東京地方裁判所 平成15年(ワ)2991号 判決 2004年6月08日
原告
A野株式会社
同代表者代表取締役
B山松夫
同訴訟代理人弁護士
高橋信行
同
山﨑純一郎
被告
クレディ・スイス生命保険株式会社
同代表者代表取締役
ウルリッヒ・ブランケン
同訴訟代理人弁護士
高橋孝志
同
船川玄成
主文
一 被告は、原告に対し、一二七万四三一八円及びこれに対する平成一四年一〇月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、二三八三万六二七七円及びこれに対する平成一四年一〇月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対し、被告との間で締結していた生命保険契約を解約したことを理由として、解約払戻金の支払を求めるのに対し、被告が原告に対し、解約の効力を否認するとともに、原告が民事再生手続開始決定を受けたことによって上記生命保険契約が失効し、それと同時に被告が原告に対して行った契約者貸付の元利金債権の弁済期も到来したとして、解約払戻金債権と契約者貸付元利金債権との相殺を主張する事案である。
一 争いのない事実等
(1) 当事者
原告は、建築材料販売等を業とする株式会社であるが、平成一三年一一月一三日午後一時、東京地方裁判所において民事再生手続開始決定(同裁判所平成一三年(再)第二八九号)がされ、平成一四年五月八日、再生計画認可決定が確定した。
被告は、生命保険業等を目的とする株式会社であり、原告と被告との生命保険契約当時の商号をエクイタブル生命保険株式会社といい、その後、平成四年四月一日ニコス生命保険株式会社に、平成一二年一〇月一日クレディ・スイス生命保険株式会社に商号変更した。
(2) 原告は、被告との間で、平成元年一一月一日、以下のとおりの生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、被告に対し、保険料として五〇〇三万七二八〇円を払い込んだ。本件保険契約の詳細は、普通保険約款及び該当する特約条項により定められている。
証券番号 二〇―八九―〇〇一〇二五
(平成一二年一一月一七日に再発行された生命保険証券(甲二)の証券番号は、二〇八九〇〇一〇二五―九)
保険種類 一時払変額保険(終身型)
被保険者 B山松夫
死亡保険受取人 原告
保険金額 一億一〇八〇万円
保険料 五〇〇三万七二八〇円
保険料払込方法 一時払
保険期間 終身
解約 変額保険(終身型)普通保険約款二六条及び二七条により、保険契約者は、所定の解約請求書、印鑑証明書、最終保険料領収証及び保険証券(以下「約款に定められた必要書類」という。)を被告の本社又は被告の指定した場所に提出して保険契約を解約することができ、その場合、被告は、上記二七条一項によって算出される解約払戻金を支払う。
契約者貸付 変額保険(終身型)普通保険約款三一条により、解約払戻金がある場合には、保険契約者は、被告の定めるところにより貸付けを受けることができる(一項)。
貸付金には、所定の利率を付し(三項)、保険契約者は、保険期間中いつでも貸付金の元利金の任意の金額を返済できる(七項)。また、貸付金の元利金合計額が解約払戻金額を超えたときは、保険契約者は、被告所定の金額を払い込むことを必要とし(五項)、保険契約者が一定期間内に上記金額を払い込まない場合には保険契約が失効する(六項)。保険契約が消滅した場合には、被告が保険契約者に対し支払うべき金額から貸付金の元利金が差し引かれる(八項)。
(3) 被告は、原告に対し、平成一一年七月二二日、上記契約者貸付制度に基づき、一九七七万四〇〇〇円を貸し付けた(以下「本件契約者貸付」という。)。
この際に原告が作成し、被告に交付した契約者貸付申込書には、「保険契約者について、特別清算開始の命令、整理開始の命令、破産の宣言、和議開始の決定または、更生手続き開始の決定がなされた場合は、その決定のあった日に、貸付金の返済期日が到来し、かつ保険契約はその効力を失うものとします。その場合、貸付元利金は、会社が支払うべき金額と相殺して清算します。」(貸付条項七条)と定められている(以下「本件契約者貸付条項」という。)。
その後、原告は、被告に対し、本件契約者貸付に基づく債務の弁済を行ったことはない。
(4) 原告は、被告に対し、平成一四年一〇月一〇日到達の内容証明郵便により、本件保険契約を解約する旨の意思表示をして、解約払戻金の支払を請求した。
これに対し被告は、原告に対し、同月一八日到達の書面で、本件契約者貸付に基づく貸付金を控除せずに解約払戻金の金額を支払うことはできないこと、約款に定められた必要書類を提出しなければ解約の効果は生じない旨回答した。
その後、原告代表者は、被告に対し、同年一二月一一日、約款に定められた必要書類の交付を請求した。これに対し被告は、原告に対し、約款に定められた必要書類のほか、解約払戻金から貸付元利金が差し引かれることに同意し了承した旨が記載された同意書兼念書を併せて送付し、原告に到達した。しかし、原告はこれらの書類を被告に提出しなかった。
(5) なお、被告は、原告に対し、平成一四年一二月九日付けで、原告に対する契約者貸付について、同年一一月三〇日に貸付金の元利合計額が解約払戻金を超えたので、貸付金の返済がない場合には、平成一五年二月一日から本件保険契約は効力を失う旨、通知した。
二 争点
(1) 本件保険契約が解約された時期及びその原因
(原告の主張)
ア 本件保険契約は、平成一四年一〇月一〇日、原告の意思表示により解約された。
原告は、被告に対し、内容証明郵便により、本件保険契約を解約するとの意思表示を行い、この意思表示は、平成一四年一〇月一〇日被告に到達した。
被告は、約款に定められた必要書類を提出しなければ解約の効力は生じないと主張するが、約款に定められた必要書類は、解約が契約者の意思に基づくことを確認するために要求されるものであるところ、原告は内容証明郵便を送付することによって、解約の意思を明らかにしているのであるから、解約の効力は生じるとすべきである。
また、原告が、被告に対し、解約に必要な書類の送付を依頼したところ、被告は、約款に定められた必要書類のほか、「解約払戻金から貸付元利金が差引かれることに同意し了承致しました」と記載された同意書兼念書を送付したことから、この内容に同意できない原告としては、約款に定められた必要書類も含め返送しなかったにすぎない。
原告が約款に定められた必要書類を提出していないのは、被告が、以上のように、約款に定められた必要書類以外の同意書兼念書を必要書類として説明し送付してきたためであるから、約款に定められた必要書類の提出がない以上解約の効力は生じないとの被告の主張は、信義則違背又は権利の濫用に当たり許されない。
イ 被告の、本件契約者貸付条項に基づく主張は、既に弁論が終結し、判決言渡期日の間際になって提出されたものであって、これは、訴訟上の信義則に反し、明らかに時機に後れた攻撃防御方法というべきであるから、このような被告の主張及び立証は却下すべきである。
ウ 本件契約者貸付条項は、和議開始決定がされた場合の規定であり、民事再生の開始決定がされた場合を予定した規定ではない。それぞれの法律の内容をみても、開始原因や履行確保手段等の点で相違があり、また、金融実務においても、民事再生法の制定に伴い、和議法の下で作成された契約につき合意書等を別途取り直しているのが一般である。
したがって、本件のような民事再生手続がなされた場合について、和議開始決定がなされた場合と同視することはできない。
(被告の主張)
ア 本件保険契約は、平成一四年一〇月一〇日、原告の解約により終了したのではなく、平成一三年一一月一三日、本件契約者貸付条項により失効したものである。
原告と被告との間で本件契約者貸付を行うに際し、本件契約者貸付条項について合意がされた。そして、原告については、平成一三年一一月一三日、民事再生手続開始決定がされた。
民事再生法は、和議法を廃止し、これを改正する目的で作成された法律であるから、民事再生手続開始決定と和議開始決定とは同視されるべきである。
したがって、本件保険契約は、本件契約者貸付条項により、原告の民事再生手続開始決定の日に失効した。
イ 仮に、本件保険契約が平成一三年一一月一三日に失効したものでないとしても、原告は、約款の様式に従わず、原告代理人作成の平成一四年一〇月一〇日到達の内容証明郵便を送付するのみで、約款に定められた必要書類を提出していないから、解約の効力は生じていない。
(2) 原告の被告に対する解約払戻金債権と、被告の原告に対する契約者貸付に基づく元利金債権とは、被告の意思表示をまたず当然に相殺されたか。
(被告の主張)
原告と被告との間には、本件契約者貸付条項があるところ、同条項は、民事再生手続についても適用される。したがって、原告の民事再生手続開始決定の日である平成一三年一一月一三日をもって、本件保険契約は失効し、本件契約者貸付に基づく元利金債権の弁済期が到来した。そして、原告の被告に対する解約払戻金債権は、被告の原告に対する本件契約者貸付に基づく元利金債権をもって、その対当額において当然に相殺されるから、原告は被告に対し、相殺後の残額である一二七万四三一八円についてのみ、解約払戻金債権を行使できる。
(原告の主張)
ア 前記(1)(原告の主張)イ及びウのとおり。
イ 本件契約者貸付条項には、被告の主張するような当然相殺が規定されているとはいえない。そして、被告は、本件契約者貸付に基づく元利金債権をもって解約払戻金債権とその対当額において相殺するとの意思表示をしていないから、被告主張の相殺は認められない。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(本件保険契約が解約された時期及びその原因)について
(1) 民事再生手続開始決定がされた日に本件保険契約が失効するとの被告の主張に対し、原告は、この主張が時機に後れた攻撃防御方法に当たり、却下されるべきである旨主張するので、まず、この点について判断する。
本件において、被告が上記主張を提出したのは平成一六年四月九日であり、本件訴訟の口頭弁論終結後、判決言渡期日として指定されていた同月一六日の七日前であるから、被告の上記主張は、時機に後れて提出した防御方法に当たると解する余地もないとはいえない。しかしながら、弁論の全趣旨によれば、被告の上記主張は、本件契約者貸付条項と同趣旨の条項の下に貸付を受けた者について民事再生手続開始決定がされた時は、解約払戻金債権は相殺により消滅するとの裁判例が公刊されたことを契機として提出されたものであることが認められ、上記主張についての立証も、即時に取り調べられる書証によって行われている。さらに、原告は、本件契約者貸付の当事者であり、原告代表者が本件契約者貸付条項の記載のある「契約者貸付申込書」(乙二二の一)に署名、押印していることからすれば、本件契約者貸付条項の存在は、原告としても認識していた事実であり、被告による上記主張を許したとしても、原告が不測の不利益を被るとはいえない。以上の事実を総合すると、被告の上記主張が民事訴訟法一五七条一項により却下すべきものであるとまでは認め難いというべきであるから、この点に関する原告の主張には理由がない。
(2) 次に、本件のように保険契約者について民事再生手続開始決定がなされた場合にも、本件契約者貸付条項が適用されるかについて判断する。
ア 前記のとおり、本件契約者貸付は、平成一一年七月二二日になされたものであるところ、民事再生法が平成一一年一二月二二日に成立し、平成一二年四月一日より施行されたこと、それと同時に和議法が廃止されたことは、当裁判所に顕著である。すなわち、本件契約者貸付が行われた当時、民事再生法が制定されていなかったことは明らかである。
イ 和議法は、債務者の破産を予防するために(和議法一条参照)、債権者と債務者が合意した内容で債務者の弁済と事業の継続を図る裁判上の手続である強制和議について定められた法律である。一方、民事再生法は、経済的窮境にある債務者について、その債権者の多数の同意を得て、当該債務者の事業又は経済生活の再生を図ることを目的として制定された法律(民事再生法一条参照)である。両法は、いずれもいわゆる再建型の倒産手続について定めた法律であるという点で共通する。このような和議法及び民事再生法の趣旨に加え、前記のとおり、民事再生法が成立したことに伴い和議法が廃止されたこと、和議法も民事再生法も個人、中小企業を主な対象として制定されたものであることなどからすると、民事再生法は、和議法と趣旨を同じくする法律であるということができる。
したがって、民事再生法が制定される以前の契約について、契約当事者に和議開始決定が行われた場合に関する定めがある場合には、そうすることを不相当とする特段の事情が認められない限り、これを和議開始決定と同視されるべき民事再生手続開始決定がされた場合にも適用するというのが契約当事者の合理的意思であるというべきである。
これに対し、原告は、和議法と民事再生法とでは、手続の開始原因や履行確保手段等について相違があることを理由に、民事再生法と和議法を同視することはできないと主張する。しかし、民事再生法が和議法の問題点を解消しつつ再建型倒産処理手続を整備することを目的として制定されたものであることにかんがみれば、これらの相違点が存在するとしても、和議開始決定が行われた場合に関する規定を民事再生手続開始決定が行われた場合にも適用することを否定すべき理由とはならない。また、仮に原告の主張するとおり、金融実務において民事再生法の制定に伴い合意書等を別途取り直しているとの事情があったとしても、これは和議法に係る条項が民事再生手続にも適用がある旨を明確にするための確認的行為にすぎないものと考えられるから、上記適用を否定する理由にはならない。
ウ 本件契約者貸付については、上記アで述べたとおり、貸付時には民事再生法は制定されていなかったものであり、本件契約者貸付条項には原告について和議開始決定がなされた場合に関する定めがあるところ、本件の全証拠によっても、本件契約者貸付を民事再生手続開始決定がされた場合にも適用することを不相当とすべき事情はうかがえないことから、同条項は、原告に民事再生手続開始決定がなされた本件の場合にも適用されるというべきである。
したがって、本件保険契約は、原告が本件保険契約を解約したと主張する平成一四年一〇月一〇日より以前に、原告について民事再生手続開始決定がされた平成一三年一一月一三日をもって、本件契約者貸付条項に基づき失効したと認められる。
二 争点(2)(解約払戻金債権と契約者貸付元利金債権とが被告の意思表示をまたず当然に相殺されたか)について
(1) 一(1)で判断したとおり、被告の主張は民事訴訟法一五七条一項により却下すべき主張であるとは認め難く、これを却下すべきとする原告の主張には理由がない。
(2) また、一(2)イ及びウで判断したように、本件契約者貸付条項は、本件にも適用されることから、同条項に基づき、被告の原告に対する本件契約者貸付に基づく元利金債権の弁済期も、原告に対する民事再生手続開始決定がなされた平成一三年一一月一三日に到来したものと認められる。
(3) しかし、原告に対する民事再生手続開始決定がなされた後、被告が、原告の被告に対する解約払戻金債権と、被告の原告に対する契約者貸付元利金債権とを相殺する旨の意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はないから、本件契約者貸付条項の下で、被告による別段の意思表示をまたず、当然に上記相殺が認められるか否かが問題となる。
本件契約者貸付条項は、原告に対する和議開始決定が保険契約の失効と契約者貸付の弁済期の到来とを同時にもたらすこと、この場合には契約者貸付に基づく債権と保険契約に基づく解約払戻金債権とを相殺して清算することを内容としているところ、「貸付元利金は、会社が支払うべき金額と相殺して清算します。」という同条項の文言によれば、本件契約者貸付条項は、和議開始決定などの一定の事由が生じた場合に、特段の意思表示を要することなく、解約払戻金と契約者貸付元利金とを相殺することを内容とした停止条件付相殺契約であると解するのが自然であると考えられる。また、契約者貸付申込書にこのような条項が加えられた趣旨について検討すると、前記第二第一項争いのない事実等欄(2)において摘示したとおり、本件契約者貸付は原告において解約払戻金がある場合にのみ受けられること、貸付金の元利金合計額が解約払戻金額を超えたときは原告は被告所定の金額を払い込むことを必要とし、その払込みがされない場合には保険契約が失効するとされていることなどからすると、本件契約者貸付は、被告において原告に対して負担する解約払戻金返還債務と相殺することにより優先的に弁済を受けられるという期待の下に行われたものであると認められる。そうすると、本件契約者貸付条項も、和議開始決定など相殺の制限を伴う倒産手続が開始された場合に、本件契約者貸付元利金債権の弁済期が到来するとともに、本件保険契約も失効するものとした上で、特段の意思表示を要することなく、原告の被告に対する解約払戻金債権と被告の原告に対する契約者貸付元利金債権とを相殺することにより、本件契約者貸付に基づく元利金債権の回収を図ることを目的とした規定であると解することが、当事者の合理的意思にも合致するものと考えられる。これらに加えて、本件契約者貸付条項においては、和議開始決定など、条件は客観的に特定されており、目的債権も個別具体的に特定かつ明示されていることから、これを以上のように解したとしても、第三者を不当に害するものとはいい難い。
以上の諸点を総合考慮すると、本件契約者貸付条項は、和議開始決定などの一定の事由が生じた場合には、特段の意思表示を要することなく、解約払戻金債権と契約者貸付元利金債権とを相殺する趣旨の規定であると解するのが相当である。
(4) 以上によれば、本件保険契約に基づく解約払戻金債権と本件契約者貸付に基づく元利金債権とは、原告に対する民事再生手続開始決定がなされた平成一三年一一月一三日をもって相殺適状となり、被告からの別段の相殺の意思表示なしに、本件契約者貸付条項によって、その対当額において相殺されたものと認められる。
そして、乙第二四号証によれば、上記平成一三年一一月一三日現在、原告の被告に対する本件契約に基づく解約払戻金債権額は二三八二万七四五五円、被告の原告に対する契約者貸付元利金額は二二五五万三一三七円であったことが認められ、これを覆すに足る証拠はない。
したがって、上記相殺後の原告の被告に対する本件保険契約に基づく解約払戻金の残額は、一二七万四三一八円であると認められる。
三 以上の次第で、本件請求は、本件保険契約に基づく解約払戻金一二七万四三一八円及びこれに対する支払請求の翌日である平成一四年一〇月一一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限りにおいてこれを認容することとし、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条及び六四条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤下健 裁判官 西村欣也 阿部雅彦)