東京地方裁判所 平成15年(行ウ)365号 判決 2004年11月30日
原告 甲
原告訴訟代理人弁護士 服部弘
同 田辺一男
同 菅原万里子
被告 本所税務署長 小林昇
被告指定代理人 兼田加奈子
同 中村久仁子
同 松元弘文
同 櫻井和彦
同 北野繁
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
原告の平成11年分贈与税について、被告が平成12年12月26日付けでした贈与税の決定処分(ただし、平成15年8月7日付け再更正処分による一部取消後のもの)、及び重加算税の賦課決定処分(ただし、平成15年3月25日審査裁決及び同年8月7日付け変更決定処分による各一部取消後のもの)をいずれも取り消す。
第2 事案の概要
本件は、マンション購入のために金融機関から借り入れた借入金について、知人から代位弁済を受けたことにより経済的利益を供与されたとして、被告から贈与税の決定処分及び重加算税の賦課決定処分を受けた原告が、当該金員は贈与されたものではなく、すでに知人に返済済みである旨主張して、上記各処分の取消を求めた事案である。
1 前提事実(認定した事実には証拠を掲げる。)
(1) 当事者
ア 原告は昭和43年生まれの女性であり、看護師として働いている。
イ 乙(以下「乙」という。)は、原告の知人であり、自動車のリースと販売等を業とする株式会社Hの代表取締役である(乙20)。
(2) 本件マンションの売買契約及び本件消費貸借契約の経緯
ア 原告は、平成9年6月27日、株式会社Aから、東京都墨田区業平のマンション「B」502号室(以下「本件マンション」という。)を売買代金3698万円で購入する旨の売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し、残代金2968万円は平成10年3月30日までに支払う旨約して、同社に対し手付け金として730万円を支払った(乙6)。
イ 原告は、平成10年3月23日、C信用金庫(現C信用金庫。以下同じ。)(日暮里支店)との間で、借入金額を3000万円、利息年1.8パーセント(毎月末日に翌月分を前払い)、返済期限を平成12年3月31日とする消費貸借契約を締結した(以下「本件消費貸借契約」という。乙10。)。
乙は、同日、C信用金庫(日暮里支店)との間で、本件消費貸借契約に係る原告の債務について、連帯保証した(乙10)。
原告及び乙は、本件消費貸借契約に際し、乙名義のC信用金庫(日暮里支店)に対する定期預金3口合計3000万円(平成9年12月26日に預け入れられた700万円、平成10年3月12日に預け入れられた2100万円及び同月18日に預け入れられた200万円)を担保として差し入れた(乙11ないし14)。
ウ 原告は、平成10年3月24日、本件消費貸借契約の融資金を使って本件売買契約の残代金2968万円を株式会社Aに支払い(乙7)、同年5月15日、本件マンションについて、原告名義の所有権保存登記がなされた(乙8)。なお、本件マンションに本件消費貸借契約に係るC信用金庫の担保権は設定されていない。
原告は、本件消費貸借契約の締結に際してC信用金庫に原告名義の口座を開設し、当該口座を利用して、平成11年9月に本件消費貸借契約が一括返済されるまでの間、月額約4万円の利息の支払いを行っていた(乙15)。
エ 乙は、平成11年9月10日、上記定期預金3口を解約し、本件消費貸借契約の借入金3000万円から前払利息2万6301円を控除した残債務2997万3699円を完済し(以下「本件弁済」という。)、繰上返済によって原告が負担すべき手数料3150円を支払った(乙18の1から6。)。
(3) 本件決定処分等の経緯
ア 被告は、平成12年12月26日、本件弁済によって乙から原告に経済的利益が付与されたとして、課税価格を3000万円及び納付すべき税額を1374万円とする原告の平成11年分の贈与税の決定処分(以下「本件決定処分」という。)及び重加算税の額を549万6000円とする賦課決定処分(以下「本件賦課決定処分」という。)を行った。
イ 原告は、平成13年2月22日、本件決定処分及び本件賦課決定処分について異議申立を行ったが、同年5月22日、棄却決定を受けた。
ウ 原告は、上記棄却決定を不服として、平成13年6月22日、審査請求を行ったところ、本件賦課決定処分のうち、重加算税相当分(343万5000円)を取り消し、その余は棄却する旨の裁決がなされた(乙3)。
エ 原告は、平成15年6月13日、本訴を提起した。
オ 被告は、平成15年8月7日、本件決定処分について、取得した財産の価額を2997万6849円(本件消費貸借契約の借入金額3000万円から原告.が支払った前払利息2万6301円を控除し、乙が負担した繰上返済手数料3150円を加算した額)とし、贈与税額を1万4400円減額する旨の再更正処分を行い、無申告加算税額を3000円減額する変更決定処分を行った(乙1、2)。
2 争点
相続税法8条は、対価を支払わないで、又は著しく低い価額の対価で債務の免除、引受け又は第三者のためにする債務の弁済による利益を受けた場合においては、当該債務の免除、引受け又は弁済があった時において、債務の免除等による利益を受けた者が、その債務の免除等にかかる債務の金額を、債務の免除等をした者から、贈与によって取得したものとみなされることを定めている。
本件の争点は、乙による本件弁済が上記規定にいうみなし贈与に該当するかどうかであり、この点に関する当事者双方の主張は以下のとおりである。
3 争点についての被告の主張
乙が本件弁済を行ったことは明らかであるところ、乙に対して本件弁済に係る金員を返済したとの原告の主張は虚偽であり、本件弁済は、原告と愛人関係にあった乙が、当初から原告に対して求償権を行使する意思なく行ったものであるか、本件弁済後間もなく乙が原告に対して求償権を放棄したものであり、いずれにせよ原告に対する経済的利益の供与に当たる。したがって、このことを前提としてされた本件決定処分等は適法である。
その理由は以下のとおりである。
(1) 返済の原資
ア 原告は、看護師として勤務し、通常の給与を得ていたにすぎないものであるから、この収入によって3000万円もの原資を用意することは不可能である。
イ 原告の供述のうち、夜のアルバイトによる収入については、原告の供述や陳述書の記載以外に何ら証拠はなく、勤務の実体があったかどうか疑わしい。
ウ 原告が丙(以下「丙」という。)から受領したとする現金については、原告作成とされる日記(甲2)は、作成年月日が明確ではなく、100万円、1000万円を受領したことを明確に記載した部分もない。現金の写真(甲1)については、写真を撮る動機が合理的ではないし、原告は上記写真を引っ越し直後に本件マンションの窓のない和室で撮影したと供述するが、写真の畳は焼けており、一部すり切れている部分も見えるなど、到底引っ越したばかりの頃に撮影されたものと認めることはできない。
エ 以上のとおり、原告の収入、資産に照らし、原告が3000万円もの現金を保有して乙に返済することができたと認めることはできない。
(2) 本件消費貸借契約の経緯
ア 原告は、本件マンションの手付金730万円については、原告の預金を解約して用意したと供述するが、自宅に3000万円もの現金を保管していたにもかかわらず、売買契約締結の際に必要となる手付金を自己の預金を解約して用意したとするのは不自然である。
イ 乙は、丙から心配要らないと聞かされ、丙が原告の債務を保証することを約束されていたと供述するが、乙は、丙と原告との関係をはっきり確認したわけではないにもかかわらず、丙に支払を保証する旨の書面を書いてもらったわけでもなく、原告が本当に現金を保管しているかどうかを確認することもないまま、3000万円という巨額の借入金について保証し、担保を提供したというのであり、このような供述は、会社を経営する経済人の行動として非常識、非現実的であって、信用することができない。
(3) 本件弁済の経緯
ア 乙は、丙の死亡によって不安が生じたと供述しつつも、後に原告から現金で返済してもらうことになっていたため、便宜上自己の定期預金を解約して本件弁済を行ったにすぎない旨供述するが、最終的に原告の負担で支払うことになるのであれば、初めから原告の保有する3000万円を支払いに充てればよく、乙において自己の定期預金を解約して弁済し、後日原告から返済を受けるといった迂遠な方法をとることは不自然である。
イ また、乙は、丙の名前を出せない事情があったと供述しているにもかかわらず、丁(以下「丁」という。)に対しては、丙の名前を出し、丙が原告に渡した現金で一括返済を受ける予定である旨を話したと供述しており、矛盾している。丁は、金融機関に勤務する者でありながら、原告が現金を保有していることを聞かされていたにもかかわらず、その現金で返済することを勧めることはせず、協力預金であったとする乙名義の定期預金が解約されるにまかせるなど、その行動は不合理である。
ウ なお、原告は、看護師として多忙であり弁済をしに行く暇がなかった旨供述するが、原告は、本件弁済当時はIに勤務し、平日に所用があれば休暇を取ることもできたのであるから、仕事のために都合がつかなかったとする原告の供述は事実に反する。
さらに、乙は、平成11年頃、自宅兼事務所の建替えを計画していた旨供述するが、本件弁済の時点で直ちに建築費用が必要とされる状況にあったとは認められないから、平成11年9月10日に弁済しなければならなかった理由はなく、いずれにしても自己名義の定期預金を解約して本件弁済に充てたことは不合理である。
エ 原告が乙に3000万円を返済したことについては、領収書等は提出されておらず、何らの裏付けもない。乙は、原告から返済を受けたのと引き換えに本件消費貸借契約書類一式を原告に交付したと供述するが、実際に交付したのは返済を受けた日ではなく、その後であると述べており、乙が本件消費貸借契約書類一式が原告に対して重要な意味を持つものと認識していたと認めることはできない。
なお、乙が、原告が乙に対し3000万円を弁済したとする同日に、猿滑の床柱購入のために現金250万円を使用した事実があったとしても、他方で、乙は3000万円程度の現金は常に手元に置いていたと供述しているのであるから、こうした事実は原告が乙に対して3000万円の現金を交付した裏付けにはならない。
オ 乙は、丙から依頼を受けて原告のために本件消費貸借契約の手続をしたにすぎないと供述するが、丙と原告との関係については、客観的証拠は存在せず、月々100万円単位の金銭の授受や堕胎に対して1000万円の慰謝料を支払うなど、およそ常識では考えられない原告と丙との関係が存在したことを、原告及び乙のあいまいな供述のみから認めることはできない。
(4) 原告と乙の関係
ア 原告は、当初は、原告と乙が知り合ったのは丙の紹介であり、平成16年頃である旨主張していたにもかかわらず、その後、知り合ったのは平成5年頃であり、当初は看護婦と患者の関係であったとして主張を変遷させているが、このような重要な事実について主張に変遷があることは原告の供述の真偽を疑わせるものである。
イ 原告は、平成6年3月7日、分譲マンションであるDの一室(以下「D」という。)に転居しているが、このマンションは、同年2月24日、乙が代表取締役を務める株式会社Hが購入したものであって(乙5)、原告は株式会社Hに対し賃料を支払ったことはなく、約1万円の管理費を支払っていたのみである。乙は、Dの原告の電話番号を把握し、原告に対して個人的な要件で電話したり、その部屋を訪れたこともあった。
なお、乙は、Dは、世話になっていた丙から依頼されて提供したものであり、丙から謝礼をもらっていたと供述し、原告は、丙に手配してもらったもので、丙と乙とのやりとりは知らないと供述するが、Dの購入時期と原告の転居時期が近接していることからして、Dは原告に提供するために購入されたことは明らかであり、また、丙から謝礼をもらっていたとの乙の供述もあいまいであって、これを客観的に裏付ける証拠はなく、信用性はない。また、乙はDの原告宅を訪問したこともあるというのであるから、丙が手配したもので乙の関与は知らなかったとする原告の供述は不自然である。
このような原告と乙との関係に照らせば、両者は、平成6年頃から平成10年3月までの間、乙が原告に対して一方的に経済的利益を与えるという家族同然の親密な関係にあったというべきであり、看護婦と患者との関係にすぎなかったとする両者の供述は信用できない。
(5) 以上のとおり、原告らの供述やそれに関連して提出する証拠等は、いずれも、客観的事実に反し、又はその内容自体明らかに不自然、不合理であるなどおよそ信用することができない。
そうすると、原告が乙に3000万円を返済した事実は認められないから、原告は本件弁済によって乙から本件消費貸借契約債務の消滅という財産的利益を供与されたものといえるのであって、本件決定処分及び本件賦課決定処分は適法である。
4 争点についての原告の主張
以下に述べるとおり、乙は、多忙な原告に代わって本件消費貸借契約にかかる債務を代位弁済したものにすぎず、原告は、平成11年9月17日、乙に対し、本件弁済に要した費用として3000万円を現金で返済したのであるから、原告が乙から経済的利益の供与を受けていないことは明らかである。
(1) 原告の乙に対する返済の原資
ア 原告は、平成3年より看護師として病院に勤務し、安定した収入を得ており、生活費が不足した状況にはなかった。
イ 原告は、平成4年頃から、当時のアルバイト先であったE病院の院長であった丙と男女の仲となった。丙は、当時すでに60歳近くの年齢で、相当な資産家であり、月に3、4回会う毎に原告に20万円くらいの現金を渡した。
また、原告は、平成5年春頃から、E病院に看護婦として勤務するようになったが、その際も、通常の給与とは別に、丙から月100万円を受け取っていた。原告は、平成4年12月頃、丙との間の子どもを妊娠し、堕胎したが、そのことについての慰謝料として丙から1000万円を受け取った。
原告と丙との関係は平成6年3月頃まで続いた。
原告と丙がこのような関係にあったことは、当時原告が作成していた日記(甲2)の記載からも明らかである。
原告が丙から受領した金銭は合計すると優に3000万円を超えるものである。
丙は向島税務署の所得番付で数年間にわたり1位であったほどの裕福な資産家であり、男女関係にあった原告に合計3000万円を贈与することも不自然ではない。
原告は、丙から、渡した現金はタンス預金にするよう指示されていたため、3000万円以上の現金を、自宅の鏡台、トイレの棚の中、小さい桐ダンスに分散して自宅で保管していた。
また、原告は平成3年頃、約1年間夜のアルバイトをしていたことがあり、毎月20万から30万円の収入を得ていた。これらが原告の乙に対する返済の原資となっている。
原告が、本件売買契約当時、自宅に3000万円以上の現金を保管していたことは、本件マンションに引っ越す際に原告が撮影した現金の写真(甲1)を見れば明らかである。
(2) 本件消費貸借契約及び本件弁済の経緯
ア 原告は、平成9年頃、本件マンションの購入を考え、丙から与えられた現金をその支払いに充てることを考え、丙に相談したところ、丙から、保有している現金で決済せずに金融機関からの借入れで売買代金を支払うように指示された。
イ 乙は、平成10年初め頃、恩義のある知人である丙から、原告の借入手続を手伝うよう依頼され、本件金銭消費貸借契約に関与するようになった。
乙は、丙から、原告には相当な資金を渡してあることを説明されていたこと、支払いについては丙が保証する旨の約束を得ていたことから、本件金銭消費貸借契約の連帯保証人となり、また、自己名義の合計3000万円の定期預金を担保として提供した。
乙が、丙の要請で原告のために借用手続をとったことは、丙からその旨の話を聞いたとする当時のC信用金庫日暮里支店支店長であった丁の供述書(甲3)からも明らかである。
ウ その後、乙は、丙が平成11年1月頃死亡したこと、本件消費貸借契約の担保として差し入れた定期預金を自宅兼事務所ビルの建替費用に充てようと考えたことから、平成11年9月頃、原告に対し、本件消費貸借契約の清算を申し入れた。原告もこれを承諾したが、看護師としての勤務で多忙のため、具体的な返済手続は乙に任せることとなった。乙が当時実際に自宅兼事務所ビルの建替えを計画していたことは、設計事務所に建築図面を作成させていたこと(甲6)から明らかである。
乙は、平成11年9月10日、C信用金庫日暮里支店に赴き、原告に代わって、担保となった自己名義の定期預金を解約して本件消費貸借契約上の債務を完済し(本件弁済)、本件消費貸借契約関係の書類一式の引き渡しを受けた。
同月17日(同日は丙の誕生日であった。)、原告は、自宅を来訪した乙に対し保管してあった3000万円の現金を渡し、後日、乙から本件消費貸借契約書類一式の引き渡しを受けた。`
乙が原告から3000万円の返済を受けたことは、返済を受けた当日に乙が知人の戊から250万円の猿滑の床柱を現金で購入していること(甲4)からも裏付けられている。
(3) 被告の主張に対する反論
ア 領収書等の不存在
被告は、乙が本件弁済を行うにあたって原告との間で借用書を作成していないことや、その後原告から返済を受けるにあたって領収書のやり取りをしていないことを不自然であると指摘する。
しかし、乙は、本件弁済に伴ってC信用金庫との間の金銭消費貸借契約書一式を渡されており、これが原告に対する借用書の代わりになると認識していたのであり、実際に、原告から返済を受けた後に、これらの書類を原告に引き渡しているのであるから、乙の行為に不自然さはみられない。
イ 原告と乙との関係
被告は、原告と乙が親密な関係にあったことを乙の原告に対する贈与の動機として指摘する。
しかし、原告が乙と知り合ったのは平成5年頃であるが、この頃は単なる看護婦と患者としての関係にすぎなかった。平成8年頃及び平成9年11月頃、乙が大病を患った際に、原告が有名病院を紹介し、入院の便宜を図ったことがあり、このような経緯を経て、原告と乙は平成10年夏頃に男女の関係となったものである。
被告は、本件弁済によって乙が原告に3000万円を贈与したと主張するようであるが、丙が死亡してわずか半年後に乙が原告に3000万円を贈与する動機はない。3000万円は乙の資産内容からみて非常に高額であり、入院の便宜を図ったというだけで3000万円の謝礼を支払う理由はない。
乙は、本件消費貸借契約に際し、連帯保証契約を締結しているが、これは恩義のある丙より依頼され、断り切れずに引き受けたものである。乙は、丙から原告が相当な額の現金を保有していることを聞かされ、丙からも支払を保証する旨の約束を得ていたため連帯保証に応じたのである。本件消費貸借契約にあたり乙名義の定期預金を担保に入れたのは、金融機関からローンの承認を得るために必要であると要請されたからであり、乙は、丙から依頼され、その代行として動いていたにすぎない。
丙が自ら手続をしなかったのは、丙はC信用金庫吾嬬支店の総代を勤めており、公には名前を出したくなかったからであると考えられる。
第3 当裁判所の判断
1 前提事実のとおり、乙は、本件消費貸借契約にかかる原告の債務を自己名義の定期預金(当該定期預金が乙に帰属するもめであることについては争いがない。)を解約することによって代位弁済したものであるところ、被告は、「乙に対して本件弁済に係る金員を返済したとの原告の主張は虚偽であり、本件弁済は、乙が、当初から原告に対して求償権を行使する意思なく行ったものであるか、本件弁済後間もなく乙が原告に対して求償権を放棄したものであり、いずれにせよ原告に対する経済的利益の供与に当たる。」と主張するのに対し、原告は、この主張を否認した上、「原告は、乙に対して、本件弁済に係る3000万円を実際に返済している。」と主張している。
このように、本件においては、原告が、乙に対して3000万円を返済したかどうかが重要な争点となっているのであるが、原告は、平成11年9月17日、乙に対し3000万円を弁済した旨主張するものの、このことを直接裏付ける領収書等の客観的証拠は提出されていない。そこで、返済の事実の有無を判断するにあたっては、返済の事実を供述する原告と乙の供述の信用性を判断する必要がある。
2 原告および乙の供述内容はおおむね一致しており、その概要は以下のとおりである(甲5、甲7、証人乙、原告本人)。
(1) 3000万円を保有していたこと
原告は、昭和61年、18歳の頃から看護師見習いとしてE病院に勤務し、毎月定期収入を得ていた。平成元年には準看護師の免許を得て、E病院でアルバイトしながら、F医大に通学していた。平成3年の4月、23歳のときに正看護師になり、F医大に就職した。この年に友人の紹介で夜のアルバイトをして、本業のほかに、毎月20万円ないし30万円の収入を得ていた。
原告は、平成4年頃から、約2年間にわたって丙と男女の関係にあり、交際期間中、丙から会うたびに20万円程度の金銭を渡されていた。また、平成4年12月、丙との間の胎児を堕胎した際には、1000万円の慰謝料を受領した。原告は平成5年春からE病院に就職したが、それ以降丙から個人的に毎月100万円の小遣いを受け取っていた。このような丙と原告との関係は平成6年頃まで続いた。
以上のような金銭を原資として、原告は、平成11年当時、3000万円の現金を保有していた。この現金については、丙の指示により金融機関に預けることなく、いくつかに分けて自宅で保有していた。
(2) 本件マンション購入の経緯
原告は、平成8年11月に長女を出産し、子供と暮らすのにふさわしい住まいがほしいと考え、保有していた現金を使って本件マンションを購入することを考え、丙に相談したところ承諾が得られた。本件マンションの代金は3698万円であり、保有していた3000万円では足りなかったが、どうしても購入したいと考えた原告は、手付金730万円については原告自身の預金等を解約して用意した。
残金2968万円の決済については、丙から、保有している現金で決済するのではなく、C信用金庫から3年間(実際は2年間である。)の借入れをして、その借入金の返済に手元の現金を使うように指示された。また、公的な立場があり丙の名前は出せないため、知人の乙に保証人となってもらい、借入れの手続してもらうようにと指示された。
乙は、丙から原告がマンションを購入することとなったのでC信用金庫日暮里支店での借入れの手伝いをしてほしいと依頼された。乙は、丙には事業の立上げ資金を融通してもらったという恩義があり、また、原告には借入額に相当するだけの現金を渡してあると説明され、借入れについては丙が保証すると言われていたため、丙の依頼に応じ、本件消費貸借契約の手続を手伝うこととなった。原告の住所の関係でC信用金庫日暮里支店での借入れの手続が難航したため、乙が自ら連帯保証人となり、C信用金庫日暮里支店に協力預金をしていた自己名義の定期預金合計3000万円を担保にすることで借入れを実行してもらった。借入れの利息については原告が支払っており、乙は関知していない。
(3) 本件弁済の経緯
乙は、平成11年1月に丙が死亡し、当事者がいなくなったことに不安を感じたこと、また、自宅兼事務所の建替えを計画しており、そのための資金を必要としたこともあって、原告に本件消費貸借契約の清算を申し入れた。原告も、毎月約4万円の利息の支払いがなくなることは利点であると考えてこれに応じたが、日中は看護師として勤務していたため、具体的な返済手続は乙に委ねた。
原告は、9月17日は丙の誕生日であったため、丙との関係を本当に清算する意味を込めてこの日に乙に返済することとし、夕方自宅を訪れた乙に対し、自宅に保管していた現金3000万円を渡した。
その後、予定していた乙の自宅兼事務所の建替えは、見積と予算が合わなかったため中止となり、乙は、原告から返済を受けた3000万円を金融機関に預けることなく、猿滑の床柱(250万円)の購入や、株式の購入費用、海外旅行などの遊興費として使用した。
(4) 乙との関係について
原告は平成5年頃、E病院に看護師として勤務していた頃に、病院の近くに会社があった乙と知り合ったが、この頃は、乙とは患者と看護婦との関係に過ぎなかった。
原告は、平成6年4月頃から本件マンションに転居するまでの間、乙が経営する株式会社Hが所有するDに居住していたが、これは乙の知人である丙が乙に依頼して手配したものであり、丙と乙との間でどのようなやりとりがあったのかについては原告は関知していない。原告と乙は、原告が乙に有名病院紹介などの便宜を図ったことなどから、平成10年の夏頃に男女の関係となった。
3 供述の信用性の検討
(1) 原告の供述の信用性について
原告は、本件弁済が行われる以前である平成11年1月頃、税務署から本件マンション購入資金について照会があった際に、本件マンションの購入資金について、長期住宅ローンを組んで返済を行っているとの虚偽の記載をしたほか、乙が連帯保証人となっていることについては意図的に記載していない(乙17、原告本人)。
この点について、原告は、知人からアドバイスを受けて当たり障りのないように記載したものである旨供述する(原告本人)が、公的機関である税務署がマンション購入の原資について調査するために照会を行っていることを認識しながら、客観的事実と明らかに異なる事実を記載して、自ら疑いを招くような行動をとったものといわざるを得ないものであり、このことは原告の供述の基本的な信用性に疑問を投げるものといわざるを得ない。
(2) 乙の供述の信用性について
また、乙は、少なくとも平成10年夏頃からは原告と男女の関係にある上に、原告が平成6年春頃から本件マンションに転居するまで居住していたDは、乙が経営する株式会社Hが所有するマンションであって、乙は、原告に約1万円の管理費を負担してもらっていただけで賃料を取らずに住まわせていたほか、当時の原告の電話番号を把握し、Dの原告の住居を訪れたこともあるというのであるから(証人乙)、平成6年当時から原告と深く交際していたことをうかがわせる人物であり、本件消費貸借契約の手続にも当初の段階から当事者として関与していることが認められるから、原告のために真実と異なる供述をしている可能性を否定することはできず、供述の信用性はそれほど高いとはいえない。
(3) 原告が3000万円を保有していたことについて
ア 原告が平成11年当時に3000万円を現金で保有していたことを裏付ける証拠としては、現金の束を撮影した写真(甲1)があり、また、原告と丙との関係を裏付ける証拠としては、原告が丙との交際について記載した原告作成の日記(甲2)がある。
イ 現金の写真について
原告は、甲1号証の写真は、平成10年4月頃、本件マンションに引っ越した直後に、本件マンションの和室で撮影したものと供述しているところ、当該写真の中央には、100万円の束と思われる現金の束が30冊以上並んだ状態で写っており、その背景には引っ越しの際に使用したとみられる「おもちゃ」や「絵本」と書かれた段ボール箱やタンスの一部、たたまれた服などが写されているから、当該写真が、被写体の状況からすると、引越の際に撮影されたものとする供述も、それ自体としては不自然とはいい難い。(なお、原告には平成8年生まれの長女がいる。甲7。)。
しかしながら、原告は、甲1号証の写真を撮影した理由について、このお金でここ(本件マンション)にいられるのだと考え、余ったフィルムで撮影したと供述しているが、他に、現金を撮影しなければならなかった理由は述べていない。一方、原告は、丙から受領した現金は表に出せないお金だと考えていたとも供述しているから、特別の必要性もないのに、そのような性格の現金を写真撮影して他人の眼に触れる危険を生じさせたこととなり、このような行為について不自然さを払拭することは困難である。
また、甲1号証の写真は、一見したところ畳の色調が部分によって異なっていることから、畳が焼けているかのように見うけられるのであり、引越直後の本件マンション(新築)で撮影されたとするには疑いが残るものである。
以上の点を総合すると、甲1号証の写真は、原告の供述するとおりに撮影されたものであるというにはなお疑いが残るものである。また、仮にそうであったとしても、この写真のみでは原告の自宅に3000万円の現金が存在したことがあることが裏付けられるのにすぎず、こうした事実のみでは、当該現金が原告に帰属することや、原告がこれを使って乙に返済を行ったことの裏付けにはならないというべきである。
ウ 原告と丙との関係について
また、原告は、日記と称するワープロ打ちの文章(甲2)を提出し、これには、原告と丙が過去に男女の関係を有していたこと、原告が丙との交際で金銭感覚がおかしくなったこと、原告が丙から金銭を渡されていたこと、原告が堕胎したことを示唆する記載がある。
被告は、甲2号証には丙から1000万円や100万円を受領したことを明確に記載した部分はない上、作成年月日を客観的に裏付けるものもなく、平成6年当時の状況を示すものとは認めがたいと主張する。
そこで検討するに、甲2号証の記載内容は、原告と丙との関係にとどまらず、原告の看護師としての日常、親や友人との交際の様子などについて、約10か月にわたり原告の視点から具体的につづったものであり、複数の誤字についても修正されることなく放置されていることからすると、原告作成の日記であることに疑いを差し挟む特段の事情は認められない。また、甲2号証には月日の記載はあるものの、作成年の記載はないが、原告が、平成6年4月頃、それまで勤務していたE病院からG病院に勤務先を変えたこと(甲7)、上記日記にはG病院において新たに勤務を開始したことが記載されていることからすると、作成年が平成6年であることも認められるというべきである。
しかしながら、甲2号証には、丙との具体的な金銭のやり取りが記載されているものではないから、原告が丙から金銭を受領したことがあることが推察されるにとどまり、それ以上に、原告が主張するような合計3000万円もの多額の金銭を授受する関係にあったことを認めることは困難である。
エ 夜のアルバイトについて
また、原告は、平成3年頃、夜のアルバイトをして月に約20万円を得ていたと供述するが、その供述内容は具体的ではなく、これを裏付ける証拠もないことからすると、このような事実を認めることはできない。
オ 本件マンション購入の経緯について
他方、原告は、本件マンションの手付金730万円については自己の預金を解約して支払っているところ、このような行為は自宅に現金3000万円を保有している者の行動としては不自然である。
この点について、原告は、現金3000万円については丙の指示で表に出せないお金であったと供述しているが、そうであれば本件消費貸借契約についても長期分割弁済の方法をとるのが合理的であると考えられるところ、本件消費貸借契約はもともと3000万円もの多額の借入れを2年後(平成12年3月31日)に一括返済するというものであって、原告の供述を前提としても、丙が死亡する以前から、借入れのわずか2年後には原告が丙から受け取ったとする3000万円を使わざるを得ない状況になることが想定されていることを考えると、当初の手付金の段階であっても、その一部を使うことなく、自己名義の預金を別途解約して支払ったのはやはり不自然だといわざるを得ない。
カ まとめ
以上のとおり、原告が3000万円を超える現金を保有していたとの点については、これを裏付けるに足りる客観的証拠が存するものとはいえない一方、それとは矛盾する事情も認められるものといわざるを得ない。そして、丙から僅か2年の間に3000万円にも上る金額の現金を受領したということ自体に不自然といわざるを得ない側面があることをも考え併せると、結局、この点に関する原告の主張や供述をそのまま採用することは困難であるというほかはない。
(4) 原告の乙に対する返済について
原告の乙に対する返済の事実についても、以下のとおり、これを認めることは困難であるといわざるを得ない。
すなわち、仮に、原告が3000万円を現金で保有していたのであれば、原告が主債務者である本件消費貸借契約を清算するに当たっても、原告が保有していた3000万円を返済に充てるのが通常の流れであり、乙名義の定期預金を解約してC信用金庫に対する債務を返済する必然性は何ら認められない。
この点、乙は、乙が自己名義の定期預金をもって代位弁済を行ったことにより本件消費貸借契約の契約書類一式を受領しており、これが乙が本件弁済を行ったことを証する書面であると共に、原告に対して支払いを求める根拠となる書面であったと供述し、原告が保有していた現金で本件消費貸借契約に係る債務の弁済をし、担保が解除された定期預金を解約して現金を受け取ることと、担保として差し入れられている定期預金を使って同債務の弁済をし、原告から現金を受け取ることは同じだと考えていたと供述している。また、原告は、原告が平日の昼間は看護師として勤務しているため、代わって乙が返済手続を行った旨供述する。
原告が保有していた現金で本件消費貸借契約の債務を返済し、担保が解除された定期預金を解約して乙が金融機関から現金を受け取ることと、担保になっている乙名義の定期預金で本件消費貸借契約の債務を返済し、乙が原告から現金を受け取ることでは、法的な効果が異なるだけでなく、乙にとっては、後者は、前者と異なり、原告から返済を受けられないかもしれないという危険を生じさせることになる清算方法である。乙は、丙が死亡し、関係者がいなくなったことに不安を感じて本件消費貸借契約の清算を求めた旨供述するものであるところ、原告が本件消費貸借契約の借入金に相当する現金を保有しているか否か確認したことはないとも供述しているのであるから、そのような状況で、このような危険性を生じる行動をとったのは不自然というほかない。仮に、原告が平日昼間は勤務していたことから、多忙であったとしても、本件返済が行われた平成11年9月当時、原告と乙はすでに親密な関係にあったことは争いがなく、乙は事前に原告から現金を受け取って本件消費貸借契約の返済に充てることは容易であったと考えられることからしても、乙の行動はきわめて不自然である。
なお、本件消費貸借契約締結当時、C信用金庫日暮里支店の支店長であった丁は、すでに板橋支店に異動していた平成11年9月に、乙から、本件消費貸借契約を返済する旨の話があり、後日原告の保有している現金で返済を受ける予定であるとの話を聞いたとする供述書(甲3)を作成しているが、丁は、乙が原告から返済を受ける予定があるとの話を聞いたとするのみであるから、仮にそのような事実があったとしても、それだけでは実際に返済が行われたことの裏付けとなるものではない。
さらに、戊作成の供述書(甲4)には、乙が原告から3000万円の返済を受けたとする当日に、乙に代金250万円の猿滑の床柱を売却し、現金で支払いを受けたとの記載がある。しかし、乙が常時3000万円程度の現金を自宅に置いていたと供述していること(証人乙)に照らせば、仮にこのような事実があったとしても、このことをもって原告が乙に3000万円を返済した事実を裏付けるものとはいえない。
また、乙は、本件消費貸借契約の清算は、自宅兼事務所の建替費用を捻出するために行ったと供述し、その計画概要図(甲6)を提出するが、結局のところ建替工事を行うことは断念したというのであり、かつ、受領した3000万円については金融機関に預けることもなく、株式等の購入費用、海外旅行等の遊興費に費消したなどと供述するのみであるから、こうした供述内容から、乙が3000万円を受領したことが裏付けられるものとは到底認められない。
4 結論
以上検討したところによれば、平成11年9月当時、自宅に現金3000万円を保有しており、これによって同月17日に乙に現金3000万円を返済したとする原告及び乙の供述は、内容に不自然な点が多々見受けられることなどから信用性が高いとは言い難く、また、供述の裏付けとして提出された各証拠についても、供述を裏付けるに足りるものとは認められない。そうすると、本件全証拠をもってしても、原告が乙に対し、3000万円を現金で返済した事実を認定することは困難というほかない。
以上のとおりであるから、原告が乙に3000万円を返済した事実を認めるに足りる証拠はないこととなり、乙は、原告に対する求償権を行使する意思のないまま本件弁済を行ったことを推認することができるから、このことによって乙は原告に対して経済的利益を供与したものであって、これは相続税法8条の贈与とみなされる。
したがって、乙から原告に対する贈与を認定した本件決定処分(ただし平成15年8月7日付け再更正処分による一部取消後のもの)は適法であり、本件決定を前提とする本件賦課決定処分(ただし平成15年3月25日審査裁決及び同年8月7日付けによる変更決定処分による各一部取消後のもの)も適法である。
第4 結論
よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鶴岡稔彦 裁判官 新谷祐子 裁判官 今井理)