東京地方裁判所 平成15年(ワ)12257号 判決 2004年9月24日
第1事件原告
X1
外4名
第2事件原告
X6
第1事件及び第2事件原告ら訴訟代理人弁護士
高見澤昭治
齋藤雅弘
野間啓
関口正人
大神周一
古賀克重
山下環
中川素充
永野靖
竹内英一郎
関守麻紀子
喜多英博
新有道
廣瀬健一郎
第1事件原告X1,同X2,同X4株式会社,同X5及び第2事件原告X6訴訟代理人弁護士
岡田正樹
同
高橋直紹
第1事件及び第2事件原告ら訴訟復代理人弁護士
小海範亮
同
塚本亜里沙
同
圷由美子
同
藤田裕
同
荒木理江
第1事件原告X1,同X2,同X4株式会社及び同X5訴訟復代理人弁護士,第2事件原告訴訟代理人弁護士
佐渡島啓
第1事件及び第2事件被告
株式会社三井住友銀行
上記代表者代表取締役
西川善文
上記訴訟代理人弁護士
谷健太郎
同
富岡孝幸
同
八木宏
同
吉野彰
同
大久保暁彦
第1事件及び第2事件被告
社団法人東京銀行協会
上記代表者理事
西川善文
上記訴訟代理人弁護士
野村昌彦
同
田中豊
主文
1 第1事件原告ら及び第2事件原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は第1事件原告ら及び第2事件原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 主位的請求
ア 被告株式会社三井住友銀行は,別紙請求目録の「原告」欄記載の原告らに対し,同目録の「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する第1事件原告らについては平成15年1月18日から,第2事件原告については平成15年6月17日から,それぞれ支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
イ 訴訟費用は被告株式会社三井住友銀行の負担とする。
ウ 仮執行宣言
(2) 予備的請求
ア 被告らは,連帯して,別紙請求目録の「原告」欄記載の原告らに対し,同目録の「請求金額」欄記載の各金員及びこれに対する第1事件原告らについては平成15年1月18日から,第2事件原告については平成15年6月17日から,それぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
イ 訴訟費用は被告らの負担とする。
ウ 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁(第1,第2事件被告ら)
主文同旨
第2 当事者の主張
1 請求原因
(1) 当事者
ア 原告らは,いずれも,被告株式会社三井住友銀行(以下「被告銀行」という。)に対し預金債権を有していたところ,これらの預金の無権限払戻しに遭遇した被害者である。
イ 被告銀行は,住所地に本店を有するほか,各地に支店を設置して銀行業務を営む都市銀行である。
ウ 被告社団法人東京銀行協会(以下「被告協会」という。)は,全国銀行協会の特別会員であり,東京都内に本支店を有する銀行を会員として組織しており,被告銀行も被告協会に加盟している。
(2) 原告らは,被告銀行に対し,別紙被害別一覧の「被害状況」1欄記載の支店に対し,2ないし4欄記載の預金を有し,5欄記載の年月日の時点において少なくとも6欄記載の預金を有していた。
(3) 合併による権利義務の承継
ア 株式会社住友銀行(以下「住友銀行」という。)は,平成13年4月1日,株式会社三井住友銀行(以下,被告銀行と区別して「旧三井住友銀行」という。)に商号を変更し,同月2日,株式会社さくら銀行(以下「さくら銀行」という。)を合併し,同行の権利義務を承継した。
イ 被告銀行は,平成15年3月17日,旧三井住友銀行を消滅会社,当時の被告銀行を存続会社とする吸収合併を行い,商号を「株式会社わかしお銀行」から「株式会社三井住友銀行」に変更し,旧三井住友銀行の権利義務を承継した。
(4) 主位的請求原因(預金払戻請求)
よって,原告らは,被告銀行に対し,預金払戻請求権に基づき,別紙請求目録記載の各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日である,第1事件原告らについては平成15年1月18日から,第2事件原告については平成15年6月17日から,それぞれ支払済みまで年6分の割合による金員の支払を求める。
(5) 予備的請求原因(共同不法行為による損害賠償請求)
ア 被告らの作為義務の懈怠
(ア) 平成10年ころから,預金通帳及び銀行届出印を主たる窃取対象とした窃盗グループによる,いわゆるピッキングによる侵入窃盗事件が激増し,銀行届出印が窃取されていない場合にも,パソコンのスキャナーと副印鑑を利用して印影を偽造して不正に預金を引き出す被害が増加していたから,被告銀行は,一般市民である預金者の資産を保護する体制を構築する責務のある銀行として,①副印鑑の早急な廃止及び副印鑑の存在する預金通帳の早急な回収を行うこと,②過誤払い防止のため職員研修・教育を徹底すること,③預金者及び社会一般に対し,過誤払い多発とその防止策への協力・呼掛け等の広報を行うことを内容とする作為義務を負っていたところ,これを怠った。
(イ) 被告協会は,file_4.jpg加盟各銀行に対し,警視庁の要請の内容を迅速かつ正確に伝達すること,file_5.jpg銀行窓口にて過誤払いを可及的に防止するために,印影照合に頼らない権限確認を行うための約款モデル案を作成し,加盟各行に伝達すること,file_6.jpg加盟各行の職員に対し,窓口での過誤払い防止のための教育を行うこと,file_7.jpg一般に対する過誤払い多発とその防止策への協力・呼掛け等の広報を行うことを内容とする作為義務を負っていたところ,これを怠った。被告協会がこのfile_8.jpgないしfile_9.jpgの作為義務を負担するのは,以下の根拠に基づく。
すなわち,被告協会は,東京都下に本支店を置く銀行が加盟する公益法人である。銀行業務は,その公益性から預金者保護を目的の一つとしており(銀行法1条),被告協会は,その銀行業務に関し,銀行業務の改善進歩を図り,一般経済の発展に資することを目的とし(定款2条),その目的を達成するために定款4条に定められた諸事業を行うこととされている。したがって,被告協会は,公益的見地から,その行うべき事業に関して,一定の場合には,預金者に対し,直接の義務を負う。
そして,国家賠償法の理論によれば,①危険が切迫していること,②危険が切迫していることに対し,行為主体が認識し,又は認識し得べき状況にあること,③行為者が当該行為をすれば,損害の結果回避が可能であること,④被害者自身が被害を予防することが困難あるいは不可能であること,という各要件を満たす場合に,国家の不作為が違法と判断される。
本件でも,①遅くとも平成10年ころから盗難通帳や印鑑等を用いた払戻請求が多発し,多数の預金過誤払いの被害が発生しており,預金者の財産に対する差し迫った危険が存在していたこと,②被告協会は,平成11年11月24日に金融機関防犯連絡会会議において,警視庁から,盗難通帳を用いた払戻被害多発の状況に鑑み,過誤払い被害の防止策を講ずるよう要請を受けたほか,新聞各社の報道を通じ,過誤払い被害が多発している状況を認識し,又は認識し得たこと,また,それ以前にも,被告協会は,各銀行から連絡会の開催等を通じて,過誤払いの被害の情報を得ており,その被害が多発していることを認識し,又は認識し得たこと,③被告協会が前記file_10.jpgないしfile_11.jpgの作為義務を履行すれば,過誤払いを防止することが可能であったこと,④原告らが預金通帳及び銀行届出印鑑等を窃取されないように対策を講じるだけでは過誤払いの被害の防止には不十分であり,被告協会が前記の対策を講じなければ,過誤払い被害を防止することが困難であることが認められる。したがって,被告協会は条理上前記file_12.jpgないしfile_13.jpgの作為義務を負担し,被告協会の不作為は違法であるといえる。なお,公権力の行使が問題となる国家賠償においては,法律による行政の原則から,規制権限の法的根拠の有無が検討される必要があるところ,原告の被告らに対する不法行為による損害賠償請求においては,公権力の行使が問題となることはなく,被告らの権限の法的根拠が厳密に規定されている必要はない。
また,被告協会は,昭和40年代に,全国銀行協会連合会(現在の全国銀行協会)と事務所を同じくし,副印鑑制度を用いた普通預金規定のひな形の作成に関与し,加盟銀行各行にひな形を配布するという先行行為を為し,過誤払い多発に至り,かかる規定の問題が明らかになり,預金者の安全性に重大な問題が存在することが明らかとなった以上,かかる先行行為に基づき,ひな形の問題点を解消すべく,前記file_14.jpgないしfile_15.jpgの作為義務を負うというべきである。
(ウ) 被告らの負担する作為義務の内容は,民法478条の適用における過失の有無の判断に際して問題とされる「払戻請求者が受領権限を有すると信じるについて相当な注意を尽くしたかどうか」という注意義務とは内容が異なり,民法478条により無権限者に対する預金払戻しが有効と認められる場合であっても,被告銀行が作為義務を果たさなかったときは,被告銀行には不法行為の要件としての過失が認められる。
イ 原告らの損害
別紙被害別一覧の「被害状況」5欄記載の年月日に7欄記載の支店において,8欄記載の金額の預金が無権限者により払い戻され,原告らは,8欄記載の金額に相当する損害を被った。
ウ 因果関係
被告銀行及び被告協会がそれぞれア記載の作為義務を尽くしていれば,盗難通帳により払戻請求がなされた本件各払戻しを防止することができた。
エ よって,原告らは,被告らに対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,別紙請求目録記載の各金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日である,第1事件原告らについては平成15年1月18日から,第2事件原告については平成15年6月17日から,それぞれ支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(1) 被告銀行
ア(ア) 請求原因(1)アのうち,原告らがそれぞれ被告銀行に対して預金債権を有していたことは認め,その余は知らない。
(イ) 同(1)イ及びウは,いずれも認める。
イ 同(2)のうち,第1事件原告X1(以下「原告X1」という。)の預金残高が180万0525円であったこと,第1事件原告X2(以下「原告X2」という。)の預金の取扱店が旧三井住友銀行荻窪支店であり,払戻内容のうち,払戻年月日が平成14年8月9日及び払戻場所が旧三井住友銀行西荻窪支店であること,第1事件原告X3(以下「原告X3」という。)の預金の取扱店が旧三井住友銀行後東支店であり,払戻場所が旧三井住友銀行赤川支店であることを除き,第1事件原告らがそれぞれ被告銀行に対し,別紙預金目録の「払戻年月日」欄記載の当時,同目録「預金内容」欄記載の普通預金債権を有していたことは認め,その余は否認する。第2事件原告X6(以下「原告X6」という。)については,原告X6が被告銀行に対して預金債権を有していたことは認め,その余は知らない。
ウ 同(3)ア及びイは,いずれも認める。
エ(ア)a 同(5)ア(ア)は,否認する。
b 同(5)ア(ウ)は,否認する。
原告らが被告銀行に対して本件で請求する各預金債権は,いずれも既に消滅したから,債権の行使の侵害による損害が生ずる余地はない。仮に,原告らの主張する預金債権が存在するとしても,原告らは,被告銀行に対して,その預金債権を行使できるから,不法行為に基づく損害が生ずる余地はない。したがって,原告らの主張する侵害行為が存在しないことはもとより,不法行為に基づく損害を観念する余地がないから,被告銀行が原告らに対して不法行為による損害賠償責任を負うことはない。
(イ) 同(5)イのうち,別紙預金目録「払戻年月日」欄記載の日時に同目録「払戻内容」欄記載の払戻しがなされたことは認め,その余は否認する。
(ウ) 同(5)ウは,否認する。
(2) 被告協会
ア(ア) 請求原因(1)アは,知らない。
(イ) 同(1)イ及びウは,いずれも認める。
イ 同(2)は知らない。
ウ(ア)a 同(5)ア(イ)は,否認する。
そもそも,原告らの主張するような条理や先行行為に基づいて,被告協会が原告らに対し直接に作為義務を負担するとすることはできない。
被告協会は,個々の預金者との間で一定の法的義務を負担することがないため公益法人の法人格を付与されているから,被告協会が公益法人であることをもって,被告協会の構成員である被告銀行の個々の預金者である原告らに対して直接に作為義務を負担させる根拠とすることはできない。定款に掲げる事業目的は,当該社団の権利能力の範囲を画するものであり,被告協会の第三者に対する法律上の権利義務とは何ら関係がない。
被告協会は,その構成員である被告銀行に対して,平成11年11月24日開催の金融機関防犯連絡会会議において警視庁から提供された情報を迅速かつ正確に伝達する義務は負っておらず,まして,個々の預金者である原告らに対してそのような義務を負ってはいない。そればかりでなく,被告協会は,警視庁から,同年9月7日,警視庁が各都市銀行に対して甲第1号証の内容と同一の内容の書面を直接送付したとの連絡を受けていたから,被告協会が重ねて各都市銀行に対して伝達する必要はなかった。原告らは,被告協会に条理による作為義務を認めるに際し,被告協会が,原告らに対し,犯罪被害の実態の広報とその防止策の広報といった活動をする義務を負担することを前提としている点で,原告らの主張は循環論法にすぎない。
原告らは,国家賠償法の理論に基づいて被告協会の作為義務の存在を主張する。しかし,国家賠償法上の違法となるのは,国又は公共団体が個別の国民に対して法的義務を負担していることを前提に,公務員がこれに違背することが必要と考えられ,行政権限の不行使による違法についても同様であり,原告らの主張するように,行為主体が誰に対して作為義務を負うかと関係なく,一定の要件を充足してさえいれば,作為義務が発生し,不作為が違法となる論理は誤りである。また,法によって行政権限を与えられた国家は,一定の要件を充足するときに,その行政権限の行使が個別の国民に対して義務化し,その不行使が違法と判断されることがあり得るところ,このような規制権限を有しない被告協会を国家と同一に論ずることはできない。
さらに,普通預金規定のひな形は,被告協会がその作成に関与したわけではなく,原告らに対して作成されたものでもない上,ひな形は,多くの銀行がそれぞれの経営判断によって副印鑑制度を採用した事実を前提として作成したにすぎず,被告協会が先行行為に基づいて原告らに対して直接の作為義務を負担するとすることはできない。
原告らが主張する被告協会の作為義務は,いずれも,原告らの各預金債権の消滅という損害との間に相当因果関係が認められない。
b 同(5)ア(ウ)は,否認する。
原告らの不法行為に基づく損害賠償請求の根拠は,被告銀行による預金の払戻しに過失がなく,預金債権が民法478条の適用により有効に弁済され,消滅したことが前提となっているところ,特段の事情のない限り,社会通念上一般に期待される注意義務を払って印鑑照合を行ったときは銀行は免責され,有効な支払と解するとの判例の枠組みに従うと,被告銀行の預金の払戻しに過失がなく,有効な支払であると判断された場合に,そのような有効な支払をしたことについて被告銀行に不法行為が成立することがあるというのは背理である。原告らとの間で預金契約上の債権者と債務者の関係を有し,預金払戻しに直接関与する被告銀行が不法行為による損害賠償責任を負うことがない以上,原告らと直接関係のない被告協会が不法行為による損害賠償責任を負担することもない。また,被告銀行が原告らに対する注意義務を尽くしたのに,被告協会が原告らに対して預金債権の消滅という損害との間に因果関係のある注意義務を負担し,かつ,かかる義務を尽くしたといえない事態は想定できない。
(イ) 同(5)イは,知らない。
(ウ) 同(5)ウは,否認する。
3 被告銀行の抗弁
(1) 預金の有効な払戻し
別紙預金目録「払戻年月日」欄記載の日時に同目録「払戻内容」欄記載の払戻しがなされた。本件各払戻手続には,いずれも真正な通帳が用いられ,払戻請求書には銀行届出印が押捺されていたものであり,被告銀行においてその手続に瑕疵はない。したがって,本件各払戻しは,正当な受領権限がある者が行ったと考えられ,被告銀行による払戻しは有効である。
(2) 約款に基づく免責
ア 原告らと被告銀行は,各預金口座の開設に当たり,同口座の取引においては,被告銀行(旧三井住友銀行,住友銀行又はさくら銀行)の普通預金規定によるとの合意をし,各普通預金規定には,いずれも,①原告らが通帳又は銀行届出印を喪失した場合には,被告銀行に届けるべき旨及び届出前に生じた損害について被告銀行が責任を負わない旨,②請求書その他の書類に使用された印影を銀行届出印と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱った場合には,それらの書類について偽造,変造その他の事故があってもそのために生じた損害については被告銀行が責任を負わない旨が規定されていた(以下「本件免責条項」という。)。
イ 原告らは,被告銀行に対し,本件各払戻手続前に,通帳又は銀行届出印の喪失を届け出ておらず,本件各払戻手続は,通帳又は銀行届出印の喪失の届出前に行われた。また,本件各払戻手続を担当した者は,いずれも,各払戻手続に際し,各払戻請求書の印影を銀行届出印の印影と相当の注意をもって照合し,それらの印影が相違ないものと認めた。したがって,被告銀行は,本件免責条項に基づき,本件各払戻しにより免責される。
(3) 債権の準占有者に対する弁済
ア 本件各払戻請求に際し,銀行届出印の印影と同一の印影が顕出された払戻請求書及び真正な通帳が呈示されており,本件各払戻請求を行った者は,債権の準占有者に該当する。
イ 預金制度においては,預金者の利便性という預金者の利益と大量の事務を円滑に処理する必要から,払戻請求書に押捺された印影と銀行届出印の印影とを対比して確認することにより,払戻請求者等の権限を確認することとされている。判例上も,かかる預金制度を前提として,金融機関における預金払戻手続においては,盗難届が提出されている場合や払戻請求者に不審な挙動が見られるなど,当該払戻手続をなす者が正当な権利者でないことが印鑑照合担当者にとって容易に判断しうる場合を除いては,払戻請求書に使用された印影と銀行届出印の印影又は副印鑑とを肉眼による平面照合により印影の一致を確認すれば,民法478条により預金の払戻しが有効とされる。また,裁判例によれば,日常的に大量の預金払戻業務を迅速に処理すべき要請を受ける銀行窓口実務に対する正当な理解を前提に,平面照合による印鑑照合以外の本人確認方法を講じることは,銀行の法的義務でないとされ,本件でもこのことが妥当する。
したがって,特段の事情が存在しない限り,真正印に基づく払戻請求については当然に,偽造印であっても,払戻請求書に押印されている印影と銀行届出印の印影が一致している限り,当該預金払戻しは有効である。そして,両印影の一致を確認した際に,払戻請求者につき,特に不審を抱かせるような具体的事情が存在しない場合には,金融機関は,暗証番号確認はもちろん,他の確認手段で払戻請求者の受領権限を確認する必要は存在しない。
ウ 原告X6を除く各原告について本件各払戻しがなされるに至った経緯は以下のとおりである。
(ア) 原告X1
中背の男性である払戻請求者(以下「本件払戻請求者(1)」という。)が,平成14年7月15日午後2時30分ころ,被告銀行町田支店の窓口担当者であるA1に対し,原告X1名義の口座の預金通帳,銀行届出印を押捺した払戻請求書及び振込依頼書を提示し,普通預金口座から預金を払い戻した上,被告銀行上大岡支店甲野太郎名義の普通預金口座に180万円を振込送金することを依頼した。
本件払戻請求者(1)は,A1に対し,振込手数料を聞き,525円との回答を受け,A1の面前で空欄としていた振込依頼書の振込金額欄の下3桁に525円と記入した。また,営業終了時間である午後3時近くであったため,A1が本件払戻請求者(1)に対し,振込みを翌日扱いにして良いか尋ねたが,本件払戻請求者(1)は,当日に入金してもらいたいと回答した。
A1は,印鑑照合機を用いて,スキャナーで読み取った払戻請求書の印影とオンラインで呼び出した銀行届出印の印影とをともに画面上に表示した上,両印影を見比べる方法による平面照合を行った上,画面上で両印影を重ね合わせる方法(全体照合及び部分照合)により照合して相違ないことを確認した。原告X1について銀行届出印も盗まれていることから,本件払戻しは銀行届出印によって行われた。A1は,出金手続を行い,後方担当者に振込依頼書を回付して振込手続を依頼した。
原告X1は,預金通帳とともに銀行届出印も窃取されており,本件払戻しは,銀行届出印によってなされたものと考えられる。
原告X1は,本件払戻しから4日後の平成14年7月19日に,被告銀行に対し,預金通帳及び銀行届出印の盗難を届け出た。
なお,原告X1名義の預金通帳には,副印鑑が貼付されていなかった。
(イ) 原告X2
シャツを着た中背の中年男性の払戻請求者(以下「本件払戻請求者(2)」という。)は,平成12年8月9日午前11時20分ころ,被告銀行西荻窪支店の窓口担当者であるB1に対し,原告X2名義の預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示し,普通預金口座から500万円の預金の払戻しを依頼した。B1が本件払戻請求者(2)に住所の記入を依頼したところ,本件払戻請求者(2)は,B1の面前で払戻請求書に届出住所である「東京都新宿区西新宿<番地略>」と記入した。
B1は,本件払戻請求者(2)が払戻請求書に記入した住所と原告X2があらかじめ被告銀行に届け出ていた住所とが一致することを確認し,残影照合の方法により,払戻請求書の印影と預金通帳の副印鑑の印影とを照合して相違ないことを確認した上で,出金手続を行った。原告X2について銀行届出印も盗まれていることから,本件払戻しは銀行届出印によってなされたと考えられる。
原告X2は,同年9月8日,被告銀行に預金通帳及び銀行届出印の盗難を届け出た。
(ウ) 原告X3
シャツにズボン姿の中背の中年女性である払戻請求者(以下「本件払戻請求者(3)」という。)は,平成14年3月26日午前10時40分ころ,被告銀行赤川町支店の窓口担当者であるC1に対し,原告X3名義の預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示して,普通預金口座から300万円の預金の払戻しを依頼した。C1は,本件払戻請求者(3)に対して住所の記入を依頼したところ,本件払戻請求者(3)はこれを記載した。C1は,本件払戻請求者(3)が払戻請求書に記入した住所と原告X3があらかじめ被告銀行に届け出ていた住所とが一致することを確認し,印鑑照合機を用いて,スキャナーで読み取った払戻請求書の印影とオンラインで呼び出した銀行届出印の印影とを画面上に表示した上,両印影を見比べる方法による平面照合をし,画面上で両印影を重ね合わせる方法(全体照合及び部分照合)により照合して相違ないことを確認した。C1は,払戻請求書の筆跡と印鑑票の筆跡とを対比し,両者に明らかな相違がないことも確認した。続いて,後方担当者であるC2は,印鑑照合機を用いて,払戻請求書の印影を銀行届出印の印影とC1が行ったのと同様の方法により照合して相違ないことを確認し,C1は役席者に依頼して出金記帳を受けた。C1は,本件払戻請求者(3)に対し,預金通帳及び現金300万円を渡した。原告X3は,被告銀行に対し,同年4月4日,預金通帳の盗難を届け出た。
なお,預金通帳に副印鑑が貼付されていたかどうかは不明である。
(エ) 第1事件原告X4株式会社(以下「原告X4」という。)
原告X4の代表者と称する眼鏡を掛けた年配の男性である払戻請求者(以下「本件払戻請求者(4)」という。)は,平成13年2月28日午前9時10分ころ,さくら銀行日本橋営業部の窓口担当者であるD1に対し,原告X4名義の預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示し,650万円の預金の払戻しを依頼した。本件払戻請求者(4)は,経理担当者から,至急現金が必要であるとの電話を受け,自宅から来店したと述べた。
その際,本件払戻請求者(4)は,別の印鑑を所持し,D1に対し,払戻請求書に押捺した印鑑が銀行届出印と違うかもしれないと述べた。
D1が印鑑照合機を用いてあらかじめ登録していた銀行届出印の印影を画面上に呼び出し,払戻請求書の印影と照合したところ,両者は一致しなかった。本件払戻請求者(4)は,別の印鑑を払戻請求書に押捺し,D1は,印鑑照合機を用いて,同様の方法により銀行届出印の印影と残影照合し,両者に相違がないことを確認した。D1は,払戻請求書に記載された住所及び電話番号が,原告X4があらかじめ被告銀行に届け出ていた住所及び電話番号と一致することを確認し,出金手続を行い,本件払戻請求者(4)に対し,預金通帳及び現金650万円を渡した。
原告X4については,銀行届出印も盗まれていることから,本件払戻しは銀行届出印によってなされたと考えられる。
原告X4は,さくら銀行に対し,同年3月1日,預金通帳及び銀行届出印の盗難を届け出た。
なお,預金通帳に副印鑑が貼付されていたか否かは不明である。
(オ) 第1事件原告X5(以下「原告X5という。)
シャツを着た中背の中年男性である払戻請求者(以下「本件払戻請求者(5)」という。)は,平成14年7月22日午後零時10分ころ,被告銀行新橋支店の窓口担当者であるE1に対し,住所変更はこの窓口でよいかと住所変更について尋ね,一旦は別の窓口に向かいかけたが,「住所変更はいいので,出金したい。」と述べ,E1に対し,原告X5名義の被告銀行本店営業部の預金口座(以下「本件口座」という。)の預金通帳,大阪駅前支店の預金口座(以下「別件口座」という。)の預金通帳,本件口座に対する払戻請求書及び別件口座に対する払戻請求書を提示し,預金の払戻しを依頼した。E1は,印鑑照合機を用いて,スキャナーで読み取った本件口座に対する払戻請求書の印影とオンラインで呼び出した銀行届出印の印影とをともに画面上に表示した上,画面上で両印影を重ね合わせる方法により照合して相違ないことを確認した。また,E1は,払戻請求書に記入された住所と本件口座につき原告X5が被告銀行にあらかじめ届け出ていた住所が一致することを確認した。E1が,印鑑照合機を用いて,別件口座に対する払戻請求書の印影を別件口座の銀行届出印の印影と同様の方法により照合したところ,印影が相違していた。E1は,本件払戻請求者(5)に対し,別件口座については,印鑑が相違するため払戻しができない旨伝え,本件払戻請求者(5)は,払戻しが受けられないことを了承した。E1は,本件払戻請求者(5)に対し,本件口座の預金通帳及び現金430万円を渡し,別件口座の預金通帳及び払戻請求書を返却した。原告X5は,被告銀行に対し,同月31日,本件口座の預金通帳の盗難を届け出た。
なお,本件口座の預金通帳には副印鑑が貼付されていなかった。
エ 被告銀行の担当者は,各払戻請求者に各預金の払戻しを受ける権限があると信じ,かつ,払戻請求書に押印された印影が銀行届出印によって作出される印影と一致することを相当な方法により印鑑照合を行って確認した。被告銀行担当者は,それぞれ,印鑑照合機を用いた画面上の照合(原告X1,原告X3及び原告X5),副印鑑を用いた全体及び部分についての残影照合(原告X2)又は印鑑照合機に表示された銀行届出印の印影との残影照合(原告X4)の方法により,印鑑照合を行った。被告銀行担当者が用いた印鑑照合の方法は,いずれも,判例上要求される平面照合による印鑑照合よりも,より確実な印鑑照合方法であり,これらの方法により適切に慎重な方法で印鑑照合を行っており,判例上要求される程度の注意義務を尽くした。
同一の印鑑を押捺した場合でも,印鑑の摩耗,朱肉の量,押印する際の力の入れ具合等によって,客観的に完全に同一の印影とはならないから,被告銀行担当者は,これらの点も踏まえて,印影が同一であるかを判断しており,本件各払戻しのうち,偽造印が使用された場合であっても,被告銀行担当者が上記の注意義務を尽くしている以上,印影が同一であると判断することに問題はない。預金通帳とともに銀行届出印を盗取された原告X1,原告X2,原告X4及び原告X6については,各払戻手続においても銀行届出印が使用されたと考えられ,真正な銀行届出印が使用されて払戻手続がなされている以上,印鑑照合に問題はない。
また,各払戻請求者には,不審な挙動もなかった上,本件では,自主的,裁量的判断により,各払戻請求者に特に不審を抱かせる具体的事情が存しない場合であっても,印鑑照合による受領権限の確認に加え,払戻請求書に届出住所,電話番号等の記入を求めるなどして,より慎重に預金払戻業務を行った。
したがって,本件各払戻しは,何ら払戻請求者の受領権限を疑うべき事情はなかったといえ,被告銀行には,債権の準占有者に対する弁済について,過失はない。
被告銀行ら金融機関は,無権限者に対する払戻しを可及的に防止しようと努力しているところ,原告らの主張は,金融機関が顧客の金融機関に対する信頼を堅持するために,その自主的,裁量的判断に基づいて行っている手続をもって,直ちに判断の基準を変更すべきであるというに等しい全く独自の見解というほかなく,明らかに失当である。
(4) 消滅時効(原告X6に対し)
ア 普通預金は,その成立後,いつでも払戻しを請求することができるから,普通預金債権の消滅時効は,預入れの時点から進行する。原告X6が被告銀行に対して請求する普通預金債権は,本件払戻しの対象となった預金債権であることが主張上明らかである。ところで,原告X6は,本件各払戻し後においても,原告X6の預金口座での取引を継続しているけれども,本件各払戻し後,原告X6は,被告銀行との間で本件各払戻しにより減少した金額を預金残高として,入出金等取引を継続しているから,被告銀行は,本件各払戻し以降の入出金等取引に際し,本件各払戻しが有効であることを前提とした預金残高についてのみ承認しているにすぎない。したがって,本件各払戻しがなされた平成10年4月20日(厳密には,本件各払戻しの最初の払戻しに係る預金債権については,当該払戻し直前の入出金等取引がなされた日)を起算点として,消滅時効が進行する。
被告銀行は,少なくとも,本件各払戻しが行われた平成10年4月20日以降,原告X6に対し,本件各払戻しにかかる普通預金債権を承認しておらず,原告X6は,被告銀行に対し,普通預金債権の請求,差押え,仮差押え又は仮処分を行っていない。
イ 被告銀行が株式会社であるため,原告X6の被告銀行に対する普通預金債権は,商事債権であって,その消滅時効期間は,5年であり(商法502条8号,522条),5年間の消滅時効期間が経過した。
ウ 被告銀行は,原告X6に対し,平成15年8月15日,本件口頭弁論期日において,消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
4 抗弁に対する認否
(1) 抗弁(1)は,否認する。
(2)ア 同(2)アは,認める。
イ 同(2)イは,否認する。
(3)ア 同(3)アは,否認する。
イ 同(3)イは,争う。
(ア) 印鑑の偽造が容易になったという社会的事実の変化に対応して,民法478条の解釈としての銀行の注意義務の判断基準も変化してしかるべきであり,現在の社会通念及び銀行実務に照らすと,印影の照合は本人確認としての機能を喪失しており,銀行預金の払戻しに関する注意義務として,「特段の事情のない限り,印影の平面照合で足りる」とする従来の裁判例の基準は,不合理であり,採用することは許されない。
すなわち,スキャナーやプリンターの高性能化により,印影の偽造が極めて容易になっており,平成10年ころから,預貯金の過誤払いの被害が多発していること,被告銀行は,遅くとも平成11年ころには,かかる被害の多発状況を認識していたから,本件各払戻しがされた平成14年4月までの間に,被告銀行が過誤払いを防止するための具体的な窓口対策を講ずる時間的余裕が十分にあったこと,銀行窓口での預金払戻しに比較して,ATMによる払戻しの場合,払戻額の上限が設けられ,暗証番号の確認の手続が採られており,ATMでの払戻手続よりも,高額の取引が行われる窓口での払戻手続の方が,預金の安全性確保の面で劣るという不合理な状況になっていること,郵便貯金については,民法478条の特別法に当たる旧郵便貯金法26条により,払戻請求者の受領権限の正当性を確認することが必要とされ,郵便貯金取扱手続(郵便局編)第7条において,一定の場合には払戻請求者に対して証明資料の提示を求めることが類型的に定められているため,印影の同一性を確認しただけで正当な払渡しになるわけではなく,それゆえ,日本郵政公社が過誤払いの被害回復に応ずる事例も多数あり,結果として,銀行預金と郵便貯金とでその安全性に看過し難い明確な差異が生じていることからすると,従前の判断基準が極めて不合理なものであり,もはや採用し得ないことは明らかである。
(イ) 銀行の預金払戻しの注意義務については,適用場面及び立法趣旨(手続の簡易性と正当な権利者の保護との調和)が同様である旧郵便貯金法26条(この法律又はこの法律に基づく省令に規定する手続を経て郵便貯金を払い渡したときは,正当の払渡しをしたものとみなす旨の規定)を類推適用するか,同条の解釈論を民法478条の解釈に反映させることによって,無権限者による払戻請求である可能性の高さ及び被害の重大性に鑑みて,過誤払いの危険性が高いと考えられる一定の類型的場合には,印影照合以外の手段を用いて払戻請求者が正当な権利者であることを確認する義務があるというべきである。具体的には,file_16.jpg定期預金,定期積立の解約(限度額近い預金担保貸付けを含む。)の場合,file_17.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_18.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合,file_19.jpg前記file_20.jpgないしfile_21.jpgに該当しなくとも,何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合には,印鑑照合の他に,(a)筆跡照合,(b)払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する,(c)預金者が法人等の団体の場合には,電話による確認を行う,(d)預金者が個人の場合には,写真付き身分証明書の提示を求める,(e)払戻請求者が本人か代理人かを尋ね,本人であれば,住所,生年月日,電話番号などの個人情報を尋ね,代理人であれば,これに加え,本人との具体的な関係や身分を確認するための個人情報を尋ねる等の方法により,払戻請求者が正当な受領権限を有するか否かを確認する注意義務があるというべきである。
また,そもそも,銀行は,印鑑照合に当たって,偽造印影による払戻請求が行われる可能性を考慮した上で,各文字について慎重な照合を行う注意義務を負い,預金払戻請求書の印影を照合するに当たっては,盗難通帳及び偽造印影による不正払戻請求の可能性があることを認識した上で,①朱肉の色が,ロビー備付けの朱肉の色と異なっていないか,②印鑑を押印した凹凸があるか(印影が印刷されたものでないか),③印影の文字が太く,スタンプのように見えないかといった点に注意する義務を負うというべきである。
なお,平成9年10月ころには,盗難通帳による不正払戻しが被告銀行を初めとする銀行業界内で認識されるようになり,暗証番号確認を行うなど,本人確認方法を改革する必要が生じ,被告銀行の注意義務の程度が高まっていたといえるから,原告X6についても,その余の原告らと同様の基準により,注意義務違反の有無を判断すべきである。
ウ 同(3)ウについて,被告銀行の主張する本件各払戻しに至るまでの経過は知らない。
エ 同(3)エは,否認する。
本件各払戻しの際,被告銀行には,準占有者に対する弁済について過失があった。
(ア) 原告X1
a 原告X1のキッチン内の流しの横にある食器棚の上にレターケースがあり,原告X1は,その1番上の引出しの中に手紙等と一緒に預金通帳を入れ,3番目の棚に印鑑を入れていたところ,預金通帳及び印鑑を窃取された。
b 印鑑届の印影(別紙1のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙1のBの印影)を対照すると,以下の相違があり(①ないし⑤は,別紙1に記載された番号に対応する。),被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
① Aが角張っているのに対し,Bは丸みを帯びている。
② Aが直線に近い線であるのに対し,Bは丸みを帯びて「八」の字の形に広がっている。
③ Aに比して,Bでは,外枠との距離が短い。Bは,外枠により近接している。
④ Aでは,一筆の横棒になっているのに対し,Bでは,縦棒と上から三本目の横棒とが一筆でつながっている。
⑤ Aでは,均一の太さであり,真横に伸びる横棒及びその右端から垂直に下りる縦棒で構成されている。これに対し,Bでは,ゆるやかに右に下がり,次第に細くなっている。
c 本件では,払戻時の預金残高が183万9446円であったところ,払戻請求額は,約97.8パーセントの180万0525円であり,預金解約に匹敵するともいえ,過誤払いの危険性が類型的に高かったといえる。本件払戻しは,居住地とも勤務地ともほど遠い支店における窓口取引であり,払戻しの際に提出された振込依頼書の住所の記載は被告銀行に届けられていなかった。原告X1は,本件口座を給料振込口座及び公共料金引落し口座として利用し,専らATMを利用して払戻しを行っており,本件口座開設以来,窓口において取引をしたことがなく,少なくとも,平成11年7月5日以降は,本件払戻し以外に,窓口における取引はなかった。そうすると,file_22.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合及びfile_23.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額あるいは過去の払戻履歴からみて突出した金額であるなど特異な払戻しの場合に該当する。
また,原告X1の名前の「孝」の字は,第1画ないし第3画で「土」の字を構成するところ,払戻請求書及び振込依頼書では「上」の文字になっており,誤字であることが明らかであり,払戻請求者が名義人本人ではないことを疑わせる事情が存在した。振込依頼書の住所の記載は,当時の原告X1の住所地であったけれども,原告X1が被告銀行に届け出ていた住所とは異なっており,被告銀行が印鑑届を確認していれば,届出住所が異なっていることが判明し,払戻請求者が無権限であることを看破し得た。そうすると,file_24.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないかと疑わしめる事情が存在する場合に該当する。
したがって,被告銀行は,印影を照合するだけでは足りず,前述した(a)ないし(e)の方法を用いて,払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認すべき注意義務があり,これらの方法を採っていれば,払戻請求者が正当な権限を有していなかったことは容易に分かったはずであったにもかかわらず,(a)筆跡照合も,(b)暗証番号確認もせず,(d)写真付き身分証明書の提示を求めてもおらず,(e)個人情報を確認してもおらず,準占有者に対する弁済について,被告銀行に過失があったといえる。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(イ)原告X2
a 原告X2は,普段は,鞄の中に印鑑,免許証,手帳,小銭入れ,店の金券及び振込明細とともに預金通帳を入れ,目の届く所に置いていた。原告X2が盗難の被害に遭った際は,原告X2所有の自動車の助手席が壊されていたことから,買い物の際の僅かな時間帯に鞄を自動車の助手席に置いた際に預金通帳及び印鑑を窃取されたと推測される。
b 印鑑届の印影と払戻請求書の印影を対照すると,以下の相違があり,被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
印鑑届の印影(別紙2のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙2のBの印影)を対照すると,以下の相違があり(①ないし⑤は,別紙2に記載された番号に対応する。),被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
① Bの「木」の第3画と「川」の第3画の交わる部分が,Aのそれに比べて細い。
② Bの「木」の第2画が,Aのそれに比べて細い。
③ Bの「川」の第1画と外周の交点が,Aのそれに比べて細い。
④ Bの「川」の第1画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いている。
⑤ Bの「川」の第2画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いている。
c 本件払戻時の預金残高が561万7494円であったところ,払戻請求額は約89パーセントの500万円であった。原告X2は,本件口座を公共料金引落し口座等として利用し,専らATMを使用して取引を行っており,本件払戻し前には窓口における取引履歴がほとんどなく,本件払戻しより過去3年間は,全く窓口での取引がなかった。そうすると,file_25.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_26.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合に該当する。
払戻請求書の筆跡は,印鑑届の筆跡と比較すると,一見して別人によるものと分かる。特に,姓の「木」の文字は,第3画及び第4画の書き始めが異なっていおり,file_27.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合に該当するといえる。
したがって,被告銀行は,印鑑照合以外の権限確認をすべきであったところ,筆跡照合も暗証番号確認も行わず,写真付き身分証明書の提示を求めてもおらず,個人情報を確認することもしなかったから,準占有者に対する弁済について,被告銀行に過失があった。
被告銀行が払戻請求書に住所の記入を求め,届出住所との一致を確認したとしても,届出住所は,預金者の自宅に侵入した窃盗犯にとっては容易に入手可能な情報であるから,受領権限確認方法としての有効性は低い。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(ウ) 原告X3
a 原告X3は,自宅のダイニングルーム内にある高さ1.4メートルの鏡台の引出しのうち左真ん中部分の引出しの中に,10万円程度の現金,2万円ないし3万円相当の商品券,給与明細,テレホンカードとともに預金通帳を入れていた。また,原告X3は,日常携帯する化粧ポーチの中に印鑑を保管し,その化粧ポーチをダイニングキッチン内に置いていた。原告X3は,預金通帳を窃取されたが,印鑑は窃取されなかった。
b 印鑑届の印影(別紙3のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙3のBの印影)を対照すると,以下の相違があり(別紙4のCの印影は,AとBの印影を重ね合わせたものであり,①ないし⑨は,別紙3及び4に記載された番号に対応する。),被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
① 全体として,Bの方がAに比べて印影の線が太くなっている。
② Bの方がAに比べて円周が大きい。
③ Bの「藤」の第1画と円周部分の接点がAに比べて太い。
④ Bの「藤」の第4画から第6画の線で囲まれた部分の空白が存在しない。
⑤ Bの「藤」の「file_28.jpg」の部分が不鮮明であり,線で囲まれた部分が存在しない。
⑥ Bの「藤」の「file_29.jpg」の部分の払いの先端が中途半端で,太くなっている。
⑦ Bの「藤」の「file_30.jpg」の部分の払いの先端が中途半端で,太くなっている。
⑧ Bの「木」の第2画の上部が短くなっている。
⑨ Bの「木」の第3画と円周との接点の形が異なっている。
c 本件では,残高300万3651円のうち300万円が払い戻され,ほぼ預金解約に等しかった。原告X3は,本件口座開設以来,窓口において払戻しをしたことがなく,少なくとも平成10年3月10日以降は,本件払戻し以外に窓口における払戻取引はない。そうすると,本件は,file_31.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_32.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合に該当する。
また,払戻請求書には,「藤」の字のうち草冠の右下部分に誤りがある。住所の摂津の「津」の字の右側にも誤りがある。本件払戻し直前には,ATMにおいて3回,暗証番号の誤入力があった。本件はfile_33.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合に該当する。
したがって,被告銀行は印鑑照合以外の権限確認をすべきであったところ,筆跡照合も暗証番号確認も行わず,個人情報も確認しなかったから,準占有者に対する弁済について,被告銀行に過失があった。
被告銀行が払戻請求書に住所の記入を求め,届出住所との一致を確認したとしても,届出住所は,預金者の自宅に侵入した窃盗犯にとっては容易に入手可能な情報であるから,受領権限確認方法としての有効性は低い。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(エ) 原告X4
a 原告X4代表者Z(以下「Z」という。)は,事務所の奥にある金庫の中に印鑑,Zの通帳とともに預金通帳を入れていたところ,預金通帳及び原告X4代表者印,銀行届出印を窃取され,Z個人の印鑑は盗まれなかった。
b 印鑑届の印影(別紙5のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙5のBの印影)を対照すると,以下の相違があり(別紙6のCの印影は,AとBの印影を重ね合わせたものであり,①ないし⑬は,別紙5及び6に記載された番号に対応する。),被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
① 「グ」の右上の外側の点と,「株」の1画の左端との間の間隔が,AよりもBの方が狭く,接近しているように見える。
②ないし⑤ 「株式会社」の4文字が,いずれも不鮮明であり,Aの印影と照合することができない状態である。
⑥ 「テ」の1画の横線が,Aに比べ,両端が短い。
⑦ないし⑪ Aには欠け(空白部分)が見られるが,Bには欠けが見られない。
⑫及び⑬ 印影の外側の円を比べると,Aの印影がBの印影よりやや大きく,外側にはみ出している。
c 払戻時刻が開店から間もない午前9時10分であり,預金口座名義が会社名義であり,預金残高660万9510円のうち,650万円というまとまった高額の金員が払い戻されており,本件払戻し前の1年間は,現金による100万円以上の出金がなく,現金の出金の多くは30万円以下であった。現金による出金もほとんどがATMを利用した払戻しであり,窓口で払戻しを求めたものではなかった。そうすると,本件は,file_34.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_35.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合に該当する。
払戻請求書の押印及び記載からすると,払戻請求者は実印と銀行届出印とを間違って押印したものといえる。会社の経営者又は経理担当者であれば,実印と銀行印とを間違えることはない。原告X4の印鑑届は社判(ゴム印)が使用されていたが,本件払戻請求書は手書きで記載されていた。払戻請求書の会社名の記載は,「○○」と「○○」との間に「・」が記載されており,社名が誤っていた。払戻請求書の記載の態様からすると,会社の住所及び電話番号は,銀行の担当者に促されて記載したのではなく,払戻請求者があらかじめ記載していたと考えられ,窓口担当者の面前で記載を求められた場合に,暗記し損なって誤った住所又は電話番号を記入するのをおそれたといえる。これらの点から,本件は,file_36.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合に該当する。
したがって,被告銀行は,印鑑照合以外の権限確認をすべきであったところ,払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認せず,預金者が法人等の団体であるにもかかわらず,電話による確認を行わなかったから,準占有者に対する弁済について,被告銀行に過失があった。
被告銀行が払戻請求書に住所の記入を求め,届出住所との一致を確認したとしても,届出住所は,預金者の自宅に侵入した窃盗犯にとっては容易に入手可能な情報であるから,受領権限確認方法としての有効性は低い。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(オ) 原告X5
a 原告X5は,預金通帳を,普段は自室内に保管していたが,預金通帳の盗難の被害に遭った際は,鞄の中に会社関係の書類及び郵便局の通帳とともに預金通帳を入れており,その鞄を原告X5所有の自動車のトランク内に入れ,原告X5が居住するマンション内の駐車場に自動車を駐車していた。一方,印鑑は,自室内の収納ケースの引出しに保管し,印鑑は窃取されなかった。
b 印鑑届の印影(別紙7のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙7のBの印影)を対照すると,以下の相違があり(①ないし⑭は,別紙7に記載された番号に対応する。),被告銀行には,これらの相違を看過した過失がある。
① 外側の円との接点の形が異なる。
② Bの「中」の2画の横線が途切れている。Aでは②に当たる部分は繋がっている。
③ 線で囲まれた空白部分の長方形の形が異なる。Aに比べてBは,上下の幅が狭く,横に細長い形である。また,Aが長方形に近い形であるのに対し,Bは,両端が細くなっており,かつ,4つの角が全て丸みを帯びていることから,楕円に近い形であって,AとBとでは形が異なっている。
④ 線で囲まれた長方形の形が異なる。長方形の右下角の部分を見ると,Bは右上がりに斜めになっている。
⑤ 「中」の3画の横線が,Aでは水平に近いが,Bでは横線が右上がりの形である。
⑥ 「中」の4画の縦線の下部が,Aに比べ,際だって太く,かつ長さが短い。止めの部分も,Aでは細くなってとがった形であるが,Bは細くなっていない。
⑦ 「野」の4画の横線が,形が異なる。Bでは,横線の両端が中央部より上の位置にあって,横線の中央部が丸みを持って下がっている形の曲線であるが,Aは,Bのように丸みがなく,かつ,中央部が下がる形の曲線ではない。Aの横線は,むしろ右上がりの直線に近い形である。
⑧ 上下の横線の間隔が,Aに比べてBの方が狭い。
⑨ 欠けている部分の位置及び形が異なる。Aにも円形に欠けている部分があるが,Bとは異なる位置であり,欠けている部分の形も異なる。
⑩ 線で囲まれた部分の形が異なる。BはAより膨らみが少なく,欠けている部分の面積が小さい。
⑪ 線で囲まれた部分の形が異なる。Aの印影では,四角形に近い形なのに対し,Bでは三角形に近い形である。
⑫ Aでは現出されているのに対し,欠けている。しかも,空白の部分の面積が大きく,かつ,例えば,外側の円の部分等周囲の部分が表れているのに,この部分のみが空白となっていることから,朱肉の付き方によって生じた印影の違いではないと判断される。
⑬ Aでは離れていて,空白部分があるのに対し,Bでは接している。
⑭ Aでは小さな球状の丸みのある部分があるが,Bでは丸みのある部分がない。
c 本件では,残高432万5417円のうちの430万円が払い戻されており,高額で,預金解約に匹敵するものであった。本件払戻し前の出金履歴を見ると,10万円以上の出金がなされたのは6回のみであり,50万円以上の出金は1回のみであり,10万円以上の払戻しを含め,払戻しはすべてキャッシュカードを用いてATMからなされ,過去3年間において窓口で払戻しを求めたことはなかった。原告X5は,本件払戻し当時,東京都内の支店において払戻しをしたことがなかった。そうすると,本件は,file_37.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_38.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合に該当する。
また,払戻請求書の筆跡は,印鑑届の筆跡と比較して,一見して別人によるものであることが分かる。特に,「×」及び「×」の文字ははっきりと筆跡が異なる。別件口座の払戻請求書に押捺された印影は,別件口座の銀行届出印の印影とは異なっていた。そうすると,本件は,file_39.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合に該当する。
したがって,被告銀行は,印鑑照合以外の権限確認をすべきであったところ,筆跡照合をせず,払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認せず,写真付き身分証明書の提示を求めず,生年月日,電話番号などの個人情報を確認しなかったから,準占有者に対する弁済について,被告銀行に過失があった。
被告銀行が払戻請求書に住所の記入を求め,届出住所との一致を確認したとしても,届出住所は,預金者の自宅に侵入した窃盗犯にとっては容易に入手可能な情報であるから,受領権限確認方法としての有効性は低い。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(カ) 原告X6
a 原告X6は,預金通帳及び銀行届出印鑑を,自宅2階の押入れの布団棚内の黒色の鞄に入れて保管していたところ,預金通帳及び銀行届出印鑑を窃取された。
本件の各払戻しは,同一日に連続して5回,50万円を超える高額の払戻請求がなされ,各支店において20分ないし30分おきに払戻しがなされた。原告X6は,本件払戻しより過去3年間は,窓口において50万円を超える高額の払戻請求をしていない。そうすると,本件は,file_40.jpg払戻請求額が概ね50万円以上の場合,file_41.jpg払戻請求額が預金残高のほぼ全額又は過去の払戻履歴から見て突出した金額である場合などの特異な払戻しの場合に該当する。
また,津田沼支店における250万円の払戻しの際,印鑑届の届出住所と払戻請求書記載の住所とが異なっていた。そうすると,本件はfile_42.jpg何らかの契機により,銀行の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合に該当する。
したがって,被告銀行は印鑑照合以外の権限確認をすべきであったところ,筆跡照合も暗証番号確認も行っておらず,写真付き身分証明書の提示を求めず,個人情報を確認することもしなかったから,準占有者に対する弁済について被告銀行に過失があった。被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったといえる。
(4)ア 同(4)アは,否認する。
確かに,普通預金は,その成立後,いつでも払戻しを請求できることから預入時から消滅時効が進行する。しかし,いったん普通預金口座が作成されれば,預入れと払戻しが反復継続されるため,その度に預金債権の承認がなされ,その起算点が繰り下げられる。そして,その預金債権は,同一性を保ちつつ,受払いの都度残高が変動するにすぎない。本件においても,原告X6の預金口座は,本件払戻し以後も口座は解約されておらず,今日に至るまで預入れ及び払戻しが反復継続されており,預金債権は存続している。したがって,原告X6の預金債権は,そもそも消滅時効が進行していない。
イ 同(4)イは,否認する。
確かに,銀行預金は商事の消費寄託であり,商事債権である。しかし,被告銀行を含め,銀行は,従前より,時効消滅期間を10年とする実務的取扱いを採ってきており,10年を経過しても,関係帳簿類の紛失,破棄といった特別な事情がない限り,消滅時効を援用せず,払戻しに応ずる実務的取扱いを採ってきた。全国銀行協会は,かかる実務的取扱いを踏まえ,平成3年9月6日,預金債権について,10年経過した場合に消滅時効を援用して処理するよう通達を発し,被告銀行も,この通達に則って,消滅時効援用の処理をしている。したがって,預金債権の時効消滅期間は,一般債権と同様に,10年である。
理由
第1 請求原因(1)ないし(3)について
1(1) 請求原因(1)アのうち,原告らが被告銀行に対し預金債権を有していたことは,原告らと被告銀行との間で争いがなく,被告協会の間においても,証拠(甲Bイ3,ロ3,ニ3,ホ3,ヘ3及びチ1)により,これを認めることができる。
(2) 同(1)イ及びウは,いずれも,全当事者間に争いがない。
2 請求原因(2)のうち,別紙預金目録中,原告X1の預金残高が180万0525円であったこと,原告X2の預金の取扱店が旧三井住友銀行荻窪支店であり,払戻内容のうち,払戻年月日が平成14年8月9日及び払戻場所が旧三井住友銀行西荻窪支店であること,原告X3の預金の取扱店が旧三井住友銀行後東支店であり,払戻場所が旧三井住友銀行赤川支店であることを除き,原告X6を除く原告らがそれぞれ被告銀行に対し,同目録の「払戻年月日」欄記載の当時,同目録「預金内容」欄記載の普通預金債権を有していたことは,原告らと被告銀行との間で争いがなく,この当事者間に争いがない事実に,証拠(甲Bイ3,ロ3,ニ3及びチ1)を総合すれば,原告X6を除く原告らがそれぞれ被告銀行に対し,同目録の「払戻年月日」欄記載の当時,同目録「預金内容」欄記載の普通預金債権を有していたこと及び原告X6が平成10年4月20日当時,被告銀行に対し,別紙被害別一覧の「被害状況」1欄記載の支店に対し,2ないし4及び6記載の預金債権を有していたことが認められる。
また,原告らと被告協会との間においても,証拠(甲Bイ3,ロ3,ニ3,ホ3,ヘ3及びチ1)により,別紙預金目録のとおり,原告X6を除く原告らがそれぞれ被告銀行に対し,同目録の「払戻年月日」欄記載の当時,同目録「預金内容」欄記載の普通預金債権を有していたこと及び原告X6が平成10年4月20日当時,被告銀行に対し,別紙被害別一覧の「被害状況」1欄記載の支店に対し,2ないし4及び6記載の預金債権を有していたことを認めることができる。
3 請求原因(3)
請求原因(3)ア及びイは,いずれも原告らと被告銀行との間で争いがなく,被告協会との間においても,証拠(乙イ40及び41)により,これを認めることができる。
第2 主位的請求について
1 以上のとおり,第1事件原告らがそれぞれ被告銀行に対し,同目録の「払戻年月日」欄記載の当時,同目録「預金内容」欄記載の普通預金債権を有していたこと及び原告X6が平成10年4月20日当時,被告銀行に対し,別紙被害別一覧の「被害状況」1欄記載の支店に対し,2ないし4及び6記載の預金債権を有していたことが認められる。
2 そこで,原告らについて,被告銀行の主張する抗弁について検討するに,各原告についての抗弁の判断に先立ち,準占有者に対する弁済について被告銀行の過失の有無の判断基準について,総括的に判断する。
(1) 一般に,銀行が預金通帳及び払戻請求書の提出により預金の払戻請求を受けた場合で,当該預金口座の銀行届出印の印影と払戻請求書に押捺された印影との照合により正当な払戻請求であると判断されて払戻しがされた場合には,他に正当な払戻請求でないことを窺わせる特段の事情がない限り,仮に上記払戻請求書に押捺された印影が偽造印(銀行届出印でない印章)により顕出されたものであるとしても,銀行は債権の準占有者に対する弁済を行ったものとして免責されると解するのが相当である。
この点,原告らと被告銀行は,各預金口座の開設に当たり,同口座の取引においては,被告銀行(旧三井住友銀行,住友銀行又はさくら銀行)の普通預金規定によるとの合意をし,各普通預金規定には,いずれも請求書その他の書類に使用された印影を銀行届出印と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱った場合には,それらの書類について偽造,変造その他の事故があってもそのために生じた損害については被告銀行が責任を負わない旨が規定されていたことは,原告らと被告銀行との間で争いがないところ,この免責条項の規定の趣旨も,銀行へ印鑑の届出がなされていることを前提に,被告銀行が届け出られた印影と払戻請求書の印影とを照合するに当たり,金融機関の照合事務担当者に社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって行うことを求め,それが果たされた場合に被告銀行を免責せしめるものと認められ,先の解釈と整合性を有するものと解される。
そして,払戻請求を受けた銀行の窓口担当者が,払戻請求書に押捺された印影と銀行届出印影ないし副印鑑の印影とを照合するに当たっては,特段の事情のない限り,折り重ねによる照合や印影を拡大するなどして行う照合をするまでの必要はなく,肉眼による平面照合の方法をもってすれば足りると解するのが相当であるが,先に判示したとおり,その場合においては,金融機関としての銀行の照合事務担当者に対して社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもって慎重に照合を行うことが要求され,かかる事務に習熟している銀行員が上記のような相当の注意を払って熟視するならば,肉眼をもって発見し得るような印影の相違が看過されたときは,銀行側に過失の責任があるものというべきである。
また,印鑑照合において,先のような注意義務を前提にしても同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合には,上記のような平面照合の方法のみによることは相当でなく,折り重ねによる照合等をし,不鮮明な印影の場合には再度の押捺を求めるなど,金融機関の担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執るべき注意義務があると解すべきであり,銀行の担当者において,こうした注意義務を怠った場合には,なお過失があるというべきであって,銀行の払戻行為は,債権の準占有者に対する弁済として,銀行が免責されることはないというべきである。
(2) これに対し,原告らは,社会状況が変化し,預金の過誤払いが多発するに至った今日,もはや印影の照合は本人確認としての機能を喪失しており,過誤払いの危険性の高い類型的取引については,被告銀行には,(a)筆跡照合,(b)払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する,(c)預金者が法人等の団体の場合には,電話による確認を行う,(d)預金者が個人の場合には,写真付き身分証明書の提示を求める,(e)払戻請求者が本人か代理人かを尋ね,本人であれば,住所,生年月日,電話番号などの個人情報を尋ね,代理人であれば,これに加え,本人との具体的な関係や身分を確認するための個人情報を尋ねる等の方法により,払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認する義務がある旨主張する。
確かに,原告らが主張するような社会状況の変化が,銀行の預金払戻実務に無視し得ない影響を及ぼす程度に至っていれば,銀行が預金の払戻しに当たり,本人確認のために行うべき注意義務が,社会状況の変化に相応する変容をもたらす可能性を全く否定することはできない。
そして,証拠(甲A1の1ないし9)によれば,警視庁生活安全総務課長がさくら銀行及び住友銀行を含む9行の都市銀行の頭取に宛てて作成した「盗難通帳等使用による預金引出し事案の防止について(依頼)」と題する平成11年9月6日付けの文書には,「最近,会社等の事務所に侵入し,通帳と印鑑等を窃取した上,翌朝銀行の窓口において,多額の預金を引き出す事案が多発しています。」「開店間もない時間に会社等名義の多額の預金を普段見かけない人が引出しに来た場合や,挙動が不審であると思われるような場合は,会社に確認の電話をしていただくか,確認がとれない場合には警察へ通報をしていただくなど,盗難被害に遭った通帳等を使われないように留意していただきたい」との記載があることが認められる上,証拠(甲2,3の1及び2,4の1ないし4,5の1ないし4並びに9の1ないし3)によれば,平成12年ころ,ピッキング用具を使用した窃盗被害や副印鑑を使用して印影を偽造し,銀行から預金を払い戻す被害が少なからず生じるようになり,印影偽造防止のため金融機関が副印鑑制度を廃止するようになった旨が新聞によって報道されていたこと,警視庁が,ピッキング用具を使用した事務所荒らし等により窃取した預金通帳を利用して預金を引き出す事件が平成10年12月ころから多発していたと認識していたこと,平成11年11月24日,警視庁において開催された金融機関防犯連絡会会議の席上,被告協会等の担当者に対し,依頼文書と同旨の協力依頼を行ったこと,新聞記事等においても,銀行届出印が通帳に付されている副印鑑をもとに,カラーコピー機やパソコン,カラープリンター,家庭用の簡易印刷機や印判製造機等を使って,比較的容易に偽造できることが指摘されていることが,それぞれ認められる。こうした事実によれば,印鑑の信頼性は次第に低下しつつあるとも考えられないでもない。
しかしながら,銀行が銀行届出印と払戻請求書の印影との照合により払戻請求者の受領権限を確認して窓口での払戻しを行うことは,銀行業界において長年にわたって行われてきた方法である。そして,原告らと被告銀行は,各預金口座の開設に当たり,同口座の取引においては,被告銀行(旧三井住友銀行,住友銀行又はさくら銀行)の普通預金規定によるとの合意をしたことは,先に判示したとおり,原告らと被告銀行との間で争いがないところ,証拠(乙イ18ないし20)によれば,比較的新しい旧三井住友銀行のものも含め,各普通預金規定には,いずれも「この預金を払戻すときは,当行所定の払戻請求書に届出の印章(または署名・暗証)により記名押印(または署名・暗証記入)して,通帳とともに提出してください。」との規定があることが認められ,こうした規定に照らしても,現在でも印鑑に対する信頼が失われたとまではいえず,預金通帳及び印鑑によって払戻しが受けられるとするのが利用者である国民一般の社会通念として考えられる。そして,過誤払いがされる事例が例外的な場合に限られることからすると,預金の払戻請求において,原告らの主張するような類型に該当する場合に常に,金融機関及び預金者に暗証番号の確認等を要求する場合には,正当な権限を有する預金者が,前記のような普通預金規定に従い,預金通帳と銀行届出印を押捺した払戻請求書を提出しても,速やかに銀行から払戻しを受けられず,急場の資金調達に支障を来すなど予期し得ない不利益が生ずるおそれがある。そして,銀行としても,前記のような普通預金規定があることから,預金通帳と銀行届出印を押捺した払戻請求書の提出による払戻しを拒絶した場合,預金者が被った不測の損害の賠償を求められるおそれもあり,銀行を含めた金融システムに混乱を来すことが想定される。そして,原告らが主張するような一定の類型の払戻しについて,印影の照合だけでは足りず,原告らが主張する,(a)筆跡照合,(b)払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する等の方法により,払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認する義務があるとするためには,金融機関にも,預金者の理解を得て,これを周知させるなど,それに対応し得る態勢を整備する必要が生じるところ,証拠(甲A7及び甲41の1ないし3)によれば,株式会社みずほ銀行,埼玉縣信用金庫において,原告らの主張する判断基準に近いものが内規として採用されていると認められないでもないし(株式会社みずほ銀行が判断基準に関する内規を発出した時期は本件証拠上,判然としない。),証拠(甲A25,乙イ39及び証人F)によれば,被告銀行においても,無権限者に対する払戻しをできる限り防止するため,内部手続の厳格化を図っていることが認められるけれども,本件全証拠によっても,原告らの主張する確認方法が,多くの金融機関において預金者の理解を得て広く採用されているとまでは認められない上,盗難通帳による被害に対しては,預金通帳と印鑑を別にして保管しておく,損害保険に加入するなどといった他にも講ずべき対策があったと考えられ,預金者には,預金通帳及び銀行届出印鑑の管理に遺漏無きを期することが求められているというべきであるから,本件払戻し当時,原告らの主張するような一定の場合に,直ちに被告銀行に暗証番号を確認するなどの義務があったと断定することはできない。
もとより,不正な払戻請求であることを疑うべき客観的状況がある場合に,暗証番号を確認することなどが適切である場合も考えられることは,先に判示したとおりであるが,そのような対応をすべきであるかどうかは,個々の払戻しの状況に即して判断すべきであって,原告らが主張するように,一定の類型の場合に,一律に印鑑照合のほかに,(a)筆跡照合,(b)払戻請求者にキャッシュカードの暗証番号を確認する等の方法により,払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認する義務があるとまでは解されない。
(3) そこで,以下において,以上の判断を踏まえて,各原告に関して個々の払戻し行為に注意義務違反があるか否かについて判断するが,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影の比較対照について検討を加えるに,印影は,一般に同一の印鑑によって顕出されたものであっても,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合,押捺した時の力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損の程度,印影が顕出される紙の状態及び性状,紙が置かれる面の性状及び状態等によって微妙な相違が生じることは避けられないことは,何人も経験的に理解できるところである。
そして,原告ら代理人は,原告X2についても,印鑑届の印影(別紙2のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙2のBの印影)を対照し,①Bの「木」の第3画と「川」の第3画の交わる部分が,Aのそれに比べて細い,②Bの「木」の第2画が,Aのそれに比べて細い,③Bの「川」の第1画と外周の交点が,Aのそれに比べて細い,④Bの「川」の第1画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いている,⑤Bの「川」の第2画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いているとの相違を主張している。しかしながら,後に認定,判断を摘示するとおり,原告X2は,預金通帳とともに,銀行届出印を窃取されている上,当該預金通帳には副印鑑が付されていたと認められるから,原告X2に関しては,無権限者により銀行届出印が利用されて払戻請求書が作成された可能性が高いと考えられ,それにもかかわらず,原告ら代理人が主張するような印鑑届の印影(別紙2のAの印影)と払戻請求書の印影(別紙2のBの印影)に差異があるとすれば,それは,先に判示した印影の相違に関する事実を裏付けるものというべきである。
したがって,印鑑届の印影と払戻請求書の印影の同一性判断に当たっては,以上の点を考慮して行う必要があるというべきである。
3 原告X1について
(1) 本件払戻しに至るまでの経緯について,当事者間に争いのない事実に,証拠(甲Bイ3,4,乙イ2,3,4,22,証人A1及び弁論の全趣旨)を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X1は,平成14年7月15日当時,旧三井住友銀行溝ノ口支店に開設していた普通預金口座において,183万9446円の預金残高を有していた。原告X1の自宅のキッチン内の流しの横にある食器棚の上にはレターケースがあり,原告X1は,その1番上の引出しの中に手紙等と一緒に預金通帳を入れ,3番目の棚に印鑑を入れていた。
イ A1は,以前,八千代銀行で約8年間,窓口係として勤務した経験を有する者であるが,平成13年10月ころ,旧三井住友銀行町田支店において勤務を開始し,平成14年1月ころから,預金の入出金,振込み及び税金の納付等を内容とするハイカウンター窓口業務を担当していた。
ウ 平成14年7月15日午後2時30分ころ,中背の男性である本件払戻請求者(1)が旧三井住友銀行町田支店に来店した。本件払戻請求者(1)は,A1に対し,原告X1名義の預金口座の預金通帳,払戻請求書及び振込依頼書を提示し,普通預金口座から払戻しをして,旧三井住友銀行上大岡支店に開設された架空の甲野太郎名義の普通預金口座に180万円を振り込むことを依頼した。本件払戻請求者(1)が提示した際,払戻請求書の金額欄には下3桁を除いて「1800」とのみ記載され,下3桁の金額は記載されていなかった。本件払戻請求者(1)は,A1に対し,振込手数料を尋ね,A1が525円であると回答したため,本件払戻請求者(1)は,空欄となっていた払戻金額欄の下3桁の部分に「525」と記入し,180万0525円の払戻請求書を作成した。A1は,旧三井住友銀行町田支店において,振込みの受付は午後2時30分までで,それ以降に受け付けた振込みは翌日扱いにさせてもらう取扱いとなっていたため,本件払戻請求者(1)に対し,振込みの手続を行うのが翌日でもよいか尋ねた。本件払戻請求者(1)は,A1に対し,どうしても当日中に振込みの手続を行って欲しいと回答した。そこで,A1は,本件払戻請求者(1)に,ソファに座って待つよう依頼し,隣席の窓口担当者であるA2に当日中の振込みが可能かを尋ね,A2は,現金のみを窓口の機械で入力し,振込みの操作は後方の担当者にしてもらうことができるとして,当日の振込処理が可能である旨回答した。
エ 平成14年7月15日当時,旧三井住友銀行町田支店においては,一定額以上の他店代払いによる現金出金の場合は,払戻請求書に住所の記入を依頼し,届出住所との一致の確認を行う扱いになっていたが,他店代払いによる振込みの場合は,住所確認を行う扱いは定められていなかった。A1は,払戻請求書に押印された印鑑の印影と銀行届出印の印影について,印鑑照合のできる機械の端末であるWIT(以下「WIT」という。)を使用し,画面上に両者の印影を拡大して表示させ,両印影を見比べる方法による平面照合,印影全体を交互に表示する操作を繰り返す方法による全体照合及び銀行届出印の半分の印影を表示させたまま残り半分に銀行届出印の印影と払戻請求書の印影を交互に表示する照合を繰り返す部分照合の方法により,印鑑照合を行い,両者が一致していると判断した。また,A1は,WITの画面上に表示された払戻請求書の「おなまえ」欄の記載と印鑑届の「おなまえ」欄の記載を見比べ,両者の筆跡が似ていると判断した。A1は,印鑑照合及び筆跡確認を行ったのち,出金の手続をした。
オ また,本件払戻請求者(1)が振込依頼書を提示した際,A1は,振込依頼書の太枠内の記載事項はすべて記入済みであることを確認した。A1は,WIT上に,振込依頼書記載の振込先口座の支店番号及び口座番号を入力し,振込先口座の名義が受取人の氏名と一致していることを確認した。その後,A1は,後方担当者に対し,振込手続を依頼し,後方担当者から,本日付けで振込処理が完了したことを確認した。A1は,確認後,本件払戻請求者(1)を窓口に呼び出し,本件払戻請求者(1)に預金通帳及び振込領収書を渡し,本件払戻請求者(1)は退店した。
カ 窓口に来てから退店するまでの間,本件払戻請求者(1)に不審な様子は見受けられなかった。
キ 原告X1の届出住所は,「神奈川県横浜市港北区高田町<番地略>△△405号」であり,届出の電話番号は「044−977−****」であった。これに対し,振込依頼書に記載された原告X1名義の住所は,「伊勢原市東大竹<番地略>」であり,電話番号は,「0463−94−※※※※」であった。このように,振込依頼書に記入された住所及び電話番号は,届出内容と相違していたが,A1は,両者が一致するかどうかは確認しなかった。また,A1は,本件払戻しにより口座の残高がいくらになるかは確認しなかった。
ク 原告X1は,平成14年7月18日,本件口座の預金残高がわずかであることに気が付き,同月19日,旧三井住友銀行に問い合わせたところ,本件払戻しが行われたことを知らされ,帰宅後,本件口座の預金通帳及び銀行届出印鑑が窃取されたことが判明した。
ケ 原告X1は,旧三井住友銀行に対し,本件払戻しの数日後,払戻し及び振込みが盗難された預金通帳及び印鑑によってなされたと申し出た。
(2) 抗弁(1)について
以上の認定事実によれば,原告X1の預金通帳及び銀行届出印は,本件払戻し以前に,何者かによって窃取されたことが認められ,本件払戻しが原告X1の意思に基づくことは,これを認めるに足りる証拠がない。したがって,本件払戻しにより原告X1名義の口座の普通預金債権について,有効な弁済がなされたということはできない。
(3) 抗弁(3)について
ア(ア) 先に判示したとおり,印影は,一般に同一の印鑑によって顕出されたものであっても,朱肉の材質の差異,朱肉の付き具合,押捺した時の力の入れ具合,印鑑の摩耗・欠損の程度,印影が顕出される紙の状態及び性状,紙が置かれる面の性状及び状態等によって微妙な相違が生じることは避けられない。このような観点から払戻請求書の印影と銀行届出印の印影とを比較対照すると,両者の大きさ,形状,各文字の配置及び字体,全体としての印象において,非常によく似ていると評価することができ,本件払戻請求者(1)は,原告X1名義の預金通帳を提示し,銀行届出印と酷似した印影の押捺された払戻請求書を提出したのであるから,原告X1名義の預金債権の準占有者に当たると解される。
なお,原告X1の預金通帳に副印鑑が貼付されていたか否かは,本件証拠上,判然としないが(この点,被告銀行は,その貼付がなかったと主張している。),原告X1は,預金通帳とともに銀行届出印を窃取されており,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影の酷似性,酷似した印影を印章できる印鑑が存在するのに印鑑若しくは印影を偽造することは不自然であることを考えると,払戻請求書の印影は,窃取された原告X1の銀行届出印で印章されたと推認される。
イ(ア) 印鑑照合について,原告X1は,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影には,別紙1の①ないし⑤の相違がある旨主張する。
確かに,別紙1のように両印影を拡大した上で,注意深く観察すれば,原告X1の指摘する相違点が全く認められないとまでは言い切れない。しかし,原告X1が指摘する,「① Aが角張っているのに対し,Bは丸みを帯びている。」,「② Aが直線に近い線であるのに対し,Bは丸みを帯びて「八」の字の形に広がっている。」,「③ Aに比して,Bでは,外枠との距離が短い。Bは,外枠により近接している。」,「④ Aでは,一筆の横棒になっているのに対し,Bでは,縦棒と上から三本目の横棒とが一筆でつながっている。」及び「⑤ Aでは,均一の太さであり,真横に伸びる横棒及びその右端から垂直に下りる縦棒で構成されている。これに対し,Bでは,ゆるやかに右に下がり,次第に細くなっている。」との各相違点は,肉眼で慎重に判別しても,その相違は微妙なものであって,いずれも朱肉の材質・付き具合等上記のような押捺時の条件に基づいて生じた相違の範囲内にあるものというべきである。かかる相違は,印鑑事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って肉眼による平面照合をしたとしても,仮に別異の印章によるものであったとしても,それを容易に発見し難いものであったというべきである。加えて,先に判示したとおり,本件払戻しには真正な銀行届出印が使用されたと推認されるから,この点からも印影が一致しないということはできない。
以上によれば,本件払戻しに際しての印影照合について,被告銀行に過失があったことを認めることはできない。
(イ) もっとも,印影照合において,それが同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合において,銀行の払戻担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執ることを怠った場合には,なお過失があるというべきであることは,先に判示したとおりである。しかし,本件払戻しに際しては,先に判示したとおり,本件払戻請求者(1)が窓口に来て退店するまでの間に不審な様子は見受けられなかったから,本件払戻しにおいては,平面照合により印影の一致を確認すれば足りるというべきであるにもかかわらず,A1は,先に判示したとおり,WITを使用して拡大した印影で平面照合,全体照合及び部分照合の方法により照合を行い,単なる平面照合より慎重に印影照合を行ったものといえる。
したがって,被告銀行の印影照合担当者において,それ以上の本人確認の手段を執ることが社会通念上一般に期待される状況にあったということはできず,これを行わなかったことにより過失があるということもできない。
以上によれば,本件払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効であるというべきである。
ウ(ア) 原告X1は,払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとして,預金残高183万9446円のうちの180万円という高額の金員が払い戻されており,盗難通帳による不正払戻しの典型例に該当するにもかかわらず,A1が預金残高の確認を行わなかったことを主張する。
しかし,顧客の都合により急に多額の金員が必要になることもあり得るとも考えられる上,定期制預金に比べ,流動性の高い普通預金について,預金残高のほぼ全額に近い払戻請求も特段不自然とはいえない。また,預金の払戻しは日常的に多数頻繁に繰り返される銀行業務であるところ,預金口座の残高や払戻しの金額は様々であり,高額の払戻しであっても預金額のごく一部にすぎない場合もあるから,高額の払戻しであるからというだけで直ちに不審な払戻しであるとすることはできず,払戻しの金額により払戻しの不審性を判断する基準とすることの合理性を見出すことはできない。そうすると,真正な通帳の提示及び銀行届出印鑑と同一の印影のある払戻請求書の提出をもってされた払戻請求に対し,請求金額が大きいということだけで,来店者と預金者本人との同一性の確認又は預金者本人の意思の確認をしなければならないという理由はなく,高額な払戻しについて口座残高の確認をするなどより慎重に受領権限を確認することの必要性は乏しいというべきである。
(イ) 原告X1は,本件払戻しが他店での窓口取引であるところ,原告X1が口座開設以来窓口での取引を行ってこなかったことを主張する。
しかし,証拠(乙イ18ないし20)によれば,被告銀行の普通預金規定では「この預金は,当店のほか当行国内本支店のどこの店舗でも預入れまたは払戻しができます。」と規定されていることが認められるところ,このように,普通預金の払戻請求は,口座開設店においてのみ可能とされるものではなく,口座開設店以外の本店及び支店においても容易に払戻請求ができるところに利便性が認められる。そのため,被告銀行としては,口座開設店以外の本店又は支店においてなされる普通預金の払戻請求に対しても,事務の円滑かつ迅速な処理を図ることが要請されているものということができる。また,旅行先,出張先等預金者が預金口座を開設した支店と別の支店で払戻請求をすることは特段不自然なことではなく,預金者が他店で預金の預入れや払戻しをすることは日常的に行われることであるから他店取引それ自体をもって奇異であるとか警戒を要するといえるものではないし,そのような慎重な対応をすることは銀行のみならず預金者にとっても煩雑な手続となる。以上のことから,本件払戻しが他店で行われたことをもって,不審事由とすることはできない。
また,取引経過については,本件払戻請求者(1)に格別不審な様子がなかった本件払戻しにおいては,A1が当然に取引経過を確認すべきであったとはいえない。
(ウ) 原告X1は,原告X1本人が自署した印鑑届と払戻請求書及び振込依頼書とで筆跡を比較すると,払戻請求書及び振込依頼書の筆跡は,字が大きく,入筆部に癖があり,「本」の字が3画目及び4画目のはらいが離れており,2画目と3画目を一筆で書いており,字の形自体が変形している上,「孝」の字が,1画目ないし3画目までの「土」の字の部分について,「上」の字が書かれており,字が間違っていると主張する。
確かに,印鑑届と比較すると,払戻請求書の文字は大きいが,払戻請求書「おなまえ」欄の大きさが印鑑届よりも大きいことが原因であるとも考えられ,振込依頼書の筆跡は印鑑届の筆跡よりも大きいことが明らかとはいえない。入筆部に癖があると見るかどうかは,読み手の主観も入る問題といえる。また,子細に観察すれば,払戻請求書及び振込依頼書では,3画目及び4画目のはらいが離れ,2画目と3画目が一筆で続けて書かれていることが認められるが,筆跡は,同一人であっても書いた時期や状況によっても異なり得ることからすると,少なくとも直ちに別人であることを疑うほどの相違は認められない。「孝」の字の3画目の横棒の長さが足りていないために「上」に見えなくはないけれども,それは,筆記者の書き癖とも評価し得るものであり,このことのみをもって誤字であるということはできない。そして,そもそも印鑑届の作成に当たって,代筆が禁じられ,自署が求められていると認められないから,こうした比較それ自体,重要性を有するとはいい難い面もある。
そうすると,普通預金払戻請求の場合,請求者の払戻権限を疑うのが相当な場合でない限り,筆跡照合までは要求されていないことも併せ考えれば,筆跡の相違をもって特段の事情があるとして,より慎重に受領権限を確認すべきであったとすることはできない。
(エ) 原告X1は,振込依頼書記載の住所及び電話番号が届出と異なっていたため,払戻請求者が本人ではないのではないか疑うべきであったと主張する。
しかし,預金の払戻しの際には,不正な払戻請求であると疑うべき客観的状況があるような場合を除いては,預金者の住所を確認すべき注意義務が被告銀行にあるとは認められない上,振込手続は,預金払戻手続とは別個の手続であり,振込依頼書の住所等の個々の記載内容が届出の住所と一致していることを確認すべき義務が当然に認められるわけではなく,振込依頼書の住所の内容それ自体から払戻請求者が無権限であることを疑うべきとはいえない。したがって,振込依頼書に記載された住所が届出住所と異なるからといって,より慎重に払戻しの権限を確認すべきということにはならない。
また,原告X1は,払戻請求書に届出住所の記入を求めるべきであったと主張するが,本件では本件払戻請求者(1)に不審な様子が見られなかった以上,住所を記載させるべきであったとはいえないことは,先に判示したことから明らかである。
さらに,原告X1は,被告銀行の注意喚起文書及び他行の指針に照らしても,被告銀行による権限確認が不十分であったと主張するが,それらが理由のないことは,既に第2・2(2)で判示したとおりである。
エ 以上の事実によれば,抗弁(3)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X1の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
4 原告X2について
(1) 本件払戻しに至るまでの経緯について,当事者間に争いのない事実に,証拠(甲Bロ3,4,乙イ5,6,23及び証人B1)を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X2は,平成12年8月9日当時,住友銀行荻窪支店に開設していた普通預金口座に561万7494円の預金残高を有していた。原告X2は,普段は,30センチメートル×20センチメートル程の大きさの鞄の中に印鑑,免許証,手帳,小銭入れ,店の金券及び振込明細とともに預金通帳を入れ,目の届く所に置いていたが,同月上旬ころ,前記鞄を車の中に置いたまま,買い物に出かけた際,車の助手席の鍵が壊されていたことがあった。
イ B1は,平成10年4月,住友銀行に入行し,早稲田支店に配属され,同年7月ころから窓口業務を担当するようになった。B1は,平成12年7月ころ,西荻窪支店に異動となり,ハイカウンター窓口業務を担当した。
ウ 平成12年8月9日午前11時20分ころ,30代に近い年齢の中背の男性である本件払戻請求者(2)が住友銀行西荻窪支店に来店した。本件払戻請求者(2)は,身長が約170センチメートル前後,青っぽいシャツを着用し,黒いリュックサックを所持していた。本件払戻請求者(2)は,B1に対し,原告X2名義の住友銀行荻窪支店の普通預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示して,原告X2名義の住友銀行荻窪支店の普通預金口座から500万円の払戻しを依頼した。
エ 当時,住友銀行では,他店払いで100万円以上の出金の場合,届出の住所の確認を行うこととされており,B1は,本件払戻請求者(2)に対し,払戻請求書の「おなまえ」欄への住所の記入を依頼した。本件払戻請求者(2)は,B1の面前で,何かを参照することもなく,住所を「東京都新宿区西新宿<番地略>」と記入した。B1は,本件払戻請求者(2)に対し,「おかけになってお待ち下さい。」と声をかけ,ソファで待機するよう依頼した。
オ その間,B1は,口座番号をコンピューターの端末に入力し,原告X2の登録された届出の住所をディスプレーに表示し,払戻請求書記載の住所を確認し,両者が一致しているのを確認した。
次に,B1は,払戻請求書に押印された印鑑の印影と預金通帳の見返しに貼付されていた副印鑑の印影を残影照合の方法で全体照合するとともに,払戻請求書の印影部分を半分に折り,残影照合の方法で部分照合し,両者が一致していると判断した。その後,B1は,端末で出金の記帳を行い,出金の準備を整え,本件払戻請求者(2)を窓口に呼び,本件払戻請求者(2)に現金500万円及び預金通帳を渡した。本件払戻請求者(2)は,預金通帳及び現金500万円を受け取って退店した。
B1は,高額出金の際には,預金の使途を聞くように心がけていたから,預金通帳及び払戻請求書の提示を受けたときか預金通帳及び現金を渡すときに,本件払戻請求者(2)に対し,500万円の使途を尋ねたところ,本件払戻請求者(2)は,自動車の購入資金に使用すると回答した。
カ 来店してから退店するまでの間,本件払戻請求者(2)に不審な様子は見当たらなかった。
キ 原告X2は,平成12年8月30日ころ,預金残高が約43万円となっていることに気が付き,住友銀行に問い合わせたところ,本件払戻しを知らされた。その日,原告X2は,前記鞄の中に保管していた預金通帳及び銀行届出印鑑が窃取されているのに気が付いた。
ク 原告X2は,本件払戻しから約1か月後,住友銀行に対し,盗難された預金通帳及び印鑑によって払い戻されたと申し出た。
(2) 抗弁(1)について
以上の認定事実によれば,原告X2の預金通帳及び銀行届出印は,本件払戻し以前に,何者かによって窃取されたことが認められ,本件払戻しが原告X2の意思に基づくことは,これを認めるに足りる証拠がない。したがって,本件払戻しにより原告X2名義の口座の普通預金債権について,有効な弁済がなされたということはできない。
(3) 抗弁(3)について
ア 払戻請求書の印影と銀行届出印の印影の比較対照を検討するに,預金通帳は本件払戻請求者(2)が持ち帰ったため,現在,預金通帳に押捺されていた副印鑑を見ることはできない。しかし,銀行届出印影と副印鑑は,同一の印鑑による印影であるから,両者の印影はほぼ同一であると見られる。そこで,払戻請求書の印影と銀行届出印影を比較対照してみるに,両者の大きさ,形状,各文字の配置及び字体,全体としての印象において,非常によく似ていると評価することができ,本件払戻請求者(2)は,原告X2名義の預金通帳を提示し,銀行届出印と酷似した印影の押捺された払戻請求書を提出したのであるから,原告X2名義の預金債権の準占有者に当たると解される。
なお,先に判示したとおり,原告X2においては,副印鑑の付された預金通帳と銀行届出印を窃取されているのであるから,これらを窃取した者若しくは本件払戻請求者(2)において,窃取した印鑑が銀行届出印であることを容易に知り得,したがって,本件における払戻請求書の印影は,窃取された原告X2の銀行届出印により印章されたものと推認される。
イ 印鑑照合について,原告X2は,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影には,別紙2の①ないし⑤の相違がある旨主張する。
しかし,そもそも本件における払戻請求書の印影は,窃取された原告X2の銀行届出印により印章されたものと推認されるから,原告X2が主張する相違点は,朱肉の材質・付き具合等押捺時の条件に基づいて生じたものと考えられる。
この点を捨象して考えても,原告X2が,「① Bの『木』の第3画と『川』の第3画の交わる部分が,Aのそれに比べて細い。」,「② Bの『木』の第2画が,Aのそれに比べて細い。」及び「③ Bの『川』の第1画と外周の交点が,Aのそれに比べて細い。」として主張する印字の太さの相違については,押印圧を強くしたときは,朱肉の着用過多など使用条件の変化等によっても生じ得る余地があるから,銀行届出印と異なる印鑑によるものであるとは判断し難い。また,原告X2が「④ Bの『川』の第1画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いている。」及び「⑤ Bの『川』の第2画が,Aのそれに比べて角張った曲線を描いている。」として主張する点は,確かに,別紙2のように両印影を拡大した上で,注意深く観察すれば,原告X2の指摘する相違点が全く認められないとまでは言い切れないが,かかる相違点は,肉眼で慎重に判別しても,その相違は微妙なものであって,いずれも朱肉の材質・付き具合等上記のような押捺時の条件に基づいて生じた相違の範囲内にあるものというべきである。そうすると,かかる相違は,印鑑事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って肉眼による平面照合をしたとしても,仮にそれが別異の印鑑により印章されたものであったとしても,それを容易に発見し難いものであったというべきである。
以上によれば,本件払戻しに際しての印影照合について,被告銀行に過失があったことを認めることはできない。
ウ もっとも,印影照合において,それが同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合において,金融機関の払戻担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執ることを怠った場合には,なお過失があるというべきである。しかし,本件払戻しに際して,応対したB1が本件払戻請求者(2)について客観的に特に不審と思うべき状況があったということもできない上,B1が本件払戻請求者(2)に対して住所の記載を求めたところ,本件払戻請求者(2)は何も参照することなく,被告銀行に届けてあった住所を記載し,その預金の使途についても自動車の購入資金であると,払戻金額に照らして合理的な説明をしている。そうすると,本件払戻しにおいては,本件払戻請求者(2)が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情があるとは,およそ認め難く,平面照合により印影の一致を確認すれば足りるというべきであるところ,B1は,全体照合と部分照合の方法による照合を行い,慎重に印影照合を行ったものといえる。
したがって,被告銀行の印影照合担当者において,それ以上の本人確認の手段を執ることが社会通念上一般に期待される状況にあったということはできず,これを行わなかったことにより過失があるということもできない。
以上によれば,本件払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効であるというべきである。
エ(ア) これに対し,原告X2は,払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとして,預金残高561万7494円のうち500万円という高額が払い戻され,少なくとも,本件払戻しより過去3年間は,窓口取引がなかったことを指摘する。
しかし,払戻額や過去の取引履歴から,直ちに払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきことにならないことは,前記第2・3(3)ウ(ア)及び(イ)で判示したのと同様である。
(イ) 原告X2は,印鑑届の筆跡と比較すると,払戻請求書の筆跡は,特に,「木」の文字の第3画及び第4画の書き始めが異なっており一致しないと主張する。
確かに,全体の印象からすると,両者の筆跡が酷似しているとまでは言い切ることはできないようにも思われる。
しかし,先に判示した事実によれば,本件払戻請求者(2)が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる特段の事情も存在せず,B1が筆跡確認の義務を負担していたとはいえない。また,実際にも,本件払戻し当時,住友銀行において,他店口座の印鑑票がオンラインで呼び出せるようになっていなかったから,B1が払戻請求書と印鑑届の筆跡を対照することは不可能であったといえる。そうすると,原告X2のこの点についての主張は理由がない。
(ウ) なお,証拠(乙イ6)によれば,原告X2の生年月日が昭和28年4月30日であり,払戻し当時48歳であったと認められるのに対し,B1は,証人尋問の際,本件払戻請求者(2)が30代の男性に見えたと供述しており,B1の証言を前提にすれば,本件払戻請求者(2)の見た目の年齢が原告X2の年齢と異なっていたこととなる。
しかし,証人B1の証言によれば,B1は,原告X2の年齢を認識していなかったと認められるから,原告X2と本件払戻請求者(2)との年齢の違いに気付くべくもないし,銀行の担当者が払戻請求の処理に際し,預金者の年齢を把握,確認して臨まなければならないとはいえないから,そのこと自体を被告銀行の過失とは評価し得ない。そもそも,正当な受領権限を有する者の意思に基づき,使者が金融機関の窓口に遣わされて来店することも考えられ,預金通帳及び銀行届出印と同一と評価される印影のある払戻請求書を提示されている以上,他に正当な受領権限に疑問を呈ずるような事情のない限り,その年齢の異同のみから,直ちに払戻請求者に対して受領権限の有無を確認する義務はないというべきである。
オ 以上の事実によれば,抗弁(3)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X2の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
5 原告X3について
(1) 本件払戻しに至るまでの経緯について,当事者間に争いのない事実に,証拠(甲Bニ3,4,乙イ9,10,26及び証人C1)を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X3は,平成14年3月26日当時,旧三井住友銀行甲東支店に開設していた普通預金口座に300万3651円の預金残高を有していた。原告X3は,ダイニングルーム内にある鏡台の引出しの中に,現金,商品券,給与明細,テレホンカードとともに預金通帳を入れており,銀行届出印については普段から持ち歩いていた。
イ C1は,平成10年4月,住友銀行に入行し,赤川町支店に配属され,同年7月ころから,入出金,振込み,税金の納付,両替等を内容とするハイカウンターの窓口業務を担当するようになった。
ウ 平成14年3月26日午前10時40分ころ,シャツにズボン姿の中肉中背の40代に見える女性である本件払戻請求者(3)が旧三井住友銀行赤川町支店に来店した。本件払戻請求者(3)は,C1に対し,原告X3名義の旧三井住友銀行甲東支店の預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示し,原告X3名義の普通預金口座からの普通預金300万円の払戻しを依頼した。
C1は,本件払戻請求者(3)に対し,払戻請求書の「おなまえ」欄に住所を記入するよう依頼し,本件払戻請求者(3)はC1の目の前で,他の書類を参照することなく,「摂津市東正雀<番地等略>」と住所を記入した。住所記入後,C1は,本件払戻請求者(3)に対し,「出金の手続をしますので,おかけになってお待ち下さい。」と述べ,ソファで座って待機するよう依頼し,その間,印鑑照合,住所確認及び筆跡照合を行った。
エ 本件払戻し当時,旧三井住友銀行赤川町支店においては,支店独自のルールとして,一定額(100万円)以上の他店代払いの場合に住所確認及び筆跡照合を行うこと,担当者の他に主任以上の者が印鑑照合,住所確認及び筆跡照合を行うこととされていた。
オ C1は,払戻請求書をスキャナーで読み取って,WITを使用して拡大されて画面上に左右に表示された印鑑届の印影と払戻請求書に押印された印鑑の印影の平面照合をし,銀行届出印の印影全体を払戻請求書の印影全体に重ね合わせ,また,印影全体を交互に表示する操作を繰り返す全体照合を行い,さらに銀行届出印の半分の印影を表示させたまま,残り半分に銀行届出印の印影と払戻請求書の印影を交互に表示する照合を繰り返す部分照合の方法により行い,両者が一致すると判断した。
次に,C1は,WITに表示された印鑑届記載の住所と払戻請求書記載の住所を確認し,両者が一致していると判断した。さらに,C1は,WITに表示された印鑑届記載の文字の筆跡と払戻請求書記載の文字の筆跡を照合し,全体的な雰囲気から,明らかに違っているものではないと判断した。C1は,払戻請求書の「事態」欄に「印鑑届 住所WITにて確認済」と記載し,「事態 決定・検証」欄に「C1」の印を押印した。その後,C1は主任であるC2を呼び,C2が更に印鑑照合,住所確認及び筆跡照合を行い,これらについて一致していると判断し,払戻請求書の「印鑑照合」の欄に「C2」名義の押印をした。C2は,C3次長(以下「C3」という。)に対し,出金記帳を依頼し,C3は後方端末で出金記帳を行った。C1は,C3から払戻請求書及び記帳後の預金通帳を受け取り,預金通帳の記帳内容を確認し,現金300万円を準備して伝票に出納印を押印し,本件払戻請求者(3)を窓口に呼んで,預金通帳及び現金300万円を渡し,本件払戻請求者(3)は退店した。
カ 一連の払戻手続において,C1が本件払戻請求者(3)に不審な様子を感じることはなかった。
キ 原告X3は,平成14年4月初めころ,預金通帳が窃取されたことに気が付いたが,普段から持ち歩いていた印鑑は窃取されなかった。
ク X3は,本件払戻しの約1週間後,旧三井住友銀行に対し,盗難された預金通帳によって預金が払い戻された旨を申し出た。
(2) 抗弁(1)について
以上の認定事実によれば,原告X3の預金通帳は,本件払戻し以前に,何者かによって窃取されたことが認められ,本件払戻しが原告X3の意思に基づくことは,これを認めるに足りる証拠がない。したがって,本件払戻しにより原告X3名義の口座の普通預金債権について,有効な弁済がなされたということはできない。
(3) 抗弁(3)について
ア 払戻請求書の印影と銀行届出印の印影とを比較対照すると,両者の大きさ,形状,各文字の配置及び字体,全体としての印象において,非常によく似ていると評価することができ,本件払戻請求者(3)は,原告X3名義の預金通帳を提示し,銀行届出印と酷似した印影の押捺された払戻請求書を提出したのであるから,原告X3名義の預金債権の準占有者に当たると解される。
イ 原告X3は,印鑑照合について,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影には,別紙3及び4の①ないし⑨の相違がある旨主張する。
しかし,原告X3が,「① 全体として,Bの方がAに比べて印影の線が太くなっている。」,「③ Bの『藤』の第1画と円周部分の接点がAに比べて太い。」,「⑥ Bの『藤』の『file_43.jpg』の部分の払いの先端が中途半端で,太くなっている。」及び「⑦ Bの『藤』の『file_44.jpg』の部分の払いの先端が中途半端で,太くなっている。」として,印字の太さについて主張する相違点は,押印圧を強くしたときは,朱肉の着用過多など使用条件の変化等によっても生じうる余地があるから,銀行届出印と異なる印鑑によるものであるとは判断し難い。また,原告X3が「② Bの方がAに比べて円周が大きい。」,「④ Bの『藤』の第4画から第6画の線で囲まれた部分の空白が存在しない。」,「⑤ Bの『藤』の『file_45.jpg』の部分が不鮮明であり,線で囲まれた部分が存在しない。」,「⑧ Bの『木』の第2画の上部が短くなっている。」及び「⑨ Bの『木』の第3画と円周との接点の形が異なっている。」と主張する相違点については,確かに,別紙3及び4のように両印影を拡大した上で,注意深く観察すれば,原告X3の指摘する相違点が全く認められないとまでは言い切れないが,かかる相違点は,肉眼で慎重に判別しても,その相違は微妙なものであって,いずれも朱肉の材質・付き具合等上記のような押捺時の条件に基づいて生じた相違の範囲内にあるものというべきである。かかる相違は,印鑑の照合事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って肉眼による平面照合をしたとしても,別異の印章によるものであることを容易に発見し難いものであったというべきである。
以上によれば,本件払戻しに際しての印影照合について,被告銀行に過失があったことを認めることはできない。
ウ もっとも,印影照合において,それが同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合において,銀行の払戻担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執ることを怠った場合には,なお過失があるというべきである。
しかし,本件払戻しに応対したC1が本件払戻しに際して,本件払戻請求者(3)について客観的に特に不審と思うべき状況があったということもできない上,C1が本件払戻請求者(3)に対して住所の記載を求めたところ,本件払戻請求者(3)は何も参照することなく,被告銀行に届けてあった住所を記載している。そうすると,本件払戻しにおいては,平面照合により印影の一致を確認すれば足りるというべきであるところ,払戻請求書をスキャナーで読み取って,WITを使用して拡大されて画面上に左右に表示された印鑑届の印影と払戻請求書に押印された印鑑の印影の平面照合をし,銀行届出印の印影全体を払戻請求書の印影全体に重ね合わせ,また,印影全体を交互に表示する操作を繰り返す全体照合を行い,さらに銀行届出印の半分の印影を表示させたまま,残り半分に銀行届出印の印影と払戻請求書の印影を交互に表示する照合を繰り返す部分照合の方法により行い,さらにC2が印鑑照合,住所確認及び筆跡照合を行っているのであって,単なる平面照合より慎重に印影照合を行ったものといえる。
したがって,被告銀行の印影照合担当者らにおいて,それ以上の本人確認の手段を執ることが社会通念上一般に期待される状況にあったということはできず,これを行わなかったことにより過失があるということもできない。
以上によれば,本件払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効であるというべきである。
エ(ア) これに対し,原告X3は,払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとして,預金残高300万3651円のうち300万円という高額の金員が払い戻されたこと,原告X3が赤川町支店において取引をしたことがなく,同支店が原告X3が居住していた摂津市とかけ離れていたことを指摘する。
しかし,払戻額や過去の取引履歴から直ちに払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとすることができないことは,前記第2・3(3)ウ(ア)及び(イ)において判示したのと同様である。
(イ) 原告X3は,払戻請求書記載の氏名のうち,「藤」の草冠の右下部分の横線が1本多く,住所のうち,「津」の旁が横線が1本欠けており,誤記があること,印鑑届の筆跡が全体にやや丸みを帯びた落ち着いた文字であるのに対し,払戻請求書の筆跡が右上がりの勢いのある文字であり,筆跡が異なっていることを指摘する。
確かに,藤と津について横線の本数の違いがあり,払戻請求書の筆跡は,右上がりとなっている。しかし,文字全体の印象として違和感までは感じられず,勢いに従って,1本多く書いたり,略字のように,1本少なく書くこともあり得,書き癖とも評価し得るものであり,また,筆跡は,同一人であっても書いた時期や状況によっても異なり得ることからすると,少なくとも直ちに別人であることを疑うほどの相違は認められない。
(ウ) なお,証拠(乙イ10)によれば,原告X3が昭和48年9月3日生まれで,払戻当時,29歳であったと認められるのに対し,C1は,証人尋問の際,本件払戻請求者(3)が40代の女性に見えたと供述しており,C1の証言を前提にすれば,本件払戻請求者(3)の見た目の年齢が原告X3の年齢と異なっていたこととなる。
しかし,払戻請求者の年齢と預金口座の名義人の実際の年齢の相違から直ちに払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきことにならないことは,前記第2・4(3)エ(ウ)において判示したのと同様である。
オ 以上の事実によれば,抗弁(3)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X3の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
6 原告X4について
(1) 本件払戻しに至るまでの経緯について,当事者間に争いのない事実に,証拠(甲Bホ3,4,乙イ11,12,27及び証人D1)を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X4は,平成13年2月28日当時,さくら銀行日本橋営業部に開設していた普通預金口座に660万9510円の預金残高を有していた。Zは,原告X4の事務所に置いてあった金庫の中に銀行届出印,原告X4の代表者印,Zの通帳とともに預金通帳を入れていた。
イ D1は,平成11年4月,さくら銀行に入行し,堀留支店に配属された。堀留支店は,平成12年9月11日,日本橋営業部に統合され,日本橋営業部は,平成13年4月1日,日本橋支店に名称を変更した。D1は,平成12年1月ころから,堀留支店において現金の入出金,振込み,税金の収納等を内容とするハイカウンター窓口業務を担当していた。
ウ 平成13年2月28日午前9時10分ころ,眼鏡を掛けた年配の男性である本件払戻請求者(4)がさくら銀行日本橋営業部に来店した。本件払戻請求者(4)は,D1に対し,原告X4名義のさくら銀行日本橋営業部の預金口座の預金通帳及び払戻請求書を提示し,原告X4名義の普通預金口座から650万円の預金の払戻しを依頼した。本件払戻請求者(4)が提示したときには,既に,払戻請求書の「おなまえ」欄に,住所,会社名,電話番号及び代表者名が記入されていた。本件払戻請求者(4)は,D1に聞かれたわけではなく,自ら,印鑑を二つ持参しており,払戻請求書に押印した印鑑が違っているかもしれない,経理担当者から,急に現金が必要になったから現金を下ろしてきて欲しいとの電話連絡を受けたので来店したと述べた。払戻請求書には,「お届け印」の欄に既に印鑑が押捺されていた。本件払戻請求者(4)がもう一つの印鑑を提示したので,D1は,本件払戻請求者(4)に,もう一つの印鑑をカルトンの上に乗せてもらった。
エ D1は,印鑑照合機の画面上に銀行届出印の印影を表示させ,残影照合の方法により印鑑照合を行ったところ,払戻請求書に押印された印鑑の印影と銀行届出印の印影は相違していた。D1は,本件払戻請求者(4)が持参したもう一つの印鑑を払戻請求書の欄外に押印し,D1が残影照合の方法により,後に押印した印鑑の印影と銀行届出印の印影について印鑑照合を行い,両者が一致していると判断し,最初の押印を二重線で抹消した。
オ D1は,払戻請求書に記載された住所及び電話番号について,届出の住所及び電話番号との一致を確認し,払戻請求書に記載された会社名及び代表者名について,印鑑照合機に表示された印鑑届と照合し,両者が一致することを確認した。印鑑届が社判を使用して作成されていたのに対し,払戻請求書には手書きにより住所,会社名等が記入されていたところ,D1は,本件払戻請求者(4)から経理担当者が急に現金が必要になったとの連絡を受けた話を聞いていたので,手書きでも仕方がないと考えた。また,D1は,経理担当者から現金が急に必要だとの連絡を受けたとの話を聞いていたので,本件払戻請求者(4)が原告X4の代表者であると考えていた。
カ 平成13年2月28日当時,さくら銀行において,法人の顧客が自店で払戻しをする場合に,暗証番号の確認,身分証明書の確認など,特別な手続を要するとはされていなかった。
キ D1は,支払の出金記帳を行い,後方担当者であるD2に現金の準備を依頼し,D2は,記帳内容を点検して現金を準備してD1に渡し,D1は,本件払戻請求者(4)に現金650万円及び預金通帳を渡した。D1は,本件払戻請求者(4)に現金を渡した際,現金を持ち帰る者の署名が必要であるとして,署名を求めたところ,本件払戻請求者(4)は,何も参照せず,すらすらと,手書きで,払戻請求書の右下の欄外に「Z」と署名した。本件払戻請求者(4)は,現金及び預金通帳を受け取って退店した。
ク 窓口に来てから退店するまでの間,本件払戻請求者(4)に不審な様子は見当たらなかった。
ケ 平成13年2月28日当時,被告銀行日本橋営業部ではD3という行員が原告X4の取引を担当しており,D1は,行内に原告X4担当の者がいるとは知っていたが(担当者がD3であることは知らなかった。),担当者に確認をしてもらうことはしなかった。
コ Zは,平成13年2月28日午前9時ころ,事務所のドアの鍵が開かず,自宅に連絡したところ,さくら銀行赤坂支店での預金払戻未遂があったことを知り,本件払戻しの約20分後,さくら銀行日本橋営業部に連絡を取り,原告X4の事務所に出勤したところ,鍵が掛けられていて,中に入れない状態だったので,盗難に遭った可能性があり,口座の取引を停止してほしいと依頼した。その後,金庫に保管していた預金通帳及び銀行届出印が窃取されたことが判明した。
(2) 抗弁(1)について
以上の認定事実によれば,原告X4の預金通帳及び銀行届出印は,本件払戻し以前に,何者かによって窃取されたことが認められ,本件払戻しが原告X4の意思に基づくことは,これを認めるに足りる証拠がない。したがって,本件払戻しにより原告X4名義の口座の普通預金債権について,有効な弁済がなされたということはできない。
(3) 抗弁(3)について
ア 払戻請求書の印影と銀行届出印の印影とを比較対照すると,両者の大きさ,形状,各文字の配置及び字体,全体としての印象において,非常によく似ていると評価することができ,本件払戻請求者(4)は,原告X4名義の預金通帳を提示し,銀行届出印と酷似した印影の押捺された払戻請求書を提出したのであるから,原告X4名義の預金債権の準占有者に当たると解される。
先の認定事実によれば,本件払戻請求者(4)は,預金通帳と窃取したと思われる2本の印鑑を所持していたところ,銀行届出印が,そのいずれであるか認識できていなかったものと認められ,本件の預金通帳には副印鑑が付されていなかったものと認められる。しかしながら,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影の酷似性,酷似した印鑑を印章できる印鑑が存在するのに印鑑を偽造することは不自然であることを考えると,払戻請求書の印影は,窃取された原告X4の銀行届出印で印章されたと推認される。
イ 印鑑照合について,原告X4は,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影には,別紙5及び6の①ないし⑬の相違がある旨主張する。
しかし,そもそも本件払戻請求書の印影は,先に判示したとおり,窃取された原告X4の銀行届出印により印章されたものと推認されるから,原告X4が主張する相違点は,朱肉の材質,付き具合等押捺時の条件に基づいて生じたものと考えられる。
この点を捨象して考えるに,確かに,原告X4が「②ないし⑤ 『株式会社』の4文字が,いずれも不鮮明であり,Aの印影と照合することができない状態である。」と主張する点については,印影が明確に顕出していない部分が存在するものの,このような非顕出部分は,印章の使い込み方による印章の変化,紙の状態,押印する力の強弱により生じうるものといえる余地がある。
また,原告X4が「① 『グ』の右上の外側の点と,『株』の1画の左端との間の間隔が,AよりもBの方が狭く,接近しているように見える。」,「⑥ 『テ』の1画の横線が,Aに比べ,両端が短い。」,「⑦ないし⑪ Aには欠け(空白部分)が見られるが,Bには欠けが見られない。」及び「⑫及び⑬ 印影の外側の円を比べると,Aの印影がBの印影よりやや大きく,外側にはみ出している。」と主張する相違点については,確かに,別紙5及び6のように両印影を拡大した上で,注意深く観察すれば,原告X4の指摘する相違点が全く認められないとまでは言い切れない。しかし,原告X4が指摘するかかる相違点は,肉眼で慎重に判別しても,その相違は微妙なものであって,いずれも朱肉の材質・付き具合等上記のような押捺時の条件に基づいて生じた相違の範囲内にあるものというべきである。かかる相違は,印鑑事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って肉眼による平面照合をしたとしても,別異の印章によるものであることを容易に発見し難いものであったというべきである。
以上によれば,本件払戻しに際しての印影照合について,被告銀行に過失があったことを認めることはできない。
ウ もっとも,印影照合において,それが同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合において,金融機関の払戻担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執ることを怠った場合には,なお過失があるというべきである。しかし,本件払戻しに際して,応対したD1が客観的に特に不審と思うべき状況があったということもできない。そうすると,本件払戻しにおいては,平面照合により印影の一致を確認すれば足りるというべきであるところ,D1が残影照合の方法により印影の一致したことが認められる。
したがって,被告銀行の印影照合担当者において,それ以上の本人確認の手段を執ることが社会通念上一般に期待される状況にあったということはできず,これを行わなかったことにより過失があるということもできない。加えて,先に判示したとおり,本件払戻しには真正な銀行届出印が使用されたと推認されるから,この点からも印影が一致しないということはできない。
以上によれば,本件払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効であるというべきである。
エ(ア) これに対し,原告X4は,払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとして,午前9時10分ころという開店時間から間もない時間帯に,会社名義の口座からの払戻しが請求され,払戻金額が650万円と高額であったので,本件の払戻しが,警視庁が平成11年9月6日付けでさくら銀行に宛てた注意喚起文書において指摘された盗難通帳による払戻請求の典型例に該当することを主張する。
しかし,払戻しを請求する預金者が経済取引の都合上等から,開店時間から間もない時間帯に預金を払い戻すことは通常あり得ることであり,不審を抱かせる事情に当たるものとはいえないというべきであり,また,払戻額から直ちに払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとすることができないのは,前記第2・3(3)ウ(ア)において判示したのと同様である。
(イ) 原告X4は,本件払戻し前の1年間の出金履歴を見ると,現金による出金の多くが30万円以下であり,現金による出金のほとんどがATMを利用していたことを主張する。
しかし,被告銀行に取引履歴を確認する義務があるとはいえない。また,一方で,甲Bホ第3号証によれば,複数回(平成13年2月22日,同年1月22日,平成12年12月28日,同月14日,同月8日,同年11月20日等)にわたり,現金100万円以上が出金され,平成13年1月10日には,1355万9230円の振込みの取引が行われており,かかる取引経過によれば,窓口での現金による出金ではあるが,650万円の払戻しが,払戻権限を疑わしめるような高額の取引であったということはできない。
(ウ) 原告X4は,通常,会社の実印の方が銀行届出印よりも大きく,会社の代表者であれば,実印と銀行届出印を間違えることはないところ,払戻請求者が実印と思われる印鑑と銀行印とを区別できず,原告X4の実印を払戻請求書に押印して窓口に提示したことを主張する。
しかし,証拠(乙イ11)によれば,払戻請求者が所持していた二つの印鑑に明確な大きさの違いがあったとはいえず,刻字された文字も類似していることが認められるので,会社の代表者が二つの印鑑のうちのどちらが当該預金口座の銀行届出印であるか区別がつかない場合もあり得るから,原告X4の主張は当たらない。
(エ) 原告X4は,原告X4の印鑑届がゴム印である社判を使用していたのに対し,払戻請求書が手書きで記載されていたことを不審事由として主張する。
印鑑届に社判を使用していることからすると,原告X4には,紛失等の特段の事情のない限り,社判があるものと認められ,社判があるのであれば,それを押捺する方が事務手続上,便宜であることは否定できない。しかしながら,預金の払戻請求に際し,常に社判を使用するとは限らず,「急に現金が必要になったから現金を下ろしてきて欲しいとの電話連絡を受けたので来店した」という本件払戻請求者(4)の発言を前提とすれば,払戻担当者であるD1において,原告X4では急に現金が必要になったために,社判を使用せずに手書きにしたとも考え,それを不審と考えなかったとしても,やむを得ないから,社判を使用していないこと自体が正当な払戻権限について疑いを生じさせるものということもできない。
(オ) 原告X4は,「○○」と「○○」との間に「・」(中黒)が記載され,払戻請求書の会社名の記載に誤記があると主張する。
証拠(乙イ11)によれば,払戻請求書のお名前欄には「○○」と「○○」との間に中黒とも見られる記載がないわけではない。しかし,証人D1の証言によれば,D1はその黒点を文字とは認識していなかったものと認められ,払戻請求書の当該欄を検討しても,記入の際の勢いによって,中黒に類似する点が打たれたとも考えられ,D1の前記判断が不相当とまでは認められないから,原告主張の事実をもって,払戻しの権限を疑わしめるような誤記がされたとまでいうことはできない。
(カ) 原告X4は,払戻請求者が,暗記できずに記載を誤ることを防ぐために,あらかじめ,払戻請求書の「おなまえ」欄に,住所,会社名及び電話番号を記入したと考えられると主張する。
しかし,払戻しを求める顧客があらかじめ払戻請求書に住所及び電話番号等を記入することもあり得ることであるから,原告主張の事実をもって,払戻しの権限を疑わしめるような事実であるとはいえない。
(キ) 原告X4は,経理担当者からの指示によって経理担当者以外の者が預金を下ろしに行くことは考え難く,本件払戻請求者(4)の発言は不審事由に該当すると主張する。
しかし,会社の規模,預金通帳及び銀行届出印の保管状況等は,種々の態様があり得,例えば,代表者が預金通帳及び銀行届出印の保管状況を専ら管理,保管しているような場合においては,取引の決裁資金が不足するとの経理担当者の指摘を受けて,経理担当者以外の者が預金を下ろしに行くことは十分に考えられ,また,経理事務が繁忙を極めているような場合には,経理担当者自身が銀行窓口に出頭して手続を行うとは限らない。したがって,代表者と称する者が原告X4の預金取引について手続を行った旨の発言をしたからといって,払戻請求者に挙動不審の態度が見られなかったのであるから,それ以上の確認を求めなかったことをもって,被告銀行の担当者に過失があるとはいえない。
(ク) 原告X4は,D1の確認方法について,D1は払戻請求書記載の住所及び電話番号が届出の住所及び電話番号と一致するか確認はしたが,預金者の自宅に侵入した窃盗犯は,容易に預金者の住所及び電話番号等の情報を入手できるから,住所及び電話番号を確認しただけでは足りないと主張する。
払戻請求者に不審を抱かせる特段の事情が認められないにもかかわらず,住所及び電話番号の確認の必要がないことは,先に判示したとおりであるから,この点についての原告X4の主張は当たらない。
(ケ) 原告X4は,D1がさくら銀行日本橋営業部に原告X4の担当者がいることを知っていたにもかかわらず,担当者の確認を求めなかったと主張する。
しかし,本件払戻請求者(4)に平面照合以外の方法で受領権限を確認することを要する特段の事情はなかったから,D1が原告X4の担当者に確認をする義務があったとはいえない上,証人D1が具体的に誰が担当者であるかは分からなかったと証言していることからすると,D1がD3という担当者に確認を求めなかったのもやむを得ないというべきであり,原告X4のこの点についての主張も当たらない。
(コ) 原告X4は,本件払戻し当時,さくら銀行日本橋営業部に暗証パッドが備え付けられていたにもかかわらず,D1が払戻請求者に暗証番号の入力を求めなかったと主張する。
しかし,本件払戻請求者(4)に平面照合以外の方法で受領権限を確認することを要する特段の事情はなかったことは,先に判示したとおりであり,本件払戻手続に暗証番号の確認を要したとはいえない。
(サ) 原告X4は,D1が払戻請求書の欄外に「Z」との署名を求めたのは,後の連絡の便宜を考えて,現金を持ち帰る者の署名を求めたにすぎず,払戻請求者の権限を確認するために署名させたわけではないと主張する。
しかし,本件払戻請求者(4)に平面照合以外の方法で受領権限を確認することを要する特段の事情はなかったことは,先に判示したとおりであり,原告X4のこの点についての主張は,債権の準占有者性についての認定,判断を左右するものではない。
オ 以上の事実によれば,抗弁(3)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X4の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
7 原告X5について
(1) 本件払戻しに至るまでの経緯について,当事者間に争いのない事実に,証拠(甲Bハ3,4,乙イ13,14,15,28,31の1ないし6及び証人E1)を総合すれば,以下の事実が認められる。
ア 原告X5は,平成14年7月22日当時,旧三井住友銀行本店営業部に開設していた普通預金口座に432万5417円の預金残高を有していた。原告X5は,自宅アパートの敷地内に駐車していた自動車内の手提げバックの中から本件口座の預金通帳を窃取された。印鑑は,自室内の収納ケースの鍵付きの引出しに保管しており,印鑑は窃取されなかった。
イ E1は,平成10年4月,住友銀行に入行し,築地支店営業課に配属され,同年8月ころから,窓口業務を担当するようになった。築地支店は,平成12年7月ころ,旧三井住友銀行新橋支店に統合された。E1は,平成14年7月当時,旧三井住友銀行新橋支店において,預金の入出金,振込み及び税金の納付等を扱うハイカウンター窓口業務を担当していた。
ウ 平成14年7月22日午後零時10分ころ,シャツにネクタイを着用した男性である本件払戻請求者(5)が被告銀行新橋支店に来店した。本件払戻請求者(5)は,E1に対し,「住所変更をしたいんだけど」と住所変更の手続を申し出た。E1は,本件払戻請求者(5)に対し,「住所変更はあちらの窓口です。」と言って,住所変更の手続を行うローカウンターを案内し,本件払戻請求者(5)は,ローカウンターへ向かった。しかし,本件払戻請求者(5)は,すぐにハイカウンターに戻り,E1に対し,「住所変更は今日はいいので,出金したい。」と言って,預金の出金を申し出て,旧三井住友銀行本店営業部の原告X5の普通預金口座の預金通帳,大阪駅前支店の預金口座の預金通帳及びそれぞれの口座に関する払戻請求書を提示した。E1は,これらを預かり,本件払戻請求者(5)に対し,「座ってお待ち下さい。」と言って,ソファでしばらく待機するよう依頼した。
エ E1は,コンピューターの端末に本店営業部の口座の預金通帳を入れて,その印鑑届を呼び出し,払戻請求書をスキャナで読み取った。E1は,WITを使用して拡大されて画面上に左右に表示された印鑑届の印影と払戻請求書に押印された印鑑の印影の平面照合をし,銀行届出印の印影全体を払戻請求書の印影全体に重ね合わせ,また,印影全体を交互に表示する操作を繰り返す全体照合を行い,さらに銀行届出印の半分の印影を表示させたまま,残り半分に銀行届出印の印影と払戻請求書の印影を交互に表示する照合を繰り返す部分照合の方法により行い,両者が一致すると判断した。E1は,同様の方法で,大阪駅前支店の銀行届出印と払戻請求書の各印影の照合を行ったが,両印影は一致しなかった。また,E1は,本件払戻請求者(5)に対し,払戻請求書の「おなまえ」欄への住所記入を依頼し,本件払戻請求者(5)は,E1の面前で何も参照せずに,「群馬県前橋市古市町<番地等略>」と住所を記入した。E1は,本件払戻請求者(5)に,座って待つよう依頼し,払戻請求書記載の住所とWITの端末で呼び出した登録された住所を確認し,両者が一致することを確認した。その後,E1は,430万円の出金の手続を行った。
オ E1は,本件払戻請求者(5)を呼び,本店営業部の口座について預金通帳及び現金430万円を渡し,大阪駅前支店の口座については払戻請求書の印鑑と銀行届出印が異なることを告げて,大阪駅前支店の口座の預金通帳及び払戻請求書を返却した。本件払戻請求者(5)は,本店営業部の口座の預金通帳及び現金430万円,大阪駅前支店の口座の預金通帳及び払戻請求書を受け取った後,退店した。
なお,E1は,経験上,副印鑑が貼られていない通帳を使っている顧客が印鑑を間違えることは珍しくはないと考えていた。
カ 来店してから退店するまでの間,本件払戻請求者(5)について不審な様子は見当たらなかった。
キ 原告X5は,平成14年7月末ころATMで預金残高を確認したところ,残高が僅かであることに気が付き,銀行に問い合わせたところ,本件払戻しを知らされた。そのころ,預金通帳が窃取されたことが判明したが,銀行届出印は窃取されていなかった。
ク 原告X5は,平成14年7月下旬から同年8月初旬にかけての時期に,旧三井住友銀行に対し,盗難された預金通帳によって預金が払い戻されたと申し出た。
(2) 抗弁(1)について
以上の認定事実によれば,原告X5の預金通帳は,本件払戻し以前に,何者かによって窃取されたことが認められ,本件払戻しが原告X5の意思に基づくことは,これを認めるに足りる証拠がない。したがって,本件払戻しにより原告X5の口座の普通預金債権について,有効な弁済がなされたということはできない。
(3) 抗弁(3)について
ア 払戻請求書の印影と銀行届出印の印影とを比較対照すると,両者の大きさ,形状,各文字の配置及び字体,全体としての印象において,非常によく似ていると評価することができ,本件払戻請求者(5)は,原告X5名義の預金通帳を提示し,銀行届出印と酷似した印影の押捺された払戻請求書を提出したのであるから,原告X5名義の預金債権の準占有者に当たると解される。
イ 印鑑照合について,原告X5は,払戻請求書の印影と銀行届出印の印影には,別紙7の①ないし⑭の相違がある旨主張する。
確かに,別紙7のように両印影を拡大した上で,注意深く観察すれば,原告X5の指摘する相違点が全く認められないとまでは言い切れない。しかし,原告X5が指摘する各相違点は,肉眼で慎重に判別しても,その相違は微妙なものであって,いずれも朱肉の材質・付き具合等上記のような押捺時の条件に基づいて生じた相違の範囲内にあるものというべきである。かかる相違は,印鑑事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って肉眼による平面照合をしたとしても,別異の印章によるものであることを容易に発見し難いものであったというべきである。
以上によれば,本件払戻しに際しての印影照合について,被告銀行に過失があったことを認めることはできない。
ウ もっとも,印影照合において,それが同一と判断される場合であっても,払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情がある場合において,金融機関の払戻担当者がその状況に応じて社会通念上期待される確認措置を執ることを怠った場合には,なお過失があるというべきである。しかし,本件払戻しに際して,応対したE1が客観的に特に不審と思うべき状況があったということもできない上,E1が本件払戻請求者(5)に対して住所の記載を求めたところ,本件払戻請求者(5)は何も参照することなく,被告銀行に届けてあった住所を記載している。そうすると,本件払戻しにおいては,平面照合により印影の一致を確認すれば足りるというべきであるところ,E1は,WITを使用して拡大されて画面上に左右に表示された印鑑届の印影と払戻請求書に押印された印鑑の印影の平面照合をし,銀行届出印の印影全体を払戻請求書の印影全体に重ね合わせ,また,印影全体を交互に表示する操作を繰り返す全体照合を行い,さらに銀行届出印の半分の印影を表示させたまま,残り半分に銀行届出印の印影と払戻請求書の印影を交互に表示する照合を繰り返す部分照合の方法により,単なる平面照合より慎重に印影照合を行ったものといえる。
したがって,被告銀行の印影照合担当者において,それ以上の本人確認の手段を執ることが社会通念上一般に期待される状況にあったということはできず,これを行わなかったことにより過失があるということもできない。
以上によれば,本件払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効であるというべきである。
エ(ア) これに対し,原告X5は,払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとして,預金残高432万5417円のうちの430万円という預金残高のほぼ全額に相当する金員が払い戻されたこと,原告X5は,過去に新橋支店を利用したことがなく,本件口座からの出金がキャッシュカードを使用してATMによってなされ,東京都内の支店において出金をしたことがなかったこと,出金履歴について見ると,10万円以上の出金が6回のみであり,そのうち,50万円以上の出金が1回であったことを主張する。
しかし,払戻額や過去の取引履歴から直ちに払戻担当者がより慎重に受領権限を確認すべきであったとすることができないことは,前記第2・3(3)ウ(ア)及び(イ)において判示したのと同様である。
(イ) 原告X5は,払戻請求書の筆跡が印鑑届の筆跡と一見して別人が書いたと分かるほど異なっていたと主張する。
確かに,全体の印象として,同一人物が記載した断定することはできないようにも思われる点も否定はできない。しかし,預金口座の開設,印鑑届の作成について,代理人,使者によりなされることは否定されているとは認めるに足りる証拠はない上,そもそも払戻請求者が正当な権限者ではないと疑うべき特段の事情があったとは認めがたく,E1が筆跡確認の義務まで負担していたとはいえないから原告X5の指摘は当たらない。
(ウ) 原告X5は,別件口座の払戻請求書に押印された印鑑の印影が銀行届出印の印影と異なっていたと主張する。
しかし,副印鑑が貼付されていない場合,複数の印鑑を有する顧客にとって,どの印鑑が銀行届出印であるのか分からない場合もあると考えられ,銀行届出印と異なる印鑑を押捺する顧客がいたり,複数の印鑑を持参した上で,一つ目の印鑑が相違する場合に,別の印鑑を押捺し直す顧客もいると考えられ,証人E1も尋問において同趣旨の証言をしている。さらに証拠(乙イ39及び証人F)によれば,被告銀行における副印鑑廃止時に副印鑑がなくなると銀行届出印がどの印鑑か分からなくなるという申入れをした顧客がいたことが認められ,この事実も副印鑑が貼付されていない場合,顧客にとって,どの印鑑が銀行届出印であるのか分からない場合もあることの裏付けになるものと思われる。こうしたことから,別件口座について印影が異なることをもって,払戻請求者に払戻権限を疑わしめる事情があったとはいえない。
(エ) 原告X5は,E1が行った住所確認について,預金者の自宅に侵入した窃盗犯は,容易に預金者の住所等の情報を入手することができ,住所確認のみでは払戻権限の確認として不十分であると指摘するが,原告X5の指摘が当たらないのは,前記第2・6(3)エ(ク)において判示したのと同様である。
オ 以上の事実によれば,抗弁(3)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X5の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
8 原告X6について
(1) 被告銀行の抗弁(4)(消滅時効)について検討するに,普通預金は,その成立後いつでも払戻しを請求でき,預入時から消滅時効が進行する。
この点,原告X6は,いったん普通預金口座が作成されれば,預入れと払戻しが反復継続されるため,その度に預金債権の承認がなされ,その起算点が繰り下げられ,その預金債権は,同一性を保ちつつ,受払いの都度残高が変動するにすぎず,本件においても,原告X6の預金口座は,本件払戻以後も口座は解約されておらず,今日に至るまで預入れ及び払戻しが反復継続されており,預金債権は存続しており,原告X6の預金債権は,そもそも消滅時効が進行していないと主張する。
確かに,原告X6が本件払戻し以後に預入れ及び払戻しを反復継続した際に,被告銀行が本件払戻しの対象となった普通預金債権について承認をしたとすれば,原告X6の預金債権の消滅時効が進行していないと解釈することもできる。しかし,被告銀行は,本件払戻しの効果が原告X6に帰属するものと考えて本件払戻し以後の原告X6の預入れ及び払戻しに応じたにすぎないから,原告X6が本訴において請求する普通預金債権について承認をしたと見ることはできず,原告X6の預金債権の消滅時効が進行していないと解することはできないというべきである。
したがって,原告X6が本訴において被告銀行に対して請求する普通預金債権は,少なくとも,平成10年4月20日の時点から消滅時効が進行しているというべきである。
(2) 原告X6の被告銀行に対する普通預金債権は,商事債権であり,その消滅時効期間は,5年である。
この点,原告X6は,被告銀行を含め,銀行は,従前より,消滅時効期間を10年とする実務的取扱いを採ってきており,10年を経過しても,関係帳簿類の紛失,破棄といった特別な事情がない限り,消滅時効を援用せず,払戻しに応ずる実務的取扱いを採ってきたとして,預金債権の消滅時効期間が,一般債権と同様に,10年であると主張する。
しかしながら,仮に銀行が5年間の消滅時効期間経過後であっても,預金債務について時効を援用することなく,預金者の払戻請求に応じる場合があったとしても,それは,消滅時効を援用するか否かの裁量を有する銀行が事実上,消滅時効の援用をしないで任意に預金の払戻しに応じていることを意味するにすぎず,銀行預金についての5年間の消滅時効の援用が一般的に認められないということはできない。
そうすると,少なくとも,原告X6について本件払戻しが行われた平成10年4月20日から既に5年が経過していたから,被告銀行が原告X6に対し,平成15年8月15日,本件口頭弁論期日において消滅時効を援用する旨の意思表示をしたことにより,原告X6の被告銀行に対する預金債権は,時効消滅したというべきである。
(3) したがって,抗弁(4)は理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,原告X6の被告銀行に対する主位的請求は理由がない。
9 以上より,原告らの主位的請求は,いずれも理由がない。
第2 予備的請求について
1 被告銀行について
(1) 原告らは,請求原因(5)ア(ア)において,被告銀行が,①副印鑑の早急な廃止及び副印鑑の存在する預金通帳の早急な回収を行うこと,②過誤払い防止のため職員研修・教育を徹底すること,③預金者及び社会一般に対し,過誤払い多発とその防止策への協力・呼掛け等の広報を行うこと,という内容の作為義務を負っていたところ,これを怠ったと主張する。
しかし,前記第2・2(2)において判示したとおり,銀行が銀行届出印と払戻請求書の印影との照合により払戻請求者の受領権限を確認して窓口での払戻しを行うことは,銀行業界において長年にわたって行われてきた方法であって,現在でも印鑑に対する信頼が失われたとまではいえず,預金通帳及び印鑑によって払戻しが受けられるとするのが利用者である国民一般の社会通念として考えられ,過誤払いがされる事例が例外的な場合に限られることからすると,本件当時,原告らの主張する①ないし③の作為義務が被告銀行に課されているということはできない。
(2) 加えるに,証拠(乙イ39及び証人F)によれば,住友銀行が平成11年11月ころから,副印鑑の貼付を廃止を勧めるようになり,さくら銀行との合併に際して副印鑑制度を廃止したこと,さくら銀行が平成12年5月ころに副印鑑制度を廃止したこと,旧三井住友銀行が盗難通帳による払戻しを防止するために,旧三井住友銀行事務統括部事務手続グループが営業店に対し,通達を送付するなどの指導を行っていたこと,住友銀行が平成11年ころから,盗難通帳による払戻しを防止するために,顧客の注意を喚起する旨のリーフレットを顧客に交付したり,ポスターを掲示するようになり,さくら銀行でも同様の広報活動を行っていたこと,旧三井住友銀行が盗難通帳による払戻しを防止するために,平成16年3月ころから,一定の取引について,暗証パッドにより顧客の暗証番号を確認するようになったことが認められる。
そうすると,仮に被告銀行に原告らの主張する作為義務が課されていたとしても,被告銀行が原告らの主張する作為義務を全く怠ったと言い切ることもできない。
(3) 被告銀行について,原告らが主張する作為義務違反が認められない以上,その余の点について判断するまでもなく,原告らの被告銀行に対する予備的請求は,いずれも理由がない。
2 被告協会について
(1) 原告らは,請求原因(5)ア(イ)において,被告協会は,その銀行業務に関し,銀行業務の改善進歩を図り,一般経済の発展に資することを目的とし(定款2条),その目的を達成するために定款4条に定められた諸事業を行うこととされ,公益的見地から,その行うべき事業に関して,file_46.jpg加盟各銀行に対し,警視庁の要請の内容を迅速かつ正確に伝達すること,file_47.jpg銀行窓口にて過誤払いを可及的に防止するために,印影照合に頼らない権限確認を行うための約款モデル案を作成し,加盟各行に伝達すること,file_48.jpg加盟各行の職員に対し,窓口での過誤払い防止のための教育を行うこと,file_49.jpg一般に対する過誤払い多発とその防止策への協力・呼掛け等の広報を行うこと,という内容の作為義務を負っていたところ,これを怠ったと主張する。
証拠(乙ロ1)によれば,被告協会は,東京都千代田区に事務所を置き,東京都において,本店または支店等の営業拠点を有する銀行を社員とする社団法人であること,被告協会は,銀行業務の改善進歩を図り,一般経済の発展に資することを目的とし,その目的を達成するために,「一 銀行営業および業務一般に関する社員,関係官庁,その他との連絡」,「十 銀行職員の養成教育」及び「十一 銀行に関する広報」等の事業を行うこととされていることが認められる。
しかしながら,被告協会が銀行業務の改善進歩を図り,一般経済の発展に資することを目的として前記のような事業を行うこととしているとしても,社員である本店または支店等の営業拠点を有する銀行のために,そうした事業を行うにすぎず,その定款(乙ロ1)からも,その顧客のために前記のような事業を行うことが義務付けられているとは認められない上,その目的達成のために,社員たる銀行を規制できるような権限を有しているとも認められない。
そうすると,被告協会は,社員たる銀行の顧客と直接の法的関係に立たず,原告らのために(1)記載のような作為義務を負担していたとは認め難い。
(2) また,原告らは,預金の過誤払いが多発するに至った社会状況を踏まえつつ,①危険が切迫していること,②危険が切迫していることに対し,行為主体が認識又は認識し得べき状況にあること,③行為者が当該行為をすれば,損害の結果回避が可能であること,④被害者自身が被害を予防することが困難あるいは不可能であること,という各要件を満たす場合に,国家の不作為が違法と判断されるとの国家賠償法の理論によれば,被告協会にfile_50.jpgないしfile_51.jpgの作為義務が生ずると主張し,国・公共団体の規制権限の不行使の場合のように,被告協会に規制権限は必要とされないとする。
しかし,国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を与えたときは,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定したものであり,国又は公共団体が,その有する規制権限を行使せず,規制権限が付与された趣旨・目的に照らして著しく不合理な場合にはその行使を怠ったがために国民に損害が生じた場合に,国又は公共団体は責任を負担するものと解される(最高裁判所平成元年11月24日第2小法廷判決・民集43巻10号1169頁参照)。そこでは,国又は公共団体の公権力の行使主体が国民の権利を規制し得ることを前提としており,そうした権限があるからこそ,国又は公共団体の違法と評価される不作為と国民に発生した損害との間に因果関係を認め得るものというべきである。
そして,被告協会が,その目的達成のために,社員である銀行の行動を規制する権限を有していると認められないことは,先に判示したとおりであって,原告らの主張は,その前提を欠き,失当であることは明らかである。
(3) さらに,原告らは,被告協会が副印鑑制度を用いた普通預金規定のひな形の作成に関与し,加盟銀行各行にひな形を配布するという先行行為を為したことに基づき,ひな形の問題点を解消すべく,前記file_52.jpgないしfile_53.jpgの作為義務を負うと主張する。
しかし,普通預金規定のひな形は各銀行に宛てて作成されたものであり,原告らに対して作成されたものではない上,副印鑑制度を採用するかどうかは各銀行の判断に委ねられていたのであるから,ひな形の配布という先行行為に基づいて被告協会に前記file_54.jpgないしfile_55.jpgの作為義務が生ずるとすることはできない。
(4) したがって,原告らの被告協会に対する予備的請求は,被告協会に注意義務違反を認めることができないから,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。
第3 結論
以上によれば,原告らの請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・深見敏正,裁判官・林啓治郎 裁判官・吉田彩は,国内研修中につき,署名,押印することができない。裁判長裁判官・深見敏正)
別紙
1〜7<省略>
被害別一覧<省略>
別紙
請求目録
原告番号
原告
請求金額
1
X1
1,800,525円
2
X2
5,000,000円
3
X3
3,000,000円
4
X4株式会社
6,500,000円
5
X5
4,300,000円
6
X6
9,350,000円
別紙
預金目録
原告らの主張と相違があるのは,網掛け部分である。
原告番号
原告
預金内容
払戻内容
取扱店
口座
番号
預金残高
払戻年月日
払戻場所
払戻額
1
X1
三井住友銀行
溝の口駅前支店
<省略>
183万9446円
平成14年7月15日
三井住友銀行
町田支店
180万525円
2
X2
住友銀行
荻窪支店
<省略>
561万7494円
平成12年8月9日
住友銀行
西荻窪支店
500万円
3
X3
三井住友銀行
甲東支店
<省略>
300万3651円
平成14年3月26日
三井住友銀行
赤川町支店
300万円
4
X4株式会社
さくら銀行
日本橋営業部
<省略>
660万9510円
平成13年2月28日
さくら銀行
日本橋営業部
650万円
5
X5
三井住友銀行
本店営業部
<省略>
432万5417円
平成14年7月22日
三井住友銀行
新橋支店
430万円