東京地方裁判所 平成15年(ワ)13883号 判決 2005年3月29日
原告
X
訴訟代理人弁護士
中野麻美
被告
株式会社ジヤパンタイムズ
代表者代表取締役
A
訴訟代理人弁護士
野本俊輔
同
吉葉一浩
同
上松真林
主文
1 被告は,原告に対し,655万6616円及び内金7万5000円に対する平成14年6月26日から,内金55万1516円に対する同年7月26日から,内金65万8900円に対する同年8月26日から,内金65万8900円に対する同年9月26日から,内金65万8900円に対する同年10月26日から内金65万8900円に対する同年11月26日から,内金65万8900円に対する同年12月26日から,内金65万8900円に対する平成15年1月26日から,内金65万8900円に対する同年2月26日から,内金65万8900円に対する同年3月26日から,内金65万8900円に対する同年4月26日から,各支払済みに至るまで年6分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告に対し,20万円及びこれに対する平成14年7月4日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを2分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 原告は,被告に対し,雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は,原告に対し,平成14年6月以降毎月25日限り71万5570円及びこれに対する毎月26日以降支払済みに至るまで年6分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告に対し,1000万円及びこれに対する平成14年5月25日以降支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は,原告に対し,被告が発行するジャパンタイムズ紙の第一面に,別紙1の謝罪広告を掲載せよ。
第2事案の概要
本件は,原告が,被告に対し,解雇が無効であるなどと主張して,雇用契約上の地位確認(請求1),未払賃金及びこれに対する各約定支払日の翌日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金(請求2),不法行為に基づく慰謝料及びこれに対する不法行為日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金(請求3),謝罪広告の新聞掲載(請求4)を求めた事案である。
1 争いのない事実
(1) 当事者等
ア 被告は,新聞社であり,国内外に広い読者層を有する日刊英字新聞紙であるジャパンタイムズ紙(以下,「本紙」という。)を毎日5万8000部発行している。本紙の編集局長には平成14年5月31日までB(以下,「B編集局長」という。)が就任していた(<人証略>)。
イ 原告は,昭和62年8月1日に被告に入社し,平成13年5月1日に被告との間で非常勤嘱託の外国人記者として以下の約定により労働契約を締結した(以下,「本件労働契約」という。<証拠略>)。
労働時間 1日実働7時間15分・週5日
賃金月額 月例給(給与明細上は本人給)57万3900円
役職手当(給与明細上は役付手当)7万5000円
日本駐在手当(給与明細上はその他手当)1万円
毎月末日締め当月25日払い
契約解除 原告及び被告は,1か月の予告期間を置いて契約を解除することができるが,期間満了前に契約を終了することを避けるために最大限の努力をする(13項)。
被告は,原告が重大な過失・非行・就業規則条項に違反した場合,無断欠勤が5日以上に及んだ場合,休業が1か月を超える場合には,予告なく契約を解除することができる(14項)。
(2) 原告の記事
被告は,平成13年10月ころ,翌年に控えた日韓サッカーワールドカップ(以下,「ワールドカップ」という。)開催にあたり,日本及び韓国における各試合の開催地の紹介記事を特集として掲載すること(以下,「本件特集」という。)を決定し,平成14年5月13日までの間に合計20都市の紹介記事を本紙に掲載した。
当時運動部長の地位にあった原告は,本件特集のメインライターとして,4都市の記事を他の記者と共同執筆したほか,14都市の記事を単独で執筆し,その中の1つとして,ソウルを紹介した記事(以下,「本件記事」という。別紙2はその訳文である。)が同日発行の本紙スポーツ欄に掲載され,また,これに先だってインターネット上の被告のウェブサイトにも掲載された。
(3) 謝罪文
同月25日発行の本紙の第一面に,被告から読者に対する謝罪文が掲載された(以下,「本件謝罪文」という。)。以下はその訳文である。
「お詫び
ジャパンタイムズ社は,2002ワールドカップの開催地についての連載記事の一部として,スタッフ記者Xによるソウルに関する記事が,編集上の見落としにより5月13日に掲載されたことについて,深くお詫び申し上げます。当該記事は,極めて不適切であり,決して掲載されるべきではありませんでした。また,当社は,当該連載記事において,同記者による上記の記事と同様不適切かつ不快な記述を含む他の記事を掲載したことについてもお詫び申し上げます。これらの記事によって,当社の韓国・朝鮮の読者の皆様及び一般の読者の皆様が不快に思われたことにつきまして,当社は,深い遺憾の意を表します。当該記事は,ジャパンタイムズ社ウェブサイトから削除されております。さらに,当該記事の掲載につき責任のある者を懲戒処分とします。」
(4) 解雇
被告は,平成14年7月4日,原告に対し,同日付けで解雇する旨通知した(以下,「本件解雇」という。<証拠・人証略>)。
2 争点
(1) 本件解雇の有効性―原告による本件記事の作成及び掲載が被告に対する債務不履行にあたるか否か―
(2) 本件労働契約の期間
(3) 被告が原告に支払うべき賃金額
(4) 本件謝罪文の掲載による名誉毀損の成否
(5) 不法行為による慰謝料等
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件解雇の有効性―原告による本件記事の作成及び掲載が被告に対する債務不履行にあたるか否か―)について
(被告の主張)
原告は,被告の運動部長として,本紙スポーツ欄の記事の作成,編集につき,被告に対して誠実に労務を提供し,本紙の記事作成の目的,趣旨に則った記事を作成する責務を負っている。
本件特集は,ワールドカップの開催にあたり,その開催都市の文化遺産,建造物,観光名所,レストラン等を紹介することにより読者の開催都市に対する理解を深めること,ワールドカップを観戦する人々のガイドに資することを,記事作成の趣旨・目的としていた。
しかるに,原告は,長年本紙スポーツ欄の記事を作成してきており,本紙に掲載する記事はどのようなものがふさわしいかを熟知しているにもかかわらず,ワールドカップ開催前にソウルの女性を含めた韓国国民を不当に刺激する内容の本件記事を作成して本紙に掲載した。原告は,日本を代表する英字新聞紙である本紙がこのような時期に本件記事を掲載すれば,いたずらに韓国側の不興を買い,日本と韓国との間の国際問題にもなりかねないことは十分認識できたはずである。
なお,スポーツ欄の記事については,運動部長である原告が記事を作成してその判断で本紙に掲載しており,編集局長のチェックは事実上受けていなかった。
以上によれば,原告の本件記事作成及び掲載は本件契約上の重大な債務不履行にあたるのであって,このほか,原告が頻繁にタイムカードの不正打刻を行い,自宅付近における飲食費を被告の経費として計上させるなど日ごろの勤務態度にも問題があることを考慮すると,本件解雇は客観的に合理的な理由があり有効である。
(原告の主張)
原告は,本件特集の編集方針について,「リアルな描写により,良い面と悪い面の両方から開催地とその国の状況を紹介する」と決定し,事前にB編集局長の了解を得ていた。本件記事もこのような編集方針に則ったものであり,過去の歴史から脱却して国際社会に誇れるソウルの現在を評価し,読者に訪問を促すことに本題があった。
本件記事に対しては,韓国大使館からの警告や読者からの電子メールによる抗議があったが,他方,文脈の中に酒落や皮肉を込めたニュアンスを読み取り本件記事を評価する読者もいた。
被告は,本件記事について,インターネットセクションのほか,少なくとも2名の編集委員によるチェックを経て本紙に掲載したものであり,そうである以上,韓国大使館による政治的圧力に屈することなく,上記のような読者の反応についてはメディアとして公正な立場に立って良識ある対応をしてしかるべきであった。
以上のほか,原告に弁明の機会を与えて話し合いを持つことをしなかった被告の対応は,契約終了を避けるために最大限の努力をする旨の本件労働契約13項に違反するものであることを考慮すると,本件解雇は明らかに権利の濫用であって,違法・無効である。
(2) 争点(2)(本件労働契約の期間)について
(被告の主張)
本件労働契約は,期間を1年とする有期労働契約であり,毎年,期間満了時に,<1>被告による原告の勤務評価,<2>被告による次年度の契約更新の決定,<3>被告による次年度の契約条件の決定,<4>原告への条件提示,<5>原告の受諾,という手続により更新されてきた。
そして,本件労働契約が最後に更新されたのは平成14年5月1日であり,その期間満了日は平成15年4月30日であるから,仮に本件解雇が無効であったとしても,本件労働契約は同日の経過により終了した。
なお,原告は,外国人について上記のような期間の定めを設けることは差別的取扱いであり労働基準法3条及び同条の趣旨に反する旨主張するが,同条は採用後の労働関係を規制する規定であって,当事者に契約締結の自由がある採用時には適用されない。
(原告の主張)
本件労働契約は期間の定めのない契約であり,契約書上の期間の定めは意思表示としての実体を有していない。
仮に本件労働契約に期間の定めがあるとしても,それは原告を含む編集局に配属される外国人に対する国籍ないし人種を理由とする差別的取扱いであるから,労働基準法3条及び同条の趣旨に反し,違法・無効である。
(3) 争点(3)(被告が原告に支払うべき賃金額)について
(原告の主張)
原告の本件解雇前6か月間の賃金の平均月額は深夜手当及び祝日出勤手当を含め71万5570円であるから,原告は,被告に対し,平成14年6月以降の未払賃金として毎月同額の支払いを求める。
なお,被告は,同年5月31日付けで原告を運動部長から降格させたと主張するが,本件労働契約の内容には役職手当も含まれているのであるから,一方的にこれを減額することはできないところ,原告は上記降格について被告から通知を受けておらず減額についての承諾もしていない。
(被告の主張)
被告は,原告に対し,平成14年7月4日分までの賃金を全額支払済みである。
また,被告は,同年5月31日付けで原告を運動部長から降格したのであるから,これに伴って同年6月以降は役職手当7万5000円を原告に支払う義務はない。
支払期間については,上記(2)(被告の主張)で述べたとおり,本件労働契約の期間満了日である平成15年4月30日までとすべきである。
(4) 争点(4)(本件謝罪文の掲載による名誉毀損の成否)について
(原告の主張)
本件謝罪文は,原告の了解なく,原告を名指しした上で,本件記事の内容が不適切極まりないばかりでなく,原告が他にも同じように不適切かつ不快な内容の記事を書いているという事実を摘示し,そのような記事を書いた原告が被告から懲戒処分を受けるに相当な記者であることを公然と宣言するものである。しかも,本件謝罪文は,「編集上の見落としにより」本件記事が掲載されるに至ったとしており,事前に分かっていれば被告はそのような記事を掲載しなかったであろうことを読者に推察させ,また,全体の文脈を見ても,本件記事掲載の責任については,読者の目が被告よりも原告の記者としての資質に注がれるように表現され,原告が不適切な記事を執筆する記者であることを一層強く印象づけるものとなっている。
このような本件謝罪文が本紙の第一面に掲載されたことによって,原告は記者としての社会的評価を著しく貶められた。
(被告の主張)
本件謝罪文は,被告が,本件記事を不適切なものと判断し,その掲載に至る経緯,今後の措置等必要最小限度の説明を付して読者に謝意を表明するものであり,原告の名誉を毀損するものではない。
また,被告は,日本と韓国の親善関係を維持するために本件謝罪文を本紙に掲載したものであるから,本件謝罪文は,公共の利害に関する事実を公共の目的のために記載したものといえるし,本紙への掲載は被告にとって信用を回復するための正当な業務行為である。
したがって,本件謝罪文の掲載は原告に対する名誉毀損にはあたらない。
(5) 争点(5)(不法行為による慰謝料等)について
(原告の主張)
ア 慰謝料
違法・無効である本件解雇及び本件謝罪文による名誉毀損によって,原告は,記者として活動する職業上の基盤を根底から破壊され,生存の基盤も奪われたものであり,その精神的苦痛を金銭で慰謝するとすれば1000万円を下らない。
イ 謝罪広告
被告は,本件謝罪文によって損なわれた原告の名誉を回復するために適当な処分(民法723条)として,本紙に,本件謝罪文の掲載と同じ大きさで別紙1の謝罪文を掲載すべきである。
(被告の主張)
争う。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(本件解雇の有効性―原告による本件記事の作成及び掲載が被告に対する債務不履行にあたるか否か―)について
(1) 後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 本件特集が企画されるに至った経緯
平成13年9月ころ,原告は,B編集局長に対し,被告のウェブサイトに本件特集を連載することを提案した。その際,原告は,ワールドカップ開催地とその国の状況をネガティブな側面とポジティブな側面の両方からリアルな描写によって紹介することを本件特集の基本的な編集方針としたい旨伝えた。
上記提案の結果,被告のウェブサイトに本件特集を連載することが事実上決定されたため,原告は同年10月初旬から約1か月間かけて韓国のワールドカップ開催地を訪れて取材を行った。
(<証拠・人証略>)
一方,B編集局長は,同年10月9日,本件特集について被告に稟議書を提出し,同月18日に上司らの決済(ママ)を得た。上記稟議書には,被告のウェブサイトに,ワールドカップの出場チームや選手についての情報,日韓各10か所の競技場とその周辺の宿泊,レストラン,バー,娯楽等の案内記事を載せ,企業からバナー広告を集めて営業収入を上げたいなどと記載されている。
(<証拠・人証略>)
原告は,同月23日にB編集局長から本件特集についての企画が正式に決定されたことを聞いたが,この際,編集方針が修正されたなどという話は出ず,また,上記稟議書を見せられたこともなかった。
(<証拠・人証略>)
イ 釜山に関する記事
平成13年10月20日ころ,原告がワールドカップ開催地の1つである韓国の釜山について書いた記事が被告のウェブサイトに掲載されたが,この記事の中に,釜山のあるバーのドアにナチスのマークが張られており,その店内にはナチスの記念品のようなものが置かれていて面白いという趣旨の文章が含まれており,その約3か月後,被告は,日米両国のユダヤ人協会から,上記記事はナチスを礼賛する記事であるとの抗議を受けた。
B編集局長は,原告に対して上記のような抗議があったことを伝えるとともに,上記ユダヤ人協会に対して電子メールで記事の趣旨を説明し謝罪を行った上,同記事を被告のウェブサイトから削除し,本紙には掲載しないこととした。
(<証拠・人証略>)
ウ 本件記事の掲載等
本件記事は,平成14年5月13日の約1週間前に被告のウェブサイトに掲載されたが,その後,本紙に掲載されるまでの間,読者から本件記事について否定的な意見が寄せられたことはなかった。
また,本件記事が被告のウェブサイト及び本紙に掲載されるにあたっては,少なくともウェブサイト編集者1名,スポーツ欄の編集者2名,副編集者1名,コラムニスト1名が本件記事を読んでいたが,これらの者からも本件記事について問題点が指摘されたことはなかった。
(<証拠・人証略>)
エ 記事のチェック体制
被告においては,その日の担当デスクが本紙の出稿権限を有しており,問題があったときには各部長に相談して判断をあおぐという体制が採られていた。編集局長は全ての記事の原稿をチェックする建前ではあったが,B編集局長は全てをチェックすることはしておらず,本件記事についても,被告のウェブサイト及び本紙への掲載時点までにその内容を読むことはしていなかった。
(<証拠・人証略>)
オ 韓国大使館の反応
平成14年5月22日,韓国大使館から被告に対して「ワールドカップ共催によって,日本と韓国が過去のわだかまりを取り去って友好的な関係を築こうと皆が努力している時に,日本を代表する英字新聞である本紙がなぜ韓国を侮辱するような記事をあえて載せなければならないのか理解できない。」という趣旨の抗議が寄せられた(<証拠・人証略>)。
カ 一般読者の反応
本件記事が本紙に掲載されてから1週間経った平成14年5月21日以降,被告のもとに,本件記事は韓国及び韓国の女性を侮辱するものであり不適切であるなどとする抗議の電子メールや手紙が読者から寄せられた(<証拠・人証略>)。
キ 原告に対する被告の対応
B編集局長は,平成14年5月22日に本件記事に対する一連の抗議について原告に伝え,同月24日には本件記事の問題点について原告と話し合ったが,原告は,訂正記事を出すことには応じてもよいが,本件記事は事実であり正当なものであるとの意見を述べた。同月28日に本紙の主幹であるCが直接事情聴取の機会を設けた際にも,原告は,同様の態度であった。
(<証拠・人証略>)。
(2) 検討
被告は,本件特集はワールドカップ開催地の文化遺産,建造物,観光名所,レストラン等を紹介することにより読者の開催地に対する理解を深め,観戦する人々のガイドに資することを目的としていた旨主張するが,本紙の編集責任者であるB編集長は,原告に対して上記編集方針を正確には伝えていなかった上,釜山の記事への抗議が寄せられたことによって本件特集の編集方針について原告との間に誤解が生じていることを容易に推測できたにもかかわらず,この機会に原告との間で本件特集の編集方針について改めて話し合うことも,その後に書かれた本件記事を読むこともしないまま,原告が被告のウェブサイト及び本紙にこれを掲載することを放置したのであるから,原告にはそもそも被告の主張する本件特集の編集方針を知る機会がなかったというべきであり,これに沿わない記事を書いたからといって,原告に対して直ちに債務不履行責任を問うことはできない。
もっとも,原告が本件特集の編集方針を正確には知らなかったからといって何を書いても許されるというわけではなく,他国やその国民に対する侮辱的表現を用いた記事や,本紙の基調または基本的な編集方針から著しく逸脱した記事を書いてはならないことは自明であるが,本件記事は,原告が20年ほど前にソウルを訪問した際に売春婦から声をかけられた体験談を交えながら,現在のソウルが当時と比べていかに変貌を遂げ近代化したかについて述べたものであって,韓国や韓国の女性を侮辱したり不当に刺激したりする趣旨の文章でないことは明らかである。また,本紙の娯楽欄には国内の性風俗店におけるサービス等に関する直截的かつ扇情的な記事が度々掲載されていること(<証拠略>)からすると,本件記事において原告が売春婦に言及したこと自体が品位を欠き本紙の基調または基本的な編集方針におよそ適合しないものであるともいえない。
以上によれば,原告による本件記事の作成及び掲載は被告に対する債務不履行にはあたらず,また,このほかに被告の主張するタイムカードの不正打刻や不正な経費計上が原告によってなされたことを認めるに足りる的確な証拠はないから,これらを理由としてなされた本件解雇は,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であるとはいえないから,権利の濫用にあたり無効である。
2 争点(2)(本件労働契約の期間)について
証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば,本件労働契約は期間を1年とする有期契約であり,原告と被告との間で毎年契約書を交わして更新してきたこと,最後に契約書が交わされたのは期間を平成13年5月1日から平成14年4月30日までとする契約についてであり,それ以降は契約書が交わされてはいないが,同年5月1日以降も原告は従前通り被告に労務を提供し,被告はこれを受け入れて同月25日に従前と同額の賃金を支払っていることが認められるのであり,このような事情からすると,原告と被告との間で平成14年5月1日以降も期間の点を含め従前と同様の内容による契約を更新するとの黙示の合意があったものと見ることができる。
原告は,本件労働契約に期間の定めを設けることは外国人である原告に対する差別的取扱いである旨主張するが,本件労働契約は,期間の点のみに着目すれば,定年までの継続雇用を前提とした日本人の正社員の労働契約よりも不利であるといえるものの,英文で記事を書く記者という専門職としての雇用であることから賃金の面ではむしろ相当優遇されていること(<証拠・人証略>)を考慮すると,期間の定めが設けられていることが専ら原告の国籍や人種を理由とするものであるとはいえないから,原告の上記主張は採用しない。
したがって,本件労働契約の存続期間は平成14年5月1日から1年間すなわち平成15年4月30日までである。
3 争点(3)(被告が原告に支払うべき賃金額)について
(1) 原告は,被告が支払うべき賃金額は本件解雇前6か月間の賃金の平均金額を基礎として計算すべきである旨主張するが,証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば,本件労働契約に基づいて原告が毎月必ず被告に請求することができる金額(固定給)は,月例給57万3900円,役職手当7万5000円及び日本駐在手当1万円の合計65万8900円のみであり,他方,深夜手当及び祝日出勤手当については,業務上の必要性に応じて被告から臨時に命じられる労働の対価であって,月ごとにその有無や金額が異なるから,民法536条2項本文にいう反対給付として被告が原告に支払うべき賃金には含まれない。
なお,被告は,原告の降格を理由に,上記金額から更に役職手当を控除すべきであると主張するが,契約上は役職手当7万5000円の支払いにつき原告が運動部長という特定の役職に就くことが条件とされているわけではないから,被告の人事権行使により原告の役職に異動があったからといって,当然に原告の賃金から役職手当を減額してよいことにはならず,被告の上記主張は採用できない。
(2) そして,被告は原告に対して平成14年6月分の賃金のうち月例給及び日本駐在手当については全額支払ったものの,役職手当については支払っておらず(<証拠略>),同年7月分の賃金は月例給として10万7384円を支払ったのみであり(<証拠略>),同年8月以降は一切の賃金を支払っていないから(争いなし),被告が原告に支払うべき賃金額は,同年6月分の未払賃金7万5000円(役職手当),同年7月分の未払賃金55万1516円(65万8900円-10万7384円),同年8月分から平成15年4月分までの未払賃金593万0100円(9か月×65万8900円)の合計655万6616円である。
4 争点(4)(本件謝罪文の掲載による名誉毀損の成否)について
本件謝罪文は,被告が,本件記事に対する苦情処理の一環として,自らの編集上の見落としにより,極めて不適切な本件記事及びこれと同様に不適切かつ不快な記述を含む原告作成の他の記事を誤って掲載し,読者に不快感を与えたことについて謝罪するとともに,これらの記事が被告のウェブサイトから削除されたことやその掲載責任者を懲戒処分とするつもりであることを述べたものであるが,本件記事及び原告の執筆した釜山の記事は被告の定めた本件特集の編集方針(<証拠・人証略>)を踏まえたものではないという意味で被告にとって不適切なものであったことは否定できないし,また,上記各記事について一部の読者から不快である旨の苦情があったことも事実である。そして,懲戒処分に付されるべき掲載責任者の範囲については,上記各記事の誤掲載の原因が「編集上の見落とし」にあると明記されていることを踏まえると,これに原告が含まれるか否かについては明らかにされていないといわざるを得ない。
以上によれば,本件謝罪文を本紙に掲載した被告の行為は,虚偽の事実や不公正な論評を公然と摘示して原告の社会的評価を低下させるものにはあたらないから,不法行為(名誉毀損)に該当しない。
5 争点(5)(不法行為による慰謝料等)について
上記1のとおり,本件解雇は解雇権の濫用にあたり違法・無効であるから,これを行った被告の行為は不法行為を構成する。そして,被告における原告の勤続年数,地位,経済的損失については未払賃金及び遅延損害金の支払いによって填補されること等諸般の事情を考慮すると,本件解雇により原告の被った精神的損害の慰謝料としては20万円が相当である。
なお,上記慰謝料に対する遅延損害金の起算日は不法行為の日すなわち本件解雇の日である平成14年7月4日となる。
6 以上のとおり,原告の請求は主文第1項及び第2項の限度で理由があるから認容し,その余については理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行宣言につき同法259条1項を適用し(被告は仮執行免脱宣言の申立てをしているが,本件事案の内容にかんがみ相当でないから,これを付さないこととする。),主文のとおり判決する。
(裁判官 木野綾子)
<別紙1> 謝罪文
ジャパン・タイムズ社は,2002年5月25日付本紙第1面に,同年5月13日に掲載した本誌記者Xによる記事を,きわめて不適切であり決して掲載されるべきではなかったとし,同記者による他の記事についても上記記事と同様不適切かつ不快な記述を含むものであったことを記載した謝罪広告を掲載し,あわせて当該記事の掲載につき責任のある者を懲戒処分とすることを宣言しました。しかしこれらの記載は,X記者の名誉を著しく損なうもので,きわめて不適切なものでした。従いまして,ここに,同記者に対する名誉回復措置を講じることとし,上記記載部分を撤回するとともに,同記者に対して心から謝罪します。
<別紙2>
ワールドカップ ソウル
X
ソウル――
昔はすべてが気楽だった。それは1984年。私はこの街はうまい食べ物ときれいなねえちゃんだらけと聞いてきて,それを確かめるために世界一周旅行の際に三日間ソウルに立ち寄ったわけである。
ソウルに来る前にバンコクと台北を通過してきただけに,最初はソウルがそんなに特別なものとは感じなかった。実際,デカくて,灰色でスモッグだらけという点においては,台北とどう違うのかという感じだった。
そして人々がオーケーという点でも同じだった。台北と比べても,特段おかしな人達という感じでもなかった。街を回るのにタクシーは便利だったし,道を歩き回るのも大丈夫だった。
食べ物はホット(辛い)だったし,女の人もホット(最高)だった。
そこで私は下町にある巨大なロッテ・ホテルのウィンザー・バーに陣取った。そこである女性と視線が合った。それもその辺にいるような女性じゃない。彼女は今まで私が目にしてきた女性の中でも,間違いなく最も美しかった。彼女は英語をしゃべり,スタイリッシュに装い,とても知的に見えた。
「100ドルであなたのホテルの部屋に伺います」と彼女はささやいた。
ひえー,彼女は『すっごく』知的なんだ,と私は考えてしまった。
このエピソードの背景は,イテウォンといういわゆる「娼婦街」である。景気が悪かった。そしてジャーナリストとしての取材のため,さらにお酒も飲みたい気分だったこともあり,そこに居た自分はそのるつぼにはまってしまったのである。二人の若い女性が,片言の英語で私にお近づきになって,楽しませてくれようとしていたのである。
その場を立ち去るのはたいへんだった。午前三時という時間のうえ,不景気な雰囲気。そこで二本の腕がからみついた。
「行かないで」と嘆願された。私は彼女たちが私にお金を押し付けはじめる前に,走って逃げた
私はそれから11年の間,ソウルに戻ることはなかった。だが,その年月で変われば,変わるものである。
この間,ソウルは1988年に夏期オリンピックを開催したことや,韓国の驚異的な経済成長もあいまって,大きく発展した。11年間に韓国の首都の人口は二倍に膨れ上がり,1000万近くになった。周辺の地域の人口を加えれば,その数字はもっとになる。
発展の結果,弊害もある。ひどい公害の上,自動車の台数も必要以上に多く,街は人ごみだらけである。
11年ぶりのソウルの街を私は当時ガールフレンド(現在は私の妻)の韓国人の女性と歩いていた。女の人がドアから頭を出し,
「娼婦よ,娼婦」と韓国語でわめきたてた。
皮肉にも違うよ,と私は言いたかった。しかし,無視することにした。なぜなら,この彼女の言った言葉そのものが,ソウル――そして韓国――がいかに急成長したかという証のようだったからだ。
今日のソウルの若い女性は外国人とデートすることなど気にしていない。だが,古い世代の人たちは,過去―と言っても,そんなに昔のことではない―のことが忘れられない。それは,外国人と歩いている韓国人の女性はまずその道の商売だったということだ。
私はこの旅で,その後二回こういったことに出くわした。一度は中年の男性が,私に(彼女と)手をつないではいけないと言われた。二度目は,私よりも若い韓国人の男性とだった。私がバスの中で彼女を膝に座らせていた時に彼がとても流暢な英語で,「あなたのしていることは韓国の文化に反していて,間違っている」と言って来たのだ。
私はよっぽど,「ああ,私が彼女に100ドル払っていれば許されるわけだ」と言い返そうかと思ったが,その代わりに私は彼に,彼女に直接,韓国文化のあるべき姿を教えてあげればと言った。
「彼女は韓国人ですよ」と,私は彼に言った。「韓国文化は彼女のものでもあるでしょう,彼女にやってはいけないと言えばいい」。この男性は何も言わずにバスの後ろの方にそそくさと行ってしまった。
今日のソウルは多くの面で,決して居心地のよさそうな街ではない。人々が嬉しそうではないし自分たちの街に対して不満そうだし,そして近代社会に対しても居心地が悪そうなのである。
ソウルは,保守的な過去から抜け出そうともがいている国の近代的な首都なのである。街そのものは,30階建ての高層ビル街がえんえんと続いているだけで,単純に言って醜い。これらのコンクリの巨大建築の多くは社宅で,安くて実用的であることが目的だ。創造性や美観,住み心地といったものは考慮されていない。
そしてさらに多くのソウルの建造物は,一夜にして建てられたという雰囲気だ。事実そうだということもある。私の妻は以前,壁の傾き,配線が露出し,シャワーのすぐ横にコンセントがあるといった,廃虚のようなところに住んでいた。私がソウルから東京に戻ったすぐ後,ソウルの九階建てのデパートが瓦解した。このすぐ後,ソウル中心部を流れるハン河の橋の一つの一部が崩れた(九人の死者を出したテグのガス爆発は言うまでもない)。
発展のペースがキャパ・オーバーだったのである。スピードがソウルの掟なのだ。韓国人はいつでも時間をかけていい仕事をするより,多少手抜きでも早くできることを好む。タクシーやバスの運転手のみならず,自動車を運転している人は,自分がどれだけのスピードを出しているかも気にせず車を飛ばし,ましてや道路上の人を気にすることもない。
そして道路はついていっていない。新しい地下鉄ができても,渋滞は一向に解消されない。韓国人は自動車に何らかしらの自由を見い(ママ)出し,それを奪われたくないようだ。そういうわけで,地下鉄がよくなって足の便がよくなっても,タクシーで動き回ることは必ずしも便利な手段ではない。
橋を渡ることが頭痛の種になることが多い。ハン河が街を分断している。河の南側がここ二十年程で発展したが,北側は旧市街だ。この二つの街はかなり違う。
オリンピックのための施設は,河の南津近くの街の南側にあり,そこには別のロッテ・ホテルとロッテ遊園地がある。何本かの道路はかなり広いが,それでも交通量は激しすぎる。建物はと言えば,どうでもいいようなものからとんでもなくひどいものが立ち並ぶ。
河の北側は,南に比べると丘陵地帯で,視界に飛び込んでくるのは南山とソウルタワーくらいだ。北側の街は南山を囲むように広がっている。下町地域にはいくらか高層ビルがあるが,山の回りの建物はまだ低い。河の南岸のカンガン地域から河を渡ると,目を奪うのはキラキラしているハイアット・ホテルと多すぎるくらいの教会だ。
トンネルが山を貫き,反対側へのアクセスはいいが,午前五時から午前(ママ)三時までのピーク時の交通量はすざ(ママ)まじく,スモッグがひどい。傾斜が大きい地域もあって,地下鉄は全地域を網羅しているわけではない。地下鉄がない場合は,タクシーしかないが,これもつかまればである。
空港からソウル市内に向かう道すがら,目にするのはユイドウ島にある近代建築群だが,ここには国会議事堂,テレビ局と韓国の株式市場がある。しかし,そこで最も目立つのは,ソウル(そして韓国)一の高さを誇るKLI63ビルだ。これは六〇階建ての金色の光り輝く建造物で,そこから河を見渡す眺めは,スモッグがなければ素晴らしい。
ソウルは二〇世紀に入って,日本人,北朝鮮人そして中国人に相当痛めつけられてきているが,それでも旧市街は残り,そこには一見に値する宮殿がいくつかある。勿論,古いといっても,終戦以降という場合もあるが,それでもソウルには個性的なエリアがまだ点在する。もっともこれらのエリアの寿命も限られているだろうと思ってしまうが。
ソウルの活気を感じるのにいちばん適しているのは,市場だろう。これらはほとんどが昼夜問わず開いていて,豚の頭から,洋服やブランド物の模倣品まで何でもあって楽しい。アラブのスークにいるような感じで,値段交渉をすればなお楽しい(もちろん,それは結果的にはふっかけられたと気付くまでだが)。
ソウルは簡単に好きになれるような街ではない。ありとあらゆるものがあるが,その活気そのものに負けてしまう。外国人が簡単に慣れることができる街ではなく,楽しみながらいい時を過ごそうと思ったら,気長に付き合うしかない。
そして忘れないで。100ドルでは昔のような買い物はできないから。