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東京地方裁判所 平成15年(ワ)15572号 判決 2005年10月03日

原告

同訴訟代理人弁護士

萩谷麻衣子

被告

富士通株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

植松宏嘉

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  主位的請求

被告は,原告に対し,金1402万5000円及びこれに対する平成14年5月28日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  予備的請求

被告は,原告に対し,金50万円及びこれに対する平成14年5月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告を退職して転職した原告が,被告に対し,主位的に,原告には早期退職優遇制度が適用されるべきであると主張して,同制度に基づく特別加算金の支払を請求し,予備的に,仮に同制度が適用されないとしても,被告が原告の退職手続に協力せず,また,退職するまでに同制度が適用されない合理的理由を正式に知らせなかったことが信義に反する不当な行為であると主張して,慰謝料を請求した事案である(なお,原告は,主位的請求につき,既払退職金の支給日の翌日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を,予備的請求につき,原告の退職日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ付帯して請求した。)。

1  前提事実(当事者間に争いがないか,後掲証拠及び弁論の全趣旨によって認められる。)

(1)  当事者

ア 被告は,通信機器・装置・システムの製造及び販売等を業とする株式会社である。

イ 原告は,昭和55年4月1日,被告に入社し,主としてコンピュータのソフトウェアの開発に従事し,平成14年4月30日,被告を退職した。退職時の年齢は45歳であった(原告本人・30頁)。

(2)  ネクストキャリアプログラムの実施

ア 被告は,平成13年7月19日,従業員に対し,「ネクストキャリアプログラムの実施について」という中高齢層の従業員に対し定年前の転職・独立など転進の機会を付与するための<1>早期退職の場合の特別加算による退職金の拡充,<2>転職・独立等の準備のための休暇プログラム,<3>資格取得に必要な教育費を補助する教育プラン,<4>キャリア設計相談,資格取得に要する外部講座の紹介等を行う相談窓口の設置からなるプログラム(以下,「本件プログラム」という。)の実施を被告の社内ウェブ上で告知した。このうち<1>の内容の要旨は次のとおりである(甲4)。

(ア) 主旨

「従来より,60歳以降の雇用の仕組み作り,人材開発センターを中心とした適職への斡旋,工事会社・介護会社の設立等により,中高齢層に対する選択肢の拡大を図ってまいりました。

今般,これらに加えて,選択の機会拡大を図り,本人の積極的なチャレンジを後押しし,チャンスを適宜捕らえられる仕組みとして,下記の通りネクストキャリアプログラムを実施いたします。

これにより,中高齢層にとっては,エイジレス社会を展望した中での60歳以降の働き方に対するより早い時期からの準備が可能となり,また定年前に早期かつ随時に退職が選択可能となるため転職・独立など転進の機会が更に広がることになります。」

(イ) 概要

選択定年(定年退職扱い)の年齢を50歳から45歳に引き下げて,従前,45歳から49歳の者が退職する場合,自己都合退職として定年退職扱いしていなかったものを,早期選択定年として定年退職扱いし,あわせて45歳から55歳の者について退職金に特別加算をする。

(ウ) 特別加算

退職時年齢45歳の場合,特別加算は月収(本給+職責給)又は月俸の10か月分を特別加算する。

(エ) 適用者

「退職時年齢45歳以上かつ勤続5年以上の正規従業員」

ただし,被告と「競合関係にある企業への転職等,会社として当プログラムを適用することが望ましくないと判断する場合は,適用外」とする。

(オ) 申請方法

原則として,1か月以上前までに「ネクストキャリアプログラム申請書」にて,本人→所属長→統括部長→人事・総務サービスセンターに「申請」する。

(カ) 実施時期

受付:平成13年7月23日から開始

適用:同年8月20日付け退職者より

イ 被告は,本件プログラムについて,「ネクストキャリアプログラムのガイドライン」(以下,「本件ガイドライン」という。)を定め,本件プログラムと同様に被告の社内ウェブ上で告知した。本件ガイドラインの内容の要旨は次のとおりである(甲5)。

(ア) 基本的な考え方

本件プログラムは「会社が審査し認めた場合に適用することとする。」

(イ) ガイドライン

「下記のいずれか一つに該当する場合は,原則として適用対象外とする。

(1) 退職することで会社の業務に著しく支障をきたす場合

(2) 転職先が本プログラムの主旨に相応しくない場合

a)グループ会社

・当社の子会社(出資比率50%超)及びその子会社

・当社の持分法適用会社

・当社が出資している会社,当社のベンチャー企業,スピンアウト企業等については,個別の状況を勘案して会社が決定する。

b)競業会社

転職先が当社または当社の子会社と競業関係に該当する場合は適用対象外とする。

尚,競業会社に該当するかどうかは,規模,シェア等を勘案し,会社が個別に判断する。

(以下,省略)」

(3)  退職願の提出と本件プログラムの適用申請

原告は,平成14年4月8日,被告に対し,退職願(甲1)を提出して同月30日付け退職の承認を願い出るとともにコンピュータ製品の輸入・販売を業とするサン・マイクロシステムズ株式会社(以下,「日本サン」という。)に転職するとしてネクストキャリアプログラム申請書(甲6)を提出して本件プログラムの適用を申請した。

(4)  原告の退職と本件プログラムの適用除外

原告は,同月30日,被告を退職し,同年5月1日付けで日本サンに入社して,ソフトウェア&テクノロジー営業本部に所属した(甲11,原告本人・16頁)。

原告は,同月8日,被告から郵送された同年4月26日付け「ネクストキャリアプログラムの適用について(通知)」と題する書面を受領した。同書面には,「適用の可否」として本件プログラムの「適用対象外とする。」と,「理由」として「転進先がネクストキャリアプログラムのガイドラインに定める競業会社に該当し,本プログラムの主旨に相応しくないため。」と記載されていた。

(5)  退職金の支払

原告は,同年5月27日,被告から退職金支給規程に基づき退職金407万7000円を受領した。

仮に本件プログラムが原告に適用された場合,原告の退職金は総額1811万円となる(なお,原告は,退職金の総額を1810万2000円であるとして主位的請求をしている。)。

2  争点

(1)  本件プログラムの適用対象外として「競業会社」を規定する本件ガイドライン(2)b)は有効か。

(2)  被告が,原告の転進先を「競業会社」に該当するとして原告を本件プログラムの適用対象外とした判断は不当であったか。

(3)  仮に,被告が原告を本件プログラムの適用対象外とした判断は不当でないとしても,原告は,被告に対し,被告が退職手続に協力せず,また退職前に本件プログラムの適用対象外である旨正式に通知せず,その合理的理由を開示しなかったとして慰謝料を請求し得るか。

3  争点に対する当事者の主張

(1)  争点(1)(本件ガイドライン(2)b)の有効性)について

(原告の主張)

被告が本件プログラムを制定したのは,合理化のために人員削減を実施するに当たって,優遇した対象条件と退職金の割増を提示して退職者を募り,名目上任意退職の形をとるようにしたものであって,従業員の自発的な辞職とは区別すべきである。被告の属する富士通グループは大規模で,業種は広範囲に渡っており,被告が,本件プログラムの適用除外事由として「競業会社」への転職という条項を設け,しかもその適用を客観的基準も設けないままに全くの裁量で判断することは,従業員の職業選択の自由を奪うに等しく,明らかに公序良俗に違反する。

したがって,本件ガイドライン(2)b)は無効である。

(被告の主張)

本件プログラムは,従業員の転職や独立を支援するために,通常の自己都合退職金に加え,特別加算金を支給することを主な内容の一つとし,従業員が適用を申請し,被告が審査して適用を認めることを要件とする。本件ガイドラインは適用除外事由を定めているが,(2)b)がその全てではなく,その他の規定も総合して本件プログラムの趣旨を把握して解釈すべきであり,適用除外事由は,具体的に規定され,合理性があり,信義に反するものではない。また,本件プログラムの適用対象外とされても,所定の退職金は支払われるのであり,本件プログラムは実質的にも形式的にも転職の自由を奪うものではない。

したがって,本件ガイドライン(2)b)は有効である。

(2)  争点(2)(被告が原告を本件プログラムの適用対象外とした判断の不当性)について

(原告の主張)

本件プログラムは,その適用申請が早期退職という重要な意思決定を伴うものである以上,恣意的な運用が許容されるべきではないから,適用申請者に適用を認めないことが信義に反する特段の事情がある場合には,被告は,信義則上,承認を拒否することができないと解するのが相当である。

被告は,日本でも有数の大会社であり,業種は多種広分野に渡っている。本件ガイドライン(2)b)を文字通り被告の自由な判断に委ねれば,あらゆる転職先について「競業会社」であるとの理由で適用対象外とすることが可能となり得るから,「競業会社」の該当性を特に慎重に決すべきである。ところが,本件ガイドラインには,具体的基準は定められていない。商法等で一般的に使われている「競業」と無関係に被告がケースごとに決めるとなれば,被告の恣意的判断を無制限に許すこととなり,従業員には予見可能性が全く与えられず,不当極まりないから,本件プログラムの適用に当たっても,商法等の「競業」の解釈と同様に考えるべきであって,退職者が「競業会社」に転職した場合でも,被告は人件費節減という一番重要な目的を達成しているのであり,本件ガイドライン(2)b)の「競業」を商法等の解釈以上に従業員に不利に厳しく解釈すべきではない。

一般的に,「競業」とは,市場における利益の獲得方法が同じであることをいうと解されており,市場において,取引先(得意先)を自己の利益のために奪い合う関係にあることをいう。たとえ,同一の商品を扱う場合でも,卸商と小売商は商品の販売先を異にし,市場において,取引先を奪い合う関係にない。

日本サンは,親会社である米国の訴外サン・マイクロシステムズ社(以下,「米国サン」という。)からコンピュータ製品を輸入して日本国内の販売代理店に卸販売を行う輸入商社であり,原則として,米国サン製品をエンドユーザーへ直販してない。被告は,日本サンから米国サン製品を購入してエンドユーザーへ直販している販売代理店の一つであって,被告に対し,卸販売している日本サンとは「競業」関係にない。被告と米国サンは互いに「販売協力関係」にあるものと見ており,「競業」関係にあるものとは考えていない。また,原告が退職時に従事していた業務は,「競業」から保護されるに値する被告の営業秘密に接するようなものではない。

被告は,原告の所属していたコンピュータ事業本部の責任者である同本部長E(以下,「E」という。)が「競業関係にある。」と言っているから,「競業会社」だとしただけであって,その判断には何ら合理的根拠がない。

したがって,被告が,原告を本件プログラムの適用対象外とした判断は不当なものであって,公序良俗に反し,原告に本件プログラムの適用を認めないことが信義に反する特段の事情があるから,被告は,信義則上,本件プログラムの適用の承認を拒否することができないと解するのが相当である。

(被告の主張)

本件ガイドライン(2)b)は,本件プログラムの適用の可否の判断が被告の専権事項であることを明記している。商法等の競業避止義務の規定と本件ガイドライン(2)b)は,その趣旨を異にし,前者の「競業」の解釈をそのまま後者の「競業」の解釈に当てはめる理由はない。本件ガイドラインの「競業」は商法等とは別個に本件プログラムの趣旨に基づいて判断されるべきである。

本件ガイドラインの「競業」とは,業務が競争関係にあることを意味する以上,同一のエンドユーザーに同種又は類似の商品を供給する業務は,製造業者・卸売業者・小売業者の別なく,「競業」と考えるのが実態に則し,正当である。

日本サンと被告は,輸入業者であろうと製造業者であろうと市場にUNIXサーバーという同種の商品を供給している点において同じであり,エンドユーザーにどちらの商品を売り込めるかで競争しているから,「競業」関係にある。すなわち,日本サンは,米国サンから提供されるUNIXサーバーを日本全国において販売している。被告も,日本全国を含め全世界において米国サン製造のUNIXサーバーとともに被告製造のUNIXサーバーを販売している。被告製造のUNIXサーバー「プライムパワー」シリーズと米国サン製造のUNIXサーバー「S」シリーズは,同等の競合する商品である。あるエンドユーザーが日本サンから卸売りされた米国サン製造のUNIXサーバーを購入すれば,もはやそのエンドユーザーは同一使用目的で被告製造のUNIXサーバーを重複して購入する必要はなく,日本サンと被告はUNIXサーバーの販売において「競業」関係にある。また,原告は,被告退職時,日本サンとの業務契約書の作成や交渉に当たっていたのであり,このような者が競争相手に転職することは被告にとって一層不利に作用する危険を伴うもので,かかる転職を後押しすることは受け容れられず,これを奨励する特別加算金を払う義務はない。

したがって,被告が原告を本件プログラムの適用対象外であるとした判断は正当であって,公序良俗に反するものではない。

(3)  争点(3)(原告の被告に対する慰謝料請求の可否)について

(原告の主張)

原告は,平成14年4月8日,被告に対し,同月30日付けで退職したい旨の退職願を提出したが,退職手続書類を渡されず,本件プログラムの適用対象外であることについて合理的説明がなされないまま,最終出社日の前日である同月25日に相当数の退職手続書類を交付され,非常に焦ってその記載をしてこれらを提出しなければならなかった上,退職後である同年5月8日,被告から本件プログラムの適用がない旨の正式な回答を受けた。

このように,被告は,退職手続に協力せず,不当に原告を不安定な状況に置いた上,原告に本件プログラムを適用しないのであれば,遅くとも退職の承諾前に通知してその合理的理由を開示すべきであるのに,理由を述べることを拒否し続け,退職後,本件プログラムの適用除外を正式に通知したのであり,原告は,退職願を撤回することを再考する機会も奪われた。

したがって,原告は,このような被告の一連の信義に反する不当な行為により,多大な精神的損害を蒙ったものであって,その慰謝料は少なく見積もっても50万円を下らない。

(被告の主張)

被告では,退職の稟議が通ってから,退職手続書類を交付している。また,本件プログラムの適用の可否は退職の承認の稟議までに検討しておかなければならないから,本件プログラムの適用申請のない退職の承認よりも多少の時間を要するのはやむをえない。被告は,原告に対し,本件プログラムの適用対象外であることを文書による正式通知よりも先に口頭で知らせて,速やかに情報提供した。被告が競業関係について原告が納得するまで説明を続けなければ,本件プログラムの適用の可否を決定できないという理由はない。

原告は,平成14年4月5日,日本サンから採用通知を受け取り,同月8日,退職願及びネクストキャリアプログラム申請書を提出したが,その後,適用除外の可能性が高いと再三言われながら,適用除外ならば退職願を撤回すると意思表示したり,日本サンの採用を辞退した事実はない。

したがって,原告の慰謝料請求は理由がない。

第3争点に対する判断

1  前提事実,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,かかる認定事実に反する証拠は採用できない。

(1)  原告は,昭和55年4月1日,被告に入社し,ソフトウェア事業部に配属となり,メインフレーム・コンピュータ(汎用の大型コンピュータ)のオペレーティングシステムのうち,入出力制御プログラムの設計・開発・保守を担当し,昭和61年8月から,UNIXワークステーションのソフトウェアの設計・開発を担当した。その後,原告は,平成5年7月から平成14年4月30日まで,主にプラットフォームビジネスグループ所管製品の開発・製造・販売に必要なライセンス契約・購入契約・サポート契約について,米国サン及び日本サンとの交渉と被告内の関係部署(事業部門・購買部門・法務部門)のとりまとめ(アライアンス業務)を担当し,退職当時,被告川崎工場において,コンピュータ事業本部事業推進統括部事業改革推進部プロジェクト課長の職にあった。(<証拠・人証略>)

(2)  原告は,被告では給料が引き下げられる状況であり,家族を養うためにそれなりの給料が得られ,かつ,自己の力をより生かす仕事をしたいと考えていたところ,平成14年3月中旬ころ,日本サンがインターネット上において原告の希望に適う仕事内容で従業員を募集をしていたことから,日本サンに対し,採用を申し込んだ(<証拠・人証略>)。

原告は,同年4月5日,日本サンから,同月4日付け採用通知書を受け取った。同採用通知書には,同年5月1日までの入社を条件として,米国サンからストックオプション1500株が付与される旨記載があった。(<証拠・人証略>)

(3)  原告は,同年4月8日朝,上司であったコンピュータ事業本部事業推進統括部事業改革推進部長A(以下,「A部長」という。)及び統括部長B(以下,「B統括部長」という。)に対し,同月30日付けをもって被告を退職することの承認を願い出る旨の退職願を提出した。その際,原告は,本件プログラムの具体的内容を知らなかったが,B統括部長から本件プログラムの適用申請を勧められたため,同日昼前,A部長に対し,転進先を日本サンとし,日本サンにおける職務内容をコンピュータのソフトウェア製品の営業とする旨のネクストキャリアプログラム申請書を提出して本件プログラムの適用を申請した。また,原告は,同日,在職中に知り得た被告の機密事項等の情報を第三者に洩らしたり,競業的行為をしないことなどを誓約する旨の誓約書も提出した。(<証拠・人証略>)

(4)  A部長及びB統括部長は,同日,それぞれ同申請書の右上に受領印を押し,同申請書は,同月16日までに,被告本社に置かれた人事勤労事項を統括する人事勤労部に回付された。また,原告が転進先を日本サンとして本件プログラムの適用を申請したことは,同月9日,電話で同部グループ人事部長C(以下,「C部長」という。)に知らされた。(<証拠・人証略>)

(5)  原告は,同月10日ころ,A部長から,日本サンは競業会社なので,本プログラムは適用できないと被告本社人事部門から連絡があった旨口頭で言われた(<人拠略>)。原告は,これに対し,納得できない旨答えたところ,A部長は,直接人事と話すようにと言った。

(6)  原告は,同月11日,被告川崎工場において,コンピュータ事業本部の幹部職員に関わる人事事項を担当していた被告プラットフォーム事業推進本部勤労部担当部長D(以下,「D担当部長」という。)と面談し,D担当部長に対し,日本サンの組織構造や従事する職種によっては日本サンと被告が競業関係にないことを説明した。D担当部長は,原告に対し,「もう一度検討するので競業関係にないことの説明文を提出するように。」と言った。

(7)  原告は,同月12日,D担当部長に対し,「サン・マイクロシステムズ株式会社が当社と競合関係に該当しないことについて」と題する書面(<証拠略>)とその補足説明を電子メールで送付した。

さらに,原告は,同月19日,同月24日,同月25日にD担当部長と面談し,日本サンが被告と競業関係にないことについて話したが,D担当部長は,競業関係にあるとして,本件プログラムの適用が認められない可能性が高い旨話した(<証拠略>)。

その間,C部長は,日本サンは被告の「競業会社」であるとするE本部長,F副本部長,B統括部長及びD担当部長の意見とともにこれと反対の原告の意見も踏まえ,本件プログラム適用の可否を人事勤労部内部で検討していた(<証拠・人証略>及び弁論の全趣旨)。

(8)  原告は,最終出社日前日の同月25日,被告において,原告の退職を承認する稟議が通って,被告から退職手続書類一式(<証拠略>)を交付され,翌26日中に,被告に対し,同書類を作成して提出した。

(9)  原告は,原告の所属するコンピュータ事業本部の責任者であるE本部長が被告と日本サンは競業するとの意見であると聞き,E本部長との面談を求めていたものの,実現せずにいたが,最終出社日である同月26日(金曜日)午後,E本部長と面談した。その際,E本部長は,原告に対し,被告と日本サンは競業すると述べた(<人拠略>)。

人事勤労部は,同日,原告に本件プログラムを適用しない旨最終決定し,原告は,D担当部長から原告が本件プログラムの適用除外となった旨口頭で告げられた(<証拠・人証略>)。

(10)  原告は,同月30日,被告を退職し,同年5月8日,被告から郵送された同年4月26日付け「ネクストキャリアプログラムの適用について(通知)」と題する書面を受領して,原告の転進先が本件ガイドラインに定める「競業会社」に該当し,本件プログラムの「主旨に相応しくないため」,「適用対象外とする」旨通知された。

2  争点(1)(本件ガイドライン(2)b)の有効性)について

(1)  前提事実(2),(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば,本件プログラムは,被告の中高年層の従業員に対し,定年前の転職・独立など転進の機会を早期かつ随時付与するための制度であって,通常の自己都合退職金に加え,特別加算金を支給することを主な内容の一つとしていたこと,被告は,本件プログラムの実施開始当時(平成13年8月20日),被告グループの人員削減を進めており,本件プログラムもそのような人事政策的判断から従業員の自主退職を促すために実施されたこと,被告は,従業員に対し,本件プログラムの適用について,「申請」するという表現を使い,本件ガイドラインにおいて,被告が「審査し認めた場合に適用することとする。」と告知していたことが認められる。

(2)  かかる事実からすれば,被告による本件プログラムの告知は,従業員に対し,特別加算金の支給等通常の退職よりも有利な条件による雇用契約の合意解約の申込みを誘引するものにすぎず,従業員が本件プログラムの適用を申請することが合意解約の「申込み」であり,被告の承認がそれに対する「承諾」であって,被告の承認がなされて初めて従業員に有利な条件による雇用契約の合意解約が成立すると解される。被告が本件プログラムの適用を承認しない場合でも,従前の労働条件を不利に変更するわけではなく,特別加算金を得られないで退職することになるにすぎず,職業選択の自由を奪うに等しいものではない。そして,被告は,被告と「競合関係にある企業への転職等,会社として当プログラムを適用することが望ましくないと判断する場合は,適用外」とするとし,本件ガイドラインにおいて,「(2)転職先が本プログラムの主旨に相応しくない場合」として,「b)競業会社」「尚,競業会社に該当するかどうかは,規模,シェア等を勘案し,会社が個別に判断する。」と告知している(前提事実(2))ところ,これは適用除外の範囲について,考慮事項を例示した上,合理的に個別判断する趣旨から定められたものと解され,本件ガイドラインに記載した他に具体的な基準を設けていなかったとしても(<人証略>,弁論の全趣旨),何ら客観的基準を設けず,全くの裁量で判断することになっていたとはいえないから,直ちに公序良俗に反するものでは(ママ)あるとは認められず,他に本件ガイドライン(2)b)が公序良俗に反すると評価し得る事実を認めるに足りる証拠はない。

(3)  したがって,本件ガイドライン(2)b)が無効であるとの原告の主張は採用できない。

3  争点(2)(被告が原告を本件プログラムの適用対象外とした判断の不当性)について

(1)  原告は,本件プログラムの適用に当たって,本件ガイドラインが「競業会社」に転職する場合という適用除外事由を商法等の「競業」の解釈と同様に考え,商法等の解釈以上に従業員に不利に解釈すべきではないと主張する。

しかしながら,本件ガイドラインにおいて「競業会社」に転職する場合を本件プログラムの適用除外とした趣旨は,人事政策上,人員削減の必要があり,自主退職を促すためとしても,「競業会社」に転職する場合にまで特別加算金を支払うことはしないというものであると考えられる(弁論の全趣旨)。この趣旨は,例えば,商法が,取締役に対し,会社への忠実義務としてその地位から得た知識・情報を自己又は第三者の利益のために利用することを防止するために課した競業避止義務の趣旨と異なるから,本件ガイドラインの「競業」を商法等の「競業」と同様に解釈する必要はない。商法等の競業避止義務は競業行為を禁止するものであり,その制約の程度は強いが,本件プログラムは人事政策上の必要性から設けられたものであって,その適用が除外されるとしても,競業会社への転職が禁止されたり,退職金が不支給とされたりするわけではなく,前記のとおり,従業員に従前よりも不利な労働条件を強いたり,その職業選択の自由を奪ったりするものではないことからすれば,本件ガイドラインの上記趣旨に鑑み,被告に対し,本件ガイドラインにあらかじめ定めた範囲内で「競業」の解釈及び適用についての裁量権を認めた上,その解釈及び適用が不合理であるか否かを検討し,本件プログラムの適用申請に際し,従業員が早期退職という重要な意思決定を行うことに鑑みて,被告が,適用申請者に適用を認めないことが信義に反すると認められる特別の事情がある場合には,信義則上,適用申請の承認を拒否することは許されないと解するのが相当である。

(2)ア  まず,被告は,「競業」とは,業務が競争関係にあることを意味し,同一のエンドユーザーに同種又は類似の商品を供給する業務は,製造業者・卸売業者・小売業者の別なく,「競業」と考えるのが実態に則し,正当であるとする。

かかる解釈自体は,本件ガイドラインの前記趣旨に照らし,不合理とはいえない。

イ  次に,被告の「競業」の解釈の適用についてみるに,前記のとおり,被告は,日本サンは被告の「競業会社」であるとするE本部長,F副本部長,B統括部長及びD担当部長の意見とともにこれと反対の原告の意見も踏まえ,本件プログラム適用の可否を人事勤労部内部で検討し,C部長が,<1>日本サンは,被告の製品と競合する米国サンの製品を扱っていることから,被告の「競業会社」である,<2>被告が米国サンの製品を販売しているとしても,日本の市場において,日本サンと被告は「競業」する,<3>原告が日本サンで担当する業務は「競業」の有無を判断する上で無関係であるという考えから,同月25日,原告を本件プログラムの適用対象外とする原案を作成し,人事担当役員であった取締役G,人事勤労部主席部長Hと協議した上,同月26日,原告に本件プログラムを適用しない旨最終決定したことが認められる(前記1(7)(9),<証拠略>,弁論の全趣旨)。

(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば,日本サンは,米国サンから米国サン製造のUNIXサーバーを輸入して被告などの販売代理店に販売する業者であり,被告は,米国サンからライセンスを取得するなどして被告の技術力により改良したUNIXサーバー「プライムパワー」シリーズを製造・販売しつつ,日本サンから米国サン製造のUNIXサーバー「S」シリーズを仕入れて販売代理店としてエンドユーザーに販売する業者であることが認められるところ,両社は,直接の販売先に相違はあるが,市場において,エンドユーザーに対し,UNIXサーバーという同種の商品を供給しており,あるエンドユーザーが日本サンが卸す米国サン製造のUNIXサーバーを購入すれば,もはやそのユーザーは同一目的で被告のUNIXサーバーを重複して購入することはないという関係にある。また,(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば,平成14年(2002年)の日本国内におけるUNIXサーバーの出荷台数は4万7787台であり,そのシェアは日本サンが55.4パーセントで第1位,被告が14パーセントで第3位であって,両社がシェア争いをしていたこと,日本サンとしては,被告製造のUNIXサーバーがエンドユーザーに販売されても利益につながらず,米国サン製造のUNIXサーバーが販売代理店を介してエンドユーザーに販売されることが利益につながるのに対し,被告は,米国サン製造のUNIXサーバーよりも被告製造のUNIXサーバーをエンドユーザーに販売して,その売上げを伸ばそうとしていたことが認められる。

これらの事実に鑑みれば,日本サンが文教関係を除いてエンドユーザーに直販していないこと(<証拠・人証略>),日本サンの営業担当者がエンドユーザーに対する商談を開拓して,被告からの米国サン製造のUNIXサーバーを(ママ)販売を斡旋することがあること(<人証略>),被告は米国サン製造のUNIXサーバーを販売することによっても利益を得られること,被告と米国サンが「販売協力関係」にある旨表明していること(<証拠略>),本件プログラムの適用申請は被告全社で300件弱あったところ,適用除外となったのは原告の他に1件しかなかったこと(<人証略>),原告は,日本サンにおいて,被告を顧客として担当する業務に就いていないこと(<人証略>)を考慮しても,日本サンが,被告と同一のエンドユーザーに同種の商品を供給する「競業」関係にあり,「競業会社」に該当するとの被告の判断が不合理であると認めることはできず,他に被告の判断が不合理であると評価し得る事実を認めるに足りる証拠はない。

(3)  したがって,被告の判断が公序良俗に反し,原告に本件プログラムの適用を認めないことが信義に反する特段の事情があるとは認められないから,被告が本件プログラムの適用を承認しなかったことは不当であると解することはできず,原告の主張は採用できない。

4  争点(3)(原告の被告に対する慰謝料請求の可否)について

(1)  原告は,被告が,退職手続に協力せず,不当に原告を不安定な状況に置いた上、退職の承諾前に本件プログラムを適用しない旨通知してその合理的理由を開示することを拒否し,退職後,本件プログラムの適用除外を正式に通知して,退職願を撤回することを再考する機会も奪うという信義に反する不当な行為に及んだと主張するので,以下,検討する。

(2)ア  まず,前提事実(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば,本件プログラムは,原則として1か月以上前までに申請することとされているところ,原告は本件プログラム申請書を退職予定日である平成14年4月30日の約3週間前である同月8日に提出していること,被告では退職の稟議が通ってから退職手続書類を交付しているところ,本件プログラムの適用の可否は,適用申請者の所属部門の責任者,関係者等の意見を踏まえた上,退職の承認の稟議までに検討する必要があり,退職の承認の最終決裁には本件プログラムの適用申請がなされない場合でも2週間から1か月くらいかかるのであって,その場合に比べても,退職の承認に時間を要したのはやむを得なかったことが認められる。そうであるとすれば,被告が,原告の最終出社日の前日に退職手続書類を交付したとしても,原告の退職手続に協力しなかったということはできず,その他被告が原告の退職手続に協力しなかった事実を認めるに足りる証拠はない。

イ  次に,原告は,日本サンへの転職を決めて,同年4月8日,同月30日付けでの退職願を提出する際には,B統括部長に本件プログラムの申請を勧められるまでその具体的内容を知らなかったのであって,もともと本件プログラムの適用を前提とせずに早期退職して転職するという意思を決定していた(<証拠略>)。しかも,原告は,同月8日,本件プログラム申請書を提出したが,同月10日ころ,A部長から本件プログラムは適用できないと言われ(<証拠略>),その後も,同月11日,12日,24日及び25日,D担当部長に対し,日本サンは被告の「競業会社」でないことを説明したものの,D担当部長から日本サンは被告の「競業会社」であり本件プログラムの適用が認められない可能性が高い旨伝えられ,さらに,同月26日,E本部長及びD担当部長からそれぞれ本件プログラムの適用対象外である旨伝えられていた(<証拠略>)。これらの事実からすれば,原告は,本件プログラムの適用がないのであれば,退職願を撤回する意思を有していたとは認められず,退職する前から本件プログラムの適用があると客観的に期待し得る状況にもなかったことは明らかである。

また,原告と被告とでは,「競業会社」の意義について見解を異にしていたところ,上記のとおり,D担当部長と原告が,退職願提出後最終出社日までの3週間足らずの間に4回にわたり日本サンが「競業会社」に該当するか否かについて面談したことからすれば,原告が被告の「競業」の見解の説明に納得できず,また,E本部長との面談が最終出社日の退職の挨拶の際まで適わなかったからといって,直ちに被告が信義に反したと認めることはできない。

さらに,原告は,被告退職後である同年5月8日,被告から,同年4月26日付け「ネクストキャリアプログラムの適用について(通知)」と題する書面により,本件プログラムの適用対象外とする旨通知を受けたが,上記のとおり,すでに同書面の日付と同じ日に口頭で同様の内容が伝えられていた以上,同書面による通知が退職後であったことをもって,不当であると評価することはできない。

その他,被告が,原告に対し,退職手続及び本件プログラムの適用の可否の決定に際して,信義に反する不当な行為に及んだと認めることはできない。

(3)  したがって,原告が,被告に対し,慰謝料を請求し得る理由はない。

第4結論

以上によれば,原告の被告に対する本件請求は,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 増田吉則)

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