東京地方裁判所 平成15年(ワ)29851号 判決 2005年7月29日
原告(反訴被告)
X株式会社
代表者代表取締役
甲野太郎
訴訟代理人弁護士
田中義信
同
清水伸賢
被告(反訴原告)
有限会社Y
代表者代表取締役
乙野次郎
同訴訟代理人弁護士
石川弘
主文
1 原告(反訴被告)の本訴請求を却下する。
2 原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し,550万円並びにうち500万円に対する平成14年5月20日から支払済みまで年6分の割合による金員を,及びその余の50万円に対する平成16年4月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを2分し,その1を被告(反訴原告)の,その余を原告(反訴被告)の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
以下,原告(反訴被告)を原告と,被告(反訴原告)を被告という。
1 本訴請求の趣旨
原告と被告間の平成14年5月18日付運送契約に基づく運送に関する,原告の被告に対する債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償債務は130万円を超えては存在しないことを確認する。
2 反訴請求の趣旨
原告は被告に対し,1000万円並びにうち800万円に対する平成14年5月20日から支払済みまで年6分の割合による金員を,及びその余の200万円に対する平成16年4月14日から,支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件本訴は,運送業を営む原告が,被告との運送契約に基づいて運送した物品が破損したことについて,原告の被告に対する債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償債務は130万円を超えては存在しないことの確認を求めたものである。本件反訴は,被告が原告に対し,本訴と同一の訴訟物により,800万円の損害賠償請求をするとともに,本件訴訟提起前の裁判外和解交渉における原告の不当抗争及び不当訴訟提起に起因する不法行為に基づく損害賠償として,弁護士報酬及び鑑定意見書収集等裁判資料調査費用のうち200万円を請求した事案である。
1 争いのない事実等
(1) 原告は,貨物自動車運送事業等を業とする株式会社であり,被告は西洋古美術品の販売等を業とする有限会社である。
(2) 運送契約締結
原告と被告とは,平成14年5月18日,下記内容の,標準貨物自動車運送約款に基づく運送契約(本件運送契約)を締結した。
記
運送品の内容 アンティーク磁器他
積込み地 神戸市中央区港島中町6−11−1
神戸国際展示場IJK2002気付
積下し地 東京都港区六本木5−5−1 ロアビル1F
荷送人 被告
荷受人 被告
積込み日 平成14年5月18日
積下し予定日 平成14年5月19日
(3) 運送契約の履行
原告は,平成14年5月18日から同月19日にかけて,本件運送契約に基づき,アンティーク磁器等約20点を,神戸国際展示場から被告の当時の本店所在地である東京都港区六本木5−5−1ロアビル1階まで運送した。
(4) 運送品の損傷
被告が,原告が運送した物品の梱包を解いて中味を確認したところ,運送品のうち,片手を挙げる女性を象った像(19世紀カラーラ大理石使用の手彫り彫刻。以下「本件彫像」という。)の右腕が折れているのが発見された。
(5) 賠償交渉の経過
原告は被告に対し,本件物件の価額証明資料として,輸入時のインボイス(送り状)等通関手続の資料を提出するよう依頼した。
被告は,通関書類は存在しないとして,本件物件の価額は450万円を下らないと主張した。
原告が依頼した鑑定評価によると本件物件の日本における価額は,120万円ないし130万円であるという鑑定評価が出された。原告は同鑑定評価に基づき解決金として150万円を被告に提示した。
原告と被告との間で交渉がなされたが,損害額についての双方の主張は平行線を辿り,合意は得られなかった。
2 本訴請求に対する被告の申立て
原告の提起にかかる本訴は,被告提起の反訴によって債務不存在確認の利益が消滅しているので,本訴請求についての訴えの却下を申し立てる。
3 被告の主張
(1) 本件運送契約に基づいて,原告が西洋古美術品である本件彫像を運送期間中に,故意又は過失により,その右腕全部を切断損壊し,美術品として無価値にした債務不履行又は不法行為による損害賠償請求
ア 本件物件は,被告の実質的オーナーであるベン・サスーンが,平成8年5月3日,英国ロンドン市内の古美術商「ペルシャン・マーケット」から,2万4000ポンド(1ポンド190円で換算すると456万円)で仕入れた。
なお,本件物件が通関業者によって税関を通過して,インボイスを含む手続書類がベン・サスーンに送付されたが,当時被告設立前(被告の設立は平成12年7月4日)であったので,通関資料を米国カリフォルニア州ビバリーヒルズのアルテ本社で保管していたところ,同州における税務資料の保管期限である5年経過後に通関資料を廃棄処分した。本件事故が発生した平成14年5月には当該通関資料を原告に呈示することは不可能になっていた。
イ 被告は,原告の運送引受場所である神戸国際展示場において本件彫像の価格として800万円を表示していた。
ウ 被告は原告に対し,原告が本件運送契約によって運送を引き受けた西洋古美術品であるカララ大理石像である本件彫像を運送期間中に故意または重大な過失により,その右腕を全部切断損壊し,その美術品としての価値を無にしてしまった債務不履行又は不法行為による損害賠償として上記表示額である800万円及びこれに対する本件彫像の引渡しを受けた日の翌日である平成14年5月20日から支払済みまで商事法定利率である年6分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(2) 裁判外和解交渉における原告の不当抗争及び不当訴訟提起の不法行為に起因する被告の損害賠償請求
ア 本件事故直後から,被告からの正当かつ穏当な裁判外の損害賠償請求に対し,原告は,被告が既に法定の保存期間を超過して廃棄済みであるから提出不能である旨主張していた平成8年6月当時の通関インボイスなるものの提出を執拗に要求し,これを提出しなければ本件彫像は密輸品か故買品とみるべきであるから損害賠償に応じないこともあり得るとの態度を取った。
イ 被告側が通関インボイスに代替できるものとして,本件彫像の仕入先であるロンドン市内の古美術商ペルシャン・マーケットことアブラハム・ザッケイ氏が平成8年5月3日に買主のベン・サスーン宛に発行した「商業送り状」(甲9の1)によれば,本件彫像の仕入値が2万4000ポンドとなっていたので,1ポンド190円に換算すると456万円となるところから,被告は裁判外で簡易迅速に解決する妥協線として損害賠償額として450万円を,平成14年6月上旬に「商業送り状」等価格証明資料と共に原告に提示した。
しかし,原告は,通関インボイス以外の価格証明資料は一顧だにしないという対応振りであった。
ウ 運送保険を引き受けていた日本興亜損害保険会社において本件彫像の国内時価の査定を委嘱した株式会社オカザキ美術品査定室に所属する有賀正隆により作成された平成14年7月5日付「検証査定調査報告書」(甲3)によって,本件彫像の「国内時価は,120万円から上限でも130万円と査定する」と評価された。
原告は,通関インボイスの提出要求と相俟って,被告の130万円以上の請求を拒否し,不当抗争を継続した。
エ 原告は,平成15年1月9日付の原告代理人作成の書面(甲4の1)によって,「①原告の鑑定によれば,本件彫像は約120万円ないし130万円のものである。②被告は原告が解決金として用意した150万円で了承するか,原告が要求している価額証明資料(輸入インボイス及び通関書類等証明資料)の提出を願う。③了承の意思表示又は価額証明資料の提示がない場合には,しかるべき法的手続きをとる。」などと申し向け,その後の裁判外交渉においても,誠意のない態度に終始し,本件本訴に至った。
被告は,原告の不当抗争及び不当訴訟提起という不法行為によって,弁護士報酬180万円及び鑑定意見書収集等裁判資料調査費用100万円の合計280万円の支出を余儀なくされたので,そのうち200万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成16年4月14日から民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
4 原告の主張
(1) 損害賠償の額について
本件運送契約は,標準貨物自動車運送約款(甲2)に基づく契約関係であり,同約款第47条1項によれば,損害賠償の額はその引渡すべきであった日の到達地の価額によるとされている。本件における被告の損害額は,本件彫像の客観的価額であり,本件においては,平成14年5月19日当時の東京における調達価額(仕入値)である。
被告が主張する本件彫像の賠償額800万円には,40%を超える利益額が上乗せされている。本件彫像は買い手が決まっていたわけでもなく,被告の主張によれば日本国内に持ち込まれてから少なくとも5年以上経過し,その間買い手がついていない物件である。
被告の主張は,本件事故に端を発し,いわば転売利益まで得ようとするものであって不当である。
(2) 不当抗争及び不当訴訟について
原告が被告に対し,一貫して輸入時のインボイスの提出を求めてきたことは事実である。しかしそれは,被告が提出した資料のみでは日本国内における価格を算定することはできないと判断したからである。
訴訟前に本件彫像を鑑定した株式会社オカザキの鑑定によれば本件彫像の評価額は130万円を超えるものではない。オカザキの評価方法は客観的で適正である。
訴訟外の交渉において双方折り合いがつかず,被告から訴訟提起がなかったため原告から訴訟を提起せざるを得なかったのであるから,何ら不当抗争及び不当訴訟ではない。
5 主な争点
(1) 本件彫像破損による損害賠償の額
(2) 原告の不当抗争及び不当訴訟による不法行為の成否
第3 当裁判所の判断
1 原告の本訴請求は,被告が訴訟物を同一とする反訴を提起したことにより,訴えの利益を喪失し,現時点では不適法と認められるから却下することとする。
2 運送契約による原告の損害賠償責任
ア 本件運送契約に適用される標準貨物自動車運送約款(甲2)39条は,「当店(原告)は,自己又は使用人その他運送のために使用した者が貨物の受取,引渡し,保管及び運送に関し注意を怠らなかったことを証明しない限り,貨物の滅失,き損又は延着について損害賠償の責任を負います。」と定めている。
本件において,被告が原告が運送した運送品を受取り,梱包を解いて中味を確認したところ,運送品のうち本件彫像の右腕部分が折れているのが発見されたこと(以下「本件事故」ともいう。)は当事者間に争いがない。そして,甲3(検証査定調査報告書)によれば,本件彫像の外装段ボールの片面上部に径6ないし10cmの,突起物によると思われる突き穴があり,像の破損部と高さがほぼ一致したことが認められた。
以上によれば,本件彫像は原告が運送中に,梱包の外部から棒状の突起物が突き込まれたことにより毀損したことが推認され,原告は被告に対し,本件彫像の毀損について,本件運送契約に基づく債務不履行責任を負うと認められる。
イ 運送約款(甲2)47条2項は,「貨物に一部滅失又はき損があった場合の損害賠償の額は,その引渡しのあった日における引き渡された貨物と一部滅失又はき損がなかったときの貨物との到達地の価額の差額によって,これを定めます」と定めている。
本件運送品の引渡し日が平成14年5月19日であることは当事者間に争いがない。
本件彫像がカラーラ大理石使用(カラーラはイタリアの大理石の産地である。)の19世紀末頃の彫像であることは当事者間に争いがなく,美術品としての価値を有していたと認められるところ,本件彫像の右腕が破損した状態での価額については,甲3(検証査定調査報告書)には,「業者引き取り価格として5万円程度と推定する」との記載があるが,当裁判所の採用した鑑定及び鑑定嘱託の結果によれば,残存価値はないと認められる(鑑定人レイ・ファルド及び鑑定嘱託先株式会社美研鑑定の一致した鑑定意見である)。
そうすると,本件彫像の毀損による損害賠償の額は,本件彫像の平成14年5月19日における到達地である東京都内の価額によることとなる。
3 被告の本件彫像の取得状況及びその後の経緯について
甲9の1,乙6の1ないし3(フロリダ州公証人の認証により,アブラハム・ザッカイムが署名したことが認められる。),乙8の1・2,乙9の2,乙11の1・2,乙12及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
(1) ベン・サスーンは,ロスアンゼルスで古美術店アルテギャラリーを経営する者であるが,1996年(平成8年)5月3日に,ロンドンのアブラハム・ザッカイムが経営する「ペルシャン・マーケット」で2万4000ポンドの本件彫像を含む5点の古美術品を合計7万6400ポンドで購入した。その際,ベン・サスーンはアブラハム・ザッカイムから本件彫像を含む5点の品名と代金を記載したリスト(甲9の1。被告はこれは「商業インボイス」と称している。)を受け取った。
アブラハム・ザッカイムは,ヨーロッパ古美術の仕入れ販売業を40年以上営む者で,1998年(平成10年)までロンドン市内で「ペルシャン・マーケット」の屋号で古美術展示販売店を営んでいたものである(その後フロリダ州に移住した。)。
ベン・サスーンは,本件彫像を通関業者であるクラーク・インターナショナル・サービス社に委託してロサンゼルスのアルテギャラリーに送り,小さな疵を直して同年中に同社に委託して東京へ送った。ロサンゼルスから日本への梱包費,海上運送費等の合計は約1万ドル程度を要した。(乙11,乙15の1・2)
本件彫像が日本に輸入された際のいわゆる通関インボイスは,ベン・サスーンが当時日本に店舗を構えていなかったのでロサンゼルスで保存期間の5年間保管したが,その後は保管していない。このことは交渉経過において原告に通知されている。(乙11)
(2) ベン・サスーンは,1999年(平成11年)に六本木ロアビル1階にアルテ東京店をオープンし,平成12年7月4日被告を設立し,取締役に就任し,実質的に被告を経営している。(乙1,乙9の2)
なお,被告は平成15年10月1日に本店を六本木から現住所に移転し,その頃店舗も現住所に移転した。
(3) 被告は,店舗において本件彫像に800万円の定価表示をし,本件運送の直前の神戸の展示会場においても本件彫像に800万円の価格表示をしていた。
4 本件彫像の鑑定(訴訟前の査定を含む。)について
(1) 本件彫像は次のようなものであり,概ね争いはない。
外形 右手を挙げた半裸女性立像
高さ102cm(甲3。)
製作時期 アールヌーボー期(19世紀末)
製作場所 イタリア(ファルド鑑定書)ないしフランス地方(美研鑑定)
材質 カラーラ大理石
製作方法 手彫り(ファルド鑑定書は,彫った後,別の大理石と水を使って磨かれ,製作期間約8ないし12か月を要したという。)
(2) 原告の査定額について
本件訴訟以前に,日本興亜損害保険株式会社の委嘱により,本件彫像を査定した株式会社オカザキ(以下「オカザキ」という。)の作成した平成14年7月5日付け「検証査定調査報告書」(甲3)が存在し,120万円ないし130万円と査定していた(以下「オカザキ査定」という)。原告はこれを,本件訴訟以前に被告に提示した賠償額及び本件債務不存在確認訴訟で原告が自認する損害賠償額の根拠としている。
甲1(送り状)及び弁論の全趣旨によれば,日本興亜損害保険は本件運送契約による運送品について保険契約を締結している保険会社であると推認される。
甲3によれば,実際に本件彫像の査定にあたったのは,オカザキ美術品査定室の検証査定人有賀正隆であり,その要点は概ね次のとおりである。
① 海外の美術品が国内で正当な評価を受けるためには,密輸品や故買品でないことの確認が必ず必要である。
原価の妥当性を証明するものに輸入インボイスと通関書類があり,現品は5年以内の仕入れと判断されるので,税法上もこれらの書類は常備されていなくてはならない。たとえ,輸入時より5年経過したものでも,輸入商品(在庫)の証明資料として保存するべきである。
② 被告から提出された真正証明書(甲9の2),鑑定書(甲9の3),納品リスト(甲9の1)は,信用性に疑問がある。ペルシャン・マーケットのA.ザッカイム作成名義の1996年(平成8年)5月3日付け納品リスト(甲9の1。被告が商業インボイスと称する文書)に「19世紀イタリア腕を掲げる女性のカラーラ大理石像 24000ポンド」と記載されているが,記述に具体性がなく,必ずしも本件現品とは限らない。
被告から提供された資料から輸入原価の査定は困難であり,アルテ本社による評価3万5000ドルないし4万5000ドル(甲9の3)も,仕入価格とされる2万4000ポンドも同等品の時価(オークション価格)と対比して異常な高値であり,被告の申告原価450万円は受け入れ難い。
③ 現品と同等品の国内オークション出品作品として19世紀フランス製の大理石彫刻として3点を挙げる(甲9の10)。落札希望価格はいずれも100万円以下で,1点が110万円で落札され,他は落札されなかった。
上記3点と本件彫像を対比し,現地(イギリスやヨーロッパ等)で仕入れ,または専門業者が輸入した場合の本件彫像の国内時価は,120万円から上限でも130万円と査定する。
上記オカザキ査定は,対比した国内オークション出品作品が本件彫像と同等品である根拠を説明していない。
(3) 鑑定人レイ・ファルドの鑑定
ア レイ・ファルドは,祖父の代からの美術商で,1983年(昭和58年)に来日し,港区高輪所在の高級アンティークを扱うレモンドギャラリー(乙9の3)のオーナーとして主としてヨーロッパのアンティークのビジネスをしている。ニューヨークのクリスティーズやロンドンのサザビーズなどの世界的なオークションで多くのアンティークを買い付け,販売している実績がある。
イ レイ・ファルドは,鑑定人選任以前に,ベン・サスーンの同業者として,2004年(平成16年)1月23日付意見書(乙4の1ないし3)を作成しており,同意見書において,本件彫像について,「3万ドルから3万5000ドルの非常に価値のある19世紀イタリアで手彫りされたカララ大理石の彫像」であり,「日本国内の古美術ギャラリーでは700万円から800万円程の値段がついています」と述べている(下記ファルド鑑定書によれば,同意見書作成時には,ベン・サスーンの購入価格を知らずに長年の経験を活用して,プロとして眼と手を使って彫像を入念に調べて結論を出したものであるという)。
ウ レイ・ファルドは,当裁判所の選任した鑑定人として,2004年(平成16年)12月28日付「専門家証人の供述」と題する書面(ファルド鑑定書)を提出した。
ファルド鑑定書の鑑定事項等についての見解は次のとおりである。
① 平成14年(2002年)5月当時の本件彫像のロンドンでの国際再取得価格は,3万1000ないし3万6000ポンドであった。
上記の見解は,ベン・サスーンが本件彫像を1996年5月3日にロンドンで2万4000ポンドで購入したこと,及び英国における19世紀骨董品の価格は,1996年から2004年にかけて30ないし50%値上がりしている(ロンドンの骨董商メイフェアー・ギャラリー・リミテッド作成の乙17の1,2)ことを前提としていると解される。
② 平成14年(2002年)5月における日本での価格
日本のアンティークショップ及びギャラリーでの価格は,約700万ないし800万円であった。(上記意見書の結論と同じ。)
日本のアンティークショップ及びギャラリーは,通常,大理石作品をヨーロッパで買い付けている。ギャラリー等が作品を販売する際には,家賃,保険料,給与,金利等の様々な経費を考慮に入れなければならず(ロンドンで購入した場合,約50万円と見積もられる運賃,荷造り代及び荷解き代を支払わねばならない。),従って作品の値段は通常,買付価格の約2倍になる。そこで,本件彫像は,700万円ないし800万円での販売が見込まれる。
エ 鑑定人ファルドの日本国内オークションについての見解
日本にはサザビーズ,クリスティーズのような価格を指導する大規模国際オークションが全く存在していない。国内オークションでの販売価格は,国際オークションに比べて非常に低く,ほとんど必ずと言っていいほど,見積価格の上限を超えない。国内オークションは,破産した又は死去した所有者のために割引価格で販売するように機能している。従ってファルド鑑定人は,本件彫像の鑑定基準として国内オークション価格を使用することに反対である。
オ 鑑定人ファルドのオカザキ査定に対する見解
オカザキ査定が本件彫像と同等品として対比したオークション出品作品は,新しい複製代理石像であり,それらの彫刻は手彫りではなく,機械を使って中国その他の国々で大量生産されたものである。
(4) 株式会社美研鑑定は当裁判所の鑑定嘱託を受けて「美術鑑定保険評価書」を提出した。
ア 上記「美術鑑定保険評価書」(以下「美研鑑定」という。)は,代表評議員山口秀起と西洋美術の専門家田中健との協議を経て作成されたものである。(証人田中健,同山口秀起)
山口秀起は,損害保険協会登録の鑑定人であり,美研鑑定は,通常,損害保険会社からの依頼で鑑定業務をしている。(証人山口)
イ 美研鑑定の内容は概ね次のとおりである。
本件彫像は,庭などの外部に長い期間あったとみられ,表面が荒れており,左手薬指及び小指に修復痕がある。被告の立場は販売する業者位置にあたる為,不当利得禁止事項より未実現費用である利益を除外した市場での評価(仕入原価基準評価)とした。
カタログ記載物件「イタリア19C大理石彫刻「花の乙女」C. SCHEGGIE作 H99cm 350万円」を参考とするが,同物件は,小売り物件で,350万円はエンドユーザー向けの価格であり,利益相当額15%ないし30%を控除すると業者価格になる。
本件彫像が,上記カタログ物件と同等品と判断した根拠は,カララマーブル立像で,制作が1900年前後,彫刻の複雑さがそれ相当のもので,サイズが同等だからである(証人田中)。
美研鑑定は,保険金若しくは損害賠償金というものが填補された場合,利益があってはいけないという損害保険理論に基づく鑑定をしている。
ウ 美研鑑定は,当裁判所が鑑定嘱託した「平成14年5月時点での国際的な調達価格」について,「本件事故における損害賠償の観点からみれば,日本国内での事故である為,日本国内における評価が適切と思料致します。又本鑑定評価は日本国内における損害保険理論を基にした評価にある為,国際的評価は対象外とします。」として,嘱託に応じなかった。
5 本件彫像の価格(損害賠償の額)について(争点(1)の判断)
(1) 各鑑定について検討する。
ア オカザキ査定は国内オークション価格を参考にしたと思われるが,ファルド鑑定及びファルド証言が指摘する,日本国内においては,定評あるオークションが存在せず,そのオークション価格は国際的な価格に比べ安い場合が多く,その原因として破産者や所有者死亡による放出物件が多いことが推測されるという点を考慮すると,国内価格の鑑定のためとはいえ,単純に国内オークション価格を参考に本件彫像の価格を判断することには当該オークションと出品された物件の偶然性に左右される危険があり,信頼性が高い手法とはいえないように思われる。
また,オークションに出品された物件を鑑定人が直接見ずに同等品かどうかを判断することも信頼性を欠く要因となる。
更に,オカザキ査定は,基準としたオークション出品物件と本件彫像の同等性を十分検証したことが窺われないから信頼性は低いといわざるを得ない。
イ これに対し,美研鑑定は,同等品の店頭価格を参考にし,被告が美術品販売業者であることから,店頭価格から利益率を控除して価格を鑑定するという手法を取っている。
美研鑑定には西洋美術の専門家が参与しており,参考とした物件と本件彫像の同等性については,かなり厳密に検討したことが窺われ,相当の信頼性を有している。
しかし,美研鑑定が本件と同等品として参考にしたのは,本件と類似する1件のみのカタログ商品であり,その現物を鑑定人が見ることなく同等品と評価し,また具体的な裏付けを得ることなく,業者利益を控除している点で若干信頼性の面で疑問が生ずる結果となっている。
また美研鑑定は,国際的な調達価格については,本件鑑定に不要であるとして嘱託に答えなかった。国内価格の鑑定に十分な客観性及び信頼性があれば国際的な調達価格を参考にすることは不要であるという考え方も理解できる。しかし,本件彫像が19世紀末西洋アンティークで,このようなものについての国内的な市場が十分に形成されているとは思われない物件について(美研鑑定が参考にした物件が1件のみであったことがその表れであるように思われる。),国際的な調達価格を最初から度外視する姿勢にも疑問を感じざるを得ない。
美研鑑定は保険会社からの依頼で鑑定をすることを業務とし,本件鑑定においても保険金受取人が利益を得てはいけないという考え方を強固に持って鑑定していることが認められる。そうするとその鑑定価格250万円ないし300万円は,いわゆる保険サイドからは十分に信頼できる価格であると考えられ,本件における損害賠償額の判断については,最低限を画する価格としての意義を有していると評価できる。
ウ ファルド鑑定は,本件彫像の価格は700万円ないし800万円であるとしているが,古美術商における販売価格であり,利益が含まれた価格であると考えられる。
しかし,レイ・ファルドは,長く日本国内において西洋アンティークを専門とする古美術商を営んできた経験と知識の裏付けがあると考えられ,上記利益分を除けば,本件彫像の調達価格として適正な価格になると思われる。
ところで,ファルド鑑定は,ベン・サスーンが1996年(平成8年)5月にロンドンで購入した2万4000ポンドを基礎においていると身受けられる。この点は,ベン・サスーン自身が当時ロスアンゼルスに店舗を有する古美術商としての判断に基づいてロンドンで長く古美術商を営んでいたアブラハム・ザッカイムからその価格で購入したものであるから,一応当時における妥当な価格で購入したと考えられ,ファルド鑑定に疑問を生じさせる事由とは言えない。
(2) 以上のように各鑑定にはそれぞれ問題点があり,いずれもそのまま採用することはできない。また,そもそも,本件彫像のように個別の装飾美術品の客観的な価格を求めることは困難を伴う。(この点については,田中証人が,本件彫像は,ファインアート(装飾美術)に属し,最終的には個人の趣味の問題に帰し,一定の価格はないと証言しているとおりである。)
しかし,ファルド鑑定が古美術商の立場から,美研鑑定が保険会社サイドから,それぞれ適正範囲内の鑑定価格(但し,ファルド鑑定については鑑定価格から利益相当分を控除した価格)を提示しているものと認め,鑑定及び鑑定嘱託の結果得られた本件彫像の平成14年5月19日における東京都内における価格としては,300万円ないし,550万円であると認める。(価格の幅が大きいが,対象物件の特性及び専門家である鑑定人等の意見を尊重した結果でありやむを得ない。)
上記価格の範囲内で本件における具体的な損害額を判断することとする。
鑑定及び鑑定嘱託の結果の外,本件彫像はベン・サスーンが平成8年5月にロンドンの古美術商から2万4000ポンドで購入し,同年中に日本国内に持ち込んだ物であること(なお,為替レートはファルド鑑定書によれば,平成8年5月3日当時1ポンド158円,平成14年5月20日当時1ポンド183円である。)ベン・サスーンは本件彫像を日本国内に輸入するための運送費及び梱包費その他の経費を要したと認められること等を総合的に考慮して,当裁判所は本件彫像の破損による具体的な損害額としては500万円が相当であると判断する。
6 原告の不当抗争及び不当訴訟について(争点(2)の判断)
(1) 原告は,本件訴訟前,オカザキ査定を基に150万円の金額を被告に提示し,450万円を主張する被告と折り合いがつかずに,本訴提起に至ったと認められる。原告が主張した金額は,美研鑑定の最低価格250万円と比べてもその6割であり,かなり低い額である。オカザキ鑑定は,海外の美術品については,密輸品や故買品でないことの確認が必要であり,輸入インボイスがない限り,適正な価額評価はできないという考え方に基づき,被告が提出したアブラハム・ザッカイム作成名義の納入リスト(甲9の1,被告が商業インボイスと称する書面)その他の書類を真摯に検討したことが窺われない(証拠上,オカザキの査定人有賀がザッカイムに問い合わせ等をしたことは窺われない。)ことなど,査定としての信頼性に疑問がある。原告は,運送中に顧客の運送品を破損させた運送人として運送約款上の損害賠償責任を負ったものであるから,取引上の信義則に基づき,誠実に損害の額を調査すべき義務を負っていたと考えられるところ,このようなオカザキ査定をもとに交渉した原告の態度には,上記誠実に損害を調査すべき義務に違反した過失が窺われなくはない。しかも,もともと美術品である本件彫像の価格の査定が困難であることを考えると,原告がオカザキ査定を根拠に損害額の提示をしたことが直ちに独立した不法行為を構成する程の違法性を有するというには疑問がある。
また原告が本件本訴を提起したことが違法であるとする事情は特に認められない。
以上によれば,いわゆる不当抗争及び不当訴訟による原告の不法行為は認められない。
(2) 被告が請求する弁護士費用等の損害について
ところで,被告は,本件彫像の損害賠償請求として不法行為に基づく請求を選択的にしているところ,当裁判所は,前記2のとおり,原告の責任が明確な運送約款上の債務不履行責任を認定した。しかし,本件彫像の梱包の外部から棒状の突起物が突き込まれたことが推認される本件事故態様によれば,運送中に原告の作業員がフォークリフト等で毀損するなどの運送上の過失が推定されるところであり,本件彫像の損害賠償について原告の不法行為責任も認められ得る事案である。
そして,本件事故と,その後の交渉経過において,上記のとおり,問題のあるオカザキ査定を根拠にした原告の裁判前の提示額が本件彫像の破損に対する損害を填補するのには不十分であったという本件訴訟に至った経緯に鑑みると,不法行為に基づく損害賠償請求の場合と同様,本件事故と相当因果関係のある限度で弁護士費用等を損害として認めることが相当である。
そこで弁護士費用については,本件彫像の損害賠償額の1割に相当する50万円の限度で認めることが相当である。原告が主張する鑑定意見書収集等裁判資料調査費用については,これを具体的に認定するに足る証拠がないから認めることはできない。
7 結論
以上説示したとおり,原告の本訴請求は不適法となったから,却下することとし,被告の反訴請求は,本件彫像の毀損に基づく損害賠償として500万円,本件事故と交渉経過を含む原告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用として50万円の限度で理由があるから,その限度で認容することとし,仮執行の宣言については申立てがないから必要がないと認め,これを付さないこととし,主文のとおり判決する。
(裁判官・野村高弘)