東京地方裁判所 平成15年(ワ)29741号 判決 2005年1月27日
原告
日本調剤株式会社
同代表者代表取締役
三津原博
同訴訟代理人弁護士
伊札勇吉
同
山田勝一郎
同
立津龍二
被告
三信総合エンジニアリング株式会社
同代表者代表取締役
大平楨子
同訴訟代理人弁護士
伊藤茂昭
同
晝間光雄
同
朝田規与至
同
小島好己
同
太田孝彦
主文
一 被告は、原告に対し、金五二四四万八〇〇〇円及びこれに対する平成一六年二月六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、一〇億円及びこれに対する平成一五年一一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が、薬局経営をするために、被告との間で、被告所有建物の賃貸借契約の予約契約を締結し、その後予約完結権を行使したにもかかわらず、被告が他社との間で締結した同建物の賃貸借契約に基づき引渡しをしてしまったことにより、原告において同建物を賃借して行う予定であった薬局経営を行うことができなくなり逸失利益として二二億六二九六万円の損害を被ったとして、被告に対し、賃貸借契約の債務不履行に基づき、上記損害の内金一〇億円及びこれに対する履行不能日後の平成一五年一一月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 前提事実(当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)
(1) 当事者
ア 原告は、薬局の経営、医薬品の卸及び小売業等を目的とする株式会社である。
イ 被告は、不動産の所有、管理、運用、賃貸借等を目的とする株式会社である。
(2) 本件建物に関する経緯
ア 被告は、株式会社ユニオン(以下「ユニオン」という。)との間で、平成五年に被告所有の別紙物件目録一及び二記載の建物(以下「本件建物」という。)について賃貸借契約(以下「原賃貸借契約」という。)を締結し、ユニオンに対して、同建物を引き渡していた。
イ 原告は、虎の門病院に近接する本件建物において薬局経営をするために、被告との間で、平成一四年一〇月一日、原賃貸借契約が終了した場合に、被告を賃貸人、原告を賃借人、賃料を月額六二一万一〇〇〇円、賃貸借期間を三年間とする本件建物の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結する旨の貸室賃貸借予約契約(以下「本件予約契約」)を締結し、被告に対し、予約金として二六二二万四〇〇〇円(以下「本件予約金」という。)を支払った。
本件予約契約においては、「甲(被告)と株式会社ユニオン…との間で交わされている本物件(本件建物)の貸室賃貸借契約(原賃貸借契約)…が解約されたとき、甲乙(原告)は別途、(別紙の)貸室賃貸借契約を基本とした契約(本件賃貸借契約)…を締結するものとする。」とされ(甲三の第四条本文)、「本予約契約(本件予約契約)成立後、予約完結までの間に、乙の責に帰すべき事由により本予約契約が完結できなくなった場合には、乙は甲に対して、本予約金(本件予約金)全額を放棄し、甲の責に帰すべき事由により本予約契約が完結できなくなった場合には、甲は乙に対して本予約金の倍額を返還するものとする。」として、本件予約契約の目的が達成できない場合について、損害賠償の予定額が合意されていた(甲三の第七条四項本文)。
ウ 本件建物についての賃借人は、平成一五年七月一日の時点において、ユニオンから株式会社クラフト(以下「クラフト」という。)に替わっており、その後クラフトは本件建物において薬局経営をしている(ただし、本件建物の引渡しの時期については、原告が予約完結権を行使した前か後かについて争いがある)。
エ 原告は、被告に対し、平成一五年八月一一日、本件予約契約に基づき、本件建物についての予約完結権を行使するとの意思表示をした。
三 本件訴訟の争点及び当事者の主張
本件訴訟の争点は、①原告に予約完結権が発生したか、②原告の予約完結権の行使により本件賃貸借契約が成立したか、③本件賃貸借契約又は本件予約契約の債務不履行によって被告が賠償すべき損害額であるが、これらの点に関する当事者の主張は、要旨、以下のとおりである。
(1) 原告
平成一五年七月一日の時点で被告とユニオンとの間の原賃貸借契約が終了したため、原告には本件予約契約に基づく予約完結権が発生し、原告がこれを同年八月一一日に行使したことにより、原告と被告との間で本件賃貸借契約が成立した。
しかしながら、被告は、クラフトとの間で、同年七月一日に賃貸借契約を締結した上、原告の予約完結権行使後の同年一〇月二〇日ころにクラフトに本件建物を引き渡してしまった。
これによって、原告は、被告との間に本件賃貸借契約が成立していたにもかかわらず、本件建物を利用して、予定していた薬局経営を行うことができなくなったものであり、予定どおり薬局経営を行っていれば得られたであろう逸失利益二二億六二九六万円(年間営業利益一億一三一四万八〇〇〇円の二〇年分)の損害を被った。
(2) 被告
そもそも、ユニオンからクラフトへの賃借人の交替は、ユニオンからクラフトへの賃借権譲渡によるものにすぎず、ユニオンとの原賃貸借契約は終了していないから、原告には予約完結権は発生していない。また、仮に予約完結権が発生していたとしても、被告の承諾をもって初めて本件賃貸借契約が成立するのであり、原告が一方的な意思表示によって本件賃貸借契約を成立させることができるものではない。
さらに、被告からクラフトへ本件建物の引渡しがあったのは、平成一五年七月一日のことであって、原告はクラフトが対抗要件を具備した後、すでに本件予約契約における本件賃貸借契約を成立させる被告の債務が履行不能となってから、予約完結権を行使するとの意思表示をしたものにすぎず、本件賃貸借契約は成立していない。
結局、損害としては、本件予約契約における損害賠償の予定額五二四四万八〇〇〇円を上限とするものである。また、原告の主張する逸失利益二二億六二九六万円は相当因果関係を欠き、損害とは認められない。
加えて、本件予約契約においては、被告の予約金(手付金)倍返しによる解除の合意があったものであり、被告は、これに基づき、原告の本件予約契約に基づく予約完結権行使の意思表示に先んじて、予約金の倍返しを申し出た上、本件予約契約を手付解除したものであり、この点からも、結局、被告の損害賠償義務は、本件予約契約における損害賠償の予定額五二四四万八〇〇〇円を上限とするものである。なお、予約金の倍返しについては、現実の提供はないものの、原告が予め受領を拒んだため、口頭の提供にとどまったものであって、手付解除は有効である。
第三当裁判所の判断
一 前提事実に、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実を認定することができる。
(1) 将来虎の門病院の調剤が院外処方となることが見込まれていたところ、原告は、虎の門病院と道路を挟んで隣接した場所に存在する本件建物を使用して薬局経営をすることができれば、将来虎の門病院の院外処方を扱うに当たり有利であると考え、被告から本件建物を賃借することを計画した。
他方で、当時、被告とユニオンは、原賃貸借契約を締結し、ユニオンは、本件建物において建築金物のショールームを営んでいたところ、原賃貸借契約がいつころ終了するかは未定であった。
そこで、原告は、被告との間で、本件予約契約を締結した。
(2) 原告は、被告に対し、平成一五年三月ころ、虎の門病院の院外処方の実施が早まってきたことを知らせ、これを受けて、被告がユニオンに対し、原賃貸借契約の継続の意向の有無を照会した。
ユニオンは、原告のほかにも、複数の薬局関係者から同様の打診を受けており、適切な移転先が見つかれば、原賃貸借契約を終了することを検討していると回答した。
(3) 被告は、原告に対し、ユニオンが移転先を探していることを伝えた上、同年五月六日、ユニオンに対し、原告を紹介した。
(4) しかしながら、ユニオンは、その数日後、従前から進退を別に接触を受けていた薬局を経営するクラフトから移転先を紹介され、同所以外に自社の条件と合致する移転先はないとして、被告とクラフトとの間に本件建物の賃貸借がされるのでなければ、原賃貸借契約を終了することができないと被告に表明した。
被告は、原告との間の本件予約契約があることを認識しつつも、クラフトが提示した賃料額が高額であるなど、賃貸条件も従前のユニオンに比べて被告に有利であったことから、クラフトに対し、新たに本件建物を賃貸することとした。
(5) 被告とユニオンは、平成一五年七月一日、原賃貸借契約を終了させた。これによって、原告には、本件予約契約に基づく予約完結権が発生し、原告は、被告に対し、同年八月一一日、予約完結権の行使をした。
(6) 他方で、クラフトは、被告との間で、同年七月一日、本件建物についての賃貸借契約を締結した。ただし、クラフトは、遅くとも同年一〇月二〇日ころまでは本件建物の使用を続けており、被告が本件建物の引渡しを受けたのは、同日ころであった。
二 争点①(予約完結権の発生の有無)について
被告は、ユニオンからクラフトへの賃借人の変更は、ユニオンからクラフトに対する賃借権の譲渡によるものにすぎず、原賃貸借契約は終了していないから、原告の本件予約契約に基づく予約完結権は発生していないと主張する。
しかしながら、ユニオンからクラフトへの賃借人の交替については、被告がクラフトないしユニオンとの間で作成した契約書上は賃借権の譲渡のような文言が用いられているものの、前記認定事実からすれば、被告はクラフトがユニオンとの間でその移転先に関して話をとりまとめ、予め新たな賃借人をクラフトとすることで合意していたため、本件予約契約との抵触を隠ぺいするため、このような文言を用いたにすぎず、その実態はユニオンとの間の原賃貸借契約を合意解除によって終了した上、クラフトとの間で新たな賃貸借契約を締結したものにほかならないというべきである。また、本件予約契約の趣旨は、ユニオンが本件建物の使用をやめたときには、他の者に先がけて新たに賃借人となることができるという優先権を原告に予め留保するというものであり、そのような優先権が得られるからこそ、原告は、多額の予約金の支払にも応じたものと認められるのであるから、たとえ被告、ユニオン及びクラフトの三者間の法律関係が賃借権譲渡であったとしても、本件予約契約の解釈上は、クラフトへの賃借人の交替の時点でユニオンの原賃貸借契約が終了したものと評価すべきであり、いずれにせよ、原告には本件予約契約に基づく予約完結権が発生したものというべきである。
また、被告は、クラフトへの本件建物の引渡しがあったのは、平成一五年七月一日のことであって、原告が予約完結権を行使するとの意思表示をしたのは、クラフトが対抗要件を具備した後になってからであるとも主張し、乙一号証には、同日付けでユニオンからクラフトに本件建物の鍵が引き渡されたことを確認する旨の記載がある。しかし、《証拠省略》によれば、ユニオンは、同日以降も本件建物の使用を続けており、同年一〇月以降になって、初めて移転の通知を本件建物に掲示したり、顧客に発送したりしていることが認められるから、被告の主張は採用することができず、クラフトが本件建物の引渡しを受けて賃借権の対抗要件を具備したのは、原告の予約完結権行使後になってからであるというべきである。
三 争点②(本件賃貸借契約の成否)について
本件予約契約には、前提事実(2)イのとおり、「甲(被告)乙(原告)は別途、(別紙の)貸室賃貸借契約を基本とした契約(本件賃貸借契約)を締結するものとする。」との条項があるが、これは、本件賃貸借契約の成立に当たっては、原被告双方の意思表示を前提とするものと解することができ、原告の予約完結の意思表示のみをもって一方的に、すなわち被告の承諾を待たずに直ちに賃貸借契約を成立させる趣旨のものではないというべきである。そして、本件において、被告が承諾していないことは明らかであるから、本件賃貸借契約は未だ成立していないというほかない。
そうであるとしても、被告は、本件予約契約に基づき、本件賃貸借契約を成立させるための承諾の義務を負うことは明らかである。そして、被告のクラフトへの本件建物の引渡しは、前記認定のとおり、原告の予約完結権行使の意思表示の後のことであるから、本件では、単に本件予約契約があるというにとどまらず、同契約に基づき、被告には原告との間の本件賃貸借契約の締結を承諾して同契約を成立させるべき義務が生じていたにもかかわらず、被告は、承諾を拒否してクラフトに本件建物を引き渡したことにより、上記義務に違反する債務不履行をしたものというべきである。
四 争点③(被告が賠償すべき損害額)について
この点につき、原告は、本件建物を利用して虎の門病院の院外処方導入の当初からこれを取り扱うことができれば、年間一億一三一四万八〇〇〇円の営業利益が今後二〇年間にわたって得られたはずであり、その合計である逸失利益二二億六二九六万円の損害を被ったと主張する。
しかしながら、賃貸人が賃貸借契約を誰との間で締結するかは、本来、取引の自由の観点から、賃貸人において自由になしうるものであり、賃貸借の予約契約を締結していたところ、賃貸人がこれに違背したとしても、そのことと相当因果関係のある損害は、相手方が賃貸借契約の成立に向けた準備に支出した費用等、当該予約契約に基づく賃貸借契約の成立を信頼したことによって生じた損害に限られ、相手方が予約契約に従った賃貸借契約が履行されれば得られたであろう将来の利益は、これに含まれないというべきである。
原告は、本件賃貸借契約が成立したことを前提に、本件賃貸借契約の履行利益として、予定していた薬局営業による得べかりし利益を請求するものであるが、本件賃貸借契約は成立していないのであるから、このような請求を認めることはできないものというべきである。
なお、仮に、本件賃貸借契約が成立したとして、その履行利益を問題とするとしても、原告は、平成一六年八月には、虎の門病院の近隣の店舗に薬局を開局しているところ、当該薬局経営から得られる利益と、本件建物を利用した薬局経営から得られるはずであった営業利益との間にどの程度の差があったのか確定できないことからすれば、原告主張の二〇年間の営業利益が相当損害であると認めることはできない。
もっとも、本件予約契約では、被告の責めに帰すべき事由により同契約が完結できなくなった場合には、予約金として原告が被告に交付した二六二二万四〇〇〇円の倍額を違約金として支払う旨の損害賠償の予定が定められているところ(前提事実(2)イ)、これは原告が予約完結の意思表示をしたにもかかわらず、被告が承諾しないため本件賃貸借契約の締結に至らなかった場合も含むものと解され(この場合にも本件予約契約が完結できなくなった場合に当たることは明らかである)、原告は、損害の発生及び額の主張立証を要することなく、上記違約金五二四四万八〇〇〇円の支払を請求することができるというべきである。
そして、上記違約金に対する遅延損害金については、クラフトが本件建物の占有を取得したことにより、被告の債務が履行不能となったとしても、この債務不履行に基づく損害賠償債務は、期限の定めのない債務として、履行の請求を受けたときに遅滞に陥るから、原告の履行の請求のあったことが記録上明らかな訴状送達の日(この日以前に履行の請求をしたことの主張立証はない。)の翌日である平成一六年二月六日から起算すべきである。
なお、被告主張の原告の予約完結権行使に先んじて被告が予約金の倍返しの申出をした事実については、証人片山嘉明において、被告が原告に対し具体的に予約金の倍返しを申し出ることはできなかったという趣旨の証言をしており、認めることができない。
五 よって、原告の請求は、五二四四万八〇〇〇円及びこれに対する平成一六年二月六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余については理由がないから、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉山正己 裁判官 瀨戸口壯夫 大畠崇史)
<以下省略>