東京地方裁判所 平成15年(ワ)23709号 判決 2005年11月22日
原告
甲野太郎
訴訟代理人弁護士
岡本好司
被告
伊藤忠テクノサイエンス株式会社
代表者代表取締役
岡﨑友信
訴訟代理人弁護士
野村晋右
同
秋山洋
同
米山一弥
主文
1 被告は,原告に対し,635万7000円及びこれに対する平成15年10月24日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 本件訴えのうち,懲戒解雇の無効の確認を求める訴えを却下する。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は4分の3を原告の負担とし,4分の1を被告の負担とする。
5 この判決1項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告が原告に対し平成15年9月11日付けでした同月12日付け懲戒解雇は無効であることを確認する。
2 被告は,原告に対し,2296万2250円及びうち1296万2250円に対する平成15年10月24日から支払済みまで年6分の割合による金員を,うち1000万円に対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告から懲戒解雇の通告をされた原告が,①懲戒解雇の無効確認,②被告を退職したとして退職金の支払,③懲戒解雇の通告は不法行為に該当するとして,慰謝料及びストックオプションの権利行使ができなかったことによる損害の賠償,④厚生年金基金の積立金の返還,を請求する(遅延損害金の起算点は訴状送達の日の翌日)事案である。
1 争いのない事実
(1) 被告は,コンピュータ及びコンピュータ関連機器の販売やソフトウェアの開発,販売等を目的とする会社である。
原告(昭和31(1956)年*月*日生まれ)は,昭和55年(1980)年4月1日,伊藤忠データシステム株式会社と雇用契約を締結して雇用され,平成元(1989)年10月1日に同社が被告に吸収合併された時,新たに設立された被告の子会社であるシーティーシー・ファイナンシャルエンジニアリング株式会社(以下「CTCファイナンシャル」という。)に出向し,平成13(2001)年4月1日,同社のプロジェクト営業部部長に就任し,平成14(2002)年4月1日からは,同社のシステム営業本部本部長代行兼経営戦略室室長代行,プロジェクト営業部部長として就労していた。同社は,平成15(2003)年9月1日,被告に吸収合併された。
(2) 被告は,原告に対し,平成15年9月11日,原告が行った①正式受注前の成約計上・成約取消しの未処理,②仲介取引における与信未設定・販売代金入金前の仕入代金支払,③不適切な追加原価処理・取引書類偽造は,就業規則74条(2),(6),(16)に該当するとして,同月12日付けで懲戒解雇する旨通告した(以下「本件解雇」という。)。
なお,被告の就業規則74条は,
「従業員の行為が次の各号の一に該当する場合は,懲戒解雇に処する。
(2) 就業規則又は会社の諸規定或は業務上の指示命令に従わず,会社の秩序を乱しその情の重いとき
(6) 故意又は重大な過失により会社の信用を著しく毀損し又は会社に著しい損害を及ぼしたとき
(16) その他前各号に準ずる行為があったとき」
と規定している。
(3) 原告は,平成15年9月19日,被告を退社するための手続を行い,同日付けで退職証明書が発行された。
(4) 平成15年9月に原告が被告を退職した場合の退職金は,会社都合による退職の場合は1296万3000円であり,自己都合による退職の場合は635万7000円である。
(5) 原告と被告は,平成14年9月2日,次の約定で,被告株式について,新株予約権割当(ストックオプション)契約を締結していた。
株数 3000株(1個当たり100株の予約権30個)
発行価額 無償
行使価額 3504円
行使期間 平成16年7月1日から平成19年6月30日まで
予約権の返還事由 原告が自己都合により被告又は被告のグループ事業会社の従業員の地位を喪失した場合,懲戒解雇の処分を受けた場合は,何らの手続(返還に関する手続を除く。)を要せず直ちに新株予約権は被告に返還されたものとする。
2 争点
(1) 本件解雇の無効確認を求める確認の利益があるか。
(2) 本件解雇に解雇理由はあるか。解雇権の濫用か。
(被告の主張)
ア 正式受注前の成約計上・成約取消しの未処理
原告は,ブロード・フィナンシャル・テクノロジー株式会社(以下「ブロード」という。)との取引が正式受注に至っていないのに,契約が成立した段階で行うべき成約計上(合計30億円)をした。さらに,成約に至らないことが確定したのに,4億8000万円の取消処理をしただけで,他の部分の取消処理をしなかった(いずれも販売管理規程違反)。この成約計上により,原告にインセンティブ141万円が支払われている。
イ 仲介取引における与信未設定・販売代金入金前の仕入代金支払
原告は,CTCファイナンシャル代表取締役社長(当時)である春野一郎(以下「春野」という。)とともに,株式会社プライムシステム(以下「プライム」という。)から紹介された仲介取引5件(成約金額の合計21億9232万円)において,新規顧客との取引の要件とされる与信設定をしなかった。しかも,販売先からの入金が確認されてから,仕入先に代金を支払うことを条件としているのに,販売代金未入金のまま,仕入代金11億7242万円を支払った(いずれも販売管理規程違反)。これにより,被告は不良債権を抱えるに至った。
ウ 不適切な追加原価処理・取引書類偽造
原告は,春野とともに,上記仲介取引による利益4213万円を架空取引によりプライムに還元しようとした。すなわち,プライムを売主,CTCファイナンシャルを買主とする架空取引の書類を偽造し,架空の追加原価処理をした(経理規程違反)。
エ 以上の各行為は,懲戒解雇事由に該当する。原告に対して弁明の機会を与え,被告の経営会議の諮問を受けるなど,本件解雇は適法な手続を経て行われているのであって,解雇権の濫用に当たらない。
(原告の主張)
ア 正式受注前の成約計上・成約取消しの未処理について
ブロードとの取引は,正式な受注を受けていた。この受注及び成約計上は,社長である春野が承認し,あるいは春野の指示に従ったものであるし,被告の経営会議でも承認されていた。成約取消しをしなかったのは,ブロードから書面による正式のキャンセルがなかったことと,事業が東証コンピュータシステム株式会社に承継される可能性があったからである。
イ 与信未設定・販売代金入金前の仕入代金支払について
春野及び総務経理部部長の夏川二郎(以下「夏川」という。)らが判断して進めたものである。原告は,春野の指示に従ったに過ぎない。
ウ 不適切な追加原価処理・取引書類偽造について
原告は関与していない。何らかの関与があったとしても,春野の指示に従っただけである。
エ 以上のとおり,原告には懲戒解雇事由に該当する行為はないし,仮にあったとしても,原告は春野の指示に従っただけであること等の事情によれば懲戒解雇することは解雇権の濫用である。
(3) 原告に退職金請求権があるか。退職金請求権がある場合,退職金はいくらか(自己都合退職か会社都合退職か,退職金減額事由があるか,インセンティブ返還請求権との相殺が認められるか)。
(原告の主張)
原告は被告が解雇の撤回をしないので,もはや復帰は不可能と判断し,会社都合によるという条件付きで被告を退社するための手続を行った。(本件訴訟では,退職金として1296万2250円の支払を請求する。)
(被告の主張)
本件解雇は有効であり,原告に退職金請求権はない。
仮に本件解雇が無効であり,原告が被告を退職したのであったとしても,自己都合退職である。そして,原告の退職は懲戒解雇に準ずる事由により退職したのであるから退職金規程8条2項により5割が減額される。さらに,被告は,原告に対して,平成17年10月4日の口頭弁論期日において,インセンティブ返還請求権(不当利得返還請求権。141万円)と原告の退職金請求権を対当額で相殺する旨の意思表示をした。
(4) 解雇の通告を受けたことによる慰謝料請求が認められるか。
(原告の主張)
原告は,被告による不当な懲戒解雇の告知により,名誉・信用を著しく毀損され,精神的苦痛を受けた。その損害額は1000万円である。(本件訴訟では,ストックオプションを行使できなかったことによる損害,厚生年金積立金返還と併せて,合計1000万円の範囲で請求する。)
(被告の主張)
本件解雇は適法であり,不法行為に当たらない。
(5) ストックオプションを行使できなかったことは被告の不法行為によるものか。その損害額はいくらか。
(原告の主張)
原告は,本件解雇によりストックオプションの行使ができなかった。予約権行使期間中の平成16年8月31日の被告の株価は4830円であったから,原告は,次の計算式のとおり,権利行使価格3504円との差額に取得できる株数3000を乗じた397万8000円の利益を失ったことになる。
(4,830−3,504)×3000=3,978,000
(被告の主張)
本件解雇により原告のストックオプションは被告に返還されたものと扱われるから,原告はストックオプションの権利行使をする立場にない。原告が自己都合退職をした場合であっても同様である。なお,平成16年8月31日の株価は権利行使期間中の最高値であり,逸失利益としての実質はない。
(6) 厚生年金基金の積立金の返還を求めることができるか。
(原告の主張)
原告は厚生年金基金を177万円前後積み立てたので,その返還を求める。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(解雇無効の確認の利益)について
確認の訴えは,現在の法律関係の確認を求める場合に限り確認の利益が認められる。過去の法律行為が無効であることについて確認の利益が認められるのは,その無効を確認すべき理由が特に存在する場合に限られる。
本件解雇が無効であることの確認を求める訴えは,過去の行為が無効であることの確認を求めるものである。原告は,名誉・信用の回復のため,また,原告の退職が会社都合によるものであることを明らかにする必要があるため,確認の利益があると主張する。しかし,退職金請求の訴えにおいて,懲戒解雇の有効・無効は判断されるから,退職金請求の訴えと別に解雇無効確認の訴えを提起する理由はない。原告の退職が会社都合かどうかは,解雇無効確認の訴えでは判断されない。他に,本件解雇の無効を無効確認の訴えによって確認すべき理由は認められない。
よって,本件解雇の無効確認を求める訴えの利益はなく,不適法な訴えとして却下すべきである。
2 争点(2)(本件解雇の有効性)について
(1) 認定事実
争いのない事実に証拠(証人春野,原告本人,各項記載のもの)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 平成13年2月当時,プライムは,子会社であるブロードを通じて,証券業務のASP事業(証券業務に必要なデータ処理,顧客管理,会計管理等を行う機能を,ネット(通信回線)を介して,各証券会社に提供する事業)を始めようとしていた。CTCファイナンシャルは,同月以降,被告の冬木特別顧問の紹介により,ブロードへの出資の話を進めていた。(甲21,38)
イ 平成13年4月,CTCファイナンシャルは,プロジェクト営業部を立ち上げ,原告がその部長となったが,成約の目標を達成できないでいた。原告は,同年5月ころから,ブロードが行うASP事業に必要なハード,ソフトの販売,保守の受注を獲得しようとして,ブロードと商談を進め,同年9月には,受注できそうな見通しとなった。そして,同年9月4日付けで,CTCファイナンシャルとブロードの間で,導入予定機器,ソフトウェアを記載した発注検討確認書が作成された。この確認書には,春野がCTCファイナンシャルの代表取締役として記名押印し,原告が同年8月29日付けで作成したASP事業に必要な機器の見積書(総額28億5000万円)が添付された。ただし,「実際の発注に関しては,別途定める契約を締結し,正式な受発注を行うものとする」旨が記載された。(甲21,26の1・2,38,乙15,16)
ウ 原告は,平成13年9月28日,ブロードからの受注予定のうち,リスクが少なく,導入機器も概ね確定し,受注は確実であると考えた12億円分について,契約締結がされていない段階であったが,成約計上をした。原告が成約計上することは,その前後に,春野が承認した。その後も,ブロードとの協議は続き,導入機器等や金額が変更されたりした(同年10月17日付けで発注検討確認書が再度作成され,これに添付された見積書では金額は30億円となった。)。原告は,ブロードからの受注は確実であると考え,いずれも契約締結前であったが,同年12月28日に8億5000万円,平成14年1月31日に5億5000万円,同年2月28日に4億円の成約計上をした。これらの成約計上についても,春野は承認していた。原告は,以上4件の成約計上(合計30億円。以下「本件成約計上」という。)によって,合計141万円のインセンティブ(報酬)を受け取った。(甲27の1・2,38,乙8から11まで,16,64,67)
エ ところが,ブロードの機器,ソフトウェアの納入は,当初に予定していた平成14年12月が近づいても,進んでいなかった。同月12日,ついに,ブロードが証券業務ASP事業の機器発注を断念したことが伝えられた。CTCファイナンシャルは,同年4月以降,プロジェクト営業のみならず,全社的に成約実績が計画を下回り,同年8月には計画を下方修正したが,それでも実績は伸びていなかった。そこで,春野と原告は,ブロードの親会社であるプライムを訪問し,代表取締役の秋山三郎に対して,ASP事業の機器発注が中止されたことの穴埋めとなる取引を協力要請した。(甲20,39,乙15,17)
オ その結果,平成14年12月中旬,プライムが進めていた①売主を株式会社ソルクシーズ(以下「ソルクシーズ」という。),買主をプライムとする取引,②売主を岡谷鋼機株式会社(以下「岡谷鋼機」という。),買主をプライムとする取引ほか3件の取引について,CTCファイナンシャルが仲介業者として間に入る(例えば,上記①の取引でいうと,CTCファイナンシャルが,ソルクシーズから仕入れをし,プライムに販売する)ことになった。ただし,CTCファイナンシャルとプライムの間で,この5件の仲介取引によるCTCファイナンシャルの利益は,プライムに還元することが,合意された。(甲20,39)
カ 上記仲介取引のうち,まずプライムとソルクシーズ間の仲介取引を行うため,平成14年12月下旬ころ,CTCファイナンシャルのプロジェクト営業部は,ソルクシーズを仕入先,プライムを販売先とする取引申請書を作成した(ただし,文書の作成日付けは,同年11月25日付けになっている。)。この取引申請書に,原告はプロジェクト営業部部長として押印し,代表取締役の春野及び総務経理部部長の夏川は,これを決裁した。この仲介取引について,プライムに対する与信設定はしないが,同社からの販売代金入金後にソルクシーズに対する仕入代金を支払うことを条件とすることにし,上記取引申請書に,春野,原告,夏川がそれぞれ,「入金確認後支払のこと」「必ず入金確認願います」「入金確認後支払手続き致します」と記載した。これに基づき,CTCファイナンシャルは,ソルクシーズ,プライムとそれぞれ契約を締結した。ただし,ソルクシーズとの契約では,入金後支払である旨は契約書に記載されなかった。(甲39,乙19の1から8まで)
キ 同様に,平成14年12月20日付け又は平成15年1月15日付けで,プロジェクト営業部は,プライムと岡谷鋼機間の仲介取引ほか3件の仲介取引についても,取引申請書を作成し,原告が押印し,春野,夏川が決裁した。いずれも,与信設定をしないが販売代金入金後に仕入代金支払をすることにし,各取引申請書には,1件を除いて,「入金後支払」である旨が記載された。これらに基づき,CTCファイナンシャルは,これらの仲介取引についても,契約を締結した。ただし,各仕入先との契約では,入金後支払とする旨は各契約書に記載されなかった。以上5件の仲介取引(以下「本件仲介取引」という。)における仕入代金の合計は21億9232万円,販売代金の合計は22億3445万円であった。(甲39,乙19の1,40の3から6まで,47から50までの各1・2)
ク CTCファイナンシャルは,ブロードとASP事業に必要な機器等の販売契約は締結しないことが確定したが,原告は,本件成約計上のうち,平成15年3月ころまでに4億8000万円の成約取消手続をしただけで,残りは,本件仲介取引に付け替えた。(甲39)
ケ これと並行して,原告及び夏川は,プライムとの間で,本件仲介取引による利益をCTCファイナンシャルからプライムに還元する方法について,話を進めた。最終的には春野が決断をして,プライムから利益相当分の機器等を仕入れたことにし,その代金として上記の利益相当分を同社に支払う方法をとることにした。そのために,平成15年1月ないし2月ころ,虚偽の注文書等が作成されるとともに,虚偽の仕入による利益相当分の支払額は,現実に行われた別の販売案件の原価に含ませて処理された。(甲30から35まで,乙20,21)
コ そうしたところ,平成15年4月,本件仲介取引のうち,仕入先であるソルクシーズ及び岡谷鋼機が,入金後支払の特約はないと主張し,代金をすぐに支払うよう強く要求してきた。最終的には春野が決断して,CTCファイナンシャルは,ソルクシーズ及び岡谷鋼機に対して,販売先であるプライムからの入金が未了であるにもかかわらず,代金合計11億7242万円を支払った。しかし,当時,プライムからの販売代金入金の見込みは立たず,その後も支払はされなかった。(甲39)
サ 以上のうち,まず,プライムに対する債権回収ができないことがCTCファイナンシャルの親会社である被告に明らかになり,春野は,平成15年6月30日の臨時株主総会で,責任を取って取締役を退任し,被告の顧問に就任した。その際,春野に対して,退職慰労金435万円が支払われた。その後,契約締結前の成約計上や,虚偽の注文書等作成・追加原価処理による利益の還元が明らかになり,春野は,同年9月12日,顧問を解任され,原告は,同日付けで懲戒解雇の告知を受けた。(乙71)
(2) 解雇理由の有無
以上の事実を前提として,まず,解雇理由の有無を検討する。
原告は,ブロードとの間で正式に契約が締結される前に総額30億円の本件成約計上を行い(前記(1)ウ),かつ,契約の締結がされなくなったことが確定したにもかかわらず,4億8000万円の成約計上の取消手続をしただけで残りは成約計上の取消手続をしなかった(同エ,ク)。被告の販売管理規程では,成約計上は契約締結をした時に行うこととされ,契約締結前は仮成約手続が別にあり,被告に吸収合併される前のCTCファイナンシャルでも,明文の規定はないものの同様の扱いがされていた(甲21,乙45,62,弁論の全趣旨)。原告の上記成約計上及び成約取消しをしなかったことは,この扱いに反することが明らかである。
次に,原告は,本件仲介取引に,担当部であるプロジェクト営業部の部長として関与したが,仕入先のプライムに与信設定をせず,CTCファイナンシャルでは販売代金入金後に仕入代金を支払うこととしてたにもかかわらず,各契約書にその旨を明記せず(同カ,キ),入金前の支払がされることにつながった(同コ)。被告の与信管理規程では,新規顧客と取引を開始する際には,与信限度の設定を申請し決裁を受けることとされ,また,販売管理規程や営業事務処理要領では,契約の合意内容につき紛争を招かないよう留意し,口頭契約は原則として認めないとされ,被告に吸収合併される前のCTCファイナンシャルでも,明文の規定はないものの同様の扱いがされていた(甲12,乙4,45,62,弁論の全趣旨)。原告が関与した本件仲介取引は,与信限度を設定するという扱いに反するし,仮に,入金後支払を契約の条件にすれば与信限度設定をしなくてよいとしても,実際の契約締結に当たって入金後支払を契約書に明示しなかったのだから,いずれにしても,上記扱いに反するというべきである。
また,原告は,仲介取引による利益をプライムに還元するため,虚偽の注文書等の作成に担当部の部長として関与し,その利益分の追加原価処理にも関わっている(同ケ)。被告の経理規程には会計伝票は正確に記載しなければならないとされ,被告に吸収合併される前のCTCファイナンシャルでも同様の扱いがされていた(乙5,45,弁論の全趣旨)。原告が関与した上記の処理は,この扱いに違反する。
そうすると,原告の上記各行為は,被告の懲戒解雇事由を定めた就業規則74条(2)「就業規則又は会社の諸規定或は業務上の指示命令に従わず,会社の秩序を乱しその情の重いとき」及び(6)「故意又は重大な過失により会社の信用を著しく毀損し又は会社に著しい損害を及ぼしたとき」に該当するというべきであり,本件解雇には解雇理由があると認められる。
(3) 解雇権の濫用について
次に本件解雇が解雇権の濫用かに当たるかどうかを検討する。
まず,本件成約計上は,形式的にCTCファイナンシャルの規則あるいは扱いに反するというだけでなく,売上金額の実績を歪め,また,仮に成約に至らなかった場合には,これを隠すためにさらに無理を重ねるということにもなりかねず(現に,原告らは利益を還元することまで約して本件仲介取引を締結するに至っている),違反の程度は軽微とはいえない。しかし,本件成約計上は,全く架空のものではなく,商談を進め,受注ができそうになり,販売する機器等もほぼ確定したことから行ったものであり,成約計上をする時期が早すぎたに過ぎないということができる。原告及び本件成約計上を承認した春野も,契約締結が確実であると考えて成約計上をしたのであり,CTCファイナンシャルの売上げを増加させる意図があったことは間違いがないけれども,虚偽の計上により売上額を水増しをしたという意識はなかったし,まして,インセンティブの取得等,自己の利益のために本件成約計上をしたものではない。契約締結前に成約計上をし,正式の契約締結に至らない場合でも,それだけではCTCファイナンシャルに損害が発生するわけではない。成約計上によりインセンティブが支払われたとしても,返還がされれば,CTCファイナンシャル社に実損はない。また,本件成約計上は,金額の規模からも,現に代表取締役の春野が承認していることからいっても,原告が個人的に行ったというより,CTCファイナンシャルが組織として行ったものである。原告が担当部の責任者であったとしても,原告だけが責任を負うべきものではない。以上からすれば,本件成約計上による責任を過大視するのは疑問である。
次に,原告は,本件仲介取引において与信設定がされなかったこと,入金後支払である旨が契約書に記載されなかったこと,入金前に11億円余を支払い回収ができなかったことに,いずれも関与しているといえるけれども,最終的な判断をしたのは代表取締役の春野である。とくに,被告に多額の損害を与えたのは,入金がされていないのに11億円余を支払ったことであり,このことについては,原告が支払を勧めた事実も,支払に積極的に賛成した事実もなく,せいぜい,春野が支払を決める際に反対をしなかったというだけであって,原告の関与の度合いは小さいといえる。
また,利益を還元するための虚偽の注文書作成,追加原価処理は,そもそも,売上額を増加させるために利益にならない仲介取引を行ったこと自体,非常に問題があるが,その原因は原告による本件成約計上にあるとはいえ,これも代表取締役である春野が決めたことであり,原告の関与は相対的に小さい。
ところが,春野に対しては,取締役の解任はされず,退任に際して退職慰労金435万円が支払われ,その後顧問は解任したが,被告は退職慰労金の返還を求めてはいない(前記(1)サ)。
以上の各事情,とくに,原告が行った本件成約計上,本件仲介取引における入金前支払,虚偽の注文書作成等は,自己の利益を図ろうとしたのでなく,CTCファイナンシャルの売上げを伸ばそうとして行ったものであること,いずれも原告の個人的な行為でなくCTCファイナンシャル全社をあげての行為であり,本件成約計上を除けば,原告の責任が最も重いとはいえないこと,本件成約計上はそれだけではCTCファイナンシャルに損害を与えるものではなかったこと,とりわけ,代表取締役の春野に対する処遇に比較して,原告を懲戒解雇することは公平の点で疑問であること,等の事情を総合して考慮すると,原告に対して何らかの処分が行われるべきであるとしても,懲戒解雇は処分として重すぎるというべきである。したがって,本件解雇は,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められないものとして,解雇権の濫用に当たり無効である。
3 争点(3)(退職金請求権の有無,退職金の金額)について
(1) 退職の事実について
争いのない事実(3)のとおり,原告は,平成15年9月19日,被告を退社するための手続を行い,同日付けで退職証明書が発行された。前記2のとおり,本件解雇は無効であるから,原告は,上記退社手続により,被告を退職したものと認められる。
(2) 自己都合退職か,会社都合退職か
原告が平成15年9月19日に被告を退社するための手続を行った,すなわち被告を退職したのは,本件解雇の通告がされ,原告はその撤回の可能性がないと判断したためである(弁論の全趣旨)。被告は原告に対して,本件解雇に代えて,会社都合による退職とするようなことを告げた事実は認められない。そうすると,原告の退職は,原告の事情によるもの,すなわち,自己都合退職というほかない。
原告が,退職するに至ったのは,被告が本件解雇の通告をしたことが原因であり,これは被告側の事情といえないこともないが,そもそも本件解雇に至る発端は原告が行った本件成約計上にあり,その後の一連の経過について,原告自身,責任があると考えているし(乙16),被告に勤務を続けることが困難であることも認識していたと推認されることも総合すれば,自己都合退職と解することは相当というべきである
。 自己都合退職の場合の原告の退職金は,争いのない事実(4)のとおり,635万7000円である。
(3) 退職減額事由による減額について
被告の退職金規程8条2項は「懲戒解雇ではないが,これに準ずる事由により退職する場合には…5割を減額する。」と定めている(甲13)。
この規定は,文言及び退職金の趣旨からすれば,懲戒解雇理由があり,懲戒解雇をすることも可能であるが,退職にとどめた場合には,退職金を減額することができる旨を定めたものと解すべきである。
前記2のとおり,原告に関しては,懲戒解雇理由が存在することは認められるが,懲戒解雇とすることは解雇権の濫用であると認められるから,懲戒解雇をすることも可能であるとはいえない。よって,退職金規程8条2項を適用することはできないから,原告の退職金が5割減額されることはない。
(4) インセンティブとの相殺について
被告は,原告に対して,平成17年10月4日の口頭弁論期日において,インセンティブ返還請求権(141万円)と原告の退職金請求権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした(弁論の全趣旨)。
しかし,退職金も賃金であるから,使用者側からの相殺は,計算違い等,賃金に明白な過払いがあり,行使の時期も相当である等,調整的な相殺の場合を除いては許されない。
被告が相殺の自働債権として主張するインセンティブの返還は,計算違いのような明白な過払いとまではいえない。また,被告は,本件解雇が無効かどうかに関係なく,インセンティブの返還を直ちに請求することができたにもかかわらず,原告の退職金支払請求が認められた時に備えて,本件訴訟の口頭弁論期日の終結の日になって,初めて相殺の主張を行ったのであり,退職金の支給額の清算,調整のための相殺とはいい難い。したがって,被告が主張するインセンティブ返還請求権との相殺は,調整的相殺として賃金との相殺が例外的に認められる場合には当たらないというべきである。
よって,原告の退職金として,前記(2)のとおり,635万7000円が支払われるべきである。
4 争点(4)(慰謝料)について
前記2のとおり,本件解雇は解雇理由があるけれども解雇権の濫用というべきものであるから,本件解雇が原告の精神的苦痛に対する損害賠償請求が認められるような不法行為に当たるとは認められない。
よって,原告の慰謝料の請求は理由がない。
5 争点(5)(ストックオプション)について
前記3のとおり,原告は自己都合退職をしたと認められる。原告と被告との間の新株予約権割当契約では,自己都合により被告の従業員の地位を喪失した場合には何らの手続を要せず直ちに新株予約権は被告に返還されたものとすると定められている(争いのない事実(5))から,原告の新株予約権は,自己都合退職により消滅したと認められる。
よって,原告のストックオプションを行使できなかったことによる損害賠償請求は理由がない。
6 争点(6)(厚生年金基金の積立金)について
原告は,厚生年金基金の積立金177万円の支払を求めているが,厚生年金基金の積立金に関して,積立てを行った時期や金額の詳細の主張も,原告と被告との間にどのような法律関係が存在し,原告は被告に対してどのような権利に基づいて積立金の返還を求めるのかについて主張も全くなく,請求は失当というほかない。
7 結論
よって,本件解雇の無効の確認を求める訴えは却下し,退職金の請求は,635万7000円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余は棄却し,その他の請求(慰謝料,ストックオプションを行使できなかったことによる損害,厚生年金の積立金)はいずれも棄却する。
(裁判官 中西茂)