東京地方裁判所 平成15年(ワ)5324号 判決 2004年5月28日
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別紙当事者目録記載のとおり
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告ブライト証券株式会社は,原告ら各自に対し,別紙賃金目録<省略>「月額減額分」欄記載の各金員及びこれに対する平成14年4月26日から支払済みまで年6分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 被告株式会社実栄は,原告ら各自に対し,50万円及びこれに対する平成15年3月25日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第2事案の概要
本件は,被告ブライト証券株式会社(以下「被告ブライト」という)に勤務している原告らが,被告ブライトに対して,平成14年4月分の賃金が同年3月までの賃金よりも減額されたのは根拠がないとして,差額の支払を求めるとともに,被告ブライトに転籍する前に勤務し,かつ,被告ブライトの親会社である被告株式会社実栄(以下「被告実栄」という)に対して,被告ブライトから減額された賃金しか支払われなかったのは,被告実栄が,原告らの被告ブライトへの転籍に当たって,原告らに虚偽の説明を行ったためであるなどとして,不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実等(証拠等で認定した事実は文末に当該証拠等を掲記した<省略>)
(1)ア 原告らは,平成13年3月31日まで,被告実栄(同日までの商号は,実栄証券株式会社(以下「実栄証券」という))に勤務し,同年4月1日以降,被告ブライトに勤務する労働者である。
イ 原告らは,ブライト証券労働組合(以下「本件労組」という)を結成しており,現在の組合員数は26名である。
ウ 被告ブライトは,平成12年10月2日に設立された資本金14億円の主に投資信託販売を業とする証券会社である。被告ブライトの正社員数は現在約40名,契約社員数は約10名である。
エ 被告実栄は,資本金約1億円の株式会社であり,現在,社員として派遣社員1名及び出向社員2名がいるほか,主に役員4名で子会社の管理業務及び投資信託業務を営んでいる。被告実栄の100%子会社としては,被告ブライト及び実栄キャピタル株式会社(以下「キャピタル」という)がある。
(2)ア 実栄証券は,昭和24年に設立され,同年4月,東京証券取引所設立と同時に才取会員(同取引所で正会員間の売買をとりもつ仕事を行う証券会社)となったが,平成11年4月,同取引所の取引方式が,立会場での売買からシステムによる売買に移行したため,才取業務が縮小し,その後,最後まで才取会員となっていたものの,平成13年3月31日をもって証券業から撤退した。
イ 実栄証券は,才取業務の廃止を受けて,従業員雇用の受皿として,ディーリング業務及び投資信託販売業務を行う100%子会社の被告ブライトを設立した。実栄証券は,総額200億円に及ぶ銀行預金等の金融資産を有しており,負債はなかった。被告実栄は,被告ブライトに対して28億円,キャピタルに対して3億円をそれぞれ出資した外,実栄証券の資産をそのまま保有している。
ウ 実栄証券には,平成13年1月当時,116名の従業員が在籍しており,労働組合として,実栄証券労働組合(以下「実栄労組」という)及び全実栄証券労働組合(以下「全実栄労組」という)が存在した。
(3) 実栄証券は,同年1月11日,全従業員に対して,転籍・希望退職優遇制度を発表,説明した。その際,実栄証券は,転籍先の就業規則等を配布した上,転籍後の労働条件を説明したが,給与については,転籍後1年目は現行の給与額を保障するが,2年目以降は,部長が年俸360万円(本俸月額30万円),リーダーが年俸300万円(本俸月額25万円),一般社員が年俸240万円(本俸月額20万円)とし,本俸の外に歩合給がある旨説明した。
(4) 実栄証券と実栄労組は,平成13年1月31日付けで,「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」を締結したが,転籍者に係る優遇措置の内容は,概要次のとおりであった(<証拠省略>)。
ア 退職日 同年3月31日
イ 転籍先 実栄証券が指定した次の会社とする。
(ア) 被告ブライト
(イ) キャピタル
(ウ) 永和保全株式会社(以下「永和保全」という)
ウ 転籍日 同年4月1日
エ 転籍条件
(ア) 退職慰労金 通常退職金(退職金規程どおり)
(イ) 転籍割増金 基本給(年収)の1ないし4年分
(ウ) 転籍支度金 基本給(月給)の4ないし10か月分
オ 転籍者の給与 「転籍者の給与は平成13年3月10日現在の基準内賃金(固定)を平成13年4月から平成14年3月まで各転籍子会社において支給する。」
(5) 実栄証券と全実栄労組は,平成13年2月8日付けで,「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」を締結したが,転籍者に係る優遇措置の内容は,前記(4)と同様であった(<証拠省略>)。
(6) 原告ら同年3月10日時点での基準内賃金(固定)及び実栄証券在籍当時の所属組合の別は,別紙賃金目録<省略>「元の給与」「所属組合」欄記載のとおりであった。
(7) 被告ブライトが新たに制定した就業規則及び給与規程では,給与について,年俸制とされ,次のように定められていた(<証拠省略>)。
ア 8条(年俸の調整)
(ア) 年俸は前年3月1日から本年2月末日までの期間の職務内容,業績評価,執務態度を総合的に勘案して調整するものとする。
(イ) 年俸の調整期日は4月1日とする。
(ウ) 前2項の規程にかかわらず,随時に調整を行うことがある。
イ 9条(本俸)
年俸の12分の1を本俸として毎月支払う。
ウ 14条(歩合給)
歩合給の取扱いは別紙に定める。
エ 別紙(歩合給の取扱い)
(ア) 歩合給の取扱い
<1> 株式型投資信託
販売手数料収入×30%(株式型投資信託の毎月の販売手数料が本俸月額を超えた部分に30%を乗じた金額を毎月歩合給として支払う)
信託報酬料収入×25%(株式型投資信託の信託報酬は,各個人の年度末信託総額に対し25%を乗じた金額を会社指定月に一時金として支払う)
<2> 公社債投資信託
信託報酬料収入×25%(公社債投資信託の信託報酬は,各個人の年度末信託総額に対し25%を乗じた金額を会社指定月に一時金として支払う)
(イ) 口座開設報奨金
口座開設の拡大を図る目的から状況に応じ,口座開設報奨金を支給することがある。
(8) 実栄労組は,同年3月に解散し,全実栄労組も解散した。
(9) 原告らを含む41名の実栄証券従業員が,同年4月1日,被告ブライトに転籍した。
(10) 被告ブライトは,平成14年4月1日以降,原告らの賃金として,別紙賃金目録「現在の給与」欄記載のとおり,月額20万円ないし25万円を支払っている。
2 争点
(1) 原告らの実栄証券から被告ブライトへの転籍は,原告らが実栄証券を退職して,被告ブライトに新たに就職したことによるものか,原告らの使用者の地位が実栄証券から被告ブライトに譲渡されたことによるものか。
【原告らの主張】
原告らの実栄証券から被告ブライトへの転籍は,原告らの使用者の地位が実栄証券から被告ブライトに譲渡されたことによるものである(民法625条)。
【被告らの主張】
原告らの実栄証券から被告ブライトへの転籍は,原告らが実栄証券を退職して,被告ブライトに新たに就職したことによるものである。
(2) 原告らの被告ブライトにおける転籍後2年目以降の賃金額(月額。以下同じ)は幾らか。
【原告らの主張】
ア 本件のように転籍が使用者の地位の譲渡により行われる場合,譲渡された労働契約の労働条件は,譲渡の前後で同一であり,転籍の際に労働条件を変更するためには,転籍自体の同意に加え,労働条件の変更に対する労働者の同意が必要である。
イ しかし,原告らと実栄証券の間で,原告らの転籍後2年目以降の賃金額について,実栄証券在籍時と同額である転籍後1年目のものから20万円ないし25万円に減額するとの合意がされた事実はなく,実栄証券は,転籍後,原告らと被告ブライトの間で,賃金額の水準自体を協議すべき事項としていたにすぎない。
ウ また,原告らと被告ブライト間の雇用契約は,期間の定めのない雇用契約であるから,労働者の賃金額は,当初の労働契約及びその後の契約の拘束力によって,使用者・労働者とも相互に拘束される。そして,実栄証券と実栄労組及び全実栄労組間の各協定書で,転籍後2年目以降の賃金その他の労働条件をどのようにするかについて,何ら条項が設けられなかったのは,これを転籍先での労使交渉に委ねる趣旨に他ならず,転籍後2年目以降の労働条件は,特段の事情のない限り,1年目の労働条件が継続する。
エ しかも,賃金その他の労働条件は,労働者と使用者が対等の立場において決定すべきであるとされ(労働基準法(以下「労基法」という)2条),賃金について全額支払の原則が定められている(同法24条)ことからすると,転籍後2年目以降の賃金額について労使交渉による合意がされていない場合には,1年目の雇用条件が継続するというべきである。
オ よって,原告らの被告ブライトにおける転籍後2年目以降の賃金額は,1年目と同額である。
カ なお,被告ブライトは,転籍後2年目以降の賃金額について,就業規則変更の手続を取っておらず,賃金減額措置としては無効である。
【被告らの主張】
ア 原告らの被告ブライトでの就労は,平成14年4月1日以降,原告らと被告ブライト間で新たな労働契約が締結された結果であり,当然に実栄証券在籍時の賃金額が原告らの賃金額となるものではない。
イ 原告らと被告ブライト間では,転籍後1年目の賃金額について,実栄証券在籍時の額を保障するとの合意がされたが,2年目以降の賃金額についてかかる合意はなく,被告ブライトが支払義務を負うのは,被告ブライトが原告らに転籍の条件として提示した月額20万円ないし25万円だけであり,それ以上の賃金請求権は,原告らと被告ブライト間に合意がない以上発生していない。
ウ むしろ,原告らと被告ブライト間においては,原告らの転籍に先立って,転籍後2年目以降の賃金額が20万円ないし25万円となることが条件として提示されており,原告らは,その内容を了解して転籍に応募したもので,これにより原告らは,2年目以降の賃金額が20万円ないし25万円となることに同意した。
エ また,被告ブライトは,原告らから転籍の申込みを受けた後にも,原告らに対し,基本的に一般職の本俸は月額20万円であり,ただし,転籍後1年目に限って特別に現在の賃金額を保証する旨説明し,これに対して,原告らは,異議を申し立てることなく,1年間賃金を受領したものであるから,2年目以降の本俸が月額20万円等となるという労働条件を追認したというべきである。
オ なお,仮に,転籍後2年目以降の賃金額を20万円ないし25万円とすることが賃金の減額に当たるとしても,被告ブライトは当初からかかる賃金額を予定していた上,1年目の原告らによる1人当たりの売上げが,賃金額の20万円にすら及ばなかったという財務状況及び多額の転籍割増金を原告らに支給していることからすれば,かかる賃金減額には十分な合理性がある。
(3) 被告実栄の不法行為の成否
【原告らの主張】
ア 被告実栄は,実栄証券が商号を変更したものにすぎず,同一法人であり,代表取締役も同一人らが務めている。
イ 実栄証券は,平成12年10月2日,100%子会社である被告ブライトを設立し,その代表取締役には,実栄証券の取締役部長であったAが就任し,取締役には,実栄証券の次長職にあったB,Cの2名が就任した。
ウ 実栄証券のD代表取締役は,平成12年12月22日,実栄証券全従業員に対して,今後,被告ブライトが,キャピタル,永和保全,被告実栄を含めた四本柱の中心に位置付ける旨発言し,また,実栄証券は,平成13年1月11日の経営協議会で,被告ブライトを支援する意思も明らかにしていた。
エ その後,実栄証券は,平成13年2月1日から転籍・希望退職募集を実施すべく,転籍に同意しなければ解雇するなどと実栄労組を恫喝していたが,同年1月22日,同月30日の団体交渉で,被告ブライトを設立し,実栄証券から従業員を転籍させるのは,実栄証券で新規事業を行うのが利益相反となるからであると説明し,また,同月26日の団体交渉では,転籍後2年目以降の賃金額については,転籍先で協議することであるとも説明した。
オ しかし,被告実栄は,原告らが被告ブライトに転籍した後は,転籍先との協議をするとの言質を翻して,既に決着済みとの姿勢を取り,100%子会社である被告ブライトにもそのような姿勢を取るよう指示した。
カ また,被告ブライト及び被告実栄は,平成14年6月11日付けで,本件労組から団体交渉等の申入れを受けるや,被告ブライトにおいては,被告実栄との団体交渉を行わないよう述べた上,転籍前にされた転籍後2年目以降の賃金額の提案について,被告ブライトにおいて決定したかのように発言し,他方,被告実栄においては,本件労組加入者は在籍していないとして,団体交渉等に応じない姿勢を取っている。
キ このように被告実栄は,原告らの転籍後2年目以降の賃金額については,転籍先での協議事項であるとした言明を翻したもので,転籍に際して,原告ら従業員を欺罔したものであり,一方的な賃金減額を被った原告らとの関係においては,雇用主としての信義に反し,不法行為となるというべきである。
ク 原告らは,被告実栄の不法行為により,大幅な賃金減額という不利益を受け,被告らを相手方として,被告ブライトの不誠実団体交渉,被告実栄の団体交渉拒否につき東京都地方労働委員会に不当労働行為救済を申し立てた外,被告ブライトに対して本訴を提起せざるを得なくなった。このような損害は,賃金支払が填補されたとしても償えない独自の損害と評価すべきであり,その金額は原告各自50万円を下らない。
【被告らの主張】
ア 実栄証券は,被告ブライトを支援する旨の意思を表明していたが,無限定なものではないし,転籍に応じなければ解雇となるとの説明が恫喝になるものでもない。
イ 実栄証券は,転籍後の労働条件や就業規則については,転籍先で協議することになるという当然のことを説明していたにすぎない。転籍後2年目以降の賃金額は,確定しており,通常の賃上げ交渉として協議できるのではないかとの趣旨を説明したものであって,賃金額が未確定であると説明したものではない。
ウ したがって,被告実栄が,言明を翻した事実はなく,また,被告ブライトに対し,転籍後2年目以降の賃金額が決着済みであるとの姿勢を取るよう指示する理由もない。
エ 原告らの損害については争う。
第3争点に対する判断
1 争点(1)について
(1) 認定事実
証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(認定に特に用いた証拠を文末に掲記する)。
ア 実栄証券は,平成13年1月11日付けで,転籍者優遇措置要項を公表したが,そこでは,次のとおり定められていた(<証拠省略>)。
(ア) 退職日 平成13年3月31日(土)とする。
(イ) 転籍日 平成13年4月1日(日)とする。
(ウ) 転籍条件 転籍者には次の条件を適用する。
<1> 退職慰労金 退職慰労金支給細則に定める「会社都合」による退職金を支給する。
<2> 転籍割増金 平成12年4月1日現在基本給Bランク×12か月×係数(係数については,会社年齢に応じ,会社が定めた係数とする)
<3> 転籍支度金 平成12年4月1日現在基本給Bランク×月数(月数については,会社年齢に応じ,会社が定めた月数とする)
イ 実栄証券は,平成13年1月11日付けで,希望退職者優遇措置要項も公表したが,そこでは,次のとおり定められていた(<証拠省略>)。
(ア) 退職日 平成13年3月31日(土)とする。
(イ) 退職条件
<1> 退職慰労金 退職慰労金支給細則に定める「会社都合」による退職金を支給する。
<2> 割増一時金 平成12年4月1日現在基本給Bランク×12か月×係数(係数については,会社年齢に応じ,会社が定めた係数とする)
<3> 特別加算金 平成12年4月1日現在基本給Bランク×12か月×係数(係数については,会社年齢に応じ,会社が定めた係数とする)
ウ 実栄証券と実栄労組が平成13年1月31日付けで締結した「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」の希望退職者に係る要項では,「退職日平成13年3月31日(土)とする。」と記載されており,その記載は,実栄証券と全実栄労組が平成13年2月8日付け締結した「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」でも同様であった(<証拠省略>)。
エ 実栄証券と実栄労組は,平成12年6月9日付けで,次の内容の「今後の雇用条件に関する協定書」を締結していた。
(ア) 現行の就業規則の変更は,従来どおり,双方協議し合意の上行う。
(イ) 業種転換による職務の変更は,個人の適性を考慮した上で公正なものとし,十分な準備期間を設ける。
(ウ) 上記2項目は現在実栄証券に席がある社員全てに適用するものとする。
オ 被告ブライト,キャピタル及び永和保全は,実栄証券からの転籍者を受け入れるに当たって,平成12年11月から,就業規則委員会を設け,各社の就業規則の内容を検討し,同年12月20日ころ,各社の就業規則をそれぞれ決定した。決定された就業規則の内容は,平成13年1月11日,実栄証券従業員に対して提示された。
カ 実栄証券と実栄労組間で行われた同月31日の団体交渉において,実栄労組側は,実栄証券側に対し,特別指定休暇,傷病積立休暇といった現行の制度が,転籍先の会社の就業規則で設けられていない点について,就業規則の変更はできないのかと質問した(<証拠省略>)。
キ 原告らは,被告ブライトの代理人を兼ねた実栄証券に対して,いずれも転籍同意書を提出したが,そこでは,転籍後の労働条件は,転籍先の就業規則の定めるところにより,また,実栄証券の退職日は,同年3月31日とするとされていた(<証拠省略>)。
ク 本件労組は,被告ブライトが就業規則を中央労働基準監督署に届け出るに当たって,平成14年4月12日,意見書を作成したが,その内容は,被告ブライトの就業規則が,実栄証券のものと比べて大きく後退した内容となっており,転籍ということから致し方ない部分もあるが,<1>年俸の決定・計算方法が明示されていない点,<2>年俸制や調整金,<3>賞与は必要と認めた場合に支給するとされている点,<4>退職金が不支給とされている点,<5>休暇日数(転籍前の会社の勤続年数がどの程度考慮されるのか)について,重点的に団体交渉で協議していくというものであった(<証拠省略>)。
(2) ところで,転籍の法的手段としては,現労働契約の合意解約と新労働契約の締結という方法と労働契約上の使用者の地位の譲渡という方法の2つがあるが,本件における原告らの転籍については,<1>実栄証券が公表した転籍者優遇措置要項に「退職日」との表記があるところ,これは,同時に公表された希望退職者優遇措置要項における「退職日」との表記と同一であるから,その意味は,実栄証券との労働契約の合意解約であると解するのが自然であること,<2>かかる関係は,実栄証券と実栄労組及び全実栄労組間の各「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」においても同様にみられること,<3>実栄証券と実栄労組は,就業規則の変更について,実栄労組の同意を要する旨合意しており,仮に,本件における転籍が使用者の地位の譲渡であれば,実栄証券の就業規則が被告ブライトの就業規則として承継されることとなり,就業規則の変更については実栄労組の同意が必要であるところ,被告ブライトの就業規則制定に先立って,実栄労組との協議が行われた形跡はなく,転籍者個々人がこれに同意する形が取られ,実栄労組も,被告ブライトの就業規則について,実栄労組との合意によらない変更であるとして問題にしたことはうかがわれず,むしろ,実栄労組側から,被告ブライトの就業規則の変更を求めていること,<4>実栄労組,全実栄労組のいずれもが,原告らの転籍に当たって解散していること,<5>本件労組は,被告ブライトの就業規則について,実栄労組の同意を得ていないことを問題としていないことからすると,前者の現労働契約の合意解約と新労働契約の締結という方法,すなわち,実栄証券との労働契約の合意解約と被告ブライトとの新労働契約の締結という方法が採られたと認めるのが相当である。
この点,原告X1は,東京都地方労働委員会の第2回審問において,被告ブライトの就業規則について,実栄労組が同意した旨供述しているが(<証拠省略>)に照らし採用することができず,他に前記認定を覆すに足る証拠はない。
(3) よって,争点(1)に係る原告の主張は採用できない。
2 そして,争点(1)に係る原告らの主張(請求原因)によれば,原告らの請求は,原告らと実栄証券間の労働契約に基づく賃金請求といわざるを得ないところ,前記1によれば,原告らと実栄証券間の労働契約は,平成13年3月31日をもって合意解約され,被告ブライトによって承継されたものではないから,被告ブライトに対する平成14年4月分の賃金請求の根拠となり得ず,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないこととなる(原告らと実栄証券間の労働契約に基づく賃金請求と原告らと被告ブライト間の新労働契約に基づく賃金請求は,訴訟物を異にするというべきであるところ,原告らと被告ブライト間の新労働契約に基づく賃金請求は訴訟係属しておらず,また,被告らの争点(1)に係る主張を訴訟物とすることもできない)。
3 しかしながら,念のため,原告らが,被告ブライトとの間の新労働契約に基づく賃金請求として,転籍後2年目以降,実栄証券在籍時の賃金額を請求できるかについて,検討する。
(1) 前記争いのない事実,証拠(<証拠省略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(認定に特に用いた書証を文末に掲記した)。
ア 実栄証券と実栄労組は,平成13年1月11日,従業員に対する希望退職及び転籍に係る説明に先立ち,経営協議会を開催したが,その際,実栄証券側は,労働条件等については各子会社が決めることであるが,子会社へ転籍してしまえば終わりというわけでもなく,例えば,賃金が支払えないということになれば補填するなど,支援する意思はある旨発言した(<証拠省略>)。
イ 実栄証券は,同日,従業員に対し,希望退職者優遇措置要項及び転籍者優遇措置要項を公表して,希望退職及び転籍についての説明を行った。その際,実栄証券は,転籍後の給与について,1年目については現行の給与額を保障するが,2年目以降については,部長が年俸360万円(本俸月額30万円),リーダーが年俸300万円(本俸月額25万円),一般社員が年俸240万円(本俸月額20万円)とし,本俸の外に歩合給があるが,基本給の額については,基本的には「コンクリート」である旨説明した。
ウ 実栄証券と実栄労組は,同月19日,団体交渉を行ったが,その際,実栄労組側からの希望退職と転籍に差はない旨指摘があったのに対し,実栄証券側は,希望退職は,自分で職を探さなければならないが,転籍は,雇用を提供し,1年間の現行の賃金額を保障するものであって,異なる旨説明した(<証拠省略>)。
エ 実栄証券と実栄労組は,同月22日,2回目の団体交渉を行ったが,その際,実栄労組側から,転籍する者について,雇用の保障だけでなく,生活の保障もするよう要求があったのに対し,実栄証券側は,転籍者にも転籍割増金や転籍支度金を提示して,4,5年分の賃金を保障し,しかも1年間は現行の賃金額を保証しているので,その間にスキルを向上させ,自己の能力で賃金額の増額を図って欲しい旨発言した(<証拠省略>)。
オ 実栄証券と実栄労組は,同月26日,5回目の団体交渉を行ったが,その際,実栄労組側が,生活及び身分の保障と転籍先の労働条件,就業規則等についての変更を含めた協議を実栄証券で行うことを要求したのに対し,実栄証券側は,転籍先の労働条件・就業規則については,同年1月11日に説明したとおりであり,転籍後の労働条件・就業規則については,転籍先での協議になると回答した。また,実栄労組側からの20万円,25万円,30万円という2年目以降の給与は変更できないのかとの要求に対し,実栄証券側は,変えるか否かは転籍先の話であると回答した。(<証拠省略>)
カ 実栄証券と実栄労組は,同月26日,5回目の団体交渉を行ったが,その際,実栄労組側は,会社が提示した20万円の賃金額では生活していくことはできない旨発言した上,賃金額20万円について変更の可能性があるのかを問い質したが,実栄証券側は,それについては転籍先の話であると回答した(<証拠省略>)。
キ 実栄証券と実栄労組は,同月31日,6回目の団体交渉を行ったが,その際,実栄証券側は,実栄労組側に対し,同月11日に提示した条件についての変更はない旨発言し,また,実栄労組側から現行の賃金額を保障する年数の上積みを求められたのに対し,生活不安については,割増金等で対応しており,転籍先の20万円という賃金額も「鉄板」でなく,努力次第では,インセンティブもあり,増える可能性もある旨発言した(<証拠省略>)。
ク 実栄証券従業員のうち28名が,同年3月31日,希望退職したが,その中には,実栄労組の委員長及び副委員長を含め組合員約20名も含まれていた。
ケ 実栄証券と実栄労組及び全実栄労組が,平成13年1月31日付けないし同年2月8日付けで締結した「転籍者・希望退職者優遇措置等に関する協定書」における転籍者と希望退職者に対する金銭給付は,退職慰労金が同一で,転籍割増金と割増一時金が,呼称は異なるものの金額は同一であり,転籍支度金と特別加算金が,金額面でも差異があったが,その差額は,約1年分の賃金に相当する額において,希望退職者の特別加算金が転籍支度金よりも多いというものであった(<証拠省略>)。
(2) ところで,労働契約における賃金の額は,労働者と使用者の合意に基づいて定まるのが原則であり,最低賃金法による最低賃金の保障や労基法の割増賃金のように,当事者間で合意した賃金額を修正し,また,新たに賃金を請求できる旨規定する具体的な強行規定がない限り,当事者間の合意に基づかずに賃金額が定まることはない。この点,期間の定めのない雇用契約において,通常,合意された賃金額が継続して支払われるのは,明示的又は黙示的に賃金額の継続的な支給が約されているからにほかならず,これと異なる事情がある場合には,合意した賃金額が継続して支払われることにはなるものではない。例えば,年俸制において,年度ごとに年俸額が使用者の査定によって変動するとされていれば,当初合意した賃金額が継続して支払われることにはならない(なお,定年は,労働契約の期間の定めでなく,労働契約の終了事由に関する特殊な約定であり,それが延長されれば,新たな定年までの間,期間の定めのない労働契約が存続することになるもので,合意に基づかない賃金が発生するものではない)。
そこで,本件で問題となっている転籍後2年目以降の賃金額について,原告らと被告ブライト間における合意の成否及びその内容が問題となる。
ア(ア) 前記(1)によれば,実栄証券は,実栄証券従業員ないし実栄労組に対し,転籍後2年目以降の具体的な賃金額としては,一貫して,20万円ないし30万円であるとだけ説明し,実栄労組側も,それを前提に賃金額の増額を要求していたものであり,実栄証券が,転籍後2年目以降も実栄証券在籍時の賃金額を支払う旨の意思表示をしたことは,申込み又は承諾のいずれの形においても存しない。
(イ) この点,実栄証券は,20万円という賃金額の変更について,転籍先の話である,20万円という賃金額も「鉄板」でなく,努力次第では,インセンティブもあり,増える可能性もある旨発言しており,当該発言は,転籍後2年目以降の賃金額が20万円ないし30万円から変更される余地が有り得ることを示している。
(ウ) しかし,だからといって,当該発言が転籍後2年目以降の賃金額を実栄証券在籍時のものとするとの趣旨を含むと解するのは困難であり,実栄証券が転籍後2年目以降の賃金額として具体的に提示していたのは一貫して,20万円ないし30万円であったこと,転籍後1年間の実栄証券在籍時の賃金額保障を含めて考えた場合,転籍と希望退職の条件は,ほぼ同等であったところ,実栄証券従業員のうち28名が,転籍でなく希望退職を選択していることからすれば,実栄証券の前記発言の趣旨は,転籍後2年目以降の賃金額として保障されるのは20万円ないし30万円であって,そこからの増額は,被告ブライトにおける労使交渉の結果又は業績次第であるとの意味であったといわざるを得ない。
イ これに対し,転籍を選択した原告らにおいて,前記ア(イ)の実栄証券の発言を捉えて,転籍後2年目以降の賃金について,実栄証券在籍時の賃金額を前提とした労使交渉が行われることを期待した可能性がないわけでない。しかし,原告らがかかる期待を持ち,転籍に同意したとしても,被告ブライトから提示された条件がこれと異なることは,前記ア(ウ)のとおりであるから,原告らの期待に即した合意が成立したということはできず,錯誤か,意思表示の不一致が問題となるにすぎないのであって,原告らと実栄証券ひいては被告ブライトとの間において,転籍後2年目以降の賃金額を実栄証券在籍時のものとするとの合意があったということはできない。
ウ 以上によれば,原告らが,被告ブライトに対し,転籍後2年目以降の賃金について,実栄証券在籍時の賃金額を請求することはできない。本件においては,通常の期間の定めのない労働契約とは異なり,転籍後2年目以降の賃金額について,被告ブライトが20万円ないし30万円しか保障していなかったとの事由があるというべきであり,1年目の賃金額が当然に継続して支払われることにはならないといわざるを得ない。
エ なお,原告らは,実栄証券と実栄労組の交渉に立ち会ったE検査部長が,当該交渉における転籍後2年目以降の賃金額について,「組合が言うとおり決まっていなかった」とか「先送りの感が強い」と後日発言したと主張し,原告X1の外,証人Bも当該発言の存在を認める供述,証言をしているが,前記(1)で認定した経緯からすれば,当該発言は,実栄証券と実栄労組間で明確な合意が成立しなかったことを示すにすぎないというべきであり,原告らが,被告ブライトに対し,転籍後2年目以降の賃金として,実栄証券在籍時の賃金額を請求できる根拠とはならない。
(3) また,使用者は,労働契約締結に際して,労働者に対し,賃金・労働時間その他の労働条件を明示する義務があり(労基法15条),賃金については書面による明示が義務付けられている(同法施行規則5条)ところ,本件において,転籍後2年目以降の賃金額について,書面が作成されたことは認められない。しかし,そうだからといって,原告らと被告ブライト間で転籍後2年目以降の賃金額を実栄証券在籍時のものとするとの合意があったということができないのは,明らかである。
(4) よって,原告らは,被告ブライトとの間の新労働契約に基づく賃金請求としても,被告ブライトに対し,実栄証券在籍時の賃金額を転籍後2年目以降も請求することはできない。
4 争点(3)について
原告らは,被告実栄による転籍に当たっての欺罔行為という不法行為により,大幅な賃金減額という不利益を受け,被告らを相手方として被告ブライトの不誠実団体交渉,被告実栄の団体交渉拒否につき東京都労働委員会に不当労働行為救済を申し立てた外,被告ブライトに対して本訴を提起せざるを得なくなったとして,損害賠償を請求する。
しかし,転籍に当たっての欺罔行為という不法行為と不誠実団体交渉及び団体交渉拒否を理由とした不当労働行為救済申立てとの間に相当因果関係があるとは認められない上,原告らの被った損害の具体的な内容も明らかといえず(不当労働行為の救済により是正されるべき対象は,不誠実団体交渉及び団体交渉拒否であり,これらにより損害を被っていたのは,団体交渉の主体である労働組合である),その立証もない。
また,被告ブライトに対する本訴提起によって,原告らに損害が生じているとしても,原告らが本訴で請求しているのは,賃金という金銭債権であり,その不履行については,特段の事情のない限り,法定利率以上の損害賠償を求めることができないというべきであるところ(民法419条),本件において,法定利率以上の損害賠償を認めるべき特段の事情があるとは認められない。
よって,争点(3)に係る原告らの主張は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。
5 以上によれば,原告らの請求は,いずれも理由がない。
(裁判官 增永謙一郎)
当事者目録
原告 X1
(ほか25名)
上記26名訴訟代理人弁護士 水口洋介
同 菅俊治
被告 ブライト証券株式会社
上記代表者代表取締役 A
被告 株式会社実栄
上記代表者代表取締役 D
上記2名訴訟代理人弁護士 髙橋一郎
同 髙津幸一
以上