東京地方裁判所 平成15年(ワ)8744号 判決 2003年11月12日
原告
亡A遺言執行者
甲 野 一 郎
被告
乙 山 一 男
同訴訟代理人弁護士
洗 成
同
藤 田 吉 信
主文
1 原告の本件訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の請求
原告と被告との間において,別紙株式目録記載の株式が丙川花子に帰属することを確認する。
第2 事案の概要
1 本件は,亡Aの公正証書遺言(東京法務局所属公証人辰巳信夫作成の平成3年第897号遺言公正証書。以下「本件遺言」という。)によってその遺言執行者として指定されている原告(弁護士)が,本件遺言で丙川花子(亡Aの養子。以下「丙川」という。)に相続させると遺言されている千代田企業株式会社の株式(6万株。以下「本件株式」という。)のうち,別紙株式目録記載の株式(4000株。以下「本件4000株」という。)につき,その名義人となっている被告との間で,本件4000株が丙川に帰属することの確認を求めている事案である。
2 前提となる事実
本件訴訟は,原告が本件遺言の遺言執行者として提起したものであるが,被告において,本件訴えの適否それ自体を問題にしているところ,この点を含め,その判断の前提となる事実は,以下のとおりであって,いずれも当事者間に争いがない。
(1) 本件遺言の存在
Aは,本件遺言をしているが,平成13年9月21日に死亡した。
(2) 本件遺言の内容
本件遺言には,要旨,次の記載がある。
① 本件株式の処分
ア 遺言者は,その所有する全部の遺産を遺言者の子(養子)である丙川に相続させる。
イ 遺産のうち,主なものは,千代田企業株式会社の発行済み株式6万株,すなわち,本件株式である。
ウ 本件株式の株券は発行されていないが,株式名簿上の株主のうち,B名義の6000株,被告名義の4000株,C名義の2000株,D名義の1000株,E名義の1000株,F名義の1000株,G名義の1000株は,いずれも名義株であって,遺言者が所有するものである。
② 遺言執行者の指定
遺言者は,遺言執行者として,原告を指定する。
3 本件訴訟の争点
(1) 被告は,本件訴えの適否を問題にするが,その主張は,第1に,原告の遺言執行者としての職務は既に終了しているので,現在,遺言執行者ではない,第2に,本件遺言は,本件株式を丙川に相続させる旨の遺言であるが,このような遺言は,その効力の発生と同時に,遺産分割手続を要しないで,その対象となった遺産を相続人に取得させるものであるから,遺言執行の余地はなく,被告との間で被告名義の本件4000株の帰属をめぐって争いがあれば,丙川が被告との間で訴訟を提起すれば足り,原告が遺言執行者として本件訴訟を提起し得る当事者適格はない,第3に,仮に遺言執行の余地があるとしても,丙川は,本件4000株が「名義株」ではなく,被告が実際に所有している「実株式」であることを認めているから,遺言執行者にすぎない原告において,本件4000株が丙川に帰属することの確認を求める訴えの利益がないというのである。
(2) これに対し,原告は,第1に,遺言執行者としての職務の終了を争い,第2に,本件株式には,複数の名義株があるところ,その名義人と遺言執行者との間で争いが生ずる可能性があるが,名義人が,当該株式が名義株ではなく,実株式であると主張して,原告となって,その旨の確認を求める訴訟を提起するには,遺言執行者を被告とすべきものであるから,本件遺言はなお,遺言執行の余地がある,第3に,遺言執行者には,遺言者の生前の意思を死後に実現するという,いわば公的な義務が課せられているのであるから,原告には,被告名義の本件4000株が本件遺言にあるように「名義株」であることの確認を求める義務があるのに対し,丙川には,原告が遺言執行者として亡Aの遺産であることの確認を求めようとしている本件4000株がもともと被告の「実株式」であったとして,亡Aの遺産からこれを除外する権限はないので,丙川の対応のいかんによって,本件訴えに係る確認の利益が失われるべきものではないというのである。
第3 当裁判所の判断
1 本件遺言と遺言執行の要否
(1) 本件遺言は,本件株式を含め,亡Aの遺産の全部をその相続人である丙川に相続させる旨の遺言であるところ,遺言書において,特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言者の意思が表明されている場合,当該遺言は,遺言書の記載から,その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り,遺産の分割の方法として,特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させる方法を定めた遺言であるので,当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示に係らせたなどの特段の事情のない限り,何らの行為を要しないで,遺言の効力の生じた時に直ちに当該遺産が当該相続人に取得(相続により承継)されるところ(最高裁判所平成3年4月19日第二小法廷判決・民集45巻4号477頁参照),本件遺言についてみても,特段の事情は窺われない。
そして,当該相続人は,その場合における特定の遺産の取得につき,登記その他の対抗要件を具備する必要がなく,その権利を第三者に対抗することができるので(最高裁判所平成14年6月10日第二小法廷判決・裁判集民事206号445頁参照),特定の不動産を特定の相続人に相続させる旨の遺言により,当該相続人が遺言者の死亡と同時に相続により当該不動産の所有権を取得した場合においては,当該不動産を取得した相続人が単独でその旨の所有権移転登記手続を求めれば足り,その反面において,遺言執行者は,遺言の執行として,当該登記手続を行う義務を負うものではないし(最高裁判所平成7年1月24日第三小法廷判決・裁判集民事174号67頁参照),さらに,当該不動産の占有,管理についても,遺言書に当該不動産の管理及び相続人への引渡しを遺言執行者の職務とする旨の記載があるなどの特段の事情のない限り,遺言執行者は,当該不動産を管理する義務も,また,これを相続人に引き渡す義務も負うことはないところ(最高裁判所平成10年2月27日第二小法廷判決・民集52巻1号299頁参照),本件遺言についてみても,その対象は株式であるが,特段の事情は窺われない。
したがって,特定の遺産を特定の相続人に相続させる旨の遺言がされた場合には,当該相続人は,その遺言によって取得した遺産につき,自ら権利を保全するのに必要な行為をすることができるところ,これによって遺言書に表明された遺言者の意思は実現されることになるから,一般的にいって,遺言の執行を観念する余地はないというべきである。
(2) もっとも,特定の遺産を特定の相続人に相続させる旨の遺言がされた場合であっても,他の相続人ないし第三者が,相続開始後,当該遺産について被相続人から自己への所有権移転登記を経由するなどしているとき,あるいは,そもそも当該遺産の名義人が,被相続人ではなく,他の相続人ないし第三者であるときなどにおいては,当該遺産が遺言者である被相続人の所有であること,すなわち,その遺産であることを明らかにするために,他の相続人ないし第三者との間で,当該遺産に係る権利の帰属を確定する必要がないわけではない。
そして,その場合において,例えば,他の相続人ないし第三者が経由した所有権移転登記の抹消を訴求する必要があるときには,遺言執行者が,遺言の執行として,当該抹消登記手続を求める訴訟を提起し得ないというわけではなく,当該訴訟における遺言執行者の当事者適格が必ずしも否定されるものではない(最高裁判所平成11年12月16日第一小法廷判決・民集53巻9号1989頁参照)。
しかしながら,そのような場合においても,遺言執行者の権限・地位に鑑みれば,当該遺産を遺言によって取得することになる相続人と,当該遺産について所有権移転登記を経由するなどし,あるいは,その名義人となっている他の相続人ないし第三者との間で,当該遺産に係る権利の帰属をめぐって争いがないときなどにおいては,遺言執行者による遺言の執行を必要とする事態がそもそもないか,その事態は解消されているといわなければならないから,それにもかかわらず,遺言執行者において,遺言の執行を理由として,他の相続人ないし第三者との間で当該遺産の権利の帰属を確定する必要はなく,また,その理由もないといわなければならい。
(3) これを本件についてみると,本件遺言によって丙川に相続させると遺言されている本件株式には,いわゆる名義株が含まれていて,本件訴訟の対象となっている本件4000株も,亡Aではなく,被告の名義となっているので,一般的にいって,その名義を被告から丙川に移転するために遺言執行者として指定されている原告による処理(遺言の執行)が必要という余地もないわけではないが,弁論の全趣旨によれば,本件4000株の帰属をめぐって問題があっても,丙川と被告との間で既に解決されているように窺われるし,少なくともその問題解決のために遺言執行者による処理を必要としている事案ではないといわなければならないから,このような本件事案においては,原告が,本件遺言の遺言執行者として,被告との間で,本件4000株の帰属を確定する余地はないといわなければならない。
2 本件訴えと原告の当事者適格
以上説示したところによれば,原告が,本件株式のうち,被告名義となっている本件4000株につき,遺言執行者として,被告との間で,これが丙川に帰属していることの確認を求める本件訴えは,その当事者適格を欠く,不適法な訴えといわざるを得ない。
3 よって,本件訴えを却下することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判官・滝澤孝臣)
別紙株式目録<省略>