接着剤を製造したことに着目して行われたものであり、本件原液に含まれていたPCNを含有するNFBが適法に製造された物であるか違法に製造された物であるかは、本件行政指導の原因とは無関係である。したがって、昭和ディー・ディー・イー製造によるNFBの製造・販売と原告に生じた損害との間には条件関係は存在しない。
ウ また、昭和ディー・ディー・イー製造には、本件行政指導がなされることに対する予見可能性がなかったというべきであるから、昭和ディー・ディー・イー製造によるNFBの製造・販売と原告に生じた損害との間には相当因果関係がない。
すなわち、原告は本件原液に多少の追加溶剤を入れ、粘度を調整して販売しており、接着剤としての機能は本件原液自体が十分備えているから、本件原液はPCNを含む製品である。ところで、化審法は、PCNが使用されている製品を輸入することを禁止しているが(同法第一三条第一項)、輸入が禁止されるのは、政令で定められた、①潤滑油または切削油、②木材用の防腐剤、防虫剤及びかび防止剤、③塗料(防腐用、防虫用及びかび防止用のものに限る)の三種類に限られる(化審法施行令第三条)。本件原液は、PCNを使用する製品ではあるが、政令に定める製品に該当しないから、その輸入は化審法第一三条第一項には違反せず、また、本件原液はPCNそのものではなく、これを使用した製品であるから、化学物質としてPCNそのものの輸入及び使用を規制する化審法第一一条及び第一四条のいずれにも違反しない。したがって、本件原液の輸入あるいは本件原液を使用した製品の製造・販売は何ら化審法に違反しないから、本件行政処分がなされることは一般的に予見可能性がなかったというべきである。
他方で、本件原液が化学物質として化審法による輸入及び使用が規制対象となるとの解釈に立つのであるならば、本件原液を輸入及び使用する原告自身が、その成分を自ら十分に調査し、PCNを含有することを理解して、その輸入の許可を取得することが想定されるのであり、本件におけるように無許可で輸入し、これを使用することは予見可能性がなかった。したがって、以上いずれにせよ、本件においては、違法行為と損害との間に相当因果関係がないというべきである。
(2) 争点二
被告の不法行為(その二)の成否
(原告の主張)
平成一二年四月一日施行の改正労働安全衛生法はPCNをMSDS(製品安全データシート)に記載することを義務付けている。それ以前においても、社団法人日本化学協会(以下「日化協」という。)の「製品安全データシート作成の手引き」(平成三年六月)や「製品安全データシート作成指針」(平成四年八月)が指定した製品につきMSDSを作成することを提言し、労働省の「化学物質等の危険有害性等の表示に関する指針」(平成四年七月一日 告示第六〇号)、厚生省・通商産業省の「化学物質の安全性に関する情報提供に関する指針」(平成五年三月二六日 告示第一号)は指定した化学物質をMSDSに記載することを行政指導しており、PCNの含有を告知・公表する民事上の義務があった。
しかるに、被告はNFBにPCNが含まれること知りながら、平成六年七月一日改訂のMSDSにはPCNの含まれていることを記載せず(昭和電工デュポン時代)、またNFBのカタログにもPCN含有の事実を記載していなかった(昭和ネオプレン時代)。
被告(昭和ネオプレン及び昭和デュポン)がNFBにPCNが含まれている事実を日本国内に告知・公表していたならば、原告はPCNが化審法に違反することを知っていたから、PCNを含む本件原液に輸入が化審法に抵触することを知ることとなって、その輸入を中止し、本件行政指導を受けることはなかった。したがって、被告がNFBにPCNを含有することを告知・公表しなかったことと原告の被った損害との間には因果関係がある。
(被告及び補助参加人の主張)
PCNをMSDSに記載することが義務付けられたのは、平成一二年四月一日施行の改正労働安全衛生法においてである。それ以前は、日化協の「製品安全データシート作成の手引き」(平成三年六月)や「製品安全データシート作成指針」(平成四年八月)、労働省の「化学物質等の危険有害性等の表示に関する指針」(平成四年七月一日 告示第六〇号)、厚生省・通商産業省の「化学物質の安全性に関する情報提供に関する指針」(平成五年三月二六日 告示第一号)があったが、いずれも業界団体の提言や行政指導にとどまり、法的義務を定めるものではなく、対象となる製品や化学物質にNFBやPCNは入っていなかった。
被告(昭和ディー・ディー・イー製造)の平成一〇年三月一日改訂以降のMSDSにはPCNが記載されているから、改正労働安全衛生法に違反しておらず、またそれ以前に作成されたMSDSに一時期PCNの記載のないものもあったが、当時はMSDSへのPCNの記載は法的義務とされていなかったのであるから、被告には何らの違反はない。
さらに、MSDSは取引当事者間のみにおいて交付されるものであり、取引当事者以外の第三者に交付されるべきものではない。原告は、本件行政指導がなされるまでの間、被告にNFBのMSDSの交付を請求したり、第三者を介してこれを入手したりしたことはなかったのであるから、被告のMSDSが原告に誤った信頼を与えたことはない。
なお、カタログは商品を販売するために使用する商品紹介の資料であり、それには商品の効用や機能が記載されるのが一般的であった。PCNの存在を記載していないことが、告知・公表義務違反となるものではない。
(3) 争点三
被告の製造物責任法に基づく責任の成否
(原告の主張)
NFBは、健康被害等をもたらす危険性があるとして化審法において輸入及び使用が禁止されているPCNを含有することにより、通常有すべき安全性を欠いているから製造上の欠陥がある。さらに、被告は、NFBを販売するに際し、NFBにPCNを含有することを表示しなかったから、指示・警告上の欠陥がある。
したがって、被告は、製造物責任法三条に基づく責任を負う。
(被告及び補助参加人の主張)
NFBに欠陥があるとの原告の主張は否認し、被告が製造物責任法三条に基づく責任を負うとの原告の主張は争う。
(4) 争点四
損害額
(原告の主張)
前記の被告の不法行為により、原告は、次の項目の合計額である一億〇三八九万八四六〇円の損害を受けた。
ア 本件製品のお詫びと製品回収の社告関連費用 四三六八万七二七七円
イ 本件製品の顧客に対し原告が支払った賠償金額 二六七万九六〇〇円
ウ 本件製品(回収品)の保管費及び輸送費 八一四万八五三五円
エ 本件製品の回収により原告が顧客に対して返還した代金額 一九三八万三〇四八円
オ 本件製品(回収品)及び本件原液(在庫品)の廃棄費用 三〇〇〇万円
(被告及び補助参加人の主張)
上記損害については不知。
第三当裁判所の判断
一 争点一について
(1) 注意義務違反について
ア 昭和ディー・ディー・イー製造が、化審法第一一条第一項に違反してPCNを無許可輸入し、同法第一四条に違反してPCNを使用し、NFBを製造・販売したことは既に認定したとおりである。そこで、昭和ディー・ディー・イー製造による上記化審法違反行為が、本件において原告が主張するような損害に対する不法行為責任の前提としての注意義務違反となりうるか否かについて検討する。
イ 化審法は、既に認定したとおり、難分解であり蓄積性を有し、かつ長期毒性を有する化学物質を第一種特定化学物質に指定し、製造、輸入について許可制をとるとともに、使用については政令で指定する用途についてのみその使用を認め、使用につき届出をさせ、問題とされた化学物質が現実に環境に放出されないよう、輸入・製造・使用の各段階でクローズドシステムを確立することを目的としており、違反には懲役刑を含む罰則を定めるほか、改善命令、化学物質等の回収を含む措置命令、立ち入り検査等の行政措置を設けており、その実効性を図っている。そして、PCNについては、使用の用途を定める政令は設けられていないから、その使用は試験研究目的以外の使用は認められず、輸入・製造・使用の各段階で国内において流通することが禁止されている。
ウ このような化審法の趣旨・規制の内容からすると、化審法に違反してPCNを無許可で輸入し、これを使用して商品を製造して市場に流通させることは、商品の購入者や使用者等に対して、健康被害や環境汚染による被害のリスクを生じさせるのみならず、本件におけるように行政措置の発動あるいは社会的批判により不測の損害を受けるリスク(以下「規制リスク」という。)を与えることから、化審法に違反する行為は、原告が主張するようなタイプの損害(行政指導を受け製品等の回収を余儀なくされることによる損害)に対しても、不法行為責任の前提たる注意義務違反となりうるものと解される。
(2) 条件関係(事実的因果関係)の存否
ア そこで、昭和ディー・ディー・イー製造が化審法に違反してPCNを無許可輸入し、これを使用してNFBを製造・販売したという注意義務違反(以下「本件注意義務違反」という。)と原告が本件行政指導により本件接着剤の回収等を余儀なくされたこと(以下「本件損害」という。)との間に因果関係が認められるか否かについて検討する。
イ 本件行政指導の対象となった本件接着剤及び本件原液は、原告が平成一三年一月から同年一〇月までの間に3Mカナダから輸入した本件原液により製造された本件接着剤及び本件原液の残りである。平成一三年当時において、NFBを製造・販売していたのは昭和ディー・ディー・イー製造のみであったが、英国デュポンも平成一〇年に北アイルランドのメイダウン工場を閉鎖後、NFBの在庫品の販売を継続していたことから、上記の期間に、3Mカナダから輸入された本件原液に含まれていたNFBは、被告由来のものかメイダウン工場由来のものかのいずれかである。しかるところ、デュポン・カナダは、平成一三年初めにメイダウン工場で製造されたNFBの在庫九二五kgを有しており、さらに同年にDDELLCから、昭和ディー・ディー・イー製造が製造したNFB四八〇〇kgを取得し、同年中に、これらのNFBのうちメイダウン工場製のNFB九二五kg及び昭和ディー・ディー・イー製造製のNFB二〇七五kgを3Mカナダに売却した。
そうすると、本件行政指導の対象となった本件接着剤及び本件原液の残りに含まれるNFBのうち、いずれが昭和ディー・ディー・イー製造由来のものかを具体的に確定することはできないが、これらのうち約六九・二パーセントには昭和ディー・ディー・イー製造が製造したNFBが含まれていたものと推認することができる。
ウ しかるところ、仮に、昭和ディー・ディー・イー製造に本件注意義務違反がなければ、昭和ディー・ディー・イー製造はPCNの輸入に際し、経産大臣の許可を得る必要があるが、PCNについては用途を定める政令が制定されておらず、国内においては試験目的以外の使用が禁止されているから、NFBの製造目的の輸入は許可されなかったであろうし、また、輸入が許可されたとしても国内においてPCNの使用が禁止されていることから、NFBの製造はできなかったものと考えられる。そうすると、原告が輸入した本件原液に昭和ディー・ディー・イー製造が生産したPCNを含有するNFBが含まれることはなかったと考えられるから、昭和ディー・ディー・イー製造による本件注意義務違反と本件損害との間には条件関係(事実的因果関係)があるものと認められる。
エ この点、被告及び補助参加人は、原告は昭和ディー・ディー・イー製造がNFBの製造を開始する以前からPCNを含有するNFBを含む本件原液を化審法に違反して無許可で輸入していたのであるから、仮に、昭和ディー・ディー・イー製造が適法にPCNを含有するNFBを製造・販売していたとしても、これを無許可で輸入し本件損害を被っていただろうから、昭和ディー・ディー・イー製造の本件注意義務違反と本件損害との間には条件関係がない旨主張する。しかしながら、既に述べたとおり、昭和ディー・ディー・イー製造が化審法を遵守するならば、昭和ディー・ディー・イー製造はおよそNFBを製造することはできず、昭和ディー・ディー・イー製造に由来するNFBにより本件損害が生じることもなかったのであるから、両者の間に条件関係(事実的因果関係)を否定することはできないものと解される。
(3) 法的因果関係の存否について
ア 次に、上記の条件関係(事実的因果関係)を前提とした上で、本件損害を昭和ディー・ディー・イー製造の本件注意義務違反の結果として同社に法的に帰責することができるか(法的因果関係があるか否か)について検討する。
イ 化審法は、既に述べたとおり、PCNについて輸入・製造・使用の各段階で規制を行い、国内におけるPCNの存在及び流通を禁ずる規制を行っている。他方で、海外においてはPCNの輸入・製造・使用についての規制は設けられていない。また、化審法は、PCNを含む製品の海外からの輸入については、政令で定められた、①潤滑油または切削油、②木材用の防腐剤、防虫剤及びかび防止剤、③塗料(防腐用、防虫用及びかび防止用のものに限る)の三種類に限り禁止しており、それ以外の製品の輸入は禁止していない(化審法第一三条第一項、同法施行令第三条)。このようなPCNの法規制を前提とすると、本件注意義務違反により惹起された第三者に対する規制リスクは、健康被害あるいは環境汚染のリスクと異なり、PCN自体が内包するリスクではなく、あくまでも化審法の規制を前提としたものであるから、当該PCNが国外に流出した時点において消滅するものと考えられる。そして、一旦海外に出た当該PCNが我が国の国内に輸入され、使用される場合には、再び化審法を前提とした規制リスクが生じることとなるが、これは当初の注意義務違反によりもたらされたものではなく、PCNを国内に輸入する者により新たにもたらされたリスクというべきであり、本件損害もまさに原告の輸入行為によりもたらされた規制リスクが現実化したものと見ることができる。
そうすると、本件においては、注意義務の設定において、第三者に対する権利侵害リスク(規制リスク)として想定したものを超えた別個のリスクにより本件損害がもたらされたものであり、本件損害は本件注意義務の射程外のリスクが現実化したものと言うべきであるから、本件注意義務違反と本件損害との間に法的因果関係を認めることはできない。
二 争点二について
(1) 次に、被告あるいは合併前の企業がNFBにPCNを含有することの告知・公表を怠ったことから、原告がNFBにはPCNが含有されないものと誤信して、本件原液を輸入・使用し、本件損害を被ったとの原告の主張について検討する。《証拠省略》によれば以下の各事実を認めることができる。
ア MSDS(製品データシート)の制度について
MSDSは、危険有害な化学製品ないし化学物質の製造者等がこれを譲渡する際に、譲渡の相手方に交付する安全性に関する情報を記載した書面である。
海外においては、以前から作成されていたが、我が国においては、日化協が平成三年六月に「製品安全データシート作成の手引き」を公表したことをきっかけとして、MSDSが作成されるようになった。しかしながら、この手引きはあくまでも製造者等が自主的にデータシートを作成する際に参考とする標準書式、記載要領等を示したものに過ぎず、対象となる製品についても製造者等の任意に委ねられていた。その後、平成四年七月一日、労働省は「化学物質等の危険有害性等の表示に関する指針」(告示第六〇号)を発出し、MSDSに記載すべき内容を明らかにするとともに、危険有害な化学物質につき性質に応じて一〇種類に分類していたが、いかなる化学物質がそれに当たるかについては、具体的に特定していなかった。さらに、日化協は、同年八月、「製品安全データシート作成指針」を公表したが、これはMSDSにつき標準書式及び詳細な記載要領を定めるとともに、MSDSを作成すべき対象となる危険有害な化学物質を一一種類に分類し、かつこれに該当する製品や化学物質を具体的に特定していた。そして、厚生省及び通産省は、平成五年三月二六日、「化学物質の安全性に係る情報提供に関する指針」(告示第一号)を発出し、危険有害物質を譲渡あるいは提供する場合は、譲渡あるいは提供する相手方にMSDSを交付することを定めたが、危険有害物質の分類及び具体的特定は日化協の上記指針と同一であった。
このように、MSDSの作成は、行政指導や業界団体の提言にとどまっており、また、これらにおいてNFBあるいはPCNはMSDSを作成すべき危険有害物質等として特定されていなかった。しかし、その後、平成一二年四月一日に改正労働法が施行されるにいたって、始めてPCNがMSDSに記載すべき対象として特定された。
イ 被告によるNFBのMSDSの作成について
(ア) DDELLCは、平成三年七月二九日当時、NFBのMSDSにおいて、NFBの成分として、トリクロロナフタレンを三%、テトラクロロナフタレンを一%(いずれもPCNである。)含有することを記載していた。
(イ) 平成五年当時英国デュポンからNFBを輸入し、国内販売していた昭和電工デュポンは、NFBの製造元である英国デュポンのMSDSを参考として、平成五年八月一五日付けでNFBのMSDSを作成したが、このMSDSには、物質の特定として次のとおりの記載がなされ、PCNを含有することが記載されていた。
化学名 ポリクロロプレン
成分及び含有量 ポリ 八三%以上
テトラクロロナフタレン 一%
トリクロロナフタレン 三%
(ウ) その後、昭和電工デュポンは平成五年一〇月二九日付けでNFBのMSDSを作成し直し、これを平成六年七月一日付けで改訂した。この改訂MSDSには、引用文献として「デュポン社のMSDS」との記載があり、物質の特定として次のとおりの記載がなされたが、PCNの含有については何らの記載もなかった。
単一製品・混合物の区別 単一製品
化学名 ポリクロロプレン
成分及び含有量 九九%以上。
(エ) 昭和電工デュポンは、平成一〇年一月一日、昭和ディー・ディー・イー製造に社名を変更し、ポリクロロプレンゴムの製造に特化し、その販売はディーディーイージャパンが行うこととなったことを契機として、NFBのMSDSを改訂した。同年三月一日付けで改訂されたMSDSには、物質の特定として、次のとおりの記載がなされ、PCNを含有することが明示されている。
単一製品・混合物の区別 単一製品
化学名 ポリクロロプレン
成分及び含有量 ポリクロロプレン 八三%以上
トリクロロナフタレン 三%以下
テトラクロロナフタレン 一%以下
化審法 ポリクロロプレン (六)―七四五
トリクロロナフタレン (四)―三一七
テトラクロロナフタレン (四)―三一七
(オ) 昭和ディー・ディー・イー製造は、担当部門がそれまでの品質保証課から品質保証グループに変更されたことに伴い、平成一一年二月一八日付けでNFBのMSDSを改訂した。これは、引用文献がデュポンダウエラストマー社のMSDSとされ、物質の特定としては、上記(エ)と同様の記載がなされた。
(カ) 昭和ディー・ディー・イー製造は、平成一二年からNFBの商業生産を開始したこと及び平成一二年二月二〇日にJIS規格のMSDS様式が変更されたことに伴い、平成一三年二月一日、NFBのMSDSを改訂した。これには、物質の特定としては、上記(エ)と同趣旨の記載がなされた。また、昭和ディー・ディー・イー製造の担当者は、配合表を見て、同日付けで、机上の計算により成分及び含有量について上記(エ)の記載とは異なるMSDSを作成した。これには、次のとおりの記載があったが、後日、その誤りに気付き、訂正した。
成分及び含有量 ポリクロロプレン 九三%以上
トリクロロナフタレン 二%以下
テトラクロロナフタレン 二%以下
ウ 被告によるNFBのMSDS等の交付について
昭和電工デュポンは、MSDSを作成するようになってから以降は、ユーザーから要請があったときやMSDSを改訂したりしたときなどにMSDSを交付していた。平成一二年四月一日施行の改正労働安全衛生法は、MSDSを改訂したときは、それを通知する努力義務を定めていることから、前記の平成一三年二月一日付けの改訂版のMSDSからは、担当部門がMSDSをユーザーに送付する場合は、相手方から、その受領書を返送してもらう方法を試みている。
エ 原告の入手情報等
(ア) 原告は、平成七年一〇月、本件原液を3Mカナダから輸入を開始するに際して、3Mカナダから、本件原液のMSDSを入手した。これによると、本件原液にNFBが含有されていることについて何らの記載もなく、PCNの記載もなかった。
(イ) 原告は、さらに、米国3Mから本件原液の配合表を取り寄せたが、この配合表にはNFBを使用していることは記載されていたが、NFBの組成自体はトレードシークレットと記載され、配合表からは、それ以上の成分についてうかがい知ることはできなかった。
(ウ) また、原告は、昭和ネオプレンが作成した前記カタログを入手した。このカタログは、昭和ネオプレンが製造または輸入し、販売していた約五〇種類あるネオプレン製品についてのものであり、NFBはその中の一つの商品として紹介されていたが、その成分までは記載されていなかった。
(2) 以上によれば、原告が本件原液の輸入を開始した平成七年一〇月当時、NFBを輸入し国内販売していた昭和電工デュポンの作成したMSDSには、NFBにPCNを含有する旨の記載はなかったが、当時はMSDSの作成は法的に義務付けられておらず、PCNはMSDSに記載すべき化学物質であることのコンセンサスはなかったのであるから、上記MSDSにPCNの記載がなかったことをもって告知・公表義務違反と言うことはできないのみならず、原告は、本件原液輸入開始当時から本件行政指導がなされるまでの間、上記MSDSを入手し確認したことがないのであるから、同MSDSにPCNの記載がなきことが原告にNFBにPCNを含まないとの誤信を生じさせた事実を認めることはできない。
次に、原告が本件原液輸入開始時点で入手した昭和ネオプレン時代の商品カタログには、各種ネオプレン製品のうちの一つとしてNFBが紹介されていたが、その成分について表示がなかった事実が認められる。しかしながら、当時において製品のPCNの含有について一般的な公表義務があったとは認められないし、そもそも、商品カタログは、一般に、販売促進の手段として、各種商品の効用や機能を一覧表や写真等を用いてわかりやすく紹介することに主眼があり、各種商品の製造過程や原材料について詳細な情報を提供するものではないことからすると、前記カタログにNFBの成分記載のないことが、原告にNFBにはPCNの含有がないとの誤信を抱かせたものと認めることはできない。
さらに、昭和ディー・ディー・イー製造は、平成一〇年三月一日付けでMSDSを改訂したが、これ以降のMSDSにはNFBにPCNを含有することが記載されているのみならず、原告は昭和ディー・ディー・イー製造がNFBを自ら商業生産するようになった平成一二年以降本件行政指導を受けるまでの間、同社のMSDSを入手したり、NFBの成分について同社に照会したりしていないことからして、昭和ディー・ディー・イー製造に、告知・公表義務違反ないし原告の誤信を招くべき事情は認められない。
以上によれば、原告の主張は失当である。
三 争点三について
原告は、NFBに化審法上規制の対象となっているPCNを含有することを製造上、設計上の欠陥であり、被告が作成するMSDSにNFBがPCNを含有することを記載しなかったことを指示・警告上の欠陥である旨主張する。
仮に、NFBにPCNを含有することが製造上の欠陥、設計上の欠陥に当たると仮定しても、本件損害はNFBが含有するPCNの毒性が有する身体・環境に与える危険性が発現して原告の財産を毀損したものではないから、原告が主張する製造上の欠陥、設計上の欠陥と原告の損害との間には因果関係を認めることはできない。
次に、指示・警告上の欠陥についても、本件で問題となっているNFBは、昭和ディー・ディー・イー製造が商業生産するようになって以降のものであるところ、同社のMSDSにはNFBがPCNを含有することを記載していることから、指示・警告上の欠陥は認められない。
四 結論
以上により、原告の請求は、そのほかの点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永野厚郎 裁判官 西村康一郎 澁谷輝一)