東京地方裁判所 平成15年(ワ)22781号 判決 2004年9月08日
原告
東京都食品健康保険組合
被告
Y
主文
一 被告は、原告に対し、二二八万六七〇二円及びこれに対する平成一四年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、二五四万〇七八〇円及びこれに対する平成一四年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、後記交通事故により、受傷した訴外Aに対し、療養の給付を行った原告が、加害者である被告に対し、健康保険法五七条、民法七〇九条に基づき、支給した療養の給付額全額の支払いを求めているものである。
本件の争点は、健康保険法に基づく保険給付を行ったものからの求償に対する過失相殺の可否及び過失割合である。
一 前提となる事実(証拠により認定した事実については証拠を括弧内に掲記した)。
(1) 事故の発生
次のとおり、事故が発生した(乙一、二。以下「本件事故」という。)。
日時 平成一二年一一月八日午後一一時二〇分ころ
場所 埼玉県戸田市<以下省略>(以下「本件事故現場」という。)
加害車両 被告が運転する自家用普通乗用自動車(<番号省略>)
被害車両 訴外Bが運転する自家用原動機付自転車(<番号省略>)
事故態様 信号機による交通整理が行われていない丁字交差点において、当該交差点を直進しようとした被害車両と、当該交差点に右折進入した加害車両が衝突した。
(2) 治療の状況
本件事故により負傷した、訴外Aは、帝京大学医学部付属病院に搬送された。
訴外Aは、同病院において、左大腿骨骨幹部骨折、右大腿骨挫創、左肩打撲等と診断され、平成一二年一一月九日から平成一三年二月一二日まで一一二日間入院し、退院後も、同病院に平成一四年八月八日まで通院(実通院日数一二日)した。
治療費の合計は、三八四万七七七〇円であった(甲一の一ないし一七、二)。
(3) 保険給付
原告は、訴外Aが加入している健康保険を管掌しているところ、本件事故による治療費合計三八四万七七七〇円のうち、二五四万〇七八〇円について保険給付を行った(甲一の一ないし一七)。
(4) 責任原因
被告は、民法七〇九条に基づき、訴外Aに発生した損害について、その賠償をすべき義務を負っている。
二 争点及び当事者の主張
(被告の主張)
(1) 健康保険組合が保険給付をしたことに基づき加害者に対して求償をした場合、加害者は過失相殺による減額を主張することができる。
ア もともと、求償の規定は、被害者の二重利得の禁止と、加害者の不当な責任免脱防止の見地から設けられたものであり、その趣旨は、加害者が損害賠償という見地から正当な責任を果たすことで、必要にして十分に達せられる。そして、健康保険から給付された額が求償された場合には、過失相殺をした残額を負担することが、加害者である被告にとって損害賠償における正当な責任を果たすこととなる。
また、求償権の規定は、損害賠償請求権者の代位又は保険者の代位の規定にその基礎をおくところ、かかる代位は権利の移転であり、抗弁権も当然に承継される。したがって、被害者に対して主張しえた過失相殺の主張は、求償権の行使に対しても、主張することができる。
確かに、代位行使に対して過失相殺の抗弁の主張を認めると、保険者が不利益を被ることがあり得ることは認める。しかしながら、これは、保険給付をした後に求償するという現行法の規定の仕方及びかかる現行法の規定の結果、求償権行使における審判の対象が、加害者及び被害者間の請求関係と必然的に分離されるという法現象からの結論であり、やむをえない。
仮に、加害者が過失相殺の主張をすることができないこととなれば、加害者が被害者に対し過失相殺分を不当利得として、その返還請求をすることとなり、無用な求償の循環を引き起こす。
イ 労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)は、責任保険から出発した沿革を有し、損害の賠償を目的とする制度と性格的に近似するのに対し、健康保険は、国民皆保険の理想のもとに創設された、社会保障的性格の濃い、損害の補償(損失補償)を目的とする制度と一般に理解されている。このため、労災保険給付は損害賠償に類似し、したがって、過失相殺後、すなわち法的な損害賠償請求権の確定後における損害の填補として扱われるのに対し(相殺後控除)、健康保険給付は、発生した損害(損失)自体を填補する扱いがなされるのである(控除後相殺)。だからこそ、旧厚生省・社会保険庁の通達も健康保険の保険者からの求償に関して過失相殺をする扱いとされているのである。原告の主張は、特異な見解である。
ウ 原告は、労災保険給付と過失相殺との先後関係について、過失相殺後に労災保険給付を控除する(いわゆる控除前相殺説)のと同様、健康保険給付と過失相殺の先後関係についても、過失相殺後に健康保険給付を控除すべきであり、したがって、原告が代位により行使する損害賠償請求権に対し、過失相殺を主張することはできない旨主張する。しかしながら、労災保険給付に関する最高裁判所平成元年四月一一日判決(民集四三巻四号二〇九頁)は、健康保険給付の場合を、当然にその射程範囲内に含むものではないし、この点はおくとしても、そもそも損害賠償額算定における過失相殺と保険給付額との控除の先後関係の問題が、論理必然的に、保険給付に関する求償権行使における過失相殺の可否の問題を結論づけるわけではない。
(2) 本件の場合、訴外Aにも過失があり、少なくとも三割の過失相殺がされるべきである。
ア 被害車両は、法令で二人乗りが禁止されているにもかかわらず、当時、訴外Aは、運転者である訴外Bの前に乗るという形態で二人乗りをしていた。訴外Aは、被害車両の運転者ではないが、このような二人乗りの形態は、ハンドル操作を著しく阻害する。
イ 訴外Aは、ヘルメット不着用であった。ヘルメット不着用であったことは、本件事故の発生又は結果の拡大に直接寄与したことが確実とまではいえないとしても、違法性の度合いに影響を及ぼす事実であり、損害の公平な分担という過失相殺の法理からすると、過失相殺の認定において考慮されるのは当然である。
本件事故当時、本件事故現場付近は、時速三〇kmに速度規制されていたにもかかわらず、被害車両は時速四〇ないし五〇kmで走行していたし、被害車両は、登録がされていない違法車両の疑いがあった。訴外Aは、制限速度の超過のほか、無登録、違法改造といった、多くの違法を容認し、助長したのであるから、過失割合を定めるにあたり、斟酌されるべきである。
ウ 被告と訴外Aの間では、訴外Aの過失割合を四割五分として相殺した内容の示談が成立している。このことは、当事者間に、訴外Aに同程度の過失があったことの認識があったことを示すものである。
(原告の主張)
(1) 健康保険給付をしたことに基づく求償に対して、被告は過失相殺を主張することはできない。
ア 被告は、本件において過失相殺を主張することができないこととなると、被告が正当な責任以上の責任を果たすことを強いられたり、無用な求償の循環を招くこととなると主張する。しかしながら、そもそも被告が主張するところの無用な求償の循環が生じるのは、被告と訴外Aの示談の内容に誤りがあったからである。すなわち、被告が、訴外Aと控除前相殺説にたち、正当に示談を締結していたのであれば、被告が主張するところの無用の求償の循環など発生する余地はなかった。しかも、控除前相殺説にたつからといって、賠償すべき賠償額の総額が増えるものではなく、被告が本来の責任以上の責任を負担させられるということはない。被告の主張は、健康保険給付の控除と過失相殺との先後関係について控除後相殺説を採用すべき理由にはなっていない。被告は、自らの判断の誤りを原告に転嫁しようとしているにすぎない。
イ 「第三者行為により生じた保険事故の取扱いについて(通知)」(保険発第二四号・庁保険発第六号・昭和五四年四月二日)は、「第三者行為により生じた保険事故につき保険者が代位取得する損害賠償請求権は、被害者の過失の有無により影響を受けるものではないが、求償額については、被害者にも明らかに過失が認められるときは、代位取得した損害賠償請求額を被害者の過失割合に応じて減額して算定して差し支えないこと」としている。これは、保険者が代位取得する損害賠償請求権は、被害者の過失により影響を受けないとする控除前相殺説を前提とした上で、求償事務の円滑な実施のために裁量的に控除後相殺説によってもよいとしているのであって、保険者に対し、原則としてあくまでも控除前相殺説による求償請求を行うことを求めている。原告は、この通達にしたがって、本件求償請求を行っているのであり、特異な見解にたっているわけではない。
ウ 健康保険給付の控除と過失相殺の先後については、労災保険給付と過失相殺の先後についての最高裁判例の趣旨が及び、損害総額について過失相殺をした後に健康保険給付の控除が行われるべきである。すなわち、健康保険制度は、労働者の業務外の負傷等への保険給付を通じて国民生活の安定と福祉の向上に寄与することを制度目的としており、制度の目的からすると、健康保険と労災は、その社会保障的性格に何ら差異はないし、健康保険事業に要する費用は、国庫がその一部を負担・補助するものとされており、費用の国庫補助の点においても、健康保険と労災の間に差異はない。また、健康保険においても保険給付を制限する場合を限定する規定があり(健康保険法一一六条及び一一七条)、労災においても給付制限を限定しているのであって、差異はない。このように、健康保険と労災保険は制度上とくに差異はないのであるから、健康保険給付の控除と過失相殺の先後については、最高裁判例の射程範囲内にあるというべきである。
(2) 被告が過失相殺をすべき根拠として主張するところは、次のとおり、いずれも過失相殺事由とはならない。
ア 被告は、二人乗りであったことから、ハンドル操作を著しく阻害すると主張する。しかしながら、訴外Aの体型は訴外Bよりも小さく、しかも、訴外Aは訴外Bが前を見やすいように小さくなって座っていたこと、二人乗りをしたことにより運転がしづらいとか前が見えづらいということはなかった。したがって、二人乗りが本件事故の発生ないし拡大に寄与したという事情はないのであるから、過失相殺にあたって斟酌することはできない。
イ 被告は、ヘルメット不着用、制限速度の超過、無登録及び違法改造の点を主張する。しかしながら、訴外Aが受けた被害は、左大腿骨骨幹部骨折等足の部位であり、頭部への被害はないのであるから、ヘルメットの不着用は過失とはならない。また、制限速度の超過、被害車両の無登録及び違法改造の点は、いずれも、運転者であった訴外B自身の過失であり、訴外Aの過失ではない。したがって、被告が主張する事由をもって過失相殺することはできない。
ウ 被告は、訴外Aと被告の間で、訴外Aの過失を四割五分とする示談が成立していることを主張するが、訴外Aと被告との示談の内容が、原告に対し、なんらの効力もないことは明らかである。
第三当裁判所の判断
一 前記前提となる事実、証拠(乙一、二)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故の態様について、次の事実を認めることができる。
(1) 本件事故現場は、浦和市(現さいたま市)方面と東京都方面を結ぶ国道一七号線に平行して走る市道(以下「南北道路」という。)と新大宮バイパス方面に向かう市道(以下「東行道路」という。)とが交差する丁字交差点であり、付近の状況は、別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりである。
南北道路は、幅員四mで、東側には幅一・五mの歩道が設置されており、東行道路は、片側一車線で、両側に歩道が設置されており、時速四〇kmに速度規制がされており、交差点手前に一時停止標識があり、右折禁止規制があった。
(2) 被告は、加害車両を運転して、東行道路を、新大宮バイパス方面から時速三〇ないし四〇kmで走行してきて、本件交差点に差し掛かった。被告は、交差点手前に一時停止標識があることを知っていたが、右方の道路の見通しが悪かったことから、減速し、右折の合図をした後、停止線を越えた交差点手前の別紙図面<1>地点で、一旦停止した。そして、左右を確認した後、時速約二〇kmで右折して交差点に進入したところ、同図面<2>地点で、右方の<ア>地点に接近してくるライトの明かりを発見し、危険を感じてブレーキを操作をしたものの、同図面<×>地点で加害車両の前部に被害車両の前輪が衝突した。
(3) 訴外Bは、被害車両を運転して、南北道路を、東京都方面(南)から浦和市(現さいたま市)方面(北)に向けて、時速約四〇ないし五〇kmで走行してきて、本件事故現場に差し掛かった。当時、訴外Bは、訴外Aを自己の膝の上に座らせ、後方から腕を伸ばしハンドルを握る状態で被害車両を運転をしており、訴外B及び訴外Aは、いずれもヘルメットを着用していなかった。
本件事故現場付近に差し掛かった訴外Bは、交差点があることを知っていたものの、そのままの速度で交差点を直進しようとしたところ、左方の東行道路から加害車両が右折進入してきたのを発見し、ブレーキ操作をしたが、別紙図面<×>地点で、被害車両の前輪が加害車両の前部に衝突した。
(4) 被害車両と加害車両が衝突した後、被害車両は別紙図面<エ>地点で、加害車両は同図面<3>地点でそれぞれ停止した。被害車両に乗車していた訴外Bは訴外Aを飛び越して、一旦、加害車両の前部ボンネットに乗り上げた後、同図面<イ>地点に、訴外Aは同図面<ウ>地点にそれぞれ転倒した。
本件事故後、訴外A及び訴外Bは、救急車で帝京大学医学部附属病院に搬送され、訴外Aは、左大腿骨骨幹部骨折、右大腿骨挫創、左肩打撲等と診断され(前記第二、一(2))、また、訴外Bは、両大腿・下腿・左肩打撲、約一週間の安静加療を要する見込みと診断された(乙二)。
二 以上のとおりの本件事故の態様から、被告は、丁字交差点を右折するにあたり、進路前方の安全を確認して交差点に進入すべき注意義務があるところ、これを怠ったものと認められ、訴外Aに対し、民法七〇九条に基づく損害賠償義務を負う。
一方、被害車両は原動機付自転車であり、その乗車定員は一名をこえないことと定められている(道路交通法五七条一項、道路交通法施行令二三条一項一号)にもかかわらず、これに違反して訴外Aは、被害車両に乗車していた。しかも、その乗車の方法は、訴外Bの膝の上に訴外Aが座り、訴外Aの背後から訴外Bが腕を伸ばしてハンドルを握り運転するという形態であった。原動機付自転車における定員外乗車の場合は、ハンドルやブレーキ操作、ブレーキの効き具合に影響するものと考えられ、とくに、前記で認定した本件における訴外Aの乗車方法の場合、ハンドルやブレーキ操作、ブレーキの効き具合に影響するのみならず、他の車両の発見が遅れるなどの影響があるものといえる。確かに、訴外Bは、「運転がやりづらいとか、前が見えづらいということはありませんでした」(乙二。平成一二年一一月一八日付供述調書)と供述し、また、訴外Aは「私が前に乗っていたことで前方が見えずらいということはなかったと思います。なぜなら、私はB君より小さいし、B君が前を見やすいように小さくすわっていたからです。」(乙二。平成一二年一二月一三日付供述調書)と供述している。しかしながら、一方、本件事故直前に、被害車両とすれ違った訴外Cは「原付の運転の仕方は運転しづらいと思います」(乙二。平成一二年一二月二日付供述調書)と供述していることからすると、訴外B及び訴外Aの前記供述のみから直ちに、運転操作に影響がなかったと断言することはできない。
ところで、前記で認定したとおり、本件における訴外Aの乗車方法は、訴外Bの膝の上に座るというもので、非常に不安定な乗車方法である。被害車両の運転者であった訴外Bは、本件事故により、両大腿・下腿・左肩打撲で約一週間の安静加療を要する見込みという程度の傷害を負ったにすぎなかったことからすると、訴外Aの乗車方法が前記のとおり、不安定な乗車方法でなければ、その受傷程度もより軽いものであったことと考えるのが合理的である。
以上のような諸事情から、訴外Aは、訴外Bの膝に座るという形態で二人乗りをしたという過失が認められる。そして、前記認定した被告の過失と訴外Aの過失を比較し、かつ、被告は、右折禁止の規制があるにもかかわらず、右折進行したことを考慮すると、被告の過失を九割、訴外Aの過失を一割とするとするのが相当である。
よって、本件の場合、過失相殺により一割を減じた二二八万六七〇二円の限りで、原告の被告に対する求償を認めるのが相当である。
三 これに対し、原告は、健康保険給付をしたことに伴う求償請求に対しては、過失相殺をそもそも主張することができないし、仮に主張することができたとしても、本件においては、訴外Aに過失はないと主張する。
しかしながら、健康保険法五七条一項は、原告は、給付を受けた被保険者が第三者である加害者に対して有する損害賠償請求権を代位取得する旨定めた規定であるところ、被保険者である被害者が加害者に対し、健康保険給付を受けずに、治療費について損害賠償請求をした場合、加害者は過失相殺を主張することができるのであるから、かかる過失相殺の抗弁を代位取得による請求であることから、加害者が主張できなくなるいわれはない。また、原告は、労災保険給付がなされている場合、過失相殺後に労災保険給付額を控除すべきであるとする最高裁判例をもとに、健康保険給付がなされている場合にも過失相殺後に健康保険給付額を控除すべきであり、そうすると、健康保険給付をしたことに伴う求償に対して過失相殺を主張することはできないと主張する。しかしながら、健康保険制度は、より社会保障的性格の強い制度であることからすると、健康保険給付の控除と過失相殺の先後の問題が、労災保険給付の控除と過失相殺の先後に関する最高裁判例の趣旨が当然に及ぶとは言い難い。旧厚生省・社会保険庁の通達は、円滑な求償事務の遂行を目的としたものと解するのが相当である。
以上のとおりであるから、そもそも過失相殺の主張をすることができないという原告の主張は採用できないし、また、訴外Aには損害の発生・拡大について一割の過失が認められるのは、前記認定のとおりである。
四 以上のとおりであるから、本件においては、二二八万六七〇二円及びこれに対する平成一四年八月九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限りで、原告の請求は理由があるのでこれを認容し、その余の請求については、理由がないからこれを棄却することとし、よって、主文のとおり、判決する。
(裁判官 瀬戸啓子)
交通事故現場見取図
<省略>