東京地方裁判所 平成15年(ワ)13351号 判決 2004年9月24日
原告
CFJ株式会社
同代表者代表取締役
マーク・デービッド・サンダース
同訴訟代理人弁護士
千田適
同
徳村初美
同
亀山訓子
被告
A野太郎
被告
株式会社 みずほ銀行
同代表者代表取締役
工藤正
同訴訟代理人弁護士
植竹勝
同
原田崇史
主文
一 被告A野太郎は、原告に対し、七一五万二一四一円及びこれに対する平成一四年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告株式会社みずほ銀行に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告A野太郎に生じた費用を被告A野太郎の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告株式会社みずほ銀行に生じた費用を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、連帯して、七一五万二一四一円及びこれに対する平成一四年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告A野から融資を申し込まれたアイク株式会社(以下「アイク」という。)が、抵当権設定予定の被告A野所有の建物に第一勧銀信用開発株式会社の先順位の抵当権設定請求権の仮登記があったため、被告A野に対し、その被担保債権の残額の提示を求めたところ、被告A野が、被告株式会社みずほ銀行(旧商号、株式会社第一勧業銀行。以下「被告銀行」という。)C川支店が発行したとする実際の債務額と異なる虚偽の残高証明書を提示したので、平成一二年七月一〇日に融資をしたが、その後、被告A野が破産したため、貸付金の回収ができず、残額の損害を被ったと主張して、アイクを平成一五年一月六日に吸収合併した原告が、被告らに対し、不法行為(被告銀行については、共同不法行為又は使用者責任)に基づき、貸付残金七一五万二一四一円及び不法行為日より後の日である平成一四年一月一六日から支払済みまで民法所定の遅延損害金を請求する事案である。
一 前提事実(争いのない事実及び括弧内に挙げた証拠並びに弁論の全趣旨から認められる事実)
(1) 被告A野のアイクに対する融資申込みとアイクの審査
ア 被告A野は、アイクに対し、平成一二年七月ころ、千葉市柏市《番地省略》B山二〇四の被告A野所有の建物(以下「本件建物」という。)を担保として五〇〇万円の融資を申し込んだ。
イ 本件建物には、当時、平成五年七月一九日、貸金三〇〇万円を被担保債権とし住宅金融公庫を抵当権者とする一番抵当権が、平成七年一月九日、平成五年六月一〇日締結の保証委託契約による求償債権三二三二万円につき平成七年一月五日に抵当権設定予約したことを原因とする第一勧銀信用開発株式会社を権利者とする二番抵当権設定請求権仮登記がされていた。
ウ アイクは、本件建物にイの抵当権等が設定されていたことから、被告A野に対し、一番抵当権及び二番抵当権設定請求権仮登記の被担保債権の残高証明書の提示を求めた。
被告A野は、アイクに対し、一番抵当権の住宅金融公庫借入残高については、平成一二年四月四日発行の同年二月二九日現在の残高を二八八万六二六四円とする株式会社千葉銀行発行の残高証明書を提示した。
また、被告A野は、二番抵当権設定請求権仮登記の被担保債権に関する残高証明として、自己の勤務する被告銀行C川支店を発行名義人とする平成一二年六月三〇日における住宅貸付金の残債務額を四〇〇万八五〇〇円と偽った残高証明書(以下「本件残高証明書」という。)を作成し、同書面をアイクに対し提示した。
なお、被告A野は、当時、被告銀行C川支店の預金、為替業務を担当する業務課に所属しており、顧客の預金の残高証明書の発行権限はあったが、借入金の残高証明書の発行権限はなかった。
エ アイクは、不動産がマンションの場合、原告の設定順位が一番抵当権であれば七〇パーセント、二番抵当権であれば六五パーセント、三番抵当権であれば六〇パーセントの割合を乗じた価額を融資限度額とし、融資限度額から先順位担保権の残債務額、極度額を控除した金額を融資可能額としていた。
そして、アイクは、被告A野の本件建物について、不動産鑑定評価書によれば、評価額が一九五一万五〇〇〇円であり、アイクの貸付金により住宅金融公庫に対する弁済がされ、アイクは二番抵当権を設定することとなっていたことから、融資限度額は一二六八万四七五〇円(一九五一万五〇〇〇円×六五パーセント)であり、その額から、被告A野が提出した本件残高証明書に記載されていた四〇〇万八五〇〇円を控除した八六七万六二五〇円が融資可能であると判断した。
また、アイクは、被告A野に対し、年収及び月収の聴取を行い、平成一一年の所得総額は八一一万〇五六九円であり、所得税等の控除後の所得額は、六九五万六五八三円であるとの申告を受けたことから、支払能力についても問題がなく、十分返済可能であると判断した。
なお、アイクにおいては、先順位抵当権がある場合、残高証明書及び償還予定表を取得して負債を確認することを原則とし、いずれか一点が取得できない場合は、直接、電話確認をしなければならないとしている。しかし、被告A野は、償還予定表の提出をしなかったため、アイク担当者が、電話確認をとろうとしたところ、担当部署が被告A野の勤務部署であるから電話されると困ると述べたため、電話確認を行わなかった。
オ アイクは、被告A野に対し、アイクの貸付金によって住宅金融公庫に対する弁済を行い、住宅金融公庫の抵当権を抹消し、アイクの第二抵当権を設定することを条件として、八六〇万円を融資することを提案し、被告A野は、これを受け入れた。
(2) アイクの被告A野への融資等
ア アイクは、被告A野に対し、平成一二年七月一〇日、八六〇万円を以下の約定で貸し付けた(以下「本件貸付」という。)。
弁済方法 平成一二年八月一日から毎月一日限り一〇万一一〇〇円を一八〇回払い
利率 年一六パーセント
遅延損害金 年二九・二パーセント
特約 支払を一回でも遅滞した場合は、期限の利益を失う
イ 抵当権設定
被告A野は、アイクに対し、アの債務を担保するために、平成一二年七月八日、本件建物に極度額一三〇〇万円の根抵当権を設定するとともに、上記根抵当権の元本確定後の被担保債務不履行を条件とする賃借権を設定し、各登記又は仮登記を経由した。
二 争点に関する各当事者の主張
(1) 被告A野の欺罔行為の有無(争点(1))
ア 原告の主張
被告A野は、虚偽の本件残高証明書を提示して、アイクを欺罔し、担保価値の評価を誤らせて、本件貸付を受けた。
イ 被告A野の主張
被告A野は、被告A野の第一勧業銀行住宅共済会に対する債務が二七〇〇万円以上あるにもかかわらず、本件貸付を受けるために、債務の額を四〇〇万八五〇〇円と偽った本件残高証明書を発行したことは認めるが、貸付金を詐取するつもりはなかった。
また、破産裁判所は、虚偽の本件残高証明書発行を理由とするアイクによる破産免責異議申立てについても勘案の上、被告A野に対して免責決定を行ったのであり、欺罔行為は認められない。
(2) 被告A野による本件残高証明書の発行が事業の執行につき行われたか否か(争点(2))
ア 原告の主張
被告A野は、本件残高証明書を発行した平成一二年七月三日当時、被告銀行C川支店の主事(支店長代理)であり、預金の残高証明書作成に関与できる立場であったことから、借入金の残高証明書作成につき被告A野の分掌する職務と相当の関連性があるということができる。
また、被告A野は、真正な被告銀行の残高証明書の用紙を使用し、真正な印章を用いて、本件残高証明書を発行しているのであるから、被告A野は、容易に残高証明書の偽造を行うことができた。
なお、印章が、被告A野の所属する業務課で用いられるものか、貸付を担当する営業課で用いられるものであるかは、支店内部の取り決めにすぎないし、本件残高証明書に用いられた印章にも「業務課」などの文言はなかった。
以上からすれば、被告A野の行った本件残高証明書の作成は、被告銀行の事業の執行につき行われたものであり、被告銀行は、使用者責任を免れない。
イ 被告銀行の主張
被告A野は、本件残高証明書が発行された平成一二年七月三日当時、借入金の残高証明書を発行する営業課ではなく、預金・為替の業務を担当し、顧客の預金の残高証明書を作成できる業務課に在籍していたが、借入金の残高証明書の作成業務と預金の残高証明書作成業務とは、担当部署が別である以上、相当の相関関係を有しているとはいえない。
また、本件残高証明書に押印された支店長印は、本来、預金・為替業務を担当する業務課において使用されることが予定されていたものであり、借入金の残高証明書に使用されることは予定されていなかったものである。そして、本来、借入金の残高証明書に使用されるべき支店長印は、営業課長保管にかかるものであり、適切に保管されていたため、被告A野が、営業課長保管にかかる支店長印を利用して、容易に残高証明書を偽造できる状況にはなかった。
以上からすれば、被告A野による本件残高証明書の作成は、被告銀行の事業の執行に付き行われたと評価することは到底できない。
(3) 原告の故意・重過失の有無(使用者責任に対する仮定抗弁、争点(3))
ア 被告銀行の主張
仮に、被告A野の本件残高証明書作成行為が、被告銀行の事業の執行に付き行われたとしても、①本件残高証明書は、一部分が手書き部分であり、金融機関が発行する文書としては不自然であること、②名宛人の欄に押印された被告A野名義の印章が、被告A野個人が使用する印章であり、金融機関が作成する文書には用いられるべき印章ではないこと、③被告A野が、本件残高証明書作成者とされる被告銀行C川支店に勤務する者であり、アイクは、そのことを知悉していたこと、④金融業であるアイクは、借入申込み時に提出される書類を慎重に確認し、疑問点があれば、借入申込者や文書作成名義人に対して、真否につき確認すべきであり、本件については、本件残高証明書と登記簿謄本を確認すれば、被告A野が、第一勧業銀行住宅共済会についてのみ元本だけでも二八三一万一五〇〇円もの弁済が可能であったことについて疑念が生じるため、弁済の理由等について、被告A野に事情を聴取するとともに、被告銀行に対して、本件残高証明書の真偽と合わせて正確な借入残高を確認すべきであったことからすれば、アイクは、被告A野が欺罔行為を行ったことを知っていたか、仮に知らなかったとしても、先の不自然な部分等から、被告A野が自己の地位を利用して残高証明書を偽造する可能性について認識し、被告銀行に確認するなどして、本件残高証明書の真正について確認すべき義務があった。
したがって、被告A野が行った本件残高証明書の作成行為が、被告A野の職務権限外の行為であることを、アイクは知っていたか、知らなかったことについて重大な過失があるから、被告銀行は、使用者責任を負わない。
イ 原告の主張
残高証明書について手書き部分があったとしても金融機関が発行する文書として真正なものもあり、現に住宅金融公庫代理店株式会社千葉銀行作成の残高証明書も手書き部分があり、手書き部分があるからといって、一概に不自然とはいえないこと、本件残高証明書の名宛人部分の印章が被告A野個人が使用する印章であるかはアイクは関知しないことであること、銀行業務は公共的性格を有し、適正かつ厳正に運営、遂行されていることから、アイクが金融業に従事していたとしても、銀行員である被告A野が提示した残高証明書につき偽造の可能性があるとは到底考えられなかったことからすれば、アイクに悪意又は重過失はなかった。
(4) 損害の有無及びその額(争点(4))
ア 原告の主張
原告は、被告A野に八六〇万円を貸し付けたが、被告A野は、別紙のとおり弁済しているため、平成一四年一月一五日における残債務額は、七一五万二一四一円である。
正確な残高証明書が発行されれば、原告は、被告A野に対し本件貸付をすることはなかったのであるから、回収できなくなった七一五万二一四一円が、被告らの不法行為と相当因果関係のある損害である。
イ 被告A野及び被告銀行の主張
争う。
第三争点に対する判断
一 争点(1)
被告A野が、残債務額を偽った本件残高証明書を発行し、それをアイクに差し入れたことについては争いがないから、アイクは、虚偽の債務額の記載された本件残高証明書により与信判断を誤り、融資を行ったということができ、このような判断の誤りを来すおそれのある虚偽の内容の文書を提出することは詐取の意思というに十分であるから、不法行為が成立する。
この点について、被告A野は、破産裁判所は、虚偽の本件残高証明書発行、差入れについても勘案の上、免責決定をしたのであるから、不法行為とはいえないと主張するが、《証拠省略》によれば、破産裁判所は、不法行為の成否について免責手続とは別に訴訟により帰趨を決するほかはないと判断しており、虚偽の本件残高証明書発行、差入れが不法行為に当たるかどうかについて判断していないのであるから、被告A野の主張は、これを採用することができない。
二 争点(2)
民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものには属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲内の行為に属するものとみられる場合をも包含するものと解すべきである。
本件において、被告A野は、本件残高証明書が作成された当時、被告銀行C川支店業務課に所属し、業務課長の事後承認を得て、預金の残高証明書を発行する権限は有していたが、借入金の残高証明書についての発行権限は有しておらず、本件残高証明書の作成行為は、被告A野の職務執行行為そのものではない。しかし、同一支店内の預金と貸付の業務は、相当の関連性を有し、また、《証拠省略》の記載からすれば、残高証明書の用紙は、預金と借入金の区別なく使用されるものであることが認められることも合わせ考慮すれば、被告A野が、業務課長保管の真正な支店長印を使用し、所定の残高証明書の用紙を用いて、容易に借入金の残高証明書を作成できる状況にあったのであるから、被告A野の本件残高証明書作成行為は、その行為の外形からみて「事業ノ執行ニ付キ」なされたものといえる。
この点について、被告銀行は、本件残高証明書に押印されている支店長印は、本来、預金の残高証明書に用いられることが予定され、借入金の残高証明書には用いられることは予定していないものであるから、借入金の残高証明書を容易に作成できる状況にはなかったと主張するが、支店長印の使用の取り決めは、被告銀行の内部的なものにすぎず、所定の支店長印が押印されていなかったことをもって、外形からみて不真正な残高証明書が発行されたものということはできないから、被告銀行の主張は採用することができない。
三 争点(3)
被用者のした取引行為が、その行為の外形から見て、使用者の事業の範囲内に属するものと認められる場合であっても、その行為が被用者の職務権限内において行われたものでなく、しかも、その行為の相手方が上記事情を知りながら、又は少なくとも重大な過失により上記事情を知らないで、当該取引をしたものと認められるときは、その行為に基づく損害は、民法七一五条にいう「被用者カ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害」とはいえず、したがって、その取引の相手方である被害者は上記使用者に対して、その損害の賠償を請求できないと解すべきである。
これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、本件残高証明書には、被告銀行が被告A野に対して有する「住宅貸付金」としか記載がなく、本件残高証明書の記載だけでは、住宅貸付金なるものが第一勧銀信用開発株式会社が保証する主債務であるかは不明である。したがって、アイクとしては、これらの債務の同一性を確認するため、内規に従って償還予定表を徴求するか、被告銀行C川支店に対して債務内容又は第一勧銀信用開発株式会社の保証契約の有無及びその内容を確認するか、第一勧銀信用開発株式会社に対して主債務の内容を確認するなどの方策を講ずべきであったのであり、そのような確認をすれば、第一勧銀信用開発株式会社が保証する主債務が第一勧業銀行が被告A野に貸し付けた貸付金ではなく、本件残高証明書が、被告銀行が正当に発行したものでないことを容易に知り得たものというべきである。そして、アイクが貸金を業とするものであり、被告A野は銀行に勤務し、比較的信用を得やすい立場にありながら、年一六パーセントという高利の本件貸付を受けようとしていたのであるから、相当にひっ迫した状況にあったと窺われたのに、本件残高証明書の残高が、住宅金融公庫からの借入残高に比して著しく少ないという不自然な状況にあったのであり、それにもかかわらず、アイクが前記のような基本的な事項の確認を怠ったことは、重大な過失があったといわざるを得ない。
よって、原告は、被告銀行に対して、回収不能となった貸付金を損害として賠償請求することはできない。
四 争点(4)
前提事実によれば、本件残高証明書により被告A野の被告銀行に対する残債務額が四〇〇万八五〇〇円であると判断したアイクが本件貸付を行ったが、真実は、被告A野の第一勧業銀行住宅共済会に対する債務が二七〇〇万円以上存し、被告A野が破産宣告、免責決定を受けたために、本件貸付金である八六〇万円から被告A野が弁済した額を控除した七一五万二一四一円の返済が受けられなくなったのであるから、同額の損害が被告A野の行為により生じたということができる。
五 結論
以上の次第で、原告の被告A野に対する請求は全部理由があるから、これを認容し、原告の被告銀行に対する請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐村浩之 裁判官 川畑公美 中直也)
<以下省略>