東京地方裁判所 平成15年(ワ)26741号 判決 2004年9月13日
原告
X
被告
独立行政法人労働政策研究・研修機構
代表者理事長
A
訴訟代理人弁護士
井口寛二
同
野村幸代
同
上嶋法雄
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,442万8889円及びこのうち49万5489円に対する平成14年1月29日から完済まで年6分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,被告の元従業員であった原告が,被告に対し,<1>労働契約に基づく退職金未払分または不法行為に基づく退職金未払分相当額の損害賠償及びこれに対する商事法定利率年6分の割合による遅延損害金,<2>その他の不法行為に基づく損害賠償の各支払を求めた事案である。
1 前提事実(当事者間に争いがないか,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認められる事実)
(1) 当事者
ア 被告は,平成15年10月1日に特殊法人日本労働研究機構が組織変更をしたことにより成立した独立行政法人であり,同特殊法人の一切の権利義務を承継している(独立行政法人労働政策研究・研修機構法附則8条,同法施行令3条。以下,組織変更の前後を問わず「被告」という。)。
イ 原告は,平成3年7月1日に被告の事務職員として採用された。
(2) 原告の退職
原告は,平成13年11月12日,被告に対し,同年12月28日付けで退職したい旨の申出を行い,同年11月26日から同年12月28日まで連続して有給休暇を取得した後,同日付けで退職した(以下,「本件退職」という。)。
(3) 週刊朝日の記事
平成13年12月10日発売の週刊朝日(同月21日号)において,「お気楽特殊法人日本労働研究機構」「あきれた実態第1弾」などという見出しで,現職員である「B氏」が被告の実態を内部告発する趣旨の記事が掲載され,同月17日発売の同週刊誌(同月28日号)には上記記事の第2弾として同趣旨の記事が掲載された(以下,これらをまとめて「本件記事」という。<証拠省略)。
(4) 退職手当支給規程(抜粋)
被告の退職手当支給規程には,以下のような定めがある(<証拠省略>)。
第2条3項
退職手当は,職員が退職した日から起算して1月以内に支払わなければならない。ただし,特別の事情があると認められる場合は,この限りではない。
第2条の2第1項
次の各号の一に該当するものに対しては,退職手当を支給しない。
2 懲戒により解雇された者
第3条
職員の退職手当の支給割合については,次の各号による。ただし,各号の合計が55か月を超えないものとする。
1 勤続5年までの期間については,勤続期間1年につき退職時の本俸月額(以下,「本俸月額」という。)の100分の100
2 勤続5年を超え,10年までの期間については,勤続期間1年につき本俸月額の100分の140
3 勤続10年を超え,20年までの期間については,勤続期間1年につき本俸月額の100分の180
第7条
退職手当の支給を受けるべき者が自己の都合により退職する場合または第2条の2第1項2号及び3号に規定する事由に準ずる事由により退職した場合及び勤務成績が著しく不良のため退職した場合には,第3条の支給割合による退職手当の額から当該金額に100分の50以内の割合を乗じて得た額に相当する金額を減額することができる。
(5) 就業規則(抜粋)
被告の就業規則には,以下のような定めがある(<証拠省略>)。
第3条
職員は,この規則を遵守し,上司の指示に従って,誠実にその職務を遂行しなければならない。
第5条
職員は,次の各号に掲げる行為をしてはならない。
4 機構の秩序または規律を乱すこと
(6) 原告に支払われた退職手当
被告は,平成14年2月15日,原告に対し,退職手当支給規程3条により算出された金額である495万4890円から,その100分の10にあたる49万5489円を減額し(以下,「本件退職手当減額」という。),更に源泉徴収税額2900円及び住民税特別徴収税額1200円を控除した残額である445万5301円を退職手当として支払った(<証拠省略>)。
2 争点
(1) 本件退職手当減額の有効性,適法性
(2) その他の不法行為の成否
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件退職手当減額の有効性,適法性)について
(被告の主張)
本件退職は,退職手当支給規程7条の「自己の都合により退職する場合」に該当するほか,以下のアないしウの事由があるため「第2条の2第1項2号に規定する事由に準ずる理由により退職した場合」に該当することから,被告は,同条に規定された裁量の範囲内で,原告の退職手当を100分の10減額したものであって,本件退職手当減額は有効かつ適法である。
ア 原告は,平成13年6月15日から同年11月22日までの間の就業時間中に,原告が在職中職場で専用していた被告管理にかかる業務用パソコン(以下,「本件パソコン」という。)を使用して,業務上必要のない他部の文書データに少なくとも合計五百数十回アクセスし,また,およそ業務と無関係な自己の文書ファイルにもアクセスしていた。
このように原告が本件パソコンを就業時間中に頻繁かつ長時間にわたり私的目的で使用していたことは公私混同であり,職務専念義務に違反し,就業規則第5条4号に該当する(以下,「減額事由<1>」という。)。
なお,原告は,被告が本件パソコンの使用履歴を調査したことがプライバシー権の侵害にあたる旨主張するが,(ア)被告は,法人としての秩序維持及び事業の円滑な運営の必要上,早急に本件記事につき事情を調査し,その結果を踏まえて監督官庁への報告等を行う必要に迫られていたものであり,調査目的は正当かつ重要なものであること,(イ)本件パソコンは,被告がその業務遂行のために原告に貸与していたものであって,業務に無関係な私的情報が存在することは予定されていないこと,(ウ)原告は,調査当時既に本件パソコンをリース期間終了によりリース元に返すべく被告に返還していたものであり,これはハードディスク内のデータを含む本件パソコンの使用権・管理権を放棄し,被告に委ねたと見られること,(エ)本件パソコンのハードディスク内に残されていた文書データへのアクセス履歴(日時,文書名及び時間)を対象とし,管理権者である被告の総務部長立会いのもとで行われた調査であり,その手段・態様が正当であること,以上の事情からすれば,被告がした本件パソコンの調査は原告のプライバシー権の侵害にはあたらない。したがって,上記調査の結果として得られた乙第8号証ないし第10号証を証拠とすることに問題はない。
イ 原告は被告の内部文書を業務上の必要性とは無関係に私的に部外者に提供したものであって,これは就業規則5条4号に該当する(以下,「減額事由<2>」という。)。
ウ 被告は,監督官庁への報告や投書への対応,更には被告内の秩序維持のため,本件記事について早急に調査すべき必要があり,また,本件退職に関する取扱いの判断材料とするため,上記ア,イの各事実関係等を調査する必要があった。
他方,原告は,被告に対し,労働契約に付随する忠実義務(誠実義務)の一環として上記の被告の調査に協力すべき義務を負っているのであり,これは有給休暇中であっても同様である。
そこで,被告が,原告に対し,平成13年12月21日にパソコンの電子メール(以下,「メール」という。)及び郵便(後者は同月22日到達)で,同月25日または26日に被告の事務所に出頭するよう業務命令を発したところ,原告はこれに応じず上記調査協力義務に違反したものであって,このことは就業規則3条及び5条4号に該当する(以下,「減額事由<3>」という。)。
(原告の主張)
本件退職手当減額は,原告の内部告発に対する報復を目的とした懲戒権の濫用であり,また,被告の裁量の範囲を逸脱するものであるから,違法かつ無効である。その理由は以下のとおりである。
ア 減額事由<1>について
乙第8号証ないし第10号証が本件パソコンの使用履歴に関するものであることについては争う。
仮に乙第8号証ないし第10号証が本件パソコンの使用履歴に関するものであるとしても,被告がこれを原告に無断で調査することは原告のプライバシー権の侵害にあたるから,これらを証拠として採用することは許されない。
また,乙第8号証ないし第10号証を前提としても,原告が職務専念義務に違反したとはいえない。なぜなら,原告が他部署の文書データにアクセスしたのは,当時配属されていた資料センターのレファレンス業務を行うため,あるいは労働組合活動の一環としての提言やアンケートに答えるためであるし,平成13年5月24日から11月30日までの133日間におけるアクセス時間は合計575.5分(1日平均4.33分)に過ぎず,それによって原告の業務が滞るなどの実損害が生じたことは殆どないからである。
イ 減額事由<2>について
原告が本件記事につき週刊朝日に情報提供をしたことは認めるが,就業時間中にファクシミリその他の方法で被告の内部文書を部外者に提供した事実はない。
ウ 減額事由<3>について
原告は,業務以外の事柄に関する被告の調査に協力する義務は負っていないし,当時は有給休暇中であった。
また,原告は,被告の調査に対してメール及び郵便で応じていたのであるから,被告の事務所への出頭を強要される合理的理由はない。
エ 原告の勤務態度
原告は被告に採用されてから本件退職に至るまで,誠実に職務を行い,被告の事業に貢献してきた。
オ 内部告発に対する報復目的
本件退職手当減額は,当時十分な証拠もないのに原告を本件記事による内部告発の犯人と決め付けた報復であり,公益通報保護法案が成立した社会の流れに逆行し,不当である。
カ 他の事例との不均衡
本件退職手当減額は以下の各事例と比べて不均衡である。
(ア) 不正経理の指示や公金の浪費等を行った被告の元理事長の退職時に退職手当減額はなされず,関与した他の職員についても何ら処分はなされなかった。
(イ) 本件退職時に原告の上司であった資料センター長は,原告についての管理責任を問われるはずであるのに,その退職時に退職手当減額はなされなかった。
(ウ) 平成2年に被告の職員(勤続期間1年7か月)が300万円を横領して新聞報道されたことがあるが,同人は,懲戒ではなく依願退職とされた上で,退職手当が100分の50減額された。
(エ) 核燃料サイクル開発機構において予算水増し請求が内部告発により発覚した際には,担当役員らに対して減給を含む懲戒処分がなされた。
(オ) 独立行政法人放射線総合医学研究所では,不適切な経理処理をした職員に対して減給10パーセントと戒告処分がなされた。
(2) 争点(2)(その他の不法行為の成否)について
(原告の主張)
ア 被告は,原告に対し,退職を認めない場合もある旨の平成13年12月21日付け(同月22日到達)内容証明郵便を送付したが,これは,民法627条1項に違反するものである。
このような違法な脅しによって,原告は,退職できずにいじめられるか,または懲戒解雇されて退職手当が全額不支給となるかという強いストレスを感じて体調を崩したものであり,30万円相当の精神的損害を被った。
イ 被告は,原告から再三にわたって督促されたにもかかわらず,年金手帳,基礎年金番号通知書,健康保険資格喪失証明書,離職票,平成13年度源泉徴収票,雇用保険被保険者証,財形貯蓄書類ほか必要書類一式(以下,これらを一括して「必要書類」という。)の返却を遅らせたものであり,これによって,原告は,不安を感じるとともに,雇用保険の申請ができないとか健康保険に未加入なので病院に行けないなど生活に不便を来した。
また,本件では退職手当支給規定2条3項の「特別の事情」がないにもかかわらず,被告は,原告に対し,支払期限を2週間過ぎてから退職手当を支給したものであり,これによって,原告は,ハローワーク,労働基準監督署及び弁護士に相談したり,銀行に預金残高を確認しに行くなど,不安なまま色々な相談手続に追われ,他の予定をこなすことが一切できなかった。
以上によって,原告は,57万6150円(原告の本件退職時の本俸である38万4100円×1.5か月)相当の精神的損害を被った。
ウ 前記(1)(原告の主張)で述べたとおり,本件退職手当減額は違法なものであるが,被告は,これに対する原告の抗議や調停申立てに応じず,2年半にわたり原告に生活上の苦難と精神的苦痛を強いた。また,被告は,本件退職手当減額をなすにあたり,本件パソコンを無断で調査して原告のプライバシー権を侵害した。
原告は,以上の被告の行為により200万円相当の精神的損害(うち100万円が上記プライバシー権侵害によるもの)を被った。
エ 被告は,原告による内部告発が真実である旨認識していたにもかかわらず,インターネットのホームページ上(1日のアクセス1~3万件)で「これは十分な裏付け取材もないままに書かれたものとみなさざるを得ません」「事実とは思えない話や歪曲,誇張した話を断片的に羅列して(中略)当機構の実態とかけはなれたものであると考えております。」などと原告の告発行為を批判し,現在もその状態が続いている。このことは名誉毀損にあたり,原告はこれによって50万円相当の精神的損害を被った。
オ 被告は,本件記事を読んで被告に抗議や問い合わせをした人や報道関係者に「当該人物がこれまで記述したり週刊誌等に提供した情報の内容につきましては,当機構としても詳しく調査いたしました。いずれも事実に反するか,もとにある事実を著しく歪曲・誇張していると言わざるを得ません。」などと原告の告発行為を批判した。このことは名誉毀損にあたり,原告はこれによって50万円相当の精神的損害を被った。
カ 以上の損害に弁護士相談料5万7250円を加えた合計393万3400円が被告の上記アないしオの各不法行為(本件退職手当減額自体については前記(1)(原告の主張)で述べたので除く。)による原告の損害である。
(被告の主張)
ア 退職を認めない旨の内容証明郵便について
被告は,原告が就業規則違反にあたる行為をしたため,場合によっては原告を懲戒免職に処することも考えられたことから,原告に対して退職を承認しないことがあり得る旨告げたものであって,違法性はない。
イ 必要書類の返却及び退職手当の支給が遅れたことについて
必要書類の返却が遅れたのは,返却にあたって原告と直接相談しなければならない事柄があり,被告はそのことを原告に平成13年12月21日付け内容証明郵便によって伝えていたのに,原告が連絡してこなかったことによるものであって,被告の行為に違法性はない。
また,原告に対する退職手当の支給が遅れたのは,退職手当を算定するにあたり必要な調査に原告が協力しなかったためであって,このことは,退職手当支給規程2条3項ただし書の「特別の事情」にあたるから,被告の行為に違法性はない。
ウ 本件退職手当減額等について
本件退職手当減額及び本件パソコンの調査が適法であることは前記(1)(被告の主張)で述べたとおりである。
エ 名誉毀損について
そもそも被告は原告が内部告発に該当する行為をしたという認識はないし,被告が自己の管理するホームページや外部からの問い合わせに対する返信メールにおいて自己の意見ないし認識を表明したに過ぎない行為が不法行為にあたるということはできない。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(本件退職手当減額の有効性,適法性)について
(1) 事実経過
証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被告は,厚生労働省等に対して本件記事につき速やかに説明する必要があったが,本件記事中で「B氏」が語った内容と原告の経歴との間に一致する点が多いため,原告が本件記事の報道に関与しているのではないかと考え,平成13年12月10日から同月17日ころまでの間に,リース元への返却のために既に回収済みであった本件パソコンの使用履歴(作業の対象となった電子ファイルの保存場所,ファイル名,作業開始日時,継続期間等)の調査を行った。
その結果,原告が内部文書を部外者に提供したり,就業時間中に他部署の文書データの閲覧をするなどしていた疑いが生じ,これらの行為は就業規則上の禁止行為に該当することから,被告は,直接原告から弁明を聴くこととした。
イ 同月19日
被告は,原告に対し,「今後のことについて相談したいことがあります。ご連絡ください。」とのメールを送信した。
ウ 同月20日
被告は,原告に対し,「ご連絡をお願いします。」とのメールを送信し,その後,原告が被告に対して「どのようなご用件でしょうか。」とのメールを返信した。
エ 同月21日
被告は,原告に対し,「本件記事について,原告の退職前に話を聞きたいので同月25日の18時か同月26日の都合のよい時間に被告の新宿事務所役員懇談室に来るようお願いいたします。なお,その際に退職辞令の交付のこと等事務的なことも相談させていただきたいと考えております。また,このお願いは業務命令ですから,説明を聞く手続が終わらない場合には退職の承認ができない場合もあり得ることをお含みおきください。至急ご連絡をお願いします。また,その際に電話での連絡先を教えてください。」などと記載したメール及び内容証明郵便(同月22日到達)を送った。
オ 原告は,上記メールまたは内容証明郵便を読み,このままでは懲戒解雇されて退職手当がもらえなくなったり,被告の事務所に行けば職員に取り囲まれて詰問されたり暴力をふるわれたりするおそれがあると考え,結果が同じならストレスや危険の少ないほうがよいので被告には出向かずに様子を見ることにした。
カ 同月28日
原告は,被告に対し,「21日付メールを今ほど拝見いたしました。今となっては指定日を過ぎてしまい失礼いたしました。有給休暇中なのでいずれにしろ出社できませんでした。週刊誌云々について私が差し上げられる有益な情報はありません。」などと記載したメールを送信した。
(2) 減額事由<1>の存否
ア 原告は,本件パソコンの使用履歴を被告が原告に無断で調査することは原告のプライバシー権の侵害にあたるから,このような使用履歴を含む乙第8号証ないし第10号証は証拠として採用すべきではない旨主張するので検討する。
私人である使用者の行為が労働者に対するプライバシー権の侵害にあたるか否かについては,行為の目的,態様等と労働者の被る不利益とを比較衡量した上で,社会通念上相当な範囲を逸脱したと認められる場合に限り,公序に反するものとしてプライバシー権の侵害となると解するのが相当である。そして,使用者の行為がプライバシー権の侵害にあたる場合であっても,そのようにして収集された証拠が証拠能力を欠くものとして証拠排除の対象となるのは,その侵害の程度が著しい場合に限られるというべきである。
本件について見ると,本件パソコンに関する調査は,被告が本件記事に関する事実関係を明らかにして監督官庁への説明をするなどの目的で行われたものであり,その態様は,リース元への返却に伴い原告から回収した後で,調査項目をパソコン作業の対象となった電子ファイルの保存場所,ファイル名,作業開始日時,継続期間等に限って調査するというものであって,調査目的が正当である上,調査態様も妥当であり,原告の被る不利益も大きくないから,プライバシー権の侵害にあたるということはできない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告の上記主張は採用しない。
イ 以上を前提に,減額事由<1>の存否について検討する。
証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨によれば,原告が被告から貸与されていた本件パソコンの使用履歴には原告が当時配属されていた情報資料部資料管理課(通称「資料センター」)以外の文書データに対するものが数百件以上記録されており,その大部分は被告内の他部署の文書データであることが認められるが,これについて,原告が,その陳述書(<証拠省略>)及び本人尋問において,「他部署のデータへのアクセスは,資料センターのレファレンス業務の一環として外部の問い合わせに答える必要から行った。また,当時原告は資料センターの課内の庶務担当係でもあり,管理部門のデータにアクセスすることも業務に含まれていた。」旨の一応合理性のある供述をしていることを考慮すると,他部署の文書データへのアクセスが原告の業務と無関係な私用のために行われたと推認することは困難である。また,本件パソコンの使用履歴の中には「A:¥本文¥不正経理¥コラムらくらく財務諸表の読み方.doc」(開始時刻平成13年10月10日午後1時38分等)や「A:¥プロジェクトX¥私服の肥やし方.doc」(開始時刻平成13年7月2日午後2時05分等)など,被告内の他部署のものとは考え難い履歴も若干存するが,これらの文書データへのアクセスが職務専念義務違反にあたることは否定できないとしても,その違反の程度は極めて軽微であるから,これをもって,懲戒解雇について定めた就業規則2条の2第1項2号に準ずる事由ということはできない。
(3) 減額事由<2>について
被告は,原告が被告の内部文書を私的に部外者に提供して被告の秩序を乱した旨主張するが,証拠(<省略>)によれば,本件記事中には被告の内部文書の記載内容と酷似する表現が用いられている部分があること,平成13年10月5日午後1時30分に被告の事務所内のファクシミリ送信機から週刊朝日編集部宛てに何らかのデータが送信されたことが認められるものの,他方で,原告が,その陳述書(<証拠省略>)及び本人尋問において,「原告が週刊朝日編集部に提供したのは,被告の内部文書自体ではなく,これまで原告が勤務の過程において直接見聞きしたことについて平成11年ころから書きためていた原稿である。」旨供述していることを考慮すると,上記事実から直ちに原告が被告の内部文書それ自体を週刊朝日に提供したと推認することはできないというべきであり,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 減額事由<3>について
一般的に,使用者は,その事業の円滑な運営のために企業秩序を定立し確保する権限を有しており,企業秩序に違反する行為があった場合には,その違反行為の内容,態様,程度等を明らかにして,乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示,命令を発し,または違反者に対し制裁として懲戒処分を行うため,当然に事実関係の調査をすることができる。他方,労働者は,使用者に対し,労働契約に付随する義務として企業秩序遵守義務を負っているが,労働者といえども使用者の一般的な支配に服するものではないから,いかなる場合であっても常に使用者の行う上記調査に協力すべき義務を負うのではなく,使用者の事業の円滑な運営を図るために必要かつ合理的な範囲で調査に協力すれば足りると解される。
本件について見ると,被告に対する批判的な内容を含む本件記事が週刊朝日に掲載されたことによって被告の企業秩序に問題が生じたこと,そのような事態を収拾するためには本件記事への関与が疑われていた原告に対する事情聴取を急ぐ必要があったこと,その手段として,原告を被告の事務所に呼び出して直接事情を聴くことは,メールや郵便の場合よりも迅速かつ確実である上,原告の負担も少ないと考えられること,原告は有給休暇中であったが,上記(1)エのメールまたは内容証明郵便を読んでおり,指定された日時に被告の事務所に出頭して事情聴取に応じることが客観的には可能であったことが認められる。このような事情からすると,上記メール及び内容証明郵便による被告の原告に対する出頭命令は被告の事業の円滑な運営を図るために必要かつ合理的な範囲内のものであると認められ,原告はこれに応じるべき義務があったというべきである。
したがって,上記出頭命令を無視した原告の行為は,就業規則3条,5条4号違反にあたるというべきである。
(4)(ママ) 結論
本件退職が自己都合退職であること及び被告の主張する減額事由<3>が認められることからすれば,原告が本件退職時まで10年以上にわたり特に問題を起こすことなく被告に勤務し,その事業に相応の貢献をしてきたこと(弁論の全趣旨)を斟酌しても,原告の退職手当を100分の10減額した本件退職手当減額が退職手当支給規程7条に定められた被告の裁量を逸脱し違法無効であるということはできない。
なお,原告は,本件退職手当減額が原告の正当な内部告発に対する報復である旨主張するが,本件記事に関する被告の内部調査の過程で原告の退職手当減額事由の存在または疑いが浮上したという面があることは否定できないとしても,被告が原告の本件記事による内部告発自体を問題視し,それゆえに本件退職手当減額を行ったと認めるに足りる的確な証拠はない。
また,原告は,本件退職手当減額は他の支給事例と比べて不均衡であるとも主張するが,その根拠として挙げる事例は,減額事由とされる非違行為の存在が明らかでなかったり,非違行為の内容が本件とは全く異なるものであったり,他の組織の事例であるなど,いずれも本件と比較するには不適切であり説得力に欠けるといわざるを得ない。
2 争点(2)(その他の不法行為の成否)について
(1) 退職を認めない旨の内容証明郵便について
原告は,退職の承認ができない場合がある旨の平成13年12月21日付け内容証明郵便の記載(前記1(1)エ)が民法627条1項に違反する旨主張するが,当時,原告について内部文書の漏洩及びパソコンの私用という懲戒事由の存否が問題となっていたことからすれば,上記内容証明郵便の記載は,被告が原告との雇用関係の終了を認めずに原告に労働を強制しようとする趣旨ではなく,事情聴取の結果によって懲戒事由の存在が明らかになった場合には,原告を懲戒解雇(免職)処分にする可能性があることを示唆するものと解すべきである。そして,労働者が退職を申し出てから退職日までの間に使用者が懲戒権を行使することは何ら違法とは認められないから,その可能性を示唆した上記内容証明郵便の記載が違法であるということはできず,不法行為は成立しない。
(2) 退職手当の支払及び必要書類の送付が遅れたことについて
ア 退職手当
被告は,原告に対する退職手当につき,本来の支払期限(退職手当支給規程2条3項本文)である平成14年1月27日から19日過ぎた同年2月15日に支払ったものであるが(前記第2の1(6)),原告の退職予定日(平成13年12月28日)と近接した時期(同月10日以降)に原告の懲戒事由の存在が疑われ始めたこと(前記1(1)ア)や,被告が,原告に弁解の機会を与えるために再三にわたって事情聴取を申し入れ,これに応じるよう原告を説得したが,原告は最後まで応じなかったこと(<証拠省略>)を考慮すると,被告が,原告の退職手当を減額するか否かや減額するとした場合の減額割合について判断を下すための時間的余裕がなく,その支払が上記の程度遅延したのもやむを得ないというべきであるから,退職手当支給規程2条3項ただし書にいう「特別の事情」があると認められる。
したがって,被告の原告に対する退職手当の支払が遅れたことについて不法行為は成立しない。
イ 必要書類
前記1(1)の認定事実に証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
原告は,被告からの平成13年12月21日付け内容証明郵便に「退職辞令のこと等事務的なことも相談させていただきたい」と記載されていたにもかかわらず,これには応答せず,また,平成14年1月25日ころ,被告に保険証を返送した際のメモに「社会保険や財形貯蓄の書類を返してもらえず困っております。」と書いたものの,その書類の具体的内容については明らかにしなかった。その後,被告の方から,原告に対し,同月28日付けの書面で必要書類の送付手続についての説明や確認すべき事項についての問い合わせを行った。原告は,被告に対し,同年2月4日送信のメールで必要書類の内容を特定した上,これらを同月12日必着で返還するよう請求し,被告は,同月8日にこれらを原告に送付した。
以上の事実経過からすると,原告が必要書類として主張する書類はいずれも退職後速やかに使用者から退職者に返還・交付されるべきものではあるが,本件でそれが遅れたのは退職手続に非協力的な態度を取っていた原告にも一因があるというべきであるし,被告の方でわざと遅らせたなどの悪質な事情は窺われないから,被告の原告に対する必要書類の送付が遅れたことについて,私法上の不法行為を構成する程度の違法性があると認めることはできない。
(3) 退職手当減額等について
前記1のとおり,被告が原告の退職手当を100分の10減額したことは退職手当支給規程7条に基づく処分として適法なものであり,また,前記1(2)アのとおり,本件パソコンに関する被告の調査は原告のプライバシー権の侵害にはあたらないから,いずれについても不法行為は成立しない。
(4) 名誉毀損について
ア ホームページ
証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨によれば,インターネット上に被告が管理するホームページには,本件記事に対する被告の意見として,「本件記事は,週刊朝日取材班による『独自取材』による記事(以下『独自取材記事』という。)と当機構C理事長のインタビューによって構成されています。当機構は週刊朝日取材班から取材の要請を受け,理事長がインタビューに対応し,その際,質問に対して誠実に回答を行ったものと考えております。しかしながら,独自取材記事ではこのインタビューでの質疑応答の際には全く触れられなかった内容が,しかも匿名の一人の人物からとみられる情報のみに基づいて構成されており,これは十分な裏付け取材もないままに書かれたものとみなさざるを得ません。当機構では,独自取材記事の内容について調査を行いましたが,事実とは思えない話や歪曲,誇張した話を断片的に羅列して,当機構のことを一方的に『お気楽』特殊法人と決めつけているのは,当機構の実態とかけはなれたものであると考えております。」と記載されていること,「匿名の一人の人物」とは原告を指すものであることが認められる。
原告は,上記記載が原告の告発行為を批判するものであり名誉毀損にあたる旨主張するが,上記記載を素直に読めば,これは,週刊朝日が本件記事の一部を原告からの情報にのみ依拠して執筆し掲載したことを批判し,被告としてはその内容が真実ではないと考えている旨表明したものというべきであって,本件記事の取材源である原告自身を非難したり,その社会的評価を低下させたりするものとは認められないから,原告に対する名誉毀損にはあたらず不法行為は成立しない。
イ 返信メール
証拠(<省略>)及び弁論の全趣旨によれば,被告が,一般市民から寄せられた抗議のメールに対する返事として,「被告の元職員がこれまでに記述したり週刊誌等に提供するなどした情報の内容は,いずれも事実に反するか,もとにある事実を著しく歪曲・誇張している。」旨記載されたメールを送信したこと,「元職員」とは原告を指すものであることが認められる。
原告は,上記メールの記載が原告の告発行為を批判するものであり名誉毀損にあたる旨主張するが,上記メールは被告に抗議のメールを送信した特定の個人に宛てた返事として送信されたものであり,公然すなわち不特定多数の人の目に触れる状態で原告の社会的評価を低下させるような事実を摘示したものではないから,原告に対する名誉毀損にはあたらず不法行為は成立しない。
3 以上のとおり,原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 木野綾子)