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東京地方裁判所 平成15年(行ウ)2号 判決 2004年5月14日

主文

一  被告が原告に対して平成14年3月13日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

一  事案の骨子

本件は、トルコ共和国(以下「トルコ」という。)の国籍を有する原告が、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項の規定に基づき、難民の認定を申請したところ、被告から難民の認定をしない旨の処分を受けたため、同処分が違法である旨主張して、その取消しを求める事案である。

二  関係法令の定め等

1(一)  入管法61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる。」と規定している。そして、入管法2条3号の2は、入管法における難民の意義を、「難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第1条の規定又は難民の地位に関する議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。」と規定している。

(二)  難民条約1条A(2)は、「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は、難民条約の適用上、「難民」という旨規定している。

(三)  難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条2は、難民議定書の適用上、「難民」とは、難民条約1条A(2)の規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。

(四)  したがって、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」は、入管法にいう「難民」に該当することとなる(以下、上記に規定する要件を「難民要件」ということがある。)。

2  入管法61条の2第2項は、「前項の申請は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない。ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない。」と規定している(以下、同条項に規定する要件を「60日要件」ということがある。)。

3  入管法61条の2第3項は、「法務大臣は、第1項の認定をしたときは、法務省令で定める手続により、当該外国人に対し、難民認定証明書を交付し、その認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する。」と規定している。

三  前提事実

本件の前提となる事実は、次のとおりである。いずれも、証拠、弁論の全趣旨等により容易に認めることのできる事実であるが、括弧内に認定根拠を付記している。

1  原告の身分事項について

原告は、昭和45年(1970年)○月○日、トルコのアディヤマンにおいて出生したトルコ国籍を有する外国人である(乙2)。

2  原告の入国状況及び在留状況について

(一) 原告は、平成8年(1996年)8月7日、トルコのアディヤマンにおいて、旅券の発給を受けた(乙2)。

(二) 原告は、平成8年10月4日、韓国の済州から大韓航空764便で名古屋空港に到着し、名古屋入国管理局名古屋空港出張所入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「Buis・ness Trip」(商用の意味と解される。)、日本滞在予定期間の欄に「ONE WEEK」(1週間)と記載して上陸申請をし、同入国審査官から、入管法別表第一に規定する在留資格「短期滞在」及び在留期間「90日」とする上陸許可の証印を受け、本邦に上陸した(乙1ないし3)。

(三) 原告は、平成8年10月28日、居住地を東京都港区α21番36号β#501として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同年11月22日、外国人登録証明書の交付を受けた(乙2ないし4)。

(四) 原告は、平成9年2月21日、在東京トルコ大使館において、有効期限を平成14年2月20日とする旅券の更新をした(乙2)。

(五) 原告は、平成10年5月27日、平成11年2月17日、同年7月30日、同年11月26日、平成12年4月28日、平成14年2月7日及び同年6月24日に、新居住地をそれぞれ、三重県亀山市γ1189-1、埼玉県蕨市δ9-12、岐阜県岐阜市ε68、埼玉県蕨市δ9-12、東京都足立区ζ2-11、埼玉県川口市η1123-4、東京都足立区ζ2-11として、居住地の変更登録申請をした(乙3)。

3  原告の難民認定手続について

(一) 原告は、平成9年10月7日、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)において1回目の難民認定申請(以下「第1回難民認定申請」という。)をした(乙5の1)。

(二) 被告は、平成11年7月9日、第1回難民認定申請について難民の認定をしない旨の処分をした(乙8の1)。

(三) 原告は、平成11年12月24日、第1回難民認定申請に係る上記不認定処分の告知を受ける以前に同申請を取り下げ、同日、2回目の難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした(乙3、8の2、9)。

(四) 被告は、平成14年3月13日、本件難民認定申請について難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分」という。)をし、同月18日、これを原告に通知した。その際、原告に交付された通知書の別紙(以下「旧理由書」という。)に記載された本件難民不認定処分の理由は、「あなたの『人種』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明されず、難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する『人種』及び『政治的意見』を理由として迫害を受けるおそれは認められないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」というものであった。(甲1、乙13の1)

4  本件難民不認定処分に対する不服申立て等について

(一) 原告は、被告に対し、平成14年3月18日、本件難民不認定処分について、異議の申出(以下「本件難民異議申出」という。)をした(乙14)。

(二) 難民調査官は、原告に対し、平成14年6月21日、旧理由書に代えて、改めて本件難民不認定処分の理由が記載された通知書の別紙(以下「新理由書」という。)を交付した。新理由書に記載された本件難民不認定処分の理由は、「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められません。」というものであった。(甲2、乙13の2)

(三) 被告は、平成14年9月30日、本件難民異議申出について、理由がない旨の決定(以下「本件異議決定」という。)をし、同年10月9日、これを原告に通知した。その通知書に記載された理由は、「あなたからの難民認定の申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないので、原処分に誤りはない。」というものであった。(甲3、乙17)

(四) 原告は、平成15年1月7日、本件難民不認定処分の取消しを求める本訴を提起した(当裁判所に顕著な事実)。

四  争点

1  原告が、本件難民不認定処分を受けた後、相当期間、真実の処分理由を通知されていなかったことが、本件難民不認定処分の取消事由に該当するか。また、取消事由に該当する場合、原告が、後日、本来の理由を付記した書面を受領したこと、あるいは、異議手続において、本来の処分理由に係る事情が審理の対象とされたことなどをもって、本件難民不認定処分が適法となったといえるか。

2  60日要件を満たしていないことを理由に難民の認定をしない旨の処分をし、被処分者に理由を付記した書面をもって通知する場合、60日の期間の起算点を明示する必要があるか。

3  原告は、難民要件を満たすか。

4  60日要件を規定する入管法61条の2第2項は、難民条約に反するか。

5  原告は、入管法61条の2第2項かっこ書にいう「本邦にある間に難民となる事由が生じた者」に該当するか。

五  争点に関する当事者の主張の要旨

1  争点1について

(一) 原告の主張

(1) 旧理由書における理由付記について瑕疵が存するか否かという点と、被告が内心において有していた処分理由が正当か否かという点は、区別して検討すべきである。

被告が、60日要件を満たしていないことを理由に、本件難民不認定処分を行ったのであれば、その処分理由を旧理由書に記載すべきである。それにもかかわらず、旧理由書には、記載すべき理由が全く記載されていなかったのであるから、本件難民不認定処分は、形式上瑕疵がある。通常においてさえ理由付記は不十分であるのに、理由付記に瑕疵があれば、処分の相手方として、十分な不服理由を主張することができないという不利益は更に大きくなる。

旧理由書は理由を欠くものであるから、違法であり、本件難民不認定処分は取消しを免れない。

(2) ①前記理由付記の瑕疵の事後的な治癒を認めるとすれば、処分そのものの慎重・合理性を確保するという理由付記制度の目的に沿わないこと、②前記瑕疵のため、被処分者は、異議手続において、十分な不服理由を主張することができないという不利益を被ったこと、③異議手続において、本来の処分理由を付記した新理由書を交付したことをもって、瑕疵が治癒されるとすれば、被処分者は、異議を申し立てたことによって、不利益を被ることになり、異議申立手続による原処分の不利益変更を禁止する行政不服審査法47条3項の趣旨に反することからすると、本件難民不認定処分の理由付記の瑕疵は、異議手続中の新理由書の交付によっては治癒されないというべきである。

(3) 原告は、新理由書を交付された後、異議手続において、処分理由が変更されたことについて、手続的に瑕疵がある旨指摘した。そうであれば、異議手続においては、本件難民不認定処分の理由付記の瑕疵を新たな異議事由として審理対象に加えるべきであった。

ところが、異議手続において、この点について何ら審理された形跡はなく、また本件異議決定においても、理由付記の瑕疵の存否につき何ら理由が示されていない。異議手続における難民調査官が、60日要件を満たしていないことを本件難民不認定処分の処分理由として審理したことをもってしては、何ら前記瑕疵が治癒されたことにならない。

(4) また、新理由書の交付は、以下のとおり、ずさんであり、瑕疵の治癒を認めることは許されないというべきである。

ア 新理由書は、異議手続中に、原処分を担当した難民調査官によって交付されたものである。そもそも、処分理由を事後的にであっても伝えることができるのは、処分権者である被告であって、難民調査官ではない。しかるに、新理由書の交付が被告の意思に基づくものかどうかも不明である上、難民調査官は、難民認定手続の第一次段階が終了した後に、法令の根拠なく、新理由書を交付しており、許されない越権行為というべきである。難民調査官によるこのような書面の交付は何ら法的効力を有しないというべきである。このような行為によって瑕疵の治癒を認めることは、処分そのものの慎重・合理性を確保する理由付記制度の目的とは、到底相いれないというべきである。

イ 理由書が当時の被告の意思によって作成された被告作成名義のものであることは、本件難民不認定処分の理由の告知として最低限の前提である。ところが、新理由書は、作成名義がなく、書面上、だれによって作成されたかが不明である。また、通常、通知書と理由書は、契印によって書面としての一体性が認められ、それゆえ理由書が被告作成名義のものと認められるが、新理由書には、契印が存在しない。

(二) 被告の主張

(1) 難民の認定をしない旨の処分は、60日要件の不充足を理由とする場合でも、難民要件の不充足を理由とする場合であっても、一つの同じ処分である。申請拒否処分における取消原因は、申請拒否要件がないにもかかわらず申請拒否処分を行ったということであるから、難民の認定をしない旨の処分の場合には、原告が、①60日要件を遵守し、かつ、②難民要件を充足することが明らかであったにもかかわらず、被告が難民の認定をしない旨の処分を行ったことが取消原因となる。

(2) 本件難民認定申請は、60日要件を満たしていないのみならず、難民要件を満たしていないことも明らかであった。両方の申請拒否要件が認められる場合、60日要件の不充足のみを難民の認定をしない旨の処分の処分理由とすることが、当時の入管実務の慣例であったため、本件難民不認定処分も、60日要件の不充足のみを処分理由とするものであった。

ところが、本件難民異議申出の後、原告に対する面接を実施する前に、事務手続上の誤りにより旧理由書に難民要件の不充足を処分理由とする旨記載されていたことが判明したため、本来の処分理由である60日要件の不充足を記載した新理由書を改めて原告に交付し、訂正を行った。これは、本来の処分理由を正しく通知するためにされたものにすぎず、事務処理上の過誤の訂正を超えるものではなく、何ら恣意性は介在しない。

したがって、本件難民不認定処分の処分理由としては、一貫して60日要件の不充足であったことには変わりはないのであり、理由自体が変更され、あるいは補充されたわけでもないのであるから、これによって本件難民不認定処分が違法となることはあり得ない。仮に瑕疵が存するとしても、実質的な誤りにまで及ぶものではなく、事務処理上の過誤にすぎないのであるから、その瑕疵は重大ではない。また、被告自らが、原告に対し、新理由書を交付しなかったからといって、それによって本件難民不認定処分が違法となることも考えられない。

(3) また、仮に、本件における事務処理上の過誤が本件難民不認定処分の瑕疵に当たるとしても、その過誤は、以下のとおり、原告に実質的な不利益を与えることなく訂正され、その瑕疵が治癒されている。

ア 本件難民認定申請についてみれば、入管法61条の2第2項本文所定の申請期間経過後の申請であることは明らかであるものの、同項ただし書所定のやむを得ない事情の有無や、同項かっこ書所定の事由が審理の対象とされた。また、難民調査官は、原告との面接の際に、60日要件と難民要件に係る事情のいずれをも聴取している。

イ 原告は、通訳人を介して、難民調査官から、新理由書の交付に係る経緯について説明を受け、60日要件を満たしていないとの処分理由についての不服は、異議手続において主張するように説明されてこれを承知した上で、新理由書を受領した。したがって、原告が本件難民不認定処分の本来の処分理由を正しく了知したことは明らかである。

ウ 後日、本件難民異議申出の審査手続が開始され、難民調査官は、面接を行うに当たり、通訳人を介して、原告に対し、本件難民不認定処分の処分理由が60日要件の不充足である旨を読み聞かせた上で、不服の理由について聴取を始めており、同処分理由に係る事情が審理の対象とされることは確認されている。原告は、処分理由に対する十分な不服申立てができないなど手続自体に支障がある旨や、その他何らかの具体的不利益を被った旨を申し立てておらず、そのような不利益が原告について生じた事実は認められない。

エ 難民調査官は、原告に対し、異議手続の面接において、本件難民認定申請をした理由、難民となる事情が生じた日、難民認定申請が遅延したことについてのやむを得ない事情の有無、入管法61条の2第2項かっこ書にいう「本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日」などといった60日要件の不充足に係る事情のほかに、本国において原告が体験したとする迫害の状況、家族に対する迫害の状況や理由、親族の逮捕・勾留の状況、原告の本国・本邦それぞれにおける政治的活動の内容や状況など、原告の難民該当性に係る事情についても聴取している。さらに原告に対し、自由に申し立てる機会を与え、申立てを尽くさせている。

オ したがって、本件難民不認定処分が60日要件の不充足又は難民要件の不充足のいずれを理由とするものであっても、難民調査官はそのいずれをも聴取して審査し、原告は申立てを尽くしているのであるから、原告に実質的な不利益が生じたとはいえない。

2  争点2について

(一) 原告の主張

(1) 一般に、法律が行政処分に理由を付すべきものとしている趣旨は、①処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制すること、及び②処分の理由を相手方に知らせて不服の申立ての便宜を与えることにある(最高裁判所昭和38年5月31日第二小法廷判決・民集17巻4号617頁参照)。そして、要求される理由付記の程度については、一般的には、処分の性質と理由付記を命じた各法律の趣旨、目的に照らしてこれを決定すべきである(同第二小法廷判決参照)が、具体的には、特段の理由のない限り、いかなる事実関係に基づき、いかなる法規を適用して当該処分がされたのかを、処分の相手方においてその記載自体から了知し得るものでなければならず、単に抽象的に処分の根拠規定を示すだけでは、それによって当該規定の適用の原因となった具体的事実関係をも当然に知り得るような例外的な場合を除いては、法の要求する付記としては十分でないといわなければならない(最高裁判所昭和49年4月25日第一小法廷判決・民集28巻3号405頁参照)。

本件において、原告は、「本邦にある間に難民となる事由が生じた」のであり、「その事実を知った日」から60日以内に申請したと主張しているのであるから、被告が、60日要件を満たしていないとして、難民の認定をしない旨の処分をする場合には、60日の起算点がいつであると認定したのか、なぜそのように判断したのかを具体的に摘示する必要がある。

(2)ア 本件において、新理由書においては、「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められません。」と記載されているのみである。これでは、本件難民不認定処分が、入管法61条の2の規定に基づいてされたという適用条文が一応分かるだけであり、それ以外の処分に係る具体的理由や事実関係は一切不明である。

イ 60日要件の適用の基礎となった事実関係のうち最も基本となるのが起算点である。そして、入管法61条の2第2項には、「本邦に上陸した日」を起算点とする場合と、「本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にあっては、その事実を知った日」を起算点とする場合の2種類の起算点が設定されている。ところが、新理由書における記載では、上記のうち、いずれによって不認定とされたのか全く明らかではない。すなわち、新理由書からは、処分の根拠規定すら、正確には認識し得ない。

ウ そうすると、新理由書における理由の記載は、その程度が、法の要求する程度に達しておらず、理由付記の不備があったことは明らかである。このような記載では、原告は、異議手続において、何を主張立証すればいいのか、全く判断することができない。十分に不服の理由を述べることは不可能である。

(二) 被告の主張

(1) 一般に、法律が行政処分に理由の付記を要求している趣旨は、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の申立てに便宜を与える趣旨に出たものであり、理由付記に当たり、どの程度の記載をすべきかは、処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきものであるとされている。

そして、単に根拠規定を示すだけでも、それによって当該規定の適用の基礎となった事実関係をも当然知り得るような場合、つまり、法律の条文を示すだけで当該規定の適用の原因となった具体的事実関係がおのずと明らかになるという場合には、単に根拠規定を示すだけでも、処分庁の恣意が抑制され、申請者に対して不服申立てについての便宜が図られるので、理由付記の程度としては、十分である。

(2) これを本件難民不認定処分に係る新理由書について見てみると、その記載から、本件難民認定申請が、原告が本邦に上陸した日から60日を経過した後にされたものであって、その点についてやむを得ない事情も認められないと判断されたことが明らかになっており、この判断は、当然、入管法61条の2第2項かっこ書所定の後発事由も認められなかったことを前提とするものであって、判断の基礎となった事実関係も明らかとなっているということができる。そこには行政庁の恣意性が問題となる余地はないから、本件難民不認定処分に付された理由は十分なものであり、これをもって違法ということはできない。付記されるべき理由として何ら不明確な部分はない。

3  争点3について

(一) 原告の主張

(1) トルコの一般状況

ア トルコにおけるクルド人の人権状況

トルコには、少数民族である推定1000万人以上のクルド民族が居住している。トルコにおいては、単一的国民国家であることを強調する憲法の下、クルド民族の存在そのものを否定する政策が採られており、クルド民族の独立や自治の主張をすることはもとより、クルド民族文化の独自性を主張することすら、国家の統一を破壊する行為として、反テロリズム法により、適正手続保障のないまま罰せられている状況にある。

そして、クルド民族の権利を擁護する活動者とみなされると、真実そうであるかにかかわらず、断続的な拘束と拷問を経験することになる。

イ クルド人迫害の広範性と迫害の主体

トルコにおいて迫害を受けたクルド人の具体的事例は多数あるが、政府の暴挙を報道するジャーナリズムに対しても、拉致、拷問といった攻撃が加えられることがあり、トルコにおける迫害の実態を正確に把握することは困難である。

しかし、以下のような、多様な迫害の事実を記載した新聞報道が存在する。すなわち、①被拘禁者に地雷の仕掛けられた地面を歩かせるという拷問が加えられた事件、②クルド人の村に対し爆撃が加えられ、子供までもが死亡した事件、③合法政党であるクルド人民民主主義党への支持を表明したクルド人の村への送電を憲兵が遮断した事件、④ゲリラであることを疑われて捉えられた者が、拷問を加えられた痕と見られる多数の傷跡を残して死体として発見された事件、⑤クルド人の被拘禁者が拘禁中に尿を飲まされた事件、⑥クルド人の村に人糞を撒き散らしたことが人権侵害に当たるとして、ヨーロッパ人権委員会が、トルコ政府に対し、国家賠償を命じた事件等が報道されている。これらの報道から、トルコにおいて、クルド人に対する様々な迫害が常態化していた実情を窺い知ることができる。

拷問の主体は、主として軍、警察又は憲兵であるが、日常は民間人と同じ職業を持って働いているように見えながら、実際には、政府の指示のもとに、情報収集や、暗殺等の任務を果たす機関とその構成員も、クルド人への弾圧行為を行うことがある。

ウ 件数及び広がり

クルド民間活動家が暗殺されるという事件が発生し始めたのは、1980年代後半からであり、これまでにこうした暗殺によって命を落とした被害者数は、一説によれば1000人にも達すると言われている。また、村の焼き討ちによって住宅を失い平穏な生活を破壊されたクルド人被害者は200万人にも上ると推定されている。焼き討ちで家を初めとする全財産を失ったクルド人は、憲兵隊の命令で多くは強制疎開をさせられ、荒廃した土地の粗末な仮設住居で暮らすことを堪え忍んでいる。また、こうした村の焼き討ちの際、村民への弾圧の一手段として憲兵隊が村民を無差別的に銃撃するケースも多い。一説によると、平成4年(1992年)前半、南東部の各地で銃殺された村民の数は数百人を数え、平成8年(1996年)までにこうした無差別的狙撃によって死亡した被害者の数は1000人を超える。

さらに上記以外にも多くの迫害が様々な態様において行われている。

(ア) 暴力的尋問

迫害の態様として最も一般的かつ広範囲に行われているのは、一切のデュープロセスを無視した強制的かつ暴力的尋問である。軍や警察、憲兵の民間人への尋問は、多くの場合、突然の住居への乱入や有無をいわさぬ殴打、暴行によって始まる。尋問を受ける側には何の理由があってこのような仕打ちを受けるのか知らされないまま、突如として様々な尋問を受け、時には銃口を向けられた抑圧状況の下で尋問が行われる。また緊急性が皆無の場合であっても夜中に乱入を受けるといった事態は頻繁に発生し、平穏な生活は全く期待することができない。

(イ) 逮捕、拘禁、拷問

尋問に対する答えが満足のいくものでないと被害者は自宅から連れ去られ、身柄を何日も拘束されて更に厳しい尋問を受ける。こうした身柄拘束中には、尋問側はその望む答えを得るため、しばしば激しい殴打や様々な身体的苦痛を与える拷問を行う。

被害者からの訴えを受け、ヨーロッパ拷問防止委員会などの国際機関が実際に調査団をトルコに派遣し、警察の留置場などを調査した。同委員会は、平成8年(1996年)12月の委員会報告において、電気ショックをかけるために使用する革ひものついたベルトや、腕を宙づりする道具などの存在を確認したと述べている。

また、イスタンブール警察本部のテロ対策部門に拘留されていた人々を調査する中で、靴底で蹴られたことによる打撲、手の甲への強打、腕を宙づりにされた痕などの拷問の痕跡が残っていることを実際に確認している。

さらに、ヨーロッパ評議会のヨーロッパ人権委員会も、平成7年(1995年)10月、あるクルド人シンパである被害者の申立てに基づいて証拠を精査した結果、同被害者が、平成4年(1992年)11月当時、マルディン警察本部の反テロ部局で殴打及び性器への電気ショックを受けたことを認定した。被害者の申し立てた拷問の手口は、全裸にされて殴打される、後ろ手でしばって両腕からつるされる、高圧の冷水を噴射される、性的な暴行を加えられる、口、四肢、性器などに電気ショックを与えられるなどの過酷なものであり、こうした拷問を受けた被害者の数は、昭和55年(1980年)以来約25万人に上るといわれている。

拷問の被害者の多くは反テロリズム法によって拘禁された人々であるが、それは同法が長期間の隔離拘禁を可能としている上、弁護士との接見も制限していることや、テロ犯罪防止の名の下に行われる職務については、どのような行為であっても懲役刑を免除していること(同法15条)等が大きな理由であると理解されている。

(ウ) 拘禁中の死亡、行方不明

逮捕・拘禁・尋問中の拷問の過程で、拷問が余りに熾烈を究めたために被拘禁者が死亡するケースも少なくない。ある報告によれば、平成3年(1991年)から平成8年(1996年)までの5年間に少なくとも93人が拘禁中に死亡したとのことである。また拘禁後行方が分からず、連絡も一切途絶え、生死の確認の取れないケースも平成3年(1991年)以後徐々に増加し、平成7年(1995年)までに累計で100件以上のケースが報告されている。生死不明となった者のほとんどは、政治活動の経験のないクルド人村民で、憲兵隊などにより、クルド労働者党(以下「PKK」という。)のメンバーに食料を与えたり、かくまったという疑いで拘禁された人々である。平成6年(1994年)7月に憲兵隊の焼き討ちにあったクルド人の村の村長は、拘禁されて肋骨が折れる拷問を受けた後、村の焼け跡に戻ったところ、兵士たちにヘリコプターで連れ去られ、以後消息不明となった。このような行方不明事例が年々増え続ける事態を憂慮し、国連の強制的失踪に関するワーキンググループは、平成6年(1994年)、トルコで強制的失踪の件数が次第に増えており、その報告件数が世界で一番多いことを公表した。

(エ) 国際的非難

国連拷問禁止委員会が、平成5年(1993年)11月に、ヨーロッパ拷問防止委員会が、平成8年(1996年)12月に、それぞれ報告又は声明の中で、トルコ政府に対し、拷問を一掃するための勧告を行うなど、国際組織、国際社会は、トルコにおける上記のような現状を批判、抗議し続けている。

エ イスラム教アレヴィー派クルド人について

アレヴィー派は、イスラム教シーア派の分派である。アレヴィー派は、①スンニー派宗教指導者の場合とは対照的に、政府にアレヴィー派の宗教指導者がいない、②宗教的な指導を行う講義において、アレヴィー派の教義や信仰が加えられていない、③アレヴィー派は宗教的な観点から捉えられていないなど、多数派であるスンニー派から、一般に社会的な差別を受けている状況にある。また、トルコ政府は、アレヴィー派のクルド人らは左翼グループと関係しており、過去にはアレヴィー派の教徒らが、宗教組織として、また政治思想の両方において、主流とは異なった認識をもって、左翼グループを支持した証拠があるなどと主張している。トルコでは、1990年代において、アレヴィー派の教徒に対しての虐殺といえる深刻な攻撃が起こっている。

(2) 原告個人の事情

ア 原告は、小学校において、教師から、クルド語で会話することを禁止された。

クルド語を話す者は皆、教師に耳を掴まれ、つるし上げられた。

イ 原告の生まれたアディヤマンのθ村の人口は、当時約1500人であったが、軍隊が村人を村から出て行くように強制したため、現在約150人に減少している。

ウ 原告は、村で、食料提供等、できる限りの支援をクルド人のゲリラに対して行った。ハジ・ベクタシュという協会に、皆から金を集めて寄付をした。

エ 原告は、平成2年(1990年)から平成4年(1992年)までの間、兵役に服した。訓練を受けているとき、原告が、アレヴィー派クルド人であるために、部隊の指揮官である将校が、原告を殴って口と鼻を血まみれにさせ、ブーツで足を打った。また、7日間の禁錮刑を受けた。原告は、クルド人でアレヴィー派であるために、軍隊における階級をもらうことができなかった。さらに、原告は、最も辛い仕事を与えられた。その仕事で苛酷な労働をさせられたために、原告は、ヘルニアになった。原告は、そのため手術を受けたが、その後、休暇中であるにもかかわらず、原告がアレヴィー派クルド人であるために、兵役に従事させられた。

オ 原告は、弟であるP1と共に、イスタンブールで政治集会等のビラを配布した。このため、2日間捕まって刑事から大きなホースで冷水を浴びせられたり、プラスチックの棒で殴打されるなどの拷問を受けた。

カ 原告は、地方の道路建設の仕事に従事した際も、当局から脅迫を受け、PKKやこれを支援する人々について密告せよと強いられた。脅迫は激化し、殴打され、この脅迫を口外すれば殺害すると言われた。

キ 原告の来日後も、当局は、原告の家族に対し、原告の情報を聞いている。

ク 原告は、来日後も、ネブルズ祭に参加するなど、クルド民族意識に基づく活動を行っている。

(3) 以上のとおり、原告は、トルコ国内、日本国内を問わず、クルド人であることの民族意識と、クルド民族の権利を擁護する意見に基づく行動をとってきたことによって、迫害を受けるおそれがあり、しかも、そのおそれは、原告がアレヴィー派に属していることによって増大している。したがって、原告は、難民要件を充足する。

(二) 被告の主張

(1) トルコにおけるクルド人について

クルド民族とは、主にトルコ、イラク、イランにまたがる地域に居住し、クルド語を母語とする民族であるとされている。トルコ国内には推定1000万人以上ものクルド系住民が居住していると言われている。トルコ社会が、民主的なクルド人文化を受容しており、クルド人がトルコ国内において民族的出自のみを理由に不利益な取扱いを受けることがないことは、以下の事情からも明らかである。

ア クルド語の解禁

平成3年(1991年)春には、トルコ国内においてクルド語を使用することを禁止する根拠となっていた法律が廃止され、それ以来、トルコ国内の市場にはクルド語の出版物や音楽著作物が合法的に流通している。さらには、ラジオ、テレビ放送においても、クルド語による放送が一定の範囲内で事実上認められるようになり、クルド語による放送の合法化の是非も議論され、総理大臣、外務大臣、副首相及び情報部の長も、これを支持するなどの状況に至った。

イ トルコの民主化と憲法改正

トルコでは、1970年代にテロが多発して治安が悪化し、エウレン国軍参謀総長が率いる軍部が昭和55年(1980年)9月に無血軍事クーデターを敢行した。昭和57年(1982年)に制定されたトルコ憲法は、その影響下で策定されたものであり、国家治安の維持を重視した内容であった。

しかし、1990年代の初頭から治安の安定とともに、トルコ社会における民主化の勢いは急速に進んでおり、そのような社会情勢の変化を受けて昭和62年(1987年)、平成5年(1993年)、平成7年(1995年)、平成11年(1999年)(2回)、平成13年(2001年)と頻繁に憲法改正がされている。

その背景には、トルコの欧州連合加盟問題があり、トルコ政府は、同年3月、欧州連合加盟に向けた国家プログラムを発表し、終局的には欧州連合諸国と同等となる法社会体制の実現に向けた改革を進めている。同年10月の憲法改正では、法律で禁止された言語の使用禁止条項が削除されるなど、思想、信条、表現の自由が、憲法上より明確に保障されるように改められた。平成14年(2002年)8月3日には、クルド語の教育や放送を解禁する法案を含む14改革法案が、トルコ国会において一括可決されるに至った。

ウ クルド系住民の社会進出

英国内務省移民局のトルコの国内情勢に係る報告書は、国内におけるクルド人が、しばしばトルコ人と異民族間結婚していること、トルコの議員及び他の政府高官の25パーセントは民族的にクルド人の血筋を受け継いでいること、前副総理大臣兼CHP会長ヒクメット・チェティンや前大統領トルグト・オザルも、クルド人の血統を持っていることを報告している。英国内務省移民局の報告と同様に、米国国務省や国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)の報告も、トルコにおけるクルド系トルコ人がクルド人であることのみを理由に迫害を受けるおそれがあるとは認められない旨を報告している。

エ 先進各国における動向

英国内務省移民局の報告書は、庇護申請が認められなかったトルコ人庇護希望者をトルコに送還しても、トルコの政府は、海外で庇護申請したトルコ国民の圧倒的大多数が純粋に経済的理由でそのような申請をしたものと認識しており、送還者が投獄されることもない旨報告している。また、英国の控訴審裁判所も、平成12年(2000年)1月28日、クルド民族の出身者であり、渡航文書を所持せず、かつ兵役忌避者である庇護申請者に係る裁判において、近時のトルコの国内状況を考慮し、当該人物に庇護を与える必要がないとして、その訴えを棄却する判決を言い渡している。現在では、ドイツ、フィンランド、オーストリア、デンマーク、ノルウェー、フランス、スイス及びスウェーデンといったヨーロッパの大多数の国が、トルコ人庇護希望者をトルコに送還しているとの報告もされているほか、多数のPKK戦闘員が逃れたとされるイラク北部からも、UNHCRの支援により、トルコ国民の自発的なトルコヘの帰還が促進されており、この類型の送還者に対しても帰国後に迫害等がされなかったことが報告されている。

オ 本邦におけるクルド人の動向

(ア) クルド人一般に対してトルコ政府による迫害の危険性があるということが真実であるのならば、難民申請をした者が自ら申請を取り下げるなどして帰国することはあり得ないことである。ところが、本邦においてクルド人であることを理由に難民申請をしていたトルコ人が自主的に難民申請を取り下げ、帰国している例が少なからずある。それらの者は、取下げの理由として、①トルコにおいてそもそも迫害を受けた事実はないこと、②日本において仕事が見つからなくなったこと、③トルコの社会情勢として、クルド人が迫害を受けていることはないこと、④トルコの社会情勢が変化し、帰国しても迫害を受けるおそれがないことなどを挙げている。これらは、トルコ政府によるクルド人の迫害のおそれは存在せず、不法就労目的の偽装難民が横行していることをうかがわせるものである。

(イ) 以前に本邦からトルコに向けて退去強制された経歴を有し、再度来日した上、難民認定申請をした者の中には、送還後本国において迫害を受けた旨供述したものの、自らの申立てに係る迫害事実があったとされる時期に第三国にいたことが立証され、結局当該供述が虚偽であったことを自認した者や、以前我が国で2回にわたり難民の認定をしない旨の処分を受けて帰国していながら、トルコで新たに旅券を取得して正規の手続で出国し、渡航目的を偽って再び本邦への渡航を試みた例もある。

(ウ) 英国では、多数のトルコ人庇護希望者が逮捕状等の偽造文書を提出したことがあるほか、トルコの地方の新聞が捏造記事の出版を請け負い、このような記事が、庇護申請との関係で提出されたことが報告されている。本邦においても、偽造手配書を行使の上、難民認定申請した不法残留トルコ人に係る報道がされている。

(2) PKKについて

ア PKKとは、昭和49年(1974年)に、クルド系トルコ人を主体に設立され、その後、現在に至るまでトルコ国内においてゲリラ戦やテロ活動を行っている反政府武装集団である。PKKは、アムネスティ・インターナショナルの報告書においても、無差別又は恣意的な殺人をしているとして非難されている。トルコにおいては、PKKが武装闘争を開始した昭和59年(1984年)以来、治安部隊とPKKとの戦闘やテロ行為により、市民を含め3万人に上る犠牲者が出ているといわれている。また、平成4年(1992年)2月に、PKKのオジャラン党首が逮捕された際にも、イスタンブール及びトルコ南東部において、放火や無差別的爆弾テロ事件が散発的に発生し、トルコ国外においても、欧州各国やロシア、カナダ等において、同党首の支持者らが、トルコ、イスラエル及びギリシャの大使館・領事館及びその他の公的機関に乱入し又は一時占拠するなど、過激な抗議行動を起こしている。平成9年(1997年)には、少なくとも130人の非武装の市民が、PKKによって殺害されたとされている。

イ 上記のようなPKKやPKK支援者の活動状況からすれば、トルコ治安当局が、同国内外におけるPKKの活動を警戒し、これについて調査を行うことはその責務であって、そのような調査が行われたり、あるいは警察当局から何らかの取調べ等を受けたとしても、それは難民条約上の迫害ということはできない。

ウ その一方で、トルコ政府は、平成12年(2000年)12月21日、PKK等の非合法組織の支援者については、恩赦による釈放を認めるなど、柔軟な対応を示している。PKKの単なる支援者にすぎなければ、処罰を受けることもなくなっていることは、PKK党首オジャランらの家族が拘束を受けることもなく生活し、活発な政治的活動をしていると報告されていることからも明らかである。

(3) 原告の主張に対する反論

ア 原告の主張は、その内容自体、断片的かつ抽象的であり、客観的な裏付けもないものであって、にわかに信用し難いものである。例えば、原告は、イスタンブールで政治集会のビラを配布したところ、警察当局者に逮捕され、2日間拘束の上、拷問された旨主張するが、その一方で、原告は、平成11年5月18日に行われた難民調査官の調査の際には、トルコにおいて逮捕、拘留されたことがない旨明言していた。

イ 原告は、本邦に入国後、本国において迫害を受けた者として庇護を求めることも、難民として保護を求めるための方策や手続についての情報を収集しようと努めたこともないまま、全国各地を転々として不法就労活動に専心し、少なくとも合計2万米ドルを本国の家族に送金するなどしていたものである。このような事情や、クルド人がトルコ国内において民族的出自のみを理由に不利益な取扱いを受けることがないこと、原告自身、平成4年(1992年)から来日直前までトルコの建設省道路局に勤務していたというのであることからすると、原告の来日の目的は、迫害から逃れるためではなく、不法就労活動に従事することであるというほかない。

したがって、原告は、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」者とは到底認め難いものである。

ウ アレヴィー派であることを理由として、トルコ政府から迫害を受けるおそれがあるといった事情は何らうかがわれない。英国内務省移民局の報告書によれば、トルコ人の中にもアレヴィー派イスラム教徒がいること、トルコ人と同様に、クルド人もスンニー派イスラム教徒とアレヴィー派イスラム教徒の二つの宗教グループに分かれていること、スンニー派は総クルド人口の85パーセントを形成し、アレヴィー派は少数の15パーセントを形成していること、両派の関係は一般に良好であること、アレヴィー派の教徒が彼らの宗教的信念のためトルコ政府により迫害されるという証拠は全くないことなどが報告されている。平成14年(2002年)4月に新たに更新された同報告書によれば、近年、アレヴィー派コミュニティ内の組織の程度は増大し、平成7年(1995年)にアレヴィー派の財団が設立されたが、同財団の出版物や活動について、政府からどのような問題も反対も提起された経験がなかったことが報告されている。

エ 原告は、P1が本国で雑誌の編集長をしており、同人が発行する雑誌が反政府的内容であるとして訴追され、その後有罪判決がされた旨主張するが、かかる原告の主張を立証する客観的資料は、何も提出されておらず、その真偽は不明である。

しかも、原告は、難民認定手続においては、P1が逮捕、訴追されたなどということは一切申述していなかったのであり、原告の親兄弟のうちには逮捕された者はいなかったことからすれば、P1が逮捕、訴追され、有罪判決を受けたという主張は、にわかには信用し難い。たとえ仮に、そのような事実があったとしても、そもそも、原告の主張によれば、P1は、月刊誌の編集者としての職務を理由に起訴された旨であり、他方、原告自身は、当該月刊誌の出版に関係したわけでもなく、その責任者としての地位にあったわけでもないのであるから、原告についてまで逮捕される可能性があるということはできない。

また、原告は、原告がP1と共にイスタンブールで政治的活動をし、P1に対する判決には原告の行動も影響していた旨主張するが、難民認定手続における原告の供述によれば、原告がイスタンブールにいたのは兵役中の15か月間であり、かえって、原告は、トルコにおいても日本においても、公の場で政治的意見を表明・公表したり、そのための行動はとったことがない旨述べている。したがって、かかる供述からは、原告が本国において特段の政治的活動をしていた事実は到底うかがわれない。

オ ネブルズ祭に参加したことを理由に迫害を受けるおそれがないことについては、原告自身も認めるところである。また、原告は、日本において公の場で政治的意見を表明・公表したり、そのための行動をとったことがない旨述べているのであるから、日本における活動を理由に迫害のおそれが存するとは到底いえるものではない。

また、アムネスティ・インターナショナルのデモに参加することが、反政府活動家としてトルコ政府に把握され、注意されるような活動であるとは考え難い。在日トルコ大使館にも、在日トルコ人のデモ集会の監視活動をするような職責者は存在せず、そのような監視活動をしている事実はないこと、海外における行為については、基本的に当該国の国内法において対応すべき問題であって、外国においてデモをしたトルコ人がそのことを理由に帰国後処罰されることはないことなどが報告されている。

4  争点4について

(一) 原告の主張

難民条約の締結国は、同条約上の難民について難民条約の定めに従った取扱いをすべき義務を有する。ところが、入管法61条の2第2項は、たとえ難民要件を満たす者であっても、所定の期間内に難民認定申請をしなかった者は、難民要件を満たすか否かを審査することなく、我が国において難民として取り扱わない効果をもたらすものである。これは、我が国においては、難民のうち一定の要件を満たす者は難民として取り扱わないと定めているに等しい。入管法61条の2第2項は、難民該当性の要件について、難民条約には存在しない要件を独自に定めたものであって、締結国に認められた裁量権を逸脱するものとして、難民条約に違反するものといわざるを得ない。

(二) 被告の主張

(1) 難民条約及び難民議定書は、難民の定義及び締結国が執るべき保護措置の概要についての規定を設けているものの、難民認定手続については特段の定めを設けておらず、各締約国の立法裁量にゆだねられている。したがって、難民条約の締約国は、各国の実情に応じた難民認定手続を定めることができる。

(2) 入管法61条の2第2項が申請期間の制限を設けているのは、申請者が真に難民条約上の難民であるならば、迫害の恐怖から逃れるために一刻も早く他国の庇護を求めようとするのが通常である上に、認定者の側にとっても、入国後長期間経過後に難民認定申請がされると、入国当時の事実関係を把握することが困難となり、適正かつ公正な認定を行うことができなくなるおそれもあることが考慮されたものである。このような同項の趣旨に照らすと、入管法が定める難民の認定の申請期間の制限には合理的な理由があるというべきである。

(3) また、同項が定める60日という期間についても、我が国の国土面積、交通、通信機関、入国管理官署の所在地等の地理的、社会的実情に照らして十分な期間というべきである。その上、60日の申請期間の経過に「やむを得ない事情」がある場合には、期間制限を適用せずに難民性の有無を判断することとして、個別に救済が図られているのである。

(4) したがって、難民申請について原則として60日の期間制限を設けている入管法61条の2第2項は、合理的な立法裁量に基づいて定められたものであり、難民条約、難民議定書に反するという余地はない。

5  争点5について

(一) 原告の主張

(1) 仮に、入管法61条の2第2項が有効であるとしても、①難民という地位は、継続的なものであって、申請に期限を付することに合理性が認められないこと、②迫害のおそれは、本国の状況に左右されるものであるという実態にかんがみると、申請期限を厳格に解すべきではないこと、③新たな事情ないし新たな証拠の入手があった場合に、申請期限の経過によって申請者を不利益に扱うべき合理的理由はないこと、④難民条約等の趣旨にかんがみると、60日要件の不充足を理由に、難民の認定をしない旨の処分をする場合を限定する必要があることなどからすれば、同項かっこ書にいう「本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日」とは、従前難民である事由があったか否かにかかわらず、ある事情の認識、ある証拠の入手等といった新たな事由を契機にして、従来から有していた迫害のおそれを再認識した場合や、迫害のおそれが増大した場合など、迫害を受けるおそれがあるという恐怖を新たにして、難民認定申請をしたことに合理的理由があり、入国後速やかに難民としての庇護を求めなかったとしても必ずしも難民でないことを事実上推認させるものではない場合を広く含むと解するのが相当である。上陸時から迫害のおそれを有していたことをもって、難民への該当性が否定されるものではない。

(2)ア トルコ政府当局は、日本におけるクルド人の政治活動及び組織について調査している。また、トルコ政府は、日本におけるトルコ国籍のクルド人の難民認定申請に対して深い関心を有し、申請をした者の動向を注視し、情報収集を行っている。トルコの治安当局は、日本におけるクルド人難民申請者らを、日本におけるPKKのメンバーないし支援者と考えており、しかも、その送金活動までも把握している。そして、トルコの治安当局は、難民の認定を申請した者たちが、PKK組織の名で組織的な会合を用意し、これらの会合において、PKK組織の宣伝をし、金を集めて組織の人物に送っているという嫌疑を掛けている。

イ 原告は、来日後、トルコ国籍のクルド人が開催した毎年3月21日に開かれるネブルズ祭に参加した。日本で開催されたネブルズ祭は、クルド民族の文化とアイデンティティを明確にするものであり、さらに、クルド亡命議会からのメッセージが紹介されたり、PKKへの賛意が示されるなどする政治的集会でもある。原告は日本におけるクルド民族運動の中心人物の一人であったから、トルコ当局からPKKの一員という嫌疑を掛けられている可能性が十分にある。そして、日本におけるクルド民族運動に参加した原告自身に関する諸事実も知られている可能性が十分にある。原告は、テレビ、新聞によって、その難民申請が報道されている者であって、トルコ大使館が、原告の動向を注視し、情報収集を行っている可能性は極めて高い。

ウ トルコ国籍のクルド人であるP2及びP3は、日本における庇護を断念し、トルコに帰国したところ、平成11年(1999年)10月25日、軍によって連行され、逮捕されたことが、同月29日の報道によって判明した。さらに、後日、P2及びP3(以下「P2ら」という。)が日本におけるクルド人組織と活動について尋問され、日本から資金を援助していたことなどの日本における活動を理由に同月31日に勾留され、裁判が開始されたことが判明した。

エ P2らの逮捕によって、日本で同様にクルド民族意識に基づく活動をしているクルド人達は、迫害を受けるおそれについての恐怖を新たにしている。原告は、ネブルズ祭等の政治的な、ないしはクルド民族のアンデンティティを鮮明にする行動に参加したのであるから、改めて迫害のおそれを抱かせるに十分であった。

オ したがって、原告が、P2らがトルコで軍に連行されて、逮捕され、日本におけるクルド人組織と活動について尋問された上、日本から資金を援助したことなどの日本における活動を理由に勾留され、裁判が開始されたという事実を知ったことは、「本邦にある間に難民となる事由が生じた」ことに該当する。

(二) 被告の主張

(1) 以下のとおり、P2らの逮捕を理由として、原告が入管法61条の2第2項かっこ書にいう「本邦にある間に難民となる事由が生じた者」に当たるということにはならないというべきである。

(2) P2らは、平成11年(1999年)10月26日にトルコ国内で逮捕された後、起訴されたが、アダナ国家公安裁判所は、平成12年(2000年)3月7日、P2らが日本国から資金を集めて、これを非合法テロリスト組織であるPKKに投入したことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、P2らが告発されたことは、P2らと当時の村長およびP2らを告発した者との間に存在する私的な対立にその端を発しているものであると認められるとして、P2らを含む被告人ら全員につき無罪の判決を言い渡した。

P2らが、クルド人であることのみを理由に逮捕、起訴されたわけでないことは、上記無罪判決の判示からも明らかであるから、結局、P2らが逮捕されたことをもって、原告が「本邦にある間に難民となる事由が生じた者」に当たるということはできない。

(3) 平成11年12月22日、27人のトルコ国籍者がP2らが逮捕されたことを理由として難民認定申請を行い、同年24日、原告を含む4名のトルコ国籍者が同様の難民認定申請を行った。

しかし、原告は、P2らがいかなる理由で逮捕されたのかなど逮捕の前提となった事実関係や逮捕状況などの具体的な事情を全く承知しないまま、本件難民認定申請をするに至ったにすぎず、もともとP2らと親交があったわけでもなく、また、原告自身は、本邦においてクルド人団体に資金援助をしたこともなかった。

そうすると、原告は、P2らの逮捕とはかかわりなく、集団的難民認定申請にいわば便乗した者にすぎないのであって、P2らの帰国後の状況について、同人らの逮捕、訴追事実のみをことさら強調し、これを自らの迫害のおそれとして主張しているにすぎないというべきである。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1について

1  前記前提事実に加え、証拠(甲1ないし3、乙3、9、11、12、13の1及び2、14、15の8、16、17、74)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件難民不認定処分の経緯について、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は、平成11年12月24日、本件難民認定申請をした。

(二) 東京入管難民調査官P4は、平成12年2月29日及び同年3月3日に、通訳人を介して、原告から供述を聴取した。

(三) 東京入管永住・難民審査部門(現難民調査部門)入国審査官P5は、平成14年3月11日、法務省入国管理局総務課難民認定室職員から、近日中に、原告からの難民認定申請に対する処分が行われる旨の連絡を受けたため、同日、原告に対し、同月18日午前10時に東京入管に出頭するように要請する出頭通知書を発送した。

(四)(1) 被告は、平成14年3月13日、原告の本件難民認定申請について、入管法61条の2第2項所定の期間を経過してされたものであり、かつ、申請遅延の申立ては、同項ただし書の規定を適用すべき事情とは認められないことを理由として、難民の認定をしない旨の処分をした。

(2) これを受けて、法務省入国管理局総務課難民認定室法務事務官P6は、出入国管理及び難民認定法施行規則(以下「入管規則」という。)55条6項に基づき、入管規則別記第76号様式により、平成14年3月13日付け518号として、理由を「別紙」のとおりと記載した本件難民不認定処分の通知書(以下「本件通知書」という。)及びその「別紙」として、「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められません。」と記載された理由書を作成した。

(3) しかし、平成14年3月13日、本件難民不認定処分に係る書類が法務省入国管理局から東京入管に送付される段階で、他の難民認定申請者に対する処分の通知書に添付されるべきであった「あなたの『人種』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明されず、難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する『人種』及び『政治的意見』を理由として迫害を受けるおそれは認められないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」と記載された理由書(これが旧理由書である。)が、誤って原告に対する本件難民不認定処分の理由書として添付されて、送付されてしまった。

(4) 原告は、平成14年3月18日、東京入管永住・難民審査部門に出頭した。P5は、原告に対し、同日、通訳人を介して、本件難民不認定処分の告知を行い、原告に旧理由書の添付された本件通知書を交付した上、受領を証するため、本件通知書の控えに、原告の署名を徴した。P5は、原告に対し、入管法61条の2の4に基づく異議手続について教示したところ、原告は、クルド人を難民と認めないのは日本だけである旨発言し、異議の申出の意思を示したので、P5は、原告に対し、異議申出書の用紙を手渡した。

(五) 原告は、被告に対し、平成14年3月18日、東京入管審判部門において、本件難民異議申出をした。

(六)(1) 平成14年6月3日、本件難民異議申出に係る手続を担当していた東京入管審判部門難民調査官P7から、法務省入国管理局総務課難民認定室法務事務官P8に対し、原告に対する本件難民不認定処分については、入管法61条の2第2項所定の申請期間を経過し、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情もないことを理由とするものであったと思われるところ、原告に対して、「あなたの『人種』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明されず、難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する『人種』及び『政治的意見』を理由として迫害を受けるおそれは認められないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」と記載された理由書が交付されている旨の連絡があった。

(2) そこで、同難民認定室において調査したところ、原告に対する本件通知書添付の理由書には、本来であれば、「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められません。」と記載されているはずであったにもかかわらず、誤って、本件通知書に、他の難民認定申請者に対する処分の通知書に添付されるべきであった前記内容の旧理由書が添付されたために、上記の本来の記載がされていないことが判明した。

(3) P8は、上司である法務省入国管理局総務課難民認定室長P9等に対し、平成14年6月3日、上記の状況を報告し、同室内で検討したところ、原告に対しては、本来通知すべきであった理由を記載した理由書を交付すべきであるとの結論に達した。

(4) そこで、P8は、東京入管永住・難民審査部門難民調査官P10に対し、平成14年6月3日、原告に対する本件通知書添付の別紙に本来記載されるべきであった正しい内容を記載した新理由書を送付し、これを従前の別紙(旧理由書)と差し替えて、原告に交付するよう指示した。

(5) そこで、P10は、原告に対し、平成14年6月17日、同月21日午後1時30分に東京入管へ出頭するように要請する出頭通知書を発送した。

(6) 原告は、平成14年6月21日、東京入管永住・難民審査部門に出頭した。P10は、原告に対し、通訳人を介して、出頭を要請した理由を説明し、以前に交付した本件通知書添付の別紙である旧理由書を回収するとともに、新たな別紙として、新理由書の差し替え交付を行った。改めて交付された別紙である新理由書に記載された理由は、「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められません。」というものであり、本件難民不認定処分の真実の理由が記載されていた。その際、原告が、期間経過であるとの理由は納得することができない旨申し立てたため、P10は、異議手続において主張するようにと説明、説得したところ、原告は、新理由書の控えに、受領を証する署名をした。

(七)(1) P7は、平成14年6月25日、本件難民異議申出に関し、通訳人を介して、原告の供述を聴取した。その際、原告は、期間経過という差し替え後の理由は納得することができない、また、差し替え前の「人種」、「政治的意見」に関する理由も納得することができない旨供述した。

(2) その後実施された異議手続における面接では、難民調査官は、原告に対して本件難民不認定処分の理由として、60日要件の不充足を読み聞かせた上で、同処分理由に係る事情を審理の対象として、これを調査した。これに対し、原告は、処分理由が60日要件の不充足であっても、難民要件の不充足であっても、本件難民不認定処分が誤りである旨不服を申し立てたほか、難民調査官に対し、英文で作成した抗議文書を提出した。原告は、同文書中において、本件難民不認定処分の理由を3か月後に変更したことはクルド人に対する政治的ゲームである旨批判した。

(八) 被告は、平成14年9月30日、本件難民異議申出について、理由がない旨の本件異議決定をし、同年10月9日、これを原告に通知した。

2(一)  本件における理由付記の不備の問題について判断する前提として、まず、難民の認定をしない旨の処分をした際、被処分者に対し、理由を付記した書面をもって通知しなかった場合、これが同処分の取消事由に当たるか否かについて検討する。

(二)  難民の認定の申請について、①60日要件が遵守され、かつ、②難民要件を充足することが認められるときに、難民の認定をしない旨の処分を行えば、これが入管法に反する違法な処分であることは明らかであるから、被告の主張するように、このような事実が同処分の取消原因となるのは当然である。しかし、そうであるからといって、難民の認定をしない旨の処分の取消原因がこれのみに限定されるわけではない。一般に、行政処分の被処分者の権利ないし法的地位を実質的に保護するという観点からも、実体法的規律の他に、手続法的規律が定められているのであるから、そのような手続法的規定に違反した場合にも、処分の取消事由となる場合があり得るというべきである。

(三)  難民の認定をしない旨の処分についても、入管法61条の2第3項は、

「法務大臣は、第1項の・・・・(中略)・・・・認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する。」と規定して、手続法的な規律を図っている。同条項は、難民の認定の申請に対する処分結果は、申請人の権利ないし法的地位に深刻な影響を及ぼし得る重要なものであるから、これを書面により通知することとしたものと解される。そして、難民の認定をしない旨の処分をした場合に、「理由を付した書面」をもって申請人に通知することを定めているのは、同処分をした理由を明確にすることによって、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、被処分者に理由を明確に知らせることにより、同処分に不服がある被処分者が入管法61条の2の4所定の異議の申出をする際の参考に供するためであると解される。なお、入管法61条の2第3項の規定を受けて、入管規則55条6項は、難民の認定をしない旨の通知は通知書(入管規則別記第76号様式)によって行う旨定めており、この通知書の中で難民の認定をしないこととした理由が示されることとなっている。

(四)  このような入管法61条の2第3項等の定めや、その趣旨に照らすと、同項は、単なる訓示規定ではないと解すべきであり、難民の認定をしない旨の処分について、理由を付記した書面をもって被処分者への通知がされていない場合には、そのこと自体が処分の違法事由となり得るものであって、独立の取消原因たり得ると解するのが相当である。

3(一)  次に本件について検討するに、前記認定事実のとおり、被告は、本件難民不認定処分につき、真実の処分理由が、60日要件を満たしていないというものであるにもかかわらず、難民要件を満たしていないとの理由のみを記載した旧通知書をもって原告に処分理由を通知するという誤りを犯している。

(二)(1)  そこで、この誤りの意義について検討するに、入管法61条の2第3項が規定している書面をもって通知すべき「理由」とは、法務大臣が、難民の認定をしない旨の処分をするに至った最終的な根拠を指すものであることは明らかである。

なお、難民の認定を申請した者が、60日要件、難民要件の双方を満たしていない場合には、入管法上、難民の認定をしない旨の処分をするとき、60日要件を満たしていないことを根拠にすることも、難民要件を満たしていないことを根拠にすることも可能であるから、この場合に、どちらを処分の理由とするか、あるいはその双方を処分理由にするかは、被告の判断するところにゆだねられているということになる。そして、法務大臣が、そのうちのいずれの理由、あるいは、両方の理由に基づいて、難民の認定をしない旨の処分を行ったのかは、確定させる必要があり、その確定された理由を処分の最終的な根拠として被処分者に通知する必要があるというべきである。

(2) 被告は、入管実務の運用として、60日要件を満たさず、しかも難民要件も満たしていない場合には、60日要件の不充足のみを処分理由とするのが当時の慣例であり、本件もそれに従って、難民の認定をしない旨の処分をした旨主張する。しかし、そうであるとしても、被告は、同処分の最終的な根拠として、60日要件の不充足を選択したのであるから、その旨を書面をもって原告に通知しなければならないというべきである。処分権者が、被処分者に対し、真実の処分理由を正確に通知しなければならないということは、難民の認定をしない旨の処分の要件が複数あることや、入管実務の運用いかんによって左右されるものではない。

(三)(1)  そうすると、本件においては、本件難民不認定処分を原告に通知する際に、本来、書面をもって60日要件の不充足という理由を明示しなければならないにもかかわらず、かかる理由は原告に全く通知されておらず、これとは性質・内容が大きく異なる難民要件の不充足という理由が通知されてしまったのであるから、前記(二)で検討した難民の認定をしない旨の処分を行う際に理由が示されていない場合と同視することができる。

(2) そして、前記のとおり、難民の認定をしない旨の処分の理由の通知制度は、処分の理由を明確にすることによって処分権者の判断の慎重・合理性を担保するとともに、被処分者に処分の理由を明示することによって、不服申立ての便宜を与える目的を有するのであるから、本件のように、真実の処分理由が全く通知されておらず、さらに別な理由が通知されている場合には、処分権者の判断の慎重・合理性を図ることにはならない上、処分の理由が全く示されていない場合以上に、被処分者による、不服申立てをするか否かの判断とその手続及び準備に多大な支障が生じ得るというべきである。

(3) これらによれば、本件における本件通知書添付の別紙の取り違えによる真実の処分理由の不通知と誤った処分理由の通知は、難民の認定をしない旨の処分に関する手続的規定の一つである入管法61条の2第3項に明らかに違反するものであって、この手続的瑕疵は、極めて重大であるというべきである。そして、前記認定事実に照らすと、この瑕疵は被告の単なる事務上の過誤によって生じたものであり、原告には何ら責められるべき点もないことが認められる。

そうすると、本件の手続的瑕疵は、本件難民不認定処分の取消事由に当たるというべきである。

(四)  これに対し、被告は、原告に旧理由書を交付したのは、単なる事務手続上の過誤にすぎず、瑕疵が軽微である旨主張する。

しかし、難民の認定をしない旨の処分の理由の通知制度は、被処分者の権利ないし法的地位を保護するために存在しているのであるから、当該通知書を読む被処分者を基準として、処分庁から通知されるべき理由が正確に通知されたか否かを検討し、瑕疵の有無、程度を決定すべきである。そうすると、正しい処分理由が通知されなかった原因が事務手続上の過誤によるものであるか否かとか、処分庁側の落ち度が大きいか小さいかなどといった処分庁側の事情によって、瑕疵の程度が判断されるべきものではない。被処分者にとってみれば、行政庁の事務手続上の過誤であっても、真実の処分理由が告知されなかったことには違いはないのであり、その瑕疵の生じた経緯や理由によって、利害の状況が変わるものではない。

したがって、事務手続上の単純な過誤にすぎないから、瑕疵が軽微であるという被告の主張は、採用することができない。

4  最後に、本件では、具体的事情の下において、瑕疵の治癒を認めることができるか否かを検討することとする。

(一)(1) 前記認定事実のとおり、原告は、後日、真実の理由を記載した新理由書を受け取っているので、これをもって処分理由の通知の追完ないしは通知に関する瑕疵の治癒がされたといえるか否かが問題となる。

(2) 難民の認定をしない旨の処分の理由の通知制度は、前記のとおり、被処分者の権利ないし法的地位を保護するための制度であるから、処分理由の通知に瑕疵がある場合であっても、異議申立てがされる前に処分理由が通知され、あるいはその誤りが速やかに訂正され、被処分者に不利益も生じていないとみられる場合などには、処分理由の通知の追完ないしは瑕疵の治癒を認め得るときもあると考えられる。

しかし、被処分者に対し、本来通知しなければならない処分理由を長期間にわたって通知していない場合には、入管法61条の2第3項の文言及び趣旨に照らして、通知の追完を許す余地はない上、その瑕疵は重大であり、その治癒を認めるには、相当慎重でなければならないというべきである。

(3) これを本件についてみると、前記認定事実によれば、原告が、真実の処分理由を通知されたのは、本件難民不認定処分を告知され、その理由として旧理由書を受け取ってから、3か月以上も経過するに至ってからである。しかも、既に本件難民異議申出がされた上、その申出がされてから3か月以上経過した後であり、異議手続担当の難民調査官による原告の供述の聴取がされる4日前のことであるということになる。

そうすると、原告は、異議の申出をするか否かの判断を真実の処分理由を知らされないまま行ってしまった上、処分を受けてから、3か月以上もの間、真実の処分理由を通知されず、別な処分理由を前提として、本件難民異議申出の手続ないしその準備をしていたということになる。そして、難民の認定をしない旨の処分を受けた者が、自らの言い分を難民調査官に伝えることは、異議手続において、極めて重要な手続を構成するが、本件では、原告は、難民調査官から事情を聴取される4日前に真実の処分理由を通知されたのであるから、事情聴取に臨むに当たって、準備のための期間が余りにも短期間であったと評価することができる。

(4) 以上のような事実関係に照らすと、本件において、本件通知書添付の別紙を差し替えることによって、処分理由の通知が追完されたとか、処分理由の通知の瑕疵が治癒されたと認めることは、既に述べた難民の認定をしない旨の処分の理由の通知制度の趣旨、特に不服申立ての便宜に供するという趣旨に大きく反することは明らかである。そうすると、原告が、後日、理由書の差し替えの経緯について説明を受けた上、新理由書を受け取り、その控えに署名しているからといって、処分理由の通知に関し、追完がされたことにも、瑕疵が治癒されたことにもならないというべきである。

(二)(1) 次に、異議手続において、60日要件を満たしていないという本来の処分理由について審査が行われたことによって、処分理由の通知に関する瑕疵が治癒されたか否かについて検討する。

(2) 確かに、60日要件を満たしていないとの理由で難民の認定をしない旨の処分をした場合、その理由が被処分者に通知されていないとしても、現に、異議の申出がされ、その異議手続において改めて60日要件の充足の有無について審理がされているのであれば、結局、被処分者に具体的な不利益は生じていないのではないかという疑問も生じ得るところである。また、このような場合に、異議手続において難民要件を欠くことを理由として異議を棄却することも許されるのであるから(入管規則58条2項)、何らかの処分理由は明示されるべきであるとしても、処分理由を正確に通知すること自体にどれほどの意味があるのかなどといった考慮もあり得なくはない。このような考え方を重視するならば、異議手続における被告及び原告の対応等を理由として、処分理由の通知に関する瑕疵が治癒されたとする見解も、考えられなくはない。

(3) しかし、上記のように安易に瑕疵の治癒を認める見解は、処分理由を明確にすることにより、処分権者に慎重・合理的な判断を求めるとともに、被処分者の不服申立ての便宜を図るという難民の認定をしない旨の処分の理由の通知制度の重要性を看過するものであり、採用することができない。また、難民の認定をしない旨の処分をした場合における異議手続は、かかる被処分者の利益の保護のためのものであるから、その異議手続において慎重に審理されたからなどという理由で、当該処分の瑕疵の治癒を認めることは、本末転倒というべきである。しかも、既に判示したとおり、原告は、異議手続において事情を聴取される4日前に真実の処分理由を告知されたものであり、それまで3か月以上も、別な処分理由を前提として、本件難民異議申出をした上、その手続ないし準備を進めていたというのである。これらを考慮すると、難民調査官が、原告から事情を聴取するに当たって、本件難民不認定処分の理由が60日違反である旨を読み聞かせており、真実の処分理由に係る事情が審理の対象とされているなどの事情が存するとしても、これらにより、入管法61条の2第3項違反という手続的瑕疵が治癒されたということはできない。

(三) その他、本件において、処分理由の通知に関し、追完ないし瑕疵の治癒がされていると認めるに足りる証拠は存在せず、追完ないし瑕疵の治癒を認めることはできない。

5  以上によれば、本件難民不認定処分は、その原告に対する通知に当たって、真実の処分理由が明らかにされず、別の処分理由が通知されており、この処分理由の通知に関する瑕疵は、入管法61条の2第3項に違反する重大な手続的瑕疵であるから、違法な処分として、取り消されるべきである。

二  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は、理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅野博之 裁判官 内野俊夫 裁判官 本村洋平)

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