東京地方裁判所 平成15年(ワ)12725号 判決 2004年9月01日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、5000万円及びこれに対する平成15年6月17日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、原告の前代表取締役であった乙野(以下「乙野」)を被保険者、原告を保険金受取人として、原被告間で締結された生命保険契約に基づき、乙野が死亡したことによる保険金及び訴状送達の日の翌日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金を請求した事案である。これに対し、被告は、乙野に告知義務違反があったとして、保険契約を解除し、保険金等の支払義務を争っている。
1 争いのない事実
(1) 原告は、被告との間で、平成12年12月1日、次の内容の生命保険契約を締結した(以下「本件保険契約」)。
ア 保険種類 5年ごと利差配当付定期保険(70才満期)
イ 保険者 被告
ウ 保険契約者 原告
エ 被保険者 乙野
オ 死亡保険金受取人 原告
カ 死亡保険金額 5000万円
キ 保険料 毎月払、月額6万2900円、払込期間14年間
ク 保険期間 終期平成26年11月30日
(2) 乙野は、平成14年11月6日、死亡した。
(3) 約款の規定
本件保険契約の約款(以下「本件約款」)第15条は「会社が、保険契約の締結または復活の際、書面で告知を求めた事項について、保険契約者または被保険者は、その書面により告知することを要します。ただし、会社の指定する医師が口頭で質問した事項については、その医師に口頭により告知することを要します。」と定める。
同第16条1項は「保険契約者または被保険者が、故意または重大な過失によって、前条の告知の際に事実を告げなかったか、または事実でないことを告げた場合には、会社は、将来に向って保険契約を解除することができます。」と定める。
同条2項は「会社は、保険金の支払事由または保険料払込の免除事由が生じた後でも、保険契約を解除することができます。この場合には、保険金を支払わず、または保険料の払込を免除しません。また、すでに保険金を支払い、または保険料の払込を免除していたときは、保険金の返還を請求し、または払込を免除した保険料の払込がなかったものとみなして取り扱います。」と定める。
(4) 被告は、平成15年2月27日ころ、原告に対し、告知義務違反を理由に本件保険契約を解除するとの意思表示をした(以下「本件解除」)。
2 争点
本件の争点は、乙野に告知義務違反があるか否かであり、原告は、被告から嘱託を受けた丙川医師(以下「丙川医師」)の質問の内容に問題があり、回答した乙野に告知義務違反の事実はないと主張する。
第3 争点に対する判断
1 証拠(乙13の3、4、乙15、21及び証人金田)及び後記の証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1) 乙野は、平成11年9月27日及び28日杏林大学医学部付属病院(以下「本件病院」)において、人間ドックを受診した。その結果、膵臓の腫瘍マーカーであるCA19―9(正常値37U/ML以下)の数値が129U/MLと高値を示したため、本件病院の丁木医師(以下「丁木医師」)は、乙野に対し、膵臓疾患が否定できないとして、腹部CT検査の受診を指示した。また、丁木医師は、乙野に対し、人間ドックの検査結果に関し、成績表を交付した。その総合判定及び指示事項欄には、合計9項目にわたる記載があり、中でもCA19―9については、「高値」との判定が記載され、「膵臓疾患が否定できませんので、腹部CT検査を受けられてください」との指示事項が記載されている(乙13の5)。
(2) 乙野は、同年10月5日に本件病院内科において、腹部CT検査を受けたが、何も異常はなかった。しかし、依然CA19―9は高値が続いていたため、丁木医師はその後も定期的な検査で経過を見るよう指示した。その後、同年11月15日、平成12年2月24日、同月26日、同年3月6日にも本件病院内科において、その他の検査を受けたが、特に異常はなかった。乙野は、同年5月29日、CA19―9の検査を受け、180U/MLと高値を示したが、乙野は結果を聞きに行かなかった(乙13の2)。
(3) また、乙野は、前記(2)の検査のみの日のほか、平成11年10月12日、同年11月22日、同年12月6日、平成12年1月24日、同年2月16日、同年4月10日に本件病院内科に通院した(乙13の4)。
(4) 乙野は、平成12年10月30日、本件保険契約を締結するにあたり、丙川医院において、丙川医師による健康状態の診査を、丙川医師が口頭で発する質問に対して回答するという方式によって受けた。その際の質問事項は本件保険契約の告知書(以下「本件告知書」)に基づいて、丙川医師自身の言葉でなされ、次のような内容であった。
ア 第6項について、本件告知書には「過去5年以内に病気やけがで、7日間以上にわたり、医師の診察・検査・治療・投薬をうけたことがありますか。」と記載されており、丙川医師はその記載どおりの質問をするようにしていた。それに対して乙野は、否定する回答をしたため、丙川医師は同項の回答欄「いいえ」に丸印を付けた。
イ 第7項について、本件告知書には「過去2年以内に健康診断・人間ドックをうけて、右記の臓器や検査の異常(要再検査・要精密検査・要治療を含みます)を指摘されたことがありますか。」と記載されている。この質問を原文のまま発問したのでは聞きづらいため、丙川医師は、まず「過去2年以内に健康診断・人間ドックをうけましたか」という旨の質問をし、その答えが肯定のときは、(A)「その結果、再検査や精密検査を受けるように勧められましたか。」あるいは、(B)「その結果、異常を指摘されたことがありますか。」という質問をするようにしていた。乙野は、最初の質問に対して肯定する回答をしたため、丙川医師は、(A)又は(B)の質問をした。それに対して乙野は否定する回答をしたため、丙川医師は、同項の回答欄「いいえ」に丸印を付けた。
ウ 全ての質問を終えた後、丙川医師は、記載した回答内容に間違いがないことを乙野に確認させた上で、受診者欄の自署等をさせた。
(以上(4)につき乙4の1)
(5) 乙野は、平成13年3月22日、心窩部痛と胃の調子が悪いと訴えて、本件病院内科を受診し、同年5月10日の腹部CT検査で膵体部に腫瘍が認められ、同年5月16日に精査と加療のために本件病院第一外科に転科し、同月22日に入院した。その後、乙野は、膵体尾部切除術と術中放射線照射を受け、同年6月26日に退院したが、膵癌の転移、再発、増悪により入院治療を繰り返し、平成14年11月6日に膵体部癌を直接の死因として死亡した(乙7、13の2)。
2 乙野の告知義務違反について
(1) 本件告知書第6項について
前記1で認定した事実によれば、乙野は、平成11年10月5日から平成12年5月29日までの間に、膵臓疾患の疑いで合計12日間本件病院に通院し、検査又は診察を受けており、これは、本件告知書第6項の「過去5年以内に病気やけがで、7日間以上にわたり、医師の診察・検査・治療・投薬をうけたこと」にあたる。また、乙野は、本件保険契約締結のための健康状態の診査を行った時点で、本件病院に通院した事実を当然認識していたといえるから、丙川医師の「過去5年以内に病気やけがで、7日間以上にわたり、医師の診察・検査・治療・投薬をうけたことがありますか。」という趣旨の質問に対し、否定する回答をしたことは、故意又は重大な過失によって、告知の際に事実を告げなかったことになる。
(2) 本件告知書第7項について
前記1で認定した事実によれば、乙野は、平成11年9月27日及び28日、人間ドックを受け、膵臓疾患が否定できないとして、腹部CT検査の受診を指示されており、客観的にみて人間ドックの結果に異常がなかったとはいえないし、また交付された人間ドックの成績表の総合判定並びに指示事項欄(乙13の5)の記載によってそのことを認識していたといえる。したがって、乙野が、丙川医師の「人間ドックの結果、再検査や精密検査を受けるように勧められましたか」、あるいは「人間ドックの結果、異常を指摘されたことがありますか」との質問に対し、否定する回答をしたことは、約款第16条1項の「…被保険者が、故意または重大な過失によって、前条の告知の際に…事実でないことを告げた場合」に該当する。
3 原告の主張の検討
(1) 原告は、告知書を被保険者に書かせず、指定した診査医が口頭で被保険者に質問し、その回答を告知書に記入するという方式の問題を指摘し、乙野には告知義務違反がないと主張する。
しかし、原告独自の見解であり、採用することはできない。前記認定のとおり、本件の発問方式は、専門家である医師が被保険者から直接聞き取りをして告知書に記入し、最終的に被保険者が記載内容を確認したうえで署名するという方式である。この方式は、たしかに、診査医の質問内容が不適切な場合がありうるという点で問題がないとはいえない。しかし、告知書の作成にあたって、被告は、診査医に対し、「診査のしおり」という書面で診査方法について指導も行っており、被保険者が確認し署名することで記載内容の正確性も担保されている(証人丙川)。したがって、被告がこの発問方式を採用していたことは不合理であるとはいえず、本件において乙野の告知義務違反を否定する理由にはならない。
(2) また、原告は、乙野は当時自分の健康に自信を持っていたためさらなる検査も必要がないと判断して通院をやめたものであり、丙川医師の質問にも上記のような回答をしただけであるとも主張する。しかし、本件告知書の質問事項はあくまでも過去2年以内の人間ドックの検査結果について尋ねているのであって、乙野がその後の通院結果を加味して独断で自ら健康体であると誤信して回答したのであれば、それはやはり正確な事実を告知したことにはならない。
4 まとめ
以上のとおりであるから、告知義務違反を理由とする本件解除は有効であり、本件保険契約は既に効力を失ったものといえる。そうすると、原告の本件保険金の請求は理由がないからこれを棄却する。