東京地方裁判所 平成15年(ワ)4306号 判決 2006年2月27日
本訴原告兼反訴被告
タカノフーズ株式会社
同代表者代表取締役
高野英一
同訴訟代理人弁護士
山上芳和
同
藤井圭子
同
元橋一郎
同
水野賢一
同訴訟復代理人弁護士
笹岡優隆
本訴被告兼反訴原告
株式会社ジェー・シー・オー
同代表者代表取締役
浅原敏夫
同訴訟代理人弁護士
椙村寛道
同
亀山晴信
同訴訟復代理人弁護士
武市吉生
主文
1 本訴原告兼反訴被告の本訴請求を棄却する。
2 本訴原告兼反訴被告は,本訴被告兼反訴原告に対し,金1億0961万0066円及びこれに対する平成16年6月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 本訴被告兼反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。
4 訴訟費用は,本訴反訴ともに,これを4分し,その3を本訴原告兼反訴被告の負担とし,その余を本訴被告兼反訴原告の負担とする。
5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
(本訴請求)
本訴被告兼反訴原告(以下「被告」という。)は,本訴原告兼反訴被告(以下「原告」という。)に対し,2億0677万3175円及びこれに対する平成11年9月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(反訴請求)
原告は,被告に対し,2億6406万0547円及びこれに対する平成11年12月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本訴は,納豆等の製造販売等を業とする原告が,原子燃料の製造等を業とする被告に対し,「平成11年9月30日,茨城県東海村石神外宿所在の被告東海事業所転換試験棟において,被告従業員の重大な過失により臨界事故(以下「本件臨界事故」という。)が発生し,東海村臨界事故として大きく報道された。これにより,原告の納豆商品につき,茨城県産品として悪風評が全国的に広がり,その売上が大きく減少した。原告は,本件臨界事故により合計4億8278万7241円の営業損害を被った。」として,使用者責任(民法709条,715条)に基づき,上記金員から既に仮払金として原告に支払われている2億7601万4066円(以下「本件仮払金」という。)を控除した2億0677万3175円及びこれに対する同11年9月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
反訴は,被告が,原告に対し,「被告は,同11年12月30日,本件臨界事故に係る損害補償のための仮払金として,原告に2億7601万4066円を預託したが,本件臨界事故は原告の納豆商品の売上に影響を与えるものではなく,原告には本件臨界事故と相当因果関係ある納豆売上の減少が生じたとは認められない。仮に本件臨界事故により原告に風評被害が生じていたとしても,その損害は1195万3519円を超えることはないから,これを上記仮払金に充当することとする。」として,預託金返還請求権に基づき,本件仮払金から,上記1195万3519円を控除した2億6406万0547円及びこれに対する被告が原告に上記仮払金を預託した日の翌日である同11年12月31日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 争いのない事実
(1) 当事者
原告は,納豆及び豆腐等の製造販売を業とする会社であり,茨城県東茨城郡所在の肩書地に本社を置き,東京に営業本部を,札幌,盛岡,仙台,水戸,小山,高崎,長野,埼玉,千葉,八王子,横浜,静岡,名古屋,京都,大阪,広島及び福岡に各営業所をそれぞれ設置している。また,原告は,国内に下記の9工場を有している。
記
ア 水戸工場 茨城県東茨城郡小川町大字野田字大沼頭<番地略>
イ 霞ヶ浦工場 茨城県新治郡玉里村田木谷<番地略>
ウ 伊勢工場 三重県一志郡嬉野町天花寺赤坂<番地略>
エ 九州工場 佐賀県神崎郡千代田町直鳥一本杉<番地略>
オ 筑波工場 茨城県東茨城郡美野里町小岩戸字塔ヶ塚<番地略>
カ 岡山工場 岡山県上房郡賀陽町大字湯山字高曽<番地略>
キ 北海道工場 北海道夕張郡由仁町古川<番地略>
ク 郡山工場 福島県郡山市富久山町久保田字郷<番地略>
ケ 玉造工場 茨城県行方郡玉造町浜<番地略>
上記各工場のうち,水戸及び霞ヶ浦工場はタカノフーズ関東株式会社の,伊勢工場はタカノフーズ関西株式会社の,九州工場はタカノフーズ九州株式会社の,岡山工場はタカノフーズ中国株式会社の各工場であり,北海道,郡山及び玉造の各工場は協力工場である。
被告は,原子燃料の製造及び売買,ウラン化合物の生成及び売買,放射線照射による滅菌,改質の受託業務,原子燃料サイクル(転換,濃縮,再転換,再処理等)に関する研究,調査等を目的とする会社である。
(2) 本件臨界事故の発生
平成11年9月30日午前10時35分ころ,茨城県東海村石神外宿所在の被告東海事業所転換試験棟内において,東海村臨界事故と呼称される本件臨界事故が発生した。
本件臨界事故は,ウラン酸化物と硝酸を混ぜて硝酸ウラン溶液を作り,これを沈殿槽で核燃料に精製する過程において,被告作業員が,本来であれば原料を溶解塔に注入した上で,配管を通して機械操作で沈殿槽に注入するところ,ステンレス容器に入れてロートを用いて手作業で沈殿槽に投入し,また,本来であれば所定の使用許容ウラン2.4キログラムを投入すべきところ,これを超える16キログラムの濃縮ウランを円筒状の沈殿槽に入れたため,臨界状態(原子炉で,核分裂の連鎖反応がぎりぎりの状態で持続し,炉内の中性子数が一定の割合で維持されている状態)に達し,瞬時に激しい連鎖反応が起こったことにより発生したものである。
臨界状態は,事故発生の翌日である同年10月1日に終結した。
(3) 本件臨界事故による納豆商品への物理的原因による影響の存否
本件臨界事故による農作物及び製造物並びに地域環境に対する放射線汚染の危険はなく,原告の納豆商品についても,放射線汚染等の物理的原因による影響はなかった。
(4) 本件仮払金の支払
原告は,平成11年12月27日,被告に対し,本件臨界事故により5億5202万8133円の損害を被ったとして,その旨を届け出るとともに,その半額である2億7601万4066円の補償金の仮払を求めた。
これを受けて,被告は,同月30日,原告に対し,仮払金として原告の請求どおり2億7601万4066円を支払った。
3 争点
(1) 原告は本件臨界事故により営業損害を被ったか
(2) 原告が被った営業損害額
(3) 被告の原告に対する本件仮払金返還請求の可否及びその額
(原告の主張)
(1) 原告は本件臨界事故により営業損害を被ったか
本件臨界事故は,刑事事件において,被告及び被告東海事業所の幹部に対して有罪判決が言い渡されたことから明らかなように,被告の杜撰な管理体制によって発生した原子力事故である。これにより,原告は,本来得ることができるはずであった売上利益を得られなくなるという営業損害を被った。すなわち,
ア 原告は,茨城県に本社を置く納豆製造業者であって,本訴提起時,納豆業界における市場占有率(以下「シェア」ということがある。)が27パーセントの業界第1位の会社であった。原告の主力商品である納豆は,茨城県の名産として国内に広く知られているところ,一般消費者は,納豆の名産地である茨城県で本件臨界事故が発生したため,納豆商品に対する心理的な嫌悪感・危機感を抱いた。また,科学的な見地からすれば,本件臨界事故により原告の納豆商品やその原材料が放射線の被害を受けたというような事情はなかったものの,我が国が唯一の被爆国であるという事情もあって,一般消費者が,茨城県の名産である納豆についても危機感・嫌悪感を抱き,その結果,原告の納豆商品を買い控えるという事態が生じた。
さらに原告の納豆商品は,現実には水戸,霞ヶ浦,伊勢,九州,筑波,岡山,北海道,郡山及び玉造の各工場で生産されているが,商品に記載された製造工場はアルファベットで記号化されており,一般消費者は,当該商品の表記から,製造工場の所在場所を知ることができない。原告の納豆商品には原告の本店所在地として「茨城県」という文字が記載されており,当該商品を手に取った一般消費者は,これを本件臨界事故があった茨城県と関連づけて,買い控えをする結果となった。
これに対し,被告は,本件臨界事故発生直後,原告の納豆商品の売上が一時的に増加したことをもって,原告の売上減少と本件臨界事故との間に相当因果関係はない旨主張するが,原子力事故における放射能汚染などの直接的被害と異なり,風評被害は,事故発生と同時に発生するとは限らない。なぜなら,風評被害は,人の心理的要素を介在させるが故に,事故直後よりも,事故発生に起因する風評が流布された後に発生することになるからである。
また,場所的関係においても,風評被害においては,直接的被害のように事故地から離れれば弱まると言うことはできない。被爆したかもしれないという風評は,本件臨界事故発生地である東海村及びその周辺だけにとどまらず,他の原子力関連施設の周辺地域にも飛び火し,これにより本件臨界事故に起因する風評被害が発生したのである。
この点,原子力損害調査研究会も,「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)の適用につき検討した上,「(株)ジェー・シー・オー東海事業所核燃料加工施設臨界事故にかかる原子力損害調査研究報告書」と題する書面(甲第30号証)において,その確認事項として「時間的要素(平成11年11月末)・場所的要素(被告東海事業所転換試験棟から半径10Kmの範囲内)に関する判断基準は,現時点における暫定的なものであり,今後の調査により判明してくる被害状況の全体像によっては,上記時間的要素及び場所的要素の各限界範囲がさらに拡大(10キロメートルを超え,茨城県全体への拡大)される可能性を否定するものではなく,また,時間的要素又は場所的要素のいずれか又は双方を満たさない場合であっても,請求者からの現実の減収等の立証の内容及び程度など個別具体的な事情によっては,相当因果関係が肯定される」旨を示唆しているところである。
そして,本件における風評被害は,放射線汚染という明確にイメージできない不安によって生じたものであるが,それは個人的,主観的なもので一過性の過剰な心理状態というようなものではなく,同一の条件のもとでは常に同一の状態になると考えられる。したがって,消費者の上記のような不安に基づく買い控えは,現代社会においては一般人においても十分に予測可能なものである。
以上によれば,原告は,本件臨界事故に起因する風評被害によって営業損害を被ったということができるから,原告が被った営業損害は本件臨界事故と相当因果関係のある損害として民事上の損害賠償請求の対象となるというべきである。
イ 本件臨界事故と原告の被った納豆商品の売上減少による営業損害との間に因果関係が認められることは,「年間売上伸率変化」(別表1)及び「地域別月別対前年伸率」(別表2)の各表からも明らかである(上記の年間売上伸率変化は,本件臨界事故発生直後の平成11年10月1日を基準日として,毎年10月1日から翌年9月30日までの間の,原告における対前年比売上伸び率を年間ベースで一覧表にしたものである。また,上記の地域別月別対前年伸率も同様に,前年の売上と当年の売上を対比して,前年より売上が伸びたときには,対前年の売上に対する当年同月の売上の増加率をプラスのパーセントで,また,前年より売上が減少したときには,対前年の売上に対する当年同月の売上の減少率をマイナスのパーセントでそれぞれ表示したものである。なお,当年の売上に関して,対前年の売上との増加・減少率で対比した理由は,毎年恒常的に生じる季節変動要因などを捨象し,本件臨界事故を含めた,外的要因や特別な販売促進活動の売上に対する効果を,客観的に把握するためである。)。
(ア) まず,「年間売上伸率変化」(別表1)によると,原告は,平成8年10月1日から同9年9月30日まで,同年10月1日から同10年9月30日まで,同年10月1日から同11年9月30日までの各期間,毎年極めて高率の対前年比売上増加率を実現していた。さらに同12年10月1日から同13年9月30日まで,同年10月1日から同14年9月30日までの各期間も,同様に高率の対前年比売上増加率を実現している。
ところが,本件臨界事故が発生した日の翌日である同11年10月1日以降の1年間だけは,極めて顕著に対前年比売上増加率がマイナスとなっており,また,対前年比の売上がマイナスとなったのはほぼこの期間のみであると言っても過言ではない。そして,上記期間には,本件臨界事故を除いて,納豆商品売上の減少要因となる社会的事象や事故はなく,また,原告の納豆商品に関して特別にマイナスイメージとなるような事故や事象もなかったから,上記期間に限って,とりわけ原告の対前年比売上が減少したのは本件臨界事故による風評被害以外に考えられない。
なお,別表1の同9年における関東甲信越と近畿北陸の対前年比売上がマイナスの表示となっているのは,原告社内の売上管理の地域割りの変更によるもので,前年の地域割り方式による対前年比売上は,他地域と同様に増加している。また,同表の同14年の対前年比売上増加率が落ちているのは,同13年の売上増加により生産調整を余儀なくされたため,出荷数量を抑制したためである。
(イ) 次に,原告の販売地域区分別対前年比売上増減率を一覧表にした「地域別月別対前年伸率」(別表2)によると,社会的事象とその報道並びに宣伝活動を含む販売促進行動が,原告の売上伸び率に影響を与えたことがわかる。
すなわち,社会的事象の売上伸び率に対する影響について検討すると,①同8年7月ころ,いわゆるO157による食中毒事故が大きな社会問題となり,これに関連して,納豆の抗菌性が話題となり,納豆の食中毒予防効果が印象づけられる結果となり,その科学的根拠はともかく,上記事故の報道により同年8月から同年11月までの間,納豆の対前年比売上率が上昇した,また,②同11年5月ころ,大豆を含む遺伝子組み換え農産物等を使用した食品の安全性が大きな社会問題となり多く報道され,同年5月,6月の原告の納豆商品の対前年比売上率は一時的に極端に低下したため,原告は,同年8月,相当な宣伝費を使用して原告の全納豆商品に遺伝子組み換え材料の不使用を表示し,ようやく売上の回復を図ることができた,③同13年9月,いわゆる狂牛病問題が発生し大きく報道され,牛肉やこの関連食品の買い控えの現象が起きた一方,健康な蛋白源と考えられている大豆やその加工食品に対する需要が増えたため,この期間,原告の納豆商品の対前年比売上率が増加した。
このように,国民一般に広く認知されるような社会現象や事故が発生し,それが広く報道されると,原告の納豆売上は直接的影響を受けることが明らかである。そうすると,これらの事故等と原告の納豆売上の増減には明白な因果関係があるというべきである。
別表2の「地域別月別対前年伸率」によって,本件臨界事故発生日の翌月である同11年10月以降の原告の納豆商品の対前年比売上率推移をみると,本件臨界事故発生直後に対前年伸び率が急落した後,一時伸び率が回復したものの,その後同12年2月にかけて全国的に雪崩を打つように納豆商品の売上が下落し,その後も同年9月にかけて,対前年比マイナスの伸び率が続いたことが明らかである。そして,上記期間の売上の減少要因は本件臨界事故以外に考えられない(同11年11月,一時的に対前年比売上伸び率がプラスとなっているが,これは,同年9月15日から同年11月15日までの間,原告が3億4000万円の投資をして大量のテレビコマーシャルを全国的に放映した効果が地域的に発生したこと及び本件臨界事故直後,事故現場直近の納豆製造業者の納豆商品に対する買い控えが発生し,それが業界最大手の原告の納豆商品に対する代替購入動機となったことによるのである。)。したがって,本件臨界事故と同11年10月から同年12月末日までの相対的な売上伸び率下落は本件臨界事故と相当因果関係があるというべきである。
ウ 本件臨界事故と原告の被った納豆商品の売上減少による営業損害との間に因果関係が認められることは,統計学上の検討によっても明らかである。
すなわち,原告は,時系列解析の観点から,本件臨界事故発生前の平成11年9月までのデータの現れ方が続いたときに,同年10月以降の値がどのように予測されるかを試算し,実際の値がそれまでの傾向から逸脱するものであるか否かにつき検証した。具体的には,連関比率法により原データに修正を加えた上で行う分析手法,seasonal Holt−Winter法を用いた分析手法を用いたが,いずれの方法によっても,同年10月以降の原告の現実の売上は,本件臨界事故以前のデータを元にした予測値の範囲外にあると認められ,統計学的分析,特に時系列解析及び予測の立場からすると,本件臨界事故による風評被害により原告の売上が減少したことが明らかである。
エ 被告は,総務庁(現総務省)の家計調査や日経POSのデータに依拠して,本件臨界事故が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたとはいえないとする。しかしながら,これらの調査結果やデータは必ずしも信用できるものではない。本件臨界事故による原告の風評被害の金額は,原告の売上データからしか算出できないというべきである。
(ア) まず,被告は,総務庁の家計調査年報の1世帯当たりの食料品への支出金額及び納豆への支出金額などのデータによると,原告の平成11年11月の実売上額は同10年11月の実績より上回っているが,逆に1世帯当たりの食料品への支出金額及び納豆への支出金額はともに同11年度が同10年度よりも下回っているので,同11年11月時点において,原告への本件臨界事故による風評被害を認めることは困難である旨主張する。
しかし,上記家計調査年報は,都市部のみを対象とし,また,単身世帯を除外し,記入方式で統計調査がされているため,農村世帯の状況や最近増加している単身世帯の状況が反映されておらず,記入漏れの影響を免れない。また,家計状況の調査として,株式会社インテージが実施しているいわゆるSCIの調査があるが,この調査は単身世帯を除外していることは家計調査と同様であるが,農村世帯を含み,バーコードによる統計方式を採用しているため記入漏れが少ないし,サンプル数も1万1000件に上るから,信用性が高いということができるところ,家計調査年報のデータはSCIの調査結果と異なる。そうすると,上記の家計調査の結果に依拠する被告の上記主張は根拠のないものである。
(イ) 次に,被告は,原告の納豆商品についての売上・シェアの推移等について日経POSデータを入手し分析した結果,原告の主張するような風評被害が生じたとは認められない旨主張する。しかし,原告が推定した各地域における全納豆売上に占める原告のシェアと日経POSデータによるシェアは,次のとおり,全く異なる数値となっている。
原告の推定 日経POS
平成14年3月 全国 約28% 38.23%
首都圏 約38% 47.38%
同13年4月から 北陸 20%以下 28.77%
〜49.39%
同14年3月まで
上記のような差異が生じる理由は,原告が採用するシェアの推計方法が,茨城県納豆商工業協同組合(以下「茨城県納豆組合」という。)における統計資料等全納豆売上額を推定し,その推定値で原告の売上額を除算することにより求めたものであるのに対し,日経POSデータは,原告が競争上強みを持つ一部大規模店舗又はチェーンストアのみのデータから作成された値であるため,原告のシェアが異常に高く出ているからである。そうすると,日経POSデータによる原告のシェアの推計は必ずしも信用できるものではなく,これに依拠する被告の主張は根拠のないものであるというほかない。
(2) 原告が被った営業損害額
ア 営業損害の算定方法及び具体的な額並びに本件での請求額
本件臨界事故による原告の営業損害額は,本件臨界事故の影響が継続した平成11年10月から同年12月までの3か月間における,本件臨界事故がなければ原告が得られたであろう納豆商品売上額と現実の納豆商品売上額との差額に,粗利率を乗じた額(この間の経費率を控除)というべきである。
まず,原告に本件臨界事故による売上減少という営業損害が発生した期間は,実際は本件臨界事故発生からおよそ2年間であったが,原告は,本件訴訟を容易に解決するため,被告が公表した損害賠償算定基準(後記イ)に準じて,損害発生期間を同11年10月から同年12月までの3か月間に限定した。
次に,本件臨界事故がなければ原告が得られたであろう売上額については,被告が算出方法として公表している方法によった。すなわち,同10年の納豆商品売上実績額(月別)と同11年の納豆商品売上実績額(月別)に基づき,1月から9月までの比較により対前年増減率を算出した(甲第41号証「JCOの補償等の考え方と基準」9頁)。そして,この方法により算出される対前年増減率は,別表4記載のとおり110.16パーセントとなる。
納豆は,秋冬の時期に多く消費される商品である。原告は,後記オのとおり,この時期に合わせてテレビコマーシャルを実施し(同11年9月15日から同年12月12日まで),納豆が多く消費される時期に対前年比114パーセントの売上増を見込むことで,年間全体で対前年比売上110パーセント以上を達成することを見込んでいた。この点,テレビコマーシャルを実施した同年9月は,対前年比売上110パーセントを達成できなかったが,テレビコマーシャル実施によるその後の売上増により,年間全体で対前年比売上110パーセント以上を達成することは十分に可能であった。
そして,経費率は,上記の対前年増減率の算出方法に従って,本件臨界事故直前の9か月間(同年1月から9月まで)の納豆商品売上に対する原材料費割合の平均とした。この方法により算出される原告の経費率(原材料比率)は,別表6記載のとおり,31.23パーセントとなる。したがって,粗利率(1−経費率)は68.77パーセント(1−0.3123)である。
上記により原告の本件における営業損害額を計算すると,①原告の同10年10月から同年12月までの納豆商品月別売上額,②上記売上額に上記算出の対前年増減率(伸び率)110.16パーセントを乗じて得られる「あるべき売上額」,③同11年10月から同年12月までの納豆商品月別実売上額は,それぞれ別表8のとおりであるから,上記損害額は4億8278万7241円となる((68億4253万7000円×110.16%−68億3570万7000円)×68.77%)。
上記のとおりであって,原告は,被告から,既に損害補償の仮払金として2億7601万4066円を受領しているから,原告が被告に請求し得る額は上記営業損害額から既受領額を控除した2億0677万3175円となる(4億8278万7241円−2億7601万4066円)。
イ 被告が公表した損害額算定基準と原告の主張する基準との整合性
上記本件臨界事故による損害賠償算定方法は,被告が公表した損害額算定基準に準じた算定方法と整合する妥当なものである。
すなわち,被告は,対前年増減率について,原告の平成10年1月から同年9月までの売上実績額(月別)と同11年1月から同年9月までの売上実績額(月別)の比較により,対前年増減率を算出すると公表した(甲第41号証「JCOの補償等の考え方と基準」9頁)。そして,被告は,売上の伸び率を考慮に入れることについて,既に同12年1月25日の段階で表明し,被告と茨城県納豆組合との同12年2月8日の面談時にもこれを考慮することを自ら提案していたし,同年3月15日には,この点について原告と被告間で確認されていたのである。また,被告は,従前,補償基準として本件臨界事故発生地から10キロメートル圏外の風評被害への補償を同11年10月分に限定するとしていたが,同12年1月17日,こうした基準を撤廃し,因果関係の存在を前提に10キロメートル内外,期間を限定することなく全ての被害についてこれを補償の対象としたのである。そして,被告は,上記基準の撤廃後に行われた被告と茨城県納豆組合との同年2月8日の面談の際,補償の対象期間を同11年10月から同年12月までの3か月間とする旨提案していた。
ウ 本件臨界事故に関して,被告と各種団体との間で現実に和解が成立した例における補償額算定基準についてみると,補償期間の点では,①平成11年12月までの補償を認めたものが3団体,②同12年1月31日までの補償を認めたものが1団体ある。したがって,本件で原告の主張する補償期間(同11年10月から同年12月まで)は現実の和解例に照らしても妥当なものということができる。
また,補償額算定方法についても,①前年度売上と当年度売上の単純比較によるものが2団体あるが,②同11年1月から同年9月までの売上減少傾向を考慮して粗利益の減少を算定したものが2団体ある。そして,上記②のように,被告が,同11年1月から同年9月まで売上減少傾向にあったとしても,その減少傾向が増大したことをもって損害の発生を認めるのであれば,原告のように同11年1月から同年9月までの間に売上の増加傾向が認められるならば,増加傾向がなくなったり,それが鈍化した場合も,風評被害として営業損害を肯認すべきである。
エ 被告は,自ら上記イのJCO基準を公表し,被告の損害賠償の範囲について,「対前年増減率」を考慮した売上額を推定した上で算出する「純利益額」を対象とするという計算方法を妥当性ある損害算定方法とし,また,上記基準を妥当なものとして,本件でも営業損害の算定方法としてこれを採用していた。そうすると,被告が,上記のような原告の計算方法に反する計算方法や原告の売上減少に他の原因が与えている影響を考慮すべきであるなどと主張するのは信義則上許されないというべきである。
仮に本件臨界事故と相当因果関係のある原告の営業損害額を算定するに際しその他の原因による売上減少への影響を考慮するとしても,裁判所は民訴法248条により営業損害額を認定すべきである。
オ なお,本訴において,原告が被告に対して賠償を求める損害は上記損害のみであるが,本来であれば,原告が納豆商品に関して実施したテレビコマーシャル費用もまた本件臨界事故と因果関係のある損害である。
すなわち,原告は,定期的に原告商品に関するテレビコマーシャルを実施して,その売上増加を図ってきた。すなわち,テレビコマーシャルは,迅速・広範囲の情報伝達方法であるところ,原告及び原告商品の認識率は,テレビコマーシャルを定期的に継続してきた地域においては維持・上昇を続け,初めてテレビコマーシャルを実施した地域においては急激に売上が上昇した。
原告は,平成11年8月11日,株式会社大広との間でテレビコマーシャルの放映委託に関する契約を締結し,当該契約に基づき,同年9月15日から,株式会社大広制作にかかる「おかめ納豆」のテレビコマーシャルが各放送局で放映された。そして,当該コマーシャルが放映された正にそのころに本件臨界事故が発生したのである。
本件臨界事故は国民に拒絶反応が強い放射線に関連した事故であり,かつ,上記テレビコマーシャルの対象となった商品は,本件臨界事故現場付近に本社があり,この住所を全ての商品に表示していたものである。納豆という極めて身近な日用食品であり,原告製造の納豆商品が放射線の影響を受けたのではないかという一般人の拒絶反応は極めて大きいものがあった。また,本件臨界事故は,発生の事実やその及ぼす影響に関し,新聞等のいわゆるマスコミが大々的にこれを取り上げたため,消費者に深刻な不安を与えた。その結果,消費者は原告の商品が本件臨界事故の影響を受けた危険な食品であると考えるようになった。原告は,テレビコマーシャルを放映したにもかかわらず全く販売促進効果が得られなかった。
したがって,原告がテレビコマーシャル投資に要した費用も本件臨界事故との因果関係の認められる損害である。原告は株式会社大広との間で上記のテレビコマーシャルの放映委託に関する契約を締結した際,同社に3億0893万6840円を支払ったから,これが原告の被った損害であり,本来であれば賠償請求できる損害である。
(3) 本件仮払金返還請求の可否及びその額
被告は,本件仮払金の性格について,損害立証がされた時点で正式な損害金支払をして精算を予定するものであり,損害立証がされるまでは,被告が損害届け出をした者に対し,仮払金相当額を預託しているに過ぎない旨主張し,損害届け出をした者が損害額の証明責任を負うとする。
しかし,上記仮払金に係る補償金仮払申込書(乙第6号証)中には「当該仮払額は補償金額が確定次第,確定金額と精算(過払いの場合には上回った金額の返還,不足の場合には不足金額の追加払いがなされること)することを承諾します。」との記載があるところ,これに先立って茨城県と被告との間で交わされた確認書(甲第20号証)には,「乙(被告)は,早急に被害者と協議の上,補償額を確定する。」との記載がある。すなわち,補償額の確定は,被告の責任においてされるものなのである。したがって,本件仮払金は,当時の当事者の合理的意思を解釈すれば,「補償金額が確定後に精算することを条件とした,損害賠償金の一部弁済」と解されるのであり,被告が原告に対する補償額は仮払金より少ないと主張するのであれば,それは被告が立証すべきである。
また,仮に上記確認書の記載が立証責任の分配とは無関係であるとしても,仮払金が現実の損害額に不足する場合には,原告がそれを主張立証する必要があるのであるから,立証責任の公平な分担の観点から,仮払金が現実の損害額を上回る場合には,その返還を求める被告が損害額の立証責任を負うと解すべきである。
さらに,上記損害の発生につき,原告にその主張立証責任があるとしても,仮払金そのものが風評被害の立証の困難さを救済するための政策的制度であったのであるから,仮払の際,過払の場合には立証責任を転換する旨合意されていたと解すべきである。
以上のとおりであるところ,本件においては,本件仮払金が過払いとなっていることについて立証されたとは言い難いから,被告の反訴請求は理由がない。
(被告の主張)
(1) 原告は本件臨界事故により営業損害を被ったか
原告の主張する本件臨界事故と原告の営業損害との間の因果の連関は,本件臨界事故が納豆の名産地である茨城県内で発生したが故に,消費者が日本全国で納豆購入を差し控えた結果,納豆に関する風評被害が発生して納豆メーカーである原告に納豆商品の売上減少という営業損害をもたらしたというものである。しかし,次の各事情からすると,原告の上記主張に理由がないことが明らかである。
ア 原告も自認するとおり,本件臨界事故後,原告の納豆商品の売上は一時的に上昇した。この点,原告は,本件臨界事故直後,くめクオリティプロダクツ等の同業他社の工場が本件臨界事故発生地点から10キロメートル以内にあったため,出荷先から出荷停止処分を受け,その穴埋めとして,原告の納豆商品を一時的に納入することを求められたに過ぎない旨主張する。しかし,仮にそうだとすると,原告の納豆商品は,少なくともその出荷先から安全性について信頼されていたことを意味する。そして,茨城県内に所在する原告の工場は,いずれも半径10キロメートルの屋内退避要請圏外にあったのである。そうすると,本件臨界事故が原告の納豆の売上に減少要因として影響したということはできない。
また,原告は,風評被害が存することについて,本件臨界事故後の風評被害に関する多数の報道から明らかである旨主張する。しかし,新聞報道等に係る各記事(甲第25号証及び26号証)を検討しても,納豆の危険性を指摘したものはなく,むしろ,本件臨界事故直後から,農産物,水産物,飲料水,河川の水質,茨城県で製造された加工食品等について,その安全性が確認され,その事実が茨城県のホームページや新聞等により報道されているのである。したがって,新聞報道により納豆に関して風評被害が発生したなどということはできない。
そして,原告は,本件臨界事故の発生により納豆業界全体の売上が減少し,その結果原告の売上が減少したという因果の連関がある旨主張するが,本件臨界事故と納豆業界全体の売上減少について関連性を認めることは困難である。
すなわち,総務庁統計局作成の家計調査年報によると,納豆についての全国1世帯当たり支出金額,納豆についての100世帯当たりの購入頻度のいずれをみても,本件臨界事故の影響により,納豆の売上が影響を受けたとは認められない。また,年度別に検討すると,納豆についての1世帯当たりの支出金額は,ほぼ1世帯当たりの食料品への家計指標に連動しているが,この家計指標をみても,納豆が他の食料品と比べ特に買い控えられたなどとは認め難い。さらに,東京都における納豆の月別価格の推移をみても,納豆の小売価格も本件臨界事故とは全く無関係である。
このように,本件臨界事故と納豆業界全体の売上減少との間に関連性が認められない以上,本件臨界事故と原告の売上減少との関連性を認めることはできない。
原告は,家計調査年報は信用性が高くなく,SCIのデータの方が適切であると主張する。しかし家計調査年報を信用できないとする理由は明らかではないし,SCIデータを元に検討しても,本件臨界事故と納豆売上あるいは消費者の納豆購入金額との関連性を認めることは困難である。
イ 原告の納豆商品についての売上・シェアの推移等について,日経POSデータに基づいて検討を加えたところ,次のような事実が判明した。
(ア) 全国の売上
平成10年と同11年の1月から4月までの各月の売上金額を比較すると,各月とも明らかに平成11年度が極端に高い伸び率を示している。他方,5月以降については,上記両年を比較してもそれほど差異がない。この傾向は納豆販売個数についても同様である。
そうすると,同11年1月から同年9月までと同10年1月から同年9月までの売上額を比較して得られる伸び率を元に損害額を算定する原告の手法は明らかに不当である。
原告のシェアの推移についてみると,原告は,同11年11月から同12年2月まで,納豆商品の販売金額及び販売個数のいずれにおいても,そのシェアを拡大しているのである。
(イ) 首都圏(千葉,埼玉,神奈川及び東京)の売上
納豆商品の販売金額及び販売個数ともに,1月から4月までは,平成11年が同10年を大きく上回る傾向にあったが,5月から7月までは,同11年が同10年を下回っている。一方,原告の販売金額におけるシェアは,同11年11月及び同年12月において,同10年と比べて明らかに拡大している。
(ウ) 関東周辺部(茨城,栃木,群馬,長野,山梨及び静岡)の売上
関東周辺部においては,平成11年7月以降,販売金額及び販売個数とも,ほぼ横ばいの傾向である。一方,原告の販売金額及び販売個数におけるシェアは,平成11年11月以降拡大している。
そうすると,本件臨界事故が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたとは言えず,むしろ,原告は,本件臨界事故後である同年11月以降,首都圏及び関東周辺部において,納豆商品の売上と販売個数のシェアを拡大させていることが看取される。
なお,原告は,日経POSデータは必ずしも信用できるデータではないなどとする。しかし,原告は大手スーパーとともに飛躍的に成長した企業であって(甲第1号証),日経POSデータは大手スーパー等の店舗をその対象としているものであるから,原告の売上傾向を分析するに当たり,日経POSデータを基にするのは適切な分析手法である。
ウ 重回帰分析による主張
被告は,原告の提出した対前年度比売上伸率一覧表(別表3)のデータに基づいて,重回帰分析等による統計学的分析を網羅的に行ったところ,本件臨界事故が原告の売上に影響を及ぼしたとは認められなかった。
エ 原告の主張によれば,原告の納豆商品売上の事業計画に対する実績は,第41期(平成9年4月1日から同10年3月31日)が93.71パーセント,第42期(同10年4月1日から同11年3月31日)が98.11パーセント,第43期(同11年4月1日から同12年3月31日)が95.2パーセントであった。
上記のとおり,本件臨界事故があった第43期の方が第41期を上回っており,また,第43期は大豆の遺伝子組み換え問題があり,その影響があった期でもある。
このように,事業計画と実績との比較でみると,本件臨界事故のあった第43期において,本件臨界事故による影響があったといえるほどの事業計画の未達成があったとはいえないのである。そうすると,計画の未達成の事実から,原告の納豆商品売上減少の原因が本件臨界事故以外に考えられないなどと推認することはできない。
オ 遺伝子組み換え問題が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたことは明らかであるところ,原告は,平成11年5月ころの大豆を含む遺伝子組み換えの報道により,同年5月及び6月の原告の対前年比売上率が一時的に極端に低下した旨主張する。しかし,一般消費者は,遺伝子組み換えによる危険性がいったん報道されると,漠然とした危険性への認識を比較的長期間保有するものと考えられ,かかる認識を同年5月から6月という短期間に払拭したとは考え難い。また,原告は,同年8月に相当の宣伝費を費やし遺伝子組み換え大豆の不使用を商品に表示した結果,ようやく売上の回復が図られたとも主張するが,同年7月以降,8月,9月と伸び率自体は下落しており,同年9月においては伸び率がゼロに接近していることからすると,同年10月以降も遺伝子組み換え問題等の本件臨界事故以外の要因が原告の売上伸び率に影響していたことが窺われる。
カ 原告は,原告の納豆商品売上の変動こそが,本件臨界事故による影響(風評被害の発生)を最も明確に示すものであるとし,具体的には「年間売上伸率変化」(別表1),「地域別月別対前年伸率」(別表2)などを根拠に,本件臨界事故により原告の納豆商品売上が影響を受けた旨主張する。
しかし,まず,対前年伸び率を分析するだけで,本件臨界事故による売上への影響という因果関係を判断することはできないというべきである。すなわち,一般論としては,数年にわたって売上が伸張していく場合,時間の経過とともにその伸び率が鈍化したり,マイナスに転化したりするものであって,伸び率自体は逓減するものである。原告が主張するように,毎年伸び率が一定して推移するとすると,企業は拡大し続けていくことになるが,このような前提自体が誤りである。また,「地域別月別対前年伸率」(別表2)は,過去において顕著な下落傾向を示したこともある。
上記「地域別月別対前年伸率」(別表2)における関東甲信越地域のグラフの動きについてみると,対前年伸び率が一定期間プラスで推移すると,その後一定期間マイナスで推移する傾向がある。具体的には,平成9年9月から同10年8月まで,同11年9月から同12年9月まで及び同14年10月から同15年5月までがマイナスの期間となっている。そうすると,原告が主張するように,単純に対前年伸び率が減少したり,マイナスとなったりすると,その都度,原告の売上にマイナスの効果を与える特別の要因(本件臨界事故など)があったなどと推認することができるわけではないのである。
全国の本件臨界事故前及び本件臨界事故のあった同11年9月から同年12月までの対前年伸び率は,下記のとおりである。
記
9月 10月 11月 12月
同8年 28.97 20.19 13.09 13.69
同9年 7.06 5.29 0.21 4.29
同10年 8.15 4.53 6.36 6.06
同11年 2.61 -0.45 2.21 -1.99
以上の伸び率の推移からすると,例年,10月から12月までの各月の売上が,伸び率においていずれも9月を下回る傾向にあることがわかる。また,上記のとおり,関東甲信越の売上に関しては,同11年9月が周期的に対前年伸び率がマイナスとなる時期でもあった。そうすると,同11年10月及び同年12月において,対前年伸び率がマイナスとなっていることは特段異常なことではない。他方,このような時期に,原告が主張するように対前年比11パーセントもの伸び率を想定することはできないというべきである。
(2) 原告が被った営業損害額
ア 原告は損害賠償算定基準について,原告と被告の間で合意があった旨主張するが,そのような合意が成立していた事実はない。
原告は,被告との補償交渉に関し,本件臨界事故後平成12年3月14日までは茨城県納豆組合を通じて対前年伸び率を考慮した話し合いを継続していたが,同12年3月15日に初めて原告と被告の個別交渉となったとし,同日,被告社員徳重博昭(以下「徳重」という。)を通じて本件損害賠償算定基準について合意したなどと主張する。
しかし,徳重は単独で損害賠償方法を原告と合意する権限を有する地位にはなかったし,仮に何らかの合意があったとすれば合意書あるいは代表者名による示談書が作成されるはずであるところ,そのような書面は作成されていない。
また,被告代理人作成の同12年3月1日付け「ご連絡」と題する書面(甲第21号証の1)には,「貴社のご請求にかかる損害について,賠償の対象となるか検討して参りましたが,その一部は法律上の損害賠償の対象とはならず,また,損害算定根拠となる資料が不十分と言わざるを得ません。それらを確認させて頂いた上で,相応の補償額を確定し,仮払金と精算させていただきたいと存じますので,下記の資料をご準備の上,その写しを平成12年3月末日までに小職らにご郵送ください。」と記載されている。これは,被告側が,原告に仮払金の一部を返還請求する可能性も含めて,原告に資料の提出を要請したものである。
その後,原告から何ら資料提出がされていないにもかかわらず,徳重が被告を代表して同年3月15日に,原告との間で上記損害賠償算定基準を確認することなどあり得ないことである。
イ また,原告は,原告以外の他の団体と被告との間で成立した本件臨界事故の補償に関する和解事例において採用された補償額算定基準と本件で原告が採用する基準は整合するので,係る基準が本件でも採用されるべきであるなどとも主張する。
しかし,被告との間で和解が成立した他の団体はすべて,農業・漁業の生産,販売に関わる団体であって,かつ茨城県内で収穫される農畜産物という報告書指針の場所的要件を充足する団体であった。そうすると,原告とは同列に論じられないというべきであるし,そもそも原告の主張する基準と類似する基準で解決した事案があるとしても,当然のことながら,そのことから直ちに上記基準が本件でも採用されることにはならない。
ウ 粗利益率の算定方法については,原子力損害調査報告書(甲第30号証)に「売上総利益(粗利益)の算定については,当該請求者の決算書類等に基づいて行われることを原則とすべき」との記載部分があるように,損益計算書から算出するのが原則であるから,その割合は35.63パーセントとするのが妥当である。原告の主張する粗利益率は基準として不適当である。
(3) 本件仮払金返還請求の可否及びその額
被告は,本件臨界事故後,行政機関からの強い要請を受けて,本件臨界事故により損害を被ったとして届け出た者に対し,賠償金の仮払をすることとし,次のような手続で仮払を行った。
ア 被告は,本件臨界事故による損害を届け出た者(以下「損害届出者」という。)に対し,その届出を受けた後,下記イ及びウの条件・手続により仮払金の支払をすることを確認し,損害届出者の承諾を得た上で,届け出られた損害・損害金額(以下あわせて「届出損害」という。)の内容を精査することなくその届出額の半分以下の金額を損害届出者に仮に預託することとした。
イ 被告の損害届出者に対する仮払金預託後,損害届出者は,届出損害の根拠となる資料を被告に提出し,被告はその資料に基づき,届出損害の存在,届出損害と本件臨界事故との因果関係,損害額などを確認する。
ウ 被告は,届出損害の確認の結果に従って,①仮払金を超えて損害額が認められた場合は,まず仮払金を損害額に充当し,さらに当該損害届出者に対し,損害額のうち仮払金相当額超過分を支払う,②仮払金より低い損害額が認められた場合は,まず認められた損害額にその損害額相当の仮払金を充当し,次に損害届出者は被告に対し,その仮払金残額を返還する,③損害が認められない場合は,損害届出者は,被告に対し,仮払金全額を返還する。
本件臨界事故に係る仮払金は上記のような条件等により支払われたものであって,本件仮払金も,後日,損害届出者である原告が,損害及びその損害額を証明した場合にその損害金に充当し,損害がない場合には,受け取った金額すべてを被告に返還することを要するのであり,損害立証がされた時点で正式な損害金の支払をすること及びその精算を予定していたのであって,損害立証がされるまでは,被告が原告に本件仮払金相当額を預託しているものである。
そして,原告が損害及び損害額の立証責任を負うことは,本件仮払金を預託する際の被告と原告との間において,その前提事項とされていたのであるから,仮に本件反訴請求を不当利得返還請求として法律構成したとしても,その立証責任の所在に差が生じるものではない。
そして,本件において,原告の主張する損害など生じていないというべきであるから,原告は,被告に対し,仮払金2億7601万4066円の返還義務がある。
もっとも,被告は,本件の解決に当たり,本件臨界事故により原告の同11年10月の納豆商品売上に影響があったと仮定し,原告に返還義務のある上記仮払金のうちの一部のみを反訴請求としてその返還を求めるものである。すなわち,まず,原告の納豆商品売上の伸び率としては,同11年9月の伸び率2.61パーセントと同11年11月の伸び率2.21パーセントの平均値である2.41パーセントが予測値としては妥当であるから,原告の同10年10月の売上実績23億4826万3653円に上記1.0241を乗じて得られる24億0485万6807円から,同11年10月の売上実績である23億3775万8749円を控除した6709万8058円が,原告の同11年10月の売上減少額となる。また,仮に本件臨界事故が原告の同11年10月の売上に影響したとしても,他に,遺伝子組み換え問題や原告の生産調整といった要因もまた原告の売上減少に寄与しており,その寄与割合は50パーセントと見込まれるから,結局,上記売上減少額の50パーセントに相当する3354万9029円が本件臨界事故の影響による売上減少額となる。そして,原告の同10年度損益計算書によれば,粗利益率は35.63パーセントであるから,1195万3519円(3354万9029円×35.63%)が本件臨界事故により原告が被った損害額となる。
したがって,被告は,原告に対し,本件仮払金の一部である2億6406万0547円の返還を求める(実際の仮払額2億7601万4066円−1195万3519円)。
第3 当裁判所の判断
1 本件における事実の経過
前記当事者間に争いがない事実と証拠(甲1号証,2号証の1ないし3,12号証の1,15ないし17号証,21号証の1,22号証,23号証の1ないし4,24号証の1ないし3,25号証の1ないし3,26号証,28ないし31号証,34号証の1ないし3,35号証,37号証,39ないし41号証,44号証,45号証の1及び3,46ないし51号証,乙1及び2号証,4ないし6号証,7号証の1及び2,8ないし27号証,28号証の1ないし4,29号証の1ないし4,30号証の1ないし4,31号証,35号証,37号証,証人徳重博昭,証人今井信一郎,証人梶本幸男及び証人門野俊英の各証言)及び弁論の全趣旨によれば,本件における事実経過として次の各事実が認められる。
(1) 本件臨界事故の発生等
平成11年9月30日午前10時35分ころ,茨城県東海村石神外宿所在の被告東海事業所転換試験棟内において本件臨界事故が発生し,この事故により大量の中性子線などを浴びた被告作業員3名は直ちに入院した。
本件臨界事故は,我が国において,安全確保を最優先課題として原子力の開発利用が進められてきた中で起きた事故であり,前例のない原子力事故として周辺住民の生活に多大の影響をもたらした。
本件臨界事故の発生を受け,茨城県東海村は,事故当日の同11年9月30日午後3時に,本件臨界事故発生地から半径350メートル圏内の住民に避難要請を出し,また,茨城県も,同日午後10時30分に,同地から半径10キロメートル圏内の住民に屋内退避要請を出した。
また,この事故は国家的関心事となり,科学技術庁に事故対策本部が設置され,さらに総理大臣を本部長とする「東海村ウラン加工施設事故政府対策本部」が設置された。
茨城県は,本件臨界事故発生日の翌日である同年10月1日早朝には臨界状態が終結したため,同日午後4時30分,上記屋内退避要請を解除し,また,東海村も,同月2日午後6時30分に上記避難要請を解除した。
(2) 原告の創業後の業圏の拡大及び納豆製造工場の所在等
原告は,納豆の製造販売を目的として昭和7年に創業した高野商店を前身とする会社である。同商店は,同32年12月に有限会社おかめ納豆本舗へ改組し,納豆製造の工程を機械化することによって業績を延ばし,販路を茨城県から東京へ拡大し,同41年ころ以降,大手スーパー等との間で継続的取引を拡大する中で飛躍的な成長を遂げ,同54年8月1日に株式会社に組織変更した。その後,同社は,同60年5月1日に社名を「タカノフーズ」に変更した。そして,同年6月,原告は,大阪営業所を開設して関西にも進出し,以後,北海道,東北及び九州に営業所を開設し,業圏を全国に拡大していった。
この間,原告は,テレビコマーシャルの放映に力を入れるようになり,同61年12月以降,関東一円を中心に定期的にテレビコマーシャルを流すようになった。
そして,平成11年8月11日,原告は,株式会社大広との間で,原告の商品である「おかめ納豆」のテレビコマーシャルの放映委託に関する契約を締結し,同11年9月15日以降,関東,東海,近畿をはじめ,岩手,新潟,静岡,岡山,香川,広島,愛媛,高知,福岡及び長崎など全国各地で「おかめ納豆」のテレビコマーシャルを放映した(この放映は,本件臨界事故後の同年12月12日まで続いた。なお,原告は,上記テレビコマーシャルの放映に関し,株式会社大広に3億0893万6840円を支払った。)。
原告の工場のうち,水戸工場(タカノフーズ関東株式会社),霞ヶ浦工場(タカノフーズ関東株式会社),筑波工場及び玉造工場(協力工場)は茨城県内にあるが,いずれの工場も本件臨界事故発生地から半径10キロメートルの屋内退避要請圏外に位置している(概ね本件臨界事故発生地から30キロメートル以上離れた地に所在している。)。また,原告においては,上記の水戸工場,霞ヶ浦工場,筑波工場に,福島県所在の郡山工場(協力工場)を加えた4工場の出荷地域を水戸工場エリアと称しており,その地域は,別表3記載の「東北」及び「関東甲信越」である。そして,同11年4月から同12年3月までの間に原告において製造された納豆商品の売上において水戸工場エリアが占める割合は67.46パーセントであった。
(3) 本件臨界事故後の経過
ア 茨城県は,本件臨界事故発生地から半径10キロメートル圏内で栽培されていた野菜(ピーマン,ネギなど)についてサンプル検査を行ったが,放射性物質が検出されなかったため,平成11年10月1日,いわゆる「安全宣言」を出し,同月2日には,10キロメートル圏外で栽培されていた農林産物(ネギ,ナスなど)についても同様に安全性が確認された旨発表した。また,茨城県は,同月2日,サンプル検査により,鶏卵については本件臨界事故発生地周辺地域,牛乳は県内全域について安全である旨,本件臨界事故発生地付近を流れる久慈川などの河川についても水質汚染がなく安全である旨,本件臨界事故発生地周辺における水産物,牛肉及び鶏肉も安全である旨をそれぞれ発表し,さらに,同月4日,茨城県内の事業所で製造される加工食品等が安全である旨発表した(これを受けて,茨城県商工労働部工業技術課は,茨城県ホームページにおいて,「本県内の事業所で製造される加工食品(包材を含む。)及び工業製品等の安全性については全く問題がありませんので,安心してお使い下さるようお願い申しあげます。」と公表した。)。
政府も,同月2日午後6時30分,茨城県産の農畜水産物につき,いずれの農畜水産物も本件臨界事故による影響がみられず,安全であることが確認された旨発表した。
本件臨界事故による茨城県産の農畜水産物への影響が懸念される中,小渕恵三首相と中曽根弘文科学技術庁長官は,同月6日,被告東海事業所を視察した際,茨城県産の野菜や水産物など(納豆は含まず。)を試食し,その際,上記農畜水産物の安全性を訴えるなどした。
また,茨城県職員らは,同月9日,東京都内のJR渋谷駅と新橋駅付近において,茨城県産の米,卵,サツマイモ,トマト,ピーマン,納豆,しらす干し等を詰め合わせた約7000袋を無料配布して,その安全性を訴えた(上記茨城県産品の無料配布には多数の人が列をなし,配布が開始された後,短時間で配布物はなくなった。)。
茨城県は,同月7日,「東海村のウラン加工施設(JCO)の事故について」と題する書面(乙第5号証)を作成したが,この書面には,茨城県が,厚生省(現厚生労働省)・農林水産省・建設省(現国土交通省)などの関係機関と連携して本件臨界事故発生地より半径10キロメートル圏内で栽培等されていた農林畜水産物等をサンプリング調査・分析した結果,本件臨界事故による農林畜水産物等への影響が認められず,農林畜水産物等の安全性が確認された旨等が記載されている。
イ 被告は,平成11年10月4日,本件臨界事故に関する相談あるいは問い合わせに対応するため,JR東海駅前のテナントビル内にJCO相談窓口を開設した。また,被告は,同年12月1日,本件臨界事故による損害の補償に関する示談交渉業務を専門に行う目的で,JR東海駅前のマンションの1階にJCO相談センターを開設した。
この間,科学技術庁事故調査対策本部は,同年11月4日,原子力安全委員会に対し,「(株)ジェー・シー・オー東海事業所の事故の状況と周辺環境への影響について」と題する報告をし,また,同年11月13日及び14日には,地元住民に対する説明会を開催した。
ウ こうした中,茨城県納豆組合は,本件臨界事故に伴う損害賠償請求等について協議するため,平成11年11月8日,臨時総会を開催した。この総会には茨城県納豆組合の組合員20社のうち原告を含む13社が出席した。その席上,原告を含めた組合員に対する被害状況のアンケート調査の結果,実損害額が7816万6560円,風評による損害が5億4146万3000円に上る旨の報告がされた。
エ 被告は,平成11年12月11日,「JCOの補償等の考えと基準」と題する書面(甲第41号証)を作成して,本件臨界事故によって発生した経済的損失の特別補償につき説明し,その中で,売上高減少に伴う損失算定の基準につき,①行政措置(行政当局による避難要請及び屋内退避要請)区域外の事業者については,本件臨界事故日の翌日以降,同年10月31日までを限度として,期間中に生じた純利益額を対象とする旨,②同10年(暦年)の売上高実績額(月別)と同11年の売上高実績額(月別)の提出を求め,1月から9月までの比較により,対前年増減率を算出した上,同11年10月の売上高を推定し,同月の売上実績額と売上推定額を比較し,差額を売上高減少額とする旨(ただし,同月31日までに,経済的損失が認められなくなったときは,当該日までの売上高減少額とする。),③売上高減少額に占める純利益額を補償する旨をそれぞれ説明した。
これを受けて,同年12月16日,茨城県,関係市町村及び関係団体(茨城県納豆組合を含む。)は,「茨城県JCO臨界事故補償対策連絡会議」を開催し,本件臨界事故に係る補償問題等につき意見交換をした。
オ 茨城県納豆組合は,平成11年12月21日,原告ら組合員に対してファクシミリ文書を送信したが,これには,茨城県が補償請求者あてに同月20日付けで作成した「補償金仮払いに関するお知らせ」と題する書面(甲第45号証の3)が添付されており,茨城県が被告に働きかけた結果,被告は補償請求してきた者に対して年内を目途に原則として補償請求額の半額を仮払することとなった旨が記載されていた。上記ファクシミリには補償金仮払申込書用紙も添付されていた。
原告は,上記用紙の仮払申込金額欄(補償金請求額の2分の1以内の金額を記入するとされている。)に2億7601万4066円と記載して,同月27日,これを被告に提出した。原告から提出された上記補償金仮払申込書(乙第6号証)の被告(JCO)記入欄には「特殊案件指定なし」と記載されている。
なお,上記補償金仮払申込書には,「私(当社)は,株式会社ジェー・シー・オー東海事業所における臨界事故により損害を受け,貴社に対し補償を請求していますので,下記のとおり補償金請求額の仮払いを申し込みます。なお,当該仮払額は補償金額が確定次第,確定金額と精算(過払いの場合には上回った金額の返還,不足の場合には不足金額の追加払いがなされること)することを承諾します。」と記載されている。
被告は,原告から上記の補償金仮払申込書が提出されたのを受けて,同11年12月30日,本件仮払金2億7601万4066円を原告に支払った。
カ 茨城県と被告(JCO)は,平成12年1月17日,本件臨界事故と相当因果関係がある損害であれば,本件臨界事故発生地の10キロメートル圏外で発生したものであっても一定期間これを補償する旨合意した。これにより,上記エの「JCOの補償等の考えと基準」で示された「10キロメートル圏外で発生した損害については補償期間を同11年10月31日までとする」との制限は撤廃された。
キ 茨城県納豆組合は,平成12年1月22日,被告に対する賠償請求に関する打ち合わせを行い,賠償請求の基本的考え方として,期間を定めず,業界の伸び率105%を基準として売上減少額を考える旨を確認するとともに,被告との交渉委員として,同組合の理事長笹沼隆史(以下「笹沼」という。)と原告ら7名を選任し,同月25日に予定されていた被告との交渉に臨むこととした。
原告ら茨城県納豆組合の交渉委員は,同日,被告と交渉を行い,組合員各社それぞれの現状を被告に報告するなどした。その中で,被告は,賠償額の算定につき伸び率を考慮すべきである旨を表明した。この交渉には,当時住友金属鉱山株式会社から被告に出向して補償交渉に当たっていた徳重が出席していた。
その後,原告ら茨城県納豆組合の交渉委員は,同年2月8日,被告と2回目の交渉を行った。
被告の徳重は,上記交渉において,被害金額の算定方法につき,「売上減少×伸率×粗利」とすることを提案した(ここに「粗利」とは,売上高から原材料を控除したもの,「伸率」とは,同10年1月から9月と同11年1月から9月との対比によるもの,対象期間は平成11年10月から12月とするというものであった。)。
茨城県納豆組合は,上記被告の被害金額算定方法の提案について対象期間が短いとしてこれを了承しなかった。
ク 被告代理人弁護士らは,平成12年3月1日,原告あてに「ご連絡」と題する書面(甲第21号証の1)を送付した。その中で,被告は,原告の請求に係る損害の一部は法律上の損害賠償の対象とはならず,また,損害算定根拠となる資料が不十分であるとして,原告に対し,①同9年度,同10年度,同11年度の月別売上高の推移がわかる資料,②同9年度及び同10年度の確定申告書及びその附属書類,③同11年度の提出あるいは提出予定の確定申告書及びその附属書類を提出するよう求めた。
ケ 原告の専務取締役であった梶本幸男(以下「梶本」という。)は,平成12年3月15日,茨城県納豆組合と打ち合わせを行ったが,同組合の理事長笹沼から,「原告は被告にテレビコマーシャル費用も含めて多額の補償を請求しているし,他の組合員の中には売上が前年比マイナスになる者もいて,伸び率を考慮に入れた示談ではかえって不利になるなどの事情があるため,茨城県納豆組合とは別に直接被告と交渉して欲しい。」旨要望されたため,これを受け入れることとした。
梶本は,同日,原告本社において,徳重らと面会したが,その際,今後,原告と被告は個別交渉を行い,交渉担当者も徳重以外の者に変更されることになった。そして,同月20日ころ,住友金属鉱山株式会社から被告(JCO)に出向中であった今井信一郎が新たな担当者となった。
コ 原告は,上記ケのとおり,平成12年3月15日に徳重が原告本社に来社した際,被告の交渉窓口が同日以降東京となることを了承したが,改めて,同月29日を請求日とする損害額計算書等(甲第23号証の1ないし4)を被告に送付した。
原告は,上記損害額計算書において,同11年10月1日から同12年2月29日までの間,不買行動によるものとして10億1692万6000円,テレビコマーシャル投資額の効果未発現による損害として3億0893万6000円の合計13億2586万2000円を被告に請求する旨記載していた(このうち不買行動による損害は,①同10年1月から9月までと同11年1月から9月までの納豆の売上実績を比較して伸び率を算定し(110.16パーセント),これに同10年10月から同11年2月までの売上実績額を乗じて,あるべき売上高を算出し,これから同11年10月から同12年2月までの実売上高を控除した14億2211万7000円から,同11年1月から9月までの売上高に対する原材料費の割合(31.69パーセント)が控除されていた。)。
その後,原告は,同12年4月20日,被告に対し,同年3月1日から同月31日までの不買行動による損害を2億0416万3000円とする損害額計算書(甲第24号証の1ないし3)を送付した。
サ 原子力損害調査研究会は,平成11年10月27日に科学技術庁が開催した研究会であり,本件臨界事故に関し当事者間の交渉を迅速かつ円滑に進めるため,原子力損害賠償制度,民事賠償あるいは損害保険に知見を有する学者及び実務家らをその構成委員としていた。上記研究会は,同12年3月,「(株)ジェー・シー・オー東海事業所核燃料加工施設臨界事故に係る原子力損害調査研究報告書」(甲第30号証)を作成した。上記研究会は,上記報告書において,営業損害につき,少なくとも,①事故調査対策本部の報告(同11年11月4日)及び住民説明会(同年11月13,14日)等によって,正確な情報が提供され,かつ,これが一般国民に周知されるために必要な合理的かつ相当の時間が経過した時点(同年11月末)までに生じた現実の減収分であること,②営業の拠点が屋内退避勧告がされた区域内にあること,③平均的・一般的な人を基準として合理性があることといった要件を満たす場合は,特段の反証がない限り,損害と本件臨界事故との間に相当因果関係があると推認されるとし,さらにこれらの要件を満たさない場合であっても,請求者による個別・具体的な立証の内容及び程度如何では,相当因果関係が肯定される場合があるとした。また,上記研究会は,上記報告書において,売上総利益(粗利益)の算定に当たっては,当該請求者の決算書類等に基づくことを原則とするが,大量・迅速処理の必要から,必要な範囲で統計的資料を併用することもやむを得ないとした。
シ 茨城県納豆組合と被告(JCO)は,平成12年4月17日及び同月18日の示談交渉において,「同11年10月から12月までの売上減に粗利益を乗じたもの及び返品,廃棄その他」を損害として補償の対象とする旨合意し,その旨記載した示談書を交わした(上記売上減を算定するに際し,伸び率は考慮しないこととされた。)。
ス 原告は,平成13年5月8日,原子力損害賠償紛争審査会に対し,本件臨界事故につき,被告に不法行為があったとして29億0028万0840円の賠償金の支払を求める和解の仲介を申し立てた。
その後,原告は,同14年6月28日,上記の申立てを撤回し,新たに原告と被告の合意に基づく2億0677万3000円の支払を求めるとして,上記審査会に和解の仲介を申し立てた。さらに,原告は,同14年9月19日付け書面において,既受領の仮払金(2億7601万4066円)以外は請求せずに和解したい旨申し入れた。
しかし,被告は,原告に風評被害があったことを確認できる資料がなく,また,本件臨界事故の翌月である同11年11月に売上が前年比増となっているとして,原告の上記申入れに応じなかったため,原告と被告の補償交渉は合意に至らなかった。
その後,被告は,原告に対して本件仮払金の返還を求めるべく訴訟の提起を検討していたところ,同15年2月27日,原告は,被告に対し,本訴を提起した。
(4) 本件臨界事故後の新聞報道
平成11年9月30日の各新聞夕刊には本件臨界事故が発生した旨を伝える記事が大きく掲載され,以後,事故直後の数日間をピークに,連日,本件臨界事故を巡る多くの新聞報道がされた。
上記新聞報道は,本件臨界事故の詳細な発生過程や本件臨界事故の発生原因となった被告の杜撰な管理体制を指摘するものが多数を占めたが,そのほか,本件臨界事故により被告の作業員3名が大量被爆し,そのうち甲野太郎氏が本件臨界事故から83日目の平成11年12月21日に多臓器不全で死亡したこと,本件臨界事故に対する政府の対応や諸外国の反応,本件臨界事故発生地周辺の住民が困惑し健康面などで不安に陥っている状況,茨城県産の干しいもなどの野菜やアンコウなどの魚介類について価格が下落したり取引量が減少するなどの風評被害が発生していること,茨城県内のホテルなどの宿泊施設でキャンセルが多数出るなどの風評被害が発生したこと,茨城県が農畜水産物の安全宣言をしたこと,東海村や水産加工業者らが被告に対して賠償請求したこと等についてのものがあった。
納豆商品に関する新聞報道としては,①同年10月2日の朝日新聞朝刊に,本件臨界事故発生地から10キロメートル圏内に3つの工場を有する大手納豆メーカーが取引先からの要請もあり納豆商品が安全かどうかが判明するまで出荷を見合わせることにした旨,②同日の日本経済新聞朝刊に,全国納豆協同組合連合会が,納豆商品の製造は室内作業なので被爆はないものの,出荷などに影響がでているとした旨,③同月3日の毎日新聞朝刊に,本件臨界事故発生地から9.5キロメートル付近に工場があるため首都圏に卸す納豆商品を自主的に出荷停止していた大手納豆メーカーが,検査の結果,基準値以上の放射線が検出されず,同日から出荷を再開する旨,これに対して,上記メーカーの納豆商品を販売していた小売業者のうち1社は販売再開を表明するも,他の小売業者の中には,安全宣言が出てもなお時間が必要であると慎重な姿勢を見せたところもあった旨,④同日の北海道新聞朝刊に,道外には,消費者の不安を考えて,茨城県名物の納豆を商品の棚から下げた店舗がある旨,⑤同月6日の日本食料新聞朝刊に,スーパーの生鮮売場などで茨城産は使っていないなどの表示があり,一部メーカーの納豆が取引されないこともあった旨,⑥同月11日の食品新聞朝刊に,「本件臨界事故により加工食品で最大の風評被害を被ったのは納豆である。特に本件臨界事故発生地から10Km内に工場のある大手メーカーは本件臨界事故の翌日から首都圏の半数の量販店から発注ストップとなり,発注が再開したのは10月3日からであった。距離感や土地鑑が希薄な関西地区で特に納豆商品のパッケージに水戸を謳っている商品は当面は特売を自粛する動きがでている模様である。しかしながら,関東以北の暖冬,遺伝子組み換えの影響など,ここ3,4年の納豆ブームが終焉に向かっている影響もあり,平成11年の春以降納豆の販売は8月まで4ヶ月連続で前年割れするなど低迷が続いていたという事情もあるため,本件臨界事故の風評被害がどの程度かが分からない。」旨がそれぞれ掲載されていた。
(5) 本件臨界事故当時の納豆業界の状況
平成11年当時,納豆の年間総売上額はメーカー出荷価格で約1200億円から1300億円と言われていたが,納豆業界は寡占が進んでいて,本件臨界事故当時約700社ある納豆製造メーカーのうち大手5社で総販売額の約60パーセントを占めると言われていた。
原告は,本件臨界事故当時,業界シェア1位で,市場の約25パーセントを占めていた。
同8年10月ころ以降,納豆業界においては,納豆などの大豆加工食品に遺伝子組み換え大豆が使用されているのではないかとの風評が出始めた。これを受けて,原告においても,同10年10月ころ以降,消費者からのお客様相談室への遺伝子組み換え大豆使用に関する問い合わせが増加し,同11年6月から8月にかけて,上記問い合わせ件数はピークとなった。そして,この時期,原告の納豆売上の上昇率が減少する傾向にあった。原告においては,上記の売上減少を回避すべく,同11年8月ころ以降,商品に「契約栽培大豆使用 遺伝子組み換え大豆は使用しておりません。」と表示するようになった(なお,この表示は少なくとも同16年3月末ころまでされていたが,現在,上記表示はされていない。)。
原告は,本件臨界事故後,店頭に納豆は安全である旨の掲示をして消費者に安全性を訴えるなどしたが,遺伝子組み換え問題の場合とは異なり商品のパッケージに本件臨界事故に関してことさらに表示をするようなことはなかった。
なお,原告は,同11年当時,茨城県内に水戸,霞ヶ浦及び玉造の3製造工場を有していたが,原告の納豆商品のパッケージフィルムには,製造所の所在地や名称が具体的には表示されず,製造所固有記号のみ表示されていた(水戸工場がA,霞ヶ浦工場がB,玉造工場がF。)。そのため,消費者がパッケージフィルムなど商品の表示から知り得る場所的情報は,販売者「タカノフーズ株式会社」の所在地である「茨城県東茨城郡小川町野田字大沼頭<番地略>」と表記された部分だけである。消費者が当該商品の製造工場を知るには,原告のお客様相談室に問い合わせをするなどして,表示されている製造所固有記号の情報を知るほかなく,そのような措置を取らない限り,納豆製造工場の所在地を知ることは困難である(なお,上記「茨城県東茨城郡小川町野田字大沼頭<番地略>」は本件臨界事故発生地から30キロメートル程離れた地にあり,半径10キロメートルの屋内退避要請圏外に位置している。被告が同11年4月から同12年3月までに使用した大豆原料約2万9000トンの産地は,国内が7.42パーセントで海外が92.58パーセントである。また,海外のうち93.31パーセントは米国産である。消費者は,これらの情報についても,原告の納豆商品のパッケージフィルムの表示から知ることはできない。)。
2 原告は本件臨界事故により営業損害を被ったか(争点1)
本件臨界事故前後の事実経過は上記1認定のとおりであるところ,原告は,本件臨界事故により原告の納豆商品の売上が減少し,営業損害を被った旨主張するので検討する。
(1) まず,本件臨界事故と原告の納豆の売上高の推移等についてみるに,証拠(甲2号証の1ないし3,7ないし9号証,12号証の1,13及び14号証,27号証,31号証,35号証,乙1ないし3号証,28号証の1ないし4,31号証)及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる。
ア 原告の売上高の推移
本件臨界事故前の原告の事業計画に係る売上額とその実績の推移は,下記のとおりであり,これによると,納豆売上についての事業計画に対する達成率(実績÷事業計画)は,第41期が93.7パーセント,第42期が98.1パーセント,第43期が95.2パーセントであった。
記
第41期(平成9年4月1日から平成10年3月31日)
<事業計画>
納豆売上 268億2882万8000円
その他売上 41億3023万2000円
合計 309億5906万円
<実績>
納豆売上 251億4359万円
その他売上 37億9090万5000円
合計 289億3449万5000円
第42期(平成10年4月1日から平成11年3月31日)
<事業計画>
納豆売上 273億9120万円
その他売上 42億0927万9000円
合計 316億0047万9000円
<実績>
納豆売上 268億7434万1000円
その他売上 45億3277万4000円
合計 314億0711万5000円
第43期(平成11年4月1日から平成12年3月31日)
<事業計画>
納豆売上 289億3542万6000円
その他売上 51億6377万9000円
合計 340億9920万5000円
<実績>
納豆売上 275億7118万6000円
その他売上 48億1592万2000円
合計 323億8710万8000円
イ 月別の売上額増減率(平成10年度と同11年度の比較)
原告の同9年4月から同11年12月までの間の月別売上額は別表5のとおりであり,これによると,同10年10月から同年12月までと同11年10月から同年12月までの月別売上額は,同10年10月が23億2296万5000円,同年11月が22億1469万5000円,同年12月が23億487万7000円,同11年10月が23億2122万7000円,同年11月が22億6412万7000円,同年12月が22億5035万3000円であった。
原告の同10年度売上額実績額(月別)と同11年度売上額実績額(月別)に基づく1月から9月までの期間比較による対前年売上高実績額増減率は別表4のとおりであり,その平均値は110.16パーセントである。
ウ 対前年度比売上伸率
原告の平成8年4月から同15年10月までの全国及び地域別(北海道,東北,関東甲信越,東海,近畿北陸,中四国,九州)の各月の売上額と対前年比売上伸率は別表3のとおりであり,これによると,本件臨界事故の発生した日(同11年9月30日)を含む同年9月の対前年度比売上伸び率は,全国でみると2.61パーセントであった。これに対し,同9年9月の対前年度比売上伸び率は,全国でみると7.06パーセント,同10年9月の対前年度比売上伸び率は8.15パーセントであった。
これを10月についてみると,本件臨界事故の発生した同11年10月の対前年度比売上伸び率は全国で0.45パーセントのマイナスであった。これに対し,同9年10月の対前年度比売上伸び率は5.29パーセント,同10年10月の対前年度比売上伸び率は4.53パーセントであった。そして,11月については,同11年11月が2.21パーセントのプラスであった。これに対し,同9年11月の対前年度比売上伸び率は0.21パーセント,同10年11月の対前年度比売上伸び率は6.36パーセントであった(なお,対前年度比売上伸び率は,平成11年12月以降,平成12年9月まで,連続してマイナスであった。)。
「年間売上伸率変化」(別表1)と「地域別月別対前年伸率」(別表2)は,上記の別表3をもとに原告が作成したグラフであり,「年間売上伸率変化」(別表1)は,同11年10月1日を基準日として,毎年10月1日から翌年9月30日までの間の,原告における対前年比売上伸び率を年間ベースで一覧表にしたものであるが,これによると,本件臨界事故が発生した日の翌日である同11年10月1日以降の1年間は,全国売上の増加率がマイナスとなっている。そして,「地域別月別対前年伸率」(別表2)は原告の販売地域区分別対前年比売上増減率を一覧表にしたものであるが,これによると,本件臨界事故発生後から同12年2月にかけて,概ねどの地域においても伸び率が下落傾向にあったことを示している。
エ 原材料費率
原告の平成11年1月から同年9月までの各月の原材料費は別表6のとおりであり,これによれば,原告における同11年1月から同年9月までの原材料費率(売上高に占める原材料費〔自社原材料費(納豆事業のみの原材料費)に協力会社原材料費(原告の協力会社の原材料費)を加えたもの〕の割合)の平均値は31.23パーセントである。
オ 変動物流費比率
原告の平成11年1月から同年9月まで各月の変動物流費は別表7のとおりであり,これによれば,原告における同11年1月から同年9月までの変動物流費比率(売上高に占める変動物流費〔ただし,売上高に応じて変動する物流費のうち納豆事業に関するもの〕の割合)の平均値は5.12パーセントである。
カ 総務庁統計局作成の家計調査年報
総務庁統計局作成の家計調査年報によれば,平成10年から同12年までの納豆についての1世帯当たり支出金額及び100世帯当たりの購入頻度並びに同9年から同13年までの食料品についての1か月当たり家計指標は,それぞれ別表9の1ないし3のとおりである。これによれば,1世帯当たりの納豆への支出金額は,同10年10月が357円,同年11月が345円,同11年10月が334円,同年11月が331円,100世帯当たりの納豆購入頻度は,同10年10月が252,同年11月が244,同11年10月が243,同年11月が236,1世帯における食料品への1か月当たりの支出金額は,同10年10月が8万1364円,同年11月が7万9264円,同11年10月が7万9016円,同年11月が7万3294円となっており,いずれの数値も本件臨界事故直後の同11年10月及び11月が同10年10月及び11月を下回っている。
キ SCIデータ
SCIとは株式会社インテージが実施している食品・日用雑貨の購入実績など家計状況に関する調査であって,単身世帯が調査対象から除外されているものの,農村地帯も含めた1万1000世帯がサンプルとされており,各サンプル世帯は専用の端末機に商品のバーコードや購入個数,購入金額などの情報を入力することとなっている。上記SCIによれば,平成10年9月から同12年9月までの100世帯当たりの納豆購入金額は別表10のとおりである(上記カの家計調査年報とSCIデータを比較すると,納豆購入金額の月ごとの推移は必ずしも一致していない。)。
ク 日経POSデータ
日経POS(日経のPOS情報サービス)は,全国のスーパーマーケット,コンビニエンスストア日経収集店約250店舗を対象に,レジから直接商品販売データを蓄積し,それをデータバンク化したものであって,原告の納豆商品についての売上・シェアの推移等は別表11の1ないし12のとおりである。このうち別表11の1ないし4によって,全国について,平成10年と同11年の1月から4月までの各月の販売金額及び販売個数を比較すると,各月とも同11年度の方が高いが,同年5月以降については,いずれの年もそれほど差がない。また,原告は,同11年11月から同12年2月まで,販売金額及び販売個数のいずれでもシェアを拡大している。別表11の5ないし8によると,首都圏(千葉,埼玉,神奈川及び東京)について,同10年と同11年の1月から4月までの各月の販売金額及び販売個数ともに,同11年が上回っているが,5月から7月までは同11年が下回っている。また,販売金額のシェアは同11年11月及び同年12月において,同10年より拡大している。別表11の9ないし12によると,関東外部(茨城,栃木,群馬,長野,山梨及び静岡)について,同11年7月以降,販売金額及び販売個数ともほぼ横ばいであるが,原告の販売金額及び販売個数のシェアは同11年11月以降拡大している。
(2) 次に,本件臨界事故前後の業界全体あるいは原告の納豆商品売上の動向について検討する。
ア 納豆業界全体の売上減少
上記(1)カの家計調査の結果(別表9の1)によれば,納豆についての1世帯当たり支出金額は,平成11年4月をピークとして,同年8月までの間,減少を続け,同年9月及び同年10月に回復したものの,同年11月以降同12年1月までの間は再び減少傾向となっている。また,上記のとおり,増加傾向を示していた同11年9月及び同年10月の各支出金額についても同10年の各同月の金額を上回るものではなく,さらに同12年1月から同年12月までの各支出金額は,いずれも同11年の各同月の金額を下回っていたことが窺われる。
この傾向は,概ね,上記家計調査の結果による納豆についての100世帯当たり購入頻度(別表9の2)の動向について,また,SCIデータ(北海道,東北,関東甲信越,東海,近畿北陸,中四国,九州という地域別の数値はもとより,全国的に総じてみた場合も含む。)による納豆の100世帯当たりの購入金額(別表10)の動向についても当てはまるものである。
加えて,上記1認定のとおり,同11年10月11日の食料新聞朝刊において,ここ数年続いていた納豆ブームが収束し,同11年の春以降は関東以北の暖冬や遺伝子組み換えの影響などにより同年8月まで4か月連続で前年割れする低迷が続いていた旨の記事が掲載されていたことからすれば,納豆業界全体の売上として,同11年4月以降は減少傾向が続いていたところ,同年9月及び同年10月については一時的に売上が増加傾向に転じたものの,その金額は同10年の各同月のそれを上回るものではなく,また,同年11月以降は,同12年12月までの間,再び売上の減少傾向が続いたものと認められる。
したがって,本件臨界事故後の納豆市場全体の売上動向としては,同11年10月に一時的には売上が上昇したものの,同年11月以降は,ほぼ一定して売上の顕著な減少傾向が継続していたということができる。
イ 原告の売上減少
前年度比売上伸率一覧表(別表3)によれば,原告の全国売上について,平成11年4月の金額をピークとして,同11年8月までの間,減少傾向が継続していたところ,同11年9月及び同年10月にいったん増加に転じたものの,その後,同11年11月以降同12年1月までの間は再び減少傾向を示している(このことは,「地域別月別対前年伸率」(別表2)の全国伸率あるいは各地域別伸率の推移からも認められる。)。また,上記のとおり,いったん売上が増加した同11年9月及び同年10月の各売上額を前年の各同月と比較した増減率でみると,9月については2.61パーセントのプラスであったが,10月については0.45パーセントのマイナスであり,さらに同11年12月以降同12年9月までの各売上額については,いずれも前年同月比でマイナスとなっている。
また,原告の同8年4月から同15年10月までの全国売上額を検討すると,本件臨界事故直後の同11年10月から同12年9月までのように,対前年同月比増減率が1年にわたり継続してマイナスあるいは低率になるという事態は生じたことはなかったのである。
上記のとおり,本件臨界事故後,原告の納豆商品売上は,上記ア認定の納豆業界全体の売上の動向と同じく,同11年10月には一時的に増加したが,その後は,同12年1月までの間,継続して,顕著に減少したものと認められる。
ウ ところで,上記1認定の事実関係によれば,本件臨界事故によっても,原告の納豆商品に何ら放射線等の物理的原因による影響は生じていなかったことが明らかであるが(この点は当事者間に争いがない。),国民生活上,原子力発電によるエネルギー供給が一般化する中,例えばチェルノブイリ事故のような放射能事故が発生するとその影響が極めて広範かつ深刻なものとなることが広く認知され,我が国においては,第五福竜丸事故(マーシャル群島ビキニ環礁で水爆の実験が行われ,マグロ漁船第五福竜丸が降灰を受けた事故)や終戦時の原子力爆弾の投下の影響により,国民が核や原子力あるいは放射線といった事柄にいわば神経質に対応するといった傾向にあることからすると,本件臨界事故による物理的影響が商品自体に生じていないとしても,一般消費者は,本件臨界事故が茨城県内において発生したことから,茨城県産の野菜や魚介類だけでなく,同県内で製造・加工される商品についても,放射線汚染という重大な危険が及んでいるのではないかと懸念して,これに敏感に反応し,上記のような商品を購入することを敬遠して,一時的にこれを買い控えるという行動に出ることが容易に推測される。そして,我が国において,納豆は「水戸」あるいは「茨城県」の名産品として広く知られている商品である。
そうすると,納豆は,茨城県内で製造・加工される商品として,一般の消費者が本件臨界事故後その購入を差し控えるに至ることが容易に推測されるところである。
エ そして,上記1認定の事実によれば,本件臨界事故直後,茨城県産の野菜や魚介類については,その価格の下落や取引量の減少などの風評被害が発生したこと,茨城県内のホテルなどの宿泊施設で多数のキャンセルが出るなどの風評被害が発生したことが認められる。また,納豆についても,ある大手納豆メーカーが本件臨界事故直後出荷を見合わせたり,安全宣言後もなお上記メーカーの納豆販売に慎重な小売業者がいたこと,一部店舗で納豆を商品棚から下げたり,取引しないという事態が生じたこと,関西地区においてさえ,納豆商品のパッケージに水戸を謳っている商品につき特売を自粛する動きがでていたことなどが認められる。そして,平成11年10月11日付け食品新聞朝刊には,端的に「本件臨界事故により加工食品で最大の風評被害を被ったのは納豆である」との記事が掲載され,また,茨城県職員らは,本件臨界事故後の同11年10月9日,東京都内で茨城県産の野菜や納豆を無料で配布するなどしてその安全性を訴え,原告も店頭に納豆商品は安全である旨の掲示をして消費者にその安全性を訴えるなどしていたのである。
オ 以上によれば,本件臨界事故後,納豆業界全体の売上は継続して減少傾向にあったことが認められ(増加した平成11年10月についても同10年度の売上を下回るものであった。),また,本件臨界事故を契機として一般消費者が納豆商品の買い控えをする心理経過を辿ったものと認められる。そして,本件臨界事故により風評被害が生じたことが各新聞において報道され,風評による被害を前提にした宣伝活動が行われていたのである。
そうすると,本件臨界事故によって消費者が納豆商品を買い控えるなどした結果,納豆業界全体の売上が減少するという風評被害が生じていたものと認められるのであって,本件臨界事故発生と納豆業界全体の売上減少との間には一定限度で相当因果関係があるということができる。さらに,上記のとおり,納豆業界全体が本件臨界事故による風評被害を受けたと認められることに加えて,上記イ認定のとおり,原告の納豆売上が納豆業界全体の動向と一致し,本件臨界事故後継続して減少傾向を示し,かつ,本件臨界事故直後の同11年10月からの対前年同月比売上伸率が継続してマイナスあるいは低率となったことからすれば,本件臨界事故発生と原告の納豆売上が減少することにより原告に生じた営業損害との間にも,一定限度において相当因果関係を認められるべきものである。
カ もっとも,本件臨界事故後,一般消費者が納豆商品を買い控えるに至ったことが窺われるものの,それは,一般消費者の個別的な心情に基づくものであり,放射線汚染という具体的な危険が存在しない商品であるにもかかわらず,それが危険であるとして,上記商品を敬遠し買い控えに至るという心理的状態に基づくものである以上,そこには一定の時間的限界があるというべきである。この時間的限界をどのように画するかは困難な問題であるが,それは一般消費者が上記のような心情を有することが反復可能性を有する期間,あるいは一般的に予見可能性があると認め得る期間に限定されるというべきである。
これを本件についてみると,確かに本件臨界事故後の原告の納豆売上高は,別表3によれば,事故直後の同11年10月こそ前月より6500万円程度増加して約23億3700万円となり,その後,同年11月には約22億7900万円,同年12月には約22億6500万円,同12年1月には約21億0300万円となるなど継続して顕著な減少傾向を示しているが,他方,上記1認定の事実によれば,本件臨界事故後の事実経過として,茨城県は,本件臨界事故の翌日である同11年10月1日には野菜,農林産物について放射性物質は検出されないとする安全宣言を出し,さらに翌同月2日には,鶏卵,牛乳及び水産物等について,同月4日には,茨城県内の事業所で製造される加工食品等が安全である旨発表し,政府も,同月2日には農畜水産物について安全である旨を発表しているし,茨城県職員らは,同月9日,東京都内で茨城県産の納豆を無料配布してその安全性を訴えるなどしていたのである。また,科学技術庁事故調査対策本部も,同年11月4日,原子力安全委員会に事故状況の報告を行い,同月13日及び14日には地元住民に対して本件臨界事故に関する説明会を実施していたのである。
上記のような本件臨界事故後の茨城県や政府,科学技術庁事故調査対策本部の対応,納豆商品の風評被害に関する報道状況などの事情に加え,本件における一般消費者の心理をも考慮すると,上記のような原告の納豆商品売上の減少傾向の継続が認められ得るとしても,一般消費者が原告の商品を始めとする納豆商品の買い控えをすることが反復可能性を有する期間,あるいは一般的に予見可能性があると認め得る期間は,茨城県や政府による農畜水産物や加工食品等に対する安全宣言が出され,一連の納豆商品についての風評被害に関する新聞報道が沈静化し,同11年11月13日及び同月14日に地元住民に対する事故説明会が開催された後,本件臨界事故の実態について一般消費者が十分に理解するのに必要な相当の期間が経過したと認められるときまでの間,すなわち本件臨界事故発生から同11年11月末までであると認めるのが相当である。
キ そして,上記1認定のとおり,本件臨界事故当時の原告の納豆商品のパッケージには製造所の所在地や名称が表示されておらず,製造所固有記号(アルファベット)が表示されているだけであって,一般消費者は,パッケージ上,当該商品が国内のどこで製造されたものであるか知ることができず,場所的情報としては,販売者である原告の所在地として「茨城県東茨城郡小川町野田字大沼頭<番地略>」と表記されている部分だけであった。また,上記1(4)認定のとおり,関西地区においてさえ,納豆商品のパッケージに「水戸」と謳っている商品について,当面その特売を見合わせる動きがでている模様である旨報じられていたのである。さらに,地域別の原告の売上の動向はほぼ原告の全国納豆売上の動向と同様に推移していたことは上記認定のとおりである。
そうすると,本件臨界事故と相当因果関係のある原告の納豆商品の売上減少,すなわち原告の営業損害額の算定に当たっては,これを水戸工場エリアなど本件臨界事故発生地の近郊のみに限るのでなく,原告の全国の納豆商品売上を基にこれを検討するのが相当である。
したがって,本件においては,本件臨界事故発生と原告の全国の納豆商品売上が減少することにより原告に生じた同11年10月1日から同年11月30日までの営業損害との間に,一定限度において相当因果関係が認められることになる。
ク これに対し,被告は,上記認定の原告の納豆商品の売上等に関する日経POSデータに依拠して,本件臨界事故が原告の納豆商品の売上に影響を与えたということはできず,かえって本件臨界事故後の平成11年11月以降,首都圏(千葉,埼玉,神奈川及び東京)及び関東外部(茨城,栃木,群馬,長野,山梨及び静岡)において,原告の納豆商品の売上と販売個数のシェアは拡大していた旨,また,原告の納豆商品売上の事業計画に対する実績をみると,本件臨界事故の発生した第43期(同11年4月1日から同12年3月31日まで)が95.2パーセント,第41期(同9年4月10から同10年3月31日まで)が93.71パーセントと,第43期の方が第41期を上回っているであるから,計画未達成の事実それ自体から本件臨界事故以外に原告の納豆商品売上減少の原因はないなどと推認することはできない旨主張する。
なるほど,上記1認定のとおり,原告が大手スーパーに納豆商品等を納入することによって飛躍的に業績を伸ばしてきた企業であることを考慮すると,大手スーパーを調査対象とする日経POSデータに依拠して,本件臨界事故が原告の納豆商品の売上に影響を与えたとは言い難いとする指摘にも理由がないわけではない。しかし,日経POSデータは,その情報収集の対象に上記のような限定があり,原告の市場における強みが顕著に現れる傾向にあるのではないかとも思われるのであって,必ずしも市場全体の売上額の傾向をみるのに適したデータであるとは言い難い。
そうすると,本件において,原告の納豆商品売上の増減傾向を検討するに当たっては,原告の売上データそのものを算定の基礎とするのが相当である。また,原告が上記の時期にそのシェアを拡大したとする点についても,原告は反対趣旨の主張をしており,上記データから直ちにそのように断ずるのは躊躇されるのであって,仮に上記データに依拠しても,例えば業界全体の納豆売上及び原告の納豆売上がともに減少する状況の下で,納豆業界第1位のシェアを有していた原告が,相対的に他のメーカーよりその売上を伸ばし,業界内でのシェアを拡大するということは十分にあり得ることであるから,原告が本件臨界事故後に特定地域でシェアを拡大させたという事実があったとしても,そのことをもって,直ちに本件臨界事故が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたことを否定する事情であるとまでいうこともできない。そして,本件臨界事故の発生した第43期が第41期よりも納豆商品売上の事業計画に対する実績率が高いことをもって,本件臨界事故が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたことを否定する事情であるということもできない。
さらに,被告は,重回帰分析等による統計学的分析を網羅的に行った結果,本件臨界事故が原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたとは認められなかった旨主張するが,他方,原告の行った統計学的分析(原告の主張欄(1)ウ)によれば,本件臨界事故は原告の納豆商品売上に影響を及ぼしたと認められるとの結果が出ているというのであって,統計学的分析については,いかなるデータを基礎資料として用い,いかなる範囲のどの程度のサンプルを採用するか,さらにいかなる分析手法を採用するかなどによって,その結果は全く異なったものとなり得る。したがって,被告による上記分析結果にのみ依拠して,本件臨界事故により原告が納豆商品売上減少という営業損害を被らなかったなどと認めることはできない。
被告の上記各主張は,いずれもこれを採用することができない。
3 本件臨界事故により原告が被った営業損害額(争点2)
上記2で検討したとおり,本件臨界事故と原告の平成11年10月1日から同年11月30日までの間の全国における納豆商品売上の減少という営業損害の間には一定限度で相当因果関係があるというべきところ,本件臨界事故発生直後の同年10月及び同年11月の2か月の間に原告が得られたであろう売上額を基に,これから上記2か月の間に実際に得られた売上額を控除し,これに粗利益率を乗じて得られる金額が本件における原告の営業損害額となると解するのが相当である。
そこで,同11年10月及び同年11月の原告が得られたであろう納豆商品の売上額について検討するに,本件臨界事故前より季節的あるいは消費傾向的に納豆業界全体として納豆商品売上が減少傾向にあったことが明らかであるのに,納豆商品の売上が増加傾向にあった同11年1月ないし4月の伸び率を考慮するのは相当でないから,納豆商品売上が顕著に減少傾向を示し始めた同年5月から同年9月までの対前年売上伸び率を同11年10月及び同年11月の実際の納豆商品売上額に乗じた金額をもって,上記2か月の間に得られたであろう納豆商品の売上額と認めるのが相当である。
そして,別表4によれば,同10年5月から同年9月までの売上額合計は109億0163万1000円(22億1662万2000円+22億2516万6000円+21億3819万5000円+21億0892万9000円+22億1271万9000円),同11年5月から同年9月までの売上額の合計は116億4154万6000円(24億8142万6000円+23億1865万6000円+23億3367万4000円+22億3427万円+22億7352万円)であるから,対前年売上伸び率は106.79パーセント(116億4154万6000円÷109億0163万1000円)となり,別表5によれば,同11年10月に得られたであろう売上額は24億8069万4000円(23億2296万5000円×1.0679),同年11月に得られたであろう売上額は23億6507万3000円(22億1469万5000円×1.0679)となり,上記の原告が得られたであろう売上額と実際の売上額の差額は,同11年10月が1億5946万7000円(24億8069万4000円−23億2122万7000円),同年11月が1億0094万6000円(23億6507万3000円−22億6412万7000円)となる(なお,原告は,同11年9月15日から同年12月12日まで納豆商品のテレビコマーシャルを実施しており,この時期には対前年比114パーセントの売上増を見込むことができたから,結果として同11年度全体で対前年比売上110パーセントを達成することができたはずであるとして,伸び率を110.16パーセントとして考慮すべきである旨主張するが,別表3によれば,テレビコマーシャルの放映が15日から開始された平成11年9月の納豆商品売上は対前年比2.61パーセント増にとどまっており,他に原告商品に関するテレビコマーシャルが原告の主張する程度の効果があることを認めるに足りる的確な証拠もないから,原告の上記主張は採用することができない。)。
次に粗利益について検討するに,まず,原告の納豆商品売上に対応する原材料費を控除すべきであるが(この点は,原告もこれを本訴請求の前提としている。),さらに納豆商品売上の増減に伴って変動して発生する物流費についても控除するのが相当である。そして,売上伸び率の算定に当たっては上記のとおり同11年5月から同年9月までの資料を基礎としたことから,原材料費率及び変動物流比率についても同期間を算定の基礎とすると,別表6によれば原材料費率は31.07パーセント[36億1745万円(7億7133万8000円+7億1631万9000円+7億1195万6000円+6億9735万8000円+7億2047万9000円)÷116億4154万6000円],別表7によれば変動物流費率は5.03パーセント[5億8584万2000円(1億2684万8000円+1億1035万3000円+1億1862万9000円+1億1429万4000円+1億1571万8000円)÷116億4154万6000円]となる。よって,粗利益率は63.9パーセント(1−0.3107−0.0503)と認められる。
ところで,同11年10月及び同年11月の原告の納豆商品売上減少に関して,本件臨界事故のみならず他の原因も影響を及ぼしているとすると,本件臨界事故と相当因果関係ある原告の営業損害額を算定するに当たり,これらの事情についても考慮する必要があることになる。なるほど,上記1認定のとおり,本件臨界事故が発生した当時,原告を含めた納豆業界全体に遺伝子組み換え大豆使用の報道により納豆商品売上に影響が生じ,原告において,その影響は同11年6月から同年8月にかけてピークとなっていたこと,また,原告は納豆商品のパッケージに遺伝子組み換え大豆を使用していない旨の表示を同11年8月以降,同16年3月ころまで行っていたことが認められ,また,本件臨界事故当時は季節的あるいは消費傾向的に納豆商品売上が減少する傾向にあったことが認められる。そうすると,これらの事情が上記時期の原告の売上の減少に影響したのではないかと考えられないではない。
しかし,本件において,原告の営業損害額を算定するに当たって考慮した対前年売上伸び率は,上記各事情による影響が既に現れていたと思われる同11年5月以降の数値を基にしているのであるから,上記各事情は一応これに織り込まれているとみることができるし,また,上記1認定のとおり,本件臨界事故当時,原告は,全国的にテレビコマーシャルを盛んに放映していたのであるから,その効果が上記事情を減殺する事情として働いた可能性もある(ただし,本件において,上記の遺伝子組み換え大豆使用に係る報道やテレビコマーシャル放映が原告の上記売上にどのように影響し,また,影響しなかったかを確定するのは困難である。)。
そうすると,本件臨界事故と相当因果関係ある原告の営業損害額を算定するに当たり,本件臨界事故以外に格別考慮すべき事情は認め難い。
なお,原告は,上記営業損害額を算定するに当たり,被告が公表した売上伸び率の算定方法及び補償期間などの基準を採用しており,この基準は本件臨界事故に関して被告が原告以外の各種団体と締結した和解で採用された基準とも整合するものであるから,被告が上記基準に反する主張をすることは禁反言により許されない旨主張する。しかし,仮にそのような事情があったとしても,上記1認定の事実関係によれば,被告が原告との間で上記基準によって営業損害額を算定する旨合意していたことは窺われず,また,本件において,被告が上記基準に沿わない主張をすることが信義に反するというような事情も認め難い。
したがって,本件臨界事故により原告が被った営業損害額は1億6640万4000円[(1億5946万7000円+1億0094万6000円)×63.9%]と認められる。そして,原告は,被告から既に損害賠償の仮払金として2億7601万4066円を受領しているから,これを超えてする原告の本訴請求は理由がない。
(3) 被告の原告に対する本件仮払金返還請求の可否及びその額(争点3)
本件仮払金が支払われた経緯は,上記1(3)のとおりであるところ,原告が被告から本件仮払金の支払を受けるに当たって提出した補償金仮払申込書には,「当該仮払額は補償金額が確定次第,確定金額と精算(過払いの場合には上回った金額の返還,不足の場合には不足金額の追加払いがなされること)することを承諾します。」との記載があり,また,被告において,原告から届出を受けた3日後には本件仮払金を支払っていたことなどからすると,本件仮払金は,原告と被告との間で補償金額が確定されたときに,過払がある場合は,原告において過払額相当金を被告に返還し,また,不足がある場合は,被告において不足額を原告に支払うことが予定されていたというべきである。そうすると,本件仮払金は,被告が原告に対して補償金額確定まで一時的に原告届出額相当の金員を預託していたものと認められる。
そして,上記(2)において検討したとおり,原告が本件臨界事故により被った営業損害額は1億6640万4000円と認められ,これを超えて原告に営業損害が生じたとは認め難いから,原告は,被告に対し,本件仮払金2億7601万4066円から上記営業損害額1億6640万4000円を控除した1億0961万0066円とその遅延損害金を支払うべきことになる。
なお,被告は上記の遅延損害金につき,本件仮払金を原告に支払った日の翌日である平成11年12月31日を起算日としているが,上記のとおり,本件仮払金は預託金であるから,その遅延損害金の起算日は,被告が原告に対して本件仮払金の返還請求権を行使した日,すなわち本件反訴状が原告に送達された日の翌日となる(上記反訴状が原告に送達された日の翌日が同16年6月19日であることは本件記録上明らかである。)。
3 結論
以上によれば,原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し,被告の反訴請求は主文第2項掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その余の反訴請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・原敏雄,裁判官・飯田恭示,裁判官・倉成章)
2 地域別月別対前年伸率 <省略>
3 <省略>
4 月別売上と対前年比 <省略>
5 月別売上 <省略>
6 売上高に占める原材料費 <省略>
7 変動物流費比率 <省略>
8 <省略>
9―1 納豆についての100世帯当たり支出金額 <省略>
9―2 納豆についての100世帯当たり購入頻度 <省略>
9―3 食料品についての1ケ月当たり家計指標 <省略>
10 100世帯当り購入金額 <省略>
11―1〜12 推移表 <省略>