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東京地方裁判所 平成15年(ワ)21531号 判決 2006年1月27日

原告

ニッシン債権回収株式会社

上記代表者代表取締役

天野量公

上記訴訟代理人弁護士

高原誠

上記訴訟復代理人弁護士

江田学

被告

株式会社Y

上記代表者代表取締役

甲野太郎

被告

甲野太郎

上記両名訴訟代理人弁護士

木村峻郎

北出容一

寺田了

主文

1  被告らは,原告に対し,連帯して金5693万2525円及びこれに対する平成13年9月11日から支払済みまで年14パーセントの割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  この判決は,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

主文同旨

第2  事案の概要

本件は,債権の管理回収等を業とする原告が,金融機関から譲り受けた貸金債権について,同貸金の主債務者である被告株式会社Y(以下「被告会社」という。)に対し,消費貸借契約に基づく貸金返還請求として,同債権に係る残元本及びこれに対する約定の割合による遅延損害金の支払を求め,また,被告会社の代表者に対し,被告会社の上記貸金債務について併存的債務引受等をしてその支払を約したとして,被告会社と連帯して上記金員を支払うよう求めたのに対し,被告会社代表者において債務引受合意の成否等を争った事案である。

1  前提事実(当事者間に争いがないか,証拠等から容易に認められる事実。なお,証拠等により認定した場合には,認定に要した主たる証拠を各認定事実ごとに掲記する。)

(1)  当事者等

ア 原告は,債権管理回収業等を主たる目的とする株式会社である。

イ 被告会社は,不動産取引,外国人のための日本語学校の経営等を主たる目的とする株式会社であり,被告甲野太郎(以下「被告甲野」という。)は,平成14年7月30日から被告会社の代表者を務めている者である。

ウ 被告会社は,「A建設株式会社」との商号で平成2年3月8日に設立された後,その商号を,平成14年4月1日に「株式会社B」に,同年7月30日に現商号にそれぞれ変更した。

なお,同年7月30日当時,被告会社(当時の株式会社B)の代表者は,乙山春男(以下「乙山」という。)が務めていた。

(2)  株式会社第一勧業銀行(朝霞支店扱い,現株式会社みずほ銀行。以下「第一勧銀」という。)は,平成9年6月17日,被告会社(当時のA建設株式会社)に対し,1億7400万円を下記の約定で貸し付けた(甲第1号証,弁論の全趣旨。以下,同契約に係る債権,債務を「本件貸金債権」,「本件貸金債務」のようにいう。)。

最終弁済期限 平成23年12月10日

弁済方法 平成9年7月10日を第1回弁済期とし,その後平成23年11月まで毎月10日限り100万円ずつ分割して支払い,最終弁済期に100万円を支払う。

利息 年3.50パーセント

遅延損害金 年14パーセント

特約 被告会社が分割金の支払を一回でも怠ったときは,期限の利益を喪失し,残金を直ちに支払う。

(3)ア  被告会社は,平成14年7月30日当時,別紙物件目録1記載の土地及び同土地上の同目録2記載の建物(以下「本件建物」といい,土地部分と併せて,以下「本件不動産」という。)を所有していた。被告甲野は,同日,被告会社(株式会社B)代表者であった乙山との間で,本件不動産を譲り受けるとの合意をした。

イ 乙山は,同日当時,被告会社の発行済み株式200株全部を保有していた。被告甲野は,同日,乙山から被告会社の株式を譲り受け,被告会社の代表取締役に就任した(ただし,被告甲野が200株全部を譲り受けたか否かについては争いがある。)。

(4)  被告甲野は,平成14年7月30日,被告会社(株式会社B)代表者であった乙山との間で,「営業譲渡(M&A)に関する覚書」と題する書面(以下「本件覚書」という。)を作成し,これに署名,押印した。なお,本件覚書の内容は,下記のとおりである(甲第3,第11,第12号証)。

1項 被告会社は,被告甲野に営業権・株式を譲渡することとし,被告甲野はこれを承諾する。これにより,被告甲野は,被告会社の支配権を獲得し,営業権を取得した。

2項 被告甲野は,被告会社に営業権・株式代金として1億4500万円を支払い,被告会社はこれを受領した(ただし,本社ビル(注:本件建物)の抵当権抹消・仮登記抹消代を含み,被告会社の責任において行うこと)。

3項 被告会社は,被告甲野に直近の決算書(平成14年4月末)を提示して説明をした。

4項 被告甲野は,被告会社の資産・負債を現状のまま引き継ぐものとする。

5項 被告会社は,簿外債務の一切ないことを説明し,被告甲野はこれを確認した。ただし,万一簿外債務があった場合は,被告会社の責任のもとに処理することを約した。

6項 被告会社は,被告甲野に株式譲渡証書を交付した。

7項 被告会社は,臨時株式総会を開き,取締役選任・定款の変更等を行った(別紙議事録作成)。

8項 被告会社は取締役会を開き,代表取締役として被告甲野を選任した(別紙議事録作成)。

9項 本件に関する登記は,丙川司法書士に依頼をした。

10項 被告会社と被告甲野は,新会社のため,最善の努力をするものとする。

(5)  本件建物には,別紙登記目録記載の各登記が経由されている(乙第1号証)。

2  争点

(1)  被告両名について

第一勧銀と被告会社との間に本件貸金債権が存在していたか,また,第一勧銀から原告に対して本件貸金債権が譲渡されたか。

(2)  被告甲野について

ア(ア) 乙山と被告甲野との間において,平成14年7月30日,被告会社(株式会社B)の営業譲渡及びこれに関連して被告甲野が被告会社の本件貸金債務について併存的債務引受をするとの合意がされたか。

(イ) 上記(ア)が肯定された場合,本件貸金債権の債権者(第一勧銀あるいは原告)において,被告甲野に対し,受益の意思表示がされたか。

イ(ア) アの債務引受合意が否定された場合,乙山と被告甲野との間において,平成14年7月30日,被告会社(株式会社B)の営業譲渡及び被告甲野が被告会社に対して本件貸金債務に係る金員の履行の引受をするとの合意がされたか。

(イ) 上記(ア)が肯定された場合,原告は,被告会社の被告甲野に対する上記債権について代位行使することができるか。

ウ 上記ア,イの各(ア)が肯定された場合,同各合意は,乙山の詐欺により取り消し得べきものといえるか。

エ 上記ア,イの各(ア)が肯定された場合,同各合意は,被告甲野の錯誤により無効となるか。

オ 上記ア,イの各(ア)が肯定された場合,同各合意の効果が,被告甲野と被告会社との間の事後的合意により消滅したといえるか。

3  当事者の主張

(1)  原告(請求原因)

ア 本件貸金債権の発生及び原告への譲渡

(ア) 前提事実(2)に同じ。

(イ) 被告会社は,本件貸金債務につき,平成13年9月10日に支払うべき分割金の支払を怠った。

(ウ) 第一勧銀は,平成15年2月12日,原告に対し,本件貸金債権(残元金5693万2525円)及びこれに係る利息債権並びに遅延損害金請求権を譲り渡し,その旨を,被告会社に対しては同年6月1日,被告甲野に対しては同年8月6日各到達の内容証明郵便をもって通知した。

イ 被告甲野による本件貸金債務の併存的債務引受

(ア) 被告甲野は,平成14年7月30日,被告会社代表者であった乙山(当時)との間で,代金1億4500万円で被告会社の営業を被告甲野に譲渡し(以下「本件営業譲渡合意」という。),併せて被告会社の第一勧銀に対する本件貸金債務について被告甲野が併存的に債務引受をするとの合意(以下「本件債務引受合意」という。)をした。

なお,その際,被告甲野と乙山との間で本件覚書が作成され,同覚書には上記の旨が記載されている。

(イ)① 第一勧銀は,平成15年8月6日,被告甲野に対し,上記ア(ウ)の債権譲渡通知を行い,これにより被告甲野と被告会社との間の本件債務引受合意につき,その利益を享受するとの意思表示をした。

② 仮に,第一勧銀による上記①の受益の意思表示が認められないとしても,第一勧銀から本件貸金債権の譲渡を受けた原告は,被告甲野に対し,平成15年11月21日の本件第2回口頭弁論期日において,本件債務引受合意による利益を享受するとの意思表示をした。

ウ 被告会社に対する被告甲野の履行の引受と原告による債権者代位

(ア) 被告甲野と被告会社が本件債務引受合意をしていないとしても,被告甲野は,平成14年7月30日,被告会社に対し,被告会社が第一勧銀に対して負担する本件貸金債務について支払うとの履行の引受を内容とする合意をし,その旨を記載した本件覚書を作成した。それゆえ,被告会社は,被告甲野に対し,上記金員の支払請求権を有している。

(イ) 被告会社は,原告に対して本件貸金債務の支払をなすに足りる財産を有しておらず,現在,無資力の状態にある。

エ よって,原告は,被告会社に対しては,金銭消費貸借契約に基づく貸金返還請求として,被告甲野に対しては,①本件債務引受合意に基づく引受債務履行請求権に基づき,又は②被告会社と被告甲野との間における履行の引受合意に基づく金員支払請求権の代位行使により,連帯して金5693万2525円及びこれに対する弁済期の翌日である平成13年9月11日から支払済みまで約定の年14パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。

(2)  被告らの認否等

上記ア(イ)の事実は不知,同(ウ)の事実のうち被告らが第一勧銀から原告主張の債権譲渡通知を受けたことは認める。

(3)  被告甲野の認否等

ア(ア) 上記イ(ア)の事実のうち,被告甲野が本件覚書に署名,押印したことは認めるが,その余の事実は全て否認する。同(イ)①の事実は認めるが,第一勧銀の債権譲渡通知が受益の意思表示となるとの主張は争う。同②の主張は争う。

(イ) 被告甲野と乙山との間の合意について

被告甲野は,平成14年7月30日,乙山との間で本件不動産の売買契約及び被告会社の株式の譲渡契約を締結しただけであり,本件営業譲渡合意及び本件債務引受合意はしていない。すなわち,被告甲野は,同日,乙山との間で,被告会社が所有していた本件不動産を代金1億4500万円で買い受け,同売買代金をもって,乙山において本件貸金債務を含む被告会社の全債務を弁済し,本件建物に設定されていた上記債務に係る担保権の登記(別紙登記目録2(1)記載の第一勧銀を根抵当権者とする根抵当権設定登記(以下「本件根抵当権登記」という。),同目録2(2)記載の国民生活金融公庫を根抵当権者とする根抵当権設定登記,同目録1(2)記載の株式会社Cの所有権移転請求権仮登記(仮登記担保))をいずれも抹消するとの合意をし,乙山に対し,上記売買代金を支払った。

なお,上記売買代金額は本件貸金債務を含め本件建物に設定されていた他の担保権の被担保債権額のほぼ全額を弁済し得る金額であった。

この点,被告甲野は,被告会社の株式を買い受けたこと,被告会社の債務について債務引受をしたことまで否認するものではないが,上記のとおり,契約時において,本件貸金債務については乙山が全額弁済してくれると認識していたのであるから,少なくとも本件貸金債務に関しては,被告会社と併存的に債務を負担する意思などなかった。

(ウ) 本件覚書の作成経過等

本件覚書1項,2項には被告甲野が被告会社の営業権を譲り受けた旨が,同4項には被告甲野が被告会社の債務全般を現状のまま引き継ぐ旨がそれぞれ記載されているが,上記(イ)のとおり,これらの記載はいずれも事実に反するものである。

被告甲野は,乙山との間で本件不動産の売買契約を締結した際,同人から被告会社を購入する形式で本件不動産を取得した方がよいなどと言われて本件覚書に署名するよう求められたが,乙山が暴力団関係者であったことなどからその申し出を断り切れず,本件覚書の内容も精査しないまま漫然と署名,押印してしまった。そもそも,本件覚書は,自然人である被告甲野が株式会社の営業譲渡を受けるとされている点,株式譲渡の合意(本件覚書2項)に関しては,乙山個人と被告甲野との契約であるのに被告会社と被告甲野との間の合意として表記されている点において不自然であるほか,文書の体裁,文言を全体としてみても,その内容は明確でない。このような事情からすれば,本件覚書は,被告甲野と被告会社との間の本件営業譲渡合意や本件債務引受合意の意思表示の存在を証する処分証書などではないのであって,本件覚書の存在を前提としても,被告甲野と被告会社との間の上記合意の存在が証明されたことにはならない。むしろ,本件覚書は,不動産売買との文言こそ記載されていないものの,本件建物の担保権の抹消手続が合意されており,その後,実際に上記の各担保権の登記が抹消されていること,本件営業譲渡合意及び本件債務引受合意がされていたとすれば,被告甲野は本件不動産以外にはほとんど資産的価値のない(むしろ,消極財産の方が上回っている)被告会社を1億5000万円近い高額で買い取ったことになるが,そのような合意をすることは通常あり得ないこと,被告甲野が被告会社の経営権の獲得を意図していたとすれば,株式を取得すれば足りるのであって,敢えて被告会社の営業譲渡まで受ける必要はないといえること,本件不動産の客観的価値は,ほぼ上記売買代金額に見合うものであったこと等の事情からすれば,本件覚書は,被告会社と被告甲野との間における本件不動産の売買契約を表象するものといえる。

イ 上記ウ(ア)の事実は否認し,同(イ)の事実は認める。

上記アのとおり,被告甲野は,乙山との間で本件不動産の売買契約を締結したにすぎず,被告会社の第一勧銀に対する本件貸金債務について,被告会社に対して履行の引受をする意思すらなかった。

(4)  被告甲野の抗弁

ア 詐欺取消

(ア) 被告甲野が,乙山との間で本件債務引受合意あるいは被告会社に対する本件貸金債務の履行の引受の合意をしたとしても,これらの合意は乙山の詐欺によってなされたものである。すなわち,乙山は,本件覚書が作成された際,被告甲野においては本件不動産の売買契約を締結する意図しかなく,被告会社の営業譲渡を受けるとか本件貸金債務について弁済の責任を負う意図などなかったにもかかわらず,被告甲野に対し,「これでうまくいくから。大丈夫だから。」などと虚偽の説明をして欺罔し,同被告をして本件覚書に署名,押印させ,本件債務引受合意あるいは履行の引受の意思表示をさせた。

(イ) 被告甲野は,平成17年3月13日,被告会社に対し,上記各合意を取り消すとの意思表示をした。

イ 錯誤無効

被告甲野は,被告会社の営業譲渡を受けたり,本件貸金債務を負担するとの意思はないまま本件覚書に署名,押印したものであって,これは錯誤に基づくものといえる。よって,本件覚書に係る本件営業譲渡合意及び本件債務引受合意は,いずれも民法95条本文により無効である。

ウ 合意解除

被告甲野は,平成17年3月13日,被告会社との間で,本件覚書は,本件貸金債務の返済の責を被告甲野が負うことを意味しないものであることを確認するとともに,仮に被告甲野が本件覚書によって本件債務引受合意をしていたとしても同合意部分に係る被告甲野の債務については合意成立日に遡って消滅させる旨の合意をした。

(5)  被告甲野の抗弁に対する原告の認否等

ア 上記ア,イに対し

上記ア(ア)及びイの事実はいずれも否認ないし争う。

被告甲野は,乙山との間で本件覚書を作成するに際し,被告会社を利用して不動産業を営むとともに外国人のための日本語学校を開設,経営することを企図しており,被告会社を買収しようとの積極的意図を有していた。現に,本件覚書には,被告甲野が被告会社の営業の譲渡を受け,被告会社の資産と負債を被告甲野が引き継ぐとの合意が明記されているところ,被告甲野は,これに対しても異議を述べることもなく,かえって,乙山から被告会社の経営や資産状況について説明を受けるなどして,被告会社の企業的価値や債務の内容について調査しているのであって,これらの行動は,被告甲野の上記意図を裏付けるものである。

それゆえ,被告甲野は,乙山との間で本件不動産の売買契約のみを締結したものではなく,これに付加して本件営業譲渡合意,本件債務引受合意をなしたものであるから,被告甲野の同合意は,乙山の詐欺によるものでも,また,錯誤に基づくものでもない。

また,被告甲野は,本件覚書4項について,負債の承継をいう部分のみを取り出して,その意思表示の瑕疵ないし欠缺を主張するが,本件覚書4項は,被告会社の資産と負債を一体のものとして被告甲野が承継するとの合意であるから,負債の承継部分のみを抜き出して意思表示の瑕疵ないし欠缺をいうのは不合理である。

イ 上記ウについて

被告会社は,現在,被告甲野が発行済株式の3分の2を保有して支配する会社であるから,被告甲野と被告会社の間で本件営業譲渡合意,本件債務引受合意の無効確認ないし合意解除をしても,原告との関係では意味はない。

また,被告甲野が主張する被告会社との合意は,本件債務引受合意に基づく併存的債務引受について第一勧銀あるいは原告により受益の意思表示がされた後にされたものであるから,民法538条に基づき効力を有しない。

(6)  原告の再抗弁(上記(3)イに対し・被告甲野の重過失)

被告甲野は,社会保険庁を退職後に4つの会社を設立,経営していた者であって,企業経営には一定の知識と経験を有していたこと,本件覚書には,「営業譲渡(M&A)に関する覚書」との表題が付されているほか,被告会社の企業価値を判断する資料として被告会社の売上票及び決算報告書が添付されており,被告甲野もこれを検討していること,本件覚書4項には,「被告会社の資産・負債を現状のまま引き継ぐ」旨が明記されていること等の事情からすれば,被告甲野が本件営業譲渡合意,本件債務引受合意をした際に錯誤に陥っていたとしても,そのことについて重大な過失があったといえる。よって,被告甲野は,上記合意の錯誤無効を主張することができない。

(7)  原告の再抗弁に対する被告甲野の認否等

否認ないし争う。

第3  当裁判所の判断

1  被告会社に対する請求(争点(1))について

(1)  甲第1号証によれば請求原因ア(ア)の事実(前提事実(2)に同じ。)が,甲第4号証の1,2,第5号証の1,2及び弁論の全趣旨によれば請求原因ア(ウ)の事実がそれぞれ認められ,他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  請求原因ア(イ)の事実(本件貸金債務の弁済期である平成13年9月10日が経過したこと)は,当裁判所に顕著である(なお,弁論の全趣旨によれば,同日に被告会社から第一勧銀への本件貸金債務に係る分割金の返済がされなかったことが認められる。)。

(3)  以上の事実によれば,原告の被告会社に対する請求は理由がある。

よって,被告会社は,原告に対し,消費貸借契約に基づく貸金返還義務として5693万2525円及びこれに対する弁済期の翌日である平成13年9月11日から支払済みまで約定の年14パーセントの割合による遅延損害金を支払う義務がある。

2  被告甲野に対する請求について

(1)  争点(1),(2)ア(ア)について

ア 本件覚書の作成の真正について

前提事実(4)のとおり,本件覚書には,被告甲野と被告会社との間における営業譲渡契約(表題部分及び本件覚書1項,2項)及び被告会社の本件貸金債務を被告甲野も負担するとの合意(本件覚書4項)並びに被告甲野と乙山との間における乙山保有の被告会社の株式の譲渡に係る意思表示(本件覚書2項)が記載されていることが認められる。しかして,同覚書末尾の被告甲野の署名が同被告の自署であること及び同名下の印影が被告甲野の印鑑によるものであることは,いずれも当事者間に争いがないから,本件覚書(甲第3号証)については被告甲野の作成に係る文書として真正に成立したものと認められる。そうすると,甲第3号証は,被告甲野と被告会社との間において,本件営業譲渡合意及び本件債務引受合意(なお,同合意が債務引受か履行の引受かについては後に検討する。)がされたことを直接的に証するものといえる。

これに対し,被告甲野は,本件覚書に署名,押印した経過及びその内容等について,上記第2の3(3)ア(イ)のとおり述べて,本件覚書は,被告甲野と乙山との間の本件不動産の売買契約及び株式譲渡契約の存在を証するものであるに留まり,本件営業譲渡合意及び本件債務引受合意を表象するものではないと主張し,被告本人尋問においても概ね同趣旨の供述をしている。

しかし,自己の権利義務に関する事項を記載した書面に署名押印した者は,特段の事情のない限り,その書面の記載内容を了解してこれに署名押印したものとみるのが相当であるから(最高裁判所昭和38年7月30日第三小法廷判決・裁判集民事67号141頁),被告甲野が本件覚書に署名,押印したことについて当事者間に争いがない以上,上記「特段の事情」がない限り,被告甲野においては本件覚書記載のとおりの合意を成立させるとの意思を有していたものということができる。よって,以下,被告甲野について,上記「特段の事情」があったか否かにつき検討する。

イ 前記前提事実に証拠(甲第2,第3,第7,第8号証,第9号証の1ないし6,第10ないし第14号証,第15号証の1ないし4,乙第1ないし第5号証,第6号証の1,2,第7号証の1ないし3,第8号証の1ないし3,第9号証の1ないし4,第10ないし第12号証,第13号証の1ないし3,第14ないし第16号証,第17号証の1ないし3,第18,第19号証,第20号証の1ないし4,第21号証の1ないし3,第22ないし第28号証,第30,第31,第33,第35,第36,第42ないし第44号証,被告代表者兼被告甲野本人)及び弁論の全趣旨を併せみれば,以下の事実が認められ,乙第33,第35,第36,第42,第43号証及び被告代表者兼被告本人尋問の結果のうち同認定に反する部分は採用することができず,他に同認定を覆すに足りる証拠はない(なお,認定に要した主たる証拠を各認定事実ごとに掲記する。)。

(ア) 被告甲野は,高等学校卒業後,社会保険庁等に勤務した後,印刷会社,人材派遣会社など4つの会社の株主となるとともに経営にも携わるなどしており,その中で各種契約の締結にも携わっていた(甲第13号証,被告甲野)。

被告甲野は,仕事の関係で,かねてから乙山と面識を有しており,平成14年には被告会社(当時のA建設株式会社)に自宅の建築工事を依頼したこともあった(乙第3ないし第5号証,第35号証)。また,被告甲野は,乙山と付き合う中で,暴力団の組長をしているという「○○」なる人物に引き合わされ,乙山ともども食事やマージャン,ゴルフ等に同道したことがあった(甲第13号証,乙第35号証)。

(イ) 本件建物は,東武東上線志木駅から徒歩約3分の位置にあり,平成9年8月25日に建築された地上4階建ての事業用ビルである。平成13年10月当時,本件建物1階には居酒屋,2階にはパブスナック,3階には建築事務所がそれぞれテナントとして入居しており,4階は被告会社の事務所として使用されていた(乙第2号証)。

被告会社は,平成13年10月ころ,本件不動産を代金1億6800万円で売却するとの不動産広告を出し(乙第2号証),被告甲野は,遅くとも平成14年初頭ころまでには,本件建物でのテナント経営を目的として,乙山との間で本件不動産の売買交渉を始めた(甲第13号証)。

(ウ)① 被告甲野は,平成14年6月終わりか7月初めころ,乙山との間で,被告会社の事業として,本件建物を利用して外国人のための日本語学校を経営することを計画し,その手続等について関係各署に話を聞きに行くなどの調査を行っていた(甲第13号証,乙第30号証)。

② 日本語の学習を主な目的として来日し,滞在する外国人を対象に日本語教育を行う教育機関(以下「日本語学校」という。)を開設するためには,財団法人日本語教育振興協会が行う日本語教育機関の審査,認定を経る必要があった。上記の審査は,学識経験者等から構成される審査委員会により,同委員会が定める日本語教育機関審査内規等を審査基準として実施されることとされていた。上記内規等には,日本語学校の開設者は法人でなければならないこと,教員資格について日本語教育に関して専門的な知識,経験等を有する者に限定すること,学校の位置及び環境は,教育上及び保健衛生上適切なものとし,同一建物内に風俗営業施設又は風俗関連営業施設と同居することは原則として認めないこと,平成7年10月以後に開設しようとする学校の校地及び校舎については,原則として自己所有とするものとすること,日本語学校が校地及び校舎を担保として貸付け又は融資を受けようとする場合には,学校運営上支障のないことが確実であると認められるとともに,確実な金融機関が行う貸付け又は融資に限るものとすること等の審査基準が定められていた(甲第15号証の1ないし4,乙第31,第36号証)。

(エ)① 被告甲野は,平成14年7月30日,乙山との間で本件不動産の譲渡等について協議し,値引き交渉等を行った末,代金を1億4500万円とする旨の合意をして,同金員を支払ったが,その際,乙山から本件覚書を交付され,その内容について目を通した上で,これに署名,押印した(甲第3,第13,第14号証,乙第6号証の1,2,第7号証の1ないし3,第8号証の1ないし3,第9号証の1ないし4,第10ないし第12号証,第13号証の1ないし3,第14ないし第16号証,第17号証の1ないし3,第18,第19号証,第20号証の1ないし4,第21号証の1ないし3,第22ないし第28号証)。

② 被告甲野は,本件覚書を作成するに際し,乙山から被告会社の決算書類等を見せられ,被告会社の資産,経営状況について説明を受けた(甲第11ないし第13号証)。なお,平成14年4月30日時点において,被告会社は,約1700万円の当期損失,約1540万円の営業損失を計上しており,負債総額は約1億8000万円となっていた。また,被告会社は,本件不動産以外には取引価格で30万円程度の価値しかなかった白水ゴルフ倶楽部のゴルフ会員権程度しか有形資産を有しておらず,一方,負債としては,本件貸金債務として1億2300万円,埼玉懸信用金庫に合計3142万8000円,三井住友銀行に200万円,国民生活金融公庫に662万5000円の有利子借入金を負担しており,それ以外にも株式会社Cにも借入金を負っていた。これらの事項は被告甲野が見せられた決算書類にも明記されていた(甲第11ないし第13号証,乙第30,第44号証)。

③ 乙山は,被告会社の株式全部(200株)を保有していたところ,同日,被告甲野との間で,これら株式を譲り渡すとの合意をした。

その後,乙山も被告甲野と協力して被告会社の不動産事業部門を中心に経営に参加することが考慮され,50株の株式は乙山の手元に残され,その余の150株が被告甲野に譲渡されることになった(甲第13号証)。

④ 被告甲野は,同日,被告会社の代表取締役に就任し,乙山が専務取締役に,甲野花子及び甲野一郎(いずれも被告甲野の子である。)が取締役に就任した。被告甲野は,乙山と相談のうえ,被告会社の商号を同日付けで「株式会社B」から「株式会社Y」に変更した(甲第2,第13,第14号証)。

(オ)① 被告会社は,第一勧銀に対する本件貸金債務の担保として根抵当権を設定し,本件建物について本件根抵当権登記を経由していた。

また,被告会社は,国民生活金融公庫及び株式会社Cに対しても本件建物を担保に供しての借入金を有しており,国民生活金融公庫については根抵当権を設定して別紙登記目録2(2)記載の根抵当権設定登記を経由し,また,株式会社Cに対しては仮登記担保権を設定して別紙登記目録1(2)記載の所有権移転請求権仮登記を経由していた(乙第1号証,弁論の全趣旨)。

他方,乙山は,本件覚書の作成に先立ち,戊谷秋子なる不動産鑑定士に本件建物の価格評価を依頼して,その評価額を8200万円とする鑑定結果を得た。乙山は,これを踏まえて,第一勧銀に対し,上記鑑定による本件不動産の価格の範囲で弁済するので本件根抵当権登記を抹消して欲しい旨求め,平成14年7月30日以前の時点で,第一勧銀から一部弁済を前提に本件根抵当権登記の抹消に応じるとの回答を得た(乙第31号証)。また,乙山は,株式会社C及び国民生活金融公庫についても同様の交渉を行い,債務の弁済を前提とした各担保権の登記の抹消に応じてもらうとの約束を取り付けた。

② 乙山は,本件覚書作成直後の平成14年8月1日,第一勧銀に対し,本件貸金債務の一部を支払って本件根抵当権登記を解除してもらい,翌2日付けで同月1日解除を原因とする本件根抵当権登記の抹消登記手続がされた(乙第1,第31号証,弁論の全趣旨)。さらに,乙山は,株式会社Cに対しても,同月1日に債務を弁済して仮登記担保権を解除してもらい,翌2日付けで同社の別紙登記目録1(2)記載の所有権移転請求権仮登記の抹消登記手続が経由され,さらに,国民生活金融公庫に対しても同月2日に債務を弁済して根抵当権を解除してもらい,同月5日付けで別紙登記目録2(2)記載の根抵当権設定登記の抹消登記手続が経由された(乙第1,第31号証,弁論の全趣旨)。

(カ) 被告会社は,日本語学校開設の準備として,平成14年8月3日,「株式会社B内志木日本語学院設立準備室」との名称で校長候補者を含めた8名の職員募集を謳った新聞広告を掲載した。また,被告甲野は,同月2日から10日ころまでの間,本件建物4階で日本語学校の開設準備として職員の採用面接を行った(甲第7,第13号証)。また,被告会社は,被告会社が日本語学校経営等を主たる業務内容としている旨が印刷された名刺を作成し,従業員らに交付した(甲第9号証の1ないし6,第13号証)。

また,丁木夏男は,平成14年8月上旬ころ,日本語学校の校長に就任するという前提で被告会社に採用され,同月10日,本件建物の4階に学校で使用するための机,椅子,パソコン及び段ボール入り資料等の備品類を搬入する作業を行った(甲第10,第13号証,乙第36号証)。

なお,被告会社は,同月ころ,被告甲野及び乙山の連名で,「被告会社においては乙山とその旧来の友人である被告甲野により日本語学校の経営及び労働者派遣業等にも事業拡大することを目指し,M&Aを利用して新たに「株式会社Y」として生まれ変わることになった。」旨の挨拶状を作成し,これを関係者に送付した(甲第8号証)。

(キ) 平成14年7月30日以後,被告会社の経営及び本件建物の管理は被告甲野が実質的に行っており,乙山がこれに関与することはなかった。

なお,乙山は,平成15年5月14日に開催された被告会社の株主総会において取締役を解任された(甲第6号証の3,第13号証,乙第35号証)。

ウ 前記前提事実及び上記認定事実(以下「前提事実等」という。)によれば,①被告甲野は,平成14年7月30日,乙山から本件不動産を買い受け,また,被告会社の株式を取得した直後に被告会社代表者に就任し,間をおかず被告会社の商号変更,職員募集,採用あるいは備品類の搬入等といった日本語学校開設のための準備行為に具体的に着手するとともに,被告会社の主たる業務が日本語学校の開設,経営にあることを従業員用の名刺や関係者への挨拶状に記載して交付したこと,②日本語学校の開設,経営を行うには関係機関の審査を受ける必要があり,その審査基準として,学校の開設主体は法人でなければならないこと,校舎として使用する建物は設立主体となる当該法人が所有していなければならないことといった基準が設定されていたところ,被告甲野は,かねてから被告会社による日本語学校開設,経営の計画を立て,その設立手続等についての調査を行っていたこと,③被告甲野は,複数の企業の経営に携わるなど会社経営にも一定程度精通していたことなどが認められ,これらの事情を総合斟酌すれば,被告甲野は,平成14年7月30日以前から,被告会社を利用した日本語学校の経営を相当程度の具体性をもって計画し,同時に被告会社の経営にも積極的に参加する意図を有しており,その一環として本件不動産を取得したことが優に認められるから,同被告においては,被告会社の経営に参画する方法として被告会社の株主として経営に関与するとの方法のみならず,直接的に被告会社の営業の譲渡を受けることについても合理的な動機及び利益があったということができるのであって,自然人である被告甲野が被告会社の営業譲渡を受けたとしても,あながち不自然ということもできない。

また,被告甲野は,株式の取得は本件不動産の売買契約に付随した付録であり,その財産的価値に着目して譲り受けたものではないと供述しているが,前提事実等によれば,被告甲野は,本件覚書作成時に,乙山から被告会社の直近の経営状態を示す決算書類等を提示されたり,説明を受けていることが認められるところ,このことは,乙山との合意が,被告甲野が主張するように本件不動産の売買契約に尽きるものではなく,被告会社の経済的価値の評価が必要とされる合意(具体的には営業譲渡あるいは株式譲渡)がされたことを一定程度推認させるものである。

さらに,被告甲野は,これまでも企業経営者として幾度となく契約締結の経験があったというのであるから,本件覚書4項のように自身が債務負担を強いられることになる旨が記載された書面に署名,押印することが将来的に法的紛争の原因になりかねないことについても十分了知していたと認められるところ,本件全証拠を検討しても,本件覚書を作成するについて,被告甲野が,乙山から署名,押印を急がされたとか,何らかの害悪の告知を受けるなどして事実上署名,押印を強制されたなどといった事情を認めるに足りる証拠はなく,また,乙山に対して本件覚書の文言について協議したとか,署名,押印をすることを躊躇したなどといった事情も見当たらない。むしろ,被告甲野は,本件覚書4項の「負債」について水道代や電気代程度であったと思っていたなどと供述していることからすれば,同被告においても一定の範囲で被告会社の債務を承継することを了解していたことが窺われる。

加えて,本件覚書は,被告会社の株式が被告甲野に譲渡されたとの点(2項),被告甲野から乙山に支払われる金員の総額が1億4500万円であるとの点(2項),臨時株主総会が開かれ,被告甲野が代表取締役に選任されたとの点(7,8項),被告甲野に対して被告甲野の決算書類等が提示され乙山から説明がされたとの点(3項),(本件貸金債務については措くとしても)被告会社の資産・債務を被告甲野が引き継いだとの点(4項),乙山において被告会社の債務の一部弁済がされたことにより,本件建物に付されていた本件抵当権登記及び国民生活金融公庫の根抵当権設定登記,株式会社Cの仮登記担保が抹消されることになった点(2項ただし書)において,前提事実等に認定した客観的事実に即した内容となっているところである。

上記の検討を総合すれば,被告甲野において被告会社を利用して日本語学校を開設,経営するとの意図のもと,本件不動産の取得を含め,被告会社自体の営業譲渡を受け,これに関連して本件貸金債務を含めた被告会社の負債を引き継ぐとの合意をしたとしても格別不自然とはいえず,むしろ,上記の目的達成を前提とした行動として十分了解可能といえる。

エ 被告甲野の主張,供述について

(ア) 被告甲野は,被告本人尋問等において,本件不動産を買い取った目的は,本件建物を賃貸して賃料収入を得るとの点にあったなどと供述する。

しかし,前提事実等によれば,被告会社が本件不動産の売却を広告したのは平成13年10月ころであり,被告甲野も平成14年初頭ころまでには乙山との間で本件不動産の買取交渉を始めたこと,そのころには,本件建物1階ないし3階については全てテナントが入居していたことが認められる。しかるに,本件全証拠によっても,平成14年初頭以後の上記売買交渉の進展状況は明らかでなく,また,被告甲野が本件不動産が投資額(購入額)に見合う収益性を有しているか否かについて具体的に検討していたことを窺わせる事情も見当たらない。他方,被告甲野が被告会社の代表者に就任した平成14年7月30日以後は,1階以外の入居者は退去させ,2階から4階を被告会社もしくは被告甲野自身が利用していた(甲第13号証)というのである。このような事情だけからしても,賃料収入を得るとの目的だけから1億4500万円もの高額の投資をして本件不動産を取得したというのは,いささか不自然,不合理といえる。

むしろ,前提事実等に認定したとおり,被告甲野は,平成14年8月2日から,被告会社の中心となって日本語学校の開設に向けた種々の準備作業を行っていること,日本語学校を開設するためには,法人が主体となることが必要であり,また,校地・校舎を担保の目的とする貸付・融資は,学校経営上支障のないことが確実であると認められる程度のものであることが必要とされていたこと等の事情からすれば,被告甲野が本件建物を買収した目的は被告会社を主体とした日本語学校の開設,運営にあったと認めるのが相当であるから,被告甲野の上記供述部分は信用することができない。

(イ) 被告甲野は,被告本人尋問等において,本件覚書の作成経緯につき,概要,本件建物の売買契約が済んだ後,乙山から突然に本件覚書を示されたことから,売買代金をもって被告会社の債務を支払い,担保権の登記を抹消するとの条項にして欲しい旨要望したが,乙山から,大丈夫だからなどと言われてしつこく署名するように促されたことに加え,乙山の背後に精鋭部隊を率いる暴力団の組長であると聞いていた○○の存在を意識して恐怖を感じ,乙山の申し出を断り切れず,また,企業のM&Aについては詳しくもないので,その内容も精査しないまま署名・押印してしまったなどと供述している。

しかし,被告甲野も,本件覚書作成時において,乙山から○○の存在を仄めかされて署名,押印を強いられたと供述しているものでもないし,また,被告甲野が,当時,心理的圧迫や威圧感を感じざるを得ない存在として○○の存在を意識せざるを得なかったことを窺わせるに足りる証拠も見当たらない(被告甲野は,被告会社に自宅の建築工事を依頼したが,乙山から自宅建築資金を使って本件不動産を買うことを勧められたため自宅の建築を中止したところ,乙山から,工事の注文を取り消した違約金であるなどとして既払金1500万円を没収された上,○○にも迷惑を掛けたので迷惑料として別途500万円を支払えなどと言われて,これに応じたなどと供述するが,上記供述に係る経過自体明らかに不自然,不合理といえる上,そのような信義に悖る行動を取った乙山との間で,さらに本件不動産の売買や日本語学校の共同経営を計画し,1億4500万円もの大金を支払ったというのも甚だ不自然というほかなく,他に上記供述を客観的に裏付ける証拠も存在しない。なお,被告甲野は,上記の事情は本件覚書作成後の出来事であるなどと供述するけれども(被告甲野本人),同被告自身が上記金員の支払を証するものとして提出している書証(乙第4,第5号証)の作成日とも一環しないのであって,上記供述部分もまた信用することができない。)。また,前提事実等に認定したように,被告甲野は,乙山との間で売買代金の値引き交渉をしていたり,本件覚書作成後には乙山を代表権のない取締役にし,自らは代表取締役に就任して被告会社の実質的支配権を確立し,その後,乙山を被告会社の取締役から解任したというのであって,このことは乙山ないし○○に恐怖心を感じていたとの上記供述と必ずしも合致しないといえる。さらに,本件覚書は,少なくとも被告会社の営業を譲り受けるとの点,株式を取得するとの点,被告甲野が被告会社の債務を引き継ぐとの点において,一般的な不動産売買契約書とは全く異質の事項が記載されていることが容易に見て取ることができ,ましてや企業経営について一定の知識,経験を有していた被告甲野には容易に判別し得るものであったといえる。

このような事情に照らせば,被告甲野の上記供述部分は容易に信用することはできず,他に被告甲野の同供述に相当する事実を認めるに足りる証拠はない。

(ウ) 被告甲野は,①本件覚書2項ただし書には「本件ビルの抵当権抹消・仮登記抹消代を含み,甲(被告会社)の責任で行うこと」との記載があること,本件不動産の客観的価値は1億3840万円程度であり,本件で交付された売買代金に近いこと,被告会社には本件不動産以外にはめぼしい資産を有しておらず,むしろ多額の負債を抱えていることからすれば,乙山に支払われた1億4500万円は本件不動産の売買契約の対価と理解するのが合理的であり,営業譲渡契約や株式譲渡契約を前提とした代金であるとは解し得ない,②本件覚書は,実際に被告甲野が乙山から取得した株式数(150株)や被告会社が株式譲渡の当事者とされている点など,不正確かつ曖昧な点が多数存在すると主張する。

この点,本件覚書2項ただし書の文理に着目すれば,不動産売買契約に親しむ条項であるといえるが,前認定のとおり本件不動産は被告会社のほぼ唯一の有価値財産であるといえるから,被告会社から営業譲渡を受ける際には,重要な営業用財産として本件建物の譲渡も含まれると解するのが合理的であるし,その際,譲渡会社が譲渡される不動産の担保権を解除することを約することも格別不自然というわけではない。むしろ,前提事実等によれば,被告甲野は,本件建物を日本語学校の校舎として使用することを想定していたと解されるから,被告甲野が被告会社の営業を譲り受けるに際して,本件建物の担保権の抹消を重視していたとしても不自然,不合理とはいえない。それゆえ,本件覚書2項ただし書の規定は,被告甲野と乙山との間で本件営業譲渡合意がされたとの認定を妨げるものではないというべきである。

また,乙第41号証によれば,本件不動産の客観的評価額は1億3840万円であり本件代金額と近似するものであることが認められるけれども,前認定のとおり,被告会社は本件不動産以外にはめぼしい資産を有しておらず,被告甲野も本件不動産以外に有価値の会社財産を見出していなかったというのであれば,被告甲野が被告会社の買収価格を吟味するに際して,本件不動産の評価額を目安としたとしても何ら不自然ではないといえるから(なお,乙山においても,被告甲野の出捐により共同して被告会社の経営に携わり,日本語学校の経営により利益を得るというメリットがある契約であるということもできるから,同人が本件不動産の価額をもって営業譲渡及び株式譲渡等の対価の算定基準としたとしても格別不自然とはいえない。),本件代金額と本件不動産の価額が近似しているとの事情から直ちに被告甲野と乙山との合意が本件不動産の売買契約に尽きるものであったと解することもできないというべきである。

さらに,上記②についてみても,乙山は,本件覚書作成後の時点で被告会社の株式50株を有していたといえるが(当事者間に争いがない。),前認定のとおり,被告会社の株式200株のうち50株が乙山の手元に残ることになったのは,本件合意後のことであると認められるから(被告甲野及び乙山は,いずれも本件覚書作成時において50株分は乙山が留保するとの前提で株式譲渡の合意をしたとの供述はしていないし,本件全証拠を検討しても,当初合意時における譲渡対象株式数が150株に限定されていたことを認めるに足りる証拠はない。),乙山が被告会社の株式50株を保有していることと本件覚書1項,2項の記載とが直ちに矛盾しているとはいえない。また,本件覚書上,被告会社が株式譲渡合意の当事者となっている点についてみても,被告会社(株式会社B)は,当時,乙山を100パーセント株主とする一人会社であったものであるから,実際に契約交渉に当たった乙山が自然人と法人の区別なく本件覚書を作成したとしても,そのことのみを捉えて不自然,不合理であるとまではいうことができない。さらに,本件覚書上,本件不動産の売買代金として1億4500万円を支払うとの明示的な記載がされているものでもない。

以上の検討によれば,上記①,②の事情を前提としても,被告甲野と乙山との間の合意が本件不動産の売買契約に尽きるものであり,また,本件覚書がこれを表象するものであるとまでは解することができない。

(エ) さらに,被告甲野は,本件貸金債務を含め,本件建物に設定されていた担保権の登記に係る債務については乙山に支払った代金1億4500万円をもって全額弁済されることになっていたから,被告会社の本件貸金債務を引き継ぐとの意思はなかったと主張する。

(あ) この点,①本件覚書2項ただし書は,被告会社の債務を弁済することにより本件不動産に設定された担保権の登記を抹消するとの合意であると解し得ること,②本件建物には本件根抵当権登記のほかにも,別紙登記目録1(2)記載の株式会社Cの所有権移転請求権仮登記,同目録2(2)記載の国民生活金融公庫の根抵当権設定登記が付されているところ,これら担保権については,ほどなく債務の弁済を前提に全て解除され,抹消登記手続も完了していること,③被告会社は,本件貸金債務を含め多額の負債を抱えており,他方で本件不動産以外には特段の資産を有していなかったこと(なお,乙山は,被告会社の資産的価値はのれん,取引先等の無形的価値も含めれば2億円は下らないなどと供述しているけれども,これを裏付ける客観的証拠はなく,乙山の主観的意見を述べるに留まるものと解されるのであって直ちに措信することはできない。)が認められ,被告甲野も上記主張に沿った供述をしている。

(い) しかし,①被告甲野は,本件覚書作成時において被告会社の決算書類等を見て,多額の負債を抱えていることを把握していたというのであるし,また,本件覚書4項に被告会社の資産・負債を何らの限定なく引き継ぐ旨の記載がされていることを知りながら(しかも,本件覚書5項には,「被告会社は,簿外債務の一切ないことを説明し,被告甲野はこれを確認した。ただし,万一簿外債務があった場合には,被告会社の責任において処理する。」と記載されている。),同項の記載について特段の異議も留めないまま署名,押印していること,②被告甲野が供述するように本件覚書4項の「負債」から本件貸金債務が除外されていたというのであれば,その旨の明示的記載がされるのが自然であるところ,そのような記載はされておらず,被告甲野からもその合理的な理由も示されていない上(なお,被告甲野は,被告会社の債務を一切引き受ける意図がなかったとまでは供述しておらず,自分が引き継ぐことになる被告会社の債務の範囲は,電気代や水道代程度と思っていたなどと供述しているが,その程度の債務について敢えて独立した条項を設けて記載するというのも不自然である。),その記載を妨げるような具体的事情の存在を認めるに足りる証拠もないこと,③本件覚書4項は,資産・負債を引き継ぐというものであり,営業譲渡契約に随伴する合意として何ら不自然ではなく,他の規定とも合理的に一貫するといえること,④本件覚書2項ただし書(抵当権・仮登記抹消に関しては被告会社の責任において行う旨の記載)は,直接的には担保権の登記の抹消に係る特約であって,同記載があることとの対比から直ちに被告甲野が引き継ぐ債務の範囲についても限定されていたとまではいえないこと,⑤前提事実等のとおり,本件覚書作成時には,本件建物の評価額を8200万円とする戊谷秋子なる不動産鑑定士作成の鑑定書が存在しており,乙山において,少なくとも第一勧銀との関係では本件貸金債務の一部弁済をもって本件根抵当権登記の抹消に応じてもらえるとの内諾を得ていたことが認められ,被告甲野もそのことを了知していたと推察されるところ,そうであれば,本件根抵当権登記を抹消するためには必ずしも債務全額を弁済する必要性,緊急性はなく,事後の営業収益から弁済していくことも可能であったといえるし,反面で,被告甲野は,事後に被告会社を利用して日本語学校の開設という事業目的達成のため一定の事業資金を留保しておく必要性があったと推察されること,⑥被告甲野は,乙山から本件貸金債務及び国民生活金融公庫に対する債務の全額を支払って担保権の登記を抹消すると言われたと供述するが(被告甲野本人),他方,(a)乙山から提示された決算書類(甲第12号証)には,平成14年4月末現在の被告会社の有利子負債として総額で1億6305万3000円が計上されており,また,仮登記担保権を有する株式会社Cからの借入金(乙第32号証及び弁論の全趣旨によれば,同社は被告会社に対して,少なくとも2000万円の債権を有していたことが窺われる。)を併せれば,本件建物に担保権の登記が付されていない埼玉懸信用金庫及び株式会社三井住友銀行からの借入金を除いても,乙山が弁済すべき債務の総額は本件の代金額を超える可能性があったといえるし(この点,被告甲野は,被告本人尋問において,乙山からは本件貸金債務及び国民生活金融公庫への債務のほかは債務はないと聞かされていたと供述するが,これを裏付ける客観的な証拠はなく,また,埼玉懸信用金庫の債務は残っているとの乙山の供述(乙第30号証)と合致しないことからすれば,直ちに措信できない。),(b)被告甲野にとって本件建物に係る担保権の登記の抹消は重要な関心事であったといえるにもかかわらず,乙山に対して被告会社が負担し,また弁済する必要がある債務の具体的な額について積極的に確認していないほか(被告甲野本人),(c)被告甲野は,従前,乙山との間で被告会社の債務全部を弁済してもらうとの約束をしていたと供述する(甲第13号証)など,合理的理由に基づかず供述内容が変遷しているなど被告甲野の供述には不自然,不合理な点を多数指摘することができること,⑦被告甲野は,被告会社を利用して日本語学校を経営するという目的があったというのであり,被告会社の債務を一部負担してでも被告会社を買収する動機があったといえること等の事情を総合すれば,前記(あ)の事情をもってしても被告甲野の主張を認めるには足りず,乙山との間で本件貸金債務の全額弁済を前提とした合意がされたとの被告甲野の供述部分についても直ちに採用することができないというべきであって,他に被告甲野の頭書主張を認めるに足りる証拠はない。

オ 以上の検討によれば,被告甲野について,本件覚書作成時において,被告会社の営業を譲り受け,また,本件貸金債務を含む被告会社の債務一切を引き継ぐとの合意をすることが不自然,不合理であるとまではいえず,他に被告甲野が,乙山との間の合意と全く離れて,本件覚書の作成のみを目的として署名,押印したなどといった事情を窺わせる証拠もない。よって,被告甲野について,前記アに説示した「特段の事情」の存在を認めることはできないといわなければならない。そうすると,甲第3号証及び上記イに掲げた証拠からすれば,被告甲野が,平成14年7月30日,乙山との間で,本件不動産の譲渡を含む被告会社の営業譲渡契約を締結したこと,本件債務引受合意をしたことは優に認められる。

しかして,本件覚書4項の文理に加え,本件債務引受合意が被告会社の営業譲渡契約と同時にされていること等の事情を踏まえ,本件債務引受合意に係る被告甲野の合理的意思を推察すれば,被告甲野においては,被告会社の債務について自己も債務負担をするとの併存的債務引受の意思を有していたものと認めるのが相当である。

カ 争点(2)ア(イ)(第一勧銀による受益の意思表示の存否)について

前記のとおり,本件債務引受合意は,併存的債務引受の合意といえるから,本件貸金債務の債権者である第一勧銀を受益者,被告会社を要約者,被告甲野を諾約者とする第三者のためにする契約であるということができる。

しかして,前提事実等によれば,第一勧銀は,被告甲野に対し,平成15年8月16日到達の内容証明郵便により,本件消費貸借契約に係る貸金債権及びこれに係る利息債権並びに遅延損害金請求権を原告に譲渡した旨を通知したことが認められるところ,上記債権譲渡通知は,第一勧銀が,被告甲野に対し,同被告による債務引受の利益を享受するとの意思表示を当然に含むものと解されるから,同通知をもって,第一勧銀による受益の意思表示がされたものと認めるのが相当である。

キ 以上によれば,原告の請求原因事実は理由がある。

(2)  争点(2)ウ(本件債務引受合意等の詐欺取消)について

被告甲野は,本件営業譲渡及び本件債務引受合意は,乙山の詐欺行為によってなされたものであると主張する。

この点,被告甲野は,被告本人尋問等において,本件債務引受合意をするにつき,本件不動産の売買契約を締結する意図しかなかったにもかかわらず,「これでうまくいくから。大丈夫だから。」などと虚偽の説明を受けて本件覚書に署名,押印してしまったなどと供述するけれども,上記(1)イないしオの認定判断に照らせば,被告甲野の上記供述部分は容易に措信することができず,他に同被告の上記主張を認めるに足りる証拠はない。かえって,上記説示のとおり,被告甲野は,本件貸金債務について併存的債務引受をする意図で本件覚書に署名,押印したものと認めるのが相当である。被告甲野の上記主張は理由がない。

(3)  争点(2)エ(本件債務引受合意等の錯誤無効)について

被告甲野は,本件債務引受合意に当たり,本件不動産の売買契約を締結する意思しか有していなかったから,本件債務引受合意は錯誤に基づく意思表示に当たり無効であると主張する。

しかし,被告甲野が,本件債務引受合意の効果意思を有していたといえることは,前記(2)に説示したとおりであるから,同被告の上記主張もまた理由がない。

(4)  争点(2)オ(本件債務引受合意の合意解除)について

乙第34号証によれば,被告甲野が,平成17年3月13日開催の取締役会において,被告会社との間で,①本件覚書第4項の記載は,本件貸金債務の返済を被告甲野が行うことを意味するものではない,②仮に被告甲野が本件貸金債務を負担していたと取り扱われるとしても,当該債務を当初に遡って消滅させるとの合意をしたことが認められる。

しかし,第三者のためにする契約について,当該第三者が受益の意思表示をして,その権利が発生した後は,同契約に係る要約者,諾約者間において,任意に,その契約内容を変更し,又は消滅させることはできない(民法538条)。そうすると,被告甲野と被告会社との間の上記合意(合意解除)は,前記(1)カに認定した第一勧銀の受益の意思表示の到達に遅れるものであり,かつ,同受益の意思表示により発生した第一勧銀ないし原告の被告甲野に対する金銭債権の発生という効果を消滅させるものにほかならないといえるから,他に被告甲野と被告会社が本件債務引受合意の時点で,あらかじめ同合意と受益の意思表示により発生する第一勧銀の被告甲野に対する金銭債権について将来これを消滅せしめうべきことを留保していたとの事情を認めるに足りる証拠もない以上,被告甲野と被告会社との間の上記合意は,第一勧銀ないし原告が被告甲野に対して本件貸金債権を有するとの法律関係に影響を与えないものというべきである。

(5)  以上のとおりであるから,被告甲野は,原告に対し,被告会社と連帯して本件貸金債務を弁済する義務があるというべきである。

3  結論

よって,原告の本訴請求はいずれも理由があるから,これを認容することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項本文を,仮執行の宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官・片野正樹)

別紙

物件目録<省略>

登記目録<省略>

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