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東京地方裁判所 平成15年(ワ)22852号 判決 2005年10月14日

原告

X

訴訟代理人弁護士

須藤正樹

伊藤和子

久保木亮介

生駒亜紀子

生駒巌

被告

甲野一朗

訴訟代理人弁護士

東拓治

主文

1  被告は,原告に対し,5928万7165円及びこれに対する平成13年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の,その余を被告の各負担とする。

4  この判決は,主文第1項及び3項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

被告は,原告に対し,1億2509万3997円及びこれに対する平成13年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

1  本件は,原告が,平成4年10月ころから平成12年秋までの間にかけて,祖父である被告から,被告宅で同居していた期間等に,継続的にわいせつ行為及び強姦(以下「本件性的虐待行為」という。)を受け,そのために外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)等の精神症状を発症し,就労不能になったとして,被告に対し,不法行為責任に基づき,後遺傷害に基づく逸失利益及び慰謝料等合計1億2509万3997円及びこれに対する精神症状発症後である平成13年9月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

2  前提となる事実(争いないの事実を含む。)

(1)  原告は,昭和55年*月*日,父甲野太朗及び母花子(いずれも美容師)間の長女として生まれ,弟三郎(昭和60年*月*日生)と一緒にa市内の両親宅で生活していたが,昭和63年9月に両親が離婚した後,平成4年8月からは,父太朗の父である被告(大正14年*月*日生)の自宅(肩書住所地に所在)において,被告及びその妻夏子,父太朗,弟三郎とともに5人で暮らすようになった(甲6の1,2,32の1)。

(2)  被告は,上記自宅で産婦人科医院を経営する医師である。

なお,被告は,平成17年*月*日,妻夏子と離婚した(甲32の1)。

(3)  原告は,平成10年9月ころ,父及びその再婚相手である義母,弟と一緒に被告宅を出て,a市内の借家で暮らすようになったが,平成11年3月に高校を卒業した直後,母花子のマンションに弟とともに身を寄せ,さらに,平成13年1月,女性の友人を頼って上京し,アルバイトをしながらの生活を開始するようになった(甲7の2,21)。

3  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,本件性的虐待行為の有無,原告のPTSD発症の有無及びその程度,本件性的虐待行為とPTSD発症との間の因果関係の有無並びに原告の損害額の算定であり,これらの争点に関する当事者の主張は,別紙「主張対照表」記載のとおりである。

第3  争点に対する判断

1  争点1(本件性的虐待行為の有無)について

(1)  原告の供述内容の概要

原告は,別紙「主張対照表」中の「争点1」欄記載のとおり,被告宅に同居していた期間を中心に,被告から,本件性的虐待行為を受けた旨主張し,被告は,これを争っている。

そこで検討するには,まず,原告は,陳述書(甲21,23)及び本人尋問において,概要,次のように供述している。すなわち,

ア 原告は,平成4年8月(当時11歳で,小学校6年生。)から,父及び弟とともに被告宅で暮らすようになったが,小さいころから,祖母夏子と比べて,何かと原告に甘い被告のことが好きであった。同居後間もなく,被告は,毎晩,寝間着姿で,被告夫婦の部屋と同じ2階にある原告の部屋に来て,「お休み。」と言うようになり,同年秋ころからは,原告の布団の中に入り,原告と添い寝をするようになった。

イ 同年10月ころ,被告は,いつものように原告の布団の中に入ってくると,パジャマの上から原告の胸を手で触り始め,パジャマのズボンの中に手を入れてパンツの上から原告の性器を触り,さらに,パンツの中に手を入れて原告の性器を触り始めた。被告は,10分間くらい,原告の胸や性器を触った後,部屋から出て行った。原告は,恐怖と驚きで声を出すことができず,被告が早くいなくなってくれればいいと願いながら,ひたすら眠っているふりをした。被告は,その数日後に,同じように,原告の布団の中に入ってきて,原告の胸や性器を触った。その際,被告は,原告と目が合うと,「このことは誰にも言っちゃ駄目だよ。誰かに話したら僕は首をつって自殺しなくてはならないから。」と述べて原告を脅した。その後も,被告は,週に3,4回くらい,原告の布団の中に入ってきて,原告の胸や性器を触る行為を行った。

ウ 同年12年の夜,原告は,弟及び被告と一緒に風呂に入った。被告は,原告の弟を風呂から出した後,原告を洗い場の床に横たわらせた上,原告の身体の上に乗ってきた。原告は,恐怖のあまり声を出すことができず,されるがままになっていたが,性器に被告の陰茎を挿入されるや,痛さのあまりに「痛い。」と言うと,被告は,いったん挿入を止めた。しかし,被告は,再び挿入を始め,「全部入ってしまった。」と言った。原告は,痛さにこらえきれず,もう一度「痛い。」と訴えると,被告は,挿入を止め,「こんなことを知られたら大変なことになる。首をつらなければならない。誰にも言っては駄目だ。」などと言って,原告に対して固く口止めをし,原告を風呂から出した。なお,原告は,このころには,性的知識がなかったので,被告からされた行為の意味を理解できなかった。

エ 被告は,その後も,週に1,2回,多いときで週に3,4回くらい,原告の部屋で原告の胸や性器を触り,姦淫するなどの行為を繰り返した。

オ 被告は,日頃は,几帳面でやさしい振る舞いをする祖父であったが,原告が性的行為を嫌がったり,拒んだりすると,怖い顔で原告をにらみつけた。また,被告は,その後数日間は機嫌が悪く,原告の日常生活の行動を取り上げては怒鳴りつけたり,原告を完全に無視したりするような態度を取った。

カ 原告は,平成5年4月,中学に入学し,保健の性教育の授業を受けて,初めて,被告から受けてきた行為の意味を知り,激しいショックを受けた。

原告が被告に対し,「なぜそういうことをするの。」と理由を尋ねたときには,被告は,「おばあちゃんとはそういうことは何年もない。したくてもできないので,お前とする。」と言い,また,原告は,そのころに生理が始まったため,被告に対し,「赤ちゃんができるんじゃないの。」と尋ねると,被告は,「僕はタネを全部取ってしまっているので,こういうことをしても絶対子供ができることはない。」と言った。

キ 原告は,その後も同様に,被告から胸や性器を触られ,姦淫行為を受け続けたが,被告の入室を拒むため,部屋のドアに鍵をかけたり,ドアの鍵フックを取り外された後は,ドアの取っ手の部分と部屋の中の壁に付いている輪の部分とをひもで結んで,ドアが外側から開けられないようにしたりしたが,結局,被告の激怒を招いて,これを続けることができなかった。

ク 原告が成長するにつれて,被告は,原告をより強く脅迫するようになり,以前には,「誰かに言ったら,僕は首をつって死ぬ。」と言っていたのが,原告が中学に入ったころからは,「病院には劇薬もある。僕は医者だから,劇薬の注射もできる。注射すればすぐ死ねる。」とか,「誰かにしゃべったりしたら,原告を殺して僕も死ぬ。」などと言って脅すようになった。

なお,原告が中学生のころには,被告は,原告の部屋だけでなく,1階の洋間(応接室)等においても,原告を姦淫した。

ケ 原告は,平成8年4月,高校(デザイン科)に入学した。平成9年には,父が再婚し,義母が被告宅の2階で同居するようになったので,被告夫婦は,1階の部屋に移った。そのため,被告が原告の部屋に来る回数は減った。しかし,父や義母の帰宅が遅くなることがあらかじめ分かっているようなときには,被告は,原告の部屋や1階の洋間で,月に数回,原告を姦淫した。

コ その間,被告は,原告の交友関係にも口出しをするようになったほか,原告の生理にも関心を持って,生理用品のチェックをしたり,妊娠検査をしたこともあった。

サ 原告は,平成10年9月ころ,父及び義母,弟と一緒に被告宅を出て,a市内の借家で暮らすようになり,その後,平成11年3月からは,弟とともに母花子のマンションに身を寄せるようになったが,その間,祖母から被告宅への訪問を求められたため,2か月に1回くらい,弟と一緒に被告宅を訪問した。その際,弟は,被告宅で泊まったが,原告は,被告から性的行為を受けるのを恐れて,宿泊せずに帰宅するようにしていた。しかし,被告は,妻や原告の弟が外出し,原告と二人だけになると,原告の身体を触ったり,性的行為を強要した。そして,原告は,平成11年秋から冬にかけてのころ,被告宅を訪問した際,被告から,1階の洋間で姦淫され,その後も,平成12年秋までの間は,わいせつな行為を受けることがあった。

シ 以上のとおり,原告は,約8年間にわたって,被告から,わいせつ行為や強姦を繰り返し受けたが,その間,被告から脅迫を受けていたことや,思春期にあって家族にも恥ずかしくて打ち明け辛かったこと,さらに,自分が子供であるため,医師として信頼されていた被告のことを話しても,回りの者には信用してもらえないなどと考えたことから,家族等に対して上記事実を打ち明けることはできなかった。

(2)  原告の前記供述内容の信用性

ア 本件は,前記のとおり,当時小学校6年生であった原告が,その後約8年間にわたり,祖父である被告から繰り返し本件性的虐待行為を受けたとする極めて特異な事件であるが,加害者である被告がこれを否認する以上,被害者である原告の供述が信用できるものかどうかが大きな意味を有することになる。

そこで,原告の前記供述内容の信用性を検討するに,まず,本件全証拠を仔細に検討してみても,原告と被告間のこれまでの関係において,原告がことさら虚言を弄してまで個人的に被告を攻撃し,陥れることを企図して,あえて本件性的虐待行為の事実を訴えようとする事情は全く見いだせないところである。

この点について,父太朗は,陳述書(乙5,9)において,本件訴訟は金目当てである旨断言するが,その記載内容から明らかなとおり,他人から聴いた伝聞情報に基づく憶測の域を出るものとはいえず,採用できない。

むしろ,後記のとおり,原告を直接診断した青森冬男医師(以下「青森医師」という。)が,原告の供述内容は虚言によるものではないと証言していることは,後記エのとおりである。

イ また,原告の供述内容それ自体について見ると,原告は,極めて具体的かつ詳細に本件性的虐待行為の経過や被告の言動等を述べているところ,この点については,子供のころの出来事であっても,本件のように祖父から長期間にわたって受けたとする特異かつ深刻な性的虐待行為である場合には,被害者である原告にとっては生涯忘れ得ないものであると考えられるから,それが深く記憶に残り,現在でも詳細な供述をなし得ることは十分に首肯できるものである。

特に,原告の供述中,原告に対する口止めのために,被告が「病院には劇薬もある。僕は医者だから,劇薬の注射もできる。注射すればすぐ死ねる。」などと述べたとする点や,避妊に関し,被告が「僕はタネを全部取ってしまっているので,こういうことをしても絶対子供ができることはない。」と話したとする点,さらに,被告が原告の部屋に入らないようにするために部屋の鍵について色々と試みたとする点は,いずれも,実際に体験した出来事でなければ供述し得ないような特徴的な内容が含まれており,これらの点について事実に反する部分があるとは直ちに考え難い。

そして,被告本人自身,自分がそのころ既にいわゆる「パイプカット(精管切除による避妊措置)」をしていた事実を認める供述をするところ,原告が祖父に関するそのような事実を知っていること自体,稀有なことであって本件性的虐待行為の際に被告からそうした話を聴いたとする原告の前記供述は信用できるものである。

もっとも,被告は,この点について,陳述書(乙10)において,原告がそのような事実を知ったのは,診察室での患者とのやり取りを聴いたからではないかとの考えを記載しているが,産婦人科の診察室内に原告がよく出入りしていたとする点や,被告と患者との間のやり取りを耳にしたというだけで,子供である原告が被告の前記避妊措置のことを長く記憶するに至ったということは直ちに考え難く,被告の上記記載部分は採用できない。

ウ 次に,原告の病状及び治療経過等についてみると,証拠(甲1ないし5,9ないし12,17の1ないし4,21ないし24,29,30,乙1,証人青森冬男,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

(ア) 原告は,平成9年4月(高校2年生)ころから,胃の調子が悪くなることがあり,平成10年4月ころ,吐き気,めまい,突然の意識障害等に襲われ,急性胃炎との診断を受けたことがあった。そして,原告は,同年5月ころから,学校を休むことが増えた。

(イ) 原告は,同年9月ころ被告宅を出たが,高校卒業後の平成11年8月ころ,再び胃痛や吐き気,血便が始まり,胃潰瘍と診断されたため,アルバイトを休んだりした。原告は,平成12年3月,a市内のZ病院精神科を受信した際には,情緒不安定になっているとして,精神安定剤の投与を受けた。

(ウ) 原告は,平成13年1月ころ,女性の友人を頼って上京し,パチンコ店でアルバイトをするようになったが,同年3月ころ,アルバイト先で知り合った岩手秋男(以下「岩手」という。)と交際するようになり,同年4月ころ,同人に対し,小学校の終わりころから長期間にわたって被告から性的虐待を受けていたことの概要を打ち明けるとともに,同年5月以降,b区内の岩手のマンションで一緒に暮らすようになった。

(エ) 同年7月ころ,原告は,過呼吸の症状が出るようになり,対人恐怖のため引きこもるようになった。また,原告は,同年8月から9月ころ,二度にわたって,過呼吸等のために救急車で病院に運ばれるということがあった。

(オ) 原告は,同年10月ころ,c区内のYクリニックを受診したところ,うつ病との診断を受けた。その後,原告は,過呼吸の症状に加え,物を投げつけたり,自傷行為に及ぶようになり,壁に頭を打ちつけたり,ベランダから飛び降りようとしたり,包丁を持って外に飛び出したりすることもあった。

(カ) そうしたことが続くため,岩手宅の近隣住民から苦情が出ることもあり,岩手は,そのころ,原告の母花子に電話をかけ,原告の病状とそれが被告による本件性的虐待行為に起因するのではないかということを伝えたが,その後,花子からは特段の連絡はなかった。

(キ) 原告は,平成14年1月,血便が出たため,肝炎の疑いがあるということで,X病院に検査入院したことがあった。

(ク) 原告は,同年2月13日,b区内のクリニックWを受診し,被告から性的虐待を受けたことを話したが,その際も興奮しがちであり,引き続き通院することとなった(甲9)。

(ケ) 原告は,同クリニックの紹介により,同年4月3日,V大学病院精神神経科を受診したが,泣きじゃくるばかりで,退行が見られ,何らかの人格障害があり解離症状を引き起こしている可能性が考えられるような状態であった。同病院では,外来通院が困難であれば,母花子の居住地に近い場所での入院治療が好ましいと判断した(甲10)。

原告は,上京してきた母花子に会いに行く途中,岩手の運転するバイクから降りて,付近の池に飛び込んだり,花子と会っている最中に,道路に飛び出してトラックに轢かれそうになるなどの行動を取り,また,父太朗が原告を迎えに岩手宅を訪れた際には,包丁を振り回して暴れることがあった。

(コ) 原告は,同月10日,d市内のU病院において,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律33条に基づく医療保護入院として入院することになった。入院当初から,原告には,興奮して大声を出したり,壁に頭を打ちつけたりするなどの不穏,興奮,自傷行為,暴力行為が見られたため,本人保護のために隔離室が使用された。担当医師は,原告の病名を解離性障害と診断した上で,併せてPTSDの疑いがあると判断した。

同年6月11日までの入院期間中,原告は,手から血が出るほどに壁を叩いたり,突然大声で叫んだり泣いたりし,布団等を投げ飛ばしたり,廊下に座り込んで泣きわめいたり,「カミソリで手首を切って死ぬ。」と言って泣いたりするなどの行動を取り,時には,被告の声が聞こえると訴えることもあったため,解離性知覚麻痺(視覚障害,皮膚知覚障害),一過性の幻覚(幻聴,幻視),健忘症状,突然の恐怖症,パニック発作,自傷行為,抑うつ状態,退行,気分変調等の精神症状が見られると診断された上,「原告本人の精神症状の重篤さから判断しても重大な心理的原因の存在を推定できる」として,原告本人の訴えに基づいた治療が続けられた(甲1,2,11,17の1ないし4)。

(サ) 原告は,退院後,Tセンターに通い,同年7月末ころ,東京の岩手宅に帰った。

しかし,東京に戻った原告は,再び症状が悪化して自傷行為等を行うようになり,同年9月から12月まで,S研究所に通い,心理療法と催眠暗示療法を受けた。同研究所では,カウンセリングの過程で,原告にはトラウマ(心的外傷)を見いだすことができると判断した(甲3)。

(シ) 原告は,同年11月の深夜,自分が働くこともできず自立できずにいることへの不安や,自分の病状について家族の理解が得られずにいることの悩みから,パニック症状を起こし,パジャマ姿のまま岩手宅を飛び出し,タクシーで,e市内にある母花子方の祖父母宅へ行き,すべての事情を話した。

(ス) 原告は,平成15年2月,S研究所に代えて,再びクリニックWに通院するようになった(甲9)。

(セ) 原告は,同年4月25日,東京都知事から,精神障害者として精神障害者保健福祉手帳(障害等級2級)の交付を受けた(甲4)。

(ソ) 原告は,同年6月28日と同年9月25日の2度にわたり,青森クリニックを受診し,PTSDの診断基準に基づく診断の結果,PTSDとの診断を受けた(甲12,30,証人青森冬男)。

この診断に当たり,青森医師は,原告に対し,臨床心理の専門的訓練を積んだ秋田春子の協力を得て,PTSD臨床診断面接尺度(DSM―Ⅳ版)の診断基準を用いて慎重に面接を行ったところ,診断基準AないしFの各基準について,原告には,再体験(侵入的想起),刺激の持続的回避や全般的反応性麻痺,覚醒亢進症状等の点で,具体的根拠をもってすべての基準を満たすものと考えられるから,外傷的出来事が存在し,PTSDであると認められるとした上で,それが本件性的虐待行為に起因するものであり,重症度としては5段階中最も重症であると診断した。

そして,青森医師は,原告に解離性障害が見られたとしても,重症のPTSDには解離性障害を伴うことがあり,原告の解離性障害の症状は精神病性のものではないと判断している。

(タ) 原告は,同年12月から平成16年3月まで,f市内のR病院に入院して治療を受けたが,同病院では解離性障害(疑い)と診断された(甲5)。

(チ) 原告は,現在も,岩手宅に同居し,同人の支援を受けて生活しているが,近所での買い物程度は一人でできるものの,電車に乗ることもできず,人混みの中では過呼吸になり,パニック症状を起こしそうになるなど,症状には特段の改善は見られない。就労はできず,生活保護を受給している状態にある。

以上に認定した原告の病状及び治療経過等に基づいて考えると,原告は,被告宅を出た後の平成11年ころから精神症状を示すようになり,その症状が次第に憎悪したが,その間,原告は,受診先において,その都度,一貫して,被告から受けた本件性的虐待行為の話をし,U病院やS研究所では,いずれも,原告の症状からみて,心理的原因や心的外傷の存在の可能性を肯定しており,特に,青森医師は,本件性的虐待行為に基づくPTSDの発症を診断していることが認められる。

エ  以上の事実関係,殊に,原告の供述内容が前記のとおり具体的かつ詳細で信用できるものであることに加え,原告の精神症状については,医学的にみても,心的外傷の存在を肯定し得るものとされており,本件においては,本件性的虐待行為以外に,原告についてそのように重大で深刻な症状を惹起させるに足りるような原因を見いだし難いこと,さらに,PTSD患者の診断について豊富な臨床経験を有する青森医師が,原告の供述及び病状について,原告に現れた症状には一貫性があり,原告の感情の動き等も自然であることからみて虚言の可能性はないとし,また,それが妄想によるものであるとすれば,供述が変化し,次から次へと発展していく傾向があるが,原告にはそのような点が見られないことから,妄想によるものではないと証言し,その証言内容は極めて具体的で説得力に富むものであること,その一方で,被告は,自分も医師でありながら,青森医師の証人尋問後も,同証人の前記医学的見解に対してさしたる反証を行おうとしないことなどを総合して考えると,被告から本件性的虐待行為を受けたとする原告の前記供述は,被告の否認にもかかわらず,全体として,概ね信用することができるというべきである。

(3)  もっとも,被告は,原告の前記供述は,以下のとおり,被告宅の家屋の間取りや家族の在宅状況,その間の原告の行動等からみて,信用できないものであると主張するとともに,陳述書(乙3,7,10)及び本人尋問において同旨の供述をし,また,これに沿った前記夏子,太朗及び三郎各作成の陳述書等を提出する。

ア そこで検討するに,被告提出にかかるこれらの証拠については,まず,次のとおり,全般的に,明らかに矛盾があったり,不自然な点が多いなど,その信用性に多大な疑問を差し挟まざるを得ないものといわなければならない。すなわち,

被告本人は,その陳述書(乙7)において,原告に対して自分のことを「僕」と話すことはないと明記しながら,本人尋問においては明らかにこれと矛盾する供述をするし,また,太朗の帰宅時刻について,被告,夏子及び太朗は,当初の陳述書(乙3ないし5)では,いずれも,太朗は夜9時まで働いており,帰宅は深夜であったなどとしながら,被告及び太朗は,その後に作成した陳述書(乙7,9)では,具体的理由も記載しないまま,太朗が午後8時に帰宅することはしょっちゅうであった旨内容を変更しているのである。

また,夏子が平成14年11月から平成15年3月までの間毎年7万円ずつ原告に対して送金した事実は争いがなく,証拠(甲22,24,乙5,9)によれば,この送金が始まったのは,岩手が太朗に対して,原告の治療費等で費用がかかるので,被告に毎月10万ずつ支払って欲しいと強く申し入れたことによるものであることが認められるところ,被告は,岩手の求めに応じて支払った金員を単なる原告への「お小遣い」であると主張し,夏子も,陳述書(乙4)において同旨の記載をするが,この送金が,本件性的虐待行為の有無が既に関係者間で問題になっていた時期にされたものであるにもかかわらず,夏子が送金の趣旨をそのように述べるのは不自然な強弁というほかない。

イ 次に,本件性的虐待行為の有無につき,被告は,原告の部屋を頻繁に訪れたとすれば,廊下の床がきしむので,家族が当然気づいたはずであるが,そのような事実はなかったこと,当時,被告は原告と一緒に風呂に入っておらず,洗髪の関係で,夏子が原告と一緒に入ることがしばしばであったこと,本件性的虐待行為が行われていたとすれば,原告は同居の父に相談したはずであるし,その後も原告は頻繁に被告宅に立ち寄っているなど不自然な行動を採っていると指摘する。

しかし,被告は,その一方で,本人尋問において,夜,トイレのために起きた際には,時折,原告やその弟の部屋へ行って寝ている様子を見たこと自体は自認しているのであるし,また,入浴の点についても,被告提出の前記各証拠は,被告がそのころ原告と一緒に風呂に入ったことが一度もないとするまでの内容のものとはいえない。

また,夏子は,夜,目が覚めたときに,被告が寝室内にいなければ不自然に思うはずだが,そのようなことはなかった旨述べ(乙4),また,太朗も,被告が原告の部屋に頻繁に出入りすることには気づかなかった旨述べ(乙5,9),三郎も同旨のことを述べる(乙6)が,いずれも,自己の意見や憶測を述べるにとどまるものである上,夏子については,当時睡眠導入剤を服用していたものであるし,太朗については,その帰宅時刻が深夜に及ぶものであったことは前記のとおりであるから,被告の夜の行動を知らない可能性が高いし,また,三郎は,その当時の年齢からみて十分な記憶があるとは考え難く,結局,これらの証拠は,原告の前記供述の信用性を左右するには足りないというべきである。

さらに,原告が長期間にわたって本件性的虐待行為を受けたとしながらも,その事実を長い間誰にも打ち明けず,また,被告宅を出た後も,被告宅に立ち寄って被告から更なる性的虐待を受けたとしたり,平成13年5月ころには,自動車教習所へ通う期間中被告宅で同居したりしたことについては,被告から前記のような脅迫を受けていたことのほか,思春期のころの恥ずかしさや,医師として信頼されている被告のことを話しても,回りの者には信用してもらえないなどと考えたから,家族には打ち明けなかったとする原告の供述は,あながち不自然なものとはいえないし,さらに,青森医師が,近親者から性的虐待を受けた場合,一般的に,被害者がそのような状態から逃げ出したり,抵抗したりすることは非常に困難であり,性的虐待を受けた事実を他の近親者に相談しないという例が多く見られるとした上で,被害者が加害者である近親者に近づくということも,複雑な心理状況に起因して見られる行動である旨証言していることに照らして考えれば,原告の前記行動をもって直ちに不自然,不合理なものとすることはできない。

ウ 以上のとおり,被告本人の供述及びこれに沿った前記各証拠は,いずれも直ちに採用することはできない。

(4) そうすると,前記(1)の原告の供述によれば,原告は,平成4年10月(当時11歳で,小学校6年生。)ころから平成12年秋までの約8年間にわたり,被告から本件性的虐待行為を受けたものと認めるのが相当である。

2  争点2(原告のPTSD発症の有無及びその程度)及び争点3(本件性的虐待行為とPTSD発症との間の因果関係の有無)について

前記1(2)ウで判示したとおり,青森医師は,その意見書(甲12)及び証人尋問において,原告は,長期間に及ぶ本件性的虐待行為のためにPTSDを発症し,その程度は最も重症であると診断しており,これによれば,原告は,最も重いPTSDに罹患しており,このPTSDと本件性的虐待行為との間には因果関係があると認めることができる。

この点について,被告は,青森医師による前記診断基準に基づくPTSD罹患の診断についていくつか疑問がある旨指摘するが,他の医学的証拠をもって具体的に反論するものではない上,前記のとおり,甲12及び青森医師の証言は具体的で説得力があり,十分信用できるものであるから,これに反する被告の主張は採用できない。

3  争点4(原告の損害額の算定)について

(1)  後遺障害に基づく逸失利益 3463万7165円

ア 後遺障害の有無及び程度

青森医師の証言によれば,PTSDの症状は,一般的に,医師やカウンセラーによる強力なサポート及び友人によるサポートがあれば,徐々に回復することはあり得るが,青森医師が過去に診断した38名のPTSD患者のうち,3分の1は,比較的短期間で回復し,残りの3分の2は,回復するまでに数年,十数年を要していること,原告については,現在のPTSDの症状は,これら38名の患者と比較した場合,一番重い方であって,性的被害に起因するケースは長期化しがちであるため,今後,強力なサポートがあれば,数十年にわたって徐々に回復することがあり得るにせよ,当分は就労できないものと判断していることが認められ,この事実と前記1(2)ウで認定した原告の病状の推移や甲12及び青森医師の証言を総合すれば,原告は,平成11年ころから精神症状が出現し,その後次第に症状が増悪し,自傷行為,暴力行為,パニック症状や一過性の解離性障害等が見られるようになり,その改善が見られないとしてU病院に入院した平成14年*月(満21歳)の時点では,PTSDの症状が後遺障害として固定し,その結果,原告は,近所での買い物程度しか一人でできず,電車にも乗れない状況にあり,通常の日常生活や就労ができない状態に至っているものと認められる。

したがって,そうした原告の状況等からすれば,後遺障害の程度としては,労働者災害補償保険法に基づいて定められた後遺障害別等級の5級2号「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するというべきであるから,これにより,原告はその労働能力を79パーセント喪失したものと認められる。

そして,将来の軽快可能性に関する青森医師の前記証言のほか,原告の症状固定時の年齢や現在の症状の内容及び程度,本件の後遺障害には器質的な変化を伴っていないことなどを考慮すると,後遺障害による労働能力喪失期間としては,平成14年4月から20年間とするのが相当である(中間利息控除に関するライプニッツ方式の係数は12.4622)。

イ 基礎収入額

原告のこれまでの就労状況としては,既に判示したとおり,高校卒業後にしばらくの間アルバイトをした程度であり,前記症状固定時には無職であったが,原告については,高校のデザイン科を卒業しており,卒業後間もなくに発症した精神症状,更にPTSDがなければ,通常の就労が可能であったと考えられるから,逸失利益の算定に当たっての基礎収入額としては,賃金センサス平成14年第1巻第1表産業計・企業規模計・学歴計・女性労働者の全年齢平均年収である351万8200円によるのが相当である。

ウ 以上に基づいて算定すると,次の計算式のとおり,3463万7165円となる(円未満四捨五入)。

351万8200(円)×0.79×12.4622

=3463万7165(円)

(2)  慰謝料

ア 本件性的虐待行為に基づく慰謝料 1000万円

これまでに判示した本件性的虐待行為の内容やその期間,頻度と原告の年齢,原告に現れた精神症状の重篤さ,さらに,本件において被告が否認していることなど諸般の事情を総合考慮すれば,原告が本件性的虐待行為によって被った精神的苦痛はまことに重大で深刻なものであり,これを慰謝するための慰謝料としては,1000万円が相当である。

イ 後遺障害に基づく慰謝料 1000万円

原告の後遺障害が5級であり,労働能力喪失期間を20年と認めるべきことや,原告のPTSDの症状の内容,程度等からすれば,後遺障害に基づく慰謝料としては,1000万円が相当である。

(3)  弁護士費用 500万円

本件事案の内容及び認容すべき損害賠償額等を考慮すれば,本件の不法行為と相当因果関係にある損害として認めるべき弁護士費用は,500万円が相当である。

(4)  以上の合計額5963万7165円から,原告が損害の填補として控除すべきことを自認する35万円を差し引くと,被告が原告に対して賠償すべき金額は,5928万7165円となる。

4  以上によれば,原告の本訴請求は,5928万7165円及びこれに対する本件の不法行為後である平成13年9月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・安浪亮介,裁判官・柴﨑哲夫,裁判官・牧野宇周)

別紙主張対照表<省略>

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